【教育の無償化問題とは保護者の立場に直接関連するが,朝鮮学校においては,朝鮮総聯の利害問題にまで昇華する】

 【日本〔政府・地方自治体〕側の態度は,北朝鮮が「在外公民」だと称する在日児童・生徒の教育をめぐり,金王朝世襲独裁国家体制のために存在する朝鮮学校の処遇に関して,的確に対応できていない】

 【北朝鮮による日本人拉致問題「被害」が実在した点を針小棒大にとらえた気分になり,この外交問題ひとつをもって,つまり「ブルーリボンバッチ」が「水戸黄門の印籠」のごとき効能を発揮できるかのように,いつまでも信じこんでいる日本がの姿勢は,「日本保守・極右・反動政府」の単細胞的な思考回路によって制作された「未熟な世論形成の結果」であり,問題の建設的な解決にはつながらない】



 ①「朝鮮学校除外『適法』 広島地裁,高校無償化めぐり』(『朝日新聞』2017年7月20日朝刊38面「社会」)

 2010年に始まった高校の授業料無償化から朝鮮学校を外した国の処分について,広島市東区の朝鮮学校の当時の生徒らが取り消しなどを求めた裁判の判決が〔7月〕19日,広島地裁であった。小西洋裁判長は「朝鮮学校が高校無償化法の要件に該当しないことを理由とした処分で,適法だ」として,訴えを却下した。原告側は控訴する方針。

 朝鮮学校の無償化をめぐる裁判は東京,大阪など計5裁判所で起こされ,判決は初めて。訴えたのは,学校法人「広島朝鮮学園」と,同学園が運営する広島朝鮮高級学校の2010年当時の生徒ら計109人。約5100万円の国家賠償も求めていたが,判決はこれも棄却した。
 補注)この訴訟は,生徒〔ら〕が提訴した点に特徴があるといえる。朝鮮学校側,つまり朝鮮総聯側のいままでにおける高校の無償化問題に対する主張の核心には「子どもたちには罪(?)はない」のに,なにゆえそうした差別をするのかという批判があった。だが,この理屈はこの裁判でも指摘されているように,「朝鮮総聯」の傘下にあって実質には完全に掌握・支配されている朝鮮学校が,まともに唱えられる論法ではない。

 「無償化の対象から」「子ども〔児童や生徒〕がはずされている現状」は「子どもたちがかわいそうだ」という具合に,とくに心情面にだけ訴える方法は,朝鮮総聯・朝鮮学校の常套手段であって,こうした議論の後方にその「問題の本質」として控えているのは「朝鮮総聯⇔朝鮮学校」の基本的な上下関係である。こうした組織構造のなかで,意図的に利用されてきた便法が,まさしく児童・生徒を前面に出して煙幕を張るやり方である。

 朝鮮総聯は,北朝鮮の指示・命令にしたがい活動している政治機関である。朝鮮総聯が朝鮮学校のあり方を基本から決めていることは,分かりきった実情である。だからこそ,朝鮮学校高級部の生徒らに提訴させる便法を採っていた。その裏幕のほうに潜んでいる核心の組織人たちの姿は隠している。そういう戦術を採っていた。

朝鮮総聯組織図
註記)その後に変更が一部あるかもしれないが,およそ,
  この概念図で朝鮮総聯全体を把握することができる。

 
〔記事に戻る→〕
 判決は,広島朝鮮学園が無償化の対象となる要件を備えているかどうかを検討するうえで,朝鮮総連との関係に着目。過去の報道などを踏まえると,総連による強力な指導が見直されたとはみえないと指摘し,無償化に伴って学園に支給される支援金が適正に使われるかに懸念を示した。高校無償化法の趣旨に沿って対象から外した文部科学相の判断に,裁量権の逸脱は認められないと判断した。
 補注)この裁判所の指摘,「過去の報道などを踏まえると,総連による強力な指導が見直されたとはみえない」点は事実である。朝鮮学校が朝鮮総聯の指示・命令のもとで,無償化などの補助金が国や地方自治体から援助されたとき,その資金を本来の支給目的からはずして,どのように「剥奪・流用してきた」か。いまさら指摘するまでもない「歴史の事実」であった。補助金が生徒の口座に振りこまれた場合でも,上部組織(朝鮮学校⇒朝鮮総聯)がそれを召しあげていた。話にならないほどに,その種の悪さを犯してきた。

 国は,朝鮮学校を無償化の対象とする省令の規定をあえて削除しており,原告側は差別的な取り扱いで憲法の平等権に反すると主張したが,判決は退けた。そのうえで,今回の処分は学園が高校無償化の要件に該当しないことが理由で,民族を理由としたわけではなく,合理的な区別にあたると結論づけた。
 補注)本質論的な議論で考えてみたい。「原告側は差別的な取り扱いで憲法の平等権に反すると〔いった〕主張」については,一定限度において正しい面がありうる。だが,そういう主張をする側=朝鮮学校・朝鮮総聯側は,日本政府・地方自治体側において結局,「ある種の民族排外主義」である「行政差別をなさしめる〈悪〉」を,かえって増長させた履歴をもっている。しかし,その点は棚挙げしておいてこそ,生徒たちに原告の役目を果たさせ,提訴をした理由が理解できる。やること・なすことがいちいちみえすいた “小賢しい小手先の戦術の展開ばかり” になっている。

 以上の記事を,つぎの『日本経済新聞』の報道に読んでみたい。日経は,同じ2017年7月20日でも夕刊になってから報道する記事にしていた。

 ②「朝鮮学校 無償化認めず 広島地裁,国の判断を追認」(『日本経済新聞』2017年7月20日夕刊13面「社会2」)
 
 国が朝鮮学校を高校無償化の適用対象から外したのは違法として,広島朝鮮学校の運営法人「広島朝鮮学園」と卒業生らが処分取り消しや在学中の受給相当額に当たる計5600万円の損害賠償などを国に求めた訴訟の判決で,広島地裁は〔7月〕20日までに,原告側の全面敗訴をいいわたした。全国5カ所で係争中の同種訴訟で初の判決。学園側は控訴する方針。

 小西 洋裁判長は判決理由で,国側が「朝鮮学校は北朝鮮や在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)の影響下にあり,無償化の資金が授業料に充てられないことが懸念される」と主張した内容を追認。「対象外とした国の判断に裁量範囲の逸脱,乱用は認められない」と述べた。

 また原告側が「民族教育を受ける権利を含む学習権や,憲法上の平等権の侵害に当たる」と主張した点については「朝鮮学校が対象外となったのは高校無償化法の支給要件に該当しないためで,民族を理由としたものではなく,違憲ではない」と判断した。
 補注)しかし,裁判所による今回のこの判決に「民族を理由としたものではなく」と,それも間違いなく百%いえるかといえば,これはウソになる。なにがしか,その何%かは間違いなく混入させているからである。また「民族教育」にも関連するといわれた「学習権の権利」や「日本国憲法の平等権の侵害」という訴求点は,これも百%を日本政府に求めることはどだい無理である。日本政府は自国の民に対してさえ,学習権や平等権を保障しておらず,国歌の斉唱・国旗の形容を国民たちに強制している現状に鑑みても,これかあれかの論法で要求をしたところで,つまりそれも日本の裁判所に訴えたところで,その理屈が通るわけはない。

 極端に対照させる話法になるかもしれないが,日本と北朝鮮の間柄を「逆にして(日本が北朝鮮!なのだと)考えて」みるのもよい。この想定話は非現実的であり,いまのところありえない仮想の議論であるかもしれない。けれども,理屈として一度はそのように比較対照をしてみる価値はある。ともかくも,北朝鮮の “在日する公民たち” のための公教育を担当する,それも日本にある朝鮮学校が北朝鮮の民族的(?)な価値観,いいかえれば,昔もいまも金王朝のための教育(!)をしていないなどとはいえない,そのとおりにやっているのである。

 とはいえ,日本政府がいまおこなっている教育体制も基本的には同じ性質のものをかかえている。教育の体系全体のなかで「天皇・天皇制」が,ともかくも翼賛されるように教育をおこなっている。先日の月曜日〔7月17日〕は「海の日」という休日で「公休日」であったが,この「国民の休日(祝日)」は,明治天皇由来であった。この休日を簡単に解説しておく。
   国民の祝日の一つ。7月20日であったが,2003年から7月の第3月曜日に変更された。 1995年2月の参議院本会議で,7月20日を新たな国民の祝日とする案が可決され 1996年から実施。「海の恩恵に感謝するとともに,海洋日本国の繁栄を願う日」というのがその趣旨。しかし,7月20日は明治天皇が東北巡幸から横浜に帰港した日にあたり,かつて「海の記念日」とされていたことから賛否両論があり,1994年12月の国会では継続審議の扱いになっていた。
 註記)https://kotobank.jp/word/海の日-172803
 ここでは,国民の休日は「御上が与える〔設定:創設する〕公休日」であるとしか解釈のしようがない。この事実は,国民主権であるはずの,この日本国の基本的素性の一側面を正直に表現している。「国・民の統合しての天皇・天皇制」などというなかれ,要は「上からの休日恩恵」である〈上下の関係〉が払拭できない政治観念をもって「国民の休日」の付加が決められてきた。休日の増加を喜ばない労働者はいない。もっとも,非正規労働者群にとっては意味がない事象かもしれないが。

 〔記事本文に戻る→〕 ほかの外国人学校が対象となり,朝鮮学校が外れた点についても「結果的に差が生じても合理的な判断だ」と指摘した。判決などによると,高校無償化制度は民主党政権当時の2010年に導入。広島朝鮮学園は同年11月,国に適用を申請したが,自公政権となった後の2013年2月に対象外とされた。同種訴訟はほかに東京,名古屋,大阪各地裁と福岡地裁小倉支部で争われ,大阪訴訟は今月28日,東京訴訟は9月13日に判決の予定。

 --今回の裁判はいわば,日本と北朝鮮の外交的な対立関係をありのままに反映させた判決を下していた。日本の裁判所は国家権力の目線を一番気にしながら,つぎに国民感情も考慮に入れた裁判をする。これは当然の性向である。隣国ではいま,女性の前大統領が弾劾裁判を受けているが,この裁判について日本の言論は韓国の国民感情が色濃く反映されていると分析していたが,自国内のこの朝鮮高校無償化除外措置に関する提訴の問題についても,同様であって,国民感情(北朝鮮嫌いのそれ)を汲むことが皆無であったなどとは,とてもいえまい。

 ③『産経新聞』の “はしゃぎよう” ,この新聞社はどのように報じていたか

 1)2017年7月20日朝,たまたま外出する時間帯があったので,コンビニで売っている各社の新聞をみると,『産経新聞』(同日)が,つぎのような記事を1面冒頭にかかげていた。他紙(ここでは『朝日新聞』と『日本経済新聞』)に比較するに,異様なまで大きくとりあげている。政府の御用というよりは,先走り的なメッセンジャー・ボーイの性格を有する『産経新聞』らしい,おおげさなとりあげ方であった。(画面 クリックで 拡大・可)
『産経新聞』2017年7月20日朝刊朝鮮学校

 2)「【主張】朝鮮学校判決 独裁者崇拝
に公金出せぬ」(『産経ニュース』2017.7.21  05:03 更新)」
 国が朝鮮学校を高校授業料無償化の適用対象外としたのは合憲,適法だとする初の判断を,広島地裁が示した。北朝鮮や朝鮮総連の影響下にある学校運営の実態を踏まえ,公金支出を認めない国の主張を支持した当然の判決だ。

 訴訟は,広島市にある朝鮮学校を運営する学校法人などが,無償化の対象外とした国の処分取り消しなどを求めていたが,広島地裁は全面的に退けた。これを含め同種の訴訟が全国5カ所で起こされている。高校無償化の支給要件は「適正な学校運営」と定められている。国の税金を使う以上,当たり前のことである。
 補注)『産経ニュース』のこの口調,「公金支出を認めない国の主張を支持した当然の判決だ」「国の税金を使う以上,当たり前のことである」という判断は,ひとまず妥当である。だが,同じ日本の社会のなかで生きている「人びと・社会集団」が,誰であれ,どのような政治思想の持ち主であれ,そのように「当たりまえに」「当然の判決だ」とまで完全にいい切れるか疑問が残る。朝鮮学校(朝鮮総聯)側に固有(固執)である問題側面は,いったん脇に置いていうことになれば,一般論としてもなおさらのこと,そのような批判は留保されていてよい。

 『産経新聞』の論調はまるで,そのままで十分にネトウヨ的に安倍晋三流であって,ともかく頭のてっぺんからつま先まで,なにからなにまで「北朝鮮:朝鮮総聯・朝鮮学校が憎い,嫌いだ」と形容したらよいような調子に,終始一貫している。だから,朝鮮学校側は無償化の問題を提訴するに当たっては,生徒(子ども)を前面に出して争う戦術を採ってきた。いうなれば,この朝鮮学校の方法もある意味で非常に姑息であり,いうなれば子供だましみたいな法廷闘争戦術を披瀝していた。つまり,おたがいが実に低次元での「報道の仕方」や「裁判での争い方」をしている。

 もともと在日韓国(朝鮮)人は,敗戦後はとくに
「代表なければ課税なし」
という基本原則からは,完璧にといっていいくらい干されてきた(そのよう阻害されてきた差別のこと)。それでも,だいぶ時が経ってからは,地方地自治体が現場において行政をになう機関として,朝鮮学校に補助金を出すようになっていた。朝鮮学校以外の外国人学校にも補助金を出しているのは,その「代表なければ課税なし」という法的な概念とも深く関係する措置であって,ごく自然な地方自治体の行政のあり方である。


 ところが,『産経新聞』流にいわせると,朝鮮学校に対してだけは無償化を適用する措置などとんでもない。いまのままでいいのだといっていた。すなわち「公金支出を認めない国の主張を支持した当然の判決だ」「国の税金を使う以上,当たり前のことである」という理屈にまで,極端にいきついている。しかし,こうした理解は理由がどうあれ,「代表なければ課税なし」という原則的な思考は完全に抹消されており,そうでなければ意図的に失念している。

 〔記事本文に戻る→〕 判決では,この要件は合理的で差別には当たらず,合憲だと明確な判断を示した。原告側は民族教育を受ける権利を侵害するなどと訴えたが,「支給要件に該当しないためで,民族を理由としたものではない」と退けた。判決のいうとおり,無償化から除かれたのは,不透明な学校運営の実態や教育内容の問題があるからだ。これを是正しないまま,差別というのは問題のすり替えにほかならない。
 補注)今回のこの判決に関していうに,差別の問題そのものがけっして含まれていないわけではなく,大ありである。だが,朝鮮学校側においては,その種の「差別」の問題性を跳ね返せるような反証を実績として明示できていない。むしろ,その疑いをみずから認めるような対応ぶりしか残していなかった。そこへ「子どもをイジメルな」とか「子どもたちには関係がない」という理屈をもちだして被せてくるとなれば,周囲から観察している第3者からは,問題の本質がますます透視できにくくなる。

 広島地裁は,無償化の資金が授業料に充てられず,流用される懸念についても認めた。別の民事訴訟判決を挙げ,「朝鮮総連の指導によって学園の名義や資産を流用した過去がある」と指摘した。流用を気にかけずに税金を使う方がどうかしている。
 補注)この事実はけっして朝鮮学校側はすなおに認めることがなかった。朝鮮総聯が政治組織として凋落・劣勢の傾向を余儀なくされてから久しいが,そのせいで,朝鮮学校から「児童・生徒たち向けに支給されていた補助金」を,上部組織として収奪する行為が平然となされていた。

 高校無償化制度は民主党政権時の平成22〔2010〕年に導入された。朝鮮学校への適用については,北朝鮮が核実験をおこなうなか,判断が棚上げされ,自公政権時の〔平成〕24〔2012〕年末に国が適用除外の方針を決めた。

 朝鮮学校の教科書は北朝鮮本国の検閲のもと,朝鮮総連傘下の教科書編纂(へんさん)委員会が編集してきた。歴史教科書などには,金 日成,金 正日親子をたたえる記述が頻繁に出てくる。学校施設の一部を朝鮮総連が無償で使うなどの事例もある。

 東京都はこうした実態調査の結果にもとづき補助金を打ち切った。補助金を見直す自治体は増えているが,しっかり調査しないまま支出を継続する自治体もある。拉致被害者を解放しない北朝鮮の独裁体制を支える教育内容などを不問にして,公金を使うことが妥当なのか。今回の判決を厳しく受け止めてもらいたい。
 註記)http://www.sankei.com/column/news/170721/clm1707210002-n1.html

 この最後の内容(教科書検定:国定教科書の問題)は,かつての日本国(旧大日本帝国)の姿を彷彿させる非難も含まれているし,現代日本の教科書にも部分的にはそのまま共通する特性である。この事実は,否定できない。ただ北朝鮮は,世襲王朝の独裁者讃美を基本にした教育体制しかありえない国家体制である。それでも,質的に北朝鮮と日本のあり方がまったく別物だとはいえない。安倍「1強政権」下においてその傾向(志向生)は,異様なかたちでもって鮮明に浮上してきた。

 さて,つぎは,『産経新聞』とは好対照の立場にある『朝日新聞』が,「今回の問題」に対して繰り出した論評(社説)の紹介である。どちらの立場にしても一理ある論旨を披露してはいるものの,その一理の同士がどこまでいっても噛みあわない「日本の政治社会的な現況」が,新聞紙上にも現象している。そして,その一理と一理を噛みあわせるつもりなど皆目ない「朝鮮学校」(朝鮮総聯の指導下にある教育機関)は,この『朝日新聞』の論じる主張(支援となりうる論旨)を,都合のいいように利用することになっている。

 ④「〈社説〉朝鮮学校訴訟 無償化の原点に戻れ」(『朝日新聞』2017年7月21日朝刊)

 教育の機会を公平に保障するという制度の理念に立ち返って判断すべきなのに,あまりに粗雑な論理で導いた判決だ。高校の授業料無償化の対象から朝鮮学校を除外した国の処分をめぐる裁判で,広島地裁は〔7月〕19日,「国に裁量の逸脱はなく,適法だ」として,広島朝鮮高級学校側の訴えを退けた。

 判決が焦点を当てたのは,学校と朝鮮総連との関係だ。国は,過去の新聞記事や公安調査庁の報告書をもとに,「朝鮮総連の『不当な支配』を受け,無償化のための支援金が授業料に使われない懸念がある」と主張。判決はこれを認めた。

 この先も資金流用がありうると,どんな証拠にもとづいて判断できたのか。地裁がとりあげたのは,約10年前の別の民事訴訟の判決だ。「総連の指導で学園の名義や資産を流用した過去がある」と指摘し,「そのような事態は今後も起こりえると考えられた」と結論づけた。総連の支配の継続については「変更や見直しを示す報道が見当たらなかった」ことを理由にした。
 補注)この地裁の判断は適切である。「総連の支配の継続については」「変更や見直しを示す報道が見当たらな」い事実は,朝鮮総聯が北朝鮮の国家的な命令・指図のもとに動く下部組織であり,さらにはこのもとに朝鮮学校が存在している関係にあるかぎり,そうならないという保証はまったくない。
朝鮮学校の授業風景画像
出所)朝鮮学校高級部と思われる授業風景,偉大なる
   指導者同志2人のお写真がかかげてある。

https://matome.naver.jp/odai/2148811615587210101

 〔社説本文に戻る→〕 朝鮮学校が総連と関係があるとしても「不当な支配」とまでいえるのか。地裁が実態の把握に力を尽くしたとはいいがたい。原告側は生徒や教員の証人尋問や学校での現場検証を求めた。だが,地裁は採用せず,代わりに授業内容などのビデオ映像が法廷で上映された。少なくとも朝鮮学校や総連の関係者を証人として法廷に呼び,財務資料を提出させるなどし,国の主張が正当かを具体的に確認すべきではなかったか。
 補注)この『朝日新聞』の「北朝鮮⇒朝鮮総聯⇒朝鮮学校」に対する基本認識じたいが甘い。北朝鮮系列各政治組織に対して支援するかのような論旨になっている。問題の内容としては,朝鮮学校もほかの外国人学校と同じに補助金を受けてよいはずである。ところが,なぜ,そうならないのかもう一歩踏みこんだ分析(解説)がない。

 高校無償化は2010年に民主党政権で導入されたが,朝鮮学校は,北朝鮮の韓国・大延坪島(テヨンピョンド)砲撃を理由に適用が見送られた。2012年の第2次安倍内閣の発足後,下村博文・文科相が拉致問題などで「国民の理解がえられない」とし,対象から外した。
 補注)ここでいう「国民」とはいうまでもなく,安倍晋三や下村博文たち極右政治家が想像する「国民の理解」であり,判断であった。「北朝鮮の韓国・大延坪島(テヨンピョンド)砲撃」が,なぜただちに日本の朝鮮学校に対する補助金の問題に,政治的に直結したかたちで反映されたのか? 韓国の事件がなにゆえただちに日本の対応につながるのか,まだよく理解できない連鎖の思考「部分」がある。

 教育も政治であることは確実である。日本国内の問題で語ると,家永三郎の教科書裁判を思いだす。家永裁判の問題は国内での問題であったが,北朝鮮(朝鮮学校)の問題は,あくまで外国のそれである。その点では「印象操作」の印象を避けえない判断であった。まるで「日本=韓国の立場」に映るが,両国の関係はそういうものであったのか? そうではなく,基本的にはただの別国同士ではないのか?


 政治・外交問題に直接関係のない朝鮮学校の生徒に,まるで「制裁」を科すような施策には,国連の人種差別撤廃委員会も懸念を示している。中華学校やブラジル人学校など40あまりの外国人学校が無償化の対象になっている。申請を国が認めなかったのは朝鮮学校だけ。制度の本来の目的に立ち返り,国は適用を検討すべきだ。
 補注)この主張はとりあえず正論である(一理がある)が,朝鮮学校の問題に固有の特殊事情を考慮に入れないで,ただこのように主張しただけでは,なにも変わりえない。あとは政権が交替するのを待つだけの問題になっているのかもしれない。ただし,安倍晋三局政権の後継政権が登場したら,なにも変わりえない。

 多くの大学・短大が朝鮮高級学校生の受験資格を認めているのも,日本の高校に準じた教育水準とみなしているからだ。問われているのは,子どもの学ぶ権利に関わる教育行政の公平性である。原告側は控訴する方針という。高裁は丁寧な審理を尽くしてほしい。
 補注)「子どもの学ぶ権利」というものも問題になる。朝鮮学校において児童・生徒がその権利を完全に保証されうるような教育態勢になっているかといえば,この点は前段にもあったように戦前・戦中の日本の教育を想起すれば,すぐに判ることがらであって,そうなってはいない。だが,このところまで日本政府・地方自治体側がどのように関与・介入できるかが問題になっていた。補助金の支給があればなおさらそのような関心事は放置できない。

 また,大学受験資格の問題,つまり朝鮮学校などに大学受験のための資格を認めるかどうかの問題は,日本の大学側における事情史もからめた議論を要する論点である。日本の大学は私立大学の場合,定員割れを来たしているところ(もちろん非一流大学で地方の小規模)が多い。

 そうした事情のなかで就業年数(小中学校:6年プラス3年プラス3年で12年があればこれ)そのもので判断し,受験資格を認める日本の大学は,いまではいくらでもある。評言は悪いが,学生集めに四苦八苦している,それこそ「ドブさらい」の要領で学生をかき集めている大学側にとって,留学生よりも手間がかからず,また授業料収入が4分の3に減らない朝鮮学校高級部の生徒は,上得意の部類に属するはずである。

 ⑤ む す び-若干の評言-

 本日における以上の議論については,ごく最近では3日前につぎの記述をおこなっていた。これにはリンクを張っておくが,この記述のなかにはさらに,本ブログ筆者が朝鮮学校の問題を論じたほかの記述も,いくつか指示されている。
 
  ⇒ 2017年07月18日「在日3世の研究者が韓国出身の研究者が書いた朝鮮学校研究書を論評する立場,そして朝鮮学校・朝鮮大学校を検討するための『視点(その基礎知識の必要性)』」

 
 副題1「朝鮮学校に対する地方自治体の補助金問題」
  副題2「永山聡子「『語られないもの」としての朝鮮学校-在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』」一橋大学『〈教育と社会〉研究』第23巻,2013年8月28日」
  副題3「在日3世だという永山聡子が,この宋 基燦の『「語られないもの」としての朝鮮学校-在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス-』を論評する意味はなにか,よく理解できない書評であった」     

 要するに,北朝鮮側の政治体制である金王朝全体主義独裁国家は,通常に想定できる範囲内での社会主義国とは,まったく異なった変態的な国家体制のもとに運営がおこなわれてきた。ところが,その政治の体制・方法にはいっさい反抗ところか,一言も批判さえできない,日本にある「朝鮮総聯と〔その傘下組織のひとつである⇒〕朝鮮学校」には,常識的な意味での通常の社会認識などいっさい通用しない。

 かといって,現在における日本の教育体制が,日教組がすっかり弱体化した段階にもなっているなかで観るとき,北朝鮮の教育体制を上から目線でなにを批判できるような状態にはない。教育勅語を真顔をもちだした安倍晋三政権下の文教政策である。観方によっては〈狂気の教育観〉が頭をもたげている。目くそ・鼻くその要素もなきしにあらずになった。

 最近公刊された,産経新聞取材班『朝鮮大学校研究』(産經新聞出版,20176月)は,比較的にサンケイらしくないまとめ方に編集されている中身であったが,資料編に相当するそのまとめ部分(とくに関連統計)がほとんどなく,せっかく買って読んだほうとしては,多少がっかりさせられた。朝鮮総聯(朝鮮大学校・朝鮮学校)のことを目の敵のように考えている産経新聞社なのであれば,「敵をしる」ための文献として価値を,より高められる編集をしてくれるような著作にして公刊してほしかった。

