【衆議院解散総選挙をやればいいといった意見(飯島 勲)があるが,実施すればよい】


 ① ま え が き

 本日〔2018年5月24日〕に配達された朝刊をみると,『日本経済新聞』のほうは1面では,森友学園問題・加計学園問題などを紙面に出していない。だが,『朝日新聞』のほうは森友学園問題関連記事の満艦飾である。とくに2面以下でもものすごい分量を充ててで報じている。

 それにしても,いまの安倍晋三政権は人間の体にたとえていえば,骨も肉も臓器も神経もなにもかもが完全に『ウソで組成される』実体でしかない。そのような本質・本性である事実は,これまで嫌というほど思いしらされてきた。

 安倍晋三という世襲3代目の政治家の頭上には「八百万のウソ神」が乱舞しており,われこそがこのアベ様のご本尊なるぞと共演(狂炎:炎上)しあっている。その様子は極大的な狂気であるにもかかわらず,当人たちはまったく正気のつもりである。しかも,それで「イイのだ!」と本気で思いこんでいるらしい。

 この脳天気ぶりは救いようがないほどに「タチが悪い」。もっとも,彼らだけが救いがたいのであればまだいい。すでにこの国全体がもうボロボロ状態になっている。すでに,人口縮小社会になっているこの日本をどうするのかなど,どこかへ棚挙げしたまま,そうした憂うべき事態が深刻化していくばかりである。

 ところで 「『妻を国会に呼ぶなら首相を辞める』安倍首相が逆ギレ発言!」という記事が『週刊朝日』(2018年5月15日発売,5月25日号)に載っていたが,つぎのように安倍晋三「批判」を痛論・撃破していた。すでに触れて点だが反復する。
週刊朝日2018年5月25日号安倍晋三問題記事見出し  全国小学校の子どもたちのあいだでは「安倍ちゃんごっこ」(嘘つき・いいわけ・責任の逃れ・責任押し付け・証拠隠しゲーム)が大流行の勢いだとか。こうした日本の子どもたちが登場する最中,『週刊朝日』はこのような見出しの記事を掲載していた。
 出所)右側画像は新聞広告から。

 「森友・加計疑惑が新展開-ボロ泣きした昭恵夫人。いらだつ安倍首相が側近に発した言葉 / 大阪府の “森友文書” に重大証言! 『現首相の奥様が名誉校長。スルーすると大きな問題になる』/ 柳瀬唯夫元首相秘書官に田原総一朗氏『人格を犠牲に “虚言” を続けて気の毒』,前川喜平氏『答弁は絶対に嘘。真実を語るのを恐れた』・・・」などと,暴君ネロ,ヒトラーも顔負けを表現した記事の見出しを出していた。  
 ②「〈発言録〉飯島 勲・内閣官房参与 23日解散したらいい」(『朝日新聞』2018年5月24日朝刊4面)
    

 この飯島 勲,どのくらいエライ人物でいるつもりなのか,このような発言をしていた。
  私は(安倍首相が)衆院を解散すべしと(考えている)。解散して3分の2(の議席)を維持できない場合,憲法改正は遠のくが,少なくとも過半数以上はとれる。国民の過半数以上から信任を受けた総理・(自民党)総裁に対して,9月の総裁選をやる必要はない。選挙ですよ,党内政局ではない。(解散を)やるべきだということです。(東京都内の講演で)
ドン-飯島魁の本表紙 国民・有権者を舐めているのは安倍晋三自身だけではない。このように「衆議院議員小泉純一郎の初当選時から議員秘書,小泉の内閣総理大臣在任中は内閣総理大臣秘書官を務めた」人物が,あたかも自分がキングメーカーであるかのごとき「時局分析」に関する発言をしていた。
 付記)右側画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。

 飯島 勲(いいじま・いさお,1945年10月13日生まれ 72歳)は,第2次・第3次・第4次安倍内閣で中枢に位置する秘書職を務めているせいか,そのように大口をたたいている。駒沢女子大学人文学部客員教授(2007年~2011年),松本歯科大学歯学部特任教授でもあるそうだが,なにをしゃべっているのか。

 飯島 勲は「アメリカのポチ」と揶揄された小泉純一郎の秘書でもあったが,いまの安倍晋三は「アメリカの雑用係」程度の仕事しか与えられていないという事情のなかで,この首相になにを教えるというのか。トランプはもちろん「米国第1主義」である。ところが,こちらの安倍晋三も「米国第1主義」である。日本国のトップが世界のなかでも最悪・最低である部類に属する政治家であるその証拠(資質)は,「対・北朝鮮外交」をもって端的に表現されている。
  安倍晋三の唱えた「戦後レジームからの脱却」とは,間違えてもけっして脱却などではない。その正反対であって,対米従属軍事路線を主軸とする「日本国の属国化政策が完成」した。安倍晋三の演じた,まさに「売国奴・国賊として国難の首相」である役目は,それもみごとに「アメリカのために」果たしてきた。
安倍晋三画像国難は私だ
出所)https://tr.twipple.jp/h/fb/0b/国難x演説.html

安倍晋三こそ国難画像
出所)以上2点,https://twitter.com/hashtag/安倍は止めろ

自民党ポスター2017年10月20日『日本経済新聞』ウェブから
出所)自民党ポスターのパロディー版。
 最近の安倍晋三君はともかく,こちらの北朝鮮外交の問題になるとからっきしダメで,手も足も出せず,動きさえとれない状態である。あの刈り上げ君にはさんざんに舐められ,コケにされっぱなしである。ロシアのプーチンはシンゾウなどガキあつかい……。中国の習 近平は,この安倍を横目でみつめる程度の相手にしか思っていない。韓国の文 在寅にも「コイツは噂にも聞いたとおりただの子どもだ」と見下されている。

 ところが,日本の国内では絶大な権勢をいまだに〔なんとかだが〕保持できている。しかし,安倍晋三は2017年2月17日の衆院予算委員会において,国有地を格安で買いとった学校法人「森友学園」が設立する私立小学校の認可や国有地払い下げに関し,「私や妻が関係していたということになれば,首相も国会議員も辞める」と述べていた(啖呵〔?〕を切っていた)。

 本日の『朝日新聞』朝刊は,それこそ紙面全体を挙げたかのようにして報道しているのは,この森友学園問題に関して財務省が新たに国会に提出した,それもいままではないといいはっていた大量の文章をめぐって,である。国会を,国民を,有権者を,庶民・人民をバカにしているとかいった次元の〈政治的な問題〉ではない。もはや日本の民主主義は完全に倒壊し,溶融した状況にまで落ちこんでいる。

 つぎの画像資料は『朝日新聞』本日朝刊の1面である。
 『朝日新聞』2018年5月24日朝刊1面森友学園問題
 『日本経済新聞』は,本日朝刊の1面ではコラム「春秋」で関説しているだけであった。3〔総合〕面と35〔社会〕面ではかなりくわしく言及している。さきに「社説」2面は政府の姿勢をこう批判する論説を掲載していた。
 ◆〈社説〉行政情報を隠蔽する悪弊を断ち切れ ◆
=『日本経済新聞』2018年5月24日朝刊 =


 情報公開のルールを根底から覆すような異常な事態である。財務省と防衛省が〔5月〕23日,公文書の不適切な扱いに関する調査結果を公表した。もはや両省だけの問題とはいい切れず,政府全体で悪弊を断ち切る努力が不可欠だ。

 財務省は学校法人「森友学園」への国有地売却をめぐる交渉記録を国会に提出した。「残っていない」とした記録が存在し,虚偽の国会答弁に合わせて保管していた記録の一部を廃棄した事実も明らかになった。
『日本経済新聞』2018年5月24日朝刊森友図解
 公文書管理や情報公開のルールを逸脱した悪質な行為であり,麻生太郎副総理・財務相らの監督責任が問われる。隠蔽や破棄を指示した関係者の処罰,再発防止策の徹底を急ぐ必要がある。

 森友学園との交渉記録は900ページを超す。財務省理財局長だった佐川宣寿前国税庁長官は昨年の通常国会で「確認したところ近畿財務局と森友学園の交渉記録はなかった」と説明していた。

 財務省は国有地売却で決裁文書14件を改ざんした事実がすでに明らかになり,今回は書きかえ前の文書の全文も提出した。財務省幹部は衆院予算委員会の理事懇談会で「昨年2月下旬以降,国会答弁との関係で決裁文書を書きかえたのと同様に,当時保管されていた交渉記録の廃棄を進めていたことも認められた」と報告した。

 国会で厳しく追及されるのを恐れて,交渉記録を隠蔽,決裁文書を改ざんし,佐川氏の答弁と辻つまを合わせるため,廃棄まで指示した構図が浮かび上がった。

 他方,防衛省は陸上自衛隊のイラク派遣部隊の日報問題に関する調査報告書を公表した。昨〔2017〕年3月に陸自研究本部(現・教育訓練研究本部)が日報の存在を把握したにもかかわらず,約1年にわたり防衛相らに報告しなかった。

 報告は「組織的な隠蔽ではなかった」と結論づけた。だが情報の扱いがきわめてずさんという点で,南スーダン国連平和維持活動(PKO)の日報隠蔽の教訓が生かされていない。小野寺五典防衛相が「シビリアンコントロール(文民統制)にもかかわりかねない重大な問題」とし,防衛次官ら17人を処分したのは当然だ。

 安倍政権では,行政情報の不適切な扱いがつぎつぎと明るみに出ている。このままでは公文書管理と情報公開の制度そのものの信頼性が揺らぎかねない。政府・与党の責任は重い。
 この『日本経済新聞』の社説を,本日の『朝日新聞』の社説も引用するかたちで,比較してみたい。両説の論旨はほぼ同様であるが,『朝日新聞』のほうがよりきびしく,安倍晋三の政治責任を批判・追及している。安倍晋三はすでに何回も辞職に相当する悪しき事態を招いてきたにもかかわらず,まだ権力の座に執心している。
森友文書公開 国民あざむいた罪深さ ◆
=『朝日新聞』2018年5月24日朝刊 =


 財務省が,森友学園との国有地の取引をめぐる交渉記録を国会に提出した。辞任した佐川宣寿・前理財局長が,昨〔2018〕年2月に国会で「残っていない」と答弁し,その後も「廃棄した」と繰り返してきた文書だ。

 さらに驚くべき事実が明らかになった。財務省の説明によると,同月下旬以降,省内で保管されていた記録を,実際に廃棄していたというのだ。佐川氏の答弁とのつじつまを合わせるためだったという。

 文書を隠し,改ざんし,捨てる。組織としてこの問題を闇に葬ろうという,明確な意図があったとみるべきだ。国会,そして国民は,1年以上にわたって財務省に欺かれ,裏切られてきたことになる。

 官僚だけの問題ではない。「文書はない」の一点張りで野党の質問をはねつけ,人々の疑問に真摯に答えようとしなかった佐川氏を,安倍首相や麻生財務相は国税庁長官に登用した。国民の知る権利と,立法府の行政監視機能を軽んじた点で,首相らの罪も重い。

 提出された文書には,3年前の秋,首相の妻昭恵氏付の政府職員から,国有地の貸し付けをめぐって問いあわせを受けたときの応答メモもあった。

 職員は「安倍総理夫人の知りあいの方(学園の籠池泰典前理事長)から,総理夫人に照会があり」と説明したうえで,学園が求める優遇措置について財務省の担当課に尋ねていた。

 同省は昭恵氏の具体的な関与や,首相への忖度を否定してきたが,昭恵氏と学園とのつながりを認識しえたことを示す記載だ。また,政府職員は「個人」として行動していたに過ぎないとする菅官房長官の従来の説明にも,あらためて疑問符がつく。

 首相もまた「妻はいっさいかかわっていない」と繰り返している。しかし少なくとも国有地の売却がまとまる以前のこの時期に,昭恵氏が学園と財務省の橋渡しをしたことを,公開資料は物語る。昭恵氏や政府職員を国会に呼んで話を聞く必要がある。

 財務省は3月から交渉記録の存否を調べてきたというのに,国会の会期末まで1カ月を切った昨日になって,ようやく公表した。かたちばかりの質疑をこなして逃げ切ろうという思惑があるとしたら,とうてい許されない。

 官僚たちは,なんのため,誰のために,事実と異なる答弁をし,文書の改ざん・廃棄までしたのか。そもそもなぜ学園に有利なとり計らいをしたのか。それを明らかにしない限り,国政に対する国民の不信をぬぐうことはできない。
 なお『日本経済新聞』朝刊は,3面では「『森友から照会受けた』 交渉記録 昭恵氏付職員が言及」「佐川氏答弁と矛盾」「虚偽答弁を裏付け」「野党批判,首相の責任追及」という見出し,35面では「財務省信じられない」 「『森友』 記録隠蔽 関係者は怒り・失望」「議員秘書困惑の記載も 交渉記録」 「理事長は強引で大変」という見出しをかかげる記事を掲載していた。
 補注)とくに,籠池泰典「理事長は強引で大変」という財務省側の感想は,いうまでもないが,安倍晋三夫婦が用意・形成させ,かつ実際に惹起させていた事態であった。籠池理事長にとってみれば,安倍昭恵〔そして背後に控えていた安倍晋三〕の「引き」はたいそうな援軍であった。だから,籠池自身がそのように強引な態度で財務省と交渉できたのは駆け引きの材料として安倍晋三夫妻を実際に利用でき,さらには突き上げるためにも活用できたからであった。
  森友学園問題相関図画像
    出所)http://www.livenan.com/archives/13920350.html
 ③「籠池夫妻の保釈決定」(『朝日新聞』2018年5月24日朝刊「社会」面)

 学校法人・森友学園(大阪市)をめぐる補助金詐欺事件で,大阪地裁は〔5月〕23日,詐欺などの罪で起訴された学園前理事長の籠池泰典被告(65歳)と妻の諄子(じゅんこ)被告(61歳)の保釈を認める決定を出した。保釈保証金は泰典被告が800万円,諄子被告が700万円。弁護人が明らかにした。大阪地検は決定を不服として準抗告した。

 夫妻は2017年7月末に大阪地検特捜部に逮捕されて以降,大阪拘置所(大阪市都島区)で10カ月近くにわたり勾留され,弁護人以外と面会できない接見禁止が続いている。今〔2018〕年3月に接見禁止が一部解除されたさい,泰典被告は面会した野党議員に「国策留置だ」「早く出たい」と訴えたという。夫妻は国と大阪府・市から計約1億7千万円の補助金を詐取したなどとして起訴され,争点を絞りこむ公判前整理手続きが進んでいる。(引用終わり)

 籠池泰典・詢子夫妻は「国策留置」ではなく,本当のところをいえば「安倍晋三の恣意的な私的制裁」を受けて拘置所に放りこまれていた。通常であれば,補助金の不正受給「程度」の問題である「事件」が,この夫婦に対しては口封じのための「補助金詐欺事件」に格上げされていた。

 昨年(2017年)の熱い夏から今年の寒い冬(2018年)を通してのいままで,彼ら夫婦がモノをいえない状態(雪隠詰め)にしておかないと,安倍晋三は首筋が寒くなる思いをさせられつづけるほかなかった。そういった事情があって,大阪地検特捜部は究極の「忖度の選択」を,この首相のためにおこなっていた。しかし,もういいかげん世間の目線が無視できない状況であるせいか,裁判所のほうからはこの2人の保釈を認める決定が出ていた。

 ④「〈森友問題〉安倍昭恵さん『籠池夫妻に何があったのか聞いてみたい』」(『NEWSポストセブン』2018年03月31日 07時00分)

 安倍政権を揺るがしている森友問題。野党は安倍晋三首相(63才)と妻の昭恵さん(55才)の関与について厳しく追及。昭恵さんの証人喚問を求める声も少なくない。

2017年4月安倍晋三夫婦新宿御苑桜を見る会 昨〔2017〕年4月15日,新宿御苑で開かれた安倍首相主催の「桜を見る会」に萌黄色の目立つスーツで出席した昭恵さんは,支持者から「昭恵さん,頑張ってね。森友に負けるな」と声をかけられるとみるみる目を赤くし,ぽろぽろと大粒の涙をこぼしながら,大きくうなずいてみせた。
 出所)画像は,https://www.sankei.com/photo/story/news/170415/sty1704150006-n1.html

 その前月の半ばからフェイスブックでの発信をストップしていた昭恵さん。活動を事実上,自粛していたのだが,この桜を見る会を機に,たった1か月弱で “反省ムード” もあっさり終了。3日後にはフェイスブックを再開すると,あとはどこ吹く風となった。

 昨〔2017〕年5月15日,東京・日比谷のパーティー会場で開かれた『安倍晋太郎氏を偲び安倍晋三総理と語る会』でのこと。会の席上,昭恵さんが,『騒動で有名になったのでおかげさまで(経営する)居酒屋 UZU は繁盛しています』とおっしゃったのを聞いて耳を疑いました。また,『最近,有名になっちゃって警備がたいへ~ん』とニコニコしていました」(出席者の1人)。
      安倍昭恵画像8
 出所)https://www.youtube.com/watch?v=68e7euETsj0
 昨年6月23日には, “反転攻勢” に出る。森友問題でバッシング報道が溢れたことを念頭に,「批判はしていただいて結構ですが,こちら側が伝えたいと思っていることもきちんと伝えていただきたい」とメディアに注文。

 きわめつきは昨年末のイベントで「つらい1年だったが,頑張ってきてよかった」と発言し,もうすっかり森友問題は過去の話にしてしまった。

 そんななかでもちあがったのが,「安倍昭恵」の名前を隠蔽した森友文書騒動(〔2017年〕3月2日)。改ざんを命じられたことを苦にした財務省職員の自殺が報じられた3月9日,ピンクのワンピース姿でイベントに出席して笑顔で鏡開きをする写真をフェイスブックにアップした。〔3月〕13日には《野党のバカげた質問ばかりで,旦那さんは毎日大変ですね》という投稿に「いいね!」を押したと報じられた。

 〔同月〕17日には愛知県内で開かれた福祉イベントに登場。「私も過去を後悔したり反省したりはしますが,先に起こることを心配したり恐れたりするのではなく,日々の瞬間を大切にしたい」という発言はまたも波紋を呼んだ。

 「官邸や自民党は『イベント出席を自粛してほしい』と懇願しましたが,昭恵さんは制止を振り切って参加しました。これにはさすがに政権幹部は一斉にカンカンに怒った。当面は公の場での活動やフェイスブックの更新を自粛させられそうです」(自民党関係者)。

 それであえなく18日に出席を予定していた「さが桜マラソン」(佐賀市)への出席は断念。27日現在,フェイスブックの投稿も止まっている。しかし,昨春の変わり身の早さをみていると,そんな “自粛ムード” にも,どうしてもヤラされ感が漂う。マラソン大会への参加を見送ったあと,近しい知人にはこんなことも語っている。語り口調は,淡々としたものだったという。

 「バカだと思われようが,籠池さんにも教育への熱い思いがあったと思っています。でも,籠池夫妻がある日を境に “安倍に騙された” といい,私からの電話にも出なくなった。なにがあったのか,いつか聞いてみたいんです。真実がしりたい」。

 それが昭恵さんの現在の偽らざる本心なのだろう。国を揺るがす事態に至っても,彼女に罪悪感はない。そして,やっぱり他人事なのである。
 註記)元記事『女性セブン』2018年4月12日号。引用は,https://news.nifty.com/article/domestic/society/12180-663281/ から。

 この安倍晋三の「妻:昭恵の言動・行為」は,並みの感覚・ふつうの常識では理解できないものがほとんどである。本日〔2018年5月24日『朝日新聞』朝刊の社会面は,見出しだけ紹介しておくと,こういう表現が並んでいた。

    記録廃棄「言語道断」  憤る国会「政治史に残る事件」 「誰の指示か解明を」
    財務省,根深い隠蔽体質  麻生氏,説明・謝罪なし

 そもそも,こうしたところまでも「日本の政治」が混乱し,糜爛し,腐朽してきた事態は,安倍晋三の第2次政権以降においてとくに顕著になっていくばかりであった。まだ「子どものようにしか映らない〈世襲3代目の政治家〉」であるためか,ウソをつく技術だけは老人並みであっても,結局,できることいえば「この国を破壊し,溶解させる」内政と外交であった。

 飯島 勲がいうとおり衆議院は,ただちに解散総選挙をやればよい。国民を,いったいどこまで舐めつづけられると思っているのか,やってみて確認してみればよい。有権者者側がまたもや,安倍晋三に「いいように舐められても」「しかたがないような」その選挙結果を出したら,それはそれでよい。その程度の国民(庶民・大衆・人民)がこの国を支えていると,別の意味で納得もいくはずである。この国における民主主義など,もはや名ばかりであって,土台である「天皇制民主主義としても」限界にぶち当たっている。

 政府は「各省庁のデータを近く西暦で統一することにし,来春は間に合わない」けれども,というニュースが5月21日に報道されていた。天皇と民主主義の関係問題も重要な論点だが,それ以前に,いまの安倍晋三政権が「あべ・サマ風に」「最大限の努力をしつづけてきたデタラメさ加減」は,現段階に至って,よりいっそう深刻・重大な,それも致命的な事態を日本の政治にもたらしている。
 【 補 遺:その1 】
  これを要するに,安倍首相が辞めないかぎり不都合な真実の発覚は止まらず,従ってまた安倍首相はウソをつきつづけることになる。

 安倍首相が辞めないかぎり,ウソと真実の暴露のいたちごっこで,この国の機能不全がつづくことになる。あってはならないことである。
 註記)「安倍首相が辞めない限り止まらない不都合な真実の続出」『天木直人のブログ』2018-05-24,kenpo9.com/archives/3774

 【 補 遺:その2 】 
  「ない」といっていた森友文書が大量に出てきた。それでも肝心かなめの文書を抜きとっているようだ。しかも財務省は森友文書を意図的に破棄しようとしてたらしい。国民を欺くためだけに公務員が努力・邁進しているのだから呆れかえる。

 加計学園も安倍晋三くんと加計孝太郎が面談して獣医学部を「いいね」していたことは間違いない。王手,王手とつぎつぎにかかっていて,もう詰んでいるのに,まだ「参りました」といわない。

 みっともなく権力にしがみつくだけの姿は,戦後最低の見苦しい政権と教科書に記載するべきだろう。籠池夫妻を10か月も拘留して,これはもう拷問みたいなもので,「人権侵害」の見本だろう。

 中国じゃないんだから,さっさと保釈にしろ! まさかこれで保釈を見直したりしたら,検察も重大な疑惑をもたれることになるぞ。
 註記)「安倍政権,戦後最低の見苦しさ」『BLOG あのな教えたろか。』2018.05.23,https://yoshinori-kobayashi.com/15815/

 【 補 遺:その3】
 「安倍晋三政権が続けば,折角,戦後73年ヒナを大事に育てるようにして作り上げてきた日本の議会制民主主義が破壊されてしまう」。
 註記)「小沢一郎代表は,安倍晋三首相の『一強多弱政治』が,『戦後積み上げてきた大切なものをどんどん壊している』と慨嘆,『小沢一郎政権樹立』に強い意欲」『板垣英憲(いたがき えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」』2018年05月24日 06時48分57秒,https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/0d67137dd3b291eb658e9aeca3501313
 ⑤ 本稿の関連する記述

 ※-1 2017年03月08日
  『お坊ちゃま首相とお嬢ちゃま夫人の理想的な夫婦,実は世間をよくしらない総理大臣とその妻。その兆候を明確に現象させた森友学園「国有地払い下げ」問題など』
   リンク ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1064825386.html

 ※-2 2018年03月21日
  『森友学園文書問題としての「安倍晋三記念小学校」という記憶,安倍晋三と昭恵,1年前(2017年春)に書かれたアンサイクロペディアの「アッキード事件」描写など』
   リンク ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1070531200.html

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 【反論にもなりえない理由・根拠を繰りだすこの首相の「子供だましの理屈」が大人をごまかしてきた「日本の民主主義の状態」】


 ① 昨日(5月22日)『くろねこの短語』の,安倍晋三「弁解」に対する批判

 1)この『くろねこの短語』「首相,愛媛県文書の加計側との面会否定 『いいね』も」は(asahi.com 2018年5月22日08時46分),安倍晋三の虚言的な弁明を,こう批判していた。
 ◆ 安倍晋三のいいぶん

  安倍晋三首相は22日朝,首相官邸に入るさい,愛媛県が国会に提出した文書に学校法人「加計学園」の加計孝太郎理事長と2015年2月に面会したと記されていることについて,「ご指摘の日に加計理事長と会ったことはない。念のため,昨日,官邸の記録を調べたが,確認できなかった」と説明した。
 注記)https://digital.asahi.com/articles/ASL5Q2S64L5QUTFK002.html?ref=flashmail

 ◇『くろねこの短語』の批判

  首相動静に載ってないからってのを面談していないことの根拠にしているようだが,ペテン総理は「14日の衆議院予算委員会で,第1次政権時の首相の動静に加計氏の名前が出てこないと指摘」されて,

 「1次政権の時も加計さんと会食したことはあるが,たまたま名前が外に出ていない。それはよくあること」って答弁している。つまり,首相動静に載ってないからってのは面談していないことの証明にはならないってことをみずからいってるんだね。
 注記)http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/225-1bd4.html
        安倍晋三ウソつき画像
        出所)http://健康法.jp/archives/40181
 2)「安倍首相が破棄したはずの『官邸記録』を根拠に加計理事長との面会を否定(笑)。首相動静に載せなかった極秘会談の数々」(『リテラ』2018.05.22)からも,以下の段落を引用し,いかに安倍晋三君の発言・弁明がデタラメかを確認したい。3面の記述からなっているが,それらのなかから適宜に以下を引用する。『くろねこの短語』の指摘も出てくる。

 a) 「念のため,昨日,官邸の記録を調べたが,確認できなかった」。官邸の記録……? そもそも官邸の入館記録は「破棄」されたのではなかったのか。

 実際,萩生田光一・元官房副長官は「訪問者の入邸確認後,訪問予約届はその使用目的を終えることから,公文書管理法や関係規則等にもとづき遅滞なく破棄する扱い」と述べてきたし,安倍首相自身も「総理官邸に入館した方の記録は基本的に定期的に廃棄をしている」(2018年4月11日衆院予算委員会)と答弁していたではないか。

 その,遅滞なく速やかに破棄されたはずの3年前の記録を,安倍首相は昨晩「調べた」というのだ。これは「いままで国会で嘘をついてきた」と白状しているようなものではないか。

 しかも,愛媛県の新文書には,柳瀬唯夫首相秘書官のみならず,加藤勝信内閣官房副長官(当時)までもが加計学園関係者と面談するなど,当時,いかに官邸の安倍首相側近たちが加計と接触を重ねていたかが記されている。そうしたなかで安倍首相の面談をセッティングするのに,側近たちが記録を残さないかたちで加計理事長を入邸させていても不思議はない。

 実際,池上彰はウェブサイト「P+D MAGAZINE」の連載で,総理官邸の建て替え以降,総理が極秘に人と会うことが可能になっていると指摘している。「ただし,総理官邸が建て替えられてからは,記者たちの目の届かないルートを通って総理執務室に入ることが可能になりました。これ以降,『首相動静』に報じられる会談以外にも,極秘の会談がありうるようになりました」。

 安倍首相が破棄したはずの「官邸記録」を根拠に加計理事長との面会を否定(笑)。首相動静に載せなかった極秘会談の数々
 註記)http://lite-ra.com/2018/05/post-4024.html

 b) つまり,安倍首相は破棄したはずの「官邸の記録」をもち出して加計理事長と会ってなどいないと否定するが,ふたりが面談をおこなったのは官邸以外の場所,公邸や私邸である可能性は十分考えられるのだ。
 
 他方,安倍応援団やネトウヨたちも「首相動静には加計理事長と会っていたなどとは書かれていない!」として,愛媛県文書の内容を同じく否定しにかかっている。だが,これもまったくナンセンスな話だ。たとえば,2013年5月に安倍首相の別荘でおこなわれたバーベキューのさいも,加計理事長が参加していたにもかかわらず,各社の動静には名前は出ていなかった。

 名前が乗らないケースだけではない。会合そのものが消されているケースもある。安倍首相は「お友だち」である秋元 康や幻冬舎の見城 徹社長らと2015年3月,総理公邸の西階段で「組閣ごっこ」写真を撮影し,それが『フライデー』(講談社)に報道されたが,このときの会食も首相動静にはいっさい出ていない。
 註記)http://lite-ra.com/2018/05/post-4024_2.html

 
安倍首相は,こう答弁している。「一次政権のときも加計さんと会食したことはありますけども,いわば,たまたま名前が外に出ていないということだろうと思います。あの,それはよくあることですから」。ネトウヨは「首相動静に記述がない!  はい論破!」などと騒いでいるが,安倍首相みずからが述べているように,名前が動静に載らないことは「よくあること」なのである。

 このように,安倍首相も,安倍首相を擁護したいネトウヨも必死になって加計理事長との面談を否定しているが,いずれもまったく反証になっていないのだ。

 愛媛県の記録と安倍首相のいいぶん,いったいどちらが事実で,どちらが嘘をついているのか。愛媛県の中村時広知事の参考人招致はもちろんだが,この1年,嘘ばかりの答弁に終始してきた可能性が高まった安倍首相こそ,偽証罪に問われる証人喚問が必要だろう。
 註記)http://lite-ra.com/2018/05/post-4024_3.html

 3)大串博志稿「安倍総理の全面否定は説得力なし」(『BLOGOS』2018年05月22日 21:24)

 安倍総理は今日〔5月22日〕否定するさいに,官邸の記録をみたら加計理事長との面会は確認できなかったと述べました。

 あれっ(?),これまでの累次の答弁のなかでは,官邸の出入者はきわめて多いので記録は残っていない,ということではなかったっけ(?)と思っていたら,安倍総理の本会議答弁ではまさにそのとおり,記録が残っていないから確認できなかったと。〔だが〕それ〔で〕は会っていない,ということの証明にはまったくなりません。

 こんなバカにしたような答弁をすることじたい,真実を隠そう・隠そうとする姿勢がみえ隠れします。
 註記)http://blogos.com/article/298932/

 安倍晋三はきっと,加計孝太郎とは「会っていないという事実(?)」のことだから,記録がなくても確認できたということをいいたかったのか。あるいは,年がら年中会うことができている加計との間柄のことだから,こればかりは確認するのは簡単にできたということなのか。それにしても,ただただ “ウソっぽい” だけのこと。

 安倍晋三君関係の発言語録となると,なにをいってもウソ,いわなくともウソ,結局なんでもかんでもウソ。つまり,噓っぱちだらけのウソまみれ……。

 4)「日大アメフト部の青年の毅然とした態度にならって,総理の犯罪に付き合わされている官僚も腹決めたらどうだ。それこそが,全体の奉仕者としての誇りというものだ!!」『くろねこの短語』(2018年5月23日)は,1)の議論を受けて,こう追論していた。最後の段落のみ引用する。

 2015年2月25日の雲隠れ孝太郎君との面談について,ペテン総理は「念のためよく調査し,官邸で入邸記録を探したが,加計氏が入邸した記録はない」っていい逃れしているが,顔も頭も貧相な官房長官・菅君は「入邸記録は廃棄した」っていいつづけてるんだよね。てことは,ペテン総理が調査したという入邸記録ってのはどこにあったんだってことだ。

 これだけでペテン総理のいいわけは破綻しているよね。おそらく,世間は誰が嘘をついているか分かっている。本来なら,それだけで恥ずかしくって権力の座から降りるのが政治家の器量というものだ。それが,御用コメンテーターを総動員して,嘘かどうか立証できないなんて阿呆ぬかすから,守るべき規範がどんどん壊れていく。
 註記)http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/post-cdb0.html

