【医学部の入試判定で女子受験生を差別した理由が,順天堂大医学部では「18歳時の女性の意思伝達力」が男子よりも高い点に求められ,北里大医学部では「女子のほうが体力が劣る」点があるからだと説明されていた】

 【「女性の人生行路全般」にかかわって,それも大々的に差別する立場が堂々と認定され,そして実行されていた】

 【まず「差別」する観念がさきに置かれて,その「差別をするためであれば」,なんでもかんでも,あとからその理由(理屈)が着いてくるのが,差別という問題に通有である特徴である】



 ①「順〔天堂大・北里大も不適切入試 医学部,女子に不利な扱い」(『朝日新聞』2018年12月11日朝刊1面)

 順天堂大と北里大は〔2018年12月〕10日,医学部で女子や浪人回数の多い受験生を不利に扱う不適切な入試をおこなっていた,と発表した。順大は「女子はコミュニケーション能力が高いため,補正する必要がある」として,面接などをおこなう2次試験の評価で,男女で異なる合格ラインを用いるなどした。北里大は今年度の一般入試で繰り上げ合格者に連絡するさい,男子や浪人回数の少ない受験生を優先させた。(▼38面=「男子救うため」)
 補注)この記事の見出しなどに出ているが,順天堂大学医学部の女性受験生に対する差別の判定を下してきた理由は,「医学部の学問」の基本的な見地に照らしてみるに,まことに笑止千万というか “無知に近い” 所見を披露したと受けとるほかない。

 男女間の性差に関する研究は,今日まで非常に高い水準まで到達しているが,どうしたらそのように「意思伝達力の18歳時における相違性(男女性差)」〔があったとしたとしても〕によって,入試の判定のさいに「男女に差別を設ける基準」として使えるというのか大きな疑問がある。

 塘添敏文「男と女の違いに関する研究-形態・体力面から見た性差-」(亜細亜大学総合学術文化学会『亜細亜大学学術文化紀要』第1号,2001年)は,性差の比較に関する議論として,つぎのようにまとめていた。この指摘をどのように解釈するかという論点にも基本から関係するのが,今回における入試不正「女性差別」の問題であった。
 形態・体力・運動能力・競技力面で男子優位をみたが,動態,習慣,意識面(精神面)では女子の方に優位性がうかがえた。性差に伴う能力面(動態,習慣,意識,形態,体力,運動能力,競技力など)をおたがい認めあい,それぞれに応じた役割分担の精神を理解することが大切である(164頁)。
 男女性差に関するこの種の学術的な意見が,それでは,男女に関する性差にもとづいて,男女が就く職業において適切な区別(「差別」と紙一重の表現だが)がなされていても, “それでよし” として済まされるのか。スポーツ界では女子の進出がめざましく,男性にできて女性にできないスポーツなどなくなっている。ただ,体格・体力面で本来介在する男女間の「基本的な絶対差」を考慮して,男女別で競技をおこなっている。

 日本の場合だと,最近における「医師総数の男女比率」はおおまかには「4対1」であるが,医学部に入学する男女比率はやはりおおまかには「2対1」であるから,今後に向けて前者の比率はさらに「3対1」から「2対1」にまで進む(前者の比率が高まっていけば後者も同様に変わる)。

 本日の前後する記述に関して注意したいのは,各国における医師の男女比率が5割以上から6割にまで達する国々(旧ソ連から独立した国々や北欧などヨーロッパに多い)もある事実である。この事実を踏まえて考えないと,日本における議論はおかしな迷路に入りこむおそれがあるので,注意したい。

 『朝日新聞』2018年12月11日朝刊38面順天堂大医学部問題2〔記事に戻る→〕 順大によると,2017,2018年春の入試で計165人が不当に不合格となった。順大はこのうち2次試験で不合格となった48人(うち女子47人)を追加合格にする方針を示した。
 補注)ちなみに東京医科大学医学部の場合,2017年度,2018年度の入試で不正に不合格とされた受験生は101人であって,そのうち,44人(男子15人,女子29人)の追加合格を認める一方,入学を希望した女子5人を改めて不合格にしたと発表していた(2018年12月7日公表)。

 順大は女子を不利に扱った理由について,

   (1)  男子よりも精神的な成熟が早く,受験時はコミュニケーション能力も高いが,入学後はその差が解消されるため補正する必要があった。

   (2)  女子寮の収容人数が少なかったと説明。
    『朝日新聞』2018年12月11日朝刊38面順天堂大医学部問題3
 〔だが〕第三者委員会からは,いずれも「合理的な理由はない」と指摘された。新井 一学長は「当時は大学の裁量のなかで妥当と判断した。不適切とされたので,今後はなくす」と謝罪した。北里大は,第三者委を設置して対応を検討する。(引用終わり)

 この順天堂大学医学部が女子受験生を差別した理由,その(1)はお話にならないほどひどく,男女差別をおこなう根拠になっていた。すなわち,「18歳時における〈精神的な成熟度〉」をいうのであれば,さらにたとえば,その後における

  20歳(医学部3年次)時点,
  22歳(5年次:修士1年次)時点,
  24歳(研修医1年目)時点」など,

 さらに医師になってからの10年後についても,それぞれの年齢のときにおいては,男女間におけるその精神的な成熟度はどうなるのか,これら入学時からの6年後に関しても細密な説明が必要である。以上は,発達心理学の知見にあえて問うまでもない問題意識からの指摘である。

 とはいわれても,そのような疑問を提示することよりもなによりも,ともかく順天堂大学医学部が入試不正をするさい準備されたその「男女を差別するための理由(精神的な成熟度)」は,それ以上に深く考えを詰めていたとは思われない。したがって,第三者委員会からは,そのいいぶんに「合理的な理由はない」と一蹴されていた。まさに愚答であり,醜態であった。

 それにしても,女子のほうが「18歳児における精神的な成熟度」が高いからこれを理由に,医学部入試のときに男子に対して障壁を設けるという理屈そのものが奇怪である。この理屈はそのまま裏返しにすれば,男子のほうが「体力的な成熟度」が高いからこれを医学部入試のときに女子に対して障壁を設けるという具合に,形式論理で敷衍的させて説明できなくもない。しかし,このような思考方法そのものが実は「世の中における男女差別」を正当視させる理屈を提供している。

 1年も前であったかどうかそのあたりはよく記憶していないが,近所の工務店(1階が作業場で2階が住居なので,この2階部分は実質3階に近い高さがあった家)の解体工事があった。その2階の屋根瓦を剥いでいるとき,本ブログ筆者の書斎の窓を通してちょうど,その作業状況がよくみえる位置関係にあった。みていると小さい身体の男子が屋根の上を歩きまわりながら瓦を剥いでいる。ところが,よくみているとお尻がずいぶん大きい “身長の低めの男子” だと思っていたその人は,若い女性であった。

 四半世紀か半世紀も以前であったならば,解体工事で女性が高い3階相当の建物のその屋根の上に登って,瓦を剥いだりする作業に従事したりはしなかった。想像すらできなかった。そもそも「女にはそのような危険な仕事はさせなかった」。本ブログ内ではいままですでに,女性の大型ダンプ・トラックの運転手(これは約15年前の記憶)の例や,パワーシャベルを操る女性の例(今年)を紹介してみた。
  各国男女医師比較統計図表
   出所)http://honkawa2.sakura.ne.jp/1930a.html
   補注)この画像資料を借りた記述には,つぎのように解説する段落があった。適切な指摘である。

  「日本の女医比率はOECD諸国のなかでもっとも低いという特徴がある。日本に次いで韓国がやはり20%台と低くなっており,医学がインテリのみが習得できる輸入学問だったという “後進国としての歴史的背景” や “教え諭すような立場” には男性が就くのが適切だというような,儒教的な文化背景が影響している可能性があろう」。
 男女間にはたしかに「体格・体力」面で絶対的な性差がある。だが,この性差を男女間において,なにに関してでも絶対的に区別(差別)する基準に使うのは厳禁であり,そのための絶対的な根拠はない。

 ところが,日本の大学医学部では外科医(執刀)には体力が必要だという基準・条件を絶対化した既定(固定)観念がある。女性の外科医が皆無であるわけでもない。それでは,女性医師が半分以上を占める国々の場合,この女性たちがどのような診療科についているのかまで調べての話題とする余地も生まれる。

 ②「女子はコミュニケーション力高い ある意味で男子を救うためだった 順大,不適切入試で会見」(『朝日新聞』2018年12月11日38面「社会」)

 この記事には「▼1面参照」とあるので,重複する記事の部分ははぶいておき,つぎに引用する。

 「受験生,保護者,関係者に多大な心配とご迷惑をおかけし,深くおわび申し上げます」(前掲の画像参照)。午後4時に始まった会見の冒頭,新井一学長と代田浩之医学部長は,深く頭を下げた。

 順大が文部科学省から「不適切」との指摘を受けて,10月に設置した第三者委員会の報告書は,女子と浪人回数の多い受験生を構造的に不利に扱っていたと指摘した。出願者の半分近くを占める「一般A方式」の1次試験では,一定順位を下回る受験生については性別,浪人回数,調査書の評価によって異なる合格基準を設定。女子や浪人回数の多い男子は,2次試験に進むことが困難だった。
『朝日新聞』2018年12月11日朝刊38面順天堂大医学部問題

 面接などをおこなう2次試験では地域枠と国際枠を除くすべての入試区分で,男女について異なる合格ラインを設定。順大は1次試験の順位をランクごとに分け,2次試験の成績(満点は5.40~5.65点)を組みあわせて合否判定する。1次試験の評価が男女で同じランクの場合,女子の2次試験の合格ラインが0.5点厳しかった。この仕組みは遅くとも2008年度からおこなわれていたという。

 報告書によると,順大は男女で異なるとりあつかいをした理由を第三者委に「入学後に男性の成熟が進み,男女間のコミュニケーション能力の差が縮小され,解消される」と主張。多数の教職員が「女子受験者に対する面接評価の補正をおこなう必要があった」と説明し,医学的な検証をした資料として学術誌の論文も提出していた。だが,第三者委は「面接では受験者個人の資質こそが性差よりも重視されるべきだ」と指摘し,「合理性はない」と退けた。
 補注)基本的な疑問がある。医学部の入試判定,もちろん2次試験においてであるが,「コミュケーション能力の差」をどうやったら適切に審査し,評点化できるというのか理解できない。

 受験の段階において “男女間にある” とされたその「コミュケーション能力の差」は,2次試験(面接や小論文)を介しての判断となるわけだが,どのくらいの精度をもって判定できるのか。疑問は尽きない。

 第三者委の批判は当然であって,当初よりうまくとりあつかえるはずもない「入試判定のための審査事項」(内部秘)が,審査そのもののためではなくて男女差別のために転用されている。不当である。

 〔記事に戻る→〕 順大は医学部の1年生が全員,寮で生活する。順大は「女子寮の収容力に限界があり,合格者を制限する必要があった」とも述べたが,第三者委は「新たな寮ができた後も合格判定基準が変わっていない」として合理性を認めなかった。
 補注)この申しわけも,なににもならない話は,ただ程度が悪いというほかない。私大医学部・医科大学は現状において,受験市場にあってはいわば,買い手市場にある。

 昨今の受験事情。医学部人気によって応募者数が多い。もともと受験先としては難関である医学部であり,倍率が低めのところであっても “偏差値的にはより高い水準” に着けている。したがって,その倍率(低めであっても)は,そう簡単にはそのまま受けとれない。入試不正をおこなっていた各大学医学部・医科大学は,以上(記事)のごとき「理屈にもなりえない理屈」を平然と,それも第三者委員会に対する回答として申し述べてもいる。これには呆れる。

 2017年度と2018年度の2次試験を再判定した結果,計48人(うち女子47人)を追加合格とし,今後,12月28日を期限に意向を確認して希望者全員の入学を認める。その分,2019年度入試の募集定員を減らす。2年間の1次試験で不合格とされた計117人には入学検定料を返す。2016年度以前の受験生については補償を含めて「考えていない」という。
 補注)東京医科大学医学部も,事後に対する対応・善処策をめぐっていえば,まだまだその処理姿勢には高慢なものを感じさせていたが,この順天堂大学医学部も同じ印象を強く与える。注意すべきは,2016年度より以前の始末は対応できなくなっているし,ともかく,当面の後始末をしておけばいいのだという姿勢も感じられる。

 順天堂大学医学部の場合,その48人のうちいったい何人があらためて入学を希望するか,いまのところ不詳である。多分,その半分も応じないのではないか。順天堂大学医学部を受験して合格するには,この医学部の偏差値に鑑みて判断するに,すでにほかの私大医学部・医科大学や国公立大学医学部に進学した者(総じて学力が高い)が,その48人には相当数含まれているはずだからである。


 北里大も〔12月〕10日,2018年度の一般入試で繰り上げ合格者に連絡するさいに,男子や浪人年数の短い受験生を優先させていたと公表した。北里大によると,入学者に占める女子の割合や,22歳以上の受験生の合格率が,ほかの私立大医学部より高いという。担当者は「合格した男子学生の辞退率が高く,抜けた部分を埋め合わせるためだった」と話した。(記事引用終わり)

 参考にまで,ある受験産業筋の医学部偏差値(2019年度向け)は,順天堂大学医学部「70」(私立大学部門では慶應義塾大学医学部が最高の数値で72.5),北里大学医学部「62.5」(ほぼ最低線の数値)と出ている。前段記事の内容を理解するに当たっては,関連させて理解しておきたい受験事情の「数値」である。

 だが,この事情(「合格した男子学生の辞退率が高い点」)が北里医学部の受験生に対して「男女差別」を導入させている背景になっていると聞かされ,なんとも度しがたい操作をしているものだとも感じる。補欠(追加)合格の順序にまで男女差別をもちこむとは,それこそ「あの手この手による,なんというか,涙ぐましいまでの努力」を傾注した「男子学生獲得作戦」になっている,それほどまで医学部における女子学生の存在は “まずい・いけない” という位置づけなのか?

 ③「順大医学部,女子と浪人165人を不合格に 2017・18年度,入試差別で 北里大も不適切認める」(『日本経済新聞』2018年12月11日朝刊42面「社会1」)

 この記事も,① ② と完全に重複する部分は,極力のぞいて引用する。

 --順大は文部科学省から不適切な入試の可能性があるとの指摘を受け,10月に第三者委員会を立ち上げ調査していた。新井 一学長は記者会見で「受験生や保護者らに多大な心配や迷惑をかけ深くおわびする」と謝罪した。
『日本経済新聞』2018年12月11日朝刊順天堂大学医学部画像

 第三者委の調査結果によると,不適切な扱いがあったのは一般入試の「A方式」「B方式」やセンター試験利用入試など4つの入試方式。2次試験では4方式で一律に女子を不利にしていた。たとえばA方式では小論文,面接試験の点数(1.0~5.4点)で合格者・補欠者を決めるさいの基準点について女子を男子より0.5点高くしていた。

 1次試験では「A方式」で学力試験の成績が一定以下の場合,合否判定で女子や浪人生に厳しい基準を設けていた。〔というのは〕順大によると,女子の方が面接の得点が高い傾向にあり,同日の記者会見で「入学時点では女子の方がコミュニケーション能力が高い。男女間の差異を補正するものと考えていた」と説明。女子寮の収容能力が足りなくなるため合格者を抑えてきた経緯もあったとしている。浪人生の扱いについては,浪人年数と学力試験を組みあわせて評価していたため,一律の差別とは考えていなかったという。
 補注)この種の「入試不正・差別」をここで具体的にみると,「浪人した受験生」に対する差別が露骨である。「差別とは考えていなかった」という感覚そのものが不思議である以上に,なにがしらかの高慢さを伝えている。

 医学部の入試でなくとも,浪人ウンヌンで受験差別をしていたら,入試の公平性・公正性の前提は基本から崩れる。しかも,入試要項では浪人生に対する受験の制限・除外など明記しているわけもなく,まったく闇討ち的な仕打ちである。タチが悪いとまで批判しておく余地がある。

 文科省が医学部医学科がある全国81国公私立大の2013~18年度の入試を調べたところ,順大の男子の合格率は女子の1.67倍で,もっとも差が大きかった。順大は2016年度以前の入試についても第三者委で調べる。 (中略) 第三者委は18年度以外の入試も調べる。(引用終わり)

 この ③ の報道については,さらに「手術時の体力考慮,北里大が入試で現役男子優先」(YOMIURI ONLINE,2018年12月10日 20時49分,https://www.yomiuri.co.jp/national/20181210-OYT1T50084.html?from=ytop_main6)という記事から,つぎの文句を引用し,補足しておく。
 「北里大(東京)は〔12月〕10日,今年の医学部一般入試で,繰り上げ合格者として補欠者に連絡するさい,成績順ではなく,現役男子を優先していた」事実をめぐり,「不利益を受けた受験生に対し,第三者委員会の結果報告を踏まえて誠実に対応していく」としている。
 この「誠実」という言葉の意味,この理解には苦しむほかないが,入試不正・男女差別(浪人生も含む)が世間に露見した段階〔21世紀のいま〕になってようやく,その事実の正式な公表,謝罪,前後策などに触れたという前後関係は,とりわけ私立大学医学部・医科大学における入試の実態に対する「世間の批判」を強く惹起させている。

 ④「いま日本に『世襲』『偏差値エリート』のボンボン医者が急増中-医者の能力格差はこんなところにも… -」(『現代ビジネス』2017年12月28日。リンク先は末尾に註記

 1) 3割以上が
世襲
 こちらの話をキチンと聞こうともせず,流れ作業的に診察をこなすだけ。そんな医者に出会った経験をもつ人は少なくない。もしかしたらそれは,世襲の「ボンボン医者」かもしれない。「医者に世襲が多いのは確かである。半分以上は,親族の誰かに医者がいる家庭でしょう」と語るのは,近畿大学医学部講師の榎木英介氏である。

 とくに近年,その傾向は顕著だ。京都大学名誉教授の橘木俊詔氏らの研究によれば,医者の父親に生まれた男子のうち39%が医者になっていると推計されている。さらに,すべての医者のうち,親が医者である人の割合は36%にのぼる。なかには,裕福な医者がなんとか子どもに後を継がせたいと考えた結果,カネを積まれてようやく医者になったボンボンも少なくない。
 補注)私立大学の医学部に入った「医者の子ども」のなかには,「札束を足台」にしてその正門をくぐってきた者もいた。私大医学部・医科大学の入試では,金力がものいう場面が皆無になっているわけではなさそうである。

 病院経営の経験がある男性がいう。「子供の成績が悪いほど,親はカネを積んでなんとかしようとします。まず医学部受験をするための専門予備校に通わせる。年間500万円近くとる詐欺みたいなところもありますが,親も必死だから払ってしまう。医学部も,偏差値が低く入りやすい私立ほど学費が高くなりがち。6年間で5000万円近くかかるところもあります」。

 「入試の段階で合格点に少し足りないとなると,大学のほうから『あと10点で合格ですが,1点100万円でどうでしょう?』と点数を買う提案をしてくることもある。親はそれにポンとカネを払う。そして入学後の成績が悪ければ,卒業できるか心配して『任意』の寄付を1000万円の単位で納めるのです」。
 補注)世間においては,医者になるためのこうした特殊な経路(金力でなんとかできる関門)が実際に存在するとなれば,これがとくに私大医学部・医科大学に合格するために生きる算段たりうるとしたら,こちらの領域では入試の公平性・公正性に「客観性・合理性」はない。

 医師という職業を世襲制にするよう私大医学部は協力していると指弾されていよい。成績優秀な高校生は,国公立大学の医学部・医科大学を狙うしかないのか? だが,国公立大学医学部に入学できたとしても,平均年収の保護者の家庭・世帯だとその可処分所得のうちの大枚を,医学部に合格した子どもを通学させるために費やすことになっている。

 私大医学部・医科大学の不正入試で「1点が100万円」などといった話は,平均年収の家庭・世帯には別世界の出来事であるが,こうした筋の話が現実としてまかり通っている。日本の政治家にはすでに「世襲3代目のバカ息子(ドラ娘?)」まで登場して久しいが,これを修正・改善するための選挙制度の変更・改革への動きは,いまのところまったくない。
 補注)政界における世襲化の問題については,次稿を参照されたい。中村 仁「世襲議員が増え家業化する政界」(『アゴラ』2017年10月14日 06:00,http://agora-web.jp/archives/2028879.html)は,日本の政界における世襲化政治家の話題をとりあげて,アメリカのほうを観て,こう語っていた。
 米国の連邦議会では,世襲比率が5%といわれ,日本よりはるかに低率です。大統領選挙では,共和党の予備選で,名門ブッシュ一族のジェブ氏(前カリフォルニア州知事)が早々に撤退に追いこまれました。

 クリントン氏(クリントン元大統領の妻)も本選挙でトランプ氏に敗れました。国民の利害,社会構造が流動化しており,世襲を続けていると,社会の変化から取り残されるのでしょうか。

 --それでは日本の政界ではなく(は,さておき),医療界における医師の世襲はどのように理解すればよいのか? 少なくて主,いままでの私立大学医学部・医科大学では,その弊害を部分的には確実に再生産してきた。
 私大医学部・医科大学「入試不正」はこのたび,大きな関心を惹く新聞記事にもなってしまい,当該する大学医学部ではその不正を是正し,根絶せざるをえない立場に追いこまれている。それでも,現状のごとき日本の大学「医学部・医科大学」の入試のあり方,とくに私大の非常に高額な授業料など納付金のバカ高さは,公的教育としての使命・任務として再考する必要が強くあるが,いままでそのままに放置されていた。

 2)「ボンボン医者」と「偏差値エリート医者」
 こうしてボンボンたちは医学部に進学するが,そうなったらもはや医者になったのも同然だ。医師国家試験の合格率は毎年90%前後で安定しており,さして勉強せずとも,そのままもち上がりのようなかたちで医者になれるからである。たとえ技術もヤル気もなくても,医者にはなれる。そして順調にいけば24歳で「先生」といわれることになる。
 補注)途中ではあるが,つぎの記事を挿入しておく。かなり参考になるはずである。
 鳥集 徹「これが医学部大量留年の驚くべき実態だ 入ってから『医学部がこんなに大変だなんて知らなかった』『文春オンライン』2018/03/21,http://bunshun.jp/articles/-/6586〔~6586?page=2)から,しばらく適宜に引用する。

 異常な医学部受験ブームのために,医師になるモチベーションの低い人や,医師に向かない人たちが医学部に入ってくるようになりました。そのために,一部の医学部では別の問題も抱えています。それは「留年」です。

 とくに一部の私立大学では,大量の留年が発生しています。ある私立大学を卒業した研修医は,私の取材につぎのような衝撃的な事実を打ち明けてくれました。
 
 a)「ストレートに国試(医師試験)に受かったのは3分の1」

 b)「医学部がこんなにシビアな世界だと思っていなかった」

 c)「医師国家試験の合格率が高い大学の特徴」
  それは「医師になる」というモチベーションの違いなのではないかと思います。医師国家試験の合格率が高い大学は,授業料が免除される代わりに9年間の地方勤務が義務づけられる自治医科大学や,授業料を大幅に下げて偏差値がトップクラスになった順天堂大学など,優秀で「医師になる」というモチベーションの高い学生が集まる大学が多いのです。医学部関係者によると,医学部1年目から成績がいい学生は,卒業するまでずっとその成績を維持する傾向が強いそうです。

 d)「『医師にさえなれればいい』という開業医の子弟たち」
  一方,大量留年が発生している大学は,かつて「金を積めば入れる」と揶揄された1970年代に設立された私立の新設校に見受けられます。そうした大学でも偏差値が上昇し,現在では裏口入学はほとんどできなくなったといわれています。

 e)「私大医学部生はベンツやポルシェ,教授は国産車」 
  また,国立大学出身で,ある新設私立大の教授になった医師も,つぎのように話してくれたことがあります。

 「大学の駐車場にベンツやポルシェが停まってるでしょ。あれは全部,学生たちの車なんですよ。やっぱり,私大の医学部に入れるのは開業医とか裕福な家庭の子が多いよね。教授のほうが安月給で,僕なんて国産車ですよ」。

 裕福な学生が多くてモチベーションが低いうえに,まわりも勉強熱心でないために,そうした大学〔医学部・医科大学(当然に私大がほとんど)〕では大量留年が発生してしまうのかもしれません。学生を留年させるのは,大学側にも事情があります。国試合格率が低いと,文科省から補助金が削減されてしまうリスクがあるのです。みかけの合格率を高めるために,国試に受かりそうにない学生は簡単に卒業させません。

 f)「20人留年させれば1億円収入が増える」  

 g)「2017年の東大医学部の国試合格率は平均以下」 
  ちなみに,2017年の東京大学医学部の国試合格率は88.9%で,80校中46位と平均点レベルです。しかも既卒者(国試浪人)をみると,15人中6人しか合格していません。最難関の医学部といっても,入ってしまったら「並」の学生になってしまうのです。
 〔本文記事に戻る→〕 前出の榎木氏がいう。「『世襲医者』は二極化し,医者の間の能力格差を生んでいるように感じます。親が働く姿をみて自発的に医者を希望し,親もそれを応援したというタイプがいる。こうした医者には,仕事に適応できている人が多い。しかし他方で,強制され,無理に医者になったタイプはモチベーション〔やる気〕に欠ける。医者になっても『やらされている』感が強く〔しかも〕勉強不足。医療は人の命を預かる仕事ですが,こうしたタイプには大事な仕事をしているという覚悟も責任感もない」。

 だが一方で,「偏差値エリート」としてのし上がってきた医者に全幅の信頼を置けるかといえば,それはまた別の話だ。前出の榎木氏がいう。「偏差値エリートにも,成績がよかったからとりあえず医学部に来た,という人がいます。そういう人も責任感に欠けることが多い」。とくに近年は,かつて高学歴の理系学生が入社していた三菱重工や東芝といった企業が業績不振にあえいでいる。以前であれば,エンジニアになっていたはずの人材が,安定志向の風潮のなか医者になっていくといったケースは増える一方だ。

 世襲医者と同様,「別に医者になりたくはなかった」という思いを抱きながら働く偏差値エリート医者も多くなっていく。そうした人材に,「命を預かる気概をもて」といっても難しい。黙々とひとりで働くのが得意で,患者と密にコミュニケーションをとるのは苦手という医者は,実際に増えている。偏差値エリートや世襲がすべてダメ医者だというつもりはないが,患者の目をみて話ができないような医者にだけは,かかってはいけない。(『週刊現代』2017年12月23日号より)
 註記)https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53816
    https://gendai.ismedia.jp/articles/-/53816?page=2

 この ④ の記事の引用は,私大医学部・医科大学に多く発覚している入試不正と深く関連する議論をしていた。世襲医者(必らずしも学力面では秀でていない者も含み)を輩出するために存在してもいるのが「私大医学部・医科大学である」といわれかねない状態が,まだ残っている。最近では入試不正が舞台裏で密かにだが,平然とおこなされてきた。この入試不正によって,いまどきにまで「男女差別や浪人生差別」を発生させる温床を提供されていた。

 世襲医者の場合,息子だけでなく娘も医者にさせたいという希望をもつのは,当然とも思われる。だが,そうなると,今回における入試差別の問題に対する観察の方法は,さらにややこしくなるかもしれない。それでも,私大医学部・医科大学への裏口入学の手順(手の内)のひとつであった,例を挙げれば「1点100万円」という点数の売買基準にかぎっては,当面する「男女差別」はなかったと思ってもよいのか。

 現役で開業する医者が,自分の息子・娘を医学部に入学させたいとなれば,2千万円や3千万円(試験の点数のうち 20点から30点獲得!)(入試総点の2~3%分をかさ上げするための金子)くらい,たいした負担感もなくサイフから出すのではないか?

 今回における医学部入試不正の問題発覚を契機に,日本における医師養成のあり方,なかでも奨学制度の問題を他方の重点にも置き,抜本的な変革を図る必要がありそうである。

 もっとも,私立大学の医学部・医科大学に関していえば,庶民感覚からみて,あの「バカ高い授業など納付金の問題」はそう簡単に負担できるわけはない。日本の高等教育制度の一環を形成している医学部教育制度のあり方に対しては,根本から手をくわえるほか「手立てはあるまい」。

 安倍晋三君の為政下では,とうてい無理だが……。

 ⑤【補  論】
 町村泰貴「順天堂大学に見る公平と差別」(『BLOGOS』2018年12月11日 08:36,https://blogos.com/article/344456/が,順天堂大学医学部のいいぶん(空虚な屁理屈)を批評していた。全文を引用しておく。① に詳説し,批判した順天堂大学医学部側のその回答のおかしさが,的確に指摘されている。

  「大学受験時点では女子のほうが精神的な成熟が早くコミュニケーション能力が高い傾向にあり,判定の公平性を確保するため男女間の差を補正したつもりだった」〔という “非学究的な立場” から〕,順天堂大学が女子受験生を不利に扱っていた理由として,記者会見で説明したこの発言,あまりのことに呆れる声が大半だが,公平と差別の関係を考える絶好の素材ではないかと思うようになった。

 NHKニュースによれば,順天堂大学がやったのは「具体的には,1次試験で成績が下位だった受験生のうち,女子と浪人生がより不利になるよう合否判定をおこなったほか,小論文と面接をおこなう2次試験では,女子の合否判定の基準を厳しくしたということ」だ。そして上記の発言だ。順天堂大学 女子や浪人生に不利な合否判定認め謝罪。

 〔しかしながら〕通常,公平と差別というのは反対語といってもよいような対極的な概念だが,機械的な平等ではなく実質的な平等をめざして操作しはじめたとき,その操作に合理的な根拠が認められないときは差別となる。

 小学生とか,せいぜい中学生までは,女子の方が発育も早く精神的な成長も早いというのは経験則として私も賛同するところではあるが,成人年齢となるころまで成長に一般的な差が男女の間にあり,それは男子に下駄を履かせなければ不公正といえるほど定型的かつ顕著なことだと,順天堂大学はいうわけである。

 そういえば,東京医大の事例でも外野からは,成績順に合否判定すれば女ばっかりになって男性医師の激務に頼っている医療が崩壊するというのが擁護の声だった。流石にそれを公平だといいはるのは,初めて聞くのだが。よほど,医者とか医大の先生とかは女性に学力でコンプレックスがあるのであろうか。

 女性は情緒的で論理的思考ができない(から重職にはつかせない)的なものいいいは分かりやすい差別だが,逆に女性は一般的に出来がいいので不利に扱うのが公平だというのは分かりにくいが,結局女性というカテゴリーで不利益を押しつけていることに変わりはない。

 勉強ができるとかできないとかいうのは,性差ではなく,個体差であり,しかもたかだか大学受験で判定される学力差は,生来の才能の差ではなく個人の努力の差によるところが大きい。そして個人の努力は,それを可能にする経済的な環境とか,努力して難関を乗り越えようとすることを,親とか先生とか社会が後押しする環境にあるかどうかということによっても大きく左右される。

 難関を乗り越えようとする子供を応援しようという社会の態度は,男子の方が女子より一般的に有利であることはいうまでもあるまい。そうした社会構造が変わらないかぎり,女性に有利な仕組を組みこむことはアファーマティブアクションとして是認されても,その逆は正当化の余地なく不当な差別なのである。

 そういうわけで,順天堂大学の冒頭の発言は,実質的な公平と差別との関係を考える教材として,長く語りつぐことにしよう。(引用終わり)

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 【どこの・誰(組織)に責任があり,組織(誰)がどのようにこの医学部入試不正の問題を基本からみなおし,抜本的な対策を立てるのか,非常にあいまいである医学界関係・諸組織の意図的な不透明】


 ① 是正されず自浄作用もないまま長年の積弊「入試不正」を無感覚に継続してきた医学部:医学界のぬるま湯的な基本体質

『朝日新聞』2018年12月9日朝刊35面私立医大入試不正 昨日〔2018年〕12月9日『朝日新聞』朝刊「社会」面に,「3医学部、特定者を優遇 不適切入試,一斉公表 岩手医科大など」(「など」とは金沢医科大・福岡大学医学部のこと)との見出しの記事が出ていた。この3大学医学部における入試不正の内容については「表」(右側)に整理されている。
 註記)『日本経済新聞』2018年12月6日夕刊には「順〔天堂〕大の女子・浪人差別認定 第3者委,医学部入試巡り」という記事も出ていた。さらに既報ではあったが,国立大学の神戸大学医学部では「地域特別枠の受験生」(臨時定員増枠)に限って,兵庫県内でも高校が位置する地域の違いを基準に「推薦入試の受験生に対する点数差別」をおこなっていた事実も判明済み。

 今年〔2018年〕夏から明らかにされてきたこの「医学部入試不正」問題の発覚に関して共通する「大学側の反応」は,すでにその入試不正ぶりが世間にしられている東京医科大学や昭和大学医学部など(順天堂大学医学部もさらにこれにくわわる)の事例から判明している様子と同じであって,参照した前掲『朝日新聞』12月9日の記事は,冒頭でこうまとめていた。
 岩手医科大,金沢医科大,福岡大の3私立大が〔12月〕8日,一斉に各大学で会見を開き,医学部入試で「文部科学省から不適切な点があると指摘された」と公表した。募集要項で明記せずに現役生や地元高校の卒業生ら,特定の受験生を優遇していたが,いずれも「問題ないと思っていた」と釈明した。
 つまり,大学医学部・医科大学における入試不正は「長年なされてきていた」けれども,当該大学側は「問題ないと思っていた」と自覚するかたちで,いいわけしていた。

 今年〔2018年〕8月,東京医大の入試不正がまず最初に社会に対して報道されたが,この場合は当時,文部科学省局長であった佐野 太が同省による「私立大学支援事業の対象校に選定」への見返りに,自分の息子を医学部の入試で合格させてもらった1件が発覚したのにともなって,女性や浪人生に対する入試採点「差別」も大学内・裏舞台で実行されていた事実も明るみに出た。

 その間,予備校産業側からも医学部入試では従来,女性が不当に差別されているとか,浪人生も(とくに2浪以上に合格条件がきついようだからきっと)差別されているのではないかといった,過去からの「それなりに蓄積してきた情報・分析にもとづいた指摘」(実感・批判)も提示されていた。そうした疑いがこのたび一気に浮上して,オモチャ箱をひっくり返したかのように表面化し,いよいよその不正入試の全体像が白日のもとに晒されていくらしい状況となった。

