【この国家の管理はコドモ宰相には任せられず,やはり無理だったことが,いまごろになってあらためて実証された】

 【12月8日は真珠湾奇襲の日(1941年),力道山がキャバレーで刺された日(1963年,事件後の7日目に死亡),ジョン・レノンが銃殺された日(1980年)】

 【安倍晋三君は日本国でもカジノ(官許の博打場)を開帳させるという,無為・無策首相の必死な挽回策。アベノミクス本質の泡沫化現象が,まさにカジノミクスの登場である】
『朝日新聞』2016年12月8日朝刊安倍晋三風刺漫画

◆ 党首討論 カジノで応酬
 首相「投資や雇用生む」 蓮舫氏「依存症に懸念」◆


 安倍晋三首相と民進党の蓮舫代表ら野党3党首は〔2016年12月〕7日,今国会初の党首討論に臨んだ。参院で審議中のカジノを中心とした統合型リゾート(IR)を推進する法案(カジノ法案)や働き方改革をめぐり,応酬を繰り広げた。
 註記)http://www.nikkei.com/paper/article/?b=20161208&ng=DGKKASFS07H7L_X01C16A2PP8000

 ①「〈経済気象台〉崖っぷちの財政拡大」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊)

 米国大統領にドナルド・トランプ氏が選出され,「もしトランプが勝ったら」の「もしトラ」リスクが現実になった。ところが,勝利演説で大人の対応をみせたことで,インフラ投資や減税で米国の競争力が高まるかもしれない,という「変化への期待」が生まれた。米国の金利と株が上昇,それを受けて円は下落,日本株も上昇している。
『日本経済新聞』2016年12月7日朝刊1面画像
出所)これは『日本経済新聞』2016年12月8日朝刊1面より。

 海外投資家の日本に対する関心は財政拡大,目先は来〔2017〕年度予算と補正予算の編成に向いている。日銀の金融政策に限界がみえ,経済成長をめざすのに金融政策だけでは不十分という認識が広がるなか,日本の財政拡大で景気がよくなるなら当面はそれに賭けよう,というスタンスだ。
 補注)要するに,アベノミクスはもうあてにできない,つぎはトランプミクスだという事情の推移になっている。安倍晋三はトランプ次期大統領とは,ポーカーでゲームをしたいらしい。だが,アベノミクスのアホノミクス:ダメノミクスらしさの本性であるその空虚性は,この提唱がなされた当初から批判されており(そんなものろくでもない経済政策だと非難されてきた),しかもこの批判がよく「的を射ていた」事実は,いまとなっては申すまでもないことがらである。このごろ,国会などにおいては安倍晋三自身が,このアベノミクスという用語じたいを,ほとんどといっていほど口に出さなくなっている。

 日本は〔2016年〕5月の伊勢志摩サミットで財政出動での協調を呼びかけたが,財政規律を重んじるドイツなどの賛同はえられなかった。それが,英国のEU(欧州連合)離脱決定に続くトランプ大統領の誕生で,財政黒字のドイツに対する財政出動の要請は高まると思われる。金融主導から財政主導への転換をかかげるトランプ氏の大統領就任は,日本にとっても好都合といえる。

 ただ,財政拡大で景気を下支えするあいだに実現すべき成長戦略をみると心もとない。トランプ氏が離脱を表明した環太平洋経済連携協定(TPP)の発効はほぼ不可能だし,農業改革案は自民党内の反発を受けて骨抜きになった。

 最近,海外投資家が成長戦略にさっぱり関心を示さなくなったのは,この国は成長戦略をやる気はないと見透かしているのだろう。金融緩和と財政拡大のつぎに,成長をもたらす戦略がない国が投資を呼びこめる,よもやそんな幸運があるとは安倍政権も考えてはいまい。(「経済気象台」引用終わり)

 --というしだい・なりゆきであるせいか,安倍晋三君はアベノミクスのアホノミクス:ダメノミクスという恥さらしであったこの「エセ経済政策」に,さらに上乗せする要領で,カジノミクスという濃厚な味付けをくわえ,以前にしつらえた “もとの料理の下味” を,完全にごまかす(隠蔽する)つもりである。

 ところで,この年末にも10億円が当たるという宝くじが販売中である。この「多・空くじ」よりもさらに情けない低い確率でしか,そのカジノミクスに対しては期待ができない。つぎに紹介するような「題名の記事」もあった。これは,あくまで当たったらの話題であるから,通常の宝くじファンの感覚でいえば,現実的には「まったくといっていいほどにありえない想定話」である。
 年末ジャンボ宝くじ当選金額数字 
出所)http://digital.asahi.com/articles/photo/AS20151125002164.html

 「年末ジャンボ宝くじ10億円 高額当選したら税務署が一生チェック 宝くじと税金」(宮口貴志稿『KaikeiZine』2015.12.26,https://kaikeizine.jp/article/737/)
 ② 岡崎哲二稿「〈読み解き経済〉異次元緩和の先に」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊)
岡崎哲二画像3
 ※人物紹介,おかざき・てつじ※ 1958年生まれ,東京大学大学院経済学研究科教授,専門は経済史,歴史比較制度分析。著書に『日本の工業化と鉄鋼産業』『経済史の教訓』など。

 この岡崎の主張は,安倍晋三政権がアベノミクスで狙っていた経済目標が,過度にゆきすぎた場合に起こりうる経済事象を心配している。つまり,ハイパーインフレという言葉を念頭に置いて,この寄稿に耳を傾ける必要がある。アベノミクスの失敗を根本から批判する論旨である。

 1)高齢化時代のインフレ対策を
 日本銀行が2013年4月に開始した「異次元金融緩和」は,当初宣言した2年間でインフレ率を2%に引き上げるという目標が実現できず,大規模な量的緩和を3年半にわたって継続・追加してきた。その結果,日銀が市場に供給するお金の量であるマネタリーベース(日銀券発行高と日銀当座預金の合計)が,膨大に積み上がっている。

 物価の低迷が続くなかで気が早いという反論を承知のうえで,この状態がはらむ深刻なリスクを指摘したい。それは,近い将来,インフレが2%を超えて加速し,制御が困難になる危険性だ。
 補注)岡崎は気を使い,このようにアホノミクスを批判するさい「気が早いと」と断わっている。だが,本心でものをいっているようには思えない。学問的に自信をもって発言しているのであれば,このような謙譲の配慮は無用である。全体の論旨においていわんとしていること=核心に対しては,なんら影響することのない「まくらことば」でしかない。

 日銀は9月に,これまでの政策の効果を評価し,政策の枠組みを「マイナス金利付き量的・質的緩和」から,短期のマイナス金利と長期金利の安定を組みあわせた「長短金利操作付き量的・質的緩和」へと修正をくわえた。

 量的緩和じたいは継続され,日銀は引きつづき保有残高が1年間で80兆円増加するペースで,長期国債を買い入れる。その結果,他の資産購入の効果と合わせて,マネタリーベースは今後1年強で,日本の国内総生産(GDP)を超えるとされている。

 これまでの実績をみても,マネタリーベースの増加は,文字どおり次元を異にしている。前年と比べた増加率は2013年4月に20%を,11月には50%を上回った。2014年2月をピークに増加率は下がっているが,2016年9月でも20%を超える。その結果,異次元緩和開始前の2013年3月に135兆円だったマネタリーベースは,2016年9月には408兆円と3倍以上に増加した。

 ところが,インフレ率はゼロからマイナス圏にとどまったままだ。これは,日銀,政府,そして大胆な緩和を推奨した人びとの想定を超える,いわば異次元の事態だったのではないか。

 マネタリーベースの拡大がインフレ率の目立った上昇につながっていないことは,このあいだに世の中の人びとが利用できるお金の量であるマネーストック(現金と預金の合計)の伸びが,緩やかであったことと対応する。前年同月と比べた増加率は,異次元緩和前の2.5%前後から3.5%前後に上昇したが,その幅はわずかだ。

 マネタリーベースの拡大に対し,マネーストックが増加する割合を「貨幣乗数」といい,ある程度安定していると考えられていた。しかし,異次元緩和後の日本では,マネタリーベースが拡大しても貨幣乗数が急速に低下し,マネーストックが大きく増加しない事態が起きていた。日銀が市場にお金をいくら供給しても,人びとが利用できるお金はあまり増えなかった,といえる。

 仮に,今回導入された新しい金融政策の枠組やその他の政策が功を奏して,インフレ率が上がりはじめた場合,貨幣乗数も上昇に転じ,マネーストックが急激に増加する可能性がある。そうなるとインフレ率が2%という目標を通り越して,急激な物価上昇につながる懸念がある。

 もちろんその場合には,量的緩和を縮小するといった対策がとられるだろう。だが,マネタリーベースの操作によって,マネーストックを速やかにコントロールできるかどうかは,はっきりしていない。金利引き上げという選択肢も,巨額の政府債務が累積している現状では採用することが容易ではないと考えられる。
 補注)岡崎によるこの指摘は,「その場合」にあっては,初めに期待したかったはずのインフレ「率」を大きくうわまわるインフレが昂進しだす「恐れがあるという警告」を意味している。アベノミクスの目玉であったはずのインフレ・ターゲット(リフレ)目標がいままで,達成されなかったのとは真逆の方向に向かいはじめてしまい,インフレ要因だけがただ高じていくような事態が発生したら,こんどは,これにブレーキをかけられるような有効な施策が打てるかどうかが,保証のかぎりではなくなる可能性が高いと心配している。

 アベノミクスは,アホノミクス:ダメノミクスとしてすでに失敗した結果が明確に出ている。だがさらに,その逆張り的な失敗がまた発生させられる可能性もある,という懸念が明示されているわけである。いずれにせよ,安倍晋三政権と黒田東彦日銀総裁という迷コンビが日本経済を運営しようとしてきた経済政策は,いまでは頓挫したも同然の現状に追いこまれている。

 そこで安倍晋三政権は,いうにこと欠いてなのか,「日銀副総裁〔の岩田規久男が〕,2%目標『逆風なければ2年以内に達成できた』」(『日経QUICKニュース(NQN)』2016/12/7 15:26)という具合に弁解していた,という報道もあった。 
    日銀の岩田規久男副総裁は〔12月〕7日午後,長崎市で開いた金融経済懇談会後の記者会見で,2%の物価上昇率について「逆風が吹かなければ(2013年の量的・質的金融緩和の導入から当初の期限である)2年以内に達成できた」との見方を示した。

 2014年の夏には2%に到達した可能性があるという。逆風としては消費増税と原油価格の下落を挙げた。これまでの金融緩和を振り返り,「マイナス金利の導入は迷った」とも明かした。金融機関への影響などを心配したが,現在ではマイナス金利は必要だったと考えているという。
 註記)http://www.nikkei.com/article/DGXLASFL07HQQ_X01C16A2000000/