 朝鮮総聯は北朝鮮が倒れないかぎり,現状のごとき政治体質を変えるみこみは,まったくない。本ブログ筆者が揶揄して,あの国を名称を「朝鮮民主主義人民共和国」と形容するのは,そうした国家的体質の根本的なダメさ加減を指している。

 しかし,あの国がそうだといって,最近まで4年7ヶ月ほど経過してきた日本国の安倍晋三政権のやり方は,専制的な独裁政治手法ばかりを乱暴に振りまわしてきたなかで,とうとうそのボロをみせはじめている。この点で日本はまだ救いようがある。世襲3代目の政治家でも,いちおうは選挙で選ばれた国家の最高指導者であるか否かの違いは,まだ残存しているからである。

 ようやく,日本の政治は,今〔2017〕年の春から様子に少し変化が生じてきたが,これをもって,どこまでまともな民主主義路線に修正・回復できるかによって,あらためて「日本における民主主義」の成熟度が計られる。隣国のダメさ加減を手放しで笑えるような日本国では,けっしてないことを忘れてはいけない。このところにこそ,この国における民主主義の「本当の水準・体質・定着性」に関する真価が,問われつづけてきた。

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 【二重国籍である日本人(片親が外国籍)がどのくらいの数いるのか。いちいち調べてどうなるのか。日本政府法務省は世界中の二重国籍「問題:事例」をすべて管理・監督・統制できているというもいうのか】

 【「偽装日本人」? 二重国籍をもつとそうなるといえるのか。相手国側からもそういわれたら(「偽装▽▽人!),当人の立場はそれこそ立つ瀬がない】

 【日本政府の二重国籍問題に対する姿勢は不徹底,中途半端であいまい,ごまかしもある】


 ①「蓮舫氏,戸籍を一部開示『二重国籍』批判に反論」(『朝日新聞』2017年7月19日1面)

『朝日新聞』2017年7月19日朝刊蓮舫二重国籍問題 民進党の蓮舫代表は〔7月〕18日の記者会見で,国籍法にもとづく日本国籍の選択宣言をしたことを証明する戸籍謄本の一部などを開示した。党内外で出ている台湾との二重国籍批判をかわす目的だが,出自にかかわる個人情報を公党の代表が開示する姿勢が前例となり,差別を助長しかねないとの批判の声が出ている。(▼3面=民進迷走,4面=問題点は,34面=悪影響を懸念)
 補注)この報道に出ている場面だけですでに「差別を助長」させている。それも政治がらみで,民進党代表である蓮舫に打撃を与えたい人びとが,いやに力をこめては “ああだこうだ” といいたがっている。日本国内における差別といえば「とくに戸籍の問題」(部落差別:裏返せば天皇・天皇制問題),「アイヌ民族(ウタリ)差別」,「在日韓国・朝鮮人差別」,「沖縄差別」,「女性差別」,「障害者差別」などの問題があるが,蓮舫にかかわる今回の問題はそのいくつかが輻輳させられている特性があるところに特徴が出ている。

 なにせ,元台湾人(中国人?)である女性政治家の蓮舫が民進党代表を務めている時代である。純ジャパのつもりを信じこんでいる日本人(日本民族?)たちが,二重国籍である〈疑い〉を材料に,必死になって蓮舫という存在じたいが,もとから問題であるかのようにあげつらっている様子は,いささかならず見苦しい。

 特定行政書士の中井正人は「重国籍者への行政手続実務」という解説のなかで,こう言及していた。2014年における推定話である。「大雑把ではあるが,国内外に居住する日本と外国籍の重国籍者は毎年,出生によって3万人から4万人近く増え,現在の総数は70万人から80万人前後ではないかと推定する」。
 註記)https://www.tokyovisa.co.jp/jp/wp-content/uploads/sites/4/2016/10/LexisNexis-重国籍者への行政手続実務.pdf


 今年は2017年〔の7月時点〕であるから,前段の数値にはさらに10万人ほどを足しておく必要もありそうである( ③ に関連する内容が出てくる)。国際結婚が一番多かった時期には6%台(2006年に約4万5千組み)にまでなった年もあった。その子どもたちが逐次誕生していき,いまでは,いわゆる「混血児」が日本社会のなかで珍しくなくなっている。ごく単純に考えて,この2006年結婚組みの夫婦が子どもを1人ずつ儲けていれば,4万5千人である子どもの誕生になるゆえ,日本の出生数においても無視できない数値である(出生率平均で計算するともっと増え,6万5千人くらいになるか)。

 日本の相撲界で注目されているが,最近,大関に昇進した高安はフィリピン人の母親をもつ。そのほか,テレビにおいて露出度の高い芸能人・タレントのなかには「混血児」が目立っている。とはいえ,このごろはそのような事実をいちいちとりたてておおげさに話題にするような状況ではなくなっている。

 ただ,蓮舫のように政治利害・打算がなにかと絡んでくると,あちこちから,なにやかや文句をつけてくる場合も発生する。とくに蓮舫の場合は当初,自民党側から攻撃の材料にされていた。ところが,自民党内にも二重国籍を保有する議員もいたりして,いささかならずやぶ蛇の事態にもなっていた。


 〔記事本文に戻る→〕 開示資料は昨〔2016〕年10月7日付で日本国籍の選択宣言をした記述がある戸籍謄本の一部にくわえ,台湾当局からの「国籍喪失許可証書」や法務省とのやりとりを記した文書など計6通。蓮舫氏は開示理由について「本来戸籍は開示すべきではないが,民進党代表の発言の信頼が揺らいでいるのはよくない。政権への説明責任を求める立場であることを勘案して公表することにした」と述べた。
 補注)この蓮舫本人が申しひらきする理屈が奇妙である。自身の戸籍について「本来すべきではない開示を信頼の問題があって説明責任のためにした」という論理じたいがおかしい。問題はむしろ「そのようにしかみようとしない」「相手側における二重国籍」「観」にかかわる認識具合にある。二重国籍じたいが問題である以上に,民進党代表である蓮舫に対する政治的な攻撃の材料に利用しようとした自民党側の悪巧みが背景にあった。またこれに呼応する民進党内の極右的な発想・思想の持ち主(議員)もいた。二重国籍の問題がはたして,そのような次元・性質としてとりざたされていいのかについては,後段でさらに議論している。

 蓮舫氏は昨〔2016〕年の代表選当初,「私は生まれた時から日本人。(台湾)籍は抜いている」と主張していたが,台湾籍が残っていたことが判明するなど説明が二転三転。台湾籍を離脱し,日本国籍の選択宣言の手続をとった。だが,ネットなどでは選択宣言を裏づける戸籍公開を求める意見がくすぶり,東京都議選での敗北で党内でも問題が再燃。開示に踏み切った。戸籍の開示には党内の賛否が割れ,専門家から批判が相次いでいる。蓮舫氏は「差別を助長しない社会をつくる」と強調したが,さらなる党勢低迷と混乱を招く可能性がある。(記事引用終わり)

 いわゆる「戸籍」はいまでは,日本と韓国と台湾にしかなく,これについては,旧大日本帝国時代に日本が韓国(朝鮮)と台湾に戸籍制度を置かせた〈過去の経緯〉があった。戸籍の問題が「日本社会における差別問題」に対して非常に大きなマイナス材料となってきた歴史は,常識的にもしられている。

 日本政府は実は,この戸籍の制度はすばらしいものだという認識を根っこでは抱いており,原則公開されない公的資料になっていても,これまで日本社会においてはしばしば,なにかと〈差別の原料〉を供給してきた。この戸籍の制度はその意味では罪な制度であった。ついこのあいだまでのことであったが,求職者が仕事をあえるとき「両親がそろって(生きて?)いない」と,お堅い会社は採用しないというところもあった。

 それは,戸籍が社会において人間の位置づけ(価値づけ)を,当人自身の能力や特性とはなんらかかわりなく下す材料に悪用されてきた〈過去の歴史〉を意味していた。大昔の話になる。『新撰姓氏録』(西暦 815年)という書物が,関西地方を中心に五畿七道における日本人の出身別人口統計を編集していた。それは,当時の1182氏を「天皇家より分かれた皇別」「神々の子孫である神別」「漢,百済,高麗(高句麗),新羅,任那からの渡来人の子孫である諸蕃(蕃別)」の3部に分け,さらに出身地域別に配列する内容になっていた。
   京都と五畿(→五畿七道)内出身の,古代の氏の出自を記した書。30巻および目録1巻。桓武天皇の第5皇子,万多親王らの撰。弘仁6〔815〕年朝廷に提出された。奈良時代,各氏族は天皇の祖先との関係の深さに応じて社会的地位を与えられたので系図を詐称する者が多く,桓武天皇はこれを正そうとして果たさなかったが,遺志を継いで編まれたのが本書である。
 註記)https://kotobank.jp/word/新撰姓氏録-82099 なお,桓武天皇の母が渡来人(韓国・朝鮮系)の子孫であった。
 最後の「蕃別」に属した渡来人でなくとも,皇別と神別に属したと申告した人びとであっては,もとをたどれば「渡来人」であった多くの可能性を否定できなかったはずである。要は,途中から「神別」になだれこんで,その後もそう詐称していった人びとの一群がかなり多くいたはずである。以上,推測での話題であるが,日本の姓のなかには渡来人の姓をそのままか,あるいは反映させたものが多い事実からも,そうした推測の方法がけっしてデタラメではなく,確度の高い現実性を保証するものである。

 ②「戸籍開示,迷走する民進『多様性』かかげ結党,内部からも批判」(『朝日新聞』2017年7月19日朝刊3面」

蓮舫画像2 民進党の蓮舫代表が,自身の戸籍情報を開示した。台湾との「二重国籍」状態を解消したことを証明し,党勢回復の足がかりとしたい考えだが,執行部への批判がやむ気配はない。「多様性社会」の実現をめざ指したはずの党は,再生の糸口もつかめずに漂流している。(▼1面参照)

 「手続きを怠っていたのは事実だが,故意ではない。深く反省する」。蓮舫氏は党本部での記者会見で,みずからの戸籍情報開示に至った経緯について陳謝。「戸籍情報をもとに,たとえば結婚や就職差別が助長されてきた歴史をわが国は抱えている」との認識を示し,「こうした開示は私で最後にしてもらいたい」とも述べた。
 出所)右側画像は若き日;「グラビアアイドル時代の蓮舫」のお写真の1葉。

 蓮舫氏が開示方針を示したのは〔7月〕11日の東京都議選総括の会議。出席議員から「二重国籍問題が党の障害になっている」との指摘があった時だ。その後,逆に開示反対論が噴出すると,蓮舫氏は周辺に「出すにしても出さないにしても文句をいってくる。そんなに心配する話じゃないのに」と漏らしたという。

 野田佳彦幹事長に対しても,リベラル派の議員から「やめたほうがいい。証拠をみせろといわれることが続く」と開示に懸念の声が伝えられたが,野田氏は「そうならないよう配慮して,このタイミングになった」と釈明した。

 民進党は党の綱領などで共生社会の実現をうたい,旧民主党の政権交代前には二重国籍を法的にも認める方針を打ち出してきた。戸籍情報開示がもたらす社会への影響もある。蓮舫氏は会見で「これで終わりではなく,同じような境遇にいる方たちが悩んでいるのであれば,その声に耳を傾けて政策化していきたい」と述べたが,開示は党のカラーにそぐわぬばかりか,かえって党に対する不信を増幅しかねない。
 補注)民進党内には自民党極右議員にも負けない極右的な思想の議員が,一部にだがいる。こういう議員にかぎってネトウヨ的な騒ぎ方を好むが,自民党側からのこの問題を材料にした「蓮舫への攻撃」は,自党内にも複数名,同じような「問題(!)」をかかえている議員がいたことが判明してからは,この二重国籍に対する「自民党側からの騒音発生」は,いつの間にか鎮まっていた。

 
※ 乏しい政策論議,解党論も ※

 党代表が迷走する民進の現状は深刻だ。朝日新聞社が〔7月〕8,9日に行った全国世論調査(電話)によると,安倍内閣と自民への支持が下落するなか,民進の支持も5%と低迷。自民が減った分は無党派層が増えており,党幹部も「どうしたらいいのか,教えてほしい」とぼやく。

 18日まで続いた都議選敗北の総括に向けた会議では,執行部刷新を求める声が相次ぎ,ひな壇の蓮舫氏や野田氏は防戦に追われた。出席議員の1人は「われわれの歴史的役割はもう果たされた。分党あるいは解党すべきだ」と強調。野田氏が「分党,解党という判断はしない」と反論すると,「あなたにそんなことをいう資格はない。幹事長失格だ」などと面罵する場面もあったという。

 党勢回復の兆しがみえないなか,蓮舫氏が局面打開の契機にしようとした戸籍情報開示。だが,これで新たな事実が明らかになったわけでもなく,「党の問題の本質とは無関係」とみる議員が多く,党内の不満解消にもつながっていない。中堅議員は「やることなすこと裏目に出る負のスパイラル」とあきらめ顔だ。
 補注)蓮舫の戸籍公開が公党の代表者としてのそれであったかぎり,今後に与える悪影響は払拭できない。民進党代表の蓮舫さえそうしたのだから,あなただって同じにすればよいという理屈が出てこないともかぎらないからである。

 前原誠司元外相は「なにをやる政党なのかを打ち出して,もう一度,党の主体性をとり戻す」と訴えるが,肝心の政策論議は乏しい。むしろ,総括会議では「政策うんぬんのレベルの話ではない。有権者は党そのものに退場宣告している」との声が上がったほどだ。

 八方ふさがりの状況に,執行部のなかからも「野党再編は避けられない」との声が漏れる。かつての社会党や新進党といった野党第1党もいきづまったすえ,大量の離党者を出し,分裂。中堅の1人は「蓮舫氏の人気が上向くとは思えないが,有力な『ポスト蓮舫』もいない。みんな自縄自縛」と話す。(引用終わり)

 都民ファーストが都議選(2017年7月2日の投票日だった)で大勝ちした最近の政治情勢を念頭に置いての,以上のごとき民進党内の議論と思われるが,都民ファーストの政治体質,その核心(小池百合子と野田 数)は極右そのものであり,本質的には安倍晋三となんら変わりない。いまの時期,民進党のみならず自民党も解体させる事由がりっぱにあると思われるが,問題は有権者の意識のありようにもある。蓮舫の二重国籍問題で,結局は低次元のやりとりに終始しているかのような日本政治の形相は,安倍晋三政権のデタラメさもさることながら,なんら意欲的・前向きな政治姿勢を感じさせていない。

 ③「重国籍,なにが問題? 解消手続きは? 民進・蓮舫代表,戸籍情報開示」(『朝日新聞』2017年7月19日朝刊4面)

『朝日新聞』2017年7月19日朝刊4面蓮舫二重国籍問題 民進党の蓮舫代表が戸籍情報を開示した重国籍問題。日本政府は重国籍を認めていないが,国際化の進展で珍しいことではなくなった。なにが問題で,手続はどうなっているのか。(← 画面 クリックで 拡大・可)(▼1面参照)

 父母のどちらかが外国人である場合や,米国など出生地によって,ほぼ自動的に外国籍が与えられるケースがある。法務省は正確な人数を把握していないが,改正国籍法が施行された1985~2014年度に生まれた日本国籍のある人のうち,二重国籍をもつ可能性がある人は約83万人いたとされる
 補注)前段にも言及があったが,2017年6月までを推算すると,日本における二重国籍者は90万人くらいは存在すると読むことも可能である。

 日本の国籍法は,努力規定として,22歳までにいずれかの国籍を選択するよう求める。解消には,(1) 外国籍を離脱する,(2) 日本国籍選択と外国籍放棄の宣言をすることが必要だ。蓮舫氏は49歳だった昨〔2016〕年,日本国籍の選択を宣言。金田勝年法相は22歳以降について「国籍法上の義務に違反していた」と述べた。

 この法相見解については異論もある。中央大法科大学院の奥田安弘教授(国際私法)は「外国籍をもっていることに自分で気づくのが難しいことも多い。犯罪者のようにいうのは間違いだ。大臣の発言で不安に思う人もいる」と指摘する。国籍法は法相が二重国籍の解消について「催告できる」とし,催告されて1カ月以内に日本国籍を選択しなければ日本国籍を失うと定めているが,法相が過去に催告した例はない。
 補注)日本における二重国籍保有者に対する基本姿勢が「このような程度」にしか,実際には対応していないなかで,蓮舫の問題が出てきたのを契機に,あの国会・委員会ではろくに答弁もできなかった法務大臣「金田勝年」が,以上のようにそれらしいことをいい,蓮舫が「違反していた」とまで指摘した。

 だが,この批判は二重国籍保有者たちに対する日本政府当局が実際におこなっている対応を完全に無視しており,たまたま問題が露呈した時をとらえては「タメにする発言」をしていた。そこには,問題の様相を全体的に理解する法務大臣の態度は寸毫も感じさせない。


 国会議員については,公職選挙法が日本国籍であることを求めているが,外国籍をもつ人を排除する規定はない。国会議員から指名される首相についても国籍に関する規定はないが,外交官は外国籍がある人を認めていない。このため,内閣のトップとして外交交渉にあたり,自衛隊の最高指揮官でもある首相に外国籍があることは問題との意見もある。名城大の近藤 敦教授(憲法)は「首相や大臣にふさわしいかどうかは,有権者が投票するときに考える問題だ」。

 蓮舫氏の場合は父と同じ台湾籍をもっていた。日本政府は日中国交正常化で台湾と断交し,「二つの中国」を認めていない。このため法務省は,日本の国籍事務では台湾を「中国」として扱っている。外国籍の離脱には外国発行の「国籍喪失許可証書」が必要で,蓮舫氏は台湾発行の許可証を添付して区役所に届けたが受理されず,日本国籍の選択を宣言したと説明している。(引用終わり)

 --もっとも,日本もいまでは「ひとつの中国」しか認めない立場であるゆえ,台湾国籍は存在しないという方針にもとづき関連の法的処理をしている。だが,蓮舫の場合,このように「台湾発行の許可証を添付して区役所に届けたが受理されず,日本国籍の選択を宣言した」という点が事実であれば,これが問題を不要に複雑化させる原因になったといえなくもない。

 台湾籍の問題に関連しては,「朝鮮」籍の問題がある。敗戦後サンフランシスコ講和条約発効後(1952年4月28日からのこと),日本政府は,在日韓国・朝鮮人たちが旧植民地出身者としてもっていた日本国籍を一方的に〔というのは当時の国際法における理解でも無法の措置であったから〕剥奪していた。そのために,それら在日韓国・朝鮮人たちは一夜で,こんどは在日外国人に変幻させられていた。蓮舫は在日台湾人(父が台湾人,母が日本人)の日本人として,前述のような在日韓国・朝鮮人の来歴とは違うかたちで,その後において二重国籍をもつに至っていた。

 問題は,日本政府の二重国籍保持者に対する施策の一貫性のなさ(もともと曖昧で不在である)を,あたかも蓮舫自身における個人的な全責任であるかのように理解(牽強付会)し,そのうえで批判(非難・攻撃)を一方的にくわえるだけでは,この問題にかかわる全体像を適切に認識することはできない。それどころか,二重国籍「論」のイロハに関する知識もないままに,ただネトウヨ的な排外意識まる出しの意識だけが前面にせり出された状態で,この問題が負的に議論されるのでは,こうした価値観のあり方は実はそのまま裏返しになって,日本人自身に跳ね返ってもくる。というのは,相手・国があってのこの二重国籍の問題だったからである。

 ④「『戸籍開示要求は差別』指摘も 民進・蓮舫代表,戸籍情報開示」(『朝日新聞』2017年7月19日朝刊34面)

 民進党の蓮舫代表が〔7月〕18日,「二重国籍でないことを証明する」ため,戸籍の写しなどを公開した。本人も「本来は開示すべきではない」と認める,きわめてプライベートな情報。「公党の代表」としての説明責任を理由として挙げたが,悪影響を懸念する声もある。(▼1面参照)

 1) 身元調査,利用の歴史
 蓮舫氏が公開に踏み切る前から,批判は起きていた。「移住者と連帯する全国ネットワーク」など4つの市民団体は〔7月〕14日,「日本国籍を有していることが明白である以上,国会議員になることや民進党の代表になることに法的な問題はまったくない」としたうえで,「個人情報の開示を求めることは,出自による差別を禁じている憲法の趣旨に反する差別そのものである」と開示しないよう要請。18日午前には大学教授や弁護士が会見し,在日コリアン弁護士協会代表の金 竜介弁護士は「外国にルーツがある人に政治家をやらせていいのか,と必らず波及する」と危惧を述べた。

 懸念の背景には,戸籍制度が背負った歴史がある。明治維新直後の1872〔明治5〕年に作られた「壬申戸籍」には,「士族」「平民」といった記載があり,前科まで記された。被差別部落の出身者であることがわかるような内容もあり,1968〔昭和43〕年に封印されるまで市町村役場で閲覧でき,結婚や就職のさいの身元調査に利用されてきた。

 1970年代には『部落地名総鑑』が出回っていたことが明らかになり,就職の選考で戸籍謄本の提出を求めることは就職差別につながるとして,禁じられるようになった。2000年代以降も『総鑑』の電子版が出回ったり,戸籍情報の不正取得が発覚したりしている。

 部落解放運動にかかわってきた川口泰司・山口県人権啓発センター事務局長は「『差別につながる恐れのある個人情報は開示しない』というのが現在の到達点」と語る。蓮舫氏の説明を聞いて「婚外子など事情がある人ほど,戸籍を出すことが怖い。今回の決断は,『出せないなら,やましいことがある』という見方に屈してしまった。マイノリティーの側に立つ野党としての期待が裏切られた」と話した。

 遠藤正敬・早稲田大台湾研究所客員次席研究員によると,戸籍制度は国民を「個人」ではなく,「家の一員」として管理する,世界でも珍しい制度。「民族や血統といった要素を国家が把握し,差別する役割を果たしてきた」という。その観点からも「二重国籍でないことの証明より,『真正なる日本人』の証しを求める意図を感じる」と,開示を求める動きが気になっている。
 補注)この点がネトウヨ的な観点を支持する考えを発生させる理由になっている。国家主義・全体主義・家族主義。

 今回の開示要求を「マイノリティーが社会進出するときに出てくる,典型的な現象」とみるのは樋口直人・徳島大准教授(社会学)だ。米国でも以前,オバマ前大統領が「本当は米国生まれではないのではないか」という「疑惑」が広がった。現大統領のトランプ氏らがなんども出生証明の開示を求め,オバマ氏も2011年,これに応じて沈静化をはからざるをえなかった。

 「外国にルーツがあるかぎり攻撃する人はいる。蓮舫氏は戸籍まで示し,『真正さ』を競う土俵に乗るべきではなかった」と樋口氏は話す。

 2) 蓮舫氏「公党の代表だから決断」
 「本来,戸籍は開示するべきではない」「私で最後にしてもらいたい」。
民進党本部での記者会見で,蓮舫氏はなんども,戸籍情報の公開が「特例」だと強調した。蓮舫氏が公開したのは,日本の国籍選択の宣言をした日付がわかる戸籍の写しや,台湾籍の離脱が完了したことを示す書類。家族に関する記述や自筆署名の部分は白塗りされていた。蓮舫氏が昨秋から会見などで発言してきたことを裏づける内容だが,目新しい情報が含まれていたわけではない。

 にもかかわらず,なぜ開示したのか。蓮舫氏は会見で,これまでに「一貫性のない説明をしてしまった」ため「私の発言の信頼性が揺らいでいる」と説明。「より強く説明が求められる公党の代表だから決断した」と述べた。会見では,開示を前例としないための方策を問う声が上がる一方,公開したことを評価し,政治責任について尋ねる質問も出た。

小野田紀美画像 二重国籍をめぐっては,自民党の小野田紀美参院議員=岡山選挙区=が昨〔2016年〕秋,米国籍をもっていたため放棄の手続をしていることを明らかにし,フェイスブックでみずからの戸籍の写真を公開している。小野田氏は今〔7〕月14日,選挙への立候補時に二重国籍の有無を確認する仕組がないことについて「ルーツや差別の話なんか誰もしていない。公選法および国籍法に違反しているかどうか,合法か違法かの話です」などとツイッターに投稿した。(引用終わり)
 出所)画像は小野田紀美,http://tanaka-diary.com/5552.html

 この小野田紀美のいいぶんはおかしい。二重国籍にかかわる問題とこの議論について 「ルーツや差別の話なんか誰もしていない。公選法および国籍法に違反しているかどうか,合法か違法かの話です」と,故意に法律面の次元における二項式に集約させて分ける話法が問題である。そもそも,そこでいわれている「合法か違法かの話」という論法じたいが,この話をする前提のところで,まだなにも論点が整理されていない段階に留まっているにもかかわらず,そのように断定的に結論していた。小野田紀美は,問題の本質を歴史的に理解する努力とは無縁の地点にあって,しかもツイートのなかで軽く・勝手に発言していた。この種の意見はまともに相手にする価値はない。単なるつぶやきでしかない。

 ⑤ 二重国籍に関するくわしい議論-問題の根源にある在日韓国人問題,歴史が放置してきた国籍問題-

 以下は少し長い文章の参照になる。題名は「二重国籍の実態:『ノーベル賞中村氏は日本人』とする安倍首相,『日本国籍を喪失』とする日本大使館」である(『今日もシンガポールまみれ 日本のあっち,シンガポールのこっち』2014-10-10)。二重国籍をめぐる基本的な論点がなんであり,どこにあるのかを教えている記述である。適宜補正しながら引用する。