 文部科学省の立場としてもこの重大事を黙過することはできず,東京医大の件を契機に全国すべての大学医学部・医科大学に対して,聞取調査を実施してきた。ただし,同省が調査に当たりみせている姿勢は,各大学医学部の入試当局の事情を聴取し,関係資料を提示させるという方法を採っている。だが,それがはたして,各年次における各大学医学部入試に関する,より具体的な資料(学生個人の入試記録そのものにまで)に即した「精査」になりえているのかと問えば,報道で読むかぎりその詳細は不詳だと受けとるほかない。
 補注)文部科学省の関連する説明は,『医学部医学科の入学者選抜における公正確保等に係る緊急調査について(※)』(ネット住所は,http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/senbatsu/1409128.htm)に,関連する調査結果がそれなりに詳細に報告されている。だが,これはどちらかというと「定性的な分析」に重点があって,個々の受験生に関する統計情報をこまかくとりあげた,いわば個別になる「定量的な解明そのもの」にまでは徹しえないというか,十分には聞きとれていない結果になっている。いわゆる隔靴掻痒である。

 だからか,『前掲(※)』のなかに公表されている文書,『医学部医学科の入学者選抜における公正確保等に係る緊急調査の中間まとめについて』は,「医学部医学科の入学者選抜における公正確保等に係る緊急調査の中間まとめ」として,2018年10月23日の時点ではまだ「30大学に対して訪問調査を実施し」たにとどまり,「残りの50大学に対しても,順次,訪問調査等を実施している」ところだと報告されていた。ともかく今回における問題の対処方法に関しては,つぎのように要点が説明されていた。

  ※-1「複数の大学においては,不適切である可能性の高い事案が発見されており,現在,それらの大学に対して,速やかに詳細な事実関係を確認し報告するよう指導している」。

  ※-2「文部科学省においては,不適切である可能性の高い事案が発見された場合には,大学として事実関係を明らかにした上で自ら公表を行い,入試の改善や不利益を被った受験者の救済など必要な対応を取られることが重要であると考えております」。

  ※-3「 引き続き,文部科学省において訪問調査等の調査を実施し,本年末までを目途に最終的なとりまとめを行いたいと考えています」。

 ② 医学部入試不正の問題じたいをどう考えるのか

 ① のとおり 2018年12月9日『朝日新聞』朝刊「社会」面に「3医学部,特定者を優遇 不適切入試,一斉公表 岩手医科大など」という記事で報道されたのは,その後にも継続されてきた文部科学省の調査により,解明がなされた事例である。しかし,それにしても同省は「不適切である可能性の高い事案が発見された場合には,大学として事実関係を明らかにした上で自ら公表を行い,入試の改善や不利益を被った受験者の救済など必要な対応を取られる」ことを期待するといった “指導法” をおこなっている。

 しかし,各大学医学部における入試関係の資料は個人情報であっても,個人を特定できないように遮断(マスクをかける手順)をほどこしておけば,その生の資料を提出させ,入試判定に関して不正がないかの一部始終を精査することは,けっして不可能ではない。過去におけるその関連資料は,どの大学でもきちんと保管しているはずである。

 だがまた,前段のように「大学として事実関係を明らかにした上で自ら公表を行い,入試の改善や不利益を被った受験者の救済など必要な対応を」するように文部科学省が期待するといっただけでは,今後「入試不正を暴かれたくないそれもとくに私大医学部・医科大学」が,できるだけその期待を薄めるために対応・工夫をしないという絶対の保証はない。国公立大学医学部のほうでも,基本的は同断であるとしかいいようがない。
 
 すなわち,このさい,性善説の立場で今回の問題:入試不正を調査していたのでは,いつまで経っても「かゆいところに手が届くことがない」,あるいは「かなりの程度は重箱の隅をつつく」ような調査で終わりかねない事例が出てくる。そして,そのまま残こされるかも(消されてしまうかも)しれない,という予想をもしておく余地がある。

 2018年12月に至ってからも文部科学省の調査によって,とくに私立大学医学部・医科大学における「女性・浪人(多浪になると顕著な)に対する受験差別」が徐々に判明している。さらに触れれば,国公立大学を含めて,これからもまだまだ,受験差別に関する各様な諸問題が表面化する可能性がないとはいえない。

 今回における「医学部の入試不正問題」の根本に控えている “なんらかのみえにくい実体” は,さきほど指摘してみたように,大学側がいままでは「その不正問題」そのものについて「問題がないと思っていた」などと「釈明できる」ごとき,その常識というか良識のなさに探ってみたらよいのである。

 なかでも,私大医学部・医科大学は国庫からの経常費等補助金を多額に受けていながら 補注),自学出身者の子どもに対して優先的な入学枠を設けるといった,文字どおりに不公正・不公平な入試を,しかも裏舞台的な操作をおこなうかたちで実施してもいた。いずれにせよ,入試不正の問題が発覚してからというもの,こんどはその不正入試のためにいままで不合格にされてきた受験生を,どのように救済・手当すればいいのかといった話題も随伴させていた。だが,こちらの問題をどう手当すればよいのかについて,まともな議論をしてくれる者(教育学者や社会教育学者たちのこと)がいない。
 補注)『私立大学等経常費補助金取扱要領 私立大学等経常費補助金配分基準』(https://www.shigaku.go.jp/files/29.pdf)があるので,くわしくはこちらを参照されたい。(画面 クリックで 拡大・可)
平成29年度文部科学省の経常費等補助金一覧43稿

 この『平成29〔2017〕年度私立大学等経常費補助金 学校別交付額一覧大学』( 573校)(https://www.shigaku.go.jp/files/s_hojo_h29a.pdf) には,上のようにこの1頁にまず「全国の大学43校」分が出ているが,そのうち医学部のある大学と医科大学が23校も登場している。医学部がある大規模大学と単立の医学部の両方があるが,ともかくともに,医学部で(が)あるため経常費等補助金は大きくなっている。

 たとえば,こういう記事があった。「【文科省汚職】東京医大,裏口入学者どうする  減点不合格の救済は? 補助金減額や返還も…くすぶる火種」(『産経ニュース』2018.8.20 07:00,https://www.sankei.com/life/news/180820/lif1808200004-n1.html)から引用する。
 報告書は,昨〔2017〕年と今〔2018〕年の医学部医学科の1次試験で計19人に最大49点を加点したと指摘。今年の対象者には,文部科学省の私大支援事業をめぐる汚職事件で,受託収賄罪で起訴された同省前局長の佐野 太被告(59歳)の息子も含まれ,10点が加点されていた。

 大学側はとりわけ佐野被告の息子の対応に慎重だ。報告書でも退学と地位保全の考え方が併記されている。内部調査委は刑事手続で賄賂が没収対象となることから,「合格者の地位」を賄賂とみなせば,「自主退学を勧める選択肢もありうる」と言及。ただ,加点しなくても合格していた可能性があり,息子が得点調整を認識していたなどの事情が認められないかぎり「地位を奪う処分は難しい」とも指摘している。
 この場合,問題点があることにすぐ気づく。佐野 太の息子の入試判定・点数の場合「10点が加点されていた」という事情であるが,入試における実際の合格点(点数の水準)に照合すればすぐに分かる事項(事情)であるから,その『本当の合否』が分からないわけがない。すでに,文部科学省の調査のみならず,刑事事件となって司直の手も入っているこの東京医大に関して,その点が分かっていないというのは解せない点である。

 ところが,いまごろにもなってこのような報道(『産経ニュース』の記事)がなされたのには,不審を抱くほかない。佐野 太の息子(貴徳君)の “実際の合格点” ,つまり「10点の水増し」がなされる前の点数が何点であったか,その加点がなくとも合格していたか否かは,すでに分かっているはずである。この息子君が本当に合格点に達していたのかどうかについては,関連する入試の資料も残っていて,これをみればただちに簡単に判明する事項である。

 したがって,佐野貴徳君の場合について「加点しなくても合格していた可能性」とかとなんとかと,いまごろになって,わざわざいちいち言及すべき事例ではない。ということで,なぜすでに分かっているはずの「受験者としての佐野貴徳」に関する入試判定資料に関する基本的な情報(不正がないとしたときの実際の合否判定)を,世間に伝えないようにしているのか,たいそう不思議である。

 文部科学省なりにあるいは捜査当局なりが,点数そのものが公表できないならば(事件の性格上公にしてもなにもまずいことはない),合否判定基準(その本来の合格点)に沿って「どうであった」か,今回の事件については明らかにすべきである。東京医大側が懸念する法的な問題点はそのあとに考えればよい。

 結局,『東京新聞』2018年12月8日夕刊の記事でみると,ここでは繰り返して同じ内容の記事となるが,「 岩手医科大,金沢医科大,福岡大の私立大3校」「医学部の入学試験や編入試験で,長期浪人生に加点しないなどの不利な得点操作をしたり,地元出身者を優遇したりしていた」ということであり,「医学部入試をめぐっては,東京医科大や昭和大,神戸大で不正な得点操作などがすでに判明。地方の私立大でも不適切な合否判定が横行している実態が〔より〕明らかとなった」というしだい。
    『東京新聞』2018年2月18日記者会見岩手医大ほか幹部
    出所)記者会見で頭を下げる岩手医科大の祖父江憲治学長,
        『東京新聞』2018年12月8日夕刊。
 以上のごとき事情の推移に対して「文部科学省は東京医大の不正発覚を受け,8月から医学部医学科を置く全大学への緊急調査を開始。3校は当初,不適切な事例はないと回答していた」が,この12月に至って,この3校側におけるそのウソ〔の自供(?)〕が露呈する顛末を迎えていた。

 そして「文科省は複数の大学に不正の疑いがあるとしながらも,個別の大学名は公表せず,自主的な説明を求めている。〔この12〕月内に最終報告をまとめる予定で,疑惑があるすべての大学名の公表に踏み切ることも含めて対応を検討している」といっているが,こうなると,まだ同じたぐいの「ウソ」を,いまだに秘かについている医学部・医科大学が他校にないとはいえない。

 ともかく,各大学医学部・医科大学はやましいことがないと自信をもって回答できるのであれば,個人情報が特定されない形式でもって情報をきちんと文部科学省に対してだけでも渡し,入試不正のない事実を社会に対して鮮明にすることは,ごく当然の手順である。しかし,いままでのところ,そこまでの説明はなぜか実行されているようにはみえない。

 文部科学省は “強制できるか・できないか” はさておき,いつまでも,まだ「複数の大学に不正の疑いがあるとしながらも,個別の大学名は公表せず,自主的な説明を求め」ていくという説明には,説得力がない。同省側においては,入試不正に関してその疑いを決定的に判断できる関係資料を把握できない場合も多くあるはずである。しかし,だからといって,入試不正を潜在させている該当の諸大学側が,できるだけその事実を隠しおこうとしているかぎり,今回のこの問題は「今後も未解明の部分」を残置させるほかない。

 ② 東京医科大学医学部「入試不正」問題の事後処理

『朝日新聞』2018年12月8日朝刊東京医大記事 『朝日新聞』2018年12月8日朝刊(39面「社会」)に報道された記事「東京医大,5人再不合格に」(「13版」の見出し・中見出しなどは「東京医大から薄い封筒…再不合格 5人入学認めず 『一度は 努力が無駄じゃなかったと思えたが』」)は,

 東京医科大は〔12月〕7日,2017年度,2018年度の入試で不正に不合格とされた受験生101人のうち,44人(男子15人,女子29人)の追加合格を認める一方,入学を希望した女子5人を改めて不合格にしたと発表した。

 同大は5人を再不合格とした理由を「定員に達した」と説明しているが,受験生の保護者は「受験生の気持をくみとろうとしなかった」と批判している。
 補注)この記事から読みとれるかぎりは,東京医科大学医学部の入試不正事件に対する後始末がいままでにみせてきた基本的な態度は,あたかも毎年度おこなわれている「通常の入試」の合否発表みたいな雰囲気をも漂わせている。そういっても語弊がない感想を抱く。
 

 〔記事に戻る→〕 同大は,女子や浪人年数の長い受験生の得点抑制や,特定の受験生への加点といった不正をしてきた。両年度について再判定した結果,101人が当時の合格ラインを超え,入学の意向を確かめたところ49人が入学したいと答えた。

 ただ,同大は,一般入試,センター試験利用の一般入試,推薦入試の区分ごとの募集定員から,再判定でも合格した「正規合格」の在校生を引いた数を追加合格の「上限」とした。この結果,2018年度の一般入試は29人(男子7人,女子22人)が入学を希望したが,24人目までしか入学を認めず,女子5人が再び不合格となった。

 同大は,センター試験利用を含めた2019年度の一般入試の募集定員について,予定していた計90人から追加合格者分を引いた46人とする。追加合格となった44人は来〔2019〕年の他大学の入試結果によって辞退できるが,その場合の繰り上げは再不合格とされた5人ではなく,2019年度入試の受験生から出す。
 補注)この事後に関する東京医大側の措置は,あくまで自学の都合を最優先させたかのようにしか映らない,過去において入試不正の被害者になった受験生たちに対する対応である。女子5人が「再び不合格」という事後処理の方法は,この該当者になった旧受験生の立場からしたら,このような不正事件の被害を受けた彼女らからみて,とうてい許容できない「一方的な後始末の仕方」(度重ねてのひどい仕打ち)である。

 2019年度の入学者数を配慮して東京医大側はそのような措置をしたと説明しているが,あと5名受け入れたところで(その分実員が多くなっても),1年次だけの過渡的なとりあつかいという対応であれば,それほど特別な問題(負担)は残らないはずである。文部科学省側もしぶしぶであっても了解はしてくれると思う。

 だが,東京医大のやり方をみていると,ともかくまるで通常の入試判定を裁いている感覚しかうかがえない。一方の文部科学省はあいもかわらず,つぎのように大学側の自主性ウンヌンを説くだけである。再度問うが,なぜ文部科学省はこのようにへっぴり腰同然の姿勢しか示しえていないのか。

 〔記事に戻る→〕 柴山昌彦文部科学相は7日の閣議後会見で,「不安定な状況におかれたうえに不合格となった人がいるという結果は大変残念」としたうえで,「(大学の)判断を尊重したい」と述べた。各大学の医学部入試を調べている文科省は,不正があった場合は自主的に公表するよう求めている。

   3大学がきょう会見

 〔引用中の記事の一段落を省略〕  「去年の努力,一度は無駄じゃなかったと思えたが」。東京都内の40代女性は〔12月〕7日,浪人中の長女(19歳)について,東京医科大から速達を受けとった。「封筒が薄いから,だめかもしれない」と思いながら開封すると,なかには「合否の再判定の結果について」のA4判の紙。ただ,はっきりとは書いておらず,「今回頂戴(ちょうだい)したご希望には沿えない結果となりました」という部分まで読んで初めて,再不合格だと分かった。
 補注)ここで参考にまで,就活戦線における「お祈りメール」の実例をひとつ挙げておく。
★ お祈りメールの内容(典型的な一例の紹介)★

    〇〇〇〇様

     × × 株式会社   採用担当でございます。

    この度は弊社にご関心をお持ちいただき,また,面接にお越しいただきまして,誠にありがとうございました。

    慎重に選考を進めた結果,誠に残念ながら今回は貴意に添いかねる結果となりましたことをご報告申し上げます。

    弊社にご関心をお寄せいただいたにも関わらずこのような結果となり,大変恐縮ではございますが,何卒ご了承いただければ幸いでございます。

    末筆になりましたが,〇〇〇〇様の今後のご活躍を心よりお祈り申し上げます。

     × × 株式会社  採用担当

 註記)https://rebe-career.co.jp/detail/4353/
 予備校で勉強中の長女には LINE で「東医だめでした。前進あるのみ」と伝えた。ニュースでしったのか,「5人しか落ちていないんだね」とだけ返信があった。午後10時過ぎに帰宅した長女は取材に「5人なら合格させてくれてもいいじゃないか,と思ってしまった」と話した。「一度は,去年の努力が無駄じゃなかったと思えた。でも,センター試験の1カ月前になって再不合格とされた。大事な受験の時に,気持をゆさぶられたくなかった」。

 女性は,東京医科大が11月に開いた説明会にも参加した。泣きながら質問する受験生の姿もあったが,「大学側は同じ内容をオウムのように繰り返すばかりで,受験生の気持を汲みとろうとしなかった。今回もこの文書だけです」。

 合格した受験生も複雑な思いだ。20代の女性は7日,「合格通知書」を受けとった。「ほっとしたというより,5人が落ちたと聞いて,その子たちに申しわけないです」と話した。現在は国立大をめざしており,受かったら東京医科大の合格は辞退するつもりだ。「大事な時期に振りまわされた。大学は責任をとり,せめて辞退者の分は入学希望者から出してほしい」。(引用終わり)

 このとおりである。東京医大が今回出した不正入試関連の後始末としての追加合格者44人からは,今後,一定数の辞退者が出ると予想して間違いない。そう思われるのだから,いまからこの事件がらみで “再度落とされた5人” (なぜか全員が女子受験生)を合格にしておいたほうが,賢明な処理方法であると思われる。本日のこのブログ記述の題名で「高慢である私大医学部」とかかげたゆえんは,以上で説明したつもりである。

 ③ 全国医学部長病院長会議という組織・団体とは?

  全国医学部長病院長会議のホームページ(https://www.ajmc.jp/)は,「本会議は,医育機関共通の教育,研究,診療の諸問題及びこれに関聨する重要事項について協議し,相互の理解を深めるとともに意見の統一をはかり,わが国における医学並びに医療の改善向上に資することを目的とする」と謳っている。

 今回発生した医学部不正入試について「本会議から発信した指針・ガイドライン等をご覧いただけます」という項目(リンク先住所)が,そのホームページの表紙に掲載されていて,この入試不正の問題に対する意見表明がないわけではないものの,まるで他人事にも聞こえるそれであった。この問題が世間に発覚してから「この会議が公表した文書」は,次段の※3点であった。

 さきに断わっておくと,これらの文書は事件後に公表されたという意味では,ほとんど意味がない中身である。本来,このような「基本線=規範」が “なぜ遵守されてこなかったのか” という肝心の点についての「自己内省的な含意」は,感じとれない。つぎの※-1を読んでみれば,その点はすぐに気づく。

 入試不正をしていた諸大学も含んで組織する団体「全国医学部長病院長会議」に向かい,これ以上に深まった意見の披露を求めても画餅に終わる。いずれにせよ,当事者が組織する「会議」であるにもかかわらず,第3者機関みたいな調子でもって,いわば無責任とも感じられるお説教的な論調で「回答」されているのである。

 ※-1 2018年11月16日
      「大学医学部入学試験制度に関する規範」についてプレスリリースを行いました。⇒ https://www.ajmc.jp/pdf/20181116_01.pdf

 ※-2 2018年11月02日
      「女性医師等のキャリア支援連絡会議 全国会議」を開催いたしました。⇒ これはリンクの案内は不要。

 ※-3 2018年10月13日
      「公平・公正な医学部入試の在り方の検討について」プレスリリースを行いました。⇒ https://www.ajmc.jp/pdf/20181013_01.pdf
            
 以上の3点の文書を,順序は変えてつぎのように説明をくわえ,批判しておく。

 ※-2は,単なる会議開催の通知・案内であった。

 ※-3は,※-1の前ぶれ的文書で分量は1頁の文書。その結論が,※-3になっていた。

 ※-1を読んでみれば,この全国医学部長病院長会議という組織・団体の特性に気づく。入試不正をした諸大学も仲間に入れた組織の団体が,この全国医学部長病院長会議である。それゆえ,これ以上に “意見の披露” を求めても画餅に終わる。というのは,いずれにしてもこの「会議」は,いわば第3者機関みたいに,つまり無責任とも感じられるような『お説教的な論調』に終始した文書を,あらためてまとめ公表していた。

 全国医学部長病院長会議はこの名称のとおりであって,今年後半において世間を騒がせた入試不正問題を起こしている各大学医学部・医科大学の学部長と付属病院長も含めて構成されている組織・団体である。したがって,実際になにかを語る段となっても「前段の※-1」の内容のようにしか,奥歯にモノがいくつも挟まったような意見の表明しかできていない。おのずと限界があった。

 一方で「文科省は,不正があった場合は自主的に公表するよう求めている」のに対して,他方でこの全国医学部長病院長会議という組織・団体は,どこまでも総論的・一般論的にくわしい対策は明示している。この会議のほうは「自分たちの組織・団体」の内部における入試不正の問題であっても,あたかも「他者たちにおける問題」であるかのようにとりあつかい,論じたかっこうで,その是正・改善に向けた努力の方向性を具体的に指示しているだけである。

 だから,※-1の文書「大学医学部入学試験制度に関する規範」を読んでみると,その全国医学部長・付属病院長会議は,各大学医学部・医科大学に対して「当事者の話題ではなくて」,あたかも「第3者の立場から」しごく単純に意見したかのような内容にしか受けとれない。要は不徹底であり,肝心な点について,おたがいを傷つけないための最大限の考慮をくわえた発言で一貫している。いうなれば,身内同士のアイマイなやりとりであり,いわゆる出来レースほどにもなっていない,八百長試合というほどでもないフニャフニャした意見の開陳であった。

 ところで,会社関係の「会議」のもち方に関してだが,「会議にルールを設けなければ,『方向性がない会議』『意見が出ない会議』『社長の独演会議』を阻止することはできません」と助言されている点を参考にすると 註記),全国医学部長病院長会議という組織・団体がいまさらのように,※-1の文書「大学医学部入学試験制度に関する規範」をとりまとめていた点は,こう批判することができる。
 註記)https://www.syachou-blog.com/management/やってはいけない3つの無駄会議/

 今回の入試不正問題に関してだが,全国医学部長病院長会議という組織・団体が求められて回答すべき文書が作成されるとしたら,それは,文書「大学医学部入学試験制度に関する規範」をおさらい的に『再・表明』することではなかった。

 そうではなく,文部科学省が実施した「事件に対する聞取調査」に相当する,あるいはそれ以上にする本格的な独自の調査を,この会議じたいが独自におこなうことであった。自分たちの組織・団体のなかに “みずからメスを入れる” ことはできないわけがあるのか,身内同士にあってはきわめて甘い態度のまま,今後も過ごしていくつもりだとしたら,この全国医学部長病院長会議は,もともと入試不正問題を自浄する機能(対処しうる態勢)を,元来有しなかった「会議(体)」であったと判定せざるをえない。

 最後に一言しておくと,この「全国医学部長病院長会議」という組織・団体は,そもそも組織社会学的な本質が問題になっている。けれども,ここではあえて詮議しない。しかし,それなりに責任を負って動こうとすれば,なにかはできる組織・団体であるにもかかわらず,その動きはなかった。

 全国医学部長病院長会議の現会長山下英俊は,就任したとき,こうあいさつしていた。
 挨 拶

   山形大学医学部長  山下英俊

    2018年5月25日より全国医学部長病院長会議会長に就任いたしました。これから2年間よろしくお願いします。
 
    本会議は会員大学医学部の医学教育,医学研究,附属病院での種々の重要な課題を協議し,意見の統一をはかり,わが国における医学ならびに医療の改善向上に資することを目的とする法人組織です。この目的を達成するために,定款に則って活動したいと考えています。
 註記)https://www.ajmc.jp/about/message01.html
 「本会議は」「わが国における医学ならびに医療の改善向上に資することを目的とする法人組織で」あり,「会員大学医学部の医学教育,医学研究,附属病院での種々の重要な課題を協議し,意見の統一をはかり」,所為の「目的を達成するために,定款に則って活動したいと考えてい」る組織・団体だということは,その「種々の重要な課題を協議し,意見の統一をはか」れる範囲内でしか,今回におけるごとき『入試不正の問題』に向けた是正・改善策は,まともにはとれないと宣言したに等しい。実際においてもそうなっていた事実が証明されている。

 だから結局,仲間内での入試不正の問題に対しては「名指しで相手を批判する」ことなどまったく想定外であるのが,全国医学部長病院長会議という組織・団体の特性・体質なのである。それゆえ,事後における問題解決のよりよい(マシな?)方途は,なんとなく文部科学省に任せるだけの体裁になっていた。けれども,この文部科学省の行政による指導すらが,そもそも中途半端な要素を残していた。だからか,東京医大が事後の経過において示してきた「入試不正の被害者たちに対する後始末」をめぐりあらためて露わになった「高慢な態度」も,依然,払拭できる条件を与えられていなかった。

 なかんずく,「各大学医学部・医科大学 ⇔ 全国医学部長病院長会議 ⇔ 文部科学省」という三角関係(トライアングル)そのものに,根深い問題点が隠されていると推測する。なにごとにも徹底できない医学教育界的な様相を呈しているとでも形容したらよい,前段まで論じきた “ぬるま湯的な組織関連” の問題は,完全に真っ向から批判できる『さらなる第「4」者機関』を登場させたうえで,こちらに指導性を発揮させながら日本の医学部のあり方を是正・改善させる努力なしには,今回発生した当該問題に区切りがつくような進捗は期待できない。

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 【稼働停止にし,廃炉にできない「原子力発電所の裏庭」には,原爆など核兵器の生産・保有にこだわる「日本の軍国主義者」が待機して(隠れて)おり,安倍晋三はその代表者】

 【採算の論理・経営の基準でみたら,原発は国策として保護され民営として優遇されてきたからこそ成立できていたが,現在は斜陽産業どころか完全に無用で有害な産業である。しかも,産業廃棄物としては無限大的にやっかいものを残していくのが「原発という装置・機械」である】

 【いまや,本当のところでは財界でもお荷物になりつつあり,国民にとってはもともと大迷惑であった原発が,安倍晋三君にとっては「原発=原爆」である軍事的な観点があって,どうしても捨てられない「原発関連の産業部門」】

 【次世代の高速増殖炉を計画? 前世代のもんじゅは大失敗していたし,発育不全ではなかったか?】

 【小型原子炉の開発を計画するというが,大型が要らないのにわざわざ小型を作るという奇策の狡猾さ。なんの利点があるというのか】

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 【注意事項】 「本稿(1)」から読みたい方には,
       こちら( ↓ )のリンクへ戻って読みはじめてほしい。
     ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1073314775.html

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 ⑥「新小型原発,開発へ 温暖化対策を名目に経産省」(『東京新聞』2018年12月1日朝刊,http://www.tokyo-np.co.jp/article/economics/list/201812/CK2018120102000131.html

   『東京新聞』2018月12月1日原発画像1 『東京新聞』2018月12月1日原発画像2
 地球温暖化対策を名目に,経済産業省が新たな小型原発の開発を進め,2040年ごろまでに実用化をめざす方針を固めた。太陽光や風力などの再生可能エネルギーが世界的に普及しているなか,経産省は温室効果ガス削減には原発が必要と判断。将来の建設を想定しており,原発の新増設に道を開くことになる。
 補注)最初から断わっておく関連の事項がある。「温室効果ガス削減には原発が必要と判断」した「経産省」が「太陽光や風力などの再生可能エネルギーが世界的に普及している」現状を踏まえているなどと “いっている理屈そのもの” が,もとよりマヤカシである点に注意したい。原発を維持(再稼働)させるためであれば,どのような屁理屈でもこねくりまわす特技を駆使してきたのが,この「経済産業省の立場:作法」である。

 そもそも「温室効果ガス削減には原発が必要」という観点を批判しておくが,原発が炭酸ガスを出さないとした論法じたいからして,完全にウソであった。原発という装置・機械の「建設から廃炉:解体まで」の「全体の各工程」そのものからは,その直接・間接を問わず,温室効果ガスは大量に発生している。

 原発が核燃料を使用して電気をえているが,それは通常の工学的技術次元では出しえない高温(ここでは「高々温」「超高温」とでも名づけておく)を排出している現実を,しかと認識しておく余地がある。
     原発冷却塔画像3
    出所)これは原発が河川水を冷却塔で利用している様子,
       
https://tr.twipple.jp/p/37/901b9f.html
 原発が海岸沿いや河川沿いに立地するのは,その電力生産のために生かされなかった排熱(熱効率は3分の1に留まるゆえその3分2)を,海水や河川水で冷却する必要がある。その分(3分の2)はそのまま直接に「地球環境を温暖化させる」熱量として捨てられている。したがって「温室効果ガス削減には原発が必要」という解釈(原発は地球温暖化に関係がないという提唱)は,事実にもとづかない間違った主張である。

 〔記事に戻る→〕 新方針は11月14日,経産省内で開かれた非公開の国際会議で,同省資源エネルギー庁の武田伸二郎原子力国際協力推進室長が表明した。本紙は武田室長に取材を申しこんだが,応じていない。

 出席者らによると,武田室長は地球温暖化防止の枠組「パリ協定」実現のために,原発を活用する方針を表明。国内の多くの原発が2040年ごろに寿命を迎えることを受け,「将来も一定の原発比率を維持するには,新原発の建設に向けていま,準備を始める必要がある」と述べた。

 開発目的は「再生エネが増えていくので,これをサポート(補完)する必要がある」とした。天候で変わる太陽光などの不安定な出力をならす必要があり,既存の大型原発より出力を調整しやすい小型原発が必要との見解を示した。
 補注)経済産業省がこのようにもちだした「原発観に関する新しい理屈」は,非常に興味深い。本来,原発を維持していくために “再生エネは補完的な電源” だと位置づけていたはずである。ところが,この官庁がいまやその「真逆のこと」,つまり「主は再生エネ」であり「従が原発」であると,前後関係の脈絡がまったくつかない見解を示した。原発は「補完の電源」として位置づけるのが「日本の電源構成における基本理解」だといい出している。いままで聞いたことがない発想(着想?)である。

 従来とまったく逆の関係になった電源「観」が披露されたのである。「3・11」以前まであれば,あえて説明するまでもなく,しごく当然とされていた立場,すなわち『安全神話』(原発は安価・安全・安心だという「虚説」)に絶対的に依拠して明示されていた「主電源は原発」であり「従電源がその他の諸電源」であるといった「電源の組みあわせ型」が,いつの間にか逆さまの関係に置きかえられていた。

 もしも,小型の原発が開発されて実用化できたとしたら,もともと大ウソであった「安全神話」の本性,つまり,原発本来の技術的特性が「高価・危険・不安」である点がバレている現時点だとはいえ,この解釈(定義)を方向転換させて,こんどは,原発は「補完的な電源」としてであれば有用で便利だという理屈(論法)を工夫できるというわけである。

 こうして事前に宣伝された「小型原発に関する話法」は,ハチャメチャかつ支離滅裂の説明である。もともと程度の悪い〈東大話法〉の一例である。要は,それはとてもではないがまともな説法にはなっておらず,「ド・屁理屈」のたぐいであった。従来の大型原発を小型原発化する試みは,その危険性を細胞分裂的に分散・拡大させるほかあるまい。そう解釈するのが論理的にまっとうな予見である。

 しかし,それにしてもなぜ,このような背理そのものでしかありえない暴論の妄説が,経済産業省の正式な意見として公表されたのか。それなりに苦しい背景(経済産業省における原発政策のやりくりに関した台所事情)があるようにうかがえるが,この点はつづく記事が触れている

 〔記事引用に戻る→〕 また,使用済み核燃料からとり出したプルトニウムが国内外に大量に蓄積し,核不拡散の観点で各国の懸念が高まっていることから,プルトニウムを大量に燃やす原発が必要としている。東京など大都市圏の需要を満たすには大型の原発も必要とし,従来の軽水炉の改良もめざす。新しい方針は近く正式発表される。

 日本は今〔2018〕年から,原発を温暖化対策として進めるための国際的な枠組み「クリーンエネルギーの未来のための原子力革新(略称 NICE〔ナイス〕 Future(フューチャー〕)」に,米国やカナダとともに主体的にかかわり,参加国を募っている。今後,参加国の政府や企業との連携を検討し,3年以内に具体的な計画を策定する。
 補注)「ナイス・フィーチャー(nice future)」などといった表現・修辞をほどこし,「未来のための原子力革新」を試みるのだといったところで,すでに破綻していて妥当性など皆無の「原発による温暖化対策」を進めたいというのだから,これは程度の悪い下手なアドバルーン的な前宣伝である。その基本の発想:「原発による温暖化対策」という前提じたいが,完全なる誤説であった。にもかかわわらず,このボタンのかけ違いどころか「ファスナーにボタンをかけたい」とでも形容したらいいような,完全に倒錯した主張をしている。

 かつて,原発産業が冴えない状態だった時期を踏まえ,アメリカが「原発ルネッサンス」を提唱したことがあった。だが,今回における小型原発の構想は,この発想形態から推測すると,その「縮小版(矮小型)」だとでも受けとっておけばよい。なお「原発ルネッサンス」(2002年~2007年)とは,つぎのように解説されていた標語であった。
 近年〔同上の2002年~2007年〕の欧州や米国における,原子力発電の見直しと建設計画の動きを指す。原子力復権ともいう。

 具体的には,2002年5月に原発増設を決めたフィンランド(2005年に着工)や米国ブッシュ政権による原子力新設計画と「グローバル原子力パートナーシップ」,フランスの欧州加圧水型炉(EPR)の建設計画,英国『エネルギー白書』(2007年)での原子力再評価などを指す。

 原子力発電は,政治的な批判や一般市民からの不安感の根強さにくわえて,電気事業の民営化・自由化・規制緩和の流れのなかで,経営面・投資面からも魅力を失い,中国など一部を除いて原子力開発は停滞し,脱原発に向かった。日本でも1990年代末から急速に停滞した。しかし,

  (1)  米国で原子力発電所の統合によって規制緩和環境下で競争力のある原子力発電事業が登場したこと,

  (2)  地球温暖化防止や原油価格の急騰,エネルギー安全保障への対応策として見直されたこと,そしてやはり,

  (3)  米国・ブッシュ政権の強い後押しなどを背景に,原子力ルネサンスの動きが生じたとされる。

 ただし,飛躍的な拡大というよりも,既存原発の寿命延長や建て替えが主な市場である。原子力の抱える根本的な課題である巨大事故のリスクと核廃棄物の最終処分問題はなにも解決されておらず,原子力ルネサンスもあだ花に過ぎない,との声もある。
 註記)『知恵蔵』朝日新聞出版,2008年。執筆者,飯田哲也・環境エネルギー政策研究所所長。
 この解説は参照した文献が2008年の記述であり,2011年「3月11日」に発生した東日本大震災と東電福島第1原発事故以前に提供されていたものである。その後,この原発ルネッサンスが先細りになるほかなかった経過は,アメリカにおける原発の新設がどのような実績になっていたかをしれば,即座に理解できる。

