【「マッカーサーのアメリカ」と「日本の天皇裕仁」との《闇取引の影響》は,敗戦後史にいちじるしく残存していった】

 【「日本国の個別的自衛権および集団的自衛権」の問題,そして,その
根本的な矛盾を反映させてきた「21世紀的に〈なれの果て〉」の議論を確認する】


 ① 篠田英朗『集団的自衛権の思想史』(風行社,2016年7月)の「〈Amazon の レビュー〉国際政治学者だからこそ分かる集団的自衛権,深く知る第一歩になる本」(投稿者佐々木勇太 2016年8月15日,星は 5.0〔でいまのところは,この書評1点のみで満点の評価〕)

 a) 今日,多くの場面で問題提起される「集団的自衛権」。この本は国際政治学者であり,平和構築や紛争解決の学問領域でご活躍されている篠田英朗先生によって書かれた本である。この本はその題名から難度の高そうな内容が予想されがちかもしれないが,必らずしもそうとはいえない。むしろ,この本は集団的自衛権につい篠田英朗画像て,その背景を多く含めながらも初歩的な箇所から丁寧に説明されている。
 出所)画像は篠田英朗,http://www.tufs.ac.jp/research/people/shinoda_hideaki.html

 集団的自衛権について書かれている書籍は多い。しかし,その多くは個別的自衛権との比較,集団安全保障体制との違い,自衛権という考え方を具体例に置きかえるものなど,表層的で概念的なまま説明されているにとどまっている。そのような書籍は「一般教養」としての理解をするにはこと足りるかもしれないが,「学問」として捉えてゆくときの理解としてはもの足りないばかりか,表層上のみの理解では自己による勝手な評価をしてしまうこともある。

 b) この本を一言で説明するならば,「学問として集団的自衛権をしる第一歩となる本」といえるかもしれない。

 本著で特徴的なのは,まずその概念形成の「歴史」から紐解くという姿勢を一貫していることである。1945年の八月革命,1951年の講和条約,1960年の安保改正,1970年代の沖縄,1991年の冷戦終了と湾岸戦争,と追っていくことでその「背景にあった議論や思篠田英朗表紙想」が丁寧に説明されている。

 単なる賛成・反対では片づけることのできない,主張や考えの違いや変遷があり,現在の集団的自衛権があることをしることで,自分の認識をいま一度あらためさせられた。

 本著はそもそもの立場として,集団的自衛権を云々しようというものを明示していない。概念形成の背景をしることで思考という過程を経て,あらためて読者の価値判断も可能になるだろう。

 c) つぎに特徴的なのは,国際政治学者だからこそ分かりやすい法的議論の説明と,つねに寄り添う国際政治学的視点である。集団的自衛権を,国家のもつ(本著中では「国民」によって直接行使される権利であるという考えも提示されているが)「権利」として捉えるならば,法的な議論は避けられない。

 しかし,本著は法学を学んだ経験がない者にとっても分かりやすいかたちで整理されており,いわゆるその領域で「前提認識」とされている事項に関しても,説明がていねいにくわえられている。そして,この明確さは国際法学者ではない篠田先生が自身でも整理する過程があったからこそできているのではないかと感じた。

 そして同時に,本著は法的議論に終始するものでもない。法解釈の方法や主張の変遷の説明とともに,本著全体を通じてつねに「日本」という国家から国際政治(とくに安全保障やバランスオブパワー,外交圧力など)の観点からの補足が挟まっており,国際政治に興味のある方にとっても飽きない内容になっている。

 d)「集団的自衛権」の法的理解を,国際政治学者の著作によってその第一歩を踏むというのはいささか歪ではあるが,だからこそ理解がしやすく面白い内容になっているのも事実である。また,すでに法学に詳しい方も,国際政治学者からみた分析というのは間違いなく新たな観点を読みとることになるだろう。集団的自衛権について学問としてアプローチし始めたい方にお薦めしたい一冊である。
 註記)https://www.amazon.co.jp/product-reviews/4862581048/ref=acr_offerlistingpage_text?ie=UTF8&showViewpoints=1

 以上,販売促進的にべた褒めの要素も混融している論評であるが,この篠田英朗『集団的自衛権の思想史』の中身・内容を,手っとり早く理解するには適当な紹介文である。集団的自衛権「行使容認の問題」に対して,より異質という意味での新しい視点を提供した著作であることは,たしかである。要するに,この本の新味は「思想史的な接近方法」にもっともよく顕現されている。

 ② 杉田 敦(政治学者・法政大学教授)稿「〈書評〉『集団的自衛権の思想史』篠田英朗〈著〉」(『朝日新聞』2016年8月21日朝刊11面「読書」)

★ 憲法と安保の「二重構造」を検証 ★

 イ) 憲法学者の宮沢俊義は,ポツダム宣言受諾で天皇主権から国民主権への「革命」が起こったとした。いわゆる「八月革命」説だ。だが,著者によればこの説は「実際の憲法制定権力者としてのアメリカの存在を消し去る」ことで,「表」の憲法と「裏」の日米安保という二重構造を正当化する役割を果たした。本書は,こうした構造を思想史的に緻密に検証しようとする。

 戦後憲法学は,立憲主義を権力制限的にとらえ,自衛権を抑制的に解釈してきた。これに対して著者は,人びとが信託により安全確保の責務を政府に負わせることこそが立憲主義の根幹とし,昨〔2015〕年の安保法制をも必要な施策と評価する。

 ロ) 国際法上の概念である自衛権を,内閣法制局や憲法学者が憲法の側に引き寄せ,個別的自衛権と集団的自衛権とを厳密に区別したことが,著者からすれば,そもそも問題であった。

 個別的自衛権を担う合憲な自衛隊と,基地を用いて一方的に集団的自衛権を行使する米軍という整理には,「表」の憲法論が「裏」の安保に実は依存している点で〔もともと〕矛盾がある。冷戦時代は反共目的でこれを受け入れた米国だが,冷戦終結後,日本側にさらなる対応を求めたのも当然という。

 ハ) 平和構築論を専攻する著者が,国際協調主義の立場で考えているのは明らかだ。国連による集団安全保障と,同盟としての集団的自衛とを峻別する憲法学を批判し,集団的自衛の意義を強調するのも,個別的自衛だけにこだわる「内向き」の姿勢では,国際的な人権確立の動きに協力できないと考えるからである。

 しかし,米国の世界戦略と距離を保とうとしたぎりぎりの努力を「内向き」の一言で清算すべきなのか。欧州のような地域的な連携をもたない日本では,国際協調への意思が,一層の対米従属につながるという逆説もあるのではないか。さまざまな論争を呼びうる刺激的な一冊だ。

 ③ 省  察。評者たちに欠けている,あるいは避けている(?)天皇・天皇制問題の深いかかわり-歴史的にも論理的に事実であった関連するもろもろの経緯を逃しておいてよいのか-

 本ブログ内では,集団的自衛権の問題が日本国憲法第9条にかかわるのであれば,その前項にデンと構えている第1条~8条の関連性が,いったい,どのように配慮され議論されるべきかを考えてきた。

 篠田英朗『集団的自衛権の思想史』は,② の杉田 敦も言及している論点,つまり

    「表」の憲法論   が   「裏」の安保法制
        ↓                            
  「個別的自衛権の自衛隊」と「集団的自衛権の米軍」


という整理:論理構成になかに,もともと潜んでいたという矛盾について,さらに掘り下げてみる余地がある。

 「表:自衛隊の個別的自衛権」に対する「裏の米軍の集団的自衛権」という組みあわせは,実は,まず「第9条の制約」を受けてきた「『軍隊らしからぬが軍隊そのもの』である自衛隊」,そしてつぎに,それに対する「第1条から8条の存在保障」をもたらしてきた在日米軍という,もとから相互に不可離である「〈対〉の関係性」を意味してきた。

 いわゆる「マッカーサー・メモ(あるいは原則)」にまで立ち戻って考えてみるべきである。 日本の憲法改正に対してマッカーサーが提示した,この「守るべき三原則(マッカーサー・ノート)〔ともいう〕」は,つぎのものであった。
  ⅰ)天皇は国家の元首の地位にある。皇位は世襲される。天皇の職務および権能は,憲法にもとづき行使され,憲法に表明された国民の基本的意思に応えるものとする。

   ⅱ)国権の発動たる戦争は廃止する。日本は紛争解決のための手段としての戦争,さらに自己の安全を保持するための手段としての戦争をも,放棄する。

 日本はその防衛と保護を,いまや世界を動かしつつある崇高な理想に委ねる。日本が陸海空軍をもつ権能は,将来も与えられることはなく,交戦権が日本軍に与えられることもない。

  ⅲ)日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は,皇族を除き,現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は,今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない。予算の型は,イギリスの制度に倣うこと。
 この3原則を受けて,総司令部民政局が憲法草案を作成した。当初から並々ならぬ矛盾を包蔵させられていた日本国憲法であった。上記でⅰ)とⅲ)とは〈大という形容が付くほかない矛盾〉そのものであったけれども,マッカーサーの占領軍総司令官が屁理屈(無理じい)でもって決めていたから,出立点においては「元来,問答無用の条項」であった。
    補注)1946年2月3日,マッカーサーが部下のホイットニーに宛てたメモ,いわゆる「マッカーサー・ノート」をつぎの画像資料で紹介しておく。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
マッカーサー・メモ3原則
出所)http://tamutamu2011.kuronowish.com/manoto.htm

 マッカーサー・ノートの真意は「9条」を置くのは,「1条(から8条まで)」を利用するためであって,その逆ではなかった。そうした脈絡においての9条と1条の関係づけが,いうなれば歴史的かつ論理的により正確に把握されておく必要がある。


 1950 年6月25日に朝鮮戦争が始まると,警察予備隊を8月には創設させられた日本国は,その時点ですでに9条は骨抜きになっていた。だが,1条のほうはそのまま放置されていた。1条は9条にささえられた憲法内の条項であったのだから,9条の実体が溶解していたのであれば,1条も無用・不要になっていた。この論点は後段でも再度触れる。
 天皇・天皇制が封建遺制でないとはいえず,その尻尾を大きく引きずっている,しかも明治帝政の時代に創作された疑似古代史的なゲテモノである。この事実は,マッカーサーであっても誰であっても,絶対にいいぬけることができない「歴史的な本質」である。これは,日本の歴史内における伝統だとか文化だとかいう以前において,しかと認識されておくべきことがらである。占領軍=アメリカは,敗戦した大日本帝国の天皇制度(天皇:裕仁と天皇制:ここでは宮内庁〔当時はまだ宮内省〕)を,実用主義的に占領政策に活用しただけのことであった。

 要言していえば,日本国憲法とはこれが〈押しつけられた時点〉においてからして,GHQが敗戦国日本を統治・支配するための新憲法だった。それゆえ,そうであったなりにそのなかには矛盾的な本性などが,不可避の特性として包含されていた。新憲法に関するこの程度の前提となる理解は,百も承知できるようにしたうえで,関連する議論にとりかかる余地もある。

 以上の指摘は,本ブログで筆者がさんざん論じてきたつもりの問題性であった。なかでももっとも肝心な・一番大事だともいえる,いいかえれば,一方では,絶対に無視されてはならない “天皇条項” をあえて宙に浮かせたまま,他方では,GHQの「押しつけ憲法」を日本が「受けとった憲法」として,それも自衛権の問題にだけ惹きつけて論じるのであれば,この方向性から生じる必然の理は〈画竜点睛を欠く〉議論:憲法談義」であるほかなかった。  
 龍の構造画像画竜点睛画像
 出所)左側画像は,http://470830.at.webry.info/201201/article_1.html
 出所)右側画像は,http://contest.japias.jp/tqj2004/70237/k/garyoutensei.html


 ④ 本ブログ内の関連する記述

 1) 関連する記述
 本ブログ筆者の関連する記述としては,つぎの5点(実質4点)を挙げておきたい。これらをいちいち通読してもらうのはたいへんなので,ここに摘記しておいた「主題と副題」の文句に接してもらえば,なんとはなしでもその趣旨は感じとってもらえると考えている。もちろん,実際に読んでいただければ申し分なしであるが。なお,※-5からだけは後段で直接引用する箇所がある。
     ※-1 2015年04月08日

   主題「安倍晋三流の右折改憲か,それとも,池澤夏樹流の左折改憲か?」

   副題1「日本国憲法を改正(改定)するといっても,天皇・天皇制をどうするのか?」
   副題2「日本知識人に特有である知的陥穽にはまらないで,憲法を改めようとするには,どうしたらよいのか?」
   副題3「安倍晋三風の傲慢・頑迷・旧守(?)・反動的な憲法改悪よりも,池澤夏樹流の開明・先取・革新(!)・民主的な憲法改正への道」

      ※-2 2016年04月20日

   主題「『押しつけ憲法』の『改憲を押しつけない』こと,および『マッカーサー・メモの原点』に還って考える日本国憲法の『公然たる秘密』」

   副題1「天皇制度に関連する条項の検討を抜きにした憲法論議の空しさ」
   副題2「天皇・天皇制に触れない『護憲・改憲〈論〉』は地に足が着いていない」 

      ※-3 2016年06月14日

   主題「憲法の第9条と第1~8条の相互関係に触れてこなかった議論の不思議」

   副題1「柄谷公人が言及した天皇条項と戦争放棄条項の矛盾的結合形態は,アメリカが敗戦させ占領した旧大日本帝国を日本国として支配・統治するための工夫(戦後措置)に過ぎなかった」
   副題2「なぜ,それほどまでむずかしい議論に発展させねばならないのか? そこにこそ,天皇・天皇制に対する『日本的な討究方法』が生起させている,具体的な制約・無意識的な限界がある」 

     ※-4 2016年07月11日-これは ※-1と同文-

   主題「憲法を改定したいとすれば,放置されていてよいわけがない問題点があるのでは?」

   副題1「本日:2016年7月11日早朝のテレビニュースに出ていた安倍晋三君の顔色は,遊説のせいか,どす黒く疲弊した表情にみえた。他党の代表たちも皆,一様に疲れた顔つきをしていたが,安倍君のそれは一番よくなかったように映っていた」
   副題2「改憲に賛同する政治勢力が堅実に,参議院における議席を伸張させたが,この国はいよいよ『対米属国度をさらに深化=発展させる』ための内政・外交を展開していくのか?」
   副題3「この記述は2015年4月8日に公表されていたが,ここに再録することが適当と判断し,あえてかかげてみることにした」
   副題4「日本国憲法を改正(改定)するといっても,天皇・天皇制をどうするのか?」
   副題5「日本知識人に特有である知的陥穽にはまらないで,憲法を改めようとするには,どうしたらよいのか?」
   副題6「安倍晋三風の傲慢・頑迷・旧守(?)・反動的な憲法改悪よりも,池澤夏樹流の開明・先取・革新(!)・民主的な憲法改正への道」

     ※-5   2016年07月18日

   主題「明仁天皇は表明していないが明白に意思表示している退位の問題,宮内庁など周囲がその希望・気持を忖度しつつ退位問題を進展させる『アウンの国:ジャポン』」

   副題1「象徴である天皇がモノをいい,しかも,そのなにかを実現させようとする日本国憲法改定への動向」
   副題2「対米従属国家日本の『戦後レジーム』は,安倍晋三にも変えられず,むしろその〈絆〉をオトモダチ的に強化させつつある」
   副題3「アメリカにとっての『押しつけ憲法』の有価値性」
 2) 天皇・天皇制の問題はどこへいったのか
 前段で指摘してみたつもりである「自衛権に関連する論点」は,個別的であれ集団的であれ,また集団的安全保障の次元にかかわる問題であれ,けっして避けて通るわけにいかないところの,それぞれが基本的な論点である。

 だが,篠田英朗『集団的自衛権の思想史』の場合も確実に,「天皇・天皇制」に関連する議論は稀薄である。というよりは,実質的にはほとんどない。敗戦後における日本には天皇・天皇制そのものが残され,つまり,新憲法のなかに第1条から第8条として収容されていた。しかしながら,それとの組みあわせとして,抱きあわされる関係でもって,第9条に「戦争放棄」も置かされていた。

 そして,以上の全体を包みこむ格好で存在してきたのが占領軍という存在であった。その意味では間違いなく「押しつけ〔られた〕憲法」であった。と同時にここにおいては,1947年9月20日の『天皇メッセージ』を想起する必要がある。昭和天皇は新憲法に納得する姿勢を示していたが,戦後日本政治史に関するこの程度の経緯は,憲法学者はむろんのこと,国際政治学者である篠田英朗も知悉の事項である。

 ともかく,篠田英朗『集団的自衛権の思想史』の考察は,天皇・天皇制の問題関連には近づかないでいる。それでいて,集団的自衛権のための通底基盤である「第9条⇔第1条から第8条」の全体的な広がりまでも,当然のごとく論及されている。憲法の問題が天皇制度の問題でもあることは,あえて申すまでもない基本の理解である。天皇・天皇制の関連問題を「とりあげていない」ことが,ただちに「こちら側の問題じたいに〈なにも問題がない〉」までも意味しているのではない。
 補注)なお,前掲した本ブログのうち -5(2016年7月18日)から,以下の引用(#)をしておく。抽出した部分は「憲法体系と安保体系-下位法と上位法の立体関係-」と名づけられていた1節である。
    矢部宏治表紙2014年 矢部宏治表紙2016年 
 註記)いずれも集英社インターナショナル,2014年10月と2016年5月発行。

 (#) 矢部宏治による2著,『日本はなぜ,「基地」と「原発」を止められないのか』(集英社インターナショナル,2014年10月),『日本はなぜ,「戦争ができる国」になったのか』(同,2016年5月)を,簡潔にまとめてみれば,こういう時代区分になる。


  ◇-1「戦前・戦時(昭和前期)」は

       『天皇』+ 日本軍 + 内務官僚

  ◇-2「戦後1(昭和後期)」は

       『天皇+米軍』+ 財務・経済・外務・法務官僚+「自民党」

  ◇-3「戦後2(平 成 期)」は

       『米軍』+ 外務・法務官僚

 戦前・戦中の宮内省,敗戦後の宮内庁がこのなかにまぎれこんでいては,宮内庁式になる数々の天皇政治をとりしきってきた。だが,平成天皇の時代になると『天皇の位置づけ』の意味あいが,そのように顕著に異質になってきた。

 そして,2015年夏・秋から2016年春にしあがった「安保関連法」の成立・施行は,日本国憲法における天皇・天皇制の位置づけ=価値評価を質的にも大きく変質させた。すなわち,それをより軽少なものに変形させつつある動向が,ヨリ明白になったといえる。

 平成天皇にも人間の寿命が(神ではないゆえ)いつか来る。そのときまでにはなんとか,これまでのような日本政治における皇室行政を,さらにより天皇家よりに「有利な態勢」に少しでも引っぱっていきたい。

 補注の補注)2016年8月8日,平成天皇がビデオ・メッセージで全国に向けて公表した「生前退位」の希望表明があった。この行為は,彼の主意の具体的な表現である。

  前掲の◇-1・2・3では,なぜか,「天皇の存在」が平成の時代になってから消えている。日本国憲法は天皇・天皇制を残すかわりに,この憲法体制の上に載せられている,いいかえれば,重しのようにもたれかかっている “米日安保体制の存在” を,基本面より全体的に許しており,いうなれば一心同体的にも機能させてきた。

 在日米軍基地をなくせないかぎり,天皇・天皇制もなくせない。そうしないと敗戦のケジメはつけられない。敗戦後,アメリカが日本を軍事占領したあと,支配・統治・運営・管理をしやすくするために天皇制度を活用していた。いまもその実質=抱合関係に変わりはない。

 この歴史はある意味では「ボタンのかけ違い」ならぬ「意図されたそのかけ違い」であった。昭和天皇もその息子の平成天皇も,その米日間におけて展開されてきた〈敗戦後史の事情〉をよく呑みこんできた。つまり,彼らにとってみれば,納得ずくでの敗戦後事情の推移になっていた。

 もちろん,敗戦国の天皇であったという経緯があったゆえ,まともに真正面からは抗うこともできず,そのままに受けいれざるをえなかった当時の状況であった。東京裁判は,天皇を活かすためのセレモニーであった一面も有していた。

 〔本論に戻る→〕  篠田英朗『集団的自衛権の思想史』は第1章「自衛権を持っているのは誰なのか-1945年8月革命と憲法学出生の秘密-」の終わり付近で,こう記述している。
    憲法は誰が制定してのか?という伝統的な問いは,自衛権は誰が行使するのか?という現代的な問いと直結している。その答えは,「表」側では,「国民」である。「裏」側では,「アメリカ(とともに)」または「日米安保体制」という「戦後の日本の国体」であろう。

 あるいは「表」側では「個別的自衛権」だけが行使され,「裏」側では「集団的自衛権」も行使される,と言い換えても,事情はほとんど同じだ。今や日本という国家には,歴史的事情により,「ケルゼンとシュミットの野合」が存在し,国民(人民)と天皇の共生が存在し,9条の平和主義と日米同盟が存在し,より一層包括的な国家体制を作り出している(61-62頁)。
 註記)改行箇所は引用者が入れた。またここでは,ケルゼンとシュミット学説に関する学問的な説明は入れない。ウィキペディアなどでしらべてほしい。
 この文章においてようやく「天皇」という語句が,わずかにではあるが登場させられていた。しかし,この天皇の問題は,日本国憲法が公布・施行されてから今日まで継続的に日本の政治(国際政治)にもかかわる,具体性のある中心的な論点でもあった。いうなれば,日本の政治においてはその《要の位置》に控えていたのが,天皇・天皇制であったわけである。こうした敗戦国側の日本国憲法史における「天皇制度に関する事実経過」が描いてきた軌跡を忘れてはならない。

 日本国憲法下のとくに自衛権(個別的と集団的の双方)の問題は,いままでずっとまさにアクロバット的な解釈論をもってとりざたされてきた。そのサーカス技術的な操作を要求してきたというべきか,あるいはまたそれを可能にさせてきたのが,「天皇条項:第1~8条」という基本条件の絶対的な必要性であった。

 マッカーサーは「戦後レジーム」=日本の支配・統治のために,そしてアメリカ本国は国際政治を意識した世界戦略のために,すなわち裕仁をそれぞれが必要性に応じて「ビンのフタ」に使いまわしていた。また天皇自身もその役目(蝶つがいとしての機能)を,それら内外政治の舞台の上で積極的にうまく演じてきたといえる。

 ⑤ 篠田英朗『集団的自衛権の思想史』が真っ向からは言及していない天皇・天皇制の論点

 1) 篠田『集団的自衛権の思想史』は,長谷川正安の立論:「憲法体制と安保体制」を利用しながら,こう語ってもいた。
    その際,かき消された戦勝国としての連合国の存在と,占領軍としてのアメリカ合衆国の存在は,日本の憲法体系からは隠されたままとなった。むしろアメリカの存在について語ること自体がタブー視され,憲法外の議論であるばかりか,違憲であるとさえ言われるようになった。

 実態として日本の国家体制の根幹を形成するものとして確立された日米安全保障条約は,しかしそのまま憲法の枠の外に存在するものとされた。憲法体制と安保体制という2つの国家体制の柱が,お互いを十分に意識しつつ,相互に無視しあうような「表」と「裏」の関係を形成する状態がうまれた(173頁)。
  註記)改行箇所は引用者が入れた。
 「憲法体制と安保体制という2つの国家体制の柱」を,日本国という人体の大事な内臓に譬えれば,あたかも,これらを包摂している腹腔内の腹水の機能を,天皇・天皇制=第1~8条がになっていた。それだけではなく,この機能が「憲法の枠の外に存在するものとされた」「日米安全保障条約まで密通する」機能まで果たしていた。ここで指摘するのは『天皇メッセージ』1946年9月20日のことである。その意味でいえばその腹水は病的な水準にまで増大していたと判定するほかなかった。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
腹水画像
出所)http://medick.biz/category/select/cid/2994/pid/92080

 したがってまた,「アメリカの存在について語ること自体がタブー視され,憲法外の議論であるばかりか,違憲であるとさえ言われるようになった」という点については,『天皇メッセージ』(1946年9月20日においてだけでなく,さらには1950年6月下旬にも天皇による同種の「逸脱の行為」がなされていたし,マッカーサーとの会見時ごとの発言内容も政治の行為であった)が重ねられていた事実からも,問題視されねばならない検討課題が残されていた。

 しかし,天皇・天皇制に関しては,アメリカ側の問題じたい以上に,過度なくらいにタブー視されてきた。「菊のタブー」という表現があるが,篠田英朗『集団的自衛権の思想史』を実際に手にとって読む前までは,天皇・天皇制についても当然に,議論の対象にとりあげつつ全体の考察が展開されるものと思いきや,この予想には全的に反する内容であった。

  2) 日本の国家体制の帰結-天皇明仁にとっての含意-
 篠田『集団的自衛権の思想史』は,こうも推論している。--おそらくは「最低限の実力」組織である個別的自衛権行使者たる自衛隊は,集団的自衛権行使者たる世界最強軍隊である米軍の主導のもとに,共同作戦を遂行する。

 また,日本への攻撃がない場合での米軍の行動に,日本は協議のうえで同意を与えるかもしれない。それらの状態は,法的整理をおこなわなければならない立場の者にとっては,悪夢のように複雑な事態である。だがそれが日本の国家体制の帰結といえる(117頁)。

 1950年8月に創設された警察予備隊の登場によって,それまで第9条をみえない使用で「戦力面」において裏づけていた米軍は〔その後に〕,自衛隊となるこの軍隊が部分的にとって替わることになったのだから,日本国憲法の第1条から8条とその第9条との「元来奇妙な均衡状態にあって維持されていた関係性」が,より明白に歪曲される事態をもたらしていた。

 2015年9月までには国会(衆参両院)で成立し,2016年3月には施行された安保関連法は,そうした憲法条項内の矛盾関係を決定的な深みにまで引きずりこんだ。米軍と同じ軍事的な次元にまで自衛隊3軍が,集団的自衛権容認行使をできる軍隊組織に変えられたとなれば,問題は一気に憲法「第1条から8条の立場にいる天皇・天皇」のところまで,より具体的にいえば,天皇とその家族たちにとっては,日本国憲法が押しつけられたときの時代状況とは完全に異なった「天皇家を囲む憲法的な時代環境」が出現したことになる。

 思えば,安倍第2次政権が2012年12月に登場してからの天皇一家(具体的に指摘すれば天皇→美智子→皇太子などが誕生日ごとに発信してきた見解)は,その機会をとらえては「自分たちは日本国憲法」を守るという姿勢を,いまさらのように〈ことさら強調する〉発言を連続させてきた。

 敗戦後において天皇裕仁の時代にできあがっていた「米日安保体制」が,安倍晋三によって大きく様変わりさせられているように現象している。だが,それだけではなく同時に,日本国憲法に依拠してこそ存立できている「皇室の立脚基盤」が大きく揺すぶられる事態が発生したのである。彼らが非常な危機感を抱くに至ったのは,あまりにも当然の事情経過であった。

 いままで,首相の安倍晋三が皇族たちに突きつけてきた「日本の国家体制の帰結」,つまり,その後における「戦後レジーム」--実はこの否定も脱却もほとんど実現できていないことは,いまだに厳在しつづける在日米軍基地をもって明らかなのではあるが--に関しては一定限度であっても,その「変質・歪曲」をこうむってきた政治過程は,明仁ら一族にとってみれば “とうてい許容しがたい事態のなりゆき” を記録してきた。

 3) 憲法第9条が「表」で日米安保が「裏」ならば,憲法第1~8条はなにか? -それは安保の「裏」に支持される「表」であり,憲法の「表」に表現されている「裏」だと表現すればよいのか?-

 さて,篠田『集団的自衛権の思想史』にしたがって論を進めると,こうなるのか? 「安保体制下で高度経済成長を経験した多くの日本人は,矛盾の解消ではなく,矛盾と共存することを選びはじめた。憲法9条と安保体制という『表』と『裏』の矛盾を抱え込んだ国家体制を,そのまま受け入れることを模索しはじめた」(120頁)時期があったものの,いまではその「矛盾」そのものが「解消」も「共存」もさせにくい難局に遭遇させられている。

 この点は,安倍晋三政権になってからは『安保体制:第9条』の「裏」側に,もはや『〈安住のための空間〉としての「第1から8条」を,均衡的=安定的に求めにくくなった天皇家』の苦悩を発生させている。

 敗戦後における天皇・天皇制の役割でなんであったか? いまも同じにその役割は天皇家が果たしているのか? 基地問題としての在日米軍,それもとくに沖縄県への集中的な付けまわしは過重でありながらも,いまだになにも抜本の解決ができていない。

 独立国の様相として観る「在日米軍基地の姿容:実態」は,特定国をのぞけば,日本が一番異様である。まるで属国か自治領を実感させる状態を呈している。いったい,あと何十年経ったら米軍が「在日する基地」の「占領」を終了させる時期が来るのか? すでに71年以上もの年月が流れてきた。悠長に構えていたら1世紀の期間にまで,すぐににでも到達しそうな雰囲気さえある。

 4)「戦後レジーム」はかくして,今後にもなお継続されていくのか?
 篠田『集団的自衛権の思想史』にもっと聞いてみる。「従来の日本の国家体制を,冷戦が終焉して四半世紀たった現代においてもなお,維持するということ」「については関係者は,それぞれ妥協を重ねた上で,合意し続けた」。その結果をみれば「論理は軽視された。結果が尊重された」のであり,「安保法制によって何が達成されたのか?」といえば,「今後も憲法9条 / 日米安保体制を基軸として既存の日本の国家体制の枠組みが維持される,という合意の維持が,達成されたのである」(170頁)。

 安倍晋三のぶち上げてきた「戦後レジーム」の否定と破壊,すなわちこれから脱却するという大目標は,尻切れトンボに終わっている(というよりはそのトンボすら飛んでいなかった)。

 安保関連法によって集団的自衛権行使容認を正式に認めた手順は,日本国自衛隊3軍のアメリカ合衆国軍隊に対する従属性(フンドシ担ぎの役目:分担機能)をより発展・深化させる効果を生んでいただけである。

 安倍晋三が後生大事に抱く夢「青い鳥」は,戦前・戦中体制,あるいは幻想のなかの明治帝政時代にありそうに映っていたが,21世紀のいまどきに,そのような「神武創業」的な日本政治の再構築は不可能事である。白日夢である。日本における「対米従属の政治・経済体制」はより確固たる基盤になりえているのだから,「戦後レジーム」を本気で進めたいのであれば,まずなによりも在日米軍基地の撤去が先決問題である。

 ⑥「『天皇と戦争』どう考える」(『朝日新聞』2016年8月23日朝刊31面「文化・文芸」)

 この本日の『朝日新聞』朝刊「文化・文芸」欄には,④ までの話題に合致し,融合する議論「『天皇と戦争』どう考えるか」が掲載されていた。篠田英朗『集団的自衛権の思想史』は「思想史」を語りながら,安保の問題に対応する憲法の問題をとりあげていながらも,第1条から第8条までの「天皇・天皇制の問題」には,まったくといいくらい具体的には立ち入らない論旨の構成であった。

