【日本相撲協会式に考えれば,日本出身の在日高校生は外国選手にあらずとなり,異なるとみなせるのは姓名だけになる】

 【韓国・朝鮮という文字をほとんど消し,コリアンといいかえる理由・事情はなにか】

 【以前より,韓朝鮮人という用語・表現を使用したらいいと提言してきた識者もいる-徐 龍達(元桃山学院大学教授)の提唱-】


 ① 在日朝鮮人と在日韓国人は在日コリアンか

 「在日コリアンという言葉」が,本日とりあげ議論するこの記事においては使用されている。しかし,在日コリアンというこの用語は,韓国語(朝鮮語)のことをハングルと指示して表現している現状にも似ていて,特定の違和感を抱かせている。問題は,こういうところにある。

 一番問題なのは,在日本朝鮮人総聯合会(朝総聯)が自分たちの組織的な立場を隠すために「コリアン」という表現を使用する場合である。これに対して在日本大韓民国民団(民団)側の関係者は,使用することもないわけではないが,そのように使用する必要性はあまりないゆえ,それほど頻繁に使用することはなく,むしろ北側(朝総聯側のこと)を包摂させる意味をもたせては使用する。

 折しも今日から1週間ほど前の2017年2月13日,朝鮮非民主主義反人民偽共和国の世襲3代目になる独裁者金 正恩の腹違いの兄が,マレーシアにおいて,つぎのような殺され方をするという事件が起きていた。もちろん,正恩の命令がなければ実行されえない殺人事件であった。
 金正恩画像23 金正男画像
  出所)左側画像は,http://www.47news.jp/CN/201010/CN2010100901000715.html
  出所)右側画像は,https://twitter.com/hashtag/金正男


 金 正男は2017年2月13日,滞在先のマレーシア・クアラルンプール国際空港からマカオに出国するさい,空港内で北朝鮮の工作員(男性が5人いてそのうち1人は身柄を拘束されているが,残り4名は北朝鮮に逃亡・帰国している)に,うまく騙されて使役された〔手先になって殺人行為を実行した〕らしい女2人に暗殺された。そのさい金 正男が殺害された方法は,その女2人(自分たちの行為が殺人犯罪である点に気づいていなかった)が,工作員から手渡されたVXガスを使用したものとみられている。

 安倍晋三政権になってからも依然,「解決の見通し」など皆目つかない「北朝鮮による日本人拉致問題」については,そもそも安倍が自分の政治的な具に使いまわすことに熱心であっても,その解決のための本気でとりくむ気持は全然もっていない。「拉致問題のひとつ」があれば,日本が北朝鮮に優位な政治的立場に立てると思いこんでいるらしい。だが,日朝の国交正常化は,安倍晋三政権でも実現できるみこみをもてないでいる。

 他方で,民団側は例の問題である「従軍慰安婦少女像」が,韓国内の日本国外務省公館の面前に新設されてから,駐韓する日本国大使が帰国状態のまま復帰できない状況を脇で観させられたりもしながら,韓国政府側に対しては問題の解決を望む旨を表明している。要は,釜山の日本国公館の前に設置された従軍慰安婦少女像を除去してほしいと強く要望しているのであるが,これも安倍の単細胞的な外交手腕の制約を受けた状態を続けている。

 そんなこんな,もろもろでありつづけてきた,いままでの日韓両国政治関係のはざまにおいて,在日韓国人社会においてはすでに3世・4世の世代が人口構成上は中心をなしていたり,また日本国籍を取得していく若者が多いせいもあって,韓国籍(朝鮮籍というものは正式は存在しない)である在日の人口は,以前より顕著に減少しはじめている。しかし,日本国籍になっても,また片親が日本人の父母であっても,その出自が韓国・朝鮮とのつながりがある事実に,なんら変化はない。
金賛汀甲子園表紙 (2)
 日本全国にある神社などが韓国・朝鮮の歴史的な由来を,なぜか,なんとかして抹消しようとする傾向は,いままでも変わらずに存在する日本人側における態度・性向である。問題はなぜそうするのか,そうしなければならないのか,である。本日とりあげ議論する全国高校野球選手権大会の歴史は,戦前・戦中から戦後のいままで続いているけれども,戦後の時期だけが,在日高校生が「甲子園」に出場していたのではない。戦前・戦中は,植民地だった朝鮮からも甲子園に出場した高校(当時の旧制中学校だったが)があった。
 補注)ここで金 賛汀『甲子園の異邦人』講談社,1985年から,つぎの見開き2頁分(54-55頁)を画像資料で紹介しておく。関連する事情が理解できる。(画面 クリックで 拡大・可)
金賛汀甲子園表紙
 つぎの画像資料は,全国高校野球選手権大会の第39回大会(1957年)までの出場校「地区予選枠」一覧である。(画面 クリックで 拡大・可)
全国高校野球選手権大会地区割り
出所)http://www.fanxfan.jp/bb/history.html

 ともかくも,いろいろ問題があったのだが,日本で生まれ育った在日の若者が甲子園には出場できても(日本の小中学校から高校にまで進学してきたのだから「純ジャパあつかい」されてきた),いざ正式に日本代表とかなんとかなるときは,国籍状況にぶちあたりなにやかや進路を妨害されていた。張本 勲の実例が興味深い。張本がプロ野球チームと契約するときの話題を紹介しておく。

 張本 勲が1959年,東映フライヤーズ(1954~1972年の名称で,現在は北海道日本ハムファイターズ)に入団することになったときの話である。東映フライヤーズのオーナー大川 博は当時,プロ野球の規約で「外国人選手は2人まで」となっていた問題の改正にとり組み,「生まれた時に日本の国籍をもっていた選手」は外国人選手に含めないと改正させている。

 ここで「産まれたときに日本国籍をもっていた」というのは,張本 勲は1940年6月19日に広島市で産まれていたからで(張本は5歳で被爆していた),当時,大日本帝国の植民地だった国々(地域)出身の人びとは,いちおう日本国籍をもっていたのであり,敗戦した日本が1952年4月28日に再度独立するまでは,ひとまず実効性は皆無であったものの,日本国籍は有していたのである。大川 博は自社が所有するプロ野球チームの新人選手獲得のためにひと工夫したわけである。
 補注)最近,張本 勲が自分の人生に関して心境を語っている書物としては,小熊英二・髙 賛郁・高 秀美編『在日2世の記憶』集英社,2016年,71-84頁に「天才打者の壮絶な被曝体験」が収録されている。

 さらに30年ほど前であれば,小林靖彦編『在日コリアン・パワー』双葉社,1988年が「張本 勲(プロ野球評論家)韓国プロ野球育成に情熱を傾ける日本プロ野球往年の大打者」(106-117頁収録)。下掲したのは,比較的最近における張本関係の新聞記事である。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2013年10月9日夕刊張本記事
 本日,以下にとりあげて考えてみたい問題は,そうした張本 勲に続いて続々と,日本のスポーツ社会のなかに登場してきた在日韓国人の若者たちに関する「解説記事」である。

 ②「〈連載:あの夏〉報徳学園 × 京都商:1 同胞の名,見つめた一戦 高校野球」(『朝日新聞』2017年2月21日朝刊)
      ★ 1981年8月21日(金) 高校野球 決勝戦 ☆

     京都商(京都)  000 000 000|0

     報徳学園(兵庫) 000 000 11X|2

     『朝日新聞』2017年2月21日朝刊16面在日高校野球2
 この物語を,大阪市西成区の一家庭の光景で始めたい。「同胞がおるぞ」。常山姓を名乗るその家で,テレビに映し出された甲子園決勝のスコアボードを親が興奮してみていたのを,小6だった趙 靖芳(チョ・ジョンバン)は覚えている。京都商の先発には,1番の鄭,5番の韓という在日コリアンがいた。いまより出自をオープンにしづらい時代。注目が集まる大会に,本名で出た高校生の存在は,在日コリアンたちにも衝撃的だった。

 「こいつらもそうやで」。親が挙げたのは京都商の4番金原,報徳学園の4番金村ら,在日コリアンに多い姓の選手だった。現在,在日本大韓体育会事務局長の趙 靖芳は,「その時,自分たちには本名と通名があることを明確に意識した」という。11歳の少年にとって,通名の使用がスタンダードである現実をしらされた機会でもあった。
 補注)敗戦後におけるとくに在日韓国人2世に関する特徴でいえば,「通名の使用がスタンダードである」という事実が,彼らの日常生活のなかで,まともに意識されていたとは思えない。したがって「自分たちには本名と通名があることを明確に意識した」という点も,それほどは把握していなかったはずである。

 したがって,前段の記述のように「いまの時点からする」把握・解釈でもって,そのように記述することは正確な「歴史の記述」にはなりえない。「在日コリアン」という表現(言葉・概念)も同じであり,ここに名前の出てきた出場選手たちが当時「韓国籍」をもっていたかどうかは判明できないが,コリアンという用語をあてはめて使うことにしたら,当時の状況のおいて「韓国・朝鮮」という言葉にまつわって蓄積されてきたもろもろの「在日的な問題」を,あえて抹消するおそれがある。


 両チームには計7人の在日コリアンがいた。報徳学園には,のちにプロ野球の近鉄などで活躍し,現在はスポーツ報知評論家の金村にくわえ,1番の高原,控え捕手の松本政輝。京都商には,パチンコ店経営の最大手マルハン社長となった韓と,鄭,金原,途中から出場する呉本。在日コリアンの間で栄光の歴史として語りつがれる大会である。
 補注)高校野球のなかに「在日コリアンの間で栄光の歴史」を探り出さねばならないとすれば,在日という存在は気の毒であるという印象をもつ。だが同時に,こういうかたちで在日韓国・朝鮮人の歴史的な存在問題をとりあげねばならない「日本・日本国の人びと」側における『なにかのこだわり』があるようなとりあげ方にも,若干引っかかるものを感得する。
『朝日新聞』2017年2月21日朝刊16面在日高校野球
 とくに,韓と鄭のインパクトは強烈だった。開会式のリハーサルで入場を待つあいだ。出自をむしろエネルギーにしていた金村と,大阪・鶴橋のコリアタウンで育った高原は,2人の存在をしるとわざわざ京都商の列を訪れ,「おまえら,本名で出とんの? すごいな」と声をかけた。「僕も金村も負けず嫌いなので,『俺たちも在日だよ』という話をしました」と,近大新宮高(和歌山)の野球部監督を務める高原。もちろん,この時点で誰も決勝で当たるとは思っていない。
 補注)「おまえら,本名で出とんの? すごいな」といわせる日本国内における在日をかこむ〈時代の状況:1981年〉は,いったいどのようにして創られてきたのか? 日本人の場合だと,海外に移住した日本人が日本の苗字を変えてしまい,日本人である出自を隠すようなしぐさ(対処)は,あまりしていないはずである。

 しかし,日本国内にあっては旧非植民地国出身の在日2世たちはこのように,一見したところでも明らかに「姑息で陰鬱な本名隠し」を強いられ,この出自にかかわる問題に悩まされてきた。だから,在日の若者が甲子園のスコアボードに「韓」とか「鄭」とかいった「バレバレの本名」登場しただけで,在日日本社会においては大きな話題になっていた。ごく単純に考えたらよいのである。本名を使用させていないような,敗戦後における日本社会の政治的な環境に問題があった。

 ここではそうした問題性よりも,実は日本社会そのものが,この1981年夏に甲子園球場で開催された全国高校野球選手権大会で決勝戦まで進んだ両チームの,京都商業高校と報徳学園高校から先発出場などした「在日選手の布陣」をみなおすとき,これが日本社会全体そのものの縮図にもなっていた事実に注意しておく必要がある。日本のプロ野球においては,在日韓国・朝鮮人がいったいどのくらいいたかをしれば,よくみえてくることがらがある。

藤本英雄画像 プロ野球では,藤本英雄(ふじもと・ひでお,1918年5月18日~1997年4月26日,右側画像)がいた。

 朝鮮・釜山生まれのれっきとした韓国・朝鮮人であったが,山口県下関市彦島出身だとウィキペディアには記述されていて,若干失笑させられるが,それはともかくこの藤本が元プロ野球選手(投手)として,日本プロ野球史上初の完全試合達成者であったことは有名である。

 藤本の韓国名は李 八龍(イ・パリョン)であった。日本名のとしてはのちに「中上(なかがみ)英雄」とも名のっていた。もう1人,プロ野球で有名といえば「いうまでもなく」金田正一であり,日本プロ野球史上唯一の通算400勝を達成し,同時に,298敗の最多敗戦記録を「誇って」いる。

 この2人以外もいままで日本のプロ野球において活躍してきた〔している〕在日出身の選手は数多くいる。日本名(日本国籍を取得してそう名のっているが,いまでは元の韓国名でも日本国籍になれないわけではない)でもって,プロ野球に出場している選手も非常に多くいる。

 〔『朝日新聞』の記事本文に戻る→〕 京都商の宿舎には,前橋工(群馬)との初戦に勝つと,鄭を指名する電話が何本かかかってきた。「しらない在日の方から『感激して,応援しました』と。僕には甲子園に出られた喜びが強く,名前や国籍うんぬんではなかったのですが」。京都市で自営の仕事をする鄭はそう回想する。韓には大会後,段ボール数箱分のファンレターが届いた。

新浦壽夫画像 反響の大きさは,在日コリアンにひとつの道が開けたことも影響していた。巨人などで活躍した新浦壽夫が静岡商時代,夏の甲子園でエースとして準優勝しながら,韓国籍のため国体に出場できなかったように,門戸は閉ざされていた。だがこの年の7月,日本体育協会は在日外国人高校生の国体参加を承認。報徳学園と京都商が準決勝に進んだ8月19日,滋賀国体出場が発表され,鄭や金村ら在日コリアンも出られることになった。
 出所)左側画像は新浦壽夫,http://ameblo.jp/plan-do-japan/entry-10732857299.html

 当時,在日本大韓体育会の理事だった京都在住の在日2世,宋 基泰(ソンギテ)(75歳)は,決勝をしみじみとみつめた。「藤井」と名乗った高校時代,滋賀県の体操チャンピオンだったが,国体参加を阻まれ,悔しい思いをした。「霧が晴れたような制限撤廃ののちに,今度は高校生が本名で甲子園に。自分もこのときはすでに民族名で生活していたが,『みずからの生き方が正しかった』と鄭と韓に勇気づけられました」。
 補注)ここでは古い本から引用しておく。昭和12〔1937〕年2月に発行された本で,高階順治『日本精神の哲学的解釈』(第一書房)のなかでの文句である。「皇室を離れた国土・国民には,我が国にあっては,国土・国民とはいひ得ない。それは単なる土地であり,人間ではあるかも知れぬが,皇土として栄えてゆくことはできぬ。異民族のために征服された土地・人間の,如何に悲惨な運命を有つものであることか」(248頁)。

 この論法(理屈)を適用してさらにいえば,植民地時代における在日は国土(皇土)を離れてもいなかったし,帝国臣民でなかったわけではなかったけれども,敗戦後における日本国内では,もはや日本国民ではない民族集団として実質的に疎外され,平然と民族差別を受けるべき対象とされてきた。そのツケまわしのごく素朴で簡単な事例は,全国高校野球選手権大会に出場する在日の若者の立場にまで押し寄せていた。

 〔記事本文に戻る→〕 名前,国籍をどうするか,みずらの血統をどうとらえるのか。いま,在日コリアンの考え方と選択は多様化している。この決勝の当事者だった在日コリアンの生い立ちとその後の生き方も,まさにさまざまだ。1時間38分の濃密な投手戦に潜んでいた勝負のあやを語る前に,まずは彼らの甲子園までの道程をたどっていこう。
  (このシリーズは編集委員・中小路徹が担当します。敬称は基本的に略します)(№ 0654)

 ◇ 全国高校野球選手権大会の熱戦を振り返る「あの夏」第18シリーズ,1981年の第63回大会決勝「報徳学園-京都商(現京都学園)」は,3月18日まで計20回(原則火~土曜日に掲載)を予定しています。

 前段に出ていた文献,金 賛汀『甲子園の異邦人』講談社,1985年,については2つの書評を紹介しておく。(画面 クリックで 拡大・可)
甲子園の異邦人書評
金賛汀甲子園書評『統一日報』

 ③ 最近における『朝日新聞』投書欄に登場した朝鮮学校「擁護」論らしき実例-北朝鮮の本質から目をそむけた投書-

 本ブログ筆者が気づいた範囲内では,今年〔2017年〕に入ってから,『朝日新聞』朝刊「声」欄にはつぎの4点があった。1点は大阪本社版でのものであった。

 1)「〈声〉朝鮮学校生徒の教育差別やめて」2017年1月29日
     = 無職 内岡貞雄(福岡県,69歳)=

 学校法人「大阪朝鮮学園」が大阪府と大阪市による補助金の不支給決定の取り消しを求めた裁判の判決が大阪地裁でいい渡された。判決は,補助金を支出するかどうかは地方自治体の「裁量の範囲内」だとし,訴えを退けた。生徒が自民族について学ぶ権利である「民族教育権」や,国連の人種差別撤廃委員会勧告などを無視する判決だと思う。

 私の地元でも,九州朝鮮中高級学校高級部が平等に教育を受ける権利を求めて訴訟を提起し,福岡地裁小倉支部で係争中だ。私はその原告を支援し,裁判を傍聴している。被告の国側は,これを教育問題ととらえず,政治・外交問題にすり替えている印象だ。就学支援を定める高校無償化法の重要性も無視されているように感じる。

 高級学校の生徒たちからは「普通の高校生として安心して学業や部活動を楽しみたい」などという言葉をなんども聞いた。忸怩(じくじ)たる思いだ。これらの裁判は日本における教育問題に関する地方自治体のあり方を問うものだ。教育差別につながる判決は認められない。

 --この投書主が主張している点そのものは正論である。だが,逆さまに考えてみたい。こうした日本人側の〔この投書主の政治的な立場・思想はこの文面では分かりえないが〕批判に関していうと,「教育問題ととらえず,政治・外交問題にすり替えている」政治は,なにも日本だけでなく,北朝鮮でもまったく同様である。むしろ,それ以上極端に,北朝鮮のほうが独裁政治的に徹底されている。こうした事実にも目を向けての議論としなくてはなるまい。問題が異なるなどといって,いいのがれをしてはいけない。

 朝鮮学校に対しては最近では,北朝鮮からの教育援助金の送金は少なくなっているが,ないわけではない。ここでは,当面する論点が異なるなどというなかれ,あるいは,朝鮮学校の経営形態に潜む政治的な問題性を看過することなかれともいっておく余地がある。朝鮮学校を応援し,その教育機関としての立場を支持してあげることじたいは非難されるべきではない。しかし,日朝間における政治関係のなかで,このような意見を提示する行為が,いったいどのような意味あいを有するのかまでも考慮しなければならない。この投書主の場合であれば,まさか,関連する知識がないわけがないと推察しておく。

 この手の投書の内容における思想的な図式は「朝鮮学校は弱者であり被害者的立場」対「日本政府は差別の強圧者であり非情な権力の立場」という2項式の構想を予定している。けれども,北朝鮮との関係が朝鮮学校に対してどのような影響力をもち,発揮しているのかという事実関係とは無縁に語られている。このところに一定の怪しさ(胡散臭さ)が隠されている(漂ってくる)。
 
 2)「〈声〉朝鮮学校の良いところ知って」2017年2月6日
     = 朝鮮初級学校生 高 貞娟(東京都,12歳)=

 朝鮮学校に通っています。日本人はときおり,いやなことをします。学校の近所に住むおじさんが学校内にごみを捨てたこともあります。テレビでは,「朝鮮人は朝鮮に帰れ!」といったヘイトスピーチがニュースでとりあげられることがあります。悲しい気持ちになります。

 私はいつも思います。日本が朝鮮を植民地にして,私たちの先祖を日本に連れてきたのに,なぜ日本人は「帰れ」というのでしょうか。なぜ,いやがらせをするのでしょうか。私たちはなにも悪いことをしていないのに。多分,朝鮮学校に通う者なら,一度はそう思ったことがあるのではないでしょうか。

 私の学校では,毎週水曜日に周辺のごみを拾う美化作業を続けています。学校にごみを捨てていたおじさんも,一緒にそうじしてくれるようになりました。日本人とのしんぼくが少し深まり,うれしかったです。日本人に朝鮮学校の良いところをわかってほしいです。朝鮮学校と日本の人が共に助け合い,嫌がらせがなくなる時が来るのを望んでいます

 --この投書の内容じたいはそのとおりである。もっとも,この年代の子どもは,なぜ日本社会の側が「朝鮮学校」を問題視するのかという事実を,適切に理解するための智力をもちあわせていない。「このような子ども」に関係する意見をいわせては,朝鮮学校に対する理解をあらためさせようとする試みに注目したい。

 この種の試みはいままでもさんざん反復させられてきた。もっとも,この声の題につけられた文句「朝鮮学校の良いところ」とはなにか,いまひとつ明快ではない。明快ではないそのところを,この投書から理解することはできない。「題」は投書主が決めるものではなく,編集部が考えているはずである。
  
 3)「〈声〉朝鮮学校と共に歩む人々もいる」2017年2月9日
     = 勤務医 金 順熙(神奈川県,40歳)
 
 「朝鮮学校の良いところ知って」(6日)を読みました。「なぜ日本人は『帰れ』というのでしょうか。なぜ,いやがらせをするのでしょうか」とありました。戦後70年以上たったいまも,子どもにこのような思いをさせていることを,朝鮮学校に子どもを通わせている保護者として情けなく思いました。

 しかし,朝鮮学校を理解し,共に歩もうとする日本人も少なくありません。子どもの学校でも入学式や運動会,バザーなど行事に来て,子どもたちの成長を一緒に喜んでくれる人がいます。近隣の学校の児童とも,さまざまな交流行事を組ませてもらっております。

 朝鮮学校に実際に触れた人たちのほとんどが,民族のルーツを学ぶ大切さを理解し,さまざまな補助が受けられないでいる朝鮮学校の現状に心を痛めてくれます。

 朝鮮学校や在日朝鮮人への偏見の背景には,無理解と無関心があります。その克服を難しくしている政治状況もあります。それでも私は,子どもたちが少しでも悲しい思いをしなくていいように,1人でも多くの日本人の理解をえられるように,できることをしていこうと思います。

 --この声の主張は前の投書からリレーされているが,朝鮮学校が朝鮮総聯の傘下にあり,この指示(命令)によって基本路線を決められている実情からは離れた,いうなれば「お涙ちょうだい式」の論旨になっている。ある意味では意図的にこう作文されてもいる。

 「さまざまな補助が受けられないでいる朝鮮学校の現状」があるのは事実であるが,実際に補助金を支給されていたときの朝鮮学校やそこの生徒たちの立場をめぐっては,いろいろ聞くに堪えないような,実にみみっちい対応・操作もなされいて,上部組織がその支給された補助を召し上げる策略も行使してきた。

 こういう事実とはまったくかけ離れたかのような地点から,きれいごとだけをいうのは,簡単なことである。医師でもあるこの投書主,ここまで朝鮮学校の立場から意見をいいたいのであれば,朝鮮総聯の意向にかなった発言しかしない〔できない〕人士だといわれても異論はあるまい。

 4)「〈声〉朝鮮学校生の笑顔を奪うな」【大阪本社版】
     =主任介護支援専門員 金 菊江(大阪府,50歳)

 大阪府・市から補助金不支給とされている学校法人「大阪朝鮮学園」が,その取り消しなどを裁判で求めていたのに請求は棄却された。朝鮮学校への補助金復活の願いは届かなかった。期待を胸に判決を待ちわびた在日コリアン,朝鮮学校生保護者の私は涙した。

 40年前,私は通っていた公立小学校で同級生や担任から差別を受けた。「朝鮮は恥ずかしい」と思い,自分を否定しつづけたが,公立高校の先生から自身のルーツを学び,誇りをもつ素晴らしさをしった。幸い私は無知と決別し,アイデンティティーをとり戻した。

 3人の子供たちは朝鮮学校へ。2人は日本の大学や朝鮮大学校に進み,下の子はいま高級学校1年生。経済的に大変な朝鮮学校だが,すてての子供たちが日本に生まれて良かったと思い,日本と祖国の友好の懸け橋になれるよう学んで欲しい。各教科は日本の学習指導要領に準じているし,保護者は納税義務を果たしている。私たちの人権,尊厳を踏みにじらないで。学ぶ権利,笑顔を奪わないで。在日がさらに日本に住みにくい流れを作ることに深く傷つき,憤っています。

 --この〈声〉は朝鮮総聯側の幹部もときどきいってきたような,お決まりの定式的・教条的な発言である。「日本と祖国の友好の懸け橋になれる」勉強の必要性をいいいたいのであれば,金 正恩という人物に対しても同様に申すべきことがらは,とくに朝鮮総聯側を支持する人士であれば,いくらでもあるはずである。しかし,こちらに関してはなにもいわないし,もとよりなにもいえない。そこが問題。

 朝鮮学校に関していえば,北朝鮮とのいうまでもない深いつながりがある。それゆえ,日本における朝鮮学校が教育制度上において必然的にかかえこんできた事実問題(難題)ともからめた議論が必要である。ところが,このような声欄における発言では,終始一貫して「きれいごと」ばかりである。

 つまりそれらは,朝鮮学校が本来より抱えてきた在日系の民族学校〔実際には『民族学校だ』などと称せるような代物ではないのだが〕としての深刻な問題性から,読者の目線をそらすための発言ばかりになっている。


 【地球環境を破壊した原子力発電装置・機械の原罪】

 【チェルノブイリは社会主義を崩壊させ,フクシマは経済老大国:日本をさらに瀬戸際まで押しやっている】


 ①「2017年2月19日NHKBS1スペシャル,ノーベル文学賞作家アレクシエービッチの旅路」

 1)チェルノブイリからフクシマへ
 みずからが「小さき人びと」と呼ぶ民の声なき声を,徹底的インタビューにより発掘する独自の記録文学で2015年,ノーベル文学賞を受賞したベラルーシの作家スベトラーナ・アレクシエービッチ。

 今冬,念願の「フクシマ」被災地訪問が,2016年11月末に実現した。アレクシエービッチが記録作家としてテーマとしてきた「核と人間」「国家と個人」の視点から,彼女がみた「フクシマ」と,その旅に至る思索の過程を,前編と後編の連続放送によって描く。
アレクシェービッチの旅路ポスター2017年2月19日放送

 ※-1 前編「チェルノブイリの祈り」2017年2月19日(日) 午後7:00~7:50

 スベトラーナ・アレクシエービッチの核心的テーマ,それは「核と人間」「国家と個人」の問題だ。代表作『チェルノブイリの祈り』において,彼女は被曝して苦しむ現場の人々を訪ね,巨大なソビエト国家の国策の下で隠され,闇に埋もれていた証言を記録し続けた。

 自身もチェルノブイリに近いベラルーシとウクライナの国境地帯出身。女医だった妹を原発事故後に癌で失い,その娘を養女として引きとり,生活してきた。前編では,アレクシエービッチのライフ・ストーリーと重ね合わせて,チェルノブイリ取材の過程を詳細に描き,彼女の記録文学の手法と真髄を紹介してゆく。

 ※-2 後編「フクシマ 未来の物語」2017年2月19日(日) 午後8:00~8:50

 チェルノブイリから25年後,福島で起きた原発事故にアレクシエービッチは衝撃を受ける。直後に日本に向けてメッセージを発し,チェルノブイリの悪夢が繰り返されたことへの深い懸念を綴った。以来,彼女はみずから福島の被災地に赴き,「フクシマの小さき人々」の声に耳を澄ましたいと強く念願してきた。2016年11月末,5年越しの思いが実現。

 アレクシエービッチは福島への旅で,避難指示解除後に住民が戻り始めた南相馬市小高区や,今〔2017〕年3月に避難指示解除される予定の飯舘村,被災者が暮らす仮設住宅を訪ね,さまざまな「フクシマの小さき人びと」に出会った。アレクシエービッチはそこで,国策に翻弄される人びとの現実など,福島が置かれた状況に数多くのチェルノブイリとの共通点を見出す。人びとの声から彼女はその「未来」をどう考えたのか。後編では,アレクシエービッチの「フクシマ」への旅のドキュメントを軸に,福島で彼女ならではの視点がとらえた思索から紡ぎ出されるメッセージの数々を伝えてゆく。

 --以上のごとき粗筋であった,この昨日〔2017年2月〕19日夜のテレビ番組(NHK「BS1」)による放送内容は,早稲田大学法学部水島朝穂教授から,この特別番組放送日の午後になって急遽,届いたメールマガジンの情報提供にもとづいて紹介した。

 この特別番組を実際に視聴して痛感するのは,国家はこれだけの大事故を起こして〔起こさせて〕いながら,アレクシエービッチがいうとおりなのであって,被災者たちに対しては「最低限の援助」をしただけで,あとは放置したも同然に「自分たちで勝手しなさい」という,非常に酷薄な政治姿勢だけが残ったという事実である。

 日本では,東電福島第1原発事故のことを「第2の敗戦」と呼んでもいるが,「第1の敗戦」のとき,旧大日本帝国臣民たちはあの戦争に敗戦し,焦土化したこの国土のなかで衣食住のすべてをうしない,野良犬みたいな(人間だから浮浪児のような)生活を強いられていた。

 国家が遂行する戦争のために戦時国債の購入に大いに協力した臣民たちは,戦争中から顕著になっていき,敗戦後には一気に進行したハイーパー・インフレーションのためにそれは紙きれと化し,それこそ一文なしのスッカラカンの生活状況に追いこまれた。それこそ踏んだり蹴ったりされる目に遭ってきた。

 ただ,戦争で命を落とさないだけマシだったという惨酷さであった。日本人だけでも310万人もの生命が失われた戦争であった。アジア全体での犠牲者は2千万人の単位になる。日本は戦争中,ベトナムから食糧を奪い(米作の作付けをさせず大麻を植えさせた),200万名ものベトナム人を飢え死にさせた。

 それでもなお,そういったような1945年「敗戦の顛末」をもたらした「戦前・戦中の大日本帝国」が恋しいなどといいつのる,いまどき考えられないような妄想,「戦後レジームからの脱却」を本気で唱えてきた,それもひどく愚昧・固陋な《日本国の現首相》がいる。

 この政治家の母方の祖父は,戦争中は途中から東條英機に反旗をひるがえしたり,敗戦後はA級戦犯の指定されてから釈放されてアメリカの手先になるなどしたりしてうまく立ちまわったあげく,結局は,現在の対米従属国であるこの日本のかたちを造りあげる作業に大きく貢献してきた。
A級戦犯時の岸 信介写真
出所)岸 信介がA級戦犯に指定されて拘留時に撮られた写真,
https://twitter.com/kininaru2014111/status/577212521670537216


 悪いことにおまけにはその外孫までも,安保関連法を2016年3月に施行させては,日本のアメリカへの従属度をより強化する役目をはたしていた。父も孫もそろって売国的な首相だという評価は,確実に後世に伝えられていくほかあるまい。
 補注)後段でも参照されるが,広瀬 隆『東京が壊滅する日-フクシマと日本の運命-』(ダイヤモンド社,2015年7月)は,こういうふうに表現していた。「祖父の戦争犯罪をアメリカに握られた安倍晋三が “駐日アメリカ大使” の役をになって,ホワイトハウスにシッポを振って強行する属国メカニズムを受けついできたのである」(284頁)。

 その後,日本は世界で一番だといわれるほどに経済大国になれたつもりであったが,1990年前後からのバブル経済崩壊によって,その後四半世紀が経っていくなかでは確実に,庶民の生活水準は低下してきている。その間に新自由主義の政治経済思想がはやり,規制緩和政策が推進されるにしたがい,貧富の差にも起因する生活水準の格差が日本の社会のなかには広がっていった。