 たとえば,『毎日新聞 ウェブ版』2016年6月3日(21時41分,最終更新 23時14分)の記事「米国 原発離れが加速『シェール革命』で押され…」 は,関連する事情を「建設構想,半数は頓挫」という見出しのもとに,つぎのように報じていた。
    『毎日新聞』2016年6月3日アメリカ原発事情

 米国の電力業界で,原子力離れの動きが続いている。電力大手エクセロンは〔2016年6月〕2日,赤字に陥った原子力発電所を閉鎖し,原子炉3基を廃炉にすると発表した。「シェール革命」で安価になったガス火力発電や再生可能エネルギーに価格面で押されているためで,米原子力業界によると,政府支援の強化がなければ今後10年以内に15~20基が廃炉になる可能性があるという。

 つぎの表は『日本経済新聞』2018年11月17日朝刊1面から借りたものであるが,世界における原発事業の展開模様に関する最新情報である。
    『日本経済新聞』2018年11月17日1面原発記事原発
 以上『東京新聞』の記事からの引用を,長く中断させる記述となっていたので,ここでさらに挿入しておきたい記事は,つぎの ② であらためて紹介することにし,ひとまず『東京新聞』の記事に戻る。

 〔記事に戻る→〕 政府が今〔2018〕年夏に決定したエネルギー基本計画は新型炉の研究を進めるとしたが,新設には言及していなかった。世耕弘成(ひろしげ)経産相は国会で「新設,建て替えはまったく考えていない」と答弁しており,新増設を想定した新方針は,従来の立場を翻すことになる。

 ※〔原発が〕将来に大きな負の遺産〔ある理由・事情の説明〕※

 1)「解 説」 東京電力福島第1原発事故から8年目,いまも多くの人が避難生活を強いられているなかで,政府は新型原発の開発方針を打ち出した。「温暖化対策」という国際的な約束を盾に,再生可能エネルギーとの共存を模索する。原発の生き残りを図ろうとする「原子力ムラ」の思惑が透けてみえる。

 政府は,2030年度に発電量の20~22%を原発で賄う目標を立てたが,稼働期間を最長の60年としても,達成はむずかしい。さらに,世界的に再生可能エネルギーが安くなり,事故対策でコストがかさむ原発は採算が合わない。

 そこで経済産業省がもち出した理屈が「温暖化対策のための原発」。国際的な枠組み「NICE Future」参加国の政府や原子力産業などとの連携をもくろむ。いまのうちに新設のめどを付け,将来にわたり原発を一定規模,維持する道筋をつける狙いだ。

 だが,地球温暖化問題では,いまの世代が責任をもって,いかに「持続可能な社会」を実現するかが問われている。原発は発電時に温室効果ガスを出さないが,核のごみがたまる。小型原発でもこの点は同じだ。
 補注)前述においてすでに批判したが,原発も地球環境を温暖化させる「核エネルギーから超大量の熱量」を放出している事実に触れないのは,この『東京新聞』記事の説明不足である。

 核のごみの最終処分場は,日本ではみつかる見通しすらない。原発でごみを増やしつづけるのは「持続可能」どころか,将来に大きな負の遺産を残す。矛盾を抱えた政策に巨額の税金を投入することに,国民の理解がえられるとは思えない。
 補注)「国民の理解」がない点はそのとおり事実であるが,なぜ,経済産業省は小型の原発といった核発電装置を構想し,「本来の」観点であったはずの「原発に関する〈規模の経済性〉」から逸脱してでも「原発体制の維持そのもの」にこだわるかといえば,あとは推してしるべしであった。軍事的な視野を入れてそう構想している。本来であれば防衛省〔など〕がたずさわる領域であるが,現状ではそこまではできていない。

 2)「小型原発」 現在主流の軽水炉より小型の原発。従来の原発の出力が100万キロワット前後なのに対し,3分の1未満の出力となる。主要機器を工場で製造して現地で据えつけるため,コストが安くなるとされる。出力を調整しやすいという特徴もある。各国は1980年代からさまざまなタイプを開発しているが,実用化には至っていない。
 補注)「実用化には至っていない」この「小型の原発」が「3分の1未満の出力」である点は,建設「コストが安くなるとされる」といった未来形での説明として語られている。だが,こうした小型原発はいまのところ, “海のものとも山のものともつかぬ” 「奇抜な設計思想」にもとづいた,原発の「新型」風の形式だとこきおろしておく。

 原発の安全性に関して「出力を調整しやすいという特徴もある」と,この記事では説明されているけれども,依然,未知数に属する話題であった。単純に指摘してする。「原発神話も小型化し,分散化された」のだから,その危険性が解消される理由はなにもなく,もっと始末の悪い原発体制があらためてできる,とでも皮肉っておくのが適当であると。

 3)「パリ協定」 地球温暖化を防ぐため,各国が温室効果ガスの排出削減にとり組むことを定めた国際協定。産業革命前からの気温上昇を2度未満,できれば1.5度に抑えることをめざす。2016年に発効し,現行の京都議定書を引きつぎ,2020年に始まる。(『東京新聞』からの引用はここで終わり)
 補注)この地球温暖化の問題に対しては,原発産業側からすれば天敵みたいな識者:広瀬 隆が,以前より猛烈に批難を展開している。広瀬は『二酸化炭素温暖化説の崩壊』(集英社,2010年)を公刊していた。さらには,広井 有『地球はもう温暖化していない-科学と政治の大転換へ-』(平凡社,2015年)も参考になる見解を披瀝している。

 ここでは「排出取引」(英語:Carbon emission trading)という用語を説明しておく。これは,各国家や各企業ごとに温室効果ガスの排出枠(キャップ)を定め,排出枠が余った国や企業と,排出枠を超えて排出してしまった国や企業との間で取引(トレード)する制度である。排出取引という商売の枠組ができている。

 かつて,民主党政権発足時に最初の首相となった鳩山由紀夫が,民主党の環境政策として「二酸化炭素を2020年までに1990年比で25%,2005年比で33.3%削減して地球温暖化を防ぐ」という提唱を打ち上げたことがあった。これは1970年代における日本の二酸化炭素排出量に相当したが,その後における話題としては龍頭蛇尾の感がある。


 というのも,まだ民主党政権であった2012年1月,日本は温室効果ガス25%削減の撤回を表明していたからである。さらに2012年12月28日,再び政権与党となった自由民主党は,民主党政権がかかげた「前段」ごとき「国際公約」をみなおす方針とした。

 そして2013年1月25日,安倍晋三首相が温室効果ガス25%削減目標について,ゼロベースでの見直しを指示していた。結局,2013年10月になると,安倍首相は閣僚との協議で,2005年(の Co2 =12億9300万トン)比で,日本の Co2 の排出量をマイナス6%~7%を目標にするという考えを示した。
 註記)この段落は「二酸化炭素25%削減」『ウィキペディア』参照。

 ⑦ 「なぜ脱原発?  原子力に頼らない社会をめざす『10の理由』」(『原子力資料情報室』の「HOME > 原発きほん知識 > なぜ脱原発?」,http://www.cnic.jp/knowledgeidx/why)参照

 脱原発とはその名のとおり「原発(原子力発電所)のある社会から脱け出すこと」を意味する。その数ある答えでもとくに重要と考えるのが,つぎの脱原発の「10の理由」である。各項目にはくわしい説明がなされているが,若干そぎ落とし,必要な文言のみ抽出しするかたちで参照する。

  放射能災害の危険性がある
 このまま原発の運転を続ければ,地震や津波,人為的ミスなどさまざまな原因によって,またいつ,つぎの大事故が起きても不思議ではない。

  放射性廃棄物という「負の遺産」を発生させる
 それら放射性廃棄物の中には10万年以上も隔離が必要なものも存在し,このままでは後世にゆだねる「負の遺産」がますます増える一方である。

  核拡散の危険性がある
 原子力発電を続けるかぎり,新たに「核兵器国になろう」とする国や「高濃縮ウランやプルトニウムを奪って核爆弾をつくろう」とする集団が現れることを防げない。

  事故がなくても労働者の被曝をともなう
 原発だけでなく,ウランの鉱山や使用済み燃料の再処理工場においても,大勢の人たちが放射線を浴びながら働いている。労働者の被曝なくして,原発は動かないのである。

  関連施設にも大きな危険や問題がある
 原子力発電では,ウラン鉱石を掘り出し燃料を製造する施設や,放射性廃棄物のあと始末をする施設など,いわゆる核燃料サイクルの関連施設が数多く必要となる。これらの施設も原発同様で,さまざまな事故の危険性を抱えており,労働者が被曝し,また放射能のごみを大量に発生させている。

  地域の自立や平和をそこなう
 原発の立地自治体では,電源三法交付金などにより財政が一時的にうるおうため,これに依存した地域は,経済的な自立が妨げられている。また,地域住民のあいだにそれまで存在しなかった「賛成」「反対」の対立をもちこみ,たいへん大きな問題となっている。

  つねに情報の隠蔽や捏造などが,つきまとう
 原発をめぐる産・官・学の特定の関係者の間で「原子力ムラ」と呼ばれる風土が形成され,オープンな議論ができない環境ができあがっている。科学や技術の分野には批判的精神が不可欠であるが,研究費や人事を通してそれらが損なわれ,原子力の研究にかかわる大学や研究者には利益相反の疑いも生じている。

  省エネルギーに逆行する
 原子力自動車や原子力ストーブが存在しないように,原子力はほかのエネルギー源と違って,電気のかたちにしなくてはエネルギー利用ができない。しかも発電時のロスはきわめて大きく,発生した熱の65パーセント以上が温排水として海に捨てられてしまう。

 また原発は,電力需要の変化に合わせて出力を変えられないため,出力調整用の発電所が必要となる。つまり原発を動かすために,火力・水力などの発電所が余分につくられねばならない。つまり,原子力はエネルギー源としてたいへん無駄が多く,省エネルギーに逆行する。

  実は,温暖化をすすめる
 上述でも説明したように原発を増やせば,ほかの発電所も増えていき,原発が火力発電所よりも CO2 を出さないとしても,原発のある社会では火力発電所も必要とするため,最終的に CO2 を減らすことは叶わず,温暖化を止めることもできない。

 それどころか,CO2 の削減にもっとも効果的な「省エネルギー」に逆行する原発は,むしろ温暖化をすすめる存在である。原発に膨大な予算が注ぎこまれることで,私たちの社会は,より有効な温暖化対策に使うべきお金を失っている。

 10 実は大停電を起こしやすい
 大きな地震などがあると,多くの原発がいっせいに止まってしまうことがある。そしていったん停止した原発は,再稼働するまでに多くの時間がかかる。また,電力消費地から遠く離れた場所にしか建てられない原発には,長距離の送電が必要となるために,電圧や周波数の維持が困難になり,送電が止められてしまうこともある。このように原発は,安定的な電力供給どころか,大停電につながる要因を数多く抱えています。原発の占める割合が大きいほど,止まれば大停電になりかねない。(引用終わり)

 2018〔本〕年9月6日午前3時過ぎ,北海道胆振東部地震(地震規模はM6.7,震源深さ37km,最大震度は7)が発生した。このとき全道が停電(ブラックアウト)状態におちいり,企業生産活動や市民日常生活に大きな損害や支障が生じていた。この地震については留意すべき問題点があった。

 前段の記述のうち「ブラックアウト」の発生原因について,若干議論する。地震発生当時,その原因になったのは苫東厚真火力発電所がであった。けれども,仮に稼働を停止していた泊原子力発電所が稼働中であったならば,原発の大事故を誘発する危険性があったとして,つぎのように説明されている。
 広い面積で人口密度の低い北海道〔北海道電力〕では送電・配電コストが高く,また発電所の新設が遅れ発電コストもかかる。電力自由化で新電力との厳しい競争のなか,発電コストを抑えるには新しい石炭火力の苫東厚真火力発電所に頼らざるをえなかった。

 厚真火力発電所のダウンでブラックアウトに至っていた。発電と需要の地域バランスが良くないため,送電ルートの切断で需給バランスが崩れたりもした。さらに,本州と結ぶ北本連系線が直流送電だったため交流変換が必要で,全域停電では役に立たなかった。
 註記)「北海道胆振東部地震から学ぶ10個の教訓」,福和伸夫・名古屋大学減災連携研究センター長・教授稿『『YAHOO! JAPAN ニュース』2018/10/15 7:00,https://news.yahoo.co.jp/byline/fukuwanobuo/20181015-00100424/
 こうした原発問題の現状に対する基本的な理解を踏まえていえば,経済産業省が新たに小型原発を,それもいまの段階では「海のものとも山のものともつかぬ」「新型の原発」として構想を発表した事実は,『特定の他意』(軍事目的との関連性)を今後においても確実に留保しておきたいからだと断定してよい。

 同省はいまでは原発は電源のあり方としては〈補完〉だと認定しだしている。原発「観」に関するこの根本的な様変わりはみのがせない。無節操であるが,軍事部門への関連を配慮すれば,その遠謀深慮の根源はたやすく透視できるというか,隠しようもない自民党政権の意向である。

 むろん,以上のように説明し批判する事情に関する「商売としての原発事業」には,日本側におけるつぎのような実に馬鹿らしい経緯・事情も控えていた。

 ⑧「ババ抜きで掴まされた東芝 WHの原発撤退戦略の尻拭い」)『長周新聞』2017年2月3日,https://www.chosyu-journal.jp/seijikeizai/515
 この記事からは冒頭の段落のみ引用し,つづくあとは見出し目次を書き出しておき,そしてさらに最後の段落はついでに引用しておく。
 日本の有数の原子力メーカー・東芝が実質上倒産の憂き目にあっている。契機となったのは,〔東芝が〕2006年にアメリカの巨大原子力メーカー・ウェスチングハウス(WH)を傘下に置いたことであった。

 その時点ですでにアメリカでは原発事業は斜陽産業となっていたわけだが,当時のブッシュ政府は「原発ルネサンス」などとぶち上げ,日本政府に原発推進策をとらせ,東芝にWHを法外な価格で買収させ,日立とゼネラル・エレクトリック(GE)を提携させて損失を押しつけ,三菱重工にもフランスのアレバと提携させ,結局は,経営不振の尻拭いを日本企業に押しつけている。

 2011年に福島原発事故が起きてもなお,原発を成長産業であるかのように描き,事故を起こした本家本元の日本の安倍政府に原発輸出のトップセールスに奔走させ,東芝や日立,三菱もその気にさせていた。
 【参考資料】
    『朝日新聞』2018年12月6日朝刊2面原発輸出不調
  出所)『朝日新聞』2018年12月6日朝刊2面〈時時刻刻〉。
 だが,世界の趨勢は,1979年のアメリカのスリーマイル島原発事故や1986年の旧ソ連のチェルノブイリ原発事故,それにつづく福島原発事故を受けて明確に原発撤退に転換している。東芝の倒産騒動まできて,日本の原子力メーカーがWHやGEといったアメリカ巨大原子力メーカーにまんまとはめられ,巨額の負債を押しつけられたという顛末が浮き彫りになっている。
 
  思考停止と対米従属の産物  気づいたときには会社が倒産
  WHの損失丸ごと被る    対米従属の構図
  原発ルネサンス煽られ    実際は米国では凍結
  世界の流れは原発撤退    神話崩壊し転換

  こうした事態を10年以上も前に把握していたアメリカ政府が,原子炉メーカーであるWHやGEがかかえる負債の尻拭いをする企業として,日本の東芝や日立,三菱に白羽の矢を立て,撤退戦にひきずりこんだとみてもおかしくない。

 アメリカは,広島と長崎に2発の原爆を投下して,日本を単独占領し支配下に置いた。その原爆製造過程から生まれた原発技術を「原子力の平和利用」などと称してもちこみ,日米原子力協定でがんじがらめに縛りつけて,地震列島である日本に54基もの原発を建設させ,利益を吸い上げてきた。

 2011年には,原発史上最悪といえる福島原発の爆発事故をGE製の原子炉が起こし,6年目〔今年2018年12月は7年目半以上経っている〕を迎える現在も,10万人以上が故郷に帰れず避難生活をよぎなくされている。にもかかわらず対米従属一辺倒の安倍政府は福島原発事故の責任もとらず,GEに事故責任を追及することもなく反省もなく原発輸出を叫び,原発再稼働を強行している。

 しかし,実は原発をめぐってババ抜きが始まっており,気づいたときには倒産するしかない状況に直面しているのが東芝である。対米従属構造のもとでの思考停止と哀れさを示している。(引用終わり)

 「小型原発」の構想は,いったい誰のための計画なのか? 軍事目的を念頭に置かないかぎり,理解不能である。属国の日本は,原発を誰かにとり上げられたくないのかもしれない。

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 【大学「もどきの大学」がたくさんある日本の高等教育の実情,2019年度からは専門職大学・専門職短大も発足させるけれども,ただ「屋上屋を架す」ような “なんの新味もない制度” の追加は,その混乱の度合を深めるだけである】
 

 ① 雇用ジャーナリスト・海老原嗣生稿「〈未来の働き方を大予測〉海外に学ぶ大学無償化のあり方(上・下)『誰でも行ける大学』でいいのか」(『日経 BizGate  課題解決への扉を開く』2018/12/5・6)
 ※ 人物紹介 ※  海老原嗣生(えびはら・つぐお)  は,1964年東京生まれ,大手メーカーを経てリクルートエイブリック(現リクルートエージェント)入社し,新規事業の企画・推進,人事制度設計等にたずさわる。 その後,リクルートワークス研究所にて雑誌『Works』編集長。

 2008年にHRコンサルティング会社ニッチモを立ち上げる。雇用・キャリア・人事関連の書籍を30冊以上上梓し,「雇用のカリスマ」と呼ばれている。近著は『「AIで仕事がなくなる論」のウソ』(イースト・プレス)。
 本日,紹介するこの海老原嗣生による大学論は,これまで『日本経済新聞』のコラム「就活のリアル」で,とくに大学生の求職問題を論じ,また関係する著作もある彼が,ネット記事『日経 BizGate 課題解決への扉を開く』のほうで日本の大学を他国の実情を比較しつつ論じた寄稿である。

 日本の大学は,主要な国に比較していえば「アメリカに次いで高い授業料」「給付型奨学金制度の不備」「大学で勉強しない大学生の多さ」が特徴になっているが,この3点を念頭に置きながら以下の解説を聞くと,日本の大学の基本的な問題点がどこにあるかが理解できる。早速引用する。

 --昨今,高等教育の無償化は政治の場面でよく話題に上る。憲法改正論議のなかでも複数の政党がなんらかのかたちで教育無償化に触れている。憲法という国の根幹にかかわる問題だから,読者の皆さんもぜひ真剣に考えてほしいところだ。

 a)「金さえあれば誰でも大学にいける」。この問題は放置したままでいいのか?

 まず,よほどの金持ち家庭でもないかぎり大学の学費は家計を圧迫する。だから,無償化は政治家の人気とりになりそうだが,各種アンケートをみると賛成はそれほど多くない(図表1)。無償化すればその分だけ税金が高くなると考える人,もしくは公教育に政府の関与が強まると危惧する人が少なくない。
日経 BizGate1

 一部賛成という人からも裕福な家庭にまで無料にすべきではないという声が聞かれる。そんなところから,家計に余裕のない家庭にのみ給付型の奨学金を用意する,という方向が落としどころとして模索されている。

 ところが,この方式だと世帯収入や資産を念入りに調べられることになる。受給者にはスティグマ(心の傷)が残ることになるかもしれない。また,収入をごまかして不正に受給されるケースも出るだろう。そこで現実的な運用が危ぶまれることになる。こんな感じで話がなかなか進まないが,本当はここからさきが大事な論点なのだ。

 確かに,家庭の貧富の差で大学にいけない人が出るのはおかしい。ただ逆に,金さえもっていれば「誰でも」大学にいけることもおかしなことだ。無料化うんぬんの前に,本稿では「大学とはだれがいくべきか」について欧州を事例に考えていくことにしたい。

 b)「無料だからこそふさわしい人がいく」と考える欧州の合理性

 欧州では大学の学費を無償化もしくは低額にしている国が多い。無償なら大学に進む人がきわめて多くなりそうなものだが,現実はどうか。図表2は世界各国の大学進学率の比較としてよく使用されるデータだ。
日経 BizGate2

 これでみると,日本はOECDのなかではやや下位に位置する。とはいえ,大学が無償化(ほぼ無償化含む)されている各国をみると,アイルランド,ハンガリー,ドイツ,オーストリア,スペインと日本の差は2%以内であり,イタリア,スイス,フランス,トルコ,ギリシャ,ベルギーなどは日本より相当低い。

 くわえていうと日本以外の多くの国は,単に大学入学者数を高校卒業者数で割っただけのものだ。そのなかには再入学や留学生なども多数含まれる。こうしたかさ上げがあるのに,多くの無償化国が日本並みかそれ以下なのだ。つまり,大学無償化をしている欧州各国でも「誰でも彼でも」大学にいけるわけではない。

 なぜ,無料なのに大学進学者が増えないのか? 理由は簡単だ。大学は「無償の公共施設」だからこそ「いくべき人を絞られる」と考えられているのだ。そう,大学は厳しい審査をパスした「有資格者」しか入学ができない。フランスでいえばバカロレア,ドイツでいえばアビトゥーアなどの高校終了認定がそれだ。

 つぎの図表3はフランスのそれがどのようなものかを示したものだ。
日経 BizGate3

 この図表からわかるとおりフランスでは,たとえ理系でも数理のほかに,「第1・第2外国語」「国語」「哲学」「古典(ラテン)」「芸術」が必須となる。ドイツだと州により試験科目は異なるが,一番少ない州でも6教科,多い州だと12教科にもなる。対して日本の場合,国公立大学でさえ原則5教科でしかないが,実際には5教科不要の大学が3割もある。

 なにより,日本のそれは国公立大進学者以外にはほぼ不要であり,早慶のようなトップ私大でも文系であれば1~3科目で入学が可能だ。一方,独・仏は原則,大学に進む人全員がこの「資格審査」を受けねばならない。確かに学費は無料ではあるが,そこにたどり着くのはたやすいものではない。
 補注)日本の大学受験体制,大学側の選抜方法になにか問題がある点は,以上だけの説明でも分かるはずである。とくに,「大学という高等教育機関」で勉強をしてもらう学生を入学させるための関門(入学試験)の設定のしかた:仕組が,ドイツやフランスでは日本とくらべてだいぶ異なり,きびしい点はすぐに気づくはずである。

 c) 義務教育の間に落第する人が2~3割という欧州先進国の現実

 こうした高卒時の資格審査にくわえて,小中学校時からいくつもの関門があり,大学にいける人の数が多段階で絞られていく。

 まず,仏も独もともも小学校中盤に教師・親・本人の3者面談があり,将来のコースが宣示される。「お宅の息子さんは学力が芳しくなく,授業態度も悪いから,中学卒業したら高校へはいけない」と,こういわれるのだ。ちなみにドイツでは現在でもこうした指導のもと,中学卒業後に職業訓練の道へと進む人が2割近くも毎年出ている。

 フランスも同様だ。中学になるとこんどは14歳の時点で,高校(リセ)の選別がおこなわれ,普通リセと職業リセに進める人が成績で分かれる。普通校に入れた人でも,16歳時時点で「普通科」か「技能科」に分けられる。

 さらに,18歳で,今度は上位1割が大学よりも難しいグランゼコールに進むべき人が認定され,予備級へと進む。こんなかたちで大学にいくべき人が本人の意思とは関係なく,他律的に決められていき,成績が悪い人は「職業コース」,超良い人は「グランゼコール」に進み,結果,中上位の一群のみが大学にいく。だから大学進学率はそれほど伸びないのだ。
日経 BizGate4

 ちなみに,日本人が聞いたら驚くような数字をひとつ上げておく。中学までの義務教育期間中に落第する人の割合だ。独仏はもちろん多くの欧州諸国で約2割なのだ(図表4)。どうだろう。幼年期から確実に「いける人」選抜は始まっていることが端的に分かるのではないか?

 d) 以上の話は老人介護に例えるとわかりやすいだろう。

 有料の施設老人ホームは審査が緩く,きちんと費用を支払えば多くの人が入所可能だ。ところが,格安で利用できる公的な特養老人ホームに関しては,入居にさいして要介護レベルなどで認定された人が優先的に入所する。無料もしくは低額で進学できる大学も同様の考え方をしている。厳しく審査されて資格を与えられた人しか入学ができないのだ。

 e) 卒業できるのは6割程度が先進国の標準的な数値

 つづいて「無料もしくは低額」で大学進学できることの裏返しで,もうひとつ厳しい現実が欧州各国にはある。それは,「中退率の高さ」だ。図表5をみてほしい。
日経 BizGate5

 これは,大学入学者がどれくらい卒業できたかを各国比較したものだ。日本の数字が群を抜いて高く,95%程度となっている。対して,欧州各国はおおよそ6割程度かそれ以下なのがわかるだろう。この差こそ,授業料の多寡による。
 補注)この卒業率に関してはさらに追加の説明が必要である。この数字には多分,日本の大学における中途退学率の計算(参入)はなされていないとみておく。日本の大学生が中途退学(除籍される)率がどのくらいになっているのかについては,やや年数の経った資料になるが,『中途退学白書2010-高等教育機関からの中退-』がある。本ブログ内では,2014年07月07日の記述「日本の大学で中途退学率が低い訳」( ⇒  http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1005605571.html)が触れていた。

 日本は大学の多く〔8割近くも〕が私立であり,数少ない国公立大学さえも独立行政法人化し,個別に運営されている。こうした状況では,学校運営費の多くを学生の授業料に頼っている結果,中退率が高まれば大学は経営がひっ迫する。そこで,「なんとか大学につなぎとめ,卒業させる」ようになる。

 一方,大学運営を学生の学費に頼らず公費で賄う場合は,学校側は学生におもねる必要がなくなる。そこで,学習成果や学習態度に応じて厳しいジャッジができる。その結果,大学卒業の難易度は上がり,学士取得者はそれにふさわしい能力と地位を手に入れられるようになる。

 試みに,各国の25~34歳の若年層の高等教育卒業者比率(大学以外を含む)の数字を図表6に示してみた。欧州諸国の大学は3年制と短く,そのうえ他の高等教育機関を含んでいるにもかかわらず,既卒者比率は日本を大きく下回る。そう,いまでも日本は「学士あまり」状況にある。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  〔みやすくなる〕)
日経 BizGate6

 f) ここまでを簡単にまとめておこう。

 大学には「いくべき人」がいき,そこで「しっかり学んだ人」のみが学士となる。そうした体制がまずありきで,それにふさわしい人だけが「貧富の差なく」こうした道に進める。平明なイクォーライゼーション(格差是正)を叫ぶのではなく,厳しさを伴う適正化が無償化の前にあるべきだ。(以上,海老原「上」の記事から引用)
 註記)https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3802909021112018000000
    https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3802909021112018000000?page=2〔~3〕

 以上,海老原嗣生のとくに日欧間の大学比較論は分かりやすい説明である。子どもが小さいときから,学力(学習力)にしたがい進路を強制的に選別させるという教育方法は,日本では好まれない傾向があるが,かといって,いわゆる「お受験」ということばで示唆されてもいるように,とくに中高一貫校への受験教育・中心路線は,仏・独の制度とけっして同じとはいえないだけでなく,かなり異質の教育路線を形成してきている。

 双方における制度の根本に控えている違いは,そう簡単には比較を許さないくらいにまで大きい。とくに日本のほうは,制度面で有する問題のありかをあえてあいまい化させたまま,大学受験の結果(成果・実績獲得)を目ざす関係のなかにすべてを位置づけ,小学校・中学・高校までの教育課程の意味を集約(意味づけ)させたがっている。だから,大学入試の結果(東大・京大,医学部の合格実績)を基準に当てて,高校・中学・小学に対する評価づけもそれに合わせて順次に降ろされていく。

 (以下は,海老原「下」からの引用となる ↓  )
 〔だが〕憲法改正や全世代型社会保障の議論のなかで,高騰教育の無償化もテーマのひとつとなされている。ただ,話題となるのはその財源をどうすべきかという話であり,「無償化するならそのために大学や社会をどう変えるか」については,まだ突っこんだ議論がされていない。

 g) 法律も経済も文学も民間企業では生かせないという現実的問題

 そこで,欧州を範として,無償化する前になにをやるべきかを2回にわたってお送りしている。前回は,いまでも「金さえあれば誰でもいける」という状態の大学を,「ふさわしい人しかいけない」ように初等教育から変えていかねばならないという話を書いた。今回は,「大学とはなんのためにあるのか」を考え,現実的な解を出すことをテーマにする。

 日本の大学,それも文系の場合,学部名称こそ工夫はされているが,基本は法律・政治・経済・経営(商)・文学からなる。それは100年以上も昔,まだ日本に大学が10校もなかった時から変わらない。そして,その学部構成は産業界との接続に適していない。会社での仕事は営業や総務や人事であり,その実務では大学で学んだ法律や政治やマクロ経済や文学などあまり生かせないからだ。いまの大学生が勉強しない理由もそこにあるのではないか。

 h) 大学で総務・経理・人事・営業…を学び,企業にて実習する

 日本より一足先に進学率が高まった欧州では,こうした問題が1980年代から叫ばれるようになった。そこで,職業系の大学(ドイツなら職業大学,フランスなら大学内の職業課程)が拡充され,学生を受け入れるようになる。現在,独仏では大学生の3割程度がこうしたコースに在籍している(図表7)。
日経 BizGate7

 ここで勘違いしないでほしいのだが,従来から日本の専門学校や高専に当たるような職業教育をおこなう教育機関が欧州にもあった。フランスでいえば,IUPやSTSがそれに当たる。そうした学校は,デザインやITや経理,保守メンテナンス,CADなど,俗にいう「手に職ワーク」の教育をおこなっていた。
 補注)IUPは技術短期大学,STSはバカロレア取得者を対象とした2年制の技術教育。

 対して,近年拡充されている職業系の大学は「普通の会社員」になるためにあるのだ。たとえば,ドイツの職業大学ではどのように「会社員」教育されるかをみていこう(図表8)。
日経 BizGate8

 まず,1・2年目は会社人になるために必要な共通知識(挨拶や電話とりなども)と,4~6職務についての仕事内容を座学で学ぶ。たとえば,人事・経理・物流・購買・マーケティング(営業はここに入る)・国民経済(金融職)・総務(プロパティ・マネジメントなど)といった分類で,それぞれに,企業実務経験者がみっちり細かく教えていく。これは企業内の部署構成とほぼ同じ。

 そして3年次にはその前半に長期の企業実習をおこなう。1・2年で学んだ多職務の中から3つを選び,企業にて実習をおこなう。このさいの実習先企業は,大学側が候補リストに応募して面接や書類で選考され,なかば「採用」に近いかたちで受け入れをおこなう。ここでは経済原理による選別がおこなわれるため,また企業も彼らを「採用者」に近しく考えるために職業訓練にも熱が入るという。

   そして,企業に赴き選んだ3職務を2カ月程度ずつ経験する。そのさいの職務は雑用程度の簡単なものであり,そのレベルであれば1・2年次に学んだ内容や企業での導入研修などがあるので,比較的スムースに遂行できるという。こうして3年の前半が終わり,残りの半年が卒業のための課題研究となる。こんどは,実習した3つの職務のなかからひとつを選び,半年かけてそれを研究する。こうして,仕事に関して熟知していくのだ。

 i) 3重のセーフティネットで就活も楽勝なドイツ

 就職時期になると,職業大学のシラバスが非常に力を発揮しだす。学生たちは以下のように仕事を選べるのだ。
 1 まず,最終的に卒業に向けて課題研究をおこなった「一番熟知した職務」をベースに仕事を探す。

 2 それで仕事がみつからなかった場合,企業実習をした3職務のなかから仕事を探す。

 3 それでもダメな場合,座学とはいえ,1・2年次に実務者から広く職務について教えられているので,そのなかから探す。
 こうした3段がまえのセーフティーネット構造となっているために,どこかで仕事が決まる。これが,ドイツ若年失業率が低い理由のひとつとなっている。よく,「大学を就職の予備校にしてはいけない」という趣旨の発言が教育関係者から聞かれるが,ドイツまさに「大学が就職予備校化している」といえそうだ。
 補注)他方で日本の大学は,専門学校や高専はさておき,学生の卒業に備えて,いったいどのように「求職を支援する態勢」を準備しているか。とくに文系大学・学部でも非一流大学では「大学」でありながら,卒業後の進路に備えるために実務的な指導する科目をカリキュラムのなか〔さらには別枠で補習授業的〕に配置するなどといった,大学教育の中身としては根本的に「中途半端な方法」を採ってもいる。

 すなわち,およそ大学生というには決定的に学力が足りない〈エセ大学生〉に対する,その対策なのである。それも,卒業後の就職先をともかくも確保させたいがためのカリキュラム編成における工夫であるゆえ,そのように「『本来の大学生』には似つかわしくない」進路指導をおこなってもいる。

 とくに非一流大学における「大学生の教育の実情」を踏まえて考えると,まともだといえる授業・講義そのものがどだい成立していないだけでなく,卒業後の進路に備えての「大卒」という概念,いいかえればその “旧来イメージ” をもちだしてみたところで,結局はそれとはだいぶかけ離れている(格落ちしていて見劣りする)とみなすほかない仕事・職種に就く者が多い。