 1)「アメリカ人」と紹介されたノーベル賞受賞者 中村修二氏
 ノーベル物理学賞の受賞者,中村修二氏がノーベル賞のプロフィールに “American Citizen” (アメリカ人) と紹介されたことで,「中村氏はアメリカ人なのか,日本人なのか」と話題になった。もっとも,中村氏は『研究の予算をうる必要などから米国籍を取得したが,日本国籍を捨てたわけではない』といっていた。ということで,中村氏自身はまだ日本国籍をもっている認識のようであった。
 
 日本政府からは安倍晋三首相が『赤﨑 勇氏,天野 浩氏,中村修二氏に本年のノーベル物理学賞の受賞が決定しました。日本人として20人目,21人目,22人目の受賞を,心からお慶び申し上げます。』というコメントを出していた。首相は,中村氏は日本人との判断であった。

 ところが,在アメリカ合衆国日本国大使館サイトに『自己の志望(帰化申請)により,米国市民権を取得した方は,米国市民権を取得した時点で,日本国籍を喪失したことになります』との説明がある。中村氏は明らかにこのケースに該当する。つまり,日本大使館の説明では中村氏は日本国籍を保持していない。

 2)   安倍首相と日本大使館,どちらが正しいのか?
 安倍首相と在米国日本大使館の見解は矛盾しているようにみえる。私が想定する解釈は3つ。

  a)「首相官邸の間違い」 中村氏の米国籍取得と日本国籍喪失を首相官邸はしらなかった。

  b)「言葉の定義の問題」 安倍首相がいう “日本人” とは民族 / 人種としての日本人であり,日本国籍者以外も含む。

  c)「日本大使館の間違い」 「外国籍取得で日本国籍を喪失する」という日本大使館の説明が間違いで,中村氏はまだ日本国籍を所持している。これであれば中村氏の認識と合致する。

 3) 国籍と人種にまつわるアイデンティティ
 下記のマトリクスで, “中村氏” に該当する人と, “日本に帰化した元外国人” に該当する人を,日本人として同胞意識をもてるか?
二重国籍に関する概念図1
 中村氏を安倍首相のように日本人と捉える人も,「日本国籍を捨てたので日本人でない」という人もいる。また,日本国籍に帰化した朝鮮〔韓国〕系の人びとに同胞意識をもてるかも,人による。

 基準軸を国籍と人種だけにしても,感覚は人により違ってくる。これがさらに,「日本人の血がハーフやクオーターなら」,「日本生まれか・日本育ちか・日本語を話すか・日本文化への親和度はどうか」などと,その判断軸を増やすと,解釈は人によりさらにに異なっていく。

 たとえば,両親が日本人だが,外国生まれで外国育ちで日本語を話さない人がいる。中国残留日本人孤児(就籍)がその例。グローバル化の進行で,複雑なケースはさらにに増えている。将来,日本で生まれ育った中国籍がノーベル賞を取得することがあれば,その時代の首相がどうコメントするか,興味深い。
 補注)日本の大学や研究所にはすでに,5千・1万人単位で外国籍の教授職や研究職がいる。この人たちのなかからノーベル賞授賞者が出たとき,仮にその人が日本に20年暮らしている外国籍人だとしたら,どの国の人だということになるのか? 日本国籍を取得している人かどうかも,関連した問題になりうる。

 日本人の範囲に共通認識をもつのは難しそうである。そのなかで,安倍首相が中村氏を日本人として祝ったのは,日本人の範囲に寛容性を示した出来事かもしれない(安倍晋三がそれほど深く考えての話題とも思えないが)。いずれにせよ,どの国籍や民族の人が発明したものであれ,青色発光ダイオードの恩恵に授かれるのは,人類にとり喜ばしいことである。

 4) 中村氏は日本国籍を保持しているのか?
 日本大使館の説明によると,中村氏は米国籍取得で日本国籍を喪失しており,これは中村氏の認識と異なる。首相の認識とも異なる可能性がある。文部科学省の下村大臣からも談話が出ていた。
   赤﨑 勇氏,天野 浩氏,中村修二氏の受賞は,わが国の学術研究の水準の高さを世界に示すものであり,国民全体にとって大きな励みと誇りを与えるものです。
 中村氏の発明当時は米国籍取得前という解釈もあるが,文科省談話では『国民全体にとって』と国民に焦点が寄っていた。安倍首相にしても下村大臣にしても,なぜそのような発言になるのか。理由は,大使館主張と現実の運用にギャップがあるためであった。
   国籍法第十一条  日本国民は,自己の志望によつて外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う。
  外国籍を取得したさいの流れは,こうなる。

  1. 外国籍を取得する
  2. 国籍喪失届を提出する
  3. 戸籍が除籍される
     二重国籍概念図2
 論点は,日本国籍喪失のタイミングが外国籍取得の直後なのか,それとも国籍喪失届の前後なのかである(出生により複数の国籍をもつケースは「日本国籍の選択の宣言」があるが,ここでは考慮外)。

 中村氏は国籍喪失届けを提出していないと思われる。となると,中村氏は外国籍取得と国籍喪失届提出の間の段階に留まっており,戸籍は残存している状態であり,パスポートも保持している可能性がある。つまり,二重国籍のグレーゾーンにいると考えられる。

 いくら大使館が「外国籍取得で日本国籍を喪失」と主張しても,戸籍は残存している。国籍喪失届の制度をしっており,メリットがなくてもわざわざ提出するマメな人でなければ,戸籍が残りグレーゾーンにとどまる。戸籍法では,国籍喪失から3ヶ月以内に提出が義務づけられているが,これも実質的に機能していない。
 補注)この関連する法律が実際には「機能していない」点に注目する必要がある。この実質とは別個に,民進党代表蓮舫の場合は形式論だけを先行させて,しかも特定の政治目的のための批判(非難)が二重国籍の問題に向けて放たれていた。あまりにも政治的に過ぎる操作がなされていたゆえ,かえって問題の本質をみえにくくした。
   戸籍法第百三条   国籍喪失の届出は,届出事件の本人,配偶者又は四親等内の親族が,国籍喪失の事実を知つた日から一箇月以内(届出をすべき者がその事実を知つた日に国外に在るときは,その日から三箇月以内)に,これをしなければならない。
 ここで再度,国籍法第十一条をみたい。日本大使館は『米国市民権を取得した時点で,日本国籍を喪失』と書いているが,国籍法条文は『外国の国籍を取得したときは,日本の国籍を失う』であるす。即時を意味する文言は国籍法条文にない。 “時点で” というのは大使館独自の拡大解釈である。すなわち,外国籍の取得から国籍喪失届の提出による日本国籍喪失まで,時間差があることも許容する表現になっている。そしてこれが,二重国籍に関する現実の運用状態である。

 5) 罰則がない国籍法と,罰則がある旅券法
 日本は「国籍単一の原則」から重国籍を原則的に認めていないが,黙認でしか運用できないでいる。これには,国籍法に重国籍への罰則規定がなく,国籍剥奪の強制執行制度ももっていない事情があるためである。

 もしも,重国籍を日本政府がしったとしても,日本政府は「国籍喪失届を出すように」という説得以上のことはできず,国籍剥奪をする術はない。出生による重国籍で,他国公務員に就任したさいにのみ,法務大臣が国籍の喪失の宣言をできるのが唯一の国籍剥奪手段であるが,発令されたことはない。

 国籍喪失者が,国籍喪失により失効したはずの手元のパスポートを使うのは,旅券法により5年以下の懲役か300万円以下の罰金か両方の罰則がある。しかし,旅券法でも罰則のみで国籍を剥奪できず,戸籍が残っていれば日本政府は国籍喪失から判定する必要があるが,この判定制度は存在しない。

 これまで外国籍取得者がパスポートを使ったことで,旅券法違反で起訴されたことは,少なくとも確認されていないはずである。つまり,「外国籍取得時点で日本国籍を喪失」という解釈への司法判断は下されていないし,起訴しない当局もこの判断に触れることを避けているのである。

 こうなってくると,実際に運用できない重国籍を防止しようとする大使館の姿勢が,特異で目立っている。
   旅券法第十八条   旅券は,次の各号のいずれかに該当する場合には,その効力を失う。

    一  旅券の名義人が死亡し,又は日本の国籍を失つたとき。

    旅券法第二十三条   次の各号のいずれかに該当する者は,五年以下の懲役若しくは三百万円以下の罰金に処し,又はこれを併科する。
 5) 重国籍はなぜ解禁されないのか?
 2008年に南部陽一郎氏がノーベル物理学賞を取得したさいにも,同様の,重国籍解禁の議論が起きていた。海外へのこれ以上の人材流出を防ぐためであった。しかし,実現に向けて進んでいるようにみえない。これは,重国籍が解禁されると,人材流出の防止以上に,「37万人に及ぶ韓国・朝鮮籍を含む特別永住者」を代表とする「日本への帰化希望者の外国人に焦点」が移るからと推測される。
 補注)本ブログ筆者の個人的な見解では,この「韓国・朝鮮籍を含む特別永住者」に対してはとりあえず,全員に日本国籍を付与すべきである。それは前段に言及してあったように,日本が敗戦後占領されていた時代の経緯を考慮すれば,しごく当然の措置でしかないと考えられるからである。この場合,二重国籍を在日韓国籍人に付与することは当然の前提条件となる。

 その付帯条件は,過去において日本政府が解決を回避してきた在日の「生活と権利:剥奪状態」に対する,せめてもの罪滅ぼしの一環として措置されるべきものであって,特別あつかいでもなんでもない。それが嫌であるならば,時限立法で国籍選択の自由を在日韓国籍人に許すべきである。たとえば,四半世紀の年限を置いてその立法を施行していけば,現状までにかかえてきた「在日差別の源泉」でもあった,つまり「みなし外国籍人」とされてきた在日たち(いまや3世・4世が中心であり,しかも国籍法の関係もあって徐々に減少している)に対する「最低限の形式的な差別源泉」は除去されうる。

 〔引用の原文に戻る ↓  〕
 人材流出防止を,重国籍解禁の狙いとするのであれば,

  ・特別な才能をもっているもののみに,重国籍を認める,

  ・出生により日本国籍を有するもののみに,重国籍を認める,

  ・日本への帰化による日本国籍取得者には重国籍を認めない

などで解決するはずである。しかし「帰化すれば同じ日本人なのに権利を制限するな」という論調が出てくることが予想されるのが,この日本であるため,その実現は厳しいと想定される。
 註記)http://uniunichan.hatenablog.com/entry/Multiple_citizenship 参照。

 二重国籍保有者に対する日本政府の対応措置が不徹底である現状は,この問題に対して本気でとりくめさせえない「法務省や外務省など」の「日本民族優秀説」が,その背景にないとはいえない。

 つぎは参考画像。(画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2016年8月12日朝刊

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 【朝鮮学校に対する地方自治体の補助金問題】

 【永山聡子「『語られないもの」としての朝鮮学校-在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』」一橋大学『〈教育と社会〉研究』第23巻,2013年8月28日】

 【在日3世だという永山聡子が,この宋 基燦の『「語られないもの」としての朝鮮学校-在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス-』を論評する意味はなにか,よく理解できない書評であった】


 ① 宋 基燦『「語られないもの」としての朝鮮学校』2012年6月

 いまから5年前であった,宋 基燦『「語られないもの」としての朝鮮学校-在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス-』(岩波書店,2012年6月)という研究書が公刊されていた。著者は韓国出身で現在は日本の大学で教員職にある学究である。

 なお,本ブログでは,2017年04月16日の記述「朝鮮学校は日本社会のなかの〈異様なゲットー〉?」をもって,関連する議論をしていた(その記述はもとは,2012年10月24日の旧ブログの文章であったが,さらに若干の補正や追論もくわえて構成されていた。この記述は,末尾であらためて紹介するが,そこにはリンクを張ってある)

 また,その前段の記述の副題は,「21世紀に入ってから研究対象になった朝鮮総聯系の民族学校は,すでに衰退・凋落の一途」「外部の研究者を受けいれてこなかった朝鮮学校が,2002年の以後だったから,実証研究を受け入れた」という2つの文句を付していた。
 補注)宋の前掲書に関連する論及は,後段で必要に応じてあらためて若干おこなうことにし,つづく段落からは論旨をずらした記述になる。

 21世紀に入ってからとくに2002年9月17日の出来事として,北朝鮮を訪問した小泉純一郎首相(当時)と会談した金 正日総書記は,日本人の拉致問題を認めただけでなく,謝罪もしたうえで,関係者は処分済みだと首脳会談で語った。この〈画期的な出来事〉を契機にして,在日朝鮮人(北朝鮮を支持する在日たち)が大いに失望する結果が生まれた。このために,「朝鮮人総聯合会から離反していく者の数」がさらに拍車をかけられたかのように増えていった。
2002年9月17日小泉純一郎・金正日会談画像
出所)http://www.sankei.com/politics/photos/140816/plt1408160005-p1.html

 現在,「朝鮮」籍を有する在日「朝鮮人」の総数は3万2461人である(2016年12月時点,法務書在留外国人統計〔旧登録外国人統計〕)。在日外国人としての韓国(朝鮮)人の統計は,国籍法の改正などで日本国籍を取得する者の数が増えていくなかで,韓国籍である在日の統計も以前から減少しはじめており,こちらは52万7077人である(同上,2016年12月時点。ただし,在留資格が「特別永住」である在日韓国籍人は33万8950人で,外国人人口全体では14.2%にまで減少している)。

 前段のような在日韓国(朝鮮)人の人口推移は,朝鮮総聯の支持者(盟員)であってもすでに,「韓国籍」に正式に移行する手続〔歴史的な事情があって簡単に変更できる〕を済ましている者たちが非常に多くいた(出ていた)事実を示唆している。総聯をいまでも熱心に「支持せざるをえない特別の事情がある」人たちを中心に,ごく一部の在日朝鮮人のあいだでしか「『朝鮮』籍」(この国籍は架空国家に関する暫定的な名称・指称であるが,旧日帝時代とのかかわりがあって,いまだに使用されている)は保持されていない。

 
つまり,北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を支持する在日朝鮮人であっても,生活の都合上「朝鮮」籍をだいぶ以前から韓国籍に変更していた者が多い。これらの者たちのなかには,在日本大韓民国民団という韓国系の在日組織のなかにもぐりこんで「悪さをたくらんできた」事例もあって,韓国籍だからといって大韓民国系の在日ではない場合もあるゆえ,注意(留意)をもって接する必要がある。

 その意味では「国籍別の統計」をもって表現する場合,在日「朝鮮〈籍〉」人の人口はもはや3万人台しか存在していない。この情勢のなかで,しかも日本各地の朝鮮学校は縮小・消滅していく過程も経てきた。この朝鮮学校のために地方自治体の補助金は,分かりやすくいえば「点滴であるか」のような「経済的な効果」を挙げている。日本の学校であればふつうは,その補助金は法人の財政にとって貴重な収入の一部である,という位置づけになる。それに対して,朝鮮学校においては「とてもだいじで非常に貴重な収入源」になっている,という評価づけができる。

 いずれにせよ,小泉純一郎首相の2002年訪朝以来,朝鮮学校(朝鮮大学校も含めて)に子ども・若者を通わせる在日朝鮮人たちは,実は以前から彼ら自身が知悉していた北朝鮮事情だったとはいえ,さらに大きく失望させられた。このために,朝鮮総聯に所属しつづけようとする人数はさらに,ひたすら減少の一途をたどるほかなくなっていった。

 朝鮮総連の勢力はいまでは,往事の面影などまったくないほどに減衰した。要するに,在日朝鮮人における「朝鮮」籍の減少傾向はその端的な反映:指標である。それだけに,地方自治体が朝鮮学校に予算措置として支出してきた補助金が,多くの都道府県で停止されているいまの状態は,朝鮮学校側にとってみれば「死活問題にも近い意味づけ」ができるほどに,きびしい教育環境を意味する。ということで,つぎの ② の話題に移ることなる。

 ② 朝鮮学校による補助金不支給問題「提訴」に関する報道-『産経新聞』と『朝日新聞』の対照-  

 1)「補助金不支給は『適法』,朝鮮学校側が敗訴 大阪地裁」(『朝日新聞』2017年1月27日朝刊)

   学校法人「大阪朝鮮学園」(大阪市東成区)が,大阪府と同市による補助金の不支給決定のとり消しなどを求めた裁判の判決で,大阪地裁(山田明裁判長)は〔1月〕26日,決定は「裁量の範囲内」と認め,請求を棄却した。学園側は控訴の意向を明らかにした。朝鮮学校に対する自治体の補助金不支給をめぐる司法判断は初めて。

 補助金支給にさいし,橋下 徹府知事(当時)は2010年3月,「朝鮮総連と一線を画すこと」「北朝鮮指導者の肖像画の撤去」など4要件を提示。学園側は応じ,2010年度分は支給された。しかし2012年3月,生徒の訪朝が問題化。朝鮮総連との関係が疑われたため,府は2011年度の補助金8080万円の不支給を決定。市も2650万円を不支給とした。

 判決は,補助金は憲法や関連法令からも,学園側に受給する法的権利があるわけではないと指摘。「ほかの学校と補助金に差異があってもただちに平等原則には反しない」とした。不支給になれば「学習環境の悪化などが懸念される」と言及したが,府の要件を満たしていない以上,「支給を受けられなくてもやむをえない」と述べた。また,支給先選びや要件提示について「府の裁量の範囲内」と認定。学園側が「教育への不当な政治介入で違法・無効だ」と主張した点については「学園を狙い撃ちした措置ではない」と退けた。さらに市の不支給についても「違法な手続はない」とした。

 京都大大学院教育学研究科の駒込 武教授(教育史)は「民族的少数者が自国の言語や文化を学ぶことは子どもの権利条約で保障されているのに,府は4要件で国同士の関係を教育にもちこんだ。明らかな狙い撃ちだが,判決はそれを追認してしまった」と批判。「行政に一定の裁量があるのは事実だが,恣意(しい)的な判断では行政への信頼が失われる」と話した。

 判決を受け,大阪府の松井一郎知事は「府の主張が認められた。今後とも私立学校の振興に努める」とコメント。大阪市の吉村洋文市長は会見で「朝鮮学校に補助金支給は考えていないのできわめて妥当な判決。今後も方針は変わらない」と話した。
 補注)専門家である学究の駒込 武が,朝鮮学校にまつわる以上のごとき問題を批判する見地は,あくまで一般論からする指摘である。これに対して松井一郎府知事などの立場は,極右である政治的イデオロギーを濃厚に帯びている。それゆえ,両者〔駒込に対する松井ら〕のいいぶんじたいからして,噛みあわせがしにくい関係にある。

 いったいに,朝鮮学校側のいいぶんはあまりにも「民族偏執狂的」に過ぎ,かつ「独裁国家的」そのものでもある。とりわけ,極端に「特殊過ぎるその個人崇拝の教育思想」は,いまもなお日朝両国間には国交が回復されていない事情もあってか,教育の領域においても要らぬ政治的な摩擦を,わざわざ生む背景を提供させている。松井のような立場がさらにきわまっていけば,北朝鮮に対しても韓国に対しても区別なく,一定の抑圧的な政策などを浮上させる可能性がないとはいえない。

小浮百合子画像3 その具体例がある。東京都の小池百合子知事は,桝添要一前知事が進めてきた1件,すなわち,廃校した都立高校の敷地と校舎を「第2韓国学校」に貸与する計画を阻止していた。

 「彼ら」にあって共通する心情(思想以前のイデオロギー的な感性)は,北朝鮮に関しても韓国に関しても「北朝鮮排撃」的・「嫌韓」的な心情が,彼らの精神構造の奥底には隠されている。

 桝添要一前知事は韓国の大統領にも要請されていたのだけれども,その「第2韓国学校」のために廃校した都立高校の用地・建物を貸与しようとした一件は,小池知事によっていとも簡単に廃棄されていた。

 出所)画像は,http://www.sankei.com/photo/story/news/161029/sty1610290008-n1.html

 すでにフランス学校のためにであれば,こちらは廃校になった都立学校の敷地を売却していた事実に比較するに,非常に対照的な対応が観察できる。どだい「北朝鮮と韓国」の区別もできない〔しようとしない〕ような「小池流になる都の為政」は異様である。小池百合子も本質的には極右の政治家である〔面目躍如!〕ためか,北朝鮮はさておき韓国との友好関係すら毀損する行為を平然とおこなっていた。

 〔記事に戻る→〕 「なぜ,自国の言葉や文化を学ぶことが否定されなければならないのか。怒りで体が震える」。大阪朝鮮学園の玄 英昭(ヒョン・ヨンソ)理事長(60歳)は判決後に会見し,声を振りしぼった。学園が運営する初級・中級学校は9校あり,2016年5月現在で956人が通う。2011年度から停止された補助金は学校経費の約1割。老朽化した校舎の修理や教材購入費に影響し,児童・生徒にしわ寄せが出ているという。
 補注)この朝鮮学園側のコメントは奇妙である。まるで補助金でもって朝鮮学校は成立しているかのようにも聞こえるからである。もちろん,補助金が支給されなければ困ることは困るが,話を聞いていると一部分にあてはまる話のたぐいではなく,「相当に肝心な予算部分」になっているらしいのが,朝鮮学校にとっての補助金である。以前において朝鮮学校が地方自治体からの補助金を,目的外に流用していた事実はよくしられているし,児童・生徒「個人」向けの補助金などを巻き上げることもやってきた。

 〔記事に戻る→〕 同席した原告代理人の丹羽雅雄弁護士も「判決は補助金の支給要件について形式的な判断をしただけ。学習権や学校の歴史的,社会的役割にいっさい触れなかった不当判決」と断じた。
 
補注)ここでいわれる朝鮮学校側の「学習権や学校の歴史的,社会的役割」こそが,実は本当には問われている一番肝心な争点であった。朝鮮学校側はいままであまりにもひどい「金 日成・金 正日崇拝教育」を反省するそぶりを,補助金がほしいがために弱めるかのような姿勢(譲歩)を示してきた。だが,そこには,通常日本国内で唱えられる「思想・信条・言論の自由」とはまったく噛みあわない問題点が伏在していた。


 日本国も昔は,天皇の『御真影』の問題があって,北朝鮮のいまに関連していえば,その見本みたいな「教育勅語による教育体制」を臣民たちに強制していた。北朝鮮がいまやっている偉大なる指導者同志2名のお写真を教室内に飾ることの〈教育的な意味〉は,日本側もよくよく承知のことがらである。

 〔記事に戻る→〕
 傍聴した保護者からも落胆の声が漏れた。高 吉美さん(45歳)は「日本人社会で生きるなかで,民族の誇りをもたせたいと子ども3人を通わせた。その思いが裁判官に届かなかった」と涙ぐんだ。自身も朝鮮学校出身。裁判が起こるまでは府や市から「差別されている」と思ったことはなかった。「時代が逆行し,そういう日本になってしまったのか」と感じた。「私たちマイノリティーの声はしらずしらずのうちに否定される。これからも声をあげていきたい」と力を込めた。
 補注)朝鮮「民族の誇り」があったからこそ,以前において朝鮮学校は地方自治体からの補助金など,相手にもしていなかった歴史も記録されている。ところが,いまでは「背に腹はかえられない」財政的な事情があるせいか,このように「補助金がなければ民族教育ができない」みたいな主張の展開になっている。

 その意味では,いささかならず違和感を抱かせる発言になっている。また「裁判が起こるまでは府や市から『差別されている』と思ったことはなかった」という感想は,どう聞いても  “創り話”  に聞こえる。この点は,在日朝鮮人の立場にしてみれば,基本的には「分かりきっていた『歴史の問題』」に属する「差別の問題」のひとつではなかったのか? いうことがいちいち大げさで,いかにも芝居がかっている。こうした話法には鼻白むほかない。


 〔記事本文に戻る ↓  〕
 2)大阪朝鮮学園の補助金をめぐる経緯
  1987年 大阪市が補助金の支給制度を開始

  1992年 大阪府も補助金の支給制度を開始

  2010年3月12日 橋下 徹府知事(当時),補助金支給要件に「朝鮮総連と一線を画すこと」を提示

  2011年3月8日 大阪朝鮮学園が「特定の政党・団体の干渉を受けず自主的に運営」と回答
  補注)この回答はありえない,想定などできない「〈嘘〉の応答(みえすいたウソということ)」としかいいようがない。

  3月25日 府が初級・中級学校の補助金(2010年度)支給を決定

  11月27日 橋下氏が市長,松井一郎氏が府知事に当選

  2012年3月16日 生徒の訪朝が問題化

  3月29日 府が「朝鮮総連と一線を画す点が確認できない」として補助金8080万円(2011年度)の不支給決定

  3月30日 市が補助金2650万円(同)の不支給決定
 
  註記)以上 1)2),http://digital.asahi.com/articles/ASK1V4PQGK1VPTIL00V.html

 3)「補助金支給『要件満たさぬ』 大阪朝鮮学園の請求を全面棄却 大阪地裁判決」(『産経ニュース』2017.1.26 17:31 更新)

 この『産経新聞』の報道は,記述している文章そのものを『朝日新聞』のものと,よく比較対照させながら読むとおもしろい。記事そのものではなく,各新聞社の解釈(論説としての「記述の傾向」)が興味深い『差』を作っている。

 --朝鮮学校への補助金支給を打ち切られ,学ぶ権利を侵害されたとして,大阪府下で初中高級学校など10校を運営する学校法人「大阪朝鮮学園」(大阪市東成区)が,大阪府と大阪市に不支給決定のとり消しなどを求めた訴訟の判決が〔1月〕26日,大阪地裁であった。山田明裁判長は「府市の定めた交付要件を満たしておらず,不支給はやむをえいない」として訴えを全面的に退けた。学園側は控訴する方針。