 この日銀副総裁の戯れ言的ないいわけ(「たら・れば」の架空論)を聴かされた側の1人として思うのは,逆風が吹いたにしても順風が吹いたにしても,経済政策の展開・進展にとっては「同じに配慮されたり,あるいは影響したり」する要因・側面であるに過ぎないことである。岩田の理屈でいくと,順風には文句はいわないが,逆風に文句をつけておき,自分たちの責任である日銀の金融・財政政策がうまくいかないのは,もっぱらこの『逆風という要因・側面』がもたらして影響のせいであることになる。

 原油〔先物取引〕市場に関する経済要因は,日本経済にとって最重要の関連項目である。こちらの値動きのせいになんでもできるならば,日銀は要らない。ダテに存在している日銀ではあるまい。安倍晋三第2次政権になってから,この政権に都合のよい日銀体制に変更したのは,日本経済にとっての順風になっても逆風になっても立ち向かい,克服するための陣容を整えたつもりではなかったのか?
アベノミクス記事『日刊ゲンダイ』画像
  出所)これは2014年11月時点での『日刊ゲンダイ』記事である。その後,2年以上も時が経っているが,なにも変わっていない。アベノミクスがアホノミクス:ダメノミクスである事実もなにも変わっていない。ここまでつづくと完全に害悪そのものである。

  補注中の追記)
「安倍長期政権は日本の戦後政治の失敗がもたらした結果である」(『天木直人の BLoG』016年12月8日)。

 それにしても,つくづく思う。なぜこのような政治崩壊になってしまったのか。政治崩壊とは,聞く耳をもたず暴言を繰り返す安倍首相が,やりたい放題を続ける異常さのことである。そんな安倍暴政に,かすり傷ひとつつけることのできない野党の衰退ぶりのことである。

 これを要するに,戦後70年の日本の政治が,その長い政治史の過程で,与野党の勢力の浮き沈みがあり,そしてついに政権交代さえも起きたというのに,結局は国民のための安定政権作りに失敗したということにほかならない。

 つまり安倍長期暴政政権は,戦後70年のこの国の政治の失敗の裏返しなのだ。もはや,既存の政党や政治家には,なにも期待できないということだ。そして,既存の政党,政治家の否定の動きはいま,世界中に猛烈な勢いで広がりつつある。ところが日本だけが,同じ顔ぶれによる,同じ政党間の合従連衡の繰り返しだ。

 やれ野党共闘だ,やれ連合政権だ,などと叫んで,政権交代争いにうつつを抜かしている。すべては,与党も野党も,既存の政治家たちが,政治家の特権を手放したくないための,生き残りの争いでしかない。多くの一般国民は,そんな政治になんの関心も,興味ももてないはずだ。

 いま日本に必要なのは,古い政治の繰り返しではない。まったく新しい政治をつくることだ。役に立たない政治家の数や権限を極小化し,国民が政策に直接関与できるシステムをつくることである。なぜそれをいい出すものが出てこないのだろう
 註記)「安倍長期政権は日本の戦後政治の失敗がもたらした結果である」『天木直人の BLoG』016年12月8日,http://天木直人.com/2016/12/08/post-5752/
 結局,逆風に吹かれた程度で簡単にこけてしまったアベノミクスだっただけのことである。当初からこのアホノミクス:ダメノミクスに対するきびしい批判が,経済学者・エコノミストから投じられていたし,実際にもそのとおりの結果になってきた。だから,いまごろになって,その逆風〔原油価格の大幅下げ〕のために自分たちの経済運営がうまくいかないなといういいのがれは,みぐるしいどころが,たんに子供じみたいいわけでしかない。責任感のまったく感じられないない大人の抗弁である(なお,アメリカの新大統領にドナルド・トランプが当選した時期以降,原油に上昇の気運があるが,シェール・オイル生産水準との関連もあるため,1バレル:55ドル程度と予測されている)。

 〔岡崎哲二の寄稿に戻る→〕 たとえ高率のインフレになっても,「経済への悪影響は大きくない」という議論もあるだろう。たしかに日本経済は,第2次世界大戦直後のハイパーインフレ(1946〜48年)と,第1次石油危機前後の大インフレ(1972〜75年)を乗り越えて成長し,社会も大局的には安定した状態を保ってきた。
    岡崎哲二の話の途中につぎの図表を入れておく。「戦時化する日本経済?  政府債務と『資金供給の量』」,太平洋戦争時のレベル以上に」(小黒一正教授の「半歩先を読む経済教室」『Business journal』2015.06.16)から借りた。

 小黒はこう指摘している。「現状の異次元緩和が続くと,筆者の試算では,マネタリーベース(対GDP)は2016年には約8割に到達する。この値は,終戦直前のピーク(1945年)の2倍に相当する。今回のマネタリーベース(対GDP)の膨張は,最終的になにをもたらすのか,過去の経験や教訓も踏まえつつ,冷静な分析や政策判断が望まれるところである」。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
戦後経済指標インフレ問題画像
出所)http://biz-journal.jp/2015/06/post_10358.html
 しかし,それらのインフレが生じた当時と今日では,大きく異なる事情がある。人口構成だ。総人口に占める65歳以上の高齢者の比率は,1946年に5.6%,1973年に7.5%,そして2016年には27.3%となり,今後確実に上昇していく。さまざまな資産のうち,もっともインフレに強いもののひとつは人的資本,すなわち「働く能力」だ。逆に弱いのは,預金や国債などの額面が固定されている金融資産である。

 かつてのインフレ時には,人口に占める高齢者の比率が低く,国民の大部分が「働く能力」をもっていた。それまでの資産の蓄積を失っても,働くことによって,インフレに応じて上昇する賃金で暮らしを守ることができた。しかし現在の日本は,蓄えてきた預金と年金に依存する多くの高齢者を抱えている。そして年金積立金の40%程度は,インフレに弱い国内の債券で運用されている。

 ここまで政策的にマネタリーベースを拡大させ,今後さらなる拡大をめざす以上,政府・日銀は,インフレ加速の可能性を念頭に置き,事前に対策を注意深く検討しておく必要がある。もし有効な対策があるなら,インフレ加速の兆候に対してすみやかにそれを実行するべきだ。そして有効な対策がみいだせないなら,異次元緩和の継続に固執するべきではないだろう。(岡崎哲二からの引用終わり)

 要するに岡崎哲二は,アベノミクス〔これはすでに死に体同然,ないしは実質的に死骨化しているが〕は「もうお止めなさい」と助言・忠告している。あとは,安倍晋三や黒田東彦がすなおに聴くだけの耳をもちあわせているかどうかである。岡崎も触れた日本の経済・産業・生活の実情推移については,最近日本における貧困や格差の問題に対して多く発言している山田昌弘が,『日本経済新聞』に寄稿を連載している。つぎはこれに聴きたい。本日までの全6編すべてを参照してみる。

 ③ 山田昌弘(家族社会学専攻)が解説する「戦後日本経済の推移・変質」

 1)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷(1)家族の変化が産業にも影響」
山田昌弘画像 筆者は家族や若者を長年調査,研究してきました。少子化や若者の状況に関して公的機関やメディアからの依頼は以前からありましたが,最近は一般企業からの依頼も多くなりました。企業にとっても,家族の変化が他人事ではない時代になったと痛感しています。
 出所)右側画像は,http://www.ewoman.co.jp/winwin/130/

 家族のあり方と経済状況は密接に関係しています。少子化が労働力不足をもたらすといったマクロ的な変化や,共働き夫婦の増加など家族の働き方の変化は強い関心を集めています。この連載では逆に,家族の変化が消費や産業に与える影響について考察します。

 ひとつ例を挙げます。1990年ごろ,親子関係を調査研究するなかで,欧米とは違い,日本の独身者の大部分は親と同居しているという事実を見出しました。欧米(南欧除く)では若者は原則として親から独立します。少ない収入で生活するのに手いっぱいです。だからシェアハウスや同棲が増えるのです。

 しかし,日本では成人後も結婚まで親と同居しつづけます。当時はバブル経済真っ盛り。大多数の若者は正社員で給料も多い。親の家の一室を占拠して母親に家事を任せ,給料の大部分を小遣いとして使える独身者が大量に出現しました。その結果,海外旅行や高級バッグがはやりました。親の社宅に住みながら,高級外車を乗り回す男性に話を聞いたこともあります。恋愛も盛んで,クリスマスには高級ホテルが若い恋人で満室になると報道されました。このような若者をパラサイトシングル(寄生独身者)と呼んだのです。

 晩婚化による親との同居期間の伸長が,若者の高級品需要を支えたという側面があります。しかし,彼らは住宅や家電製品などは購入しません。そして,バブルがはじけると,非正規化で若者の収入が減り,結婚も増えないので,高級品需要どころか基礎的な需要も減退してしまったのです。近年の個人消費低迷も,日本の家族のあり方と密接に関係しています。この連載では家族の変化という視点から,戦後日本経済の一つの側面を見ていきます。
 註記)『日本経済新聞』2016年11月30日朝刊。

 2)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷  (2)  戦後家族モデル,若者の目標」
 まず,戦後家族の変遷を簡単にみていきましょう。戦前までの家族の大多数は,農家など自営業家族でした。夫も妻も高齢者も子どもも一緒に農作業などをおこない,昔ながらの生活を維持することが家族の目的でした。多くの庶民は生活するのに精いっぱいで,余裕が出ても蓄えに回されました。伝統行事やお祭りなどへの一時的な支出はあっても,生活を向上させたくてもできない相談でした。

 戦後,工業が勃興し,産業化が進展しました。それと同時に,夫はサラリーマン,妻は専業主婦という性別役割分業型の家族が登場します。1955年ごろから始まる経済の高度成長期には,農村から都市部に出てきた若い人たちが結婚して子どもを育てはじめます。核家族時代の到来です。そのときにモデルになったのが,欧米の中産階級の家族です。

 当時普及し始めたテレビでは「パパはなんでもしっている」「ルーシーショー」など,米国のホームドラマが放映されました。そこには,夫は外で働いて自家用車で帰宅し,妻は専業主婦でケーキを作り,リビングとダイニングと寝室がある家に住み,子どもと一緒に家族だんらんを楽しむ姿が映し出されました。

 また,皇太子(当時)の結婚(1959年)があり,皇太子一家の生活が報道され,エプロン姿で料理を作る美智子(当時)など,欧米風の生活の様子が紹介されました。当時,都会に出てきた若者は,そのような家族を理想としてつくろうとしたのです。結婚当初は,風呂なしアパートや社宅,家電製品もほとんどない状態から生活をスタートしました。
 補注)皇族に対する敬称表現は省いた。