 篠田同書におけるその議論の方途は,本ブログ筆者の議論の枠組で考えるに,それこそ想像すらできないような「論点の設定(特定)とその排除(無視)」(意識的かそれとも無意識的かは判らないが)がなされている。この本日の『朝日新聞』「文化・文芸」欄「『天皇と戦争』どう考えるか」における議論の内容は,そうした疑問点を再考するため実質を提示していると受けとめ,最後に引照することにした。

 なお,画像資料でもこの記事をかかげておくので,どちらでも読めるかたちになっている。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2016年8月23日朝刊文化文芸欄天皇と戦争問題
 a) 退位の意向をにじませるお気持ちを表明した天皇陛下はこれまで,国内外で戦死者の慰霊を重ね,反省の念を示してきた。その足跡からは戦争に向き合ってきた姿勢が浮かぶ。天皇と「戦争の歴史」の関係を,私たちは主権者としてどう考えればいいのか。昭和・平成,そして次世代について,識者と考えた。

 昭和天皇が戦後,訪問を果たせなかった沖縄を,天皇陛下は皇太子時代から計10回訪ね,国内最大の地上戦の犠牲者らを慰霊してきた。

 先の戦争について,1990年の韓国・盧 泰愚(ノ・テウ)大統領の来日時には「痛惜の念」と語り,1992年に歴代天皇として初めて訪中したさいは「深い反省」と述べた。

 昨〔2015〕年,そして今〔2016〕年の全国戦没者追悼式のおことばでも,「深い反省」と表現。2005年にサイパン,昨年はパラオを訪れ,日本兵だけでなく米兵や現地の犠牲者を悼んだ。

 b) 父の昭和天皇は戦後,戦争にどう向き合ったのか。河西秀哉・神戸女学院大学准教授(日本近現代史)は「昭和天皇は,自分が戦争を進めたという意識が薄かったのではないか。外国に向けても一歩引いた発言をしていた」と語る。

 昭和天皇は戦後,国内各地を訪ねて戦死者の遺族とも対面したが,踏みこんだおことばを述べることはなかった。1971年の訪英時の晩餐会で戦争に言及しなかったことが現地で批判され,1975年の訪米時には「私が深く悲しみとするあの不幸な戦争」という表現を使った。

 戦後の東京裁判では,日本を安定統治するため天皇制を利用したい米国の意向などで,昭和天皇の戦争責任は問われなかった。だが終戦直後やサンフランシスコ講和条約発効前後には天皇の戦争責任が議論され,退位の可能性もとりざたされた。

 c) 昭和天皇に戦争責任はあったのか。吉田 裕・一橋大学教授(日本近現代史)は「戦争当時,昭和天皇は常に沈黙を守ったわけではなく,様々な場で政治的意思を表明していた。天皇の決断なしには開戦はありえず,責任は否定できないと思います」と話す。

 ただ,明治憲法下の天皇の「統治権」は国務大臣の補佐にもとづき行使されるため,法的な責任は国務大臣が負い,天皇は責任を負わないという考え方もある。議論はいまなお分かれる。一方,1950年代から皇太子として外遊し,当時の欧米の対日感情を肌で感じた天皇陛下は,昭和天皇の責任を肩代わりするように戦争に向き合ってきたという見方もある。

 吉田教授は「冷戦で日本の戦後処理があいまいになり,決着がついていなかった責任問題を,いわば父からの遺産として相続せざるをえなかった」とみる。日本国憲法は「天皇は国政に関する権能を有しない」と規定するが,外遊に出れば,先の戦争に関してなんらかの発言を期待されることもあるのは,「国の代表とみられている」(吉田教授)からだ。

 d) 天皇陛下が,やり残していることはなにか。河西准教授は「戦争で犠牲になった人びと全体を悼み,苦しみを分かち合う姿勢は海外でも受け入れられている半面,日本の責任がみえにくくなるところがある。また,韓国訪問はまだ果たせず,植民地支配の問題までは踏みこめていない」〔と述べる〕。

 政治的な意味合いを帯びかねない天皇の海外慰霊は,そもそも憲法が想定していないとも指摘。「こうした公的行為の拡大は,天皇の権威性を高めることになり問題だ」とするが,慰霊はいまや象徴天皇の仕事の軸になっており,つぎの天皇となる皇太子さまも続けるとみる。「戦争を経験していない世代になり,相手国も世代交代するので,反省を示すよりも,経験を引き継ぎましょうという意味合いに変化していくのでは」。

 文芸評論家の加藤典洋さんは1999年,昭和天皇の戦争責任をめぐって社会学者の橋爪大三郎さんと論争をした。加藤さんは,昭和天皇には道義的な戦争責任はあり,その死後も被侵略国への責任は消えないという立場だ。ただし,それを果たすべき責任の担い手は日本の国民だという。

 年々戦争体験者が減るなか,いわば開戦責任としての「戦争責任」よりも「戦後責任」が問われていると加藤さんはいう。すなわち,被侵略国の人びとに対して自分たちの非を認め,今後繰り返さないと謝罪することが大事だというのだ。

 「戦後,主権者は天皇から国民に代わっており,昭和天皇の死後,対外的な責任を継ぐのは私たち国民だ。それを現在の天皇に頼んだら,国民の責任放棄になってしまう」。

 戦争に向き合い,憲法に基づく象徴天皇の姿を追い求めてきた現天皇を,改憲をめざす安倍政権に反撃する後ろ盾と捉えることにも警鐘をならす。「天皇の政治的な関与を認め,戦前とはまた別のやり方で天皇に依存するようになる可能性に注意すべきだ。それは国民主権の自己否定につながる」。

 ⑦ 天皇・天皇制の措置について〔事後の追論〕

 いまからほぼ四半世紀前に公刊されていた著書,大嶽秀夫『二つの戦後・ドイツと日本』(日本放送出版協会,1992年)は,日米安保体制に関して,つぎのような基本的な認識を提示していた。本日の議論はある意味では,少しややこしくなっていたので,関連の説明を提供するつもりである。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
大嶽秀夫表紙
 篠田英朗『集団的自衛権の思想史』は,敗戦後における日本政治史を国際政治論に関する思想史としては,新しい視座からする議論を創造的に展開してくれた。これをさらに活かせるような概念的な整理が必要である。

 前段において記述した箇所であったが,これをもう一度もちだしてみる。「安保法制によって何が達成されたのか?」と問われての話題であった。
   「今後も憲法9条 / 日米安保体制を基軸として既存の日本の国家体制の枠組みが維持される,という合意の維持が,達成されたのである」(170頁)ということであったが,そもそもマッカーサー・メモにおいては,その「ⅲ)日本の封建制度は廃止される。貴族の権利は,皇族を除き,現在生存する者一代以上には及ばない。華族の地位は,今後どのような国民的または市民的な政治権力を伴うものではない」という1項目が入れられていた。

 --思うにこの点は,天皇・天皇制に対する「敗戦後における使用価値」を,きわめて便宜的かつ限定的に措置していた点を意味する。
 大嶽秀夫はつぎのように〈敗戦後史に関する解釈〉を提示していた。--ポツダム宣言による「非軍事化」は,必ずしも日本を恒久的に非武装に留めておく趣旨ではなく,ただ「軍国主義」的な軍事組織の廃絶を狙っていた。その裏を返せば,連合国と同様の軍国主義的ではない(民主的な)軍であれば,復活を許される。日本に関していえば「天皇の軍隊」の廃絶を意味していたのである。

 したがって,天皇制を廃絶すれば,独立国として軍隊をもつことは将来において許され(※A),逆には天皇制を維持したい場合は,軍隊の保有は断念せざるをえない(※B)。これが「天皇制と第9条が取引された」理由というか,あるいはまた,その事情に控えていた最低条件であった。このいずれかを選ぶことを余儀なくされるときは,マッカーサーも幣原も,天皇を選ぶに躊躇しなかった(94-95頁参照)。

 ところがである,安倍晋三が以上のような「戦後レジーム」をぶちこわしにした(確認しておくが,彼のその狙い⇒「戦前・戦中への回帰」という夢想:幻想が実現できたかといえば,けっしてそうはなっていない)。

 歴代の政権や首相たちが,これまでなんとかごまかしながら・騙しながら維持してきた「※A」にとどまりえない,換言すれば「日米安保体制」をさらに進展・深化させてしまう結果をもちこむような,「安保関連法」を成立・施行させたのである。いうなれば,安倍は「※B」の地平にまでわざわざ, “敗戦後史としての米日軍事同盟関係” を突進させる無茶を冒したのである。

 彼はすなわち,なんとかして個別的自衛権に制限していた日米安保条約の枠組を,あえて集団的自衛権が行使できる両国関係にまで拡延させたのである。

 敗戦直後におけるマッカーサー・メモは「皇族を除き」と断わってはいたのだから,21世紀における天皇家側にとっては,いささかおおげさになる表現ではあるが,「自族の存亡」をいよいよ・ますます本格的に意識せざるをえない「米日間の国際関係」が,安倍晋三の手を通して,お節介にも形成されたことになる。明仁たちが胸中密かに秘めている「皇室の危機感」は並々ならぬものがあると推量する。

 それゆえここでは,既述した論及:表現を再度繰りかえす。「安倍第2次政権が2012年12月に登場してからの天皇一家(具体的に指摘すれば天皇→美智子→皇太子などが誕生日ごとに発信してきた見解)は,その機会をとらえては「自分たちは日本国憲法」を守るという姿勢を,いまさらのように〈ことさら強調する〉発言を連続させてきた」事情やその背景を,どこにみいだせばよいのかを明示していたのである。

 --すでにだいぶ紙数(字数)を費やしているので,ここでは以上の議論に関して本ブログ内は,「天皇問題の解決方法」をすでに示唆してきたことのみ付記しておく。


 【森田 実『独立国日本のために-「脱アメリカ」だけが日本を救う-』KKベストセラー,2011年12月の基本主張 】

 【敗戦を契機に「属国日本の道」を選んだ昭和天皇,この天皇の一家が毎年の正月に,新年のあいさつを国民(臣民?!)に送っているが……】

 【本当におめでたいのは毎年ごとに来る「新年」ではなく,日本国民という〈臣民意識〉から脱却できないワレワレの側ではないのか 】

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 〔※ 断わり〕  本記述は,旧ブログ 2012年1月3日の再掲である。ここに再録することに当たっては,その後において補正・加筆が必要な段落・箇所については,適宜,手をくわえてある。

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 ① 森田 実が『独立国日本のために-「脱アメリカ」だけが日本を救う-』(KKベストセラー,2011年12月)を公刊していた

 1) 主権在米国家:この日本を批判してきた森田 実
 本書は2011年12月25日に出版されていた。クリスマスプレゼントではないが,この日に発行日を定めて発売するのは,本ブログ筆者の経験でいえば少し違和感をもった。というのは,この時期に本を出版するのは年末・年始であるから適当ではない,といわれたことがあるからである。
森田独立国日本のために表紙
 ところが,森田 実〔というよりは上掲書の出版社の担当者〕は,サラリーマンたちが年末・年始の時期,かえってこのような話題提供的(センセーショナル)な題名を付けた書物を世の中に出すことによって,売行きの増大を期待したのではないか。

 それはともかく,森田『独立国日本のために-「脱アメリカ」だけが日本を救う-』は,こう解説されている。つづいて目次もあげておく。
   「巨大広告会社に支配された大マスコミはいまやわれわれに真実を語らない」。「東京の政治,行政,経済,メディア,学界-日本の頭脳と心臓が腐りゆくなか,真実の日本再生のために,誰かがなんとしても言わねばならぬ」。「いま,文明の大転換期に,屈辱の「主権在米」国家を卒業し,アジアと協調する「自立の道」こそがこの国の生きる道だ」。

 序 章 独立国・新生日本のために
 第1章 戦後日本の諸悪の根源は日米安保条約にあり-日本を従米国家に固定した二つの安保条約-

 第2章 国内政治の諸悪の根源は小選挙区比例代表並立制にあり
 第3章 財務省の増税路線・アメリカ流新自由主義が日本をつぶす-『ショック・ドクトリン』が宣告したフリードマン理論の破綻-

 第4章 民主党的「政治主導」の愚-榊原英資氏の『公務員が日本を救う』を支持する-
 第5章 公共事業が失業問題を解決し,日本の自然を再生し,日本の未来を開く

 第6章 巨大マスコミの罪-マスコミ人の傲慢を叱る-
 第7章 歴史的大変化期のなか,日本はどう生きるべきか-「和を以て貴しと為す」(十七条憲法)-
 著者,森田 実[モリタ・ミノル]は政治評論家である。1932年静岡県伊東市生まれ。東京大学工学部卒業したあと,日本評論社出版部長,『経済セミナー』編集長などを経て,1973年に政治評論家として独立。著作・論文を著わす一方,テレビ・ラジオ・講演などで評論活動をおこなっている。  

 森田は,2005年5月ころを境に「かつてコメンテーターとして引っ張りだこだったが」「段々とテレビ局での私の扱いがかわってきた」。以後,森田は一時期,日本のマスコミ界からほぼ完全にいっていいほど締め出されたことがあった。その直接の理由は,こういうものであった。

 2005年の5月ころから,複数の経路を通じてアメリカの巨大広告企業から電通に巨額の宣伝費が流れた。郵政民営化が絶対善であるかのような情報操作・宣伝工作をおこなうように,日本のメディア操作がおこなわれているとの情報が入ってきた。その金額は5000億円ともいわれ,アメリカ保険業界が日本市場拡大を狙って拠出したものだという話であった。森田はこの情報を発信しはじめたのである(178頁)。

 この話に関していえば,当時,そのアメリカによる陰謀のお先棒担ぎをしたのが,小泉純一郎元首相やその手下の竹中平蔵などの特定政治集団であった。この事実は,いまとなっては否定のしようもない。

 本ブログの筆者も,テレビ局のニュース報道番組などのなかで,頻繁に登場する森田 実の「論評(批評)(コメント)をよく聞かされたものであるが,ある時からまったく彼の姿が消えた変化には,なんとはなしに気づく程度でしかなかった。

 しかし,森田のこのような回顧談を聞かされると,第3の権力集団といわれるマスコミ界をてこに利用した「隠然たる〈日本を支配する勢力〉のありか:様相」をあらためて知覚させられる。

 2012年12月に安倍晋三が政権に返り咲いてからのこの日本国は,森田の前掲書「目次」に記されていた「あれこれの見通しや懸念」が,ほぼ妥当する方向性で,それも悪い次元に突きすすんでいる。この事実認識は,現状における日本社会を真正面からみすえている識者であれば,残念ながら皆が一様に同意できる基本路線である。

 2) 森田 実の経歴
森田実画像 ウィキペディア「森田 実」には,こう記述されている。--テレビ・ラジオ出演では,「ニッポン放送の番組やフジテレビ系列『めざましテレビ』で政治評論のコーナーを長年担当していた。郵政解散での自民党圧勝を,みずからのウェブサイト等で『電通の力が大きい』と主張」した。「これが引き金となってか,以降テレビにはほとんど登場せず,インターネットでの言論活動や全国での講演活動に主軸を移している」。
 出所)写真は,http://news.goo.ne.jp/entertainment/talent/M09-0026.html

 「しかし福田康夫の総理就任後は,TBSにコメント出演したり,BS11 の INside OUT・本格闘論FACEや選挙予測特番に時折出演するようになっている」。「2007年10月からはスーパーニュースアンカー(関西テレビ)の金曜コメンテーターを担当し」「2008年7月からは『キンキンのサンデー・ラジオ』(文化放送)の『やさしすぎるニュース』にコメンテーターとして出演している(第1・第3日曜日のみ。第2・第4日曜日は二木啓孝)」。「TV出演時は,当初スーツを着用していたが,2000年ころから和服を着るようになった」。

 ② 昭和天皇『沖縄メッセージ』1947年9月-前論として-

 1) 昭和天皇「沖縄メッセージ」に森田が触れない不思議
 昭和天皇は敗戦後,自分と家族たちだけのよりよい生き残りのために「国を売った」のである。いまでは,日本の政治学を専門とする研究者であれば,しらない者がいない,有名な「昭和天皇の〈沖縄メッセージ〉」問題がある。

 半年まえに『さらば日米同盟!』(講談社,2010年6月21日)を緊急出版したという「天木直人のブログ」から,その「沖縄メッセージ」の歴史的意味を簡単に説明してもらうことにする。2011年6月28日の天木の記述で,題名は「琉球処分と天皇の沖縄メッセージ」である。

 a)「琉球処分」--普天間基地問題が論じるさい「琉球処分」ということばが言及されている。明治政府が琉球王国を強制的に日本の領土にした1872年に琉球王国を琉球藩とした〈第1次琉球処分〉,1879年に廃藩置県に従い琉球藩を沖縄県にした〈第2次琉球処分〉があった。この琉球処分とは「沖縄県民の意向を無視して日本政府の都合で沖縄の命運が決められた」というような意味で使われていい。そして琉球処分はさらに戦後一貫して沖縄で繰り返されてきた。

 b)「沖縄メッセージの歴史的な意味」--その直近の例が,嫌がる沖縄県民の声を無視するかたちで,普天間基地代替施設を辺野古周辺に作ると決めた日米共同声明である。天木は,この琉球処分について沖縄文学を専攻する与那覇恵子東洋英和女学院教授が,東京新聞に3回に分けて連載した記事「文学は沖縄をどう描いてきたか」〔の第1回:6月23日〕に触れて,こう指摘している。
    沖縄における「琉球処分」が戦後も繰り返された結果,基地は固定化され,沖縄が閉塞社会に押しこまれてしまった。「天皇がマッカーサーに伝えたといわれる『合衆国が沖縄および琉球の他の諸島を軍事的に占領しつづけることを望んでいる』という『天皇メッセージ』が明らかになるのは1979年である」。この新聞記事を読んだ一般の日本国民のはたして何人が,この文章の深刻な意味を理解したのかと,天木はあらためて問うているのである。
天木直人主張画像
出所)http://marimari00.blog105.fc2.com/blog-entry-256.html
 c)「沖縄メッセージの内容」--天木は,近著『さらば日米同盟』(講談社)のなかで問題提起したひとつが,まさにこの昭和天皇の「沖縄メッセージ」であったと強調する。天木が同書で引用した豊下楢彦氏『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波書店〔現代文庫〕,2008年)は,こう指摘していた。
    「沖縄における米軍の占領が『25年から50年,あるいはそれ以上にわたる長期の貸与というフィクション』のもとで継続されることを望むという,有名な〔昭和〕天皇の『沖縄メッセージ』がマッカーサーの政治顧問シーボルトによって覚書にまとめられたのは,(第4回の天皇・マッカーサー会談が行なわれた1947年)9月20日のことであった」。

 「このメッセージが〔昭和〕天皇自身の意思で出されたことは『入江相政日記』(第10巻)における,『アメリカに占領してもらふのが沖縄の安全を保つ上から一番よからうと仰有ったと思う旨の仰せ』(1979年5月7日付),との記述によって確認された」。
 天木は「昭和天皇による沖縄メッセージ。これこそが琉球処分である。今日の沖縄問題の原点がここにある」と指摘する。まさしくこのとおりであって,日本国民は「あなたは昭和天皇の『沖縄メッセージ』をしってい」いれば,そして「もし,われわれ日本国民の1人1人がこの歴史的なメッセージのこと事を正しく認識しているなら,沖縄県民が日本政府と日本国民にどのような要求をおこなおうとも,それは許されることだとしるだろう」とまで,天木は断言する。

 したがって「日本政府と日本国民は沖縄県民に対し,いかなる償いをしても償いきれない」。「それにもかかわらず,沖縄県民の意思よりも米国政府の要求に応えることを優先する政府」が存在する。「よりによって沖縄慰霊の日の挨拶で沖縄県民に米国と一緒になってさらなる負担を求めて感謝する政府」も存在する。「そのような政府,政権とそれを演出する政治家と官僚たちには,いかなる意味においても正統性はない」。これが天木の結論。
 註記)以上,http://www.amakiblog.com/archives/2010/06/28/ 参照。

 d)「本物の売国奴としての裕仁」--天木が引用した豊下楢彦氏『昭和天皇・マッカーサー会見』は「はじめに」のなかで,敗戦後になっても以前の「立憲君主天皇である立場」より「以上」に,きわめて能動的・積極的に,直接的な政治行動を記録してきた昭和天皇の姿を,いいかえれば,敗北した日本帝国の政治過程において,それも「自分自分の生き残り」のためにだけ必死になって「戦後史を切開していった彼の画策行為」を議論した結果を,こうまとめていた。
   「つまりは,安保体制こそ戦後日本の新たな『国体』となった」(はじめに,ⅹ頁)。
   マッカーサーと裕仁画像
 註記)色彩加工がほどこされた有名な「1945年9月27日の写真」。
 2) 戦後日本に新しくできた『国体』
 要するに「『立憲君主』という自己規定の枠組を乗り越えて昭和天皇が,“超法規的” に『高度に政治的な行為』を展開した背景」(同所),すなわち,簡潔にいえば「アメリカに沖縄(琉球)を生贄に与える」という交換条件を差し出し,その代わりに「裕仁とその家族の命乞い」をしたのである。そのさい「日本国における自身の天皇位」の存続・維持が保障・獲得できたことは,いうまでもない。

 --本ブログの読者にはぜひとも,「戦後レジーム形成に天皇がきわめて能動的に関与した衝撃の事実」を解明した本書,豊下楢彦氏『昭和天皇・マッカーサー会見』(岩波現代文庫,2008年。定価千円+税)の一読を薦めたい。
 補注)豊下楢彦はその後,つぎの画像で紹介する文献を,2015年7月に公刊していた。本書も必読文献である。専門家でなくととも通常の日本語力があれば無理なく読める著作である。
豊下楢彦表紙画像
 熱心な天皇崇拝者である純日本人であっても,あるいは,なんとはなしに温和なかたちで天皇・天皇制支持の日本民族の人たちであっても,これらの本を読んだらきっと,裕仁当人および彼の一族の度はずれたエゴぶりには呆れはて,もしかしたら否応なしに,いっぺんに〈アンチ・皇室派〉になるかもしれない。
 補記)「沖縄メッセージ」の存在を初めて明確に指摘したのは,進藤榮一である。進藤榮一『分割された領土-もうひとつの戦後史-』(岩波書店〔現代文庫〕,2002年)は,雑誌『世界』1979年4月号に「その事実」を解明した発表済みの「同名の論文」を投稿しており,これが,同書の第1部「分割された領土」に収録されている。

 なお,同書の解説はこう書かれている。--「天皇,憲法,領土問題・・・」「さまざまな選択肢のなかでどういう力学が働き,戦後日本が形作られたのか。沖縄の分割を示唆した天皇メッセージの存在を明らかにし衝撃を与えた論文『分割された領土』を軸に,降伏への道程,占領下の政策,サンフランシスコ講和とその後に至る日本外交の “失敗” を跡づける」著作である。

 なお,進藤榮一『戦後の原像-ヒロシマからオキナワへ-』(岩波書店,1999年),『敗戦の逆説-戦後日本はどうつくられたか-』(ちくま新書;筑摩書房,2014年)も挙げておく。

 ③ 森田 実が提供する2つの話題:その1「沖縄メッセージ」

 話を,森田『独立国日本のために』に戻そう。-- ② の記述は,昭和天皇の「沖縄メッセージ」をとりあげていた。というのも,本ブログの筆者は,森田『独立国日本のために』を読み,そのなかで関心を抱いた2つの論点があったのだが,そのうちのひとつに関してはとくに,その「沖縄メッセージ」の問題も密接に関連づけての議論が,さらに要求されるはずだ,と判断した。

 1) 第1次日米安保条約は「対米従属の歴史的原点」
 森田はこういっていた。--敗戦後「日本は,アメリカ政府のシナリオの上で,吉田 茂首相1人しかしらなかった日米安保条約を締結させられ,アメリカに縛りつけられてしまった」。「サンフランシスコ講和条約により日本は形式的には『独立』をえたが,それはあくまで形式的なものに過ぎなかった。実質的には,日本は日米安保条約によって冷戦構下でアメリカ陣営に組みこまれ,事実上アメリカの属国にされてしまった」(50頁)。

吉田茂講和条約署名画像 そのとおりである。サンフランシスコ講和条約は,1951年9月8日に日米安全保障条約と同時に調印されていた。森田はそこに付随していた「重要な史実」も指摘する。そもそも「安保条約の条文は」その「調印〔の9月8日〕まで,ごくわずかの日米両政府関係者以外,誰にもしらされていなかった。もちろん,一般の国民はその内容をしる由もなかった。吉田首相だけが日本代表として調印したのも,残りの日本側全権使節は条約の内容をしっていなかった」(52頁)。
 出所)右側画像はサンフランシスコ講和条約に署名する吉田 茂,http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/sintou7.htm

 「吉田以外は,調印されることになる日米安保条約の内容をしっていなかった」「つまり,条約案文を読まされていなかったのだ」。「調印式は下士官クラブの舞踏室でおこなわれ,10分間で終わった。調印したのは吉田だけだった」(53頁)。
天皇巡幸画像1例 出所)左側画像は,昭和20年代前半の天皇「行幸」の一コマを撮ったもの。本文におけるような日米間の政治過程が進行するなかで,昭和天皇はこのような仕事も精力的にこなしていた。
 出所)http://www.ne.jp/asahi/koiwa/hakkei/sintou7.htm


 その事実を「吉田氏のワンマン振りは独裁者の行きかたである」(苫米地義三)とのみ固定的にとらえて終わらせてはいけない。進藤榮一『分割された領土-もうひとつの戦後史-』2002年,および,豊下楢彦氏『昭和天皇・マッカーサー会見』2008年などをまともに読解すればただちに,その先に開けている《敗戦後史の真実》に到達することができるはずである。

 吉田 茂は,敗戦後になっても,天皇に対する自分の政治的立場:距離を「臣茂」と表現するほど「尊皇」の思想・立場にあった。敗戦直後,昭和天皇が戦争責任をとろうと退位を申し出たときも,国民への謝罪の意を表明しようとしたときも,この吉田が止めたのである。1952年(昭和27年)11月の皇太子明仁の立太子礼に臨んださい,退位を考えた天皇を止めてもいた(原 彬久『吉田 茂』岩波書店,2005年,146-155頁など参照)。

 2) アメリカに日本を売りわたしたのは昭和天皇であって,吉田 茂はその代理人に過ぎなかった
 昭和天皇に対してそのように「臣茂」とみずから称した吉田は「時代錯誤」とマスコミに批判されても,得意のジョークで「臣は総理大臣の臣だ」とやり返した。もっとも「大臣」ということばじたいが時代がかった古いものであるが・・・。

 いずれにせよ「吉田にとって『天皇制護持』こそ,すべての始まりであり,すべての結着点であった」から(原『吉田 茂』121頁),「マッカーサーと吉田を “バイパス” して米国側に〔沖縄〕メッセージを送るという,政治過程への露骨な介入に〔昭和〕天皇を踏み切らせたのではなかった」かという歴史解釈が成立する(豊下『昭和天皇・マッカーサー会見』119頁)。

 ところが,「沖縄の無期限の米占領を規定した対日平和条約の調印と同じ日の1951年9月8日,サンフランシスコにおいて調印された」第1次日米安保「条約は,今日もつづくアジア干渉のための米軍の軍事行動の発進拠点になったわが国の米軍基地に,占領終結の時点で条約上の根拠を与え,わが国を軍事上外交上米国への深い従属下に置いた」のである(森田『独立国日本のために』51頁)。

 森田はこのように指摘していながらも,そのさい「臣茂」と自称して憚らなかった当時の吉田首相が,昭和天皇の意のままに働いていた事実まで追究していない。森田の記述は「第1次安保条約におけるアメリカ政府に対する忠実な協力者は」,まさにこの「吉田 茂首相だった」事実に触れ,「吉田 茂首相は日本の独立をアメリカに売りわたしたのだった」と指摘する(54頁)。

 そうであったならば,昭和20年代における日米関係史において「日本の独立をアメリカに売りわたした」本当の「張本人」は,昭和天皇以外にはいない。この人物こそが,敗戦後史のなかに「正真正銘の《売国奴》である行為」の記録を,いまでは抹消できないかちで留めてもいたといえる。

 本ブログが他日でも触れたように,1946年5月19日の「食糧メーデー」(米よこせメーデー,正式には「飯米獲得人民大会」)のとき,敗戦後まだ帝国臣民であった人民・国民の1人が

   「ヒロヒト詔書 曰ク 国体はゴジされたぞ
    朕はタラフク食ってるぞ
    ナンジ人民 飢えて死ね ギョメイギョジ」

とプラカードの文句に書いたために,当時まだ廃止されていなかった「不敬罪」に問われる事件が起きて,占領軍当局をびっくりさせる事件があった。
        松島松太郎 
 註記)これは,1946年5月19日「食糧メーデー」のときみられたプラカードのひとつ。その日,皇居前広場で「食糧危機突破大会」,いわゆる「食糧メーデー」)が開催された。参加者の1人がこのプラカードをかかげていた。
 出所)http://showa.mainichi.jp/news/1946/05/post-14a5.html

 しかし,昭和天皇がアメリカに発信していた個人的な「沖縄メッセージ」は,目先の食い物の問題などではなかった。天皇裕仁は自分の地位・立場・家族だけを最優先して守るために,大日本帝国時代の国土のうち「沖縄(琉球)をアメリカに処分してもらった」のである。

 それでは彼は,いったいなにを恐れていたのか? それは第2次大戦後における国際政治の舞台にできあがっていた「冷戦構造」:「東西間における決定的な政治イデオロギー対立」であり,その一方の陣営である社会主義(共産主義)国家体制であった。

 日本がもしも「アカの諸国」(とくにソ連邦や中華人民共和国)に侵食でもされたら,自分と一族は根絶やしにされるかもしれないと,それはもう異常なほどに恐怖していたのである。この事実は,敗戦前の戦時中から日本の皇族・華族のなかでは共有されていた基本認識でもあった。

 いずれにせよ,沖縄県が21世紀の現在においても基地問題で苦しむ実情を観察する森田 実が,この「沖縄メッセージ」が有する歴史的な関連問題を抜かしたまま『日米安保』論を説くのは,認識不足のそしりを逃れえない。
 補注)ちょうど,昨日〔2016年8月20日(土)〕の午後 9:00~午後 9:50 (50分) に,NHK総合テレビが「報道特番」の『「沖縄 空白の1年~ “基地の島” はこうして生まれた~」』を放送していた。こういう番組であった。
NHK特番沖縄2016年8月20日午後9時画像
 なぜ沖縄に基地が集中しているのか。それはどう始まったのか。NHKは,戦後の混乱のため資料が乏しく,「空白の1年」とも呼ばれる1945年から1946年の映像や未公開資料を入手。