 ②「『YK』が政権批判を展開 『あきれた』〔安倍晋三の〕『辞任は当然』(asahi.com 2018年3月14日21時08分)

 森友学園の国有地取引に関する決裁文書改ざんをめぐり,自民党の山崎拓元副総裁と小泉純一郎元首相が安倍政権批判を繰り広げた。2人は故加藤紘一元幹事長とともに「YKK」として,政界で一世を風靡(ふうび)した仲。国政を退いてなお,「共闘」が実現した格好だ。

 口火を切ったのは小泉氏。〔5月〕13日のBSフジの番組で,改ざん問題の渦中にいる財務省の佐川宣寿・前国税庁長官の長官起用について,安倍晋三首相が「適材適所」としていたことに対し,「あきれた」と批判。「私や妻が(国有地売却に)関係していたということになれば,首相も国会議員も辞める」との首相答弁が改ざんの始まりとの認識も示し,安倍首相への厳しい姿勢をみせた。

 一方,14日に開かれた自民党石破派の勉強会で講師を務めた山崎氏。記者団に「事態の収拾のため,責任とって辞めることは当然」と語り,麻生太郎財務相の辞任論を主張した。さらに「綸言(りんげん)汗のごとし」とも述べ,安倍首相夫人の昭恵氏が関与してい安倍ウソつき画像2た場合は,首相も責任をとるべきだとの認識を示した。
 出所)https://digital.asahi.com/articles/ASL3G5RSPL3GUTFK01N.html?iref=recob

 補注)「綸言(りんげん)汗のごとし」の意味。--「出た汗が再び体内に戻り入ることがないように,君主の言は一度発せられたらとり消しがたいこと」。つまり「皇帝がいったん発した言葉(綸言)はとり消したり訂正したりすることができない,という中国歴史上の格言」。

 しかし,熱暑の時期に人間の体中から汗が出つづけるようにも似て,盛んに「嘘をつきつづける」安倍晋三君にとって,このような格言は「ブタに真珠」か「猫に小判」かであり,「馬の耳に念仏」か「カエルの面に◇◇◇◇◇」かである。

 ③「〈天声人語〉小説よりも奇なり」(『朝日新聞』2018年5月23日朝刊)

 よく練られた企業小説のようである。悲願の大事業に挑むも劣勢つづき。社長が政界人脈を駆使して大逆転を果たす加計学園の獣医学部開設をめぐる愛媛県の記録を読んだ。

  ▼ 県職員の詳細なメモによれば,ストーリーはこうだ。学園側は特区の承認で新潟市に先を越されると焦燥していた。加計孝太郎理事長は首相との面会の道を探る。しかし中東情勢への対応などで多忙をきわめ,実現しない。学園幹部が官房副長官に当たると「獣医師会の反対が強い」。

  ▼ 理事長が首相に会えたのは2015年2月。「新しい獣医大学の考えはいいね」。そんな言葉をえて潮目が変わる。幹部らは翌々月,官邸に首相秘書官を訪ね,「総理案件」「首相案件」とのお墨付きをうる。特区担当の内閣府次長からは提案書の骨法を教わる。

  ▼ 文書は全27枚。県職員の受けとった名刺が並ぶページに目が留まる。秘書官ら官僚3人に学園幹部が2人。官邸と学園が手を組むさまを想像させる。日付や出身省庁を書いて保管した県職員の律義さには感謝したい。

  ▼ 名刺といえば,県職員が会った当の秘書官は好対照である。自分から名乗って名刺を交換するのを信条としながら,「一部しか保存しない」そうな……。

  ▼ 「ご指摘の日に加計氏と会ったことはない。官邸の記録を調べたが,確認できなかった」。昨日の首相の発言である。これを号砲として官僚たちがさらなる繕(つくろ)いごとを始めたりはしないか。悪しき実例を見すぎたせいで,そんな懸念が抑えられない。

 a) この最後の段落に言及された安倍晋三君の答えのうち,まず「官邸の記録」など--新聞の紙面でみると,たとえば『朝日新聞』ならばその「首相動静」にも反映されているが--にない点(事実)なので,「加計(孝太郎)と会った」ことはないという説明は,もとより説明としては不十分であって,いいぶんとしての納得性は皆無である。

 昨日(5月22日)『くろねこの短語』の安倍晋三「弁解」批判は,すでに同日の本ブログ記述の末尾で【補遺】として紹介してあったが,それを前段で再度引用してみたしだいである。

 b) つぎに名刺(交換)の点(問題)については,こういう事情も考えてみたい。本ブログ筆者の場合,書斎の棚のある引き出しのなかには,いままであちこちでもらった名刺がたくさん保存されている。なかには捨てたものもあるかもしれないが,そのほとんどがまだそこに残されている。40年以上前のものさえ保存されている。捨てるわけにもいかないし,それも意識して捨てる機会もなかった。

 名刺を愛媛県職員たちと3年前に名刺を交換したはずの当時の首相秘書官柳瀬唯夫のいいぶんは,単なる物忘れでなければ,完全なる健忘症か「完璧にウソをついている」。そういうふうにしかなりえない。

 なにゆえ,ここまで事実を意図的にないがしろにし,忘れていなければならないのか? いうまでもない,安倍晋三君への忖度のためである。話は単純明快であるが,そうではなくなってしまうのが,この「ボク君」を囲んで存在する高級官僚たちの演技ぶりである。

 ④「〈時時刻刻〉首相また真っ向否定 記憶なし,記録なし,説得力は… 『獣医大いいね』愛媛新文書」(『朝日新聞』2018年5月23日朝刊2面)

 学校法人「加計学園」の獣医学部新設計画で,安倍晋三首相は愛媛県の文書に記された加計孝太郎理事長との面会を全面否定した。記憶も記録もないので問題ない。そんな強気の論法で強行突破を図るが,愛媛県による記録を覆す説得力には乏しい。(▼1面参照)

 〔5月〕22日朝。安倍首相は急きょ首相官邸で記者団の取材に応じ,愛媛県の文書を真っ向から否定した。「ご指摘の日に加計理事長と会ったことはない。念のため昨日,官邸の記録を調べたが,確認できなかった」

 その後,菅義偉官房長官は記者会見で「(官邸に入るさいに氏名や面会相手などを記す)入邸記録は業務終了後速やかに廃棄されるとり扱いとなっており,残っていなかった」と説明。政権幹部は「新聞に掲載される『首相動静』にも載っていない」と強調した。

 愛媛県の文書によると,首相と加計氏の面会は2015年2月25日で,場所の記載はない。この日,首相の面会者などを記す朝日新聞の「首相動静」の欄に加計氏の名前はない。
『朝日新聞』2018年5月23日朝刊時時刻刻画像
 ただ,首相番の記者は主に官邸の正面玄関から入る面会者を確認する。官邸には複数の出入り口があり,そのすべてを確認できているわけではない。また,官邸や公邸,東京・富ケ谷の私邸で記者に分からないようにする「極秘会談」も過去にたびたびおこなわれてきた。
 補注)それでは,番記者が「首相動静」などの記事を捏造したら,これを安倍晋三自身は信じるのか? 理屈の提示の仕方が幼稚というか,もともと根拠不十分。

 しかも,首相が「確認できなかった」とした入邸記録は廃棄されて存在せず,入邸しなかったという証拠にはならない。首相が22日午後の衆院本会議で加計氏との面会を否定すると,野党席からは「ウソだ」といった怒号が飛び交った。

 記憶や記録がないことは,面会を否定する明確な根拠にはならない。 (以下,中略)

  ※ 文書否定,その後に覆る 「総理のご意向」・柳瀬氏面会 ※

 強気の姿勢の首相を与党幹部は擁護している。自民党の二階俊博幹事長は記者会見で「自分のところの総理の意見を信頼し,支持するのは当たりまえだ」。公明党の山口那津男代表も「(愛媛県の)文書はまた聞きのまた聞きというような伝聞を重ねている要素もある」と語った。

 報道各社の世論調査で内閣支持率が下げ止まっていることから,自民党幹部は加計学園問題について「国民に飽きがきている」と分析する。6月20日の国会会期末まで残り1カ月を切り,相次ぐ不祥事の追及から逃げ切りを図りたい考えだ。

 野党は愛媛県の中村時広知事の参考人招致を求めるが,自民党の森山裕国会対策委員長は「知事にお聞きすることは,示されている文書で十分足りる」と拒む。加計,柳瀬両氏の証人喚問要求に対しても応じない方針だ。

『日本経済新聞』2018年5月23日朝刊加計問題整理 だが,加計学園問題をめぐる文書による「記録」を政権が否定しても覆ったケースはある。「総理のご意向」などと書かれた文部科学省の文書について菅氏は「怪文書みたいな文書」としたが,のちに文科省内で同様の文書の存在が発覚。柳瀬氏が学園関係者との面会を認めたのも,否定することが難しくなったためだ。
 出所・註記)左側の表は『日本経済新聞』2018年5月23日朝刊から。

 強気な姿勢への疑問は,与党内でもくすぶる。自民党の閣僚経験者は「総理みずから会っていないといった以上,それが崩れれば辞任しないといけなくなる」と指摘。首相の出身派閥の細田派からは「8対2で愛媛県の方が正しいだろう」という声が出る。(引用終わり)

 以上の記事のなかでも「報道各社の世論調査で内閣支持率が下げ止まっていることから,自民党幹部は加計学園問題について『国民に飽きがきている』と分析する」という指摘もあるが,その程度の国民・有権者が「本当にこの国の人たち(人民:ピープル)だ」としたら,たしかにアベ程度が牛耳る国家体制・政府内閣でもいいに決まっている。

 だが,国民・大衆・庶民・人民側が,安倍晋三自民党〔プラス下駄の▼▼の公明党〕に徹底的に “舐められつづけている現状” にこそ問題の根源があった。現政権(自民党)を支持している有権者は4人に1人しかいない(自民党支持者でも安倍晋三が嫌いという有権者は非常に多い)。それでも選挙制度(小選挙区比例代表並立制)の欠陥のために,いまのような欠陥そのものである政権が強行する「専制的独裁志向政治」も生まれていた。

 ⑤「野党は自公を巻き込んで安倍退場を迫るしかない」(『天木直人のブログ』2018-05-22)

 ついに中村愛媛県知事が安倍首相のウソ答弁を暴くあらたな文書を国会に提出した。安倍首相が2015年2月に加計学園理事長と面談し,新しい獣医大学の考えに前向きのコメントをしていたというのだ。

 愛媛県の文書はれっきとした公文書だ。加計学園が否定したところでなんの意味もない。もはや安倍首相は逃げられない。しかし,この愛媛県の文書を根拠に,野党がいくら安倍首相に迫っても,なにも起こらないだろう。

 安倍首相は開きなおるだろう。もはやいまの野党では安倍政権を追いこめないのだ。国民もそれをしっている。ならば野党はどうすればいいのか。

 中村知事が国会に提出した新たな文書を,野党の手柄にしたり,与野党の政局に使うのではなく,政権政党である自民党や公明党の良心に訴えて,自公を巻きこんで安倍首相に退陣を迫るしかない。

 これこそが,私が繰り返し提唱してきた,国民のための緊急避難的な与野党統一戦線を作るということだ。

 中村知事が期待しているのもまさしくそれだろう。新文書の国会提出で問われれているのは,安倍首相のウソだけではない。この国の国会が問われているのだ。国会を職場としている与野党の国会議員の存在そのものが問われているのである。
 注記)http://kenpo9.com/archives/3765

 「金属疲労」という用語があるが,この国は「疾うの昔」にこの現象に見舞われていた。安倍晋三が第2次政権に就いたときからすでに,実は完全にそうなっていた。ところで,ネット新聞の『リテラ』は毎年末には,安倍晋三の “ウソ語録・ベストテン” を整理し,報道してきたが,もうそろそろ,その “ワースト・ハンドレッド” を作成する時期にもなっている。
    安倍晋三ウソ画像4
    安倍晋三ウソ画像5
   出所)https://twitter.com/hashtag/ウソつき安倍

 ⑥「安倍政権を見極める ⑲  安倍晋三は嘘をついて出世してきた」(『日本の問題の勉強』2015年12月23日)

 ここに引用するこの文章は,いまから2年半前の記述である。だが,その後も安倍晋三はウソを材料に「自分のための〈バベルの塔〉」を営々と建造してきた。だから,このようにウソしかいわない「世襲3代目の政治家」としての汚名を,生存中のいまから用意周到に準備しつつある。

 --日本で首相をしている安倍晋三。彼が嘘を連発すること,ほとんど嘘しかつかないことは,皆さんがよくご存知なはずです。『安倍晋三は嘘つきである』。この事実は,ある程度以上の関心を政治にもつ人ならば,常識として理解しているでしょう。

 先日にウェブサイト『リテラ』をみたところ,面白い記事がありました。安倍さんが,政治家として出世する過程でも,嘘をついてきたというのです。本日〔2015年12月23日〕は,それをとりあ上げることにします。(以下は,ニュースサイト / リテラにある記事からの抜粋です)

 1)北朝鮮に拉致された被害者・蓮池 薫さんの兄で,「家族会」の元副代表である蓮池 透さん。
 透さんは,2015年12月9日の辻本清美議員のパーティで,「安倍さんは嘘つきだ。拉致問題を利用して,総理大臣になった。」と暴露しました。

 「安倍さんがどういう風に喧伝したかというと,小泉訪朝に同行したさいに,『北朝鮮側から謝罪と経緯の報告がなければ,日朝平壌宣言にサインせず席を立って帰るべきだと,自分が小泉首相に進言した』と主張した。だがそれは嘘。その考えは,訪朝した皆の共通認識だったんだから」〔である〕。

 安倍のこの武勇伝は,まったくの〔安倍自製〕デマだ。日朝首脳会談の立役者である田中 均(当時は外務省のアジア大洋州局長)は,安倍の進言をはっきりと否定している。「金 正日が拉致を認めて謝罪しなければ,平壌宣言に署名しない」というのは,関係者全員の基本認識だった。ちなみに,このデマをリークしたのは,安倍晋三本人だ。

 2)透さんの話は続く。
 「弟たちが一時帰国という事で(日本に)帰ってきた時,2週間で(北朝鮮に)帰ることになっていた。この時に『安倍さんが北朝鮮に戻るのを体を張って止めた』という話になっているが,真っ赤な嘘! 止めたのは私なんだから!」

蓮池透表紙2 このデマも流布しており,安倍自身はフェイスブックに「帰さないという自分の判断は正しかった」と書きこみ,自分の手柄として語っている。「安倍さんの美談がはびこっている。すごく拉致被害者に寄り添っている,みたいなイメージ。その美談を利用して総理大臣になった」。
 付記)左側画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。

 こうしたデマ武勇伝は,安倍の「闘う保守政治家」というイメージ形成に大きく寄与している。さらにいえば,排外ナショナリズムの機運を一気に高めた。安倍は,拉致問題を利用して闘う政治家のイメージを作り上げ,排外ナショナリズムを煽り,それを武器に総理大臣になったのだ。

 3)「安倍さんは,かけ声だけ」
 自分の在任中に拉致問題を解決するといってますけど,なにをもって解決とするのか,安倍さん自身分かってない」。『安倍晋三はかけ声だけ』,これは彼の政治姿勢のすべてに当てはまる。アベノミクス,積極的平和主義,一億総活躍。すべてはかけ声だけで,その先に問題解決がない。

 菅 直人・元首相は,福島原発事故時の対応について,『安倍晋三・首相がメルマガで事実と異なる記事を掲載した』として,名誉毀損の訴訟を起こしていた。問題のメルマガでは,安倍は「やっと始まった海水注入を止めたのは,菅総理です。これが真実です」と語った。

 翌日には,読売新聞と産経新聞はこれを一面で報じた。だがこれは,まったくのデマだ。海水注入を止めるように指示したのは,東電の武黒一郎である。吉田所長は,それを無視して注入を続けた。吉田所長も証言している。菅首相や官邸から,東電に電話を入れた(指示した)事実はない。

 だが,菅の訴えを東京地裁は棄却した。司法担当の記者「明らかに異常な判決です。裁判所としては,現役の総理大臣に対して違法との判断を下せなかったのでしょう」。海水注入の命令は,海江田大臣から出されると,変更はなかった。

 菅首相,海江田大臣,武黒フェローを交えた打ちあわせでも,海水注入への反対意見はなかったと確認されている。注入の中断は,武黒フェローの独断だった可能性が高い。海水注入におけるニセ情報は,安倍が政敵を陥れるための捏造だった。

 4)「9・11」
 2001年に9・11テロが起きると,ブッシュ政権はアフガン攻撃を始め,小泉政権に「日本も支援しろ」と迫った。この時,キーワードとして日本で流布された言葉が「ショー・ザ・フラッグ」だった。「自衛隊を派遣することで旗をみせろ」と迫られたと,日本のメディアは報じた。

 このキーワードの発言の主は,アーミテージ国務副長官とされ,「柳井俊二・駐米大使との会談で発せられた」と報じられた。だが,これは事実ではないと判明している。実際には,当時は官房副長官をしていた安倍が,マスコミに嘘のリークをしていたのである。

 田畑 正(テレビ朝日)は,「日本でもっとも早く『ショー・ザ・フラッグ』を口にしたのは,安倍である。彼は私たち〔『リテラ』側〕のインタビューに対して,「柳井氏の公電を読んだのは,だいぶあとになってからだ」と答えた。

 「柳井氏からの公電には,ショー・ザー・フラッグは出ていない」。この時の情報操作は,安倍と外務省ナンバー2だった高野紀元の合作だったといわれている。〔そしてこの〕ニセ情報の拡散は,テロ特措法が成立する要因となった。

 安倍を長くみてきた全国紙の政治記者は,こう語る。「安倍さんって,マスコミを裏で動かすのが意外に上手いんだよ。自分に都合のいい情報を,嘘を交えて巧みにリークする。彼が注目を集めた拉致問題の時から,そうだった」。

 5)ま と め(以上 ⑤ の)
 この〔『リテラ』の〕記事を読み,「安倍晋三は,日本の重要問題についても,自分のためならば平気で嘘をつく。国益よりも自分の利益を優先してしまう,政治家にしていてはいけない人物だ」とあらためて理解できました。

 私は,自民党では河野太郎と野田聖子を評価しています。この2人は,TV番組に出たさい,質問に対して誠実な回答をしていたし,これからの日本のあり方についてビジョンをもっていた。

 「こんなにマトモで優秀な人がいるのに,なんで自民党は安倍のような無知で我儘な人物を担ぐのだろう?」と,番組をみていて思いましたよ。安倍さんは,首相の器ではないです。彼は,地元に帰り,チンピラ風のおっさんと白い目でみられつつ一市民として暮らすのが,一番よいです。本人のためにも,日本のためにも,それが良い。

 容赦なく首相の座から引きずり降ろそう。野党だけでなく,自民党や公明党の人も,この方向でいっしょに頑張ろうよ。発言の知的レベルが,河野や野田と安倍では10倍くらい違う。

 なんであんなにアホで自分勝手な人を,首相にしてしまうのか。そろそろ国政に,理性や大人な感覚を復活させようじゃないか。「チンピラに国政を委ねるとどうなるのか」という実験は,もうたくさんです。(引用終わり)
 注記)http://naotatsu-muramoto.info/nihonnomondai/mondai.seiji23.html

 だが,それからいまでは2年半近くもの時間が経過している。手遅れというよりは,これでは日本は救いようのない奈落の底に,それも安倍晋三によって突き落とされたも同然の状況である。なお,以上の引用中では野田聖子はさておき,当時までにおける評価として高い点を河野太郎にも与えているが,その後においてこの太郎が外務大臣になってからの言動は,全然評価できない。

 河野太郎は反原発である自身の立場を封印したり,外務大臣には世界に飛びまわるための専用機が欲しいとかいいながら,安倍晋三の意向どおりに「バカに徹し」ながら,その仕事をおこなっている。いままで,河野が「政治家として自分が保持していたはずの基本理念(矜持)」を根幹からかなぐり捨て,それもみずから進んで骨抜きにした演技は,とくに鼻につくほかない行跡となっている。

 かつて自民党のなかでは「河野太郎は共産党だ」とまで非難されていたが,いまの太郎にその面影はない。安倍晋三を忖度するだけの「陣笠大臣の1人」になりはてた。

 というようなしだいであるから,さすがに『日本経済新聞』も本日(5月23日)「社説」を,「加計関係者を招致し解明を」という論題にして書かざるをえなくなっていた。引用する。

 --学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり,愛媛県が新たな記録文書を参院に提出した。学園の加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と2015年に面会し,学部の新設計画を説明したという記載がある。首相の答弁と大きく食い違う内容で,関係者を国会に招致して経緯の解明を急ぐべきだ。

 愛媛県の文書は2015年3月付で,加計理事長と首相が同年2月25日に15分程度,面談したと記している。「国際水準の獣医学部をめざすことなどを説明」「首相からは『そういう新しい獣医大学の考えはいいね』とのコメントあり」などと記録されている。
 補注1)加計学園獣医学部の問題について関連していうと,この獣医学部ははたして,どの程度の水準で,獣医を育成できるかという問題もある。当然,入学してくる学生の資質に制約されることがらである。既存の国立大学と私立大学における獣医学部・学科の偏差値ランキングは,たとえばこう指示されている。一例である。
 ☆ 2018年 最新! 全国 国公立大学
 獣医学部(学科) 偏差値ランキング ☆


 【 72~67 】
   北海道大学 [国立/北海道] 獣医学部/共同獣医学科   72
   東京農工大学 [国立/東京] 農学部/共同獣医学科    68
   帯広畜産大学 [国立/北海道] 畜産学部/共同獣医学課程 67
   鹿児島大学 [国立/鹿児島] 共同獣医学部        67

 【 67~65 】
   山口大学 [国立/山口] 共同獣医学部       66
   宮崎大学 [国立/宮崎] 農学部/獣医学科     66
   鳥取大学 [国立/鳥取] 農学部/共同獣医学科   65

 ☆ 2018年 最新! 全国 私立大学
 獣医学部(学科) 偏差値ランキング ☆


 【 65~55 】
   日本大学 [私立/東京] 生物資源科学部/獣医学科    65
   北里大学 [私立/東京] 獣医学部          64
   麻布大学 [私立/神奈川] 獣医学部           64
   酪農学園大学 [私立/北海道] 獣医学群       61
   岡山理科大学 [私立/岡山] 獣医学部        60
   日本獣医生命科学大学 [私立/東京] 獣医学部    55(※)
    注記)http://daigakujyuken2.boy.jp/zenkokujyuuigakuburanking.html
   補注2)(※)の日本獣医生命科学大学の「55」は間違いと思われる。「65」ならば,ここでの “適切な数値” であるとみなせるが。この点は,ほかの解説も併せていくつか参照すれば,ただちに納得がいく事項である。途中だが,別の記述からこういう説明も聞いておく。
  偏差値はおおよそ61~72の範囲ですね。獣医学部はどの大学も偏差値は高いですね。簡単に入ることのできる学部ではないことが一目瞭然です。都心部に近いほうが基本的には人気はあるようですが,北海道は理系人気抜群なこともあり偏差値は高いですね。

  また,国公立大学の偏差値と私立大学の偏差値は簡単には比べることができないので要注意です。同じような偏差値にみえますが,私立と国公立では雲泥の差があります。後述しますが,学費が全然違うんですよね。

 学費を払える余裕がある家庭でないと,私立大学の獣医学部には6年間通えません。ただ,そもそも獣医学部を狙っている受験生は,お金に余裕のある家庭が多いので私立も国公立ほどではありませんが,人気はあります。
 註記)「獣医学部のある大学の偏差値・倍率・難易度・定員・学費・就職まとめ」『関関同立.net』2017.08.29,2017.11.11,https://www.kankandouritsu.net/archives/24097919.html
 補注3)日本獣医生命科学大学は1949年に設置されており,東京都武蔵野市境南町1-7-1にある。この大学の獣医学部よりも岡山理科大学獣医学部(新設の獣医学科)が,「偏差値で上位に着けられる」わけがない。単純な誤植か? それとも安倍晋三君への忖度をこめた間違いか?(などとおちょくりたくもなるミス?)

 前段で字下げをして引用した「解説そのもの」はともかくとしても,岡山理科大学獣医学部獣医学科に「60」の予想が付けられていた。だが,本当に適切に対応する偏差値を,いまの時点でみつけるのはむずかしい。ちまたの予測では,より正確には「55〔前後〕以下」というところである。つまり〈後発の新設大学〉の獣医学部獣医学科としてみるに,どうしてもどん尻の位置に着けることは「理の必然」的な情勢である。

 「学校法人日本医科大学傘下の大学」にある「日本獣医生命科学大学の獣医学部」が,岡山理科大学獣医学部より入試の偏差値で下位に出てくるかどうかといえば,これはだいぶ怪しい話題である。前述のように間違いなく誤植と思われる。

 いずれにせよ,はたして,加計学園岡山理科大学獣医学部が「国際水準の獣医学部をめざすこと」ができるかといえば,教員の研究分野におけるそれはともかく,そのような能力・実力を有する学生・院生を輩出できる保証があるかと問われたら,かなり困難だと観るほかない。

 〔ここでようやく『日本経済新聞』社説に戻る→〕 文書は当時の柳瀬唯夫首相秘書官(現経済産業審議官)が同年3月24日,4月2日に自治体や学園関係者と会い,加藤勝信官房副長官(現厚生労働相)も同年2月に面談したとしている。

 首相は親友である加計氏との関係について「私の地位を利用してなにかをなしとげようとしたことは一度もない」「学部新設の計画をしったのは2017年1月20日」と国会で繰り返し答弁した。

 首相は〔5月〕22日,記者団に「指摘の日に加計氏と会ったことはない。念のために官邸の記録を調べたが確認できなかった」と語った。学園側も愛媛県の文書の記載内容を否定する談話を出した。

 文書の記載がどの程度正確なのかは分からない。しかし,獣医学部新設のため国家戦略特区に認定する過程で,文部科学省や愛媛県から首相と加計氏の関係に触れる資料がつぎつぎとみつかるのは異例の状況だ。一方で誘致先の同県今治市の記録も明らかにしてほしい。
 補注)加計学園獣医学部に対してはとくに,補助金をふんだんに支出しているのが今治市である。「加計学園への補助金を一部カット 愛媛県と今治市」との見出しで報道した記事は,こう説明していた(asahi.com  2018年2月17日11時59分)。冒頭段落のみ引用する。
  愛媛県は〔2018年5月〕15日,学校法人加計学園(岡山市)が同県今治市に新設する岡山理科大獣医学部について,県と今治市が学園側に補助する対象額を,約186億4千万円と算定したと公表した。

 学園名が入った看板などの費用を除き,学園側が示す総事業費約192億円から約5億8千万円をカットした。今治市は半額の約93億2千万円を3年間で補助し,県はうち3分の1の約31億円を市に補助する。
 注記)https://digital.asahi.com/articles/ASL2H4J29L2HPTIL00P.html
 野党は「首相の答弁が嘘ならば内閣総辞職に値する」と強く批判し,あらためて加計,柳瀬両氏の証人喚問,愛媛県の中村時広知事の参考人招致を求めた。

 加計問題が国会でとりあげられてすでに1年以上たつが,特区認定が公平だったのかどうかの疑念は晴れていない。与野党は当事者に事実をたしかめ,行政のゆがみを正していく責任がある。(日経社説引用終わり)

 この日経「社説」は「国会の与野党双方:全体」に対して意見している。とはいっても,問題児は安倍晋三君であることになんら変わりはない。

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 【「本当のウソ」を貫こうとする安倍政治の「嘘と偽り」にもとづく言動の破綻】

 【郷原信郎の分析・観察・批判がまっとうである】

 【不要の大学を救済した安倍晋三の友情発揮物語が,岡山理科大学獣医学部の新設であった】



 ①「安倍首相が『獣医大学はいいね』」愛媛県新文書に記録」(asahi.com 2018年5月21日18時28分)

 学校法人「加計学園」の獣医学部新設をめぐり,2015年2月に学園の加計孝太郎理事長が安倍晋三首相と面会した,と学園側から報告を受けたとする内容を,愛媛県職員が文書に記録していたことが分かった。
   asahi.com2018年5月21日安倍晋三画像
 註記)「獣医学部いいねといったのですか」問われた首相,無言。
 
 付記)この記事の関係で紹介・指示されていた文書派は,以下のものであった。
   ※1 「首相と加計理事長が会食,大学設置の話」
   ※2 柳瀬氏「獣医学部新設の話は総理案件」
   ※3 加計側「藤原氏紹介,柳瀬氏に礼述べたい」
   ※4 加藤氏と加計側の面会後,今治市「厳しい」
 加計氏が学部新設をめざすことを説明し,首相が「新しい獣医大学の考えはいいね」と応じたとの報告内容も記されている。愛媛県は〔5月〕21日,この文書を含む関連の文書計27枚を参院予算委員会に提出した。

 これまで安倍首相は,加計氏について「私の地位を利用してなにかをなしとげようとしたことは一度もなく,獣医学部の新設について相談や依頼があったことは一切ない」と答弁している。

 また,学園の学部新設計画をしったのは,国家戦略特区諮問会議で学園が学部設置の事業者に決まった2017年1月20日,とも説明していた。2015年2月の段階で加計氏が話をしたとする文書の内容と,安倍首相の説明は矛盾しており,あらためて説明を求められそうだ。

 首相の発言が記録されている愛媛県の文書は「報告 獣医師養成系大学の設置に係る加計学園関係者との打合せ会等について」との題名で,「27.3.」と書かれている。2015年3月に作成されたとみられる(以下には引用中の記事からつぎの文書2点をかかげておく)
  asahi.com2018年5月21日加計学園文書2

  asahi.com2018年5月21日加計学園文書1
 文書〔前掲では下のもの〕では,学園側の報告として「2 / 25に理事長が首相と面談(15分程度)」し,加計氏が首相に「今治市に設置予定の獣医学部では,国際水準の獣医学教育をめざすことなどを説明」と記載。「首相からは『そういう新しい獣医大学の考えはいいね』とのコメントあり」と記されていた。

 別の文書〔前掲では上のもの〕には,今治市からの報告として,加計氏が安倍首相と会う前の2015年2月に,学園側が加藤勝信・元内閣官房副長官(現・厚生労働相)と面会した,との記述もあった。獣医師養成系大学の設置は「厳しい状況にある」とし,学園の動向として,国家戦略特区で獣医学部新設をめざす新潟市への危機感から「理事長が安倍総理と面談する動きもある」と書かれていた。

 当時の柳瀬唯夫・首相秘書官(現・経済産業審議官)に関して記述された文書もあった。今治市からの報告として,同〔2015〕年3月24日に柳瀬氏と学園側が面会したさい,柳瀬氏が「獣医師会の反対が強い」と述べ,「この反対を乗り越えるため」として,「内閣府の藤原地方創生推進室次長に相談されたい」と述べた,と記載されていた。

 文書は参院予算委の要請に応じて県が再調査した結果,みつかったといい,今治市,加計学園の職員らと首相官邸などを訪れた2015年4月2日の面会内容や,この面会に至るまでの経緯が主に記されている。愛媛県は公表していないが,朝日新聞は国会関係者から入手した。