 判決理由で山田裁判長は,補助金に関する要件や規則は行政内部の事務手続を定めたものに過ぎず,申請者の法的権利を認める趣旨は含まないと指摘。事務手続を超えた行政処分には当たらないとして「とり消しを求める訴訟の対象にならない」と述べた。

 外国人学校のうち学園だけが不支給とされたことから,学園側は「公権力による差別だ」と主張したが,判決は「交付要件の設定には相応の理由があり,行政の裁量の範囲内。学園を狙い撃ちにしたとはいえない」と結論づけた。

 ※ 学園理事長「怒りに体震えた」※
 判決によると,学園への補助は府が昭和49〔1974〕年度,市が62〔1987〕年度からそれぞれ実施していたが,府は橋下 徹知事時代の平成22〔2010〕年,在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)と一線を画すことや,北朝鮮指導者の肖像画を撤去することなど,新たに4項目の交付要件を順守するよう要請。〔平成〕23〔2011〕年度の申請については要件を満たしていないとして府が不支給を決め,市もこれに同調した。

 判決後に記者会見を開いた学園の玄英昭理事長は「怒りに体が震えた。勝利する日まで闘いつづける」と話した。一方,大阪市の吉村洋文市長は「きわめて妥当な判決だ。補助金の支給は考えておらず,今後もその方針は変わらない」とコメントした。
 註記)http://www.sankei.com/west/news/170126/wst1701260077-n1.html

 4)「【大阪朝鮮学園敗訴】 生徒が金 正恩氏に永遠の忠誠…補助金不支給「政治介入」主張を “一蹴” 」(『産経ニュース』2017.1.26 22:11 更新)

 大阪府内で初中高級学校など10校を運営する「大阪朝鮮学園」が,府や大阪市に補助金の不支給決定のとり消しなどを求めた訴訟の判決で,大阪地裁は〔1月〕26日,全面的に学校側の訴えを退けた。原資が税金である以上,交付を受けようとする私立学校には「一定程度の政治的中立性が要求される」と判示し,特定の政治団体や政治指導者と距離を置くよう求めた大阪府の要件について「相応の合理性がある」とした。
 補注)ここでいわれている「一定程度の政治的中立性」とは,どこまでも,日本国とこの地方自治体(こちらは誰が首長であるかによって時に大きく変動するが)の判断によって「変化を来たすほかない基準」に依っている。なお,大阪府に関してその具体的な説明はここでは不詳である。

 ※ 校長が資料提出を拒む…地裁「府の判断には合理的理由」※
 今回のケースで問題とされたのは,たとえば校内にかかげられた故金 正日総書記の肖像画であり,朝鮮総連の指導による思想教育の有無だった。大阪朝鮮学園は,肖像画を撤去する方針は示したものの,生徒が北朝鮮でおこなわれた「迎春公演」に参加し,そのなかで金総書記や現指導者の金 正恩氏に永遠の忠誠を誓ったとされる点については,公演主催者を尋ねる府の再三の質問にも,校長が資料提出を拒んでいた。

 こうした学校側の対応に,判決も「朝鮮総連の主催のもとに迎春公演に参加したと疑うに足りる状況が生じていた」と指摘。交付要件を満たすか確認できない以上,不支給とした府の判断には合理的理由があったと評価した。 訴訟で学校側は「教育現場への不当な政治介入だ」と主張したが,判決が言及したように,府が提示したのはあくまで補助金交付の要件に過ぎず,教育内容を縛るものでもない。そもそも公金をあてにしなければ,要件を気にする必要もなかった。
 補注)この『産経新聞』の指摘,つまり「そもそも公金をあてにしなければ,要件を気にする必要もなかった」といわれた点は,まともな判断(批判)である。前段でも言及したとおり,昔の朝鮮学校は「金 日成から教育援助金をもらっていた事実」を誇っていた時期もあって,そのころはむろん,地方自治体からの補助金など関心外であった。ところがいまでは「貧すれば鈍する」の好例見本を演技している。

 判決後に会見した学園の玄英昭理事長は「怒りに体が震えた。朝鮮学校だけを公的助成から排除することは民族教育の権利を否定する不当な差別だ」と述べた。一方,大阪府の松井一郎知事は「府の主張が認められた」とコメント。大阪市の吉村洋文市長は「きわめて妥当な判決。朝鮮学校に補助金を支給しない方針は変わらない」と語った。
 補注)「朝鮮学校だけを公的助成から排除することは民族教育の権利を否定する不当な差別だ」という理屈には,どうしても無理がある。公的助成がなければできないのが民族教育なのであれば,極右の朝鮮嫌いの首長たちは,朝鮮学校には補助金を絶対に出さないという心情(潜在意識にある差別感情)を,大いに昂進させ強化するはずである。ともかく「補助金⇒民族教育」というのは短絡というか,こじつけというか,苦しまぎれの針小棒大的な屁理屈になっている。

 ※ 識者「真っ当な判決」と評価 ※
 朝鮮学校の問題に詳しい西岡 力・東京基督教大教授の話。「北朝鮮の独裁体制を称賛するような教育をする朝鮮学校に,公的補助金を支給することの方がおかしく,真っ当な判決だといえる。そもそも補助金をもらうなら,条件をきちんと守るのは当たり前だ」。
 補注)この西岡 力がはたして,真っ当な北朝鮮関係の識者といえるかどうが疑問があるけれども,ここで指摘(批判)されているごとき文句,「独裁体制を称賛するような教育をする▽▽学校」という外国人学校が,朝鮮学校以外にはないという絶対の保証はない。どの国の外国人学校であれ,「自国体制を称賛する教育」はしている。問題はその内容,ありよう,特徴である。
 註記)記事は,http://www.sankei.com/west/news/170126/wst1701260117-n1.html
        http://www.sankei.com/west/news/170126/wst1701260117-n2.html

 ③「朝鮮学校調査報告書」(2013年11月)

 東京都のホームページに『朝鮮学校調査報告書』(更新日:平成29〔2017〕4月12日)が掲載されている。つぎの資料である。発行部署は「私学部 私学行政課専修各種学校担当」。

  1)『朝鮮学校調査報告書の概要』(平成25〔2013〕年11月) PDF [188KB]

  2)『朝鮮学校調査報告書』(平成25〔2013〕年11月) PDF [718KB]

  3)『東京朝鮮学園の施設財産にかかる状況について』(平成29〔2017〕年4月) PDF [121KB]

 1)の『朝鮮学校調査報告書の概要』にはこう書かれている。「朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係にあり,教育内容や学校運営について, 強い影響を受ける状況にある」。これはいうまでもない,あまりに当然の事実であるが,これに対して朝鮮学園(朝鮮総聯の傘下組織であるのだが)は,こう主張している。「朝鮮総連は朝鮮学校にさまざまな支援をしてくれているが,朝鮮総連の指導のもとに学校運営がおこなわれている事実はない」。

 こういう譬えをしておく。「東京都は都立高校にさまざまな支援(?〔こちらでは当然の関係だが〕)をしてくれているが,都の指導のもとに学校運営がおこなわれている事実はない」。この種の説明を借りて類推すれば,朝鮮学校側の理屈が詭弁以外のなにものでもない点は,即座に理解できる。

 2)の『朝鮮学校調査報告書』の「Ⅲ まとめ」(30-31頁)は,こう書いている。

 1  教育内容及び学校運営

  朝鮮学校は朝鮮総連と密接な関係にあり,教育内容や学校運営について,強い影響を受ける状況にある。

  ○  社会の教科書に,朝鮮総連が朝鮮学校を設置・運営している旨の記述がある。
  ○  教科書の奥付に,編纂者が「総連中央常任委員会教科書編纂委員会」であることが明記されている。
  ○  歴史・音楽の教科書は,北朝鮮の指導者を礼賛するなど特有の内容である。
 
   ・ 「現代朝鮮歴史」(高級部)の教科書には,「敬愛する金日成主席様」「敬愛する金 正日将軍様」などの記述が 409頁中353回登場する。
   ・ 「音楽」の教科書には,金 日成・金 正日を礼賛する歌曲が掲載されている。
 
  ○  朝鮮学校の職員室及び高級部の教室には金 日成・金 正日の肖像画が,初級部・中級部の教室には金 日成・金 正日を描写した絵画が掲示されている。
  ○  高級部の生徒は「在日本朝鮮青年同盟(朝青)」に加盟。朝青は,朝鮮総連の傘下団体であり,その組織規約には,「朝青は,自己の全ての事業を総連の指導の下に進める」などと規定されている。
  ○  各朝鮮学校内には朝鮮総連の傘下団体である「教育会」や「在日本朝鮮人教職員同盟(教職同)」が存在する。

  施設財産
 
 学校敷地内に教育目的以外に継続的に使用される施設がある,朝鮮総連及びその関係団体等に経済的便宜を図るなど,朝鮮学園は準学校法人として不適正な財産の管理・運用を行っている。

  ○  第6学校(大田区千鳥)及び西第2学校(町田市金森東)の敷地内に,朝鮮総連支部等の事務所が存在している。朝鮮学園は,学校施設の一部を朝鮮総連支部等に無償で長期間貸与している。
  ○  朝鮮学園は,在日朝鮮人団体のために土地(世田谷区経堂)を購入し,固定資産税程度の極めて低廉な賃料で貸与している。
  ○  朝鮮大学校(小平市小川町)のグラウンドを,朝鮮総連関係企業の負債のために担保提供している。
 
  施設財産にかかる改善指導と朝鮮学園の意向
 
  ○  本調査で判明した不適正な財産の管理・運用について,都は,平成25年9月に朝鮮学園に対して,文書による改善指導を実施した。
  ○  これに対して,10月に,朝鮮学園から改善指導に対する回答書が提出された。回答書の中で,朝鮮学園は,「朝鮮学校が苦難の歴史を経ながらいまなお存続し,半世紀以上にわたり民族教育の場を守ってこられたのは,祖国と広範な在日同胞の支援があったからにほかならず,このような客観的・歴史的経緯を勘案した場合,学校施設の一部に対する利用を単に画一的に財産管理・運用面だけで捉えることは必らずしも妥当ではない」という見解とともに,「法令を遵守し,より適正な学校運営を図るため,当学園の財産管理・運用につき,年度内に改善措置を講じる考えである」旨の意向を示した。

 --以上の「まとめ」でも,朝鮮学校は日常的に,通常の認識では想像もできないような大胆さと粗雑さをともないながら,運営されている教育機関であることが察知できる。さてここで,冒頭に触れた,永山聡子「『語られないもの」としての朝鮮学校-在日民族教育とアイデンティティ・ポリティクス』」(一橋大学『〈教育と社会〉研究』第23巻,2013年8月28日)が記述しているうちから,つぎのごとき,やや不可解な段落をあえて参照しておく。

 永山は,同稿の末尾「註10」のなかで,つぎのような,ふつうの「朝鮮学校」に関する理解では思いもつかないような解釈(しかもわざわざ言及する必要もない点)を提示していた。
  「北海道から九州まで全国にあるすべての朝鮮学校は総聯本部の教育局によって管理される中央集権的な教育体系の中に位置づけられる(p.154)。基本的には日本社会のそれと相違ないといえる」。
 註記)永山,前掲稿,90頁・右段。
 たしかに,中央集権的な教育体系が日本の文部科学省によって維持・運営されていることは,事実である。だが,この主張を,ここでの記述以上に,なにかを論証(実証)しようとする意図はないらしいが,それでも「註」のなかでもちだすこうした論法は,不徹底・不公平であり,「論文」全体における論旨の構成方法において問題を残している。永山は自身の立場についてさらに,つぎのように説明をくわえてはいるけれども,読むほうからして感じるほかない〈特定の不可解さ〉が,解消できていない。要は,消化不良の論点理解をわざわざ表現化する余地はなかった。
    評者は,直接的に朝鮮学校や在日コリアン研究を学術的に専攻しているわけではない。

 しかし,本書がとり組んでいる方法としての「省察的人類学」に共感し,構築主義的民族主義を理解する立場を共有している。そして,なによりも,評者自身が境界を往来する存在である。時には揺るがない在日コリアン3世であり,時には「記憶の共同体」に深く入りこめない「日本国籍」保持者であり,時にはその現状さえも「客観視」してしまう学究者である。

 したがって著者が述べる「言語障害」を経験している。経験しているからこそ,「語れない」ことを語る研究者にならなくてはいけない。今後どのような「振るまい」が求められるのか,どのような時代を模索すべきか,そのことを考えさせられる作品であることを添えて本書の書評を終わることとした。
 註記)永山,前掲稿,90頁・左段。註記の番号2点は削除した。
 ④『統一日報』の記事紹介

 在日韓国系の新聞紙『統一日報』2016年4月8日は「朝鮮学校補助金 文科省が事実上の『再考』通知,総連への制裁強化 子どもたちに罪はないが……」という見出しの記事を掲載していた。そして,この記事の続編部分(段落)はさらに「『異様な教育』拭えず 政治思想浸透の生命線に」という見出しをつけた記事も掲載していた。この記事は,つぎの画像資料で参照しておく。(画面 クリックで 拡大・可,鮮明にも写る)
『統一日報』2016年4月8日

 ⑤ 本ブログ内の関連記述

 本日〔2017年7月18日〕の記述は,つぎの,以前における記述と深く関連しているので,こちらも参照を乞いたい。日付にリンクを張りつけてある。

  ※-1 2016年04月12日「朝鮮学校補助金問題,これを支援する日本人側は北朝鮮に関する基本認識を完全に欠落している,その歴史的回顧など」

  ※-2 2017年04月16日「朝鮮学校は日本社会のなかの〈異様なゲットー〉?」

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 【原発事故の影響は永遠に残るに違いあるまい,誰がこの現状を阻止し解消できるのか? 悪魔かそれとも神か】

 【悪魔にできていることが人間にできるのではないことは,自明も自明。原子力は悪魔からのプレゼントであって,いまやお返し不能】

 【トリチウムは「解けて流れりゃ,みな同じ」という具合にはいかず,放射性物質として「変わりは ないじゃなし……」】

 
 ①「東電,トリチウム水は海に放出へ 川村会長が明言,漁業者ら反対」(『東京新聞 TOKYO Web』2017年7月14日 02時00分)
 
川村隆会長 東京電力福島第1原発で高濃度汚染水を浄化したあとに残る放射性物質を含んだ処理水をめぐり,同社の川村 隆会長が〔2017年7月〕13日までに報道各社のインタビューで「(東電として)判断はもうしている」と述べ,海に放出する方針を明言した。
 出所)画像はhttp://toyokeizai.net/articles/-/72456,川村 隆。川村の前職は,日本で原発を製造するメーカーの1社である日立製作所相談役であった。この前歴の立場(思想)がよく反映されている発言をしたことになる。リーマン・ショック後,日立製作所の業績をV字回復させたこの経営者だからといって,いまの東電をもとどおりの電力会社に再生できるかと問われれば,そのみこみはない。ただし,原発事業部門を切り離してもらえればその可能性はあるかもしれない。

 〔記事に戻る→〕 処理水はトリチウムを含み,第1原発敷地内のタンクに大量に保管されているが,風評被害を懸念する地元の漁業関係者らが海への放出に反対している。東電の経営トップが公式の場で海洋放出に言及するのは初めて。トリチウム水については,有識者による政府の小委員会が現在,海洋放出を含めた処分方法を絞りここむ議論を続けており,川村氏の発言は波紋を広げそうだ。(共同)
 註記)http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2017071301001632.html

 トリチウムの汚染水問題については少し長くなるが,専門家の説明に聞いておく必要がある。

 a) ヘリウムというのは,原子核に陽子が2つで中性子が1個の場合はヘリウム3,中性子が2個の場合はヘリウム4と呼ばれ,その周りを2つの電子がまわっている。トリチウムの放射線のエネルギーは小さく,0.0186MeV(百万エレクトロンボルト)のエネルギーをもつベータ線で,体内では0.01㎜ほどしか飛ばない。
トリチウム図解
 エネルギーが低いベータ線の特徴は,エネルギーの高いベータ線より相互作用が強く,電離の密度が10倍ほどにもなる(電離とは分子切断のことで,放射線を浴びるとなぜ健康被害が出る)。それがトリチウムの被曝が危険である要因となっている。

 トリチウムの被曝を考えるときでも,セシウムの被曝など,ほかの人工放射性物質とがくわえ合わされた総合的被曝を考察することが肝要であって,単独では「たいしたことない」といわれても,ほかの放射線と合わされば非常に危険になる。

 b) トリチウムは,原爆爆発での高温・高圧を利用して水素を核融合する水素爆弾に使われることで有名で,このときは,水爆の爆弾のなかでリチウムに中性子を当ててトリチウムを作る。

 原発では,制御棒のホウ素に中性子が吸収されたり,中性子の減速に重水を利用する重水炉では,重水に中性子が吸収されてトリチウムが生成される。高速増殖炉では,冷却材として使われているナトリウム中にトリチウムが生成し,それが冷却水に移行する。

 c) 原子炉からは必ずこのトリチウムが出る。とくに高速増殖炉もんじゅでは多量のトリチウムを環境中に放出している。トリチウムは通常3重水(HTO)となっていて,水に混じっている。水中のトリチウムを除去できるフィルターがあるか(?)というと,ない。

 水にトリチウムが混ざってしまうと化学的性質(化学反応性が),物理的性質(原子の半径)が同じで,物理的性質のなかの原子の重さだけが違うので,トリチウムだけを除去することもできない。ただし,莫大な費用をかけてウラニウムを濃縮するのと同じプロセス,ガス拡散法やガス遠心分離法などで,何十段階も繰り返していくとトリチウムだけをとり出すことは可能ではある。

 だが,それこそトリチウムを除去するために莫大な費用をかけて対策するよりも,原子力発電を止めてしまったほうが賢い。原子力発電には,人間がコントロールできない致命的な危険が存在する。

 d) トリチウムに関する各論的な説明。
 
 d)-1「トリチウムは世界中で垂れ流し」 ……世界中のほとんどすべての原子力発電所や核燃料再処理工場では,トリチウムの回収をおこなっていない。このため,トリチウムはすべて環境へ放出されている。つまり,トリチウムを除去しようと思っても莫大な費用がかかるから,トリチウムはそのまま垂れ流す,あるいは法定限度未満に薄めて垂れ流す。このことがいまもこの地球上で堂々とおこなわれている。
 補注)① の記事でのように,東電の川村 隆会長がトリチウム放出に関して,トリチウムの太平洋への放出を当然とするかのような態度表明は,こうした説明を聞けばその事情が理解できる。つまり「海に放出する方針」は「(東電として)判断はもうしている」と明言した背景には,トリチウムの処理などできるわけがないのだから,海に放出してしまえばよい,それが当然だという開きなおりが観てとれる。

 日本のトリチウムの水中放出の濃度限度は1リットル当たり6万ベクレルであるが,逆にいえば1リットル当たり6万ベクレル未満に薄めてしまえば堂々と海洋放出できる。もちろん,東京電力も世界のほかの原発と同じようにトリチウムを垂れ流してきた。

 福島第1原子力発電所の1~6号機だけでも1年間で2兆ベクレル(2009年度)海洋放出したと原子力規制委員会の『原子力施設運転管理年報』(平成25〔2013〕年度版)の398ページに記述されている。2009年度でいうと,日本の54基の原子力発電所全体でトリチウムを392兆1千億ベクレルといった天文学的な量を,海に垂れ流していた。

 d)-2「垂れ流し,ということは,トリチウムは安全?」 ……東京電力は2013年2月28日に公表した『福島第1原子力発電所でのトリチウムについて』という文書でトリチウムをこう説明していた。トリチウムの特性とは一般的に以下のとおりである。
  ※-1 化学上の形態は,主に水として存在し,私たちの飲む水道水にも含まれている。

  ※-2 ろ過や脱塩,蒸留をおこなっても普通の水素と分離することが難しい。

  ※-3 半減期は12.3年,食品用ラップでも防げるきわめて弱いエネルギー(0.0186MeV)のベータ線しか出さない。

  ※-4 水として存在するので人体にも魚介類にもほとんど留まらず排出される。

  ※-5 セシウム-134,137に比べ,単位Bqあたりの被ばく線量(mSv)は約1,000分の1
 赤い下線(これは引用した原文のことで,ここでは緑色の活字と下線にした)を引いたのは,東京電力であった。この操作は『トリチウム安全神話』を余すところなく語っている。しかし,この東京電力の語る『トリチウム安全神話』を無心で信じても大丈夫なのか?

 忘れてはいけないのは,この『トリチウム安全神話』はあくまで,トリチウムを捨てる〈東電の側の立場〉で語られていた点である。すなわち「捨てる側」のいいぶんだけでなく,「捨てられる側」の意見も聞いてみなければならない。

 d)-3「子供達の命を奪ったのは誰?」 ……2011年12月28日に放送されていたNHKの報道ドキメンタリー番組『追跡!  真相ファイル』の「低線量被ばく 揺らぐ国際基準」からトリチウムがとりあげられた部分だけを一部紹介する。

 世界一の原発大国,アメリカ。ここでは,より影響を受けやすい子供達に深刻な問題が起きていた。イリノイ州シカゴ郊外にはイリノイ州の3基の原発がある。原発から排出される汚水には放射性トリチウムが含まれているが,アメリカ政府は国際基準以下なので影響はないとしてきた。

 「放射性トリチウムと川」。しかし,近くの街では,子供達が癌などの難病で亡くなっていた。6年前に建てられた慰霊碑もある(下掲画像)。足元のレンガには,これまでに亡くなった100人の名前が刻まれている。住民を代表し,被害を訴えている親子がいる。シンシア・ソウヤーさんと,その娘セーラさんである。セーラさんは10年前に突然,脳腫瘍を患った。治療の後遺症で18歳になったいまも,身長は140センチほどしかない。
  イリノイ州原発被害慰霊碑
     イリノイ州原発被害慰霊碑2
    註記)慰霊碑と犠牲者の氏名を刻んだ敷石。

 セーラさんが脳腫瘍になったのは,この街に引っ越してきて4年目のことであった。この街に引っ越してきてから,〔家の〕「あの井戸の水をまいて遊び食事をしていたんです。病気になってからは,シカゴから水をとり寄せるようになりました。怖かったので,その水で料理をし,皿を洗い,歯を磨かせていた」。

 ソウヤーさん夫妻は,癌と原発との関係を証明するため州政府からあるデータをとり寄せた。過去20年間,全住民1200万人がどんな病気にかかったかを記した記録です。小児科医の夫,ジョセフさんが分析したところ,

  ☆-1 原発周辺の地域だけが脳腫瘍や白血病が30%以上も増加し,

  ☆-2 脳腫瘍と白血病は3割増加していた。

 なかでも小児がんはおよそ2倍に増えていた。ソウヤーさん夫妻は全住民の徹底した健康調査を国に求めた。しかし,国は「井戸水による被曝量は年間1マイクロシーベルトと微量で,健康を脅かすことはない」と,回答してきた。シンシア・ソウヤーさん「あまりに多くのものがセーラから奪われてしまいました。低線量の被曝がなにをもたらすのかしってほしいのです」といい,低線量被曝がなにをもたらすかしってほしいと訴えた。

 セーラさんはこういっていた。治療の後遺症で右手が麻痺し,いまも思うように動かすことができない。被曝から健康を守るための基準があるのに,自分のような被害があとを絶たないことにやりきれない思いを感じている。セーラさんはいう。「科学者には,私たちが単なる統計の数値でないことをしってほしい。私たちは生きています。空気と水をきれいにしてください。たくさんの苦しみを味わいました。誰にも同じ思いをしてほしくはありません」。(引用終わり)
 註記)http://www.sting-wl.com/yagasakikatsuma11.html
 補注)このNHKの報道ドキメンタリー番組『追跡!  真相ファイル』「低線量被ばく 揺らぐ国際基準」については,「〈あいんしゅたいんアピール〉:『追跡!真相ファイル: 低線量被ばく 揺れる国際基準』についての質問」(NPO法人『知的人材ネットワークあいんしゅたいん』2011年8月15日)が参考になる 註記)
 註記)http://jein.jp/npo-introduction/message/251-appeal3.html


 原発安全神話の嘘性になぞらえて断言できるのは,トリチウムが絶対に安全であり,人畜に被害をくわえないなどといった保証などまったくありえない点である。まず疑ってみるのが当然であり,まだ未知の危険性が多く伏在していることを前提に踏まえ,覚悟して対処すべきであるのが,このトリチウムという放射物質の問題でもある。

 まだ明確にその被害が認知されていない実情を理由に,トリチウムの危害を無視するのは,完全に非科学的な態度である。原発に対する安全「神話史」をとりあげるまでもなく,そうした危険を度外視した安全「観」の誤謬は,徹底的に批判されねばなるまい。

 ②「安倍晋三首相が,福島第1原発の汚染水について “under control” と発言したのは大ウソだった」-いまさらのようだが「安倍晋三の嘘つきブリ」を非難する-
 註記)この題目のなかで「- -」内の表題は引用者のもの。

 『板垣英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」』(2015年02月26日 00時05分10秒)は,前段 ② の題名でつぎのように語っていた。

  安倍晋三首相は2013年9月7日,アルゼンチンの首都ブエノスアイレスで開催された国際オリンピック委員会(IOC)第125回総会(2013年9月7日~8日)に出席し,7日夜(日本時間),オリンピック東京招致最終プレゼンテーションを英語で行った。この演説のなかで,福島第1原発の汚染水について,「The situation is under control」(状況はコントロール下にある)と発言していた。「under control」というフレーズは,当時,一種の流行語にもなっていたのである。