 ここの「補注の内容」に関連しては,本ブログの別の記述があった。2017年05月22日の主題「大学就職率の統計的なからくりに騙されてはいけない,その数値が9割以上に出つづけている結果を議論する」,副題「『からくり話』である『卒業後における就職率』に対する文部科学省調査でもって,大卒若者たち進路を語ろうとする政府関係機関,および大学経営側の創り話『性』」。リンクは,
⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1066101761.html

 j) 少数精鋭化してトップエクステンション

 もうひとつ,学費無償化の前に日本の大学が変わっておくべき点について触れておく。教育無償化により多種多彩な人材が大学にいくようになれば,そのなかから優秀な人材を集めて,産業界のトップエリートを養成することも可能になる。要は,幅を広げてそのことにより高さも増すという方向だ。たとえば,米国の本格的MBAがそれであり,フランスのグランゼコールなどもそうした類といえるだろう。

 こうしたトップエリート教育の特徴を以下に示しておきたい。

  1 少数精鋭。フランスのグランゼコールは1学年500人程度(純粋な内部進学生は300人程度)であり,アメリカのトップ私立校も学年定員は1000~1500人でしかない。

 対して日本は,東大・京大でも3500人もの学年定員があり,私立に至ってはトップ校の早稲田が約1万人,慶応が約7000人とあまりにもマンモスだ(図表9)。
日経 BizGate9

  2 高額授業料。少数精鋭のなかで指導教員を充実させるためには,学費を高く設定しなければならない。たとえばハーバードは,学生約5人に対して教員が1人というフォロー体制を敷くが,授業料の年額は500万円を超える。同様にフランスの名門グランゼコールであるエセックの年間学費は350万円強だ
 補注)奨学金,それも給付型奨学金の関連を十分に付論しないことには,学費が高いというだけの話題となってしまうので,この点を断わっておきたい。

  3 産業界との連携。ハイレベルな教員を招き,指導内容だけでなく人間性にも触れあいながら薫陶を受ける。そのためには産業界からトップ人材を講師として招く必要がある。そうして,産業界の最先端テーマを授業であつかうことにより理解は進み,覚えた知識の実用性も増すだろう。

 とかく日本は,「全員平等=ボトムアップ」に議論が偏りがちだが,グローバル社会で欧米各国と伍していくためには,一部エリートの「トップエクステンション」の仕組も必要なのではないか。

 k) 欧米型の実務教育とエリート選抜を日本の大学にとりこむ

 こうした欧米型の良いところをとり入れ,なおかつ混乱を最小限にできるような改革案を,以下に考えてみたい。

 まず,大学の学部構成はいまのままとする。大枠,法・政・経・商・文のままで構わない。ただし,大学2年次以降,各学部を「A課程(アカデミズム)」と「B課程(ビジネス)」分けることにする。Aはいままでのカリキュラムとほぼ同じで,そこには将来,研究・公務・教育・士業などをめざす人がいく。彼らは大学の専門教育が実務にかなり結びつくだろう。
 補注)つまり,いまの日本の大学に在籍する大学生のうち,この「A課程(アカデミズム)」の勉学に着いていける者はどのくらいかといるのかという疑問が,当然出てくる。しかし,これは大学ごとに大きく異なってくる。

 一流大学と非一流(底辺)大学とでは,いいかえれば偏差値65の大学・学部と偏差値35のそれとでは,雲泥の差が生じるのはいうまでもない。もしかすると,前者は「A課程(アカデミズム)」の大学としておき,後者は「B課程(ビジネス)」の大学としておけばいいのかもしれないが,実は,後者の実態(中身)はその「B課程(ビジネス)」にさえお呼びでないのである。

 この理解からも分かるように,いまの大学でたとえば偏差値に頼って説明するほかないのだが,偏差値50の大学・学部に所属する学生たちの実力を,その「A課程(アカデミズム)」と「B課程(ビジネス)」とに腑分けしてみるとしたら,いったいどのような割合になりそうか? まだ精密には分からないけれども,勝手に想像していうと,たとえばその半分以上はA課程はダメで学力的に着いていけず,おそらく8~9割くらいまではB課程になるのではないか(という判定もできる)。

 本ブログ筆者はいままで,日本の大学・大学生のうち3分の2は要らない(不要・無用だ)と断言してきた。そこまでいわせていい事由は,海老原嗣生が以上の解説のなかで,間接的にだが決定的に指摘していた。

 早慶水準の大学生(ただしひとまず一般入試合格者に限定する)と3・4流大学の大学生(全員)とを想定するとき,「A課程(アカデミズム)」と「B課程(ビジネス)」とに,双方をそれぞれ分類しておき教育したらどうか,などといった話題もありうる。ということであれば,いまの日本の大学群をあらためて,この「A課程(アカデミズム)」と「B課程(ビジネス)」とに大別・整理しておくのも手である。

 ただし,現状における日本の大学業界の経営実情・利害状況に照らしていうと,そうした方途はかなり嫌悪されるし,実行もむずかしいかもしれない。しかし,いまでは18歳人口の減少がいよいよすすむ状況のなかで,とくに私立大学の統廃合が真剣に考慮される時期にもなっている。ところが,この「私立大学のM&Aの問題」になると,これを現実的に適切に誘導できる運営指針や支援組織が,いまだに用意できていない。

 こちらの問題に,前述のごとき「A課程(アカデミズム)」と「B課程(ビジネス)」の問題が混ざりこまれるとなると,とくに私立大学は学校法人であっても基本的には私企業的な性格も有するゆえ,問題が錯綜せざるをえない。とうてい一筋縄ではいかない問題が噴出する可能性が大きい。

 かといって自然消滅・淘汰を待っていては,私立大学業界じたいの混乱を放置することになる。半世紀以上から分かりきっていた,現状のごとき私立大学をめぐる「のM&Aの問題」であるが,いまだに文部科学省の基本姿勢が明確ではない。この点はつぎの記事からも読みとれる事情である。
 「〈ひらく 日本の大学〉2040年,将来像示されたか 朝日新聞・河合塾共同調査」(『朝日新聞』2018年11月28日朝刊32面「教育」は,冒頭でつぎのようにまとめた文章を書いていた。

 「中央教育審議会が〔2018年11月〕26日,2040年の大学のあり方について,柴山昌彦文部科学相に答申した。特徴のひとつは,大学が特色を出しつつ,生き残るために3種類の連携・統合の仕組を提言したことで,文科省は今後,法令改正などを進める。ただ,朝日新聞と河合塾の共同調査「ひらく 日本の大学」では,いずれの仕組も「わからない」と答えた学長が半数を超えており,浸透していない状況が浮かんだ」。
      『朝日新聞』2018年11月28日朝刊ひらく大学図表
     
 中教審が答申に盛りこんだ3案は,

  (1)  国公私の枠を超えた複数大学による「大学等連携推進法人」(仮称),

  (2)  国立大学法人が複数の国立大を運営する「アンブレラ方式」,

  (3)  私立大同士による一部の学部の譲渡。

 地方大学などが連携・統合で事務負担を減らし,特色を伸ばすことに注力できるようにするのが目的で,今年6月の中間まとめで了承された。(中略)

 とくに私大の関心は低く,連携推進法人については41.0%、学部譲渡については62.2%が「関心がない」と答えた。「わからない」「関心がない」と答えた大学では、「全体像が見えない」「連携すると大学が建学の精神を守れない」といった意見が目立った。

 そして「3000人未満規模」では「3割が関心」とのこと。(引用終わり)

 私立大学の4割前後はすでにいつも定員割れしており,なかには定員の3分の2あたり〔ないしは以下の充足率〕でウロウロしている大学も多く存在する。それにしても,上の記事に紹介されている “その「無関心」さ” は,われわれに対して異様な光景を教えている。
 いずれにせよ,現状におけるような高等教育業界の事情は,私立大学の乱立を認めてきた文部科学省に重大な責任あるはずだが,以前より場当たり的にドタバタ劇の政策でしか手当しておらず,いまらさらのように後追い的に対策を講じていく姿しかみせていない。

 〔記事に戻る→〕 一方,民間就職を考える人たちは「B課程(ビジネス)」に進む。こちらはドイツの職業大学を範として,2年次には人事・総務・経理・営業・マーケッティングなど実務を徹底的に教える。さらに3年時に上位1割程度を選抜してエリート教育をするような精鋭クラスを設ける。

 この特別選抜組はフランスのグランゼコールを範とする。こちらに進めば,企業連携講座と人気企業からの学費・給与付き実習生などの特権が与えられる。こちらに入れなかった人は,ドイツの職業大学3年次と同じように2か月 × 3職務の実習に出る。そこから先はドイツと同じだ(図表10)。

 「A課程(アカデミズム)」へ進んだ人は専門知識が将来役に立つから,いわれなくても勉学に励むだろう。一方「B課程(ビジネス)」の人たちは特別選抜組に入るという目標ができるので,いままでよりも学習意欲がわく。

 3年時以降の特別選抜クラスは,グランゼコールや米国MBAのように寄付講座制とすれば,大学と企業は距離が縮まり,資金面でも楽になる。一方,こちらに入れなかった一般組でも,3年以降は企業実習主体なので,勉強嫌いでも真剣度は増すだろう。

 欧米では,大学進学率の上昇に合わせて大学のあり方も産業界との連結にシフトしている。日本も無償化論議の前に,現実と合うかたちへと大学を変革させる必要があるだろう。 (以上,海老原「下」)
 註記)https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3802975021112018000000/?n_cid=TPRN0002
   https://bizgate.nikkei.co.jp/article/DGXZZO3802975021112018000000/?n_cid=TPRN0002&page=2〔~3〕

 ② ひとまずのとりまとめ的な議論

 海老原嗣生の提言は,いまの日本の大学,それも文系学部のほとんどが中途半端に教養主義(リベラル・アート)系になっているかのような実態を踏まえたうえで,独・仏・米の高等教育制度を参考にしつつ,このさい改革することを勧めている。ただしこの場合,『教育の無償化』が前提になっている。この点は,日本の教育問題においてその「焦点の問題」である「大学の現状」に対して,抜本的な改革を迫っている。

 とはいえ,いまの安倍晋三政権にこのような要請に応えられる用意があるかと問えば,政治家としての彼自身の立場においては,もともとその発想すらないようにしか映らない。中途半端な新自由主義・規制緩和の方向性しかしらない「お▲▲の世襲3代目の政治家」であるこの首相に,以上のごとき「国家百年の大計」である,とても大事な教育問題の「改革の必要性」が理解できているとは,全然思えない。現状のそうした状況とは無関係であるかのように,日本の大学における〈実際:今日の状況〉は,ともかくどこかに向かい進行だけはしている。

 だからそれでも,本日『日本経済新聞』朝刊16面「企業2」に掲載されたような記事,「就活格差,インターンから  企業,大手ほど脱・1日型 学生,参加さえ狭き門に」が出ている。冒頭段落のみ引用しておく。
 2020年卒の秋冬インターンシップ(就業体験)がピークを迎えている。参加が約9割に及ぶなか,大手企業は採用のミスマッチをなくすため「1日型」を廃止,実務の体験を深める手法を採り入れる。一方,知名度が低い企業は学生を集めやすい1日型から抜けられない。インターンの選考にもれる学生もおり,企業,学生に「就活格差」が出始めた。
 この「企業側と学生側で双方における〈就活格差〉」が,就活戦線においては顕著な現象となっている。そこでは「各種多様である大学の存在」に向けて,当初から,絶対的に排除できない『就活環境に関する前提条件』が敷かれている。

 いいかえると,そうであるならば初めから,いわゆる『学歴フィルター』を視覚化(「見える化」)させる就活戦線に変えておいたほうが,よほどマシ(親切)なのではないか。そうしておくことががかえって,学生側にあっては現実的に就活ができるし,企業側も余計な仕組を作って学生を選抜(排除していく工夫を)する手間もなくせるのではないか。だが,そのためには,大学段階とそれ以前の教育段階においてから施しておくべき「教育制度の変更(根本からの改革)」が要求されてもいる。

 「教育の無償化」がともかく大学段階において実施されるとしたら,現状におけるような日本の高等教育における経済的負担が過重であり,年収700万円から800万年の所得層であっても(借財なしでという意味で)子ども1人を,やっとこさ,大学(なかでも私立)に通わせているような現実は,いまのところはまだ「先進国」であるつもりらしい「この国の教育政策」としては,きわめて貧しいものだといわざるをえない。

 「教育の無償化」のためには,なによりも国家予算の確保が大前提になる。何兆円かの予算枠が必要である。しかも当面においては,その「教育的な効果」が「国家全体の歳入には反映されず直接にはつながらない」から,現政権がなかなか応じない対応措置である。よほどの決断ができる「人物である政治家」が指導者として登壇しないかぎり,この国の教育体制はますます弱体化していく。

 最近,日本人の「ノーベル賞の授賞者」たちが,日本の大学が現状のままでは “このさき授賞者が出なくなるぞ” と盛んに警告している。とはいっても,安倍晋三という首相にその警告の声がまともに理解できるはずもなく,不可能事である。ノーベル賞を授賞できる研究者を輩出できる可能性は,早くとも最低で四半世紀以上の時間をかけていないと生まれない。それゆえ, “いまの目先” しかみえない現政権の政治家たちに期待できるものはなにもない。

 日本の高等教育体制が混乱状態に陥ったまま,いわばジャングル化しているひとつの原因は,「教育問題」を専門的に認識して議論できる政治家がいないところにみいだせる。このままでは,日本の高等教育体制は衰退の度合をさらに深めていくほかない。

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 【明治の時代に新しく創造された天皇観に,基本から囚われている憲法学者小林 節の「天皇説」】



 ①「秋篠宮発言の評価は国民が下さなければいけない」(『天木直人のブログ』2018-12-04,http://kenpo9.com/archives/4512

 1)事前の断わり
 先日〔2018年11月30日〕の本ブログ記述は,主題を「天皇を『玉(ギョク)』として『玉(たま)あつかい』る宮内庁の理屈と,これに抵抗する天皇家一族との軋轢は,明治以来創られてきた『天皇制の根本矛盾』」(住所 ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1073289048.html)と定めて,

 秋篠宮が11月30日の53歳の誕生日を前に配偶者の紀子といっしょに記者会見し,天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭」について,「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ,政府は公費を支出するべきではないと発言した事実をめぐり議論した。

 その議論の基本点は,副題として挙げたつぎの3項目に,概略を示したつもりである。
 副題「現代の民主制政治のなかに古代天皇史の大嘗祭を復活させてうれしいのか,宮内庁的な天皇体制を推進・高揚させたい旧い論理の時代錯誤性」

 副題「天皇・天皇制という明治帝政時代からの古い遺物が古代史の記憶にすがり復活させられたがための,『21世紀における旧・宮内省』的な天皇家の活用法には,無理・不合理が充満しているわけだが,このことは天皇一族もよく認識済み」

 副題「天皇家の人びとに(だいたい誕生日になると)政治的発言をさせていいかどうかについてからして大きな疑問がある。だが,その存在そのものが『政治的である彼ら』に,なにも発言を許していけないというわけにもいかず,かといって,発言させればさせるであれこれ問題を提起されるのでは……など,など」
 以上の基本「線」を踏まえて本日の議論に入りたい。『天木直人のブログ』はいつも,内政・外交に対して積極的な批評・発言をしている。ところが,元外交官としての立場に淵源する一定の制約があるせいか,天皇・天皇制の問題になると,どうしても不自由な言動になっていると感じさせている。それはともかく,まず,2018年12月4日に記述した『天木直人のブログ』の意見を,以下に参照する。

 2)「秋篠宮発言の評価は国民が下さなければいけない」の引用
 秋篠宮発言の評価をめぐって議論が起こらない。まるで皆が避けているがごとくだ。そんななかで驚くべき発言をみつけた。

 小林 節教授が昨日12月4日の『日刊ゲンダイ』誌(紙)上(〈小林 節が斬る,ここがおかしい〉欄)で,全国民統合の象徴である天皇(第1条)は,その本質上,政治的には無色透明であるべきだ,そして,天皇が世襲である以上,家族も同じ規範に縛られるべきである,といって天皇や秋篠宮のお言葉を政治介入といわんばかりに批判している。

 安倍政権を批判して来た小林 節教授が,天皇家のお言葉については見事に安倍政権を支える連中と一致しているのだ。その一方できょうの朝日が報じていた。共産党の小池晃書記局長が昨日〔12月〕3日の定例記者会見で,つぎのように秋篠宮発言を擁護したと。

 「政治的発言だという指摘もあるが,天皇家の行事のありかたについて,天皇家の一員である秋篠宮が発言することに,問題があるとは考えない」と。

 そして,大嘗祭への国費支出についてつぎのように述べたと。「こうしたあり方は国民主権,政教分離にも明らかに反している」と。日ごろから小林 節教授の意見に賛成している私だが,この天皇家発言の評価については異なる。そして日ごろから賛同している共産党の意見だが,共産党だけがいっているかぎり国民の間に広がらない。

 野党も与党も天皇家の発言についてもっと活発に議論し,本音を発言すべきだ。そしてメディアは世論調査をおこなって国民の意見を聞くべきだ。最後は国民が判断を下すべきだ。それが憲法が求めていることであり,天皇家の訴えである。(引用終わり)

 「もっと活発に」「国民の意見を聞くべきだ」とはいわれても,国民じたいの側で天皇・天皇制問題を沈着冷静に,そして総合的・客観的に考えて判断してみなさいといわれても,この要求に必要かつ十分に応えることは無理難題である。

 日本の国民たち(市民たち?)の立場,それもごく平均的にふつうである人びとの側に立って考えてみたい。『天木直人のブログ』が期待する水準に応じられるかどうかの問題である。国民たちの「理解」に「聞くべき意見」として,「民主主義政治体制」に関した最終的な判断が,いいかえれば「天皇問題に対する理解」が,はたして一定の実体としてありうるのかと問うてみるとき,かなりあやしいといわざるをえない。

 日本国憲法は第1章から第8条まで天皇条項である。だが,天皇の家族たちの立場に関しては,抽象的にであっても,なにひとつ具体的に定めていない。それでも,その一族の1人ひとりが誕生日の記者会見の場を借りた体裁でもって,日本の社会に対する「自分の個人的な見解」を,マスコミが大々的に報道してくれるを承知のうえで,けっこう自由にあれこれ語りかけている。こうした皇族たちの発言から感得できるのは「特権階級としての立場・待遇」の実在である。

 日本国憲法が天皇の立場を規定しているものの,その一族(直系親族)についてはなにも規定がない。その事実はなにを意味するのか? だが,宮内庁という国家組織が実際にあり,高級官僚たちを指揮官にしたがえて仕事をする官庁として,天皇夫婦以下,皇族たちの仕えている。同庁の職員数は1500名。

 この宮内庁が介在するかたちを採りながら,天皇夫婦はもちろんのこと,皇族たちの「いいたいこと」は,基本的に国民たちに伝えられてきた。この「皇室と国民たちとの間柄」においては,この「前者」がその「後者」に対して “絶対的に優越した政治・社会関係にある事実” を意味してきた。この事実は誰にも否定できない。

 ②「〈ここがおかしい 小林 節が斬る!〉大嘗祭と憲法の政教分離原則 天皇制に不可欠な憲法儀式」(『日刊ゲンダイ』2018/12/04 06:00)

 憲法の20条1項は「いかなる宗教団体も,国から特権を受けてはならない」と規定し,89条は「公金は宗教上の事業に支出してはならない」と明記している。これが「政教分離」の原則である。

 これは英国による宗教弾圧から逃れた人びとが建国した米国で確立された憲法原則で,日本国憲法にも導入された。

 その趣旨は,各人の信教の自由に国が介入しないように,国は宗教活動から距離を置け……ということで,公が宗教と関わる目的か効果が信教の自由に対する介入でなければ許容される……という原則である。

 くわえて,ひとつ例外がある。それは,憲法制定前からの公的慣習で憲法制定者が受容した宗教儀式は許される……というものである。米国議会付牧師の制度である。

 日本国憲法は,法の下の平等(14条)を定めながら,歴史的な制度としての天皇制を継続していくことも認めた(第1章)。そのために,14条(階級制度の禁止)と明らかに矛盾する「皇族」という貴族以上の階級を認めている。これが違憲だといわれないのは,14条に対する明文による例外だからである。
 補注)小林 節はまさか,この日本国憲法における例外規定が天皇家に対して適用された手順は,アメリカ(連合軍)が日本国を支配・統治・管理するためのものであった事実をしらないわけではあるまい。だが,それでもこのように無理な解釈を,苦しまぎれ的に繰り出したところは,理解に苦しむ。さらに小林は,つぎのようにも独自の解釈を下していたが,こちらは米日間の憲法比較論をまつまでもなく,牽強付会の解釈である。

 そして,大嘗祭という紛れもない「宗教儀式」を抜きに継承がおこなわれえない天皇制の存続を憲法じたいが明文で認めている以上,天皇制に不可欠な憲法儀式を公的におこなうことは,憲法じたいが認めている例外なのである。
 補注)この論理の「系列づけ(理屈づけ)」が奇妙に無理である。大嘗祭は宗教儀式だが憲法が明文ウンヌンの関係,政教分離に反しないという見解(解釈)になっている。しかし「政教一致である事実」そのものをつかまえていながらも,その「政教分離に反しない」といったごときに理屈を通そうとするのは,短絡以前の,論理破綻である。

 つぎの ② 以下における議論でくわしく説明していくが,憲法学者が「政教分離」の問題を,このように軽々しく,それも天皇・天皇制の問題と関連づけてとりあげるとなれば,いきなり天皇家の場合における問題だけは「例外的に可だ」という判定を下すほかなくなったものと推察するほかない。

 なかんずく,例外として認めるという点は,大嘗祭が「政教分離に反する神道」の,それも「皇室⇒国家:日本」における天皇代替わり行事である事実を,ひとまず認定せざるえなかったのちの発言であった。つまり,その発言は,かなり苦しくてもあえておこなっている「小林なりに独自の解釈」であった。

 だから,大嘗祭は,憲法7条10号が規定する「儀式〔を行ふこと〕」として,堂々と,公費を用いて国の機関がおこなっていいはずである。ただし,このような憲法解釈上の重要事項(これは高度の政治問題である)について,皇族が公に議論を発することは,天皇制の本旨に反するだろう。
 補注)つまり小林 節は皇族たちに対して,問題が憲法にもかかわる皇室神道(敗戦前であれば完全に国家神道の中核であり,日本のファシズムを支えるための「神道の思想」を代表的・尖鋭的に提供していた)であるゆえ,みずから発言しないほうが好ましい,その代わりに国民(政府)の側が彼らの意を汲んであげる必要があると主張した。

 いわば「高度に政治問題である」「皇室内の伝統(?)行事」に関する発言は,皇族たちにさせるな,その前にきちんとわれわれの側から配慮してあげておくべきだ,という主張になるはずである。

 全国民統合の象徴であるべき天皇(憲法1条)は,その本質上,政治的には無色透明であるべきで,だからこそ4条で「国政に関する権能を有しない」と戒められている。そして,天皇が世襲である以上,そのために不可欠な存在である家族も同じ規範に縛られるべきである。だからこそ,皇族は,一般国民が登録される住民基本台帳とは別に皇統譜に登録されて参政権が与えられていない。皇族はこの意味を深く自覚すべきである。
 註記)https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242934
    https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242934/2

 「全国民統合の象徴であるべき天皇」が「無色透明であるべき」だといっておき,日本国憲法を守れというのは,もちろん基本的な論理のかざし方としては正論である。だが,天皇・皇后以下の皇族たちはいままで,逐一が政治的とならざるをえない言動をいくらでもしてきたし,これからもしていく。

 そういう慣習ができているのだから,憲法の規定は,ないがしろにされているというよりは完全に形骸化していた。という意味で,皇族たちが実際に発言してきたその諸内容は,いうなれば万華鏡のようににぎやかであった。この事実を否定する者はいないはずである。

 本来であれば,「象徴だという人物:天皇」が「国・民を統合するその象徴の立場」からあれこれ発言していたら,そもそも「国民」が彼によって象徴されている意味が不分明になる。いいかえれば換骨奪胎状態になる。ところが現状はそのようになっているゆえ,相当に奇怪でもある。2016年8月8日,明仁天皇が退位の希望を放送して,自分の意思を国民たちに直接伝えたのは,その最たる現象であった。

 皇室神道の形式と中身でもって,なによりも「国民たちに寄り添うための宗教生活」を,天皇夫婦は365日祈念しつづけているといわれる。しかし,天皇夫婦によるこの「皇室神道にもとづいて一貫する生活態度」は,国民たちの側における「信教の自由」のみならず,「思想及び良心の自由」までも蚕食しかけている。日本人でもイスラム教徒はいるし,キリスト教徒の存在についてはいうまでもない。仏教との関係も問題がある。

 大嘗祭の執行じたいを皇室内行事としておこなうべきかどうかに関する議論がなされるさい,「政教分離の原則」が必らず問題になるのは当たりまえである。いまごろ,敗戦前における大日本帝国式の大嘗祭と同一の執行をするわけにはいかない。だが,それでも憲法内で大嘗祭は認められるし・できるのだという論法は,無理じいが過ぎている。それどころか,憲法を論議する以前の稚拙なイデオロギーの開陳である。
 
 ③「アメリカの政教分離:キリスト教は宗教ではなくて伝統や文化?」(『ゆかしき世界』2016.09.01,更新 2018.11.12,http://yukashikisekai.com/?p=7177

 実はアメリカではそれほど厳格ではないかたちで,証言とか大統領就任の宣誓では聖書に手をおいて「So help me God(神に誓って)」というし,軍隊や議会には聖職者がいる。硬貨には「我らが神を信ず」と彫ってあるし,クリスマスは国の休日だし,皆でメリー・クリスマスといいあう。

 国家とキリスト教は一体となっている。アメリカでの政教分離とは,特定の教派を優遇したり迫害しないということである。信教の自由を保障するためだ。イギリスも同様だ。日本も政教分離をその程度にゆるめたほうがよい。
 註記)以上の段落の引用元は,藤原正彦「痛ましげ光景」『週刊新潮』コラム「管見妄語」,2016年10月27日号。
 
 前段の言及(小林 節の主張)は,米英における政教分離の実情に合わせて「日本も政教分離をその程度にゆるめた方がよい」と発言していた。しかしながら,この発言はかなり軽率であった。政教分離に関する歴史の体験が,米英に匹敵するか,それ以上におこなってきた日本の立場ならばさておき,いままで登場してきた政教分離に関するきびしい論争が中断された様相のなかで,前段のごときに主張する手順は不可解である。

 藤原正彦の『国家の品格』(新潮社,2005年)は,こう語る本だと宣伝されていた。 
 「日本は世界で唯一の『情緒と形の文明』である。国際化という名のアメリカ化に踊らされてきた日本人は,この誇るべき『国柄』を長らく忘れてきた。『論理』と『合理性』のみの『改革』では,社会の荒廃を食い止めることはできない。いま日本に必要なのは,論理よりも情緒,英語よりも国語,民主主義よりも武士道精神であり,『国家の品格』をとり戻すことである。すべての日本人に誇りと自信を与える画期的提言」。
 今年は2018年になっているが,この藤原正彦の本が唱える対象がわずかでも出現しつつあるようにはみえない。いまの日本が「国家の品格」をとり戻すには,この日本の「国柄」だとか「武士道精神」が,論理や民主主義よりも大事にされるような気概がもたれねばならないという “画期的な理屈”は,まさに論理よりも気分を,さらには理性よりも感性をひたすら強調する主張であって,からっきし説得力がない。ましてや,それが「国家の品格」が高まる道筋を示唆しているとも思えない。

 というよりは,その「国家の品格」を端的に表現すると受けとっていい日本の「天皇・天皇制」をともかく無条件に善しとする思考方式が,こうした藤原正彦流の「ヤマト国万歳,皇室弥栄」論となって,独断的な思考回路を横行させていた。日本はなんといっても世界のなかで一番特別だ,八紘一宇だ,万邦無比だと無邪気に唱えていた戦前・戦中(敗戦前)となんら変わりない提唱を,藤原は唱えていた。

 藤原正彦流のそうした説法は,日本人・民族に対する気付け薬的な効用があったとしても,この国がいま置かれている全体の概況と基本の特性を,みずから冷静になって客観的に認識するためには逆効果である。

 たとえば「日本は世界で唯一の『情緒と形の文明』である」といった場合,それでは「日本は世界で唯一の『論理なしで無形の非文明』である」という具合に,単刀直入に〈逆転の発想〉を突きつけられたとき,なんと応えたらよいのか? いまどき「東洋道徳,西洋芸術」でもあるまい。

 要は「世界で〔日本は〕唯一」だと断言しているが,そういえるための尺度・物差しはなんであったのか,さらにどのように計って,つまり,世界中には百何十数国もある他国・地域などのすべてと,くまなく徹底的に比較しつくしたうえで,そのように “ヴィヴァ ジャポネ!!!” と叫んでいるのか?

 要するに,絶対最上級によるナルシス的な自慰行為による国自慢。

 ④ 梅山香代子「日本及び米国における政教分離法理の社会的背景」『東洋学園大学紀要』第11号,2003年3月(参照)

 a) 日本において戦後,政教分離の原則が神経質なまでに問題とされるのは,国家主義と結びついた神道が日本の惨敗という悲劇を招いたことへの反省からきている。明治憲法のもとでも信教の自由は認められていた。

 だが,明治憲法第28条に「安寧秩序ヲ妨ケス及臣民タルノ義務二背カサル限りに於テ」という限定はあるものの,「法律の留保」がないかぎりにおいて「言論の自由」,「学問の自由」などよりは大きな自由が認められていた。しかし,この点については,逆に法律によらずにこの権利を制限することができるという解釈も可能であることが指摘されている。

 実際に戦前には,神社に参拝するのは「臣民タルノ義務」とされていた。現実に「神社は宗教にあらず」とされ,国家神道は国教的な地位を占めた。国粋主義の高まりとともに信教の自由は神社の国教的地位と両立する限度で認められるに過ぎなかった(18頁)。

 b) 日本においては,国家とある特定の宗教が結びついてほかの宗教を迫害する,というかたちで政教分離が問題とされるのはむしろ稀であろう。前述のように戦前においては,むしろ「神道は宗教にあらず」としていたから,他の宗教を迫害するためというよりは国家を権威づけるために,神道の儀式を利用していたといえる。

 天皇主権の明治憲法のもとでは,一般国民の宗教と天皇の神格の基盤である神道を区別するのは「当然であった」ともいうことができる。戦後,国民主権の憲法のもとでは神道を含め,すべての宗教を平等にあつかうことが当然のこととされ,国家と宗教の分離,すなわち政教分離が実現した。

 c) このような経緯から,日本において政教分離が問題とされるのは,神道に特別の地位を与えて,それが戦前のように政治的に利用される場合である。日本においては,神道式におこなわれる習俗的な行事が少なくない。それらがことごとく憲法上問題とされているわけではなく,国家や公共団体が関係するときに問題とされていることは当然のことである。

 宗教が国民の内面生活に欠くことができないうえに,信教の自由を認めるところから出発したアメリカ合衆国は,理念としての信教の自由を保持しており,国家がある信仰を迫害するということは原理的に不可能なのである。現実の闘争のなかで宗教的対立に折りあいをつけてきた歴史をもつヨーロッパなどとは異なり,米国ではあくまでもこの自由は絶対的に保障されている。

 そのような国においては,権利の保持のための監視が細かくおこなわれる必要が感じられない。実際に,日本からみていると,たとえば大統領の就任式において聖書の上に手を置いて誓うことなどは,政教分離の観点から問題とならないかと疑問に思われる。しかし,米国においては,そのようなことで信教の自由の保障が影響を受けることはないと考えられている,という解釈が可能である( b) と c),28頁)

 d) 日本の政教分離の問題と比較してみると,米国独自の問題が浮かび上がる。日本における政教分離に関する問題のほとんどは,戦前の国家神道の概念の復活を阻止するという観点から提示されていた。

 米国においては,建国のときから信仰の自由が,絶対的価値として憲法に規定され,国民の間で信仰が重要な地位を占めている。自己および他者の信仰を守るために,自律的な規制が働いてきた社会であった。しかし,2001年のテロ事件以来,特定の宗教を圧迫するような風潮が現われてきたために,国家と宗教の関係をあらためて考えてみる必要が生じている(17頁)。

 以上は,学術論文を参照した文章であった。この程度の知識は小林 節も先刻よく承知の範囲内である。だが,問題は別にあって,日本の天皇家・皇族をめぐる「政教分離の原則」問題について語る小林が,実は,学問以前である自分のイデオロギーを丸出しにする「立論」を披露していた。

 つぎの ⑤ に引用する文章は,小林の学問が展開する議論というよりは,彼自身の抱くイデオロギー的な前提・価値観を先出しにした論法を,諫める説明になっている。

 ⑤「政教分離の原則」問題

 宗教の私的領域と公的領域の区分をめぐる問いは,日本に対しても向けられるべきだろう。日本人一般の宗教性をキリスト教のような一神教的宗教概念を基準にして測ることができないことは繰り返しいわれてきた。

 しかし,少なくとも戦前の日本の政教関係は国教制度にきわめて近いものであった。また,欧米的統治システムを模するために,本来多神教的な伝統的神道のなかに,至高の現人神を中核に据えた強力な一神教的システムを導入した。

 そこでは,天皇と天皇制によって象徴される権威と聖性のパラダイム,万世一系の神話,また国家に忠義を尽くして亡くなった者の死後生などが「現人神」のもと「見える国教」のなかで儀礼的表現をみいだしていた。

 GHQによる戦後処理は,そうした体系のすべてを解体したのであろうか。あるいは,その価値体系は「見えざる国教」に姿を変えて,現在の日本社会に受けつがれているのであろうか。こうした疑問に明確な解答を与える材料が十分提供されていない点に,靖国問題をめぐる議論がいっこうに深まらない原因の一端をみることができる。
   註記)「日本人の知らない〈政教分離〉の多様性-宗教との向き合い方は永遠の課題-」『論座』朝日新聞社,2001年10月号,引用は『小原克博 On-Line』2001年9月15日,http://www.kohara.ac/essays/2001/09/ronza200110.html から。

 以上のなかから問題となる要点を抽出してみると,日本国憲法のなかにはいまだに,

  ※-1「見えざる国教制度」 ⇒ 国・民の統合である象徴天皇が「家」として信心する皇室神道は,この「見えざる国教制度」を意味している。

  ※-2「万世一系の神話」 ⇒ この神話にもとづいて,天皇・天皇家の話題はいつも語られてきた。いまの日本では,明治末期のときのように「南北朝の問題」がとりざたされることはないものの,天皇「明仁は日本の第125代天皇である」といわれるときは,この神話の基準にしたがった話法であることは,いうまでもない。