 加計学園は「理事長が2015年2月に総理とお会いしたことはございません。すでに多くの新入生が大学で勉学をスタートしており,新学期の学務運営,また在学生の対応でとても取材等受けられる状態ではありません」などとするコメントを出した。
 註記)https://digital.asahi.com/articles/ASL5P62L5L5PUTIL061.html
 補注)この最後の段落の加計学園側の応答ぶりはコッケイである。これまで獣医学部の新設が認められて入学式が執りおこなわれる段階まで,完全に雲隠れしてきた加計孝太郎理事長である。いまさら,なにをかいわんや……。
     安倍晋三と加計孝太郎画像3
 出所)これは萩生田光一のいいぶん,https://ameblo.jp/battleship2199/entry-12295989768.html
 以上は5月21日の18時22分時点でメール配信された asahi.com の記事を引用したが,本日〔5月22日〕の『朝日新聞』朝刊は,1面冒頭の記事としても関連する報道をしていた。

 さて,愛媛県関係者が記録に残したこの内容を,安倍晋三政権側がどのように受けとめるか “みもの” である。2017年1月20日まで加計学園獣医学部問題をしらなかったと答えてきた安倍晋三は,愛媛県の文書が事実であれば,またもや大ウソを平然と放っていたことになる。この首相の虚言癖は常習的な言動方式であるから,いまさら格別驚く結果ではない。

 しかし,一国の政治を,今回の場合では文教政策の実行にかかわる獣医学部(安倍晋三は獣医大学と発言)の設置新設を,無理やりにでも,自分のオトモダチである加計孝太郎が法人経営する岡山理科大学の新学部構想として,実現させていた。

 森友学園問題の場合は小学校(「安倍晋三記念小学校」ともいわれていた)の新設は,不首尾に終わっていたものの,こちら加計学園の獣医学部構想は「安倍晋三の個人的なえこひいき」によって,日本中の獣医学部・獣医学科定員のなかでも一番多い140名を提供していた。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
全国獣医学部定員図解
  出所)https://www.kantei.go.jp/jp/singi/tiiki/kokusentoc_wg/hearing_s/140805siryou01.pdf

 ② 安倍晋三流の「私物化政治」に蝟集する魑魅魍魎たち

 ここではその全文を紹介(引用)しないが,『郷原信郎が斬る』が記述していた「首相が秘書官に『口裏合せ』を懸念されることの“異常”」(投稿日: 2018年5月19日)が,以上の ① の背景を冷静に分析するうえで,有用な見地をくわしく記述している。注記にはリンクも張っておいたので,興味ある人はこちらから読んでもよい。
 註記)https://nobuogohara.com/2018/05/19/首相が秘書官に「口裏合せ」を懸念されることの/ 

 この一文は,元検事・弁護士の郷原信郎が分析する加計学園獣医学部問題であった。① にも登場している柳瀬唯夫(元首相秘書官)や今井尚哉(現在の政務秘書官)も舞台に出ている記述内容である。要は「首相が秘書官に『口裏合せ』を懸念される」件が,今回の問題だと指摘している。

 結局「みずからの「『口裏合わせ』のおそれ」に言及した安倍首相の立場は,もういい加減にボロをたくさん出しはじめている,という指摘である。郷原信郎が記した文章の全部ではないが,そのかなりの部分を以下に引用する。その見出しのみかかげた段落もある。

 ① の報道は,この郷原信郎の分析(観察・批判)が真っ当であったことを教示している。それにしても,安倍晋三側は下手な演技をしてきたものである。

 ウソでウソを固める操作を延々とせざるをえなかった安倍の立場である。さらに,新しい証拠(事実)が出てきた今回の段階に至り,その「嘘・偽り」が一気に溢れ出してきた。このような「世襲3代目の政治家」が日本を牛耳っている。

 それも,きわめて単細胞的な極右の反動政治家であり,専制的な独裁志向によった自分好みの内政・外交をやってきた。その反国民的な立場の破壊性,つまり亡国性は限りなく重大であり,かつまたはてしなく深刻である。安倍晋三はこの国の政治を私物化し,破壊しつつある。

 郷原信郎の引用に入る。

 a) 加計学園の獣医学部新設をめぐる問題について,5月10日の衆参両院予算委員会で柳瀬唯夫元首相秘書官の参考人質疑がおこなわれ,5月14日の衆参両院の予算委員会の集中審議では,柳瀬氏の参考人質疑の結果に関連して,安倍首相に対する質疑もおこなわれた。

 それらの質疑で,柳瀬氏と安倍首相の答弁が一致しているのが,「柳瀬氏は,加計学園関係者と3回も首相官邸で面談したのに,首相に報告しなかった」という点であった。だが,それは,首相と首相秘書官との一般的な関係からは「ありえないこと」だというのが常識的な見方である。

 最新のNHK世論調査で,柳瀬氏の説明に「納得できない」とする回答が,全体で8割近くに上り,与党支持者でも7割を超えている。

 柳瀬氏は参考人質疑で,「2015年4月に官邸で加計学園関係者と面会していた記憶はあったが,愛媛県,今治市側とは会った記憶はなかった,そのことを,昨〔2017〕年7月の衆参両院での閉会中審査の前に今井尚哉首相秘書官にも伝えていた」と答弁し,

 一方,安倍首相は,「柳瀬氏と加計学園関係者とが首相官邸で面談していたことは,柳瀬氏から聞いた今井秘書官から,ゴールデンウイーク中に『柳瀬元秘書官が国会に呼ばれれば学園関係者と面会したことを認める』との報道が流れたさいに,報告を受けてしった」とした。

 そして,今井氏が,昨〔2017〕年7月に柳瀬氏と加計学園関係者との面談の事実をしりながら,それを安倍首相にしらせなかった理由について質問され,つぎのように述べていた。
  柳瀬元秘書官から,「加計学園関係の獣医学の専門家から話を聞いた記憶はあるが今治市の方と会った記憶はない」との話を聞いたとのことでした。ただ当時は今治市との面会の有無が争点となるなかで,このやりとりを含め私に報告がこなかったということですが,と同時に,

 いわば私が柳瀬元秘書官と,こういうことについて口裏を合わせているということはあってはならないことでございますので,そのさい柳瀬元秘書官は参考人として呼ばれていましたので,このやりとりについては,私に伝えない方がいいだろうということであった,とのことでございます。

 その後,今井秘書官も柳瀬秘書官とは,こうしたことについては連絡をとっていないということでございます。
 b)「加計学園問題の真相」に関わる重要事実の隠蔽
 この安倍首相の答弁は,加計学園問題の真相解明に関してきわめて重要な内容を含んでいる。安倍首相の答弁のとおりだとすると,今井氏は,安倍首相と柳瀬元秘書官とが「加計学園関係者と官邸で面談したこと」について口裏を合わせをしてはいけないと考え,安倍首相に伝えなかった,ということになる。

 今井氏は,安倍首相にしらせれば「口裏合わせ」をする恐れがある,つまり,それを伝えると,安倍首相が,参考人質疑の前に,柳瀬氏に連絡をとったりする可能性があると考えていたということになる。〔そして〕この閉会中審査で,安倍首相はこう述べていた。
 友人がかかわることですから,疑念の目が向けられるのはもっともなこと。いままでの答弁でその観点が欠けていた。足らざる点があったことは率直に認めなければならない。つねに,国民目線で丁寧なうえにも丁寧に説明を続けたい。
 その閉会中審査では,和泉洋人首相補佐官,前川喜平・前文部科学事務次官にくわえ,藤原 豊・前内閣府審議官,八田達夫国家戦略特区民間議員・ワーキンググループ座長などが参考人招致されていた。そこで求められていた「丁寧な説明」というのは,当然のことながら,単にそれまでのいい方を反省し,いい方を丁寧にして,「獣医学部新設について指示したことはない」という従前どおりの内容の「説明」を繰り返すことではなかった。

 加計学園の獣医学部新設が認められた経緯と,そこに,首相のみならず,首相官邸や秘書官,補佐官等の首相の側近が,どのようにかかわったかについて真相を明らかにしたうえ,安倍首相が,その真相を「説明」することが閉会中審査の目的だったはずだ。

 安倍首相も,招致されている参考人に事前に連絡をとったりして,自分に有利な答弁をするように求めたりしてはならないことは当然分かっていたはずであり,今井氏としても,把握している事実は,できるだけくわしく安倍首相に報告するのが当然だ。

 ところが,今井氏は,安倍首相が「口裏合わせ」をすることを懸念して,柳瀬氏と加計学園関係者との官邸での面談のことを伝えなかったというのである。

 それが事実だとすると,もっとも近い立場で首相を支えている政務秘書官の今井氏が,安倍首相が,そのような軽率な行為をおこなうおそれがあると思っていたということであり,それは,安倍首相に対して,あまりに「失礼な対応」だといわざるをえない。

 c) 柳瀬秘書官が首相官邸で加計学園関係者と面談したということであれば,それがいかなる理由によるものであれ,加計学園の獣医学部新設に至る経緯のなかできわめて重要な事実だ。

 それを,首相にしらせていなかったとすると,安倍首相は「森友,加計問題隠し解散」などともいわれた解散後の総選挙中での加計学園問題についての「説明」も,上記のような重要な事実の認識を欠いたままおこなっていたことになる。それは,加計学園問題に対する安倍首相の国会や国民への「説明」全体に重大な疑念を生じさせる問題だ。

 もっとも,昨〔2017〕年7月の閉会中審査の前に柳瀬氏から,加計学園関係者との官邸での面談の事実についてしらされた時点で,今井氏が,柳瀬氏に〔対して〕,その直後の参考人質疑で,加計学園関係者と官邸で会ったことをありのままに答弁するよう指示あるいは助言し,柳瀬氏がそのような答弁がおこなうまでは,万が一にも,安倍首相が柳瀬氏と「口裏合わせ」をすることがないように,それを安倍首相には伝えなかったというのであれば,安倍首相に対して「失礼な話」ではあるが,それなりの合理性があるといえなくもない。

 しかし,実際には,柳瀬氏は「加計学園関係者との官邸での面談の事実」について自分から明らかにしようとせず,愛媛県文書の公開まで「記憶しているかぎり会った事実はない」と,面談の事実じたいを否定しつぐけた。しかも,柳瀬氏は,今〔2018〕年5月に再度参考人招致され,加計学園関係者との面談は認めたものの,愛媛県,今治市職員との面談については「記憶がない」としている。

 きわめて信ぴょう性が高い愛媛県文書の記載……によれば,柳瀬氏が,愛媛県職員らに「自治体がやらされモードではなく,死ぬほど実現したいという意識をもつことが最低条件」などと,国家戦略特区による獣医学部新設に向けて懇切丁寧に指導をしていることは明らかで,柳瀬氏の答弁が真実を語っているとはとうてい考えられない。

 これらの対応が,加計学園問題の真相解明をいちじるしく妨げていることは明らかだ。昨〔2017〕年7月の時点での柳瀬氏の対応は,今井氏の指示か少なくとも了承を受けておこなっているものと考えられる。

 d)『文芸春秋』6月号の今井氏に関する記事とインタビュー(中略)

 e) 再度の参考人質疑で,柳瀬氏が今井秘書官の関与に言及(以下は中略あり)
 加計学園の獣医学部新設に,首相や首相官邸がどのようにかかわったのかが問題になっているのであり,「2015年4月2日に官邸で加計学園関係者と会った」という重要な事実を秘匿するのは,国会に対しても国民に対してもいちじるしく背信的で,「官僚の常識」からもとうていおこないえない行為だ。

 柳瀬氏も,国会で何回も頭を下げることになった。柳瀬氏が閉会中審査で「不誠実な答弁」をおこなったことについては,今井氏が了解しており,今井氏も「同罪」であるからこそ,柳瀬氏は,あえて「今井氏への事前説明」に言及したと考えるのが自然であろう。

 今井氏が,昨〔2017〕年7月の閉会中審査での,官邸での加計学園関係者との面談を秘匿するという柳瀬氏の「不誠実な答弁」を指示あるいは容認し,一方で,その重要な事実を安倍首相にしらせなかったのは,なぜだろうか。

 少なくとも,加計学園問題についての重要な事実が,できるだけ表に出ないようにしていること,そして,その「隠ぺい」について安倍首相はまったくかかわっていなかった話にしようとしていることは間違いない。その結果,「首相が秘書官に『口裏合わせ』を懸念され,重要事実を長期間しらされなかった」などという “異常” な話になってしまっている。

 安倍首相は,ゴールデンウイーク中に今井氏から柳瀬氏が官邸で加計学園関係者と会っていたことをしらされ,そのさい「口裏合わせがあってはならないと考えて,これまでそのことはしらせなかった」といわれて,今井氏にどういったのであろうか。「そう思うのは無理もない。しらされていたら口裏合わせをしたかもしれない。やっぱり今井ちゃんは頭がいい」と納得したのだろうか。

 真っ当な感覚をもっていれば,それはありえない。今井氏に対して,「そんな重要なことをどうして私にしらせなかったのか。私が口裏合わせなどするわけがないじゃないか!」と激怒するのが当然だろう。そうでなかったとすれば,「加計学園問題について重要な事実を可能なかぎり隠蔽し,その隠蔽に安倍首相がかかわっていないことにする」という方針について,今井氏と安倍首相とが「完全に一致していた」ということになる。
   今井尚哉政務秘書官画像
 出所)https://www.youtube.com/watch?v=bC1TYY4YNXc
   安倍晋三画像98
 出所)https://www.youtube.com/watch?v=Q_ejni140PU
   安倍晋三画像99
 出所)https://shanti-phula.net/ja/social/blog/?p=112746
 f) 今井政務秘書官の更迭を検討すべき
 森友・加計学園問題の「すべての黒幕」であったかどうかはともかく,少なくとも,それらの問題についての政府側の対応を中心となってとりしきっていたのが今井氏であり,それが,少なくとも加計学園問題について,真相解明をいちじるしく妨げていたことは,今回の柳瀬氏と安倍首相の答弁からすると,ほぼ間違いないといえる。

 安倍首相が,本当に「十分な説明をすること」「膿を出し切ること」をしようとしているのであれば,今井氏が加計学園問題についてなにをやってきたのかを,すべて明らかにしたうえ,今井政務秘書官の更迭を検討すべきであろう。(郷原信郎の引照・終わり)

 ③ む す び

 a) 愛媛県は,加計学園岡山理科大学獣医学部のために30億円を超える補助金を支出していくことを決めていた。中村時広知事が安倍晋三の虚言・食言を許せない理由をもつことは当然であり,またこのような案件を前知事の引きつぎ案件として背負わされた事情についても,特定の感情を抱いているはずである。
★ 加計獣医学部支援に13億円 愛媛県,2月補正 ★
= nikkei.com  2018/2/15 21:55 =

 愛媛県は〔2月〕15日,2017年度2月補正予算案に,同県今治市を対象にした財政支援13億9800万円を盛りこんだと発表した。加計学園(岡山市)が4月に同市内で開学する岡山理科大学獣医学部の整備費について,市が拠出する補助金の一部を県が負担する。県は支援期間を2017~19年度の3年間とし,総額で31億600万円を拠出する方針だ。

 愛媛県が補正予算案に計上する財政支援は,〔2月〕22日に開会する愛媛県議会で承認されれば,今治市に交付する。同市はみずからの財源から拠出する分と合わせ,一括して獣医学部の整備事業に助成する。同市は現在,策定を進めている2017年度補正予算案に補助金を計上する。

 県は2018,2019年度分の支援についても,加計学園による整備費の支出状況を確認しながら,各年度中の補正予算に盛りこんでいく方針だ。

 加計学園が示してきた獣医学部の整備費約192億円に対し,今治市は半分を支援する方針を決め,その3分の1にあたる30億円強を愛媛県の負担と想定してきた。県は整備費の内容を精査し,助成対象とすべき事業費の総額を186億円,県の負担額を31億円と算定した。
 註記)https://www.nikkei.com/article/DGXMZO26973460V10C18A2LA0000/
 b) この獣医学部が今後に完成年次を迎えてから,いったい,どのような人材を育成していくのか(できるのか),この点も “みもの”である。

 安倍晋三が加計孝太郎のために便宜を図り,岡山理科大学に獣医学部を創設させえた事情は,完全に政治的な醜聞になっていた。もしも,この獣医学部が満足な成果を上げえない教育機関となっていったら,安倍の「政治私物化の立場」に関する事後責任がさらに加重される。そもそも,愛媛県や今治市による血税支出がこの加計学園のためになされたことからして,ムダにもなる。

 岡山理科大学は非一流の大学である。また加計学園は別に,銚子市にある千葉科学大学も経営しているが,この大学への進学志望者の減少はめだっている。2017年の入試関係情報は,こういう数値である。BFランク。勉学に着いていける学生が集められているのか疑問が大きい。
                倍率      募集人数  志願者数  受験者数  合格者総数
薬学部      1.1   160     400     376    330

危機管理学部   1.0   300     410     395    378

看護学部     1.1     80     213     202    181
 註記)https://passnavi.evidus.com/search_univ/2185/bairitsu.html
 ちなみに,この千葉科学大学薬学部の偏差値は,そのほとんどが35〔~37.5〕と出ている。一言で切り捨てていえば,無用同然である大学の学部である。危機管理学部・看護学部も同様とみてよい。

 加計学園の経営状態にとってみれば,岡山理科大学のほうに獣医学部(国からの政策的な援助にくわえて,愛媛県と今治市からの補助金がたっぷり支出されている)を新設するのは,起死回生策を期待したものと思われる。

 そこでは,安倍晋三の加計孝太郎に対する個人的な友情が発露されていた。もちろん “私的に披露された” のであり,そうだとみて間違いはないゆえ,この「政治の私物化」が醜聞として問題になっている。

 【 補  遺 】  
 「首相,愛媛県文書の加計側との面会否定 『いいね』も」(asahi.com 2018年5月22日08時46分)は,こう速報していた。
  安倍晋三首相は22日朝,首相官邸に入るさい,愛媛県が国会に提出した文書に学校法人「加計学園」の加計孝太郎理事長と2015年2月に面会したと記されていることについて,「ご指摘の日に加計理事長と会ったことはない。念のため,昨日,官邸の記録を調べたが,確認できなかった」と説明した。
 注記)https://digital.asahi.com/articles/ASL5Q2S64L5QUTFK002.html?ref=flashmail
 『文書の改ざん』を「もっとも得意とし,かつ〈念入りにも〉する内閣」の総理大臣がいうことである。全面的にまったく信頼できない発言である。「官邸の記録」?

 なんというか,もう糞味噌どころか,「どんぐりころころ どんぐりこ,お池にはまって さあ大変,どじょうが出てきて こんにちは,ぼっちゃん いっしょにあそびましょう……」といったところか。

 むろん,ボッチャンと音を立てて,池に落ちた「ぼっちゃん」とは,彼のことである。

 --本日,2018年5月22日の『くろねこの短語』「『獣医学部いいね』と安倍さんが言ったから,2月25日は加計記念日・・・ただいまネットで大流行!!」は,以上の安倍晋三によるドヘリクツ(大ウソ)を,つぎのように批判・論破している。
 首相動静に載ってないからってのを面談していないことの根拠にしているようだが,ペテン総理は「14日の衆議院予算委員会で,第1次政権時の首相の動静に加計氏の名前が出てこないと指摘」されて,

 「1次政権の時も加計さんと会食したことはあるが,たまたま名前が外に出ていない。それはよくあること」って答弁している。つまり,首相動静に載ってないからってのは面談していないことの証明にはならないってことをみずからいってるんだね。
 注記)http://kuronekonotango.cocolog-nifty.com/blog/2018/05/225-1bd4.html
 そうである。とくに加計孝太郎との面会などの事実は,首相動静にあえて記載していないだけのことである。安倍晋三の好きなこの種のドヘリクツは常套句。

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 【アメリカの大学で実施していれば,日本の大学にも応用可能か?】

 【国公立大学と私立大学,一流大学と非一流大学,都市の大学と地方の大学などごとに,なお問題がありすぎる】

 【日本の大学の現状を総括的に考慮しないまま,マッチングによる入試の提唱は,机上の空論であるどころか,いまの大学業界には恐慌を惹起させる】



 ①「河合塾が格付けした全国4割の大学が該当 受ければ受かるFランク私大194校も 全実名」(『週刊朝日』2000年6月23日号)

 最初に,この『週刊朝日』の記事を画像資料で紹介しておく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
週刊朝日2000年6月23日目次
週刊朝日2000年6月23日145頁
週刊朝日2000年6月23日146頁
( ↓ 画面 クリックで 拡大・可,より鮮明に映る)
週刊朝日2000年6月23日147頁
 1)いまでは,大学入試戦線では有名になっている用語「Fランク」や「BFランク」がある。この用語をさきに説明しておく。

 a)「F」という用語  河合塾が制作した用語である。模試において倍率が低く,偏差値算出が不可能な学部学科のカテゴリを意味する。「Fランク」とは文字どおり,「A,B,C,D,E」のつぎのランクのことであるが,よりくわしくいうと,次段の意味である。現在では「BF(ボーダーフリー)」という言葉が代わりに使用されている。

   要は「大学入試において競争原理が機能せず,希望者全員が入れる大学」を指して形容した用語である。「Fランク・BFランク」の大学ではだいぶ以前から,教育水準の低下や経営破綻のリスクが問題視されてきた。あるいは,偏差値が低く,無名の大学を揶揄するネットスラングにもなっている。しばしば,日東駒専未満もFラン扱いする傾向にあったり,有名大学を叩く用途で用いるユーザーもいるくらいである。
 補注)東進ハイスクールの定義によれば,日本の大学を「群」別にまとめて,こう整理されている。主な大学群としては,

   旧帝大,早慶,上理明青立法中
   関関同立,日東駒専,産近甲龍

などというように,偏差値との関係であれこれと,分類・集団化されている。つぎの図表は関連する絵解きである。
   私立大学有力大学群2013年駿台分類
   出所)駿台。

   大学群ごと偏差値分類
出所)https://japan-lifehack.com/top-200-high-deviation-value-courage
 b) 大学全入時代を迎えて入学試験が機能しておらず,大学としての教育水準に達していない大学が出てきたとされる。その「名前さえ書ければ大学に入れる」と揶揄された大学の象徴として,このFランクという言葉が転用されている。

 注意したいのは,全入大学でも推薦入試などの比率増加により,一般入試の偏差値が上げられるので,偏差値は低いが算出されてはいる。〔しかし実態から観れば〕教育水準を維持できないのではないか,また将来的な経営破綻の可能性があるとして社会的に問題視されている。
 註記)以上本文は,http://dic.nicovideo.jp/a/fランク 参照

 20世紀最後の10年の時期においてすでに明確になっていたが,日本の非一流大学のなかには,中学校程度の学力さえもたない「大学生」が出没しだしていた。この事実を踏まえて謂えば,それらの大学では高等教育とみなせるような水準・内容での講義や演習の実施・展開は,とうてい不可能になっていた。

 要は,大学としての基本的な体をすでになしていないのだから,大学と称するにはおこがましいというか,完全なる羊頭狗肉の高等教育が,実際の教育現場においては恥じらいもなく,それも「私立大学の法人経営維持という利害・観点」を優先するかたちで現象している。そうした非一流大学(大学と名ばかり)が大量に存在していた。

 2)さて,2018年2月23日記述のあるネット記事は,「『定員割れ』の私大が40%。大学改革の課題と憲法の関係 安倍政権は『人づくり革命」との御旗を掲げているが…」との表題で,こう言及していた。
  大学入学年齢である18歳人口は,1990年の200万人から,2017年には120万人に減少している。しかし一方で,大学の数は,同じ期間に500校余りから780校に大幅に増えている。そして大学進学率は,30%程度から50%超へと増加している。
大学進学率図表
出所)大学進学率であるがこれは別の表示,
https://toukei-source.com/education/enrollment-rate/

 これらの数字からいえることは,子どもの数は減ったものの,進学率が上がった結果,大学の在学者数はさほど変わりないということだ。しかし,大学の数が激増したため,結果として,「定員割れ」の私立大学が40%にのぼっている。つまり,大学の経営が問題になっている。

 国公立大予算の補助金割合は6割弱。私大は平均13%。
 註記)https://www.houdoukyoku.jp/posts/26609

 つぎの図表も参照しておきたい。「大学進学率と18歳人口との関係」(いずれも下落・減少傾向)を表現している。
『朝日新聞』2018年2月22日朝刊大学進学率図表
出所)『朝日新聞』2018年2月22日朝刊。
 以上記事(本文)の議論はさらに続くけれども,ここで切っておき,つぎの点のみ指摘したい。

 この補助金(経常費に対する)における「国公立大予算の補助金割合は6割弱」「私大は平均13%」といった格差は,国公立大学と私立大学とのあいだに厳在する,つまり「経営方式」における企業形態的に淵源する超えがたい「財政上の差異(対立?)」を,それも質的な基盤にかかわる現実的な問題として明示している。

 ②「河合塾が格付けした全国4割の大学が該当 受ければ受かるFランク私大194校も実名」(『週刊朝日』2000年6月23日号,145-147頁

 本ブログ筆者の自宅書庫を整理していたところみつけたのが,この『週刊朝日』2000年6月23日号であった。この号に掲載されていた上記表題の記事が,「Fランク大学」のことを,それも私立大学の問題として,誰でもともかく「受ければ受かる大学」だとして,議論していたのである。

 このFランク(BFランク)を分かりやすく指摘すると,たとえば関東地方でいうと,つぎのような説明がされている。前段の図解2点を出した段落につづく内容となる。
  大学受験界ではいろいろなランクの俗称がありますよね。早慶上智,MARCH,成成明獨國武,日東駒専,大東亜帝国などです。関東地方の私立大学でいうと,このあたりは有名ですが,2chとかでは,この下も存在しています。ここから下はいわゆるFランク大学として扱われているようで,ボーダーフリーという言葉もあります。

 大東亜帝国より下にはどんな大学群があるか(?)というと,たとえば「関東上流江戸桜」です。これは関東学院大学,上武大学,流通経済大学,江戸川大学,桜美林大学です。個別の大学名自体は聞いたことあるでしょう。

 あとは「中東和平成立」です。中央学院大学,東京国際大学,和光大学,平成国際大学,立正大学です。だいたいこのあたりですかね。いわゆるFランク大学の大学群としては一応存在はするのです。それも覚えておきましょう。
 註記)「Fランク大学のボーダー,基準はどこから? 行く意味ない?」『Retire in their 20s』2015/11/08,最終更新日:2016/07/26)。
 この指摘(「一応存在する」といった大学群に対する形容)を聞いたあとには,つぎのように,全国版として分類・指摘されていた「各地方別BF-Fランク大学一覧」を閲覧するのもいい。YouTube の動画(画像)による紹介なので,「⇒ 以下」にはリンクを張っておいた。

  ※-1「2018年1月版 BF-Fラン大学大全【北海道・東北】」     
     ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=oxVuRboB7NE

  ※-2「 2018年1月版 BF-Fラン大学大全【関東編】」
     ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=9cFbhwHw3JE

  ※-3「2018年1月版 BF-Fラン大学大全【東海北陸】」
     ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=Gb6FGrd1y7I

  ※-4「2018年1月版 BF-Fラン大学大全【近畿編】」  
     ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=NsAwTJS78Bc

  ※-5「2018年1月版 BF-Fラン大学大全【中国・四国】」
     ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=1XeJREfpBmU

  ※-6「2018年1月版 BF-Fラン大学大全【九州】」   
      ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=QRfkyy2wLTU


 ③「ゲーム理論で考える(上)大学定員厳格化,混乱招く 分権的制度では機能せず」(『日本経済新聞』2018年5月18日朝刊25面「経済教室」)という,ある意味では非現実的な,部分解にしかなりえない提案(大学入試改革案)の限界

『日本経済新聞』2018年5月18日朝刊経済教室栗野盛光 『日本経済新聞』「経済教室」へのこの寄稿者は,栗野盛光慶応義塾大学教授である。日本の大学に関する改革提言をする識者は,大学関係者の場合,そのほとんどがいわゆる〈一流大学〉の教員や経営陣たちである。

 慶應義塾大学は私学でいえば,日本では実質1位の立場を占めるが,ここに所属する人士がこのような主張をした点については,それなりに理解(評価?)はできるものの,はたして,日本の大学業界全体,いいかえれば,「イ)  私立大学間格差」とこの イ)  も含めたうえでの「ロ)  国公立大学と私立大学」という2つの問題全体に適合的な判断を下せるのかと問えば,これには大きな疑問符がつく。

 ともかく,この寄稿の論点(ポイント)を事前に整理すると,つぎの3点であるという。

  ◆-1 定員厳格化,大学・学生の意思決定むずかしく
  ◆-2 集権的制度を導入すれば混乱回避は可能
  ◆-3 欧州各国や中国は集権的入試制度を採用

 政府は東京一極集中の是正のため,東京23区の大学の定員増を原則10年間認めないことや,入学定員超過に対する補助金減額など大学定員厳格化を打ち出した。こうした政策はどんな影響を及ぼすのか。
『日本経済新聞』2018年5月18日朝刊経済教室大学入試改革

 a) 本稿では,マッチング(組み合わせ)理論を実践する分野であるマーケットデザインの観点から,現行制度での定員厳格化は受験生にとって負の影響が大きいことを指摘する。そして定員厳格化が可能で,負の影響を少なくする大学入試制度を提案したい。
 補注)このマッチング(組み合わせ)は,医学部卒業生に対する「医師臨床研修マッチング」として実施されている。厚生労働省はこう解説している。
 「医師臨床研修マッチングとは,医師免許をえて臨床研修を受けようとする者(研修希望者)と,臨床研修をおこなう病院(研修病院)の研修プログラムとを,研修希望者および研修病院の希望を踏まえて,一定の規則(アルゴリズム)に従って,コンピュータにより組み合わせを決定するシステムです」。
 註記)http://www.mhlw.go.jp/topics/bukyoku/isei/rinsyo/matching/
 〔記事に戻る→〕   どんな大学入試制度でも,どの受験生がどの大学に入学(マッチ)するかというマッチングを決める。受験生の将来を大きく左右するマッチング結果は制度変更により影響を受ける。定員厳格化はそうした制度変更のひとつだ。

 最初に現行の大学入試制度の主要な特徴は,各大学が調整することなく独自のルールで合格者を決定するという分権的な仕組であることだ。各大学の学部・学科は総定員を,推薦入試・書類や面接で選考するAO入試・一般入試(個別学力入試)などの入試タイプごとに振り分けて,受験生の合否を決定する。

 入試タイプにより入学が縛られる程度が決まる。推薦入試であれば合格した大学に大半が入学するのに対し,一般入試の合格は必ずしも入学する必要はない。以下では一般入試制度について議論する。

 b) 日本では年度末の数カ月間に,約70万人の受験生と800弱の大学という大規模なマッチングがなされる。こうした厚みのあるマッチング市場では制度によっては「混雑」が機能を阻害する。アルビン・ロス米スタンフォード大教授によれば,混雑とは「参加者がより良い意思決定をするためにできるだけ多くの機会を獲得,考慮する時間を十分に確保できない状態」のことだ。
 補注)現状における日本の大学入試においていえば,マッチングは「なされていない・できていない」と観察したほうが適切・無難である。

 現行の分権的制度では,大学,とくに私立大学は,ある受験生に合格通知を出しても,その受験生の他の受験先や希望が分からないので,入学するか否かを予測するのはきわめてむずかしい。このため定員を大きく上回る合格者を認め,入学状況をみながら追加合格を出す。しかし定員厳格化により大学は入学者数を定員に近づける必要があるため,合格者数を減らし,きめ細かな追加合格で対処しようとする。

 一方,受験生にとっては合否通知は一度に来るのではなく,2月から届きはじめ,3月には追加合格がバラバラと届く。定員厳格化により追加合格が増えれば,ある大学に入学意思を固めたあとに,希望の大学から追加合格が来る可能性が高まるので,意思決定が一段とむずかしくなる。他大学に入学していれば後悔するし,追加合格先に入学できたとしてもすでに支払った入学金などが無駄になる。そのため受験生はますます意思決定を最後の3月末まで引き延ばす。