  ところが,この発言が「大ウソ」だったことが,わずか1年半も経たないうちに,バレバレになってきた。国際社会を騙したといっても過言ではない。東京電力福島第1原発2号機で,原子炉建屋の屋上に比較的高い濃度の汚染水がたまっているのが見つかり,雨が降るたびに排水路を通じて海に流れ出していたおそれがあることが分かったからである。東電は2014年4月から,この排水路の放射性物質の濃度が雨のたびに上がっていることを把握していながら,公表せず,隠し続けてきたという。NHKが〔2015年〕2月24日,報じた。
(中略)

  2015年1月,ある女性占い師が,安倍晋三首相の2015年の運勢を占って,つぎのような「ご託宣」を語っていた。「いろんなウソや悪事が,暴かれて,表に出てくる」。西川公也前農水相が,政治献金疑惑で辞任に追いこまれたのは,そのキッカケになっており,傷口からパックリ穴が開いて,大きな膿が,ドッと吹き出してきて,安倍晋三政権が崩壊の危機に直面する可能性が大である。
 註記)http://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/b6dfc21b3692af2771112467eaa7a6a7

 補注)「〔20〕24年・28年五輪同時決定へ パリとロス,IOCが7月」(nikkei.com 2017/6/10 12:09)。前後の記述に関連させて,この記事もつぎに引用しておく。   
  【ローザンヌ(スイス)=共同】 国際オリンピック委員会(IOC)は9日の臨時理事会で,2024年夏季五輪招致を争うパリとロサンゼルスを2024年と2028年の2大会に振り分ける異例の開催都市同時決定案を承認した。7月11,12日に開く臨時総会(ローザンヌ)に諮り,IOC委員による投票で最終決定する。

 ロサンゼルス招致委員会のワッサーマン委員長は2024年大会をパリに譲り,2028年大会を開催する選択肢の容認を示唆する声明を発表しており,2024年がパリ,2028年がロサンゼルスになるとの見方が広まった。2024年大会の開催都市は9月のIOC総会(リマ)で決まる。

 近年,五輪招致は財政負担などへの不安から立候補都市の撤退が相次ぎ,2024年大会もハンブルク(ドイツ)やブダペストなどがとりやめ,IOCは五輪離れを懸念。パリとロサンゼルスはIOC評価委員会による現地調査で高い評価を受けた。記者会見したバッハ会長は両都市に勝る有力候補はないとし「2都市とIOCの3者のいずれにも利益のある状況をつくりたい」と,リスクを回避した案を説明した。
 註記)http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG10H0W_Q7A610C1000000/
 さて,「当たるも八卦当たらぬも八卦」だといわれる占いだから,2015年時点ではたいして当たっていなかったその占いが,2017年になるとかなり当たっているかのような,安倍晋三政権のなりゆき(雲ゆき)になっていたが,いまや自業自得の奇怪さ・醜悪さを思いっきり発揮しつつあるのが,この日本国の首相の言動である。
 
 ① の記事は,東電の川村 隆会長が「高濃度汚染水を浄化した後に残る放射性物質を含んだ処理水」を,堂々と「海に放出する方針」を明確にしたと報道していた。処理水だからといってキレイになっているわけではなく,最終的に処理できていないトリチウムはそのまま沿岸に垂れ流してごまかしておく〔ほかない〕と,東電側は平然と宣言している。安倍晋三が “under control” だといいぬけたのは,こうした事後処理も含めての内容だったのである。

 現在,「3・11」東日本大震災による津浪によって21世紀の歴史に残る原発大事故を起こした東電の,当時の最高幹部たち(勝俣恒久元会長・武藤 栄・武黒一郎両元副社長の3人)が強制起訴され裁判中であるが,2013年9月時点で福島第1原子力発電所が起こした大事故の顛末を指して,「The situation is under control」などと表現していたこの国の首相は,東電の最高幹部たちよりも悪質な言動を国際的な舞台で演じていた。

 ③「原発の処理水原発の処理水放出,復興相が反対意向 風評被害を懸念 福島第1」(『朝日新聞』2017年7月15日朝刊)

 なお,この記事は ① と同旨であるが,あらためて参照する。多少,内容のとりあげ方に違いがないわけではない。

 東京電力福島第1原発にたまっている放射性物質を含んだ処理水について,川村 隆会長が海洋放出を決めたとする発言をしたことに,波紋が広がっている。漁業への悪影響を案じ,福島県漁連が〔7月〕14日,抗議文を発表。吉野正芳復興相も同日の閣議後会見で「(放出すれば)風評被害は必らず発生する」と反対の意向を示した。

 第1原発では2011年〔3月11日〕の事故で溶融した核燃料を冷やすために注水しており,この水が汚染水になっている。その都度,放射性セシウムやプルトニウムなどを処理しているが,弱い放射線を出すトリチウム(三重水素)だけは技術的に除去しきれない。

 この水の海洋放出について川村氏は13日,一部報道機関のインタビューで「(東電として)判断はもうしている」と発言。これに県漁連は反対し「唐突で真意が理解できない」と発言撤回を要求。吉野復興相も会見で「これ以上,漁業者を追いつめないでほしい」と述べた。

 トリチウムを含んだ水は法令上,基準以下に薄めれば海に捨てられる。しかし,福島では地元の反対が強く,現在,第1原発の敷地内には約580基のタンクに約77万7千トンがたまっている。 (引用終わり)

 つぎの記事は2016年10月時点の記述である。
   東京電力は,福島第1原発で放射能汚染水を保管する簡易的なフランジ型タンクを,漏れにくい溶接型タンクに今〔2016〕年度の早期に切り替えるとしてきた廃炉工程表の目標を事実上断念した。今後の目標は,最短で2018年6月になるとの見通しを示した。昨〔2015〕年6月に改訂した廃炉工程表で,目標の断念が明らかになったのは初めて。
 註記)http://rief-jp.org/ct13/64689
 
要は「トリチウム」とて,規制されている「基準以下に薄めれば海に捨てられる」のだから,東電の川村 隆会長は「ただそうすればよいのだ」といっているに過ぎない。基準濃度より高ければ,それこそ「現場で薄めて太平洋に捨てればいい」という後始末がなされるだけである。無責任このうえない対処法である。

 そもそも,原発という電力を生産する装置・機械は,科学の応用としては完全に錯誤を犯していた。高木仁三郎『プルートンの火-地獄の火を盗む核文明-』(社会思想社,1976年)は,原発を利用する人間側の立場における根源的な間違いを,つぎのように指摘していた。
   無から有を生じるようで,誰でも飛びつきたくなる話ですが,自然の法則には無から有を生じるようなことはありません。自然からあまり欲張りにものをとりだそうとすると,手痛いしっぺ返しを受けるというのは,よくあることです(147頁)。
 これはプルトニウムに関する問題の指摘(批判)であった。だが,前段までは,人間の力量・技倆では処理できないトリチウムが話題になっていた。いずれにせよ,プルトニウムに関する難題は,トリチウムにも共通して当てはまるものであった。すなわち,解決も克服も不可能である「アポリア:解決不能」が,このトリチウムという放射性物質にも備わっている。

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壇蜜画像一例
 【人間の基本的欲求は「食欲(うまいモノを喰いたい)・性欲(イイ△△と寝たい)・活動欲(なにかして楽しみたい)」なので,とくに性欲につながる欲求に引っかけて関心を惹こうとする宣伝・広告がはやるのは,自然・当然】


 【しかし時に,その訴求力を高めようとするあまり,露骨な表現・演技をさせる宣伝・広告にもなりがちであり,ひたすら下品になり,失敗をすることもある】
 出所)右側画像はもちろん壇蜜であるが,「いかにもの格好:ポーズ」をとっている(ただし,記述の本論とは直接に関係のない1葉である),https://matome.naver.jp/odai/2148264163745562401

 ①「宮城PR、壇蜜さん動画が波紋 唇のアップ『面白い』『趣味悪い』」(『朝日新聞』2017年7月15日朝刊)

 タレントの壇蜜さんが出演する,宮城県の観光PR動画が議論を呼んでいる。〔7月〕4日に動画投稿サイトで公開されてから再生回数は115万回を超えたが,性的と受けとれる表現が含まれていることから,批判も起きている。14日には,仙台市議らが動画配信の即時停止を奥山恵美子市長に申し入れた。

 問題となっているのは宮城県や仙台市,JR東日本でつくる「仙台・宮城観光キャンペーン推進協議会」が作成した動画。先祖が仙台藩に仕えたという壇蜜さんが,宮城県内の名所を紹介する。壇蜜さんの唇のアップ(下掲の画像は動画から切りとった)や,性的な意味として受けとれるような言葉が多用されており,ネット上でも「面白い」「趣味が悪い」と賛否が分かれている。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
宮城県観光用動画壇蜜くちびる
 村井嘉浩県知事は〔7月〕10日の会見で批判について問われ,「賛否両論はあるが,可もなく不可もなくでは関心を呼ばない」などと評価した。仙台市議らは「品位が感じられない」と反発している。

 --この記事に指示されている動画は,つぎの『涼・宮城の夏』という宣伝動画(画面)のなかで途中で記載されているリンクから入り,移ることができる 註記1,2)。本ブログ筆者も実際にこれを視聴してみた。
 註記1)http://www.ryogujo.jp/
 註記2)
http://www.ryogujo.jp/?utm_source=yahoo&utm_medium=cpc&utm_campaign=ryogujo

 村井県知事のその率直な感想は,今回のその宣伝動画については,観方によってどのようにでも理解・解釈できそうだということであった。つまり「広告と性分析」の観点に,いかほど意図的に引きつけて解釈・分析してみるかによって,抱かれる印象もだいぶ異なるのではないかということも意味されていた。

 本ブログ筆者はいままで,関連するつぎの4編を記述してきた。これらは時間があったら,あとで目を通してもらえれば,と希望したい。日付のところにリンクを張っておいた。
  ◇-1 2017年04月12日「企業広告と性分析の問題(続編)-2017年4月11日,日本製粉『REGALO スパゲッティ』」の新聞全面広告について」

  ◇-2 2016年06月11日「企業広告と性分析の問題-カロリーメイトゼリーの広告と女優清野菜名の立場・役割-」

  ◇-3 2014年10月26日「タペストリーと性分析」

  ◇-4 2014年08月25日「『広告と性』の関連分析」
 今日のこの ① の記事の見出しは「宮城PR,壇蜜さん動画が波紋 唇のアップ『面白い』『趣味悪い』」であったが,本ブログ筆者はこの「趣味悪い」にある程度まで同感する。この宮城県の観光用の動画であるが,誰がどのようにして制作したのか,いまのところ不詳であるが,制作の意図・内容はたとえば,つぎのように解説されている。
☆ 宮城県が壇蜜さん起用のPR動画制作,
夏の観光キャンペーンで豪華プレゼントも【動画】☆

= 2017年7月6日カテゴリー:DMO・観光局, ニュース =


 宮城県は,夏の観光促進キャンペーン「仙台・宮城【伊達な旅】夏キャンペーン2017」を開始した。キャンペーンは,夏でも涼しい仙台・宮城への来訪を呼びかけるため,浦島太郎の物語に登場する竜宮城に重ねて「涼・宮城(りょうぐうじょう)の夏」と題して展開。

 イメージキャラクターには伊達家に由縁のあるタレントの壇蜜さんを起用し,クールで妖艶な雰囲気を活かしながら,村井知事や仙台・宮城の観光PRキャラクターのゆるキャラ「むすび丸」とともに夏の仙台・宮城への訪問を呼びかけるピーアール動画も制作した。

 このほか,「プレミアム涼・宮城 玉手箱キャンペーン」と題したプレゼントキャンペーンも実施。特設サイトからの応募で,抽選で合計800名に,東京 / 仙台間の新幹線往復チケットと5000円宿泊券,または宮城県の「うまいもの」5000円分ギフトカタログ,伊達政宗公オリジナルデキャンタのいずれかをプレゼントする。

 さらに東京都内に設置した「金のカメ」と一緒に撮影した写真を,仙台駅2階にある「仙台市観光情報センター」で見せた先着9200名に,伊達政宗公生誕450周年記念のむすび丸ミニタオルなどをプレゼントする。
 註記)https://www.travelvoice.jp/20170706-92745
 ② 感  想-壇蜜・出演のスペシャルムービーについて-

 1)くちびると歯
 ① の動画であるが,途中においていくつもささやかれている壇蜜の文句はひとまずおいても,壇蜜の口(これは「くちびる上・下」と〔開いたときの〕「とくによくみえる下の前歯」←前掲の画像資料)の様子は,かなりいただけない。口紅を中度半端に塗ったようにしかみえないそのくちびる(唇)は,〔本ブログ筆者の〕パソコン液晶でみるかぎり,あまり冴えていない色調に映っていた(そういう化粧:メイクかもしれないが)。

 とりわけ,壇蜜は女優として歯並びの矯正をしていないのか,やや乱杭歯的に乱れているその歯並び(それもその下の歯列)が気になってしまい,観ているほうとしては「それ相応の清潔感」というか,あるいは彼女なりにもっていると思われる「魅力(色気?)」が感じられなかった。この点は人によって相当に印象を異なって受けとる余地(幅)がありそうだが,あえてそう断定しておく。となれば,壇蜜の色気も「口と歯並び」の画像が出ているコマの場所では,やや興ざめになっていた。

 2)ぷっくり膨らんだ〈ずんだ〉,肉汁トロットロ,「壇蜜に寄り添われ,凭れかけられた伊達政宗「像」が「赤面」して喜ぶ場面など,この宣伝動画のなかで登場する「壇蜜の台詞としぐさ」

 それらの場面・台詞は,いずれも正直な感想をいうと「ダサイ」。壇蜜の「女性としての個性(妖艶さ)の発揮」にのみ,宣伝効果を期待しているかのようなところ(狙い?)が,面白みを欠いている。
 
 3)亀の関係
 壇蜜が,途中に登場してくる亀の顔をなでて「上,乗ってもイイですか……」という箇所がある。この場面にさらにつづくコマ(映像の展開)などが,いったいなにを意味するかを,精神分析的に推理するとしたら,どのような解釈が可能であるかという関心も抱いてみる。

 とくにこの 3)の指摘は端的に解釈していえば,男女間の性交渉型でいえば「△▽位」を想像させる。それはともかく,全体的にこの「宮城PR,壇蜜さん動画」の印象は,だいぶ安っぽい造りだと感じさせている。壇蜜の「色気」に100%以上に依存する宣伝ビデオという感想をもたせる。画像の色調も淡い水色が基本になっているが,なんとも安っぽい雰囲気。この宮城県「観光用」の宣伝用動画,評判になるほどのものでもない,という受けと方をする。

 ③「サントリーのビールPR動画,批判相次ぎ公開中止に 『都合のいい女性像を性的に表現』の声」(『HUFFPOST』2017年7月7日)

 ① ② のような宣伝動画に接する以前に,このサントリー関連の話題を観る機会があった。その宣伝用の動画は,つぎの註記から観ることができる。
 註記1)https://youtu.be/-yov_iXd3gw
 註記2)https://www.youtube.com/watch?v=-yov_iXd3gw&feature=youtu.be


 a) サントリービール株式会社が7月7日,新発売したビールのPR動画の公開を中止した。動画は『絶頂うまい出張』と銘打たれ,全国各地を舞台に女性のアイドルやタレントがご当地グルメやビールを味わうという内容で,「下品で差別的」といった批判が相次いでいた。

 公開中止になった動画は,新商品ビール「頂(いただき)」のPR目的でつくられたもの。7月初旬にサントリーの公式サイトや Twitter で公開された。人気出張先である北海道・東京・神奈川・愛知・大阪・福岡の6都市を舞台に,女性たちがビールを飲み, “幸せの絶頂へ向かう”  様子を描くという内容だ。

 サントリーのプレスリリースには「人気の出張先で,ご当地グルメや方言を肴に,『頂〈いただき〉』の魅力を伝えます」と記されており,総集編の動画と,各都市ごとの動画6本が公開された(つぎの画像の右上部分にはロゴが入っているが,これは切りとりの過程で浮刻されたもの)
サントリーのビールの宣伝動画
 動画では出張先で女性と出会い,食事をともにする様子が “体感” できるように描かれており,出演した女性たちは「2人っきりになっちゃいましたね」「肉汁いっぱい出ました」といったセリフを口にしている。商品のおいしさを表わすために,とくに「コックゥ~ん」という表現を使い,動画の最後は「コックゥ~ん!  しちゃった・・・ ♡ 」という言葉と女性の顔をアップにした映像で締めくくられている。

 b) この動画がサントリーの公式 Twitter アカウントに投稿されると,「男性にとって都合がいい女性像を性的に表現している」「気持ち悪い」など,女性を差別的に扱っていると指摘するコメントが相次いで寄せられた。こうした意見を受けてサントリーは7月7日,公式サイトから動画を削除した。お詫びとして,「今回皆様からいただいたご意見を真摯に受けとめ,今後の宣伝活動に活かして参ります」とコメントした。

 観た人は,どう感じるのか? 男性の意見を聞いた。この動画には,女性に限らず男性からも不快感を示す声が挙がった。 “男性目線” で女性像が描かれているという点で非難が相次いだが,男性たちは,このPR動画についてどう感じるのか。ハフポスト日本版は,21歳の一般男性(大学生)に意見を聞いた。

 ◆ このPR動画を観てどう感じましたか?

  ◇ 女性を出張先の「ご当地品」のように扱っているように感じ,下品な表現もあり,不快です。

 ◆ “男性目線“ でこの動画をみたとき,いいなと思いますか?

  ◇ いいな,とまったく思いません。とくに「女性の活躍を支援する」と謳っているサントリーが,女性を見下すような広告を作っているのはとても残念です。

 ◆ この動画はなぜ炎上してしまったのだと思いますか?

  ◇ 女性を「ご当地品」扱いし,バカっぽくし,(AVを連想させるような)下品なニュアンスを使う。これは制作者側の女性に対する蔑視や,あるいは無理解によるものではないでしょうか。どちらかといえば前者だとは思います。オムツCM(※)の「無知」による炎上とは違い,女性に対する蔑視が感じられます。
  (※)2017年5月に公開されたユニ・チャームのおむつブランド「ムーニー」の広告動画のこと。母親がひとりきりで子育てにとり組む「ワンオペ育児」を肯定的に扱っているのでは(?)と,批判が集まった。

 ユニ・チャーム広報室の担当者は,ハフポストの取材に対し,「本来の意図はリアルな日常を描き,(ママたちを)応援したいという思いだった」として,とり下げなどは予定していないと回答した。
 c) この動画について,メディア文化論やジェンダー論を専門とする大妻女子大学の田中東子・准教授にも見解を聞く予定だ。田中准教授のコメントも,のちほど追記する。

 【追記  2017/7/9  10:30】 大妻女子大学の田中東子・准教授はサントリーのPR動画について,「女性だけではなくて,男性のことも侮蔑しているように感じます。地方出張をした男性が,仕事とは別に『異性との出会い』も期待している,と想起させるような動画にもみえる」などとコメントした。田中氏の見解を以下の記事にまとめた。
 註記)http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/07/story_n_17428554.html

 d) 実際にこのサントリーの宣伝用動画を視聴した者としては,さらにどのように感じているか? 出張したいさい,このような若くてぴちぴちの美女たちに〔男性が!〕会える機会が,このビール(サントリーの)を飲むことによってえられるとでも決め,この予定調和されたイメージで制作されていた。しかし,女性からも男性からも不評である反応が寄せられ,事後において「公式サイトから動画を削除した」結果を生んでいた。

 この動画は,いったいどのような狙いをこめて制作されたのか,あらためて訊いてみたいところである。宣伝とはいえ,ずいぶん「想定外の」「いい気な場面(各地で美女に会えるそれ)」ばかりが展開されていた動画の展開である。居酒屋で偶然出会った “みしらぬ・うら若き女性” (それもこの動画に登場するような美女)がいきなり「1週間前にフラれてまって」などと,そう簡単にいうのか?

 いくら宣伝とはいえ,そして非現実的な夢想の世界における出来事とはいえ,地方に出張したらこのように『美女たちから声がかかってくる』という筋書きになっている,それもあくまで「宣伝のための動画」。サントリーのビールを飲めば「こうなる……」であった。はたして,このような “僥倖” がそう簡単に起こるとは思えないが……。
サントリーのビールの宣伝動画2
 この動画のほかのある部分(登場する女性たちの文句)を,もう一度引用しておく。出演した女性たちはまた,「2人っきりになっちゃいましたね」とか「肉汁いっぱい出ました」といったセリフを口にしている。宣伝する商品のおいしさを表わすために「コックゥ~ん」という表現を使い,動画の最後は「コックゥ~ん!  しちゃった・・・♡」という言葉と,そういっている女性たちの顔をアップにした映像で締めくくられていた。

 この宣伝動画を観た〔間違いなく男性向け〕が,のどをゴックンとでもさせて(鳴らして),サントリーのビールを飲みたくなるという寸法だったのか? 登場する “見目麗しい女性たち” を観てそのように「コックゥ~ん!  しちゃった・・・♡」ことになる,ということか?

 e) この動画の評判の悪かった理由がよく分かるような気がする。問題は,こうした動画を制作したサントリー内の部署がどこであり,また担当した人材が誰であり,何人いて,どのような過程(発案⇒企画⇒制作⇒放映)を経て,広告として世の中に流されるに至ったのかという点である。

 ところで,部長次元(最高経営層)での指導・監督は,直接入っていなかったのか? とくに,サントリーにも大勢いるはずの女性社員たちに事前に,この動画を試作段階で観てもらい感想をもらっていなかったのか? まさか,女性たちが制作した動画ではあるまい。

 f)
 サントリーは大昔から,宣伝・広告では画期的な方法を編み出してきた会社であるが,今回は駄作(失敗策)をわざわざ公表し,流通させた。それも会社の評判を落とす平凡な作品であったから,マーケティングの宣伝活動としては失点を喰らうはめになっていた。

 最後に参考にまで『サントリー歴代傑作CM集【日本最高のセンス】』を挙げておく。この内容は「トリス,野坂昭如,黒澤 明,大原麗子,ペンギン,井上陽水,和久井映見,山口智子,永瀬正敏,田中裕子,トミー・リー・ジョーンズなどなど」で「見事な時代感覚」。なお「※サントリー製品の宣伝を目的としたまとめではありません」。
 註記)更新日: 2017年02月25日,https://matome.naver.jp/odai/2134076063022070901

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 【2017年7月17日 「補 遺」】 以上の記述を終えてから翌日(これを書いている本日:7月17日)の『朝日新聞』朝刊「オピニオン」欄に,16日に記述したこの話題にまさにぴったりの内容である解説記事が出ていた。大妻女子大学の田中東子准教授も登場している。以下に画像資料で参照してもらうことにする。(画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2017年7月17日朝刊9面涼・宮城の夏2

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 【「テイネイにしっかり」説明するとは,安倍晋三の常套文句であったが,実際に答える段になると「粗暴・乱雑」の態度しかみせなかった】

 【加計学園の獣医学部認可「問題」は,大学・学部の新設手続を多少でもしる人間にとっては,「総理のご意向」の端的な適用事例にしかみえない】

 【その事実を否定し,なかった「事実」にするために,いままで逃げまわっていた安倍晋三君が閉会中の審査に応じるというけれども,この首相の話法ではやぶ蛇の可能性「大」】


 ①「安倍内閣支持29.9%に急落=2次以降最低,不支持48.6%-時事世論調査-」(『時事ドットコムニュース』2017/07/14 15:03)
     時事ドットコム2017年7月14日内閣支持率1 時事ドットコム2017年7月14日内閣支持率2
 時事通信が〔2017年7月〕7~10日に実施した7月の世論調査で,安倍内閣の支持率は前月比15.2ポイント減の29.9%となった。2012年12月の第2次安倍政権発足以降,最大の下げ幅で,初めて3割を切った。不支持率も同14.7ポイント増の48.6%で最高となった。学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐる問題が響いた。東京都議選で稲田朋美防衛相が,自衛隊を政治利用したと受けとられかねない失言をしたことなども影響したとみられる。
 補注)安倍晋三政権はいままで,好き勝手にやりたい放題の恣意的な政治(内政・外交)をやってきた。「安倍1強(凶・狂)」とも形容される与党政権側の国会での圧倒的な勢力を背景に,また安倍自身の「幼稚で傲慢」な政治家としての体質そのままに,日本の政治が破壊されてきた。このところに来てとうとう,そのツケがまわってきた印象がある。

 「テイネイにしっかり説明する」とはこの首相の口癖的な常套文句であったけれども,森友学園の小学校新設申請「問題」や加計学園の獣医学部認可「問題」を典型事例として,いうこととやっていることとの埋めがたい齟齬は,いままでなんとなくであっても,安倍晋三を支持してきた国民・有権者たちからも,その本性をみぬかれるほかない状況が生まれてきた。

 安倍晋三政権は,直近になされたこの時事通信社の世論調査でも,支持率を最低にまでおとしていた。しかも,29.9%という政権維持にとっては赤信号がともる支持率(3割以下)まで落としてきた。


 〔記事に戻る→〕 加計学園に関する安倍晋三首相の発言を信用できるかどうか聞いたところ,「信用できない」が67.3%に上り,「信用できる」の11.5%を大きく上回った。首相が説明責任を果たしているかどうかについても,「果たしていない」79.9%に対し,「果たしている」7.1%となり,首相に対する国民の不信感の高まりが浮き彫りとなった。首相の政権運営は険しいものとなりそうだ。

 内閣を支持しない理由(複数回答)でも,「首相を信頼できない」が前月比8.7ポイント増の27.5%と急増。前月と今月だけで14.9ポイント増となった。次いで「期待がもてない」21.9%,「政策が駄目」15.8%の順。内閣を支持する理由(同)は,「他に適当な人がいない」14.1%,「リーダーシップがある」9.0%,「首相を信頼する」6.8%などとなった。