 神話はふつう「昔話」になるが,いまの日本における神話は「今話」となっているのだから,奇妙キテレツだといえば,まったくそのとおりだと形容するほかない。

 すなわち,どの国にでも神話という物語があるとはいえ,このように「神話そのものの後裔である人物」が,この日本国ではいまもなお,「国・民の統合である象徴天皇」として在位しつづけている。日本はたしかに,藤原正彦がいうように「世界で唯一の『情緒と形の文明』である」と概念づけることも可能かもしれない。だが,この話法はあまりにも情緒的・心情的であり過ぎて,たとえば政治学からする概念・説明には全然似つかわしくない。

  ※-3「靖国問題をめぐる議論」 ⇒ 明治帝政時代から大日本帝国は,国家神道式になる一大祭祀場「靖国神社」を造営していた。この靖国神社は戦没者用の墓地ではない。だから遺骨はいっさい納めておらず,ただに戦争礼賛ないし督戦奨励のための「戦争神社」である(正確には「であった」)。しかも,この靖国神社は,皇居内のほうに建造されていた宮中三殿,つまり皇室神道のための「賢所・皇霊殿・神殿」という実在を踏まえての,戦争を原因に生まれた死霊を合祀するための神社であった。

 しかも,神社としての靖国は異例中の異例であって,いまや246万余柱ものものすごい数の英霊を合祀しているというのだから,いうならば,異常と形容するにはあまりにも異常な神道神社であり,従来の正統というか大昔からある伝統的な神道の基本精神からは,完全に外れて飛びでている神社であった。

 くわえて,靖国神社は「官軍しか合祀しない」立場でありながら,「敗」戦したのちも自国の戦争犠牲者の『敗戦者たちの死霊』を集めては,合祀しつづけてきた。つまり1945年8月(9月)を境にするさい,この神社の基本方針に関する “逆転の発想” でもほどこさないかぎり,とうてい一貫して合理的な説明などできるはずもない〈アクロバット的な変身〉をとげていた。

 「戦争神社」であるから「勝利のために祈る」さいに祭壇に動員される「英霊」という「戦死者たちの霊」は,その勝利に資するように活かされる以外「生かされる道はない」にもかかわらず,それでも,敗戦後になってからもつづけて「〈英霊〉を収容する宗教機関」として存続してきた。

 その経過じたいが矛盾を意味する点は,分かりやすい道理である。靖国神社のそうした《転向ぶり》は,自社の宗教に関する基本的な立場を,きわめて簡単かつ無節操に変更しえたことを意味する。もっとも,この種の指摘を靖国神社側は激怒して反応するけれども,事実を事実として指摘するに過ぎない。いわゆる「事実は小説(=靖国信仰)よりも奇なり」。

 昭和天皇は,靖国神社にA級戦犯が合祀されて(1978年10月17日)以来,靖国神社へ親拝に出向けなくなった。その最大の理由は,戦争責任の問題に関連させて問うのであれば,ほかならぬ最大・最高の人物であった「昭和天皇自身の身代わり」になって東京裁判の法廷に引き出され,その判決で絞首刑にされていたA級戦犯の死霊そのものが,この靖国神社に合祀され「英霊」にまで高められたからであった。

 小林 節は(多分)尊王論者の立場に立つにせよ,同じ意見・主張であっても,もっと論理的につめた説明を具体的に提供していなければ,説得力ある議論は確保できない。なにゆえ,天皇・天皇制問題になると,いきなり “ユル褌” 的な論理の展開になるのか不思議に感じる点である。

 ⑥「本日の記述」に関連する本ブログ内の言及

 ※-1 2014年05月15日

  主題「小林 節『憲法改正』論-天皇制は変えないという議論の限界-」

   副題「自民党が目を剥く,『小林 節』流,日本国憲法改正論の穏便性」


  主題「日本国の『みっともない首相安倍晋三』は『みっともない〔のがいまの日本国〕憲法』だと『批判』するけれども,実は『戦前・戦中の国家全体主義』が恋しいお坊ちゃま首相の立場」

   副題1「暗愚の首相がこの日本国を窮地に追いやりつつある現状」
   副題2「日本国憲法を改定してなにかよいことでもあるのか」


  主題「池上 彰先生の『明』講義の『暗』点に潜む皇室問題分析の死角-皇太子55歳誕生日の各紙『記事』-」

   副題1「皇室関係記事の基本的な問題点,池上先生の観点にも映らない『なにか』」
   副題2「『菊のタブー』的な姿勢と無縁ではない言論人として制約・限界」


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 【稼働停止にし,廃炉にできない「原子力発電所の裏庭」には,原爆など核兵器の生産・保有にこだわる「日本の軍国主義者」が待機して(隠れて)おり,安倍晋三はその代表者】

 【採算の論理・経営の基準でみたら,原発は国策として保護され民営として優遇されてきたからこそ成立できていたが,現在は斜陽産業どころか完全に無用で有害な産業である。しかも,産業廃棄物としては無限大的にやっかいものを残していくのが「原発という装置・機械」である】

 【いまや,本当のところでは財界でもお荷物になりつつあり,国民にとってはもともと大迷惑であった原発が,安倍晋三君にとっては「原発=原爆」である軍事的な観点があって,どうしても捨てられない「原発関連の産業部門」】

 【次世代の高速増殖炉を計画? 前世代のもんじゅは大失敗していたし,発育不全ではなかったか?】

 【小型原子炉の開発を計画するというが,大型が要らないのにわざわざ小型を作るという奇策の狡猾さ。なんの利点があるというのか】

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  「本稿(1)」のリンクはこちら( )。


  「本稿(3)」のリンクは末尾に掲示。

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 ④「自民党が原発をやめられない理由」(『ビデオニュース・ドットコム』2014年02月15日 19:22,引用は『BLOGOS』https://blogos.com/article/80437/ から

 かつて自民党内では反原発の立場・思想を堅持していたようにみえていた河野太郎議員は,この ④ に紹介する「反・原発の見地」を主張していた。だが,河野太郎は,安倍晋三政権のもとで2015年10月,内閣府特命担当大臣(規制改革,防災,消費者及び食品安全)に任命され,さらに2017年8月3日,外務大臣に任命されていたが,この大臣職に就くと即座に「反原発の立場・思想」を封印し,隠蔽した。なんということもなかった,この太郎もただ大臣病にとりつかれていた自民党内の陣笠議員,その1人でしかなかった。彼はそうした自分に関する事実をすすんで暴露していた。

河野太郎表紙 河野太郎もまた「世襲3代目の政治家」であるが, “政治家としての好ましい因子” は祖父の代からは徐々に劣性遺伝化してきたかのような展開をみせてきた。

 それも,大臣の椅子を与えられてからのこの太郎は,外務大臣になるや自分用の政府専用機がほしいなどとおねだりするなど,なぜか,世襲的政治家に本来的でもあったかのように,非常に俗悪な素質をムキだしにしていた。

 『自民党内の共産党的議員』だと同僚たちから非難・罵倒されてきたこの太郎の存在意義は,原発問題に関していえば,いまでは完全にゼロに近い。

 河野太郎はそれでも,いまから4年前までであれば,とてもりっぱに反原発(「原発廃絶」)のための提唱をおこなっていた。著作ももち,『原発と日本はこうなる-南に向かうべきか,そこに住み続けるべきか-』(講談社(2011年11月)もあった。この本は「3・11」を契機に公刊したものと受けとめてよい。

◆ 自民党が原発をやめられない理由 ◆
=『ビデオニュース・ドットコム』2014年02月15日


 安倍政権は一体全体どんな展望があって,再び原発推進に舵を切ろうとしているのだろうか。東京都知事選で自民党が推す舛添要一氏が脱原発を主張していた宇都宮・細川両候補に勝利したことで,安倍政権は懸案だった原発再稼働へ向けて動き出した。事実上原発推進を謳ったエネルギー基本計画の策定作業も,速やかに進めるという。

 当初,政府は2030年代末までに原発ゼロを謳った民主党政権のエネルギー基本計画を破棄し,原発を重要なベース電源と位置づけた新たなエネルギー基本計画を〔2014年〕1月中に閣議決定する予定だった。しかし,原発ゼロをかかげる小泉純一郎元首相の後押しを受けた細川護煕元首相の都知事選出馬で,にわかに原発問題が注目を集めはじめたとみるや,選挙後まで閣議決定を先延ばしにしてまで,原発が都知事選の争点となることを避けてきた経緯がある。

 選挙から一夜明けた〔2014年1月〕10日の予算委員会で早速,安倍首相はエネルギーの「ベストミックス」をめざしたエネルギー基本計画の策定を進める意向を示した。ベストミックスというのは経産省が考え出した霞ヶ関文学で,要するにこれからも原発を継続することの意思表明にほかならない。

 政権中枢を含め原発推進が主流を占める自民党内にあって,一貫して脱原発を提唱しつづけている衆議院議員の河野太郎氏は,そもそも現在のエネルギー基本計画の原案では,自民党の選挙公約に違反していることを指摘する。

 自民党は政権に返り咲いた2012年の衆院選で原発をあくまで「過渡期の電源」と位置づけ,できるだけそれを減らしていくことを約束していた。いまになって原発を「重要なベース電源」とするのは公約違反になるというわけだ。
 補注)河野太郎は以前,自分のブログ『ごまめの歯ぎしり』を公開していた。このなかで反原発の立場・思想を鮮明にしながら,原発を廃絶する必要性を議論していた。ところが,2015年10月に大臣職に就くや否や,当該する「原発関連のブログ」は一挙に削除していた。

 自身の境遇になにかまずいことでも生じていたのかと勘ぐるまでもなく,河野太郎も大臣になったとたん,安倍晋三の “アンダー・コントロール” にとりこまれていたに過ぎない。原発廃止の運動にとりくんでいる『仲間たち』からみたこの太郎の変幻自在ぶりは,政治家なんてやはりこの程度かと軽蔑心を抱かせる実例であった。

 〔記事に戻る→〕 河野氏が代表を務める自民党脱原発派のエネルギー政策議員連盟は,政府のエネルギー基本計画の原案に対抗するかたちで,原発の新増設・更新はおこなわず,核燃料サイクルも廃止して「40年廃炉」を徹底することで緩やかに脱原発を実現するための提言を策定し,政府と自民党に提出している。

 しかし,河野氏は自民党内では実際に脱原発の声をあげられる議員の数は党所属国会議員409人中せいぜい50人前後ではないか。電力会社やその関連会社,電気事業連合会と経団連,そして電力会社に依存する企業群や関連団体などからなる「原子力ムラ」は,脱原発を主張する議員に対して,激しいロビー活動をしかけている。多くの若手議員から,「原子力村から脅された」となどの相談を受けているが,本心では原発をやめるべきだと考えている議員の多くが,こうしたロビー活動のために身動きがとれなくなっている実態があると指摘する。

 原子力ムラは政治家にとって命綱となる選挙を,物心両面で支えている。パーティ券の購入や政治献金などを通じた政治活動の支援も,電力会社本体はもとより,関連会社・下請け・関連団体などを通じて,幅広くおこなっている。

 原発の再稼働を容認しないと発言した途端に,議員の集票や資金集めに支障が出てくるといっても過言ではないほどの影響力があると河野氏はいう。とくにやる気のある新人や若手議員は選挙での支持基盤が脆弱なため,電力会社から「つぎの選挙では支援しない」といわれれば,政治生命の危機に陥るような議員が大勢いるのが実情だというのだ。
 補注)この原子力村全体からの国会議員に対する圧力(原発反対の主義・主張に対するそれ)が,しかも非常に強力である「金力」にモノをいわせるかたちで,反原発の立場・思想を採ろうとする国会議員を金銭面および票の両面から締めつけてきた。そのために,どうしても抗えずに降参することを強いられた若手の議員が多いと,河野太郎は説明したわけである。だが,この太郎は太郎で “もっとゼイタクな理由:名誉欲” のせいで,反原発の立場・思想を弊履のごとく捨てていた。

 だいたい,最近における自民党の政治家たちに終始一貫した信念・理念を求めたところで,もともと無理難題だというのが通り相場になっている。とはいえ,この太郎のように「大臣という餌」に釣られてしまうと同時に,さっさと「原発反対」を捨てた者は,その政治家としての立場のいい加減さを,他者に対して分かりやすく示してくれた。要は,太郎自身が世襲3代目である政治家として,その唾棄すべき悪い側面ばかりをみせつけてくれた。

 〔記事に戻る→〕   そのような与党内の党内事情と同時に,もうひとつ日本が原発をやめられない明確な理由があると河野氏は指摘する。使用済み核燃料の最終処分場をもたず,また核兵器をもたない日本は,原発から出るプルトニウムなどの核のゴミを処理する方法がない。そのため,日本の原発政策は一度発電に使った使用済み核燃料を再処理して再び燃料として再利用する「核燃料サイクル」と呼ばれる遠大な計画がその根底にある。それがないと,日本の原発政策は経済的にも国際的にも正当化できなくなってしまうのだ。

 ところが実際には,核燃料サイクル事業は高速増殖炉「もんじゅ」の相次ぐ事故やトラブルで何兆円もの国費を投入しながら,まったく動いていないばかりか,2050年までは実現できないとの見通しを政府自身が出す体たらくにある。

 問題は日本が核燃料サイクル事業を放棄した瞬間に,電力会社が資産として計上している膨大な量の使用済み核燃料がすべてゴミになってしまい,電力会社の経営状況が悪化してしまうことだ。東京電力などは債務超過に陥り,経営が破綻してしまう。

 また,中間貯蔵を条件に青森県六ヵ所村に保管してある使用済核燃料も,燃料の再処理をしないのであれば,各電力会社がそれぞれ自分の出したゴミを引きとらなければならなくなってしまう。もともと,そういう条件で青森県に置かせてもらっているのだ。

 しかし,日本中の原発に併設された使用済み核燃料プールは,既に70%以上が満杯状態にあり,どこもそれを引きとるだけの余裕はない。また,原発の近くに使用済み核燃料を保管することのリスクがいかに大きいかは,今回福島第1原発事故のさいに,稼働していなかった4号機がどうなったかをみれば明らかだ。

 河野氏が指摘するように,日本が原発をやめられない理由は実は非常に単純明快だが,問題は日本という国にこの問題を解決するガバナビリティ,つまりみずからを統治する能力がないようなのだ。民主党政権もこの2つの問題に明確な解を出せなかったために,脱原発をめざしながら,最終的に策定した計画は「2030年代に原発稼働ゼロを可能とするよう,あらゆる政策資源を投入する」のようなやや意味不明なものになってしまった。

 民主党よりもさらに物心両面で原子力ムラへの依存度の高い自民党では,「やめたければ原発をやめられる国」になれるみこみが,ほとんどもてそうもないといっていい。

 河野氏が率いるエネルギー政策議員連盟は今回政府と自民党に提出した提言のなかで,最終処分場問題の解決には明解な答えを出せる状態にないことを前提に,
 
  イ) 核燃料サイクルを廃止し,使用済み核燃料はゴミとして扱う,

  ロ) それが理由で経営が悪化する電力会社に対しては,国が送電網を買い上げることで公的支援を注入する(そうすることで自動的に発送電分離が進む),

  ハ) 各原発が六ヵ所村から引きとった使用済み核燃料は,最終処分場問題が解決するまでの間,サイト内にドライキャスク(乾式)貯蔵法によって保管することで,地震や津波などで使用済み燃料プールが損傷して大惨事が起きるような危険な状態を回避すること,

などを政府に申し入れている。

 現在政府が公表している新しいエネルギー基本計画はあくまで原案であり,自民党内や国会での議論はこれからだ。河野氏は選挙公約に違反している部分については,党内議論の過程で徹底的に反対し,変えさせていきたいと抱負を述べるが,はたして自民党にそれを受け入れる能力があるか。注目したい。
 補注)この河野太郎による原発「史観」はすでに崩壊(自壊)していた。この太郎に「もとの反・原発観に戻れる」可能性はあるのか?

 本心で原発を推進したいのならいざしらず,実は止めたいのに止められないのだとしたら,止められる状態を作っていくしかない。なぜ自民党は原発を止められないのか,どんな党内事情があるのか,止めるためにはどうすればいいのか……。(引用終わり)

 この自民党内「反原発議員」であった河野太郎はその後,完全に心変わりしていた。自民党の原発推進路線は,国民たちの6割から7割も原発に反対する実情のなかにありながら,それでもなお,なんとか原発体制を維持していこうと必死になって画策をつづけており,けっしてその方向を諦めていない。問題はなぜ,そのような原子力村全体の意向にそった自民党の原発推進路線が止まないのかにある。

 ⑤ 原発の技術的停滞と原発市場の動向

 1)原発事業の停滞
 『日本経済新聞』2018年11月29日朝刊は「仏,次世代原子炉凍結へ 共同開発計画,日本に衝撃」という見出しで,また『朝日新聞』同日朝刊が「フランス,原発削減を先送り マクロン氏 依存後50%『2035年』に」という見出しで報じていたのは,電源を70%も原発に依存するフランスであっても,原発のその比率を削減していく必要性を切実に受けとめるほかない「時代の趨勢」を真剣に検討しているという事実についてであった。

 『日本経済新聞』は翌日〔2018年11月30日〕の朝刊5面「経済」では,「核燃サイクル継続に黄信号  次世代炉,仏が凍結方針  エネ政策見直し論再燃も」との見出しをつけた記事では,最初にこう報道していた。
 日本がフランスと進めている次世代原子炉の開発をめぐり,仏政府が2020年以降に計画を凍結する方針を日本政府に伝えた。日本は16年に核燃料サイクル政策の柱だった高速増殖炉原型炉「もんじゅ」の廃炉を決定。新たな柱として次世代原子炉を日仏で共同開発する方針だった。核燃料サイクルは八方ふさがりの状態で,エネルギー政策の見直し論が再燃する可能性もある。
 そもそも原発という科学技術は,「〈リレーおぴにおん〉火のいざない:2『原子の火』,怖いのは人の欲」(『朝日新聞』2018年12月5日15面「オピニオン」)で高村 薫も指摘するように,原発の燃料に使用される「原子力は,原爆の恐ろしさはあっても,平和利用という条件付きで『希望の火』でした」と理解されるかぎりでの,いうなれば,あくまで「原爆あっての原発」であって,その反対の関係ではありえない。

 したがって,「原発にこだわるところには必然的に〈原爆の問題〉が同居している(=「同じ穴のムジナ」)」。いいかえれば,そこには,究極的に軍事的な背景が控えている。そうした「原発と原爆」の関係づけに関して踏まえるべき基本の理解が,それらのうちに秘められている「論理的に深い脈略」を疎んじるわけにはいかない。

 『日本経済新聞』2018年12月4日朝刊1面の冒頭記事が「トルコ原発建設 断念へ 三菱重など官民連合」であった。アメリカの原発産業から事業を引きついだ日本の企業(東芝,日立製作所,三菱重工業)は,その後において先細りになるばかりの経過をたどった原発事業に苦しんでいる。
 政府や三菱重工業などの官民連合がトルコの原子力発電所の建設計画を断念する方向で最終調整に入った。建設費が当初想定の2倍近くに膨らみ,トルコ側と条件面で折りあえなかった。トルコでの原発新設は日本政府のインフラ輸出戦略の目玉のひとつ。国内で原発の新設計画が見通せないなか,日本は原発戦略の立てなおしを迫られる。
 『日本経済新聞』2018年12月4日朝刊13面原発トルコ輸出失敗『日本経済新聞』2018年12月4日朝刊13面原発トルコ輸出失敗2
 『日本経済新聞』同上は,13面「企業1」の記事「日本の原発事業,岐路に トルコで断念へ 案件,英の計画のみ」でもって,以上に関する事情をつぎのよう報道していた。  
 官民で受注を狙っていたトルコの原子力発電所の建設断念が避けられなくなったことで,日本の原発ビジネスの行方の不透明さが一段と増した。現在,日本勢が参画している原発輸出プロジェクトは,日立製作所が英国中部で計画している案件のみとなった。国内での新設案件はゼロで,長年培ってきた技術の維持にも暗雲が垂れこめている。(1面参照)
 日立製作所は英原発子会社のホライズン・ニュークリア・パワーを通じて,英中部アングルシー島で2基の原発新設計画を進める。ただ,総事業費は当初計画の2兆円から3兆円に膨らむみこみ。現在,日英両政府や民間企業からの出資を募る交渉を進めているが,先行きは見通せない状況だ。

 これまでベトナムやリトアニアで日本勢が交渉を進めていたが,東京電力福島第1原発事故以降の安全対策コストの急上昇や政権交代などで撤回や中断に追いこまれた。日本だけでなく,原発は高価でリスクの高いエネルギー源としての認識が世界的に広がっている。

 再生エネルギーの普及で,原発ビジネスは世界的にみても厳しい環境に置かれている。

 世界大手の米ゼネラル・エレクトリック(GE)は今秋,経営不振が深刻な電力部門を組織再編し,ガス火力発電部門と,原子力や石炭を含むその他部門に分割すると発表した。ドイツでもシーメンスが2011年に原発事業から撤退した。東芝は2006年に米原子炉大手のウエスチングハウスを買収したものの,巨額の損失が発覚し,経営危機に陥った。

 〔日本〕国内の事業環境はさらに厳しい。原発の新設案件はなく,各社の原子力部門の収入源は既存原発の再稼働に向けた工事や設備の維持管理だけだ。2000年代半ば,温暖化ガス排出量が少ないことから各国で原発建設計画が相次ぎ「原子力ルネサンス」と呼ばれた。

 日本勢はインフラ輸出の目玉として売りこみを進めてきたが,環境が激変するなかで重電各社の経営の重荷になっている。独自の技術開発を進め,政治的にもバックアップを受けながら営業攻勢をかけるロシアや中国企業の勢いが増す可能性がある。

 2)「中ロが握る原発市場 2000年以降稼働の6割 軍事技術に直結,警戒感も」(『日本経済新聞』2018年11月17日朝刊1面冒頭記事)
 世界の原子力発電市場で中国とロシアの存在感が高まっている。2000年以降に世界で稼働した原発の約6割は両国の企業が担った。一方,米国では採算悪化で原発の運転停止が相次ぎ,欧州も脱原発が勢いを増す。軍事技術に直結する原発技術の中ロへの集中を警戒する声もある。米中の「新冷戦」が指摘されるなか,原発が新たな覇権主義の舞台となる可能性もある。 
『日本経済新聞』2018年11月17日1面原発記事スリーマイル原発
註記)2019年9月までの閉鎖が決まった
  米スリーマイル島の原子力発電所 = AP

 a) 日米欧薄れる優位
 2000年以降,世界全体の約4割にあたる33基を稼働させた中国は国内の原子力発電を現在の3600万キロワットから2030年に世界トップの1億5000万キロワットまで高めることを視野に入れる。国内経済の安定に発電能力の引き上げが不可欠という事情にくわえ,習 近平(シー・ジンピン)指導部による産業政策「中国製造2025」でも原発を重要な技術と位置づけているためだ。

 現在,国内で計画する原発は150基以上。英国でも中国企業による原発建設計画が進む。米仏の加圧水型軽水炉(PWR)をベースに中国が自主開発した第3世代原子炉「華竜1号」はアルゼンチンやパキスタンなどへの輸出が決まった。稼働数で圧倒し,部品調達でも価格競争力が高いのが最大の強みだ。

 2位のロシアは中国よりもペースは遅いものの,15基を稼働させて全体の2割弱を占める。電力需要が高まる中東やアジアに売りこみをかけるロシア国営の原発企業ロスアトムは7月時点で世界の新規原発建設で全体の67%にあたる35基の契約を締結したと発表。2019年には世界初の洋上原発も稼働させる。

 4月には地中海沿岸のトルコのアックユでも同国初の原発を着工した。同国ではより安定した地盤の黒海沿岸で日本勢も建設計画を進めるが,総事業費の試算額が当初想定から2倍以上に膨らみ着工のメドすら立たない。日本政府関係者は「日本が断念すればロシアがやるといい出すのではないか」と話す。

 中ロのあとを追うインドもこれまで小規模な原発を中心に原発公社が国内で稼働させてきたが,世界第2の埋蔵量を誇る同国のトリウム資源を活用した独自の燃料サイクルの開発が進む。今春には同国としては海外初となる隣国バングラデシュでの建設計画への参画が決まった。周辺のスリランカやベトナムへの建設にも関心を寄せる。

 新興国による原発市場のシェア拡大の動きとは対照的なのが欧米の原発離れだ。米国では9月に稼働開始から49年を経た米最古のオイスタークリーク原発(ニュージャージー州)が運転を停止し,稼働中の商業炉は98基となった。

 シェール革命によるガス火力との価格競争力の低下が主な原因で,2025年までに全米でさらに11基停止する予定。欧州でもドイツやフランスなどが安全性を理由に脱原発を打ち出しており,国際原子力機関(IAEA)の予測によると,先進国を中心に30年に世界の原発の発電容量は10%以上減る可能性がある。

 原発市場の勢力図の一変は欧米や日本の技術優位に影を落とす。米国では原子力事業で必要な米機械学会による認証を取得した企業数は1980年に約600社あったが,2007年時点で200社以下に減少。米エネルギー省は原子力産業の衰退で,第3世代原子炉の主要資機材である原子炉圧力容器などを米企業ではもはや製造できなくなったとの見方を示す。日本でも加圧器用部品などの製造から撤退するメーカーも相次いでいる。

 b) 核不拡散体制に影
 原発建設・輸出の主導権が欧米から中ロなどに移ることに安全保障上のリスクを警戒する声も出ている。米国務省高官は中国による原発輸出について「中国の原子力産業は実質的に軍民一体であることが明らかだ」と指摘し,原発技術の向上は軍拡の一環との見方を強める。インドの原発輸出も,同国の周辺国への影響力を強める中国への対抗とみる向きもある。

 日米欧や中ロが加盟する核拡散防止条約(NPT,Treaty on the Non-Proliferation of Nuclear Weapons)は加盟国に核兵器に転用されない担保を義務づけ,各国とも輸出相手国と原子力協定を締結し,核燃料再処理などに制限をくわえている。だが,核兵器転用が懸念されるイランの原発でロシアが核燃料供給を支援するなど「中ロの協定内容は相当不十分」(日本外務省幹部)との指摘は多い。

 米シンクタンクのアトランティック・カウンシルも3月にまとめた報告書で中ロの核技術の向上と海外輸出強化について「第2次大戦後に確立した核の安全と不拡散,法的枠組に対する挑戦である」と指摘した。(引用終わり)

 この記事は全文を引用してみた。いま,世界の原発市場でいったいどのような動向が進行中であるか分かる。問題は「原発=原爆」であるという「おおもとの大前提」が,いつもまとわりついていたところにあった。

 「原発の黒子」としての「核兵器:原発である」とたとえてみたところで,これは実は不正確な修辞なのであって,むしろ『原発の原型』が原爆であって,この原爆の〈性能〉を低度次元に抑えて科学的に応用した発電技術が原発であった。原発の事故はその「抑え」が制御できなくなったときに発生する。

 前段で高村 薫が指摘したように,原発というものは「恐ろしい原爆」の「平和利用という条件付きで『希望の火』」(本当は《悪魔の火》)であるかぎり,一度でも事故を起こしたとなれば,これが事後においては収拾のつかない〈事故現場〉を,地球の環境に対して永久といっていい時間の長さとくわえて空間の広さでもって,残すことになる。

 こういうことである。チェルノブイリ原発事故(1986年4月)の現場はいつになったら更地に戻るのか。このことに答えられる原子力工学者(とくに推進論者)はいない。東電福島第1原発事故(2011年3月)についても “同じだ” としかいいようがない。そうであるに決まっている。

 原発を盛んに新設している中国であるが,もしもそれらの原発の1基でも大事故を起こした分には,地球上にはもう1基も原発は要らないという理由・批判があらためて生まれるかもしれない。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
  中国原発配置図2013年現在
 出所)2013年,https://matome.naver.jp/odai/2132867636661272301
 ところで,INES(国際原子力・放射線事象評価尺度)があるが,これは原子力発電所などの事故やトラブルを,安全上どの程度のものかを表わすための国際的な指標である。 福島第1原発事故とチェルノブイリ原発事故のINES評価は,同じく「最高のレベル7」を記録した。

 もしも,過去におけるそれらの原発事故と同じくらいに深刻で重大な原発事故が,中国の原発で起きたりしたら,われわれはそれをどのように受けとればいいのか? 考えただけでも恐ろしい事態の到来となる。「原爆を止めますか,それとも地球を壊し,人類を殺しますか」と問わねばならない現状を,中国はなんとも思っていないのか?

 アメリカは核兵器はけっして捨てないものの,原発はスリーマイル島原発事故(1979年3月)で懲りていた。ロシアもチェルノブイリ原発事故を忘れられない。日本は東電福島第1原発事故の後始末に本格的に着手したとはいえ,実質的にその進捗がまだない状態に留めおかれている。

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 【未 完】 「本稿(2)」の続き「(3)」は,⇒  ここにリンクを貼る予定

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 【前世紀の終わりころにバブル経済がはじけたままだが,いまではその飛沫さえ飛ばなくなっている「2018年のこの国」に固有である惨状と哀愁】

 【安倍首相の正体は「反日・売国・グローバリスト」
(適菜 収の断定)

 【安倍晋三は,日本国じたいがこの日本国のために生んだ「世襲3代目の政治家」として,あらためて形容するとしたら,いわば『墓堀人夫』である。その墓の準備ができしだい,そこに放りこまれるのは,いったいどこの誰か?】



   ①「仏マクロン政権 窮地 経済改革不満 デモ収まらず 死者3人に 」(『日本経済新聞』 2018年12月3日夕刊1面)

 1)記事の引用   
 【パリ・白石透冴】  フランスのマクロン大統領が,2017年の就任以来最大の危機を迎えている。マクロン氏に反発する〔12月〕1日の仏各地のデモで,南仏で1人が死亡,パリで130人以上が重軽傷を負った。デモは3週末連続で,収束の気配はみえない。企業の投資判断などにも影を落とすおそれがあり,仏政府は非常事態宣言を約1年ぶりに発令する検討を始めた。
『日本経済新聞』2018年12月3日夕刊1面フランスデモ

 ※ 非常事態宣言を検討 ※

 仏メディアによると,南仏アルルでデモに関連した交通事故が起き,男性1人が死亡した。この運動が起こって以来の死者は計3人になった。1日のパリでは治安部隊23人を含む少なくとも133人が重軽傷を負った。デモ隊が自動車に火を放ったり石を投げたりしたため,治安部隊は催涙弾を撃って鎮圧にあたり,412人を拘束した。
『日本経済新聞』2018年12月3日夕刊1面フランス支持率

 マクロン氏は20カ国・地域(G20)首脳会議出席のため訪れていたブエノスアイレスで〔12月〕1日,「意見の違いは尊重するが,暴力は絶対に認めない」と強く非難した。運動は蛍光の黄色いベストを着ることから「黄色いベスト」と呼ばれる。11月に入ってネット上で盛り上がり,実施は3週末連続。
 補注)この段落のマクロンのいいぶんを,日本の安倍晋三の口から出ることばとしていいかえたら,「意見の違いは絶対に認めない,暴力は裏舞台では大いにけっこう」とでもなるかもしれない。このように安倍晋三「解釈」をくわえる事由は,本日のこの記述全体を通して説明されていく。

 すでにネット上では4回目を「8日朝からシャンゼリゼ通り」などで強行するとの呼びかけが始まった。当初は燃料価格の高騰や2019年1月に予定されている燃料税引き上げに反対するデモだった。ただ,いまはそれだけでなく,社会保障増税やたばこ値上げなどマクロン改革全体に不満をもつ人が集まっている。

『日本経済新聞』2018年12月3日夕刊1面フランス記事 マクロン氏は就任して1年半あまり,財政再建と企業活動の活性化を2本柱として改革を進めてきた。先進国のなかでもとくに多い公務員を12万人減らし,財政赤字の削減をめざしている。法人税を33.3%から段階的に25%にし,解雇時に企業が支払う罰金に上限を設けて雇用・解雇を促した。

 しかし,労働者層は富裕層が優先的に恩恵を受けると受け止めている。ドイツなどと比べて高い失業率はマクロン氏就任以来9%台で変わらず,若年層も失望感を抱いている。マクロン氏へのこうした不満がデモの呼びかけに共鳴した格好だ。マクロン氏は11月下旬に緊急の記者会見を開き,デモ参加者に政策への理解を求めたばかりだった。

 仏政府はデモを抑えるため,人の往来や集会などを制限できる非常事態宣言を発令する検討を始めた。カスタネール内相は〔12月〕1日,仏メディアに「タブーはない。すべての措置を検討する」と明言した。発令すればパリ同時テロが起きた2015年から2017年に続き,1年ぶりになる。ただ企業の投資が減ったり観光客が減ったりする副作用もあり,発令の是非は慎重に判断する。フィリップ首相は近く,運動の代表者と面会する予定で,対話を呼びかける考えだ。(引用終わり)

 以上に引用した12月3日夕刊1面の記事につづく2面の記事は,ある解説記事を掲載していたが,その見出しは「〈ニッキィの大疑問〉2019年,暮らしはどうなる?  消費増税,1世帯3~4万円負担増」であった。日本でもふつうのサラリーマン家庭の場合,「アベノミクスのウソノミクス性」に由来する重税(増税)感が,ますます増すばかりの生活経済の状況になってきた。

 2)関連する記事と議論
 本ブログは,2018年11月22日の記述,主題「『金持ちの脱税は許せない,日産会長ゴーンも同罪だ』とかなんとかいう前に,国際企業の統治・支配権問題を裏舞台で日本のために支援する安倍晋三政権の問題」をもって,最近における日本の政治・経済の実質的な状態が,はたしてフランスよりもマシだといえるのかなどを,考えるための議論をしていた。