 そうなると3月末時点で断わられた大学は定員割れになってしまう。この結果,定員割れの大学は時間切れで入学希望の学生を逃してしまい非効率性が生じる。また希望の高い追加合格先を諦めた学生にとっては,その希望先に自分より成績の低い学生がいるという不公平性が生じる。

 c) 分権的な制度で締め切り前にこうした混雑が生じることはロス教授が一連の論文で指摘している。現行制度での定員厳格化は混雑を増やし,大学にとっても学生にとっても意思決定を一層困難にする。

 現行の分権的制度のもとで定員厳格化をする場合,大学はほかにも新たな対策をとると予想される。おそらく私立大学は,確実な入学がみこめる入試タイプの定員を増やす一方で,そうでない一般入試を減らす。また入学意思を示さないと合格が無効になる期限を早めるだろう。

 そして,新卒大学生の就職活動と同様,各大学は競って試験日を早めて学生数を確保しようとして,試験日がどんどん前倒しになる青田買いが予想される。学生にとっては自分が最終的にどの大学に合格するかをしる前に入学先を決めることになり,意思決定がむずかしくなる。このように現行制度での定員厳格化は多方面で負の影響が大きい。

 d) では,定員厳格化を進めても混雑を回避できる制度設計は可能か。従来の制度を引きつぎながら,定員厳格化が可能な一般入試制度を検討しよう。

 混雑が生じる理由として,複数の大学に逐次的に合格する学生が大量にいて意思決定に時間がかかることにくわえ,その決定に応じて大学側も逐次的に対処することが挙げられる。この問題を打開するため,分権的ではない「情報交換機構」の創設とそれを用いた集権的制度を提案したい。

 学生は合格通知をもらったら必らず入学する大学(国公立・私立)の学部・学科をすべて挙げ,受験する前に希望順を情報交換機構に提出する。受験生はその後,提出済みの希望先に挙げた大学が実施する個別(学力)試験を受験する。一方,大学は通常どおり個別試験を実施して採点する。そのさい,受験生に個別に合格通知を出すのではなく,試験の得点順などにもとづいて入学させたい受験生の優先順位を情報交換機構に提出する。
 補注)途中での話題になるが,こうした方式で学生が合格する大学を選ぶさい,「自宅から通えるか否か」という立地条件の問題もみのがせない要因となりうるし,とくに国公立大学と私立大学間の納付金の見逃せないほどの大きな差が問題となりうる。

 とりわけ理系の入学ではそうであって,さらに医学部の場合は極端に学費の差が大きい。これらの要因をめぐって設定されてもよいはずの「関連(相関)の項目」が,今回,提唱されている入試・マッチングを穏やかに実現させうるかどうかも,あえて意識的に問うてみる「事前の必要(配慮・工夫)」として不可欠である。

 こういったごとき,つまり現在まで実際に利用されている前述の「医師臨床研修マッチング」とは相当に次元の異なった,おまけに質的にも異相の要因をいくつも含めた〔混在(?)させた〕うえでのマッチングが,大学入試に関してはなされねばならない。

 こちらの前提条件じたいがまずさきに,なんらのかたちで整理・整頓・調整されたうえで実行されねば,「大学入試におけるこのマッチング」は実現不可能だと事前に考えるほかない。

 e) そして情報交換機構は,全大学の個別試験が終わった3月の特定日に,マッチング・アルゴリズム(情報処理の手順)を用いてマッチングを決め,全受験生と全大学(国公立・私立)に通知する。受験生は従来の制度とは異なり,1校だけから入学許可をうる。

 この方式なら各大学学部は,定員ちょうどの入学者を確保できる。受験生に入学を強制できないので,不人気な大学は定員割れを起こすこともあるが,その場合でも総不足数は現行制度より少なくなる。
 補注)この想定は甘いのではないか? 私立大学の底辺校(非一流大学でBFランク校)のなかでは,学生集めが不可能となる予想(かぎりなくゼロに近づく可能性)も踏まえておくべきではないか。定員の3分の2程度までならばまだよいが,3分の1しか学生集めできない,しかも学力水準的にはお話にならない大学生が寄り集まったところで,どだい高等教育が成立するのか。

 私立大学ではすでに長い期間,「不人気な大学は定員割れを起こす」事態を続けてきている。マッチングなど実行したら,現状に揺さぶりをかけて,その事態をさらに極限まで追いつめる(より早く完全に淘汰させる)恐れがないとはいえない。その意味では「不要大学(非一流大学でもさらに底辺の大学)」を揺さぶり落とす契機(機会・道具)にはなりうるかもしれない。つぎの記述はそうした「危惧の念」(?)を語っている。

 〔記事に戻る→〕 この集権的制度の成否はどんなアルゴリズムを採用するかに左右される。米経済学者のデビッド・ゲール氏とロイド・シャプレー氏が提唱した「受け入れ保留方式」は望ましいアルゴリズムのひとつだ。

 同方式では学生は希望順に従って学部に応募していき,学部は優先順位に応じて合否を決める。ここでの合格は保留され,不合格者が次の希望先に応募し,学部は保留学生と新たな学生をまとめて考慮し合否を決める。これを繰り返し,学生に希望する学部がなくなったとき,あるいは不合格者がいなくなったときにアルゴリズムが終了する。
 補注)つまり,いままでは「雇用(労働力の需給関係)の不適合(ディスマッチング)」に似せたかたちで「とはいっても」,これを一定限度で応用した形式になるかもしれないが,地方の小規模な私立大学にとってみればまだ生き延びられる余地が,いままでならばまだなんとか残されていたところが,マッチングの実施によってさらにきびしく狭められていくのではないか。

 ただし,雇用の不適合の問題は表層的な次元における労働力のやりくり,需給関係の問題であるけれども,大学入試における学生の入学先希望とのマッチングは,大学側の立場にすれば「受けいれる学生総数」そのものに影響してくる死活問題である。定員を満たせるマッチングが可能な大学ならばともかく,そうではない大学では〈死活問題〉であるどころか《死刑宣告》に近い施策を意味することにもなる。

 f) 同方式は,第1にインセンティブ(誘因)の面で望ましく,学生は他の学生の動向や人気に左右されることなく,安全に自分の本当の希望順を出すことが最適な行為となる。

 第2に自分がマッチした学部よりも希望の高い学部には自分よりも優先順位の高い者しかいないという公平性が満たされる。

 第3に公平なマッチングのなかですべての学生がもっとも希望の高い学部にマッチするという効率性が満たされる。
 補注)しかし,以上の話題(仮定:設題)はあくまで〈理論的な想定〉である。現実的に日本の大学入試を囲むもろもろの事情のなかにあっての話題となるが,仮にここに指示された「理想的な目標」が,マッチングの手順として問題なく円滑に実現させえた場合,非一流大学の無用化に拍車がかかる。

 近年のマッチング理論の発展は目覚ましく,受け入れ保留方式をさまざまな要請に応じて修正することも可能だ。たとえばセンター試験利用・予備選抜,国公立大学医学部の地域枠のような優先枠も組みこめる。また筆者と熊野太郎・横浜国立大准教授は,地域の定員を維持したまま,人気に応じて大学の定員を増減させるような方式も開発している。

 本稿で提案したような大学入試のマッチング制度は,欧州各国や中国,ベトナムなどで採用されており,十分実績がある。日本の制度は受験生の負担が大きく,世界的にみても特殊だ。定員厳格化を機に,日本もこうした社会科学的な知見をとり入れた制度の採用を検討すべきだろう。(引用終わり)

 以上,最後まで読んであらためて感じる点は,この「ゲーム理論で考え」た「大学定員厳格化」に関する栗野盛光の提案は,日本の大学全体には通用しにくい改革案である。ただし,上層部に位置する超一流・一流大学にその適用範囲を限定しておけば,それはそれで有用・有効であると予想してもよい。

 だが,それ以外の非一流大学に対しても,この入試用のマッチングによる組み合わせ理論が適用できるのか? この種の懸念が完全には払拭できないゆえ,以上のような疑問を明示しておいた。

 ④ 奨学金制度との関係

 前段 ② の議論は,欧州各国だとか中国,ベトナムでは「大学入試のマッチング」制度が採用・実施されており「十分実績がある」と断わられていた。また同時に,だから「日本の制度は」「特殊だ」という指摘がなされてもいた。

 とくに後者の点はそのとおりである。大学入学とその事後に学生側が大学に対して納付する金額が,「ゲーム理論で考え」るところの「大学入試における学生振り分け」に関する「マッチング理論」を,ほぼ満足といえる水準まで展開(実現)させうるかについては,まだ疑問があった。アメリアの大学では,入試におけるマッチングがなされているとは指摘されていなかった。

 1)「大学授業料の国際比較をグラフ化してみる(最新)」(『ガベージ ニュース』2018/02/15 05:1)から引用しているが,適宜に取捨選択し,参照した)。

 高等教育機関のひとつである大学は,国の文化教養科学水準を維持するだけでなくさらに高めるために,そして優秀な人材を育て上げるために欠かせない存在である。

 昨今ではその大学の授業料が問題視されているが,日本の大学授業料は国際的にみて,どのような水準にあるのだろうか。OECD(経済協力開発機構)の公開値をもとに確認する。

 公開対象国は限定されており,OECD諸国すべてではない。対象年は 2015-2016年。大学の種類は,国公立大学と私立大学にわたっている。

  「国立大学」   ポルトガルの最大値が大きなものとなっているが(1万661ドル),それを除けばチリ・アメリカ合衆国・日本・カナダ・オーストラリアでは,国公立大学の授業料は高い状態となっている(韓国では最大値がアメリカ合衆国の平均値を上回っている)国公立大学でも日本の大学授業料は高い水準にある。
        大学授業料国債比較国立大学カベージニュース       
         私立大学授業料比較私立大学ガベージニュース

 国ごとの傾向をみると,デンマークやエストニア,フィンランド,ノルウェーなど欧州諸国,とくに北欧諸国では授業料が無料,あるいは徴収されても非常に低い額に留まっているのが分かる。これらの国はおおよそ,いわゆる「大きな政府」に属しており,大学での勉学にかかる費用もまた,一般政府がサポートする姿勢を示していることが分かる。

  「私立大学」 平均額ではアメリカ合衆国が,最大額ではラトビアが群を抜いているが,おおよそ国の序列に変わりはない。欧州諸国,とくに北欧諸国では無料,あるいは低い額に留まり,それ以外の国では高い傾向にある。日本はアメリカ合衆国,オーストラリアに次いで高い値(韓国が最大額ではオーストラリアを超えている)。

 高等教育機関の制度は国によって大きな違いがあるため,いちがいに単純比較はやや難があるものの,日本の大学授業料は「国際比較の観点」でも高い水準にあることは間違いなさそうだ。

 なお今件値に限れば,日本の私立大学の授業料は国公立大学の約 1.59倍。文部科学省の学校基本調査の最新値によって2017年度分で確認すると,国立大学生60万9473人,公立は15万2931人,私立は212万8476人(学部学生・大学院学生・専攻科などを合わせた人数)。大学生の約74%は国公立大学より高い授業料を支払っているのが実情である。
 註記)http://www.garbagenews.net/archives/2400013.html

 2)奨学金制度の問題
 以下は「奨学金タイプの国際比較」(『データえっせい』2015年11月29日)からの引用である。大学入試「以前(以外?)」の前提問題がここには控えていた。この文章の最後には〈病理〉という表現が出てくる。
  今日のお昼に,面白いツイートをみつけました。大学教育への公的支出のうち,奨学金が何%を占めるかの国際データです。
    社虫太郎ツイート大学奨学金国際比較図表
 出所)https://twitter.com/kabutoyama_taro/status/670377662485917696

 注目されるのは,割合がナンボよりも,奨学金のメインが給付型か貸与型かです。日本は大半が貸与型。国際標準から大きくずれています。

 このツイートはすごく拡散しているようですが,「これはおかしいだろ」と誰もが日ごろ感じていることが,データではっきりと可視化されているからでしょう。私もこれをみたときは,「やはり」と膝をたたきました。

 グラフのデータの出典は,OECD『図表でみる教育 2014年版』となっています。OECDの教育白書『Education at a Glance 2014』の和訳です。私はもっと多くの国のデータもみたいと思い,原資料に当たってみました。下記サイトで,本資料の全文をPDFでダウンロードできます( ⇒ http://www.oecd.org/education/eag.htm )。

 どうやら,Table B5.4「Public support for households and other private entities for tertiary education  (2011)」のデータのようです。「tertiary education」とありますから,正確には高等教育でしょうね。日本でいうと,4年制大学だけでなく,短大や高専も含むとみられます。
   高等教育公的支出割合比較図表
 この表から,高等教育機関への公的支出のうち奨学金が占める割合を,32か国についてしることができます。それをヨコの棒グラフにすると,上図のようになります。

 なるほど,多くの国のデータでみても,日本の特異性がきわだっています。わが国の奨学金は,貸与依存型です。アイスランドもそうですが,この国は,国公立大学の授業料はタダ。授業料が高いアメリカは,給付型の奨学金がメインとなっています。

 「授業料バカ高&奨学金は返済義務あり」のダブルパンチを食わせているのは,日本だけではないでしょうか。このような貧弱な学生支援では学生も過重なバイトをせざるをえず,人手不足の産業界の要求と相まって,「ブラックバイト」のような問題がはびこるのもうなづけます。日本は,大学生のバイト実施率が6割で,主要国ではマックスとなっています。

 日本は教育が普及した社会ですが,それは家計に大きな負担を強いることがなりたっています。大学では,バイトに精を出すあまり,ただ籍を置くだけという「形式的就学」も広がっています。私も,そういう学生を何人もみてきました。「教育大国」の中身を解剖すると,このような病理が検出されるのはたしかです。(引用終わり)
 註記)http://tmaita77.blogspot.jp/2015/11/blog-post_29.html

 以下には以上の話題に関連する最新の統計資料を添えておく。ジャパンは下から2番目。
  高等教育公的支出割合図表OECD2017年
 出所)http://www.oecd.org/education/EAG2017-INFOGRAPHIC-ENGLISH.pdf
 さて,栗野盛光慶応義塾大学教授は,日本の大学に関してこのように “非常に有名な事実” が「大学入試に関するマッチング問題」に対して,なんらかでも関連してくる要因とみなしているのかどうかを,あらためて尋ねてみたい。その理由はつぎに説明する事項にも関係する。

 3)最近の報道から
 a)   まず「学費出世払い制度,第2の貸与型奨学金にならないのか?」(『森本尚樹の “社会面の作り方” 』2018年5月20日)の意見を紹介する。
        ※「出世しなかったらどうする?」※

 自民党の教育再生実行本部が,大学授業料を在学中は国が立て替え,卒業後におのおのの所得に応じて返済する制度導入を盛りこだ提言案をまとめた。いわゆる “出世払い” 制度だ。多くの卒業生が返済に苦慮している貸付奨学金制度の二の舞にならないかと,危惧する声も出ているから,より慎重さを求めたい。

 提言案によると対象は世帯年収,1100万円未満の学生。毎月の返済額を住民税の課税所得の9%,最低2000円と設定される。入学金28万円にくわえ,国公立大学の場合,授業料約54万円を国が肩代わりする。制度導入当初の運営費は約9800億円。財源は財政投融資などを活用を予定している。

 〔だが〕返せない奨学金制度の二の舞いにならないか。ここ数年,返せない貸与型奨学金が社会問題化している。(中略)

 この40数年間で国公立は約45倍! 私立は約10数倍! 〔それに対して〕家庭の年収はこの間,せいぜい3~4倍だから,いかに負担増となったか。

 こうした背景から,奨学金制度に頼らざるをえない学生が激増。借りすぎにより,卒業後,就職がうまくいかなかった場合,返済困難に陥る利用者が増え,社会問題化している。

 新制度であっても,第2の貸付奨学金制度になる恐れもある。世帯年収1100万円以下となっているが,せめて800万円以下として,対象者を減らす努力も必要。さらに本人審査を厳密に。学生個々の学問への意欲の有無を貸与の重要な条件にすべきだろう。
 註記)https://n-morimoto.com/学費出世払い制度,第2の貸与型奨学金にならない/
 このような,大学進学問題に付随する経済的な難関を抱えている「大多数の家庭・所帯(世帯年収1100万円以下!)の若者」に対して,「出世払い」とかなんとかいって,いかにも国側が〈太っ腹〉の文教政策を実行するかのような幻想を宣伝している。

 だが,前段に紹介したように,「世界のなかでは〈井の中の蛙〉同然」である日本の奨学金制度の特異性は棚挙げされたまままでの「貸与型奨学金」の運用・工夫であった。それも弥縫策でしかない,ともかく「借金は必らず返せよ」方式に留まる奨学金の制度である。

 いまどき出世する大学卒業生は,どのくらいいるのか? 「出世」のどの度合を計量・判定する基準は,前段に出ていた数値(金額)を参考にしていえば,大卒直後における年収がいかほどになれば「出世払い」を開始することになるのか。大卒5年後で年収500万円ならば「出世したこと」になると認定するのか。いちいちがなにかと “せこい銭勘定” になっている。

 b)  つぎに「『格差がかえって拡大する』大学授業料の後払い制度案に,財務省が難色示す 『返済しきれない分を誰が負担するのか不明だ』と懸念を示している。」(『HUFFPOST』2018年04月18日 07時57分 JST,更新 2018年04月18日 07時58分 JST)といった意見を紹介する。
※ 大学授業料「出世払い」案に
財務省難色 「格差広がる」※

 政府が導入を検討する大学の授業料の後払い制度について,財務省は〔4月〕17日の財政制度等審議会(財政審)で「高所得世帯に便益を与えることになり,格差を拡大させる」として難色を示した。制度実現に向けた動きは与党や業界にもあり,来年度の予算編成に向けて牽制した格好だ。

 安倍政権は昨〔2017〕年12月に閣議決定した「政策パッケージ」で,大学の授業料の後払い制度を「検討継続事項」に挙げている。政府が大学の授業料を一時的に肩代わりし,学生が卒業後に所得に応じて後払いするオーストラリアの「高等教育拠出金制度(HECS(ヘックス))」がモデルだ。

 ただ,高所得世帯も対象になるため,財務省は現行の奨学金制度を受けている低所得世帯との比較で「格差がかえって拡大する」と主張。また,「返済しきれない分を誰が負担するのか不明だ」として,財源問題も指摘した。この日の審議会でも,委員から「格差是正につながらない」などと否定的な意見が出た。

 一方,昨年11月には自民党教育再生実行本部がHECSを参考にした制度を提案。日本私立大学団体連合会も同様の制度を求めており,文部科学省も前向きだ。財務省は定員割れの大学が相次いでいることなどから,「適切な経営がなされていない大学,専門学校が税金で救済されることがあってはならない」と主張。予算配分にあたり,教育の質を重視する姿勢も強めており,予算編成が本格化する年末に向け,文科省などとの綱引きが激しくなりそうだ。
 註記1)出典;朝日新聞デジタル,2018年04月17日 22時08分。
 註記2)https://www.huffingtonpost.jp/2018/04/17/collegetuition_a_23413761/
 この『HUFFPOST』の記事は『朝日新聞』の元記事であったが,このように「大学(国公立か私立か)じたいの問題」や「学生の質」の問題などが,大学入試制度に関して「マッチング」を実施するかどうかの以前の問題として実在している。それに,奨学金制度の問題にも同時に深く関連する要因として,さきに解決されるべき前提条件として控えている。

 大学入試に関してマッチングする(させようとする)のも結構であるが,いま即時に実施したいのであれば,超一流大学と一流大学だけに限定しておかないと,そうでなくとも「存続問題で青息吐息の非一流大学」の〈息の根〉をとめる効果を,随伴させる可能性(必然性?)がある。否,もしかしたら,いまの日本の大学の現状を改善(改革?)するためには,そうした荒療治も必要なのかもしれない。

 現状における日本の大学業界(私立大学でも非一流大学も含めて)マッチングを実行したら,大恐慌が起きる。やるならやるで一部の超一流大学と一流大学だけの限定版でやればいい。だが,そうなったらなったでこんどは,非一流大学との「大学群」「間」の格差がさらに大きく拡大していく。
 
 c) 参考になるごく最近の記事紹介
  ⅰ)「名大・岐阜大『統合』で動き出した再編の歯車 中部から始動,いずれ国公私立を含む構想も」(『東洋経済 ONLINE』2018/04/04 08:00)。

  ⅱ)「静岡の2国立大が統合検討 静岡大と浜松医科大,経営効率化を模索」(『産経ニュース』18.5.18 18:55 更新)。

  ⅲ)「私大,多様性の確保重要 地域・規模で役割異なる 連携は自主的に」( 田中優子 日本私立大学連盟常務理事・法政大学総長稿,『日本経済新聞』2018年5月21日朝刊14面「教育」)。

 私立大学側からはいままで必らず,こうした意見が提示されつづけてきた。国公立大学と私立大学のあいだにある溝が大きすぎて,一筋縄ではいかない問題が伏在している。

  ⅳ) 「〈データで見る地域家計の教育費比率〉埼玉トップ,東京続く 私立大の学費高反映」(『日本経済新聞』2018年5月21日朝刊31面)。この記事は全文引用する。

 住宅や老後の資金と並び「人生の3大支出」の一つと呼ばれる子供の教育費。不況下でも削減しにくい「聖域」とされ,子供をもつ家庭の多くで家計を悩ませている。

 総務省がまとめた2016年の社会生活統計指標のうち2人以上の世帯の家計に占める教育費の割合をみると,トップの埼玉県( 6.1%),2位の東京都( 5.9%)をはじめ,5位に神奈川県,7位に千葉県と,首都圏の都県がいずれも上位10位以内に入った。他にも福岡県,京都府,愛知県など人口規模の大きい地域が目立つ。
『日本経済新聞』2018年5月21日朝刊都道府県別教育費
 1カ月当たりの平均支出額も埼玉が2万114円でもっとも多く,続く東京が1万8794円。下位の青森(5689円)や長崎(6374円)との差は大きい。指標のもとになる家計調査は都道府県庁所在地で実施し,「サンプル数が少なくブレが生じやすい」(同省統計利用推進課)事情はあるものの,大都市圏で支出が大きい傾向は毎年共通する。

 家庭経済が専門の埼玉大学教育学部の重川純子教授は「埼玉や東京の高さは私立大学の授業料が大きく影響している」と指摘する。実家から通える私学の選択肢が多い都市部は子供への仕送りを抑えられる分,高い授業料にも対応しやすいとの見方だ。

 教育費のうち,塾代などを示す「補習教育」で埼玉はトップ10を外れ,必ずしも「教育費の高さ=家庭の教育熱の高さ」というわけではなさそうだ。少子化が進むなかで,「学費にみあった内容かどうか,学生や親のみ見る目もよりシビアになっていく」(都内の私大)との見方もある。(引用終わり)

 --すでに相当に長文になっているので,この最後の記事に関しては「給付型奨学金」の必要性を裏付ける報道だとのみ指摘しておく。このあたりの問題については後日,あらためて議論したい。

  “出世払い” だとか “後払い”だとかいった文句は,奨学金制度を「金そのものの貸し借り」としてしかみ(え)ない者たち(政治家たち)の口から出てくるセリフであった。「《教育のための投資》としての〈奨学金の意味〉」がまったく理解できていない思考方式ばかりが目立っている。銀行が金を借す商売とは「まったくわけが違う点」からして,奨学金の意義についてなにも判っていないらしい。

 なぜ,給付型の奨学金があるのか? いわれなくとも,あとで出世し,実質的に後払いもし,世の中に対しては金銭では計算できない幅広く貢献もできる人間を育てる,その教育を実現させるために投資をする,それが『奨学金』制度の本意である。

 あとで必らず返せ(?)って……,いったいどういう意味か。単なる金貸しか。日本学生支援機構が現に,そういう非育英的な教育関連組織として存在している。ベンチャー精神で学生に期待することをしらない国家である。

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 【日本の政治を「戦後レジームからの脱却」的に,深刻な程度にまで崩壊・溶融させえた安倍晋三政治のくだらなさ:極悪さ】

 【安倍晋三が背負う「甲羅の大きさ(小ささ)」に合わせるだけになってしまった「日本の政治」の現実,その惨憺たる窮状,その腐朽・淪落ぶりたるや最悪である】


 ①「〈政治季評〉忖度を生むリーダー 辞めぬ限り混乱は続く」(豊永郁子稿『朝日新聞』2018年5月19日朝刊13面「オピニオン」)
豊永郁子画像『朝日新聞』2018年5月19日朝刊
 ※ 人物紹介 ※ 「とよなが・いくこ」の専門は政治学,早稲田大学教授。著書に『新版 サッチャリズムの世紀』『新保守主義の作用』」。

 a) アイヒマンというナチスの官僚をご存じだろうか。ユダヤ人を絶滅収容所に大量輸送する任に当たり,戦後十数年の南米などでの潜伏生活ののち,エルサレムで裁判にかけられ,死刑となった。

ハンナ・アーレント画像 この裁判を傍聴した哲学者のハンナ・アーレントは「エルサレムのアイヒマン-悪の陳腐さについての報告」を執筆し,大量殺戮(さつりく)がいかに起こったかを分析した。
 補注)左側画像中で「33年」とは〔むろん〕1933年のことであり,この年の3月には,アドルフ・ヒトラーが率いるナチス・ドイツのための,実質的には独裁になる政権・内閣が成立していた。

 前国税庁長官・財務省理財局長の佐川宣寿氏の証人喚問をみていて,そのアイヒマン(次掲・画像)を思い出した。当時,佐川氏ら官僚たちの行動の説明として「忖度(そんたく)」という耳慣れない言葉が脚光を浴びていた。他人の内心を推し量ること,その意図を酌んで行動することを意味する。
   「私は」アイヒマン画像
 出所)https://ameblo.jp/agnes99/entry-12287524430.html
 私はふと,アーレントがこの日本語をしっていたら,アイヒマンの行動を説明する苦労を少しは省けたのではないかと考えた。国会で首相の指示の有無を問いつめられる佐川氏の姿が,法廷でヒトラーの命令の有無を問われるアイヒマンに重なったのである。
 補注1)ハンナ・アーレント(Hannah Arendt〔以下ではアレントと表記〕,1906年10月14日-1975年12月4日)は,ユダヤ人であった。ドイツでナチズムが台頭したのちは,アメリカ合衆国に亡命した。のちに教壇に立ち,主に政治哲学の分野で活躍した。とくに全体主義を生みだす大衆社会の分析で名をはせた。

 補注2)こういう有名な話もあった。ついでに紹介しておくべきところである。近現代のドイツを代表する哲学者の1人が,マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger,1889年9月26日-1976年5月26日)である。ハイデガーが大学教授になっていた30代のときの話題である。
  ハイデガーがその女学生を虜にしたいと切に感じたとき,その女学生は18歳だった。写真をみてもらえばわかるように絶世の美少女だった。ハンナ・アレントである。かくしてハイデガーは1924年にフライブルク大学からすでにマールブルク大学に移っていて,そこの哲学教授になったばかり,35歳である。その教室にアレントが来た。

ハイデガー画像 アレントはただちにハイデガーが「思考の王国を統べる隠れた王」であると見抜いた。またそこには,「中世騎士道物語から抜け出したような意志」があるとみえた。

 が,これだけでは,なにもおこらない。ハイデガーも突拍子もなく,ときめいた。ハイデガーは自制心の強い男ではあったけれど,アレントの魅力が飛び抜けすぎていた。ハイデガーはアレントを,アレントはハイデガーを求めあった。むろん不倫だった。
 出所)画像はハイデガー,https://weltgeist.exblog.jp/9067361/

 アレントはこのときのことを,のちに「ただ1人の人への一途な献身」を募らせたと回顧している。不倫というのは,すでにハイデガーはエルフリーデという,これもたいへん美しい女性と結婚していたからだ。

 それでも,ハイデガーはアレントにぞっこんになった。その数年後,『存在と時間』の前半部が刊行された。時期からいえば,アレントを貪りながら草稿を書いていたといったほうがいい。
 註記)「マルティン・ハイデガー 存在と時間 中央公論新社 2003」『松岡正剛の千夜千冊』思構篇 0916夜,2004年01月15日,https://1000ya.isis.ne.jp/0916.html
 アンナはナチス・ドイツを去ったが,ハイデガーはナチスのための献身する哲学者になっていた。途中で紆余曲折はあったにせよ,第2次大戦に命を落とすこともなく,戦後まで生き延びていった。享年85歳(満),長寿であった。ハイデガーの戦争責任問題が「学者・学問・哲学に関する重大な論点」を提供したことはいうまでもない。ハイデガーに関する研究書は,日本では非常に多くある。

 ドイツ・ナチスにおいて「ヒトラーを頂点とした虐殺者たち」にはさらに比較するほどにもない,それはたいそう矮小な「21世紀の日本における自民党〔プラス公明党〕の現政権下における超小物政治家たち」が,現に存在している。

 しかも,その超小物政治家の代表が安倍晋三である。この「世襲3代目の政治家」に国家権力を牛耳られているごとき実相が,いまごろの日本の政治には現われている。小選挙区制度(小選挙区比例代表並立制)には重大な欠陥があるとはいえ,あまりにも安倍流・風にどうしようもないほどに「幼稚で傲慢」の次元に留まったまま,その「暗愚と無知」および「欺瞞と粗暴」さだけが最大限に発揮してきた結果,現状の日本を,とても先進国とは呼べない国家体制にまで堕落・腐朽させた。

 いま前後に紹介・引用している「豊永郁子の寄稿」は,そうした「21世紀における日本の政治」が敗戦以降,ほとんど〈政治的に成熟する機会〉がなかったかのような “現在のアベ的に貧相な様子” を問題にしている。

 安倍晋三政治の噴飯モノ的でしかない堕落状況が,ナチス・ドイツと比較対照されうるとしたら,それは「不名誉という評価基準」の尺度で,共通に計る問題であった。双方がともに「最高度に悪でしかありえない」問題でもあった。しかし,そこまでも悪しざまに形容したうえで,現状における日本の政治を批評をしなければ,この安倍晋三による日本国運営から乱発されつつある罪悪性は,まともに客体化・対象化できない。

 〔ここで豊永郁子の寄稿・記事に戻る→〕 森友学園問題--国有地が森友学園に破格の安値で払い下げられた件,さらに財務省がこの払い下げに関する公文書を改ざんした件--については,官僚たちが首相の意向を忖度して行動したという見方が有力になっている。国会で最大の争点となった首相ないし首相夫人からの財務省への指示があったかどうかは,不明のままだ。

 b) アイヒマン裁判でも,アイヒマンにヒトラーからの命令があったかどうかが大きな争点となった。アイヒマンがヒトラーの意志を法とみなし,これを粛々と,ときに喜々として遂行していたことはたしかだ。しかし大量虐殺について,ヒトラーの直接または間接の命令を受けていたのか,それが抗(あらが)えない命令だったのかなどは,どうもはっきりしない。

 ナチスの高官や指揮官たちは,ニュルンベルク裁判でそうであったが,大量虐殺に関するヒトラーの命令の有無についてはそろって言葉を濁す。絶滅収容所での空前絶後の蛮行も,各地に展開した殺戮部隊による虐殺も,彼らのヒトラーの意志に対する忖度が起こしたということなのだろうか。命令ではなく忖度が残虐行為の起源だったのだろうか。