 そこへ2011年3月11日東日本大震災が発生し,連鎖的に東電福島第1原発事故現場も惹起させられた。そのとき,この日本はへたをすると東日本全体が放射能汚染によって機能停止状態になる危険性もあった。日本の半分が沈没しそうになっていた。小松左京『日本沈没』1973年は小説であったが,2011年「3・11」のなにかを予見するような内容でもあった。
小松左京日本沈没表紙
出所)http://dark.asablo.jp/blog/2011/04/17/5812075

 福島第1原発事故の被災地に暮らしていた住民たちのうち,放射線量の値が低下してきたという理由で「避難指示区域」を解除された自宅に戻ろうとする人びとは,実際には少数派である。本ブログが先日〔2017年2月18日〕記述した文章のなかにかかげておいたのは,2017年2月3日現在における楢葉町の「帰還率」(正式名は『町内帰還者集計表』と呼称する文書であるが)であった。その時点での帰還者は15.7%である。チェルノブイリ原発事故と東電福島第1原発事故に共通する事後の問題が如実に表現されているその数値(比率)である。
若松と内橋2著表紙
 若松丈太郎『福島核災害棄民-町がメルトダウンしてしまった-』(コールサック,2012年12月)は,つぎのようにいっていた。
   〈原発災害〉は,単なる事故として当事者だけにとどまらないで,空間的にも時間的にも広範囲に影響を及ぼす〈核による構造的な人災〉であるとの認識から〈核災〉といっている。チェルノブイリ核災から26年だが,まだ〈終熄〉してはいない。福島核災は始まったばかりで,26年後に〈終熄〉していることはないだろう。おそらく,67年後になっても〈終熄〉していることはないだろう。まったく先がみえない災害なのである(79頁)。
 内橋克人『日本の原発,どこでまちがえたのか』(朝日新聞出版,2011年4月)から引用する。内橋は,電力会社の総括原価方式をめぐっても批判していた。
    福島第1原子力発電所に発生した原発事故は,過去,私たちの国と社会が特定の意図をもつ「政治意思」によってつねに “焼結” されてきた歴史を示す象徴である。人びとの魂に根づく平衡感覚,鋭敏な危険察知能力,生あるものに必須の畏怖心,それらのすべてを焼き固め,鋳型のなかにねじ伏せて突進しようとした剥き出しの権力の姿に違いない。

 並々ならぬ強権力を背にした政治意思に異議をさしはさむ者は,異端者か,さもなくば「科学の国のドン・キホーテ」と貶めて排除してきた。「原発安全神話」が高みの祭壇に飾られ,世界にも数少ない「原発大国」への道が引き清められた(1頁)。

 巨大投資の原発⇒総括原価〔方式〕の押し上げ⇒料金アップ⇒収益好転の図式」が成立するには,そもそも電力の販売量が大きく伸びつづけていることが,前提なのだ。いま,その条件が枯渇し,電力会社にとっての「よきサイクル」は途絶した。電力会社の目の前に,どんな現実が迫っているのか。

 高度経済成長時代はとっくに過去のものになっており,いまでは明らかなように電力需要は伸びていない。料金を上げねば収益構造は悪化の一途をたどるほかないけれども,「うかつに料金を上げると,需要はさらに停滞する」。電力会社にとって泥沼のジレンマはこれからいよいよ深刻化するはずだ(269頁)。
 たしかに電力需給関係は2007年・2008年あたりが頂点になっており,2011年「3・11」を迎える前からすでに減少傾向になっていた。原発をどんどん増設し,電力総供給量の5割以上にまでするというもくろみがあって,家庭に対してはオール電化生活を盛んに売りこもうとしてきた。けれども,日本の社会経済全体におけるエネルギー需要の伸び悩み(?)は,「3・11」以後における再生可能エネルギーの開発・利用の比率が高まるとともに,原発の不要をいっそう根拠づける確実な基盤を形成している。

 さて,ここで話題を戻す。原水爆〔の兵器としての行使やその実験〕だけが地球環境を破壊したのではなく,原発もまったく同じ効果をもたらしてきている。これからも,地球上にある434基もの(2016年統計)原発がけっして大事故を起こさないという保証は,全然ない。原発の大事故が発生する確率計算もなされているが,たびたび断わっているように,常時「原発に大事故が起きる可能性・蓋然性」を考慮・心配していなければならない「原子力を利用したエネルギー(電気)生産の方式」じたいに,もとより看過しがたい重大・深刻な技術的問題(簡潔にいえば決定的な欠陥)が内包されていた。

 本ブログ筆者は以前から,「3・11」後における福島第1原発事故をめぐる議論のなかで「『失敗学』という奇異な学問形態」をかかげてマスコミに登場し,それも当時の舞台においてにぎやかに活躍してもいた畑村洋太郎という人物(元東京大学教授・工学院大学教授)の立場(その発想と具体的な方法や概念)に対しては,「事故の発生を確率論的に当然視するほかないこの〈失敗学〉」の「本源的な失敗性」を指摘せざるをえなかった。

 つまり,原発事故の発生を結果論的には防止できないというか,事故はどうしても起こりうるものだという前提条件を置く考え方を,つまり,安全率計算のなかに折りこむ思考方法を明示した畑村洋太郎流の〈失敗学〉の構想は,原発問題には通用しえないときびしく批判してきた。換言すれば,その失敗学は「原発問題の解決のために役には立たない」と論断したのである。
 補注) 本ブログ内では,2014年11月05日の,主題「畑村洋太郎『失敗学』の構想失敗と原発推進論」,副題1「原発安全神話は批判せず,原発推進に役だつ信頼性工学『論』」,副題2「打ちだした東大名誉教授の技術思想」,副題3「失敗を約束された失敗学者の原発安全工学論」が関連する記述をおこなっている。

 その失敗学がとりくめるはずもない,それこそただ,事故が発生してからの〈事後の問題〉となっていた東電福島第1原発事故現場の後始末については,昨日〔2017年2月19日〕に,『朝日新聞』朝刊2面全体を充てた,つぎの ② でとりあげるような記事が出ていた。その前日〔2月18日〕には『日本経済新聞』が見開きの2面全部を使用して同じ問題を特集する解説記事を提供していた。こちらについても同日中に本ブログは,この日経記事をとりあげ議論していた。

 ②「実測210シーベルト,廃炉阻む 福島第一・2号機の格納容器」(『朝日新聞』2017年2月19日朝刊)

  炉心溶融(メルトダウン)した東京電力福島第1原発の2号機格納容器に,遠隔カメラやロボットが相次いで入った。溶けた核燃料のような塊,崩れ落ちた足場,毎時数百シーベルトに達する強烈な放射線量……。原発事故から6年で,ようやくみえはじめた惨状が,廃炉の多難さを浮き彫りにしている。

 1)扉ごし調査,デブリ散乱,サソリ停止
 今〔2017年2〕月上旬,廃炉に向けた作業が進む福島第1原発に記者が入った。海沿いに原子炉建屋が並ぶ。水素爆発を起こした1号機は,吹き飛んだ建屋上部の鉄骨がむき出しだ。3号機は建屋を覆うカバーの設置工事が進むが,その隙間から水素爆発で崩れた建屋がのぞく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2017年2月19日朝刊2面福島第1原発事故廃炉問題
 それらに比べ,間に立つ2号機の外観は事故前とほとんど変わらない。だが,この2号機こそ,原発事故で最大の「危機」だった。2011年3月15日未明。2号機の格納容器の圧力が設計上の上限の倍近くに達した。その後,圧力は急激に低下したが,なぜ爆発を免れたのか,いまだにはっきりしていない。

 もし,爆発して核燃料がまき散らされていれば……。そんなことを思いながら2号機建屋の前に立った。二重扉のすぐ向こうに,格納容器がある。「10メートル先は毎時8シーベルトの放射線量があります」。東電担当者が警告した。廃炉で最大のハードルが,溶け落ちた核燃料の取り出しだ。原子炉のどこに,どれほどの燃料が溶け落ちているのか。まず,その把握が必要だ。

 2号機では先月末から,カメラやロボットによる格納容器内の調査が進む。建屋の外に貨物列車のコンテナのような建物があった。カメラなどを遠隔操作する「仮設本部」だ。狭い空間に折りたたみ式の机が置かれ,パソコンのモニターが並ぶ。壁は放射線を遮る鋼鉄製だ。

 一連の調査で,格納容器内の状況が分かってきた。圧力容器の下にある作業用の足場には,溶け落ちた核燃料(デブリ)とみられる黒い塊が多数こびりついている。高温の核燃料の影響か,鉄製の足場はカメラでみえる範囲ほぼすべてが崩落していた。

 〔2017年2月〕9日に投入されたロボットのカメラは,約2時間で視野の半分ほどが映らなくなった。放射線が強いと,電子部品はどんどん劣化して壊れていく。それに伴って現われる画像のノイズの量から,線量が推定できる。東電は最大で毎時650シーベルトの線量と推定。1分弱で致死量に達する値だ。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
ロボットさそり河北新報2017年2月17日画像
出所)画像は『河北新報』2017年1月4日,
http://photo.kahoku.co.jp/graph/2017/02/17/01_20170217_63028/001.html


 16日には前後に2台のカメラを搭載した調査ロボットが投入された。後部カメラをもち上げる姿から通称「サソリ」。2014年から開発が進められてきた調査の切り札だ。線量計も搭載しており実測できる。サソリは格納容器の中心部まで進み,線量を計測したり,高温の核燃料によって溶かされて穴が開いた圧力容器の下部を撮影したりする計画だった。

 だが,圧力容器に近づく前に,駆動部に堆積物が入りこむなどして動けなくなった。進めたのはわずか2メートルほど。そこで計測した線量は毎時210シーベルト。事故処理で実測された最大値だ。東電の担当者は会見で「成果はあった。失敗ではない」と繰り返したが,関係者は落胆を隠せなかった。「サソリにはかなり期待していた。それだけにこの結果はショックだ」。

 2)核燃料,残量も状態も謎
 ようやくみえてきた2号機内部の状況。だが,一方で,謎も出てきた。圧力容器から溶け落ちた核燃料は,そのまま落下したと考えられている。だが,毎時210シーベルトの線量が計測された作業用レールは,圧力容器の直下から離れている。ロボット投入口付近も推定毎時30シーベルト。格納容器内の広い範囲に高い線量の場所があるのはなぜなのか。

 「溶けた核燃料が直接レールに積もったのではなく,格納容器の底で水分の多いコンクリートと激しく反応し,溶岩が海に流れこんだときのように遠くまで飛び散った可能性がある」。東京大学の阿部弘亨(ひろあき)教授(原子力材料学)は,東電が公開した調査の映像をみて,こう推測する。ただ,圧力容器に近づくと線量は推定毎時20シーベルトに下がった。阿部さんは「飛び散ったのなら,中心近くこそ高線量でないとおかしい。レール上の堆積物も,飛んできた核燃料なら小さい粒のはず。不可解だ」。

 映像には,圧力容器の下部の機器が比較的原形を保っている様子も映っていた。圧力容器の穴はそれほど大きくない可能性があるという。「どれだけの核燃料が溶け落ち,どれだけ圧力容器に残っているのか。それが今後の取り出しを左右する」と指摘する。

 東京工業大学の小原 徹教授(原子核工学)は,ロボットの底などに付着した物質を回収して分析する必要性を訴える。「核燃料がなにと混ざっているのかが分かれば,事故の進展や,溶け落ちた核燃料がいまどんな状態なのか推定できる」。だが,格納容器内の環境は,想像されていた以上に悪く,今後の調査の見通しはたっていない。

 東電と国は,取り出し方法を2018年度に決め,2121年に1~3号機のいずれかで取り出し始める計画だ。強い放射線を遮るため,格納容器を水で満たす工法が有力視されている。だが,格納容器は損傷し,水漏れが激しい。損傷の位置や数も特定できていない。楢葉遠隔技術開発センター(福島県楢葉町)には格納容器の一部が実物大で再現され,国際廃炉研究開発機構が止水技術などを開発中だ。

 阿部さんは「ようやく内部の状況がみえはじめたばかり。廃炉はリスクを考えながら,一歩一歩進めるしかない。いまある計画や方法に縛られず,臨機応変に変えることも大切だ」と話す。

 3)〈視点〉「事故忘れるな」私たちへの警告-科学医療部・竹内敬二
 溶けた核燃料が飛び散った格納容器の惨状には,多くの人が肝を冷やしただろう。2011年3月15日の早朝の緊張感を忘れられない。福島第1原発2号機の格納容器の圧力が上昇し,「爆発が近い」といわれた。政府や東電,メディアを含め,事態を注視していた関係者を震撼させた。
広瀬東京に原発を表紙
 ちょうどそのころ,原子力委員長らは格納容器の破壊から始まる「最悪シナリオ」の検討を始めた。高濃度の汚染物質が原発周辺を汚し,複数の原発が冷却不能になってつぎつぎに壊れる。その結果,「汚染による移転区域は東京都を含む半径250キロ以上……」。そんなシナリオだ。福島第1原発の事故は広大な地域を汚染したが,東京をも広く汚染する破滅的事態とも紙一重だった。この現実を忘れてはならない。
 補注)「原発安全神話」が大手を振り,大きな顔をしてのさばり歩いて時代があったが,それほど安全だというのであれば,ぜひとも『東京に原発を!』という本を執筆し公刊したのが広瀬 隆であった。
広瀬2著表紙
 広瀬は「3・11」の前年8月に『原子炉時限爆弾-大地震におぼえる日本列島-』(ダイヤモンド社,2010年)を公表していた。その後,2015年7月には『東京が壊滅する日-フクシマと日本の運命-』(ダイヤモンド社)も公刊していた。後著は「原爆と原発が,双子の悪魔だったこと」(304頁)にあらためて言及していた。
 
 これから,溶けた核燃料との長い闘いが始まる。同様の例は,1986年に爆発事故を起こした旧ソ連チェルノブイリ原発しかない。原子炉底部に核燃料が丸くかたまった「ゾウの足」がある。昨〔2016〕年,その原子炉全体を包む新シェルターができた。事故後30年でようやく完全な封じこめが完成した。核燃料の処理は「50年くらいたってから考える。放射能も下がるし」という。百年作業なのだ。
 補注)東電福島第1原発事故現場の後始末の場合では,石棺方式による封じこめには被災地の住民が猛反対しており,この方式が採用される予定は現在のところない。

 しかし,東電は,2021年に「燃料取り出し」を始めるという。実際には核燃料をどう管理して,どこに運ぶかさえも決まっていない。無理だといわざるをえない。事故処理や費用では,しばしば楽観的な数字,スケジュールが示される。早く終えたいのだろうが,廃炉の難しさについての誤ったメッセージになりかねない。

 日本の原子力政策の最大の問題は「なにがあっても変わらないこと」といわれる。それは,事故後も続いている。日本はいま,ほとんど原発なしで社会が動き,再稼働への反対も強い。なのに,原発に多くを依存する計画を維持している。高速増殖原型炉もんじゅを廃炉にしてもなお,核燃料サイクル実現をめざすという無理な目標をかかげ続ける。

 世界をみれば,原発は建設数が低迷し,建設費や安全対策費も高騰している。フランスのアレバ社や東芝のような原発関連の企業の苦境があらわになっている。しかし,日本政府は「いまも近い将来も原発の発電コストは安い」といいつづける。こうした無理な原発政策を続ければ,結局,ツケは未来の世代に回る。
 補注)どうして原発コスト「論」(?)については,このように馬鹿げた主張ができるのか不思議である。正確にいいたいのであれば「いまも近い将来も原発の発電コストは高くなっていく」と表現すべきだからである。

 日本をひっくり返した事故からほぼ6年。「のど元すぎれば」と関心も薄らぎつつある。そんななかで推定とはいえ毎時650シーベルトという衝撃の数字が現れた。私たちののど元に「忘れるな」と突きつけられた警告だ。原発政策の虚構をとりのぞき,コストと民意を重視する政策に変える。事故を起こした世代の責任だ。(引用おわり)

 政府当局・電力産業,それに最近は影が薄いというか,まるで隠れているような連中(原子力工学者の推進派の人びとや,そのほか原子力村に群がっている数多くの組織や人間たち)についていえば,とくに「3・11」以降は原発事業の推進結果(その経緯となかでも被災・損害)に対する重大な社会的・倫理的な責任が残されたままである。

 ともかくも,現段階に至っては「日本はいま,ほとんど原発なしで社会が動き,再稼働への反対も強い。なのに,原発に多くを依存する計画を維持している」のは,まったっく解せない国家側の基本方針である。なにが彼らにそういわせ・させるのか,注意を怠ってはいけないし,批判も放ちつづける必要がある。いまや人類・人間にとって原発事業はやっかいなお荷物であり,重い負担でしかなくなっている。つぎの ③ は最新の報道である。

 ③「東芝,米テキサスの原発計画撤退 巨額損失で継続困難」(『日本経済新聞』2017年2月20日朝刊)  

 東芝が米テキサス州の原子力発電所新設計画から事実上,撤退する見通しとなった。米原子力事業で巨額損失を計上するみこみになって以降,受注済みの海外の原発新設を見直す初の事例となる。東芝本体で手がける改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)の海外輸出第1号として2008年に計画に参画したが,進捗の大幅遅れもあり,現在の経営状況では継続は難しいとの判断に傾いた。

 今回,見直しの対象としたのは米電力大手NRGエナジーが主体の「サウス・テキサス・プロジェクト(STP)」と呼ぶ計画。3・4号機の原子炉建設を,米原子力子会社のウエスチングハウス(WH)ではなく東芝本体が受注していた。同計画の開発会社には東芝も出資しており,持ち分のとりあつかいについて今後詰める。建設予定だったのは,東芝本体で手がけるABWRという種類の原子炉。2基建設し,当初予定では2016年にも稼働する予定だった。

 東芝は,同計画の進行遅れに伴う減損損失を2013,2014年度に計720億円計上済み。3・4号機は現時点で着工しておらず,WHの巨額損失で問題となった土木を含む建設工事も手がけていない。関係者によると「新たな損失発生の可能性は少ない」という。東芝はWHが受注した米国などの原発新設の案件は,リスクを軽減しながら継続するとしている。

 原発の安全規制強化を受けて,同計画ではすでにNRGが建設に向けた大半の作業を中断。追加投資の打ち切りを発表している。東京電力も参画予定だったが,出資を見送った経緯がある。東芝は,NRGが手を引いたあとも計画の実現を模索し,2016年2月に米原子力規制委員会(NRC)から2基の建設運転の一括許可を受けた。

 しかし,同年5月に事業パートナーとしていた米エンジニアリング大手のシカゴ・ブリッジ・アンド・アイアン(CB&I)との協力関係の解消を発表。その後,NRCに申請していた原子炉建設に必要な設計認証の更新をとりさげた。CB&IとはWHが買収した会社の手続をめぐって米裁判所で係争中だ。東芝は同原発計画の近隣地のフリーポートでは,液化天然ガス(LNG)ビジネスを手がける予定だ。〔こちらには〕「原発計画の凍結の影響はない」(関係者)という。(記事引用終わり)

 東芝は大儲けできる目算があって原発事業に手を出した。ところが,いまではその事業部門がこの会社の生死を左右する,死命を制するかのような問題児になってしまった。この事実について本ブログ内は,2017年02月16日の記述「原発事業の将来性をみぬけなかった東芝幹部の意思決定」がくわしく議論していた。この記述の副題は以下の3点であった。

  【名門であろうとなんであろうと,原発事業進出で失敗した東芝】

  【会社は永遠ではないし,多分,東芝もそうでありうる】

  【原発は要らないし,実際にもう要らなくなっている】



 【皇室典範の21世紀的な意味はなにか?】

 【女性・女系天皇を置けば「男尊女卑ではなくなる」という意味は?】

 【天皇制問題の本質的なありかはどこに?】


 ① 皇室典範

 1)定義の問題
 皇室典範という法律が日本国には存在する。皇室法ではなく皇室典範と呼ばれる点をめぐっては,この国なりの特異な歴史事情がからみついている。天皇・天皇制に関しては現在,日本国憲法やこの皇室典範,さらには皇室経済法,皇統譜令,国事行為の臨時代行に関する法律などがある。

  法律とは,国会などで成文法を意味するが,より一般的には,統治者ないし国家により制定される実定法規範までも意味する。ここでは,実定法に関する説明がさらに必要である。法というものは,人間が実際に社会生活の必要のために,社会規範として作り出したものであるゆえ,その時代と社会の実情に応じてその内容もさまざまである。
丸山静雄表紙
註記)新日本出版社,2002年発行。

 旧大日本帝国陸軍には「典範令」という法律があった。これは,陸軍の各兵科に共通する軍隊内務令や陸軍礼式令などや,各兵科ごとにある操典,各兵科のなかの技術的な内容である教範,これらを総称して典範令と称していた。

 皇室「典範」を皇室「法」と呼称しないで,この典範をもって名づけていた事由は,そうした旧陸軍の法体系ともみくらべて探ってみる価値がある。敗戦前においては,天皇の統帥のもとに置かれていた「将兵のための典範令」が底辺にあれば,その頂点には,「天皇一族のための皇室典範」が聳え立っていた。

 2)皇室典範の昔といま
 旧と新の「皇室典範」第1章「皇位継承」のうち,旧皇室典範(明治22〔1989〕年2月11日)における第1条のほうは,こう規定していた。

  第1条 大日本国皇位ハ祖宗ノ皇統ニシテ男系ノ男子之ヲ継承ス

 この「旧皇室典範」は,明治22〔1989〕年2月11日に大日本帝国憲法とともに制定されていた。皇室の家法である特性に鑑み,その制定や改廃に関しては,帝国議会の協賛をうる必要はなかった。

 だが,敗戦後,昭和22〔1947〕年5月2日(これは日本国憲法施行日の前日であったが)に廃止された旧皇室典範の代わりとなる新しい法律,つまり現「皇室典範」(昭和22年法律第3号)が,つぎの第1条をもって制定されていた。

  第1条 皇位は,皇統に属する男系の男子が,これを継承する。

 新旧の皇室典範のあいだに「基本的な相違点はない」。あえて極端にその核心をみつめていうことにすれば,文言が漢字・カタカナ表記から漢字・ひらがら表記に変わった程度であった。敗戦後も,天皇たちは自分らが「祖宗ノ皇統ニ」列しているという自覚,いいかえれば,そういった信仰心(皇霊の1名になるのだという確信)を抱いていたのだから,字句・表現における異同,より正確にいえば表現の有無(条項の改変)そのものは,たいした問題ではなかった。

 敗戦には遭遇はしたものの,ともかく「国体は護持された」のである。しかし,国民(旧臣民)のための「その国体」ではなくて,どこまでも天皇家のための国体でしかなかった。この「神州の家長」があらためて「人間宣言」をさせられて,新憲法のなかでは「日本国とこの民を象徴する人物」に変身したのだから,深く考えてみるまでもなく,GHQ(マッカーサーとアメリカ政府)は,トンデモもなくマジック的な「押しつけ憲法」を,日本国民たちに賜わってくれたといえなくもない。

 しかしともかくも,国体じたいが護持さえできれば,敗戦直後における天皇と天皇一族は,自分たちが当面していたサバイバル目的にとっては,相当に上策だったと解釈されていた。江戸時代の大名家みたいな,御家おとりつぶしに遭わないだけでも,もっけの幸いであったのである。これは裕仁氏の本心でもあった。

 それにしても,事実「明治天皇睦仁も大正天皇嘉仁も正妻の子ではなかった」。この事実をみても明治以来の天皇家においては,「男系の男子の精子」に含まれる「生物としてのヒトのY染色体」,つまり男性から男性へと遺伝するその生物学的な因子が,このうえなく重要視されているわけである。女性天皇が存在しなかったわけではない,ともかくY染色体を有する,遺伝させうる男性天皇こそが「皇統の連綿」たる,いいかえれば「万世一系の尊き伝統」を継承しているのだという具合:理屈になっている。

 3)お世継ぎ問題はセックスの問題(性行為による後継者製作の努力)
 旧皇室典範をかこむ事情としては,こういう由来・経緯をしっておくことが便宜である。

 明治天皇や大正天皇には,多くのセックス相手がいた。建前上は,ある位以上の女官しか,セックスに誘ってはいけなかったが,女性の色香に迷うには男のつねである。しかも,子供を産ませることが奨励されていれば,天皇たちは気軽に女性に手をだした。明治天皇も大正天皇も,正妻の子供ではない。

 明治天皇と一条美子の結婚には法的規定はなく,美子が入内して「女御宣下」(天皇の寝所に侍する高位の女官であるという内輪の命令)があったのみであった。今日「古式ゆかしい」と伝えられる賢所大前での神前結婚の定式は,嘉仁親王(=大正天皇)と節子の結婚以後に定まったものである。

 皇室婚嫁令のみならず,近代天皇制を支えた法令の多くは明治以後に制定されたものである。すなわち明治以降,天皇制を確立するために,さまざまな手段が講じられた。とりわけ皇位の継承には,細心の注意がはらわれた。それが側室制度で,天皇たちは多くの女性とセックスをし,多くの子供を出産させた。しかし,その多くは小さいときに死んでしまい,なかなか育たなかった。

 ちなみに,昭和天皇の裕仁は,正妻・節子の子供であるが,節子は16歳で裕仁を出産している。つまり,大正天皇は15歳の節子とセックスをした。15歳とは,今日の中学3年生である。中学生のセックスを,世の親たちは奨励するだろうか。天皇にとってはセックスが可能なら,相手の年齢など,どうでもよかった。
 補注)現在ある法律としては,こういう関連の説明が必要である。日本の地方自治体が定める青少年保護育成条例のなかには,「淫行条例(いんこうじょうれい)」というものがある。これは,青少年(既婚者を除く18歳未満の男女)との「淫行」「みだらな性行為」「わいせつな行為」「みだらな性交」,または「前項の行為(=「淫行」など)を教え・見せる行為」などを規制する条文(淫行処罰規定)の通称である。が,ただし正式な名称ではないという。

 天皇と肉体関係をもったことにより,女官の発言力が高まり,隠然とした権力を手にすることもあった。また,天皇の生母であれば,発言力もました。大正天皇の母親である柳原愛子は,大きな影響力をもったらしいし,「魔女」といわれた今城誼子は,裕仁の妻=良子をつうじて,さまざまに影響力を行使したという。
 註記)http://www.netpro.ne.jp/~takumi-m/book/258-mikado_jokan.htm この住所は,現在削除されているので,つぎから引用。http://www.asyura2.com/0403/bd35/msg/773.html,小田部雄次「ミカドと女官 菊のカーテンの向こう側」。

 4)小田部雄次の見解
小田部雄次画像 ここでは,小田部雄次『雅子妃とミカドの世界』(小学館,2002年)の第4章「皇位の継承」「皇室典範の束縛」187-195頁が関連する議論をしているので,少し聞いてみたい。
 出所)画像は小田部雄次,http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14774978042276

 小田部雄次は「側室がいなければ,明治天皇の皇位継承者は生まれなかったのである」(191頁)が,それでも「明治国家がその支えとした家父長制の権威を保つためには,女帝の存在は厄介であったのだ。女帝の否定は,維新以前が培われてきた男尊女卑の思想の結果でもあった」(193頁)。

 昭和の時代「裕仁天皇にはなかなか男子が生まれず,このため元宮内大臣の田中光顕が天皇に側室を復活するように唱え,その候補まで選んだのであった」(194頁)が,その後,いまの天皇明仁(1933年12月23日誕生)と義宮正仁(よしのみや・まさひと)を産んでいた。
田中光顕画像
出所)田中光顕,元宮内大臣で,動乱の幕末期を駆け抜け,
生き抜いた「最後の生き証人」としてもしられる

http://sakawa-kankou.jp/tanaka.html


 小田部雄次が示したこの問題についての結論は,21世紀における皇室問題に話は飛ぶことになるが,「両妃〔雅子と紀子〕の負担を軽くしようと思えば,あとは皇室典範の規定を変えるしかない。条文的には,新皇室典範の第1条『皇位は,皇統に属する男系の男子が,これを継承する』の『男子』を『子女』にすれば済むことだ」というふうに提言されていた。もっとも,この提言は2002年におけるものであって,天皇明仁の次男秋篠宮夫婦がその後に産んだ男子・悠仁(2006年9月6日)が登場する以前になされていた。

 ② 戦後レジームの否定も克服もできない安倍晋三の政治

 安倍晋三のいう[戦後レジームの否定・脱却」は,そうした明治時代にできた皇国思想を,21世紀のいまから逆にわざわざ志向するものでしかない。また,日本本来の古代史からの天皇・天皇制とはほとんど縁もゆかりもない,非常に奇異な〈独自の発想〉であったというほかない。

 それでもただ,なおも「家族の絆」だといってこだわるような彼流の「家・家族観」は,封建時代の思想・観念を21世紀の現段階にもちこもうとする,それでいて,アナクロと非難するにしても実にヘンテコな「今日における〈トンデモの歴史観〉?」でしかない。

 その「家族の絆」という実体が “明治の時代にしかありえなかった” かのように,ひたすら夢想していて止まない「安倍晋三の家族社会観」なのであれば,これにともない「男尊女卑の思想」がまたその前面に押し出されてくるほかない。

 すでに男女雇用機会均等法(1985年)があるが,この法律が制定されてもその実効性の阻止のためにいろいろと妨害してきたのが,因習・固陋である旧封建思想の持ち主たちであった。これはもちろん「男側」からの反応であった。ところが,いまごろになってもまだ,安倍晋三という政治家は,旧態依然の封建思想に脳細胞を占拠されたごとき家・家族観にこだわっている。

 『日刊ゲンダイ』につぎのような批判が記述されていた。
★ まるで戦時体制 自民が提出「家庭教育支援法」
本当の狙い ★

=『日刊ゲンダイ』2017年1月18日 =

 戦争準備は共謀罪だけじゃない。今〔1〕月20日に召集される通常国会で,自民党が議員立法で提出する予定の「家庭教育支援法案」。核家族化など家族をめぐる環境変化での公的支援のためというが,とんでもない。狙いは国民を “イエスマン” に仕立て上げ,戦争でもなんもできるような体制づくりだ。安倍政権は天皇退位や共謀罪を尻目にコッソリ通そうとしている。

 「保護者が子に社会との関わりを自覚させ,人格形成の基礎を培い,国家と社会の形成者として必要な資質を備えさせる環境を整備する」。

 自民党の支援法案が描く社会は戦時体制そのものだ。戦時中の1942年,国民を戦争に総動員するため,「戦時家庭教育指導要綱」が発令された。「家生活は常に国家活動の源泉」として,子どもの “健全育成” を親に要求。 “相互扶助” という名目で「隣組制度」がつくられ,地域住民は各家庭で国家が求める “教育” が徹底されているかを見張りあったのだ。

 国家に従順な子を育てよ。

 今回提出される法案も当時とソックリ。地域住民について,「国と地方公共団体が実施する家庭教育支援に関する施策に協力するよう努める」とあり,さらにそれは「責務」というのだ。政治評論家の山口朝雄氏がいう。

 「家庭教育支援というなら,奨学金や育児のインフラ整備など教育しやすい環境を整えるのが政府の仕事です。そういう必要な支援はせず,親に委ねられるべき教育の中身に政府が介入し,国家にとって都合の良い人材育成を親に押しつけている」。

 「つまり,支援法は国家が家庭内教育をコントロールして,国家に都合が悪い人材をできるだけつくり出さないためのものなのです。家庭教育支援法案と共謀罪は従順な国民づくりのための両輪といえるでしょう。仮に両法案が成立すれば,戦時体制で政府がもっていた治安維持のための法的ツールをすべて安倍政権に与えてしまうことになります」。

 これが安倍政権が考える「1億総活躍社会」の正体だ。なんとしても阻止する必要がある。
 註記)http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/197667/1
    http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/197667/2
 最近の日本における内政の模様は,天皇家の家長明仁と首相である安倍晋三との駆け引きが露骨な様相を呈している。皇室(天皇)をめぐる関係者たちの綱引き状況が,複雑化していると観てよい。安倍晋三政権になってからこの日本国は,旧大日本帝国にはけっして戻れもしないのに,なにもみえてもいないその方向にをあとずさりしたがっている。

 その様子は,極右化ばかりする政治状況であることよりはさらに,単に了見のせまい世襲政治家がたちが「自分の身の丈に合っただけのタコツボ」に入りたがっているタコ連同然に映る。それが安倍晋三自民党,ご一統様である。

 GHQの「敗戦:押しつけ憲法」が,誰かにとってはそれほど嫌なものであるとしても,実は,国民たちが天皇一家とともに,それよりももっと強く嫌がっているものが「自民党仕様の封建遺制風の改憲案」である。はたして,安倍晋三君はしっているのか。

 いまの天皇は「国家元首」になる気はない(すでに「そのまがいもの」にまでは十二分に到達できているゆえ,実際のところ,それ以上は望んでいない)。息子も同じはずである。それにしても,天皇を一番上に置いているような,そしていま,このような議論の対象になって「日本国」と「この憲法」そしてこの「皇室典範」とは,いったいなんなのであるか?