 支持と不支持が逆転したのは,安全保障関連法を審議していた2015年9月以来。支持政党別にみると,全体の6割を超える無党派層では支持が前月比13.3ポイント減の19.4ポイントとなった。自民党支持層でも支持は同13.4ポイント減の70.1%と急落した。

 政党支持率は,自民党が前月比3.9ポイント減の21.1%,民進党は同0.4ポイント減の3.8%。以下,公明党3.2%,共産党2.1%,日本維新の会1.1%と続いた。支持政党なしは同4.5ポイント増の65.3%となった。調査は全国の18歳以上の男女2000人を対象に個別面接方式で実施。有効回収率は65.1%。
 註記)http://www.jiji.com/jc/article?k=2017071400769&g=pol

 安倍晋三は,2016年6月の時点でこう力説していた。「首相はアベノミクスへの野党の批判に対し,『間違いなく成果が出ている』と強調。3月に施行された安全保障関連法についても『廃止しようとしているのが民進党であり,共産党だ。世界で信用を失っている』と批判したうえで,『共産党は日米同盟を破棄しようとしている。民進党は選挙のためなら共産党と手を組む。私は許すことはできない』と述べ,自公連立政権と民共勢力の対決軸を鮮明にした。
 註記)『産経ニュース』2016.6.3 23:25,http://www.sankei.com/politics/news/160603/plt1606030039-n1.html

 しかし,この記事に報道されている安倍晋三の主張は,どだい,ハチャメチャ(支離滅裂)である。アベノミクスの成果が間違いなく出ているかについては,多くの経済学者やエコノミストが真っ向から否定している。その核心の「リフレ」政策も唱えられてから4年が経過しているが,確たる具体的な成果はみられない。「2%インフレ目標論」も毎年度先送りする〈理想〉追及になっていて,まるでオオカミ少年ばりの経済政策になっている。
マイケル・グリーン画像2
 また,民進党や共産党に対する安倍の非難の仕方は,扇動的な言葉遣いばかりがめだち,品位はもちろんなく,説得性も感じられない一方的ないいぶんである。日本国が「日米安保を破棄していけない」という決めつけ方も,極端に狭隘なイデオロギー的な発言である。

 日本国・日本人がそのように考えていけないというのは,やはり子どもの理屈である。特定の政治論点に対して他党が反対することじたいを「私は許すことはできない」というのでは,それこそお話にもならない。対話拒絶の口吻でしかない。安倍の子供っぽさが露骨に正直に告白されている。

 ②「首相出席,閉会中審査へ 月内に実施,加計説明」(『朝日新聞』2017年7月14日朝刊1面)

 7月になって実施された各大手紙(通信社)による世論調査は,安倍晋三政権に対する内閣支持率が急速に落ちはじめている傾向(事実)を報告していた。これまでは,安倍首相がここまで勝手し放題をやっていても,なぜ支持率が下ちなかったのかと,専門家たちまでが説明しようとする論点にさえなっていた。だがいい加減,安倍晋三という政治家が駆使する政治手法のうさんくささ・デタラメかげんについては,庶民(国民・市民・大衆)側が気づきはじめている。
『朝日新聞』2017年7月15日朝刊4面加計学園問題
 7月1日,安倍晋三は秋葉原駅前の広場で都議選の応援演説をしたさい,自分を批判する者たちが「帰れ・やめろコール」を発声したのに腹を立てて,私は「こんな人たちには負けない」と,ひたすら単純に敵視する反応を示した。政治に批判はつきものであるが,安倍はその反対意見が自分には気に喰わないといっては,「上から目線」を照射させて蔑視さえするような身振り手振りで応ていた。ところが,この安倍の狭量だったものいいがかえって,有権者たちの批判を惹起させていた。

 この首相は,「安倍1強」の時期はもう終わっているにもかかわらず,自分の思いどおりに日本の政治をまだ動かせると,思いこんでいた。政治家としてはすでに賞味期限切れどころか,食あたり(中毒)させる危険性に厳重注意というべきこの安倍晋三君であるが,この事実に気づきたくない……。

 さてつぎに,この ② の記事本文を引用する。

 学校法人「加計(かけ)学園」の獣医学部新設問題に絡み,自民党は〔7月〕13日,野党が求めていた安倍晋三首相が出席する予算委員会の閉会中審査を受け入れる考えを,民進党に伝えた。自民,公明両党は「堂々めぐりになる」(自民幹部)などと実施に否定的な考えを示してきたが,内閣支持率が下げ止まらないことへの危機感から,首相の判断で受け入れに転じた。(▼4面=追いこまれた首相)

加計学園の獣医学部認可問題構図 閉会中審査は,米国視察中の衆院予算委のメンバーが帰国する来週以降,月内に衆参両院で実施する。首相は,8月初旬に予定する内閣改造の前に国会でみずから野党の疑問に答えて,支持率回復の環境整備をしたい考えだ。野党側が証人喚問するよう求めている和泉洋人首相補佐官の参考人招致に応じることも検討する。
 補注)この「和泉洋人首相補佐官の参考人招致」は,前回の佐川宣寿理財局長(当時)のときと,同じような結末になる可能性大である。佐川局長は,こう批判されている。
 出所)図表は,https://twitter.com/110vote/status/869791920192606209
◆ 露骨な論功行賞 国税庁長官に佐川宣寿! ◆
=『半歩前へⅡ』2017/06/29 10:59 =


 政府は,迫田英典国税庁長官(57歳)が退き,後任に財務省の佐川宣寿理財局長(59歳)を充てる人事を固めた。財務事務次官への昇格が固まっている福田淳一主計局長(57歳)の後任には岡本薫明官房長(56歳)を起用する。国際部門トップの浅川雅嗣財務官(59歳)は留任し,3年目に入る。来週にも発令する。佐川氏は,大阪府豊中市の国有地が大阪市の学校法人「森友学園」に格安で売却された問題をめぐり,たびたび国会で答弁に立ち,適正な価格で売却したと説明していた。(以上『共同通信』)

 飴とムチ,露骨な論功行賞人事である。こんなかたちで安倍政権は官僚を意のままに操縦する。権力の私物化,ここにきわまる。これを脇でボーと眺める国民。いつまで寝てんだ。お天道さまはとっくに上っている。もう昼だぞ。いい加減に起きたらどうだ?

 間抜けな政府に間抜けな国民。ちょうどバランスがとれていいのじゃないか。日本人はいつからこんなに腰抜けになったのか? これでは3日前に栓を抜いたビールだ。情けない。歯がゆくて仕方がない。安倍晋三の高笑いが聞こえてきそうだ。
  註記)http://79516147.at.webry.info/201706/article_341.html
 もっとも,7月1・2日あたりに実施された各紙の世論調査は,安倍晋三政権に対する支持率が急速に落下しつつある経過を報告していた。さきに紹介した時事通信の世論調査(7月7~10日実施)は,その低落傾向をより明確に表現し,初めて3割を切った(29.9%だが)点を報告していた。

 したがって,上に引用したブログ記述の解釈(意見)は,「間抜けな政府に間抜けな国民」のせいで「安倍晋三の高笑いが聞こえてきそうだ」とはいえなくなっていた時期を,とらえそこなっていたようである。安倍晋三の「幼稚で傲慢」な政治姿勢は,このところ国民たちのあいだにもよく理解されるようになってきた。


 〔記事に戻る→〕 〔7月〕13日は,自民の竹下 亘国会対策委員長が民進党の山井和則国対委員長と会談。「必要性を感じない」といったん拒否したが,その約3時間後,山井氏に電話を入れ,一転して受け入れを伝えた。会談の結果を首相に伝えたさい,首相から「みずから国会の場に出て説明する意思がある」といわれたという。両氏は14日に会談し,日程調整をおこなう。竹下氏はふだんは野党8割,与党2割の予算委での質問時間配分を,与野党で均等にするよう求めており,紛糾する可能性もある。
 補注)与党からする質問はそれこそ,「さくらでのやりとり」「出来レースに終始」であったことは,すでになんども経験済みである。与党の質問時間なゼロでもよいほどであるが,与野党間で質問時間を均等にするという要求は,「さくらのやりとり」「出来レース」の時間をなるべく多くさせること(安倍晋三首相をかばうための姑息な変更)をいっている。

 仮に,そういう時間配分になったら,これにしたがっておこなわれる閉会中の国会審査を観させられる国民たち側の「現政権に対する目線」は,さらにきびしいものになりそうである。こうした現状における日本社会内の雰囲気を,自民党の竹下 亘国会対策委員長は理解できていない。


〔記事に戻る→〕 加計学園問題をめぐっては,首相が先〔6〕月19日の通常国会閉幕後の記者会見で「指摘があればその都度,真摯(しんし)に説明責任を果たす」と述べた。その後,文部科学省が萩生田光一官房副長官の指示などと記した新たな文書を公表して疑惑が深まったが,自民,公明両党は閉会中審査の実施じたいにうしろ向きだった。

 今〔7〕月2日の東京都議選で自民が惨敗。10日に文科,内閣両委の連合審査会の閉会中審査に応じ,前川喜平・前文科事務次官らを参考人招致した。野党は外遊中の首相が出席しなかったため,首相出席の閉会中審査をあらためて要求し,「丁寧に説明するといった首相の言動と矛盾する」と批判を強めていた。
 補注)安倍晋三の常套句「テイネイ」とは ”丁寧にあらず,ていねいに手抜きをする” という意味にしかなりえていない。安倍は,自分のしゃべる言霊に騙されているのではなく,他者を騙すつもりのために繰り出すことばだけについて,いわなくてもいいのにわざわざ「真摯」だとか「丁寧」だとか形容する〈悪いクセ〉がある。その内実をともなう言動がいっさいないのが,政治家としてのこの人の行動特性である。

 つぎの画像資料は,いまからでは丁寧もなにもへったくれもなくなっている問題に関連する画像資料である。いまさら丁寧に説明したところで,安倍晋三流の粗雑・乱暴な政治が軌道修正できるわけではない。
安倍晋三ていねいに説明画像
出所)http://www.kantei.go.jp/jp/96_abe/statement/2013/1209kaiken.html

              


 ③「首相,追い込まれ出席『自ら加計説明』予算委閉会中審査」(『朝日新聞』2017年7月14日朝刊4面)


   いったんは断わった首相出席の閉会中審査を,自民党が一転して受け入れた。加計学園問題をめぐって,野党だけでなく,与党内からも直接の説明を求める意見が出はじめるなか,安倍晋三首相が判断した。与党内の混乱ぶりに,追いこまれた政権の姿が映る。(▼1面参照)

 ※ 野党,稲田氏も照準 ※
 「状況が変わった」。〔7月〕13日午後6時半ごろ,自民の竹下 亘国会対策委員長が国会内の自室に記者団を急遽招き入れた。「国対としてはお断わりしたが,首相が『みずから説明する意思がある』とお話しになったことを重く受けとめ,開催の方向で調整に入る」。この約3時間前。竹下氏は民進党の山井和則国対委員長と会談し,安倍首相が出席する予算委員会の閉会中審査を断わったばかりだった。官邸サイド,公明党とも調整のうえだった。
 補注)本当に「いまごろ,共謀罪までゴリ押しして成立・施行させて」おいて,なにをかいわんやである。ここまで来ると安倍晋三首相に自己弁解の機会を与えるだけの国会審査になる。内閣支持率をこれ以上下げさせないためにやるその審査であるならば,もとより不要・無駄である。

 竹下氏は記者団に,安倍首相との電話協議を「ほんの10分前」と説明し,急展開を強調。自民の参院国対幹部は「事情はしらない。衆院が受けるというから,参院も予算委を開くことになった」と焦りをみせた。首相出席の閉会中審査に自民執行部は一貫して否定的だった。安倍首相の外遊中にあった閉会中審査の翌11日の党役員連絡会でも,竹下氏は「首相の関与を示す事実は出てこなかった。予算委を開く必要はないと考える」と明言していた。

 ただ,自民が東京都議選で惨敗するなか,与党内では「内閣支持率が上がるかは,首相がいかに潔く答えるかにかかっている」(公明党幹部)といった声がくすぶっていた。参院自民幹部は「世論調査がかなり厳しい数字だから,危機感を強めたのではないか」という。官邸幹部は「菅 義偉官房長官が反対したが,首相が押し切った」と説明した。8月初旬に内閣改造・党役員人事を予定しているが,「首相は『改造まで逃げつづけた』といわれるのを嫌ったようだ」と明かした。
 補注)「首相がいかに潔く答えるか」とはいってもその内容が問題である。加計学園理事長の加計孝太郎は,問題となってから雲隠れしているが,この安倍晋三の親友の所在を「潔く答える」ことも期待されているのではないか。

 野党側は「受けるのは当然で,遅すぎたぐらい。疑惑解明の予算委にできればと思っている」(山井氏)と手ぐすねを引く。予算委は他の委員会と比べてより幅広いテーマを扱えるため,安倍首相が重用する稲田朋美防衛相による自衛隊の政治的中立性を侵しかねない発言や九州の豪雨災害時に省内を留守にした対応も問いたい考えだ。支持率の低下に歯止めはかけられるのか。別の官邸幹部はいう。「逃げない姿勢をみせ,少なくとも支持率を下げ止まりにしたい。あとは首相の説明しだいだ」。
 補注)さんざんいままで逃げまわってきた安倍晋三君が,いまごろになって,つまり内閣支持率が30%ほどになってからあわてて「逃げない姿勢」だとか「説明しだい」とかがいわれだしているが,ずいぶん弱気になっている「ある種の奇怪さ」が注目される。

 安倍首相は13日,首相官邸で,自民の二階俊博幹事長と政治評論家の森田 実氏と昼食をともにした。森田氏によると,首相は自身の国会答弁などを念頭に「もうちょっと柔らかく対応したい」と話したという。(引用終わり)

 この記事で,森田 実(1932年10月生まれ,84歳)が「再登場した事実」が分かったこと,それも安倍晋三首相の関係で出てきたことに驚く。森田については本ブログでは,つぎの記述で論及していた。
   ※-1 2016年08月21日「森田 実が語った『日本の対米従属』観とは」        

   ※-2 
2016年11月30日「安倍晋三政権の『傲慢と幼稚』さ(小沢一郎評)が顕著に露呈している,この日本国首相の田舎芝居的な『政治手腕(?)の有害性』が止まらない」
   
   ※-3 
2017年02月04日「森田 実 & ベンジャミン・フルフォードの主張」
 
森田実帯
  出所)これは,森田 実『アメリカに使い捨てられる日本』(日本文芸社,2007年4月30日発行)の帯,http://tokitei.exblog.jp/11612132/
 森田 実は7月2日,「驕れる者久しからず 安倍内閣支持率急落の衝撃」と題した記述のなかで,安倍晋三を批判していた。最後の3分の1ほどの段落であった。

★「李下に」を忘れた総理 ★

 政治権力者の立場にいる政治指導者は,国民が疑いを抱くようなことは,してはならないのです。このことを,古人は「李下に冠を正さず」といったのです。すももの木の下で冠を正せば,外からはすももをとっているようにみえるから,こんなことはしてはならないという意味です。安倍晋三総理以前の政治指導者のほとんどは,この言葉を守ろうとしてきました。

 ところが,安倍総理は,みずからが「腹心の友」と呼び,日ごろゴルフや食事をともにする親友の願いを達成させたのです。安倍総理自身は「自分は関係していない」「法的にはなんら問題はない」と繰り返し強調していますが,最高権力者として守るべき政治道義を,安倍総理は守る意思がないことが明らかになりました。

 最高権力者が,法的に問題なければたとえ政治道義に反することをしてもかまわない,という態度をとったとき,その政治権力者は国民の信頼を失います。日本国民はいま,このことに気づいたのです。しかし,安倍総理は,いまだ気づいていないようにみえます。

 加計学園問題の本質はここにあります。大切なのは政治道義なのです。安倍晋三氏と加計学園理事長が真の友人であれば,少なくとも安倍晋三氏が総理大臣のあいだは,新学部の新設問題は凍結しなければならないのです。政治権力者とその権力に従っている政治家たちが,「李下に冠を正さず」という政治道義をしらずに,親しい友に利益をもたらすような不純な関係を平然とつづけるならば,政治は乱れます。国民の「安倍離れ」は,政治道義に反する行為をつづける安倍総理への警告なのです。

 もしも安倍総理がこのことに気付かずに暴走をつづけるならば,安倍総理の落日は早まるでしょう。政権の大転落の胎動が日本においても始まりました。
 註記)http://www.jacom.or.jp/column/2017/07/170702-33057.php

 このように批判していた森田 実の意見を安倍晋三は,すなおにまっとうにそのまま,聞き入れることができるのか? はたして「聞き入れて・・・」としたら,安倍晋三はただちに首相を辞めねばなるまい。加計学園の獣医学部認可「問題」以前に,森友学園の小学校新設申請「問題」(そのほかにもいくつも問題があるが)に対する自身の関与さえ,安倍は全面的に否定しているのに,はたして安倍が,この森田のきびしい〔がいまの国民次元の政治認識からすればごく自然で当たりまえの〕の警告を,すなおに聞き入れることができるのか?

 森田 実がもともと,マスコミ界から干された事情については,こういう記述を参照しておく。いまから10年以上も前の話題であった。
   電通批判の代償は小さくありませんでした。あるテレビ局の幹部からは,「森田さんは電通批判というマスコミ界最大のタブーを口にしてしまいました。今後,森田さんにはマスコミの仕事はなくなります。残念です。さらばです」といわれました。

 各テレビ局からの出演依頼はなくなりました。ある新聞社の幹部は,「森田さんのいうとおりだと私も思いますが,電通を批判したとたんに,私の会社は潰れます。だからできないのです。電通は強大ですから」といっていました。
 註記)「日本のために電通を批判しテレビから消えた森田 実氏」『アメリカ:闇の支配構造と略奪戦争』2013年01月23日,http://blog.goo.ne.jp/nvno/e/b4456803597638d168df9648ca9dac1b
 補注)電通で発生していた過労死事件が「電通の違法残業,正式裁判へ 東京簡裁が略式起訴『不相当』」(『東京新聞』2017年7月13日朝刊)という経過をたどってきた事情は,前段のような電通のマスコミ界支配力を背景に観察すべき対象である。 
 安倍晋三の立場・思想からすれば,もっとも:一番嫌いな,蛇蝎のように嫌う言論人であるはずの森田 実が,この ③ の記事末尾のように登場していた。が,はたして,安倍晋三がどこまで森田の助言を活かせるがみものである。いまどき安倍政権の延長など,国民たちのほうからしたら,大多数が望んでいない。早く辞めてほしい,それだけのことである。原発推進派の首相,共謀罪まで施行したこの総理大臣である。
 安倍晋三電源喪失画像安倍晋三画像死ね
  出所)左側画像は,http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2016/03/post-6366.html

 ということで,森田 実は,安倍晋三の政権に長持ちしてほしいがために安倍に会ったのか? それとも,安倍のほうが,いまさら神妙になって森田に教えを乞うてきたのか? このあたりの事情がすっきりしないし,ずいぶんもやもやした〈後味の悪い印象〉を残している。

 どのみち,気味の悪い2人の邂逅である。万が一にでも,森田が安倍の延命策のための手助けするような関係を構築したと仮定できれば,いままでの森田(1932年10月23日生まれ,84歳)の言論活動は,いったいなんだったのかといった具合の疑問を惹起させるほかない。

 「安倍首相は,内閣改造で支持率低下に歯止めをかけたいと思っているようだ。たしかに稲田防衛大臣や金田法務大臣の発言はひどく,罷免を求める声が強い」。「だからといって,罷免させれば安倍内閣が信頼性を勝ちとれるかというとそうではない。国民にとって, “本丸” は安倍首相である。いよいよ『終わりの始まり』が迫っている」。
 註記)孫崎 享稿「内閣を支持しない理由の『本丸』は安倍首相の資質にある 日本外交と政治の正体」『日刊ゲンダイ』2017年7月14日,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/209490

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 【教育学のみならず日本の大学の学問全体が腐朽(液状化)しつつある時代】


 ①「文科省,教育大・学部に『統合を』少子化ふまえ」(『朝日新聞』2017年7月13日朝刊1面)

 文部科学省は少子化で教員の需要が減ることをふまえ,国立の教育大や総合大の教育学部に対し,

  (1)  総合大と教育大,教育大同士で教員の養成機能を統合する,
  (2)  同じ県内や近くの国公私立大で連携して教員養成を分担する

などの方向で,今後,大学側と話しあう方針を固めた。各地の国立の教育大や教育学部の縮小や廃止につながる可能性もある。

 文科省の有識者会議が〔7月〕12日,こうした方針で合意した。国立の教育系大学や教育学部は現在,ほぼすべての都道府県に44ある。有識者会議の最終決定を受け,同省は各大学に対し,2021年度末までに結論を出すよう求める考えだ。

 有識者会議は,いまの組織や規模のままでは「機能強化と効率性の両方を追求することは困難」と指摘。「小規模になる養成機能を大学の間で連携・集約する検討が必要な時期に至っている」とした。各大学・学部に対し,各地の教員需要の減少率にもとづき,入学定員を見直し,2121年度末までに結論を出すべきだとした。

 くわえて,大学や学部の統合のほか,国公立大にとどまらず,近くの私立大まで含めて連携し,採用者数が少ない教科の養成課程を集約したり,各大学が強みや特色を持つ教科ごとに養成機能を分担したりすることを検討するよう求める。国はとり組みの進み具合に応じ,財政支援を検討すべきだとしている。具体的には,統合のさいに完全に片方の大学や学部をなくすだけではなく,一部のキャンパスを存続させたり,小学校の養成課程だけを残したりする方法などが想定されている。(引用終わり)

 この記事を読んでまず感じたのは,日本の社会全体が縮小していく時代がはじまっているなかで,つまり,また高齢社会に至って子どもの人口比率が急激に減少していく情勢推移においては,小中学校の教師育成に関する基本需要も同時に,同じように対応するかっこうで減少していくのは当然である。それゆえ,この記事に説明されているごとき教育大学・教育学部の規模縮小が必然的に要求されるのは,当然の道理である。

 もっとも,日本の小中学校における「1クラス当たりの生徒数はまだ多い」といわれているが,2016年度におけるその人数は,小学校で26~35人,中学校で26~40人が最多の範囲になっている。関連した事情に触れていえば,児童・生徒数じたいの減少がいちじるしいために,地方の少子化が進んできた地域の学校では,それよりも少ない人数になるクラス編成も目立つ。以前よりすでに,小・中・高校を問わず,廃校になった学校がいくらもである。

 要は,教育学部の基本的な使命である教員養成に対する絶対的な需要が減少する時代であるから,教育系の大学・学部の定員枠を調整する必要が生じることは,ごくしごくの時代の要請であり,当然のなりゆきである。そこで,国立大学の教育大学や教育学部の定員総枠をどのように,そうした時代の趨勢に合わせて調整していくかが当面する検討課題となっている。

 ところが,さらに別の問題が残っている。この ① の記事はもっぱら国立大学の話題として報道されているが,当然といえば当然に,私立大学の「教育学部」などの関連も無視できない。ここで問題だというさい,国立大学と私立大学を同じ要領で文部科学省が措置できるのかという難題が残っている。国大が独立行政法人に衣替えしたとはいえ,核心の実体(あり方:学校法人としての特性)は以前とそれほど変わりない。

 この ① の記事が説明するとおり意図する方向に,私大教育系の大学・学部(学科)などが,国大に対するのと同じ要領でただちに編成替えができるかといえば,そうは問屋が卸さない事情が残っている。つまり,私大まで同じ要領でいじくることはできない。いったいどうする〔つもりなの〕か。

             

 ②「〈私の視点〉教育系大学の本分 ハウツー伝授だけでなく,森部英生(群馬大学名誉教授)」(『朝日新聞』2017年7月13日17面「オピニオン」)

森部英生画像
 この3月に大学を退職した。国立と私立を合わせ,いずれも地方の比較的小規模の大学で40年近く教員養成に携わってきて,大学は大きく様変わりしたと実感する。変わりはてたといってよいかもしれない。

 大学のサービス産業化,国立大学の法人化,第三者外部評価,学生募集の熾烈(しれつ)化と定員割れ等々,大学をめぐる変化は多方面に及ぶが,教員養成大学・学部・学科・課程においては,それがいちじるしく,地方では増幅して表われた。実務家教員の増加と教育内容・方法への行政関与は,なかでも気にかかるものだった。

 小中高の教育経験者が教員養成にかかわることは,教壇に立とうとする学生にとってたしかに有益である。教科指導,生徒指導,特別活動,保護者対応などの場面で,臨機応変かつ的確に対応できる「実践的指導力」のスキルは,実務家教員から伝授されるほうがよい。教育系大学・大学院において,実務家教員の比率を上げる施策が採られたゆえんである。

 しかし一方で,それが度を越して,教育の歴史・思想・原理に関する科目を脇に置き,大学もまた採用試験に向けての受験対策にことのほか熱心になっている。その結果,奥行きのない,力量不足の若手教師が学校現場に送り出される光景を,私はしばしば目撃した。
 補注)ここでいわれる「教育の歴史・思想・原理」とはなにか? この点は教育学だけの問題ではない。いわゆる「教養学的な諸科学」や「社会科学の諸領域」を極端にまで軽視してきた安倍晋三政権までの国家・教育観が社会の関心を呼び,また批判も浴びたことは,まだ記憶に鮮明にある。21世紀において日本の大学で顕著になった学問に関する基本の傾向は,「真理の探究」だとか「学問の奥義」だとかいった高尚な理念からは,さっさと離れておき,実際・実践に役立てばそれでいいといった風潮が伸してきたことである。