 さて,他人の考えを推察してこれを実行する「忖度」による行為は,一見,忠誠心などを背景にした無私の行為とみえる。しかしそうでないことは,ヒトラーへの絶対的忠誠の行動に,さまざまな個人的な思惑や欲望を潜ませたナチスの人々の例をみればよくわかる。

 c) 冒頭で紹介したアーレントの著書は,副題が示唆するように,ユダヤ人虐殺が,関与した諸個人のいかにくだらない,ありふれた動機を推進力に展開したかを描き出す。出世欲・金銭欲・競争心・嫉妬・見栄・ちょっとした意地の悪さ・復讐心・各種の(ときに変質的な)欲望。「ヒトラーの意志」は,そうした人間的な諸動機の隠れ蓑となった。私欲のない謹厳な官吏を自任したアイヒマンも,昇進への強い執着をもち,役得を大いに楽しんだという。

 つまり,他人の意志を推察してこれを遂行する,そこに働くのは他人の意志だけではないということだ。忖度による行動には,忖度する側の利己的な思惑--小さな悪--がこっそり忍びこむ。

 ナチスの関係者たちは残虐行為への関与について「ヒトラーの意志」を理由にするが,それは彼らの動機のすべてではなかった。さまざまな小さなありふれた悪が「ヒトラーの意志」を隠れ蓑に働き,そうした小さな悪が積み上がり,巨大な悪のシステムが現実化した。それは忖度する側にも忖度される側にも全容のみえないシステムだったろう。

 d) このように森友学園問題に関して,ナチスに言及するのは大げさに聞こえるかもしれない。しかし,証人喚問をみていると,官僚たちの違法行為も辞さぬ「忖度」は,国家のためという建前をちらつかせながらも,個人的な昇進や経済的利得(将来の所得など)の計算に強く動機づけられているように感じられ,彼らはこの動機によってどんなリーダーのどんな意向をも忖度し,率先して行動するのだろうかと心配になった。

 また,今回の問題で,もしいわれているように,ひとりの人間が国家に違法行為を強いられたために自殺したとすれば,そこに顔を覗(のぞ)かせているのは,犯罪国家に個人が従わされる全体主義の悪そのものではないか,この事態の禍々(まがまが)しさを官僚たちはわかっているのだろうか,と思った。

 e) 以上からは,つぎの結論も導かれる。安倍首相は辞める必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだ。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだ。

 すなわち,あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき,彼はもはや国家と社会,個人にとって危険な存在である。そうしたリーダーは一見強力にみえるが,忖度がもたらす混乱を収拾できない。さらにリーダーの意向を忖度する行動が,忖度する個人の小さな,しかし油断のならない悪を国家と社会に蔓延(はびこ)らせる。

 すでに安倍氏の意向を忖度することは,安倍政権の統治のもとでの基本ルールとなった観がある。したがって,忖度はやまず,不祥事も続くであろう。安倍氏が辞めないかぎりは。
 補注)この最後の段落は要するに,安倍晋三(&昭恵)による「政治の私物化」現象を指している。「アベの,アベによる,アベのための日本政治」であるから,国民1人ひとりの立場・利害など,以前から完全に無視されてきた。それでも,この首相を国民・有権者たちが支持しているかといえば,けっしてそうではなく,自民党は支持しても「アベは,どうもね」という人びとが過半である。

 最近では子どもたちのあいだで「安倍ちゃんごっこ」なる遊戯が流行っているとか。『週刊朝日』2018年5月25日号(15日発売)によれば,「全国小学校の子どもたちの間では『安倍ちゃんごっこ』(嘘つき・いいわけ・責任の逃れ・責任押し付け・証拠隠しゲーム)が大流行の勢いだという。安倍晋三の政治は末期的な時期をすでに通過している。
 註記)http://www.asyura2.com/18/senkyo244/msg/651.html 参照。

 ② ヘルムート・オルトナー(須藤正美訳)『ヒトラーの裁判官』2017年(原著 2014年)

ヘルムート・オルトナー表紙 ① の記述を受けて,この本(原題は “Der Hinrichter : Roland Freisler, Mörder im Dienste Hitlers)に言及する。くわしい説明・解説よりも『朝日新聞』2017年5月21日朝刊に掲載された書評を,さきに引用しておく。
 付記)右側画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。
 
 1)「〈書評〉ヘルムート・オルトナー『ヒトラーの裁判官フライスラー』

  ※ 政権に忠実な官吏の無責任体質※

 ナチス・ドイツの独裁下で国家反逆行為などを裁く人民法廷の長官を務めたローラント・フライスラー。ナチスに抵抗した学生グループ「白バラ」やヒトラー暗殺未遂事件の被告らに死刑判決を下した裁判官だ。

 ドイツ人ジャーナリストの著者は,フライスラーの評伝として,ナチスの恐怖政治と完全に一体化した法律家の狂信的な行動を描くだけにとどまらない。多くの裁判官が,人道的な刑法を廃絶して国家の権利を第一とするナチスの法支配に「嬉々(きき)として」従った経緯を克明にたどり,敗戦後になんの反省もない彼らの態度を徹底的に批判する。

 1934年創設の人民法廷による死刑判決は5243件。本書では,第2次大戦中の1943,1944年にフライスラーがかかわった判決文10件を代表例として紹介している。一般市民が職場の同僚らになにげなくもらした体制への不平不満が「死に値する大罪」とみなされた。判決文は不条理劇の脚本のようだが,悪夢のような世界は現実にあった出来事だ。

 しかし,著者は,これがフライスラーの「悪魔的性格」によるものではなく,「ナチスの法解釈をとりわけ几帳面(きちょうめん)に実践したひとりの執行人に過ぎなかった」ことを指摘する。フライスラーは1945年2月のベルリン空襲で死亡したが,人民法廷にかかわった他の法律家たちは戦後どうなったか。多くの者がナチス政権下の法に従っただけとして処罰を免れ,復職まで許された。

 法律家たちはナチスに協力した自分を時代の犠牲者とみなし,後悔の念もないという。どの国,どの時代にも現われそうな無責任体質の人びとで,ナチス時代が現代と地続きなのではないかと思わせる。

 「いまさらナチスの過去について書く意味があるのか?」。著者が執筆中になんど度も尋ねられたという言葉だが,自己正当化のあまり「歴史健忘症」に陥りがちなわが国の傾向にあらがうため,本書を読む意味があることは間違いない。(引用終わり)
 補注)通常,「健忘症」とは過去の記憶に関する症状を意味するけれども,安倍晋三という首相にあっては「現在・いま口から出たばかりのことば」すら,健忘する(できる?)政治家である。国会におけるやりとりを観てきた多くの識者いわく,この首相は論理的にものごとを理解できる能力に欠落がある。

 2)前野 茂
 「戦時⇒ 敗戦⇒ 戦後」の政治過程を回顧すると,ドイツ・ナチス時代のフライスラーと同じような役目を,大なり小なり果たしてきた日本の裁判官たちも実在していた。いくらでもみつかる。かつて,日本の支配地:属国であった「満洲国」に派遣され,裁判官になっていた日本人官僚たちの役割は,ちょうどナチス時代における裁判官の役割に相当していた。その代表者の1人に前野 茂という者がいた。

前野茂ソ連獄窓40年画像 前野 茂は『ソ連獄窓十一年〈1・2・3・4〉』(講談社学術文庫,1979年8月~10月を公刊し,ソ連に抑留された一昔ほどの物語を,個人的な回想・実録として披露していた。
 出所)画像は,http://buyee.jp/item/yahoo/auction/j466724075
 付記)画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。

 ところで,旧「満洲国」では匪賊の疑いを受けた者(もっぱら中国人たち)は,「臨陣格殺」の権限を与えられていた官憲(もっぱら日本人)たちが,その現場の判断によってはただちに撃ち殺して(処刑して)もいいとされていて,実際にもそのように実行されていた。

 旧「満洲国」で高官の地位に就いていて,敗戦後はクリスチャンとして活躍していった武藤富男の著作『私と満州国』(文藝春秋,1988年)は,実際に満洲で観たというその「臨陣格殺」の場面を記述していた。その該当箇所を画像資料で読んでもらう。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
武藤富男私と満州国臨陣格殺

 「満洲国」時代において「反満抗日」などの抵抗・独立運動にかかわった中国人や朝鮮人が,以上のような方法でごく簡単に裁判などなしに殺されていた時代が,日本の属国において正々堂々と “遵法的に” 実行されていた。こうした「歴史の事実」の関係にみれば,満洲国では「裁判にかけられて死刑判決を受け,処刑された者」は,まだマシだったという観方もできなくはない。

 もっとも,日本国内での「日本人(政治犯・思想犯)に対する善導」の仕方は「転向を迫る」方法を採り,反体制(国体の変革・私有財産制度の否定)を志した人びとを,天皇の御名のもとに改心させることにしていた。しかし,こうした天皇慈恵・温情的な改悛の方法は,あくまで日本人・民族に対して適用されていたに過ぎない。いずれにせよ,ドイツのナチス全体主義も日本の戦時期国家全体主義も,基本においておこなっていた国家次元の犯罪行為は同じで(同類・同質)あった。

前野茂表紙2 前野 茂は『満洲国司法建設回想記』(日本教育研究センター,1985年)も公表していた。この本の「序」は,つぎのごとく自慢げに述べていた。

 「欧米列強の中で,どの国が自己の侵略植民地の上にこんな素晴らしい理想を掲げた国を創ろうとしたものがあっただろうか。しかも,建国に身を挺した日本人は,在満者と招聘者の別なく,真剣になって国是の追究,理想の実現に努力したのである」と(「序」のなかでは頁数の指示はなし)

 しかし中国・中国人からいわせるに,たとえていえば「盗っ人猛々しい」というか,まさに「ナチス:フライスラーばりのいいぶん」を,前野 茂は恥ずかしげもなく,それも自信をもって吐いていた。中国・中国人側がこうした前野の発言を聞かされたら激怒する。
                                      
 3)アマゾンにおけるレビュー(書評;5件)から1件だけ紹介する
 評者「泥まみれ」氏は「星5つ」を与えていたが,その題名は「ナチス期独司法の姿を描き出す」として,つぎのように論評していた(2017年5月27日)。なお,仮名遣いは旧式である。読み安くするために,読点と改行を適宜に挿入した。
  過日,岩波書店から刊行せられた訳書『ヒトラーと物理学者たち』を読んで,ナチス期ドイツの諸問題に改めて意識を喚起せられた思ひが自覚せられてをつたところに,本書を手にする機会があつた。ナチスへの関心はどちらかといふと政治的経済的な方面が中心であつたやうで司法面からの接近には麿自身これまであまり接する機会がなかつた。

 麿にとつて本書は,かうした隙間を埋めてくれる書物だ。具体的に本書は,独ナチス期の人民法廷で長官を務めたローラント・フライスラーの評伝である。帯には総統に仕へた血の裁判官などといふおどろおどろしい文言が並んでゐるが,さういつても過言でない実態であつたかもしれない。フライスラーは,学生による反ナチス抵抗運動やヒトラー暗殺未遂事件といつた歴史に残るよく知られた反ナチス事件を裁き被告らに,極刑を下した裁判官である。

 かういふ立場の人間がゐたであらうといふことは予測できるにしても,フライスラーの名前はそれほど広くし知られてゐないやうだ(実際麿もさう詳しくは知らなかつた)。だが,フライスラーの名前そのものは知らなくても,白薔薇運動や希特勒暗殺未遂事件は知つてゐやうし,それらに関はつた者の末路も普通なら世界史の常識になつてゐやう。

 本書がまづ明らかにするのは,このフライスラーの半ば狂信的な言動と行動に他ならないが,本書が鋭く辿るのはそれだけではない。独裁政治下で独立性を完全に失ひ,政治の補強装置として機能する結果となつた司法の実情とナチスの法支配に自ら積極的に従属した多くの裁判官の姿である。

 彼らには戦後にも何ら反省がない。本書はさういふ裁判官の生き様を容赦なく抉出し批判する。だが本書が着目するのは,フライスラー長官の悪魔性ではない。彼がナチスの法支配を忠実に執行した,一人の法務家に過ぎなかつたといふ事実である。

 ノーベル賞学者マックス・プランクのナチス期独科学界における生き様を想起するではないか。先に言及した『ヒトラーと物理学者たち』の麿のレビューでも言及したが,マックス・プランクの生き様は良心の発現であつた。法とルールを遵守することを重んじ秩序に従つただけである。

 だが結局,彼はヒトラー政権に関与し,その政略を科学研究の面で下支へする有力な担ひ手となるに至り,少なくとも結果においてはナチスの民族政策を間接的にであれ,助長する役割を持つた。

 フライスラーは大戦末期の1945年に被爆死したが,人民法廷に関与したミニ版フライスラーともいふべき他の多くの法務家は,戦後に免責せられ復職してゐる。ナチス期の法に従つただけであつたとせられたからだ。本書によれば,彼らには反省はおろか後悔すらないとのことである。

 かうした戦後の態度も,プランクやハイゼンベルクと同じではないか(もちろん遥かに小物に過ぎないが)。かう読んでくると,科学界も司法界も同じ構造ではないかと思へる。といふより,ナチス期の独社会の意識が全体に同じ構造を持つてゐたのではないであらうか。科学者や法務家の生き様は,さういふ構造の個別的な発現であるに過ぎない。かういふ意識の構造にもつと接近したいものだ。かういふ構造は,独ナチス期に固有なものではないかもしれないのだ。
 註記)https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4560095396/ref=acr_offerlistingpage_text?ie=UTF8&showViewpoints=1
 4)戦時期の鹿児島2区選挙無効事件-吉田 久という例外中の例外の判事-
 3)の前段で最後の文句,「かういふ構造は,独ナチス期に固有なものではないかもしれない」といわれた点は,少なくとも戦時日本にはそのとおりに敷衍されてよく,文句なしに妥当するものであった。断わっておくが,前野 茂の実例(悪例?)はその典型的な代表例であって,けっしてめずらしい事例ではなかった。

 さて,戦争中の大政翼賛会体制のなかでの選挙に対して起こされた訴訟「鹿児島2区選挙無効事件」に対しては,当時の日本の大審院(現在の最高裁判所に相当)が1945年3月1日に下した判例があった。それはつぎのような結果をもたらしていた。

 鹿児島県第2区で推薦候補者を当選させようとする不法な選挙運動が,全般かつ組織的におこなわれた事実を認定し,「自由で公正な選挙ではなく,規定違反の選挙は無効となる旨を定めた衆議院議員選挙法第八十二条に該当する」として選挙の無効とやり直しを命じるとともに,「翼賛選挙は憲法および選挙法の精神に照らし大いに疑問がある」と指摘して,国を厳しく批判する判決を下した。この判決を受けて,同年3月20日に鹿児島2区のやり直し選挙がおこ吉田久画像なわれた。
 
 この「翼賛選挙無効判決」を下したのは,大審院第三民事部の部長判事(裁判長)吉田 久であった。
 出所)画像は吉田 久,http://book-sakura.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/1462008-dbd0.html

 1942〔昭和17〕年4月30日に実施された第21回衆議院議員総選挙(翼賛選挙)をめぐって提起されていた選挙無効訴訟(鹿児島2区選挙無効事件)は,1945〔昭和20〕年3月1日,大審院第三民事部の部長判事(裁判長)だった吉田が「鹿児島2区の選挙は無効」とする判決を下した。

 同事件の審理にさいして吉田は,4人の陪席裁判官とともに鹿児島へ出張し,187人もの証人を尋問した。この出張尋問は大審院内部でも「壮挙」と評された。

 なお,同判決の判決原本は東京大空襲の際に焼失したとされており,大審院民事判例集にも登載されておらず「幻の判決文」とされていたが,2006〔平成18〕年8月,最高裁判所の倉庫で61年ぶりに発見された。

 翼賛選挙無効判決宣告の4日後,吉田は司法大臣松阪広政に辞表を提出し,裁判官を辞職した。その後は大審院判事在職中より出講していた(当時は裁判官が大学や専門学校で教鞭をとることが認められていた)中央大学の講師を続けていたが,敗戦時まで「危険人物」として特高警察の監視下に置かれていた。
 註記)以上,吉田 久については,ウィキペディアなど参照。

 吉田 久は結局,辞職を余儀なくされていた。以上は戦争中の話題であったが,日米安保問題に関連して発生した砂川事件に対して国側に不利な判決(「伊達判決」1959年3月30日)を下した伊達秋雄も,事後に辞職していた。

 最近では,原発関連の裁判をみると,電力会社側〔および国策民営である事情〕に不利な判決を出した裁判官たちが左遷されてきた。三権分立が民主主義の基本理念だといわれたところで,裁判所もしょせんは「国家のための司法機関」である。

 新藤宗幸『司法よ!  おまえにも罪がある-原発訴訟と官僚裁判官-』(講談社,2012年)は,そうした日本の裁判所の〈罪状〉を糾弾している。こう批判している。「とりわけ “国策” とされる原子力発電所の “安全性” 審査は,国家権力に担保された行政庁の判断をアプリオリ(先験的)に証人することが,もっそも “無難” な裁判官としての処世術となる」(137頁)。

 安倍晴彦『犬になれなかった裁判官-司法官僚統制に抗して36年-』(NHK出版,2001年)や,最近作でみれば,瀬木比呂志『絶望の裁判所』(講談社,2014年)なども,そうした裁判所内部を事情をよく解説している。安倍晴彦の本の「内容説明」は,こう記述されていた。
  著者は,司法修習をトップクラスの成績で終えて1962年4月,裁判官に任官した。在任中は優れた「庶民派」裁判官としてしられていたが,裁判官人生のほとんどを家裁・地裁で過ごし,いわば「日の当たらない道」を歩んできた。それはなぜだったのか。

 最高裁の判例を覆した無罪判決のこと,青法協活動のことなど,36年間の裁判官人生を振りかえりつつ,裁判官・裁判所のしられざる実態を描く。裁判官のあるべき姿とはなにか。司法の「独立」を問いつづけた苦渋の経験から導き出される,改革への提言。
 5)む す
 現状のごとき国家・行政のあり方,安倍晋三による「政治と経済」のデタラメ三昧な運営実態は,当然のこととして,裁判所(司法)にも非常によからぬ影響を与えてきた。現状ではとくに,原発訴訟の現場において大いにその悪さが発揮されている。

 この国における司法の独立(?)など,いまでもまだ「冗談の部類」に属する話題である。また,原発問題における “司法の判断” にうかがえる素人ぶりもよく目立つ。ともかく,法律の文言はよくしってはいても,本当のところでは,世の中の実際問題にはうといのが,いまどき裁判官の本性・限界でもある。

   ③【 補  遺 】
◆ 野党に聞かせたい「安倍首相の
存在自体が悪」という名セリフ ◆
=『天木直人のブログ』2018-05-19 =

   ここまで国民の信頼を失っているというのに,どうやら安倍首相は開きなおって,6月末の国会閉会まで外交に逃げこみそうだ。それもこれも,野党の追及が弱すぎるからだ。野党は,せめてこれぐらいの啖呵を,国民がみている予算委員会で,安倍首相に向かって切ったらどうか。

 安倍首相は怒り心頭で狼狽するに違いない。あるいは自信喪失して仮病に逃げこむかもしれない。今日,5月19日の朝日新聞「政治季評」で,早稲田大学政治学教授の豊永郁子(とよなが・いくこ)さんが書いていた。

 安倍首相は辞める必要がある。一連の問題における「関与」がなくともだと。忖度されるリーダーはそれだけで辞任に値するからだと。すなわち,あるリーダーの周辺に忖度が起こるとき,彼はもはや国家と社会,個人にとって危険な存在なのであると,豊永さんはいい切っている。

 安倍首相の意向を忖度することが安倍政権の統治のもとでのルールとなってしまった以上,忖度は止まず,不祥事も続くだろう。だから安倍首相が辞めるしか問題は解決しない。そう豊永さんはいっているのだ。

 そのとおりではないか。もはやそれ以上の言葉は不要だ。安倍首相の存在じたいが国と社会と個人にとってなのである。

 野党は残された国会審議のなかで,そう啖呵を切って内閣不信任案を提出し,安倍首相が解散・総選挙をいい出す前に,野党の方から安倍首相を解散・総選挙に追いこむのだ。

 世論を信じ,世論に安倍首相をボイコットさせるのだ。野党のその気迫があれば,国民もまた,豊永郁子教授のいうとおり,まともな判断を下すだろう。安倍首相の存在そのものが悪だと。さっさと目の前から消えてもらいたいと声を上げるに違いない。
  註記)http://kenpo9.com/archives/3742

 【 補  遺(続)】

 『肥だめ』にドップリ漬かっている世襲政治家たちだが,自分たちの気分では最高級の檜風呂に入っているつもり……。どうしようもない3流政治家(世襲3代目)にしかなれなかった「僕ちんたちの悪相」。国民たちを完全に舐めきった為政がまかり通る「この国の救いがたい凶相」。ここまでいわれても「カエルの面に●●● … … …」。
『朝日新聞』2018年5月19日夕刊素粒子

 「わが国の政治が混乱して当事者能力を欠くのは指導者にビジョンがないから」だ(2016/5/30 12:36)と,『やまもといちろう オフィシャルブログ』が嘆いてから,いまでは1年が経過している。
 註記)https://lineblog.me/yamamotoichiro/archives/6849164.html
IRONな
 出所)この画像を名付けるならば,「日本の黒悪・政治を象徴できる人たちの写真」とでもしておく。『iRONNNA』(日付は確認・不詳だが,2016年1月ごろの写真),https://ironna.jp/article/3404

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 【あいもかわらず原発を使いたいと本気で妄想しつづける経産省官僚たちの「原子力村」意識に淵源する痼疾】

 【再生エネルギーの開発・利用が基本に据えられるべき時代の趨勢を,あえてよくみない(直視しない)で済ましている「原子力村」の諸利害集団】

      上川龍之進表紙上  上川龍之進表紙下
             付記)↑「Amazon 広告」へのリンクあり。   

 ① まえがき

 本日〔2018年5月18日〕の『朝日新聞』社説は「エネルギー基本計画 めざす姿がずれている」という論題で議論し,批判もする論評をかかげていた。

 本ブログも一昨日と昨日〔5月16日・17日〕に,つぎのような論題で原発問題に関する批評をくわえていた。例によっていずれも長文の記述なので,興味をもつ人はあとまわしにでも一読してもらえれば幸いである。ここでは,主題・副題をみてその含意を汲みとってほしい。
 2018年05月16日
  主題:「日本原発史の現在,『日本国原子力村支部』」の狂気,《悪魔の火》にあぶられていてもこれを消せないままで「原発再稼働派」がこだわる「目先の計算・利害」

   副題1:「原発の放射能まみれになって日本を滅ぼすのか,再生可能エネルギーの開発・利用を妨害する原発維持派の『狂信的な推進』思想・イデオロギー」

   副題2:「『日本原発史・全史』に関する著書の紹介も兼ねて」
    ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1071252182.html

 2018年05月17日
  主題:「悪魔の火:原子力》を捨てられないエネルギー政策の根本的な錯誤,代替用の原発を新設せよと主張する経営学者の時代錯誤」

   副題1:「国民側に厳在する『反原発感情』に勝てない経産省と一部大企業の「連合」が,原発維持に固執する理由・事情はなにか」

   副題2:「橘川武郎が原発の代替・新設を主張する根拠においては『合理的に確実な経済計算』がなされているのか不詳,その説明が不十分」
    ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1071267788.html
 『エネルギー基本計画』という題名の文書は,経済産業省資源エネルギー庁における「総合資源エネルギー調査会 基本政策分科会」の「第27回会合」(平成30〔2018〕年5月16日)を報告するために 註記1),公表されていた 註記2)
 註記1)http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/027/
 註記2)http://www.enecho.meti.go.jp/committee/council/basic_policy_subcommittee/027/pdf/027_006.pdf

 「註記2」の内容はけっこうな分量があるが,ぜひとも目を通してほしいものである。が,ここでは直接には触れない。一言だけさきに,つぎのように断わっておく。

 経済産業省資源エネルギー庁が今回まとめて公表したこの文書は,現在までにはすでに明々白々にもなっているはずの “未来に向けてめざすべきエネルギー観” として評価するとしたら,完全に落第点である。いまどき,よくもここまで実質的にはいい加減な,つまり原発再稼働論に執着する主張ができるものだという印象しか浮かばない。

 ②「〈社説〉エネルギー基本計画 めざす姿がずれている」(『朝日新聞』2018年5月18日朝刊)〔をめぐる議論〕
                        
 新たなゴールをめざす動きが国外で広がるのを横目に,従来の道にしがみつく。大局を見誤っているというほかない。新しいエネルギー基本計画の案を経済産業省がまとめた。「これまでの基本方針を堅持する」とうたい,いまの計画を踏襲する内容だ。事業環境が厳しい原発や石炭火力を従来どおり,「重要なベースロード電源」と位置づけた。

 世界では,エネルギーの供給や使い方に構造的な変化が起きつつある。太陽光や風力などの再生可能エネルギーが化石燃料にとって代わる「脱炭素化」や,規模が小さい発電設備を蓄電池などと組みあわせ,効率よく地産地消する「分散化」など,影響は社会に広く及ぶ。

 それなのに旧来の方針に固執して,変革に対応できるのか。世界の流れから取り残されないか。疑問や懸念は尽きない。この計画案は認められない。

 1)電源目標は非現実
 基本計画は,エネルギー政策の中長期的な方向性を示すもので,政府が定期的に見直している。いまの計画が閣議決定された2014年以降,内外で起きた変化は枚挙にいとまがない。

 再エネは技術革新とコスト低下が進み,先進国や新興国で普及が加速した。地球温暖化対策のパリ協定が発効し,温室効果ガスの排出が多い石炭火力は逆風にさらされている。原発は,福島の事故を受けた安全対策の強化などの影響でコストが上昇し,先進国を中心に退潮傾向が強まった。

 ビジネスの動きも速い。投資や技術開発は,再エネと送電や電力制御,蓄電などの分野に集中し,巨大な市場が生まれている。日本は出遅れ気味だ。それでも,経産省は「大きな技術的な変化があったとは思えず,大枠を変える段階にはない」(世耕弘成経産相)という。認識違いもはなはだしい。
      世耕弘成画像
出所)世耕弘成,https://jp.sputniknews.com/japan/201610132895311/
 そもそもの誤りは,現計画の下で経産省が2015年に決めた電源構成の目標を受けつぎ,「確実な実現へ向けたとり組みを強化する」とした点だ。この目標は,2030年度時点で原子力と再エネがそれぞれ発電量の2割ほどを担うと想定する。

 原発は30基程度を動かす計算で,これまでに再稼働した8基を大きく上回る。多くの古い炉の運転延長や建て替えも必要で,専門家らから「非現実的」という批判が相次ぐ。一方,再エネは達成が射程に入りつつあり,目標値の上積みを求める声が与野党から出ている。
 補注1)この原発の建て替えまで主張する識者として経営学者橘川武郎がいた。いったい経営学者が学問的にする企業計算論として,電力会社の保有する原発に関する経営会計をまともに検討したうえでの主張かといぶかるほかない。

2018年度国家予算概要『毎日新聞』 東電福島第1原発事故現場の後始末には,当面の計算によれば,21.5兆円を要すると見積もられている。だが,この金額で済むと請けあえる専門家は,原発推進派の研究者であってもいえないでいる。この21.5兆円という金額は,国家予算1年度分の何分の1に相当するか?

 右側の図表は「2018年度当初予算案の一般会計総額を97.7兆円前後とする最終調整に入った」段階で,『毎日新聞』が「2018年度予算案 一般会計総額97.7兆円で政府最終調整」(『毎日新聞 Web版』017年12月16日 02時30分,最終更新 12月16日 02時30分)として報じた記事に添えられていた図表である。
  出所・註記)https://mainichi.jp/articles/20171216/k00/00m/020/193000c

 補注2)21.5兆円という数値をもちだして比較しただけで,一目瞭然に “唖然・呆然となる” はずである。ただしこれを,事故を起こした原発関係だけにかぎって計算された数値だといって軽視・無視したり,括弧にくくっておくのは,間違いである。この東電福島第1原発事故現場の「後始末にためにさらに今後にも発生していくる経費」の見積もりについては,つぎのような指摘もあった。
  老舗の民間シンクタンク「日本経済研究センター(JCER)」が新たにまとめたレポート「エネルギー・環境選択の未来 福島原発事故の国民負担」は……,廃炉,汚染水処理,除染,賠償を併せた事故処理費用の総額は最大で70兆円と政府の見積もりの3倍以上に達する可能性があるという……。

 くわえて,このレポートは,いまや電力が充足しているうえ,原子力が他のエネルギーに比べて割安でもないにもかかわらず,政府が原発の存続をめざすのならば,「東電の破たん処理など責任の明確化」や,原発存続の「必要性の立証」が不可欠だと連ねている。
 註記)「原発廃炉に70兆円必要!? 保守系調査機関が算出した驚くべき数字 政府試算のなんと3倍…これは大変だ」(経済ジャーナリスト・町田 徹稿『イミダス』2017年3月14日,http://gendai.ismedia.jp/articles/-/51202)。
 補注中の補注)いうまでもなく,その「事故の責任の明確化」や「原発の必要性の立証」が,政府側(安倍晋三政権)からはたいして明示もされないまま,今回のような『エネルギー基本計画』(2018年5月16日)が,再度経産省エネルギー資源庁から公表されていた。2030年の原発(原子力発電)の比率を「22~20%」にするという目標を,それもわざわざかかげていた。進歩も発展もなにもない官庁の文書である。

 通常の廃炉工程であっても,いまでは1世紀〔以上〕の長期間にまたがって処理していく〈後始末〉となる。その,いつまでも連続していく作業管理体制を辛抱強く維持していかねばならない点は,すでに廃炉の問題にとり組んできた欧米諸国が例示してきた,原発に関する「その後の事情」からも判明している。

 そもそも,1基(ここではひとまず出力100万キロワットとしておく)の原発の廃炉のために実際に発生していく経費は,いったいどこまで膨らんでいくのか,この点をより厳密に提示できているのか?