 つぎに引用する新聞への投書は,本日のこの記述中では冒頭に出そうかと思っていた文章であるが,なぜかこの末尾にまわしてみた。
〈声〉女性天皇の排除は許されない
邉見 端;中高教員(東京都 67歳)
=『朝日新聞』2017年2月15日朝刊「声 」欄=


 天皇陛下の退位をめぐり,皇室典範が注目されている。この機会に,皇室典範が女性天皇を排除していることについて,国民の1人として疑問を呈したい。

 皇室典範は「皇位は,皇統に属する男系の男子が,これを継承する」と定めている。このため,「天皇は男性がなるもの」と考える人が多く,そうした固定観念が社会に根づいていると思う。

 しかし,そもそも憲法2条は皇位について「世襲のものであつて,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する」と規定するだけで,性別は限定していない。また,憲法14条は法の下の平等を定めており,男女差別は否定されている。

 さらに憲法98条では,憲法は「国の最高法規」とされ,それに反する法律は効力を有しないとされている。したがって,法律のひとつつである皇室典範も,憲法に抵触することは許されないはずだ。

 こうしたことから考えると,皇位から女性や女系を排除している皇室典範は憲法に反しており,無効なのではないか。この問題について,ぜひいまこそ,国民みんなで考えてみようではないか。


 【国家的な「知恵のなさ」を暴露してきた高速増殖炉『もんじゅ』の廃炉費は,とりあえず(当面)3750億円だというが?】

 【東電福島第1原発事故現場の後始末(とりあえずは「21.5兆円」かかる)は,これからも実質においては「半永久的に続くかもしれない」《悪魔の火》との苦闘でありつづける】

 【放射能物質〔の被害・損害〕は,人間1人ひとりの寿命に比べれば「永遠(?)に不滅です!」】



 ① 東電福島第1原発事故による避難指示地域解除

 1)「避難指示解除受け入れ 福島・富岡町」(『朝日新聞』2017年02月18日朝刊)
 東京電力福島第1原発の事故で町民全員が避難している福島県富岡町は〔2017年2月〕17日,「帰還困難区域」以外の避難指示を4月1日に解除するという政府の方針を受け入れることを決めた。

 対象となるのは,「居住制限区域」の3342世帯8261人と,「避難指示解除準備区域」の488世帯1317人で,合計3830世帯9578人(いずれも1日現在)。「帰還困難区域」(1624世帯3982人)は4月1日以降も避難指示が続く。

 2)「福島・富岡町,避難指示の一部解除受け入れ決定 4月1日」(『日本経済新聞』2017年2月18日朝刊)

 東京電力福島第1原子力発電所事故で全域が避難指示区域となっている福島県富岡町は17日,避難指示の一部を4月1日に解除する政府提案の受け入れを決めた。町議会の全員協議会で宮本皓一町長が「避難指示が継続されることで,ふるさとを未来につなげることが困難になる。(解除時期の受け入れを)判断したい」と表明。議会も承認した。

 避難指示解除は,放射線量がもっとも高い帰還困難区域を除く居住制限区域と避難指示解除準備区域の約9600人が対象。全町民の7割に相当する。協議会で政府の原子力災害現地対策本部があらためて解除に理解を求めた。町長の受け入れ表明を受け,高木陽介本部長は「避難指示解除後も,政府一丸となり,町民1人ひとりに寄り添ってしっかり支援していきたい」と話した。

 宮本町長は終了後,記者団に「(避難指示が続けば)富岡町の再生,文化の継承が途切れてしまうとの強い思いがあった」と強調した。

 ②「〈原発事故〉帰還困難区域除き避難解除へ」(『河北新報』2017年1月4日,http://www.kahoku.co.jp/tohokunews/201701/20170104_63010.html)
   
 東京電力福島第1原発事故に伴う福島県内の避難指示は2017年春,浪江町など4町村で帰還困難区域を除いて解除される見通しだ。すでに解除された自治体では住民帰還の足どりは遅く,地域再生に向け,安心して暮らせる環境整備の加速などが求められる。第1原発が立地する大熊,双葉両町の避難指示は,帰還困難区域以外を含めて続く。政府が2015年6月の閣議決定で「2017年3月末まで」とした同区域を除く全域での解除は不可能な状況だ。
 河北新報2017年1月4日画像2河北新報2017年1月4日画像1
 国は今〔2017〕年春,浪江町,富岡町,飯舘村の帰還困難区域を除く全域と,川俣町山木屋地区の避難指示を解除する。飯舘村と川俣町は3月31日の解除が決定。浪江,富岡両町には1月中にも解除日を伝える見通しだ。

 これまでに解除された自治体の帰還者数などは表のとおり。もっとも早かった田村市都路地区東部以外は帰還率が低迷し,帰還者は高齢者が多い。楢葉町と南相馬市小高区では2017年春,学校が地元で再開される予定で,子育て世代がどれだけ戻るかが地域の今後を左右するとみられる。

 県避難地域復興局の成田良洋局長は「避難指示の解除はあくまでスタート。医療や買い物の環境,交通網を整備し,住民帰還が進む地域づくりを後押しする」と強調する。一方,大熊,双葉両町は帰還困難区域が大半を占める。国は2017年度以降,同区域内で国費による「特定復興拠点」の整備や除染を進める。

 大熊町は居住制限区域の大川原地区を独自に復興拠点と位置づけ,2018年度中に町役場新庁舎を建設。約50世帯分の災害公営住宅や商業,宿泊施設を整備する。双葉町は海沿いにある避難指示解除準備区域に「新産業ゾーン」などを設定し,2020年度までの避難指示解除をめざす。帰還困難区域のうち,放射線量が低い地域で2023年度ごろに居住が可能となる計画を打ち出す。(記事引用終わり)

 東電福島第1原発事故による周辺の地域社会に対する被害は,東日本大震災の起きた2011年3月11日後のほぼ1週間内には発生していた。前段に引用した記事は,最後の段落で「帰還困難区域のうち,放射線量が低い地域で2023年度ごろに居住が可能となる計画を打ち出す」といっていたけれども, 以上の報道内容に関してたとえば,楢葉町のホームページはつぎのように説明している。
◆ 避難指示解除後の町内帰還世帯・人数について ◆
= 2016年05月17日 =


 平成27年9月4日現在楢葉町に住民登録されていた方の帰還状況を公表します

 楢葉町は平成27年9月5日に原発事故に伴う避難指示の解除に至りました。町では防災・防犯上から,避難指示解除後に楢葉町に戻られた方の把握に努めており,町民の皆様には「町内居住者確認票」の提出をお願いしています。

 町内帰還状況を月毎に公表いたします。

  ※ 避難指示解除後に楢葉町に転入された方は含んでおりません。
  ※ お問い合わせ 楢葉町環境防災課 TEL:0240-25-2111

 註記)http://www.town.naraha.lg.jp/information/genpatu/001261.html
楢葉町帰還者数統計表
 なお,上にかかげた表(画面 クリックで 拡大・可)は2017年2月3日現在の状況である。昨年(2016年)4月28日からほぼ1ヵ月ごとの統計がとられてきている。「帰還率」に注目したい。
 ③ 「もんじゅ廃炉費3750億円超 負の遺産,国民にツケ」(『東京新聞』2016年12月20日朝刊)

 1)記事本
政府は〔2016年12月〕19日,高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)を廃炉にする一方,新たな高速炉を開発する方針を固めた。福島第1原発の事故処理費用も,ほとんどを国民の電気料金で賄うことが固まったばかり。1兆円超の国費をかけてきたもんじゅ『東京新聞』2016年12月20日朝刊もんじゅ画像失敗の反省もないまま,原子力政策維持のための国民負担が膨らみつづけることになる。

 もんじゅを廃炉にする方針は文部科学省で開かれた「もんじゅ関連協議会」で,松野博一文科相が福井県の西川一誠知事に伝えた。西川氏は「もんじゅの総括が不十分だ」などと反発し,政府は再び説明する場を設けると約束。しかし,年内に関係閣僚会合で廃炉にすることを正式に決める方針に変わりはない。

 もんじゅは36年間で1兆410億円の国費を投じたにもかかわらず,トラブル続きでほとんど稼働していない。大量の機器で点検漏れも発覚し,原子力規制委員会は運営主体を現行の「日本原子力研究開発機構(原子力機構)」から変更するよう求めたが,みつからなかった。

 文科省は廃炉には2030年で3750億円以上かかると試算。存続を求める福井県と敦賀市に配慮し,もんじゅと周辺地域を高速炉など原子力の研究開発拠点と位置付け,もんじゅ内に新たな試験炉を設置する方針もまとめた。

 一方,政府は官民会議「高速炉開発会議」も開き,もんじゅに代わる新しい高速炉の開発に着手する方針を確認した。もんじゅで得る予定だったデータは,仏政府が計画する高速炉「ASTRID(アストリッド)」に資金を拠出して共同研究に参画したり,もんじゅの前段階の研究に使われた実験炉「常陽」(茨城県,停止中)を活用することでえられると結論づけた。

 しかし,アストリッドは設計段階で,日本の負担額は分からない。常陽も,福島第1原発の事故を受けた新しい規制基準に合わせて耐震などの工事をしており,費用は不明。さらに,新たに高速炉を建設する場合,構造が複雑なため建設費が通常の原発より数倍は高いとみられている。これから投じられる国費の規模は,めどすら立っていない。

 原子力政策をめぐっては,福島第1原発の廃炉などの処理費用が従来予想から倍増して21兆5千億円かかる見通しとなり,政府はほとんどを国民の電気料金や税金でまかなう構え。福島第1を除く原発の廃炉費用の一部も電気料金に上乗せする方針で,国民の負担が増え続けている。
 
 2)関連の議論
 国費の無駄づかいというよりは,初めからドブにカネを捨ててきたのが,高速増殖炉「もんじゅ」の経歴であった。冗談にもならないような原発政策の大失敗もなんのその,「ダメだったのだからしかたないでしょう……」という程度での後始末というか,完全に無責任な計画棄却である。この重大な責任をとる人間も組織も,どこにもいない・存在しないのだから,国家支配側や担当官庁省局の無責任は,いつ果てることも分からないまま,ひたすらいまも拡大再生産されつづけている。
                                                                
 本日〔2017年2月18日〕の『朝日新聞』朝刊「オピニオン」欄には,「〈ニッポンの宿題〉たまるプルトニウム-ジア・ミアンさん,勝田忠広さん」という見出しで,「核兵器の原料となるプルトニウムを,日本は大量に持ち続けています。かつては『夢のエネルギー源』といわれましたが,利用計画は進んでいません。日本の核物質の扱いを定めた日米原子力協定が来年満期を迎えます。『お荷物』をどうするか,考えませんか」と問う議論(見解の表明)を,上記の2名がおこなっている。長文なので活字では引用せず,画像資料にして参照してもらう。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2017年2月18日朝刊オピニオンプルトニウム対談
 だが,それにしても原子力のことを「夢のエネルギー」とはよくいったものである。もともと,サタンからの贈り物であるほかなかった原子力エネルギーであった。要するに,原水爆に応用して兵器として使用するには最適であっても,つまり,殺人・破壊のためであれば非常に有効に活用できるそれであっても,電気をえるために応用された「原発という装置・機械」の狙いのほうは,原子力とを燃料に応用した物理化学的な〈電気造り〉の方式としては,けっして最適な効果を挙げうるものではなかった。

 原発はむしろ,原発事故という非常に危険性の高い過酷・重大な事故を起こす可能性を,常時かかえこんでいる装置・機械である。実際に,1979年3月28日にスリーマイル島原発事故,1986年4月26日にチェルノブイリ原発事故,2011年3月11日に東電福島第1原発事故といった深刻な原子炉の溶融事故を起こしてきた。これからも同じような事故が起きないという絶対の保障はない。

 本ブログ筆者は,原発は《悪魔の火》=「核燃料」を用いて釜を焚き,この上に乗せたヤカンの水を沸かし,発電用のタービンを回転させる方法で電気を生産する方法であるゆえ,この電気を入手するための技術方式は「人間がとりあつかいうる,それも通常許され原子炉・建屋画像る範疇からは逸脱している」と考えている。
 出所)画像は東電福島第1原発「原子炉」に関する図解,http://kobajun.chips.jp/?p=18565

 この考えは,原子力・原発問題の専門家(脱・反原発の立場の人びと)であれば,誰でもが共通して認識している立場であり,エネルギー観である。

 もんじゅについては,分かりやすく解説した書物がある。子ども向けの反原発の立場から執筆された啓蒙書も公刊されていた。ここでは本ブログですでに,2015年11月26日「高速増殖炉の商業運転にこだわる原発推進論者の空虚な主張」でもんじゅ君の問題点画像紹介したつぎの2著を,再度かかげておく。
おしえてもんじゅ君表紙
 左側は,小林圭二監修・もんじゅ君『さようなら,もんじゅ君-高速増殖炉がかたる原発のホントのおはなし-』河出書房新社,2012年3月。

 右側は,大島堅一・左巻健男監修,もんじゅ君 著 『おしえて!  もんじゅ君-これだけは知っておこう 原発と放射能』平凡社,2012年3月。

 ④「〈追跡原発〉溶融燃料 厳しい現実-ロボ調査に難題続出」32面,「水との闘いなお-凍土壁 効果は『限定的』」「原発解体遠い道のり-核燃料搬出,再び延期」33面
   (『日本経済新聞』2017年2月18日朝刊32・33面見開き記事)
             ( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『日本経済新聞』2017年2月18日朝刊追跡原発溶融燃料きびしい現実
 この「福島原発事故6年特集」は見開き2面を充てた大々的な特集解説記事である( ↑  画面 クリックで 拡大・可)。こちらも本文を全部引用するとただ長くなるだけなので,ここでは主に,作図されている図表を紹介しておく。(以下,↓  画面 クリックで 拡大・可)
 
 ☆-1 32面「水との闘いなお 凍土壁 効果は『限定的』」から。
『日本経済新聞』2017年2月18日朝刊32面追跡原発画像2
 ☆-2 32面「原発解体,遠い道のり 核燃料搬出,再び延期」
『日本経済新聞』2017年2月18日朝刊32面追跡原発画像1
 ☆-3 33面「溶融燃料 厳しい現実,ロボ調査に難題続出」
『日本経済新聞』2017年2月18日朝刊33面追跡原発画像
 この記事の冒頭での「解説」は,デブリ化した「溶融燃料」とりだしのための準備作業段階においてからすでに当面していた「厳しい現実」を,つぎのように断わることから書き出しはじめている。
    東京電力福島第1原子力発電所事故からもうすぐ6年となる。津波で電源が失われ,炉心溶融(メルトダウン)を起こした1~3号機の周りには現在,大型クレーンが立ち並ぶ。

 廃炉に向けた作業は順調に進んでいるようにみえるものの,溶け落ちた核燃料の詳細はつかめないままだ。廃炉作業で最難関である溶融燃料取り出しは見通せない状況で,計画どおり今後30~40年で廃炉が完了するのだろうか。
 この疑問に対する答えとしては,誰であっても,確たる年限を予想だにできないでいる。ともかくも「計画どおり今後30~40年で廃炉が完了する」ことはありえない。この点は原発事故がなかったとしても,廃炉工程の作業そのものにとりくんできた先行事例に照らせば,そのようにしか判断できない。東電福島第1原発「事故現場の後始末」の場合からしても,その作業日程の実際における進捗ぶりが不調であること(=遅々としている現状)は,申すまでもない事実である。

 福島第1原発事故の状態を観てあらためて,こういう指摘(これは1990年時点の発言である)を想起しておく必要がある。警告があったのに,福島第1原発事故が再発したのである。
    原発の場合,一度でも大きな事故を起こしたらそれで終わりである。整備された基準や指針で古い原発の安全性が見直されねば,それらを整備する本当の意味はない。ここに,他の分野の技術基準の整備との根本的な違いがある。しかし先に『原子力白書』の文に,「一つ大事故をおこせばすべては終わる」という危機感はみてとることができない。
 註記)田中三彦『原発はなぜ危険か-元設計技師の証言-』岩波書店,1990年,72頁。
 「3・11」以後においては,日本の原発全基が停止していた時期があった。2013年9月~2015年8月のことであった。その間にも再生可能エネルギーの開発・利用は進展していき,いまでは原発の稼働は,電力会社の採算問題(営利追求・資本の論理)にこだわる以外には,その必要性:理由がなくなった。《悪魔の火》〈金儲けの銅臭情欲〉を天秤にむりやりに乗せて計量し,できもしない均衡を図ろうとしてきた結果が,つまるところ「一つ大事故をおこせばすべては終わる」ような状況を招いたのである。

 チェルノブイリ原発事故は旧ソ連邦を崩壊させる重要な一因になったといわれてもいる。日本では「3・11」を「第2の敗戦」と指称している。「第1の敗戦」のときのように,国土の大部分が焼け野原になったわけではないものの,この「第2の敗戦」の顛末においては「自分のふるさとに帰還できない人びと」を大勢出している。この相違点において「双方の敗戦」の意味は,基本から異質なのである。

 前者では,原爆投下や空襲攻撃によって焼け野原になっていた地方で,復旧できなかったと場所はない。だが,後者では,被曝地は地元の人びとに対して,ふるさとに帰還させない被害地を残存させている。広島・長崎に投下された原爆は当初,その地には人間が住めなくなるのではないかと心配されたが,そうはならなかった。東電福島第1原発事故の被害を受けた市町村の現場のなかには,その種の同じ心配がそっくり残っており,まさに現実になっている。この違いは「同じ敗戦」と形容されなかでも,なにか大きな意味を生んでいるはずである。

 戦争のための原爆は,《悪魔の火》をこの名のとおり悪魔的に使用する兵器であるのに比して,発電のための原発は,その同じ火を平和的に利用するのだといいながら,いまでは結局「悪魔の所業」と寸分変わらぬ,つまり「戦争という非常事態」に似た・相当するような,より具体的に指摘すれば「東電福島第1原発事故現場」とこの周辺地域を出来させている。

 ⑤ 原爆と宗教-「原発『神が与えた人間の位置,逸脱』」(『朝日新聞』2016年12月19日朝刊「文化・文芸」)

 日本のカトリック教会が原発をめぐる思索を深めている。5年前にも即時廃止を呼びかけたが,〔2017年〕11月11日に発表した司教団メッセージでは信仰の視点からの検討が厚みを増した。再稼働や原発輸出を進める政府〔を〕も事実上批判している。
『朝日新聞』2016年12月19日朝刊原発と日本カトリック画像
 1)メッセージや書籍で…「即時廃止」強める
 司教団は,全国の司教(現在16人)の総意として教会の方向性を決める。2001年には,21世紀を迎えてのメッセージのなかで核エネルギーの問題に触れた。「その有効利用については,人間の限界をわきまえた英知と,細心のうえに細心の注意を重ねる努力が必要でしょう」。代替エネルギーの開発を求めてはいるが,原発容認の内容だった。

 しかし東日本大震災で,福島第1原発の事故が起きた。痛切な反省から2011年のメッセージは,国内すべての原発の即時廃止を呼びかけた。ただ神学的な根拠としては,神から求められる生き方である「単純質素な生活様式」を選び直すべきだ,とする程度にとどまった。その後も議論は続く。刺激となったのは,やはり多くの原発を抱える韓国の教会が発した声だった。

『核技術と教会の教え』韓国カトリック教会表紙 福島の事故に衝撃を受けた韓国カトリック司教協議会は2013年,冊子『核技術と教会の教え』をまとめた。「(核の技術は)生存権と環境権をひどく傷つけ,また,人権に反するものとして,キリスト教の信仰の出発点であり完成である,神の創造の業(わざ)と救いの歴史を否定するものである」と踏みこんでいる。両国の司教たちは意見を交わし,信仰から原発問題を照らしていった。

 ローマ法王庁(バチカン)は原発反対の態度を明確に示しているわけではない。しかし,各国の教会はそれぞれの問題意識を表明する自由がある。法王フランシスコが昨年出した公的書簡で「エコロジカルな倫理」の大切さなどを唱えていることを踏まえ,今回の日本の司教団メッセージはこう論じた。

 「人間は神の似姿として,共通善にかなった自然との正しいかかわりへと立ち戻らなければならないと,わたしたちは考えます。人間は本来,自分自身との関係,他者との関係,大地(自然環境)と今こそ原発の廃止を表紙の関係,そして神との関係において調和があってこそ,平和で幸福に生きることができるのです」。

 このメッセージと並行して,日本カトリック司教協議会は『今こそ原発の廃止を』を今〔2016〕年10月に発刊した。300ページ近い書籍の半分余りは核の歴史や問題点に割いている。残りを「脱原発の思想とキリスト教」に費やしたのが特徴だ。

 この世界でわたしたちはなんのために生きるのか,地球からなにを望まれているのか。公的書簡での法王の問いかけだ。それをもとに同書は「人間による核エネルギー利用は,神が与えた自然における人間の位置づけからは逸脱している」と断じている。
光延一郎神父
 編纂(へんさん)委員会代表で,上智大学神学部長の光延一郎神父は「宗教の役割は倫理的な視点から問題提起すること。2011年に原発の即時廃止が打ち出されましたが,根拠をきちんと文書で示すべきでは,との思いが司教方にはありました」と話す。
 出所)画像は光延一郎,http://www.labornetjp.org/worldnews/korea/knews/00_2015/1442252046690Staff/view

 福島の教会内には原発関連の仕事をする信者と家族もいる。光延神父は「考えを押しつけるつもりはなく,議論や学習のきっかけにしてもらいたい」。それでも「いのち」に関わる問題だけに世界の教会や法王庁に働きかけ,原発廃止の大きな流れにつないでいきたいという。

 2)「判断困難」「脱依存」,割れる対応 仏教界
 仏教界はどうか。曹洞宗は2011年に宗派として,原発停止は望ましいとしながらも,雇用問題など解決すべきことが多いため是非の判断は「非常に難しいのではないでしょうか」とする見解を出した。一方で,全国各地の代表者からなる宗議会は翌〔2012〕年,原発に頼らない社会に向けたとり組みを求める決議文を採択,微妙な揺れをみせた。

 態度を明らかにしない宗派も多いなか,臨済宗妙心寺派は宣言「原子力発電に依存しない社会の実現」を発表。真宗大谷派(東本願寺)も同様の見解を出し,公開研修会をいまも定期的に開いている。
大谷光真画像
 浄土真宗本願寺派(西本願寺)の大谷光真・前門主は原発の問題点を繰りかえし指摘している。教団として「脱原発」を打ち出してはいないが,付属の総合研究所は映画上映会など「原発学習」の場を継続的に設けている。
 出所)画像は大谷光真,http://mainichi.jp/univ/articles/20160911/org/00m/100/013000c

 香川真二研究員は「シロかクロかと答えを出すのが正しいとは限らない。意見の異なる者同士がどのような世界をめざすべきなのか,参加者1人ひとりに考え続けてもらうことこそ,いま大切だと思うのです」と話す。(記事引用終わり)

 さて,ここで思い起こすのは,戦時体制期(「第1の敗戦」をもたらした)における日本のカトリック界(広くはプロテスタントも含めたキリスト教会全体)や仏教界が,戦争という事態にどのように対峙していたかである。原発の問題は,戦争の問題に比べればまだとり組みやすい論点であるかのように観察できる。
『朝日新聞』2011年6月22日朝刊高木仁三郎
 原発の問題は宗教的な含蓄でいえば,反原発論者の代表格である高木仁三郎が,1990年にこういう発言をしていた。

 おそらく,隣組体制の復活まで含めた,戦時的な体制が防災にとっては[理想」になるかもしれない。そんな体制もまた,「プルトニウム社会」のけっしてありえぬことではない未来像だ。

 「われわれ原子力関係者は社会とファウスト的取引をしている。一方で--原子炉を通じて--われわれは,尽きることのないエネルギー源を提供する。……しかし,われわれは,これまでまったくなじみのない,不断の警戒が可能で長続きのする社会制度を社会に要求している」。

 原子力推進論者であるアメリカの物理学者ワインバーグの言葉である。
 註記)高木仁三郎『プルトニウムの恐怖』岩波書店,1981年,192頁。

 この高木の警告(忠告)からすでに四半世紀以上が経過した。人間はいつから,これほどまでに多くの,高い「バカの壁」=『原発』を,自分の周囲に築くようになったのか? 愚かである。悪魔を相手にできるのは神だけであって,人間ではない。分かりきったことではないか。信心があるとかないとかの,以前・以外に認識すべきことがらであった。


 【日本は再生可能エネルギーの開発・利用に恵まれた国土(風土)を有する事実に目をふさぐ竹内純子(『朝日新聞』2017年2月15日朝刊オピニオン欄)の意見は,

 原発を「使うリスクと,使わないリスクを比較考量して」などと,すでに前提条件そのものが瓦解している比較考量を,あえて「想定して話を進める〈過ち〉」を意図的に披瀝しつつも,原発を「やめると決めるのならよいたたみ方を考える」などと,結論の判りきった〔「やめたほうがいいの決まっている〕原発関連の議論を,いつまでも四の五のしているつもりである】

 【「再生可能エネルギーは急速に増えてはい」るという現実を,極端に過小評価する見地は,現実をやぶにらみどころか,薄目にでもきちんと正視しようとしていない】


 以上,赤太字でいつもかかげる本ブログの副題であるが,これは先日〔2017年2月15日〕の記述においてとりあげていたが,詭弁と目くらましの議論を盛んに展開するばかりであった竹内純子(国際環境経済研究所理事)の,完全に間違った,それも意図して「騙竹内純子画像2る」かのような論法を批判している題字である。
 出所)画像は竹内純子,http://diamond.jp/articles/-/54749

 いまどき,原発の積極的な推進(日本でいえば再稼働)を勧める議論をする,しかも「環境」という文字をつけた〈理事・肩書き〉でモノを騙る--だから語るではなく騙ると修辞しているのだが--論法は,すでに破綻している「原発推進にかかわる利害とこの関係」を如実に反映させている。この論法の特徴は,その口調の思わせぶり的な個性はさておき,原発の必要性に執着している〈原点〉を探って判断すれば,まったくの謬説の立場であると論断されてよい。

 先日〔2月15日〕の翌日(16日),つぎの ① に引用するが,再生可能エネルギーの開発・利用を奨励する記事が報道されていた。これを読むと,原発の推進や再稼働を提唱する立場がいかに馬鹿げているかということや,今後もさらに再エネの推進に向かうほかない基本事情についても納得がいくはずである。原子力村の面々にとってみれば,再エネが順調に進展している現状は,おそらく脅威なのであり,忌むべき現象なのである。

 ①「自然エネ100%,日本で実現すると『84兆円お得』WWFジャパン試算」(『朝日新聞』2017年2月16日夕刊)

 世界自然保護基金(WWF)ジャパンは〔2017年2月〕16日,日本が2050年までに石炭や石油などの化石燃料に頼らない「100%自然エネルギー」を実現すれば,必要な設備費用を投入しても,燃料代節約などで84兆円の「得」になるとの試算を発表する。地球温暖化対策の国際ルール「パリ協定」がめざす脱炭素社会は実現可能だとしている。
 補注)それにしても,東電福島第1原発事故現場の後始末のために,いまの時点で見積もられている金額だけでも「21.5兆円」である。これからさらに膨らむ見通しを否定できる者(専門家のこと)はいないはずである。この金額と比べて読む記事だとすれば,こちらの原発事故の被害・損害が金銭的には驚愕すべき水準にある。この事実は注目されねばならない。

 原発推進論の立場からは,発電コストが一番安いのが原発だと喧伝されてきた。しかし,いまとなってみれば「原発安価論」は,デマでなければ,単なる虚説でしかなかった。このことは確認済みであって,いまではその「原発安価論」はどこかへ雲散霧消している。おまけに,原発コストがこれからも高くなっていく展望だけは確実である。

 試算によれば,2010~2050年の約40年間で,設備費用は産業部門や家庭での省エネに191兆円,太陽光などの自然エネルギーの導入に174兆円の計365兆円が必要な一方,化石燃料の消費が減って449兆円の節約になるという。温室効果ガスの排出量は2010年に比べて95%削減できるとした。
 補注)原発事故収拾・対策のために必要な経費は,結局そのすべてを,国民の負担・血税に求めて調達されるほかない。そのような,ムダどころか二重の浪費になっている事故対策費に充てられるような予算があるのであれば,これははじめから,自然・再生可能エネルギーの開発・利用の領域に充てていればよかったものである。逆にいえばまた,電源調達のための必要な予算は二重の意味で大きく低減されえたはずである。

 しかし,ここでの話題は「はず」であるという表現でしかいえない。現在における日本のエネルギー事情についていえば,再エネ事業体制の促進を抑制(妨害)する要因になっているのが,いまだに40基以上も残っている原発である。設備投資計算の見地でいえば,この原発は再稼働しないと,原価計算的に観ても損失ばかりが発生させていく。

 かといって,とくに事故を起こした原発の場合では,廃炉工程に立ち入る前の段階からすでに,事後対策のための膨大な処理費用が発生している。この点はいまからよく透視できているが,これにくわえてさらには,使用済み核燃料の後始末にあっても非常な苦労をさせられる事実も,既知である。いうなれば,原発利用の結果生じている “三重苦” は,日本の経済・社会にとって度外れの水準までの負担になっている。この話題が理解しにくいという筋には,東電福島第1原発事故現場における汚染水問題後始末状況を思いおこせばよいのである。

 そもそも,そうした類いの事故対策工事が「いったいいつになったら終わらせられるのか」という技術的な論点からして,これに答えを明示できる専門家は1人もいない。この事態そのものがすでに悲劇を意味し,原発の「公害」性に潜む〈悪魔性〉,つまり人間の手には負いきれない始末になっている深刻な事態を明示している。そして,この始末をどのようにしたら,今後において「始末にメドのつく方途」にまでもっていけるのかについても,これに対する確答をできる専門家もいない。

 現在ある技術が広く普及すれば,エネルギー需要は2010年比で47%減らせると試算。すべて自然エネルギーで賄えるとし,国内の気象データから太陽光と風力の発電量は2対1の割合が望ましいとした。2030年ごろから自然エネルギー発電で余った電力から水素をつくって活用すると想定している。
 補注)「原発が発電する電力」について原発推進論者は,この原発の電力の生産量」を基礎(ベース)に置いてこそ,消費者側が適応的に使用しなければいけないかのような「理屈を立ててきた」。いわゆる〈ベースロード〉という概念が,その理屈を根拠づけるためにもちだされている。だが,このベースロードの理解は間違えている。問題は,原発そのもの向けのためのの論になっているが,けっして,ベースロードじたいのためのその論ではないところに,その間違いを発生させる考え方が隠されていた。
    風力などの自然エネルギーは,……調整のための「ベース電源」としては不適当だ,逆に原子力はベース電源として必らず必要だ,という主張をよく聞く。しかし,そうした主張は,「ベース電源」の意味を理解していない,ナンセンスなものだ。電力自由化の進んでいる欧州では,ベース電源を,「需給の変化に対応できない電源」として捉えるようになってきている。
 註記)飯田哲也『エネルギー進化論-「第4の革命」が日本を変える-』筑摩書房,2011年12月,91頁。
 このベースロードは,電力使用者側の立場から評価され決められるべき対象であるものを,ウドの大木的な装置・機械である原発(稼働中は常時100%の操業度で運転し,融通の利かない)の電力生産水準のほうに,強引に寄せ付けて解釈しようとするところに,おおもとの基本的な間違いがあった。

 昨〔2016〕年発効したパリ協定では,各国が温暖化対策の長期戦略を国連に提出するよう求められている。日本は環境省と経済産業省がそれぞれに素案をまとめている。WWFジャパンは,政府に長期戦略の早期策定を求めている。(記事本文〔黒字部分〕引用終わり)

 --原発は要らない。なぜ,ムリ・ムダ・ムラの多い,それもとくに高コストで,非常な危険もかかえていて心配だらけの原子炉を,わざわざ電気を作るために使ってきたのか? スリーマイル島(1979年3月),チェルノブイリ(1986年4月),フクシマ(2011年3月)などの原発事故に続いて,仮にでも,またもや原発の大事故など発生したら,地球全体が恐慌を来たすことになる。いまでもすでに地球上には,2016年で434基もの原発があるというではないか。

 ② 原発は一般的に安全ではなく特別に危険

 原発事故の危険性に関する確率を,ごく単純かつ簡潔に考え,つぎのように計算してみる。数学的にいろいろ見当をつけて試みた論者が,ひとつの意見として,こういっている。

 「日本で事故が起きる事後確率は,福島以前の0.000107から福島後の0.000389と3.6倍になり,その変化率は先の推計より大きい。50基を前提とした事故発生確率に引き直すと,188年に一度の確率から52年に一度の確率への変化,ということになる」。
 註記)http://d.hatena.ne.jp/himaginary/20120428/Bayesian_updating_after_Fukushima

 世界にある原発は434基であるから,434基 ÷ 50基 = 8.68 と計算しておき,52年 ÷ 8.68 = 5.99年に1回「事故が起きる」。こうして計算した原発事故の発生可能性は,どう受けとめておくべきか? 