 しかし,終身雇用,年功序列の雇用慣行によって,サラリーマンの夫の収入が徐々に上がることが保証されていました。農家など自営業の家族も,政府の保護政策もあって,年々収入が上がるようになりました。「夫が主に外で働き,妻が主に家事をし,豊かな生活をめざす」。これを《家族の戦後モデル》と呼んでおきましょう。高度成長期に成人を迎えた若者(1930~50年生まれ)の多くはこのモデル家族をつくることができました。それが経済成長と家族の豊かさの好循環を生んだのです。
 註記)『日本経済新聞』2016年12月1日朝刊。

 3)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷  (3)「豊かな家族生活」が巨大需要に」
 「夫が主に働いて妻が主に家事で豊かな生活をめざす」という戦後型家族。これが住宅から家電・自動車・生命保険・レジャーに至るまで,あらゆる産業の前提条件となりました。このめざす家族の中身は,1950年代の欧米の中産階級家庭です。LDK仕様の住宅に住み,家電製品がそろい,車があり,主婦が手料理を作り,子どもに学歴をつけさせ,家族レジャーをする生活です。中流生活に必要と思われるアイテムをそろえることが家族の目標となり,消費は家族でするものとなったのです。

 当時は住宅すごろくと呼ばれたように,狭いアパートや社宅からマンション,最後には一戸建てに住むことがめざされました。より広く快適な住宅を求める核家族の存在が,住宅メーカーや不動産業界を潤しました。マイカーをもつことが豊かな家族のシンボルになり,住宅と同様に,より上位の車に買い替えていくことがめざされたのです。

 豊かな生活の象徴は家電新製品です。テレビやステレオは一家に1台。そしてクーラーやカラーテレビ,電子レンジなど新しい家電製品は,中流家庭なら必ず備えるものとして提案されました。それを順番に買いそろえていくのが家族の豊かさだったのです。家庭料理が普及するのも戦後です。専業主婦が手間暇かけ,家族のために手料理やお弁当を作る習慣ができました。それで新しい食品の需要が生じたのです。

 レジャーも家族でするものとなりました。戦前は庶民の楽しみは季節ごとの祭りくらいしかなく,富裕層は旦那も奥様も別々に遊びにいくものでした。休日に家族そろってデパートや遊園地にいき,たまには家族旅行もするようになったのは戦後の習慣です。そのため,デパートや遊園地が各地にでき,子連れ夫婦でにぎわうことになります。

 終身雇用のサラリーマン家庭の最大の心配事は,一家の稼ぎ手である夫が亡くなることです。そのために生命保険が用意され,大多数の家族が加入しました。このように高度成長期には,豊かな家族生活をつくろうとする巨大な消費需要が生まれ,それを満たすために産業が発展するという好循環があったのです。
 註記)『日本経済新聞』2016年12月2日朝刊。 

 4)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷(4)低成長で晩婚・未婚化進む」
 戦後日本の家族の目標が「豊かな家族生活をつくる」から,「豊かな家族生活を維持する」に移行したときに,日本経済の転機が訪れることになります。1973年にオイルショックが起き,1974年にマイナス成長となり,経済の高度成長が終焉します。それは同時に,すべての人が戦後型家族をつくることができる時代の終わりを意味していました。

 経済成長が鈍れば,サラリーマン男性の収入の伸びは低下します。結婚して豊かな家族生活をめざしていた夫婦は,期待どおりの収入をえられなくなりました。そのため妻がパートで働きにいくようになりました。その収入の大部分は,住宅ローンの返済や子供の教育費に回ることになります。つまり,女性の自立のためというよりも,家族消費の不足分を補うための就労だったのです。

 そして,低成長期には晩婚化と未婚化が進みます。1975年には30歳代前半の未婚率は男性 14.3%,女性 7.7%にすぎませんでした。それ以降,未婚者,とくに親と同居する未婚者が増えていきます。彼らは「豊かな家族生活」のなかで育っています。高度成長期の若者は1人暮らしもまだ多く,貧しい生活から結婚生活をスタートしました。しかし,親元で結婚前から家電製品に囲まれている生活を送っていると,どうしても結婚当初から豊かな生活を期待してしまいます。そのような生活が可能な収入を稼いでいる未婚男性の数は減っていきますから,結婚が遅れはじめるのです。

 連載の1回目〔ここでは 1)のこと〕で述べたように,親同居未婚者たちはバブル経済期に一時的に高額消費を増やしましたが,結局は家族消費をおこなう新しい世帯が増えないため,ボディーブローのように日本の消費需要を減退させていったのです。欧米諸国でも同じことが起こりました。

 夫1人だけの収入では豊かな家族生活が維持できなくなったからです。その時に南欧を除く欧米諸国ではフェミニズム運動が起こり,女性でも自立した生活をすることを求められました。未婚でも既婚でも女性が自立すべき収入をうることが一般化したのです。これが日本と決定的に違う点です。
 註記)『日本経済新聞』2016年12月5日朝刊。

 5)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷  (5)  新しい世帯の形成力弱まる」
 これまで述べたように日本の個人消費は,その大部分が「家族消費」,つまり豊かな家族生活のための消費でなりたっています。そして,その消費需要は未婚化によって激減しています。石油危機直前の1972年には婚姻数は約110万組,つまり「豊かさをめざす家族」がそれだけ増えたわけです。しかし,2015年には約63万5千組と,半分近くに減りました。しかも,4組に1組は(夫婦どちらかが)再婚です。

 日本では同棲率は約 1.8%と低く,若年未婚者の親同居率は約75%です。世帯数は増えていますが,増えているのは家族消費をしない高齢者世帯です。結婚や同棲であれ,1人暮らしであれ,新しい世帯を形成する力が徐々に弱くなっているのです。これはバブル崩壊後,経済の構造転換が進み,非正規雇用が増えたことが大きな要因です。自立して生活したくてもできない若者が増えました。また,規制緩和により自営業が衰退し,零細自営業の跡継ぎ男性の生活の見通しがなかなか立たなくなっています。

 その結果,戦後型家族を形成できる若者とできない若者に分裂しました。前者は主に正規雇用男性とその妻で,従来同様,家族で豊かな生活をめざして家族消費をおこないます。しかし,その絶対数は減少しているため,こうした家族をターゲットにする消費産業の市場は徐々に縮小します。

 戦後型家族を形成できない人たちの家族形態は多様ですが,もっとも多いのは親同居未婚の若者です。バブル経済期の親同居未婚者は男女ともほとんど正社員でした。だから,家族消費から離れた個人消費が一時的に増えたのです。しかし,現在は未婚者の非正規雇用率が高く,将来不安もあり,個人消費も控えるようになりました。収入が少ない彼らが独立して新たに世帯を構えたり,結婚して新たな家族を形成したりする可能性は低くなっています。
未婚率図表画像
女性未婚率図表画像
男女未婚率図表画像
出所)http://www.garbagenews.net/archives/1883000.html


 生涯未婚率(50歳時点)は男性23.4%,女性14.1%に達しています(2015年国勢調査)。いまの若者のうち男性の3割,女性の2割が生涯未婚になると予測されています。この親同居未婚化の進行が,消費の足を引っぱりつづけるのです。
 註記)『日本経済新聞』2016年12月6日朝刊。

 6)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷  (6)  フルタイムの共働き世帯は減少」
 前回,戦後型家族をつくることができる若者数の減少が消費を減退させていることを示しました。つぎに,結婚している家族の消費の状況をみていきましょう。日本では共働き家庭が増えています。1980年に専業主婦世帯は1114万世帯,共働き世帯は614万世帯でした。2014年にはそれぞれ,720万世帯,1077世帯と逆転しています。

 しかし,夫婦がフルタイムで働く共働き家庭は減っています。1985年に夫婦ともフルタイムの共働き世帯は441万世帯でした。2014年には390万世帯に減少しています。一方,妻がパートで働く世帯は213万世帯から495万世帯に増えています。過去30年の共働き化は,妻がパートの世帯を増やしただけなのです。

 筆者が2009年の全国消費実態調査をもとに夫婦家族の消費パターンを分析すると,専業主婦世帯とパート主婦世帯の支出には,教育費を除いて大きな違いはありませんでした。つまり,パート主婦の収入は実質,教育費に回っているのです。
 補注)本ブログでは大学問題でも数多く発言しているが,日本の世帯・家族にとって教育費の負担が非常に重い点をなんども強調していた。日本においては文教政策に対する国家予算比率が貧弱であって,先進国とはいえない実情・水準にある。大学まで進学するにふさわしい優秀な学力ある若者が,経済的負担なしで学業に専念していける教育体制が整備されていない。また国立大学予算の締めつけは,最近では日本の大学を貧困化させ荒廃させつつもあり,ノーベル賞の獲得が多くなっている現状とは裏腹に,日本の大学のこのさきゆきを心配させる基本的な要因を提供している。

 一方,フルタイム共働き世帯は,光熱費は同じ水準ですが,食品・被服雑貨・交通・娯楽など,多くの項目で支出が大きく増えています。つまり,食生活でも衣服・自家用車・家族レジャーでも,グレードの高い商品を消費していることが分かりました。また,交際費や小遣いが多く,家族消費以外の個人消費も活発なことがうかがわれます。欧米諸国や東アジアの新興国では,フルタイムの共働き世帯が増えています。その結果,グレードの高い家族消費が増えるだけでなく,小遣いが増えて夫婦それぞれが自分の満足のための消費を増やすのです。

サラリーマン小遣い額画像 日本では家族消費だけでなく,家族を離れた個人消費も不活発になっています。サラリーマンの平均小遣い額は,新生銀行の調査によると,1990年の約7万7千円をピークに減り続け,2015年には約3万8千円と半額以下に減っています。

 夫の収入が伸びないなか,「豊かな家族生活」を維持するため,個人消費が削られているといえるでしょう。結婚する若者が減っているうえ,フルタイムの共働きが増えないことが,消費低迷を招いているのです。
 註記)『日本経済新聞』2016年12月7日朝刊。
 出所)前掲図表画像は,http://www.monbran.xyz/article/439295308.html

 7)「〈やさしい経済学〉家族の衰退と消費低迷  (7)  高齢者のお金は消費に回らず」
 今回は高齢者の家族状況と消費との関連を示しましょう。10年ほど前,堺屋太一氏と対談したとき,堺屋さんは「これから高齢者消費の黄金時代が来る」といわれました。堺屋さんが名づけた「団塊の世代」が退職する。資産があり,年金もまだ高水準,時間も十分にある高齢者が消費市場に出てくるというのです。