 21世紀になったばかりのころ,多分いまから15~16年前に記述された文章であるが,こう指摘していた。
  〔日本全国(沖縄県は除く各電力会社管内)の〕約50基の原子力発電所の廃棄物を含めた処分費用が約26兆6000億円ということは,1基当たり「5320億円」。これには運転中に発生する廃棄物処分費用も含まれますが,原子力発電所の廃炉コストは「数百億円」では済まないのは確実です。
 註記)「原子力発電所の廃炉コスト」,http://www.ne.jp/asahi/ma/ru/energy/hairo.html
 この指摘は,廃炉コストは「数百億円」では済まないと断わっている。だが,現在にあっては,廃炉のために経費は倍々ゲームの要領で膨大化していく様相さえ予見させている。この点に関しては,欧米で廃炉にされた原発の後始末に関した状況からも,実際に読みとれる。つぎに紹介するドイツの事例が参考になる。少し長く引用する。
  「廃炉直後は放射線量が高すぎるので5年間寝かせて,1995年から解体事業を開始しました。最初は,敷地内のボイラー室の部品など放射能汚染の少ない部分からはじめ,徐々に原子炉周辺の汚染の高い部分へと解体していきます。作業終了には70年ほどの時間がかかるのです。原発の廃炉には,専門的な技術や経験も必要。そのため,原発を運転していたころの労働者の多くが,廃炉作業にかかわってくれています」(メイラー氏)。

 もともと原発を運転・管理する民間企業だったEWN社は2000年に国有化。20年以上にわたって続けてきた原発廃炉のノウハウは,世界的な脱原発の流れのなかで新たなビジネスとなり,ドイツだけでなく欧州各国での原発廃炉を請け負うようになった。最近では,ロシアの原子力潜水艦の解体事業も受注しているという。

 廃炉には莫大な費用がかかる。「ラインスベルク原発の場合,解体コストは6億ユーロ(約660億円)。これは同原発の発電事業(1966~1990年)でえた利益を超える額です」(メーラー氏)。だが,それでも廃炉作業がおこなわれているのは「安全基準を満たし原発を維持する方が,さらに費用がかさんだから」と取材に同行したセバスチャン・プフルークバイル氏(元・東ドイツ暫定政権評議員)は語る。

 「独裁政権下にあった東ドイツの原発は,非常にずさんな管理にあり,いつ重大事故を起こしてもおかしくない状況にありました。1990年の東西ドイツ統合後,ドイツの大企業シーメンス社がラインスベルクなど11基の旧東ドイツの原発の管理の引きつぎを検討しましたが,安全基準を満たすには採算が合わず,断念せざるをえませんでした」(同氏)。

 福島第1原発事故後,シーメンス社は原発関連事業じたいから撤退した。その理由は「原発は,初期投資が巨額で,建設から運転まで10年以上かかる。安全性の要求がますます高まり,いっそうのコスト高。仮に事故を起こさなくても,放射性廃棄物の処分に困る。それならば,他の分野で収益を上げた方が合理的」というもの。同社は近年,ガスや風力発電などのエネルギー事業に力を注いでいる。
 註記)「『廃炉より原発維持のほうが高コスト』ドイツ関係者が断言」『日刊SPA!』2013年01月22日,https://nikkan-spa.jp/373329

     沈没する船とネズミ
    出所)http://ryotaroneko.ti-da.net/e9474642.html
 つまり,ドイツの賢いネズミはすでに『船(原発号)』から降りてしまっているにもかかわらず,日本の賢くないネズミは,いまだにこの『大船』に乗っていけるつもりなのである。

 〔ここで社説記事に戻る→〕 基本計画が描く将来像は内外の潮流から大きくずれており,変革期の道標たりえない。まず目標じたいを見直すべきだ。原発の比率を大幅に下げ,再エネは逆に引き上げる必要がある。

 2)原発のまやかし温存
 個別の分野も問題は多い。焦点の原発は現計画と同様,基幹電源として再稼働を進める方針と,「依存度を可能なかぎり低減する」という表現を併記した。しかし実際には,政権は再稼働に重きを置いている。なし崩しの原発回帰や,放射性廃棄物の処分問題や核燃料サイクルなどでその場しのぎが,さらに続くことになる。

 政権は,原発をとり巻く状況や,再稼働反対が多数を占める世論の厳しさに向きあうべきだ。国民の目をごまかしながら原発頼みを続ける姿勢は,根本からあらためねばならない。「依存度低減」をかかげる以上,その具体化を急ぐ責任がある。
 補注3)国民側の立場からはすでに6~7割の人びとが,原発の再稼働には反対である。ところが,安倍晋三政権はこの有権者たちの意見を完全に無視している。安倍晋三は第1次政権時(「3・11」よりもだいぶ以前の2006年)にも,安全神話を盲目的に確信する答弁を国会のなかで披露していた(「全電源喪失は起こらない」と答弁していた)。

 その意味で安倍晋三は一貫して “原発問題に関する二枚舌行使の立場” に立っていた。要は,彼はウソつきなのである。2020年東京オリンピックを招致するための首相による応援演説〔2013年〕でも,同じをウソを重ねていた。いわく “The situation is under control” (状況はコントロール下にある)と発言した。ところが,これは東電福島第1原発事故現場の後始末に苦労している事情を説明した〈いいのがれ〉であった。

 再エネについて,「主力電源化」をめざす方針を打ち出したのは当然だが,計画が触れた具体策は,すでに検討されているものにとどまる。海外より割高なコストなどの障害を克服する「つぎの一手」が求められる。

 これまでのエネルギー政策は「安定供給」を錦の御旗とし,継続性を重視してきた。ただ核燃料サイクルのように,失敗や不合理が明白でも認めず,路線を転換しない悪弊も目立つ。

 今回の計画見直しでも,経産省は早々に「骨格維持」を打ち出し,議論にたがをはめた。発展途上の再エネには慎重な見方を変えず,多くの難題を抱える原子力や石炭に期待をかけつづける姿勢は,惰性や先送り体質の表れではないか。

 3)新時代の展望を開け
 将来を見通すのはむずかしいからこそ,多角的で透明性の高い政策論議が重要だ。すでに外務省は非公式の折衝で,再エネ比率の大幅な引き上げを求めたという。環境省も石炭の積極活用に批判的だ。省庁を超えて徹底的に議論しなければならない。

 政治の役割も大きい。法律上,政府が基本計画を決めた後に国会は報告を受けるだけだが,十分ではない。専門家の意見を聞き,集中的に審議するなど,関与を強めるべきだ。

 社会の活動や暮らしの基盤となるエネルギーの未来図と針路を描き直す。そのために必要な政策を練り上げる。持続可能で説得力のあるメッセージを国民に発しなければ,新しい時代の展望は開けない。(社説引用終わり)

 ③「〈社説余滴〉原発避難者の声に耳澄ます」(『朝日新聞』2018年5月18日朝刊,五郎丸健一(経済社説担当)執筆。この記事は ②「社説」の真下に配置されていた

 普通の人生ではありえない不条理を経験した人に,心を開いて語ってもらうのはむずかしい。福島第1原発事故の被災者を取材して,そう痛感することがある。福島県富岡町から神奈川県に避難してきた人たちの集まりに足を運んだときのことだ。民間の支援団体が横浜中華街の料理店で開いた交流会。近況報告や思い出話に花が咲き,和やかな場となった。

 ころあいをみて,そばの女性に地元のことを尋ねてみた。すると,心なしか相手の表情が曇ったようにみえた。「思い出したくないのよね。前に帰ってみたら,家は動物に荒らされていたし」。会話は弾まない。癒えない心に無遠慮に上がりこもうとしてしまったのかも,と申しわけない思いがした。

 福島で復興にとり組む人を取材すると,困難のなかでも前向きな印象を受けることが多い。自身の悲哀や苦労と折りあいをつけ,他人に話せる心境に至ったからだろう。一方,偏見や差別を恐れ,出身地を隠して暮らす避難者も珍しくない。彼らの声は埋もれがちだが,心のうちをしるうえで貴重な資料がある。

 福島大学の「うつくしまふくしま未来支援センター」が昨〔2017〕年9月に中間報告をまとめた双葉郡住民実態調査。自由記述欄には,やり場のない憤り,避難生活の息苦しさ,屈折したあきらめなどが,生々しくつづられている。
 「避難先では,子供がいじめられないよう気をつける。一生,周りに申しわけない顔をして,苦しみ,死ぬしかないのだろう……」(30代男性)。

 「賠償金などいらないから,元の生活を返してくれといいたい」(70代男性)。
 調査グループの丹波史紀・立命館大学准教授は,自由記述で4千を超える回答が寄せられたことに驚いたという。「被災者はさまざまな苦悩や困難を抱えており,それが理解されないことへのもどかしさが伝わってくる」と話す。

 原発事故から7年余り。避難者数は統計上,5万人を切るまで減った。行政は,復興の進展をしきりに強調する。だが,いまも避難暮らしを続けざるをえない人びとにとって,国策の失敗がもたらした事故の被害は,いつ終わるともしれない現実である。

 声なき声に耳を澄まし,一人ひとりの生活再建を支えていくのは,政府や関係自治体の重い責務だ。そして,被災者たちの思いを社会全体でどう受け止めるかも,問われ続ける。(引用終わり)

 こうした「3・11」の被災者(被害者)たちが受けている物質的・精神的な損害が,もしも経済計算としてそのすべてを,より正確に計上しきれるとしたら,いったいいくらぐらいになるのか?

 ここでは単行本ではなく,論稿をひとつ紹介しておく。大島堅一・除本理史「福島原発事故のコストと国民・電力消費者への負担転嫁の拡大」(大阪市立大学『経営研究』第65巻第2号,2014年8月)である。この論稿は「福島原発事故のコストを,損害賠償費用,原状回復費用,事故収束・廃止費用,行政による事故対応費用に分けて考え〔てい〕る」内容になっていた(2頁)。

 原発の現状はすでに「罪作りな段階にある」と明言してもよいくらい,この地球上に新しい害悪を撒き散らしてきた。この害悪性については,原発の先進指導国であったアメリカが自国において起こしたスリーマイル島原発事故(1979年3月)以降,21世紀に入ってから「原発ルネッサンス」を提唱するまでのほぼ四半世紀,原発の新設からは大幅に後退していた。ところが日本のほうでは,その間もせっせと原発を建設してきた。以下の数値を記しておく。
  1970年代 ……18基〔1979年3月にスリーマイル島原発事故発生〕
  1980年代 ……16基
  1990年代 ……16基
  2000年代 ……5基
  2010年代 ……1基〔「3・11」まで〕
   註記)ここでは,http://n-seikei.jp/2011/03/post-2446.html
      を参照し,数え上げている。
 他方で,世界の原子力利用を先導したアメリカでは,現在99基が稼働している。その多くが1980年代までに稼動したものであり,うち86基が寿命を60年へ延長している。総発電量に占める原発の比率は約20%である。スリーマイル島原発事故のあとは,原子力への不信が高まり,発電所の稼働率が低下するとともに,新規建設も久しく途絶えていた。

アメリカ原発稼働率推移
出所)旧独立行政法人原子力安全基盤機構
「原子力施設運転管理年報」(平成25〔2013〕年版)
米国原子力エネルギー協会ホームページより,
資源エネルギー庁作成。

 しかし,20年以上の歳月をかけてより高い安全性を確保し,事故以前よりも稼働率を向上させることに成功している(前掲図表)。近年は,卸電力価格の下落で経済性の観点から老朽化した原発が閉鎖されるケースがある一方,低炭素電源としての価値が着目され,原発への政策支援を行う動きもみられる。なお,足下で複数の原発プロジェクトが進行中だが,約30年間新規の建設案件がなかったことなどにより,建設費の増加といった課題も生じている。
 註記)「世界の原発はどうなっているのか? 引き続き重要な役割も,各国で分かれる対応」,経済産業省『METI Journal』2018年01月22日,https://meti-journal.jp/p/170

 前段の引用は経済産業省のホームページからのものであるが,「経済性の観点」や「低炭素電源としての価値」といった着眼点についていうと,日本の場合,前者ではすでに妥当性(有利性)をみいだせなくなっており,また炭酸ガスの排出問題が原発と無関係であるかのように語る誤論についても,あらためてその誤謬を指摘しておかねばならない。

 ということで,アメリカの「原発利用の状態」を「日本向けの解釈論」として応用する意図は,当初よりなりたっていない,もともと〈無理筋の議論〉であった。

 そもそも「アメリカ・スリーマイル島原発事故・以後」において「アメリカ合衆国の原子力発電所関連企業は,国内に市場をみいだせなくなり,海外への売りこみを強化する」過程を経てきたのだから 註記),日本のようにその間,「安全・安価・安心」といった「偽りの『原発安全神話』に浸れた国」とは事情が異なっていた。しかも,こちら側の「安全神話=安価・安全」という仮想観念もすでに崩壊していた。
 註記)http://web.thu.edu.tw/mike/www/class/GS/GS-Project/yama/np/history.html

 ④「〈社説〉エネ基本計画改定案 原発増設議論は先送り 目標達成遠く」(『毎日新聞 Web版』2018年5月16日 21時41分,最終更新 5月16日 22時05分)

 この『毎日新聞』の社説からは,後段部分のみ(約5分の2,再生エネを論じた段落)を引用する。

  ※ 再生エネ,日本は出遅れ ※

 改定案は,世界的に導入が加速する再生エネについて「主力電源化」すると現行計画から踏みこんだものの,明確な道筋は示されず,2030年度に22~24%とする目標も変えなかった。主力電源化には,コストの大幅引き下げや,送電網の増強など克服すべき課題は多い。

 太陽光などの再生エネは天候などによって発電量が左右されるなど安定性に欠けるが,隣国とつながる送電網を通じて余った電力をやりとりできる欧州ではすでに主力となっている。再生エネの比率はスペインが4割,ドイツも3割に上り,日本の約15%を大きく上回る。日本と同じ島国の英国でさえ2割を超え,太陽光発電のコストは欧州全体で1キロワット時当たり10円と,日本の半値の水準となっている。

 今回の見直し議論では,日本の現状について委員から「周回遅れどころではない」と危機感も示された。改定案は2050年をにらみ「(これまでの延長上ではない)非連続の技術開発が必要」と強調。日本が技術的に優位とされる蓄電池や水素と組みあわせることで再生エネの普及を加速させる方針もかかげたが,実現には官民を挙げたとり組みが必要になりそうだ。

 一方,現状で発電量の8割を占める火力発電も2030年度に石炭26%,液化天然ガス(LNG)27%などとした現行の見通しを維持した。世界では環境規制が強まるなか,欧米の大手金融機関が新規の石炭火力に投融資しない方針さえ表明している。国内金融機関もこれに追随する構えで,火力依存度の高い日本が世界の潮流からとり残される恐れもある。(引用終わり)

 あえていうまでもなく,日本はエネルギー政策の基本路線においていえば,すでに「そのエネルギー・先進国集団」からは仲間はずれになっている。しかも,その路線を変換しようとする気持がないどころか,まともに修正することさえ試みたくない様子である。

 なお,躊躇している最中なのである。その原因に「原子力村の総意」が介在しているのだとしたら,電力会社や原発産業に深くかかわる重工業関係の大企業,そして経産省などはまさに,反国民経済的な存在になりさがっている,エネルギー問題がゆえに《亡国のための存在する諸集団》である。

 【 補  遺 】
 ⅰ)『金子 勝:ゴールデンラジオ  大竹紳士交遊録』(2018. 5. 18)を視聴するといいかもしれない。金子は『エネルギー基本計画』(2018年5月18日)を,冒頭部分で批判している。

  ◎ リンク ⇒  https://www.youtube.com/watch?v=IF4m7h1aPhI

 ⅱ)『金子 勝 × 大竹まこと:政策の出てくる計画書がめちゃくちゃ!  紳士交遊録』(2018年5月18日)も,同上の内容。

  ◎ リンク ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=M86lRUkUX8A
  リンク ⇒ https://www.youtube.com/watch?v=M86lRUkUX8A

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 【国民側に厳在する「反原発感情」に勝てない経産省と一部大企業の「連合」が,原発維持に固執する理由・事情はなにか】

 【橘川武郎が原発の代替・新設を主張する根拠においては「合理的に確実な経済計算」がなされているのか不詳,その説明が不十分】



 ① 前 言

 本日,2018年5月17日『日本経済新聞』朝刊には,原発問題に関する記事がそれもかなり大きな紙面を充てられたものとして,3点あった。順にとりあげ議論したいが,昨日〔5月16日〕の最後段落で若干触れた橘川武郎(経済学者・経営学者〔経営史専攻〕)の原発維持論,それも新設も実施したうえで2050年までは現体制の維持せよという主張は,原発に関する原価計算論や,そしてこの論点にまつわっては

 まだ,経済・経営計算論上において明確に認識・整理・計上されていない『廃炉工程(いわゆるバック・ヤード問題)』にかかわる諸論点が,極端なかたちで軽視されている。そうでなければ,まさか完全に無視しているわけではないと思いたいが,すでに明らかになりつつある原発という発電装置・機械の,絶対的な不経済性に関する議論を棚挙げしたかのような原発論はいただけない。現実的な議論に向かっていないのである。

 ②「エネ新計画素案,原発比率の目標維持 2030年時点で20~22%」(『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊1面)

 経済産業省は〔5月〕16日,国の新たなエネルギー基本計画の素案をまとめた。2030年の電源に占める比率を原子力発電は20~22%,再生可能エネルギーは22~24%にする従来の目標を今回の計画でも維持した。焦点の原発は停止している設備の再稼働を着実に進める。一方で,寿命を迎える原発の建て替えや新増設の是非などは盛りこまれなかった。(関連記事総合2面に)(下掲の画像資料は3面にかかげられたものであるが,こちらでさきに利用しておいた)
『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊3面原発記事1
 補注)この図解の題名「エネルギーミックスの目標達成には30基前後の再稼働が必要」という文句は,日本経済新聞社の原発「観」であると解釈しておく。財界新聞紙である日経の立場とすれば当然の方向性であるが,再生エネの位置づけをめぐっては,肝心である現実的な論点の所在にほっかむりしたまま,自社の立場をこのように表現している。

 30基という数字は,現時点で稼働させうる原発のほぼその全基を稼働させろという意見を意味する。「原発無用」論が現実的な解釈でもある現状において,このような日経の解説は,いかにも体制側の応援団という論調を強くにじませている。
『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊3面原発記事2
 あえて極論しておく。今後における電力需給関係のなかでは,このうちの「原子力の比率」分は要らない。この棒グラフは100%の縦軸による表記になっているが,この棒グラフじたい(絶対量)が背を縮めている最中に(その動向が確実に進行しているなかで),このように原発の比率を表記する図法は,奇妙な要因を含ませている。比率による表記に拠った説明にカラクリがないとはいえないのである。
 エネルギー基本計画は中長期的な日本のエネルギー像を示し,当面の政策立案の土台となる。素案は同省の総合資源エネルギー調査会の分科会で了承された。電源構成の見通しは2015年にまとめた「長期エネルギー需給見通し」の数値を変えていない。基本計画の改定は2014年以来で,今夏の閣議決定をめざす。

 原子力は昼夜を問わず安定的に発電できる「重要なベースロード電源」との位置づけを踏襲。現在,再稼働済みの原発は8基にとどまる。基本計画の改定を受け,停止中の原発は再稼働を引きつづきめざすことになる。
 補注)「重要なベースロード電源」という原発に関する規定は,すでに間違った概念である。でくの坊的にしか電力を発電しえない(100%の操業度を維持している必要があり,それ以下だと安定性に問題があって危険にもなる),つまり操業度においてまったく融通性(弾力性)のない原発を(火力発電の操業度は30%から100%のあいだで,つまり電力の需要に対して弾力的に稼働できる),このように位置づける観点は,いまでは完全に誤謬である。それでもなおこのように表現するのは,原子力村の利害が深くかかわっているせいである。もっとも,安全保障の問題もかかわっていないわけではない

 原発の使用済み核燃料を再処理し,とり出したプルトニウムやウランを再び燃料として利用する国の「核燃料サイクル」政策も維持する。原発は安全の確保や廃炉の費用など多くの論点があるものの,電源の中核に据えることを変えなかった。寿命を考えると建て替えや新設が必要だが,こうした施策の是非は記載していない。
 補注)いまでは破綻しているとみなすほかなく,実験を再行できる展望もない “高速増殖炉の稼働” をあてにしたかのようなこの一句:「『核燃料サイクル』政策も維持する」という指摘は,想像を絶するような現実離れの話題であり,それこそ信じられないような〈報道内容〉である。

 温暖化ガスの排出量が多いと国内外から批判を受ける石炭火力発電は2030年も電源のうち26%をみこむ。このため高効率化を前提に,「環境負荷の低減をみすえつつ活用していく」とした。

 2050年に向けては世界の脱炭素化の流れを踏まえ,再生エネについて将来の「主力電源化」をめざす方針を提示した。太陽光や風力発電システムのコスト低減をはかるほか,課題である送電線網の改革も進める。(引用終わり)

 以上,ずいぶんと悠長なエネルギー観,いいかえれば「原発にいまだに異様にこだわる」日本のエネルギー政策の観点(原点的な観念?)が明示されている。この記事に説明されていたごとき,日本のエネルギー問題の全体に向けてなされた “電源別の論点” の事情説明は,いまどき完全に周回遅れである日本の電力事情,いいかえれば「再生エネの少ない比率」を軽視しているだけでなく,こちらの比率を「拡大・上昇させていく課題」に対して,実質的には抑制(ブレーキ)をかけるための発想を示唆している。

 前掲した図表に関連する事情の一環が示されていた点でもあるが,日本に原発は不要である。「3・11」以後における事情の推移を観ても,原発なしで十分に電力をやりくりできる体制になっていた。にもかかわらず,再生エネの占める場所(比率)を排除したいかのように,2030年時点にあっても原発が電源として占める部分(比率)を,従前に近い割合である22~20%に係留させようとしている。

 ある意味でいえば,それも率直にいえば,まともな先進国が現に進展させている再生エネ比率の拡大傾向からは真っ向から逆らう意向が表現されている。もちろん,再生エネ比率も24~22%として目標に設定されてはいるものの,この点は,日本が今後エネルギー需要を減少させていく動向をふまえれば,両立しえない2つの目標をかかげている。矛盾そのものである。

 つぎにかかげるのは『エネルギー白書』2017年版から借りた図表のひとつである。「対・GDP比」での赤線緑線の折れ線グラフの動きをよく観てみたい。原発がこの趨勢のなかにまだ居座るようであれば,再生エネの成長は望めない。原子力の居座りは再生エネの進展を妨害する要因でしかない。
製造業とエネルギー消費図表
   出所)http://www.enecho.meti.go.jp/about/whitepaper/2017pdf/whitepaper2017pdf_2_1.pdf,第2部「エネルギー動向」第1章「国内エネルギー動向」141頁。

 現に「3・11」以後,2013年9月15日から2015年8月11日まで2年近くは,日本の原発の稼働基数はゼロ(%)を記録してきた。その間,火力発電によって電力需要に応えるために燃料費が高い,だから原発を再稼働させろという意見が「原子力村」から強く提示されてきた。しかし,その後であっても本日の時点(2018年5月現在),稼動にこぎつけている原子力発電所は5基である。

 だが,原発は「廃炉工程までを進む:含む事業」として,現実的な視野を踏まえて観察されねばならない。相当に覚悟しておくべき余地がある。これからは,恐ろしいほどにまで高い原価・経費が,原発に関連する諸事業のとり組みにおいて,間違いなく発生していく。だが,いまのところは,その「現実的に確実であるみこみの膨大な経費」が,まだ費用計算になかに登場せず算入されてもいない。

 とりわけ,廃炉工程の手順に関していうと,すでに非常に手こずらされている困難な技術管理の問題性が,今後においても経済計算面から発生させていく「莫大な高額の経費」を予測させている。しかも,その予測じたいが現時点(当面)では,適切(的確?)に判断できないくらいにまで「高くなる」というみこみであるならば,こればかりはたいそう心配の種となる。

 いまの時点ではまだ,その高額化する要因が確実に分析できず,もちろん適切に予測もできないからといったところで,原発がまだ低コストだという理屈は通らない。それは,単なる昔の「原発神話」に関する思いで話であった。さすがに,原子力村の成員たちも最近は「原発のコストは最安価である」を口にできなくなった。ただし「昔からあったウソ」が「いまでもなおウソでありつづけようとする」事情に,問題が残されている。

 原発の設備投資管理問題は,原価計算・管理会計の見地で判断すれば,すでに破綻状態に突入しつつある。日本の原発製造メーカーが海外に輸出しようとしている原発1基(出力はほぼ110万キロワット)の値段は,ついこの間まで5千億円であったものが,安全管理・規制問題が強化されたせいで,いまでは一挙にその倍の1兆円になってしまい,たとえばトルコへの原発輸出は挫折した。

 いまごろの世の中(日本)で売られている製品(商品)が,それも数年も経たないうちに倍の価格に値上がりするなどといった事例は,想像すらできない事実(想定外?)である。

 原発の場合,この製品の特性であった「安全神話」の呪縛=仮構が消えてしまった事実や,とくに「チェルノブイリ原発事故」(1986年4月)に重ねての「東電福島第1原発事故」(2011年3月)発生を契機にした,「安全性確保のための施工にかかる原価・経費」の大幅な増大・上昇は,そのように「原発の製造原価⇒販売価格」を一気に高めた。

 ③「エネ未来像 具体性欠く  新基本計画素案,原発比率の道筋示せず」(『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊3面「総合2」)

『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊3面原発記事3 経済産業省が〔5月〕16日の審議会に示したエネルギー基本計画の素案は,原子力発電を中長期で活用していくための具体論を欠いた。多くの原発は2030年以降に廃炉を迫られるが,世論の反発を恐れた経産省は建て替え(リプレース)や新増設の議論を主導できなかった。使用済み核燃料の再処理方針などは現状維持で,原発の環境変化に向き合う議論は停滞した。(1面参照)
 補注)原発問題対する「世論の反発」とはなにか? 日本で唯一,原発を保有しない電力会社がある沖縄県の地方紙『琉球新報』は,2018年3月5日に「〈社説〉原発ゼロ求める世論 再稼働やめ再生エネを」をかかげていた 註記)。この社説にその原発に対する「世論の反発」が説明されている。経産省が原発問題に関して,いまでは〈へっぴり腰〉でしか対処できない事情・背景が分かる。
 註記)https://ryukyushimpo.jp/editorial/entry-676419.html

  「原発ゼロ」を願う世論は,あの大惨事から7年たったいまも,揺るぎないことがあらためて示された。

 東日本大震災と東京電力福島第1原発事故から7年になるのを前に実施した全国世論調査で,今後の原発の在り方について,ゼロを求める意見が4人中3人に上った。原発の再稼働に前のめりとなっている政府は,国民の声を重く受け止め,脱原発にかじを切るべきだ。

 調査では「段階的に減らして将来的にゼロ」が64%,「いますぐゼロ」が11%で合わせて75%に達した。一方,「段階的に減らすが新しい原発をつくり一定数を維持」は20%,「新しくつくり事故前の水準に戻す」は2%にとどまった。

 「将来的にゼロ」は党派を問わない。自民党支持層でも63%,公明党支持層で61%と最多だった。無党派層の66%と大差ない。国民の多くは原発を将来も持続すべき電源とはみていないのは明らかだ。

 さらに,政府が進める原発再稼働について「安全性は向上したが深刻な事故の懸念は残る」との回答が56%にも上った。「安全性は向上しておらず事故の懸念も残る」27%と合わせると8割を超す。原発の安全性を示す原子力規制委員会の新規制基準が信頼されていない証しでもある。
(後略,引用終わり)
 ところが,いまこの ③ で引用している日経記事のなかには,日本における原発の問題に関して,こう主張する人物が登場する。

橘川武郎日経2018年5月14日朝刊 「原子力を『脱炭素化の選択肢』というが,建て替えを考えないとありえない。はっきりと書かないのはおかしい」。〔5月〕16日の経産省の審議会では,委員の橘川武郎・東京理科大教授(写真)が経産省や会議の姿勢を批判した。同席した福井県の西川一誠知事も「核心に触れてほしい」と苦言を呈した。

 計画作りにかかわった関係者が不満を募らせたのが,原発を推進する方針を崩さないのに,具体論になると議論が深まらなかったことだ。

 経産省によると,今回の計画に盛りこまれた2030年の原発比率(20~22%)を達成するには,30基程度の再稼働が必要だ。これまでに再稼働済みの原発は8基。いまのままでも目標を実現する再稼働数は危ぶまれているが,達成の道筋はつけられていない。
『日本経済新聞』2018年5月14日朝刊経済教室原発
 東日本大震災後,原発の運転期間は原則40年と定められたが,原子力規制委員会が認めれば一度だけ延長し,最長60年まで動かすことができる。原発は投資と運転の計画を数十年単位の長期で考える事業だ。

 「寿命」を迎え廃炉を迫られる原発はこれから増えてくる。国が描く「2050年にも原発は選択肢」という政策を踏まえるなら,2050年以降の原発をどう維持するかをいまから議論する必要がある。関西電力など大手電力会社や重電メーカーが建て替えや新増設の議論の加速や基本計画での明示を要求したのは「いまから準備しておかないと間に合わない」(大手電力幹部)との危機感をもつからだ。
 補注)「いまから準備しておかないと」まずいのは,原発の新増設の問題ではなくして,これからも事後においては「何十基もの原発の廃炉」にとり組まねばならなくなる事態に関してこそ,ではなかったか?