 日本のそれはお世辞にも “フランスよりは絶対的にいい” などとはいえない。遠くの欧州の1国と相対的にする比較論であるゆえ,政治状況や経済水準などを簡単に並べた議論はしにくい。とはいえ,『フランスのデモ騒ぎ』を海のこちら側で笑っていられる日本ではなかった。

 フランスの様子は対岸視できないはずである。日本でも同じような騒動がそれ以上に深刻な様相で起きたとしても,なんらおかしくない国情に落ちこんでいるはずだからである。ただ,日本人のほうがひたすらおとなしいというか,自分たちが国家や政府のあり方ににかかわる問題意識のもちかたが非常に低いせいで,フランスのような現象は〔不幸中の幸いとして〕発生していない。

 前記の「本ブログ,2018年11月22日の記述」はたとえば,日本と各国(米・英・独・仏)における法人税を比較していみる図表を出していたが,日本の法人税はさきにフランスとそれほど変わらぬ水準まで引き下げられてきただけでなく,その実質では「同じに低い税率」であっても,日本のほうが法人に断然有利である税制になっている。仏日間などの法人税を比較・考量するさいには,単純にその税率だけで議論しない注意が必要とされている。

 本日〔12月4日〕の『日本経済新聞』朝刊は,以上の記事(夕刊1面)を受けた記事「マクロン急進改革 離反 仏の反政府デモ止まらず EU結束揺らぐ恐れ」(3面「総合2」)のなかでは,つぎのような興味深い指摘を含む報道をしていた。この記事の中程から後半を引用する。
 デモが起きた直接のきっかけは政府が環境政策の一環で決めた2019年1月に予定しているガソリンと軽油への増税だ。11月17日,初めて大きなデモが実行されて以降,〔12月〕1日まで土曜日ごとにデモが実施されている。

 根底にあるのはマクロン政権が進める構造改革路線への反発だ。同路線は企業活動の規制緩和と行財政改革による「小さな政府」を志向する。解雇するさいに企業が払う罰金に上限を設けるなど,労働者を解雇しやすくして労働市場の流動性を高めたり,法人税の減税や社会保障費の国民負担の増額などを進めた。

 構造改革は既得権益が多い公的部門を中心に痛みを強いる一方で,社会全体が恩恵を感じるまでには時間がかかる。とくにフランスは伝統的に「大きな政府」が前提の社会だった。これに大統領府による高額食器購入やマクロン政権に期待した若年層での高止まりした失業率などがくわわり,マクロン政権への失望が一気に加速した。

 社会的な背景もある。フランス社会は一般にデモを通じた抗議の表明に寛容だ。デモ参加の経験が就学や就職で不利にならないとされており,多くの若者らが顔をさらして活動にくわわりやすい「大きな政府」に慣れた同国では公的部門を中心にストやデモは日常茶飯事だった。

 反政府世論で勢いづくのはフランスでもポピュリズム勢力だ。仏議会の有力な勢力で極右政党国民連合(元国民戦線)党首のマリーヌ・ルペン氏は「選挙以外にこの政治危機を乗り越えることはできない」と述べ,国民議会(下院)の解散・総選挙を主張する。
 この記事の中身は日本の事情に読みかえることもできるが,それについてはのちほど説明する。とりあえず,最近におけるその話題のひとつとして,日本では最近,たとえば「妊婦の外来受診に対する負担増」が話題になっていた。

 産婦人科における「検査や薬の投与」「妊娠への配慮評価」を理由に,2018年春から診療報酬(医療の公定価格)が改定され,妊婦が医療機関の外来を受診したさいの負担が増えていた。「妊婦加算という仕組」で,病名や診療科にかかわらず,通常の基本診療料(初診料と再診料または外来診療料)に上乗せされた受診料が請求される,というのであった。

 少子高齢社会のなかで出生率の低迷傾向にひどく悩んでいる政府であるはずだが,妊婦が日常的に支出すべき診察料そのものを上げる算段をし,これを実現させる理屈じたいには合理性のある判断が含まれているものの,その負担を妊婦自身にすべてまわすといったごとき,国家全体の社会政策目標(人口減少阻止)に関連したその判断としては,完全に逆機能にしかならない「産婦人科受診料の値上げ」を実現させていた

 結局,医療経済問題に関する目先の経済計算だけのやりくりに終始していて,大局的・長期的な国家的目標である出生率の改善・向上を,わざわざ抑制する要因を提供する愚策を講じていた。制度をいじり変更する意味が混迷しているというよりは,いかにも安倍晋三・麻生太郎風に不分明な施策であった。

 いままで国会で審議してきた外国人労働者移入に関連する「出入国管理及び難民認定法」の改正(改悪)問題も同様であって,あとさきのことなどろくに考えずに,ともかく「移民」に相当する範疇であっても,けっして「移民」とは呼ばないまま,外国人を労働力としてのみ受け入れようとしている。これでは5年先,10年先にはさらに「在日するようになった新来外国人」から新しい問題が発生していくといった予測を,いまから出しておいたほうがよい。

 本日〔12月3日〕の『日本経済新聞』「社説」は「改革の行方問われる仏大統領」との題名をかかげ,フランスの政治・経済に注文を付けていたが,その前に問題が山積状態であるはずの「自国のお▲▲な首相」と,もう1人のあの「▼▼な副首相」に対する厳正な注文を出す(意見し,是正させる)ほうが,ヨリ重要な論説の対象ではあるまいや。のんきにヨーロッパ情勢を社論でとりあげるのもいいが,自国内の大問題のほうにも気になる課題が充満しているのではなかったか?

 3)フランス-日本-韓国
 ということで,この日本の「人権感覚が低劣な」安倍晋三首相の犠牲者となるベトナムやフィリピンなどの若手労働者の多くは,『奴隷扱い』される日本よりは,台湾や韓国を選ぶ」(『板垣英憲(いたがき・えいけん)「マスコミに出ない政治経済の裏話」』2018年12月03日 07時57分48秒,https://blog.goo.ne.jp/itagaki-eiken/e/bfa2a893d9568eeb04213de3ab1532c1)とまでいわれる始末にあいなっている。
 〔特別情報1〕
 「中絶か帰国か 迫られた実習生」(『朝日新聞』12月2日付け朝刊1面トップ)記事が衝撃を与えている。リードで「外国人の技能実習生が妊娠し,強制帰国や中絶を迫られる例が相次いでいる。受け入れ機関側から『恋愛禁止』や『妊娠したら罰金』と宣告されるケースもあり,専門家は『人権上問題だ』と指摘している」と述べている。

 「人権感覚が低劣な」安倍晋三首相の犠牲者となるベトナムやフィリピンなどの若手労働者の多くは,賃金も安く,ピンハネのうえ「奴隷扱い」される日本よりは,台湾や韓国を選ぶ傾向が強まっているという。賃金も高く,人間扱いしてくれるからだ。

 さらに人権上の問題は外国人労働者だけではない。日産自動車のカルロス・ゴーン前会長は11月19日,金融商品取引法違反の疑いで東京地検特捜部に逮捕,東京拘置所に収監されて以来,否認を続けており,このままでは,長期拘留される可能性が大だ。中国,北朝鮮も顔負けの「人権無視」で悪名高い日本の刑事司法制度=「人質司法」は,欧米諸国からの批判の嵐に曝されている。
 以上,最後にはカルロス・ゴーンに対する国策捜査的とも映る刑事逮捕劇に関する指摘も出ていたが,ここでは「北朝鮮も顔負け」であるとまで酷評された日本国の刑事司法制度のあり方が批判されていた。

 いずれにせよ,最近における日本国に関した全般的な評判は,隣国である「あの韓国にくらべてさえもウンヌン(でんでん)」という比較の方法でなされており,これをいいかえれば「いまの韓国にさえ日本は劣るのだ」という奇妙に説得性のありそうな説明をもってさえも,それなりにその説得力がさらによりよく発揮される解説になるらしいのだから,失笑あるのみ……。

 だが,そうした心情論的な比較をした議論に走るよりも,実は日本側においてこそもともと〈悪い点:要因〉が控えている事実を,あらかじめ確実に理解しておく必要があった。もっとも,本日の記述のなかでは「日本は北朝鮮に等しいだとか,それより以下だ」といったふうな指摘も出ていたわけで,これを真に受けるとしたら,それこそまことに程度の悪い国が「このヤマト国だ」となりかねない。

 ②「『詭弁・ご飯論法』は,アベ政治の本質が生み出したもの」(『澤藤統一郎の憲法日記』2018年11月29日,http://article9.jp/wordpress/?p=11606

『毎日新聞』2018年11月28日安倍晋三のいいかえ言葉 2018年11月28日の『毎日新聞』夕刊「特集ワイド」は「安倍政権のいいかえ体質」をとりあげていた。安倍晋三内閣は,集団的自衛権の行使を容認する安全保障法制を「平和安全法制」,南スーダンでの戦闘を「武力衝突」,消費増税の延期を「新しい判断」などといいかえた。こうしたいいかえを見逃していいのか。

   FTA  ⇒ 「TGA」
   移 民  ⇒ 「外国人材」
   徴用工  ⇒ 「労働者」
   ヘリ墜落 ⇒ 「不時着」
   共謀罪  ⇒ 「テロ等準備罪」
   公約違反 ⇒ 「新しい判断」
   カジノ  ⇒ 「統合型リゾート」
   武器輸出 ⇒ 「防衛装備移転」
   安保法制 ⇒ 「平和安全法制」
   情報隠し ⇒ 「特定秘密保護」

 なるほど,こう並べてみるとアベ政権のごまかし体質が明確に浮かびあがる。真っ当に国民に説明しようとしないから,こうなる。国民をごまかして票を掠めとろうというさもしい根性が,このような詭弁を生み出すのだ。この特集記事では上西〔充子〕教授も取材対象となっている。同教授の口から,アベ政権の「厚顔無恥話法」が話題とされている。これも実に適切なネーミングではないか。

 「いいかえ」とは,「ごまかし」のことである。全滅を「玉砕」といい,退却を「転進」といいかえた大本営発表以来の,わが日本の伝統芸。これこそ,アベ政権がとり戻そうという麗しい日本のかつての得意技。

 『2018ユーキャン新語・流行語大賞』のノミネート30語が11月7日に発表されている。そのなかに,「ご飯論法」もはいっている。選者にアベ政権の忖度なければ,「ご飯論法」は有力な受賞候補ではないか。選の発表は12月3日(月)。たまたま,「ウソとごまかしの『安倍政治』総検証」院内集会の日。もしかしたら,講演予定の上西教授ご自身から,朗報が聞けるかもしれない。(2018年11月29日)
   安倍晋三政治批判ポスター2018年12月3日開催行事
  結局,適菜 収が説明する「バカがバカを支配する国」が日本であり,嘘やデタラメ三昧の国になりはてたのが,まさに「いまのこの日本」である。安倍晋三や麻生太郎のために私物化された「国家の姿のなれの果て」を具体的に表現する「現象」が,いまや陸続と展開されている。

 いま,日本の国民たちがあの “お▲▲な首相” や “▼▼な副首相” を批判しきったうえで,日本の政治のなかから排除しないかぎり,この国家日本はこれからも滅亡への一路を突きすすんでいく。
 明石順平表紙 明石順平表紙2 
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 ③「〈注目の人 直撃インタビュー〉作家・適菜 収氏が喝破 バカがバカを支持すれば国は滅びる」(『日刊ゲンダイ』2018/12/03,https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242691 から https://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/242691/8
 ※ 人物紹介 ※  「てきな・おさむ」は 1975年山梨県生まれ,早大で西洋文学を学び,ニーチェを専攻。ニーチェの『アンチクリスト』を現代語訳した『キリスト教は邪教です!』『ゲーテの警告 日本を滅ぼす『B層』の正体』『安倍でもわかる政治思想入門』など著書多数。『もう,きみには頼まない 安倍晋三への退場勧告』『小林秀雄の警告 近代はなぜ暴走したのか?』を先〔2018年11〕月上梓。
  適菜収画像
    出所)https://www.youtube.com/watch?v=LItCxo2fGcE
 1)安倍首相の正体は反日売国グローバリスト

 安倍政権は疑惑と不祥事の製造マシンのようだ。安倍首相はもとより閣僚も問題だらけで,臨時国会は連日紛糾。議会の体を失い,立法府はまるで学級会だ 補注)。なぜデタラメ政権が6年ものさばり続けているのか。安倍首相を「エセ保守」と糾弾し,鋭い政権批判で話題の論客,作家の適菜 収氏に聞いた。
 補注)より正確な表現をするなら「学級崩壊した」ところの「学級会」のこと。

 2)自民党は開きなおったもん勝ちを覚えた

 ◆ 片山さつき地方創生相らの政治とカネ問題,桜田義孝五輪相の資質,移民法と呼ばれる出入国管理法改正案をめぐるデータ捏造も発覚し,臨時国会は大荒れです。

  ◇ 自民党は開きなおったもん勝ちというやり方を覚えちゃったんでしょうね。片山大臣なんか完全に開きな直っている。自分で提訴しておきながら「訴訟上の問題なので控える」と突っぱって,政治家として言葉で説明しようとしない。

 アベ友の甘利 明元経済再生相も口利きワイロ疑惑から逃げまわり,ほとぼりが冷めたら表舞台に復帰した。不祥事はそのうち忘れられる,内閣支持率はいずれ回復するという国民をナメた姿勢が安倍政権は露骨です。悪い意味での危機管理が巧みになった。

 第1次安倍政権と第2次政権以降の違いは,完全な開きなおりにあると思います。

 ◆ 1次政権は閣僚の辞任ドミノで崩壊しましたが,再登板後の安倍首相はモリカケ疑惑も含め,不祥事はどこ吹く風です。

  ◇ 2016年の参院選で自民党が大勝し,衆参両院で3分の2の勢力をえた影響は大きいですよね。数の論理をかさに着て,説明や説得を完全に放棄した。昨〔2017〕年の都議選の街頭演説で安倍首相が「こんな人たちに負けるわけにはいかない!」といい放ったのが象徴的です。自分のやり方に反対する「こんな人たち」と議論するよりも,議会で多数を占めて押し通せばいい,理屈はあとづけでいい,という態度を隠さなくなった。熟議ではなく勝ち負けという発想です。

 ◆ 選挙で勝てば好き放題が常套手段。批判に耳を傾けません。

  ◇「民主党政権よりマシ」とか「安倍さんのほかに誰がいるのか」といったテンプレートに乗っかり,思考停止している人たちもいます。それが本質的な政権批判につながらない要因でもある。安倍首相は拉致問題でのし上がってきたり,憲法を改正して日本を普通の国にするといっていたので,だまされた「保守派」は少なくなかった。

 でも,化けの皮はとうに剥がれている。安倍政権の実態は新自由主義の売国グローバリズム路線です。もちろん,安倍首相は保守の対極に位置する政治家です。トランプ大統領のケツをなめ,プーチン大統領のケツをなめ,支持基盤である財界のケツをひたすらなめ続けている。

 ◆ 安倍首相の正体に気づいたのはいつごろですか。

  ◇ 1次政権発足直後の会見で「小泉総理が進めてまいりました構造改革を私もしっかりと引きつぎ,この構造改革をおこなってまいります」と発言したときです。しかし,当時は正直ここまで露骨な反日政策を推しすすめるとは思っていませんでした。「移民政策はとらない」といいながら,日本を世界4位の移民大国につくり変え,TPPを推進し,種子法を廃止。配偶者控除の廃止ももくろんでいました。さらには,水道事業を民営化し,放送局の外資規制を撤廃しようとしています。

 ◆ 外交もデタラメです。

  ◇ 日韓基本条約を蒸し返したあげく,韓国に10億円を横流ししたのも安倍首相です。不可逆的に歴史を確定させるのは政治の越権です。北方領土返還をめぐっては,共同経済活動という名目でロシアにカネをむしりとられ,主権問題を棚上げされた。9月の東方経済フォーラムでプーチン大統領から「前提条件なしで年内に平和条約締結」をもちかけられた安倍首相はヘラヘラ笑ってましたよね。その後,直接反論したと釈明しましたが,大統領報道官に否定された。

 ◆ 国内で飽き足らず国際社会でも嘘をつく

  ◇ 6月の米軍F15戦闘機墜落事故を受けて「(飛行)中止を申し出た」と国会答弁しましたが,これも真っ赤な嘘。問題はプーチン大統領やトランプ大統領が安倍首相をどうみているか,です。平気で嘘をつくヤツ,脅せばカネを出すヤツだとみている。ネットでは「歩くATM」とか「カモネギ」と揶揄されていますが,国土にノシをつけて献上するのだから献国奴ですよ。これは異常事態です。さらに異常なのは,この異常事態に気づいていない日本人があまりにも多すぎることです。

 3)保守は本来「常識人」,言葉の乱れは国家崩壊の始まり

 ◆ 右派組織の日本会議もそうですが,ネトウヨの支持も熱いです。

  ◇ ネトウヨは右翼とはいうものの,右翼の文献を読んでいるわけじゃない。弱者を叩いて自己充足しているだけで,基本的には情報弱者です。そもそも,彼らは新自由主義と保守主義の区別もついていない。保守主義はイデオロギーを警戒する姿勢のことで,自由や平等といった近代的理念のもと,急進的に社会を変革しようとしたフランス革命への反発により発生しています。

 保守は人間理性に懐疑的なので,近代的理念をそのまま現実社会に組みこむことを警戒する。だから,伝統を擁護する。保守とは本来「常識人」のことなんです。一方,新自由主義は,近代的理念である自由を絶対視する。自由を阻害するものを敵視するので,反国家的になります。

 ◆ 安倍政権は「改革」や「革命」が大好物です。

 2014年のダボス会議で安倍首相は日本の権益の破壊を宣言し,「社会はあたかもリセットボタンを押したようになって,日本の景色は一変するでしょう」と演説しました。小池百合子東京都知事も橋下 徹前大阪市長も「リセット」という言葉をよく使います。典型的なファミコン脳です。革命により一度破壊して,社会を再設計すればいいという極左の発想です。

 ◆ 安倍首相が発言をコロコロ変えるのも,一種のリセットですね。

  ◇ 発言は矛盾だらけだし,義務教育レベルの常識も吹っ飛んでいる。「ポツダム宣言というのは,米国が原子爆弾を2発も落として日本に大変な惨状を与えたのち,〈どうだ〉とばかり叩きつけたもの」という発言もそうですし,「私は立法府の長」といったのは4回目ですよ。

 要するに,自分の職権も理解していない。憲法を学んだ形跡もないのに,前文からすべて変えたいといってみたり。左翼は安倍政権の本質を見誤っています。左翼は「戦前回帰の軍国主義者」といいますが,そもそも安倍首相は歴史をしらないので,戦前に回帰しようもない。
 補注)そうである。安倍晋三は歴史さえもろくにしらないのだから,本来より「戦前回帰」などと唱えられるわけもないにもかかわらず,それでいてバカのひとつ覚えの要領で「戦後レジームからの脱却」を唱えてきた。

 だいたい,戦前に還帰する(できる?)どころか,在日米軍基地に首根っこを押さえこまれているこの日本国にあって,その実態をいえば「いまの戦後のこの日本の国土」の支配・管理ですら,自分たちの自由にできないでいる。

 それでも「女性の選挙権もなかった」敗戦前に戻りたいなどとのたまう「安倍晋三君の脳細胞」には,ほとんどまともに血がめぐっていないに違いあるまい。

 ◆ 漢字は苦手,言葉遣いもメチャクチャ。会話にならないといわれます。

  ◇ 言葉の乱れは国の崩壊の始まりです。移民は「外国人材」,家族制度の破壊は「女性の活用」,秩序破壊の実験は「国家戦略特区」,不平等条約のTPPは「国家百年の計」,戦争に巻きこまれることは「積極的平和主義」,南スーダンの戦闘は「衝突」……。

 安倍政権の手にかかると,言葉が正反対の意味で使われる。嘘がバレて整合性がつかなくなると,現実の方を歪める。これではどんな判断も主張も意味をなしません。安倍首相は語彙は少ないし,動きも幼い。ネットでは「ジューシー安倍」と呼ばれていましたが,桃を食べても,マスカットを食べても,牛肉を食べても感想は「ジューシー」。
     『日刊ゲンダイ』2018年12月3日安倍晋三画像箸・食事写真
 補注)これは本文記事のなかから引用した画像であるが,指摘があったように「〈お箸の国〉の総理大臣」が,その箸をきちんと・正しく使えていない。これで「美しい国:日本へ」をデンデンする資格が,このしんちゃん(晋チャン)に安倍晋三と岸洋子画像あるとしたら,皆が全員でズッコケルこと(箸でなく匙を投げること),完璧に請けあえる。

 安倍晋三のゴッドマザー(偉大なる母)である安倍洋子(岸 信介の娘)や,その夫の安倍晋太郎は,このシンゾウにどんな躾〔身に美しいと書く字〕をしてきたのか,興味津々というところであった。

 近年は「ご飯が欲しくなる」というフレーズも覚えたようですが,食事のマナーは最悪です。箸をきちんともてないし,迎え舌だし,犬食いです。要するに,64歳まで生きてきて,親身になって注意してくれる人が周囲にいなかったということ。マトモな人間関係を築くことができなかったということでしょう。
 補注)安倍晋三が傲慢で幼稚な世襲政治家である事実は,大昔からの公認済み事項であった。

 ◆ 安倍1強がむなしく響きます。

  ◇ いまの日本の政治状況を生んだ諸悪の根源は,自由党の小沢一郎代表だと思います。1993年に日本新党の細川護熙代表を担いで連立政権をつくり,1994年に政治改革と称して小選挙区比例代表並立制を導入し,政治資金規正法を改正した。これにより,党中央に権力とカネが集まり,ポピュリズムがはびこるようになりました。

 ◆ 平成も残り半年です。

  ◇ 政治の腐敗,権力の集中,小選挙区の弊害。平成30年間の「改革」のドンチャン騒ぎの末路がいまの安倍政権ですよ。こんな政権を6年も放置してきた日本はもう手遅れだと思います。これはメディアも含め,日本国民の責任です。バカがバカを支持すれば,当然,国は滅びます。(引用終わり)(聞き手=本紙・坂本千晶)

 いまの日本は人口が減少しだしているだけではなく,その年齢別の構成内容が少子高齢を一大特性としているだけに,国家としての質的な組成が人口統計面で今後もさらに脆弱化が進行し,先細りしていく。ところが,安倍晋三の為政はこの現実的な変移を深刻に認識したうえで,真正面からとりくむのではなく,この現状をさらに悪化させ拍車をかけるような内政と外交しかなしえていない。

 首相失格である。自民党じたいがこうした体たらくきわまる総理大臣(自民党総裁)を,自浄作用が働かずに排除できない現状は,まるで不治の病を意味する。当人が得意がっていい気になってしまい,デタラメとウソに凝り固まった為政をつづければつづけていくほど,この国の腐朽し,凋落し,沈下していく速度がヨリ早まっていくほかない。

 本ブログではいままで,安倍晋三の政治家としての成果を,売国・亡国・滅国・壊国・傾国などと形容しつつ警告してきたが,いまに至ってアベはすでに,その半分以上は「自分の政治理念として達成した」かのような風景を,この国に浸透させてきた。

 ところが「日本はお箸の国」だなどといわれ,これが「美しい国へ」の様子を表現する一端でもあると思われていた節もあったのだが,安倍晋三の場合では “お箸のもちかた” すらなっていなかった。あとは推してしるべしであった。

 日本でのように,世襲3代目の政治家がやたら多い先進国(?)は,実は他国(主要な先進国)にはみられない特殊な政情である。その弊害たるやすさまじく,まさに「亡国への一路」を,それも現実的に突きすすむ事態を招来している。その最中なのであるから,まことにみじめで,とても悲しい政界の現実である。

 ④ 安倍晋三と麻生太郎に関するある話題
 
  “お▲▲な首相” や “▼▼な副首相” を選ぶ選挙民も選挙民である。安倍晋三の選挙区は山口県第4区,麻生太郎のそれは福岡県第8区である。この選挙区の有権者の多くが,まさか「▲▲や▼▼の程度」においてこの2人とまったく同じ資質・水準だとは思いたくないけれども,「日本国を悪くする盤石の基盤創り」に対して大いに貢献していることだけは,テイネイにしっかり自己認識してほしいものである。
        安倍晋三と麻生太郎の画像
 出所)http://g3s.gunmablog.net/e326507.html この( ← )住所のブログ記述は「総理,副総理が学歴詐称?」との題名をかかげていた。下品・卑猥・不作法・無能・低劣・粗暴・些末な男たちの姿が,毎日のニュースに登場している。「こんな2人が日本の首相と副首相」である。国民たちの側から観た「これらの者たち」を指して,『末期的現象』だと非難しただけで済まされる問題ではなくなっている。
 そういえば,安倍晋三に関しては,寺澤 有『安倍晋三秘書が放火未遂犯とかわした疑惑の「確認書」』(Kindle版,2018年)が発行・販売されている。本書の解説は,こう書いていた。
安倍疑惑本表紙 2000年,安倍晋三衆議院議員の自宅や後援会事務所へ火炎びんが投げこまれるという連続放火未遂事件が発生した。動機などナゾが多い事件だったが,2003年,容疑者の元建設会社会長と暴力団組長らが逮捕された。そこで明らかになったのが,安倍議員と元建設会社会長とのトラブル。

 1999年の下関市長選挙で,元建設会社会長は安倍派の候補者を支援するが,当選後,十分な見返りをえられなかったという。安倍議員側が元建設会社会長に表ざたにできないような支援を依頼し,その見返りに関する「念書」もあるとの疑惑が浮上。

 しかし,2006年,第1次安倍内閣が成立し,事件の真相は闇へ葬られた。2018年,元建設会社会長は懲役13年の刑を終えて出所すると,ジャーナリストの山岡俊介と寺澤 有に連絡。「念書」を示しながら,事件の真相を語った。目次はつぎのとおりである。

   安倍晋三宅放火未遂事件の闇
   安倍議員秘書が放火未遂犯へ300万円を提供
   共同通信が安倍スキャンダルの記事を差し止め
   竹田 力秘書が「念書」にサイン
    「確認書」2通と「願書」1通
 麻生太郎については『リテラ』がつぎの記事を,ネット・ニュースとして報道していた。必読の記事である。題目にはリンクを貼っておくが,見出しのみ列記しておく。
 「安倍首相が『徴用工でなく労働者』」と言い換えを命じても強制労働の歴史は消せない!  麻生家の炭鉱は『朝鮮人地獄』と……」(『リテラ』2018.11.14,https://lite-ra.com/2018/11/post-4368.html)

    麻生財務相の一族経営の炭鉱で行われていた朝鮮人徴用工虐待
    世界遺産「軍艦島」でも…「汁かけ飯一杯で栄養失調」「脱走者に拷問」
    徴用工問題と安倍政権の入国管理法改正には共通点が
 ⑤「〈声〉声届かない国会に誰がした」(『朝日新聞』2018年12月4日朝刊「オピニオン」)が,こういっていた。投稿者は「無職 伊藤典子,千葉県 62歳)である。

 出入国管理法改正案もあっという間に衆院を通過した。2013年の特定秘密保護法以降,いくつもの法律が十分な議論もなく成立している。水道事業の「公設民営」もこのまま導入されるのでは,と危機感を抱く。

 与党には安倍晋三首相に異論をいえる議員はいないのか。国会でも野党の質問に向きあわず,持論を繰り返すだけ。「どうせ過半数以上が賛成するのだから,真剣に答える必要はない」との思いなのだろうか。

 それは国民の声を聞いていないも同然だ。たとえば,子育て支援。待機児童解消のために保育園の増設,保育士の待遇改善を求める声が強いのに,幼児教育・保育の無償化が先行される。そして,消費増税対策とされるポイント還元や商品券。経費や煩雑さから得策とは思えない。

 社会保障が充実して暮らしの不安が減るなら,消費増税も受け入れる。でもいまの政治や税金の使い方は納得できない。森友・加計問題もうやむやなままだ。

 これは,2012年〔12月〕からの衆参5回の国政選挙の結果だ。みなさんは,自分が投票した議員は国会でなにをしているかしっていますか。棄権は白紙委任と同じです。このままでいいですか?

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 【稼働停止にし,廃炉にできない「原子力発電所の裏庭」には,原爆など核兵器の生産・保有にこだわる「日本の軍国主義者」が待機して(隠れて)おり,安倍晋三はその代表者】

 【採算の論理・経営の基準でみたら,原発は国策として保護され民営として優遇されてきたからこそ成立できていたが,現在は斜陽産業どころか完全に無用で有害な産業である。しかも,産業廃棄物としては無限大的にやっかいものを残していくのが「原発という装置・機械」である】

 【いまや,本当のところでは財界でもお荷物になりつつあり,国民にとってはもともと大迷惑であった原発が,安倍晋三君にとっては「原発=原爆」である軍事的な観点があって,どうしても捨てられない「原発関連の産業部門」】

    

 ①「【問題発言】驚愕!  安倍首相が過去に『核兵器の使用は違憲ではない』と発言していた!  核兵器を使う気満々?」(『情報速報ドットコム』2015.07.15 05:59,http://saigaijyouhou.com/blog-entry-2544.html

  「安倍官房副長官(当時)の発言」(『サンデー毎日』2002年6月2日号)から,つぎのような記述を紹介したい。

 ◆-1「有事のさいに,自衛隊の活動とか国の活動において,皆さんの国民の権利,基本的人権が一時制約されるのではないか,ということです。これは制約されます。 (略)  パレスチナをみてください。国家が崩壊したら,彼らの人権を誰が担保するんですか。権利を担保する国そのものが存続の危機を迎えているときには,それは当然,ある程度我慢をしなければならない。そういう理屈が当然だと思う」。
 補注)ここで安倍晋三の〈仮定話〉にもちだされている外国の事例は,日本と比較するものとしては基本的に不適切,不用意である。比較する対象になりうるかどうかはそっちのけで,自分に都合いいものを,性急に勝手にとりこんでは,なおかつそれに無理やりにくわえる解釈「話」をおこなっていた。そもそも,いっているこの内容が支離滅裂であった。

 この人の話法にあっては,論理性というもの(実体),それもとくに現実に裏づけられた筋道(説得力)を読みとることがむずかしい。それでも,当人の気分だけにおいては本気であるのだから「話にもならない」。だが,一国の最高指導者としてゴリ押し的にいいきれるところが,この人の為政を必然的に「害悪そのもの」にさせてきた。

 ◆-2「自衛隊を認めている以上,法整備をしないとおかしい。 (略) 毎年毎年,約5兆円近い予算を使っているんですね。実力部隊としては世界で,米国は別ですが,自衛隊の実力というのは最高水準だろう。 (略) イージス艦が4隻もある。地平線を越えてレーダーをとばすことができますから,きわめて大きな範囲をカバーできる。(略)1隻1200億円もするわけです。税金を使っている以上,当然機能的に活動できるようにするというのが,われわれ政治家が納税者に対しての義務ではないか」。
 補注)「海上自衛隊の7隻目となるイージス艦(約8200トン)の進水式が2018年7月30日,横浜市磯子区であり,「まや」と命名された。建造時から弾道ミサイル防衛(BMD)能力をもつ最新鋭艦で,装備などをとりつけたあとの2020年3月に就役予定。
    イージス艦まや画像
   出所)https://matomedane.jp/page/11915
 2021年に就役する建造中の同型艦と合わせ,海自のイージス艦は8隻態勢になる。だが,日本のイージス艦がアメリカのそれとまったく同じ性能諸元を与えられているかについては,基本的に異なる。こうした事実そのものにもとづいた議論は,安倍晋三には期待すべくもない。
 註記)『毎日新聞』2018年7月30日 19時35分,最終更新 7月31日 08時38分,https://mainichi.jp/articles/20180731/k00/00m/040/054000c 参照。

 ◆-3(先制攻撃はできないでしょうと司会の田原総一郎に問われて)「いやいや,違うんです。先制攻撃はしませんよ。しかし,先制攻撃を完全には否定はしていないのですけれども,要するに『攻撃に着手したのは攻撃』とみなすんです。(日本に向けて)撃ちますよというときには,一応ここで攻撃を,『座して死を待つべきではない』といってですね,この基地をたたくことはできるんです。 (略) 撃たれたら撃ち返すということが,初めて抑止力になります」。
 補注)この発想方式は,現代アメリカ風の帝国主義的な軍国路線をそのままマネをした思考形式を語っている。安倍晋三は,アメリカ軍の驥尾に着かせて日本の自衛隊にも,同じような〈軍事的な行動〉をさせると告白している。とはいえ,日本の自衛隊「3軍」すべてが在日米軍の実質指揮下のあるかのような現状における軍隊組織であるかぎり,この種の見解をいくら披露してみたところで,アベという「トノサマガエルが大きな図体の種牛を真似して腹を膨らませている姿」にしか映らない。要はコッケイなのである。

 〔本文記事に戻る→〕 (大陸間弾道弾を作ってもいいのかと問われて)「大陸間弾道弾はですね,憲法上は問題ではない」,「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね,憲法上は。小型であればですね」。(それは個人的見解かと念を押されて)「それは私の見解ではなくてですね,大陸間弾道弾,戦略ミサイルで都市を狙うというのはダメですよ。日本に撃ってくるミサイルを撃つということは,これはできます」。

 「そのときに,たとえばこれは,日本は非核三原則がありますからやりませんけども,戦術核を使うということは昭和35年(1960年)の岸総理答弁で『違憲ではない』という答弁がされています。それは違憲ではないのですが,日本人はちょっとそこを誤解しているんです。ただそれ(戦術核の使用)はやりませんけどもね。ただ,これは法律論と政策論で別ですから。できることを全部やるわけではないですから」。
 補注)安倍晋三は個人的見解かと問われているのにこれには答えずに,別方向からそれに個人的な信条・価値観から答えている。これがいつものアベ流の応答であった。いいかえると「例の」なにに対してでも “テイネイにしっかりと答える” のだというけれども,実は「デタラメに嘘八百を重ねた要領」で答えるだけの議論であった。人間的な誠実さなどはそのカケラさえ感じられない,それでいて,まったく幼稚でつたない話し方であった。

 以上の議論に対して安倍氏は,こういっていた。原爆をもちたい,使いたいという感情が露わに表現されていた。

   イ)「法律論と政策論は別だ。大学の講義という場,しかもオフレコということなので純粋に法律論を進めた」。

   ロ)「発言のなかで『政策論としては非核三原則上もつことはできない』と,可能性を排除しているのだから。全部の文脈をみてもらわなければ困る」。

   ハ)「(日本が被爆国だからというのは)それは感情でしょう。被爆国だから(原爆を)排除しろという考えではない」。
 補注)第2次大戦末期に原爆が広島市や長崎市ではなく,荻市とか下関市(ともかく旧長州藩にという意味であるが)に投下されていたとしても,安倍晋三はこれと同じに答えるのか。自分の親族や知人などが原爆に殺されていても,まだそのように考えられるのか訊いてみたいところである。

 ◆-4 戦争放棄をうたう憲法9条の「平和条項」に関して安倍晋三は,こう述べていた。「憲法9条の規定は独立国としての要件を欠くことになった」「とりわけ当時のアメリカの日本にたいする姿勢が色濃くあらわれているのが,憲法9条の『戦争の放棄』の条項だ。アメリカは,みずからと連合国の国益を守るために,代表して,日本が二度と欧米中心の秩序に挑戦できないよう,強い意志をもって憲法草案の作成にあたらせた」(⇒ 2006年7月20日出版の著作『美しい国へ』)。
 補注)こうした発言をしてきた安倍晋三こそが,実際にはいままで,アメリカへの追従・服属でしかありえない対米従属外交をおこなってきたのだから,いうことと・やっていることとがまったく逆さまである。もっともそれ以前に,発言している内容そのものが完全に噴飯ものであった。

 つまり「アメリカは,みずからと連合国の国益を守るために,代表して,日本が二度と欧米中心の秩序に挑戦できないよう」にしようと,敗戦させたこの国の上に在日米軍基地を置いている。1945年9月以来,その目的はほぼ順調に果たしつづけられてきたともいえる。

 いいかえれば,アメリカは在日米軍基地の存在によって,日本国全体の首根っこを軍事的に押さえこんできている。だから,安倍晋三が以上のごとき勇ましい発言を放ったところで,この人自身に対してすら「大枠のタガ」が嵌められている。安倍がこの国の土俵の上で,いくら「独り相撲」的な発言をおこない,いくらオダを挙げて粋がっていたところで,“在日米軍的な日本国の状況” になにかすこしでも変質が起こりうるのではない。


 とりわけ安倍晋三の政権になってからは,アメリカのトランプがこだわる自国ファースト・覇権主義に対して,みずからすすんでこの日本国を適応させてしまい服従する国家体制を,より積極的=主体的にととのえてきた。それゆえ,この首相の外交姿勢じたいがそもそも,アメリカに対する「独立国としての気概を完全に欠く」基本的な立場にある。それでいて,前段のように日本は核兵器の保有・使用も違憲ではないとする持論を強調していた。これを,アメリカ側がなんとみる?