 そこからは,アメリカが日本への返還や住民による自治を模索したにもかかわらず,世界情勢の変化によって,沖縄が基地化されていく過程が浮かび上がってきた。本土が復興に向かう一方で,重い負担を背負うことになった沖縄の戦後をみつめる。
 註記)http://cgi4.nhk.or.jp/hensei/program/p.cgi?area=001&date=2016-08-20&ch=21&eid=34944&f=46

   敗戦後に沖縄県が追いこまれたこの方向性にダメ押しのための力添えをしたのが,アメリカへ発信・伝達された昭和天皇の「沖縄メッセージ」(1947年9月20日)のであった。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
天皇メッセージ1947年9月20日画像資料
 註記)天皇メッセージ1947年9月20日画像資料,http://www.archives.pref.okinawa.jp/collection/images/Empero%27s%20Message.jpg

 沖縄県公文書館によるこの資料の公開は,つぎのような解説を付している。

☆「米国国立公文書館から収集した “天皇メッセージ” を
公開しました。(平成20年3月25日)」☆


 同文書は,1947年9月,米国による沖縄の軍事占領に関して,宮内庁御用掛の寺崎英成を通じてシーボルト連合国最高司令官政治顧問に伝えられた天皇の見解をまとめたメモです。【資料コード:0000017550】

 天皇メッセージの内容は,おおむね,以下の通りです。

  (1) 米国による琉球諸島の軍事占領の継続を望む。

  (2) 上記 (1) の占領は,日本の主権を残したままで長期租借によるべき。

  (3) 上記 (1) の手続は,米国と日本の二国間条約によるべき。

 メモによると,天皇は米国による沖縄占領は日米双方に利し,共産主義勢力の影響を懸念する日本国民の賛同もえられるなどとしています。1979年にこの文書が発見されると,象徴天皇制のもとでの昭和天皇と政治のかかわりを示す文書として注目を集めました。

 天皇メッセージをめぐっては,日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論や,長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論などがあり,その意図や政治的・外交的影響についてはなお論争があります。

 --いまの沖縄〔県〕の現況:あの壊滅的な「沖縄戦後における71年と2ヶ月」は,「
日本本土の国体護持のために沖縄を切り捨てたとする議論」を全面的に支持するほかないのであって,「長期租借の形式をとることで潜在的主権を確保する意図だったという議論」のほうは,付け足しの感を否めない。

 沖縄県は敗戦した日本帝国の捨て駒・踏み台にされていた。それも,日本という国家全体の〈利益〉(交換条件?)ためというよりは,ともかく,当時において天皇裕仁が当面していた自身・家族の立場・状況のためにこそ,ぜひとも必要だった「政治局面において精神的に安定した日常的条件」をえるための,すなわち,アメリカ軍の日本に対する「具体的な軍事支援」体制を,より確実に提供してもらうための取引材料にされていた。

 21世紀のいまにおいて,日本全国(もちろん沖縄県も入れて)に配置・布陣されている米軍基地を思いだしてみればいいのである。たとえば,アメリカ海軍の原子力空母の “母港” が横須賀には提供されている。このような米軍との関係を維持しているのは,日本以外にはない。つぎの画像資料をみたい。(画面 クリックで 拡大・可)
  横須賀原子力空母母港関連画像
    横須賀空母母港画像2
 出所)http://cvn.jpn.org/ 画像中の日付はみな,2016年のものである。『原子力空母の横須賀母港問題を考える市民の会』から。

 ④ 森田 実が提供する2つの話題:その2「在日外国人政治献金問題」

 1) 在日外国人献金問題
 森田は,民主党国会議員の前原誠司に起きた「在日外国人政治献金問題」について,「前原氏の外国人からの政治献金疑惑が,国会論戦の中心になった」のではなく,この問題が「なんら解決していないのに前原フィーバーを煽っていた」以前に,「マスコミは臭い物に蓋をするつも〔り〕だったのか ! ? 」と追及していた(169頁)。
前原画像
 この「在日外国人政治献金問題」は,ウィキペディア「前原誠司」では「在日韓国人献金問題・引責辞任」として〈編集〉されている。2011年3月4日に突如,話題にされていたのが,この事件であった。前原が誠司献金を受けとった在日韓国人女性は,前原の子どものころからのつき合いがあったという。
 出所)画像は,http://workingnews.blog117.fc2.com/blog-entry-3716.html

 「政治資金規正法」は,外国人から政治活動に関する寄付を受けてはならないとされ,故意にこの規定に反して寄付を受けた人には,罰則の定めがある。この刑罰に処せられたばあいは,公民権停止の対象になる。前原のばあい,その全体像を把握してから判断したほうがよいとされ,その場ではただちに結論は出されなかった。

 2011年3月6日夜,外務省で記者会見した前原は,外相を辞任する意向を明らかにしたが,議員辞職については言及しなかった。また,問題となった人物が前述のように「旧知の在日外国人(韓国人)であった事実」は認めたものの,「献金をいただいているという認識はなかった」と,献金受領の故意を否定した。後任が決定するまでの外相臨時代理は,枝野幸男が務め,3月9日に外務副大臣だった松本剛明が昇格となった。

 同日の記者会見で前原が公表したのは,在日韓国人の女性から受けとった献金の額は毎年5万円ずつ,5年間で計25万円である。年に5万円以下の献金は,収支報告書に寄付者の氏名などを明示しなくても良いとされている。3月8日,前原に対する政治資金規正法容疑としての告発状が,京都地検に提出された。12月21日,京都地検は,不起訴処分(嫌疑なし)とする。

 2) そのほか在日外国人献金問題
 ウィキペディアの当該記事は「上記以外の外国人献金問題」として,以下も記述している。

 --2011年8月27日,2005年から2010年までの6年間を前原の事務所が調査した結果,新たに在日外国人3人と,在日外国人が代表取締役を務める法人からの献金,計34万円分の外国人献金が発覚した。8月27日の発表前にこの献金は返金されている。2011年9月1日,8月27日の発表分とは別に,在日韓国人が株の大半を所有する企業から1996年から2003年までの間,計約100万円の献金を受けていることが発覚した。なおこの献金問題は時効の3年を過ぎていた。

 さて,政治家の汚職だとか個人献金の問題では,もっと巨額・多額の政治献金問題・事件が頻発してきた。こちらのほうはそっちのけで,前原のような事例が,あたかも大問題であるかのように事件として報道されている。本ブログは,原発問題をよくとりあげてきているが,政党に対して東電関係者が個人献金にならないように巧みに数十万円・数百万円単位の政治献金を,それも会社幹部連中が何名・何十名も揃えて旧与党政権党に都合している。

 前原の政治献金問題は「特別永住権という摩訶不思議な在留資格」を保有している「在日2世・3世」からの献金に関するものであって,政治資金規制法が法人企業については,排除できるわけもない外国法人(日本国籍の会社法人であっても外国〔人〕資本の比率が大きい企業経営も多数存在する)との関連を合わせて観察してみるに,雑魚を捕えるのには熱心でも大魚ははじめから問題外である。
☆ 前原外相に献金した女性
「選挙権もなく政治資金も出せないとは」☆


 前原誠司外相に献金して問題となった在日同胞のチャン・オクプンさんは,「外国人も公務員になる時代なのに外国人が献金してはいけないとは夢にも思わなかった」として,自身の献金で前原外相が辞任することになったことを悔やんだ。

 慶尚北道醴泉出身で韓国籍を維持しているチャンさんは,前原外相が12歳のときに父親と死別し,15歳のときにチャンさん夫婦が経営する飲食店の近所に引っ越してきてから親しくなったという。チャンさんは韓国と日本のメディアとのインタビューを通じ,「前原外相は私の2男と同い年で,店に立ち寄ったときには私を “お母さん” と呼んだ」と話した。

 その後,前原氏が政治家になるとすぐに小さな気持だが支援したいと考えていた。「5年前に前原氏の広報物のなかに寄付金を送る口座用紙が入っており,通名で送金した」と話した。また,「このお金は正直なところ政治資金とは思わなかった。家族ぐるみで親密に過ごしながら韓国人か日本人かを問うことなく慶弔時 ごとに助け合う仲だ」と強調した。さらに,「外国人の寄付だと不法資金だというが,いつまでこのように在日韓国人が差別を受けなければならないか」と反問 した。

 チャンさんは京都市山科区で焼き肉店を38年前から経営している。「これまで飲食店をしながら日本人と同じように税金を払っているが,選挙権もなく政治資 金も出せないとは。こういう差別はなくならなければならない」と強調した。前原外相が辞任した3月6日にはチャンさんの店に日本の右翼勢力とみられる人たちから脅迫電話がときどきかかってきたという。7日の店は連絡が途絶えた状態だった。
 註記)http://japanese.joins.com/article/013/138013.html,『中央日報』日本語版 2011年03月08日09時59分 配信。
 今回のような在日外国人献金問題の問題は,特別永住権をもって日本に暮らしている旧植民地出身者およびその子孫の問題であるからには,ごくふつうの外国〔国籍〕人という概念で〈規制する〉ことじたい,根本より疑念がもたれて当然である。日本〔国籍〕人でなければ,ほかはすべて非日本〔国籍〕人=外国人,という単純な腑分け=歴史的にも論理的にも不当である排外的な判断が,結局のところ問題として浮上してくる。
在日韓国人来歴解説画像
出所)https://ja.wikipedia.org/wiki/在日韓国・朝鮮人
(画面 クリックで 拡大・可)


 在日外国人に地方参政権を与えるかどうかという政治外交問題も長らく議論されるばかりで,いまだに解決していない(自民党政権に戻ってからはまったく進展なし)。「旧植民地出身者およびその子孫である在日外国人」に対して,日本国籍人でないから,政治資金規制法でとりしまる対象になるという単純思考が,まずもって再考されねばならない。

 さて森田は,以上のように指摘した問題点についていえば,論外に残されたかのような「在日外国人献金問題」に対する議論しかできていない。この種の問題が発生する「日本社会の実態」は,ほとんど感知しえていないがゆえに,まともに把握できてもいない。

 ⑤ 敗戦後の日本に残された呪縛4項目

 1)「皇 室」 昭和天皇の権威を利用してGHQは,日本の占領政策を進めることができた。

 2)「大蔵省(現財務省)」 戦前からつづく省庁では,GHQによる改変を逃れたのは大蔵だけである。大蔵官僚のDNAは従米主義で,いまはアメリカ国債を買い支えるためにには「増税もやむなし」という思考になってしまっている(この段落の話は2010年当時のことである)。

 3)「法務省・検察庁」 アメリカの意のままにならない人間を強制的に排除する「暴力装置」として機能している。

 4)「マスコミ」 マスコミは政治家なり官僚なりの疑惑を煽り,それをもとに賢察が乗りだすというのが排除の王道パターンである。

 --戦後も66〔→ 67(⇒ 71)〕年も経過すると,こうした日本への呪縛はだいぶ解けてきた。皇室はとくに,昭和から平成へと代替わりして,アメリカとの関係も希薄になった。大蔵省は借金を作りすぎて,かといって増税もできず,力を失っている(その間に消費税は5%から8%に上げられたが)。検察は元気がよかったのだが,調書捏造事件など暴走し過ぎたために民意からみはなされた。戦後アメリカ占領軍が使った日本支配のための主要な道具が変質し,もろくなってしまっている(183頁)。

 もっとも,以上に森田が認識してきたように,はたして日本国が有意・顕著に変質してきたのか,本ブログの筆者は懐疑的である。アメリカはオバマ大統領が今年に予定されている大統領選の再選をめざして,TPP(環太平洋戦略的経済連携協定:Trans-Pacific Partnership)の拡大・浸透に懸命である(いま:2016年夏の段階ではその先行き不透明)。

 いまや,情報・金融強盗資本主義体制の経済態勢しか採れなくなったアメリカ経済社会は,それでも老体国化しつつあるアメリカ中心の略奪経済構造の向けて,世界各国を変改・整列させようと企んでいる。

 --本日も,新年の〔ここでは2012年における〕あいさつを国民に向けておこなった「天皇のことば」を紹介しておく。

☆ 天皇陛下「少しでも良い年に」
皇居で新年の一般参賀 ☆


 新年恒例の一般参賀が1月2日,皇居・宮殿の東庭でおこなわれ,7万770人が訪れた。天皇陛下は皇后さまや皇太子ご夫妻,秋篠宮ご夫妻ら皇族方とともに,長和殿のベランダに立たれた。   

 あいさつで陛下は,東日本大震災や豪雨災害に見舞われた昨年を「心の痛む年でした」とし,被災者を案じた上で,「被災地の復興が進み,この年が国民1人ひとりにとり少しでも良い年となるよう願っています」と述べ,参賀者に笑顔で手を振って応えた。 
 註記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120102-00000005-jij-soci,『時事通信』2012年1月2日 (月)  5時23分配信,最終更新:1月2日 (月) 15時17分。
2016年1月2日皇族参賀画像
 出所)写真は2016年1月2日の「一般参賀」画像,http://blog.goo.ne.jp/adragonisflying12345/e/599ab2861c180a2927235f744411e493
 かつての帝国臣民は,この「天皇陛下」の「父:大元帥の命令」によって,大東亜戦争では日本国民だけでも310万名もの『尊い命』を,生き神さまとされたこの裕仁のためにこそ,捧げていたの木村三浩表紙である。その時の敵国の人びとは《鬼畜米英》と蔑称されていた。
 註記)これは,木村三浩『鬼畜米英―がんばれサダム・フセインふざけんなアメリカ!! (増補版)』鹿砦社,2003年4月の表紙カバー。

 ところがである,戦争に敗けてしまった日本帝国の大元帥「閣下」が,占領軍の総大将様であったとはいえ「アメリカ側の格下の元帥」マッカーサーに命乞いをし,媚びを売った結果,なんとか戦後においても自分の天皇位を護ることに成功した。

 おまけにその直後に彼はさらに,そのアメリカさんに対して「沖縄県」を〈ほとんどただ同然で引き渡す〉というごとき,これはどうみても本当に『売国奴』とみなすほかない,沖縄県人からみればそうとしか表現できない役目をはたしていた。より正確にいうと,自分の「天皇の地位」の安定化との「交換条件」であったかのような “お返し” として,みずから「その提案」をおこなっていた。

 1872年から1879年の「琉球処分」という歴史以来,「沖縄県人」は天皇の赤子でも,むろん股肱でもなかった。靖国神社に安らかに祀られているという〈英霊〉のなかには,沖縄県人も大勢いるはずである。彼らも含めた250万柱近くにもなんなんとする〈英霊〉たちは,日本帝国大元帥であったこの裕仁氏の,以上のような「不実の精神」というよりは「全面的な裏切りの行為」を,草葉の陰からどのようににらみ返しているか?
昭和天皇死去マンガハンギョレ紙
 というよりは,昭和天皇はしょせん,沖縄県を「日本固有の領土」とは思っていなかったのかもしれない。ここまで想像もしたうえで,過去の歴史に深く関与した彼の「山よりも高く,海よりも深い,とてつもなく重大な政治責任」を凝視する必要がある。


 【いつ終わるのかこれからもまったく読めていない『いまも生きている〈悪魔の火〉=溶融した核燃料「残骸(デブリ」)』 による放射性物質汚染水の継続的な発生問題に対する東電側対策の無力さ】


 ①「凍土壁の凍結未完 規制委有識者『破綻』福島第1」(『朝日新聞』2016年8月19日朝刊4面「総合」)

 1)記事本
 この記事の見出し文句が目に入ったとき,ビックリしないでいられる人は,多分いないはずである。東電福島第1原発事故現場に発生していた放射性物質(溶融した核燃料)による地下水汚染問題は,2011年「3・11」の東日本大震災に誘発された原発事故において併発された技術的な困難である。ところが,いまだにその根本解決をみていない。
東電福島第1原発事故現場汚染水問題画像
 出所)この図解の原図は,http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/images/2013041099070855.jpg である。http://blog.goo.ne.jp/torl_001/e/0e1d7e9006a1dcc0d679b0045bfebadc から借りた。2013年4月12日に記述されていた,このブログ記事の表題が「東電の破綻した汚染水管理~トラブルの連続で経営陣ら謝罪,『謝って済む問題では無い』」。

 最近ではときおりこのように,新聞に報道される関連記事を読んでいるだけでも,その地下水汚染問題が重大な局面をかかえたままでありつづけていることや,いつになっても抜本の解決に至っていない状況が理解できる。ともかくつぎに,この記事を引用する。

 --東京電力福島第1原発の汚染水対策として1~4号機を「氷の壁」で囲う凍土壁について,東電は〔2016年8月〕18日,凍結開始から4カ月半で,なお1%ほどが凍っていないと原子力規制委員会の検討会に報告した。地下水の流れを遮るという当初の計画は達成されておらず,規制委の外部有識者は「破綻(はたん)している」と指摘した。
 補注)「破綻している」という現在形の表現が出ている。いままで汚染水対策は,これがととのいしだい順次実行されてゆき,解決もしていくかのような情報として,われわれの耳には届けられていた。ところが,そうではなくて,ここに至っては「破綻だ」と,それも原子力規制委員会の「外部有識者」(後段に写真も出した橘高義典首都大学東京教授がその人物)が指摘したと報道されている。さきまわりして,つぎに出てくる数値に関してもいっておくが,その1%とは 8.2メートルの幅になる凍土壁のことである。記事本文の引用に戻る。

 東電の報告によると,3月末に凍結を始めた長さ約820メートルの区間の温度計測点のうち,8月16日時点で99%が零度以下になったが,地下水が集中している残りの部分〔つまりその1%〕まだ凍っていないという。東電は,セメントなどを注入すれば凍らせられると主張した。
 補注)いままでは,この凍結の技術方法を用いた汚染水漏れ工事によれば,問題は解決の方向に向かうかのように広報されてきた。しかしながら,そうはなっていない。もっとも,本ブログ内の諸記述のなかには早くから,この工事が成功する〈あて〉はないと判断していた。

 また,その現場をめぐる絶望的な現実・状況についても本ブログは,2016年03月08日「東電福島第1原発事故の炉心溶融は圧力容器⇒格納容器内に収まっているのか? 爆発事故によって実質はすべてが破損した状態である」をもって,具体的に記述してみた。ぜひ,こちらの記述( ⇑ )も参照されたい。


橘高義典画像 凍土壁の下流で汲み上げている地下水の量は,凍結開始前とほとんど変わっていない。外部有識者の橘高(きつたか)義典・首都大学東京教授は「凍土壁で地下水を遮る計画は破綻している。このまま進めるとしても,別の策を考えておく必要がある」と指摘。検討会は,上流でくみ上げた場合の地下水抑制効果の試算などを示すよう東電に求めた。
 出所)画像は橘高義典,http://www.ues.tmu.ac.jp/aus/1_outline/5_teachers.html

 --規制委の外部有識者とはこの橘高義典のことであるが,以前より指摘されつづけてきた汚染水漏れ工事の困難性(それが至難である事実)は,小出裕章などが原発事故直後から指摘してもきた点であった。参照した記事には,いまだに続いている汚染水の処理が具体的にどのように始末されているかは報道されていない。いままででも増えつづけている貯水槽に貯めているのか? 貯水槽を設置する場所が東電福島第1原発の敷地内では足りなくなっているのではないか?

 2)関連の記事(『産経ニュース』2016.3.31 12:33)は5ヶ月前にこう報じていた
産経ニュース2016年3月31日凍土壁問題画像 東京電力は〔2016年3月〕31日,福島第1原発の汚染水対策で,1~4号機の建屋周辺の土壌を凍らせて建屋内への地下水の流入を防ぐ「凍土遮水壁」の運用を開始した。海側(東側)から先行して凍結を始め,総延長約1500メートルの氷の壁をつくって汚染水の低減をめざす。
 補注)ここでは「総延長約1500メートルの氷の壁」と説明されているが,前段朝日新聞の記事では「〔2016年〕3月末に凍結を始めた長さ約820メートルの区間」という説明も出ていた。地下水漏れ対策が万全に完成していないのであれば〔!?〕,どちらでもたいした違いにならないが……。

 凍結の作業では,1~4号機の山側にある「凍結プラント」と呼ばれる施設で作業員がスイッチを操作し,冷凍機30台とポンプを起動。マイナス30度に冷やした冷媒を,建屋の周囲をとり囲むように打ちこんだ約1500本の凍結管(26.4メートル)に循環させる。

 凍土壁を完全に凍らせると,建屋周辺の地下水位が急激に下がり,汚染水が外に漏れ出す可能性があることから,原子力規制委員会は段階的な凍結を条件に運用を認可した。第1段階では,地下水の流れ込みを確保する未凍結部分(7カ所,約45メートル)を残し,海側全体と山側の95%を凍らせる。東電によると,凍結の効果は1カ月半ほどで出始める見通し
 註記)http://www.sankei.com/life/news/160331/lif1603310023-n1.html

 だが,その「凍結の効果」は最新のニュースが伝えるとおり,まだ成功していない。この 2)に引用した産経新聞には,つぎのような記事も出ていた。日付は『産経ニュース』で「2016.1.24 08:37」にまで,さかのぼっている。
    原発事故は〔2016年〕3月で5年を迎えるが,汚染水問題の解決が遠のいていることに対し,規制委の田中俊一委員長はこれまで「凍土壁ができれば汚染水問題がなくなるという変な錯覚をまき散らしているところに過ちがある。(凍土壁は)不要では,と指摘しても東電や経済産業省は検討しない」と指摘している。(原子力取材班)
 註記)http://www.sankei.com/affairs/news/160124/afr1601240009-n3.html
 原子力規制委員会の田中俊一自身が「凍土壁の構築⇒汚染水問題の解決」は「錯覚である」から,これを「まき散らすのは過ち」だと断言している。この点は,説明の必要もない同会委員長の判断=批判である。しかし,新聞紙上などわれわれが理解できる範囲内では,ともかく凍土壁の完成を待てば,汚染水漏れの問題が解決可能であるかのような雰囲気で報道がなされてきた。

 ②「福島第1の汚染水 浄化し建屋内に戻す 東電方針」(『日本経済新聞』2016年8月19日朝刊38面「社会1」)

 1)同日朝刊の記事
 東京電力は〔2016年8月〕18日,福島第1原子力発電所1~4号機の建屋内に溜まっている高濃度の汚染水対策として,処理装置で主な放射性物質をとり除いた水を,建屋内に戻す方針を示した。処理水を使って建屋内の汚染水を薄め,2018年度に2014年度末に比べて放射性物質の濃度を半減させる。原子力規制委員会は処理水をためるタンク増設の検討も東電に求めた。

 規制委が同日開いた会合で東電が方針を明らかにした。東電は汚染水対策として建屋周辺の地盤を凍らせる「凍土壁」の工事を進めているが,地下水の流入量を減らす効果はまだ出ていない。規制委は建屋内に溜まった汚染水の処理を2020年までに終えるとする東電の目標達成には,タンクの空き容量が足りないと強調。更田豊志委員は,東電が汚染水の量を減らす具体的な計画を示せなかった場合,「タンク増設命令を出すことになる」と述べた。

 --この記事は,その間に必要となる汚染水処理用のタンク(貯水槽)が足りないのだが,それとともに,凍土壁の工事も既述のように完成しておらず,結局「穴」が残っているままである事実も指摘している。

 福島第1原発事故現場においてなされてきた汚染水漏れ工事は,実質として観るに「いたちごっこ?」にもなっていない,穴だらけの(つまりバケツに穴が空いている状態)状況が,これまで続いてきた。

 溶融した原子炉の核燃料がデブリ(残骸)となって,圧力容器の底面あたりに〔あるいは格納容器の底面,あるいはまた建屋の底面に〕あると推測されている〔正確にはなにひとつ判っていない〕が,そもそも汚染水漏れがどこから発生しているのか,確実に正確に説明してくれる原子力工学の専門家からして,まだいない(それほどむつかしい問題ではなさそうであるが,現状を視認できていないことだけはたしかである)。

 ともかく,そのデブリじたいに汚染源がある事実を否定する者はいないとは思うが,それ以上にどこからどのように汚染が発生しているのか,素人のわれわれの理解に納得のいく説明をする者がいない(素人に納得のいく説明ができないのは,専門的にも現状の把握がまともにできていないせいである)。こうして,東電福島第1原発事故現場における汚染水漏れ問題は,これからいったい,いつになったら「解決への見通し」が立つのかさえ,依然として不分明のままである。原発とこの施設全体に対して,廃炉問題にとりかかれる以前の問題が,いまもなお未解決の段階で足踏みしている。
 
 2)同日夕刊の記事「原子炉,底まで透視 名大・中部電,溶けた核燃料把握へ実証試験」(『日本経済新聞』2016年8月19日夕刊1面)は,こう報じていた。

 名古屋大学などは原子炉の底部まで透視できる技術を開発し,〔2016年8月〕23日から中部電力浜岡原子力発電所2号機(静岡県)で実証試験を始める。従来の技術では原子炉の中心付近の様子しか判らなかった。使えるとたしかめられれば,東京電力福島第1原発の溶け落ちた核燃料のありかを把握でき,溶融燃料のとり出しに必要な工法の絞りこみに役立つとみている。
 補注)以上の内容は,依然「たられば」の想定話である。この話法がいままでも延々と続けられてきた。しかし,汚染水漏れ工事は完遂できていない。放射性物質に汚染された地下水はいまもなお,漏れつづけている。それを貯めておくタンク(貯水槽)はこれからも永遠に増設されつづけていく様子にしかみえていない。東電の姿は,まさしく哀れな《魔法使いの弟子》そのものである。

 炉心溶融を起こした福島第1原発1~3号機では,溶融燃料は炉心の鋼鉄製の圧力容器を破り,外側にあるコンクリート製の格納容器の底に落ちたと考えられている。名大の中村光広教授らが開発した技術は宇宙から降り注ぐ宇宙線から生じる「ミュー粒子」と呼ぶ素粒子を使う。物質を通り抜ける性質があり,レントゲン写真のように透視する。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
東電原発事故現場画像
出所)http://www.tepco.co.jp/nu/fukushima-np/outline/2_10-j.html
これはあくまで東電側が「3・11」直後に作製していた,
福島第1原発3・4号機に関する図解例である。4号機
は「3・1」のときは,幸いにも休止中であった。


 東電や政府はミュー粒子を使って福島第1原発1・2号機を調査しているが,電気を使うことなどから検出器を地上にしか設置できず,地表面よりも低い場所にある格納容器底部の様子はわからなかった。新技術はミュー粒子が当たると痕跡が残って画像ができる特殊な高感度フィルムを使う。検出器の厚みは10センチメートルと従来の10分の1ほどで,電源は要らず,地下水につかっても使用できる。実証試験では,検出器を地下十数メートルに置き,格納容器の底部を鮮明に撮影できるかどうかを約半年かけてたしかめる。

 --この試みが半年先にであっても,その成果を挙げられるかどうかは,結局その半年先に「たしかめる」ほかないと断わられている。この試図が絶対に成功するかどうかについて,これを保証してくれる者もいまのところはいない。

 ③「福島第1原発『凍土壁』の失敗で東京五輪返上が現実味 永田町の裏を読む」(『日刊ゲンダイ』2016年7月28日)

 この ③ は,凍土壁工事が当面している悲観的な現状を指摘する記事である。以下に引用する。

 a)〔2016年〕7月19日に開かれた原子力規制委員会の有識者会合で,東京電力が福島第1原発の汚染水対策の決め手となるはずだった「凍土壁」建設が失敗に終わったことを認めた。本来なら各紙1面トップで報じるべき重大ニュースだが,ほとんどが無視もしくは小さな扱いで,実は私〔高野 孟〕も見落としていて,民進党の馬淵澄夫の25日付メルマガでしって慌てて調べ直したほどだ。

 これがなぜ重大ニュースかというと,安倍晋三首相は2013年9月に全世界に向かって「フクシマはアンダー・コントロール。東京の安全は私が保証する」とみえを切って五輪招致に成功した。これはもちろん大嘘で,山側から敷地内に1日400トンも流れこむ地下水の一部が原子炉建屋内に浸入して堆積した核燃料に触れるので,汚染水が増えつづける。

 必死で汲み上げて林立するタンクに貯めようとしても間に合わず,一部は海に吐き出される。そうこうするうちにタンクからまた汚染水が漏れはじめるという,どうにもならないアウト・オブ・コントロール状態だった。それで,経産省が東電と鹿島に345億円の国費を投じて造らせようとしたのが「凍土壁」で,建屋の周囲に1メートルおきに長さ30メートルのパイプ1568本を打ちこんで,そのなかで冷却液を循環させて地中の土を凍結させて壁にしようという構想だった。
アウト・オブ・コントロールL表紙
 しかしこの工法は,トンネル工事などで一時的に地下水を止めるために使われるもので,これほど大規模な,しかも廃炉までの何十年もの年月に耐えうる恒久的な施設としてはふさわしくないというのが多くの専門家の意見で,私は2014年1月に出した小出裕章さんとの共著『アウト・オブ・コントロール』(花伝社)でこれを強く批判していた。馬淵もこの問題を何度も国会質問でとり上げて,別のやり方への転換を主張してきた。

 凍土壁は〔2016年〕6月にほぼ完成したが,汚染水がなかなか減らず,規制委は「壁になりきらず,隙間だらけで地下水が通り抜けているのでは」と疑問を突きつけた。慌てた東電は「凍土が形成されていないかもしれない箇所にセメントを流し込む」などの弥縫策をとったが,やはりダメで,〔7月〕19日の会合でついに「完全遮蔽は無理」と告白した。つまり,安倍の大嘘を後付けのにわか工事で隠蔽しようとした政府・東電のもくろみは失敗したということである。

 これが国際的にしれわたれば,リオのジカ熱どころではない,選手の参加とりやめが相次ぐに決まっている。東京五輪は返上するしかないのではないか。
 註記)http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/186504

 b)「〈小出裕章さん(京都大学原子炉実験所助教〔当時の肩書〕)インタビュー〉 止まらない汚染水流出,オリンピックなんて悪い冗談です  水による冷却に限界-金属による冷却も検討すべき事態」(『人民新聞オンライン』2013/9/12 更新)

 この記事はいまから3年前〔2013年9月時点〕のものである。古い記事だという必要はまったくない,いまにも妥当する中身が語られている。
 
 ◆ 編集部…  新聞・雑誌・テレビなど,あらゆるメディアが,にわかに汚染水問題について活発にとりあつかってます。事態の重大さは?