 原発を即刻なくしたところで,電力会社がかかえる資産評価面では “会社全体のうちでは約7割” も計上させられている,この「原発という装置・機械(固定資産)」のための「原価会計的な補償」(を実現させる収益獲得)の問題が,目前に控えている。このために,電力会社の財務会計にとってみれば,きわめて重要な課題(当面する至上命題:原発再稼働)が,死垂のようにぶら下がっている状況にある。

 とはいえ,社会経済全体の社会的費用の観点から観察し評価するとき,それも長期的な視座も踏まえて判断するときは,電力会社という個別企業の利害(収益・利潤)を最優先させるごとき「第1義的な有用性・優先性」は,どこにも・なんらもみいだせない。

 橘川武郎が『日本経済新聞』2018年5月14日朝刊「経済教室」で主張していた「現有原発の代替用新設」という考え方は,経営費用論の観点のみならず,社会経済学的な社会費用論の全体的な立場から判断しても,すでに完全に破綻した理屈でしかない。廃炉問題から将来に向けて発生していく莫大な経費を的確に予見できる論者であれば,いまある原発の廃炉問題のとり組みから発生する経費の問題を無視したまま原発の新設を語るのは,識者(学究・専門研究者)としての見識が疑われる。

 〔記事に戻る→〕 ただ,政府は建て替えや新増設を「現段階ではまったく想定していない」(世耕弘成経産相)との見解を崩していない。方針転換となれば「選挙などで与野党対決の争点にされかねない」(政府関係者)と危惧する声が多い。

 使用済み核燃料の再処理や放射性廃棄物の処分場など議論すべき点は多い。しかし,審議会は当初から「基本的に骨格は変えない」(世耕経産相)との方針が貫かれた。審議会で会長を務めたコマツの坂根正弘相談役は「原子力でも(中長期的に)小型炉にチャレンジすべきなのか,基本スタンスくらい議論しないとまずい。これだけいっても行政が突破できないことが分かった」と指摘した。
 補注)コマツは建設機械・車輌を主製品にし,世界中に販売している「日本を代表し,世界に誇れる製造業」である。ところが,その関係者が「原発の再生」を唱えている。これにはそれなりに自社の営業内容との利害もあっての発言と思われる。

 だが,国際企業として名声も評判もあるこのコマツが原発問題に対して,どのような基本姿勢を採っているか,われわれは注目していなければならない。原発の導入・利用状況に関してコマツは,いったいどのように認識しているのかその真価が問われている。

 再生可能エネルギーは導入が進んできた現状を踏まえ,2030年の目標比率を引き上げるべきだとの意見も出た。今夏の閣議決定に向けた与党での議論でも,エネルギーの将来像の策定に積極的にとり組む必要がある。(引用終わり)

 「再生エネ主力化,残す3つの課題」(以上の記事につづいて掲載されていた関連の記事)

 再生可能エネルギーは主力電源にすると打ち出した。普及への課題を解決する政策には優先してとり組む必要がある。

 1)「コスト」 ひとつはコストの問題だ。経産省によると,太陽光の発電コストはドイツが1キロワット時あたり9円なのに対し,日本は24円。風力は10円に対し,21円だ。日本は固定価格買い取り制度(FIT)を導入しており,コストは電力料金に上乗せされる。

 経産省は高効率の太陽光パネルの開発のほか,入札方式を導入してコスト低減を進める方針。高い買い取り価格が高コストの要因になっているとの指摘を踏まえ,FITの抜本見直しにも踏み切る考えだ。

 2)「調整力」 もうひとつは調整力の問題だ。再生エネは天候などの条件によって出力が変わり,発電量が少ない時に補うための調整電源が必要になる。足元では火力発電がその役割を担っている。それでも再生エネが大量に導入されると,火力発電の稼働率は下がり,保有する電力会社の収益が悪化する。

 火力発電は二酸化炭素(CO2 )の排出が多いというデメリットもある。新しい調整力として期待されるのが,蓄電池や水素。経産省は高性能で低価格の蓄電池や,水素の低廉な活用の普及拡大に向け,政策支援と技術革新を拡充する考えだ。

 3)「送配電の制約」  電力系統の制約も大きな課題だ。再生エネが大量に導入されると,送配電網の容量を超え,停電のリスクが高まる。経産省は電力業界と組んで送配電網を増強する一方,送電線の「隙間」を利用する「日本版コネクト&マネージ」を始め,既存の設備を活用する運用改善に乗り出した。

 再生エネを主力電源化するとした一方,2030年の計画を変えなかったことには環境系の非政府組織(NGO)から「整合性がない」との批判もある。外務省幹部は「国際社会から批判されかねない」と懸念する。(引用終わり)

 ここで「再生エネを主力電源化するとした一方,2030年の計画を変えなかったこと」とは,原発の電源としての構成比率を「22~20%」のままに据えおいたことである。日本における電力供給量は,最高であった2007年以降は傾向として減少してきた。その発電総量じたいは,2010年以降,完全に減少しつつある。

 今後も人口減少の趨勢がつづくなかで,また節電努力もさらに工夫されていくのであれば,原発の構成比率「22~20%」は,全体的な需要に対して「不要な電力供給分の比率」に相当するとまで断言できる。あるいは,電力の地産地消志向がさらに進展することになれば,もしかすると『エネルギー白書』ですら十分に捕捉・把握できない,すなわち,この白書のなかに反映・計上されない電力供給も,地域分散型の電源として大いに普及していくはずである。

 そうした電源構成の内部的な比率が,とくに再生エネの普及・発展により大幅に変化していくなかで,なおも橘川武郎のように,現有原発の耐用年数(60年である)を考慮しつつ,代替用の原発新設を主張する立場は,技術的な発想そのものとして疑問だらけである。

 とりわけ橘川武郎は,廃炉問題に対する具体的な所見が明確ではない。とくに,原発は「40年プラス20年」=60年の耐用年数を使い切れがよいという立場である。だが,原発がいままで起こしてきた諸事故に鑑みれば,これほど危険な原発観はない。

 ④「欧州電力 風力がけん引役 火力は採算悪化 休止も」(『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊15面「企業2」)

 【フランクフルト=深尾幸生】 欧州電力会社の業績が,再生可能エネルギーのとり組みの有無で明暗が分かれている。洋上風力の世界最大手,デンマークのアーステッドは2018年1~3月期の営業利益が前年同期に比べて倍増した。スウェーデンのバッテンファルも,風力部門が21%の増益となった。
『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊15面原発記事1
 アーステッドのヘンリク・ポールセン最高経営責任者は決算会見のなかで,好業績となった要因をこう語った。「稼働している洋上風力が,より多くの電力を生み出すようになってきた」。

 アーステッドの営業利益は108%増加し,41億クローネ(約720億円)となった。同社の熱電供給に占める再生可能エネルギーの比率は12ポイントも高まり68%になっている。

 バッテンファルは火力や原子力の分野から再生可能エネルギーに軸足を移しており,営業利益は15%増え70億クローナ(約890億円)となった。水力と風力の増益が火力部門の落ちこみを補った。

 風力事業が好調なのは建設から運営,廃止までの費用が下がった要因が大きい。その理由のひとつは建設費の下落。風車が大きくなったうえ,組み立てやすい技術のおかげで建設期間も短くなった。
『日本経済新聞』2018年5月17日朝刊15面原発記事2
 欧州では2017年,風力・太陽光・バイオマスの合計発電量が石炭火力を超えた。電力会社の再生可能エネルギーの運営ノウハウは年々蓄積され,コスト削減につながっている。実際,ドイツや英国では陸上風力や太陽光の発電費用が石炭火力を下回っている。

 コストダウンを裏づけるように発電事業者の入札では3月にオランダ,4月にドイツでそれぞれ洋上風力が補助金ゼロで落札された。2017年4月に決まった初めての補助金ゼロの風力案件に続く動きだ。割高とされてきた風力のイメージは過去のものになっている。

 火力発電の旗色は悪い。独RWEが〔5月〕15日に発表した決算では調整後の営業利益が13%も減り,14億1600万ユーロ(約1850億円)。電力小売会社に販売する卸価格が,発電コストの安い再生エネルギーとの競争で下がった。

 RWEは3月に独電力大手のエーオンと,再生可能エネルギーと送配電の事業を交換することで合意した。一度は本体から切り離した再生可能エネルギーだが,再び参入する。

 ユニパーは調整後の営業利益が32%減って3億5千万ユーロとなった。欧州の発電部門で,火力発電の営業利益が半減した。ユニパーは独南部にあるガス火力の発電所2基を2019年以降に休止する。再生可能エネルギーにおされ採算がとれなくなっている。

 英仏やオランダ,イタリアは石炭火力発電の廃止目標をかかげている。「脱原子力」を優先し火力の比率が高まっているドイツでも,近く政府が脱石炭にむけた道筋を議論する委員会を発足させる見通しとなっている。(引用終わり)

 この記事は,再生エネでもとくに風力発電の有利性,もちろんその低コスト構造の達成度合いを解説している。それが石炭火力発電を追いこんでいるという報道である。さてここでは,原発はどのような位置を占め,関連づけられる問題対象となるのか? 廃炉問題にまで実際にとりかかれば,すでに判明もしているように,

 原発は「もう発電しない装置・機械」である状態のまま存在しつづける。むろん,建屋などが解体され原子炉なども分解される。だが,そうした工事を終えたところで,そのあとにはまだまだ「延々とそれこそ100年の単位」にまで及ぶ,それも利益(収益)を生まないまま経費(損失)をダラダラと発生させつづけていく『廃炉の工程』(バック・ヤード問題)が残る。
  本ブログ内で参照していたつぎの2つの図表を,再度ここにかかげておく。「すでに原発は臨終の時期」を迎えている。
『日本経済新聞』2017年11月19日朝刊3面原発コスト
       出所)日本経済新聞』2017年11月19日朝刊3面

『日本経済新聞』2018年3月21日朝刊風力発電画像
       出所)『日本経済新聞』2018年3月21日朝刊15面
 原発という装置・機械の本質は,これまでであれば「安全神話の仮面」をかぶることができていた。だが「原発」はそもそも「原爆」にその技術的な由来を求められるのだから,廃炉工程は「原爆を爆発させたこの後始末」に類似的に相当する作業となる。「原発の廃炉」に関する技術問題をこのように類推することは,それほど強引な話法ではない。

 ドワイト・アイゼンハワーは罪作りなこと,つまり「原子力の平和利用」をとなえたが,原発はたしかに平和利用されてきたものの,その結果において強いられる「廃炉の工程」問題は,人類・人間にとってみれば戦争非常事態に匹敵する社会状態を生んでいる。

 ヒロシマやナガサキは原爆を投下された。だが,いまでは完全に復旧できている。だが,チェルノブイリ原発事故や東電福島第1原発事故のその現場の「いま」は,どういう風景になっているか? だから,ドワイト(とUSA)は罪作りな男(国)だったと形容してみた。

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 【原発の放射能まみれになって日本を滅ぼすのか,再生可能エネルギーの開発・利用を妨害する原発維持派の「狂信的な推進」思想・イデオロギー】

 【「日本原発史・全史」に関する著書の紹介も兼ねて】



 ① 上川龍之進『電力と政治-日本の原子力政策全史-(上・下)』勁草書房,2018年2月の書評
   上川龍之進日経書評棚で販売中
     出所)https://twitter.com/kumaapi
     出所)https://twitter.com/kumaapi/status/995220660400963584
     付記)画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。
 1)「〈書評〉『電力と政治 日本の原子力政策全史』(上・下)上川龍之進著(『朝日新聞』2018年3月18日朝刊。評・齋藤純一早稲田大学教授・政治学)

    戦後の「暗黒面」を抉り出す ※

 権力の実態は,マクロな構造をみるだけではとらえきれない。細部に分け入ってはじめてみえてくるものもある。本書は,原発をめぐる権力を分析することを通じて,そこに凝縮されている戦後政治の「暗黒面」を抉(えぐ)り出す。その魅力は,具体名や個々の言動もおろそかにしない細部への関心にある。

 前半部の焦点は,「原子力ムラ」の中心,つまり東京電力にある。その権力の源泉は,電力会社に潤沢かつ安定した利益を保証する「総括原価方式」の仕組にあった。本書は,財界・官界・政界・学界・メディア・立地自治体などに対して東電が振るった権力を,天下り,接待,コネ就職,票とカネ,広告宣伝,人事への介入などにも触れてつぶさに描く。

 この絶大な権力は,福島第1原発事故の後どう変化したか。後半部によれば,東電の影響力はさすがに後退したものの「原子力ムラ」はなおも健在である。この「ムラ」は,巨額に膨らんだ事故処理費用,核燃料サイクルの実質的破綻(はたん),候補地すらみいだせない使用済み核燃料の最終処分場,穴だらけの避難計画といった数々の問題を抱えながら,「世界でもっとも厳しい水準」という新たな安全神話にも訴えて,輸出を含む原発回帰を図っている。一方で,原発とは本来矛盾する電力自由化の政策を進めながらも。
上川龍之進画像
 原発は,複雑に絡み合った膨大な既得権益を生みだした。それを守ろうとする抵抗は,エネルギー政策の方向転換を阻みつづけている。原発へのロックイン(はまりこみ)は,いったん走り出した事業は,いかに不合理であることが分かっても容易には止められないというよくみられる事態の典型である。

 「ムラ」の住人は,たがいいに争っても,権益を死守し,内部最適化を使命と考える点では同質的である。外部を顧みないこの執着をどう突き崩していけるだろうか。
 出所)画像は上川龍之進,http://www.asahi.com/articles/ASH3M7HTBH3MULFA03X.html

 2)「〈書評〉電力と政治(上・下)上川龍之進著 構造的な閉鎖性の起源探る」(『日本経済新聞』2018年5月12日朝刊。評・京都大学教授待鳥聡史)

 東京電力福島第1原子力発電所の深刻な事故が,なぜ起こってしまったのか。この問いには,従来さまざまな答えが与えられてきた。その多くはジャーナリストや科学技術の専門家によるものであり,事故が引き起こされたメカニズムや,政府・東電・現場などの対応について,比較的短い時間軸を設定して検討してきたように思われる。

 本書はそれに対して,戦後日本の原子力政策をその起源にまでさかのぼり,長い時間軸のなかに原発事故と事故後の対応を位置づける。丁寧な註記を確認するまでもなく,著者が読みこんだ資料や先行研究は膨大な量に及ぶことは明らかで,「日本の原子力政策 全史」という副題にふさわしい力作である。

 一貫しているのは,原発事故を偶発的な出来事として捉えるのではなく,原子力政策というひとつの政策領域と,そこでの政策決定が全般的に有する傾向あるいは構造から把握しようとする著者の姿勢である。

 事故が起こった直後から「原子力ムラ」などの揶揄(やゆ)的表現とともに,原子力政策の閉鎖性はたびたび指摘されてきた。本書もそれをみいだすという点では共通するが,丹念な論述により,単に電力業界や一部の専門家のみならず,政治家や官僚,労働組合,地方自治体を含む多くの人びとや組織が,長い期間をかけて閉鎖性を生み出したことが示される。

 マスメディアや一般市民も,当初は原子力の平和利用を好意的に受け入れ,その後は間欠的にしか関心を払わないことで,閉鎖性の形成と維持を間接的に手助けしてきた。

 現在も,事故を起こした責任に向き合わない東電や,電力業界の姿勢に納得できない人は少なくないだろう。しかし本書から浮かび上がるのは,東電の改革はむしろ「トカゲの尻尾切り」に近く,原子力政策がもつ構造的な閉鎖性をどう変革するかが,真の課題であるということだ。

 その課題にとり組むために,本書を入り口として,「ムラ」の外側にいる多くの人々が原子力政策に日々関心と注意を払うことの意味は大きい。全篇(ぜんぺん)を通して「暗躍」といった価値判断の強すぎる表現が散見されるのが惜しまれるが,原発再稼働など個別の政策判断への賛否を超えて読まれるべき著作である。(引用終わり)

 3)議 論
 こちら(後者の)『日本経済新聞』に掲載された書評は,さすが原発維持・推進の立場を標榜するといってもけっして否定できないこの新聞社に寄稿されていた評論であるだけに,実質〈枝葉末節〉におよぶ寸評にあっては,ほとんど意義をみいだせない指摘もなされていた。

 なかでも「『原子力ムラ』などの揶揄(やゆ)的表現」と留保的にこだわりながらも指摘した点は,「日本の村」という用語に関してまとわりついてはがせない「日本というこの国」に特有の痼疾を,原子力産業界については,あえて「いってほしくない」だとでもいいたげな文句にも響く。それでも「原子力政策がもつ構造的な閉鎖性をどう変革するかが,真の課題である」1点は,否定しようにも否定できない。

待鳥聡史画像『朝日新聞』から 待鳥聡史(まちどり・さとし,1971年3月生まれ)は日本の政治学者,現在,京都大学法学研究科・京都大学公共政策大学院教授で,アメリカ政治を専攻する。ウィキペディアに記載されている論著(業績一覧)でみるかぎり,原発問題そのものに関する技術経済学的な論稿は直接にはみつからない。
 出所)画像は,https://digital.asahi.com/articles/DA3S13207799.html

 その意味でより厳密にいえば(学術的な適格性の点で),待鳥は上川『電力と政治(上・下)』を評論させるのに最適な学究ではなかったとみなせる。同じ京大教授ならば,諸富 徹のほうがよほど適格者としている。けれども今回は,日経からはお呼びではない学究とみなされたなどと勝手に推察しておく。

 『朝日新聞』のほうで書評を担当した齋藤純一は,専攻領域は待鳥とほぼ同じではあるもの,いうなれば「日本原発史」にかかわる書評をおこなう基本的な視点においては数段も,理解力において明確な差が感じられる。政治学者で同じく公共問題をあつかう学究であっても,原発問題を自然科学的な領域にかかわる論点として,つまり《悪魔の火》である放射性物質の問題を,どのようにとらえているのか関心を向けていて当然である。

 そのあたりの問題性に関して待鳥は,本書を「全篇(ぜんぺん)を通して「暗躍」といった価値判断の強すぎる表現が散見されるのが惜しまれる」と評する弁も披露していた。この評言は,社会科学者の立場からの指摘としては軽率であった。

 価値判断に関連させる論点が原発問題に必要である事実は,自明過ぎるほど自明であった。そもそもからして,原発推進派の見地はその価値判断を充満させていた。これを批判するには,またほかのなんらかの「価値判断」の対置がどうしても不可欠であった。いいかえれば,対論を意識的にかつ創造的に展開させるために必要となる〈構えた議論〉が要求されていい。

 待鳥聡史は,高木仁三郎の「反原発の思想と言論と実践」に関する文献・資料を読んだことはないのか? 小出裕章など熊取6人衆の原発批判「論」をまさかしらないわけではあるまい。原発の「安全神話」は『最大級の価値判断』を終始一貫して維持してきた。それも科学的には根拠のない恣意的な偏向にもとづく絶対観を明示してきた。
         原発のウソ表紙画像
 付記)この画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。
 それを批判するために用意されるべき “対抗的な価値判断” が必要不可欠である。この手順は意識的に準備され採用されねばならないし,そのための「理論と実際」的な視座が学術的に議論されておかねばならない。右だ左だ,保守だ革新だ,自民党だ共産党だといったごとき二項対立的な思考次元に囚われない議論が必要とされている。

 公共政策を専攻する政治学者であっても,原発政策の基本論点をよく踏まえていないような論評を,わざわざ経済新聞に投稿(乞われて寄稿)するのは禁物である。「原発再稼働など個別の政策判断への賛否を超えて読まれるべき著作である」と待鳥はむすんでいた。

 だが,この「賛否を超えて」という推奨の仕方そのものはかまわないものの,「原発再稼働」に絶対反対するほかない立場にある者たちからすれば,その「個別の政策判断への賛否を超えて」などと悠長なことは,瞬時もいってられない。

 原発の自然科学的な基本性質を考慮すれば,従来の科学では絶対に律しきれない深刻な物理・科学の問題が発生させられてきた。「技術と経済の特質」が極度になっている原発技術関連に固有である困難性は,一目瞭然になっている。人間の有する能力・技法では手に負えないエネルギーの開発・利用になっていたのが,原子力発電であった。

 ごく単純化していえば,「原爆技術」の寸止め技法が原発による電気の生産を意味する。その寸止めの要領が絶対に守られうるという保証は,もとよりなかった。

 アメリカでは,スリーマイル島原発事故(1979年3月28日)以後の20世紀中において,原発の新設が1基も実現しなかった事情(建設中の原発はすべて保留状態に留めおかれていた)を,どのように解釈すべきかについては,それほどむずかしい説明は要らない。

 「人間の手には負えない」技術的(?)な問題が,原発利用にさいしてはすでに発生してきた。この事実は否が応でも周知されざるをえなかった。だから「安全神話」が創作(本当は偽作・捏造)されていた。

 技術面で収まりがつかねば,即座につづけては,経済面でも採算がおぼつかない事態が到来する。この前後関係は必然の経過として予測できる。原発の幕開け時期にあっては事前に,採算面で問題がある事実は十分に認識されていた。この点を集約的に表現したのが東電福島第1原発事故の発生であった。その現場の惨状を観ても,その万事がいっさいがっさい物語られている。

 それ以前に,チェルノブイリ原発事故(1986年4月26日)が,以上の途中経過に対して〈決定的な追い打ち〉となって介在していた。この事実は,指摘するまでもない。周知の事実であった。原発は《悪魔の火》,つまり人間がもちあわせる科学技術ではとうてい対応しきれない問題を,原発の開発・利用のなかにもちこんでいた。それも,後戻りできない問題としてであった。一度でも重大かつ深刻な原発事故が起きれば,収拾がつかなくなる。
 
 ② 最近公刊された原発関連本:2著

 1)茂腹敏明『市場メカニズムとDCF法で決める 原発選択の是非-国家の庇護なき原発の市場競争力を問う』ロギカ書房,2017年12月

茂腹敏明表紙 ◇ 内容説明 ◇
 電力のエネルギー源別発電事業の採算性比較。あなたは,一蓮托生のロシアンルーレットを選びますか? 管理会計とDCF法の究極のテキスト!!
  補注)企業価値算定の代表的な手法の一つとして「DCF(Discount Cash Flow)法」がある。別名,「割引キャッシュフロー法」と表現されることもある。このDCF法は,事業が生み出す期待キャッシュフロー全体を割引率で割り引いて企業価値を算出する方法である。
 付記)画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。

 DCF法を用いる上で必要不可欠な要因となる「割引率」とは,将来発生がみこまれるキャッシュフローを現在価値に割り引くための掛け目である。

 企業価値の計算に用いる割引率を求める場合,加重平均資本コスト(WACC)を用いるケースが一般的である。WACCとは,株主資本コストと負債資本コストを加重平均して求められる資本コストである。

 ◇ 目 次 ◇
   採算性測定の基礎知識から全体構造を見渡せる概念道具を探す

   DCF法を理解する前に原価計算アプローチの諸問題を知る

   DCF法適用の概要

   DCF方式適用事例

   経営事実等とそこから読み取れること

   超長期視点で電力のエネルギー源別の採算性比較をなす

   ドイツにおける電力のエネルギー源選択決定思考

   過酷事故の発生確率が小さいことをもって原発を是としてよいのか?
    →リスク社会において発生確率を社会的文脈の中でどう読むか?

   低線量内部被曝がもたらす環境・生命・健康への危害の真実を知り,
   それを巡っての “良心的な科学者 ×ICRP” という対立構図を知る

   労働災害・労働疾病の深刻度と発生頻度から電力のエネルギー源を選ぶ

   エネルギー自給・外交・軍事・国家財政から見た原発

   被曝と被「曝」の比較から原発事故の本質を見極め,確率論が隠れ蓑
   となっていることを知る

   原発の対立構造を,市場メカニズムを使って解決する

   結 論

 ◇ 著者等紹介 ◇
 茂腹敏明[モハラ・トシアキ]は公認会計士・税理士。1972年東京大学教養学部教養学科卒業,中小企業金融公庫入社。大阪の中小企業の従業員として勤務を経て,1978年公認会計士第2次試験に合格,監査法人栄光会計事務所(現新日本監査法人)に勤務,税務・監査のみならず倒産会社調査とコンサルティングに従事。1981年公認会計士第3次試験に合格。

 1984年茂腹会計事務所開設,1988年(株)M&A研究所の取締役就任,同年旧日本興業銀行の嘱託就任,1994年中小企業金融公庫本店の顧問就任,2005年東京中小企業投資育成(株)の顧問就任。現,茂腹会計事務所代表,(株)ブレーンリフレッシュ代表。

 茂腹敏明『市場メカニズムとDCF法で決める 原発選択の是非』のさらに詳細な目次は,出版元(ロギカ書房)のホームページに掲載されている。こちらものぞいてもらえれば,多少は分かりやすくなる面もあるはずである。
 リンク ⇒  http://logicashobo.co.jp/ホーム/市場メカニズムとDCF法による 原発選択の是非/

 本書『市場メカニズムとDCF法で決める 原発選択の是非』に向けられるべき問題の核心は,社会科学に所属すると思われる会計学の立場(ただし,実務家であるこの著者の立脚点)から,いかほどに原発問題をめぐる経済論的な解明を,いいかえれば「財務・管理会計」から分析できているか,というところにある。

 会計士の分析をもってする研究の対象として,たとえば「震災6年,福島原発の廃炉作業は『登山口』だ 燃料デブリ取り出しへの遠い道のり」(『東洋経済 ONLINE』2017年03月11日,岡田広行稿・東洋経済記者,https://toyokeizai.net/articles/-/162133)は,どのように対面化させ,とりあげうるか?

 時価の問題への接近方法でもって「原発関連に関する会計の論点全体」が議論しきれるのだとしたら,前段のような問いかけじたいは不要である。ところが,そうは思えない。原発の設備経済に関する分析視点の設定は,極度にむずかしい。時間的な要素が長大な要因として介入してくる。

 2)筒井哲郎『原発は終わった』緑風出版,2017年12月
  この本は,出版社側によると,つぎのように説明されている。

 ◇ 内容説明 ◇
 2017年3月,東芝は子会社のウェスチングハウスの連邦破産法11条を申請し,全社的に原発事業からの撤退を決定した。このことは,発電産業の世代交代と原発が世界的に市場から敗退しつつあることを意味し,福島原発事故の帰結でもある。

 本書はプラント技術者の観点から,産業としての原発を技術的・社会的側面から分析し,電力供給の代替手段がないわけではないのに,甚大なリスクを冒して国土の半ばを不住の地にしかねない手段に固執する政策の愚かさを説く。

 ◇ 目 次 ◇
    第1章 発電産業の世代交代
    第2章 平時の原子力開発は成り立たない
    第3章 遺伝子を痛める産業

    第4章 事故現場の後始末をどうするか
    第5章 迷惑産業と地域社会
    第6章 定見のない原子力規制

    第7章 悲劇などなかったかのように
    終 章

 ◇ 著者等紹介 ◇
 筒井哲郎[ツツイ・テツロウ]は1941年石川県金沢市に生まれ,1964年東京大学工学部機械工学科卒業。以来,千代田化工建設株式会社ほか,エンジニアリング会社勤務し,国内外の石油プラント,化学プラント,製鉄プラントなどの設計・建設に携わった。プラント技術者の会会員,原子力市民委員会原子力規制部会長,NPO APAST 理事。

 これだけの説明だけでも,茂腹敏明『市場メカニズムとDCF法で決める 原発選択の是非』とは対照的な内容が含まれている点に気づかされるはずである。原発に関する〈技術経済的に検討されるべき諸課題〉が,はたしてこれまでの会計技法が踏まえているような会計理論をもって,どこまで対応できるのか懐疑的にならざるをえない。

 ③ YouTube 動画から・など

 1)『原発問題~廃炉について~』2012年,47分29秒(https://www.youtube.com/watch?v=KgM4_nOEqAg,2014/02/05 公開。2018/05/15 で視聴回数 41,102 回)

原発廃炉は可能かYouTube

 この動画は,廃炉の問題について説明するために必要となりそうな期間について,「20年から35~40年,いや100年もの期間がかかる」し,それもさらにどのくらいかかるかよく分からないと断言するごとき,ずいぶんひどく荒っぽい言及をする専門家の話まで登場していた。

 なかんずく原発問題は,既存における会計学の思考や会計士の技法がよく対処しきれる対象だとは思えない。もとよりその種の「問題の性質」が,原発の「経営会計」問題には潜んでいたのではないか。

 2)『小出裕章「3.11から7年 放射能のいま…」』2018.1.20,2時間23分12秒(https://www.youtube.com/watch?v=-vM0OXmYiF4,2018/02/14 公開。 2018/05/15 で視聴回数 83,310 回)は,原子力村の立場から視聴するとしたら,もっとも観たくない・聴きたくない現実の話題が,つぎつぎとりあげられ,説明され,批判されている。

 ここでは 1)の内容と併せてひとつだけ指摘しておくと,原発の耐用年数がひとまず40年とされた期間を60年にまで延長しているが,これほど長期間にわたり使用する装置・機械が老朽化にともない多くの不具合を発生させることは,信頼性工学の見地に聞くまでもなく自明に属する技術の問題であった。

 しかも《悪魔の火》という難題が,逃げるわけにはいかないかたちで絡んできている。廃炉のためにかかる “手間・暇・金” が,これからどのくらい発生してくるのか,まだ誰にもよく判っていない。にもかかわらず,きわめて楽観的に原発の後始末:廃炉問題が語られてもいる。廃炉問題については,もしかすると〈別の神話〉が必要なのか?

 よくよく考えてもみるがいい。40年から60年も稼働させえた装置・機械であっても,この後始末「廃炉」のために1世紀ものこの先にまで考慮しなければならないのである。あるいは,その長い期間をこれからかけていったとしても,この廃炉の工程作業が完了させられる確実な保証はない。

 にもかかわらず,原発をこれからもさらに新設して使用したいと考えるのは,科学技術の応用・実践のあり方としては,異様であるという以上に,もはや “狂気の世界” にまで侵入している。

 いずれにせよ,現在でもすでに「廃炉問題」がわれわれの目前に据えられている。これは,「原発技術」に関してみるに,その「〈全体・系の一環〉を形成する不可避の問題」であった。まずいことに「原発=悪魔の火」の後処理は,人類・人間にとってまだ未解決の技術的な難題をかかえたままである。正直いって,まさにわれわれにとっては戦慄するほかない難局が「原発利用の結果」「ツケ」(多分「精算できないもの」)として登場している。

 3)田原総一朗『原子力戦争』(筑摩書房,2011年。初版 1976年,文庫化 1981年)は,ある人物がこういっていた点を書いていた。

 「原子力というのは,本質的に完全管理社会,ファッシズムを求めている」(253頁)。

 結局「原発神話」の神話性は「3・11」をきっかけに,いまでは完全に崩落した。けれども,それでもなお強力に「原発の再稼働」あるいは「原発の新設」をもくろむ人びとが,特定の集団として存在している。いまとなった時代のなかであるからには,そうした企図は完全に “狂気の沙汰” だと指弾されるほかない。だが,それでもいまだに絶えない発想として実在しつづけ,原発の再稼働を推し進める勢力を維持している。
 
 筆者の書斎の棚にあったこの田原の本のなかには,つぎの記事の切り抜きがはさみこんであった。以下に紹介しておく。
★「〈一語一会〉ジャーナリスト・田原総一朗さん
祖母の志げさんからの言葉」★
=『朝日新聞』2018年4月26日夕刊 =

 東京12チャンネル(現テレビ東京)を辞め,フリーになった40代のころ,パナソニック創業者松下幸之助さんに尋ねた。「役員に抜擢するとき社員のどこをみるのか」。「経営の神様」は答えた。「運だ」。難題にぶつかるほど面白がる人間はどんどんやる,すると運が開ける,と。
        田原総一朗『朝日新聞』2018年4月26日夕刊
 田原家は近江商人の末裔である。幼いころに聞いた祖母志げさんの教えを思い出した。「運・鈍・根」。要領よく立ち回るな,バカになって根気よくやれば運は呼び寄せられる。

 東京12チャンネル時代は危険なディレクターだった。大学紛争最中(さなか)の1969年に制作した「バリケードのなかのジャズ」は「ピアノを弾きながら死ねたら本望」という山下洋輔さんの思いをしって企画した。

 内ゲバに巻きこまれかねない早大構内で演奏会を開こうともちかけ,決行までの一部始終を追ったドキュメンタリーだ。後発局だったから視聴者に振り向いてもらうにはNHKや他のキー局が放送しない危ない番組を作るほかない。「スポンサーも自分でみつけ,やりたいことしかやらなかった」

 仕事を干された時期に原発について月刊誌に書いた連載で,反対派に対抗するための住民向け広報活動を電通が仕切っていると暴露した。相手はテレビ局の生命線の広告を握る業界最大手だ。そのころは触れることじたいタブーだったという。上司2人が処分され,幹部から「連載をやめるか,会社を辞めるか」と迫られて退職した。1977年のことだ。

 あらためて電通への興味が募り,雑誌連載を思いたつ。何誌かに断わられ,『週刊朝日』で連載「電通」を始めたら案の定,抗議が来た。先方の当時の専務と激論を重ねるうち相手がしだいに軟化し,やがて理解してくれた。「難題にとり組むのは好きですね」。

 テレビ朝日系列の「朝まで生テレビ!」が始まって2年目の1988年,昭和天皇が病に倒れて列島を自粛ムードが覆う。編成局長に目をつぶってもらい,放送開始から40~50分後,新聞のテレビ欄のタイトルにはない「昭和天皇の戦争責任」にテーマを移して左右両翼の論客と討論した。

 「好きなことしかしないからストレスがない。だからいまも現役でやれるんです」。まさに「運・鈍・根」である。
 4)「エネルギー基本計画の論点(上) 原発『建て替え』の戦略示せ」(橘川武郎・東京理科大学教授,『日本経済新聞』2018年5月14日朝刊「経済教室」)
 この寄稿は,経済学者・経営学者(経営史専攻)の研究者(学究)が,すでに “時代遅れでしかありえない” 社会科学的な原発問題に対する主張を,いまだにこだわったかっこうで,おこなっている。

 本日の記述としてとりあげる価値は認められなかったゆえ,ここではくわしい紹介をしないが,いまどき「既存原発の廃炉後・代替用」として「原発の新設=建て替え」を要求する議論は,理解しがたい社会科学者の立論であった。橘川武郎もまた「《悪魔の火》にあぶられている立場」から持論を繰りだしていたせいか,原発問題をめぐる学問の全体的な状況に関する自覚に問題を残していた。

 橘川の原発政策に関する提唱は,現状における日本の政治的状況でもある「本質的に完全管理社会,ファッシズムを求めている」(前掲,田原総一朗が批判した原発問題の基本点)に同調しているものだと,本人の意向はさておき,そう判断せざるをえない。だが,それにしても,その点に気づいていない橘川の議論が不思議にも感じられる。

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 【ハイパー・インフレーションは再来するのか】

 【安倍晋三のような世襲政治家たちがのさばる日本の政治が,経済も社会も壊滅させていく21世紀的に必然であるかのような「暗い事情」】



 ①「〈連載:波聞風問〉財政破綻 国債が紙くずになる日」(編集委員・原 真人稿『朝日新聞』2018年5月15日朝刊7面「経済」)

 過日,本紙1面連載「平成とは」で平成の財政悪化について書いたところ(4月25日付),たくさんの反響をいただいた。なかでも戦前,政府が「絶対安全」と宣伝しつつ国民に国債を買わせていた事実への関心が高かった。