 大学で学生に教授する教育学の理念・思想や歴史・理論・体系が「大学の教育」として,いったいどのように創造・構築・展開されればよいのか,このことじたいがだいじな課題・論点であるはずの基本がおろそかになっている。この ② の森部英生が強調したい「昨今における教育学部の教授内容:教育の基本姿勢」に関する懸念であった。実は,この懸念は本ブログ筆者の専攻領域である経営学でも,だいぶ以前から同様にもたれていた。

 日本における経営学界の場合もやはり,実際・実践志向の教授態勢が強調されており,教員側の個性を活かす講義展開がはたして創造的に推進できているかという疑問があった。もちろん一部の伝統・有名校における,たとえばMBA(経営大学院)であれば相当に高度で密度の高い勉学を院生は課せられるけれども,一般の学部次元における講義の展開は多種多様(ピンからキリまでという意味)である。その授業品質の水準的なありようは,学生側の学力水準の問題(制約)もあって,教える側から率直にいえば「悲観的・悲惨的」と表現するにふさわしいほど,まさに惨憺たる状態にもある。この点はとくに非一流大学ではよく妥当する観察点になる。

 以上の指摘は経営学の分野では,市販されている当該「経営学教科書」を開いてみれば,そのおおよその「理論と実際」の水準・内容はしれる。その意味・関連でいっても,教育学部ならぬ経営学部(商学部などもあり)においても,① の記事におけるごとき当面の課題,いいかえれば「整理と統合」は「大いに必要」である。だが,こちら文系学部は実際には私立大学が非常に多い現状からして,この経営学分野の大学・学部を大々的にあるいは一気に “スクラップ&ビルド” するのは,至難のわざである。

 〔記事引用に戻る→〕 教育系大学・学部の訓練校化は,カリキュラムなどの細部にわたる行政関与によっても促進されている。教育系学部の設置認可申請にさいしての教科・教職科目のシラバス(授業計画)作成にあたり,学習指導要領をテキストか参考書に用い,これに準拠した到達目標をかかげて講義・演習をおこなうよう当局が指導・要請することはその一例である。授業をどう構成し,どのようなテキストを使うかは,本来,大学と教員の創意工夫や選択に委ねられるはずだが,逆らえば認可が危ぶまれるから〔といって〕求めに従うことになる〔ほかない〕。こうして当局とその背後に控える政権の意図するとおりにこと運ぶ。

 戦後わが国は,教員養成は師範学校ではなく大学でおこなう原則を打ち立てた。近時の強力な政策のもと,大学をとり巻く環境は厳しいが,広い視野と高い専門性を備えた教師を育てようとするなら,あらためてこの原則を想起すべきだ。教育系大学・学部も,広く知識を授け,深く専門の学芸を教授研究する学術の中心(学校教育法83条)として,実践の背景をなす豊かな教養や厚みのある教育学に関する科目を豊富に用意し,それを担当できる多様で学識に富む十分な数の教員を配置して,「真の学府」とならなければならない。(引用終わり)

 さて,この地方国大などで教育学部「教育」に長年携わってきた人物が,このように最近における教育学部教育のあり方に関して,いまさらにように「広い視野と高い専門性を備えた教師を育て」ることを訴えている。つまり,最近における教育学部(国大のことだが)は,「現場ですぐに役立つ教師の卵を育成することに急なあまり,ハウツーに力を注いで」いる現状を憂いでの提言が,あらためてなされている。

 前段で若干触れたが,経営学の研究においてもまったく同旨とみなせる「理論の質的な低迷状態」が,現在までもなお継続している。かつては,マルクス的な経営学が盛んであった時代が長く続いていたが,それで日本に革命が起きたというわけもなく,むしろ資本制企業経営に就職した人士として役に立つ「〈人的資源〉の養成」に,実質的には貢献していた。しかし,いまの時代はどうか? 経営大学院にかよって経営学修士を取得したら,会社の事業経営に達人になれないまでも,ただちに有益・有能の人物の育成が可能になれるという話にはなっていない。

 またいえば,会計大学院はすでに廃止した大学もある。法科大学院に至っては教育政策の完全なる失敗であったが(その3分の1はすでに廃校した),いまだに誰も責任をとる気配はない。あれほどこの大学院の必要性と緊急性を声高に唱えていた人物たちは,まだ健在であるが,いまではしらんぷりを決めこんでいる。

 以上の議論でいうと,経営学部の場合よりも教育学部の場合のほうが全般的に,教育現場(実際・実践の世界)への親近度がより密接である。それだけにハウツー的な大学教育に対して論者は異議を申し立てている。経営学部(経営大学院ではなく)では経営教育の問題は,相当に抽象の空間において議論せざるをえない課題になっているせいで,いまひとつ現実味を欠いている。

 だが,教育学部は現実に毎年度,教師を育成しては現場に届けている。その違いは大きいだけに,卒業後「教職免許」を取得した者たちにとって,小中高学校のうちのどの教育の場所であれ,自分たちが大学で学んだ知識や方法が「理論と実際」の展開としてどのように応用されうるかは,現実の問題として肝心な点である。

 教育大学や教育学部(ここでは国立大学)が漸減されざるをえない事情はよく理解できるにせよ,その教育内容に関する理念(理想)や本質(方法),技術(実践指導)の研究が,おろそかにされていい事由はなにもない。それにしても,私大の関連が議論のた対象としてカヤの外という印象を避けえない点は,「国家次元の文教政策」の同じ対象であるのだから,いささかならず奇妙であった。

 付言。本日〔2017年7月15日〕の『朝日新聞』朝刊には現在,津田塾大学客員教授になっている村木厚子(むらき・あつこ,1955年生まれ,元厚生労働事務次官。累犯障害者を支える「共生社会を創る愛の基金」,若い女性を支える「若草プロジェクト」で活動中)が登場していた。

村木厚子本表紙画像 国家官僚上級職(総合職)などの人材は,20世紀の終わりころから,ほとんど無条件であるかのようにして,大学の教員資格を認められている。この村木厚子がどうのこうのという指摘ではなくて,そうした大学教員の要員化がときに「大学教育」の液状化現象を,間違いなくもたらしている事実もあった。
 註記)右側画像は日経BP社,2011年発行。

 蛇足の話題。……同類の人士のなかには,以上のような本ブログ筆者からの指摘を実際に受けて(刊行物の理論的性格に関する批評をくわえていた),非常に立腹の様子を反応としてみせていた者がいた。それは,彼(彼女)自身の理論面における問題性のありかを指摘したに過ぎないのであるが,どうやらその人の「負的な(?)琴線」に触れるものがあったらしく,過剰反応を示していた。

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 【大学は出ても多くの若者に人生設計を立てさせえない「高等教育制度の立ち腐れ状況」】

 【金融会社の事業対象を提供するためになっている大学教育用「貸与型奨学金」は育英資金とはいえない】

 【国公立大学と私立大学との諸格差は現状のままでいいのか】



 ①「〈やりくり一家のマネーダイニング〉ライフイベントとお金 (2)  大学入学前に500万円ためて」(『日本経済新聞』2017年7月12日朝刊)

 1)まえおきの話題
 この記事を引照するまえに,しばらく断わり的に語っておきたい論点がいくつかある。この関連の記述が 4) までおこなわれてから,この ① の本来の記事が ② に入って紹介され議論されるので,先に断わっておく。

 大学進学のために一定限度,経費がかかることは当然の話:なりゆきである。だが,若者がこのさきの人生全体をかけるかたちで,それも必死になって返済しなければならない「日本学生支援機構の貸与型奨学金第2種」は,ときに返済できない事例を多く発生させている。そのような都合の悪い借金を背負うことになっても,なぜ,大学までいかねばならないのか?

 大会社あたりに就職(就社)できるのは,大学卒業生(大学院修士課程も含めて)3人に1人だといわれた時代もあった。この昔のイメージで考えれば,大学を出た若者はだいたい大企業に就職できる〔機会がもてた〕みたいな印象があったが,いまではこれは幻想である。大学は出たけれども,ブラック企業に就職してしまい,その後の人生をメチャクチャにされた人もいる。自分の思いとはまったく異なった仕事の実際に失望して会社を辞める人も,大勢いる。

 学校を卒業してから3年で「就いた職場を離れる大学生3割,高校生5割,中学生7割」が通り相場になっている。このみたては,それぞれの単純平均的な表現になっているゆえ,話はそう簡単に総括できるものではない。ともかく大学を出たからといって(一流大学で)も,卒業後の進路が順調にいかず,自分の人生の航路をうまく定められずに漂流している若者たちも多くいる。

 こうまとめていっておく。最近,リクルートが算出した統計によると,従業員1000人以上の大企業の求人数の合計が約14万人であった。しかし,これには学生が嫌う営業職や保険セールスなども多分に含まれている。それゆえ,大企業からの求人数は,大卒者全体(短大・高専も含めた約65万人とみなしておく)に対して2割以下である。もしかしたら実質的には1割の前半台になっているかもしれない。

 2)大卒求人倍率調査(2018年卒:現在4年生に対する調査)
 いつも触れることであるが,そうした昨今における新卒市場の求人倍率とはいっても,最近の労働経済的な諸情勢はいちじるしく不均衡というか,規模別・業種別にデコボコした特徴を現わしている。リクルートワークス研究所が『Works Flash』2017年4月26日に公表した「第34回 ワークス大卒求人倍率調査(2018年卒)」は,最初にその概略を,つぎのように説明していた。( ↓  画面 クリックで 拡大・可〔以下も同じ→〕大きく鮮明に映る
大卒求人倍率図表1
 求人倍率は前年と同水準だが,従業員規模間,業種間の倍率差は拡大しており,流通業,建設業において採用しにくい環境が続く,来春2018年3月卒業予定の大学生・大学院生対象の大卒求人倍率は1.78倍と,前年の1.74倍とほぼ同水準である(前年より+0.04ポイント上昇)。

 全国の民間企業の求人総数は,前年の73.4万人から75.5万人へと2.1万人増加した(対前年 増減率は+2.8%)。一方,学生の民間企業就職希望者数は,前年42.2万人とほぼ同水準の42.3万人であった(対前年増減率は+0.3%)。
大卒求人倍率4
 従業員規模別の求人倍率をみると,従業員300人未満では6.45倍と,前年の4.16倍から+2.29ポイント上昇した。また,従業員企業5000人以上では0.39倍と,前年の0.59倍から-0.20ポイント低下したため,従業員規模間の倍率差はさらに拡大した。業種別の求人倍率を見ると,流通業は11.32倍と,前年の6.98倍より+4.34ポイントの大幅増。建設業は9.41倍と,前年の6.25倍より+3.16ポイントと大きく上昇した。
 註記)http://www.works-i.com/pdf/170426_kyuujin.pdf  この文書において要点をなす関連の図表もつぎのかかげておく。
 この「第34回 ワークス大卒求人倍率調査(2018年卒)」が指ししめす数値は,大企業の求人倍率はきわめて不調であり,さらに賃金など労働条件の相対的に低い業種(しかし人手不足である職種)からの求人の増加を表現している。大学を出たからといって,いわゆる「いい会社,世間体のよい企業」,昔風にいえば「花鳥風月」のそろった勤務先に就職(就社)できるわけではなくなっている。いまでは完全に「昔話」になっている。

 3)「花鳥風月」ということばがあった
花鳥風月画像 ともかく説明すると,「花鳥風月」とは,つぎの4拍子がそろった会社のことをいった。しかし「今は昔」の話であって,バブル経済が破綻する以前における「世間話」の材料であった。

  花: 花形産業   長: 長期休暇
  風: 社風がよい  月: 月給が高い

 いまでは,この「花鳥風月」の代わりに「ブラック企業」という名称が,もっぱら世間の注目する話題である。まさしく天地の差ともいえる話題の変遷が,1990年ごろを境に,それも21世紀になると定着してしまっている。いずれにせよ,いまどき大学を出たからといっても,ただちに未来を保証してくれそうな「安定した大きな会社」に,誰も彼もが就職できるわけでは全然ない。
 出所)右側画像は,http://vmagumav.blog96.fc2.com/blog-entry-201.html
 補注)このごろは日本の企業で
「安定した大きな会社」でも,経営にゆきづまるところが多く発生している。その端的な日本が東芝である。原発事業を拡大させて失敗した。

 4)ピンキリである「日本の大学の〈上下の多様性〉=質的な格差」
 そもそも,大学そのものが大衆化:多様化しすぎていて,大学といっても千差万別である。なお,日本の大学数は2016年10月1日現在において,国立86校で 11.1%,公立88校で 11.4%,私立600校で 77.5%の計774校である。ほぼ「千」「差」である。さらに学部の種別・特性も考慮していえば,「万」「別」とまでもいえそうである。だが,問題はその「差と別」に関する実際の中身である。

 それは「東大・京大の医学部」次元で頂点に位置する大学・学部などから,非一流大学(3・4流?)次元において「大学の教育」とは名ばかりで,高等教育などにはとうていいえず,それがまったく成立しえていないような底辺(?)の「埋没(泥沼)的な大学・学部」までを網羅する話題になってもいる。

 21世紀の現段階において,大卒者が「花鳥風月」的な就職先を求められる可能性を与えられているのは少数派(2割に満たないの)であって,いまどきの大学を卒業したくらいでは,一流大学以外の在籍者がする就活がこの「花鳥風月」(=「青い鳥」)を求められる可能性が大いにある,などと思いこんではいけない。一流大学の学生でなければ,その「進路」に立ち入ることすら至難の業である。

 ②「 ① の『日本経済新聞』記事」の引用など

 --① の本題に戻って引用する。

 筧(かけい)家では友人の結婚式から帰宅した恵を囲み,「人生,いくらお金がかかるか」を話題にダイニングテーブルでだんらんしています。結婚と出産の話題が一段落したところで,良男が引き菓子のバウムクーヘンをほお張っていると,恵が突然,話を切り出しました。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『日本経済新聞』2017年7月12日夕刊マネーダイニング
 恵  ところで子供を育てるのって,いくらぐらいのお金が必要なのかしら。

1jpg 良男 むむっ! 恵,やっぱり決まった相手が……。

 恵  結婚,出産の次は育児でしょ。「子供1人あたり1000万円」って聞いたことがあるけど,なんの費用かしら?

 幸子 教育費のことね。文部科学省によると,幼稚園から高校までの授業料や給食費,学習塾,習いごとなどにかかった「学習費」の総額は,すべて公立に通った場合で523万円。日本政策金融公庫によると,国公立大学の受験費用や授業料などの総額はおよそ485万円。合計で1008万円になるわね。

 良男 幼稚園からすべて私立だと,大学が文系なら2465万円,理系だと2650万円か。弟の満にはがんばって有名国立大学をめざしてもらおう。
 補注)有名国立大学は大学のごく一部だから,誰でも入れるわけではない。ここで出されている話題は,あまり現実的な対象にはなりえない想定話である。幼稚園2年・小学校6年・中学校3年・高校3年・大学4年の計18年でもってごく単純に2650万円を割ると,1年あたり147万2222円になるが,話はそれほど簡単ではない。さらに付随してかかる経費(学習塾や家庭教師など)は,ごく平均的な世帯・家計にはたいそうな負担である。

 単純総平均した日本の労働者1人あたりの年間収入は,このところ税込みで4百数十万円付近をうろついている。一流企業(上場会社)の勤務者であっても,その平均年収は7百から8百万円とみておくと,子どもの教育費にかかる負担は家政のなかでかなりの負担になっている。

 本ブログ筆者が購読している新聞紙は,毎週,定期便のように「進学塾の宣伝ちらし」がたくさん挟まれて配達されている。これは気のせいではなくて,以上に言及しているごとき「家計における教育関連費の〈負担の重さ〉」を反映する事象である。受験産業は大いに栄えている最中であるが,はたして,日本の教育そのものがよりよく生育・伸張しているのかといえば,これには疑問のほうが大きい。

 恵  そんなにたくさんのお金を準備できるのかしら。

 幸子 とくに高校卒業後の教育費を不安に思う人が多いわ。義務教育の小中学校は授業料はかからないし,高校も世帯収入が一定以下ならば授業料を上限に国から就学支援金を受けとれるけれど,大学などの費用は自己負担と考える人が多いようね。

 恵  いつまでに,いくらためればいいという目安は?

 幸子 ファイナンシャルプランナー(FP)の菅原直子さんは「子供が高校3年の夏を迎えるまでに,国公立大の4年分の授業料などがまかなえる500万円以上が最低限の目安」と助言しているわ。実際,国公立大で4年間なら500万円程度はかかるとの統計はいくつかあるの。私立大の4年間は無理だけど,入学料や初年度の授業料など入学時に支払う初年度納付金には十分なので,お金が足りずに進学できないという最悪の事態は避けられるわ。
 補注)以上の話題は,大学生の日常にかかる生活費や修学費は計算に入っていない。また,家計にとっては,ほかの大きな項目となる「家のローン支払い」(現在の問題)や「老後への蓄え資金」(これは後段に出てくるが,将来の問題)などの課題もある。つぎの「良男」の語る内容は,当然それらもこみにしているはずであり,その程度には余裕がある世帯・家庭に関する話だとして,つづけて読んでいく。

 良男 18年間で500万円ならなんとかなるかもな。収入が増えたり,やりくりがうまくなって家計にゆとりができたりするかもしれないし。

 幸子 計画的にコツコツと準備しなきゃだめよ。内閣府によると,子育て全般にかかる費用は教育費がほとんどかからない0歳でも71万円(預貯金など除く)。中学3年の141万円までほぼ右肩上がりで増え続けるから,あとで楽になることはないし,準備する期間が長いほうが1カ月あたりの負担も少なくてすむわ。だからFPの菅原さんは「教育費は子供が生まれた直後からコツコツと備えるべきだ」と指摘しているの。
 補注)この想定話に関していえば,とりわけ母子家庭の子どもの教育費問題としてどう考えればよいのか,という点が気になる。こういった領域において前提条件となるべき論点は,つぎの論及を充てて紹介しておく(「母子家庭の年収はいくら?  平均所得と生活費の実態とは」『ママ神』2017/04/15 参照)。
   母子家庭になるとグッと年収が下がり,生活が苦しくなる。同じひとり親でも男性に比べて女性の場合は平均年収が低く,自治体からの手当が欠かせないという家庭も多いのである。2011年度の厚生労働省による母子家庭調査では,つぎの平均年収である。

  ※-1 母子家庭平均年収:約291万円(母単独では約223万円)

  ※-2 父子家庭平均年収:約445万円(父単独では約380万円)

 ひとり親家庭になる理由は離婚がもっとも多く,平均年齢はこうである。,

  ☆-1 母子の場合は39.7歳(末子の平均年齢は10.7歳)

  ☆-2 父子の場合は44.7歳(末子の平均年齢は12.3歳)

 なかでも母子家庭の平均年収が低い理由は,安定した収入がえられないせいである。母子家庭ではパートタイムで働いている人が多く,仕事をもつ家庭は約80%,パートやアルバイトで働いている方は約50%である。

 それに比べて,父子家庭では約90%以上の世帯が仕事に就いており,パートで働いている人は約10%以下となっている。つまり,父子家庭に比べて母子家庭は正社員として働く方が少なく,このいために,平均年収が低いという現状になっている。
 註記)このほか母子家庭に対する扶助制度など関連も説明されているるが,ここでは参照しない。引用は,http://god-of-money.com/20170415-1/ 
 〔記事本文に戻る↓〕
 恵  教育費はどんな金融商品で備えたらいいのかしら?

 幸子 預貯金や,中途解約しなければ一定の上乗せが期待できる学資保険が一般的ね。投資信託は値上がりすればいいけれど,お金が必要なときに値下がりすると教育費が足りなくなる可能性があるわ。損失を補填できるだけの資金を別に用意できるような人以外は,元本を確保できる金融商品が無難ね。
 補注)ともかく,教育関連のなんでもかんでもが「金融業の商売の種」になっている。教育費は,親(保護者)にとってみれば,子どものためであるために無条件で支出ができる「人生過程での費用項目」であるから,「学費保険」のような商品が日本ではとくに流行っている。

 一定以上の収入がある世帯・家計であれば,この学費保険とは距離がおけるし,無縁でいられようが,平均年収あたり(単純でいっても,または一流会社勤務のサラリーマンのそれでも)の所得層に属する人たちにとってみれば, この学費保険はどうしても必要な金融商品になっている。


 学費保険市場の旺盛ぶりがそのように存在するとしたら,その裏返しの現象として指摘できるのが,日本の大学の学費など(納入金)の異常な高さである。日本学生支援機構の「金融商品である貸与型奨学金(第2種)」は,この機構を介した金融資本会社の儲け先になっている。

 その事実は,日本の高等教育にかかわる経費問題,いいかえれば国家予算の質的なあり方の問題を示唆する。国民の側でもまだ,高等教育のためにかかる費用は世帯・家計で負担すればよいものだという思考方式が根強くあって,日本の大学問題のあり方を改善(改革)するさい「特定の障害」になっている。


 恵  最近は「教育資金贈与信託」が人気だそうよ。これを使えば将来,パパから贈与してもらえるかしら。

 幸子 祖父母から孫などに1500万円までを非課税で贈与できる商品ね。ただし,使い道は教育資金に限られるの。しかも祖父母の老後資金が足りなくなったとしても返せないので注意が必要よ。
 補注)この段落は一度読んでもすぐには分かりにくかったが,国家の責任を家庭(「家族の絆」?)のほうに「責任を転嫁させる」ような施策にも受けとれる。国家側の文教政策の貧困を,戦後日本の経済発展に貢献してきた段階の世代に,さらにつけまわしするような愚策である。

 恵  パパとママの老後資金が不足したら困るしね。

 幸子 児童手当という公的な支援制度もあるわ。中学校卒業まで受けとれるの。子供の年齢や人数,世帯年収によって子供1人あたり月5000~1万5000円が支給されるわ。

 恵  結構な金額ね。

 幸子 児童手当で将来の教育費に備えることを勧める専門家は多いわ。たとえば2歳まで月1万5000円,3歳以降は同1万円を受けとれる場合は中学卒業までに約200万円になる計算よ。さらに毎月1万円ずつ積み立てたり,ボーナス支給時に積立額を増やしたりすれば高校3年夏までに500万円をためるのは難しくないわ。

 恵  高校卒業後の教育費も不安だけど,育児休業からすぐに復帰できるかも不安だわ。厚生労働省によると,保育園などの待機児童は3年連続で増えそうなんでしょ?