 ◇ 小 出…  汚染の深刻さに光を当てるのはありがたいことだと思いますが,いまさらなにを騒いでいるのか(?)とも思ってしまいます。汚染水問題は,2011年3月11日から続いている問題です。事故発生直後の4月には,ピットというコンクリートのトンネルから汚染水が海に流れ出ているのが発見されたために東電は,大あわてで漏れを防ぐ緊急工事をおこないました。するとメディアは,汚染水問題は終わったかのようにしらん顔を決めこんできたのです。

 事故原発敷地内には,ピットのほかに配管を格納しているトレンチや立坑があり,その先にはタービン建屋・原子炉建屋があります。これらが全部,汚染水で水浸しのままなのです。建屋にしろ配管用トンネルにしろすべてコンクリート構造物です。福島第1原発は,地震に襲われ,あちこちでヒビが入り,そこら中で水漏れを起こしています。

 地上で割れがあり水が漏れていればみえるので塞ぐこともできます。しかし,みえない地下でも同様に割れたところから汚染水が漏れつづていることは明らかです。2011年の4月の初め段階で,敷地の中には約10万トンの汚染水があふれ,恒常的に海に流れ出ているのです。

 私は,その時から イ)  コンクリート構造物から汚染水をくみ出し,ロ)  巨大タンカーに移し替えて,ハ)  柏崎刈羽原発内にある処理施設で処理すべきだといいつづけてきました。あれからすでに2年経っています。汚染水問題は,いま,急に立ち現われた問題ではないのです。
 補注)そしてそれからさらに3年が経っている。東電福島第1原発事故現場に対していまでは,一般人が見学できるコースが用意されている。だが,現況の事故現場が抱えている深刻な基本問題が,いったいいつになったら本格的に,解決の方途に向かいだせるのか,まだなにも判っていない。

 ◆ 編集部… 原子力規制委員会は,レベル3という評価をしていますが…

 ◇ 小出…バカげた評価です。今回タンクから300㌧の汚染水が漏れたので,かけ算をして24兆Bqになるので,レベル3だといっているわけですが,冗談じゃない。汚染水は2年以上にわたって海に流れ出つづけているのです。実際,どれほどの量かは誰にもわかりませんが,私は300㌧の10倍・100倍のレベルだろうと思っています。

 すでに事故原発敷地内は,放射能の沼のような状態になっています。今回タンクから汚染水が漏れたのですが,タンク建設にしても,時間をかけてしっかりした工事ができる環境ではないのです。猛烈な被曝環境で応急措置的工事しかできないのです。汚染水が地下水と接触するようなことになれば手がつけられなくなるので,私は2011年5月に,事故原発周辺に流れこむ地下水を止めるために,建屋を地下ダム(遮水壁)でとり囲み地下水から遮断すべきだとも提言してきました。

 当時,東京電力は6月に株主総会を控えており,そんな大規模工事を提案すると総会を乗り切れないということで,議案書には書かれていなかったのですが,総会後に作成された工程表には,「遮水壁の建設」が書き込まれていました。ところが,それは建屋の海側に作るという計画でした。

 これではだめです。地下水は山側から流れこんでいるのですから,山側にも作らなければ,汚染水はドンドン増えつづけ,海側の遮水壁の横から海に漏れ出るし,横から漏れなければ遮水壁を超えてしまうからです。海側では意味がないのです。こんな簡単なことに「専門家」といわれる人たちが気がつかないことに驚いています。

 最近になって東電は,凍土壁を建設して原子炉建屋を囲むといっています。これは,2011年からいいつづけている地下ダム(遮水壁)と基本的に同じ役割なので早く実施すべきです。しかし,それでも2年かかるそうです。この間も汚染水は,海に流れつづけます。

 --このインタビュー記事は,まだつづいている内容だが,以上までの引用としておき,さらにはつぎの段落のみ紹介し,以下は割愛する-

 ▼「国家が倒産するほどの事態なのに,政府も国民も現実をみようとしないのです。オリンピックなんて悪い冗談です」と,小出さんは語った。「国会は,事故をどう収束させるのか? 被災者をどう救済するのか? を最優先に議論すべき」とも。
 註記)http://www.jimmin.com/htmldoc/149201.htm

 ④ 幻冬舎の安倍晋三関連書物の広告(宣伝)

 以下に画像でかかげるのは,幻冬舎が発行する安倍「宣伝本」の広告である(『日本経済新聞』本日:2016年8月20日朝刊3面に出ていたもの)。本日まですでになんどかみかけたことのある新聞広告であった。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
山口敬之安倍晋三本表紙『日本経済新聞』2016年8月20日朝刊3面広告
 ここでは同時につぎの画像資料(ツイートの意見)も出しておく。(画面 クリックで 拡大・可)
安倍晋三アンダーコントロール発言批判画像
出所)http://matome.naver.jp/odai/2137856684578462101
4つの画像は当時のNHKニュースからの切り貼りで,
大越とは,このニュース報道を担当した
当時のアナウンサー大越
健介のこと。

 この安倍晋三を「21世紀に残る偉大な(?)首相」の1人にしておきたい意図がみえみえの著作刊行である。安倍晋三の存在を恥じらう書物もたくさん公刊されていることも事実である。だが,幻冬舎の社長が安倍晋三とは親しい関係にある事情もあって,このように安倍晋三君の虚像をふりまき,そしてこれを実像にまですり替えておきたいという願望が,露骨に剥き出しされている。

 本当のところをいえば,まったく逆説的にそのとおりである。すなわち,当然のこと「夢や理想では政治はできない !! 」。しかし「夢も理想もないまま,ウソやごまかしによる政治では,この日本に未来はない」。これが安倍晋三君の作風であった。しかも,当人にはその自覚症状がない。

 安倍晋三はこの日本を,自分なりにうまくアンダーコントロールできているつもりかもしれない。だが,実は,日本の政治はそうはなっていない。そのことがよくしれるのは,日本という土俵を1歩出ると,まともには相手にされていない「子ども政治家」である彼の実像を介してである。

 安倍晋三もまた,内政問題を,まずアメリカに報告してからとりかかるような日本の政治家である安倍は,安保関連法の国会成立を,アメリカのオバマに対してだけは事前に「きっと,そのようにいたします」と,日本国民を完全に無視したかたちで約束していたではないか
   「〔2015年〕4月30日午前0時にアメリカの上下両院合同会議で日本の首相として初めて演説をした安倍首相ですが,その演説中で安倍首相は集団的自衛権を柱とする新しい安全保障法制を夏までに成立させる決意を表明しました」。
 註記)http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6328.html
 出所)「安倍首相:安保関連法案,夏までに必ず成立-米議会で初演説」,http://www.bloomberg.co.jp/bb/newsarchive/NNKLY56K50Y901.html
  21世紀における日本政治史に汚点ばかりをこすり付けているこの首相に,わざわざ「夢や理想では政治ができない」とお説教を垂れてもらう筋合いはない。

 もともと対話力も説明力も説得力もなにもない政治家である。あるのはオジイチャンの七光りだけである。おそらく敗戦後における日本政治史では,ここまで首相の任期〔2012年12月以降〕を務めてきているものの,「史上最悪・最低の首相」であるという評価は回避できていない。
小指画像
 これ(小指のこと)のせいでみずから,在任期間を1989年6月3日から8月10日までと短くさせてしまい,首相の座を早々と追われていた,第75代総理大臣宇野宗佑が記録した出処進退のありようのほうが,よほど「悪い意味では無益」(?)であり,かつまた「善い意味では無害」(!)であった。
 出所)小指の画像は,http://ameblo.jp/piroperi/entry-10359166090.html

 安倍晋三の政治・経済の運営ぶりは,まったきに百害あって一利なし。さて,昨日⇒本日には,いよいよ対ドル為替で100円をはっきりと切りそうな経済情勢もうかがえる。アベノミクスがこの為替情勢の推移で,1ドルを80円あたりから120円まで円安にしてきたが,いまでは後戻りの趨勢をたどりつつある。

 アベノミクスじたいがあやふやな幻想であるどころか,確実に,錯覚に根ざした空振りの経済政策であった(これからどのような禍根がもたらされるか大きく懸念される)。東電福島第1原発事故現場における放射性物質汚染水問題は,これからも半永久的にかかえこんでいくほかない《悪魔からの贈り物》だと,われわれは覚悟を決めてかかる必要がありそうである。


 【朝日新聞とはこんな新聞紙だったか? このときばかりは,他紙も同じようだったが……】

                                       

 ①『朝日新聞』のオリンピック報道,号外みたいだった・2016年8月18日の夕刊紙面

 昨日〔2016年8月18日〕午後に配達された朝日新聞夕刊を開いてみたら,まるでリオ・オリンピック特集号と形容したらいいような騒ぎであり,たいそうなはしゃぎぶりの紙面でもある。一般紙であっても,このさいだけは,完全にスポーツ新聞ばりの紙面構成になっていた。もちろん,人によってはこれでよい・よい,オリンピックなのだからいいじゃないかという受けとめ方をしているかもしれない。

 しかし,安倍晋三君に2年前から虐められはじめて以降,この朝日新聞は「紙質」全般を落としてきた印象が否めない。そこでだいぶ昔の出来事であったけれども,毎日新聞に生起していたある事件を思いだして,いまの問題として同時並行的に再考してみたい。多少飛躍した話題創りである。ともかく,毎日新聞の話題のほうをさきにとりあげることにする。

西山太吉記者事件当時画像 いまから45年ほど以前,西山事件というものが発生していた。それは,1971年の沖縄返還協定にからみ,取材上しりえた機密情報を国会議員に漏洩した毎日新聞社政治部の西山太吉記者らが,国家公務員法違反で有罪とされた事件である。別名を,沖縄密約事件・外務省機密漏洩事件ともいった。
 出所)画像は中心に西山太吉記者,事件当時の写真,http://kurusu6020.blog.fc2.com/blog-entry-269.html

 西山太吉の所属した毎日新聞社は,その後,発行部数を減少させ,全国紙の販売競争からは確実に後退を余儀なくされた。また,オイルショックによる広告収入減等もあって経営が悪化し,1977年には債務超過に陥った。それ以後,朝日新聞・読売新聞・毎日新聞という日本を代表する大手一般紙から毎日新聞は,経営面でどうしても半歩遅れをとる新聞社になっていた。〈販売部数〉でのみ判断すれば,準一流紙の地位を余儀なくされていた。
    補注)毎日新聞が現在において置かれている業界での位置は,こういう話題(従業員の給与水準)からも,その一片がうかがいしれる。

 「記者の給料は働く環境によって大きく異なります。記者としての主な活躍の場は,放送局,新聞社,出版社,フリーと分けられます。各メディアとも大手と中小の差は大きく,その待遇も変わってきます」。「もっとも稼げるといわれているのが放送記者でなかでもやはり大手の方が平均給与が高い傾向にあります。30代後半で年収1,300万円超え,大手新聞社・出版社でも30代前半で700~900万くらいが相場といわれています」。

 「ちなみに,大手新聞社の平均年収は朝日新聞社で1,236万円,日本経済新聞社で1,257万円,毎日新聞社で770万円(2015年3月現在。数字は記者を含む全社員の平均値。各社有価証券報告書より)となっています。中小のメディアでは大手の4~7割,350~600万円くらいが相場となり,近年ではとくに大手との収入差が目立ちます」。

 註記)http://nensyu-labo.com/syokugyou_kisya.htm
 2014年夏ごろを頂点に安倍晋三が権柄尽くで,それもムキになって必死の様相で,朝日新聞イジメを敢行していた。だが「従軍慰安婦問題という軍性的奴隷の問題」が「歴史の事実」であったことは,毎日新聞西山太吉記者が暴露した国家機密が真実であった点と同様であって,なにも変わるところはない。

 吉田清治の著作が大問題になっていたけれども,吉田の執筆内容が否定できれば,従軍慰安婦問題のすべてが存在しえなくさせられると希望することは,それじたいの発想としては自由であるけれども,大日本帝国軍において従軍慰安婦が存在してきた事実を抹殺するための材料には使えない。むしろ,補強する材料には使えることに留意すべきである。

 安倍晋三がしゃかりきになって従軍慰安婦問題を否定しようとしても,すなわち,歴史のなかで記録されてきた真実・事実が,権力者の横暴・圧力によって誤魔化されたり抹消されたりようとしても,その歴史じたいがなくなりうるわけではない。すでに従軍慰安婦問題に関しては,学術的に多くの解明がなされてきており,その研究成果も十分に蓄積されている。政治家がこの学術面の業績を恣意的に無視することができたとしても,その史実としての問題性が永遠に消せるのではない。

 もっとも,権力側によって《歴史の隠滅》が「そのように」操作されそうになる危険性に対して  “闘う言論界(ここでは新聞記者およびその新聞社)側”  が,まさしく「社会の木鐸」性を発揮できるかどうかといった基本の問題は,反面においては,国民・市民の側における民主主義の精神次元の資質,さらには,その定着化の水準にもかかる要因が大きい。この点に関していえば,日本社会に顕著である単細胞的なネトウヨ現象は,すでに病理の次元にまで到達していて,安倍晋三自身もこの観念世界においては名誉会員のごとき人物である。

 一国の首相が「披露・発揮」できる「品性・人格の水準・中身」は,その国における「民主主義の現実状態」を計るための試金石たりうる。だが,日本のこの首相は〈軽石の形状〉というよりは〈スポンジ状〉のような人材である。この国家指導者は,現状における日本国全体をますます液状化させるのに懸命の努力(いわば逆噴射)を重ねつつあり,譬えていえば,木が沈み石が浮くような日本国の内情を確実に形成しつつある。

 彼は,試金石に当てる前から,ボロボロ崩れている程度の施策しか提供できていない。アベノミクスをご覧あれ。「インフレ・ターゲット2%」は一度も達成できていない。それは冗談であったのか? はたまた軽卒の妄想であったのか? 『日本経済新聞』の記事には関連する内容が豊富に提供されている。

 --さて,本日の本題としては,オリンピック金メダル獲得数に歓喜するのもよいけれども,大手新聞紙がこのように,「スポーツ新聞よりスポーツ新聞紙らしい」紙面造りをしていたことが気になっている。『朝日新聞』の場合は,甲子園で試合が展開されている高校野球の報道にも非常な熱の入れようである。自社が主催者であるという事情は判るものの,高校野球に関してはまるでこちらもスポーツ紙。( ↓  画面 クリックで 少し 拡大・可)
『朝日新聞』2016年8月18日夕刊12-13面オリンピック金メダル画面
出所)これは『朝日新聞』2016年8月18日夕刊
12・13面見開きでのオリンピック金メダル報道記事。
『日本経済新聞』2016年8月18日夕刊12-13面オリンピック金メダル
 出所)これは『日本経済新聞』2016年8月18日夕刊
12-13面見開きでの同上。両紙を比較すると朝日新聞
は女子レスリングだけの記事になっている。

 2016年8月19日の夕刊もその後開いてみることになったが,この日も『朝日新聞』『日本経済新聞』ともに,上掲とまったく同じような見開きの紙面でもって,リオ・オリンピックで「金メダル!!!」である(なお,ほかの面にもさらにオリンピック関係の報道が,くわえてたくさんあったことも,忘れずに付言しておく)。8月18日もそうであったが,広告欄に紙面をほとんど割り当てない構成でもあった。特別の紙面だからか,そうなっているらしい〔広告をあえていつもどおりにはとらない紙面の提供〕と推測しておく。

 ② 3S-Screen,sport,sex-

 昔,3Sという用語があった。3S政策といわれ,Screen(スクリーン=映画),Sport(スポーツ=プロスポーツ),Sex(セックス=性産業)を用いて,大衆の関心を政治に向けさせないようにする愚民政策であり,そのような政策があったとの主張されているのである。オリンピックもむろんスポーツ大会であり,それも国際大会である。ドーピング問題には触れないでおくが……。

 ここで,① に言及した西山太吉事件に戻っての話題になる。まさにこの路線(3Sのひとつの話題:Sex に引き寄せる術策,⇒のちに触れるが「ひそかに情を通じて」という非難)に,完全に悪のりしたかのようにして,この西山記者が起こした事件に対抗しつつ,国家側の不都合・不適切な犯罪的な行為をもみ消したのが,当時の首相佐藤栄作が成功させた策略であった(もっとも当時は大成功していたが,のちにその意図は暴露され究明されている)。

 その沖縄密約事件の発覚=事件化に立ち向かった佐藤栄作首相側で採用された「火消し」のための戦術は,当時の新聞紙をイエロー・ジャーナリズム化させる方法を使ったものであった。ところが,これに対して国民側というかマスコミ側は,もののみごとに引っかかり,乗せられてしまった。

 事後,佐藤側:執権党にとってだけ都合のよい方向に,この事件は進展させられていった。その結果としては肝心の問題,つまり国家側の国民に対する重大な背信行為は,いったんは,どこかへ追放できていたのである。

 昨今までにおける,安倍晋三君の民主主義を否定した独裁的政治は,3S政策よりももっと幼稚で初歩的な暴圧による極右政治であるから,さらに「質(たち)が悪い為政」となっている。ここではつぎに紹介する「昔の週刊誌」(『週刊読売』1975年12月6日号)が報道した記事を画像資料で読んでもらいたい。

( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
      週刊読売昭和50年12月6日号1週刊読売昭和50年12月6日号2
  出所)「山崎豊子×西山太吉×渡辺恒雄=?」『マスコミ不信日記』2009年06月23日22:52,http://blog.livedoor.jp/saihan/archives/51575904.html
  補注)当時『読売新聞』主筆の渡辺恒雄と『毎日新聞』政治部記者の西山太吉とは,同業者として親密な関係にあったという。そして,系列週刊誌へのこの記事の掲載,渡辺恒雄稿「〈水爆時評〉財界人も知っていた“国家機密”-西山記者逮捕は謀略だった…-」(『週刊読売』昭和50年12月6日号)もあったことになる。〈水爆時評〉というコラム的な題名がすごいが,当時から原爆推進派であった読売新聞社の立場が正直に反映されている。
 そのころは,同じ新聞社:新聞記者同士であれば,同じ業界の人間として国家権力側に立ち向かう態度を維持できていた。ところが,21世紀のいまはどうであるかといえば,国家権力に対して露骨にこびへつらう一方の「読売新聞と産経新聞」,そしてそれにだいぶ近い「日本経済新聞」。そして,これら新聞社ととは別陣営にある「朝日新聞と毎日新聞と東京新聞」の布陣といった具合に,明確な業界地図が形成されている。

 こうした新聞業界内部における対立構造が現にある。となれば,権力側に対して,この業界全体がイザというときに「社会の木鐸」という意味あいで「なにかを申したり,行動を起こしたり」することは,ほとんどできていないでいる。というのも,おたがいに足を引っ張りあう業界なのだから,である。

 朝日新聞社が2014年中に,従軍慰安婦問題で安倍晋三にさんざんイジメられていたとき,このときとばかりに朝日の購読者をわが社のほうに奪えとまでいった勢いで販売戦術を駆使・展開したのが,読売であった。しかし,そのときはさすがに世間の評判は悪く,読売新聞だけがめだって読者(発行部数)を減らすという皮肉な現象を出来させていた。

 ③「西山太吉事件のけじめ」(http://www.face.or.jp/tokuyama/mdrdoc/029.html,2004年9月22日)

 ちょうど30〔42〕年前,毎日新聞のひとりの政治記者がペンを折った。西山太吉(当時40歳)というこの男は数々の特ダネをものにした敏腕記者であったが,外務省詰めの記者時代に政治権力とみずからが身を置くメディアによって押しつぶされていった。佐藤栄作政権の時代だ。

横路孝弘画像 沖縄は米軍に占領されており,その返還交渉の過程で,米国側が土地の復元補償費として支払うべき400万ドルを日本側が肩代わりするという密約が日米でとり交わされた。この密約を裏づける外務省の極秘電信文を入手した西山記者は,それをストレートな特ダネ記事にしないで,電文を社会党の横道〔以下は横路に訂正して引用〕孝弘議員(現民主党議員)に渡し,国会で追及する手はずを整えた。
 出所)右側画像は横路孝弘,http://www.jiji.com/jc/giin?d=bd0849032d17430b3762566f81177db1&c=syu&rel=ja

 横路議員は衆院予算委員会で,密約の存在について佐藤首相をはじめ福田赳夫外相や外務省条約局長らに厳しく問いただした。さすがの政府首脳も慌てた。「横道は極秘電文を本当にもっているのか。そうならば,誰がそれを漏らしたのか」などと憶測を呼び,首相官邸や外務省は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。

 横路議員が質問をした翌日には,福田外相らが密かに社会党と接触,電文が本物であることを確認。3日後には,外務省の女性事務官(当時41歳)が西山記者に渡したことを突き止めた。この女性事務官と西山記者はまもなく,国家公務員法違反の疑いで逮捕されることになった。

 密約という国民を欺く行為を暴いた記者が逮捕されたわけだ。とんでもない権力介入で,毎日新聞をはじめ多くのメディアは反発,「国民の知る権利」や「報道・言論の自由」を訴えた。「国益」と「知る権利」のどちらを優先すべきなのか,という議論にも発展した。漏洩事件を捜査していた東京地検特捜部は2人を起訴,その起訴状において,西山記者は女性事務官と「ひそかに情を通じて」,これを利用して秘密文書をもち出させたとした。

 この「情を通じて」というひと言によって,事件は重要な政治や言論の問題から一挙に男女関係をめぐる通俗小説のようなレベルに落としこまれていった。事件の本質をすり替えていくという政府のやり方は,鮮やかで,しかも狡猾だった。西山記者が情報源である女性事務官の名前を証したこともあり,毎日新聞は「道義的に遺憾な点があった」としておわびの記事を掲載することになった。

 これを境にして国民の知る権利やそれと国益との対立,密約の存在をかたくなに隠す政府の姿勢など重要な問題はカヤの外に置かれ,週刊誌をはじめとするメディアは西山記者と女性事務官の男女関係をいっせいに書き立て,プライバシーを暴いていった。両容疑者が起訴された翌日,ノーベル賞作家の川端康成氏がガス自殺をし,世間を驚かした。文章で身をたてた代表的な作家が自殺し,やはり文章で生きる新聞や週刊誌メディアも妙な符号だが,自殺同然のことをしてしまったのである。

 国家的な犯罪ともいえる密約事件と男女関係をごちゃ混ぜにして,ふたりの男と女を生け贄にしたメディアのありように怒りすら感じる。その後,佐藤首相は沖縄返還などの功績が認められノーベル平和賞を受賞し,福田外相は首相になった。横路議員も国会議員を続けている。

 沖縄返還から30年後の2002年夏,密約を明記した米政府の公文書が米国立公文書館でみつかった。西山太吉記者のスクープ記事は真実であったことが証明されたのだ。しかし,日本政府は依然として密約の存在を認めていない。事件があった当時の福田外相の息子,福田康夫氏は時代がめぐって官房長官になり,記者の質問に対して「密約はいっさいない」と言明した。

 現在,西山氏も元女性事務官も健在だ。両者とも沈黙を守りつづけてきたが,西山氏は自分の記事が正しかったことが証明されたこともあり,2年前,30年ぶりにメディアに登場,当時のことを振り返った。彼の重い口を説得して開かせたのが,琉球朝日放送の土江真樹子ディレクター(現在,名古屋テレビ勤務)だ。

 密約という存在を暴こうとした日本のメディアは,権力側に完敗した。政府はいまだに密約はなかったと臆面もなくいっている。これ以上惨めな負け方はないといっていいほどに叩きのめされた。1970年代前半の権力とメディアの関係と,現在のイラクでの日本人人質事件や自衛隊報道などをめぐる権力とメディアの関係に同質のものを感じることがある。これは西山事件のけじめがつけられていないという証左のように思える。
    補注)イラク戦争への参加についてイギリスでは,当時首相であったトニー・ブレアの責任がきびしく追及されはじめている。これに比べて日本はどうであるか? 当時の首相であった人物は(誰?),いまではすっかり元老であるかのように行動している。
ブッシュとブレア画像
出所)http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/8ac78e4861d84405cbf80c45a7d15b24

  民主主義の成熟度において彼我の間には,それこそ雲泥の差がみられる。人間,誰でも過ちは犯す。問題はその後において,その過去をどのように反省し,未来に活かすためにも現在の立場を再構築しうるかである。首相は一国の指導者であり,単なる個人ではない。それ相応に「歴史に対する責務」を背負いながら,一国政治(内政・外交)をになっているはずである。

 --以上,西山太吉記者による密約暴露記事をめぐる事情・背景については,国家責任の次元においては,その批判も総括もなされていない。西山は裁判にも訴え勝訴している。しかし,歴史の展開は逆回りはさせえないまま,西山だけが不当に処罰されてきた。不当である。片方の首相といえば「ノーベル平和賞」を受賞されたというのだから,これはお笑いぐさである。

 2014年中の話題に戻る。読売新聞や産経新聞などは,同業社である朝日新聞が安倍晋三によって「叩かれる場面」をみて,狂喜乱舞するかのような対応姿勢をみせていた。両紙は大喜びしたかのような表情・姿勢で,安倍晋三の攻勢に荷担する世論造りに邁進していた。これはただただ始末が悪かった。恥しらずであったのである。

 安倍晋三政権じたいを調子に乗せ,野放図にのさばらせるための基本条件が,なんと「社会の木鐸」であるはずの立場から,この安倍晋三のような政治家個人に対して,喜んで与えられてきた。安倍晋三のような「傲慢と幼稚」の政治家が,世の中に跋扈しないように掣肘する義務が最低限,新聞社側の言論活動には「あるはずであった」。ところが,読売新聞と産経新聞はわざわざ好んで,その逆方向に進行していった。言論界にとってみれば,まったく愚の骨頂であり,まさしく自殺行為を地でいっている。

 本日の話題であったオリンピック金メダル獲得に大喜びする報道は,それじたいとしては誰も否定しないけれども,以上のように触れてみた「過去と現在における新聞業界の体たらく」をそっちのけで,あるいは一時的に忘れたいかのよう紙面を制作していたとすれば,これはあまりにも問題があり過ぎ,お粗末。

 ④ む  す  び

 2014年中における『朝日新聞』「従軍慰安婦問題」に対した安倍晋三〔政権〕の異様なまでの攻撃ぶりは,一見したところ朝日新聞社側の劣勢のもとに幕が引かれた顛末になっていた。しかし,従軍慰安婦問題がそれで,世界の歴史のなかから消えてなくなったわけでもなんでもない。

 ここでは,敗戦直後において日本側が即座に占領軍向けに提供した「売春施設の問題」(歴史の記録)を挙げておくのが,便宜である。RAAとは,Recreation  Amusement  Association の頭文字だとか……。この程度の英語のつづりは,日本国の住民であれば,大部分は読めるはずであり,意味も判る。日本語としても使用されている英語であった。sex するのがリクレーションであり,アミューズメントであるというのは,判りやすい説明であるといってよい。人間の性欲・物欲・名誉欲のひとつに関する話題となる。

 さて,敗戦直後の1945年8月26日であった,日本の内務省は「米兵から良家の子女を守るため」に,特殊慰安施設協会(RAA)を組織した。要は,米軍専用の国営売春機関を提供していた。安倍晋三流の歴史観で回想すれば,このような「歴史の事実」には目を向けることさえ憚れるのである。自虐史観からすれば許しがたい「歴史の事実」の実在なのである。戦後直後にはパンパンという,ある種の「生活形態」をとって暮らしている女性たちを指したことばもあった。
RAA文書画像
出所)http://www.tanken.com/senryogun.html
前後の文章もここから引用した。


 この文書は「米兵慰安所の急設」を指示した内務省文書『米兵ノ不法行為対策資料ニ関スル件』(国立公文書館)である。安倍晋三の戦争史観によれば,こうした「敗戦直後」における「歴史の事実」は「なかったもの」としておくのが,もっとも好ましい国家側の基本姿勢である。


 【原発を再稼働し,その寿命を延長させても,いずれあとには廃炉工程という至難の課題が待ちかまえている】

 【「行きはよいよい帰りは怖い  怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ」
(「稼働=当面の収益獲得」はともかくよいものの,「廃炉=将来における莫大な処理経費発生」がとても怖い)を地でいく原発行政の愚】

 
 ①「やっぱり危ない伊方原発 発電初日の地震直撃に専門家警鐘」(『日刊ゲンダイ』2016年8月17日)

 発電初日,襲われた。〔2016年8月〕15日山口県で起きた震度3の地震。伊方原発3号機がある愛媛県伊方町でも震度2を観測した。四国電力では12日に原発を再稼働し,15日から発電と送電を始伊方原発断層画像めたばかり。いきなり地震に “直撃” され,周辺住民は「やっぱり伊方原発は危険だ」と不安を強めている。
 出所)画像は,https://www.oita-press.co.jp/1010000000/2016/04/16/004921651

 伊方原発は以前から,その “危険性” が指摘されてきた。わずか8キロ先に国内最大の活断層「中央構造線断層帯」があるからだ。4月の熊本地震はその延長線上の「布田川・日奈久断層帯」が動いて起きた。愛媛県の中村時広知事は「(伊方原発で)福島と同じことが起こることはない」と断言しているが,なにを根拠にいっているのか。武蔵野学院大の島村英紀特任教授(地震学)がこういう。
 補注)この知事の発言はまったくに政治的な発言であって,科学的な根拠などない完全なる妄言である。換言すれば,原発安全神話と少しも変わらぬ次元での発想であり,問答無用にそういわねばならない立場を正直に,それも一方的に宣言している。
島村英紀教授画像
出所)http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/0b3e735cb7ee1c77781b6b92883c1bc0

 この種の原発安全に関する発言は,いままでにおける日本の原発史のなかでさんざん聞かされてきた誤謬説である。だがそれでも,いまさらにように愛媛県知事が口にしたという苦しい立場は理解できなくもないが,完全に間違った無理・無体ぶりには呆れるほかない。


 〔島村の発言続き→〕 「熊本地震以降,震源地は周辺地域に広がってきています。今回の震源地の伊予灘は伊方原発のすぐ隣にある。非常に怖い場所で起こったといっていい。中央構造線断層帯沿いは,これまで地震が繰り返され,地震に弱い岩盤が広がっていて,不安要素は多いんです。しかも,福島第1原発事故の本当の原因は,まだ地震か津波か,はっきりしていない。そうした段階で,伊方原発を『安全』といい切るのは早すぎるでしょう」。

 ※-1「電力十分に原油安で再稼働必要なし」。
 そもそも,いま危険な「伊方原発」を再稼働させる理由はほとんどない。電力業界は「電力の安定供給に原発は欠かせない」と説明するが,原発稼働がゼロでも,電力は十分足りている。しかも,原油安の影響で火力発電の燃料費も安く済んでいる。「原発のほうがコストは安い」といういいぶんも,事故対応や廃炉への費用を考えると,正しい見方とはいえない。
 補注)「電力の安定供給」体制は原発なしでも,すでに達成できている。とくに今夏からは,政府がこれまでしてきた,電力使用者側に対する特段の節電要請をしなくても済むことになっていた。原油安は定着しており,多少の価格上昇の動勢はあっても,1バレル当たり100ドルを超えていた時期には戻りそうにはなく,50ドル以下(40ドル台)で落ちついている。