 1941年10月,大政翼賛会は戦費調達のため『隣組読本「戦費と国債」』(42頁)を出版。150万部刷って,全国の隣組や学校に配った。現存する冊子を読んでみた。当時としてはきわめてやさしい文章だ。とりわけQ&A方式で国債の安全性を強調するくだりは,根拠は薄くても安心感を誘う巧妙な説明になっていた。こんな具合に。
 (問) 国債がこんなに激増して財政が破綻(はたん)する心配はないか。

 (答) 国債は国家の借金,つまり国民全体の借金ですが同時に国民がその貸し手で……。「国債が激増すると国が潰れる」という風に言われたこともありましたが……経済の基礎がゆらぐような心配は全然無いのであります。

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        戦費と国債画像表紙2
 出所)冊子の大きさを分かるやすくみせるために「ノートパソコンのキーボード」上に置いてある。https://matome.naver.jp/odai/2149826353983851601
 いまも膨れあがる国債は大問題だ。だが「国債は国民資産でもあり,問題ない」という論者も少なからずいて,国民全体の危機意識は高まっていない。いつの時代も甘言が振りまかれ,危機感が薄れていくものなのかもしれない。

 戦時国債の結末は歴史が示すとおり。敗戦直後に重い財産税が課されたり超インフレが起きたりして,国債は紙くず同然になった。では敗戦でなければ,紙くずにならなかったのか。「いや,どちらにしてもそれは避けられませんでした」。

 財政史に詳しい財務省主計官の中山光輝氏はそういう。氏によると,日本の歴史のなかで政府が財政破綻し,借金を踏み倒したことが敗戦時のほかに,もう1回あった。明治維新の廃藩置県である。

 明治4(1871)年,それまで各藩が発行していた藩札や藩債をすべて明治政府が引き継いだ。政府はその多くを整理し,切り捨てた。江戸時代も,戦前も,政府の借金が著しく膨らんだだけで財政破綻に至ったわけではなかった。実際はひどい状態のまま何年ももちこたえた。そこに明治維新,敗戦という外的ショックが起きて,いよいよ財政破綻に至ったのだ。

 「債務が増えると国家のリスク対応力はどんどん落ちていく。そこに大きなショックがくわわったとき,初めてリスクが顕在化し財政破綻に至るのです」と中山氏はいう。いまはどうか。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
  『朝日新聞』2018年4月25日朝刊政府借金対GDP比
   出所)これは『朝日新聞』2018年4月25日朝刊。
 政府の借金は国内総生産(GDP)の230%という史上空前,先進国で最悪の水準にある。それでも国債は暴落していないし,日本経済はなんとか平和に回っている。とはいえ,財政の耐久力がとてつもなく弱っている可能性はある。

 今後なんらかのショックがくわわったらどうなるのか。中国など新興国バブルの崩壊,首都直下地震……。いま望まざるショックが起きないとは誰にもいえないのだ。

 ② 体制翼賛会『隣組読本「戦費と国債」』(全42頁)昭和16年10月

 本ブログ筆者はこの冊子を複写したものであればもっているが,現物では地元の県立図書館から借りて読んだことがある。ただ,ネット上には古書として,この冊子を販売するための画像資料が掲示されている。これらから,この『隣組読本「戦費と国債」』の閲覧可能な箇所(各頁)を順に紹介しておく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可あるいはより鮮明になるものもある)
戦費と国債序文-目次1頁
戦費と国債画像序文-目次1頁
戦費と国債画像目次2-3頁
戦費と国債画像目次-1頁
戦費と国債画像14-15頁
戦費と国債画像34-35頁
戦費と国債画像36-37頁
戦費と国債画像38-39頁
戦費と国債画像40-41頁
 出所1)https://aucview.aucfan.com/yahoo/r127822839/
 出所2)https://ameblo.jp/zuruzuru4/entry-12167256278.html
 補注)最後の41頁の「この見出し項目(太字)」には「将来国債の値段が暴落する心配はないか」と書かれていた。だが,敗戦後においては,100倍ものインフレーションが発生してしまい,文字どおりにこの心配が現実になっていた。

 つぎの画像資料は参考にまで引用・紹介しておく。
国債は戦費です(パンフ)シナ事変国債
出所)支那事変国債の購入を勧誘する「パンフレット」,
これは1937年7月7日に開始された「日中戦争」用。
http://blog.livedoor.jp/archon_x/archives/3630737.html

  いわゆるアベノミクス(「安倍之見苦素」)は,別称を「アホノミクス・ダメノミクス・カラノミクスなど」と蔑称されている。2012年12月に第2次安倍晋三政権が発足して以来,日本経済が実質的にという意味でまともに,それも全体的・恒常的に上向きなれたという兆候はなかった。

 それどころか,格差社会である基本的な方向性がますます本格的に進展・拡大していく経済現象のなかで,ごく一部の(せいぜい上層5%内での)富裕層〔賃労働者層のなかでいえば,大企業正社員などや国家高級官僚層とこの天下り群〕のみは,実際に余裕にある生活を過ごせているものの,

 われわれみたくスーパーにいって「88円のバケット」(フランスパン)や,これと「同じ程度の値段の食パン」を買って食生活をしのぎながら暮らしている者たちとは,その基本からして終始無縁でしかありえない経済政策を,あのボンボンである総理大臣は全然理解できていないまま,つまり性懲りもないままに継続中である。

 安倍晋三「自身がひどくボンクラで,やたら粗暴で,ただのものしらずである事実」すら,本当のところ,当人としては全然知覚できていない。それゆえに「主婦がパート労働でえる月収を25万円と仮定して」などといってのけてもいたように,徹底的に「お▼▼な首相」の立場にあっても,いまだに日本経済の運営を担当しえている気分だけはもっている。迷惑千万,このうえない。

 そして「アベノミクス」が経済政策的に,日銀総裁黒田東彦に実行させてきたのが,国債の大量発行とこれの日銀買い入れであった。つぎの画像を借りた一文がこう指摘していた。

 1)「ロイターが疑問に思う日銀の姿勢。『このままでは国債の半分を日銀が所有』。日銀マネーが切れた瞬間,国債も株も値下がりする…のあり地獄との批判も」(2014年10月6日 18:00)。 
国債残高日銀保有比率
    出所・註記)この図表の予測値は最近(直近)では少しズレているが,方向としてはそれほど大きく違っていない。http://ryuma681.blog47.fc2.com/blog-entry-1091.html

『日本経済新聞』2017年2月7日日銀保有比率推移
出所)これは『日本経済新聞』2017年2月7日から引用。
ともかく,日銀国債保有額は “順調にどんどん増加し
現在では4百兆円を超えている” 。

 2)「〈ビジネス〉日銀の3月末国債保有残高,前年比増加額が50兆円割れ 4年4カ月ぶり」(『REUTER』2018年4月4日 13:52  1ヶ月前

 [東京 4日 ロイター]  日銀が〔2018年〕3月末に保有する国債残高は,前年同月に比べて約48.6兆円(額面ベース)の増加にとどまり,増加額は2013年11月以来約4年4カ月ぶりに50兆円の大台を割りこんだ。

   日銀が3日に公表した「日本銀行が保有する国債の銘柄別残高」によると,〔2018年〕3月30日現在の保有国債残高は416.4兆円と前月末に比べて2.3兆円減少した。2月28日に通告した「残存25年超」の買い入れから,金額を100億円減額して700億円としたことや,奇数月で変動利付債の買い入れがなかったことなどが影響したとみられている。
 註記)https://jp.reuters.com/article/boj-bond-idJPKCN1HB0CZ
        
 3)「〈経済史から考える〉日本政府債務,深刻度は大戦末期並み」(東京大学大学院経済学研究科教授岡崎 哲二稿『日経BizGate-課題解決への扉を開く』2018/1/23)

  ※ 多額の政府債務は後世に負担を残す

 政府は〔2018年1月〕22日,歳出額が過去最大を更新する2018年度予算案を国会に提出した。高齢化に伴い医療や年金など社会保障費の拡大に歯止めがかからず,日本の政府債務は国内総生産(GDP)の2倍を超す。いまの財政状況は太平洋戦争末期と酷似する。70年余り前,累積債務を「清算」したのは敗戦による過酷なインフレ。代償を支払わされたのは国民だ。
 註記)https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXMZO2842922022032018000000

 ③「〈平成とは 第2部・国のかたち〉戦略なき財政再建,政治の怠慢」(『朝日新聞』2018年4月25日朝刊)

 なお,この記事は ① で原 真人が触れていた記事である。この記事のなかにかかげてあった図表は,そちらに移動させて掲出しておいた。

 a) 敗戦時を上回る水準に達した平成の借金財政。これほど悪化したのはなぜか。財政に詳しい各分野の有識者10人の声や証言から平成財政をふりかえる。

 まずは現状認識。財政の再建は可能か。できるとしても「数十年がかり」との見立てが大半だ。「このままでは不可能」ともっとも厳しいのは元政府税制調査会長の石 弘光(81歳)。「再建できるとすれば,首相が政権をかけたテーマにするか,長期金利の上昇や国債格下げなど市場から外圧がかかるか,いずれかが必要だ」。
堺屋太一著作集表紙
 ただひとり「なんとかなる」とみるのは作家で安倍政権の経済ブレーンでもある堺屋太一(82歳)だ。16年前に出した小説『平成三十年』で,日本衰退に警鐘を鳴らした。「いまの経済情勢は安定しており,成長もわずかにある。この状態が続くかぎり財政は日銀の国債買い入れでしのいでいける」。
 付記)右側画像には「Amazon 広告」へのリンクあり。なお文庫の安価版も発売されている。

 b) 財政悪化の最大の理由については,「政治の怠慢」との見方が多かった。

 連合会長の神津里季生(62歳)は「長く続いた自民党中心の政治が機能しなくなった。野党にも政権交代可能な二大政党にできなかった責任がある。緊張感をもち,切磋琢磨しながら合意形成する。そういう政治にしないと財政問題は根本的に解決しない」という。財政は,税金や年金などで国民生活に直結する,まさしく政治の問題だからだ。

 日本の借金膨張は先進国のなかでも突出している。「民主主義の正統性が意識されていないから」と指摘するのは,立命館アジア太平洋大学長の出口治明(70歳)。「米国の独立戦争は,ロンドンの議会に代表がいないのに植民地戦争の経費を押しつけてきたことに反発して起きた。

 そこで『代表なくして課税なし』という有名な言葉が登場した。私たちは借金で孫世代の予算を勝手に使っている。本来は孫たちの代表が使途を決めるべきだという原理原則をいまの政治家は意識せず,メディアも書かない」。

 立正大教授の池尾和人(65歳)は,1970年代に現在の社会保障制度の基礎が築かれたときが転機だったと分析する。「高度成長がずっと続く前提で制度設計し,いまのような低成長下での財政悪化を招いた」。その後も悪化要因はあった。

 c) バブル崩壊で生じた巨額不良債権は,経済破綻を防ぐため政府が肩代わりするしか手がなかった。大蔵省(現財務省)は財政の膨張を止められず,金融危機も財政を傷めた。「原因は一つではない。全員が共犯だった」と池尾はいう。

 平成は,消費税が誕生し疎まれた時代でもある。平成1年(1989年),竹下政権が苦労の末に3%で導入した。官房副長官だった石原信雄(91歳)はふりかえる。

 「蔵相経験が長かった竹下 登首相は日本の財政の基礎固めのためと考えた。捨て石になる覚悟で政権延命より財政再建を選んだ」。竹下は執務室で「おれは大衆課税をやった悪い政治家の烙印を押されるだろうなあ」と自嘲気味に語っていたという。

 消費税が政治にとって決定的なタブーになったのは1997年だろうか。橋本政権が税率を5%に上げたこの年,金融危機が起きて経済は失速した。当時,主犯は消費増税とみなされた。

 元自民党税制調査会長の柳沢伯夫(82歳)は,2000年代前半に消費増税ができていたら,と悔やむ。「小泉純一郎首相が『増税なき財政再建』をかかげ,チャンスを失った。小泉政権には歳出削減の功績はあったが,すごい支持率を背景にした政治的資産を消費増税に使わない手はなかった」。

 d) 日本総研上席主任研究員の河村小百合(53歳)は,2012年末から5年半続いている安倍政権の罪を問う。「日本銀行に国債を買い支えさせ,事実上の財政ファイナンスを始めた。ルビコン川を渡ってしまった」。いまや政府の債務は1千兆円を超す。その重荷は若い世代が背負っていく。

 内閣府政務官の村井英樹(37歳)は「消費税による財政健全化こそ平成の目標だった。だが消費増税で税収が拡大したのは8%に上げた前回1回だけ。消費税一本足打法がむしろ財政悪化を招いた」とみる。

 村井や小泉進次郎ら30歳代の自民党議員らは昨〔2017〕年,子育て支援の社会保障財源として「こども保険」を提案した。村井は「ポスト平成は,より柔軟な発想が必要ではないか」と問う。元財務次官で大和総研理事長の武藤敏郎(74歳)は「財政再建の総合戦略が必要だ」と主張する。その中心は,消費増税と社会保障改革だという。(引用終わり)

 ④ 所得税・法人税・消費税の構成比率推移-金持ち・法人を優遇し,生活者・貧乏人を冷遇するアホノミクス-

 以下にいくつも連続させてかかげる図表は,「全国建設労働組合総連合(全建総連)」が2017年6月に作成し,公表した文書から借りるものである。日本国は資本主義経済体制を採っている。大企業やそして国家体制側に近い法人・組織・団体に有利になる税制を採用することは,ある意味でも別の意味でもどんな意味でも当然である。
 註記)http://www.zenkensoren.org/wp/wp-content/uploads/2014/09/nihon-zeikin.pdf

 当然でないのは,このような税制の実態をあらためさせようとする『批判勢力』,いうなれば,経済学者ジョン・ケネス・ガルブレスがいうところの「拮抗力(カウンターベイリング・パワー;countervailing power)政策」を担っているはずの経済・社会勢力が不在である点である。

 ガルブレスのこの拮抗力という概念は,大企業や独占企業に対しては,中小企業が結束してこれに対抗する力をつけ,大企業の収益構造に対抗するという政策が必要である点を教示している。ところが,今日の日本では,労働組合の総代表である連合に端的に観られるように,いまでは半人前にも達しない力量である状況(限界)に置かれている。

(以下,画面 クリックで 拡大・可)
キャプチャ
所得税・法人税・消費税構成比率推移
大企業法人税優遇
大企業の内部留保額と実質賃金指数の推移
消費税収と法人減税額の推移
付記)この図表が問題の焦点を一番手っとり早く,そして
分かりやすく表現している。消費税率が5%から8%
に上げられたのは,2014年4月のことであった。
法人税関係の軽減化をより確実に進展させるためにも,
消費税が代替的に補填されてきている。

応能負担原則に則った税制改革

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 【皇室との〈縁〉で観れば,そこからはもっとも遠い位置にあった農事作業に,天皇家の妻が明治以来,率先するかっこうで,それも優雅にかかわろうとしてきたその「近現代的な意味」は,奈辺にありや】

 【
「養蚕という農事」を用いる技法でもって,天皇家に関する「現代の古来性」を表現するもくろみが,その思いどおりにはいかない事情があった。これら全体が物語っているのは,日本社会における「その遊離的な希少性」であった】


 本ブログ,2018年05月07日がすでに関連する記述をおこなっていた。本日〔5月14日〕における以下の記述にとって,その記述は前編を意味してもいるゆえ,ここではその主題・副題と主要目次を付記しておきたい。
  主題:「『明治製の古式概念』として新たに『創られた天皇制』の実例,『御養蚕始の儀』は旧日本帝国主義史における『坂の下の塀』を連想させる『絹の靴下』と『絹の薬曩』」

   副題1:「砲弾と絹で包まれた火薬-大口の径砲では薬包に火薬を装塡する時に入れる袋を指して薬曩という-」

  副題2:「火砲(薬嚢式)で『絹がないと砲弾が華(はな)てない』のは『絹袋で火薬を包まないと危険』だからである」

  副題3:「旧日本帝国主義史における『皇室養蚕』の向こう側にかいまみえる『女工哀史』」

   ①「皇后さま,蚕と共に 御養蚕始の儀」(『朝日新聞』2018年5月1日夕刊「社会」)

   ② 日本の資本主義と女工哀史

   ③ 関連の文献-ごく一部,4冊-
     1)細井和喜蔵『女工哀史』岩波書店,昭和29〔1954〕年
      (原版初版は大正14〔1925〕年)。

     2)土屋喬雄校閲,農商務省商工局『職工事情全3巻』新紀元社
      (版),昭和51〔1976〕年(原版初版は明治36〔1903〕年)。

     3)石原 修『労働衛生』杉山書店,大正12〔1923〕年。

     4)玉川寬治『製糸工女と富国強兵の時代-生糸がささえた日本
        資本主義-』新日本出版社,2002年。

 ① 農業水産省の公表する統計から

 平成30〔2018〕年5月1日現在で集計・収録されている「農林水産基本データ集」から,つぎの数字を抽出しておく。

   ◇-1 国内総生産(GDP)は,平成28〔2016〕年で, 538.45兆円(内閣府「国民経済計算」)。

   ◇-2 農業・食料関連産業の国内総生産は,平成28〔2016〕年で,53.44兆円,シェア 9.9%(農林水産省「農業・食料関連産業の経済計算」)

   ◇-3 農業就業人口は,平成29〔2017〕年2月で,182万人(前年比較で 5.5%)。とくに自営農業のみ,または自営農業従事が多く,就業者の平均年齢は66.7歳。
 註記)http://www.maff.go.jp/j/tokei/sihyo/

 いくら高齢社会化した日本の産業社会における内的な構造とはいえ,農業の従事者の平均年齢がほぼ67歳になったという事実は,林業・漁業(水産業)にも共通する老齢化の現象として,注目すべき特徴である。いまの時代,「79%の会社は『60歳』が定年,『65歳』定年は16%だけ」註記)という状況になってはいるが,農業従事者の平均年齢はその年齢を超えた水準になっている。
 註記)『シニアガイド』2017/12/28,https://seniorguide.jp/article/1046936.html

 「高齢化,就農者減少……荒廃農地増加が意味すること」『AGRI JOURNAL 農業が日本を元気にする』2018/01/23)という一文が,関連する事情を,つぎのように解説している。

  ※ 最大の原因は就農人口の減少による労働者不足 ※

 近年,日本の荒廃農地面積は増加傾向にある。荒廃農地が増えることはなにを意味し,どのような問題につながるのか。その対策についても考える。
   耕作放棄地の推移図表
 出所)http://jeinou.com/column/murata-yasuo/2015/12/24/115500.html
 先日,農林水産省から平成28〔2016〕年度の荒廃農地面積が発表された。その面積は全国で28.1万haで,このうち「再生利用が可能な荒廃農地」は約9.8万ha(農用地区域では約5.9万ha),「再生利用が困難と見込まれる荒廃農地」は約18.3万ha(農用地区域では約7.4万ha)だった。

 現在,増える一方の荒廃農地だが,その原因はさまざまだ。もっとも多いのが,都市部に先駆けて農村地域で進行する高齢化や人口減少のため,農業就業者のリタイヤや,就農者の減少による労働力不足。その他,土地持ち非農家の増加や,農作物価格の低迷も,農地を荒廃させる要因となっている。
 註記)https://agrijournal.jp/aj-market/36661/

 ② 日本における養蚕業

 つづけて,前掲した本ブログ「2018年05月07日」の記述のなかでも若干言及した論点,つまり「養蚕業の歴史」に関して若干説明しておきたい。

  「養蚕業の今昔」(『グローバリゼーション研究所のブログ』2015年6月18日,http://blog.livedoor.jp/igarashi_gri/archives/45217639.html)から適宜に拾い,説明したい(なお文章表現は適宜に補正した)。

 1)「皇室の養蚕」
 皇室では古くから養蚕がおこなわれてきた。一時,中断していたが,明治の代になり復活する。1871年(明治4年),昭憲皇太后が養蚕業の奨励のために始めた皇室の養蚕は,明治,大正,昭和,平成の歴代皇后に継承され,国内の養蚕業が急速に衰えたいまも,

 皇后がおこなう養蚕ということで「皇后御親蚕」といわれ,皇后の「紅葉山御養蚕所」で蚕が飼育されている。皇后が,なお,養蚕を続けているのは,国内でいまだ熱心にこの伝統文化を守っている人びとに対する強い共感と連帯の気持である。
 補注)皇室問題に関した〈歴史的な関連事情〉の説明になると,必らずこのような表現形式が採られる。いわく「古くから養蚕がおこなわれ」「一時,中断して」い「たが,明治の代になり復活し」た。

 ただし,ここでいわれる「 a)  古くから」とはいったいいつからのことなのか,あるいは「 b)  一時,中断して」いた時期はいつからいつまでの長さであったのか。

 さらには,なぜ「 c)  明治」になると「復活し」たのかという歴史的な事情に関する説明は,全然十分になされていない。ただ,そうであったといわれるに留まっている。

 ただ c) だけについては多少の説明がある。皇室の皇后が「始めたいから始めた」という,分かりやすい「歴史的な事情」があった。明治維新以降,大日本帝国を名乗るようになったこの国は,富国強兵・殖産興業という近代化・産業化の路線を進め,なおかつ東アジア地域では欧米の帝国主義に対抗するために強国化を図らねばならず,そのさいまず軽工業を足場(経済的な踏み台)にして資本主義経済体制を構築していかねばならなかった。

 なかでもとくに,絹糸生産のための養蚕業が広く産業経営の事業として展開され,この稼ぎを帝国主義の基盤に不可欠であった軍事費調達の原資に充てる国家経済体制が,それこそ昭和戦前期までは維持されていかねばならなかった。日本の産業構造は明治時代であれば,農業部門が圧倒的な比率を占めていた。
  ここで,つぎの2つの図表をみてもらう。
農業人口比率統計
   出所)http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=71728 下段は%。     (  ↑  ↓  画面 クリックで 拡大・可)
 農業部門の実態
   出所)http://www.zennoh.or.jp/japan_food/02.html
 前掲稿の「養蚕業の今昔」にさらに,そのあたりの事情を聞こう。

 2)『養蚕の歴史』
 a)「起源」 蚕を育てて繭をとることを養蚕という。養蚕は中国の黄河や長江流域で野生のクワコ(蚕の祖先)を家畜化したのが始まりで,いまから5000~6000年前のことであった。日本ではすでに卑弥呼の時代に中国へ絹織物を贈っている。

 日本に養蚕技術が伝わったのは紀元前200年で,稲作といっしょに中国からの移住者が伝えたといわれている。さらに195年には百済から養蚕が,283年には秦氏が養蚕と絹織物の技術を伝えている。すでに奈良時代には,東北,北海道を除き全国的に養蚕が普及していた。課税方法として,産地ごとに等級が決められ,それぞれ朝廷へ納付した。

 b)「興隆期」 室町・桃山時代になると,中国から撚りをかける撚糸の(ねんし)の技術が伝わり,西陣織が生まれ,能装束や小袖飾りになど実用性を離れ,権力を誇示するようになった。

 江戸時代末期から勧められていた製糸の機械化は,明治時代になると,さらに進み,明治政府の国策(富国強兵)の一環として「殖産興業」により,1872〔明治5〕年,群馬県の富岡製糸場がフランス人の指導で創建され,ここから多くの技術者たちが育ち,各地の製糸技術の向上に貢献した。また,フランスに渡った留学生は染織技術をもち帰り,明治期の染織業の発展に大きく寄与していった。
 補注)以上の説明はごく一般的な養蚕業に関する歴史事情を教えている。だが,皇室とどのような実際的な関連があったのかについては,なにも触れていない。結局,明治になってからの話となる。皇室の一員である,それも女性の代表格である皇后が手を着けるのにふさわしい,

 しかも,明治帝政日本の産業体制を,天皇家としてふさわしいかたちで代表できるような「産業・業種のなかの商品」がなんであったかとみれば,それが養蚕(⇒生糸生産につながる)であった。当時において,明治政府が推進していた近代化・産業化路線に即応したかたちで「皇室的に選択する対象」に,もっとも「適合的であった品物が生糸(製糸)」であった。

 前記した本ブログ「2018年05月07日」でも触れたように,養蚕業は農業部門の1種として,絹の原料を蚕からとりだして生産する。それも,生物である蚕を育てて「生糸⇒製糸」の加工をする工程(工場)に原料を供給する。この工場制工業は軽工業である。

 とりわけ,綿糸ではなく製糸(生糸)である事実に注目しなければならない。綿製品にくらべて絹製品が高級品であることはいうまでもない。歌手だった夏木マリのヒット曲に『絹の靴下』(1999年発売)というものがあった。戦前においてアメリカに輸出されて絹糸のうち6割はアメリカ女性の靴下用であった。
夏木マリ『絹の靴下』歌詞
出所)http://j-lyric.net/artist/a000cd3/l001590.html

 日本は戦前において,太平洋戦争の段階にまで至ってしまい,とうとう米英との戦争まで始めた。とくに,敵国となったアメリカからは石油やくず鉄など「戦争のために必要不可欠な物資」を大量に輸入していた。だが,その資金を調達する源泉のひとつとして絹糸(生糸)が重要な役割:貢献を果たしてきた。明治時代にまで時代がさかのぼればのぼるほど,その占める比率はより高かった。

 上掲した夏木マリの歌『絹の靴下』の文句をあらためて「読んでみて」,われわれは,明治「維新」以来,旧大日本帝国が1945年夏に大敗北を喫した事情(理由?)を,想像力をたくましくして読みとることができなくもない。ともかく「絹〔の靴下〕」が,明治「維新」以来の日本にとって,なにかとてもいけない “原因になっていった事情” があったかのようにも,受けとれる歌詞になっていたと,この夏木の歌を現代的にだが勝手に解釈しておく。

 さて,その1999年に発売された阿久 悠作詞,川口 真作曲となる夏木マリ『絹の靴下』は,あくまで流行歌での売れゆきを狙った世俗的なお色気ソングであった。けれども,この歌詞はいかようにでも読みこめる余地もあると「歴史的には強引に解釈」してみた。
 
 ③ 明治「昭憲皇太后」以来の伝統として創出された「皇后の養蚕」農事

 「皇居の養蚕,伝統継ぐ 皇后さま,雅子さまに説明」(『朝日新聞』2018年5月14日朝刊30面「社会」)という記事は,明治の維新以後「創成された皇后が養蚕にたずさわる」という皇室の『新しい伝統』を,来年(2019年:平成31年)で終える予定が決まっている平成天皇夫婦の仕事(私的行為?)のうち,皇后の農事である養蚕の作業を,次代天皇の妻となる雅子にも伝承させるという話題であった。

 明治天皇の配偶者「昭憲皇太后(?)」から数えると,雅子は5代目の皇后になる。1世代をひとまず30年単位で区切るとすれば,約150年にまでにおよぶ「〈伝統〉の創造=新展開」の延長が,さらに期待できる見通しとなった。この記事をつぎに引用する。

 --来〔2019〕年5月の新天皇の即位に伴い,皇居で伝統的におこなわれてきた養蚕(ようさん)が,皇后さまから新皇后となる雅子さまに引きつがれることになった。13日,雅子さまはご一家で皇居・御所の天皇,皇后両陛下のもとを訪れ,皇居内にある紅葉山御養蚕所を視察した。

 皇室では明治以降,養蚕業の奨励や文化継承のため,歴代の皇后が蚕(かいこ)を育て繭をつくってきた。毎年,蚕に桑の葉を与えるなどの作業を5月上旬から始め,同月末ごろ繭を収穫(収繭〈しゅうけん〉)する。とれた糸は文化財の復元や国賓への贈り物などに使われる。13日は作業の引き継ぎのため,雅子さまが皇后さまからじかに説明を受けた。

 雅子さまは午前10時50分ごろ,皇太子さまと愛子さまとともに,沿道の人に笑顔で手を振りながら車で皇居に入った。雅子さまが御養蚕所を訪ねたのは初めて。天皇陛下の立ち会いのもと,皇后さまから作業について説明を受けたという。

 関係者によると,雅子さまは病気療養中のため,皇后さまは「過度な精神的負担とならないよう,可能な範囲でなさればよろしいのでは」との考えだという。(引用終わり)

 要は,「皇室では明治以降,養蚕業の奨励や文化継承のため,歴代の皇后が蚕(かいこ)を育て繭をつくってきた」という記事であった。けっして,古代史からの長い伝統の継承だとはいえない記事でもあった。そもそもをいえば,「皇后が養蚕で蚕をいじる農作業にかかわる」という話題からして,日本の天皇史においては “眉ツバもの” であり,歴史的に間違いなく実証されている事実とはいえない。

 「皇室と養蚕の歴史は古く,日本書紀にもつながりが登場する。近年では明治の頃,絹が輸出産業の大きな割合を占めた時代に,産業を奨励するという意味で御養蚕所が設立され,明治天皇の妻である昭憲皇太后から “皇后の役割” として代々伝わってきた」という解説が宮内庁側による定番の文句である 註記)。けれども,こうした説明の仕方がなされているという事実だけは認められるが,それ以上の「皇室史的な事実」として確実に語れるのは,どこまでも明治以後の話題であった。
 註記)https://www.news-postseven.com/archives/20170519_556711.html

 いずれにせよ「日本書紀にもつながりが登場する」といった程度の説明では,本ブログ筆者のように疑問を呈する側に対して,まともに説得力ある中身をなにも提供できていない。「明治以来の天皇家皇后による養蚕農事」については,したがって,つぎのごとき2点の疑問があった。

  ※-1 まず『時間的な歴史に関する疑問』 歴史的に絶対に・たしかに継続されていたといえるような実証的な文献・根拠があるのか。『日本書紀』(720年)に関連する事項が書かれていて,これが典拠にできるかのようにいわれてきただけであった。 

  ※-2 つぎに『空間的に社会に関する疑問』 これは実は,※-1よりももっと重要な疑問でもある。古代史における社会経済構造において,天皇家(一族)が農事に直接たずさわっていたという証明は,必要かつ十分になされてないままである。むしろ逆であって,農業者が大部分であった人びとの時代にあって,皇室が人びとが農事としての養蚕にたずさわってきたという社会のありかたが実在していたのかといえば,たしかな証拠は与えられていないどころか,そうではないといっておいたほうが無難である。

 「律令制的農民支配」という古代史研究における用語があるが,このことばのなかで天皇の地位がどこを占めていたかを創造することは困難ではないはずである。

 すなわち,歴史の流れのなかでは,いいかえれば「時空の両次元」で,皇室の皇后,それもいままで4代,「昭憲皇太后→貞明皇后→香淳皇后→▼▼〔名称未定:美智子〕皇后」(これらは謚号・追号・女院号)〕が養蚕にたずさわってきた。それもあくまで象徴的な意味でしかないのだが,別の意味ではまた〈意味深長〉でもある「明治以来からの一定の含意ならばあった」ことになる。

 問題は,天皇代替わりに執りおこなわれる『大嘗祭に固有である農業的的な本義』が問われてもいるとすれば,皇后がその対照的・均衡的な立場をもって「農事としての養蚕」にたずさわってきた〈明治以来に創られた伝統〉に,はたしていかほどの意味がみいだせるのか(?)と表現したらよいような疑問も湧いてくる。

 日本国憲法(〔多分〕民主主義のそれ)において規定されている象徴天皇の問題ではなく,その配偶者の皇室内における,それも私的行為にまつわる歴史問題であるものが,なにゆえか「国事的な意味あい」さえあるかのように,それも当たりまえにとりあげられている。

 つぎの画像資料は,この ③ でとりあげた記事を『日本経済新聞』のほうでは,どのように報じていたかを確認するためにかかげてみた。ベタ記事である。字数は156字であった。これに対して『朝日新聞』の該当記事は462字であった。 
『日本経済新聞』2018年5月14日朝刊28 面皇太子夫婦養蚕

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