 原子力事故の深刻さを示す国際原子力事故評価尺度「INES評価」という物差しが,原子力施設事故の深刻度を示す尺度として提供されている。施設内外への影響などの観点から評価し,軽微なレベル0から深刻な事故のレベル7までの8段階に分けている。チェルノブイリ原発事故とフクシマ原発事故は「最高のレベル7(深刻な事故)」であった。

 人類が原発を利用しだしてからの歴史は,日本の原子力発電開発は米国から導入した動力試験炉JPDR(BWR)の1963年10月26日運転開始が出発点であるとされるが,米ソの関連させていえば「原子力の平和利用=原発」は,1950年ころがその出発点である。とすると,原発のレベル7に相当する大事故は,いままで2回起きた。

  2017年 - 1950年 = 67年 であり,

  67年 ÷ 2回の原発大事故 =「33.5年あたり1回」発生していた。

 その間に原発の基数は増加している。危険度(この確率計算的な頻度=発生蓋然性)は高まるばかりである。アメリカの国家運輸安全委員会 (NTSB) の行った調査によれば,航空機に乗って死亡事故に遭遇する確率は0.0009%であるとされるが,原発事故による被害は人間が死亡する事故などに限定されず,放射性物質の拡散による物理化学的な被害は,事後にまで,重大・深刻な惨禍を広範囲にももたらしつづける。

 ところが,村主 進(原子力システム研究懇話会)「原子力発電はどれくらい安全か」(『原子力システムニュース』Vol. 15, No.4(2005.3)は,以上に該当する論点をこう説明していた。
村主進画像
出所)http://onodekita.sblo.jp/article/80625597.html

 イ)「自動車事故は毎年発生しているが,炉心損傷事故は〔1人の人間の〕生涯の80年間に一度も起こらないと考えてよい」。「事故発生頻度を考えると,原子力発電所の安全性は自動車事故よりも一万倍以上安全であることになる」。
 補注)「人間の生涯:80年間」とはあくまで単なる「時間としての80年間」を意味するが,ここでの指摘「80年間に1度も起こらない」のが原発の事故だという規定そのものが,自己破産的な定義であった。

 ロ)「過去に炉心損傷事故を起こした米国のスリー・マイル島原発,旧ソ連のチェルノブイリ原発は,わが国の原子力発電所とは安全設計の異なるものであって,わが国の原子力発電所の炉心損傷事故頻度の参考になるものではない」。
 補注)日本は違うのだ,他国のそのような事故はわが国では起きるわけがないという,一方的で観念的な決めつけ(発想)は,完全に誤謬であった。日本の原発においては「安全設計の異なるものであ」るという〈仮想〉も,現在の時点で同じ発想を口する者がいたら,それこそ「馬鹿あつかい」される。

 ハ)「炉心損傷事故の発生頻度の推定値は機器の故障率と作業ミスの頻度によって変動する。このため,原子力発電所の老朽化に対して十分の対策を実施し,従業員の教育訓練も充実して,故障や異状事象を起こさないようにまた作業ミスをしないようにすることが原子力発電所を安全に利用するための要件である」。
 註記)引用は,http://www.enup2.jp/newpage38.html から。

 --最後の ハ)  についていうと,東電福島第1原発事故が実際に起きたのであり,その「原子力発電所を安全に利用するための要件」が満たされていたとはいえない。この事実は「3・11」を契機に発生した「福島第1原発事故」との遭遇によって,はしなくも露呈されていた。

 以上にとりあげた話題は,日本の原発管理は安全だという神話がまだ通用していた時期における見解に関してであった。だから,いかにも妥当性があるかのように語らえていた。けれども,いままた同じに発言する人がいたらまさに「真っ赤をウソ」を平然と「騙る人間」だと指弾されるのがオチである。

 ③ 関連する議論-原発推進派批判-

 1)  アーニー・ガンダーセン(岡崎玲子訳)『福島第一原発-真相と展望-』(集英社,2012年2月)
  「これからは化石燃料やウランではなく,日本が恵まれている風力,太陽光,潮力,地熱といった代替エネルギーを生かす時代です。技術者として私は日本の革新的なテクノロジーと丁寧な仕事ぶりに敬意を払っており,思慮深く勤勉な人びとが世界に手本を示してくれることを期待しています」(189頁)。
アーニー・ガンダーセン画像
  出所)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/cat_60249594.html

 本ブログ筆者が2月15日の記述中で,竹内純子の謬説(「日本は燃料資源にはとことん恵まれませんでした」というデマまがいの発言)をきびしく批判しておいた。だが,このように原発問題の専門家にとっても,日本が再生可能エネルギーに恵まれている国土(風土)である事実は,一目瞭然であるはずである。単なる砂漠であってもそこには,自然ネルギ-として電力をとりだすことが可能になっている時代である。

 2) 舘野 淳『廃炉時代が始まった-この原発はいらない-』(リーダースノート,2011年9月)に関連させて
  「今回発生したような『冷却材喪失事故』を食い止める抜本的な方策がみいだされていないのである。もし原発を放棄するとすれば,このことが最大の理由になる」(「再刊のためのまえがき」)と断われている点を読んで,こういう点も思い出した。それは最新型原子力発電所『AP1000』に関する解説記事である。アーニー・ファーガソンが再登場する。
    原子力村側は,東芝・ウェスチングハウスの第3世代の新型原子炉 AP1000 を大幅な安全性向上により,福島のような事故は起きないと主張し,原発輸出の主役に据えている。だが,実際はどうか?

 この AP1000 は,圧縮ガス・重力・自然循環力による静的(受動的)安全系を採用した改良型加圧水型軽水炉である。屋上に巨大な水槽を設置し,一次冷却水喪失のような重大事故がおきても,3日間は炉心に冷却水が注入され炉心損傷を防止できる。また格納容器壁と外周建屋の間の自然通風路が空気が循環して格納容器を冷却する。

 しかし解説を読むと,安全性・信頼性の向上よりも,ポンプ・配管・ケーブルなどの部品の大幅削減や建屋体積の削減によりコストダウンや工期短縮できることに重点が置かれている印象が強く,とても安全性が飛躍的に向上したは思えない。

 事故が起きれば何年間も注水冷却をおこなわなければならない。福島第1ではいまだにおこなっている。3日間だけ自動的に注水冷却したところで炉心溶融は防げない。そもそも,こんな大きな水槽を屋上に乗せた原発が,地震に耐えられるだろうか。
 補注)ここの引用した原文は2011年12月における記述であった。その後も,東電福島第1原発事故に関連させていえば,そもそも「いまだに未解決状態にある地下流水汚染問題」からして,依然と〈事故である状態のまま〉が続いている。
 以下に引用する段落は,元原子炉設計者のアーニー・ガンダーセン氏が,2012年に来日したときの答弁である。

 「アメリカが最近,発行いたしました認可というのは,AP1000と呼ばれるシステムなんですけども,これは非常に面白いポイントがありまして,日本では絶対に使えないという種類の設計だと思います。AP1000というのは巨大な水槽,水のタンクを屋上に置くという,そういう設計になっております」。
AP1000画像
 「全部で600万ポンド〔2720トン〕の重量になっていまして,(これをキロに換算しようとしたんですけど,うまくいかないんですけど),とにかく巨大な水タンクを屋上に置くというシステムになっておりまして,日本のように地震のある国では,こんなデザインというのはありえないということだと思います」。

 「ですから,アメリカでも認可が発行されましたのは,地震活動の低いジョージアというところに対して発給されたんですが,カリフォルニアなんかではけっしてこれは認可されることはなかったでしょうし,また日本ではちょっとありえないシステムだろうと思っております」。

 「こんな頭デッカチな原発は,とても地震の強い揺れには耐えられず,傾くか倒壊してしまうだろう」。「さらにガンダーセン氏は別の問題点も挙げている」が,あれこれ問題があり過ぎるので,かえって引用は止めておき,つぎの段落に飛ぶ。

  「ガンダーセン氏は,福島の教訓に学ばないNRCを繰り返し批判しているが,そのとおりである」。「AP1000 の前身である AP600 の開発が始まったは1985年,AP1000 の最終設計承認をえたのは2006年である。巨大で複雑な原発の設計は長い年月がかかるため,10年以上前の設計なのにこの業界では『最新鋭』なのである」。
 補注)NRCとは  “Nuclear Regulatory Commission“ ,アメリカ合衆国原子力規制委員会のこと。

 「もちろん福島原発事故前の設計であるから,その教訓はまったく活かされていない。原発の存亡が問われるような大事故が起きたのだから,原子炉の設計を白紙に戻し,根本から見直す必要があるが,そういった常識は原子力ムラには通用しない。ほとんど設計変更なしで,NRCは AP1000 にゴーサインを与えてしまった。信じられないことである」。

 「事故の原因究明と対策に真剣にとり組まないから,いつまでたっても原発の安全性は向上しないという見本である」。
 註記)以上,2)の引用は,http://www.asyura2.com/16/genpatu45/msg/408.html

 以上のほかにもまだ問題点が指摘されているが,ここでは割愛しておき,引用はしない。舘野『廃炉時代が始まった-この原発はいらない-』は,最後部でこうも述べていた。原発というものは「あつかい方を誤ると『自然』は人間に復讐する」「科学的認識がねじ曲げられ,政治優先・経済優先でことを運ぶなら,京大事故の発生というかたちで人間は『自然』に復讐される」(385頁)。

 3)2011年中に「3・11」発生以後に公刊された原発関係書物-任意に選んだ5冊-
 以下に挙げる関連の書物は,筆者の書棚にあったもののなかから任意(つまり勝手)にとりだした5冊である。それぞれから1箇所ずつを引用しておくが,原発問題の核心を突いた批判がそれぞれ明示されている。。

 ☆-1 川村 湊『福島原発人災記-安全神話を騙った人々-』現代書館,2011年4月。 ⇒「日当40万円で,下請け会社の作業員を現場の前線に,放射能汚染の危険覚悟で押し出そうとする東京電力。なにひとつ変わっていない荒廃した精神風景だ。東電の清水〔正孝〕〕社長は,体調を崩して2週間も安静にしていたそうだ。放射線治療でも受けたら? 皮肉にひとつもいいたくなる」(185頁)。

 ☆-2 槌田 敦『原子力に未来はなかった』亜紀書房,2011年5月。 ⇒「技術改良のない状態は,1950年代から始まった。これ以後30年間,原子炉は大きくはなったが,基本的設計の変更はなされていない。つまり,原子力技術は,1950年代半ばより,進歩がいっさい止まっているのである」。「このように進歩できない原子力,または試行錯誤のできない原子力は,もはや科学技術というべきではない」(80頁)。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
ホーガンと川村表紙
 ☆-3 R・カーチス = E・ホーガン,高木仁三郎・ほか訳『原子力その神話と現実《増補新装版》』紀伊國屋書店,2011年7月。 ⇒「原子力は極端に非経済的なものなのである。アメリカ政府のエネルギー研究費の実に40%を使いこむことによって,原子力開発計画は実際には,アメリカがめざした真のエネルギー自立への発展を妨げてきた。何十億ドルもつぎこんでも,原発はまともに動かず,遊んでいる。つまり,原子力産業は,生産したエネルギーよりもはるかに多いエネルギーを浪費してきたばかりでなく,電力料金の仕組や税金を通じて,国民の金を食いものにして,大浪費をしてきたといってよい」(75頁)。

 ☆-4 ミランダ・A・シュラーズ『ドイツは脱原発を選んだ』岩波書店,2011年9月。 ⇒「電力会社が出す広告費は巨額で,テレビ局・新聞社にとって,この広告費が入るか否かは経営に大きく響く。当然,原発を批判するニュースや記事は自主的に規制され,『原発は安全である』『原発は必要なエネルギーである』という流れに乗ったものが多くなる。一方で,電気に頼った便利で快適な生活に慣れてきた人びとは,『原発は本当に安全なのかどうか』を考える機会を奪われたことに気がつかない」(「解説」62頁)。

 「アメリカでは,スリーマイル島原発事故以降,原発の建設は中止された。また,チェルノブイリ原発事故後は,ヨーロッパ,とくにドイツやスウェーデンでは脱原発の政策が採られた。ドイツは……自国の原発政策を見直し,大胆な再生可能エネルギー政策を打ち出した。現在のメルケル政権下でドイツは原発延命祚に傾きかけていたが,このたびの福島第1原発事故後,いち早く脱原発政策を明確に打ち出し,放射能の危険はゴメンだとはっきり表明している」(「解説」63頁)。

 ☆-5 中野洋一『原発依存と地球温暖化論の策略-経済学からの批判的考察-』法律文化社,2011年10月。 ⇒「現実には良心と良識をもった自然科学者は非常に少数であり,多くの自然科学者は自分たちの研究と名誉と利益のために『原発御用学者』となり,政治家・政府官僚・産業界・マスコミと手を組み,一般国民を騙しつづけていたのである。そればかりか,大嘘を原発の『安全神話』を作りあげ,最後は破滅的な福島原発事故を引き起こしたのである。この原発事故責任はきびしく追及されなければならない」(142頁)。

 また,「3・11」の1ヵ月前に公刊された吉岡 斉『原発と日本の未来-原子力は温暖化対策の切り蓋か-』(岩波書店,2011年2月8日)は,こう主張していた。

 「地球温暖化対策として原発拡大は有効だという主張は,口先だけのものであり,それについて批判的吟味をくわえるのは,わら人形とのボクシングにしかならず,時間の空費である」「相手にせずというのが正しい対処法である」。だが「これが言説として社会的に無視できない影響を及ぼしている以上,まったく無視するわけにもいかない」(55頁)。

 冒頭で言及した竹内純子(国際環境経済研究所理事)の言説は,すでに決着の出ている謬論をいつまでも蒸し返す立場を,恥ずかしげもなく開陳していた。このような人物(原子力村住人の1名)に対するわれわれ側の立場としては,なぜ,いまだに彼女のような人材が必要とされているのか,まず関心を向け,よく理解しておく必要がある。

 原発(原子力)に有用性があるかのように,それもいまさらながらように『虚偽のイデオロギー』を宣伝する担当の立場から,性懲りもなく旗振りする人士は,この国の未来を過つほかない役割を発揮している,と断定されてもよい。騙り口だけは巧妙に聞こえるけれども,その現実的な害悪性は看過できない。それだけに,けっして黙過・許容することはできず,きびしく批判をくわえておく必要がある。


 【名門であろうとなんであろうと,原発事業進出で失敗した東芝】

 【会社は永遠ではないし,多分,東芝もそうでありうる】

 【原発は要らないし,実際にもう要らなくなっている】


 ①  1979年2月1日,ダグラス・グラマン事件の捜査を受け自殺(他殺説も根強い)した日商岩井(現双日)常務島田三敬常務の遺書
    社員の皆さま

 日商岩井の皆さん。男は堂々とあるべき。会社の生命は永遠です。その永遠のために,私たちは奉仕すべきです。私たちの勤務はわずか20年か30年でも,会社の生命は永遠です。それを守るために,男として堂々とあるべきです。今回の疑惑,会社のイメージダウン,本当に申し訳なく思います。責任とります。
  〔1979年〕1月31日夜 島田三敬
 戦争中は産業戦士と呼称されたこともあったけれども,敗戦後は企業戦士と呼称されるようになった日本のサラリーマンであった。その度合(会社に対する忠誠度)があまりにも高く・強い(ひどい?)ので,あげくは〈社畜〉などという蔑称まで生まれていた。この社畜的な感性によって精神面の中枢を支配されるようになっていたサラリーマンが,前段のような名台詞を吐いたのは,いまから40年近くも昔のことであった。

 当時はまだ日本が高度経済成長時代を突っ走っていたころである。つまり,1974年の石油危機を克服する時期を過ぎて,1990年ころに到来するバブル経済の破綻は,まだ予知できる時期ではなかった。「人間の寿命にはかぎり」があるが「会社の生命は永遠だ」といって自死した,会社忠誠心を溢れさせた商社幹部の事件は,そこまで企業のために滅私奉公する価値があるらしかった日本のサラリーマンの存在を,世界にしらしめたといえるかもしれない。

 東芝という日本の有名会社がある。1904〔明治37〕年に株式会社芝浦製作所として設立され,1939〔昭和14〕年,重電メーカーのこの芝浦製作所と弱電メーカーの東京電気が合併し,東京芝浦電気として発足した。
東芝日曜劇場コマーシャルソング1981年テレビ画面
出所)東芝日曜劇場「光る東芝1981」のテレビ広告画像,
https://www.youtube.com/watch?v=SZLoDTpaV8U

 日本の暮らしてきた人びとは,東芝の企業イメージソング『光る東芝の歌』(ひかるとうしばのうた,作詞・峠三四郎,作曲・越部信義,1956年発表)の冒頭歌詞を,しらない中高年の人はいないと思う。日本の電気機器総合産業として,そのよう広告にも反映されているごとき歴史と伝統を誇る東芝が,いまでは青息・吐息の経営状態に追いこまれている。
      『日本経済新聞』2017年2月15日朝刊東芝記事『日本経済新聞』2017年2月15日朝刊東芝図表2
出所)『日本経済新聞』2017年2月15日朝刊。

 その原因はなんといっても,原発事業の産業領域において大儲けをもくろんだところが,21世紀における時代の流れ,なかでも「3・11」を契機に発生した東電福島第1原発事故,しかも4基あったここの原発のうち3基までが核燃料の溶融事故を起こすという大事件の発生に影響されて,その「大儲けのための原発部門」がいままさに,この名門企業だといわれてきた東芝の足下を,大きくぐらつかせる要因になっていた。

 ② 3回の重大・過酷な原発事故

 本ブログ内ではすでに,前世紀から今世紀にかけて起きた原発の大事故については,なんども話題にしてきた。とりわけ,原発という装置・機械を大々的に開発・稼働させてきたアメリカは,この★-1「スリーマイル島原発事故」のせいで,原発の新設をためらうようになっていた。

 さらに,★-2「チェルノブイリ原発事故」がその方向性を維持させていたところに,くわえて,★-3「東電福島第1原発事故」も発生した。このためにアメリカの実情でみると,最近になってようやく新設された原発が数基稼働しはじめる程度の状態でしかない。同時に,アメリカにおいては,既存の原発がみな老朽化している実情もある。

  ★-1 1979年3月28日,スリーマイル島原発事故。 
  ★-2 1986年4月26日,チェルノブイリ原発事故。
  ★-3 2011年3月11日,東電福島第1原発事故。

 ところが,東芝は2006〔平成18〕年1月,英国BNFLから,ウェスティングハウスを54億ドル(約6370億円)で買収し,原子力発電装置の世界三大メーカーの1社になっていた。2011年3月に★-3が発生した。なかでも,2015〔平成27〕年5月になると,決算発表延期および配当見送りを発表し,原発事業部門のために経営の基盤が緩んでしまった事情が明るみに出た。
今村真東芝不正会計表紙
註記)毎日新聞出版,2016年1月発行。
この書名どおりに東芝の苦境は継続している。

 以上はざっと粗い話である。いずれにせよ,日本を代表する電気機器製造メーカー:東芝が,いま苦境に立たされている。東芝は,当初は有力な事業部門になりうると判断してウェスティングハウスを買収した。経営戦略論でいえば, “cash cow”(金のなる木)にできるに違いないともくろんで,同社を傘下に収めていた。

 ところが,その5年後に「3・11」によって東電福島第1原発事故が発生し,そのもくろみは裏目に出てしまった。したがって,いまでは原発部門は「金のなる木」どころか, “問題児” になりつつある。端的に観て,いまの場合・状況では「問題児」になったといってよい。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
BCG戦略論概念図
  出所)これはBCG(ボストン・コンサルティング・グループ)が考案した企業戦略対象の分類的な観察法である。http://keieikanrikaikei.com/history-of-strategy-013

 結局,東芝は,エネルギー産業としての原発事業を,自社の業務にとりこむ企業戦略の計画・実行において錯誤を犯したことになる。東芝はしかも,この結果,企業会計面では粉飾行為とみなすほかない対応を余儀なくされた。経営情報・会計数値の情報公開に関する社会的責務:アカウンタビリティーをないがしろにし,現在は非常な難局に対峙させられている。

 ③「〈天声人語〉名門企業の巨額損失」(『朝日新聞』2017年2月16日朝刊)

 本日〔2017年2月16日〕のこの「天声人語」,つぎのように東芝の1件を語っていた。

 先月末に公開された福島第1原発2号機内部の写真には,溶け落ちた核燃料とみられる塊があった。きわめて高い放射線量のために人は近づけない。きょうから小型ロボットが調査に入る予定で,その機体には「TOSHIBA」のマークがある。

 ▼ 東芝は廃炉作業の最先端を担う一方で,米国の子会社を通じて海外の原発建設も進めてきた。その原子力事業で7125億円の損失が出そうだとの発表が一昨日あった。生き残るためには利益を生む事業を切り売りするしかなく,会社のかたちは大きく変わりそうだ。

 ▼ 損失の遠因は,福島の事故である。より安全性を追求しなければと,世界で原発の規制が強まった。東芝が米国で手がける4基の原発の工事も,予想よりはるかにお金がかかることになった。事故の影響を甘くみたといわれても仕方なかろう。

 ▼ 川崎市の東芝未来科学館をのぞくと,日本初の電気冷蔵庫や洗濯機,掃除機などがずらりと並んでいた。世界初という携帯型パソコンもあった。高い技術を誇った名門企業の凋落(ちょうらく)はいつまで続くのか。

 ▼ 海外メーカーをみると,独シーメンスは福島の事故後に原発事業から撤退し,仏アレバは不調が伝えられる。東芝の巨額損失は,原発ビジネスがもうかる時代は終わりつつあることをあらためて示した。

 ▼ 廃炉への道のりは険しい。会社に逆風が吹くなか,現場でとり組む人びとの胸中を想像する。事故から間もなく6年。起きてしまったことの重さと向きあわねばならない日々が続いている。(引用終わり)

 ウェスティング・ハウスの原発事業は,アメリカなどでの生産・販売活動に限界があったゆえに,東芝に売却されていた。ところが,東芝はこの企業買収においては,戦略的な計慮以前の失策を犯していた。ネット上では,こういう記事が読める。

 ④ 東芝問題-中島 茂弁護士インタビュー(1)-

 「ウェスチングハウス買収が東芝不正の最大要因だ」(『経済プレミア』2016年1月22日,編集部稿)という記事に聞いてみると,つぎのように解説・分析していた。

 歴代3社長が関与して利益水増しをしていたことがわかった東芝。その不正会計問題を,リスク管理の専門家であり企業法務の第1人者である中島 茂弁護士はどうみていたか。経済プレミア編集長の今沢 真がインタビューした。3回に分けて報告する。(この 中島茂弁護士画像④ ではその1回目のみ紹介する)
 出所)画像は中島 茂,http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160121/biz/00m/010/029000c

 東芝は,委員会設置会社という,米国型の先進的な企業統治制度を日本で最初に導入しました。経済界では優等生といわれていました。それなのに,どうして会計不正がおこなわれたのでしょうか。

 ◆「中島茂弁護士」 私は,2006年の米原子力大手ウェスチングハウスの買収が最大の要因だと思っています。東芝は少し無理をして買ったんだと思います。同業他社の人に,買収価格は「2000億円ぐらいではないか」といわれているところを約5400億円で買った。追加融資もしていて,総投資額は6000億円を超えています。東芝の年間の経常利益は,当時1000億円前後でしたが,その数倍の買い物でした。長期的な戦略や展望をもって買収したけれど,不幸にも,2011年の福島第1原発の事故が起きた。東芝の原子力事業は非常にダメージを受けた。
 補注)本ブログは,2017年02月13日に「原発産業というババを引いた東芝の経営失敗,アメリカ企業が手を引いた原発事業に進出した日本企業の失策など」という題名で記述している。要は,東芝がババをわざわざ引くようにして,ウェスティング・ハウスを買収したところにすでに,今回において経済事件となるような原因があったといえる。

 買収のときに「のれん」という資産が発生しています。わかりにくい概念ですが,ウェスチングハウスの正味の資産が2000億円程度として,それを5400億円で買収した。その差額分を「のれん」として東芝の帳簿で資産に載せているんですね。ブランドイメージなどのれん説明図画像から,将来それだけの収益力が期待できるという意味です。現時点では3441億円になっています。
 出所)右側画像は,http://www.yutorism.jp/entry/noren

 原子力事業が非常に有望だということで投資し,「のれん」を背負った。それが原発事故で変わるんですね。「のれん」という資産の収益力が低下したのではないか,それなら「減損処理」といって,資産価値を下げなければならない。

 東芝の経営陣は,そのことが分かっていたと思います。ただ減損すると巨額の赤字になってしまう。だから,他の部門で利益を徹底して出して,減損に耐えられる体質にしようと思ったのではないでしょうか。そのため利益計上,予算必達がきわめて重要な課題となった。
 補注)のれんの会計問題を説明しておく。前掲の図表をもう一度みてほしい。「のれん」というと,蕎麦屋さんの入り口などにかかっている「のれん」を連想するが,会計上の「のれん」はまったく別物である。「のれん」は,企業を買収したときに発生する。

 たとえば,純資産100億円の会社を300億円で買収すると,差額の200億円が「のれん」として,貸借対照表に計上される。この「のれん」の本質は,買収対象会社のブランド価値である。つまり,「のれん」200億円分だけ,買収対象会社には特別の魅力・ブランド価値があるということになる


 要するに,純資産100億円の会社を買収するとき,単にその会社がもっている資産だけがほしいのなら,100億円で手に入るはずである。ところが,それをわざわざ300億円で買うというのだから,買収対象会社には特別の魅力があるという評価をしたことになる。つまり,「のれん」200億円は,ブランド価値という目にみえない資産を意味する。
 註記)http://e-actionlearning.com/chiebukuro/qa5.html 参照。


 〔引用の記事に戻る→〕 経営者が「予算必達」というのは本来,当たり前のこと。東芝の不正会計問題を調べた第三者委員会が昨〔2015〕年7月にまとめた報告書で,歴代3社長が「チャレンジ」「予算必達」と言って部下に過度の利益かさ上げを求めていたことが明らかになりました。

 ◆あれ以降,私はいろんな経営者の方に聞かれるんです。「予算必達といってはいけないんですか」と。私,昨〔2015〕年10月,経営者向けのあるセミナーで「予算必達というのは経営者として当たりまえのことです」と申し上げました。株式会社というのは収益を上げて株主に配当するためのシステムですからね。

 ただ,東芝の場合は意味が違っていた。3500億円近い「のれん」を減損処理しなければいけないことが目にみえていて,それに耐えられる体質ではない。それで,とにかく必らず利益を出せというのが,私は一番大きかったと思います。

 無理をしてでも投資しなければならないという経営判断をするときはあると思うんです。東芝の場合,「選択と集中」をかかげ,当時の西田厚聡社長や執行役常務で原子力事業を担当していた佐々木則夫氏の判断で,ウェスティングハウスの巨額の買収を決めた。そして取締役会に諮って決議した。
 註記)http://mainichi.jp/premier/business/articles/20160120/biz/00m/010/021000c

 東芝はそのように,どうやら背伸びをしすぎ,原発産業に手を出した『結果』になってしまった。この結果が事前に少しでも予見できて,躊躇する〈余裕〉をもてればよかったはずである。しかし,それもこれもすべて「後の祭り」。東芝は,つぎの ⑤ ような原発産業の可能性に賭けていた。けれども,その後におけるエネルギー産業の基本動向は様変わりしつつある。

 ⑤「2025年の世界の原発勢力図」の読みは?