 以下の議論は,原発の全基が稼働していない時期から,昨年(2015年夏以降)まだ数基しか稼働できていない現在の状況にも妥当する話題である。

 --「3・11」以後,電力の不足分を火力発電に代替させるために原油・LNGを多く輸入してきた。そのために日本の貿易収支が赤字になっていた,だから,原発を(コストが安価だという理由をもって)稼働させろと騒いできた電力会社と,これを囲む原子力村利害共同体諸集団は,その後,原油価格が大幅に値下げし,そのように主張する理由がなくなった段階に至っていた。ところが,こんどは,その「反対方向でもっていうべき理屈」については,いっさい口をつぐんだまま,けっしてなにもいおうとしなかった。

どうなる原発のコスト画像 ということで,原発推進派が主張するところに一貫性のないことだけは,確実になっていた。しかもその間,「3・11」以降においては,自然・再生可能エネルギーの高度な開発・利用がじわじわと浸透・普及しだしている。
 出所)右側画像は,http://genpatsu173.blog.fc2.com/blog-entry-332.html

 逆に,原発の不要性・不利性・害悪性はますます不可避な事態をも迎えており,一般庶民にも認識が深まっている。それゆえ,皮肉になにかをいうといった以前において,すでに完全に《落ち目である原発再稼働派》の主張が,なお前面にしゃしゃり出てくるようでは,日本のエネルギー政策の根本からの転換が遅延させられるばかりである。

 原発コストの「最安価」論が非現実的な幻想「論」であることは明瞭になっている。だからこそ実は,それ以外の関連する事情をもってなのであるが,愛媛県知事のように原発に事故が起こることはありえない,それもとくに四国電力の「伊方原発では福島原発と同じことが起こりえない」などと,合理的な根拠もないままに断言している。だが,これは安全神話の崩壊すらも完全に無視した暴論でしかない。問題は「なぜ,知事をしてそういわせるのか」という疑問に焦点が向けられる。

 〔記事本文に戻る ↓  〕
 ※-2 ジャーナリスト・横田 一氏はこういう。電力会社が再稼働を急ぐのは,すでに燃料も買って施設もあるからです。初期投資が大きい原発では,なるべく長期で使用したほうが,経営上はプラスになる。政治家側も,現在は電力会社から直接の政治献金はありませんが,選挙時に運動員を出すという人件費の無償提供を受けている。

 『脱原発』という候補には,『応援しないぞ』と脅しをかけるケースも多い。選挙を “人質” にとられ,原発推進にならざるをえないんです」。つまり,国民の安全よりも,大切なのはカネと選挙ということだ。発電初日に伊方原発を揺らした地震は,天の啓示ではないか。
 註記)http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/187842/2

 つぎに「原子力発電所をめぐる原子力産業の関連図表」を参照しておくが,ともかく原発産業の裾野は広い。この図解に出ているのはそれでもまだ「電力を生産している原発」工程の範囲にとどまるが,いまではすでに「廃炉工程に入った原発」が,この「後」工程に群がる諸産業・諸企業にとって「オイシイ商売の種」になっている。電気を作ると作らないとを問わずこのように原発産業は,非常なる金喰い虫である。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
原子力発電所のための各種産業図表
出所)http://www.jaif.or.jp/ja/joho/press-kit_nuclear-power_japan.pdf
原発全基停止中2014年5月時点画像
 このうち下にかかげた図表においては「運転中」という理解しがたい,まことに奇妙な表現が出ている。「稼働中」でも「営業運転」でも「ない状態」にあった原発が,この表現のように「運転中」という表現でもって,その存在を「誇示(?)」されているらしいのである。実際には,原発が運転を「休止」している〈記事〉のための説明字句であるはずなのに,ずいぶんヘンテコな表記を当てている。

 ここで断わっておくが,,この図表を借りた資料の表紙には,“日本の原子力発電の概要 (プレスキット)』2014年5月27日,(一社)日本原子力産業協会政策・コミュニケーション部”,と記載されている。2014年5月27日の時点は,いうまでもなく,「2014年9月15日に日本全国の原発が稼働を停止して1年を迎えていた」時期内に入っていた。

 その状況のなかであったのだから「原発は休止中」なのであり,ただ物的に存在していた事実(稼働中でも運転中でもない原発が発電所の敷地内あった時期という意味において)を,そのように「運転中」と表現するのは,奇妙奇天烈であるどころか,理解に苦しむ日本語の使用法である。

 いずれにせよ,「3・11」原発事故を起こした東電福島第1原発事故現場の後始末は,いまだに廃炉工程にすら進めない状況に置かれているが,東電の経営会計全体に対してはすでに,われわれの血税関係の資金が実質的に10兆円以上も超えて投入されている。原発が物理化学的に《悪魔の火》であり,絶対に利用してはいけなかった〔核兵器以外には!〕という大事な認識を,福島第1原発事故はあらためて実物教育しているのである。
   
 ②「高浜原発の燃料取り出し開始 運転差し止め,長期停止見越し」(『東京新聞』2016年8月17日 13時57分)
 

 関西電力は〔2016年8月〕17日,高浜原発4号機(福井県高浜町)に装填(そうてん)されている核燃料をとり出す作業を始めた。19日に終了する予定。高浜3・4号機の運転を差し止めた大津地裁の仮処分決定に対する執行停止の申し立てが6月に却下され,長期停止の可能性があることから異例のとり出しを決めた。関電は大津地裁の仮処分決定を不服として大阪高裁に抗告しており,高裁の審理で仮処分決定が覆れば,2基を再稼働できる。抗告審は秋以降に始まるとみられる。

 4号機には現在,プルトニウム・ウラン混合酸化物(MOX)燃料四体を含む 157体が装填されていて,とり出した核燃料は使用済み燃料プールに移す。3号機は9月5~7日に核燃料をとり出す。管理を容易化するため,すでに保管されている別の燃料とまとめる。

 3・4号機は今〔2016〕年1~2月に相次いで再稼働した。しかし大津地裁が3月に運転を差し止める仮処分を決定。関電は仮処分決定の執行停止に加え,異議も申し立てたが,却下されたため,7月に大阪高裁に抗告した。関電は運転停止による代替発電で1日当たり約3億円の損失が出るとして,早期に仮処分の効力を止めるよう求めている。

 現在稼働中の原発は九州電力川内(せんだい)原発1・2号機(鹿児島県),四国電力伊方(いかた)原発3号機(愛媛県)の3基。いずれも運転差し止めを求める仮処分を申し立てられたり,訴訟が起こされたりしている。

 【解説】 〈高浜原発4号機〉は,福井県高浜町にある関西電力の原発。加圧水型軽水炉(PWR)で,出力は87万キロワット。1985年に営業運転を開始した。避難計画の策定が必要な半径30キロ圏内には,京都府舞鶴市や滋賀県高島市の一部も含まれる。3号機も1985年に運転が始まった。
 註記)http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2016081790135705.html

 つぎの図表は「原発出力合計図表」である。4千万キロワット時になっている原発の総発電能力であるが,この能力水準に相当する自然・再生可能エネルギーの開発・利用が準備・提供されつつある事実を指摘しておく必要もある。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
原発出力総計図表画像
出所)http://www.rist.or.jp/atomica/data/pict/02/02050110/06.gif

 なお,ここでは,認定NPO法人・環境エネルギー政策研究『自然エネルギー白書 2015 サマリー版』の参照をお願いしておきたい。原発がもはや要らなくなっている事由が説得的に記述されている。

 ③「大型風力発電相次ぐ  エコ・パワー,1000億円投資  買い取り制度が後押し」(『日本経済新聞』2016年8月17日朝刊11面「企業総合」)   

 国内で大型風力発電所の新設計画が相次ぐ。エコ・パワー(東京・品川)は1000億円以上を投じ,2030年までに発電能力を現在の10倍の計200万キロワットに増やす。ユーラスエナジーホールディングス(東京・港)も最大80万キロワットの事業を計画。再生可能『日本経済新聞』2016年8月17日朝刊風力発電画像資料エネルギーの固定価格買い取り制度(FIT)の後押しにくわえ,マイナス金利で資金調達がしやすくなり積極投資する。

 政府は2030年の電源構成見通し(ベストミックス)で,再生可能エネルギーを22~24%に高め,このうち風力は2015年末比3倍以上の1000万キロワットまで増やす方針を示している。これまでは設置が容易な太陽光発電の導入が先行しているが,風力は太陽光よりも発電効率が高く,木やヤシ殻などを燃やして電気を作るバイオマスのように燃料調達の必要がない。このため再生エネの主力として期待されている。
 補注)なお原発1基あたりの発電能力(出力)は,ここでは比較しやすいように100万キロワット時と理解しておくにする。
『日本経済新聞』2016年8月17日朝刊風力発電関連表
 エコ・パワーは,まず2222年度までに約1000億円を投じ,発電能力を50万キロワットまで拡大。2030年に計200万キロワットまで増やす。同社は現在,全国で計約18万キロワットの風力発電所を運営する。2022年度までに陸上では北海道や福島県,洋上では秋田県で丸紅などと約15万キロワットの発電所の建設を進める。

 風力発電の国内首位で現在,約65万キロワットの風力発電所を運営するユーラスは,稚内市など北海道北部で,7つの風力発電事業の環境影響評価(アセスメント)を進めている。送電線の新設が必要だが,実現すれば道北だけで合計最大80万キロワットの発電能力が増える。
 補注)北電が所有する原発は,北電自身の解説では分かりにくいので,ウィキペディアから参照すると,つぎの3基である。原子炉形式→運転開始→定格出力→現況の順に書いてある。

  ◇-1 1号機(加圧水型軽水炉)……1989年6月22日 57.9万kW 定期点検中
  ◇-2 2号機(加圧水型軽水炉)……1991年4月12日 57.9万kW 定期点検中
  ◇-3 3号機(加圧水型軽水炉)……2009年12月22日 91.2万kW 定期点検中

 北電管内ではこのように,道北地区における風力発電だけでも,北電の所有する原発1基分が発電する電力に相当する出力が期待できているという。ほかの自然・再生可能エネルギーの開発・利用も各種あるが,北海道地域の場合は風力発電が有力な方式である。日本国内の電力事情(需給関係)においても,このように大きく影響する自然・再生可能エネルギーの開発・利用を踏まえていえば,原発の不要性に関する議論は進むほかあるまい。

  〔記事本文に戻る→〕 国内では大型の風力発電所の建設計画が相次ぐ。国内2位のJパワーは秋田県由利本荘市に1万6100キロワット,北海道せたな町に5万キロワットの風力発電所を建設中だ。3位の日本風力開発は開発中の案件を国内で計30万キロワット以上もつ。ゴールドマン・サックス系のジャパン・リニューアブル・エナジー(東京・港)が宮崎県に自社開発の案件を初めて建設するなど新規参入も増える。

 風力発電で起こした電気のFITによる買い取り価格は現在,陸上が1キロワット時あたり22円,洋上では同36円。再生エネで先行した太陽光発電は,2012年のFIT開始時に40円だった買い取り価格が24円に下がった。設置コストが安くなったことなどが理由で,風力発電による電気を売るほうが有利な環境になっている。

 1997年設立のエコ・パワーなど風力大手は,日本各地で大型発電の事業開発や安定運営で経験を積んできた。一般に風力は太陽光に比べて初期投資は大きいが,マイナス金利下で「機関投資家の風力への投資意欲が高まった」(関係者)という。大型案件に向けた資金調達がしやすい環境となっている。

 ④「風力発電,2030年には世界で5倍増も 全電源の2割に達する可能性」(『ハフィンポスト』投稿日: 2014年10月22日 18時06分 JST 更新: 2014年10月22日 18時06分 JST)

 世界風力エネルギー会議(GWEC)は,2030年までに世界の風力発電設備容量が現在の5倍強に相当する2000ギガワット(GW)に達し,電源構成の19%を占める可能性があるとの見通しを示した。
 補注)1GWとは1,000,000キロワットであり,100万キロワット。

 国際環境NGOのグリーンピースと共同でまとめた報告書を〔2014年10月〕21日公表した。2013年末時点の世界の風力発電設備容量は318GWで,電源構成に占めるシェアは3%だった。設備容量は2014年には45GW増加し,363GWになるとみられている。

 同報告でGWECは,2020年,2030年,2050年における風力発電を3つのシナリオに分けて予想。国際エネルギー機関(IEA)の予測にもとづくもっとも保守的なシナリオでは2030年の風力発電設備容量を964GWとしている。

 しかし,再生可能エネルギーに関する現在の政策を基礎として,2015年の国連気候変動パリ会議(COP21)で控えめな温暖化ガス削減目標が採択されるシナリオで試算した場合,2030年の設備容量は1500GWになり,風力発電は電源構成の13%~15%を占めるという。

 各国が積極的に再生可能エネルギーを推進し,より健全な温暖化ガス削減目標が採択される前提での試算では,2030年の世界の風力発電設備容量は2000GWに達し,電源構成の17%~19%を占めるようになるという。さらに同シナリオでは2050年の設備容量は4000GWになるとしている。

 風力発電については,政府補助が電力料金の上昇につながっているとして欧州を中心として推進に反対する意見も強い。しかし,GWECのスティーブ・ソーヤー事務局長は,電力供給能力を増強する上で風力による発電コストがもっとも安い国・地域が増えており,価格も下落が続いていると指摘した。

 そのうえで「温暖化ガス削減が喫緊の課題となるなか,輸入化石燃料への依存度が高止まりしている現状を考えると,未来のエネルギー供給に風力発電が大きな役割を果たすことになることは間違いない」と語る。

 GWECは,ブラジル,メキシコ,南アフリカの3国を風力エネルギーの成長市場とし,ブラジルでは2014年だけで4GWの設備容量増加がみこまれ,メキシコは今後10年に年間2GWの増加が続くと予想している。
 註記)http://www.huffingtonpost.jp/2014/10/22/windfarm-increase-2030_n_6026248.html

 ここでつぎの画像資料をみたい。これは,原発用の核燃料を「国産」に分類している。だが,これは〈欺瞞的な仕分け方〉である。たしかいままでは,核燃料は「準国産」だといいつづけてきたはずのものが,「3・11」以降になると,いつの間にかこのように核燃料は「国産」だと偽りだしている(この指摘は以下の図表においては「エネルギー自給率(%)」における数値に注目していうものである)。日本の原発の燃料は国産ではない。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
日本のエネルギー源別構成比率画像

 出所)http://www.enecho.meti.go.jp/category/saving_and_new/saiene/renewable/outline/
 補注)経済産業省資源エネルギー庁は,このような〈図々しいいいかえ〉を平気でおこなえる〈厚かましい官庁〉であるらしい。この論法でいくと,外国から輸入した小麦粉を加工したうえで,これを原料にして作ったパンでも〈純〉国産品になりそうである。つぎの図表もみておこう。核燃料の調達先は外国ばかりである。
主要燃料の調達先画像
  出所)http://kuippa.com/blog/2015/08/13/原発論。取り除き難きは正論に紛れ巣食うもの。/

 経済産業省資源エネルギー庁は以前より,2030年における原発の電源構成比率(いわゆる「ベストミックス」)を,22~20%という原案に示してきた。だが,そもそも「3・11」以来5年半近くが経過してきた現在,その「%」に実質相当する比率分は,すでに節電され削電できている。

 当面の原油・液化の価格も低めに安定している。原発コストの急激な上昇(もともと本来の高コストが表面に出てきて現象してきたに過ぎないが)が明白になっている現段階において,この原発の再稼働にしゃかりきになっている電力会社と国家側関係官庁の基本姿勢は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用を妨害するような,なかでも後者は行政の指導が主であって,エネルギー問題全体に対して観ると,文字どおり反動形成の国家組織・機関である。

 経済産業省資源エネルギー庁は電力会社のいいなりに,あるいは進んでご奉仕だけするような,日本のこれからにとって必要不可欠であるエネルギー政策とはいえないような,担当官庁としての仕事っぷりであった。その後に及んでもなお,自然・再生可能エネルギーの開発・利用に不熱心であると判断されるような,根本的な基本姿勢を切り替えていない。日本国におけるエネルギー問題をまともな方向へともっていくための,つまりエネルギー自給率を高めるための近道は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用にみいだすべきことは,自明に過ぎる選択肢である。

 ⑤ 自然・再生可能エネルギーの開発・利用の可能性・展望

 こういう意見:「再生可能エネルギーはこんなに広がる」があるが,あなたならどう思うか? 『緑の党』の主張であるが,単に主張としてではなく,現実問題に関する見通しとして受けとめ,考えてみたい論点である。

 1)日本がもつ再生可能エネルギーのポテンシャル
 環境省が2012年に発表した再生可能エネルギーポテンシャル調査によれば,日本国内では,風力発電 40,000億kWh,太陽光発電(住宅を除く)約 1,600億kWh,中小水力発電約 800億kWh,地熱発電約 900億kWhの再生可能エネルギーの導入可能性があります。

 数字だけをみれば,日本のエネルギー需要を十分賄うことが可能になっています。ただし実際には,たとえば風力発電の適地は北海道や東北等の一部に偏っていたり,国土が狭い日本では土地用途の利用調整が必要だったり,ポテンシャルを活かす工夫が必要になってきます。

 2)再生可能エネルギーを大きく拡大する条件
 2012年7月に再生可能エネルギーの固定価格買取制度が始まり,発電事業参入への経済的インセンティブは整いました。制度開始から約8ヶ月が経過しましたが,太陽光発電については住宅用・産業ともに導入が増加しています。

 しかし同時に,再生可能エネルギー適地への電力系統の整備に早急に着手し,再生可能エネルギー電源の受け入れ態勢を整備する必要があります。さらには,発送電分離を含む電力システム改革を,先行する欧米の経験にも学びながら進めていく必要があります。

 日本のエネルギー消費量のうち約4分の3を占める熱エネルギーについても対策が必要です。工場等でボイラーの燃料として使われている重油,家庭や事業所などで暖房や給湯として使われている灯油やガスなどを再生可能エネルギーに置きかえるなど,とり組むべきことは多くあり,熱政策の整備もおこなう必要があります。
電源構成みとおし画像
出所)http://editor.fem.jp/blog/?p=203
   この画像資料を参照した記述はこういう題名であった。
「脱原発と再生可能エネルギーシフトが雇用拡大・経済
発展もたらす-日本の電力消費の3倍ものポテンシャル
もつ再生可能エネルギーは原発産業の8倍もの雇用増や
す」(2015/8/11)。この記述も参照に値する。
上記のアドレス(  ↑  )には,リンクを張ってある。

 3)再生可能エネルギー100%の未来をめざして
 再生可能エネルギーの未来は私たちのひとつひとつの「選択」の積み重ねにより決まります。同時に,国が  “脱原発・エネルギーシフト”  の大きな方向性を示し,選択肢を用意することは非常に重要です。私たち緑の党は,知恵・ネットワークを活かし,明確にエネルギーシフトを進める政策を打ち出し,実行していきます。
 註記)http://greens.gr.jp/seisaku-list/5940/

 以上は政党の〈標語的な主張〉である。だが,けっして不可能な方向性を語っているのではない。その気になってとり組む気さえあれば,紆余曲折は予想されるものの,必らず実現できる「近未来の目標」である。ただし,原発の再稼働にこだわる原子力村利害共同体諸集団の面々にあっては,当面する自分たちの利害が彼らの視界を遮っており,自然・再生可能エネルギーの開発・利用に対する阻害要因になっている。

 だからこそ,国家主体が一国のエネルギー資源調達問題を自然・再生可能エネルギーの開発・利用に向かわせねばならない。ところが,この日本国じたいが,原発依存病に罹患している原子力村を抱えている制度・基盤でもある。あまつさえ,この病状をみずから矯正し,方向転換することを嫌がっている。

 いずれにせよ,いまもなお,時代の流れに対しては反動形成分子であるその諸勢力(国家・支配体制)側が実権を掌握している点に変わりはない。だが,この勢力の妨害を抑えこみ,乗り越えながら,エネルギー資源基盤を根本から改革していく必要がある。


 【昭和天皇から平成天皇へと無限大に広がる疑似的な国事行為】

 【自分たちのための仕事をたくさん創ってきた2人の天皇】

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 〔※ 断わり〕  本記述は,旧ブログ 2011年2月17日の再掲である。ここに再録することに当たっては,その後において補正・加筆が必要な段落・箇所については,適宜,大幅に手をくわえてある。

 2016年8月8日,平成天皇は「生前退位」に関した意思表明をする〈ビデオ・メッセージ〉を放送させていた。この出来事に直接つながる記述・内容である。

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 ① 最近における平成天皇の健康状態

 1) 天皇の健康状態(病状)
 まず,NHKニュースから「天皇陛下 冠動脈を薬で治療へ」という報道を紹介する。以下では,直接引用ではなく文意を汲んで,なるべく簡潔な参照とする項目もある。
    天皇は〔2011年〕2月11日,東京大学附属病院で検査を受けた。心臓の冠動脈全体にある程度の動脈硬化が認められ,血管の一部が狭くなっており,薬による治療を受けことになった。天皇は検査後の経過観察のため,2月11日夜は病院に泊まり,12日の午後,御所に帰った。

天野篤画像 宮内庁は「日常生活には支障がない」と語っている。激しい運動をしないかぎり症状が出ず,狭くなった血管が心臓の機能に大きな影響を与えないと診断され,手術や,カテーテルを使って血管を広げる治療はおこわないで,血液を固まりにくくする薬などを服用することにした。
 注記)http://www.nhk.or.jp/news/html/20110211/k10014006491000.html

 なお,その後の2012年2月,順天堂病院の医師天野 篤が,天皇明仁の心臓冠動脈バイパス手術を担当し,無事に済ませていた。
 出所)画像は天野 篤,http://president.jp/articles/-/16606
冠動脈疾患オーバービュー ここで,右側にかかげた図解は『冠動脈疾患オーバービュー』である。(画面 クリックで 拡大・可 ⇒ )

 ★「冠動脈疾患とは」なにか? 

 --日本では高齢者人口が世界に類をみないスピードで増えつつあり,加齢に関連した疾患も急増しています。その代表的なものが,動脈硬化に起因する疾患です。

 動脈硬化とは,動脈の血管の壁が厚くなって硬くなることです。血管の壁の内側にコレステロールを中心とした脂質が溜まり,血管が狭くなることによって起こります。

  症状が進むと,線維化や石灰化,さらに血流が悪くなる狭窄(狭くなること)や閉塞(閉じてふさぐこと)を生じ,時に動脈瘤を形成します。動脈硬化を招く危険因子には,生活習慣(喫煙・運動不足・ストレス)や基礎疾患(肥満・糖尿病・高血圧・高コレステロール)などがあり,加齢もそのひとつ。家族歴や性格も関係するといわれています。動脈硬化は頭・首・腹部・脚など全身の血管に起こる可能性があります。

 このうち,心臓の動脈硬化の舞台となる血管を「冠動脈」といいます。冠動脈は心臓の筋肉(心筋)が働くために必要な酸素や栄養を供給する,心臓の生命線ともいえる血管です。この血管に狭窄や 閉塞が起こり,心筋に十分な血液が届かなくなる病気が,狭心症や心筋梗塞に代表される「虚血性心疾患」(冠動脈疾患あるいは急性冠症候群も含まれる)です。日本人の死因第2位(1位はがん)となっている心疾患17万9000人のうち7万5000人が虚血性心疾患です(厚生労働省の2009年「人口動態統計」)。
 註記)http://www.med.jrc.or.jp/hospital/clinic/tabid/146/Default.aspx 前掲画像もここから。

 2)「天皇陛下 公務の日程を
工夫へ」
 1)  のような報道を受けてさらに,つぎのような記事が書かれていた。
    天皇は〔2011年〕2月12日午後退院し,今後の日常生活にも支障はないけれども,宮内庁は,天皇に対して,少しでも体調に優れない点があれば,すぐにしらせるよう願うとともに,これまで以上に,体調の変化に注意を払うことになった。また,今回の検査結果を踏まえ,公務についても体の負担を考慮し,日程や内容を工夫していく。
 注記)http://www.nhk.or.jp/news/html/20110212/k10014009591000.html
 ② 九州の新燃岳が噴火

 1)「霧島・新燃岳が噴火 宮崎・鹿児島に降灰,空の欠航続く」
 気象庁は〔2011年〕1月26日,宮崎,鹿児島県境の霧島連山・新燃岳(しんもえだけ:1421メートル)で小規模な噴火があり,噴火警戒レベルを2(火口周辺規制)から3(入山規制)に引き上げた,と発表した。2007年12月に新燃岳に噴火警戒レベルを導入後,レベル3は初めて。

新燃岳噴火画像 発表によると,1月26日午後3時半に小規模な噴火があり,噴煙の高さが火口縁から約2千メートルに達した。同日朝もごく小規模な噴火があり,火山活動が活発になっていた。宮崎県の6市町と鹿児島県の3市で降灰が確認された。
 出所)画像は,http://blog.goo.ne.jp/hiroharikun/e/99c3204e12ab4a1a3a7c7908f91742b7
 
 新燃岳東麓にある宮崎県高原町は1月26日,日高光浩町長を本部長とする町災害対策本部を設置した。噴煙の影響で,宮崎空港発着のJAL,ANAの計6便が欠航。JALは27日の同空港発羽田行きと伊丹行きの始発計2便の欠航も決めた。

 宮崎道は1月26日午後5時半から高原⇔田野インター間で通行止め。また,宮崎県都城市のJR日豊線・山之口駅では同日午後5時10分ごろ,信号機が降灰の影響で動かなくなり,JR九州は同線の一部区間と日南線,吉都線の全線の運転を見合わせた。27日午前1時現在,復旧のめどは立っていない。
 注記)http://www.asahi.com/national/update/0127/SEB201101260056.html 2011年1月27日 0時57分 配信。

 2)「〈新燃岳噴火〉激甚災害指定を要請 宮崎知事」
河野俊嗣・宮崎県知事画像 宮崎県の河野俊嗣知事は〔2011年〕2月11日,新燃岳噴火の激甚災害(局激)指定を政府に要請した。
 出所)画像は河野俊嗣,http://shop.gyosei.jp/index.php?main_page=product_info&products_id=7621

 ▽-1 活動火山対策特別措置法による「避難施設緊急整備地域」の早期指定
 ▽-2 降灰で農作物が被害に遭った農家や事業に支障が出ている商工業者への経営支援
 ▽-3 砂防堰堤(えんてい)の新設やセンサー設置などの土石流対策--など。
  注記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110211-00000044-mai-soci  『毎日新聞』2011年2月11日 19時55分 配信。

 3) 天皇夫婦が宮崎県知事を見舞い,激励した
 --このニュースについては,a)  b)  c) のように各社の報道から3つ引用しておく。

 3)- a)「宮崎県知事,両陛下に噴火災害などの状況説明」
 天皇,皇后両陛下は2月15日,宮崎県の河野俊嗣知事を皇居・御所に招き,鳥インフルエンザの被害と,同県,鹿児島県境の新燃岳噴火による災害の状況について説明を受けられた。

 河野知事によると,両陛下は被害を受けた養鶏農家の復興状況や噴火で避難した人びとの健康を心配している様子で,「大変でしょうが,元気を出して頑張って下さい」と励まされた。両陛下はボランティアが噴火で家屋に積もった火山灰の除去などの活動をしていることについて,「それは素晴らしいことですね」などと話されたという。
 注記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110215-00000639-yom-soci 『読売新聞』2011年2月15日 14時44分 配信。
 
 3)- b)「両陛下,宮崎知事ねぎらう」
 天皇,皇后両陛下は2月15日午前,お住まいの皇居・御所で宮崎県の河野俊嗣知事と面会し,鳥インフルエンザの被害と新燃岳の噴火による被災状況について説明を受けられた。河野知事によると,両陛下は昨年の口蹄疫に続き,鳥インフルエンザ,新燃岳噴火の被害に遭った宮崎県民を心配し,「大変でしょうが,ぜひ元気を出して頑張ってください」と声をかけた。

 養鶏農家について,両陛下は「再開に向けて大丈夫でしょうかね」と話し,新燃岳噴火で避難した住民に対しては「疲労もたまるのではないでしょうか」と健康を気遣っていたという。同知事は「宮崎のことを心配してくださり,大変ありがたく思っている。激励の言葉をいただき,元気が出る思い」と話した。 
 注記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110215-00000077-jij-soci 『時事通信』2011年2月15日 12時56分 配信。

 3)- c)「両陛下,宮崎県知事から説明お受けに 鳥インフル被害と新燃岳」
 天皇,皇后両陛下は2月15日午前,お住まいの皇居・御所で,宮崎県の河野俊嗣知事から鳥インフルエンザの被害と,噴火活動が続く新燃岳の災害状況について説明を受けられた。

 河野知事によると,両陛下は「大変でしょうけれど,ぜひ元気を出して頑張ってください」と話し,被災した農家を気遣われたという。報告後,知事は取材に「宮崎のことを心配していただき,たいへんありがたく思う。なんとか頑張っていこうと県民の皆さんに伝えたい」と話した。

 両陛下は1月末,宮内庁を通じ,宮崎県民への見舞いと激励の言葉を河野知事に寄せられた。宮内庁によると,両陛下が同県の状況にかねてから関心をもたれていたため,河野知事の上京に合わせて説明の機会が設定された。
 注記)http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20110215-00000521-san-soci 『産経新聞』2011年2月15日 11時8分 配信。

 ③ 国事行為をいつも逸脱する国家的行為をおこなっている天皇〔夫婦など〕

 1) 昭和天皇〔敗戦後〕と平成天皇
 天皇の国事行為というものが日本国憲法には規定されている。本ブログでも「国事行為」で検索すると,たくさんの日付で各記述が出てくる。ここではひとつだけ,「2010.5.5」「昭和天皇,戦後『内奏』政治」(旧ブログの記述ゆえリンクは示せない。後日に,復活させる予定)を挙げておく。

 なかんずく,昭和天皇〔敗戦後〕・平成天皇という2人の天皇にあっては,日本国憲法第7条の規定するところしたがい,「国事行為」としての「天皇の行為」,すなわち「天皇が国家機関として許される行為」が規定されており,しかも「内閣の助言と承認」が必要であるものとも規定されている。
 =〔天皇の国事行為〕=
 
   第7条天皇は,内閣の助言と承認により,国民のために,左の国事に関する行為を行ふ。

        一 憲法改正,法律,政令及び条約を公布すること。
        二 国会を召集すること。
        三 衆議院を解散すること。
        四 国会議員の総選挙の施行を公示すること。
        五 国務大臣及び法律の定めるその他の官吏の任免並びに全権委任状及び大使及び公使の信任状を認証すること。
        六 大赦,特赦,減刑,刑の執行の免除及び復権を認証すること。
        七 栄典を授与すること。
        八 批准書及び法律の定めるその他の外交文書を認証すること。
        九 外国の大使及び公使を接受すること。
        十 儀式を行ふこと。