 しかし,筆者は,欧米と違い,日本では「家族のあり方」が制約になり,つぎに挙げるいくつかの理由で,お金があってもなかなか消費に回らないのではないかと疑問を呈しました。

 まず,日本では通常,家計を妻が管理しています。筆者の調査では,現役世帯で4組に3組の夫婦が,夫は収入を全額妻に渡し,小遣いを妻からもらう形態をとっています。引退後も,財布のひもは妻が握るのが多数派です。すると,いくらお金があっても,夫は自由には使えません。団塊世代の夫婦年齢差は平均4歳で,平均寿命も6歳ほど女性が長くなっています。平均すれば,妻は夫が亡くなった後の10年を1人で生活しなければなりません。それを考えると,お金を夫に使わせたくないのです。

 さらに日本では夫婦共通の趣味を持つ高齢者は少なく,共通の趣味を楽しむために2人でお金を使う夫婦は少数派です。夫婦仲も欧米に比べて良いとはいえないので,自分の趣味のために夫婦のお金を使うと相手に嫌がられます。夫が引退後,田舎で暮らしたいと言っても,妻が反対して実現しないことが多いのです。

 子どもとの関係も問題になります。高齢者は子どもとの関係が悪化することに不安をもっています。現実に日本では,資産がない高齢者は子どもとの関係が疎遠になりがちです。これはいい悪いの問題ではありません。資産がなくなったら子どもから見捨てられるかもしれないという不安があるので,自分で使わずに持っていようという高齢者が増えるのです。

 また日本では,いざ病気や介護状態が長期化したとき,中流生活を維持しようとすれば,ヘルパーなど余分な費用がかかります。可能性は低くても,そのような状態になったときに困らないように,お金をとっておこうとするのです。
 註記)『日本経済新聞』2016年12月8日朝刊。

 --以上,山田昌弘が概観してみた「家族社会学の立場」から分析する戦後日本経済・社会論であり,それも敗戦後史における日本人の家族生活の進化・変転を,とくに経済問題を基盤とした社会問題の諸相に乗せておこなう説明であった。21世紀における現段階になって,わざわざ提唱された「アベノミクスのアホノミクス:ダメノミクス」性におけるその一番「それ・ダメ」さ加減は,以上のなかにも示唆されているような,日本経済・社会の「変転の蓄積」=結果をまともに考慮していないところに求められる。

 ④ 簡単なまとめ

 仮にリフレ(インフレ・ターゲット論)政策が成功したらどうなる。うまい具合に2%で日本経済の情勢が進行していくことなど,最初から考えられなかった。国内経済だけで運行されているのが「いまどきの各国経済でないこと」は,百も承知でなければならず,当然の大前提でもある。日本国内の勤労者1人あたりの単純年収は,4百数十万円の水準であり,これは大筋で減少傾向をたどってきた。一時期よりも50~60万円も減少してきた。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
単純平均年収画像
出所)http://nensyu-labo.com/heikin_suii.htm

 いまの日本経済・社会における賃金水準のなかでは,インフレ率が2%で進行していっただけで,サラリーマン・労働者諸氏の経済生活はさらに悪化せざるをえない。リフレ「目標」論では,勤労者の賃金も経済情勢にみあってすぐ後追い的に上昇していくと,いわば順風満帆(志向)で楽観的に期待だけはしていた。

 けれども,山田昌弘が解説してもいるように,敗戦後史としての70年あまりの日本経済の進行状態は,アベノミクスのアホノミクス:ダメノミクスに期待していいような,現在における「経済の段階」,その「状況」や「特性」をそぎ落としてきた。

 「円安→輸出拡大・設備投資増大→賃金上昇→適当なインフレ率→経済全体の発展」といったアベノミクスのアホノミクス:ダメノミクスなりに抱いていた〈淡い期待〉は,国際経済が深く国内にまで食いこんでいる時代(産業の空洞化・高齢社会・人口衰退・過疎化問題の現状)においては,全然につかわしくないもくろみであった。最マイケル・グリーン画像2初から錯誤だけが保証されていた。

 ところが,アベノミクスのアホノミクス:ダメノミクス性を自覚したくない者たちは,石油価格下落のせいにその「失敗」の原因をなすりつけたいらしい。だが,これは一国経済の為政担当者としては,考えられないほどに,きわめて明快に無責任な基本姿勢である。

 経済運営にとってみれば,もとより順風だけが吹くわけなどなく,逆風も当然たくさん起こりうるし,また予測できないような世界の政治・経済における現象(事象)も数多く発生する。最近では,アメリカ大統領にドナルド・トランプが事前の予想をくつがえして当選したが,つい以前までは,トランプ大統領だったら「国際経済がこうなる」といったたぐいの〔悲観するような〕主張は,いまのところ,結果として大きく外れている。
トランプ選挙人数獲得数画像
  出所)http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/09/who-voted-trump_n_12876848.html なお,得票数そのものはクリントン
候補がトランプ候補よりも多く,
200票 以上リードしていた。

 要は,アベノミクスのアホノミクス:ダメノミクスさに特有である「いい加減さ」だけがやたらめだつ。これがこのごろにおける日本経済・社会の基層として定着しつつある。そして,つぎに登場させられたのが,安倍晋三流に盛りつけたつもりである “カジノミクス資本主義「経済」の貧寒たる殺風景” である。

 いまの安倍晋三政権に残されている手は,ただ「一か八か」に賭けることなのか。


 【日本国憲法が押しつけられたというのであれば,これは強制された憲法ということではなかったのか】

 【日韓併合が合法的であったとしても,帝国主義が大韓帝国を植民地支配した歴史の事実に強制性の「性」がなかったなどとはいえない】

 【日本,幕末から明治前期における米欧との不平等条約が合法的であったとしても,帝国主義側からの強制性の「性」がなかったなどとはいえない】

 【慰安婦問題に強制性の「性」があったとか・なかったとかを中心的な論点にするのは,この歴史の事実を極小化・最小化して〔できればなかったことにして〕おきたい欲求を抑えきれない日本国内極右の自己欺瞞現象である】

 【日本国憲法が押しつけられたというのであれば,なぜ,これを「強制された・された」と声高に,徹底的に批判しないのか?】

 【天皇・天皇制も「象徴」で押しつけられて残された事実を,強制されたとはいいたくない。また自衛隊も押しつけられて創設したのであったが,強制されて置いた軍隊だとはいいたくない】

 【だから「憲法全体を強制された」とはいえないでいる】



 ①「〈慰安婦問題を考える〉植民地,『総動員』の下で」(『朝日新聞』2016年11月30日朝刊18面)

 まず,この解説記事を引用しながら議論を始める。なお文体そのものや註記の標記法には,必要に応じて変更もある。

 --戦時中に朝鮮半島で慰安婦を数多く集めることを可能にしたのは,日本の植民地支配下で人を動員する仕組があったからではないかと,日韓の研究者は指摘している。慰安婦問題を考えるシリーズで今回は,植民地支配とはなんだったのか,女性たちを動員するシステムはどうだったのか,といった点について考える。
 補注)19世紀的な帝国主義の論理で解釈すると,欧米の強国が帝国主義路線でもって,アフリカ・アジアなどの諸国・諸域を軍事力で侵略・支配・統治する行為は,合法であるとされた。19世紀末葉になると「遅れてこの帝国主義流の植民地分捕り競争」にくわわった大日本帝国は,そのまねごとを,東アジアにおいて実行しだしていた。他国を植民地にするためには,武力(暴力装置)をもってする方法以外にない。そのさい,武力を直接行使するにせよ,しないにせよ(威力として使用するが),その帝国主義的な実力行使の実質は同じである。
戦前植民地体制画像
出所)戦前:19世紀末葉のアジア地域勢力地図,
https://matome.naver.jp/odai/2134615487596995101


 日本はまず台湾を植民地支配し,つぎに旧大韓帝国を植民地支配した。この歴史問題については,日本帝国主義による韓国支配(韓国併合)は合法的であるとかないとか,と学問的次元において議論されている。学問として甲論乙駁しているつもりであるならば,帝国主義の観念次元で合法的か否かばかりを論じるのではなく,植民地統治の現実問題を囲んでいた世界史的な事情・環境・経緯にも照らしての議論としなければなるまい。

 敗戦後の日本は1952年4月28日,独立国に戻れたものの,21世紀の現段階になっても実質的に,アメリカの軍事支配を受けている。この国際政治的な現実様相の意味をしりたがらない,つまり,実際において日本はアメリカ合衆国の属国体制,いいかえれば,対米従属性を明確に維持させられていても,この現実の政治を直視したがらないのである。だが,事実の問題として,日本国中に配置されている在日米軍基地は,世界のなかでも最高度の治外法権を享受している。おまけに「思いやり予算」まで給付されているのだから,米軍にとってこれほど居心地のよい国はない。

 旧日本帝国主義時代における朝鮮植民地支配に関する学術的な論稿のなかには,たとえばつぎのように記述されたりもする。「強占」という用語に注目したい。
    日帝は1910年に韓国を強占した。これにより韓国は歴史上初めて外族の直接的な支配下に入った。一時,朝鮮半の一部が外族の支配に置かれたことはあり,高麗は1世紀近く元の内政干渉を受けた。

 しかし,日帝の強占期のように外族の直接的支配を受けたことはなかった。1945年まで続いた日帝支配下の35年は,20世紀前半期の大部分を占める時期であり,近代的人間を具現させ,近代的社会,近代的国民国家を発展させる重要な時期だった。
 註記)http://www.jkcf.or.jp/history_arch/first/3/04-0k_scs_j.pdf
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 1)食糧も働き手も,農村は疲弊

 日本は1910年8月,大韓帝国を併合。朝鮮人は1919年の「3・1独立運動」などの抗日運動で抵抗したが,警察に鎮圧された。1920~30年代は比較的穏健な統治で「文化政治」と呼ばれたが,歴代総督は軍人で,警察官の数はむしろ増やされた。
 註記1)趙 景達『植民地朝鮮と日本』岩波書店,2013年。

 日本の植民地支配を理解するための言葉のひとつが「総動員体制」だ。植民地朝鮮での総動員体制を研究する庵逧(あんざこ)由香・立命館大学教授(朝鮮近代史)によると,日本は第1次世界大戦直後から政治や経済,社会など国家のあらゆる力を戦争遂行に結集させ「総力戦」を戦う「総動員体制」を構想。朝鮮・台湾などの植民地を組みこみ,鉄道敷設や鉱山開発,ダムや工場建設などの整備を進めた。
 註記2)和田春樹・ほか編,岩波講座東アジア近現代通史第6巻『アジア太平洋戦争と『大東亜共栄圏』1935―1945年」』岩波書店,2011年。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
『朝日新聞』2016年11月30日朝刊慰安婦問題特集
 動員は人や物資など多岐にわたった。1937年に日中戦争が始まると,日本政府は1938年に国家総動員法を制定。職業紹介法も改正し,戦争遂行のためどの業種にどんな人材を配置するかを政府主導で決めた。1944年には国民徴用令が朝鮮にも全面発動されたが,それ以前から「募集」「官斡旋(あっせん)」の方式で労務動員がされた。