 以下に紹介するのは,ゴールドマン・サックス・アセット・マネジメント株式会社の情報提供資料(2010年8月)であり,る「2025年の世界の原発勢力図」『読得』№17に記述された文章である。

 原子力発電所(原発)の受注競争で,日本勢が敗退するというニュースが相次ぎました。昨〔2009〕年12月にアラブ首長国連邦(UAE)の原発受注では韓国勢に敗退し,今〔2010〕年2月には,東南アジア初の原発となるベトナムで,ロシア企業への発注が決まりました。日本の新聞では,日本勢敗退やその要因が記事としてとりあげられがちですが,「新興国を含む世界中で原発利用の動きが加速している」ことが背景にあります。

 世界原子力協会によると,原子力発電によって生み出される電力量は,2025年には,現在の約2.4倍になると予想されています。2025年の中国の原発による発電量は,欧州全体に匹敵する可能性もあります。先進国のほか,ロシアやインド,中近東諸国,東南アジア諸国,南アフリカなどが原発施設の建設を計画しています。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
2025年原発需要予想画像
 経済成長に伴うエネルギー消費の拡大がみこまれる新興国では,電力供給の増強が重要な課題になっています。さらに,地球温暖化問題への関心の高まりから二酸化炭要な課題になっています。さらに,地球温暖化問題への関心の高まりから,二酸化炭素(CO2)の排出が少ない原子力発電を見直す動きが世界的に広がっています。新興国の原発建設をめぐり,日本やフランス,ロシア,韓国などのあいだで激しい受注争いが当分続きそうです。
 註記)http://www2.goldmansachs.com/japan/gsitm/funds/pdf/yomitoku_17.pdf 途中に掲示の図解もここから。

 この文章はあいもかわらず,原発からは「二酸化炭素(CO2)の排出が少ない」(「少ない」と形容している点がミソであるが,以前は全然ないかのように強調していた)と記述しているが,これは完全に間違いで,むしろ温暖化の原因としては有力な影響要因のひとつでもあるのが,原発である。

 まるで常識であるかのように説かれるこの話法,原発は「CO2)の排出が〔少〕ない」という決まり文句は,欺瞞的な非常識を地でいく「説明論」であった。

 それはさておいても,この「2025年の世界の原発勢力図」という2010年時点における文章の意味あいは,当然のこと「3・11」のもたらした重大な影響を受けて,その後においては変化を余儀なくされている。新興国においては,原発を新設する動きがなくなったわけではないが,日本における2011年3月11東日本大震災によって起きた東電福島第1原発事故の影響は非常に大きい。

 ⑥「国際エネルギー機関(IEA)」が「2021年までの中期再エネ市場見通しを15%上方修正」したのは,「各国の再エネ政策の強化とコストダウンを反映」しており,「2021年には発電量の3割近く(28%)が再エネに(RIEF)」なると予測されている(以下の引用は,http://rief-jp.org/,2017-01-06 15:55:57)。

 国際エネルギー機関(IEA)は,2021年までの中期再生可能エネルギー市場報告を修正し,世界全体の再エネ事業の普及が従来予測よりも15%増となる,との報告をまとめた。再エネ普及の上方修正はパリ協定の発効を受けて,各国で温暖化対策の強い政策支援が進むためとしている。

 すでに世界全体でみると,新規導入の発電設備のうち,太陽光や風力などを合わせた再エネ発電規模は,石炭火力発電を上回って,世界最大の発電源となっている。IEAではこれまで2015年の中期市場推計を立てていたが,再エネ発電推進の勢いが広がっていることから,今回の上方修正に踏み切った。

 とくに,市場規模の大きい中国,米国,インド,メキシコでの政策主導の再エネ普及がみこまれている。このうち,米国ではトランプ次期大統領の登場で,温暖化対策への連邦政府の支援策が転換される可能性もある。だが,カリフォルニアやニューヨーク州など州政府の温暖化対策は引きつづき推進姿勢が強いほか,太陽光発電などのコストダウンが広がっており,民間ベースの再エネビジネスが増大していることを評価している。

 再エネ発電のコスト低下は今後も続く。IEAの中期市場見通し期間でも,太陽光発電コスト25%の低下,陸上の風力は15%低下がみこまれる。2016年に世界全体で新規導入された再エネ設備の発電量は前年比15%増の153GWという過去最大水準に拡大している。153GWのうち4割強の66GWが風力発電,3割強が太陽光発電。単純に計算すると,一日平均50万枚のソーラーパネルが稼動したことになる。

 国別では,中国が再エネ最大市場の座を維持した。世界の新規導入風力発電の半分が中国で産声をあげ,再エネ全体でも4割は中国市場で稼動している。中国の場合,1時間平均で3基の風力発電が羽を回しはじめる計算になる。IEAの事務総長の Fatih  Birol 氏は「われわれはまさに,世界の発電市場が再エネによって転換していくプロセスの目撃者になっている。とくに新興国市場で再エネ発電が発電事業の中心に置きかえられている」と指摘している。

 IEAはこうした「発電転換」が急速に広がる要因として,競争の激化・効果的な政策支援・技術革新の進展などを挙げている。また,パリ協定発効による気候変動の緩和策の必要性は強力な再エネ支援のパワーではあるが,IEAは「それだけではない」と分析している。中国やインドのように,大気汚染の悪化の深刻化や,エネルギー安全保障のためにエネルギー供給源を多様化しようという政策なども,とくにアジアの新興国の間では要因となっている,という。

 今後5年間を展望すると,再エネ発電はもっとも成長率の高い発電分野であり続け,全発電量に占める比率も,2015年の23%から2021年には28%へと5%ポイントアップするとみられる。中期的な電力市場の新規増加分の60%以上は再エネ発電で占められ,石炭火力発電との差はジリジリと縮まる。

 2021年時点の再エネ発電量は7600TWhで,現在の米国と欧州連合(EU)を合わせた総発電量とほぼ等しいレベルになるという。ただ,IEAは今回の上方修正が主要国の再エネ支援策の強化を理由としていることから,こうした政策支援が変化するリスクについても指摘している。また現在の活況なグリーン投資が反転するリスクもある。

 またグリーンボンド市場は急拡大しているが,グローバルベースでみると,まだグリーンファイナンスの規模は十分ではない。とりわけ途上国市場でのグリーンファイナンスの確保は課題になっている。また,発電分野では再エネ電力が急ピッチで普及しているものの,暖房等の熱源や,自動車等の輸送面では,エネルギー転換のテンポは緩やかで,さらなる政策支援が必要,と強調している。

 再エネ発電の広がりも地域的な差異もある。アジア地域では再エネ市場は順調に拡大しており,とくに中国だけで世界の新規再エネ発電の4割を占める勢いとなっている。しかし,その中国の再エネ発電でも,国内のエネルギー需要の伸びが大きいことから,新規電力需要の半分をカバーするに過ぎない。一方,米欧や日本などの先進国では,新規の再エネ発電は,国内のエネルギー需要の伸び鈍化もあって,中期的にみると比率を上げていくとみられる
 日本文註記)http://rief-jp.org/ct4/66914
 原文〔英文〕註記)https://www.iea.org/newsroom/news/2016/october/medium-term-renewable-energy-market-report-2016.html
 
 どうやら東芝は,エネルギー問題を先読みする能力に問題があった,もちろん経営陣の意思決定に関するその難点だったということになる。ともかくも「3・11」の様相をみせつけられたドイツは,それまであった〈原発政策の迷い〉を払拭させ,2022年までには原発の全廃を決めていた。ここではつぎの ⑦ の引照をして,本日の記述のための結論部としたい。

 ⑦ 熊谷 徹「ドイツの脱原子力政策決定から4年・ 国民的合意は揺るがない(第1回)」(THE HUFFINGTON POST,投稿日:2015年03月09日 12時44分 JST 更新: 2015年05月07日 18時12分 JST)

 ※ 熊谷 徹は,在独ジャーナリスト(元NHKワシントン特派員)

 ドイツが原子力発電を2022年末までに廃止することを決めてから,今〔2015〕年は4年目になる。日本の選挙では原発の再稼働は,政局を左右する重要な争点になっていない。これに対してドイツでは,エネルギー問題は政局を左右する重要なテーマである。私は25年前からドイツに住んで定点観測をおこなっているが,ときどきあっと驚くようなことが起きる。

 1)エネルギー問題に高い関心
 原発推進派だったアンゲラ・メルケル首相は,2011年3月に福島第1原子力発電所で発生した炉心溶融事故をきっかけに,原発批判派に「転向」した。同政権は,老朽化した原発8基を即時停止し,アンゲラ・メルケル画像残りの9基についても2022年末までに停止することを決めた。
 出所)画像は,http://moogry.com/index.php?req=アンゲラ・メルケル

 原発全廃に関する法律は,福島事故からわずか4ヶ月で議会を通過した。代替エネルギーの主役は再生可能エネルギーで,2014年9月の時点で電力消費量の約28%をカバーしている。ドイツ人たちは,2035年までにこの比率を55~60%に高めることをめざしている。

 元物理学者のメルケルは,かつては緑の党の反原発政策を批判していた。2010年には,電力業界の意向に配慮して,原子炉の稼動年数を平均12年間延長する決定を下したばかりだった。このメルケル首相がエネルギー政策を180度転換した理由のひとつは,「原子力に固執していたら,反原発派である社会民主党(SPD)や環境政党・緑の党に大量の票を奪われる」と考えたからである。

 実際,福島事故から2週間後にバーデン・ヴュルテンベルク州でおこなわれた州議会選挙では,約半世紀にわたって同州を単独支配していたキリスト教民主同盟(CDU)が大敗し,緑の党が圧勝。原発に大きく依存してきた保守王国に,初めて緑の党出身の首相が誕生した。

 ある有権者は,「私は30年間CDUに投票してきたが,福島事故の映像をみて,自分がだまされていたことに気づいた。初めて緑の党に投票した」と語っていた。つまりドイツでは,日本と異なり,エネルギー問題が政治の流れを大きく変える「爆発力」を秘めているのだ。

 「脱原子力」と「再生可能エネルギー拡大」というふたつの総論については,国民的合意ができあがっている。原子力政策をめぐり,新聞界の意見が真っ二つに割れている日本とは異なり,ドイツの新聞・雑誌・テレビ局の姿勢は,反原子力という点で一致している。

 ドイツでは,福島事故のはるか以前から,メディアがエネルギー問題,環境問題,特に原子力のリスクについて詳しく報じてきた。このため市民が豊富な知識をもっており,関心も強い。隣国フランスではエネルギー問題,環境問題についての報道がドイツよりもはるかに少ないので,市民の関心も低い。

 福島事故前の日本では,市民やメディアの電力問題に関する関心は非常に低く,ドイツよりもフランスに似ていた。

 2)再稼働に疑問の声
 それだけにドイツの言論界では,去〔2014〕年12月の日本での総選挙の前から,安倍政権が福島事故から4年も経たない内に原発再稼働への道を歩みはじめたことについて,強い疑問の声が上がっていた。

 リベラルな週刊新聞『ディ・ツァイト』のF・リル記者は,2014年10月5日の電子版で「日本では,フクシマはすでに過去のことになっている」と題した記事を発表し,「多くの市民が再稼動について抗議しているのに,日本では原発が再び動きはじめる。日本は,原爆による被害を受けた世界で唯一の国だ。さらに3年前には,福島で深刻な炉心溶融事故を経験した。よりによってそうした国が,市民の反対にもかかわらず原発に固執するのはなぜなのか?」という問いを発している。

 これは,多くのドイツ人が抱いている疑問だ。私自身,多くのドイツ人から「日本政府の態度は,理解できない。なぜ原発を再稼働するのか」と尋ねられる。リル記者は記事のなかで,日本の原発再稼働の最大の動機が,経済界の要請であることを指摘している。彼は,「日本では福島事故以来,化石燃料の輸入コストの負担が増大している。原発推進派は,長引く不況から脱出するには,原発の再稼働以外にないと考えている」と記している。

 ドイツのメディアは,霞ヶ関でおこなわれる市民の反原発デモの映像を時折流す。だからドイツ人のあいだでは「市民の反対が強まっているのに,なぜその意見が政治に反映せず,原発推進派である自民党が選挙で勝つのかわからない」と不思議に思う人が少なくない。

 3)ドイツの原発回帰はありえない(ここからは見出しのみの掲出で,後略……)
 註記)以上,http://www.huffingtonpost.jp/toru-kumagai/nuclear-power-abolition-in-germany_b_6822166.html

 2)のほうで話題になっていたが,日本国における住民たちが原発稼働には過半が反対である。だが,なぜかこの声が民主主義的に日本政府に反映されず,その真逆の原発政策が推進されている。

 また,これは反復する指摘になるが,「福島事故以来,化石燃料の輸入コストの負担が増大している」から,「原発推進派は,長引く不況から脱出するには,原発の再稼働以外にないと考えている」というしごく単純な理屈は,2014年後半からの原油価格の大幅な下落によって成立しえなくなっていたし,現在〔2017年2月時点〕でも基本線は同様である。原発の稼働推進は,いまの日本では「コストの論理」の観点からはだいぶ離れた地点での「国家的な課題・利害」(?)になっている。

 営利計算の見地から評価して分析してみる「原発の事故」や「その廃炉の問題」は,原発をエネルギー電源にしようとした国家の基本政策そのものからして(「3・11」がなければ,原発を50%以上にもする計画を準備していた),完全なる誤謬であった。「過ちては改むるに憚ること勿れ」であってもいいはずなのに,全然すなおではない国家権力・支配体制側の頑迷さが露骨に表面化している。

 というしだいで,いまの日本はなおも原発の再稼働に向けて,それこそ電力会社の立場だけを第1に考えながら,エネルギー政策を推進させている。もっとも,日本でも再生可能エネルギーの開発・利用は,電力使用量の平均値ですでに「15%の水準」にまで到達している。この点については,本ブログの前掲2月13日が言及していたが,日本の原発は実質的(電源比率的)にも不要・無用になっていることが明示されている。


 【国際環境経済研究所理事の肩書きで「原子力村の一員である発言」をする元東電社員であった国際環境経済研究所理事竹内純子は,

 旧態依然の原発観そのままに,いまどき完全に硬直したエネルギー観しかもてない人物なのか】

 【再生可能エネルギーの開発・利用の現段階的な状況を無視・軽視したい原発維持論者のふたしかな謬説】



 ① まえおきの説明

 本日〔2017年2月15日〕『朝日新聞』朝刊「オピニオン」欄に「〈争論〉21.5兆円,私も払う? 竹内純子さん,除本理史さん」という題目で,以下にとりあげるような,賛否両説を代表する識者にそれぞれ意見を訊いている。

『朝日新聞』2017年2月15日朝刊オピニオン原発東電問題 しかし,いまどきこのようにエネルギー問題について,いちじるしく時代遅れの立場からする,いいかえれば,原発の基本問題や再生可能エネルギーの開発・利用の状況について,意図的にも感じられるほどズレた見解を披露したうえで,「21.5兆円」は「私も払う」立場に賛成だといった竹内順子のほうの主張に関しては,そのアナクロ的なエネルギー観が看過できないと最初に断わっておきたい。

 この「21.5兆円」という,東電福島第1原発事故現場の後始末のためのかかると予測されている経費の問題は,引用する文章のなかに記述されているとおり,現実にはすでに日本国内で電力を使用する側が負担させられている。

 以下に参照する賛否2名の意見は,その点を念頭に置いた議論にしておく必要がある。ただし,両説の意見を引用するに当たっては,順序を逆にしている。さきにまわした除本理史(よけもと・まさふみ)から聞く。なお本ブログ筆者は,除本の意見に対して異議はなく,とりあえずはそのまま引用しつつも,多くの補注を入れて議論もくわえておく。

 なお,この「〈争論〉記事」の冒頭に断わられているのは,つぎのごとき問題状況に関する概説と要点である。また識者の意見は黒字で引用し,その間に随時挿入される本ブログ筆者側の記述は青字にされているので,注意しておきたい。
    6年前の東京電力福島第1原発の事故で,避難住民への賠償や廃炉に必要な費用は,広く電気を使う人たちが負うしくみが作られてきた。「想定外」の事故の費用は,いま,総額で21兆5千億円。だれが負担するべきなのか。この先も原発を使い続けるのか。

  ★-1 電気利用者が負担するべきか

  ★-2 東電を存続させるべきか

  ★-3 原発をこの先も続けるべきか

 ②「【 ✕ 】料金上乗せ,合意していない」大阪市立大学教授・除本理史
さん

除本理史画像 ※ 人物紹介 ※ 「除本理史(よけもと・まさふみ)」は1971年生まれ,専門は環境政策論,水俣病や原発事故の被害を調査。著書に『原発賠償を問う』『公害から福島を考える』。

 事故の対応に必要な費用は本来,原発事故を起こした東京電力が負担するべきものです。電気を利用する人たちへのツケまわしは,本末転倒です。しかも,電気料金に,判りにくいかたちで紛れこませて集める手法を許してはいけません。事故の賠償費用の原資は,東電の電気を使う人はもちろん,北海道や九州など他の地域に暮らす人も負担してきました。
 補注)最初に,東電管区以外の電力消費者も福島第1原発の事故から生じた結果の責任をとらされ,その経費を負担させられる現状は不当でしかない点を強調しておく。消費者側がその分に対する電力料金不払い運動ができない立場である事実を逆手にとったような,経済産業省の役人たちのこすっからいものごとの決め方に怒りを感じないほうがおかしいはずである。

 現段階ではようやく「3・11」当時における東電の最高責任者たちのうち,原発関連の技術管理面において責任重大であるとされた者を入れた3名の最高幹部が起訴され,裁判が進行中である。だが,ここにまで至る過程でも,東電の基本的な責任は原発事故のような重大事故発生のおりは,もともと免責事項があった国家間とのとり決めによって,いままで東電側の責任が完全に放置されてきた。

 大手電力の多くは,事故後に値上げした電気料金に組み入れ,標準的な家庭で月平均で50円ほど払っているとの計算があります。国や電力会社はその負担額の根拠を説明していませんし,実際,どれだけの人が額をしっているでしょう。そこへ,2020年から月平均18円を追加して負担することが,昨〔2016〕年末の経済産業省の有識者会議の議論を経て打ち出されました。
 補注)この事実は「3・11」以後,当初は非常に高かった原油(LNG)価格の大幅な低下などによって電力料金もいちじるしく下落する経過のなかで,消費者側にはますます感じとりにくい事情になっている。しかし,ここでは「塵も積もれば山となる」の譬えを出して,つぎのようにいっておく。

 電力会社側は重大・過酷な事故を起こしてしまい,かけがえのない国土の一部を半永久的に破壊するような非常に深刻な事故を起こしていながら,いまでもなお,なにもなかったかのような経営姿勢でもって,営業を継続させている。しかも,そのように消費側に負担をこまかく分散させる工夫によって,その事故の収拾に必要な経費のツケまわししている。


 もちろん,あの首相は原発事故に関しては「大ウソをいって,電力会社をかばっていた」けれども,いまだに「アンダーコントロール」とは無縁の惨状をさらしつづけている東電福島第1原発事故現場の後始末は,いったいいつになったら終止符を打てるのか。その終着駅はどのあたりになったらみえてくるのか,いまもなお見当すらついていない。いわゆる廃炉問題,これは事故を起こした原発のほうの話であるが,これからも必要な経費(処理費用)は算定しなおすたびに,おそらく「21.5兆円」という数値をさらに超えてしまし,大きく膨らませていくはずである。

 昨〔2016〕年の3月であったが,「2016年度予算成立,過去最大96兆7218億円,社会保障費31.9兆円」という見出しで,『日本経済新聞』は報じていた(nikkei.com,2016/3/29 16:49)。この金額を目安に置おいて参考にし,じっくり再考してみる必要がある。そして今日〔2017年2月15日〕の『日本経済新聞』朝刊の1面冒頭記事には,原発産業を事業部門にとりれて大儲けをするつもりだった東芝の問題が,こういう見出しで報道されていた。

 「東芝,債務超過1912億円 4~12月,米原発損失7125億円,半導体は過半売却も」。


 大企業の経営不振・営業失敗であれば,それでもまだ1兆円以内の赤字で済むが,原発事故の場合は,国家=国民が何十兆円の,それもただの後始末,しかもいつ収まるかが分かりえないそのために「21.5兆円」という数字を突きつけられたのである。

 東芝の場合の赤字はまだ,事業経営の結果として生まれた〈赤字〉であるのに比較して,東電福島第1原発事故現場の後始末においては,これからも新しく追加的に発生していく「基礎(出発点)の数値」としての「21.5兆円」である。今後においては,末恐ろしい金額になる可能性のある,いいかえれば,莫大なる負の可能性を秘めた数値である。  


 賠償費がこれまでの想定より2兆5千億円も増えたからです。万が一の事故に備えて積み立てをしていなかった,だからこの先40年にわたり,電気を使う人で分割払いをするというロジックですが,あとづけの説明ですよね。原発をもたない大手電力以外のいわゆる「新電力」と契約をする人も支払います。不本意だ,との声が出るでしょう。
 補注)そもそも「この先40年」の時点で,はたして済むかどうかまだ分からないことがらである。要するに「21.5兆円」という金額そのものが増える可能性は大であり,「この先40年」という表現のなかの年数がさらに増える可能性が回避できない。むしろその可能性は「より大」なのである。

 福島第1の廃炉費も,有識者への聞き取りにより6兆円増えました。送配電を担う東電の子会社のコスト削減で生まれる利益がまわされ,電気料金の値下げの原資には使わない。やはり,利用者にツケがまわされます。電気料金は2020年以降,電気をつくって届けるのに必要な費用をすべて回収できる制度(総括原価方式)がなくなり,賠償の負担金を料金に転嫁することがむずかしくなる。それで政府は新たに費用をまかなえるしくみを急ぎ再構築したのだと思います。

 除染費にも国の予算が投入されますが,汚染した当事者が負担するという環境政策の大原則は,いったい,どこへいったのでしょうか。事実上,東電を救済する役割を果たしますよね。そもそも2011年の事故のあと,他の民間会社と同じように法的整理の手法を使い,東電の株主や金融機関に負担を求める道を探れなかったのか悔やまれます。国は東電をつぶさず,巨額資金を返済期限なしで「貸し出す」ことにしましたが,これは資本主義の原則からの逸脱でした。
 補注)PPP(Polluter-Pays Principle;汚染者負担原則)という用語がある。これは,公害防止のために必要な対策をとったり,汚された環境をもとに戻すための費用は,汚染物質を出している者が負担すべきという考え方である。経済協力開発機構(OECD)が1972年に提唱し,世界各国で環境政策における責任分担の考え方の基礎となった。

 もともとは,企業に厳しい公害対策を求める国とそうでない国があると公正な貿易ができなくなるので,こうした事態を避けるために作られた原則である。なお,2000年閣議決定の環境基本計画では,環境政策の基本的考え方についての指針として,汚染者負担の原則・環境効率性・予防的な方策・環境リスクの4つをあげて整理している。


 東電にかぎらず電力会社はつい最近まで,地域独占体制を保証されるだけでなく,総括原価方式によって利潤(率)を確保できていたので,やたら原発という固定費の高い設備投資を好んで選択してきた。

 要は,東電は,儲けだけはいままで存分にフトコロに入れておきながら,「3・11」の過酷・重大な原発事故を起こしてからは,自社が社会的に負うべき基本責任を免責される法体制が整えられていたことを奇貨として,このPPPなどへったくれもなにもないかたちで,つまり,いままさに「原発は公害である」という基本的な危険性を全面的に露呈させつつ,同時に,その結果のもたらしている被害を金銭面でも外部経済に向けて拡大させている最中である。


 すなわち,原発という装置・機械は,まさしく『終わりなき危機』(ヘレン・カルディコット監修,河村めぐみ訳,ブックマン,2015年)を意味するほかない理工学の理論と技術に上に成立しえているはずの《悪魔の火》をかかえこんでいる。

 賠償費でみると,追加分を入れても標準家庭で月100円に届かない程度で,負担感は小さいのかもしれません。でも,なぜ,私企業が起こした事故の尻ぬぐいを,私たちがしないといけないのでしょうか。同じ国民負担でも,国会で徹底的な議論を重ね,だれもが納得するような「福島の復興」などの目的をかかげた税金で,とするほうが望ましい。再び原発事故が起きたときも,また私たちがお金を出し,結果的に電力会社を助け,ひいては原発を続ける? そんなことに国民の合意はえられていないはずです。

 福島の事故の費用総額はいま,21兆5千億円とはじかれていますが,本当はもっと大きいでしょう。たとえば賠償の基準も被害実態からかけ離れていて,賠償されるべき被害はまだ残されていると思えるのです。もはや原発は「安い」とはいえません。ふくらむ事故費用はあらためて「原発を止める」判断を迫っています。政府に任せるのでなく,国民がみずから選択しないといけません。
 
 --以上のとおりに聞いた除本理史とはだいぶ距離感のある意見を陳述するのが,つぎの竹内純子の原発問題対する立場・思想である。

 ③「【 〇 】つぶせば東電が楽になるだけ」NPO法人国際環境経済研究所理事・竹内純子さん
竹内純子画像
 ※ 人物紹介 ※ 「竹内純子(たけうち・すみこ)」は1971年生まれ,東京電力で尾瀬の自然保護などを担当,2012年から現職,筑波大学客員教授。著書に『原発は “安全” か』など。

 東京電力という一企業の失敗を,なぜ国民が負担するのかという指摘は,感情的には分かります。でも,1日も早く福島復興への責任を果たすという目的を考えれば,当面は昨年末に国が決めたこの仕組以外に,解はないと思います。簡単にいえば,国が東電に資金を出して時間的猶予を与えるという制度で,昨〔2016〕年末に決まったものは,これまでの大枠と同じです。私は一定の評価をしています。
 補注)ここで「感情的には分かります」という論理の出し方に疑問がある。批判する側の立場を「感情論」のほうに導き,これの説得度合を事前に落としたいときによく使用される〈理屈の方法:述べ方〉である。仮にそうした感情の問題(要素)があることは事実そのものであるとしても,そうした感情が出てくる事情や背景を,いっさい無視したかのように,つまり決めつけ的に〈感情論だ〉というかのような反論の仕方は,あやしい弁論法にもとづいている。

 それでは,いまの原発事故に対する事後処理の仕方は「国が東電に資金を出して時間的猶予を与えるという制度」だと説明する場合,それでは,あと何年(それとも何十年何年)その時間的猶予を与えられる(待てる)つもりなのか。また,いつになったら東電がその資金を返済できると観てのか(はたして40年で可能か),これについておおよそでもいい,その見通しなり計画を最低限は明示しながらいうべき理屈である。このあたりをはっきりさせえない議論のほうこそが「感情的」であり,かつ感情的にも理解できないいいぶんである。


 東電福島第1原発事故現場の後始末は,おそらく半世紀から1世紀「単位」の視野でもって構えなければ,その対応はまともにできない。この点は説明するまでもなく周知の事実になっている。この事実を踏まえてもまだ,竹内純子はそのような主旨を堂々と展開できるのか? 不思議な主張をする「国際環境経済研究所理事」であり,NPO法人の関係者による,理解しにくい発言の内容である。


 税金での負担を主張する人もいますが,「福島のための増税」といったところで,簡単に国民の理解をえられるとは思えません。税制と違い,電気料金の変更は国会審議が必要ないので問題だという指摘もあります。でも,国は標準家庭で月平均18円の追加負担を40年担うという枠組みがふくらまないように閣議決定で上限を2兆4千億円と決め,世帯が負担する金額を毎月の検針票に明示することも定めています。電気料金には,地域によって負担額の加減ができるメリットもあります。
 補注)ここでの指摘,40年間に限るとか,上限を2兆4千億円に切るとかいった話題は,これまでの経験律によればおおよそ,ほとんど信頼性の置けない,当座だけのものだと断定されてもよい。いいかえれば,暫定的な,それこそゴマカシ的な制限のための数値の仮定でしかない。

 一方で,太陽光などの再生可能エネルギーの電気を高く買いとっている費用は,「賦課金」として電気料金に上乗せされていますが,標準家庭で月約600円になります。私たちは自分たちが使っているエネルギーにもっと関心を払うべきです。
 補注)ここでの議論も,もっていき方がおかしい。東電の事故問題にかかわる消費者側の料金増加・負担の問題と,再生可能エネルギーの開発・利用のためにかかっているその料金増加・負担の問題を同じに,まったく質的に同じ次元に乗せてとりあつかうところからして,問題があり過ぎる。同じ金銭の問題でもどのように考えるかについて異論がある。その理由・根拠は後段で触れる。

 「東電をつぶすべきだった」という声がありますが,事故当時の東電の純資産は2兆5千億円ですから,必要額に届かないのは明らかでした。泣くのは賠償をえられない被害者です。東電をつぶすことは,東電を楽にしてあげることと同義です。たとえば会社更生法などの事業継続を前提とした破綻(はたん)処理では,賠償を含む東電の債務を一定程度で区切ることになります。これでは東電が責任を果たすことにはならないので,いまの枠組がつくられたのです。
 補注)この説明の方法は詭弁に近い。前段と同じ反論ができる。質的に異なる論点同士を混同させてはいけない。関連づけて論じることはできるが。惨酷な核事故を起こした東電を破綻処理させるのは,やはり好ましくなかったという主張であるが,個別企業の社会的責任を曖昧化させる方法が,相対的に好ましい選択であったのか否かについて,説得力ある説明にはなっていない。

 東電はいわば,日本においては「原子力村の核心をなす主導的な大会社」であった。この会社を簡単につぶすことはできないというわけである(「大きすぎて潰せない(too big to fail)」!)。かつて,バブル崩壊後においては日本の大企業(とくに金融機関を先頭に)がつぎつぎ破綻していったが,今回「3・11」のために,世紀の記録に残るような原発の大事故を起こした東電だけは,そうはさせじとする意気ごみだけはよく伝わってくる。

 東電を破綻処理して責任は国が果たすべきだといっても,国には賠償や廃炉の具体的な作業を進め,電力事業をおこなう「東電の代わり」はできません。電力インフラの担い手として事業を営む東電の経営環境は,電力自由化でさらに厳しくなっています。今回の決定では,8兆円もの廃炉費用を捻出できるのかという実現性や,原発をもつ他の電力会社にも負担させる正当性に疑問も残りますが,現実的な代案があるでしょうか。
 補注)このあたりは,もはや「開きなおりの理屈」となっている。「電力事業をおこなう『東電の代わり』」を,はたしうる事業体(おそらく共同事業体になると思われるが)を,まさにお膳立てするのが国家側の任務・仕事である。にもかかわらず,この竹内純子の意見は初めからその可能性を排除した「原子力村的な基本思想」を,それも遠慮も躊躇もなく披露している。

 また「原発をもつ他の電力会社にも負担させる正当性に疑問も残ります」という論理も奇妙である。各地域における独占企業であったのであり,また総括原価方式という特恵を許されてきた同じ電力業に関する話題である。国家側から格別の便益を享受してきた電力会社陣側には,それ相応に負担すべき共同責任があって当然である。ただし,沖縄電力だけは原発を保有せず,会社規模も小さい点を理由に免除してもよい。

 将来も原発を使いつづけるかどうかは,国民の覚悟の問題だと思います。エネルギー資源が乏しいこの国で,使うリスクと,使わないリスクを比較考量して,やめると決めるのならよいたたみ方を考えるべきでしょう。ただ,再生可能エネルギーは急速に増えてはいますが,水力をのぞいた太陽光や風力がまかなう電気は,全体の約5%にすぎません。日本は原発事故の前,電気全体の約3割を,原子力に頼っていました。
 補注)この段落における意見は完全に時代遅れというか,また完全に間違えたような,原発問題に関する立脚点からモノをいっている。こういうことであるから,いちいち反論・批判しておく。

 a)「将来も原発を使いつづけるかどうかは,国民の覚悟の問題だと思います」というのは奇怪な指摘である。各大手新聞社による世論調査の結果をまつまでもなく,国民・市民・住民・庶民の立場・意見・希望はその過半が原発反対,つまり脱原発の意向である。にもかかわらず,あえてこのように意見を表明し,わざわざ押しつけたがるかのように唱えるのは,意識的な「神経過剰サービス」でなければ「鈍感の過ぎた立場」の表明である。

 なぜならば,その「国民の覚悟」は以前よりできていた。だから,そこのろことへくわえて「問題だと思います」と断わった点は,すでに克服されている。つまり,国民の側はその「覚悟ができている」のである。竹内純子の意見は露骨な〈論点外し〉であるだけでなく,過去のにおける,それも「3・11」以降にかぎってみても,続々と登壇してきている関連の諸見解を,頭から無視したうえでいわれている。その意味では原発支持論者に特有である「現実無視の基本観点」が色濃く,前面に押し出されており,説得力がない。

 b) ここであらためて引用するが,「エネルギー資源が乏しいこの国で,使うリスクと,使わないリスクを比較考量して,やめると決めるのならよいたたみ方を考えるべきでしょう。ただ,再生可能エネルギーは急速に増えてはいますが,水力をのぞいた太陽光や風力がまかなう電気は,全体の約5%に過ぎません。日本は原発事故の前,電気全体の約3割を,原子力に頼っていました」という点については,こういっておく。

 本ブログでは,2017年02月13日の記述「原発産業というババを引いた東芝の経営失敗,アメリカ企業が手を引いた原発事業に進出した日本企業の失策など」で言及したように(こちらが関係する論点をくわしく解説している),竹内純子のように短期的かつ固定的にしか,再生可能エネルギーの開発・利用を観察・評価しようとしない見地・立場は,問題があり過ぎる。

 そもそも「3・11」以前における原発依存率3割の事実を,いまごろになってもちだしウンヌンすることじたい,論理として醜怪である。原発なしでもやってきた現状までにおける日本のエネルギー事情の推移に関する解釈はさておいても,この「原発がなし」でもやってきたこれまでの実績に対する,以上のごとき弁説は理解しがたいものである。

 ここで「再生可能エネルギーは急速に増えてはいます」という現実と,今後に向かっているその現実的な方向性については,つぎの図表を参照しておきたい。
再生可能エネルギー導入目標(発電電力量)
出所)https://www.asiabiomass.jp/topics/1212_03.html
これ以外にも関連の図表がいくつか掲示されているので,
興味ある人は,このリンクをたどって検索し観てほしい。


 私は,日本は当面,原発を使っていかざるをえないと考えます。しばらく使いつづけるなら,安全性を高めるしくみ,そしてつぎに事故が起きたときの備えを徹底的に追求しつづける必要があります。安全規制のあり方や住民の避難計画,賠償のかたちは,まだまだ議論の途上です。
 補注)竹内純子は女性であるが,これは原発〔という女〕に完全に振られた男が,いつまでもその女〔原発〕を恋しがる光景に映る。「当面,原発を使っていかざるをえないと考え」というけれども,現に再稼働に漕ぎつけている日本の原発は,まだ数基だけであるが,日本全体にとってみれば絶対に必要不可欠な稼働ではなかった。

 だが「安全性を高めるしくみ,そしてつぎに事故が起きたときの備えを徹底的に追求しつづける必要があ」るという点は,とうてい支持できず,猛反対する。「つぎの事故が起きたとき」を想定することが,はたして許されうる原発「観」だとまでいうのであれば,この竹内純子の,なにやら東電代理人の立場からするような発想は,これじたいからして許容できない。さすがに,いつの間にか原発の「安全神話」は舞台からすっかり消えた議論になっている。

 なによりも気になるのは,エネルギー観において反時代的であり,いうなれば反動形成とみなされてよいその「原子力」エネルギー観が,控えめを装ってだが,臆面もなく前面に披瀝されている点である。


 いまある原発の安全性向上だけでなく,新しい炉型の新設やリプレース(建て替え)も議論する必要があるでしょう。判りやすくて一時的に留飲が下がる主張に流されず,実質的な議論を進めるべきです。
 補注)新型の原子炉にも問題があることは,専門家が指摘済みである。いまからもっと盛んに「議論する必要がある」のは,再生可能エネルギーの開発・利用のほうに,さらに重点を置くべき点である。最後にいっておくが,はたして「判りやすくて一時的に留飲が下がる主張」(脱原発に関する立場からするそれのことと思われるが)とは,いったい具体的にはなにを指すのか? この表現のなかには,原発事情に関して「よほど悔しいらしい竹内純子の『感情的な〈なにか〉』」が含有されているとみるのは,うがち過ぎた観察になるか?