 この日本国憲法第7条を,子どもにでも判りやすくいいかえると,こうなる。

 天皇は内閣のいうとおりに,こんな10のことをするよ。

  1 憲法が変わったり法律とかの決まりが代わったらみんなに教えるよ。
  2 国会議員を呼んで集めるよ。
  3 衆議院の議員をまとめてみんなクビにするよ。
  4 「国会議員の選挙があるよ」って,みんなに教えるよ。
  5 国の大事な仕事をしている人たちを採用したりクビにしたりするし,外国と話をする人に「全部任せるよ」っていったり,外国で仕事してもらう人を決めたのを認めてあげたりするよ。

  6 刑務所にいる人を出してあげるよ。
  7 国のためになることをした人に賞をあげるよ。
  8 外国に送る大事な手紙を,ちゃんと中身があってるって認めるよ。
  9 外国から,国を代表して仕事に来た人を受け入れてあげるよ。
  10 いろんな行事をするよ。
   註記)http://憲法.net/dai1sho/7jo.html 参照。

 以上に関しては,つぎのような図解のように,しかも12項目に分類して,この国事行為を説明する方法もある。
 天皇の国事行為図解画像
  出所)http://1156.blog103.fc2.com/blog-entry-19.html
 ところが,天皇が今回〔2011年1~2月の経緯〕,「新燃岳」噴火によって宮崎県が被った自然災害を心配する気持を行動的に表現しようと,宮崎県知事を皇居を訪問させ〔呼びつけ〕,県民に同情する旨の「見舞いと激励の言葉」を寄せたというのである。もっとも,天皇夫婦が宮崎県知事に対して「金一封を下賜した」かどうか,単に「見舞いと激励の言葉」だけであったのか,以上に参照した報道の中身からは分からない。

 天皇〔夫婦〕の行動は,宮内庁の発表にも表現されているように,この宮内庁に「統制されているか」あるいはこれと「連係している」。一見したところ,あたかも宮内庁の管轄や権限があり,この範囲内で彼らの行動がなされているようにも映る。だが,彼らの希望によって実現させられたとは思えないような,くわえて「自然災害を受けた宮崎県知事」が〔今回〕上京した機会をとらえての出来事とはいえ,ずいぶんでき過ぎた舞台の演出・演技だといえなくもない。

 今代の天皇夫婦は,自族一家の幸福と安寧を末永く確立・維持していくためにであれば,憲法における天皇条項の制約と限界など〈なきもの〉にひとしい《独自の言動》を頻繁に敢行している。彼らはいいかえれば,国事行為からははるかに逸脱した政治的な構図を恒常的に創造させつつ,「日本国民」に向けては「天皇の地位」を「〈光被〉させている」かのように,いつも事前に入念に企画・立案し,これを実行してきている。

 つぎの画像資料はすでにかかげたことがあるものである,これを念頭においた議論が必要である。
    園部逸夫『皇室制度を考える』(中央公論新社,2007年)が提示した関連の図解を添えておくので,参考にしたい。(画面 クリックで 多少 拡大・可)
園部72頁。
  日本国憲法の条項に定められた,このような「天皇たる立場」に立って,国家最高の儀式,それも民主主義をおこなっているはずの《日本国》の上にさらに鎮座し君臨するかのように,この国家の儀式を司っている人間が,いつのまにか「自分が日本で一番エライ人物である」と勘違いさせないほうがむずかしい。

 ましてや,宮内庁を足場にして周囲がそのように,天皇の地位と役割を果たさせようと熱心に推進させてもいるからには,「そうはなるな」というほうが無理な注文である。
 註記)http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/2014-04-17.html
 2) 天皇に真理の基準があるらしい
 先日,竹内正浩『鉄道と日本軍』(筑摩書房,2010年9月)のなかに,以下のような記述をみつけた。 
    歩兵第16連隊は,日露戦争開戦直後の明治37〔1904〕年3月,第1軍に属した第2師団の歩兵第15旅団隷下の部隊として出征した。平壌の外港である鎮南浦(本来の名は甑南浦だったが,開港問題が起きて天皇の上奏したさい,通訳が鎮南浦と訳し間違えて正文としたためそのままとなる。現在の地名は南浦)に上陸して北上している(178頁)。
 この内容を読んだ者が驚いて当然である。当時の明治天皇に報告された「侵略戦争の展開」に関して,日本の軍隊が朝鮮の一地名を間違えて報告(上奏)した。ところが,一度「天皇の耳に入れた地名である」からには,たとえ「間違えて報告(上奏)された」「その地名」であったとしても,天皇にしらせたほうの〈その間違えた地名〉が正しいのだ」といっている。
    補注)明治神宮でも同じような理屈が貫徹されている。この神宮の祭神は「明治天皇と昭憲皇太后」であるが,明治天皇「夫・妻」がなにゆえこのように「夫・祖母」となっているのか,誰でも疑問を抱く。だが明治神宮側の説明によると,大正「天皇より御裁可されたものはたとえ間違っていても変えられない」という理屈になるのだから,奇想天外というか支離滅裂の極致である。

 もっとも,明治神宮の祭神にかかわるこの問題は「明治天皇 × 昭憲皇太后」の関係は事実であり,事実であるがゆえに「間違っていても変えられない」という《超絶の論理》が提供されている。しる人ぞしるのであるが,そこには,明治天皇「睦仁の暗殺(抹殺)⇒すり替え説」が出入りできる扉を,皇室側があえて開閉自由な状態にしてある点を意味している。

 註記)なお「なぜ,昭憲皇后ではなく昭憲皇太后なのですか?」
http://www.meijijingu.or.jp/qa/gosai/12.html を参照されたい。
 この理屈:論理はまさに,「帝国主義の侵略精神」を剥き出しにした傲岸な押しつけ・専横のきわみである。しかし,いまの時代の天皇にこれと同じように,恣意的な君主的独善を施行できる権能はない。それにしても,前世紀初頭における「日露戦争の勝利は,以後の日本の国策の原点となったと同時に,やがて来たる敗戦をも内包していた」(竹内『鉄道と日本軍』236頁)ことは,意味深長である。

 第2次大戦における敗戦の責任を負わないで済ませられ延命できた天皇ヒロヒト,そしてその息子が,いまではみずから好んで意図的なのでもあるが,「日本国憲法」の基本精神から完全に「逸脱しきった言説と行動」を展開している最中である。
    補注)本日は冒頭で,「2016年8月8日,平成天皇は『生前退位』に関した意思表明をする〈ビデオ・メッセージ〉を放送させていた」と指摘していたが,本文のような平成天皇の仕事ぶりに照らして考えれば,なんらかの意味関連を観取することができる。
       信濃毎日新聞2016年8月8日号外
   出所)http://ameblo.jp/neo-classic/entry-12188584711.html
 3) 新燃岳の噴火〔2011年1~2月の話題に戻る〕
 新燃岳噴火の自然災害はまだ小規模ではあるが,確実に被害を発生させている。過去における噴火履歴に照らして判断すると,新燃岳に関しては〈相当規模の噴火〉を予想しておき,災害の発生を極力予防するよう努力したいと,そのように地震学の研究者は警告している。

 さて,保立道久『かぐや姫と王権神話-『竹取物語』・天皇・火山神話-』(洋泉社,2010年8月)が面白い指摘をしている。第2章「月の神話と火山の神」のなかの「活発な火山活動と日本神話」にある記述である。
    実は『竹取物語』が成立した9世紀は,日本史のなかで,火山噴火がもっとも激しかった時期である。この時期,火山にかかわる神話が新たな生命をもって復活したことは疑いない。864年(貞観6)の富士の大噴火については,かぐや姫の昇天との関係で・・・,そのほかの主要な噴火・火山活動に関する記事を挙げると,・・・富士の噴火と同じ年,九州では,阿蘇山が噴火し,阿蘇の神・健磐龍命神(タケイワタツノミコト)の神霊池が沸騰して天に昇り,山頂の「三石神」のうち2つが崩壊している。阿蘇の神は噴火の度に位を上げていたらしく・・・(74-75頁)。
 古代史における神話との関連で観察する対象ともなって,このようにも「九州地方の火山の歴史」が語られている。神話は神話としておいても,この九州地方における火山噴火の履歴は,あくまで事実として自然史におけるものである。日本列島に分布する各火山は,いつ大噴火を起こしても不思議ではない時期を迎えている。最近ではそのように指摘する火山学者もいる。

 4) 天皇夫婦の皇室未来戦略
 古代史との脈絡がたしかではない「21世紀に生きる天皇〔とその配偶者〕」の演技(パフォーマンス)が,これみよがしに,みえみえの格好で実行されている。つまり,古代精神の再現とは無縁であるほかないのであるが,それでいて実のところ,もっとも「現代的な〈皇室生き残り戦略〉」の一環であるような彼らの遠謀深慮が,「宮崎県知事を皇居に呼び」「新燃岳の自然被害を見舞い激励する」という行動にも端的に表現されている。

 現在の天皇家は,戦前における天皇家のように〈莫大な財産を私有する一家〉ではない。天皇が超高額の見舞金を自然災害の土地や人びとに送ることは,いまやとうていできない相談である。ただし,その関係者に皇居に来てもらい,見舞いのことばや激励を送ることは,天皇夫婦がやろうと思えば,基本的にはそれこそ自由自在にできる〈その他の私的の行為〉である。これを,日本国憲法第7条にむすびつけるとしたら,まったくの牽強付会である。

 問題ははたして,そうした天皇家の政治的判断がこめられた自然災害地への「個人的・自家的な見舞いや激励」によって,それも宮崎県民:被害者が,気持や感情の次元の問題ではなくして,実質面において確実に軽減されることがあるのか?

 1995年の神戸淡路大震災発生直後,被災地を訪問し,被災民のまえで膝まづいたり・正座したりして〈庶民性〉を訴求した天皇夫婦であったけれども,それで「天皇夫婦が天皇家の《人間》」である事実が消えてなくなるわけではない。

 とくに,日本政府じたいが「災害地に対して〈一国を代表する政治体〉として具体的に対応して救済活動する」こと,すなわち国家主体の政策・対策・行政とは基本的に無関係に,いわば天皇夫婦が勝手に,つまり宮内庁の指揮のもとに独自に,今回のような「見舞い・激励」の行為をおこなった。戦前の天皇中心政治体制と,いったいどこが・なにが・どのように異なるかを興味深く観察する余地が,そこにはあるはずである。

 それは「国事行為ではない」が,「国事行為まがい」の,いうなれば「政府主体=内閣」が制度的に実在している事実を,極度に軽視した天皇夫婦の行動である。日本国民がこの種の疑念を,天皇家:彼らの日常的な行動に対して抱かないところが,また別様に奇妙である。この疑問点は,単に天皇を尊崇するとかしないとかというたぐいの問題ではなく,民主主義を標榜する日本国の根幹にかかわる問題を意味している。


 【君主天皇から象徴天皇になってからも,戦後国際政治関係史に直接介入した昭和天皇】

 【 戦争責任・敗戦責任・戦後責任のなにも負わずに逃げた男の「内奏」好き -沖縄も日本も全部を不幸にした「永遠の罪」- 】


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 〔※ 断わり〕  本記述は,旧ブログ 2012年2月8日の再掲である。ここに再録することに当たっては,その後において補正・加筆が必要な段落・箇所については,適宜,手をくわえた。

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 ① 昭和天皇の戦争責任論

  「昭和天皇の戦争責任論」については従来,多種多様の議論がおこなわれてきた。裕仁自身は結局,大東亜〔太平洋〕戦争の敗戦によっても,なにも傷つくことがなく,戦後にまでうまく延命することができていた。1945年8月まで「帝国臣民」であり「熱誠なる赤子であった兵士」たちの「膨大な数に上る生命(尊い命)」は,「死してこそ有意味化させられていた」。

 つまり,天皇裕仁は,国家神道的な装置による慰霊の作業場,つまり,靖国神社の祭壇に祀られる形式をもって大事にされれば,戦没した彼らもまた「英霊化する」のだという宗教的な施設において,みずからが親裁すべき最高の立場を占めていた。明治天皇が「靖国」神社と名づけていた。

 その「〈生と死の意味〉に関する変換の作業」を担当する最高の親裁者が,敗戦したあとの日本国においても自身の生涯を,大きな障害に出会うこともなく,まっとうすることができていた。この昭和天皇に向かい,いまさらのように戦争責任の有無を問うというのも,ずいぶん不思議な問題設定である。

 明治時代にその名称が定められた靖国神社は,古来からの伝統を引きついだ日本の神社の1種ではない。それは明治神宮についても妥当する観方である。注連縄(注連縄)をほぼ完全に閉め出している事実からも,両神社の近代的な性格を観てとれる。古来を真似ていながら,この古来からのものといっても,その気に入らない神域は都合よく排除している。これは,近現代天皇性が古代史からの神道精神は継承していない性格を,強くもっている事実を教えている。

 ここではともかく,ウィキペディア「昭和天皇の戦争責任論」を利用することから,この議論を始めたい。
 註記)以下は,http://ja.wikipedia.org/wiki/昭和天皇の戦争責任論 参照。

 1)「戦争責任を肯定する立場の主張」
 戦争中の日本において,国家主権は天皇に帰属した(主権在君)。日本国内でも外国でも天皇は日本の元首であり,最高権力者であった。戦争を始めとするすべての政治的な決定は,天皇の名のもとで下され,遂行された。この歴史的事実からしてまず,昭和天皇には戦争責任があった。

 また,昭和天皇自身も戦争責任を意識していた事実は,各種証言や手記によって確認されている。このことは,ポツダム宣言受諾のさいの1条件となった「国体護持」をめぐる回答や,さらに戦後に退位を望む意向を数回示した事実にも認められる。
 出所)つぎの写真は近衛文麿,http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/souri/34.html

近衛文麿画像 1945〔昭和20〕年2月14日,近衛文麿は敗戦を確信し,昭和天皇に上奏文を出し,敗北による早期終結を決断するように求めた。だが,天皇は「もう一度敵をたたき,日本に有利な条件を作ってから」がよいと判断し,これを拒否した。

 このことは,天皇が能動的判断で戦争の継続を選択した事実を意味する。そのときの判断しだいでは,それ以降の敵味方の損害が大きく減らせた可能性もあった。つまり,少なくとも沖縄戦や広島・長崎の被爆はなかったはずである。

 2)「戦争責任を否定する立場の主張」
 大日本帝国憲法は天皇に拒否権のみ与え,実際の意思決定や政策立案は内閣と帝国議会が担っていた。大日本帝国憲法は天皇の政治的無答責を規定していたけれども,「君主無答責」の規定による戦争責任からの逃避は,国際的に全肯定されていなかった。東京裁判は「君主無答責」論を公式に利用していない。

 天皇の戦争責任論じたいが設問として成立しえないとする意見がある。当時の日本の主権者は昭和天皇であり,その最大の被害者は天皇自身であったとする意見もある。また,昭和天皇は日米開戦を論議した御前会議の最中に,開戦に反対したとする意見もある。サンフランシスコ講和条約において,天皇が自国の戦争に責任を負うべきものがあることを承認した条項もない。

 3)「戦争裁判における天皇の免罪」
昭和天皇老齢期画像 敗戦後,日本の戦争犯罪を裁いた東京裁判は,昭和天皇を訴追する動きを早い時期に撤回しており,天皇は裁かれなかった。

 また,昭和天皇が退位するという選択肢もとりざたされたものの,実際には戦後の民主選挙によって構成された国会によって日本国憲法が制定され,大多数の国民の支持をえたかたちで昭和天皇は天皇の地位にとどまった。戦後の象徴天皇制が始まった。
 出所)写真は老齢期の天皇裕仁,http://blogs.yahoo.co.jp/meiniacc/42638257.html

 これに対して,昭和天皇の戦争責任を免罪した措置は,アメリカの占領政策にもとづく〈非民主的な措置〉であって,なお今日まで歴史的な研究課題として未解決だと批判する立場もある。敗戦後,冷戦構築に向かっていった政治過程は,日本をアメリカなどの西側連合国が西側陣営に引きこもうとする〈政治的な動機〉を色濃く反映させ,昭和天皇の戦争責任「論」とは関連なく進展していった。

 昭和天皇の戦争責任を追及しなかったアメリカの姿勢は,合理的な措置であり,戦後日本の民主化への移行を円滑に導いた要因であると評価する立場もある。アメリカのその措置は,日本国民に根づく天皇の伝統文化的な価値観と誇りを破壊したばあい生じると予想された多大な悪影響と混乱を回避し,民主化達成後の日本国民側が「象徴天皇」を受け入れるうえで,適切な試行期間を与えた評価される。仮に,昭和天皇が戦犯として処刑されたとしたら,日本国民がアメリカの占領政策にどれほど協力したか分からないともいわれている。
 補注)本ブログの筆者は,このウィキペディア「昭和天皇の戦争責任」中の記述に関しては,意味不明としか受けとれない箇所は削除する体裁で参照している。最後の段落〔前段最後の説明部分〕についてはこうもいっておく。

 敗戦した旧大日本帝国から天皇・天皇制が根絶・排除されていたら,いまの日本・日本人・日本民族が「民主主義の政治精神・理念」面に関して大きく飛躍するための基本的な契機が獲得できていたかもしれない。その前段に参照したウィキペディアの説明は「歴史にイフ」をもちこんだ記述である。とすれば,これを批判する歴史的な見地にも「イフ」を想定した議論が不可欠になる。

 4)「タブー化」
 昭和天皇の戦争責任を追及する立場は理の必然として,戦後における未解明の問題が「天皇の戦責問題」であると指摘する。しかし,天皇問題の議論・批判においては,何者かによる強い圧力があって,不必要なまでにタブー化されている側面がある。一方で,その議論・批判は法律などによって規制されてはいない。

 けれども,日本人が昭和天皇の戦争責任の追及をあえてタブー視する風潮があるのは,天皇の戦争責任を追及する立場が〈否定的にみられている〉からである。大半の日本人は,天皇の戦争責任を追及することに対して否定的な見解であると主張されてもいる。タブーが天皇の権威づけに利用され,逆にはこの権威がそのタブーを強固にするトートロジー(同義反復)が,大いに幅を利かす日本社会となっている。

 --以上,意味不明・論拠不十分であるとの「ウィキペディア編集当局の指摘」が散見されていたのが,このウィキペディアにおける「昭和天皇の戦争責任」に関する解説であった。それゆえ,本ブログの筆者流に適宜「改・補筆する」記述としてみた。

 問題の要点は,大日本帝国憲法において「天皇の政治的無答責」があったにもかかわらず,昭和天皇のばあい,この「君主無答責」の前提条件をみずから破壊する政治行動を,実際にはいくつも記録してきたというところにある。「2・26事件」(1931年)および「ポツダム宣言受諾」(1945年8月14日)は,立憲君主の政治的な立場を大きく逸脱した「昭和天皇の実際の行為」としてめだっている。

 しかし,大日本帝国憲法時代の昭和天皇が「天皇の政治的無答責」の立場を否定する政治行為を記録した歴史的事実よりも,はるかに「重大かつ深刻な」「彼の政治問題」があった。それは「敗戦後における『内奏』問題」において端的に現象していた。

 ② 戦後史における昭和天皇「『日本国憲法』違反の経歴(犯歴)」

 1) 髙橋 紘『人間昭和天皇』下巻(講談社,2011年12月)
  における「昭和天皇の内奏」問題の議論-内奏の定義-
 この髙橋 紘『人間天皇 上・下』については,本(旧)ブログの「2012.2.4」「昭和天皇はなぜ靖国神社参拝(親拝)を中止したか」「天皇ヒロヒトが靖国参拝にいけなくなった本当の事情」「微温的な天皇批判論で歴史の真相に迫れるのか?」で既述である。

 本日〔2016年8月16日〕は,昭和天皇の内奏問題に限定するが,髙橋『人間天皇』下巻に提示された “奇妙な見解”(267-268頁参照)をめぐっても批判的に議論する。
 補注)参考文献として,後藤致人『内奏-天皇と政治の近現代-』中央公論新社,2010年3月があった。

 「内奏」とは,所管大臣が天皇に国政上の報告をすることである。「内奏は天皇とサシである」からこの2人だけの密室の会話となる。「戦前の奏上に似ており,戦後になって天皇に「内々に伝えておくこと」を内奏というようにした。もちろんその内容は外部に漏らさないのが大原則である。

 1948年3月,内閣総理大臣になった芦田 均は,新しい憲法で天皇は政治に参画しなくなったので,内外情勢の説明にはいかないことにしたところ,天皇に「またときど来てくれ」といわれ内奏すると,天皇は米ソ関係などについてくわしい質問をした。そう簡単に芦田均画像は『総覧者意識』は抜けなかった。こうして内奏が始まった。
 出所)右側写真は,芦田 均,http://www.weblio.jp/content/

吉田茂画像 芦田は,内奏はすべきに非ずという考えであったが,吉田 茂は違った。吉田は内奏の回数が多いばかりでなく,他の閣僚に対しても積極的に “政情奏上” を するように命じた。1953年8月だけでも,本人を含め保利 茂農相以下8人が内奏に上がった。
 出所)左側写真は,吉田 茂,http://www.sinzirarenai.com/persons/yoshida.html

 a)「御進講」--各省庁の事務次官や日銀総裁などが自分の所管事項について,天皇に対して説明する。都知事や警察庁長官が出ることもある。天皇がが説明者と向きあって坐り,右手の机に侍従長が侍る。侍従長が入るところが内奏とは異なる。

 b)「ご説明」--天皇が出席する式典や大会の主催者,災害があると知事が,天皇に対して報告する。

 c)「お 話」--複数の人が天皇に対してひとつの話題に沿って話をする。

 2) 内奏を暴露した閣僚たち
 髙橋いわく「そのうち困った手合いも出てきた」。佐藤栄作内閣の法相田中伊三次は,内奏のあと「お上のお食事のことなどいろいろうかがった由」を述べ,天皇と本務以外の雑談をしたことを披露した。さすがに天皇も「田中には困るとの仰せ」〔1973年1月9日〕があった(268-269頁)。

 髙橋は,昭和天皇に内奏をした閣僚の「お漏らし発言」を「困った手合い」と形容している。けれども,後述でも批判するように「天皇への内奏」の問題は,そもそも「裕仁自身が憲法違反を堂々と犯して開始されていた」事実に発していた。それゆえ,こちらがさきに真正面よりとりあげられるべきである。ところが,この次元での問題意識が最初より不在であって,あたかも「内奏」を既成事実であるかのように扱っている。

 さて,政治問題化したのが『増原発言』であった。田中発言の4カ月後,田中角栄内閣の防衛庁長官である増原恵吉が「内奏に上がったところ」(註記:この表現は天皇絶対視である。「社長に書類を上げる」というたぐいの表現と同じだと受けとれないことは,誰も否定しないはずである)「近隣諸国に比べ(日本のもつ)自衛力がそんなに大きいとは思えない。なぜ国会で問題になるのか」「防衛問題はむずかしいだろうが,国の守りは大事なので,旧軍の悪いところは真似せず,良いところをとり入れてしっかりやってほしい」などと,天皇にいわれたと記者団に対して増原は紹介したのである。

 張り子の虎実例画像そしてそのあと「防衛2法の審議をまえに勇気づけられた」とも話したため,『天皇の政治利用』として糾弾され,5月29日には辞任に追いこまれた。同日の『入江日記』は,天皇は事件をしって「もう張りぼてにでもならなければ」と嘆いたという。
 出所)右側画像は,https://www.youtube.com/watch?v=bMZoXNTF8sg

 髙橋は,やはり『入江日記』での記述に依拠するが,1970年3月5日「11時から正午過ぎまで鈴木 孝氏の進講」したさい,「繊維の日米交渉のことを心配しお上からも総理に一言おっしゃっていただけまいかと」,この鈴木が「天皇から佐藤栄作首相に一言あるように,侍従長に頼んだ」ということをとりあげて,「こんな不逞の官僚」「当時の外務省国際資料部長」「も出てくる」事例を指摘している。政治家の天皇利用だけでなく,このような官僚による利用もあったというのである。

 髙橋は結局,こう論断している。「内奏バラしは,ずっとまえからあったのだ」。「みな憲法のイロハから勉強しなおしてはどうか」と。しかし,こういう天皇「内奏」問題に関する『人間昭和天皇』の論及を読んだ本ブログの筆者は,はて待てよ,「憲法のイロハ」を勉強しなおしてもらわねばならないのは,そうした閣僚や官僚ではなく,それ以前の最初に『昭和天皇自身』ではなかったのかというぐあいに,とても大きい疑問を抱いた。

 3) 天皇をまっこうから批判できない「日本国籍人」識者たち
 天皇に対する自分の立場を時代錯誤に「臣 茂」と表現した吉田 茂よりも,はるかに決定的に悪いのは「〈日本国憲法〉の基本を勝手に蹂躙する〈内奏〉を要求し,これを実際におこなってきた」昭和天皇自身である。
後藤致人表紙
 すなわち,大日本帝国憲法時代の「奏上」がどうあったかという論点よりも,1945年8月という画期があっても,この前後を分かつ時代精神の大変革は,天皇裕仁の頭中においてはわずかも反映すらされていなかった。

 後藤致人『内奏-天皇と政治の近現代-』(中央公論新社,2010年3月)は,そもそも佐藤内閣期(1964年11月-1972年7月)では「天皇と内閣の関係を事実上『君臣関係』と位置づける立憲君主制路線が定着していく」と解説している。

 増原恵吉防衛庁長官の「内奏バラし」が問題とされ批判が巻き起こり,国会でも問題とされて「天皇不執政」があらためて表明された。しかし,その過程で政府は「政体は立憲君主制,元首は天皇であることを事実上表明している」。佐藤長期政権を経て自民党政権で定着した天皇と内閣の「君臣関係」は,白紙に戻されることもなく,昭和天皇の死ぬ直前の竹下 登内閣までつづけられてきた(188頁)。

 「内奏」ができなくなったら「自分は張りぼて」にでもなるのかと嘆いた昭和天皇に,はたして日本国憲法の基本精神が理解できていたのかといえば,まったく無理・無縁であった。というより彼は「新憲法を理解すること」よりも「自分の立場」=「天皇家の安寧と幸福」を最優先し,最重要視する皇室的価値観だけが問題であった。

 もちろん,昭和天皇にそうしむけた「臣 茂」の封建思想にも問題があり過ぎるものの,なんといっても,裕仁自身の時代錯誤性が最大・最難の問題であった。息子の代になってからも『天皇と内閣の「君臣関係」』に変化はない。これは,宮内庁に聞くまでもない〈旧時代的な基本認識〉である。

 日本国は「そうした天皇」を象徴に戴いている。『君臣の関係を前提する天皇・天皇制』と『民主主義の根本理念』とは,いったいどのように折りあえるのか? 日本の政治学者はきちんと答えねばならない。
 
 「沖縄メッセージ」(1947年9月)を発し,自分の身の「安全保障」と交換条件にして「琉球をアメリカ軍基地」に提供した:売りとばした「象徴天皇:裕仁」を,文句なしに許してもいいという日本国籍人は,よほどのお人好しでなければ,盲目的な天皇崇拝主義者である。ここの話が分かりにくいのであれば,戦前・戦中から沖縄県民である人びとからも関連する事情や意見を聴取してみればよい。

 4) 戦後政治を動かしてきた天皇裕仁の憲法違反の諸行為
 林 博史『米軍基地の歴史-世界ネットワークの形成と展開-』(吉川弘文館,2012年1月)が指摘する昭和天皇の政治発言を列記しておく(108頁)。

 a) 19「55年ごろに重光 葵外相のように駐留米軍全体の撤退の構想もあったが,それに対して昭和天皇が重光に対して『陛下より日米協力反共の必要,駐屯軍の撤退は不可なり」とそれに反対の意思を伝えていた」(1955年8月20日,『続 重光葵手記』732頁)。

 b) 「占領終了後の安保条約による米軍駐留継続についても昭和天皇が積極的な役割を果たしていたことが明らかにされている」。朝鮮戦争の休戦が目前に迫っていた1953年4月,離日するマーフィ駐日大使に対して昭和天皇は「米軍撤退を求める日本国内の圧力が高まるだろうが,私は米軍の駐留が引きつづき必要だと核心しているので,それを遺憾に思う」と伝えていた(豊下楢彦『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-』1996年参照)。

 c) キューバ危機が起きた直後の1962年10月,皇居で開かれた園遊会において昭和天皇は,スマート駐日米軍司令官のもとに近づき,「米軍の力と,その力を平和のために使ったことを個人的に称賛と尊敬の念をもつ。世界平和のために米国がその力を使いつづけることを希望する」と語り,アメリカの軍事力に期待する意思を伝えている(『朝日新聞』2005年6月1日「中北浩爾氏と吉次公介氏の発見資料」)。

 ここまで昭和天皇による米軍依存の発言だけを聞いてみても,日本が日米軍事同盟を結んでいる〈政治的な意味〉も理解できたかのような気分になる。昭和天皇が米軍に守ってほしかったのは,敗戦後における「日本国憲法内に彼の地位」であって,これを保障してくれたアメリカとこの国の軍事力は,彼にとってはいわば「大日本帝国時代の旧日本陸海軍よりもたのもしい」ものであった。

 ③ 結 語

 豊下楢彦『安保条約の成立-吉田外交と天皇外交-』(岩波書店,1996年)は,「あとがき」をこうまとめていた。

豊下楢彦表紙画像 日本の国土において考古学による科学のメスをくわえることのできない遺跡と地域が,天皇陵と米軍基地であることを再認識させられることとなった。今日の日本において,「神聖不可侵」と「治外法権」が厳然と生きつづけている(241頁)。

 天皇陵の問題も米軍基地の問題も,本ブログがよくとりあげ議論し,批判もしている対象であった。日本は「天皇を戴く民主主義国」といっていいのか? この表現は形容矛盾ではないのか?