 食糧をめぐっては,朝鮮の人口の8割がいた農村が米供給地と位置づけられ,日本内地への移出用に強制供出もおこなわれた。朝鮮史研究家の樋口雄一・高麗博物館長(東京)によると,朝鮮の米は1939年や1942~44年に凶作となり,インフレと食糧不足で農村の貧困が深刻化。天候不順にくわえ,当局が軍需物資供出を優先し,肥料や農具が不足した。朝鮮内外の工場や炭鉱,南洋の占領地などに働き手が多数労務動員された結果,農業が維持できなくなり一家離散するなどの例が相次いだ。
 註記3)樋口雄一『日本の植民地支配と朝鮮農民』同成社,2010年。

 戦時下の農村の悲惨な状況は,内務省嘱託職員が1944年6月に日本から朝鮮へ出張し,7月にまとめた「復命書」に描かれている。

 当局に命じられた供出量に足りず,家屋や牛を売って補う農家や,食糧が底をつき草や木の皮で食いつなぐ農家もあると報告。「戦争に勝つ為」に「国家の至上命令に依って無理にでも内地へ送り出さなければならない」としつつ,朝鮮人労務者の「人質的掠奪的拉致等が朝鮮民情に及ぼす悪影響」に触れ,労務者を送り出した農村は老父母と女性ばかりとなり「悲惨な状態」と強調している。
 註記4)小暮泰用「内務省管理局長宛『復命書』昭和19年7月31日」,外務省外交史料館所蔵・アジア歴史資料センター,1944年。

 1930年代末に戦時色が強まると,朝鮮総督府は10戸前後を1班とする「愛国班」を組織。米の配給や勤労報国隊結成など日本内地の「隣組」と同様,国策をゆきわたらせる単位とした(註記2参照)。神社参拝や日本語使用など,朝鮮人の日本臣民化を進める皇民化政策を推進。「創氏改名」で日本式の氏をつくらせた(註記1参照)。志願兵制度や徴兵制を導入し,朝鮮人への選挙権付与も進めようとした。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
創氏改名広告画像
出所)商売のネタになっていた「創氏改名」事業,
http://plaza.rakuten.co.jp/nida05aru/4003/

 日本の敗戦後,朝鮮人の不満の矛先は朝鮮在住の日本人や行政組織末端の朝鮮人に向けられ,警察署や役所などが襲撃された。朝鮮半島外に動員された朝鮮人は戦後帰郷すると,日本人官吏に「強制的に徴用された」として慰謝料を要求したという。日本の支配に,内心では反発していた朝鮮人が少なくなかったとみられる。
 註記5)浅野豊美『帝国日本の植民地法制』名古屋大学出版会,2008年。

 韓国ARGO人文社会研究所の李 淵植(イヨンシク)・研究理事によると,朝鮮にいた日本人の多くは朝鮮人を「従順な人びと」と思いこんでいた。日本支配からの解放を喜んで「万歳」を叫んだり,日本人をののしったりする心情が理解できなかったという。
 註記6)李 淵植著,舘野あきら訳『朝鮮引揚げと日本人』明石書店,2015年。

 補注)以上は,旧大日本帝国時代における朝鮮支配の実態を概観した解説である。植民地に組みいれたにした朝鮮がどのようにあつかわれてきたかを教えている。『朝鮮にいた日本人の多くは朝鮮人を「従順な人々」と思いこんでいた』という日本人側における朝鮮・朝鮮人に対する認識は,実は,ごく表層的な観察でしかなかった。そのように日本人(支配者側の人びと)に対していた朝鮮人(植民地側の人びと)の本当の気持が,どこにあったか,帝国主義側の人びとはまったく理解できていなかった。

 しかし,日帝敗戦の日には即刻,町中で「太極旗」(いまの韓国の国旗)が振られ,朝鮮各地に建造されていた神社は破壊された。このような「どんでん返しの事実」を目前にみせつけられたとき初めて,一般臣民であった日本人たちは自分たちがどのような「植民者的な立場」にいたをしることになった。

 2)直接的暴力なくても可能に

 植民地での女性の動員は,どのようにおこなわわれたのか。

 台湾には,慰安所に女性を派遣するよう台湾総督府が依頼した文書が残る。1936年に設立された国策会社「台湾拓殖株式会社」が1939年に出した「海南島海軍慰安所の件」。中国南部・海南島の海軍慰安所に台湾から芸娼妓(げいしょうぎ)計90人を派遣するよう総督府から依頼があったとされる。
 註記7)朱 徳蘭『台湾総督府と慰安婦』明石書店,2005年。
 註記8)日本軍「慰安婦」問題解決全国行動編『日本軍「慰安婦」関係資料21選』2015年。

 鳥取県知事が1944年,県内警察署や内務大臣,朝鮮総督府にあてた通達もある。飛行機工場建設で朝鮮人労務者が鳥取に約千人来ていた。その一方,鳥取市内の遊郭に約100人いた日本人酌婦が半減していたため,打開策として朝鮮人酌婦を20人移入した,との内容だ。
 註記9)在日朝鮮人運動史研究会監修,福井 譲編『在日朝鮮人資料叢書7 在日朝鮮人警察関係資料1』。

 米軍がビルマ(現ミャンマー)で捕虜とした朝鮮人慰安婦らの尋問記録には,1942年に703人の朝鮮人女性が釜山を出航して東南アジアに送られたとの記述があり,朝鮮人慰安所管理人の日記にも符合する記述がある。吉見義明・中央大学教授は「戦時中に女性を多数,船に乗せて戦地に運ぶことは民間業者だけでは不可能。移送は軍が主導したことは明らか」とみる。
 註記10)東南アジア翻訳尋問センター「心理戦 尋問報告第2号」1944年11月30日」,吉見義明編『従軍慰安婦資料集』大月書店,1992年所収。
 註記11)安 秉直編『日本軍慰安所 管理人の日記』2013年,韓国語文献。
 補注)この註記11)については,http://nadesiko-action.org/wp-content/uploads/2013/10/comort_women_diary.pdf  で読める。

 軍需動員や労務動員については,軍や朝鮮総督府による計画が道,郡の行政機構を通じて地域に割り当てられた(註記2)。慰安婦の動員について庵逧教授は,元慰安婦らが「役所の職員や地元の巡査が来ていた」などと証言していることに着目。「業者だけで集落の状況を把握するのは難しい。家族構成を細かくしる地元の公務員や,地域の有力者が女性集めに加担した可能性はある」とみる。

 1945年4~5月に米軍が捕らえた朝鮮人捕虜の尋問調書には,慰安婦問題についての質問がある。「日本軍が朝鮮女性を売春婦として募集したとしっているか。この制度に対する平均的な朝鮮人の態度はどうか。制度から生じた騒乱や衝突をしっているか」。

 調書は米ハワイに収容された日本軍捕虜約2600人のうち朝鮮人約100人を尋問し,うち3人から詳しく聞きとったものとみられる。捕虜らは「朝鮮人慰安婦はみずから志願したか,親に身売りされた。日本による強制的な徴集があれば許しがたい暴挙とされ,怒り狂った蜂起で日本人は殺されただろう」と答えている。
 註記12)Military Intelligence Service Captured Personnel & Material Branch「Composite report on three Korean Navy civilians, list no. 78,dated 28 Mar 45,re “Special questions on Koreans”」1945年,米公文書館所蔵。

浅野豊美画像 調書を米公文書館で確認した浅野豊美(とよみ)・早稲田大学教授(日本政治外交史)は「朝鮮人捕虜らは,慰安婦を業者による詐欺や,家父長制下でのやむにやまれぬ人身売買の犠牲者とみていた」としている。
 出所)右側画像は浅野豊海,http://www.chicagoshimpo.com/japanesefile/j-community/15_1204_imperial.htm

外村大 外村 大(とのむらまさる)・東京大学教授(日本近現代史)も,官憲を直接出動させて暴力的に連れて行く方法については「朝鮮統治への影響や要員確保のコストを考えると,あったとしても例外的。日本人の役人が直接手を下さなくても,現地職員や地域の有力者,業者が動いて動員できた」とみる。「支配する日本人が支配される民族の上に立ち,思うように朝鮮人を用いることができるよう制度や社会を作り上げたことじたいが,植民地支配の核心だった」。
 註記13)外村 大「戦後日本における朝鮮植民地支配の歴史認識」『神奈川大学評論』第81号,2015年。
 出所)左上画像は外村 大,出所)画像は外村 大,http://book.asahi.com/photo/index.html?photo=2012100300005_1
 補注)このあたりまで「従軍慰安婦問題」に関する解説を聴くと,この問題を歴史的に発生・展開させていった日帝側の責任が大枠として厳在しており,強制性の「性」の問題基盤がどこに求められるかも教示している。植民地支配における統治の構造は,強制性そのものが直接になくとも,「従軍慰安婦問題」を発生・展開させる大枠の強制性を確実に提供・準備させていたことになる。

 こういう話題につなげて議論してみる。--敗戦後,日本国憲法が登場させられたさい,この憲法は強制されたのではなくて,旧大日本帝国が旧憲法を改正するかたちで制定されたのだといっておき,その裏舞台でたしかに執行されていたはずの「GHQの影の意思」を,完全に排除しておくのは,歴史の解釈としては間違いである。

 日本国憲法制定史のその論点と単純にいっしょに並べて議論はできないけれども,旧日帝による朝鮮支配・統治のなかで従軍慰安婦問題が強制性の「性」なしに,植民地法制の大枠のなかで発生・登場したわけではけっしてなく,この強制性の「性」の問題が当然の大前提として覆いかぶさっていた。

 現在の日本国は被占領国ではないものの,日米安全保障条約体制下では「日米地位協定」や「日米合同委員会」によって,とくに在日米軍基地の問題に関していえば,アメリカ側がほぼ完全に植民地同然の支配力を掌握している。

 補注中の補注)日米合同委員会とは「日米地位協定」の実施に関して必要な協議をおこなう機関である。要は,米軍の駐留に関して日米が民主的にとり決めをおこなう機関である。ところが,この委員会は実態において対等・平等の機関ではなく,このところがミソなのであるが,対米従属国である日本政府の真姿を隠すための簑がさとして活用されている。