 ◆-5 安倍晋三は核兵器に関して「憲法上は原子爆弾だって問題はない。小型であれば」と,2002年5月に早稲田大学で開かれたシンポジウムでの講演の内容として強調していた。
 補注)安倍晋三のオジに当たる佐藤栄作が日米安保体制史のなかで策定した「非核三原則」は,この元首相にノーベル平和賞を授ける事由になっていた。だが,その後,それがトンデモない「錯誤の認定」であった事実を深く反省させられていた。『ノルウェー・ノーベル委員会(Den norske Nobelkomite)は,佐藤栄作への平和章授与については反省しきりであった。

 ②「日本政府が原発から手を引けない本当の理由『第3次アーミテージレポート』」(『小坂正則の個人ブログ』)2015年04月05日,https://nonukes.exblog.jp/21686263/)


 1)政府の意思決定は『第3次アーミテージレポート』に書いてある
 集団的自衛権の閣議決定から辺野古基地建設を強引に進める防衛政策や,原発再稼働を強行して原発優先のエネルギー政策を進める安倍政権の政治決定には,いったい誰が裏で糸を引いているのだろうかと,私はつねつね疑問に思っていました。

 安倍晋三が自分で考えて,安倍の意思ですべての政治決断を決定しているはずはありません。安倍をとり巻く秘書官などにそんな政策立案能力があるはずもないでしょう。すべては『第3次アーミテージレポート』に書いてあるのです。
アーミテージ第3次レポート

 それではアミテージなる人物とは,いったいどんな人間なのでしょうか。そして,それがどれほど日本政府に影響力をもっているのでしょうか。アミテージは共和党の知日派といわれているタカ派の政治家です。これら日本政府へ大きな影響力のある政治家(たち)を「ジャパン・ハンドラー(ズ)」というそうです。ハンドラーという言葉には犬を扱うという意味があるそうですから,さしずめアミテージらにしたら日本は犬並でしかないのでしょう。
 補注)21世紀になってから日本国の首相になった「なにがし・▲一郎」は,アメリカのポチだといわれていた。安倍晋三の場合はそのポチよりももっと “プチのポチ” だと評価されていい。

 2)集団的自衛権の行使容認などすべてはアミテージの要求
 〔2015年〕今〔4〕月27日には安倍晋三が米国にいって,18年ぶりの「日米ガイドラインの見直し」の2プラス2会談があります〔ありました〕。そして安倍晋三は,米議会の上下両院で「日米新時代」をアピールする予定だそうです。集団的自衛権の法案が国会で決まる前に,その中身を米国大統領と約束するということは,国会軽視もはなはだしい行為です。
 補注)ホームページ『首相官邸』に公表されている「平成27〔2015〕年4月29日米国連邦議会上下両院合同会議における安倍内閣総理大臣演説」から,つぎの段落を引用する。対米従属国家の代表者の〈大いなる無恥,それでいて,堂々たる軽い発言〉が,このようになされていた。
 太平洋からインド洋にかけての広い海を,自由で,法の支配が貫徹する平和の海にしなければなりません。そのためにこそ,日米同盟を強くしなくてはなりません。私達にはその責任があります。日本はいま,安保法制の充実に取り組んでいます。

 実現のあかつき,日本は,危機の程度に応じ,切れ目のない対応が,はるかによくできるようになります。この法整備によって,自衛隊と米軍の協力関係は強化され,日米同盟は,より一層堅固になります。それは地域の平和のため,確かな抑止力をもたらすでしょう。戦後,初めての大改革です。この夏までに,成就させます。
 註記)https://www.kantei.go.jp/jp/97_abe/statement/2015/0429enzetsu.html
 ここでいわれていた「安保法制の充実」の「実現」,そしてその「法整備」とは,2015年9月に成立させ,翌年3月末に施行させた「米日安保関連法」のことを指していたが,日本の国会で議論し,成立・施行させるはずの法案じたいについて,なによりもまずさきにアメリカの議会にいって,その旨をこれから「ボクが必らずやりとげます」と告白して(コクって)いた。

 いったいぜんたい,この首相はアメリカの家来か召使いか,それとも下僕か奴隷かなどと思わせるに十分な言動をしていた。まさしく「アメリカへの売国」どころか「自国の亡国」のために存在してきた総理大臣そのものの姿を,安倍晋三自身が馬鹿正直にも演じていた。自国民の国会など完全に無視していた。

 ごく正直に表現すれば,彼は完全に『国辱:国恥』『売国・亡国』の政治家とけなされて当然の行為に走っていた。続っぽくいえば,不見転芸者か無料デリバリー性風俗の店長並みの演技をこなしていた。

 〔記事本文に戻る→〕
 そこで,今日〔2015年4月時点の話〕おこわれた菅 義偉官房長官と翁長雄志沖縄県知事との話しあいで,米国へ向かう前に首相と翁長氏の話しあいの日程を入れることが決まるそうです。それは「米国へいく前に辺野古基地建設の必要性を沖縄県民へ理解を願った」というアリバイ作りそのものです。

 『アミテージレポート』をみればすべてが理解できます。安倍晋三がこれまでおこなってきた武器輸出三原則の撤廃から安全保障政策からエネルギー政策にTPPまですべてが,アミテージの計画道理に忠実にそれを実行しようとしているだけなのです。日本の多くの政治家(自民党だけではなく民主党も含めて)や官僚は,ほとんどが米国政府,とくに知日派といわれるアミテージなどの《戦争マフィア》の意のままに動いているのです。

 〔しかも〕これはけっして米国政府の意思というわけでもないのです。米国政府や米国の政治家にもアミテージなどの《戦争マフィア》勢力ではない〈ハト派〉の勢力もいるはずですが,残念ながらタカ派の影響力を日本政府はこれまで受けつづけてきたようです。そして日本は彼らの意のままに動いてきたのでしょう。

 いうならば,日本政府はジャパン・ハンドラー〔ズ〕の利権のためにうまく利用されているだけなのです。大田〔昌秀〕元沖縄県知事のインタビューで「沖縄は米国議会へのロビー活動が必要」と話していましたが,米国政府のハト派へのロビー活動」こそもっとも必要なのでしょう。日本政府と安倍政権は体よく米国議会タカ派の「戦争マフィア」に操られて利用されているのだけなのですから。

 3)国民の大半が脱原発を求めても原発をやめられない理由もここにある
 『アミテージレポート』は,こういっています。

 「開発途上国は原子炉の建設を続けるので,日本の原発永久停止は,責任ある国際原子力開発を妨害することにもなるだろう。フクシマ以後1年以上にわたって原子炉認可を中断していた(ただし,進行中のプロジェクトは中断しなかった)中国は,新規プロジェクトの国内建設を再開しつつあり,最終的には重要な国際ベンダーとして台頭する可能性がある。中国が民生用原子力発電の世界的開発のメジャー・リーグでロシア,韓国,フランスにくわわろうと計画しているとき,世界が効率的で信頼性の高い安全な原子炉や原子力サービスから利益をうるためには,日本が遅れをとることはできない」。(以下略)

 そして結論として,こうもいっています。

 「日本に対する提言:原子力発電の慎重な続行は,日本にとって正しく責任のあるステップである。2020年までに二酸化炭素(CO2) の排出量を25パーセントカットする意欲的な目標は,原子力発電所の再開なしではなしとげることはできない。また,エネルギーコストの高騰は円の高騰を伴うため,エネルギー依存の高い産業の国外流出を食い止めるためには原子力発電の再開は賢明である。福島を教訓に,東京は,安全な原子炉設計と堅実な規制の実施を促進するための指導的役割を再開すべきである」。(以下略)
 補注)ここで指摘されていた「原発の有利性」に関する理屈は,そのすべてが破綻したものばかりである。だが,このように大まじめでまだ「原発が地球温暖化に役立ち」,かつ「低コストの発電方式でもある」かのように騙っていた。ましてや「原発の安全性」の問題が担保されない時代になっていたにもかかわらず,それも “「福島第1原発事故」を教訓にして” などいったごときの「しらじらしくも空疎な〈お説教〉」は,原発という《悪魔の技術》の恐怖を少しも恐れぬ「愚かな人間」からの発言であった。「3・11」を本気で教訓に生かしたいのであれば,「原発を廃絶させる道」しか残っていない。
  『東京新聞』2012年9月22日原発記事アメリカの要求
 そもそも,早くはアメリカやイギリス側の原発産業がスリーマイル島原発事故を契機に,この《悪魔の火》をとりこんだ発電装置・機械をもてあまし気味に感じていた事実を忘れてはいけない。それゆえ,非常な困難をともなう原発関連の技術の展開とその製造の現場を日本の企業に(とくに東芝に注目すれば分かるようにそのしわ寄せを全部押しつけておき〔日立製作所や三菱重工業も控えているが〕),

 いわばババ抜きの要領でもって,それを放り投げるように手渡してきた事実や,そしてさらにはこの東芝がこの原発事業をかかえこんだために存亡の瀬戸際まで追いこまれていた事実などを回顧して気づくのは,原発という技術じたいが実は,もともと原爆という兵器のための科学・技術としてしか適合的(整合的?)には成立しえない「生来の特性」を有していた点であった。

 〔記事本文に戻る ↓  〕
 このような提言というかたちで2012年の野田政権時の夏に,アミテージは要求しているのです。だから国民の大半が脱原発を選択したにもかかわらず,野田政権は閣議決定すらせずに曖昧なかたちで茶を濁したのです。そして,安倍政権はバカのひとつ覚えのように忠実にこのアンチョコのとおりにエネルギー政策も実行しているのです。

 なるほど,だから私たちがどんなに反対しても政府は,断固として「原発を最大のベース電源」として確保しようとしているのでしょう。だから原発の電気が高いとか安いとか原発が安全かどうかなどはどうでもいいことなのです。米国がなにを一番望んでいるかを考えて,米国が一番望んでいることを実行することこそが,経産官僚や官邸のもっとも重要な仕事なのです。
 補注)芸能界でもかなり鋭い理性・賢い知性の持ち主であったと思われる石坂浩二が「原発の必要性・有用性」を唱えるCMに出演してきた。

 最新の先月〔2018年10月中〕に本ブログの筆者がテレビで視聴できた彼の原発コマーシャルは,「火力発電+再生エネ+原発」というエネルギー・ミックスのなかで,原発の必要性:維持を唱えていた。

 つぎの画像は当該の動画から切りとったものであるが,電力のための燃料は「輸入に頼っています。 めまぐるしく変化するこれからの時代,あなたはどう思いますか?」と問うている。
  石坂浩二電事連広告画像
 出所)電気事業連合会,2018/03/04 公開,https://www.youtube.com/watch?v=NEhVD-2Hco8
 以前であれば,原発の必然的な必要性(「安価・安全・安心」であるからと強調して)を真正面より堂々とかつ高々に唱えるコマーシャルであったものが,このごろでは(以前石坂浩二がやはり原発コマーシャルに出演していた),その中身を確実に様変わりさせていた。

 ただし,原発の維持に対する電事連(電気事業連合会)の堅い意思に変質はなく,いまもなお原発の発電(電源)総量における比率の上昇をたくらんでいる事実に変わりがなく,これが再生エネルギーの開発・利用の普及・拡大を阻害する基本の要因になっている。

 どだい,原発も『火力発電の1種である』事実を,故意に意識の外に追いやるような原発「観」に問題があった。

 4)こんな属国政府の政治を変えるにはどうすればいいのか
 なるほど,このような米国《戦争マフィア》傀儡政権の安倍政権の政策を方向転換する作業は,並たいていのことではできないでしょう。どのようにすれば,「アミテージリポート」とは違う「ハト派」の外交・防衛・エネルギー政策を,米国政府に認めてもらうことができるのでしょうか。

 幸いにもオバマは共和党の「戦争マフィア」戦略とは同一ではありません。もちろん,自衛隊が米軍のアジア支配の肩代わりをすることには反対しないでしょう。米国の利益になるからです。しかし,イスラエルのネタニヤフ首相と面会しない露骨な対応をとったりして平和主義を演出しています。つまり,共和党のアミテージとオバマの政策はけっして同一ではないはずです。その違いこそ大きな可能性があるのではないでしょうか。
  古賀茂明アイアムノットアベ画像
 出所)http://blog.livedoor.jp/woodgate1313-sakaiappeal/archives/43374170.html
 われらは一刻も早く,米国民主党(日本のへなへな民主党などではけっしてありません)のハト派の外交・防衛属や脱原発のエネルギー属へロビー活動をおこなう必要があるでしょう。そして,そのときに必要なものは「I am not Abe」のプラカードでしょう。思考停止の安倍政権や政府官僚に働きかけるよりも,「私たち日本国民は ABE を支持していません」という意思表示こそがよっぽど有効で手っとり早いのではないでしょうか。(引用終わり)

 いま現在,アメリカの大統領はトランプである。安倍晋三のこの大統領に対してみせる態度は,まるでガキ大将に対する子分の表情である。トランプに対する安倍の服従(屈従?)的な上目遣いの外交路線では,アメリカと対等に交渉することは,もとよりとうてい不可能であった。

 なかでも笑止千万な事実は,日本がアメリカから最新兵器(たとえばF35)などを大盤振る舞い的に購入する(何年度かにわたり約1兆円を支出していく予定だという)代わりに,日本国内の「自国の軍需産業」に対する支払いのほうは,来年度以降に繰り延べてほしい,猶予してくれと要請している。安倍晋三君流のこの売国奴ぶりは露骨に過ぎる。日本の財界側は怒らないでいいのか?

 そうした安倍晋三政権の基本姿勢(外交と内政の不均衡)からのとばっちりを受ける「日本国内の体制派(財界側:軍需産業)」が,このまま黙っているようだとしたら実に情けない。つまり,対米従属国家体制「日本」がアメリカ軍需産業から最新鋭の戦闘機を爆買いすることにしたために,“そのつけまわし” が日本の財界側に押しつけられてきた。ここまでとなれば,これはもう笑うにも笑えない事態が生じていて,「非常に愚かな対米従属国家主義者:安倍晋三の真価」が発揮されているとしか形容できない。

 ③「たかが電気,されど電気」(『Life is beautiful 永遠のパソコン少年の理科系うんちく』2012.07.16,https://satoshi.blogs.com/life/2012/07/sakamoto.html) 

 この記述は,まだ野田佳彦の民主党政権が生存していたとき(つまり2012年12月まで)に関する内容となっているので,その点を承知して読んでほしい。

 a) メルマガ『週刊 Life is Beautiful』が「なぜ日本は原発を止められないのか」という連載を始めた。通信業界の東京電力に相当するNTTで働いていた経験を活かし,霞ヶ関や東電のエリートがなにを考えてあんな行動に走るのかを解説する。ちょうど良いタイミングで先日の “さようなら原発10万人集会” での坂本龍一氏の「たかが電気のためになんで命をさらさなければいけないんでしょうか」という発言が注目を集めているので,このブログでも一言書いておく。

 「たかが電気」という発言に対して「電気を止めたら死んでしまう病人がいる」「真夏にクーラーがかけられなければ,熱中症で死ぬ人がいる」と噛みついている人がいるが,これらの指摘は大間違いである。日本は,原発を止めたぐらいで,病人の生命維持装置が止まってしまったり,熱中症で死ぬ人が増えたりする国ではない。

 b) 本当の理由は別のところにある。日本経済が重度な「原発依存症」にかかってしまっているのだ。資源の少ない日本のような国にとっては,原発はドーピング剤のようなものだ。放射性廃棄物の問題を先送りにし,事故さえ起こさずに原発で電気を起こすことができれば,化石燃料に頼らずに安定して電気を提供することができる。火力発電と比べて必らずしも安くはないが,大半のお金が化石燃料の購入費として海外に流れてしまう火力発電と違い,原発は大半のお金が原発関連企業やゼネコンを通じて国内に流通する
 補注)この段落の指摘が重要である。日本国原子力村の村民たちにとってみれば,原発を稼働させつづけることによって獲得できる「当面の収益(からの利益・利潤獲得)」確保が滞ったりあるいは枯渇したりする事態は,絶対に回避したい。

 「3・11」直後に発生した東電福島第1原発事故以後においては,1年あまりの原発ゼロの時期があったものの,その後も原発の再稼働に熱心であった日本国政府経済産業省や各電力会社は,再生エネルギーの開発・利用という強力なライバル部門の幅広い登場に苦戦しながらも,なんとかして原発の再稼働を推進してきた。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
 2018年12月1日現在稼働中の原発
   出所)これは2017年11月から2018年10月までを記載,
      
http://www.gengikyo.jp/db/fm/plantstatusN.php
 上の図解をみたい。現在〔2018年12月1日〕稼働する原発は,2018年10月27日以降において,九州電力の玄海原発3号機・4号機,川内原発1・2号機,四国電力の伊方原発3号機,関西電力の高浜原発4号機,大飯原発3号機・4号機の,計8基である。

 〔記事に戻る→〕 莫大な借金をして原子力発電所を建ててしまった電力会社にとって,いきなり脱原発をすることは経営破綻を意味する。電力会社が経営破綻すれば,主要銀行が保有している所有している電力債が不良債権化する,保険会社が所有している電力会社の株が紙切れになる。
 補注)「脱原発をすることは経営破綻」という事態を一番恐れてきた,そのもっとも明確な実例が関西電力である。「3・11」以前から電源の半分を原発に依存していた関電が,保有する原発全基が停止中におこなっていた「従業員の給料・賃下げ」や「電力料金の値上げの実態」をみれば,その恐怖の様子はじかに伝わってくる。その後,ひとまず原発を再稼働できた関電は一安心という経営状態にあるが,原発の廃炉問題がこれから現実的な日程に上ることにかわりはなく,そのときからは “もっともっと・きびしい経営” が余儀なくされる。

 c) 原発依存症なのは,電力会社や銀行や保険会社だけではない。原発交付金と原発がもたらす雇用に大きく依存している原発の地元も,いまさら原発が止まってしまっては財政が破綻する,原発労働者向けのさまざまなサービスを提供している地元の企業も一気に倒産する。

 これまで原発の建設・設置でおいしい思いをしてきた原発関連企業やゼネコンも大きく収入を減らす。もちろん,その傘下に7次受けまでいるほど階層化している下請け企業も大きく収入を減らす。これまで経産省が数多く作って来たさまざなな原発関連の特殊法人・公益法人も存在意義をなくしてしまう。

 原発を止めれば,これまで各地の原発のプールに保管することにより先送りして来た使用済み核燃料の最終処理問題を解決しなければいけないことが明白になってしまう。高速増殖炉が見果てぬ夢だったことを認め,「プルサーマル」が単なるさらなる問題の先送りだったことを認めなければならなくなる。

 だから日本は原発を止められないのだ。だから「たかが電気」などといってもらっては困るのだ。
     sight表紙原発2017年
   註記)これは『SIGHT』2017年4月増刊号表紙。
 d) 電力会社も経産省もそして野田総理も,国会事故調の「福島第1での事故の原因は人災」という指摘が正しかったことは十分承知している。しかし,ここまで原発への依存度が高くなってしまった段階で,脱原発などいまさら無理なのだ。

 たとえ脱原発をしなくとも,福島第1での事故を教訓にさらに厳しい安全基準など作り,「安全基準にパスしたものだけを再稼働してよい」などといったら,ほとんどの原発がしばらく運転できなくなってしまうし,必要な改修には莫大なコストがかかる。即時廃炉せざるをえない原発も出てくる。電力会社のバランスシートは一気に悪化する。

 つまり,脱原発をしなくとも,福島第1での事故を教訓に安全基準を作って厳格にそれを適用しようとしただけで,電力会社はその改修コストと,改修が済むまでの間の化石燃料のコスト増とで,経営が非常に苦しくなってしまうのだ。たしかに「たかが電気」ではあるのだが,「されど原発は止められない」のが日本の現状なのだ。

 急激な脱原発をすると,電力会社が経営破綻を起こして日本経済が大混乱する。しかし,安全に原発を運営しようとすると,原発はしばらく再稼働できなくなってしまうし(その間は化石燃料を輸入する必要がある),原発による発電コストがさらに上昇してしまう。いずれの道を選んだところで,電力会社の経営は非常に厳しくなるし,その影響が,銀行・保険会社・ゼネコンなど数多くの業種に及ぶことは避けられない。東電以外の電力会社にも政府は資金注入をしなければならなくなってしまう。
 補注)この d)  の段階に関する議論は,2012年7月であったゆえ,「再生エネルギーの開発・利用」が大幅に進展した最近の事情には触れえないでいる。

 e) そんな経済への悪影響を避ける唯一の方法は「問題を先送りして,多少の危険を承知で原発を運営し続ける」ことなのである。〔2012年時点における話だが,当時の民主党の〕野田総理の会見にまったく説得力がないのは,そこを正直にいわないからだ。「そんなことをわざわざいうと国民は冷静な判断ができなくなる」という愚民思想がその根底にあるからだ。

 いま問われているのは「痛みを伴う脱原発に向けて大きく舵を切る」か,それとも「問題を先送りして,多少の危険を承知で原発を運営しつづける」のふたつにひとつだということを忘れてはいけない。「安全に,かつ問題を先送りにせずに原発を安く運営する」というバラ色の選択肢は,残念ながら存在しないことを素直に認めなければいけない。(引用終わり)

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 【未 完】 明日以降に用意する続編は,できしだい,ここにリンクを貼る予定である

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    ※ 以下の画像には「Amazon 広告」へのリンクあり ※

              

            

              

            


 【統計学の基礎知識から離れて現実の統計・数値を語るなかれ】


 ① 『日本経済新聞』のある記事のなかに出ていた「多少,奇妙な文句」

  『日本経済新聞』2018年11月29日朝刊1面の左上に配置されていた解説記事「政と官 進路をさぐる〈中〉」の最後のほうに,つぎのように書かれた少し奇妙な文言が出ていた。この記事の中見出しは「現状維持の誘惑,危機を認識せよ」とも付言していた。その内容の一部としてのこの文言であった。
 中央省庁で政策の企画立案を担う総合職(旧1種)は約1万7千人。現在も約35倍の狭き門をくぐった精鋭だ。近年は「給料にみあわずやりがいが乏しい」とみられ,人気の下落が続く。国家公務員採用試験の総合職の申込者は1996年度に約4万5千人だったが,2018年度は2万人を割った。
 つまり,その22年間に国家公務員採用試験総合職の申込者(受験希望者)が,絶対数で5分の2に減少したという指摘(説明)である。この段落を読んですぐに感じたのは,日本経済新聞社の記者がこの程度の一面的で雑な記事,それも解説記事を書くのかという驚きであった。
『日本経済新聞』2018年11月29日朝刊記事一部画像

 その疑問を説明する。最初はあえて話をやや単純化して,大学学部卒業予定者のみがその総合職に応募し,試験を受けるものとしておいての議論とする。ついでに,その応募者の年齢層も21歳のときだと仮定しておく。この限定も単純化しており,大学4年生であればその年度中には22歳になるはずという点を踏まえている。このあたりの条件は厳格に配慮する必要はなく,そうであっても議論の妨げにはならないとみなしている。

 こういうことである。前段の記事のなかに出ていた1996年度におけるその21歳人口は 189万9千人(もちろん男女の全体数,日本在住の外国籍人も含めると 192万人)であった。そして2018年における21歳人口は 123万人であった。したがって,その間に21歳人口は「123万人 ÷ 189万9千人」=64.77%の比率で減少していた。
 【参考統計資料】
  新成人人口統計図表1
  新成人人口統計図表2
  出所)http://www.garbagenews.net/archives/2122978.html
 つまり,前段の記事における説明で「国家公務員採用試験の総合職の申込者(受験希望者)」の「人気の下落が続く」という指摘は,関係する計算をおこなうとき事前に,その分を約65%にまで割り引いておいてから考えなおす余地があったことになる。

 換言すると,2018年度応募者2万人(弱)は「21歳の人口統計の減少」に合わせて,その年度における実質的な「人気の下落」度は,「4万5千人 × 0.65」=「2万9250人」を基準(母数:物差し)に置いてから,もう一度,計りなおしておく必要もあった。

 するとその人気の下落「度」は,だいたい「1996年度分の4万5千人」に対して比較するために置く「2018年度分の数値」はその「2万9250人」で比較することが,ひとまず望ましい相手になる。

 前掲における記事の文言では,「国家公務員採用試験の総合職の申込者」が1996年度の4万5千人から2018年度の2万人に減少したから,その減少率は「5分の2にもなる」といいたかったのかもしれない。

 ところが,実際のところでは,該当する年齢層の21歳の人口そのものが6割5分にまで減少していたのだから,ここまで減少した比率の要因を関連させるべき係数として「かけたうえで判断の基準に使わないこと」には,単に数値のうわっつらだけをつかまえて論じた記事になりかねない。

 実際においては,1996年度の4万5千人から2018年度の2万9250人に減少したとはいえ,その母集団となる各年度における「21歳に相当する年齢層の人口統計」を関連させていえば,その減少率の実質は,実はだいたいにおいて「3分の2」になっていた計算になる。

 もちろん,国家公務員採用試験総合職の申込者(受験予定者)の数値そのものが増えることは,好ましい事態だといえる。だが,実態においては,当該年齢層からの受験希望者が「絶対数において減少した率(2 / 5)」と同時に,当該年度における対「母数」比率で観た率(2 / 3)をも併せて観察する相手としなければ,よりまともな解説をするための「統計に関するあつかい方」にはなりえない。

 社会統計としての数値の意味がぞんざいにあつかわれてはなるまい。形式面でみた「5分の2」の比率が,実質面では「3分の2」の比率で把握できるとなった場合,この国家公務員採用試験総合職の申込者(受験予定者)の数値に関する「以上のような違いに関する問題意識」を考慮に入れてみた批判的な指摘は,けっして無視できない内容を含んでいるはずである。

 要するに『近年は「給料にみあわずやりがいが乏しい」とみられ,人気の下落が続く』のが,国家公務員採用試験総合職の申込者(受験予定者)だとだけいい切っておいてよいのかという疑問が浮かぶのである。

 そこで,つぎの ② のような解説も聞いておきたい。本当に国家公務員の人気が下落しているとしたら,その理由はなんなのかよく分析してみる必要もある。

 ②「親にも不人気で官僚はオワコン?   エリート就活生の “キャリア官僚離れ” が止まらないワケ」(『@niftyニュース』2018年10月04日 06時10分〔『週プレ NEWS』〕,https://news.nifty.com/article/domestic/society/12176-098866/

 優秀な学生たちの間で国家公務員総合職,いわゆるキャリア官僚の人気がダダ下がり中だという。

 a) キャリア官僚をめざす学生が減っている。
 キャリア官僚とは,国家公務員「総合職(旧・Ⅰ種)」の試験をパスした中央省庁の幹部候補のこと。政策立案や予算案の作成,国会対応など “国を動かす” 業務に携わるが,今〔2018〕年は不人気ぶりがきわだった。

 人事院が8月末に発表したデータによると,国家「総合職」試験の志願者数は3年連続で減少し,今年度は1万9609人とⅠ種試験が始まった1985年以降で最低。直近のピークだった1996年度(4万5254人)と比較するとほぼ半減だ。
 補注)① に紹介した『日本経済新聞』の記事が依拠していた統計が,この数値であった。

 寺本表紙『わが子に公務員をすすめたい親の本』(実務教育出版)の著者で,公務員予備校EYEなどで講師を務める寺本康之氏がこう話す。

 「ひと昔前は,国立大のなかでも東京大学や京都大学,私立でも早慶レベルの学生はキャリア官僚をめざすのが当たりまえでしたが,いまはその傾向がずいぶん変わっており,エリート学生による  “官僚離れ” が深刻になっています」。
 補注)ここには統計という数値からだけは,ただちにみえてこない経済・社会側の事情・背景が指摘されている。
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 実際,今〔2018〕年度の東大の国家総合職の試験の合格者は329人と過去最少で,5年前(2013年度・454人)から100人以上も減っている。「最近の優秀な学生は,もっと稼げるアクセンチュアやマッキンゼー・アンド・カンパニーなど外資系企業を志望する傾向が強い」(寺本氏)。

 現役の東大生もこううなずく。「国家総合職は入るのが大変ですし,仕事がキツい割に給与が安い。45歳を過ぎて課長になれても年収1000万円に届くかどうかですから。それに3年に一度は異動で振りまわされ,民間企業からはプライドが高くてあつかいづらいと思われるのでしょう...... ,官僚はキャリアを積めば積むほど『転職に弱くなる』とも先輩から聞いています。それなら最初から民間の大企業に入ったほうが無難と考える学生が多いですね」(経済学部3年)。

 b) 今年度,さらに官僚離れを加速させたのが相次ぐ不祥事だ。寺本氏がこう話す。

 「森友学園と加計学園の一連の騒動では文書捏造,隠蔽,忖度,責任逃れといった霞が関の悪しき体質が浮き彫りになり,その後もセクハラ疑惑で財務省トップの事務次官が辞任に追いこまれる事態に......。その結果,それまで国家公務員一本に絞っていた学生ですら,『失望した』『省庁をめざす気持ちが萎えた』と民間志望に切り替えるケースが目立つようになりました」。

 もはやエリート学生の間では「官僚はオワコン」(前出・東大生)とみる向きもあるのだ。
 補注)以上は,安倍晋三政権の為政ぶりが国家官僚エリート層の採用・要員化に悪影響を与えているという話題であった。例の悪代官と称される菅 義偉官房長官の口癖は,安倍政権がスキャンダルを創りだすたびに,お決まりの「問題ない,問題ない,問題ない……」という連発銃を乱射することであった。
菅 義偉問題ない画像2

 すなわち,安倍晋三政権の為政ぶり(乱脈・腐敗)が国家官僚エリート層の採用・調達・要員化に悪影響を与えているという話題であった。安倍晋三や麻生太郎やこの菅 義偉たちに代表される現在日本の政治家たち不倫理ぶり・非道徳さは,「安倍1強〔狂・凶〕」政権のなかで果てることをしらないくらいに酷い。

 若者たちに対しても彼らが大きな失望を与えているわけであり,国家官僚でもエリート層に属する官吏になる希望を抱く一流大学の学生たちが本当に減少しつつあるとしたら,統計数値に出ているその減少率じたいよりも,さらに実情は深刻だとみなすほかない「日本の政治社会における腐朽・堕落」が,世の中のすみずみまで浸透してきているというほかない。

 c) さらに,公務員をめざす学生の就職活動にはこんな異変も起きていた。
 「昨〔2017〕年ころから地方自治体を中心に “保護者向け” の就職説明会が急増するなど,公務員試験の世界でも親が子供の就活に関与する傾向が強まっています。そのため,今〔2018〕年は本人が『霞が関で働きたい』といっても,親に『やめたほうがいい』と強く反対されて志望先を変える学生が多かったですね」(寺本氏)。

 学生やその親が国家公務員を避けるようになった理由は過酷な業務にもある。『公務員は定時で帰れてラク』という印象をもたれがちですが,実は,国会対応などで振りまわされる国家公務員の業務は想像以上に過酷なんです」(寺本氏)。

 国家公務員の労働組合でつくる「霞が関国家公務員労働組合共闘会議」が毎年公表している残業実態に関する調査資料によると,直近のものでは昨年(2017年)1年間の残業実態について,各省庁の職員約2000人が回答している。