 「張りぼて」を意識していた当時(以前)の昭和天皇は,かといってもそれこそやりたい放題に,敗戦後の日本政治を大きく左右する身分不相応な政治干渉・介入を,平然とおこないつづけてきた。「内奏」は日本国内だけでなく「国外に向けて」も送受信されていた問題である。

 高橋 紘『昭和天皇 1945-1948』(岩波書店,2008年)は,天皇裕仁関係の「『側近日誌』『昭和天皇独白録』などを読むと,立憲君主として行動してきた自分には,戦争責任はないことを強調する狙いだった」(〔あとがき〕353頁)という解釈をほどこしていた。

 そうだとすると,② の 4) の a) b) c) で指摘した「歴史的な記録」を刻んできた昭和天皇の,新憲法「象徴天皇」の立場を大きく逸脱した「憲法違反・蹂躙」の行為は,いったいどのように批判されればよいのか。戦後における彼の政治責任を,「佐藤長期政権を経て自民党政権で定着した天皇と内閣の『君臣関係』」として,まさかそのまま認容するわけではあるまい。

 ④ 2016年8月16日の追記

 さて,その後に公刊された豊下楢彦『昭和天皇の戦後日本-〈憲法・安保体制〉にいたる道-』(岩波書店,2015年。下掲はカバー画像)は,ここまで論及してきた「敗戦後における昭和天皇の政治行為」を,躊躇することなく明確に,こう断罪している。〈内奏〉の問題は,この天皇による内密な行為をたぐり寄せ,解明するための素材であった。
    そもそも,統治権の総覧者と規定された明治憲法のもとでも,昭和天皇は「立憲君主」に徹して例外を除き政治に介入しなかったと主張してきた。とすれば,新憲法のもとで「象徴天皇」となった以上,政治不介入は,より徹底されねばならないはずである。
豊下楢彦表紙画像
 なぜなら,天皇は一切の責任を負うこともできないし,負える立場にないからである。にもかかわらず,高度な政治問題で,政権レベルでもいかなる議論も深めていない問題で自らの見解を占領の最高責任者に披瀝するという行為は,無責任の誹りを免れえないであろう(101-102頁)。
 2016年8月8日午後3時,2016年7月13日に明示されていた「天皇明仁の『生前退位』の意向」が,8月8日午後3時,事前に慎重に推敲を重ねて準備したらしい〈ビデオ・メッセージ〉をもって,日本の国民などに向けて伝達されていた。

 現行の「皇室典範」には規定のない生前退位をいまの天皇が希望したとなれば,「国家と国民の統合」のための象徴である人物が,「象徴としての務め」に関して,自身の生き方をみずから決められるかのごとき発言をしたのである。

 明治天皇・大正天皇ともにそれほど熱心でなかった宮中三殿における祭祀は,昭和天皇の時期から頻繁かつ熱心に執りおこなわれるようになった。昭和天皇は敗戦後,国民側の関心を察知したのち,これを惹くためにさらに実行されていったのが,昭和20年代を通して展開された「〈巡幸〉の全行程」であった。
敗戦後天皇の歩み画像
出所)http://digital.asahi.com/articles/DA3S12106265.html
    これは,皇室の表玄関から出入りしてなされていた「天皇の行為」関連の歴史的な記録である。これに対して,勝手口からお忍びで出入りしつつ記録してきたあれこれ,とくに昭和天皇が秘密裏に敢行してきた外交関連の記録は,この歴史の整理には摘出されていない。いうなればこの整理は,公式行事的なキレイごとの要約記。
 平成天皇の時期になると,みずからが「憲法遵守」を唱えつつも,彼なりに国事行為からさらに逸脱した公的行為・その他の私的行為を,それも宮内庁の支援・助力もえながら,よりいっそう拡延していく軌跡を描いてきた。そしていま〔2016年夏〕となって,高齢ゆえ象徴天皇の任務・仕事をこなすことがたいそうしんどいために,生前退位を願う旨の〈意見表明〉を,8月8日におこなっていた。

 憲法学者や歴史学者にはいろいろな意見・解釈があるものの,そうした「天皇の行為」は,日本国憲法の本来主旨に照らせば逸脱(脱線)でしかない。日本国憲法は,敗戦時にGHQに押しつけられたものだと非難・批判されてもきた。

 だが,天皇・天皇制も「象徴にされた天皇」も「もの申すこと」に関していえば,もとは封印されていた制度であったはずである。それがいつの間にか,というよりも敗戦後も間もない時期から早くも,その決まり(規定)を平然と破ってきたのが,ほかならぬ昭和天皇自身であった。

 日本国憲法においてはあくまでも,在日米軍基地と抱きあわせでの「天皇制度」の目的・任務・役割しか「期待されていなかった」のである。しかし,現状はどうであるか? この点が理解しがたい,納得がいかないという人には,前掲した豊下楢彦の論著一読を勧めておきたい。「歴史の事実」に即した吟味・考察・判断が要求されている。


 【1945年8月15日を境に,一夜にして,天皇陛下のための「官軍神社」から,国際政治社会における「賊軍神社」に変身した靖国神社の歴史的な本質問題】


 ①「稲田防衛相,終戦記念日の靖国参拝見送り」(『TBSニュース』2016年8月12日 23:59)

 稲田防衛大臣は,毎年続けてきた終戦記念日の靖国神社参拝を今年は見送ることとなりました。海外出張がその理由となっています。真っ白なスーツに身を包み,タラップを降りた稲田防衛大臣。一礼して隊員たちの前に進みます。大臣就任後初めて石川県の航空自衛隊・小松基地を訪れ,F15戦闘機などを視察しました。〔8月〕12日の閣議では,稲田防衛大臣が,海賊対処で自衛隊が常駐しているアフリカ東部のジブチを訪問することが了承されました。

 Q.靖国神社参拝は? 
 
 A.「この靖国の問題は心の問題であって,私自身としては安倍内閣の一員として適切に判断していきたい」(稲田朋美防衛大臣)。

 稲田防衛大臣はこれまで,行革担当大臣のときも含めて,終戦記念日の靖国神社参拝を毎年おこなってきましたが,ジブチへの訪問によって今〔2016〕年は見送ることになりました。ジブチ訪問は中谷前防衛大臣のころから検討されていましたが,8月15日に重ねたのは,稲田大臣が中国などに配慮して靖国神社参拝を見送りつつ,同時に参拝を支持する保守層からの批判をかわす理由作りのためとの見方も出ています。
稲田朋美画像2016年8月12日テレビニュース
 「良い情報だ」(自民党幹部)。靖国参拝を見送ることについて,自民党幹部からは安堵の声も。現職閣僚の靖国神社参拝については,11日,今村復興大臣がすでに参拝したほか,高市総務大臣が去〔2015〕年,15日に参拝していて,その動向が注目されます。(12日23:59)
 註記)http://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye2844334.html
稲田朋美と中谷元事務引き継ぎ画像
出所)新旧防衛大臣の事務引き継ぎ,
http://www.sankei.com/images/news/160804/prm1608040006-p5.jpg

 ② 8月15日と9月2日-「日本人だけが8月15日を『終戦日』」とする謎,各国の思惑で終戦日はこんなにも違う!」-(『東洋経済 ONLINE』2015年08月14日)

 日本人だけがしらないといわれる,世界の「終戦記念日」は,こう語られている。

 --われわれ日本人の一般常識では,先の戦争の終戦記念日は8月15日と決まっている。とくに今〔2015〕年は戦後70周年ということで,安倍総理の談話や中国が対日戦勝利の軍事パレードを予定しており,ことさら「終戦の日」が強調される年となっている。しかし,ロシア(旧ソ連)でも対日戦勝利は9月,アメリカでも9月となっている。中国が軍事パレードを予定しているのは9月3日。

 中国はこの日を「日本の侵略に対する中国人民の抗戦勝利日」としている。これを決めたのが 2014年2月に開催された全国人民代表者会議でのことで,まさに70周年を目前にして正式に決定されたものである。このように日本と敵対国であった周辺国をざっと見渡しても,終戦の日は実際には日本人の常識とは違っているのだ。 

 では,日本人が終戦の日と信じる8月15日とはなにか。そもそもこの日は「終戦の日」なのか,「敗戦の日」なのか。あくまでも1945年8月15日は天皇が戦争後の日本のあり方を定めたポツダム宣言の受諾を,日本国民と大日本帝国軍人に「玉音放送」というかたちで直接語りかけた日である。武器を置き,敵対行為をやめるように命じたもので,戦闘状態をいったん休止する「休戦宣言」をした日だといえる。

 実際に,日本がポツダム宣言を受諾したのは8月14日であり,そのことは全世界に公表されていた。それをしらなかったのは,ごく一部を除く日本人だけだったといえよう。事実,アメリカでは8月14日に日本が降伏することが報道されていた。その日にトルーマン大統領はポツダム宣言の内容を国民に説明し,日本がそれを受け入れたことを告げ,VJデー(対日戦勝記念日)は9月2日の降伏文書調印を見届けたうえで布告するとしていたのである。
1945年8月14日トルーマン画像
  出所)http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/14/news-august-15_n_7981490.html

 日本の降伏調印式は1945年9月2日,東京湾上に浮かぶ米戦艦ミズーリ号でおこなわれ,その状況はラジオの実況中継で全世界に流された。トルーマン大統領は,ラジオの実況中継後,全国民向けのラジオ放送で演説。その中で9月2日を正式にVJデーとし,第2次世界大戦を勝利で終えたことを宣言したのである。したがってアメリカの第2次世界大戦の終了は1945年9月2日ということになる。
 註記)http://toyokeizai.net/articles/-/80286

 第2次大戦中,日本軍は中国大陸では泥沼化していた対「中国との戦争」もおこなっていた。こちらの戦線はさておいてのつもりなのか,「大東亜戦争」と呼ぶことにした真珠湾奇襲攻撃のあとの戦争過程は,敗戦後になってからは「太平洋戦争」(アメリカ側から押しつけられた呼称だが)と呼ばれてきた。

 1931年9月18日に開始された「満州事変」から,1937年7月7日に開始された日中戦争(「支那事変」)につづいて,1941年12月8日からは,日本が英米蘭など諸国も相手にする戦争にまで突入していった。開戦してから半年後には早くもすでに,この戦争の見通しは山場を超えることになっていた。
    1941年12月8日における天皇裕仁は,こう描かれてもいた。

 「2030,ハワイ空襲の成果につき軍令部総長奏上(B × 2撃沈,B × 4大破,C × 4大破)。本日終日海軍後軍装を召され,天機麗しく拝し奉る。夕刻より警戒警報発令さる。但し御動座なし。」
 註記)徳川義寛,聞き書き・解説岩井克己『侍従長の遺言-昭和天皇との50年-』朝日新聞社,1997年,62頁。

 なお,Bとは Battleship「戦艦」,Cとは CRUISER「巡洋艦」のこと。
 ③「負け戦が決まった日:8月15日(玉音放送の日)に靖国神社に参拝にいくという愚行」(『NEW ポストセブン』2016.06.20 11:00)

 靖国神社が揺らいでいる。来る2019年に迎える創立150周年に向けて徳川康久宮司が語ったインタビュー記事の発言が,波紋を呼んでいるのだ。記事は共同通信社から配信され,加盟する一部の地方紙(静岡新聞6月9日付,中国新聞6月10日付)に掲載されたのみ徳川康久靖国神社宮司画像だった。ところが,地方でしか読まれないはずの記事が各界の識者の注目を集め,にわかに論争へと発展している。
 出所)画像は徳川康久,http://blog.goo.ne.jp/eh2gt72w/e/fff9c8e107bc314d25439ae9e40b135c

 徳川宮司は靖国神社が抱える課題や,神社の将来像について語ったのち,「明治維新をめぐる歴史認識について発言していますね」という質問を受けて,みずからの「明治維新史観」を開陳した。以下が宮司の発言だ。
    文明開化という言葉があるが,明治維新前は文明がない遅れた国だったという認識は間違いだということをいっている。江戸時代はハイテクで,エコでもあった。

    私は賊軍,官軍ではなく,東軍,西軍といっている。幕府軍や会津軍も日本のことを考えていた。ただ,価値観が違って戦争になってしまった。向こう(明治政府軍)が錦の御旗をかかげたことで,こちら(幕府軍)が賊軍になった。
 一連の発言が波紋を呼んだのは,靖国神社創建の「原点」にかかわるからだ。靖国神社のルーツは明治2年(1869年)に建てられた東京招魂社に遡る。明治維新にさいして,薩摩藩・長州藩中心のあとの「明治政府軍」と徳川家や会津藩が中心の「幕府軍」が争う「戊辰戦争」が勃発。勝利を収めた明治政府軍が “官軍” ,敗北した幕府軍は “賊軍” とされた。

 このとき,明治維新を偉業として後世に伝え,近代国家建設のために命を捧げた官軍側犠牲者を慰霊顕彰するため,明治天皇が創建したのが東京招魂社だ。明治12年に社号が「靖国神社」とあらためられて現在に至る。

 それゆえに,「賊軍 vs 官軍ではなく,東軍 vs 西軍」とする発言は,靖国神社の歴史観を揺るがしかねないと受けとめられたのだ。靖国神社にある遊就館に展示されている「錦の御旗」には,「戊辰戦争で官軍の象徴として使用された」との解説があるように,靖国神社の見解はあくまで「明治政府軍=官軍」だ。

 発言の背景には,徳川宮司の出自が関係している。徳川宮司は徳川家の末裔であり, “賊軍” の長であった15代将軍・徳川慶喜を曾祖父にもつ。徳川家康を祀った芝東照宮に奉職したのち,靖国神社の宮司になった。「賊軍の末裔」が「官軍を祀る神社のトップ」に立ったわけである。

原田伊織表紙 ◆「大村益次郎像を撤去せよ」 --「明治維新史観」の見直しは最近のムーブメントだった。昨〔2015〕年1月に発売された原田伊織氏の『明治維新という過ち-日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト-』(毎日ワンズ刊)がベストセラーになったことを皮切りに,半藤一利氏と保阪正康氏の共著『賊軍の昭和史』(東洋経済新報社刊,2015年8月)など,明治維新の勝者の立場に立った歴史観を見直す論考が相次いで発表されている。

 その流れで徳川宮司の発言が飛び出したことで,騒動が拡大しているのだ。著書で「薩長史観」を鋭く否定した原田氏は徳川宮司に同調するかと思いきや,意外にも「発言は中途半端」と手厳しい。

 「明治維新当時,東軍・西軍という言葉はほぼ使われていません。徳川家や会津藩に賊軍というレッテルを張ったのは明らかに薩長ですが,その責任や是非を問わず,当時ありもしなかった言葉に置きかえて流布するのはおかしい。また,靖国のもつ歴史観を見直さないのは欺瞞です。 “官も賊もない” というならば,まず靖国神社の境内にある大村益次郎(官軍側の司令官)の銅像を撤去すべきです」。

 そんな意見が飛び出すほど,今回の発言は衝撃だった。波紋が広がる徳川宮司の発言について靖国神社は,「創建の由緒から鑑みて『幕府側に対する表現や認識を修正すること』を神社としておこなう考えはなく,今後も同様の考えが変わることはないとの発言と理解しております」と回答した。宮司は 150年間封印されていたパンドラの箱を開けてしまったのか。
 註記1)「靖国神社 徳川宮司 『明治維新という過ち』発言の波紋 」『週刊ポスト』2016年7月1日号。
 註記2)http://www.news-postseven.com/archives/20160620_422520.html
     http://www.news-postseven.com/archives/20160620_422520.html?PAGE=2

 靖国神社には,それ以外にも『パンドラの箱』がいくつもある。以上の議論の筋道には「賊軍・官軍」→「東軍・西軍」の二項関係のなかから歴史的に捏造されたといってもいい,『明治維新史からの虚像』が提示されていた。

 1945年「8月15日の終戦」だと称されているこの「敗戦の日」を境に,大日本帝国が明治時代にしつらえておき,戦争(督戦)のために利用してきた靖国神社の役目は,ひとまず表層的には終了させられていた。敗戦後も「英霊」(敗戦の憂き目に遭わされていても,戦争犠牲者をそう呼びつづけられる神経は理解しにくいのだが)を,大挙「合祀」しつづけるほかなかった『敗戦も至るまでの事情』などは棚上げしたまま,まるで自然現象のように,いいかえれば台風一過の出来事であったかのように,その〈敗戦体験〉をさらりと水に流している。

 賊軍の者たちをけっして合祀してこなかった靖国神社である。その地方の分社に相当するはずの神社が,その「名称を護国神社」と名のっている事実からも判るように,護国の目的がかなわなかった「大東亜・太平洋戦争」での完敗・大敗北はそっちのけにしておいたまま,無慮二百数十万名もの,昭和の戦前・戦中時代の戦没者(戦死者・戦病死者・戦場餓死者など)を合祀していた。

 靖国神社という宗教施設は,本来より「戦没者を慰霊する神社」であるけれども,これには「国家が戦争に勝利する目的」を,祭壇に向かい祈祷するのだという「上位の存在理由」が予定されている。つまり,靖国神社の役目は,その本来の上位目的を果たすためにこそ「国家神道式の祈祷・儀式」を執りおこなう宗教施設である。

 ところが,敗戦後すでに71年も経っているにもかかわらず,まだ平然と〈勝利のための元国営神社〉の宗教精神を,絶対捨てずに存立しつづけている。この事実をとらえていえば,敗戦後日本における政治社会の,ある意味での《奇観》である。

 靖国神社境内の遊就館という戦争記念館は,あたかも大日本帝国が大東亜戦争において大勝利でもしたかとみまがうような展示方針で編成されており,その特色づけをもって脚色・演出されてもいる。だから〈奇観〉だと形容したのである。

 この遊就館の〈博物館〉的な特性に対しては『しんぶん赤旗』2005年6月15日の記事,「これが靖国神社『遊就館』の実態だ,徹底ルポ “靖国史観” の現場をゆく,A級戦犯を『神』と展示」が,つぎのごときに「絶妙な把握」をしていた。いわく「血のにおいしない『戦争』- 遊就館を見学するには,想像力が必要です」。
 註記)http://www.jcp.or.jp/akahata/aik4/2005-06-15/26_01_0.html

 つぎの描写がたとえば,戦場において「血のにおいのするような」場面であった。戦艦大和の最期に起きていた艦上・艦内の様子である。遊就館を見学したかぎりでは,とうていうかがえない戦争の実相・惨状である。
吉田満表紙 第一波が去ったあとに,上から甲板をみたらまさに地獄でした。応急員がホースで甲板の血を流していました。負傷者や死体を,衛生兵が走り回って運んでいましたが,なんと,ちぎれた腕や足はぼんぼん海へ投げ捨てているのです。

 各治療室は重症者でいっぱいとなった。浴室は臨時の死体収容所となった。左舷の甲板には,胴体からちぎれとんだ手足が散乱し,脚が飛びちり,首のない胴体がよこたわり,あちこちに若者たちの頭部がころがっている。

 流れたおびただしい血は甲板をおおい,血液が凝固をはじめ,粘液の被膜となっている。いたるところにどこの部分かわからない肉片が飛びちっている。爆風で木の葉のようになって海上に飛ばされた兵も多かったと聞く。落ちてきた水柱の海水とともに海に流された者も多数にのぼるだろう。
 註記)http://ameblo.jp/zipang-analyzing/entry-11501622430.html 参照。
 ④ 天皇裕仁の聖断と大日本帝国の敗北

 大日本帝国は第2次大戦の結果,日本国・日本人・日本民族が望むと望まない〔認めると認めない〕とに拘らず,ともかく敗戦国になっていた。天皇裕仁が1945年8月14日に下した《聖断》というものを少し考えてみたい。つぎに紹介する文章は,中條秀夫「史料紹介―最後の御前会議における昭和天皇御発言全記録」から引用する。ひどく感傷的かつ悲劇的な記述である。
   ◇ 1945年8月9日 ◇ ……陛下はまず「それならば自分の意見をいおう」と仰せられて「自分の意見は外務大臣の意見に同意である」と仰せられました。その一瞬を皆様,御想像下さいませ。場所は地下10米の地下室,しかも陛下の御前。静寂と申してこれ以上の静寂はございません。

 陛下のお言葉の終った瞬間,私は胸がつまって涙がはらはらと前に置いてあった書類にしたたり落ちました。私の隣は梅津大将でありましたが,これまた書類の上に涙がにじみました。私は一瞬各人の涙が書類の上に落ちる音が聞こえたような気がしました。つぎの瞬間はすすり泣きであります。そしてつぎの瞬間は号泣であります。建国二千六百余年日本の始めて敗れた日であります。

   ◇ 1945年8月14日 ◇ ……14日午前11時一同はお召しによって参内,先般の御前会議の室に集まって陛下の御出席を待ちました。私も出席致しました。今度は全部で23人であります。総理より経過の概要を説明したあと,陸軍大臣,参謀総長,軍令部総長からそれぞれ先方の回答では国体護持について心配である,しかし先方にもう一度たしかめても満足な回答はえられないであろうから,このまま戦争を継続すべきであるという意見を越え涙ともに下って申し上げました。

 陛下は総理の方に向かって外に発言するものはないかという意味の御合図があってのち,「皆のものに意見がなければ自分が意見をいわう」と前提せられお言葉がありました。「自分の意見は先日申したのと変りはない,先方の回答もあれで満足してよいと思う」と仰せられました。号泣の声が起りました。
 註記)『チャンネルNippon』2014年4月13日,http://www.jpsn.org/report/6267/
 昭和20年8月における以上の昭和天皇言行録は,大日本帝国の大元帥としてこの国家体制の敗北を認め,明治維新の時代に譬えれば「賊軍になる気持」を覚悟したと解釈しても間違いはないはずである。

 もともと靖国神社は,戦争督戦用に大日本帝国陸海軍が共営する国立の神社であった。敗戦後はGHQの指導を強制されて,民間としての一宗教法人に変身させられた。ところが,この神社の中身=国家神道的な宗教精神は,いまだに敗戦以前のままに凝り固まっていて,なにも変化できていない。敗戦後になってはじめた靖国神社の行事「みたままつり」(7月13日から17日)は,衣の下から鎧がちらつくほかない,この神社による〈民俗神道のまねごと〉である。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
みたままつりポスター2016年分
 「敗けた歴史の事実を認められないでいる『かつての〈戦争神社〉』」が,21世紀のいまになってもまだ,まったく根拠などない「戦勝気分」に浸っている。それにくわえて,明治維新の時代における「官軍的な感情」(いいかえれば,東京裁判史観の否定・自虐史観という倒錯した歴史意識)だけを,一方的に横溢させているのだから,これはキチガイ沙汰といっても,なんらおおげさにならない形容:指摘:批判である。

 国際政治環境のなかで完全に「賊軍神社」になりかわっていたこの靖国神社の時代錯誤は,敗戦後70年以上が経ってもなお持続している。だからこそ,まったくのキチガイ沙汰だと指弾されておかねばならない。神道界では敗戦後に組織された神社本庁があるが,いまではこの神社本庁が安倍晋三政治の反動化に推進力を与え,神道宗教界のための統合本部の役割を担っている。そして,この神社本庁においては,その中心的で有力な宗教法人の一神社として盤踞しているのが,まさしく靖国神社なのである。

 この神社本庁にとってみれば「敗戦など」という事態は,けっしてありえない出来事であったと無視しておきたいのである。また,それがあったとしても,絶対に認めたくない「歴史の事実」であるかように対面しつづけてきた。しかし,この態度には問題(大きな穴)がないわけではない。

 皇室神道の立場・信念に鑑みれば,靖国神社の存在は非常に重要な「皇室関連〔のため〕の神社」とみなされているのだから,天皇家からすれば,この靖国神社に参拝できなくなっている事情が,1978年10月17日の「A級戦犯合祀」によって生じてしまった経緯については,一家を挙げていまもなお異常なこだわりを抱きつづけている。

 1975年11月21日を最後の機会とした「天皇裕仁による靖国神社参拝」は,英霊に対して祭祀をおこなうという宗教的な意味に従っていえば,もちろん「慰霊の意味」そのものを否定できない。とはいえ,敗戦時まではとりわけ,この神社における固有の機能であった「戦争督戦神社」性(つまり戦争に勝利する祈願をする国家神道神社であった点)に対する反省など,彼にとっては無縁の感性でありつづけ,問題外であった( ⇒ 戦争に敗北した事実については深く後悔しているものの,その事実を心底から反省しているわけではないのが,天皇裕仁の立場・本音であった)

 靖国神社が21世紀のいまになっても,遊就館の展示方針に正直に反映されてもいるように,あたかも「大日本帝国は敗北など全然していなかった,勝っていたか」のような虚妄(ウソ)を,まかり通らせようとしてきた(もともと通すことができるようなウソではないが)。したがって,あの戦争の時代におけるもろもろの事象に対する反省の姿勢などわずかも備えていない。あるとすれば「戦争に負けてしまって悔しい」「この事実を認めたくない」という事実に関する「自己欺瞞に徹した精神構造・機能」だけである。

 以上のような敗戦後史の71年間であった。「敗戦した大日本帝国」は「終戦した日本国」という観念にすり替えられたまま,いうなれば「欺瞞の20世紀後半期から21世紀のいままで」を歩んできた。これが敗戦後史としてのこの日本の姿容そのものである。

 安倍第3次再改造内閣において防衛大臣に任命された稲田朋美は,毎年続けてきた終戦記念日の靖国神社参拝を,今〔2016〕年は見送ることにしたというけれども,「敗戦」を「終戦」にいいかえて使いつづけるこの国であるかぎり,なかでもアメリカへの復讐戦をまだ期しているのかもしれない。

 「敗戦の日」に靖国神社に参拝にいく行為は,大日本帝国の敗北を認める行為そのものでもあるはずである。ところが,実際に参拝にいく政治家たちの歴史に対する認識は,その逆さまになっているゆえ,コッケイの度合は計りしれないほどに高度である。

 しかし,現実を直視しなければなるまい。

 敗戦後から今日まで日本の国土は,在日米軍基地に要衝を,つまり首根っこを抑えこまれている国である。靖国神社の合祀されている英霊たちは,かつての鬼畜米英「連合軍」であったアメリカ軍によって,実質においてはこの国がいまだに,占領・統治されている現状をしったら,きっと怒り狂うのではないか? オレたちはいまのような日本国を創るために「御国(天皇陛下)のために尊い命を捧げた」のではない,と。
 安倍晋三マッドアマノ風刺画像安倍晋三画像23安倍晋三画像38
 出所)右側画像のみ断わっておくと,http://miagetasora.at.webry.info/201405/article_1.html

 敗戦した大日本帝国はGHQによる大外科手術をほどこされ,なかでも在日米軍基地という救命措置も付けくわえられて蘇生していた。いまではすっかり,アメリカさん風の占領・統治によくになじんだ「国家体質=対米従属性」を習い性にしている。

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 【※ 付 記】 2016年8月15日午前11時30分,公表記事。


 【早く,奨学金制度を給付型として普及させねばなるまい。いつまでもぐずぐずいっているようではいけない】

 【先進国というには恥ずかしい日本の高等教育に対する奨学金制度の未整備状態】



 ①「〈日曜に考える:創論〉給付型奨学金つくるポイントは」(『日本経済新聞』2016年8月14日朝刊)


 意欲があるのに経済的事情で大学進学を断念する若者を支援しようと,安倍晋三政権が給付型奨学金の導入を検討している。給付型を実現するための課題はなにか。教育費負担に詳しい東京大学の小林雅之教授と,国に先駆けて独自制度の充実にとり組む早稲田大学の斉藤泰治学生部長に聞いた。

小林雅之日本経済新聞2016年8月14日朝刊 1)「本当の困窮者に支援を」東京大学教授 小林雅之
 論者紹介;「こばやし・まさゆき」(62歳)は,2007年から東京大学大学総合教育センター教授,教育格差や奨学金制度に詳しい。なお以下で◆は質問をしている記者の発言,◇は小林の答えである。 

 ◆ 最近,給付型奨学金が注目されるようになったのはなぜでしょう。

 ◇「意欲と能力があり,大学に進学したいのに経済的な理由で断念せざるをえない若者が年間数万人にも上っている。教育の機会均等を保障し社会の格差拡大を食い止める上で,看過できないレベルになっている」。「厳しい経済状況の学生を支援するための公的奨学金制度が日本学生支援機構(JASSO)の奨学金だ。2016年度予算では貸与人員131万8千人,事業費総額は1兆908億円。有利子型と無利子型があるが,問題はどちらも貸与型ということだ」。

 「近年,『ローン回避』といって,返済の負担が重いのならば,借金をしてまで大学にいきたいとは思わない人が増えてきた。この傾向は低所得者層ほど強い。支援が必要な人ほど奨学金の受給をためらっているのだ。大学の大衆化や終身雇用制度の崩壊で,卒業後に安定した高収入を得られる保証がなくなったことも,ローン回避が増えている一因だ。もはや貸与型だけでは対応しきれない」。
    補注)ここで,以前紹介したことのある関連の図表を再度引用しておく。そのとき付けておいた解説もいっしょに引用しておく。
親の年収別に見た高校生の進路画像
出所)http://www.paci-gakushi.com/column/546/
    
 この年収階層別の進学率分布状況をみれば,
保護者の年収が500万円未満をウンヌンする議論もいいけれども,その前に高等教育の無償化・給付型奨学金制度の充実が先決問題であることが理解できる。

 しかし,大学まで進学して勉学にいそしんでもらう若者に対しては,一定以上の学力を要求されて当然である。現状において偏差値55以下の学力しかもたない若者を収容している大学群は,基本的には退場させるほかあるまい。

 その若者たちは,職業専門「大学」ならぬ「職業専門・履修学校」を設けてこちらに収容し,彼らの身を立てられる技術・知識を習得してもらう教育を受けさせたほうが,いまの日本国じたいのためにもなるのではないか。
 ◇「政治情勢も追い風となった。ここ数年,国政選挙のたびに各政党は給付型奨学金の導入を訴えてきた。6月に政府が閣議決定したニッポン一億総活躍プランにも『本当に厳しい状況にある子供たちへの給付型支援の充実を図る』との文言が盛りこまれた。文部科学省も2017年度導入をめざして検討チームを設置,私も議論にくわわっている」。

 ◆ 給付型奨学金は本当に実現するのでしょうか?

 ◇「正直いって,財務省の壁が厚いと思っていた。でも,安倍晋三首相が『やる』と言明した。来〔2017〕年度予算の概算要求に盛りこまれる。とはいえ,制度化に向けて課題山積,議論は煮詰まっていない。最大の課題は厳しい財政状況下での財源確保だ。給付型奨学金の導入のために,他の大学関係予算を削減したら猛反発は避けられない。大騒ぎになる。給付の対象や水準も財源問題と密接に関わる」。

 「たとえば,対象を児童養護施設退所者,里親出身者に限れば高校1学年当たり2千人だが,生活保護世帯とすれば1万3千人,住民税非課税世帯なら15万8千人,低所得のひとり親世帯なら6万6千人がいる。そのうちのどれだけを支給対象にするかで,予算規模は決まってくる。過度のばらまきは避けつつ,本当に困っている人を支援できる制度が必要だ」。

 「給付型奨学金にはメリットベースとニードベースの2つの考え方がある。前者は学業やスポーツで優れた学生に与える伝統的な奨学金。経済的に恵まれない学生を支援するのが後者で,米国で第2次世界大戦と公民権運動を経て広がった。日本はどちらをより重視すべきか。専門家の意見も割れる。学業成績をいっさい問わずに給付して,国民の納得がえられるのか。かといって試験で採否を決めたら,受給者は有力大学の学生に集中しかねない」。

 ◆ 世界的には給付型奨学金が主流なのですか?