 女性たちの意思はどうだったのか。日本政府は1993年8月の河野洋平官房長官談話で「甘言,強圧など本人の意思に反して集められた事例が数多い」との認識を示した。元慰安婦らの証言集には「路上で軍服を着た日本人に腕をつかまれ引っ張られた」とか「工場に就職させる」といわれてだまされた,といった内容が記されている。
 註記14)韓国挺身隊問題対策協議会・挺身隊研究会編,従軍慰安婦問題ウリヨソンネットワーク訳『証言 強制連行された朝鮮人軍慰安婦たち』明石書店,1993年。

 3)「植民地支配なければ,大勢慰安婦にならず」韓国・成均館大学東アジア歴史研究所客員研究員,韓 恵仁さん,

韓恵仁画像『朝日新聞』2016年12月30日朝刊慰安婦問題特集 韓国政府機関の調査官として,多くの元慰安婦や労務動員の事例を調査した成均館大学東アジア歴史研究所客員研究員の韓 恵仁(ハン・ヘイン)さん(49歳)に慰安婦がどう集められたのかを聞きました。

 「元慰安婦に,朝鮮から連れていかれる前になにをしていたかを聞いた調査(2001年)があります。対象者192人のうち家事(手伝い)や家政婦,子守をしていた,と答えた人が計122人。食堂や妓生(キーセン)などの接待業で働いていた,との回答者は9人でした」。

 「女性たちが農村の集落などからどのように連れ出されたのか。証言を検証すると,日本の炭鉱や軍需工場に動員された青年らと重なる点が多いと気づきました。人集めをする業者らに植民地統治機関の末端の職員や警察官,地域の有力者が協力していました」。

 「総動員体制のもとで1940年以降にできた徴集の制度を探ると,統治機関から人集めの許可を受けた業者は労務動員の対象者を集める一方,酌婦や女給などの募集をすることもできました。『女給募集』などをかかげ,慰安婦にする女性が集められたと分析しています。元慰安婦への調査でも,過半数が『職業詐欺』により動員されたと答えています」。

 「朝鮮では〔19〕20年代ごろから婦女子の誘拐や人身売買が問題になっていました。〔19〕30年代末には紹介業を名乗る男らが甘言で女性を農村から連れ出し,上海の遊郭などに売りとばしたとして逮捕され,盛んに報道された事件も起きます。不正の横行も背景に業者への統制が強まり,統治機関の管轄のもと,許可を受けた業者が『募集活動』を展開できたとみています」。

 「『紹介所の慰問団募集に応募した』という元慰安婦もいます。野戦病院で洗濯など身の回りの世話をする旨の説明で応募し,中国などに送られ,軍人の性の相手もさせられたというものです。かたちとしては『募集に応じた』ことになりますが,元慰安婦の立場からすれば『だまされた』と受けとれます。朝鮮半島から日本(内地)や中国,南方などへの渡航には証明書類が必要で,統治機関の許可や協力がなければ困難でした」。

 「労務者も慰安婦も,動員の主な対象は支配言語の日本語も十分理解できず,だましやすい貧しい農村の青年や女性でした。『無理やり引っ張られた』と証言した元慰安婦もいて,末端では強引な手中川昭一画像法がとられたことがうかがいいれます。植民地支配がなければ,大勢の女性が慰安婦に動員されることはなかったと考えます」。
 出所)右側画像は中川昭一,http://yukokulog.blog129.fc2.com/blog-entry-1021.html
 補注)研究者がこのように説明した「歴史の事実」にかかわる内容を,NHKが以前,特番で放送しようとした企画に対して,しゃかりきになって介入・阻止したのが,安倍晋三と故人の中川昭一という2人の自民党極右国会議員であった。

 この事件についてくわしくはたとえば,2005年1月12日「戦争と女性への暴力」,日本ネットワーク(VAWW-NETジャパン)共同代表:西野瑠美子・東海林路得子「安倍晋三の事実歪曲発言について,表現の自由を侵害した政治家の介入と, NHKの偽証を断じて許さない!!  -徹底した真相究明とNHKの明確な責任を求める!!  VAWW-NETジャパン抗議声明」を参照されたい。
 註記)http://vawwrac.org/nhk01/nhk01_04 ← リンクあり。

 またネット上には,安倍晋三と中川昭一がNHKの番組作成に介入・変更させたその事件について,多くの記述(解説)がある。ここでは,本ブログがつぎのものを記述していたことを註記しておきたい(日付にリンクを張ってある)。 
   ⇒ 2015年02月12日「『暗愚の首相』がいざなう『戦前体制的な暗黒世界』,戦後レジームよりも『戦前風の全体国家主義が大好きな安倍晋三』,日本を滅ぼす『過去の亡霊的首相』の徘徊」
 4)「植民地とは--」

 本国の外にあって支配下にある地域。武力によって獲得される場合が多く,本国から国民の一部が移住して現地住民を従属させ,開拓や開発がおこなわれる。16~20世紀,欧米列強や日本などによりアジア,アフリカや中南米の大部分が植民地とされたが,第2次世界大戦以降につぎつぎに独立した。

 日本は日清戦争により,1895年の下関条約で清(当時の中国)から台湾の割譲を受けた。朝鮮(いまの韓国と北朝鮮を合わせた朝鮮半島全域)に対しては,日露戦争以来,しだいに支配を強め,1905年に大韓帝国の外交権を奪った。1910年の「韓国併合に関する条約」では,大韓帝国の皇帝が統治権を日本の天皇に「譲与」すると書かれた。いずれも,1945年の敗戦まで日本が植民地として支配した。
椎名悦三郎画像
 1965年,日韓基本条約仮調印のため訪韓した椎名悦三郎外相が「両国間の長い歴史のなかに不幸な期間があったことはまことに遺憾で深く反省する」と発言。1995年の村山富市首相談話では「植民地支配と侵略」により「とりわけアジア諸国の人々に多大の損害と苦痛を与えました」とし,「痛切な反省」と「心からのお詫(わ)びの気持」を表明した。
 出所)左側画像は椎名悦三郎,http://amanaimages.com/editorial/keyword/result.aspx?Page=Result&KeyWord=rekishi1972nen&BoxMode=&PageNum=2&JumpMode=BtnJump
 補注)安倍晋三など極右たちの「旧日帝はなにも悪いことはしていない,それどころか,いいこと〈を〉した」といったふうな,過去の帝国主義時代に関する「屁理屈以下の開きなおり」の説法は,当該の被植民地だった国々の人びとにはまったく通用しない。しかし,日韓関係史の記録においては,同じ自民党でも昔の政治家たちは〔けっして本心ではない要素もあったが,そこは政治・外交の駆け引きであったがゆえに〕,前段のように旧日帝の非を正式に認める外交を積みあげてきた。

 さて,安倍晋三たちは,こうした自民党政治が記録してきた「過去における日韓政治史の実績」が嫌で嫌でしかたがない。それにしても安倍晋三「一族郎党」の,そのうちでもとくに世襲仕込みであるボンボン政治家たちは,自分たちの採る極右政治路線以外に,日本の内政・外交における《道路の幅》(それもとくに外交のありようとしてのそれが)みえていない。つまり,政治家としてはもちろん,人間の度量じたいにおいてさえ,その程度に狭量なのである。日本の政治の劣化・崩壊現象は,安倍晋三政権に至っては本格的に表面化している。

 5)この記事の最後の付記(の引用)

 慰安婦問題をめぐっては,2014年12月に識者に連続インタビューし,2015年6月に専門家の座談会を掲載した。同年7月には日本軍で慰安所が設けられた経緯を軍や警察の公文書で検証し,11月には慰安婦碑・像の設置をめぐる米国での論争を伝えた。2016年3月には慰安婦と「挺身隊」の混同など,韓国で慰安婦問題がどう伝えられたかを整理し,5月には韓国人元慰安婦の文玉珠(ムン・オクチュ)さんの証言や記録から,戦前や戦中の足跡をたどった。

 慰安婦問題での日韓合意をめぐる動きや,戦場における女性の人権の問題などを,今後も取材・報道していきます。◇この特集は編集委員・北野隆一,中野 晃が担当しました。

 以上,従軍慰安婦問題に関する解説記事であった。思えば,2014年の夏ごろから安倍晋三は『朝日新聞』による誤報問題(より正確にいえばけっして誤報ではなかった出来事)を奇貨として,異常なまでにこだわりながら執拗に,それも権力を濫用しつつこの新聞社をやりこめていた。

 本日に紹介したこの解説記事は,そのときの経緯を踏まえたうえで,従軍慰安婦問題は「歴史の事実」そのものであって,強制性の「性」の問題次元も含めて,はるかに大きな歴史の流れのなかに位置づけられるべき点を訴えている。
『朝日新聞』2016年12月7日朝刊2面籾井記事画像
 安倍晋三は「戦後レジームからの脱却」を盛んに強説してきたけれども,いまではすっかり「戦後レジーム」に屈服した(絡みとられ包摂された)とみるべき日米軍事同盟関係のなかで,実際にはもはや沈没状態にある。安倍は,戦後レジームの現実的な歴史展開を阻止したり転回させえたりする,政治家としての実力や度量をもちあわせていない。

 この安倍晋三にできることでいえば,せいぜい『朝日新聞』をイジメルのが,精一杯である。ついでにいうと,安倍が2014年1月,NHKに送りこんだあのヘボ会長籾井勝人,すなわち安倍政権のこの回し者は,任期1度のみで退散させられる見通しがはっきりした。

 安倍晋三君はもうすぐ日ロ会談をプーチンと開催するというが,専門筋から聞こえる事前の評価は「マイナス点ばかり」である。来年(2017年)1月にもその外交成果(自分ではえられるつもしであるプラス点)を追い風に受けて衆議院を解散し,総選挙をおこないたい意向も秘めているらしい。これが最近における安倍の考えであると観測されてもいる。

 しかし,日本国民(市民・庶民・大衆)をここまでコケにしてきた安倍の政治がいつまでも続くようでは,この国に未来はもうないといったほうがいい。


 【総裁任期延長の日本国首相と終期の近いアメリカ大統領とが,外交の舞台で踊るみにくいダンス】

 【「美しい国」にも「ふつうの国」にもなれていない日本国の宿命的な悲哀】

 【安倍晋三流に実現したかった「〈戦時レジーム〉からの脱却」は,やはり不可能となっている】



 ① 本ブログ 2016年11月22日などの記述

 上記に日付における記述の主題は「1%の極右が自分たち以外の考えはすべて左翼だと決めつける狂信の時代,『通販生活』に反撃された「〈バカの壁〉に囲まれた極右」,その「とても単細胞的な明快さ」であって,副題としてつぎの3題を挙げていた。