 ④ まとめ的な論述

 1)いまどき時代遅れの原発擁護論
 最後に,本ブログ内では原発問題に関してなんどか引用してきたつぎの文章を,再度かかげておくことにしたい。これは2016年11月中に数回引用した段落であった。これは,日本語訳では1982年に公刊された書物のなかでの意見であった。
ロビンス表紙    再生可能エネルギーの流れの変動性について考えることに慣れていない人びとは,気まぐれな天候が再生可能エネルギー利用の信頼性を低下させるので,完全なバックアップが必要となり,既存エネルギーの容量を小さくすることはできないという考えてしまう。

 ところが,詳細な分析によると,再生可能エネルギーの変動は,エネルギー源ごとに異なり,その攪乱は従来型エネルギー型システムに対する攪乱(技術的故障,石油禁輸,ストライキ)よりも小さくかつ予測可能であることが分かっている。致命的で解決不能な貯蔵の問題を生じるのは,既存のシステムのほうなのである。
 註記)エイモリー・B・ロビンス&L・ハンター・ロビンス,室田泰弘・槌屋治紀訳『ブリトル・パワー-現代社会の脆弱性とエネルギー』時事通信社,昭和62年,305頁・下段。
 要は日本のエネルギー生産体制もようやく,この基本認識に添った方向に動き出している。ところが,この動向が気に入らない竹内純子〔などの原発再稼働派〕は,ロビンスらのこうした35年前に表明されていた認識が日本でも本物になりつつある事態に対面させられて,前段のように,それを「判りやすくて一時的に留飲が下がる主張」だと決めつけている。ともかく,竹内純子の意見(議論)は今日聞けたインタビュー記事に依拠するかぎり,説得力のきわめて稀薄な,しかも一方的な断定にもとづく内容になっていた。

 竹内純子『誤解だらけの電力問題』(ウェッジ,2014年)の「おわりに-解だらけの電力問題」より,つぎの段落を抜粋しておく(同書,227頁)。
 註記)ここでは,https://www.solar-partners.jp/pv-eco-informations-32575.html からの孫引き。

 気持ちは原子力発電などもう嫌だと思っても,エネルギー政策の3Eが染みついた頭は,脱原発を容易に口にすることを許してくれません。日本は燃料資源にはとことん恵まれませんでした。化石燃料,ウラン燃料のほとんどすべてを海外から輸入しなければなりません。ということは,貿易収支が燃料の輸入でつねに圧迫されることだということです。
 補注)文中の「3E」とは,つぎの3つのEのことである。

  ★-1 Energy Security(エネルギー安全保障)
  ★-2 Efficiency(エネルギー効率・コスト)
  ★-3 Environment(環境・温暖化対応)

 現段階において原発をめぐる評価は,この3Eは落第点しかついていない。ただし,最初に挙げてある「エネルギー安全保障」はマイナス点を付けるべき対象にまでなっている。

 モノづくり立国となり,高い付加価値の工業製品で外貨を稼げるようになったので,燃料を海外から買ってくることが可能になり貿易黒字も生み出してきましたが,そもそも電気は「あるのが当たりまえ」ではなく「ないのが当たりまえ」の国なのです。
 補注)ここでは,再生可能エネルギーの開発・利用によって,この指摘はすでに転覆させられていること(⇒批判され破綻している事実)を,どうやら竹内純子はよく承知のうえでいっているらしくもみえるから,なおさらのこと奇怪に感じるほかない。

 しかし,いつの間にか私たちは資源貧国であることすら忘れ,エネルギーあるのを当たりまえと考えるようになってしまいました。世界には電気を使えない人が約13億人もいて,電気がないために健康や生活を脅かされているというのに。
 補注)ここでは,この意見に対しては明確に「違う」と断定しておく。こういうふうにいいかえておけばよい。日本に暮らす「私たちは」「いつの間にか資源富国であることすら忘れ,エネルギーがないのを当たりまえと考えるようになってしまいました」と。

 再生可能エネルギーの開発・利用には原料(燃料)そのもの輸入は不要である。地産地消型のそれだからである。水車を利用してきた水力の歴史を忘れたか? 一事が万事で竹内の見解には問題ありあまるほどある。

 また,その「約13億人」用の電源に原発が有効ということも,いいたいのか? これまたひどい立論である。こちら用にもっとも適した電源が再生可能エネルギーであることは,いま世界中で注目されているだけでなく,国際協力的な視点からも実現されるべき方途である。
 
 それほどにまで原発に執心しなければならない「竹内純子の立場・思想」には,どうも解しかねるものが残る。とはいえ,そこに控えている〈なにか〉を察することは,むずかしくはない。比喩でいえば「三つ子の魂百まで」。いうまでもない点だが,ここでの「三つ子」とは竹内が「元東電社員であったとき」に「原発必要論」に,きっと骨の髄まで洗脳(?)させられていたと推察しておけばよいのである。

 前述にあった3E,Energy Security(エネルギー安全保障)と,Efficiency(エネルギー効率・コスト)と,Environment(環境・温暖化対応)は,いまでは討ち死に状態になっている。安全保証のことは前述したので,残りふたつについては,こういっておけばよい。

 原発のコストは高い。環境・温暖化対応は原発にとっては不可能事である。熱効率(発電)に生かされていない熱は,近隣に放出しており,炭酸ガスを出さずにじかに「地球温暖化の原因」を提供している事実は「しる人ぞ,しる」。その熱量全体はものすごい水準に達している。
    ここでは,こういう指摘を引用しておく。なお,文中で「?」は原文のままである。

 1年間における原発からの温排水による総廃熱は日本全体に入射する太陽熱の0.14%に相当し,これは産業革命以来,約?年間排出されてきたCO2による強制放射熱の0.12%を上回る。
  註記)http://fukushimaworkerslist.blogspot.jp/2013/11/blog-post_14.html
      広瀬隆二酸化炭素表紙
 関連する議論の関して代表的な文献が,広瀬 隆『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社,2010年)である。問題は,広瀬が電力会社にとって天敵のような人物であるかどうかよりも,関連する事実=真実を的確に把握し,認識するほうにかかっている。
 そして,竹内純子はいまも多分,そうしたヘソの緒:原点(原発推進論の立場)を引きずっていかざるをえない立場から,「NPO法人国際環境経済研究所理事」としての主張をしていたとも推理する。このごろは「環境」という言葉が〈悪性インフレ〉を起こしている。
 補注)本ブログにおける関連の記述がある。⇒ 2014年06月15日,「『原発』こそが地球温暖化の,重大な原因のひとつである」
 

 2)読売新聞社編『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか-』昭和29年
 いまもなお原発推進の立場にある読売新聞社は,昭和29〔1954〕年にみずからが編者となって,また当時の東京大学助教授・理学博士中村誠太郎の校閲をもらい,著作『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか-』を公刊していた。この本の題名はより正確にいえば『ついに《悪魔の火》は人間をとらえた-原子力を人を不幸にする-』と名づけるべき性質をもっていた。
ついに太陽をとらえた1954年表紙
 事故を起こすとわずか2~3時間でメルトダウンを惹起させるような装置・機械である原発が,人間に幸福をもたらすとか・そうではないとかいった次元で話題にすることじたいからして,議論の方向をとりちがえている。

 読売新聞社編『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか-』は,原発のすばらしさを解説する本だと,そのころは宣伝されて発売されていた。だが,半世紀以上も経った現在の地平から回顧するに,この本は,原発の危険性・反人類性を自己証明するための告白をしていた書物であったことになる。

 同書のなかには「ついに太陽をとらえた」という同名の1章が設けられているが,その副題には「原爆から水爆へ-壮大きわまる思いつき実現-」という文句がつけられていた(同書,184頁)。しかし,この「壮大」さというものは,原発がいったんでも事故を起こした分には,まことにもって「壮大極まる」「過酷事故」「核惨事」の発生となる宿命を,まえもって説明するための形容であったことにもなる。

 「原子炉というのはどういうものか?」と問うこの本は,こう答えている。「一言にしていえば,爆弾が原子力を一時に出させるものとしたら,これは原子力が小きざみに出させる装置」である(175頁)。すなわち,原発事故は,この原子力の使用法を間違えるという意味での操作失敗なのであるが,事故を起こしたときには「原子力を一時に出させる」 原子「爆弾」となる。物理学的にいってそう説明できる。
 
 読売新聞社『ついに太陽をとらえた-原子力は人を幸福にするか-』1954年から30年後,こんどは朝日新聞科学部編になる『あすのエネルギー』(朝日新聞社,1974年)が公刊されていた。本書はつぎのように楽観的な観方を披露していた。いわゆる「安全神話」の幸福感に満たされた見解であった。
    原子力発電所は,……安全対策を立ててある。運転中に突然,炉の中の水が全部抜けてしまい,燃料棒が熱のために溶けるという,現実にはほとんど起こりえない事故を考え,そういう事故が起きた場合でも,付近の住民にひどい放射能の害が及ばないように非常装置を取りつけ,発電所の立地も決めてあるのだ(同書,138頁)。
 いうまでもないが,ここに説明されている内容はすべてウソ(反故)になっていた。前述したように前世紀から今世紀にかけて起きた原発の大事故は,それぞれ以下の日付けに起きていた。

  ★-1 1979年3月28日,スリーマイル島原発事故。 
  ★-2 1986年4月26日,チェルノブイリ原発事故。
  ★-3 2011年3月11日, 東電福島第1原発事故。

 川村 湊『福島原発人災記-安全神話を騙った人びと-』(現代書館,2011年4月25日)に対するブック・レビューのなかには,「悪魔は誰か本当の黒幕は誰かわかって来ました」という感想もみられるが,悪魔そのものは〈原子力〉という物理=太陽のエネルギーある。この悪魔を人間の側から “とらえることができた” などと勘違いしたところから,そもそもの原発的な間違いが開始されていた。

 人間が「原子力をとらえた」のではなく,原子力が「人間をとらえた」のである。しかも,そのとらえかたは尋常ではなく,人類を破滅させかねない地点まで,人間を追いこんでもいる。原子力は《悪魔の火》である。この力が役に立つのは「戦争のとき」だけである。人間を殺す戦争のために使われる。それを電源に応用したのだから,間違いであったというほかない。
 

 
 【子どものいない安倍晋三だが,本気で保育所を増やす気があるのか?】

 【一億総活躍なんて喚いているうちに,日本国の人口は1億を切る】

 【セックスをしたくなる国造り(子どものための養育環境作り)ができないようでは,首相失格。トランプと抱きあって喜んでいるようでは(ドヤ顔),この国の指導者としての資格はない】

 【生命再生産の理論を実践できない日本国】


 
 ①「『セックスレス』過去最多の47.2% 16~49歳の既婚者」(『日本経済新聞』2017年2月13日夕刊18面「社会1」)
 
 昨日〔2月13日〕の『日本経済新聞』夕刊社会面に出ていた記事であるが,こういう統計数値が具体的にしらされて,たいそう参考になる情報だと感じた。以前より断片的・個別的に,こういう「実際生活における性事情」が実在する点は,あれこれと示唆されるかたちで話題にはなっていたものの,社会調査の対象として「夫婦間のセックスレスの傾向が一段と進んでいる」実情が明確にされた。次段に引用するが,右側にもその記事現物を画像資料としてかかげておいた。(画面 クリックで 拡大・可)
『日本経済新聞』2017年2月13日夕刊〔社会〕面
 --結婚している16~49歳の男女のうち,1カ月間性交渉がない「セックスレス」の人の割合が過去最高の47.2%だったことが,日本家族計画協会の調査で分かった。前回2014年調査に比べ2.6ポイント増え,調査を始めた2004年からは,15.3ポイントの増加だった。同協会の北村邦夫理事長は「夫婦間のセックスレスの傾向は一段と進んでいる」と話している。
 補注)この数値の示した下落傾向,10年間で「セックスレス」の人の割合が 2.6%分増えたという数値は,より具体的にはどのような意味があるのか? 調査対象になった人びとの平均年齢が上昇していないか,この影響はないかなどといったたぐいの疑問もありうるが,それよりもこの数値そのものが「過去最高の47.2%だったこと」を教えている点には驚いていいと思う。

 男性は47.3%,女性は47.1%と男女差はなく,年齢別で男女とも45~49歳がもっとも高かった。セックスに積極的になれない理由を尋ねると,女性が「面倒くさい」(22.3%),「出産後何となく」(20.1%)が多かった。一方,男性は「仕事で疲れている」(35.2%)が圧倒的に多かった。ただ,男性の労働時間の長短とセックスレスの相関関係はみられなかった。
 補注)前段でも触れたが,年齢が高くなれば一般論として,このようにその回数が低下するのは,当然の傾向である。これじたいに特別の意味をもたせるような説明は適切ではない。ほかの説明の方法を探りあてる余地がありそうである。

 調査は昨年10~11月,実施。未婚者を含め1263人から回答があり,このうち既婚者655人の回答を分析した。(引用終わり)

 ところで,既婚者夫婦でなくとも,男女間においては性交渉があるのが当然も当然であるのだから,正式に夫婦でなければ,統計調査の結果分析から除外しておいたという手順が,まだよく理解できない。調査対象の母集団をそのように腑分けし,処理するための合理的な根拠が家族社会的に確実にあるのかと問うに,これには疑問があり過ぎる。既婚者でなくとも,日常的に同棲している男女に対しては同じにあつかうべきではないか,という疑問が提示されるべきである。こちらの同居者男女は子どもを産まないということか?

 もしかしたら,そこまで配慮して調査結果を分析・処理・加工したら,結果の数値のとりあつかいとして,問題の焦点がぼやけるとでも考えたのか。ただし,これはあくまで想像での推理(疑問提示)なので,これ以上はなにもいえない。しかし,セックスレスの問題は結局,出生数や出生数の問題に直接に関係している。それゆえ,いまとくに関心を向けている,それもつぎのように解説されるこの用語(出生数と出生率)にかかわらしめて,その内容を真正面から問題にとりあげていいはずである。

 ② 出生数と出生率

 ☆-1「出生率」とは「その年に生まれた人口千人当たりの出生数」を指し,その人口千人の内訳に関して年齢や性別の区別はほどこさない。

 ☆-2 「合計特殊出生率」とは「一生のあいだにひとりの女性(15~49歳)が生む子どもの数」を指すが,とくに性別や年齢を絞りこんでおり,より正確な指標であるとされている。

 本ブログ内でのとくに,2016年12月22日の記述のなかに,関連する図表が掲出されていたので,再度ここでも参照しておく。
★「出生数,初の100万人割れへ 厚労省
2016年推計 少子化止まらず」★
=『日本経済新聞』2016年12月22日朝刊1面冒頭記事=


 2016年生まれの子どもの数が100万人の大台を1899年の統計開始以降で初めて割りこむ。98万~99万人程度になる見通しだ。20~30代の人口減少にくわえ,子育てにかかる経済的な負担から第2子を産む夫婦が減っており,少子化の進行があらためて浮き彫りになった。社会保障制度を維持していくためにも,政府の人口減対策や子育て支援の充実が一段と重要になっている。
『日本経済新聞』2016年12月22日朝刊1面出生率図表
 厚生労働省は近く,2016年の人口動態調査の推計を発表する。2015年は100万5677人だった。すでに公表されている2015年8月~16年7月までの1年間の出生数は99万人で100万人を割りこんでいる。「団塊の世代」で出生数がもっとも多かった1949年の4割に満たない。規模としては100年超前の水準だ。
出生率予測図表
 出所)これは政府関係官庁の予測であったが,いかにいい加
    減にその場かぎりの推定をおこなってきたかが分かる。
http://fundo.jp/19621

 出生数が減っているのは20~30代の女性が減っている影響が大きい。2016年10月時点の人口推計では同年代の女性は約1366万人で,10年前に比べて2割減った。2015年の合計特殊出生率(1人の女性が生涯に産むとされる子どもの人数)は 1.45で前年を0.03ポイント上回った。最低を記録した2005年(1.26)から改善している。ただ女性の人口は減っており,出生数を押し上げるまでに至っていない。
 ③ 「出生率 1.46に微増 『1.8』の目標達成は難しく 2015年統計」(『東京新聞』2016年5月24日朝刊)

 女性1人が生涯に産む子どもの推定人数を示す合計特殊出生率が2015年は 1.46となり,前年から0.04ポイント上昇したことが厚生労働省の人口動態統計(概数)で分かった。上昇は2年ぶりで,1994年(1.50)以来の水準。出生数は100万5656人(前年比2117人増)で,2010年以来5年ぶりに前年を上回った。一方,死亡数は129万出生数と出生率画像428人で戦後最多。死亡数から出生数を引いた人口の自然減も28万4772人で過去最大となった。

 厚労省は「景気の回復傾向を背景に,30代と人口が多い40代前半の『団塊ジュニア世代』の出産が増えた」と分析。ただ主な出産世代とされる20~30代の女性人口は減少し,死亡数も今後増加がみこまれるため,「人口減少が加速する流れは今後も続く」としている。安倍政権がめざす2025年度末までの出生率 1.8の実現も難しい情勢だ。

 合計特殊出生率は2005年の1.26を底に緩やかな上昇傾向にあったが,2014年は9年ぶりに減少に転じていた。2015年の出生率を都道府県別にみると,沖縄が 1.94ともっとも高く,島根 1.80,宮崎 1.72と続いた。最も低かったのは東京の 1.17で,次いで京都 1.26,北海道 1.29。

 母親の年代別(5歳ごと)の出生数は,20代が前年より7727人減った一方,30代は7940人増加。第2次ベビーブーム(1971~1974年生まれ)の団塊ジュニア世代である40代前半も2951人増えた。第一子出生時の母親の平均年齢は30.7歳(前年比0.1歳増)で晩産化も進んだ。

 結婚したカップルは63万5096組(前年比8653組減)で戦後最少。初婚の平均年齢は前年と同じく夫が31.1歳,妻が29.4歳だった。死亡数は前年より1万7424人増加。全死亡者に占める死因別割合はがんが28.7%で最も高く,心疾患15.2%,肺炎9.4%と続いた。
 註記)http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201605/CK2016052402000132.html

 以上,日本の人口が滔々と減少傾向を歩み始めている様相が説明されている。どうすればよいのか?

 ④「保育所落ちた」

 1)「保育所落ちた,日本死ね!」といいたくなった
 2月13日〔昨日〕の夜であった。ある夫婦(共働き)の子ども(乳児)に関する保育所関係の情報が入ってきた。結果は,本日の表題どおり,「保育所に『当選しなかった,保育所落ちた! 日本死ね!』である」。
保育園落ちた画像
出所)http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/0f404dc14a22186013b16e2afb1350be

 ちょうど1年前のいまごろ,国会のなかで山尾志保里民進党議員と安倍晋三君(いちおう総理大臣)とが質疑応答するなかから飛び出てきて,当時非常に有名になったその文句「日本死ね!」のようにとまではいわないが,出生数や出生率の減少傾向問題に絡めていうまでもなく,当事者両親の立場からはまったく同じような気分になって,こんどは「✕✕死ね!」と叫ばれても仕方あるまい。

 --ある夫婦が初めて儲けたこの子どもの保育所問題なのであるが,早速「要らぬ気苦労」をさせられており,いたずらにヤキモキしているようでは,つぎに第2子を欲しいと思っていても,きっといまから冷や水を浴びされた気分にしかなるまい。
線香花火顔図
出所)http://access9.cocolog-nifty.com/blog/2007/06/post_3e76.html

 安倍晋三君が「1億総活躍」などといって,国民たちに向かい「産めよ,殖やせよ」と《発破》をかけたところで,実際には〈線香花火〉程度の後押ししかする気がない。そのせいで,保育所に子どもを預けられるかどうかといったような問題でもって,いきなり最初から子どもの養育ために苦労させられる夫婦〔など〕にとってみれば,日本の出生数が絶対的に減少している「いまの傾向」のことや,出生率がコンマ以下・何桁かで多少上昇して動いたことなど,「そんなの関係ねぇ!」

 どうみても,いずれ近いうちに日本国の人口は「1億」を割る。移民を千万人単位で入れろという坂中英徳の主張に説得力を感じるゆえんである。坂中の意見について本ブログは,なんどかとりあげ,関連する議論もしている。

 安倍晋三君の場合,個人的にはたまたま,夫婦間において子どもがいない世帯・家庭である。この夫婦(2人とも〔プラチナ?〕の箸をくわえて産まれたとても恵まれた人)に対して,現在において話題になっているような「出生数や出生率」の深刻な問題が,はたしてよく理解できているのか疑問なしとしえない。
=参考資料・画像=
ロシアの人口減少問題
出所)http://x3ru9x.sa.yona.la/9283
 しかし,一国における人口問題は個人次元だけに関する論点ではなく,国家全体の存亡・興廃にもかかわる重大な課題でもある。ここではつぎの意見を聞いておく。「少子化の原因」のなかでもその基本的な原因だとみなされる「晩婚化・未婚化」についての話題である。

 2)日本の人口が増えない原因
 なぜ,晩婚化や未婚化(非婚化)という現象が生じているのか。その要因としてはつぎの3点が挙げられる。

  (1)  女性の経済力上昇による結婚による利点の減少,結婚のリスク化
  (2)  フリーターやニートの増加などによる経済的不安
  (3)  育児支援制度の不備

 いままで晩婚化や未婚化が進んだひとつの要因に,女性の社会進出,女性の「将来に対する不安」が挙げられている。だが,この「女性の社会進出と少子化対策」については結局,子供をどのように産み育てるかといった婚姻制度まで含めた社会全体の仕組,将来不安をなくすための経済上の諸問題(雇用制度や働き方)など,一朝一夕には解決し難い問題に正面からとり組まなくてはいけない。
 註記)http://blog.goo.ne.jp/yousan02/e/0566379e448a5348744e9679731c8ac1 を参照したが,かなり補正をくわえてある。

 とはいえ〔ともかく〕,この種の議論をしているうちに,どんどん日本国における出生数(新生児が誕生する絶対数)は減少してくばかりである。婚姻そのものも低率化している。何年先をみすえて解決をめざすとか,当面の問題どうするこうするとかいった弥縫策では,日本における人口問題はこれからもひたすら減少の一途をたどるほかない。

 3)大熊信行『生命再生産の理論-人間中心の思想-上・下』1974年
 この本は上下2冊からなる大部の著作(専門書)である。たしか1980年ころ品切れが近くなっていたこの本を購入したことを覚えている。それはさておき,本書から,本日の論及に関連する引用をしておく。
    食べては働き,働いては食べる。--すなわち生きるということは,そういった特定のことがらの,日常的な反復である。それが「生」の持続であり,「生」の持続であり,「生」の日々の更新であり,そして経済学的な用語法にしたがえば,「声明の再生産」である。「再生産」とは,消費が生産につらなり,生産が消費につらなる循環の過程を,生産の反復という視点からとらえたもの。

 「生」反復である。それは個としては日常的な反復である。と同時に種としては,個の死生による反復である。このような視点からながめられた人間の日常の生活は,いわゆる「歴史」という波の表面にあらわれることがあまりなく,歴史的な事件とは層を異にしている。かりにそれが民俗的な要素にみちているとしても,歴史的な記録と呼ぶべきものを残すところがなく,しかもいっさいの事件というものは,この生活なしにはおこることがない。
 註記)大熊信行『生命再生産の理論-人間中心の思想-上』東洋経済新報社,昭和49年,20頁。
大熊信行表紙 戦争中は「産めよ,殖やせよ」を,最終的にも直接的にも「死」をめざす関係をもって,国家・政府が臣民たちに要求するという大きな間違いを犯していた。
 註記)右側画像は,潮出版社,昭和45年発行の増補版で,論創社,2009年発行。

 こんどは21世紀の時代において『政(まつりごと)』に当たっており,この責務をまっとうすべき立場にいる国家の最高責任者が,大熊信行が説明したごとき「『再生産』とは,消費が生産につらなり,生産が消費につらなる循環の過程を,生産の反復という視点から」するこの『政』の根本義を,まともに担当も遂行もしえない状態のまま,それでいて平然としてもいる。

 いうまでもないと思われるが,人間の「生命再生産」とは,もっとも具体的に表現されるとき「実際生活における性事情」に関した個々における〈内情の問題〉となる。要は「生命再生産の実際」の核心部分は「性による生命の再生産」によって実現されている。皇室のお世継ぎ問題。この事実は事実そのものであるけれども,学問の領域においてよりまともに,まじめに概念化され表現されておく必要がある。

 ここで ① の記述に戻る。その記事によれば,「いまの日本では結婚している16~49歳の男女のうち,1カ月間性交渉がない『セックスレス』の人の割合が過去最高の47.2%だった」というふうに報道されるようにまでなっている。

 4)女性手
  『女性手帳』? 森 雅子(自民党参議院)が,第2次「安倍晋三内閣のおバカ大臣専用席の雛壇」に座って〔登って〕いたころ,いいかえると,2012年12月26日から2014年9月3日において,この議員が少子化対策も仕事のひとつとする国務大臣であったころの話題となるが,『女性手帳』というものの構想が提示されていた。

 なお女性手帳とは,政府が2013年5月現在でいわれていたこととして,女性向けに身体メカニズムや将来設計を啓発するため配布を検討している小冊子を指していた。少子化対策として若い女性を中心に配布を検討していたが,男性も含めた希望者だけに配る方針をにしたものでもあった。(画面 クリックで 拡大・可〔より鮮明にみえる〕)
女性手帳意義あり記事
出所)これは2013年5月中旬における記事,
多分『しんぶん赤旗』と思われる,
http://blog.goo.ne.jp/uo4/e/85386193b0ac88a11b19e9d0487f2cf7

 手帳のアイデアは当時,森 雅子少子化相のもとに設けられた有識者会議「少子化危機突破タスクフォース」で浮上。30代後半になると一般的に女性は妊娠しにくくなるといった医学的な知識や自治体の支援情報を盛りこみ,自身の予防接種なども記録できるようにした手帳形式の啓蒙冊子であった。
 註記)http://d.hatena.ne.jp/keyword/女性手帳 参照。

 この女性手帳については,つぎのようなツイートを紹介しておく。「安倍政権が打ち出した少子化対策『女性手帳』が安定のドン引き!」「少子化対策を繰り出すたびに,ピントの外れ加減や,ナナメ上をいく的外れさで,ドン引きさせている安倍内閣。今回も少子化対策アイデア『女性手帳』で炎上しまくりです」。
 註記)https://matome.naver.jp/odai/2136776906664752501 参照。

 5)産婦人科医吉田穂波稿「女性手帳,反対するだけで終わらないために」(『WOMAN SMART』2013/6/7)
吉田穂波画像
 この文章からは,つぎの1箇所のみ引用しておく。
 出所)画像は,http://www.franklinplanner.co.jp/idea/instructorstalk/06.html

 「子どもをもつ・もたないは個人の自由意思で選択できることも踏まえたうえで,誰でも産める,誰でも親であることを楽しめる,誰でも親になることを経験することができる環境を整え,子どもをもつことが自分にとっても周りにとってもプラスになることを社会的にも認め,みんなでシェアできる社会になればと思います」。
 註記)http://style.nikkei.com/article/DGXNASFK2903X_Z20C13A5000000?channel=DF260120166504&page=3

 この論述は,前段において大熊信行のいったような内容,つまり「個」のそれぞれをどこにみいだし,さらにこの「個」の「種」としてのまとまり:層をどのように定めればいいのかを,この個と種を総合的に束ねて〈政〉をすべき立場にある一国の指導者が,いわば自国の人口政策として,いったいなににとり組み,おこなえばよいのかを示唆してもいる。

 戦争中の「産めよ,殖やせよ」は,とくに軍隊のための兵士を準備させ要員化すること,だから男性をたくさん再生産させるための,しかももっぱら国家のための政策であった。けれども,その人的資源の用途が「戦争という死を当然視する生命思想(死相)」に基本を置いていただけに,絶対に許容できない政策思想を背景にもっていた。例の靖国神社に特有である「国家神道としての宗教思想」に重大な問題性が隠されている事実(所以)も,そういった戦争問題から必然的に誘出されてくる。

 ともかく,人口減少の時代が不可避であり,絶対的な趨勢であるように映るほかないなかで,保育所すらろくに満足に提供できていないのが「いまの日本国」である。専制的な反民主主義,国家主義志向の独裁的な政治しかできない安倍晋三政権に,この国の人口がどんどん減少していく傾向に歯止めをかける能力は,もとよりまったくもちあわせていない。

 とはいっても,シンゾウ君夫婦にだって「子ども,いないし……」「仕方ないか」? だが,もう一度,重ねていうが,昨日以来,こう叫んでみたい夫婦が大勢いるはずである。

 「保育所落ちた! △△ 死ね!」

 ということで,ここしばらくのあいだは,この話題のせいで歯ぎしりを余儀なくされた,つまり「子どもが公立の保育所抽選から落ちた両親たち」は,去年における類似の出来事:事情の推移も参考にしたうえで,再び,こう叫んでいる。

 どこ・そこの “国家や市区町村は「死ね!」” と。--今日あたりはあちこち(日本全国津々浦々)で,遠慮なくこの怨嗟の声が挙がっているはずである。

 そういえば,日本という国はかつて経済大国である,といわれてきた,はずであったが……。そのときに,夢かうつつか(ウソか本当か)をよくたしかめておけばよかったが,あいまいなままにしてきた。

 
 【アメリカの原発は以前より採算問題を重視していたが,その本質をみそこなっていた東芝】

 【節穴だった東芝の社外重役たちの立場,著名経営学者の名声も形なしにさせた核発電技術を応用した事業経営の恐ろしさ】

 【原発問題に関する経営学者のうかつな発言】


 ①「米原発 衰退の危機,シェール台頭や老朽化 新規建設,コストの壁」(『日本経済新聞』2017年2月7日朝刊6面「グローバルBiz」)