 「全省庁の月の平均残業時間は33時間とそれほどは多くないのですが,80時間(過労死ライン)以上の残業も6.3%。また,中央省庁別の残業時間では厚生労働省が最多で,その詳細をみると医療,介護,年金などに関する業務を担う厚生部門が53.1時間,雇用対策を進める労働部門が49.1時間とワースト1位,2位。さらに,労働部門で働く6割の人が『過労死の危険を感じたことがある』,7割の人が『休日出勤がある』,8割以上の人が『残業手当に不払いがある』とも回答しています」(寺本氏)。

 働き方改革の旗振り役であるはずの厚労省が,実はもっとも “ブラック” な職場だった(!)という事実も,官僚離れに拍車をかけていたのだ。

 d) だが,腐っても国家公務員。
 「平均月給は大企業に準じた水準で,41万6969円(平均年齢43.2歳,平成29〔2017〕年国家公務員給与等実態調査より)。これに残業代や年2回の期末・勤勉手当(ボーナス),地域手当などを加えると平均年収は700万円近くになります」(寺本氏)。人気下降中のいまだからこそ,キャリア官僚の好待遇と高ステイタスをうるチャンスともいえる。

 「筆記テストや面接などがある国家公務員の採用試験の合格倍率は,総合職で10.9倍,一般職で4.3倍といずれも過去最低水準で,国家公務員の職をえやすい環境。しかも,ここ数年は東大や京大の志願者が減った影響もあり,いままで国家総合職に受からなかった2流・3流クラスの大学から合格者が続出するという現象が起きています」(寺本氏)。

 さらに,今年度の試験後には文科省のキャリア官僚ふたりが逮捕された汚職事件,障害者雇用の水増しなどの不祥事が相次いで発覚している。となれば,来〔2019〕年度はますますエリート学生の志願者が減り,キャリア官僚の職をえやすい環境が生まれそうだ。

 最後に,数ある国家公務員の職のなかで寺本氏のオススメを聞くと意外な答えが......。「国税庁ですね。税の申告の指導や徴収業務などを担う国税専門官は,2月から4月の確定申告シーズン以外は『17時以降の残業が禁止』,シーズン中の時間外労働も『3時間以内』とする残業規制があります。国家公務員の中では もっとも “ホワイトな職場” といえるでしょう」。(引用終わり)

 さて,実際に国家公務員職をめぐる就活環境がそうなっているとしたら,① からの話題であったごとき,最近では極度にブラック化している安倍晋三政権のもと,「国家公務員採用試験の総合職の申込者」が「1996年度の4万5千人から2018年度の2万人に減少した」という統計数値の変化が有する〈歴史的な意味あい〉は,この数字の変動そのものをも超えて,日本国の全体に関する「政治・経済・社会・歴史など推移」に関した「その弱化の兆候・衰退の方途・凋落の傾向」を,正直に表現している。

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 【現代の民主制政治のなかに古代天皇史の大嘗祭を復活させてうれしいのか,宮内庁的な天皇体制を推進・高揚させたい旧い論理の時代錯誤性】

 【天皇・天皇制という明治帝政時代からの古い遺物が古代史の記憶にすがり復活させられたがための,「21世紀における旧・宮内省」的な天皇家の活用法には,無理・不合理が充満しているわけだが,このことは天皇一族もよく認識済み】

 【天皇家の人びとに(だいたい誕生日になると)政治的発言をさせていいかどうかについてからして大きな疑問がある。だが,その存在そのものが「政治的である彼ら」に,なにも発言を許していけないというわけにもいかず,かといって,発言させればさせるであれこれ問題を提起されるのでは……など,など】

 
 ①「大嘗祭,国費支出『適当かどうか』 秋篠宮さま,皇位継承行事めぐり」(『朝日新聞』2018年11月30日朝刊1面)

『朝日新聞』2018年11月30日朝刊秋篠宮画像 秋篠宮さまが〔11月〕30日の53歳の誕生日を前に紀子さまと記者会見し,天皇の代替わりに伴う皇室行事「大嘗祭(だいじょうさい)」について,「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と述べ,政府は公費を支出するべきではないとの考えを示した。この考えを宮内庁長官らに伝えたが「聞く耳をもたなかった」といい,「非常に残念なことだった」と述べた。(▼2面=発言に賛否,33面=会見要旨,35面=眞子さまの婚約に言及)
 補注)宮内庁長官が「聞く耳をもたなかった」といわれたということは,いうまでもなく,天皇自身の意見に対してこの長官が,そのような態度で応じていたという事情を指している。すなわち,秋篠宮が天皇に代わってあえて提示したこの発言は,明仁自身の希望あるいは皇太子徳仁の立場からのそれを,

 来年に控えている天皇代替わりの儀式である大嘗祭のもち方を決定するにさいし,宮内庁という官僚組織が「天皇一族の希望・意見」であっても完全に無視したまま,役人たちのやりたい方途で(安倍晋三政権のとり決めにしたがい)執りしきられてきた事情に触れていた。

 
 この大嘗祭が大々的(本格的に?)におこなわれるようになったのは,大正天皇が即位して以来のことであり,明治以前の実態となるとあまり明確には分かっていない。江戸時代の大半は皇室にとってみれば暗黒時代であった。その分かっていないものを明治「維新」を境に,しかも明治以降の近代化・産業化に即して,この日本が米欧諸国に対応するために必要と思われた「なにかの精神的支柱」が,古代史的な天皇・天皇制の再生化的な活用(リサイクル!)という便法(?)に求められていた。

 つまり,関連してはこういう経緯があった。 明治憲法(大日本帝国憲法)の立案においてその中心人物の1人となった伊藤博文は,当時の日本・日本人には米欧流の近代民主主義政治精神はふさわしくないゆえ,民主主義を摂取するにせよ,これを「天皇教という国民的なイデオロギー」,具体的にいえば「国家神道という宗教的なタガ」で締めあげておかねば,日本国はもたない,米欧に対抗できないと心配していた。

 明治になったときの日本は,当時においてなりにおいて,近代民主主義の基本理念そのものを全面的に導入することができなかった(するわけにはいかなかった)。その代わりに,それまではなかった『絶対制の天皇主義』が「政治・経済・社会・歴史・文化など全体構造」の上に冠(重し)としてかぶせられた。そうした日本の政治体制はいうなれば,原始共同体や封建遺制を近代的に再利用するかたちで「産業化・軍事化」(富国強兵・殖産興業)の道を歩むことになった。このいびつな疑似近代国家体制が究極的に大破綻したのが,1945年8月15日であった。

 しかし,明治帝政の大日本帝国主義路線が完全に敗北(敗退)したあとも,天皇・天皇制はアメリカが敗戦させた日本を占領・支配・統治していくうえで,いうなれば「ビンのふた」として利用するのが有用・得策であるという考えがあった。それも戦争が終わる前から提起されていた “アメリカ側識者の意見” を活かす方向でもって,例の「押しつけられた」という日本国憲法における「天皇・天皇制の政治的な位置づけ:象徴天皇」の再利用がおこなわれていた。その結果として敗戦後史のなかでは,天皇一族をめぐる「宮内庁を足場」とした「天皇家の政治史」が開始されていた。

 とくに昭和天皇から平成天皇への代替わり儀式の場合,非常に華美で豪勢な,それこそ古代史にそのような儀式の執行があったのかについては専門家でさえ確証のない「大嘗祭」が,国家予算の執行をともなう形式で実施されていた。

 現代日本における民主主義の国家制度のなかで,天皇家の私的儀式であるはずのものが,いいかえれば,日本国・民の統合的な象徴である天皇の代替わり儀式「大嘗祭」が,それでもそれなり大々的に展開されている。この様子は,古式ゆかしきものだと現代的に唱えられるそれ(大嘗祭の儀式)となって,しかも古代からの天皇家にとって「本当の(?)儀礼の姿:あり方」であるかどうかという疑念とはまた “かけは離れた舞台” を用意しての出来事になっていた。

 〔記事に戻る→〕 記者会見は誕生日当日の〔11月〕30日に報道されることを前提に,22日におこなわれた。政府が決定した方針に,皇族が公の場で疑義を呈することは異例。秋篠宮さまは来〔2018〕年5月の代替わり後,皇位継承順位第1位で皇太子待遇の「皇嗣(こうし)」となる。
 補注)秋篠宮が天皇一家の意思を代弁するかたちでこのように発言し,新聞などのマスコミが大きく報道するという「日本の政治社会」に関する「内的に特殊な構図」が問題となっている。秋篠宮が自分の誕生日記者会見の場を介して, “自分の父親から兄に継がれる天皇位” の移行儀式「大嘗祭」の執行方法に放った批判は,宮内庁に対する批判もこめられていたゆえ,二重・三重の意味で問題含みであった。

 問題の背景には,皇室(天皇とこの一族)を「玉あつかい」してやまない安倍晋三たち・などがいるし,さらに宮内庁という官僚組織が安倍の意思も忖度する官僚群として存在している。問題の構造を卵にたとえれば,「黄身=天皇とこの一族」「白身=宮内庁」「殻=安倍政権」と表現できる。この卵の殻がその中身をどのように包みこもうとしているか,殻でもって中身を引っかきまわそうとしてきたらしいその問題の磁場において,皇室側と宮内庁・政府側とのあいだに交錯する葛藤が,このさいより鮮明に露呈された。

 いいかえれば「玉(天皇=タマ)」を,この「タマである要因」としてのみ扱いたい宮内庁や政府側と,みずからは「玉(ギョク)」である存在としてよりよく生きていきたい皇族側とが,ただいま「抗争中である」と受けとってよい。天皇明仁側にとってみれば,以前から深く心配してきた事情なのであるが,大嘗祭をおおげさにやってほしくない,極度に政治利用はしてくれるな,できるだけ簡素に天皇家内の行事としておこないたいという意向があった。

 だが,そうだとしたら天皇一族は京都御所に還ればいいだけのことと思いたいが,現状を鑑みるにそう簡単にはいかない事情がある。日本国憲法内でどだい,それも第1条から第8条に書かれている天皇・天皇制にかかわる問題であるゆえ,いま議論しているような各種の問題があれこれと発生してこざるをえない難問であった。
週刊朝日2013年11月29日号表紙平成天皇陵予定図
 以前,平成天皇が死亡したあとに造営される予定であり,設計図ができている「陵」について,皇后美智子が自分について辞退したい旨を希望していたが,宮内庁の意向は完全に〈否〉であった。上に出した画像資料は『週刊朝日』2013年11月29日号の表紙と関連の画像資料である。このようにも報道されていた美智子の希望は,宮内庁側からすればけっして受容できない申し出となっていた。古墳みたいな大仰なお墓には「入りたくありません」という彼女の切ない希望など,むげに却下されていた。

 〔記事に戻る→〕 1990(平成2)年におこなわれた前回の大嘗祭では,国から皇室の公的活動に支出される公費「宮廷費」約22億5千万円が使われ,「政教分離に反する」という批判は当時から根強くあった。政府は今回も,儀式に宗教的性格があると認めつつ,「きわめて重要な伝統的皇位継承儀式で公的性格がある」として宮廷費を支出する方針を決めた。前回を踏襲して同規模の儀式を想定しているが,人件費や資材の高騰で費用が増す可能性もある。
 補注)大嘗祭に対する政府の支出が「政教分離に反する」という批判は当然であって,これを皇室側は非常に気にしている向きがある。だからこそ,秋篠宮が自分の誕生日における記者会見の場を借りて,天皇家の意向を大々的に報道されうる機会に利用し,その点を世間に伝えたわけである。

 ここまで話が進むと,それでは,そうした「天皇家の《家長》」が日本国憲法のなかで国・民の統合の象徴であると規定されている点からして,あらためて特定の問題に浮上させざるをえない。問題の核心は,この憲法内部において民主主義の基本理念とは “どうしても絶対的に矛盾し,衝突するほかない” 天皇・天皇制のあり方にこそ存在していた。

 日本の憲法学者や天皇問題研究者は,以上のごとき天皇に関する論点は重々承知していながら,この論点を問題として客観的にとりあげ,本格的に議論することに及び腰である。あるいは逃げまわる一方であった。なにをして,そのように研究者側の基本姿勢を採らせるのかついては,さらに学問的に討究する絶好の対象にもなるとだけ,ここでは付言しておく。

 これに対し,秋篠宮さまは天皇家の「私費」にあたる「内廷会計」で賄うべきだと述べた。遺産や国から支出されている内廷費などだが,使途は天皇家の裁量で,通常の宮中祭祀(さいし)にも使われている。
 補注)大嘗祭をやるにしてもその経費は内廷費を充てるべきだという秋篠宮の意見はまっとうでありうるが,しかし,この議論の方途はあくまで「コップのなかでとりあげられる話題」に終始する。秋篠宮(や天皇一家)がそこまで思い切っていうのであれば,天皇の代替わりに関する行事一切は,天皇家内部で独自に密やかに秘儀として執行すればよい。
 
 だが,この大嘗祭は日本国の一大行事となっており,外交面でもなんらか一定の意味をもたせられている。くわえては,私費だの公費だのと議論する以前の問題もたくさん残されている。だが,当面は棚上げした次元で(すでに決まったことがらに対して)する秋篠宮の発言になっていた。ここまで議論の範囲を,より拡大させて本格的に討論することになったら,いまの時点ではとてもではないが,収拾のつかない事態になるおそれもある。

 以上のごとき問題の足元には,戦前(から敗戦後の数年まで)であれば宮内省という名称で6千人以上もの職員をかかえていたが,現在では宮内庁となって1千5百名の職員を擁する国家組織が,日本国憲法内では正式に天皇条項に表現されていながらも,『番外地あるいは飛び地』という意味あいでもつと形容されてもいい「特別な領分=聖域:皇族集団」を,担当する公的組織として実在している。

 ところで,大学生たちの就活の対象となる宮内庁は「職員採用」について,つぎのように対応する説明をおこなっていた。読み方にもよるが,今回における秋篠宮の発言と関係づけて読解してみると意味深長にも感じられる。
 宮内庁は,内閣総理大臣の管理の下にあって,皇室をお世話するという大切な仕事に携わる官庁です。

 天皇皇后両陛下・皇族方のさまざまなご活動をお世話する宮内庁の仕事は,宮中における儀式・行事や国内・国外へのお出ましに係る事務,皇室用財産の管理など非常に幅広いものがあります。

 宮内庁としては,皇室と国民との間にあって,常にこうした皇室のご活動が滞りなく進められるよう,社会の動き・人々の心に対する洞察力と感受性,日本の歴史・伝統への強い関心と深い理解を持ち,個々の事務実施における新鮮な発想と細かい配慮を心がける積極性を身につけた人材を求めています。

 人事院が行う国家公務員採用試験(一般職大卒程度試験・一般職高卒者試験)の合格者の中から面接により職員を採用しています。
 註記)http://www.kunaicho.go.jp/kunaicho/saiyo/saiyo.html
 つぎに,宮内庁に関してとりあげる話題は『週刊 FLASH』2017年1月17日・24日合併号から拾ったものであるが,これにはいちいち「本当か?」と突っこみを入れねばならない内容であった。
 註記)以下引用は,http://news.livedoor.com/article/detail/12638213/ から。
 宮内庁職員の実態を探るべく,まずは宮内庁総務課報道室へ素朴な疑問をぶつけてみると。

 Q1 現在の職員数・平均年齢を教えてください。

  ⇒「平成28〔2016〕年度末の定員数は,特別職52人,一般職957人となります。平均年齢は算出しておりません」。
  補注中の補注1)この「平均年齢は算出しておりません」は,「本当か?」というべき一例。

 Q2 職員の男女比を教えてください。

  ⇒「概ね,8:2程度です」

 Q3 職員の給与は,他省庁と異なるのですか?

  ⇒「国家公務員の給与は,『一般職の職員の給与に関する法律』,『特別職の職員の給与に関する法律』に基づき決定されています。したがいまして,他府省庁の職員と同様です」

 Q4 職員の出身大学はどこが多いですか?

  ⇒「特に統計は行っておりません」
     補注中の補注2)この「平均年齢は算出しておりません」は,「本当か?」の2例目。

 Q5 経歴・職歴で優遇されることはありますか?

  ⇒「特にありません」
     補注中の補注3)この「経歴・職歴で優遇されることは」「特にありません」は,「本当か?」の3例目。

 Q6 出世コースはありますか?

  ⇒「特にありません」(これ以降の質問などは後略)
     補注中の補注4)この「出世コースは」「特にありません」は,「本当か?」の4例目。

 以上のような問答のことをふつうは「木で鼻をくくった」ようなものだと形容する。「ウチはほかの,ふつうの官庁と同じだ」といいながらも,そのことばのはしばしには「ウチはトクベツだよ」という語感が強く伝導してくる口調:態度が,自然とにじみ出ている。
 〔記事に戻る→〕 秋篠宮さまは「身の丈にあった儀式」にすることが本来の姿,とも述べた。前回の代替わりでも同様の意見を述べていたといい,今回も宮内庁の山本信一郎長官らに「かなりいった」というが,考えてもらえなかったという。
 補注)もっともその「身の丈」というものは,明治以来,敗戦という一時の支障もあって中断していたけれども,いままでともかくもすくすくと育ってきた事情になっていた。平成天皇の「治世」になってからというもの,明仁はいかに天皇家が日本社会のなかでよりよく受け入れられていくかに強い関心を向け,そのために相当の努力・苦心もしてきた。

 その一環といえるのだが,今回において秋篠宮が大嘗祭のやり方について「家族の1人」の立場から意見したのは,その当事者自身である「平成天皇」と「皇太子(息子の徳仁)」自身の口からはいいにくい問題であったので,その代わりに秋篠宮にいわせていたということになる。今回のように,ここまで天皇家の人間がはっきりと,しかも大嘗祭のもち方について意見を吐いたということは,それ相応に覚悟があっての言動と観られる。


 山本長官は直後の会見で「聞く耳をもたなかったといわれるとつらいが,そのようにお受けとめになったのであれば申しわけない」と話した。一方,天皇陛下からは即位関係の諸儀式などは皇太子さまとよく相談して進めるよう伝えられているといい,「ご理解をいただいて進めている」としている。
 補注)宮内庁(長官)側はこのように低姿勢で応答しているが,腹のうちは正確には分かりえない。そういう態度で応じてはいるものの,今後,面従腹背的に応答していく可能性も大いにある。大嘗祭という行事を国民管理・統制のために使いたい政権側の意図があった。平成天皇が即位するときと同じ儀式を執りおこないたい安倍晋三政権の意向である。この点はまた,平成天皇自身がよく認識することがらでもある。
        ◆ キーワード「大嘗祭」とはなにか ◆

 新たに即位した天皇が1代に1度かぎりおこなう重要な儀式。稲作農業を中心とした古代社会の収穫儀礼に根ざしたもので,7世紀の天武天皇の大嘗祭が最初とされる。

 中核の「大嘗宮(だいじょうきゅう)の儀」では,新天皇がその年に収穫された米などを神々に供え,自身も食し,五穀豊穣や国家安寧を祈る。

 今回は来〔2019〕年11月14~15日に予定。このために皇居・東御苑に大嘗宮(前回は建設費約14億円)が新設され,儀式後に解体・撤去される。
 補注)もっとも,この大嘗祭の儀式が執りおこなわれたからといって,この国の「五穀豊穣や国家安寧」にただちにつながるという保障はない。安倍晋三政権の為政を観ていれば,その実際がよく理解できるはずである。
 ②「〈時時刻刻〉秋篠宮さま『政教分離』発言,波紋 大嘗祭,公費支出すべきでない」(『朝日新聞』2018年11月30日朝刊2面)

 ① のほうで前提となるはずの問題点を強調した記述をおこなってきたので,この ② の記事の引用ではなるべく「補注」の議論・解説は少なめにおこないたい。

 大嘗祭は宗教色が強いので公費を支出するべきではない。憲法がかかげる「政教分離」の原則を踏まえ,秋篠宮さまが記者会見でこう述べた。代替わり後は皇位継承順位第1位の「皇嗣(こうし)」となる立場。識者や関係者はどう受け止めるのか。(▼1面参照)

 1)私費が妥当か,なお賛否
 「宗教行事と憲法との関係はどうなのか」。〔11月〕22日午前,宮邸の大食堂で開かれた誕生日会見。秋篠宮さまはこう問題提起し,大嘗祭は,天皇家の「私費」でまかなうべきだとの見解を示した。

 踏みこんだ発言があったのは,記者側から事前に提出された5問に答えたのち,「即位の行事や儀式についてもお考えがあれば」と追加の質問が出たときだ。記者から「具体的に」と求められると,政府が前回を踏襲して大嘗祭に公費を支出すると決めた点に言及,「すっきりしない感じというのは,いまでももっています」と語った。天皇家の私費で,できる範囲でおこなうべきだとの持論を述べた。

 発言は宮内庁にも衝撃を与えた。ある幹部は「発言は寝耳に水」と戸惑い,「聞く耳をもたなかった」と指摘された山本信一郎長官は直後の会見で「聞く耳をもっているんだけど……」と苦渋の表情を浮かべた。
  山本信一郎と菅 義偉画像
  出所)左側の人物が山本信一郎,nikkei.com 2017/12/2,https://www.nikkei.com/article/DGXMZO24171700R01C17A2EA2000/
 一方,皇室と憲法の関係に詳しい横田耕一・九州大名誉教授は「大嘗祭は宗教儀式。公金を使うことは政教分離を定めた憲法に照らして許されない。発言はもっともだ」と話す。「今回あらためて政教分離や公費支出の問題について議論を尽くし,見直しを図るべきだった。退位まで時間があったのに簡単に前例踏襲した」と政府を批判した。

 国家神道の歴史に詳しい島薗 進・上智大教授も「大嘗祭への公費支出は日本の立憲体制にそぐわない」と話す。「秋篠宮さまは皇室の神道行事が戦前のように国家行事的な性格をもつことを懸念し,政府や国民に問題提起したのでは」と推しはかった。

 だが,皇室の儀式に詳しい所 功・京都産業大名誉教授は「大正時代以降の大嘗宮(だいじょうきゅう)が華美すぎるという批判は戦前からある。しかし大嘗祭は皇位継承の伝統行事として,公費を支出した前回の方法はおおむね国民の了解をえている」とみる。「大嘗宮の建設だけでも莫大な費用がかかり,内廷会計(私費)ではまかなえないのでは」とも指摘した。
 補注)この所 功の解釈は「国民の了解」を根拠に挙げて,大嘗祭が公的な儀式として執行されるべき必要性を唱える立場からいわれているが,この「国民の了解」という点はくせものであり,実際にはあいまい模糊としている。それは,明治以来,国民(臣民)の意識のなかに創られて(植えこまれて)きた天皇崇敬意識が前提に置かれた意見でもあり,天皇家内で質素に大嘗祭を執りおこないたいという問題意識(希望)とは無縁でもある。所はしょせん,天皇を「タマ(玉)」視する識者である。

 天皇,皇后両陛下と皇太子ご一家を含む天皇家の内廷会計には私的に積み立てている基金や,政府が毎年支給する「内廷費」がある。内廷費は日々の宮中祭祀(さいし)をおこなう職員らの人件費や,交際費,旅費などに充てられ,宮内庁関係者によると「余裕はない」という。
 補注)そうである事情ならば,なおさらのこと “もっと質素にしたい” という意見(皇室側の)が出てきて,なにも不思議はない。国民たちの側でも反対する者は少ないのではないか。

 2)「政治的発言」疑問視も
 秋篠宮さまは立場上,即位の礼など「国事行為」としておこなわれる行事に意見を述べることはできないが,「皇室の行事」については「私の考えというものもあってもよいのでは」と前置きしたうえで,持論を述べた。

 ただ,皇族が政治にかかわる発言をすることを疑問視する意見もある。象徴天皇について研究する河西秀哉・名古屋大准教授は「政府の決定に公の場で異論を唱えており不適切だ」と話す。憲法4条は「天皇は,国政に関する権能を有しない」と定めており,皇族もこの規定に準じて行動するべきだと考えるからだ。

 秋篠宮さまは将来,自身が即位し,大嘗祭の主催者となる可能性もある。河西氏は「発言はなんらかの影響を及ぼす可能性があり,かなり問題がある」と述べた。 そのうえで,「聞く耳をもたなかった」といわれた宮内庁に対しても「機能不全に陥っているのでは」と苦言を呈する。皇室の行事である大嘗祭のあり方については「皇族とも水面下で調整し,納得をえられる策を講ずべきだった」と話す。
 補注)秋篠宮がこのように意見を公開することじたいに,もともとから問題ありであるが,その意見が彼の口から出てしまった以上,研究者のほうからの解釈としていえるのは,この程度であった。だいたい,新聞〔など〕にこのように大きくとりあげられることじたいに照らして考えるに,

 皇族の「発言はなんらかの影響を及ぼす可能性があり,かなり問題がある」といったところで,なにも効果・影響はない。『朝日新聞』の報道はなにせ,1面の冒頭記事で報道していた。問題の焦点はなぜ,秋篠宮があえて今回の発言をしたかにある。

 一方,憲法学者の横田氏は「憲法の制約を受けるのは天皇のみで,皇族は政治的発言が可能」と話す。さらに「今回は,すでに決定した事項についての意見であり問題はない」とみる。宮内庁の山本長官も,政府方針が決定済みで影響が及ばないとの立場から,「政治的な発言ではない」との認識を示した。
 補注)この「政治的な発言ではない」との認識には理解に苦しむ。政治的発言そのものしかありえないのが,秋篠宮の今回における発言であった。また,天皇自身もいままでたびたび政治的な発言をしてきた。2016年8月8日に平成天皇がみずから退位を切り出し,宣言した発言じたいが最高度の政治的な発言として大問題であったのは,日本の政治そのものをみずから変質させるためのその意見であったからである。

 3)〈視点〉深まらぬ議論に一石
 大嘗祭のあり方をめぐっては過去にも,皇室内部でさまざまな意見が挙がった。昭和天皇は生前,内廷費を節約して積み立ててはどうかと側近らに話したという。弟の高松宮さまも「大嘗宮を建てなくていいのでは」と周囲に語ったとされる。

 前回は現憲法下で初めてだったこともあり,国民主権や政教分離との整合性が大きな争点となった。だが今回,政府の式典準備委員会は前例踏襲ありきのように公費支出を決めた。会合はわずか3回。議論が尽くされたとはいいがたい。

 現代にふさわしい皇位継承はどうあるべきか。関係者によると,天皇陛下は皇太子さまや秋篠宮さまと意見を交わしてきたという。詳細は不明だが「国民の理解がえられるように」という考えは一致したと聞く。

 秋篠宮さまはかつて,天皇の「定年制は必要」と発言するなど,率直に意見を表明してきた。親交のある関係者は「陛下や皇太子さまが立場上いえない分,問題提起しようと考えたのではないか」とみる。

 天皇や皇族の発言は影響力が大きく慎重であるべきだとの見方もある。ただ,会見全体からは,みずからの立場やいいまわしに思いをめぐらせたうえでの発言だったことがうかがえる。深まらない議論に一石を投じたものと受けとめた。
       ◆ キーワード「皇位継承行事と政教分離」◆

 現憲法下で初めてとなった昭和から平成の皇位継承では,諸行事と憲法が定める「政教分離」の原則との整合性が大きな議論となった。政府は「即位の礼」を国事行為とする一方,大嘗祭は宗教的性格があり「皇室の行事」と整理。

 ただ,重要な伝統儀式で「公的性格がある」として公費支出に踏み切った。行事の目的や効果を考慮して,特定の宗教とのかかわりがゆき過ぎなければ公金支出も許されるとした津地鎮祭訴訟の最高裁判決(1977年)などをよりどころとした。

 知事らの大嘗祭参列の公費支出を問う住民訴訟が起きたが,最高裁は社会的儀礼としての参列で「政教分離原則に反しない」と判断。政府はこれらを根拠に今回も公費支出を決めた。

 ただ,大嘗祭そのものへの公費支出が合憲かどうかの最高裁判断はない。支出の差し止めなどを求めた訴訟で二審・大阪高裁は原告の主張を退ける一方,「大嘗祭が神道儀式としての性格をもつことは明らかで,違憲の疑義は一概には否定できない」と指摘。専門家のあいだではいまでも違憲だとの指摘が残る。 
 ③『日本経済新聞』の関連する報道

 日本経済新聞は今回のこの秋篠宮発言については,朝刊の38面「社会1」であつかうに留めている。報道の記事そのものと解説の記事からなっている。

 1)「大嘗祭,国費支出に疑問 秋篠宮さま53歳に 眞子さま婚約『小室さん,対応を』」

 秋篠宮さまは〔11月〕30日,53歳の誕生日を迎えられた。これに先だつ記者会見で,2019年の代替わりに伴う皇室行事,大嘗祭には公費を支出せず「身の丈に合った儀式」とすべきとの考えを示された。長女,眞子さま(27歳)と婚約が内定し,米国留学中の小室 圭さん(27歳)については「結婚したいという気持があるのであれば,それ相応の対応をするべき」と述べられた。
『日本経済新聞』2018年11月30日朝刊秋篠宮夫妻画像

 代替わり後,秋篠宮さまは皇位継承順位1位の皇嗣となる。皇族が公の場で政府方針に異議を唱えるのはきわめて異例。新天皇が即位後初めて国民の安寧や五穀豊穣を祈る大嘗祭の費用は前回同様,公費である宮廷費からの支出がすでに決まっている。前回は会場となる「大嘗宮」の造営に約14億円の予算が充てられた。

 これに対し,秋篠宮さまは「宗教色が強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と疑問を提示。天皇,皇后両陛下や皇太子ご一家の私的な資金(2018年度の宮内庁支給額は3億2400万円)を充て,規模もそれにみあうものとすべきだと説明された。こうした意見は宮内庁の山本信一郎長官らに伝えたといい,「聞く耳をもたなかったことは非常に残念」とされた。
 補注)途中で一言触れておくと,日本経済新聞の皇族に対する記事(文章)は敬語が多い。彼ら一族が特別な存在である点を当然視した記事の書き方になっている。この指摘が分かりにくいという人は,面倒でも最初( ① )の朝日新聞の記事「文章」と読みくらべてみれば,すぐに感知できると思う。

 眞子さまと小室 圭さんとの結婚延期にも言及された。小室さんをめぐっては,母親と知人との間で金銭トラブルがあると複数の週刊誌が報じた。秋篠宮さまは「話題になっていることについてはきちんと整理をして,問題をクリアする」ことが必要だと強調。

 「多くの人が納得し,喜んでくれる状況にならなければ,婚約に当たる納采の儀をおこなうことはできません」と話された。紀子さまは,眞子さまが昨〔2018〕年暮れから体調が優れないことが多くなり,「大変心配でした」と母親としての胸の内を明かされた。(引用終わり)

 憲法24条1項には「両性の合意」「夫婦」という文言があるが,皇室一族がからむとその文言は,初めから圏外に追放されている。天皇家の戸籍は通常の戸籍ではなく,皇統譜と呼ばれているそれになる。この皇統譜は,天皇および皇族の身分に関する事項を記載する帳簿であって,形式などは戦前のままに皇室典範および皇統譜令に定めている。また,天皇・皇后に関する事項をあつかう大統譜,その他の皇族に関する事項をあつかう皇族譜の2種があって,皇室の身分関係(家族関係)を定めている。

 つまり,天皇家一族は現代日本の政治社会のなかではいまだに,どこまでも別枠あつかいである。いずれにしても,日本の民主主義国家体制における天皇問題は,明治以来,いつの時期にあっても特別あつかいされつづけてきた。これからも民主主義の国家体制のなかで,そういった政治的な構成体として存在しつづけていくのか,基本からする議論を回避するわけにはいくまい。

 ④ 【参 考 記 事】
  「よくぞ言った秋篠宮さまの『大嘗祭への国費支出』異議発言」(『天木直人のブログ』2018-11-30,http://kenpo9.com/archives/4493

 本ブログ筆者は,この天木直人の批評に全面的には賛同できないが,読者にとって参考になる意見として紹介する。

 --秋篠宮さまが,53歳の誕生日を前に,きのう11月29日に〔22日におこなわれていたものだが〕記者会見を開かれた。そこで日本を揺るがす大きな政治的発言をされた。すなわち,天皇の代替わりにおこなわれる皇室行事である「大嘗祭」の経費について,「宗教色の強いものを国費で賄うことが適当かどうか」と異議を唱えられたというのだ。

 平成の時代の最後にふさわしい超ど級の爆弾発言だ。これほど政治的に大きな影響を与える発言はない。この言葉は戦後の日本の国体の矛盾を見事についた言葉だ。いうまでもなく戦後の日本は国民のしらないところで,国のあり方について大きな矛盾を抱えて出発した。憲法9条より日米安保条約の方が上位にあるという矛盾がその最大のものだ。

 しかし,それと同じように大きな矛盾が,主権在民と政経分離を謳った新憲法が同時に象徴天皇制を認めている矛盾である。憲法9条といい,象徴天皇制といい,われわれはその矛盾を現実のものとして受け入れてきた。その矛盾を公に議論することなく今日まで来た。

 しかし,平成の時代が終ろうとしているいま,秋篠宮さまはそれをあえて口にして,政府や官僚たちが国民のしらないところで進めようとしているこの国の矛盾に,それでいいのかと,国民に問いかけられたのだ。

 まさしく2016年8月8日の天皇陛下のおことばと同じなのだ。政府や御用メディアはこの秋篠宮さまの発言をあえて大きくしないように努めるだろう。それどころか批判的に報じるものすら出てくるだろう。そうさせてはいけない。一大論争にして,最後は国民に決めさせなければいけないのだ。私はもちろん秋篠宮さまの意見に賛成だ。

 しかし,天皇制や皇室典範に詳しくない世論だから,ひょっとして国費からの支出を認める意見が多数になるのかもしれない。そして政府やメディアがそう誘導するのかもしれない。いずれにしても,この問題は秋篠宮さまが発言した時点で最大の政治問題になった。

 メディアは,与野党の政治家を含め,あらゆる識者の意見を聞くべきだ。その答えによってその人間の本性が明らかになる。私なら小泉純一郎に聞いてみる。なにしろ小泉純一郎は天皇陛下よりも国民的人気のある政治家であるからだ。

 象徴天皇制下の日本の最大のジョークである。

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