  ※1 【日本の歴史を本当はよくしらない右翼勢力が大きな顔をして闊歩する時代である】
  ※2【「戦後レジーム」という〈籠の鳥〉のなかに自分たちが押しこめられている立脚点がみえない安倍晋三政権の「一統」】
  ※3【しかし,戦争のまねごとだけは絶対にしてみたい安倍晋三政権の反国民的な政治観念】

 本日〔2016年12月6日〕の記述に入る前に,その11月22日に筆者が記述していた内容から一部分を,つぎに再掲しておく。この程度であった安倍晋三政治路線の延長線上に,次項以下に紹介していく本日朝刊の報道〔など〕が出てきた,と関連づけておけばよい。

 21世紀において民主党政権から自民党・公明党政権に移ってからは,安倍晋三の「戦後レジーム」が中途半端に成就しえているかのような様相を呈している。しかし,そうはいってもあくまで , “アメリカさんのしもべ”(フンドシ担ぎ屋)であるほかない,制約付きでの『安倍晋三風になる〈日本の変容〉ぶり』であった。大前研一は腹立たしげに,安倍晋三をこう批判していた。

 「安倍首相は『戦後レジームからの脱却』をかかげ,祖父の岸 信介元首相がA級戦犯になった東京裁判について『勝者の判断によって断罪された』という見解を示していながら,訪米したさいの米上下両院合同会議での演説(2015年4月29日〕では持論を展開するどころか

 『日本にとってアメリカとの出会いとは,すなわち民主主義との遭遇でした』

という歯の浮くようなおべんちゃらをいってアメリカにすり寄った。そういう骨のない政治家に,憲法の改正という国家の根幹を変える大事業を任せてよいのか--それがいま,問われている」。
 註記)大前研一『君は憲法第8章を読んだか』小学館,2016年8月,141頁。
  2015年4月29日米議会安倍晋三演説原稿
   出所)これは2015年4月29日に演説したときの安倍晋三の様子,http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/b712b6371530feffa5dedfb48f4b3594

 上の画像をかかげていたブログは,こう記述してもいた。

 この日,安倍首相は英語で演説をおこなったが,ウォール・ストリート・ジャーナルは安倍首相が手にもった原稿を大きな写真で紹介した。原稿には,「つぎを強く」など抑揚をつける位置や,息継ぎの箇所が赤ペンで書きこまれていた。カナダ版の Yahoo ! ニュースに掲載されたロイターの記事には,「顔を上げ拍手促す」「おさまるのを待つ」などの書きこみもみられた。

 安倍晋三君はなかなか演技派のようにみえたものの,実際はへたな英語の読みであって,かなり聞きづらかっただけ……。
 もっとも,安倍晋三が敬愛する母方の祖父,岸 信介は,A級戦犯の束縛を解かれたあと,つまり,巣鴨拘置所から出されてからはCIAの工作員としても活動していた。そうして,アメリカからの資金供与を受けた信介は,自民党を結成して戦後の政治を支配していった。
 註記)https://matome.naver.jp/odai/2143643224327030301 参照。

 安倍晋三という孫の祖父からして,そのような過去における「経歴の持主」であった。その孫のほうはといえば,この祖父のまねごとを,ちょっぴりだけしているに過ぎない,といえなくもない。

 しかし,旧大日本帝国をしきりに郷愁したい向きには,つぎのような歴史解釈が歓迎されるかもしれない。「安倍晋三も岸 信介もアメリカに利用されていたのではなく,実はアメリカに送りこまれた天皇のスパイだったのではないか」。
 註記)http://rapt-neo.com/?p=23723

 「彼ら2人が天皇から遣わされたスパイだ」などといわれたら,この意味あいはあまりにも広義に使いすぎているので,ひとまず「アメリカの忠実な協力者」というふうにでも形容して,済ませておくことにしたい。いわせる人にいわせれば,安倍晋三も岸 信介も本心はアメリカべったりではないのだと,いいたがる向きもないわけではない。だが,問題は彼らが現実に生起させてきた,いいかえれば,実際における政治行動とこの実際の効果に即して判断・評価するほかない。

 今日はともかく,2016年12月6日であり,あと2日であの日が来る。安倍晋三君は日本国民向けに「自分なりに演出したつもりのサプライズを提供したい」らしい。だが,いまさら「対米従属路線」のなかに〈しっかり・テイネイ〉に押しこめられた状態である〈晋三〉君に対しては,なにか特別なことができるなどと期待しないがよい。それどころか,日本国に生きている住民(庶民・細民)たちの目線からみると,彼がただの「自己満足・自慰行為」にふけっているみみっちい政治家であるとしかみえない。

 本ブログでは源田 実とカーチス・ルメイが日米勲章交換ごっこを演じていた事実をとりあげ批判したことがあるが,この手前味噌的な演劇にも似たような場面が,日米両首脳の次元においても始まっている。
 註記)本ブログ,2016年03月10日,主題「鬼畜米英ならぬ鬼畜米日の元日本軍人-東京下町大空襲から71年目の3月10日に思う-」,副題1「鬼畜は米英側にいただけでなく,日本側にも実際はいたという真実,その本当の話」,副題2「カーチス・ルメイと源田 実との『いい気な勲章交換ゴッコ』の醜悪さ」

 ②「首相,真珠湾訪問へ オバマ大統領と慰霊 今月27日,現職として初」(『朝日新聞』2016年12月6日朝刊1面冒頭記事)

 安倍晋三首相は〔12月〕5日,米国ハワイ・オアフ島を26,27両日に訪問し,オバマ米大統領とともに真珠湾を訪れると発表した。日本軍が太平洋戦争の戦端を開いた攻撃による犠牲者を慰霊するのが目的で,日本の現職首相が真珠湾を訪れるのは初めて。来年1月で退任するオバマ氏と最後の首脳会談もおこなうとしている。(▼2面=日米協調アピール,35面=元兵士らの思いは)
『朝日新聞』2016年12月6日朝刊1面画像
 首相官邸で記者団に対して明らかにした。首相は「犠牲者の慰霊のための訪問だ。二度と戦争の惨禍を繰り返してはならないという未来に向けた決意を示したい」と強調。「日米の和解の価値を発信する機会にもしたい」とも述べた。

 首相によると,11月にペルーで開かれたアジア太平洋経済協力会議(APEC)の場でオバマ氏と短時間言葉を交わしたさい,12月に真珠湾を2人で訪問することを確認。米国側は真珠湾が攻撃された12月7日(日本時間8日)直前に首相訪問を発表したいとの意向を日本側に伝えていた。米ホワイトハウスは27日に真珠湾訪問と首脳会談を行うと発表した。
 補注)東京裁判史観を全面的に否定し,大東亜戦争史観を絶対的に肯定するはずの,それも母方の祖父ゆずりの時代錯誤精神に拘泥するのが,安倍晋三の基本的な立場である。そういう立場(考え方:歴史観?)なのであれば,パールハーバーを訪ねて慰霊をするなどといった安倍晋三君の政治的な行為は,極右〔など保守・反動・国粋〕の「連中」(晋三の仲間たち,たとえば日本会議の面々)の立場からは絶対に許容しがたいものである。

 「鬼畜米英」という対米認識は,敗戦後においても岸 信介の政治思想のなかには色濃く残っていた。現在までもこの日本国においては,アメリカ軍(一部はイギリス軍)によって占領・統治されて以来であるが,いまもなおガンジガラメに組みこまれている「在日米軍支配体制」がある。安倍晋三君は必死になって,この『戦後レジーム』を非難しつづけ,これからの『脱却』を叫んできた。これが彼の基本的な政治理念・目的で「あった」。

 ところが最近は,そのような,彼自身にとってみればもっとも重要な政治課題は,どこかへしまいこんで〔飛んで〕しまった様子にみえる。すなわち,摩訶不思議とも感じられる〈変節〉ぶりを,安倍晋三君は披露しているのである。それよりも最近は,中曽根康弘の首相任期を超えることができた「自分(安倍晋三)」が,なにやら21世紀の歴史において偉大なる首相として記録されることを切望しているらしく,これに応じて「軟体動物」ないしは「カメレオン的な変貌(脱皮?)」を達成しつつある。

 ということで,このごろの安倍晋三君は「戦後レジーム」に対する非難・攻撃などはどこかに放置したまま,その代わりに,いかにしたら,自分が偉大なる首相として歴史に記憶されうるかを強く意識している様子である。もっとも,彼の偉大さについてはその「バカさ加減」だけはすでに,しっかり・テイネイに評価されているが……。

 たとえば「美しい日本と天下一品の馬鹿 安倍晋三総理の特集サイト」は,2016年12月4日の記述として,安倍晋三政権のいい加減さ・デタラメぶりを,こう批判している。

TTPに自民党反対ポスター画像
 かつて自民党は,「ウソはつかない! TPP断固反対!」っていってました。稲田防衛大臣はかつて,「TPPのバスの終着駅は日本文明の墓場だ」という発言をしてるんですけれども,コロッと個人がウソをつくとかいうレベルではなくて,党としてウソをついてる,180度態度を変えちゃう。

 国民はいったい誰に投票したらいいんですか? 党の公約も破棄しちゃう。修正どころか180度変えちゃう。これはウソとしかいいようがないい。倫理的・道義的な問題はどうなっているんでしょう。恥ずかしくないんですかね! TPP断固反対と何年か前にいっていたのに。この様に息を吐くようにウソをつかれたら,やってられません! 国民は。
 註記)http://beautiful2015.web.fc2.com/Policy.html
 先週(2016年12月3日夜の時間帯に放送)のあるテレビ番組に総合司会・兼・解説者として出演していた「池上 彰」は「民主主義国家としての韓国の現状」は『まだ発展途上』」だと指摘していた。だが,自国民が安倍晋三政権の野放図:好き勝手し放題に対して,ろくに怒らない〔怒れない?〕でいる現状じたいを,池上 彰自身や日本国の住民たちは,いったいどうみているのか。
= 参考資料 =

 「池上 彰のニュース そうだったのか!!」(『テレビ朝日』2016年12月3日19:54~ 放送)
                  
 いま,日本でも連日ニュースとなっている,韓国のパククネ大統領の友人による国政介入疑惑。はたしてこのニュースを池上 彰はどうみているのか,わかりやすく解説します。また,こちらもニュースとなっている,自衛隊の南スーダンPKO派遣について。いったい駆けつけ警護とはなにか? そもそもPKOとはなにか,基礎から分かりやすく解説します!