『日本経済新聞』2017年2月7日朝刊原発問題画像1 米国の原子力発電産業が衰退の危機に直面している。シェール革命で安くなった天然ガスを使う火力発電に押され,老朽化した原発の停止が相次ぐ。2011年3月の福島第1原発事故後,米国でも安全規制が強化。東芝の巨額損失を招いたように,新規建設のコストはこれまで以上に膨らむ。温暖化対策に消極的なトランプ米大統領の政策も逆風になりかねない。
 補注)そもそも,1979年3月28日に発生したスリーマイル島原発事故以来,アメリカの原発新設は滞ってきた。安全性に大きな問題があることが現実の懸念となって重くのしかかり続けてきたからである。だが,日本では2011年3月11に発生した東電福島第1原発事故までは,積極的に原発を新設してきた。アメリカにとってスリーマイル島原発電で発生した重大な原子力事故は,もともと採算重視で利用してきた原発の位置づけを根本からみなおす契機となっていた。

 ☆-1「2013年から13基も原子炉停止が表明された。原発産業をどうするのか」(米原子力エネルギー協会=NEIのマリア・コスニック最高経営責任者=CEO)。

 ☆-2「米原発市場の競争力があるとはいえない」(米原発運営会社サザン・ニュークリア・オペレーティング・カンパニーのスティーブ・ククズンスキーCEO)。

 2017年1月27日,コロラド州で「米原発」をめぐる討論会が開かれ,先行きを懸念する声が相次いだ。世界の原発発電量の3分の1を占める米国である。現在,全米で稼働している原子炉は99基で,ピークだった1990年から15基減った。NEI前CEOのマービン・フェーテル氏は,今後5~10年でさらに15~20基が停止する可能性があると指摘する。

 1月9日,ニューヨークの中心街マンハッタンから約70キロ離れた場所にあるインディアンポイント発電所の原子炉2基の閉鎖が発表された。運営主体であるエンタジー社のレオ・デナルトCEOは「天然ガス価格の歴史的な低下や運営コストの上昇が響いた」と閉鎖の理由をコメントした。

 シェール革命で天然ガス生産が急増した米国では,天然ガスの価格(2016年平均)が10年前に比べて6割強下落した。燃料費だけではない。設備の技術革新もあり,天然ガス発電全体のコストは10年間で45%低下した。天然ガス発電が普及した結果「電気料金は過去10年で45%下がった」(エンタジー社のデナルト氏)

 一方,米エネルギー情報局(EIA)によると,米原発の発電コストは2015年までの10年間で4割も上昇した。電気料金が下がったにもかかわらずコストが上昇したため,苦境は深刻になった。コスト増の背景にあるのが設備の老朽化だ。

 1979年に起こったスリーマイル島の事故以降,長く新規原発の建設が認可されなかった。多くの原発が稼働から40年以上経つ。修理・保守費がかさみ,小規模原子炉ではコスト増を吸収できなくなってきた。米国の原発が抜本的に競争力をとり戻すには高効率の新型原子炉への設備更新が欠かせない。
 補注)「高効率の新型原子炉への設備更新」がはたして,原発産業にとって困難な現状を打開するための手段たりうるかについては,将来における廃炉問題も含めて総合的に判断すべき採算問題であるはずである。だが,このように,原発も通常の機械・設備と同じ要領で技術的に更新していけると発想する「記事の書き方」が問題になる。

 ヨーロッパの国のなかではそろそろ,再生可能エネルギーを多種多用なかたちに組みあわせながら,電力を開発・使用するエネルギー生産体制が構築されつつある。当初の導入期間においては発電コストが高価だとか批判されていたものの,再生可能エネルギーのその開発・利用が全般的に進展するにつれ,コスト面の有利さがじわじわと浸透しだしている。なにかと難癖をつけては再生可能エネルギーの開発・利用を遅滞させるのが得意であるかのような姿勢を採る日本政府関係部局であっても,最低限つぎのようにいわざるをえなくなっている。
   「コスト等検証委員会」が発表した発電コストのなかで,太陽光は2010年では発電コストが30円以上/kWhと高い。しかし2030年には量産効果などで,現在の1/2から1/3に下がる可能性がある。
 註記)https://www.asiabiomass.jp/topics/1202_01.html

 この説明はいまから5年以上は前のものであるが,この見通しについていえば,「この太陽光のコスト」がさらに低減化しつつある。ところで,まだ記述はまだ途中であるが,本日〔2016年2月13日〕の『朝日新聞』夕刊に,ちょうどつぎのような記事が掲載されていたので,これを材料に少し解説しておきたい。しばらくは,本論の記事から脱線するが,関連する重要な論点なので,ここで論及しておく。

☆ 再生エネ割合,ピーク時46%
昨年5月4日,4~9月平均は15% ☆

=『朝日新聞』2017年2月13日夕刊=

 全国の電力需要に占める太陽光や風力,水力などの再生可能エネルギーによる発電比率が,2016年度前期(4~9月)でもっとも高かった5月に平均で20.2%を占めていたことが分かった。ピーク時には46.3%に達していた。前期全体では15.7%だった。昨〔2016〕年4月分から公表が始まった全国10の送配電会社の電力需給実績のうち,2016年度前期について,NPO「環境エネルギー政策研究所」が分析した。

 再エネの発電比率がもっとも高かったのは5月4日正午(1時間平均値)で46.3%だった。5月の連休中は工場やオフィスの稼働が減り,気候も温暖なため,例年電力需要が少なくなる時期。太陽光発電が全需要の30.1%を賄い,火力発電の稼働が抑えられた。

 同研究所の推計では,再エネ比率は2010年度まで10%程度で推移。再エネの固定価格買い取り制度(FIT)が導入された2012年度以降,増加傾向にある。国が2015年に決めた2030年度の電源構成では,再エネ比率を22~24%にするとしている。松原弘直・主席研究員は「日本では再エネはほとんど送電網に入らないといわれてきたが,まったく違う実績が出てきた」と話す。(引用終わり)

 日本のこれまでにおける電力需要が最大時から15%くらいは減少しているなかで,さらにこの再生可能エネルギーの開発・利用による発電比率が,2016年前期全体では15.7%になったという事実は,「3・11」を契機とする原発事故の発生以前における電力需要水準に照らしていえば,すでに原発に依存していた電源比率分はもはや不要になった(すなわち宙に浮いており無用化した)といえる。その間,現に原発はほとんど稼働していなかったし,現在もまだ少数の原発しか稼働していない。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
電源別発電量比率図表2015年まで
   「電源別発電電力量構成比の経年変化を表わした」この図表(2016年5月20日,電気事業連合会 註記))では,電源別の構成比率について,2007年の電力供給が「10305億kw時」であったものが,2015年には「8550億kw時」に低下,つまり比率で 82.97%に減少している。
 註記)http://www.fepc.or.jp/about_us/pr/kaiken/__icsFiles/afieldfile/2016/05/23/kaiken_20160520_1.pdf

 そこへさらに,1年ずれる統計になるが,2016年度において前段記事のように占めるようになった再生可能エネルギーの比率(15.7%)も,さらに実績として増大してきた結果である。それゆえ,2007年前後において原発が電源全体のなかで占める比率は,

  2006年  30.5% ⇒  2007年  25.6% ⇒  2008年  26.0%
  ⇒  2009年  29.2% ⇒  2010年  28.6%  であったから,

この平均において3割弱・未満の発電分は,発電総量に対して比率的に判断するに,すでに不要・無用になったと断定されてもよい。        

 なお,付言しておくと,上掲の図表をかかげている電気事業連合会の解説が,いまどきになってもまだ,つぎのように「主張する点」が振るっている。例によって例のごとくの「いつもの決まり文句」になっていたが,こういっていた。「原発事故以来,原子力の減少分を火力(LNG,石油,石炭)でカバーし,2015年度では火力発電比率が84.6%。そのために莫大な国富が流出しています」註記)
 註記)ここでは,http://icchou20.blog94.fc2.com/blog-entry-413.html から。

 この「ひとつの」意見は,2014年半ばから急激に下降しはじめ,一時期よりも半額以下,ときに4分の1の水準まで下落していた原油(LNG)価格の推移状況を,意図的にまったく視野の外に置いたところの,恣意にのみ頼る「説明にもならない説明」であった。むしろ,原発のほうがコストの上昇問題を深刻にかかえている点は,ここでは触れないが,すでに周知の事実である。(途中での議論はここで終わり,次段〔 〕からは,もとの記事の引用に戻る)
  ☆-3「GE,海外にらむ」。 「AP1000はゲームチェンジャーになる」(サザン・ニュークリア社のククズンスキー氏)。東芝傘下ウエスチングハウス(WH)が開発した最新鋭原子炉のことだ。簡素な構造だが高出力。安全性の向上だけでなく建設期間の短縮や労働力削減も売りにする。米国で建設中の原発4基はすべてAP1000だ。しかし,建設作業は遅延に遅延を重ねコストが膨らみ,今回の東芝の経営危機にもつながった。
 補注)ここで東芝の社名が登場したが,アメリカの原発産業を「トランプのババを引く要領」でもってとりこむ事態など,絶対に考えていないはずであったこの東芝が,いまでは原発関連事業のためにかえって社運を傾きさせかねない状況にまで追いつめられている。『日本経済新聞』などの論調はAP1000が非常に期待できる原発であるかのように解説しようとしているけれども,安全性への技術的な対策はむろんとして,実際に稼働できたとしても,熱効率の向上は一桁(3~4%)でしか達成できていない。

 福島の事故を受け,米原子力規制委員会(NRC)は安全規制を厳格にしている。AP1000は世界で1基も稼働していないだけに当局の目も厳しく設計の見直しも多いという。米国での新規建設は巨額の費用がかかり民間企業の手に余る。2015年時点で米発電の燃料別シェアは天然ガスが33%で原子力の19%を上回る。2040年には倍以上になる見通しだ。

 米市場の縮小を見越し,WHは中国,ゼネラル・エレクトリック(GE)は英国など米原発メーカーは海外展開を急いでいる。だが,とくに新興国では中国勢やロシア勢との競合が激しい。ある外資系証券アナリストは「米原発産業は新たな環境に適応している最中」というが,反転への突破口はまだみえてこない。

リック・ペリー画像 ※「関連記事-米新政権,推進は不透明」。 
 トランプ米政権は原子力発電にどう向き合うのか。それを占うのが原子力行政を担うエネルギー長官に指名されたリック・ペリー氏の動向だ。2017年1月19日,ペリー氏は上院公聴会で「核廃棄物の処理の問題にも注意深くとり組んでいく」と述べ,原子力の技術革新や廃棄物処理問題に関心を示した。ただ,テキサス州知事時代にシェール開発と風力発電で実績を上げた人物だけに,原発を推進するかは不透明だ。
 出所)右側画像はリック・ペリー,http://wall.kabegami.com/editorial/政治家 リックペリー?page=14

 米原発関係者は「パリ協定の目標は原発なしでは達成できない」(サウザン・ニュークリア社のククジンスキーCEO)と環境面で原発の必要性を訴える。このためオバマ前政権は原発推進を表明していたが,トランプ氏は選挙期間中,パリ協定からの脱退を訴えた。

 票田となった石油・石炭業界の振興を鮮明にするトランプ政権に,温暖化ガスの排出が少ない原発の利点は評価されない可能性がある。トランプ氏は「米国は核能力を大幅に拡大しなければならない」とツイッターで述べている。これは兵器としての核でありエネルギーではない。トランプ政権内に有力な原発推進派が見当たらないだけに,米原発関係者の不安は募る。

 ②「〈社説〉M&Aリスクの丁寧な説明を」(『日本経済新聞』2017年2月10日朝刊)

 上場企業の決算で,過去に実施したM&A(合併・買収)関連の損失を計上する例が増えてきた。環境の急変で買収した企業や事業の価値が下がったことに伴う会計処理だ。企業はM&Aに関する損失発生のリスクを丁寧に説明していく必要がある。とくに目立つのは,買収額と対象企業の純資産の差である「のれん」や,買収先の「営業権」といったみえない資産から発生する損失の処理だ。
  のれん資産の算定画像
         のれん資産の比率画像
  出所)説明は不要,http://keieikanrikaikei.com/impact-in-impairment-of-goodwill

 企業は買収した事業がみこみほど収益を生まないと判断した場合,のれんや営業権の評価を切り下げ,その分を損失に計上しなければならない。こうした会計処理を減損という。東芝は買収した米原子力発電事業の経費が予想外に増えたため,のれんの減損などにより7000億円規模の損失がみこまれる。ソニーはDVDソフトの販売苦戦で,米映画会社の営業権について2016年10-12月期決算に1121億円の減損損失を計上した。

 減損会計の前提となるのは,事業が将来にわたってどの程度の収益を生むかという見積もりだ。企業は景気や世界情勢などさまざまな要因を考慮して見積もりを修正し,環境の変化に応じて減損の必要があるかどうかを判断しなければならない。有価証券報告書を丹念に読めば,減損についての経営判断をしることができる。ある程度は損失発生のリスクを察知し,備えることも可能だ。とはいえ,時間の制約があり経験に乏しい個人投資家の目に,減損の発表は唐突に映ることが多い。損失が巨額な場合は,企業や株式市場に不信感を抱くきっかけになりかねない。

 M&Aの増加に伴い,いまや上場企業が抱えるのれんは総額で20兆円を超える。企業は決算内容を平易に図解した説明資料などを活用し,減損の可能性について踏みこんだ説明を試みるべきだ。監査法人の責務も重い。のれんなどの会計処理が妥当なものかどうか。専門家の立場から,より厳しく目を光らせてほしい。(引用終わり)

 --東芝が昨年来騒がれてきた経営問題は,日本を代表する大企業が21世紀の現段階に至って,いかにもろいというか,まことに頼りない舵取りをしてきたかを露呈させている。東芝の経営問題について本ブログは,すでに以下の諸記述をおこなってきた。

  ★-1 2016年04月11日,主題「経営学者が〈理論と実践の谷間〉に落ちた瞬間-東芝における伊丹敬之の場合-」,副題1「違和感を抱かせる『経営学者の理論発言』と『経営の実際への関与』との関連性」,副題2「伊丹敬之流『経営学の理論と実践』の真価が問われた瞬間があった」
   
  ★-2 2015年10月05日,主題「経営学者伊丹敬之の真価,企業問題に関する『理論と実際』にかいまみえる『落差』」,副題「経営学者が理論で語る『事業の実践』のきびしさ」
    
  ★-3 2015年10月15日,主題「経営学者伊丹敬之に問われる『学者の倫理』問題」,副題「経営の理論と実際に関して,まともに・きびしく,問われていない経営学者の立場」 

  ★-4 2016年12月31日,主題「原発はトランプ・ゲームのババであるが,この事業をアメリカから買収した東芝の対米盲従経営路線の破綻,社外取締役のお飾り性」,副題1「いまどき原発事業で儲けようなどともくろんだ時代錯誤」,副題2「東芝原発事業部門の迷走的失策」,副題3「無策・無為(カヤの外)だった社外取締役や監査役たち」,副題4「経営学の大家(?)も理論どおりにはいかない『経営の世界の実際』」
 
 ③「東芝の原発損失どうなる? 米子会社,5700億円規模に」(nikkei.com,2017/2/11 2:00)  
 

 東芝の2016年4~12月期決算の確定作業が大詰めを迎えている。米原子力事業で発生する損失額は50億ドル(約5700億円)規模になったもようだが,2017年2月14日に発表する連結決算にどう反映するか作業は難航中だ。

  米国でなにが起きているのか。

  子会社の米ウエスチングハウス(WH)が2015年末に,現地の原子力サービス会社を買収したことが発端だ。計4基の原発建設を手がけているが,工事が大幅に遅れ人件費や材料費などコストが想定より膨らんだ。東芝は,買収時点でコスト増加分を過小評価していた。買収した会社の収益性が悪化。買収額と純資産の差である「のれん」の価値を引き下げる減損処理が必要になり,WHが巨額の損失計上を迫られた。

  東芝の決算にはどう反映されるのか。

  関係者によると,WHの損失額は50億ドル台でほぼ確定したようだ。ただこれは東芝の連結決算で計上する損失そのものではない。東芝本体でも国内で原子力事業を展開しており,WHとあわせて事業全体の価値を再判定する必要がある。同事業の損失額は最大で7000億円程度に変動する可能性もある。

  なぜ損失額が変動するのか。

  最大の要因が為替だ。ドル高が進めば海外の損失額は円換算時に増える。収益性を見直し,今回の買収案件とは別の原発資産を減損する可能性もある。全体の何割を減損するのかなど会計上の検証事項も多い。連結決算に反映する事業損失の確定作業は〔2017年2月〕「14日の発表直前までかかる」(関係者)見通しだ。

  東芝は債務超過になるのか。

  2016年4~12月期は大幅な連結最終赤字となる可能性が高い。足元では自己資本(昨〔2015〕年9月末で約3600億円)がマイナスになる債務超過のリスクが高まっている。ただ,2017年3月期末の債務超過は回避できるとの見方が多い。半導体事業が好調なうえ,資産売却や半導体分社化などの対策も検討するためだ。投資家や金融機関が懸念するのは,事業年度末に債務超過に陥るかどうかだ。2017年3月期末で仮に債務超過になれば,資金調達環境が悪化する。次の年度に解消できなければ,上場廃止になるという東京証券取引所の規定にも抵触する。

  今後の日程は。

  決算発表翌日に説明会を開き,金融機関に融資継続などを要請する予定だ。3月15日以降には内部管理体制確認書を東証に提出。東証は特設注意市場銘柄の指定解除や上場廃止を判断する。3月下旬には半導体分社化を決議するため,臨時株主総会を開く。
 註記)http://www.nikkei.com/article/DGXLASDZ10HTT_Q7A210C1TJC000/

 要は上場廃止の危機,その瀬戸際にまで東芝は追いつめられている。それもこれも結局は,原発産業に手を出したせいであった。つまり,東芝がこのたび遭遇している困難は,アメリカの 「子会社の米ウエスチングハウス(WH)が2015年末に,現地の原子力サービス会社を買収したことが発端だ」という事情から発生していた。

 原発産業を買収するさい,その事前評価において手抜かりがあったからだといわざるをえない。そして,こうした経営判断の失策を東芝の幹部たちは,伊丹敬之のような社外取締役も含めて,それに対する予見はむろんのこと,その途中でも気づかず,結局は東芝の屋台骨を揺らすような事態になってから初めて,問題に接する経過になっていた。それも,マスコミの報道や世間からの批判があってから,いよいよまともに対応はするようになっていた。

 『日本経済新聞』が先月〔2017年1月〕の19日に報道していた関連の記事が,その事情・背景をもう少し具体的に説明している。

 ④「東芝,米原発事業の損失5000億円超も 政投銀に支援要請」(『日本経済新聞』2017年1月19日朝刊)

 東芝の米原子力事業で発生する損失が,最大で5000億円を超える可能性が出てきた。2017年3月期の連結決算に反映する損失額は算定中だが,最終赤字は避けられない。自己資本が大きく毀損する見通しとなり,東芝は日本政策投資銀行に資本支援を要請した。今後,他の取引銀行にも協力を求め,財務や事業構造の立て直しを急ぐ。
    『日本経済新聞』2017年1月19日朝刊東芝業績1 『日本経済新聞』2017年1月19日朝刊東芝業績2
 東芝の原子力子会社,ウエスチングハウス(WH)が2015年末に買収した米原子力サービス会社,CB&Iストーン・アンド・ウェブスター(S&W)で損失が発生する。S&Wは原発の建設などを手がけるが,米国内での工事費や人件費などの追加コストが膨らみ,買収時の想定を上回る巨額のコストが発生する事態に陥った。

 東芝は当初,買収価格と実際の企業価値との差額を示す「のれん」を約105億円と見積もっていた。追加コストの発生が判明し昨年末に損失額が数千億円規模になるとの見通しを公表したが,金融機関には最大で5000億円になるとの見通しを示していた。追加コストを精査した結果,直近では4000億円から最大で5000億円を超えるシナリオを提示している模様だ。実際に東芝の連結決算にどれだけの損失を反映させるか,監査法人と協議を進めている。

 東芝は昨〔2016〕年11月,2017年3月期の連結最終損益が1450億円の黒字(前期は4600億円の赤字)に回復するとの予想を公表している。主力のフラッシュメモリーが好調で業績が一段と上振れる可能性も高まっていた。しかし,今回の損失発生で再び最終赤字に陥る見通しとなった。

 昨年9月末時点で東芝の自己資本は3600億円強あった。本業の回復と円安進行による外貨建て資産の価値の増加により,米原発事業による損失がなければ今期末の自己資本は5000億円前後に膨らむ可能性があった。今回の損失計上で自己資本の大幅な目減りが避けられず,資本増強策が急務になった。
『日本経済新聞』2017年1月28日朝刊東芝事業構成画像
出所)この画像は『日本経済新聞』2017年2月28日朝刊から。

 東芝は会計不祥事の発覚により,東京証券取引所から内部管理体制に不備があると投資家に注意を促す特設注意市場銘柄に指定されている。一般の投資家から幅広く資本を募る公募増資などは事実上,困難だ。関係者によると東芝は議決権のない優先株の引き受けや,一部を資本として認められる劣後ローンなどを検討している。政投銀にはすでに支援を要請したもようだ。東芝は近く銀行側に損失の概要などを説明する見通しで,資本増強策についても協力を要請する可能性が高い。

 会計不祥事にくわえ原発による損失発生を受けて東芝は事業構造の見直しを迫られている。主力のフラッシュメモリーを含む半導体事業は分社化を検討しており,ハードディスク駆動装置(HDD)世界最大手,米ウエスタンデジタル(WD)や投資ファンドなどから出資を受ける交渉を進めている。原発事業も抜本的な立て直しが不可欠になった。(引用終わり)

 --ところで,東京電力は「3・11」に遭遇したさい,想定外の原因で原発事故が起きたと強引に主張しつづけ,それも21世紀に記録されるような悲惨な,別のいい方をすれば,地域社会を破壊するような大事故を起こしていながらも,あの福島第1原発事故などいまでは,まるで「現場の後始末」以外はなにも問題などないその後であるかのように営業を継続している。
◆ 年収2%増を要求へ=東電労組 ◆
=『時事通信』(2017/02/08-17:26)=

 東京電力労働組合は〔2月〕8日,2017年の春闘交渉で,一般社員の年収で2%の賃上げを経営側に要求する方針を固めた。東京電力ホールディングスなど東電グループは福島第1原発事故の賠償や廃炉を進めるため,多額の費用捻出を求められているが,労組側は人材確保や社員の士気向上には年収アップが必要としている。

 14日の中央委員会で要求を正式決定する。大手電力などの労組で構成する電力総連は,月例賃金のベースアップ(ベア)を3000円,一時金を4カ月以上とする要求方針を掲げており,年俸制の東電も同程度の賃上げを求める。
 註記)http://www.jiji.com/jc/article?k=2017020800997&g=eco
 本来であれば完全に破綻しつくし,解体されて,主に関東管区からなる東電の営業地域は,まったく自由化された電力市場になるはずであった。しかし,ゾンビ企業でありながらいまだに紳士然とした格好で,しかも黒字も挙げられる経営業績になっているのだから,奇怪ともいうべきエネルギー産業・大企業である。

 それに比べて東芝は,日本を代表する電気総合産業・重工業会社のひとつであるが,なまじっかアメリカ国内ではもてあまし気味になっていた原発産業に大きく期待していたがために,日本の会社の立場から,原発産業を事業部門(子会社)に引きこんでいた。その結果が今回のような顛末を招来させていた。

 もう一度繰り返していっておくが,アメリカの原発産業は原発の導入当初から採算性の問題を抱えていたし,その途中でもいつも気にしてきた点が「採算がとれるか」どうかであった。その後,1979年3月28日のスリーマイル島原発事故や,それから10年も立たない1986年4月26日に発生したチェルノブイリ原発事故は,アメリカにおける原発の新設を完全に抑制させる要因になっていた。最近では何基かが新設・稼働しはじめているが,依然つぎのように評価されている。
   「米国で23年ぶりとなる新設原子炉の稼動は,同国の原子力発電が急拡大する兆しとはいえない」。
 註記)石井孝明稿〔経済ジャーナリスト〕「米国で23年ぶりに原発新設−今後の拡大は不透明」『アゴラ 言論プラットホーム』2016年11月02日 10:42)。
 こう論評した石井孝明関しては,同時に指摘しておかねばならないのだが,あいも変わらず「気候変動や大気汚染が国際的に深刻な問題になる中で,CO2 や有害のガスを出さない原発の長所を,筆者は重視している」などと,原発の技術的な本質にしては初歩知識の欠如ぶりを露呈させていた。
 註記)http://agora-web.jp/archives/2022419.html 参照。

 ⑤ 経営学者による原発関係の発言

 最近,経営哲学学会編『経営哲学の授業』(PHP研究所,2012年1月)をひもといていて,こういう段落を読んでびっくりしたことを思い出す。本書の内容紹介は,こうなされている。
    日本企業の真価が,いま問われている。オリンパス,大王製紙にみられるような一部経営陣の不始末が続出するなか,日本企業の経営はこれからどうなるのか。多くの経営者にとってその構築・実践がもはや必須といえる「経営哲学」への理解を,より深めるための格好の手引書が本書です。若手からベテランまで30人以上もの経営・経済学者による「誌上授業」を掲載。
失敗の本質表紙 (2)
 「経営哲学」という視点からみた重要経営者・キーワードを厳選して,その解説をおこなっています。また経営学者として世界的な活躍を続ける野中郁次郎氏,日本経営史の重鎮・由井常彦氏への,菊澤研宗氏(経営哲学学会前会長)によるインタビューも収録--野中郁次郎が語る「いま哲学に何ができるのか」,由井常彦が語る「日本の経営者にとっての『経営哲学』」--。

 「経営哲学」研究の国内における先駆的存在として活動を続ける経営哲学学会編集による本書が,日本企業の経営の未来に迫ります。
  このなかに氏名の出ている野中郁次郎が冒頭で「特別インタビュー   野中郁次郎が語る いま哲学に何ができるのか」に登壇して,こう語っていた。
     今回の大震災〔2011年3月11日の東日本大震災〕は,実際のところ「想定外」だったと思います。それでも,人間は想定外に直面することによって,学ぶ存在でもある。想定しないとわれわれはなにもできないから,まず想定する。しかし,想定外が起こることで,新たに学ぶ。そうしていくことが,重要なのだと思います。
 註記)経営哲学学会編『経営哲学の授業』3頁。〔 〕内補足は引用者。
 しかしながら,東電福島第1原発事故の発生に関して,その事故原因が〈想定外〉があったという判定が「完全なる間違い」であった事実は,いまの時点で指摘するゆえ後知恵的な批判にもなるかもしれないが,あまりにも目先にとらわれた学識の披瀝であった。野中郁次郎が想定外だと判定した原発事故に対する見当違いの判定が,今後の原発行政に対して与えるかもしれないよからぬ影響を心配する。
    途中になるが,たいそう売れている野中郁次郎共著も紹介しておく。ダイヤモンド社,昭和59〔1984〕年発行。文庫版も出ている。
失敗の本質表紙 (1)
 東電側が津波襲来の波高が場合によっては15メートル(以上)にもなりうることは,事前の研究調査によってしっていたのである。だが,その歴史の事実にもとづく情報は,故意に想定内には入れず放逐し,想定外にしておいたのである。その理由はいうまでもなく,営利の論理(資本の理屈)であり,目先の利益のためであった。

 「3・11」以後,貞観津波が〈歴史の記録〉として実在する点は再確認されている。この「貞観津波」は,平安時代の貞観11年(西暦869年),陸奥国多賀城を襲ったとされる巨大津波であった。三陸沖で発生した地震規模はマグニチュード 8.3以上と推定される巨大地震であり,平安時代の正史《日本三代実録》に記録が残っている。しかも,この貞観地震に近い規模の大地震は,その後においても何回も繰り返し記録されてきた。
 註記)https://kotobank.jp/word/貞観津波-1734421 参照
貞観地震記録
  出所)http://mediawatcher.seesaa.net/upload/detail/image/「日本三大実録」901年.jpg.html

 東京電力ほどに優秀な人材を擁している一流の大会社が,原発の立地研究に当たり,しかも原発の安全性にかかわる問題としての大地震の危険性を「想定外」に出しておくというのは,まずもって考えられないような〈意図的な操作のための態度〉であった。しかし,そのように「想定外」にしておくという「事前評価の工夫・対策」のほうだけは,もともと「想定内」として準備されていたわけである。

 ということでここでは,添田孝史『原発と大津波  警告を葬った人々』( “もっかい事故調オープンセミナー” ,2015年1月24日)という文書(報告要旨 pdf 文書)のなかから,「長期評価を書き換えさせる(2011年3月3日に)」という段落などを引用しておく。ここでの日付「2011年3月3日」http://www.cnic.jp/wp/wp-content/uploads/2015/01/c2dbe9d63d8fc94b0eac0fd6f58cbd20.pdf  には,とくに注目しておきたい。

 a)  文科省が長期評価を公表前に東電にみせる。  東電「貞観地震が繰り返して発生しているようにも読めるので,表現を工夫していただきたい」。文科省は地震調査委員会に諮らず勝手に修正案。「繰り返し発生しているかについては,これらを判断するのに適切なデータが十分でないため,さらなる調査研究が必要である」と挿入。
 註記)前掲 pdf ,32頁。

 b)  貞観津波 唯一の記述。 「そして激しい波と高潮がやってきてさかのぼり,また漲り進んで,たちまち多賀城の直下まで到来した。海を離れること数十百里の距離まで冠水した様子は,広々としてその果てを区別することができない。原野や道路はすべて青海原のようになってしまった。船に乗る余裕もなく,山に登る時間もなく,その中で,溺死するものが千余人にも及んだ」( 869年(貞観11年)7月 『日本三代実録』 保立道久訳 )。
 註記)前掲 pdf ,18頁。

 c)  2009年6月24日。 「(東電の想定とは)まったく比べものにならない非常にでかいもの(津波)が来ているということはもうわかっている」(岡村行信・産業技術総合研究所活断層・地震研究センター長総合資源エネルギー調査会原子力安全・保安部会 耐震・構造設計小委員会 地震・津波,地質・地盤 合同WG第32回)。
 註記)前掲 pdf ,25頁。
 
 --野中郁次郎がどのような経営学方面の業績を挙げてきたかしらないわけではない本ブログ筆者のような立場からすると,この学者が「3・11の大震災と原発事故」を「想定外」とみなした判断は,拙速どころか軽率であったといわざるをえない。
 
 結局,原発問題に関していうと,日本の経営者はこの原発事業に失敗し,日本の経営学者はこの事業経営に関連する問題に対して「理論の立場」から誤断を下していた。ともに,とりかえしのつかない意思決定をおこなったり,理論判断を下したりしたことになる。
今村真東芝不正会計表紙
註記)毎日新聞出版,2016年1月発行。
この書名どおりに東芝の苦境は継続している。

 そのなかでも伊丹敬之のような著名な経営学者にかぎっては,双方の領域にまたがる誤診を下しており,あるいはそれ以前における対応において無力ぶりをさらけ出していた。それゆえ,この人物が構えてきた学問の体質・理論の基本姿勢においては,なお重大な問題があると指摘されて当然である。

 たとえば,伊丹が「講書始」の体験者であることとは別問題のそれである。天皇家の権威は「企業の論理」や「経営の事実」に対面しては,まったく通用しない。。

『朝日新聞』2017年2月12日朝刊25面週刊現代広告
 【「安倍晋三はもう飽きた-国民の声が大きなうねりになる」と,週刊誌『週刊現代』2017年2月25日号の見出し文句が踊っている。「小池百合子をつぎの総理に」したらいいという応援団の発声もあるかと】
 