 ◇「先進諸国はどこも公財政状況が厳しい。給付型から貸与型へのシフトが大きな流れといえる。ただ,米国では一時はローン型が主流だったが,オバマ政権で給付型を増やしている。英国は政権交代のたびに給付か貸与かで揺れている。ドイツは両者の均衡型だ。どの国も給付と貸与のバランスで試行錯誤している。

 一方で,経済協力開発機構(OECD)で公的給付型奨学金がないのは日本とアイスランドだ。日本では,授業料減免制度が給付型とほぼ同じような機能を果たしているので解釈は微妙だが,現状が貸与型に偏りすぎているのは否めない」。
 補注)「公的給付型奨学金がないのは日本と」いう事実に対して「先進諸国はどこも公財政状況が厳しい。給付型から貸与型へのシフトが大きな流れといえる」点を,ここであえてむすびつけ過ぎる議論は不要である。日本はその逆をまず先にやらねばならない必要に迫られており,こちらがまず出発点に置かれるべき大前提なのである。

 ◆ 来年度から始まる新所得連動返還型奨学金の制度設計でも文科省の有識者会議の議論をリードしました。

 ◇「所得連動型は卒業後の年収が144万円以下の場合,毎月の最低返還額を2000円にするなど低所得者の負担を緩和する制度だ。本当に必要な人を支援できるように,仕組みはつねに見直す必要がある。同時に,どんな立派な制度でも利用する学生に趣旨が周知徹底できなければ意味がない。授業料減免や奨学金返済猶予の対象になるのに,制度をしらずに苦労している人の事例をいくつもみてきた。必要な人に正確な情報を届けるために,国や高校,大学が果たすべき責任は大きい。情報格差の解消も奨学金改革の大きな柱なのだ」。
 補注)「どんな立派な制度でも利用する学生に趣旨が周知徹底できなければ意味がない。授業料減免や奨学金返済猶予の対象になるのに,制度をしらずに苦労している人の事例をいくつもみてきた」という点は,国立大学の場合であれば単に,学生に対する情宣(情報提供・伝達)の状況がまずいということにならないか。また,日本学生支援機構の奨学金が貸与型のローン事業として組まれている現実を,学生がきちんと事前に説明されているかといえば,いままでの運営実態に照らしていうと十分ではなく,この種の疑問がすぐに浮上してくる。

 それに,日本の大学における進学率の問題をどのように受けとるのかも考慮に入れた議論が必要である。奨学金ではなく「大学生の生活のための支給金」となっており,それも「単なる扶助」(しかも貸与であるからのちに返済が待ちかまえている)としてなされている実情もある。私立大学の場合,あまりにも低度の学力(率直に指摘すれば中学校水準よりも落ちる大学・大学生も少なくない)の学生を相手に,「高等教育(?)」をほどこしている〔つもりだ〕という摩訶不思議の業界事情に関しては,奨学金をどうこうするか以前の問題も控えている。

 その種の問題は,次項にさらに引用するごとき,早大次元における話題とはまったく縁遠いものとなっている。あまりにも次元が違っているというか,条件の異なる大学群同士をそのまま比較検討するのは不適当が過ぎるのであるが,ここまでも配慮に入れた議論がなされているとはいえない。ここにもまだ消化不良の論点が残されている。

斉藤康治『日本経済新聞』2016年8月14日朝刊画像 2)「経済的進学断念なくす」早稲田大学教授・学生部長 斉藤泰治
 論者紹介:「さいとう・たいじ」(59歳)は,1996年早稲田大学政治経済学部教授,専門は中国近現代思想史,2014年から同大学の学生部長。

 ◆ 早稲田大学は独自の学内奨学金制度に積極的だと聞いています。

 ◇「経済的事情で大学進学が難しい学生の支援と優秀な学生の確保を目的に,学内奨学金の充実に力を入れる私立大学が増えている。正確な統計はないが,早稲田の学内奨学金は私立大学でトップクラスだと思う」。

 「2015年度は,大学院や学部,付属高等学院や芸術学校など早稲田全体で延べ1万8千件,123億円の奨学金を支給した。学生・生徒全体の33.5%に当たる。件数の約7割が貸与型奨学金で,大半が大学を通じて支給するJASSOの奨学金だ。その支給額は104億円に上る。給付型奨学金は件数の約3割を占め,うち73%が学内奨学金,22%が民間団体の奨学金,残りが地方公共団体の奨学金という構成だ」。
 補注)このあたりの問題点は,本ブログ,2016年07月28日「大学広告の無意味さ,給付型奨学金の問題」の最後,3)「追補-国立大学と私立大学の授業料減免措置の絶対的な格差-」で触れていたが,なにせ,こういう現実がある(次段はここから引用)。
    国立大学と私立大学では学生に対する公的支援に大きな格差がある。日本私立大学団体連合会によると,学生1人当たりの公財政支出(2014年)は国立 218万円に対し私立は17万円。授業料免除を受けられる学生(2013年)は国立17万8千人(全体の29.7%)に対し,私立で授業料減免の補助対象 になるのは3万7千人( 1.8%)にとどまる。
 思えば,早大のように私立大学として実力(余力)のある伝統校であればこそ,斉藤泰治が説明するような独自の学内奨学制度も可能である。けれども,この方法をどの大学でも真似できるわけではない。早大であってもあくまで,私立大学経営として許される範囲内で財政面での制度運営を工夫し,措置しているだけのことである。前段の引用にも出ていた数値によれば,国立では授業料免除を受けられる学生(2013年)が国立29.7%であったのに対して,私立で授業料減免の補助対象となった学生の比率は 1.8%であった。

 早大が説明する奨学金は「学生・生徒全体の33.5%」がその対象になっているというけれども,その約7割が貸与型奨学金だとなれば,だいぶ意味あいは異なってくる。国立大学における授業料の減免制度は,これの意味をひっくり返して解釈すれば「実質,給付型奨学金」に相当する。

 要は,日本の大学では私立大学の場合,早大のように大規模私大の有利性を発揮させた奨学金制度を置くことができていても,大学経営の財政基盤の上で均衡の採れる範囲内においての制度化である。この点はつぎの段落からもうかがえる内部事情である。


 「以前は貸与型の学内奨学金もあったが,2008年度以降はすべて給付型になった。現在,約100種類の学内奨学金があり,多くは校友会や個人からの寄付が原資だが,資金運用の果実を原資とする奨学金もある。1件当たりの給付額は年間13万円から100万円で40万円程度が標準的。ここ数年,給付型奨学金は年間20数億円前後で推移している」。

 ◆ 給付型の人気とメリットについて。

 ◇「JASSOの奨学金は充実しているが,貸与型なので結局は借金だ。卒業後の負担も楽ではない。このため,奨学金を申請する学生はほぼ全員が給付型を希望してくる。2015年度の受給者は1914人で,希望者の33%,全学生の5%が受給している」。

 「貸与型奨学金には返済金を次世代の奨学金財源に回せるというメリットがある。しかし確実な回収は難しく,JASSOも苦労していると聞く。ましてや大学がどこまで回収できるのか。それならば,給付を受けた学生が卒業後に寄付をしてくれる循環が生まれるのが一番いい。『自分も奨学金に世話になった』と寄付してくれる校友もいる。大学で開催している奨学生の集いでは,次世代への寄付を訴えている」。

 ◆ 2009年度から「めざせ!  都の西北奨学金」を始めていますね。

 ◇「首都圏(東京,神奈川,埼玉,千葉)以外の国内高校出身者が経済的事情で進学を断念することがないように始めた奨学金だ。受験前に申しこんで奨学金採用候補者に認定された後に入試に合格し,早稲田に進学すると,毎年40万円を4年間支給する。背景には,地元国公立大学志向の高まりや家庭の経済的事情で,地方から早稲田をめざす高校生が減少傾向にあることへの危機感がある。奨学金政策は私立大学の経営戦略とも深いかかわりがある。近年は他大学でも似たような制度が広がりつつある」。
 補注)ここでの説明は,早大が自学のために独立的に展開させている奨学金制度の一環にまで話題が広がっている。私大運営のあり方としては,業界競争を意識して設置される奨学金の制度化である。大学経営におけるこうした戦略面での努力が,はたして,日本の大学全体のためにも,ただちによりよい効果の発揚になりうるかといえば,必ずしもまっすぐにその方途にはつながらない。そういった要因を回避できずに含んでいるところが,個別ごとの大学における問題として,まだ残されている。大学界全体における奨学金制度の問題そのものとしてとらえなおしたうえで,意識的に対策を講じていかないかぎり,日本の高等教育の基盤を貫くかたちで,その全体をうまく支えるための奨学金制度とはなりえない。

 ◇「この奨学金は来〔2017〕年度入学者から年間授業料の半額免除にあらためる。学部によって授業料に差があるため,一律支給では不公平感があるためだ。約1200人を候補者に選び,200人程度が実際に入学するとみている」。また「児童養護施設の入所者または退所して2年以内の人を対象に,2017年度から『紺碧(こんぺき)の空奨学金』も始める。受験料・入学金・4年間の授業料・実験実習料などを免除し,さらに毎月9万円を支給する。『都の西北』と同様に受験前に申しこみをおこなう。

 その採用候補者に選ばれ入試に合格し,入学すれば奨学金を受けられる。高校2年で申しこみも可能なので,採用候補者に選ばれれば経済的な不安からある程度解放されて受験勉強に専念できる。学費免除のうえ奨学金を支給するのも早稲田では初の試みだ。反響を見て,ひとり親世帯や生活保護世帯などに支援対象を拡大することも検討したい」。

 ◆ 国が給付型奨学金の導入を検討しています。

 ◇「学生に接している立場からいえば,貸与より給付の方がいいのは明らかだ。ただ,いまのJASSOの奨学金をすべて給付型にするのは不可能だろう。一部を給付型にするとして,財源の確保や具体的な支給基準,国公立大学と私立大学との配分方法などさまざまな課題がある。奨学金は緻密な制度設計が必要なのに情報はほとんどないため,現時点では評価のしようがない。大学までに多額の教育費がかかることを考えれば,大学の奨学金で解決できることは限られる。能力があるのに経済的理由で進学を断念する学生を1人でも多く支援できるように着実な改革が必要だ」。

  --ここで斉藤が指摘している点,「奨学金は緻密な制度設計が必要なのに情報はほとんどないため,現時点では評価のしようがない」現状は,いうまでもなく文部科学省の管轄領域にある高等教育の具体的な,それも日常的に関与しているはず〔べき〕ものが,私大側の学生部長からこのようにいわれているのであるから,問題の核心がどこにあったかはこれで,より明瞭になったことにもなる。

 要は,先進諸国中で大学生などに対する奨学金制度,それも給付型奨学金が未整備であると判断されるのが,この日本であった。その穴埋めという補填をしているのが,日本学生支援機構と称する,本当は,この大学生向けの学費・生活費「金融業者」が大いに活況を呈しているわけである。国立大学と私立大学間にある大きな〈溝〉をとりのぞくための措置が奨学金制度に求められてもいる。
日本学生支援機構奨学金利用者統計
出所)http://style.nikkei.com/article/DGXKZO88263820Z10C15A6W06001
から参照したが,元記事は『日本経済新聞』
2015年7月2日朝刊「プラスワン」。


 3)「〈聞き手から〉 次代担う人材へ投資必要」
 給付型奨学金の必要性に異を唱える人は少ないだろう。だが具体的な制度設計は思いのほか難しい。財源や支援の対象・基準など検討課題が多く,その設定いかんで制度の性格は大きく変わるからだ。政府は2017年度政府予算案を決める年末までにこうした具体的『日本経済新聞』2016年8月14日朝刊奨学金記事図表な制度のあり方を決める方針だ。

 先進的な私立大学はこれまでも給付型奨学金の充実に力を入れてきた。早稲田大学は毎年20数億円前後を確保する。授業料が安い国公立に対抗するには,奨学金制度の充実が欠かせないからだ。私立の先進事例は,今後の議論の参考になるはずだ。

 ただ,問題は奨学金制度だけでは解決できない。大学への公的支援が増えれば,教育環境の充実や授業料引き下げにつながる。日本の公的な高等教育支援は,先進国でも最低水準だ。厳しい財政事情下ではあるが,資源に乏しい日本だからこそ,つぎの時代を担う人材への投資が重要だ。(編集委員 横山晋一郎)

 --日本の高等教育を囲む最重要の関心事がどこにある〔べき〕かは,以前より判りきっている。ところが,ここにカネをかけない(予算と投入しない),そして私立大学に7割台もの学生数を負担させておきながら,予算は国立大学向けが主柱である。同じ大学教育であるのに,なぜそうであるのかと疑問が突きつけられて当然である。もちろん,私立大学では大学の名に値しない「非高等教育機関」多い。問題の基本的な理解としていえば,こちらの非一流大学は「高等教育機関」とはとうていみなせない存在ゆえ,早めに排除・措置しておくための手だても必要になっている。
2015年5月現在大学生統計画像
出所)http://tanuki-no-suji.at.webry.info/201602/article_9.html,
これは,2015年5月現在の統計数値。


 ② 最近における大学問題に関する報道-給付型奨学金をめぐって-

 以下に紹介する記事は,その内容にはこまかくは立ち入らず,見出しを中心に拾って叙述していきたい。

 1)「〈私見 卓見〉奨学金,海外留学中の大学院生にも」(『日本経済新聞』2016年8月12日朝刊)

 つぎの段落のみ引用する。「留学は費用がかかるため奨学金は返済がいらない給付型が望ましい。そのため厳正な審査とルールが必要である。出身家庭の経済状況に応じて公正に配分し,男女や専門分野に偏りがあってはならない。選考は成績証明書や研究計画書の提出,ネットによる面接を実施する。学生は学業の進捗や奨学金の使途状況を定期的に報告し,所属機関から成績や日常態度のチェックを受けなければならない」。

 この説明内容は「メリットベースとニードベースの2つの考え方」がある給付型奨学金のうち,主に前者に重心が置かれたものである。大学院生次元の話題であるから,それ相応に成果目標に関する途中審査も必須とされている。この点はこの点として踏まえたうえで,その効用に注意したい。

 2)「〈書評〉『18歳からの格差論 日本に本当に必要なもの』『子育て支援が日本を救う 政策効果の統計分析』

 これからは,つぎの段落を引用する。

 a)「『子育て支援が日本を救う』は,子どもの貧困に焦点を当てる。高齢者向けの社会保障に比して,保育,産休・育休,児童手当,教育費支援など,子育て世帯への予算はほとんど増額されなかった。結果として子育て費用が子育て世代に重くのしかかり,子どもの貧困に拍車がかかった。これは機会の不平等をもたらし,子どもの才能の芽を摘んでしまうことで,社会全体の損失になる」。

 b)「著者は統計分析によって,子育て支援と就労支援の充実が,子どもの貧困率を引き下げ,女性の労働参加率や出生率,労働生産性を高め,経済成長率を押し上げると明らかにした。そのために必要となる予算は,所得税の累進化,相続税の拡大,資産税の累進化などの組み合わせで十分に捻出可能だと試算する。きわめて説得的な改革案だ」。

 この書評による関連論点の説明は,給付型奨学金のための財源がないの・足りないのだ弁解している “国家側の視野の狭さ” を指摘している。よくいわれるように軍事(防衛)予算のうちから,最新鋭の軍艦1隻・戦闘機1機分(前者でいえば,いずも型護衛艦「最新鋭型のヘリ空母」の建造費用は 1139億円,イージス艦のそれは1千数百億円程度,後者でいえば,F35の調達費は150~160億円とか)の予算を,すこしでも融通・調整・都合できれば,相当に充実した奨学金制度を整備するに使える。

 軍隊を支えるのは「いまの若者」であるが,それ以上に国家全体を “ささえていく” のも,間違いなく「これからの・いまの若者」である。これらの若者を総員としてよりよく育成するための基本方針・必要条件のひとつである奨学金制度がまともに整備できていないこの日本は,先進国たる基礎条件を欠いている。

 また,2020年東京で開催されるオリンピックで数兆円ほどの予算を,国と都とで費消していくはずである。オリンピックを開催するためにそれほどの予算(金額)が調達できるのであれば,国家の未来をみすえて奨学金事業の基金造りに充てたほうが,21世紀のこれから先における日本のためには,よほど有意義である。オリンピックのあとに残るのは箱物(物的施設)だけであり,肝心である人間はスポーツ選手(ごく少数のアスリート)だけである。

 というよりは,この 2)の書評における議論の内容は,日本の財政問題のなかから教育費支援「経費」をひねり出すことはむずかしくないという関連事情を教えている。あとはやる気(これを出す気持)があるかないかの問題でしかない。

 3)「給付型奨学金,家計・成績条件に設定 公明が提言案」(『日本経済新聞』2016年7月18日朝刊)

 公明党は大学生らを対象にした返済不要の給付型奨学金の導入に向けた独自の提言案をつくる。家庭の経済状況と学力の条件を設けて対象を厳格に絞りこむほか,文部科学省に専門部署を置くことなども盛りこむ。政府・与党での議論を呼びかけ,秋までに制度案をまとめたい考えだ。

 安倍晋三首相は2017年度予算案に関連経費を盛りこむ意向。政府は2018年春入学の学生からの導入を念頭に検討を進める。

 公明党内では,低所得世帯の学生ほど仕送りが少なく,貸与型奨学金の利用率が高いことを問題視。給付型奨学金があればより教育格差を是正できるとみている。財源確保の観点から,経済状況にくわえ,大学入試前の高校時代の成績などを考慮する。給付方法などの検討も進める。

 貸与型は独立行政法人の日本学生支援機構が管理を担っている。公明党はまず文科省に給付型奨学金専門のサポート部署をつくり,制度の運用が安定した数年後に支援機構に完全移行することを想定する。

 --なるほど「平和と福祉の党」,その実体はファシズムとの融和性のきわめて高い公明党が,このような給付型奨学金を日本学生支援機構のなかに新部門として設置していくことを提案している。いかにもこの党らしく,あたりさわりのない無難な提案である。「メリットベースとニードベースの2つの考え方」がある給付型奨学金の両性格,つまり「家庭の経済状況と学力の条件」にも配慮している。

 問題は,いままでこの「平和と福祉の党」だと喧伝してきた公明党が,いまさらのように・遅ればせながらやっと,この奨学金制度に気づいたというのか? 公明党であれば,それも共産党に遅れをとらないように真っ先に主張すべき問題であったと思いたいが……? いまでは,すっかり第2自民党としての小判鮫与党。もちろん,なにも提案しないよりは数段よかったかもしれないが。

 4)「〈2016 米大統領選 有権者は語る ③ -『普通の生活』若者共感,サンダース支持票どこへ-」(『日本経済新聞』2016年7月4日朝刊)
 ヒラリー・クリントン前国務長官(68歳)の圧勝とみられていた民主党の大統領候補争いで,予想外に健闘したバーニー・サンダース氏。民主社会主義者を名乗る74歳の上院議員を熱狂的に支持したのは,1980~90年代に生まれた「ミレニアル」世代。高い学費を払うために学生ローンを背負い,2008年の金融危機の影響で就職にも苦労した層だ。
サンダース&ヒラリー・クリントン画像
出所)http://www.bbc.com/japanese/35995223,
バーニー・サンダース&ヒラリー・クリントン。

 クリントン氏の指名獲得が確実となって2週間あまりの6月23日,ニューヨーク。サンダース氏が「われわれのゴールはこの国を生まれ変わらせることだ」と訴えると,約1200人の「バーニー」コールがやまなかった。サンダース氏がめざすのは「すべての米国人が普通に働き,普通の暮らしができる社会」だ。裏返すとサンダース氏に熱狂する若者たちは「普通の暮らし」を実感できていないといえる。

 a)  18~34歳が熱狂。 米調査機関ピュー・リサーチ・センターによると米国の労働力人口は2015年に18~34歳(ミレニアル世代)が35~50歳(ジェネレーションX)を抜いて最大の勢力となった。若者たちが親世代のように普通の暮らしを実感できないことが,サンダース氏を支える熱狂的な政治運動につながった。

 「学生ローンは狂っている」。ニューヨーク在住のエンジニア,ジョーダン・ハリスさん(24歳)は,7万5千ドル(約750万円)の奨学金を受けたが,大学を卒業するのに3万7千ドルを借りた。少しずつ返済しているが「働きながら通った大学院は諦めた」。米国では7割が平均4万ドルの学生ローンを背負う。サンダース氏の「公立大学の無償化」はそんな彼らの心に響いた。
 補注)この段落は,日本の学生金融(つまり日本学生支援機構の奨学金ローンをめぐる事情)と同じ事態が,アメリカにも存在することを指摘している。奨学金の制度的なあり方をめぐっては,今年6月,18歳から選挙権が与えられた日本の選挙制度変更のなかでも,アメリカの若者と同じように日本の若者がなにかを考えだすかもしれない問題基盤が提供された。

 アメリカには日本の国立大学に相当する大学はなく,公立(州立)大学がある。アメリカの公立大学の授業料も,私立大学に比較すれば安いものの,それでも私立大学に「比較してだいぶ安い」とはいえない水準にある。つぎの表は,2009~2010年におけるアメリカの大学授業料に関する表である。とりあえず1ドル=100円で換算したら分かりやすいかもしれない。

アメリカ大学授業料統計
出所)http://www.us-lighthouse.com/kyouiku/e-11346.html

『日本経済新聞』2016年7月4日朝刊2016米大統領選 b)  金融危機が影響。 米国では,よりよい職を手にするため多くの若者が高学歴を追い求めてきた。だが,金融危機の影響で若者の就職は悪化。現在も若年層(25~34歳)の失業率は危機前の水準に戻っていない。

 良い仕事がみつからなければ,学生ローンは返済できないし,結婚や住宅購入も遅れる。男性の初婚年齢(平均)は2005年の27.1歳から2015年には29.2歳に上昇した。ニューヨークの証券会社に勤めるジェシカ・レイブさん(21歳)は「今回の選挙は若者たちの怒りの表われ」と分析した。
 補注)日本の初婚年齢はすでに30歳を超えている(つぎの図表参照)。2年前の「2014年においては夫は31.1歳・妻は29.4歳が平均初婚年齢」となっており,「前年 2013年分と比べるとそれぞれ0.2歳・0.1歳のプラス。1950年(夫25.9歳,妻23.0歳)と比べると,だいたい5年ほどのプラスとなる」。
初婚年齢統計図表
出所)http://www.garbagenews.net/archives/2013777.html

 補注)日本における「年収別の既婚率」の初婚年齢(2010年ころ)は,つぎの図表に表現されている。
年収別既婚率画像
出所)以下「解説の文章」も,https://doda.jp/guide/ranking/064.html

 この図表に関して詳細をみてみる。--年収「200万円未満」が26%,「200〜 300万円未満」は27%と,300万円未満の場合はほとんど変わらない。一方,300万円以上700万円未満までは,「300〜400万円未満」 (36%),「400〜500万円未満」(52%),「500〜600万円未満」(63%),「600〜700万円未満」(74%)と,それぞれ10ポイ ントずつ高くなっており,年収が高くなるほど既婚率も高い。ただし700万円を超えると,それ以上は年収が上がっても既婚率は上がらず,ほぼ横ばいである。

 年収が高い人ほど年齢も高く,必然的に既婚率も高くなるとも考えられるため,つぎに年代ごとに年収別の既婚率をみてみると,20代では,年収「200万円未満」の既婚率が12%なのに対して,「600〜700万円未満」は65%。30代前半では,「200万円未満」が28%,「600〜700万円未満」が69%。30代後半では,「200万円未満」が43%,「600〜700万円未満」が78%と,年代別にみてもやはり,年収が高いほど既婚率も高いという結果になっている。
 
 〔記事本文の引用に戻る→〕 クリントン氏の指名獲得が確実となってから1カ月たった12日。サンダース氏は「次期大統領に確実になれるようあらゆる手を尽くす」と語り,ようやくクリントン氏への支持を表明した。若者はクリントン氏を支持するのか。ブルームバーグの世論調査では,サンダース氏の支持者のうち本選でクリントン氏に投票すると答えた人は55%。22%はトランプ氏と答えた。

 ネット上では本選でクリントン氏に投じない「バーニーしかいない」運動が盛んだ。サンダース氏を支持してきたフリーライター,マックスウェル・コビエロさん(26歳)は本選でクリントン氏に投票するつもりだ。だが「現代の問題は,過去の世代が引き起こしたものがほとんど」と不満をもらす。政治的に影響力を増す若者世代の不満は,米国社会の分断をさらに深める懸念をはらむ。

 --アメリカの大統領選に関するこの解説記事は,米日間において進学事情,とくに奨学金問題に関しては似たような事情があることを教えている。アメリカの人口構成については記述があった。「労働力人口は2015年に18~34歳(ミレニアル世代)が35~50歳(ジェネレーションX)を抜いて最大の勢力となった」という点は,日本とは異なる。つぎに,2012年の,米日における年齢層別の人口分布・全体構成(ピラミッド)を比較してみたい。
    日本人口ピラミッド2012年
    アメリカ人口ピラミッド2012年画像
    アメリカ人口ピラミッド2050年予想画像
 出所)図表,上段は日本2012年,中段はアメリカ2012年,下段はアメリカ2050年予測,http://tamatamanikki.sblo.jp/archives/20120706-1.html
 
   2012年と 2050年のアメリカの人口ピラミッドは,国のなかにもうひとつ,新興国をもっているような事情を表わす。アメリカの若者が勤勉さを保って働きつづけるかぎり,2050年までは少子高齢化を原因とする内政問題に煩わせられることなく,「世界の覇者」として君臨しつづけることになる。この人口ピラミッドのかたちは,その後の50年も活力あるアメリカを維持できることを示している。日本はどうか?

 いまでは,18歳以上の年齢層は日本の若者も選挙権を有するのだから,選挙を通しての意思表示の機会は与えられている。若者の票をあてにする被選挙者は,いまのところあまりいない。だが,若者の両親(保護者たち)にも大いに関係する問題となりうるのが,高等教育に関する奨学金制度であるはずである。

 
 ①  本日〔2016年8月13日〕『日本経済新聞』朝刊3面につぎのような幻冬舎の新刊広告が出ていた(左側の画像,画面 クリックで 拡大・可)。もしかすると,これをみるかぎりでいえそうなことは,現行の日本国憲法はデタラメに起草・作成されていたのかもしれない。だが,問題はその中身であったはずである。
 幻冬舎広告『日本経済新聞』2016年8月13日朝刊3面高尾栄司表紙

 ②  日本国憲法制定史を踏まえていえば,ここに宣伝されている扇情的な売り言葉は,実に品のない,この本を〈売らんがための〉文句にしか聞こえない。

 一部を針小棒大に扇情的に論じる著作に,はたして目を通すべき価値があるのか? もっとも筆者は,この本が古書で¥1の値段ついたら,ぜひとも購入したい。その範囲内での以上の指摘である。

見城徹画像3 ③  幻冬舎社長社長の見城 徹(画像)が,安倍晋三政権とどのような関係にあるのか,いわずもがな……。
 出所)右側画像は,http://www.data-max.co.jp/2009/08/_8_8.html
 フライデー2015年7月10日号から
 出所)上の側画像は『フライデー』2015年7月10日号から,前列向かって左側が見城 徹,https://mamorenihon.wordpress.com/2015/07/06/組閣ごっこ-安倍晋三-秋元康-見城徹-近藤太香巳-熊/

 2016年8月8日「明仁天皇による〈生前退位〉の意思表明」がなされていたが,これに意識的に(偶然?)当てつけたような著作の発売である。

 ④  それでは,大日本帝国憲法(明治憲法)はどれほどの憲法であったか? 古代(誇大)妄想と中途半端な半封建思想にこり固まっていたそれであった。女性に参政権(市民権)を与えず,基本的から1人前にオンナを人間あつかいしない,法精神の憲法であった。

 ⑤  明治憲法よりも,またいまの憲法よりも,もっといい憲法を発想し,制作することには賛成である。しかし,「明治帝政」への回帰を妄想する〇〇会議なる組織体などが信じるそれは,まったく狂気の沙汰の具現態。21世紀の現在を1889年まで押し戻したいのか?
 菅野完週刊誌記事画面 日本会議大会とナチ大会画像
 出所)画像2点ともに,http://blog.goo.ne.jp/beingtt/e/01f5e0e97c433bc8a51d436f4bcb3c3c 右側画像の上部分は日本会議が武道館で開催した大会。

 しょせんは不可能事でしかない。だが,それでも「戦後レジームの否定・からの脱却」「戦前体制(明治時代?)への還帰」にこだわるゆえか,狂気の沙汰だというまともな自覚そのものがないらしい。在日米軍基地があるかぎり(原子力空母の母港までもが日本にはある),そのような否定・脱却・還帰は無理難題であり,とうてい実現できるはずもない,要は「〈みはてぬ夢〉のそのまた遠い幻夢」。
2015年5月1日安倍晋三米議会演説画像
出所)http://saigaijyouhou.com/blog-entry-6341.html

 この国にあっては,アメリカが「それを」許すはずもない枠組:「米日軍事同盟関係という世知辛い国際関係的な政治の現実」が,背景:基盤として控えている。「押しつけ憲法」が70年近くもの長い期間,なにひとつとして改変されることもなく,維持されてきた歴史的な理由は,なんであるのか考えたことがあるのか?

 ⑥  敗戦後における昭和天皇は,もちろん納得ずくでその憲法を受容し,平成天皇もその気持を継承してきた。天皇明仁はいま,「生前退位」と天皇の代替わりの「行事の簡素化」を願っている意向を明らかにした。天皇・天皇制あるがゆえの国家・国民的な苦悩である。根幹には,なんといっても「対米従属国である」という悲哀がある。日本会議はこの従属性問題を排除・廃棄できるのか?
明仁画像8
 出所)これは2015年における天皇の「おことば」,http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/c0dd73d58121b6446cf4165c96ebb674

 ところで,安倍晋三の天皇明仁に対する応答ぶりが,なんとなくだらしない。つぎのような即答しかできていなかった。今後にどのような反応を打ち出していくのかみものである。
☆ 安倍晋三首相「重く受け止める」,
天皇陛下の生前退位意向を受けコメント(全文)☆


 天皇陛下が8月8日,高齢などを理由に「しだいに進む身体の衰えを考慮するとき,これまでのように,全身全霊をもって象徴の務めを果たしていくことが,難しくなるのではないかと案じています」と,生前退位への考えを強く示唆するお気持ちをビデオメッセージで表明した。この〈お気持〉の表明に対して,安倍晋三首相は「重く受け止めています」とするコメントを記者団に対して読み上げた。

 安倍首相のコメント。--「本日天皇陛下よりお言葉がありました。私としては天皇陛下ご自身が国民に向けてご発言されたことを重く受けとめています。天皇陛下のご公務のあり方などについては,天皇陛下のご年齢やご公務の負担の現状に鑑みるとき,天皇陛下のご心労に思いをいたし,どのようなことができるのか,しっかり考えて決めなければいけないと思っています」。
 註記)ここでは,http://www.huffingtonpost.jp/2016/08/08/abe-reacted_n_11383928.html  を参照。

 いずれにせよ,この人が「しっかり」とか「テイネイに」というときは,かなり要注意,高度に要警戒である。

安倍晋三画像88

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