 幸子 そうした状況に対応するため,育休の制度が10月から変わるわ。現在は保育園に入れないなどの理由があれば子供が1歳6カ月になるまで育休をとれるのが,2歳まで延長できるの。雇用保険の加入者で条件を満たせば平均給与の67%または50%を育休中に受けとれる「育児休業給付金」も2歳まで受けとれるようになるわ。

 良男 子育て支援も充実しつつあるんだな。

 幸子 意外としられていないけれど,従来は2カ月ごとに申請して受けとっていた育児休業給付金が,今年1月から希望者は1カ月ごとに受けとれるようになったの。社会保険労務士の佐佐木由美子さんは「毎月受けとれれば,やりくりしやすい」とみているわ。また,自治体ごとに子供の医療費を無料化したり,ひとり親世帯を支援する手当を支給したりしているので,困ったときは自治体の窓口に相談してみるとよいわね。
 補注)このあたりの話題になると,まあほぼ,ないよりは・やらないよりはマシという程度のものにしかなっていない。私もボクも相手をみつけて結婚し,たくさん子どもを産んで,というごとき「生活設計をしたくなる気分」に誰もがなれるかといえば,大学を出ても20歳後半の世代の若者男女が「結婚したくなったら,すぐに世帯・家庭」を作れるための収入,年収で見計らえばせいぜい5百万円はほしい。
 補注の補注)最近における大卒初任給(いちおう一流企業)を月給俸給を21万円とみておき,これを18倍して年収に計算すると378万円(もちろん税込み)である。年功制賃金体系がくずれつつある昨今である。会社ごとに大きく人事・労務の事情が異なっているが,以前のように従業員が年功序列賃金を受けとれるのだと,絶対的には保証しにくい時代になっている。

 だが,それ(年収5百万円)は,現在における日本の勤労者の「単純平均年収」よりも大きい:高い数字である。年収が不足する分は,国家・自治体が若い世帯・家庭を扶助する社会福祉制度の整備によって補えばよいのであるが,こちらがまだ不備である。例外的に若者人口や子どもがいくらか増えている地方の自治体(過疎化や人口減少に悩んできたところである)では,若い夫婦年齢層に子ども手当関係を厚くほどこしている。

 ※ 関連記事 ※  「 奨学金利用,子供任せにしない;ファイナンシャルプランナー 菅原直子さん」

 教育費が足りない場合は奨学金の利用も選択肢です。大学や地方自治体などにさまざまな奨学金制度がありますが,募集人数や受給条件などから利用しやすいのは,日本学生支援機構の「貸与型」です。同機構は今年度から返済不要の「給付型」も始めましたが,こちらは低所得世帯などが対象。貸与型だと大学に通う場合で最高で月12万円まで借りられます。

 その場合,4年間利用すれば元本だけで500万円以上の返済が必要です。社会人になりたての一人暮らしだと,初任給から返すのは難しいでしょう。子供だけに任せず,どの大学で学ぶか,就きたい職業はなにかやその収入で返済できるかなど親子で話しあい,利用の可否を決めましょう。「国公立大で自宅通学なら学費を出せる」などできることを伝え,子供自身に考えさせることが大切です。

 ③ 現状の大学制度-国公立と私立の現状のごとき混在状態は異常ではないか-

 大学進学の実際では2割強の若者しか「国公立大学」にいけず(合格しない〔?〕),それも自宅から通学する条件を実現させることは,かなりむずかしい。この解説記事からはまだ説明されていない,さらなる大学進学事情をしっておく必要がある。

 このあたりの問題については「大学生の自宅・下宿割合の推移をグラフ化してみる(2016年最新)」『ガーベージニュース』(2016/04/11 10:40)が,関係する分析をおこなっている。関連する図表も引用する。以下に引用するまとめは,独立行政法人日本学生支援機構が2016年3月29日に発表した「2014年度学生生活調査」などの内容をもとに,大学昼間部における居住形態の推移である。

 a) 同じ大学生でも居住形態が異なると通学時間は大きな違いをみせる。さまざまな事情があるにせよ,一般的には実家通いの方が通学時間は長い。大学昼間部全体の推移だが,全般的には下宿と学寮が4割強,自宅が5割強である(これはつぎの図表について,これらを加重平均しての話である)。
大学生居住形態
 b) 私立大学生の場合,直近の2014年度では6割強が自宅通い。下宿などの利用者は3割強に過ぎない。国立の下宿利用率7割近く,公立の6割強とは大きく差が開いている。
大学生通学形態自宅か否か
 この事情は大学の立地・地域性(私立大学は国公立大学と比べると数が多く,地域分散度合いが大きい)にもよるが,それ以上に学費負担の大きさが影響していると考えてよい。見方を変えれば,費用負担の面で公立・国立大学だからこそ,下宿などが許されやすいともいえる。

 私立大学生はもともと自宅通いの比率は高かったが,さらに増加の動きを示している。公立・国立に大きな変化がみられないのと比べ,特異な動きといえる。
 補注)前段に記述されているとおりであったが,「私立大学は国公立大学と比べ」て,その「学費負担の大きさ」にもヨリ問題があった。ここにも,日本の大学における核心の重大な問題が表現されていると解釈してよい。この指摘はしごく当たりまえのことがらであり,なにもむずかしい解釈でもない。だが,それだけにかえって「疑問に感じない基調(大学観)」が世論のなかに控えているだけに,この事実じたいに疑問が強く抱かれて当然である。

 c) 私立大学生の自宅通い率は,2000年度から2014年度にかけて7.6%ポイントの増加。学寮利用率はほぼ横ばいで,下宿利用率が確実に減っていることを合わせてみると,実家世帯では学費などの負担が重く,さらに負担が予想される下宿での修学を断念し,実家通いの選択をする事例が増えていることが考えられる。

 昨今では大学でも学生不足の話をよく耳にするようになった。今件状況をみるに,とくに私立大学では学費を安くすればよい感もある。しかし,単に学費を安くするだけではチキンレースとなりかねず,大学側ではむしろ予算不足が叫ばれている昨今,中長期的にはよい施策とはいいがたい。
 註記)http://www.garbagenews.net/archives/1989690.html

 学校法人は営利企業ではないゆえ,「研究と教育」のなにを「チキンレース」でもって競うかという問題になると,そのような方途(私立大学がいまのままで学費値下げ競争をしていったらどうなるか?)に向かい,日本の大学全般が進んでいるとしたら,肝心の高等教育のあり方じたいを,落ちついて抜本的に再考すべき立場が宙に浮いてしまう。

 国公立大学と私立大学の間には,まだ「たしかに異質である問題」が厳然と控えているけれども,両者のあいだにあって「共通する基本の問題」に関しては,なぜ学費(納入金)が双方において大きく異なるのかという点が,これまで推移してきた事情のまま〔私立大学の水準(金額)に平行的に相対させて国立大学も授業料を値上げしてきたこと〕で,はたしていいのかという地点にまで,問題が逢着している。けれども,こうした問題意識を本気になってとりあげ議論する論者はほとんどいない。

 とりわけ先進国のなかでは,アメリカは別事情として置いておくが,日本の大学における「高額すぎる学費(納入金)」が問題であった。また,給付型奨学金にせよ貸与型奨学金にせよこの奨学金制度の問題もからめていうに,日本の「高等教育問題」は,国公立と私立の大学間においてその経営基盤には,もともと質的に大きい差異が前提されていた。にもかかわらず,このもっとも根本的であり,それもはっきりとみえている論点を,いったいどのように改善・変革すべきかを,真っ向から議論する専門家もほとんどいない。
 補注)ここでは当然,文部科学省の責任が大きく関係してくるはずであるが,ひとまず触れないでおく。別途まとめて議論する材料ゆえ,ひとまず留保するかたちにする。

 本日〔2017年7月13日〕の『朝日新聞』朝刊には国立大学教育学部に関して,ある政策変更に関した報道がなされていた。教育学部(教育学科)は私立大学には少ないからといって,単に国立大学だけの問題ではない。ところが,あたかも国立大学側の次元だけで論じられるかのように事態が進行している。これには疑問があるが,具体的な検討は次回にしたい。(執筆しだい,⇒「ここにリンクを張る」つもりである)

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 【 秀 逸!「Abe  is  over」(替え歌)

( ↓  下の「出所」をクリックでユーチューブの動画に移る)
Abe is over 画像マイページ
出所) https://www.youtube.com/watch?v=lnYOtOl318Y


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真性のばかかAbeは画像
出所)https://twitter.com/nonowa_keizai/status/380444878913556480/photo/1
補注)この画像は「



 【長野県立大学と東京大学とが同じ要領(紙面)で大手紙の全面広告を出す「社会経済次元での合理的な計算根拠」,および「教育社会面での需要充足的な必要性」があるのか疑問が大きい】



 最初に,昨日〔2017年7月11日〕と本日〔7月12日〕の『朝日新聞』朝刊に広告特集的に出稿されていた大学広告を,その一部だけであるが紹介しておく。この全面広告に登場するそれぞれの大学に注意しておきたい。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2017年7月11日朝刊19面大学広告特集
『朝日新聞』2017年7月11日朝刊大学全面広告20・21面
『朝日新聞』2017年7月12日朝刊大学全面広告22・23面

 ①「新県立4年制大の名称は『長野県立大学』 定員240人,2割『県民枠』」(『産経ニュース』2016.3.16 07:03 更新)

 これは1年4ヶ月前の報道であるが,本日の記述にとって前提になる内容が伝えられていた。

 --県短期大学(長野市)を改組し,平成30〔2018〕年4月の開学をめざす新県立4年制大学の設立準備が加速している。県は名称を「長野県立大学」と決定し,2月定例県議会はキャンパスの建設工事費など20億4500万円を計上した平成28〔2016〕年度県一般会計当初予算を可決した。入試の概要案も固まり,県は〔2016年〕3月15日までに県内の各高校に通知した。県立大学設立準備課は「これからは学生募集に向けた新たな段階に入る。入試概要を広くしってもらい,高校生たちの関心を引きつけて志願者確保に結び付けたい」と話している。

 「長野県立大学」の名称は,公募でもっとも多く寄せられ,簡素で分かりやすいことなどが評価された。〔3月〕14日に開かれた大学設立委員会(委員長・安藤国威(くにたけ)ソニー生命保険名誉会長)でも異論はなく,県は10月の文部科学省への設置認可申請をこの名称で行う。また,素案段階で県内の私大と学生募集で競合すると指摘されていた「総合マネジメント学部・学科」については「グローバルマネジメント学部・学科」に変更した。
 補注)文中に登場した安藤国威(1942年生まれ,下掲の画像)は東京都出身,東京大学経済学部卒,1969年にソニー株式会社入社, 前代表取締役社長出井伸之の会長就任後,ついで社長に就任した。出井時代の2003年のソニーショックによる著しい業績の悪化を受け,2005年6月に出井会長とともに引責辞任。 その後,ソニー顧問,ソニー生命保険代表取締役会長を歴任した。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
安藤国威画像
出所)https://www.youtube.com/watch?v=IW1FyhY0Boo

 入試概要案によると,大学入試センター試験と個別学力試験でおこなう一般入試が分離・分割方式の前期日程で実施し,中期か後期の複数日程を設けることを検討している。高校の校長推薦については全学部学科を対象として平成29〔2017〕年11月の実施を予定する。学業成績だけによらない自己推薦は同12月,グローバルマネジメント学部・学科と健康発達学部こども学科でおこなう計画だ。校長推薦と自己推薦には「県民枠」を設け,入学定員全体(240人)の2割程度を県内の高校から選抜する。

 一般選抜では,リーダー人材の育成に期待がかかるグローバルマネジメント学部・学科(定員130人)がセンター試験の外国語を必須教科とし,国語,地歴・公民,数学,理科から3教科を選択する。個別入試は英語と数学,小論文,面接の組み合わせを検討している。また,センター試験で健康発達学部の食健康学科(同21人)は,国語・外国語・数学・理科の4教科,こども学科(同25人)は,国語・外国語・地歴・公民・数学・理科の5教科でそれぞれおこない,個別入試は小論文と面接を中心に検討している。

 校長推薦は,いずれの学科も高校1校に1人として小論文と面接をおこない,調査書の評定平均値は4.0以上とする。英語検定やTOEICなどで一定以上の語学力を有する志願者には加点する。推薦選抜の入学定員は,校長推薦がグローバルマネジメント学科30人,食健康学科9人,こども学科12人。自己推薦がグローバルマネジメント学科10人,こども学科3人とした。入試の配点や日程などの詳細は6月ごろに発表する予定だ。
 註記)http://www.sankei.com/region/news/160316/rgn1603160065-n1.html

 日本の大学史のなかではかなり遅めの,いまの時期になって県立短大を4年制の公立大学に編制替えしたこの長野県立大学であるが,入試の方法(メニューなど)そのものに関する吟味はさておき,県内の受験生に対する優先枠を置かないことには,公立化した大学(私立大学から編成替えした大学の話)が一般的に体験してきている受験生の広域化にともなう「入試難易度が高まる現象」によって,地元出身の高校生がはじかれる事態を極力事前に防止しようとする対応策である。

 この長野県立大学が予定している学部構成は,こうである。2学部合計での定員は240人(次掲を参照),大学全体での総定員(学生収容人数)は960人である。すなわち大学としては小規模であり,さらに私立大学であれば通常は,なにか特別の財政支援が別途に確保できていなければ,大学経営じたいが成立しにくい規模である。
 
  ※-1「グローバルマネジメント学部グローバルマネジメント学科」(グローバル・ビジネスコース・企(起)業家コース・公共経営コース) 170人

  ※-2「健康発達学部には食健康学科」(管理栄養士・栄養教諭養成課程 30人),こども学科(保育士・幼稚園教諭養成課程 40人) 70人
 註記)http://www.u-nagano.jp/about/index.html#A_kouseih

 ② 長野大学公立化事情

 1) 設立事情
 さきに断わっておくと,① に言及した長野県立大学(2018年度開設予定)が本日〔7月12日〕の『朝日新聞』朝刊に出した全面広告は,当然のこと長野県予算の経費負担によって賄われている。だが,これがまったく私立の大学として新しく創立される場合であるならば,よほど財政基盤の安定したというか余裕のある学校法人でなければ,前掲のような全面広告はかかげることができないはずである。

 ここではつぎに,① の長野県立大学の設立そのものについての話題ではなく,同じ長野県でも上田市に設立されていた長野大学に関する,しかもこちらは,私立大学(4年制)だった同大学が学校法人主体を変更させて,公立に移管するに至った事情に注目する。これに関する時系列的な解説があるので聞いてみたい。

 a)  2015年6月3日。 公立大学への移行の是非を協議した上田市の検討委員会は,公立化を「是とする」報告書を市長に提出した。検討委員会は,市長が「中立の立場で意見を聞きたい」として研究者・市民代表ら13人で発足,2014年11月から2015年5月まで8回の会合をもった。委員長を務めた白井汪芳信州大名誉教授は「できれば来〔2016〕年度入試に間に合うようにしたい」と述べた。市長は5月に実施したパブリックコメントの結果なども踏まえて,最終判断することになった。

   b)  2015年8月21日。 上田市が,2016年度の長野大学公立化に必要な関連議案の市議会9月定例会への提出を,見送ることが判明した。市と市議会の懇談会では,議員間に公立化した大学の将来像が不明確で,来〔2016〕年度の公立化は拙速との意見も多く,市の財政負担への懸念も出された。これらから市は,9月定例会への議案提出を見送った。

 市側は2017年度の公立化をめざす見通し。公立化には,公立大学法人の定款や同法人評価委員会の設置などを盛った議案を,市議会で可決することが必要になる。市は可決後の手続に必要な期間を約6か月とみており,2016年度からの移行には,9月定例会での議案可決が必要としていた。これを受け,長野大学側は2017年4月の公立移行をめざす方針を示した。

 c)  2016年6月27日。 上田市議会6月定例会において公立大学法人長野大学の設置にかかる定款等を含む関連議案が全会一致で可決。長野大学は長野県に対し公立大学法人設立の認可申請を行い,2017年4月1日をもって公立に移行することになった。
 
 d)  2016年9月30日。 上田市より長野県知事に公立大学法人長野大学設立認可を申請する。学校法人長野学園より文部科学大臣に学校法人長野学園の解散及び長野大学の設置者変更認可を申請する。

 e)  2016年12月1日。上田市は長野大学公立化に関する検討委員会委員長を務める白井汪芳・佐久大学信州短期大学部学長(信州大学名誉教授)を公立大学法人長野大学の理事長に任命する方針を固めた。
 
 f)  2016年12月20日。 上田市に対し長野県知事より公立大学法人長野大学設立が認可される。学校法人長野学園に対し文部科学大臣より学校法人長野学園の解散およ長野大学の設置者変更がそれぞれ認可される。
長野大学地理位置
出所)グーグル・マップより。
(「画面 クリックで 拡大・可」で参照されたい)
左側が長野県,右側は群馬県・埼玉県。
 長野大学が公立に移行したあとの経過は,こう解説されている。

 g)  2017年4月1日。 公立大学法人長野大学設立記念式典・長野大学開学式を挙行し,公立大学に移行した。これまで本学は志願者・合格者・在学生についていずれも8割前後を長野県内出身者が占めてきたが,2017年度からの公立化決定を受け人気が高まり,県外からの志願者が急増した。

 公立大学となるものの,2017年度一般選抜試験については,他の国公立大学と横並びの選抜方法は採用せず,これまでどおり教科数を縮減した独自の入学試験方式を存続させたこともあり,全国受験生とその保護者らからの注目を集めた。入試倍率は2016年度の1.4倍から4.8倍に跳ね上がり,公立化によって大学の人気が向上するということを如実に示した。
 補記)下線を付したごとき事実(入試関連)に受験生たちが接する手段・方法は,この記述が問題にしているような大手紙への全面広告「出稿」ではない。

 2015年3月の北陸新幹線の延伸開業により,自宅からの通学も可能になっている地域が北陸方面の新幹線沿線に拡大しており,長野県同様に「大学収容力」が低水準の新潟県・富山県,また群馬県からの志願者が増加したという。このため入試難易度が上昇,県内の受験生が多くはじき出される結果となり,合格者のうち県内出身者は36%と激減。2017年度新入学生の県内出身者も2016年度の75%から52%へと大幅に減少した。

 数年前まで志願者の大半が合格(全入)しており,定員割れ状態が続いていた本学の入試状況が一変したことは,県内高等学校の進路指導担当教員らを困惑させ,「前年並みの難易度ならば合格したはずの生徒が不合格になった」「長野大学を諦め,難易度の低い県外の大学に進学した生徒が出た」と,本学の公立化により県内高校出身者が更に県外に流出してしまう状況が発生したとの声も出ている。

 公立移行初年度の入試は県内高校出身者の県内大学進学率を上げるという公立化の目的にまったく反する結果となったため,長野大学は2018年度より募集人員を増員し,各学部とも6割程度を「地元枠」に充てることを検討している。AO入試については「スポーツ特別枠」および「専門学科在籍特別枠(社会福祉学部のみ)」,推薦入試については「長野県内高校在籍者優先枠」および「上田地域定住自立圏域優先枠(高校在籍者および居住者)」を設け,長野県内とくに上田市およびその近隣自治体在住・在校の生徒を優先して受け入れる予定となっている。

 なお,2018年度より一般選抜試験については大学入試センター試験の多教科の受験を要するなど,他の国公立大学と類似した選抜方法に変更される。
 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/長野大学 参照。

 2) 公立化効果
 以上,私立大学であった長野大学に関する公立化「効果」はてきめんであったらしく,地元(上田市地域・長野県内)高校生のための特別枠をもうけざるをえなくなった事情,つまり入試難易度の「高度」化が指摘されている。私立大学であった長野大学が公立化したとたんに大変身したといってもいいほどに,「大学事業経営体」としての体質を激変(改善)させえたのだから,話を長野県立大学のほうに戻していえば,こちらは県立短大からの編成替えとはいえ,ほぼ同じような効果を生むことを期待しているものと想像してよい。

 ただし,本日の記述内容に即していうべきは,こちらの長野県立大学が,大手紙に,2018年度「開学予定」の全面広告を出すだけの価値(経済計算としての合理的な根拠)と,それ以前においてこの全面広告じたいの必要性(教育社会的な側面での妥当性)が,いかほどにありうるのかと問えば,疑問は大きい。

 それほどにまで大きい広告を出さなくとも「長野県立大学」の新設・開学については,長野県をはじめ全国に情宣する方法がいくらでもある。世間の注目を引くためには,このような全面広告も必要かもしれない。だが,学生の収容人数が完成年次で千人にも満たない大学が「やるべき・出すべき〈全面広告〉」とは考えられないし,その必然的な事情があるとは思えない。いまのところ,長野県民から格別に批判はないのかもしれないけれども,これは大学問題をまともにとりあげ,議論・検討・評価できる専門家がいないからではないか。

 大学の規模も1万人以上の学生収容数になれば,新聞広告などあらゆる媒体(メディア)を利用・駆使して自学の宣伝を,それももっぱら学生集めのためにおこなっている。だが,長野大学(長野県立大学ではなく)などの類似した事例は,私立大学を公立化させる変身の方法によって,それまでは全入がそれに近い入試状況であったこの種の大学であったところが,入試難易度に関しては飛躍的な向上(好転)を遂げていた。

 しかし,そのような変化は,とくに私立大学の場合では公立化することによってとくに,大学への授業料など納付金が値下げされたことが一番の原因であった。公立大学の納付金はほぼ国立並みであるが,現在に時点においても私立大学のほうがべらぼうに高額である実態が(医学部はその典型),そもそもの問題として存在している。併せていえば,給付型奨学金制度の未整備がいうまでもなく,日本の大学制度における一大欠陥として以上の背景に控えている。

 ③ 会津大学設立事情

 冒頭の全面広告「画像」をもう一度みてみたい。昨日〔7月11日〕のほうに出稿されていたそのうちのひとつが,この会津大学のものであった。福島県会津若松市には,1951年度に開設された会津短期大学(商科)があり,1957年度からは福島県立会津短期大学と名称変更していた。そして,1993年度に会津大学「短期大学部」に名称変更したのは,つぎに説明する会津大学が新設されていたからであった。

 この会津大学の「沿革」はつぎのように説明されている。

 a)「設立経緯」 江戸時代の会津には,日新館という伝統の藩校があり,会津は教育熱心な藩としてしられていた。しかしながら,会津地域には4年制大学がなく,福島県はこの教育熱心な会津地域に,新たに県立の4年制大学を設置することとした。大学の設置に当たっては,国際化・高度情報化社会が進展するなかで,世界的視野をもち将来の情報科学を担い,発展させる人材の育成がもっとも重要であると考え,コンピュータ理工学に特化した大学とし,1993年4月に開学した。
 註記)http://www.u-aizu.ac.jp/intro/outline/history/会津大学 参照。

 b)「概観・特徴」 4年制大学を作るのは会津の人びとの悲願であったともいえ,会津大学開学はその悲願を叶えることとなった。福島県は1992年に4年制大学の設置を決定。國井利泰(東京大学名誉教授,元理学部情報科学科教授)を初代学長に迎えて開学した。

 コンピュータサイエンス(計算機科学)を扱う学科は以前から存在したが,ほぼそれのみの大学は2015年現在でも珍しい。國井は国内に限らず,全世界を対象として教員を募集した。その結果,教員の過半数が外国人教員で占められるという,当時の日本では前例のない体制が出来上がった。2015年現在においても,会津大における外国人教員の割合は4割弱と非常に高い水準である。
 補注)会津大学ホームページに紹介されている「教員一覧-国際色豊かな教授陣」によれば,つぎのように外国籍教員が所属している。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
  会津大学外国籍人教員構成人数
 出所)http://www.u-aizu.ac.jp/intro/faculty/

 すべての学位論文において,英語での執筆および学内での発表が義務づけられている。修士ないし博士論文を英語で執筆することは珍しくはないが,学士も英語論文執筆が義務付けられている。こうした独自のカリキュラムは企業や社会からの評価を受けている。その反面,高い難易度のためか留年が比較的多く,開学当初より減ってきてはいるものの,現在でも4年卒業率はおよそ7割にとどまる。
 補注1)卒業率7割をはたして高いとみるかどうかは,議論の余地がある。ここでの指摘はあくまで,日本の大学における常識論としての卒業率に関するものであって,この会津大学に特有(?)である「高い難易度」に,なにか特別の問題があるかのように論じるとしたら,世界標準で一流大学をめざすつもりの大学として問題を残す理解である。

  公立大学であるから卒業率7割でも大学経営をやっていける。同じことを私立大学,それも非一流大学でやったとしたら(できるかどうかさえ保証のかぎりではないが),場合によっては,日本社会の側から非難を受ける可能性すらある。これが日本の大学の実情一端である。また私立大学としては,そのようにきびしい教育体制を敷き徹底させることはむずかしい。


 補注2)こういう実例も聞いておくのがいい。東京理科大学のホームページを参照する。--東京理科大学の前身東京物理学校時代,入学希望者は全員無試験で入学できたが,実力のない者は進級・卒業できないというユニークで厳格な教育システムをとっていた。このため世間では「落第大学」としてしられていた。現在,この東京理科大学「昼間学部」で留年するのは10%前後であって,当時ほどの厳しさはないものの,他大学よりは少々ピリカラの進級制度である。
 補注2の補記)留年率10%で少々ピリカラという評価じたいが甘すぎる。ということは他大学がもともと甘すぎる。それだけの話題である。日本の大学生は一流大学でも平均的には勉強しないのが通り相場である。

 〔本文引用に戻る→〕 しかしながら,この実力主義の校風は社会から高く評価されている。本学(東京理大)の進級制度は関門制度と呼ばれ,いくつかの科目に合格しなければ,次の年次に進級できない制度である。学部により異なり,理学部・工学部・理工学部では1年次から2年次に進級する時に,基礎工学部では1年次から2年次と,2年次から3年次の時に,そして薬学部は2年から5年の進級時に,毎年審査がある。ただし,経営学部はとくに関門制度は設けていない。いずれの学部でも通常の勉学を続けていれば進級や卒業ができないということはなく,「心配しないでください」
 註記)https://www.tus.ac.jp/admis/qa/qa7.html この説明では最後のところに,このように「心配しないでください」と断わりが挿入されていた。こうしたところは「日本の大学にはまだまだ甘さが残る事実」を教えている。

 コンピュータに特化した大学であることから,競技プログラミングが盛んである。競技プログラミング部は,2009年のACM国際大学対抗プログラミングコンテスト世界大会で,世界88ヶ国1838大学から勝ち抜いた100大学のなかで,49位タイ入賞を果たした。2016年,2017年も世界大会に出場。

 2016年4月現在,コンピュータ理工学部を設置している大学は会津大学と,京都産業大学である。山梨大学は工学部にコンピュータ理工学科を設置している。類似する学部としては,東京工科大学のコンピュータサイエンス学部がある。
 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/会津大学 参照。

 以上のように会津大学に関する説明に聞いてみた。これをもってのみ判断をするにしても,なにゆえこの大学が大手紙に全面広告を出さねばならなのか,その「なんらかの絶対的な必要性(事情)があるのかどうか」が分かりえない。おそらく,この広告を出さなくても会津大学の置かれている状況は,当面も将来もほとんど変わらないと予想しても,大きな間違いはない。もちろん,今回におけるような「全面広告を出していたね」といった「人びとへの記憶」は残すことができるかもしれないが……。

 多分,会津大学も自学のイメージ戦略としてこのような全面広告を,他大学に負けたくないという意欲をもって出稿したものと解釈しておく。大学の関係部門では学長はじめ,多くの人間がこの全面広告「出稿」については関与したものと推測しておく。だが,本ブログ筆者の得意文句でいえば,このような全面広告を支出する予算措置ができるならば,学生向けの奨学金原資にまわしたほうが,よほど有意義な「資金の現実的な運用」でありうるはずだと断言しておく。

 もとより私立大学でも問題があると考えるが,国公立大学がこのように大枚の経費をはたいて,大手紙の全面広告を出しつづけている現状は,新聞社側にとってはだいじな広告収益源であるゆえ,ぜひともこれからもどんどん積極的に出稿してほしい点とはいえ,世の中全体のなかでまともに再考したとき,このような費用支出のあり方は問題があり過ぎる。

 長野大学が私立から公立化したとき,一番関心のある高校側がその変化を情報としてえるためには,たとえ新聞広告であっても「全面広告など要らない」。さらにいえば,ほかのあらゆる経路を通してその関連情報は,高校側に伝達されうるし,入手できている。いまではネット広告の方法もあり,こちらの手段でも必要かつ十分な関連情報は即事的に,必要とする側に豊富に伝達(提供)できている。

 日本の大学制度全体に潜む基本的な矛盾が解決されないかぎり,現状のごとき大学広告の旺盛さは,今後も継続していくかもしれない。だが,四半世紀前の大学業界を思えば,現状の広告競争に異常さを感じてもおかしくはない  “大学全面広告ブーム”  である。大学業界の「企業競争的なこのようなつばぜりあい(のつもり)」が,はたして,いまの日本の大学にとって「本来必要とされている」はずの「根本的な改革」につながうる〈なにかの要素〉を提供できているのか?

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