出所)画像は『朝日新聞』本日朝刊。 

 【この女性政治家も極右である点は安倍晋三となんら変わりない。しかし,安倍晋三ほどには頭脳が混濁してはいない点で,その分はまだマシかもしれない】


 ①「荒れる国会 閣僚答弁乱れ,辞任要求続々」(『朝日新聞』2017年2月10日朝刊1面冒頭記事)

 1)記事本
 南スーダンの国連平和維持活動(PKO)での「戦闘」記録問題や「共謀罪」の要件を変える「テロ等準備罪」法案に絡み,今国会は序盤から閣僚の答弁が問われる波乱の展開になっている。政府見解をひたすら繰り返して答えなかったり,説明を二転三転させたりする閣僚たちに対し,野党は相次いで辞任を要求。政治家の言葉の信頼性が揺らいでいる。
 補注)安倍晋三政権の国会における言論水準はいよいよ,正真正銘にシンゾウ君並みのところまで下がってきた。そもそも大臣職になった国会議員(もちろん主に自民党員)が,自分の管轄にある官庁業務の基本知識すらもたない・準備できていない状態で「△△大臣」の地位に就いているのだから,国会においてまともな議論(質疑応答)をできないでいるのは当然である。だが,その当然を当然といわせなくてもよい見本を,総理大臣である安倍君自身が垂範しているのだから,笑止千万である。この点は後段で言及する。

 〔その1〕  民進党の後藤祐一氏は〔2017年2月〕9日の衆院予算委員会で,南スーダンPKOに参加する陸上自衛隊部隊が「戦闘が生起」などと現地情勢を報告した日報をとりあげ,「戦闘はあったのか,なかったのか」と稲田朋美防衛相をただした。稲田氏は「国際的な武力紛争の一環としてはおこなわれていなかったが,人を殺傷し,物を破壊する行為はあった」と従来の政府見解を答弁。野党が「質問に答えていない」と反発し,審議が再三中断するなか,同『朝日新聞』2017年2月11日朝刊オピニオン欄風刺画様の答弁を計9回にわたって繰り返した。
 補注)この「同様の答弁を計9回にわたって繰り返した」という箇所が理解できない。いわゆる押し問答らしいが,なぜ9回もその問答を繰り返す必要があるのか「?」である。
 出所)画像は,『朝日新聞』2017年2月11日朝刊「オピニオン」。

 後藤氏は「実際は戦闘なのに衝突と置きかえて事実を隠蔽(いんぺい)する。間違った情報を国民に流して印象操作をしている」と指摘。稲田氏の辞任を求めた。

 〔その2〕  1月下旬から本格化した「共謀罪」法案をめぐる論戦では,つじつまの合わない説明を繰り返す金田勝年法相を野党が連日追及。金田氏は,法案の必要性を示すための事例説明で根拠を揺るがせたり,根拠として説明した判例が実際にはなかったりして説明を二転三転させた。浜田靖一予算委員長からは「質問がわからないときは答弁しないでください」「前向きの答弁を願います」などと繰り返し注意を受けた。
 補注)ここでも繰り返しという表現が用いられている。こちらの大臣も防衛相の長(頭)として自分の職務に関する基本事項をよく理解できていないらしい。共謀罪は,観方によっては戦前の治安維持法よりも悪い面をもつ,まさしく〈悪法〉だと批判されている法案である。

 〔2017年2月〕9日の質疑では,民進の山尾志桜里氏から「委員会の時間を浪費する大臣と,どうやってこれ以上議論したらいいのか。大臣失格だ」と指摘された。国会での質問を封じるかのような文書をみずからの指示で法務官僚に作らせていたこともあり,民進,共産,自由,社民の4党は金田氏の辞任を要求している。
 補注)「委員会の時間を浪費する大臣」の代表格は,実は安倍晋三君であった。以前,自分のこと(論旨の定まらない長話)は棚に上げておき,質問者の国会議員に対してのみは,質問を早くしろ,簡潔にしろと要求したことがある。それがいまでは,自民党の国会議員全員にまで広く感染している。

 野党は文部科学省の組織的な「天下り」問題で,「調査中」を理由にあいまいな答弁を重ねる松野博一文科相もターゲットにする。民進の蓮舫代表は9日,「(南スーダンPKO問題,『共謀罪』法案,天下り問題の)3点セットを明らかにしないと議論を前に進めることは難しい」と語った。

 2)事実の点
 以上の1面冒頭記事に対する関連記事が,新しく置かれた「政治家発言 点検します」という企画記事である。前段の記事に関連づけて配置されたこの記事は,今日はまず「〈ファクトチェック〉安倍首相 参院予算委員会 1月30日」において,発せられたウソ発言をとりあげ,こう指摘・批判している。

 安倍晋三首相は,2017年1月30日の参院予算委員会で,「どのような条文をどう変えていくかということについて,私の考えは(国会審議の場で)述べていないはずであります」と応えていたが,これは「《誤り》改憲手続きの96条,2013年に言及」した事実が記録されている。

 それは,「家族の助け合い」を新たな国民の義務に盛りこんだ自民党憲法草案をもとに,憲法観をたずねた民進党の蓮舫代表に対し,「行政府の長としてお答えする立場にない」「逐条的,具体的な案については憲法審査会で議論すべきだというのは私の不動の姿勢だ」と述べ,答弁を避けたさいの発言である。

 ところが実際には,2013年2月8日の衆院予算委員会で,日本維新の会の中田 宏氏から憲法改正手続を定めた憲法96条について問われ,「3分の1をちょっと超える国会議員が反対をすれば,指一本触れることができないということはおかしいだろうという常識であります。まずここから変えていくべきではないかというのが私の考え方だ」と答弁。個別の条文の改正について語っていた。
 補注)つまり,この首相は自身の記憶力に問題があるとか,自説を語るさいにこの一貫性について考慮をするとかといった問題よりも,以前,自分が発言したことなどは,あとになったらなったらで,そのときどきにあってどうでもよくなっており,場当たり的にそれもけっしていい加減にではなく,適当に(!)にきちんと答えているつもりなのである。
一強多弱画像
出所)https://seikeidenron.jp/political/20160510_abe-administration.html

 現在の国会における与野党の勢力関係は「1強多弱」の分布であるせいで,そのようにデタラメに近い言説であっても,とくに強く非難されもせずに無事に看過されている。もっとも,いまの首相は,そうした事実を指摘されるときは決まって「切れまくった態度」をとるので,まるで子どものいいぶん・口調になったりもする。


 予算委は「予算」と名が付くものの,国政全般について首相の見解をただすことができる場だ。昨〔2016〕年も自民議員の問いに,自民草案を逐条的に説明し,自分たちの考えを述べた。しかも,首相は今国会の施政方針演説で改憲論議を衆参両院の議員たちに呼びかけた。誤った事実関係をもち出して議論を避けるのではなく,野党の質問にも向き合い,首相の憲法観をつまびらかにしてほしい。

 --以上に引用・紹介・注釈した記事は「政治家発言,点検します」という意図でもって,とくに最近における,つぎのような事態を意識して報道する材料にとりあげられていた,ということである。
    虚実ない交ぜの発言で世界を揺さぶるトランプ米大統領の登場で,政治家らの発言内容を確認,その信憑性を評価するジャーナリズムの手法「ファクトチェック」が注目を集めています。米国ではメディアが積極的にとりくんでいます。朝日新聞は,先の臨時国会の首相答弁や党首討論での党首発言,トランプ氏の発言を検証してきました。新たに「ファクトチェック」コーナーを設け,「内容は本当か」という疑問がある「ミスリード〔誤導する〕かもしれない」という印象を与えるなどの基準にもとづき,政治家の発言を随時とりあげます。
 ② トランプ大統領の口撃問題

 アメリカの大統領に新しく就いたトランプの非常識で不躾に,ひたすら他者を攻撃的な口調でする発言は,この人が大統領になる以前から問題視されていた。たとえば,『朝日新聞』2017年2月11日の「〈Media Times〉米政権からの『口撃』,報道苦心-トランプ氏『私はメディアと戦争をしている』-」は,こう報道している。

トランプ記者会見の要旨 米メディアが,トランプ政権の報じ方で苦心をしている。大統領はみずからに批判的なメディアを「偽ニュース」と呼び,側近は事実と異なる主張が「もうひとつの事実だ」と開き直る。「ウソ」を正当化するような異例の政権とどう向きあうのか。メディアも問われている。
 出所)画像は大統領に就任する以前におけるトランプの発言,THE ASAHI SIMBUN DIGITAL,2017年1月13日07時06分,http://digital.asahi.com/articles/ASK1D6DZCK1DUHBI04K.html

 トランプ氏は就任から今〔2〕月9日までの3週間,自身のツイッターで計118回発信している。うち15回をメディア批判に費やし,「偽ニュース」という表現を何回も用いている。「偽ニュース」はもともと,大統領選のときにネットで広まったでっちあげのニュースを指していた。しかし,トランプ氏は「否定的な世論調査は偽ニュースだ」とも発信し,都合の悪い報道を「虚偽」と決めつけている。

 「私はメディアと戦争している」とするトランプ氏。就任式で,8年前に180万人を集めたオバマ前大統領の時と比べて「3分の1ほど」と報じられると,「150万人いるようにみえた」と反論した。ホワイトハウスのスパイサー報道官も「過去最高だった」と主張し,「メディアはトランプ政権の責任を問うとしているが,われわれもメディアの責任を問う」と宣言した。

 しかし,スパイサー氏が根拠としてあげた地下鉄の乗車人数などはいずれも事実と異なっていた。すると,コンウェイ大統領顧問がテレビ番組で「オルタナティブ・ファクト(代替の事実,もうひとつの事実)を提示している」と擁護した。ギャラップ社の昨年9月の調査で,メディアを信用していると答えた人は過去最低の32%。先月29日にFOXニュースに出演したコンウェイ氏は「偏った報道は我々を助ける」などと発言した。
 補注)日本の場合ではまさに,安倍晋三君が,国会で議論され問題になっている論点(争点)について,従来の既定であった基本的な方針や解釈を,突如,勝手に任意に都合良く変更するときは,「新しい判断」という表現をもち出し,使っていた。この便法的な論理遣いでいくと,なんでもかんでも「前後関係において不可避の矛盾や問題点」など素通りしていけるというか,完全に無視するかたちでもって,それまでの理解や解釈を簡単に変更できる。

  ※ メディア側,「ウソ」強い表現で対抗 ※ 

 米メディアも政権に対して強い表現を使っている。「私たちは偽ニュースなのか?」。〔2017年2月〕7日,CNNアンカーのジェイク・タッパー氏は,コンウェイ氏へのインタビューで問いただした。「殺人事件の発生率が過去47年で最高」「メディアはテロ事件について報じない」などというトランプ氏の発言は「虚偽」だと指摘し,「ウソ」ともいった。現職大統領に使う表現としては異例だ。

 トランプ氏は就任直後に「数百万人の不法移民が大統領選で投票したため,全米の総得票数でクリントン氏に負けた」との主張を繰り返した。このさいはニューヨーク・タイムズ紙が1面に「選挙のときのウソを繰り返す」と掲載。他のメディアも「証拠もなく話した」(ワシントン・ポスト),「虚偽の主張」(USAトゥデー)などと書いた。

 一方,こうした表現が増えることを懸念する意見もある。ウォールストリート・ジャーナルのジェラルド・ベーカー編集局長はコラムで「『ウソ』という表現は,意図的にだます意味がある」と指摘し,トランプ氏の真意がわからないなかでは,使うことに抵抗があると説明。「ウソ」を当たりまえに使うと,読者から党派色があるとみられ,信頼を失うと心配した。
 補注)もっとも,わが安倍晋三君の場合では「ウソ」が「ウソ」であることが「ウソ」であるかのように,ウソを平然ついていく弁舌になっている。本ブログ内では,2017年01月23日の記述,「困った君2名,ドナルド・トランプと安倍晋三による迷采配ぶりの政治と経済が,いまや満開の状態である」がある。
安倍晋三の嘘画像
 また,安倍晋三君のウソ(とホント)・シリーズというかその一覧表みたいな説明があるが,これはリンクのみ付記しておく( ⇒ http://50064686.at.webry.info/201411/article_15.html )。題名は『安倍晋三のウソ一覧 まとめ』(作成日時:2014/11/26 16:37)であり,論旨はこうである。

 「厚顔無恥で息を吐くように嘘をつく,安倍首相。これまで数々の嘘をついて国民を騙してきた。安倍晋三という政治家は嘘をつくのが仕事なんでしょうか?」
 出所)右側画像も上記アドレスから。 
  

 〔記事の引用に戻る→〕 ニューヨーカー誌のデビッド・レムニック編集長は〔2017年〕1月にあったイベントで,「社会的な規範は想像する以上に壊れやすい。いまは緊急事態だ」と述べ,メディアがこれまで以上に力を入れてトランプ政権について報道をする必要があると強調した。

   『朝日新聞』2017年2月6日朝刊に転載された “ニューヨークタイムズ” のデイビッド・ブルックスが「『女性大行進』のあとで 反トランプ陣営に必要なのは」という文章の最後のほうで,こう主張していた。「反トランプ陣営に必要なのは,より良いナショナリズムを打ち出すことではないか」と。

 この提言は日本の現状にも妥当しそうである。いまの安倍晋三政権内の面々は,これ以上ないと思われるほどの極右であり,なんのための右側なのか「彼ら自身さえよく理解できていない」ほど,そのように極端に右側の陣営に寄りすぎて,しかも縮こまっている。まるで極右の政治で運営しないことには,この日本国が沈没か熔解でもしてしまうかのような基本姿勢である。

 問題は,ブルックスが指摘するように日本でも,この極右政権を解消・撃滅できるような健全で革新性ある政党が,なかなか登壇してこないことにある。米英のように二大政党が政権をとりあうような政治の舞台は形成できていないし,これからも当分は期待薄である。

 ③ トランプの危うい立場

 想田和弘稿「〈思考のプリズム〉米大統領と憲法 遵守の誓いも噓なのか」(『朝日新聞』2017年2月8日夕刊「文化(文芸・批評)」)は,後半部分でこういう危惧を指摘していた。

 --ドナルド・トランプ氏も当然,この言葉〔大統領就任時に述べる決まりの文句〕を唱えて憲法遵守(じゅんしゅ)を誓い,第45代大統領に就任した。懸念されるのは,トランプ氏は宣誓とは裏腹に,すでに憲法に違反した可能性が高いことである。

 日本ではほとんど報道されていないが,実はきわめて重大な問題だ。たとえば合衆国憲法には,「連邦政府の役職に就く者は,外国政府からの支払いや贈り物を受けてはならない」との規定がある。外国政府からの賄賂により国益を損ねる政策が実行されないよう,権力者を縛っているわけだ。

 ところがトランプ氏は,世界中にホテルや不動産を所持したままだ。ホワイトハウスの近くにも「トランプ・インターナショナル」という高級ホテルをもっているが,ここに外国の要人が泊まり支払いをした時点で憲法違反になる。それは多くの学者が共有する見解で,すでに訴訟が提起された。また,氏はこのホテルを改装するため,ドイツ銀行から多額の借金をしている。そのことがトランプ政権の対ドイツ政策に影響を与える懸念もある。

 憲法違反や利益相反を防ぐには,氏はすべてのビジネスを売却し,自分と切り離す必要がある。実際,これまでの大統領は皆,そうした措置を就任前に実行してきた。しかしトランプ氏はそれを拒んだまま,あの35の言葉を唱えてしまった。心にもない宣誓をして,大統領になってしまった。

 ④「トランプと教育問題」(『日本経済新聞』2017年2月10日朝刊「大機小機」)

  『トランプ政権と教育コスト』という題が付けられたこのコラム記事は,日本における教育問題にも通底する本質面を有している。

 --トランプ米政権のコア支持者を形成しているのは,中小都市や農村地帯に住む,大学教育を受けていない白人の貧困層(=「プアホワイト」とも呼称される)だ。かっての米国では,親の世代が貧困であっても,子供が努力すれば大学に進学でき,中流階級以上にはい上がって立派な家をもてるアメリカンドリームがあった。しかし1980年代以降の経済格差の拡大と貧困層の固定化が,低所得の白人層を中心に政府に対する強い不満を生んだ。

 米国の上位1%の高所得者の得る所得の全体に対する割合は,戦前期には15~20%だった。これが戦後の長期にわたる景気拡大で格差が縮小し,1960年代から1980年代前半までは8%程度にまで低下して平等化が進んでいた。しかし,その後は高所得者の得る割合が急速に上昇し,近年では戦前並みの18%程度に上昇している。半面,低所得者の生活水準は長期間にわたって停滞しつづけている。

 さらに貧困層が住む地域の公立学校は,その地域の固定資産税に依存しているため,教育の質が低く,進学率も高くない。さらに大学進学のコストも急上昇している。大学の授業料の上昇率は一般物価を相当,上回っている。1995年から2005年までに私立大学の授業料は2.8倍,公立大学では3.3倍になった。同じ期間に消費者物価は1.5倍しか上昇しておらず,授業料の上昇率が非常に高かったことがわかる。

 主要大学の学費の大幅引き上げは,中国など新興国の富裕層が子弟を米国に進学させる動きが重要な背景になっている。この結果,米国の主要私大の授業料は年間5万ドル程度になり,これに大学の寄宿舎と給食,教科書代をくわえると年間7万ドルに達する。4年間の進学費用が28万ドル,日本円に換算すると3000万円を超える。

 もちろん,成績優秀者には大学による授業料免除や奨学金制度があるものの,大部分の学生やその両親は卒業までに巨額のローン残高を抱えることになる。トランプ政権の政策が白人貧困層の現状を改善できるとは考えられず,不満を抱えた層が再生産されていくと予想される。
 
日本の大学学費推移1
日本の大学学費推移2
出所)http://www.garbagenews.net/archives/2202962.html

 この話は日本の場合に当てはめると,どうなるのか? とくに大学授業はどうなってきたか? 上にかかげた図表2点は「東京都の大学授業料推移(1950~2016年;1年間の金額:円)である。前段の『日本経済新聞』コラム「大機小機」で,アメリカにおいての「1995年から2005年までに私立大学の授業料は2.8倍,公立大学では3.3倍になった」という指摘とは,同じに議論できる対象ではない。

 だが,いまでは日本の大学は,高所得層であれば進学率6割台であるのに対して,低所得層が3割を切っている。この事実を踏まえていえば,大学へ進学するさいには,所得水準が最大の障害要因になっている現状が指摘されねばならない。米日の大学における給付型奨学金のあり方など,制度面において顕著である基本的な相違点はさておいても,そのように米日の大学比較をするとなれば,両国において共通する問題点も摘出できる。

 ⑤ トランプに抱えこまれている安倍晋三君の心配

 アメリカの新大統領になったトランプと会談にしに出向いた安倍晋三は,政治家としてはおたがいに,粗忽で横暴を売り物にする者同士であるせいか,早速気の合った場面がニュース画像に流れていた。だが,日米関係をめぐる《基本的な上下関係》になんら変化が生じるわけもなく,これからは,ある意味ではもっと露骨に「日本側の対米従属性は強まる」みこみしかもてない。

 『朝日新聞』2017年2月9日朝刊「〈経済気象台〉トランプ氏が及ぼす影響」は,これから必らず遭遇させられる “現実の心配事” を,つぎのように語っていた。

 --先〔2017年1〕月,米大統領就任前のトランプ氏がトヨタ自動車を批判したことが話題になった。同社のメキシコ新工場計画に対して,トランプ氏はアメリカに工場を建てるか,さもなければ多額の国境税を払ってもらうと「つぶやいた」のである。それを受け,トヨタはアメリカで100億ドルを投資することを表明したほか,現地で約400人を新しく雇用することも発表した。アメリカでの雇用増というトランプ氏の政策に沿った対応である。

 さらに大統領となってからは,日本との自動車貿易のみならず,為替が不公平であるとまで述べている。トランプ氏のいう「米国産品を買おう。米国民を雇おう」は,米国大統領の国内向けのメッセージとしては正しい。問題はそれでうまくゆくかである。米国内の物価上昇懸念は別としても,世界経済の萎縮や他国との対立といった懸念は重要である。先のことは誰にも分からないが,ハッキリしているのは,トランプ氏が4年の大統領任期を保証され,最高裁判事を選ぶこともできることだ。

 トランプ氏が及ぼす影響は経済問題にとどまらない。大統領選のさい,米軍駐留経費の全額負担などに応じなければ米軍を撤退させる姿勢も示していた。日本は戦後一貫して防衛をアメリカに依存してきた。日本の安全保障や米軍基地問題などは,日米地位協定の実施について協議する日米合同委員会で「議論」されてきたという。

 今後はこれまでの「議論」が覆される可能性もある。日本は初めて戦後を見直すことになるのかもしれない。みずから選んだわけではない米国の大統領が,日本にみずからの未来を選択する「自由」を課す結果になるかもしれない。

 --この最後の表現,「みずから選んだわけではない米国の大統領が,日本にみずからの未来を選択する「自由」を課す結果になる」ことは,いちおう「かもしれない」と断わられていて,留保付きの意見であった。しかし,いままでの安倍晋三政権が実際にやってきた対米関連の政治(外交)はすでに,安保関連法を基礎・中心にどこまでも「対米従属性を進化・強化させる」しかない結果を生んでいる。

 要するに,安倍晋三自身が「戦後レジームからの脱却」を強く叫んできた割りには,もはやこの戦後レジームのためのより堅固なる定着化は,決定的ともいえる程度にまで進化させており,当面は後戻りなどできるはずもないという様相を呈している。

 ここで話題は,2016年12月13日に沖縄県の海岸で墜落事故を起こした,それもあの「ウイドー・メーカー」(未亡人製造機)と呼ばれている,ずいぶん奇妙な構造をしたヘリコプター型の米軍輸送機「オスプレイ」に移る。このオスプレイは,開発段階から事故が相次ぎ,犠牲者は40人近くに上っている。そのために「未亡人製造機」と呼ばれている。

 だが,在日米軍基地関係では2020年までに横田基地へ10機,佐賀空港に新設予定の新駐屯地へ17機配備される予定がある。これで,沖縄の米軍基地には24機,本土27機が配置される。在日米軍基地はアメリカ合衆国の軍事基地であるかぎり,アメリカ国内にある基地と同じに運営されている。起きる事故はまた起きる。そう断定しておいても,なんら誤謬になるまい。そうだとすれば,当然のこと,こういう懸念が生じてくる。
◇〈声〉安倍政権の対米追従姿勢を懸念 ◇
 (二宮 力,会社員  愛知県  55歳)

=『朝日新聞』2017年2月9日朝刊「オピニオン」=

 米国のマティス国防長官がトランプ新政権の閣僚として初めて来日し,日米同盟の重要性を強調した。同盟の強化に異存はないが,安倍政権の対応は,ますます対米追従に傾いているようにみえる。マティス氏は安倍晋三首相との会談で,尖閣諸島について「安保条約5条の適用範囲だ」と明言した。安倍政権はこれを会談の最大の成果ととらえているようだ。

 だが,尖閣は日本固有の領土なのに「安全を引きつづき米国が保障してくれるそうです」と,喜んで発表する姿は情けない。外交も安全保障も自立していないと,国際社会に明言したも同然だ。政府は〔2017年2月〕6日,沖縄県名護市辺野古で,海上工事の着手を強行したが,これも10日の日米首脳会談前の米国への配慮ではないか。

 先週,沖縄県の翁長雄志(おなが・たけし)知事が訪米したが,トランプ大統領や有力者との面会は実現しなかった。本来,地元・沖縄の声を米国側に伝えるのは,日本政府がすべき仕事ではないのか。安倍首相は日本批判を繰り返すトランプ氏に「反論すべきは反論する」という。一連の安倍政権の対米追従姿勢をみると,空手形のような気がしてならない。
 こう指摘・批判される安倍晋三首相の訪米であった。だが,こういうベタ記事での報道もあった。
二階俊博と安倍晋三画像
 「自民党の二階俊博幹事長は〔2017年2月〕9日,都内で講演し,安倍晋三首相とトランプ米大統領の首脳会談について『 “和して同ぜず” の気持で臨んでほしい。主張すべきことは,相手が了解するまで粘り強くやる決意をもってほしい』と注文した」。
 註記)『日本経済新聞』2017年2月10日朝刊。
 出所)右側画像は,http://hasshinkyoku.blog.jp/tag/二階俊博

 もっとも,日米首脳会談に挑んで安倍首相は「和して同ぜずの決意を」をもて,と二階が奮励したところで,初めから勝負は着いているというか,それよりも問題以前の地点での話題にしかなりえない。  

 ⑥「トランプ当選で,史上最大の茶番劇になりそうなTPP採決」(『世に噛む日日』2016年11月10日)

 この ⑥ に引用する文章は昨〔2016〕年11月時点の記述であるが,すでに以下つぎのように慨嘆する内容であった。

 --米国におけるすべてのエスタブリッシュメントの,祈るような思いも届かず,ドナルド・トランプが勝利した。米グローバル企業の操り人形に過ぎなかった旧政権に対するNO!という意思の受け皿を,排外主義に依拠したポピュリストが引き受けたことの不幸は,ひとりアメリカ合衆国の住民のものだけではなく,全世界住民の不幸なのかもしれない。

 おそらくトランプは,本気になって,メキシコとの長大な国境線に,巨大な壁を築くであろう。そして,もしかしたらその壁は,新たな世界分断の象徴として,この先数十年もの間,語りつがれるかもしれない。あの,忌まわしき,かつての「ベルリンの壁」のように。いき過ぎてしまった「グローバリゼーション」の潮流は,「トランプリスク」という反動を生み出してしまった。国境の壁をとっぱらい,99%の人民のフトコロからわずかな富を収奪せんとする策動。

 ヒラリーは,エスタブリッシュメントの「知性」と「既得権益」を守ろうとした。トランプは,白人労働者階級の「不満」と「怒り」と「排外意識」に依拠した。いまから思えば,勝敗は,早い段階から決まっていたのだ。知性を重んじ,あらゆる差別・排外主義を排除し,そして,一部多国籍企業の横暴を許さない。そういう選択肢がなかったことは残念だ。

 ともあれ,「TPP」の成立が困難になったことはたしかだ。とりあえず,そのことだけは,歓迎したい。なのに,なおもTPP採決に血道をあげようとしている。このアホな集団が,わが国の,現在の政権だ。親分,あっしが一番乗りしやしたぜ!」と報告する親分が,すでにいないにもかかわらず。

 これほど愚かな政権は,古今東西,絶無,みたことも聞いたこともない。世界史上最悪,最低,これからも,こんなアホな政権は出現しないだろう。
 註記)http://eiji008.blog19.fc2.com/blog-entry-1751.html

 安倍晋三という政治家は世襲3代目のボンボン政治家であり, 小沢一郎が形容した「幼稚と傲慢」にくわえて「暗愚と無知」でもあり,おまけに「欺瞞と粗暴」に満ちた政治屋でもある。トランプとはぴったり相性が合っている。日本国民たちにとっては,これ以上の不運・不幸・不安はない。

 ⑦「タイム誌が酷評 安倍首相はトランプ『へつらっている』」(『日刊ゲンダイ』2017年2月11日)

 日米首脳会談を受け,米メディアがおおむね,米国が日本の安全保障にコミットすることと経済協力を深めていくことを表明したのを客観的に報じたなか,米タイム誌(電子版)は〔2月〕10日,安倍首相がトランプ米大統領に露骨にすり寄る姿勢を痛烈に皮肉った。

 タイム誌は「日本の首相はトランプの心をつかむ方法を教えてくれた。へつらうことだ」という見出しで,首脳会談を報道。安倍首相がトランプが大統領選に勝利するとすぐさま会見し,高価なゴルフクラブを進呈するなどして,いち早くトランプにすり寄った経緯を紹介し,その結果,今回の会談でトランプから手厚いもてなしを受け,日中で領有権が争われている尖閣諸島の防衛に米国も参加することを再確認させた,などと報じた。
 註記)http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/199415

 ⑧「トランプに揉み手…へたれの安倍首相は暴力団よりも劣る-溝口 敦の『斬り込み時評』」(『日刊ゲンダイ』2017年2月6日。溝口はノンフィクション作家・ジャーナリスト)

 いま,神戸山口組を背負って立つ山健組の始祖・山本健一は「理屈と膏薬はどこにでもくっつく」を信条としていた。たとえば山健組と他の組の者が喧嘩し,山健組系が他組系を殺傷したとする。喧嘩の理由がどうだろうと,相手を殺傷した以上,悪いのは山健組系のはずである。こういうとき山本健一はどう対応したか。死んだ山溝口敦画像口組の若頭・宅見勝に聞いたことがある。
 出所)左側画像は,http://yakuza893.blog.jp/tag/

 「うちの者を懲役いかせるような真似しくさって,どないしてくれるんや,とやるわけです。物事のええ,悪いはしょせん人の判断,つまるところは力いうことです。だからいかに理詰めにみせて自陣営を正当化していくか,落とし前をつけていくか,になる。山健さんが怒り出して相手がなだめにかかるようだと,すでにその時点で相手が負けです」。

 この論法でいくと,米大統領・トランプは圧倒的に喧嘩巧者だ。日本の安倍首相など問題にもならない。なにしろ日本は米国車に関税などかけていないが,「われわれが日本で車を売る場合,彼らは販売を難しくする。日本はみたこともないような大きな船で何十万台も米国に輸出し,販売している。これは公平ではない」と難癖をつけるのだ。

 こういうトランプに対して安倍はわざわざアメリカに出かける。しかも米インフラへの投資など約51兆円の市場を創出,70万人の雇用を生み出すと約束し,ゴルフのお伴にと,揉み手である。実に情けなく,みっともない。ヤクザが交渉事で最重要視するのは「安めを売らない」の一事である。丈高く構えて,けっして足元をみせない。たとえばこう出るだろう。

 ★-1「日本の車に関税をかけるなら,どうぞ。そのかわり日本は米農産物の輸入に関し,35%の関税をかけます」。日本は農畜産物をオーストラリアやニュージーランドから買えば痛くもかゆくもない。アメリカの農畜産業はハチの巣をつつく騒ぎになる。

 ★-2「日本は米国債1兆1320億ドルを保有,中国に代わって世界最大の保有国です。残念ながら,これを徐々に手放します」。「日本は外貨準備高で中国に次ぐ2位です。今後はドルに代わってユーロや人民元を増やします」。

 ★-3「TPPはアメリカがいい出したこと。それをあんたの代でいきなり抜けるのは無責任すぎる。これまですり合わせに苦労してきた参加国全部に課徴金を払いなさい」。交渉ごとはどこの世界だろうと,あーいえばこういう方式でやる。へたれの安倍は暴力団にさえ劣る。
 註記)http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/198985

 本日〔2月12日〕朝,午前7時のNHKラジオ第1のニュースは,山陰地方に降っている大雪について時間をかけて報じたそのあとに,安倍晋三訪米関係のニュースを入れていた。正午のニュースは,安倍晋三に焼き餅を焼いたのか,北朝鮮の金 正恩がデポドンを日本海に向けて直線の飛行距離で500キロ先に打ちこんだ(落とした)出来事のために,大騒ぎさせられている「日本国で留守番している者たち」の声なども報道したのち,安倍の訪米をとりあげていた。

 目立ちたい点でいえば,日朝を問わず世襲3代目の政治家に共通する点もある。実質でやっていることは,たいしてかわらないこの2人である。片や「朝鮮非民主主義反人民偽共和国」においてであり,片や「天皇制を戴く,いちおう民主主義体制である日本国憲法の国家」においてである……。

 ただし前者は,それでもいちおう「半島半分の領地」では御山の大将,対する後者は「ヤマト列島をガチャガチャとオモチャのように引きずりながら,ドナルドダックのあとをヨチヨチ着いていくしぐさしか披露できていない。
安倍晋三風刺赤子画像
  出所)無題,http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51880821.html

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