 ■ どうなる!? 韓国パククネ政権
 連日ワイドショーでもとり上げられている,韓国のパククネ大統領のスキャンダル。はたしてこのニュースを池上 彰はどうみているのか? なぜ歴代韓国大統領にはスキャンダルがつきものなのか? 意外としらないお隣韓国の政治について,池上彰がわかりやすく解説! このニュースにもっと興味がもてるはず!

 ■ そうだったのか!!  PKO
 最近ニュースとなっている,南スーダンへの自衛隊PKO派遣。そもそもPKOとは誰がどこにどの国を派遣しよう!と決めるのか,みなさんはご存知ですか?そもそもPKOとはなんなのか,そして駆けつけ警護とはなにか,池上 彰が基礎の基礎からわかりやすく解説します!

 【ニュース解説】 池上 彰
 【進行】 宇賀なつみ(テレビ朝日アナウンサー)
  ゲスト:太川陽介・カンニング竹山・黒谷友香・山本 博(ロバート)・新井恵理那
    註記)http://www.tv-asahi.co.jp/ikegami-news/sphone/backnumber/?f=0041

 おそらくは,こちら側の日本もまた,実質的な政治の水準でみると『「まだ発展途上」であるその途中のどこか』で足踏みしているのではないか。そういっても過言にならない「日本における民主主義の状態」に留めおかれている。それゆえ「目くその日本」が上から目線で「鼻くその韓国」をせせら笑ったところで,両国における政治の様相を,まともに比較しながら理解・把握したことにはならない。

 とりわけ,自国の首相がいままで嘘八百の内政をやってきた〈実績〉を直視できるだけの視力が,国民・市民・庶民の側において最低限でももちあわせているのであれば,隣国の現状にはみならうべき内実(数百万人もの人間がデモに参加する)があると判断するのが先ではないのか。ちなみに,ここ2~3年においてとくにヨーロッパにおいても,数万人かは数十万人が参加する各種のデモは,各国においてなんども発生してきた。


  〔記事本文に戻る→〕 首相は記者団に対し,オバマ氏が5月に現職大統領として初めて広島を訪問したことをあらためて評価。そのうえで自身が昨年の米国議会演説で真珠湾攻撃に言及したことに触れ,「真珠湾を訪問することの意義,象徴性,和解の重要性について発信したいと,ずっと考えてきた」と説明した。首相周辺などによると,首相は訪問にさいして謝罪は予定していないという。犠牲者に献花するほか,真珠湾攻撃の追悼施設「アリゾナ記念館」を見学する見通しだ。岸田文雄外相もハワイに同行する。
 補注)安倍晋三君が謝罪をしなくても,対米従属・服属の恭順さについていえば,もう十分にタップリ示してきたのだから,そこまでやらせたら気の毒という感じであり,アメリカ側はそのあたりを配慮してくれているのかもしれない。献花程度であれば抵抗なく協力できる。

 先述のように安倍晋三は,敗戦後の日本は「アメリカさんから民主主義を教えてもらった」と心底から感謝する言辞を,米上下両院合同会議での演説のなかで「コクっていた」。それゆえ,この人にいまさら,大東亜戦争にまつわる「謝罪までさせたら」「大恥をかかせる」はめになりかねない。

 それにしても,安倍晋三君の基本路線であった「戦後レジームからの脱却」目標は,東京裁判史観(岸 信介はのちに解放されたがA級戦犯として長らくスガモ・プリズンに収容されていた)を拒否し,つまりは,大東亜戦争史観のほうを採るべき立場であったものが,いつのまにか,メイド・イン・アメリカの「太平洋戦争史観」を喜んで受容したかのようになっており,政治家の姿勢において微妙かつ明快な変身を遂げてきている。


 これでは「戦後レジーム」はお蔵入りも同然である。日本の極右政治家は大国アメリカの掌(てのひら)の上で舞うこと以外,自由に政治的な活動ができないでいる。安倍晋三君が2012年12月26日に再び首相になってからの「日本国の内政・外交の実情」は,いうなれば「行きはよいよい,帰りは怖い,怖いながらも通りゃんせ 通りゃんせ」そのものである。

アベノミクス風刺画 アベノミクスのアホノミクス:ダメノミクス的な空虚さはいうまでもないが,この国内経済問題=内政はさておいても,国外(海外)政治問題=外交のほうも実際にはさっぱりである。

 もうすぐロシア大統領プーチンを山口県に招いて会談するというけれども,この首脳会談はいまから成果なしが確実に予想されている。安倍晋三の真珠湾訪問もプーチンとの会談も結局,シンチャンの個人的な見栄を満足させるためにはなっても,日本国全体,ましてや国民・市民・庶民次元への利益反映はなにも期待できない。ひと言でいってしまえば,演技(パフォーマンス)のための単細胞的な外交お芝居はおよしなさい,である。

 出所)左上画像は,https://matome.naver.jp/odai/2147048809784018001

  〔記事本文に戻る→〕 オバマ氏は来〔2017〕年1月に退任するため,両氏による最後の首脳会談となる。首相は記者団に「(オバマ政権との)4年間を総括し,未来に向けてさらなる同盟強化の意義を世界に発信する機会にしたい」と語った。

 日米関係をめぐっては,米大統領選で在日米軍駐留経費の負担見直しなどに言及したトランプ氏が勝利。首相は次期政権の発足を前に,日米同盟の重要性を米国と共有する姿勢を改めて示したい意向だ。
 補注)要するに「日米同盟の重要性を米国と共有する姿勢」とは,安倍晋三が必死になって否定してきたはずの「戦後レジーム」の重要性を意味する。安倍晋三君,あなたは自分のやっている政治家としての行為を,はたして自覚できているのか?

 オバマ氏は今年5月,三重県で開かれた主要7カ国(G7)首脳会議に出席した際,被爆地・広島を訪問。広島平和記念資料館(原爆資料館)を視察し,原爆死没者慰霊碑で献花した後の演説で「核なき世界」の実現に向けた決意をあらためて示した。日米両国では,歴史問題をめぐる日米両国の完全な和解をアピールするため,安倍首相の真珠湾訪問を望む声も上がっていた。
 補注)アメリカの大統領が誰であれ,「『核なき世界』の実現に向けた決意を示す」という文句を聞かされたとき,「吹き出さない者はいない」はずである。核兵器にしても核発電(原発)にしても最大の保有国はアメリカである。この国の大統領が『核なき世界』などとと,臆面もなく口に出していっている。冗談もほどほどになどという前に,ただただ呆れはてる「非現実的な発言」である。
          ◆キーワード◆  「真珠湾攻撃」

 1941年12月7日(日本時間8日),山本五十六・連合艦隊司令長官指揮下の日本海軍機動部隊が空母6隻,航空機約350機などで米ハワイ・真珠湾の米太平洋艦隊に奇襲攻撃をかけ,太平洋戦争が始まった。米側は戦艦アリゾナなど21隻が沈没などし,200機近い航空機が破壊され,約2400人の死者を出した。 
 ③ ジャパン・ハンドラーズが日本国を指導する-「〈トランプショック 私の見方〉強固な日米関係は不可欠 カート・キャンベル氏」(『朝日新聞』2016年12月6日朝刊13面「国際」)

 以下に引用するこの記事は,前米国務次官補(東アジア・太平洋担当),カート・キャンベルが語った日米関係のこれからである。ジャパン・ハンドラーズの1人の意見に過ぎないが,どこまでも「戦後レジーム」はいよいよ強固にされるべきという垂訓を披瀝していた。
ジャパン・ハンドラーズ4名画像
出所)記入されているのは以前(昔)の肩書き,
http://blogs.yahoo.co.jp/kinakoworks/11354343.html


 トランプ次期政権は,これまでの安全保障や外交に関するインタビューなどをみるかぎり,中東政策を重視しており,中東での戦闘や情報活動の経験のある人物を要職に起用している。つぎに重視しているのが欧州。アジアはむしろ経済や商業的な機会ととらえており,外交・安保分野の優先順位は3番目だろう。(アジアを重視する)リバランス(再均衡)政策などを丸々,踏襲するのかどうかは疑問だ。

 日本は米国のアジア戦略の要で,対中政策にとり組む前に,日米関係が強固であることへの理解が不可欠だ。環太平洋経済連携協定(TPP)からの離脱や北朝鮮への異なったアプローチを実行に移せば,地域の平和と安定が維持されるのか,懸念している。日本との関係に背を向けて,米軍を撤退させるなどすれば,それは危険な自己破滅的行為であり,アジアにおける米国の戦略を著しく弱体化させる。
 補注)「ほらみろ,またぞろ,出てきた」とでも形容すべきご指導の内容である。安倍晋三君も「戦後レジーム」を否定したり「これからの脱却」なんて,いっちゃダメよと,きつく指南(警告)している。もっともアメリカはいま,TTPを認めていないゆえ,いささか奇怪な意見も吐かれている。ここでは,あくまで「前米国務次官補(東アジア・太平洋担当),カート・キャンベル」の “個人的な見解” であることに注意したい。それでもともかくキャンベルは,安倍晋三に対しても従前どおり,アメリカに対しては従順になれ,この方途でもって日本の政治をとりしきれといっている。そう受けとめられる。

 われわれがこれまで中国にとってきた対応は,長期戦に備え同盟国への支援を強化し,中国とは毅然とした対話で臨みアジア地域全体に武器と(防衛の)保証を与えると意思表示をしてきたことだ。必要なのは,現状から逸脱しないようにし,南シナ海における商業船や他の艦船,航空交通の安全と危機管理を重視することだ。
 補注)もう一度指摘するが,このカート・キャンベルの現在における「肩書き」は「前米国務次官補(東アジア・太平洋担当)である。オバマが退場し,トランプが出場してきたら,その肩書きには「前々」とか「元」とかに,さらにまた変化(進化?)する。それでもなお,以上の口つきとまったく同じに,「アメリカ合衆国利害の見地」から日本に対して「こうしろ・ああしろ」と,高導している〔つもりである〕。安倍晋三君,もしかしたらこういったモノ(レジーム!)こそが,あなたが「戦後レジームからの脱却」の対象としてなによりも念頭に置きつつ,猛烈に排撃してきた実体(障害物)ではなかったか?

 トランプ氏が外交にどうとり組むのか,二つの見方がある。すべてを理解し,それを隠しながら準備を進めているとの見方。もう一つはなにをすべきか分からないが,熟慮しようとしているというものだ。主要政策は継承するのか,それとも世界における米国の役割を再評価しようとするのか。願わくは前者であってほしいが,しるよしもない。

 もし北朝鮮が挑発行為に出た場合に,トランプ氏やそのチームに,武力行使も含めて,危機への準備ができているとは思えない。北朝鮮に強い態度で臨む姿勢をみせながら,同時に「外交」の準備があると主張しているが,無条件で交渉しようとしているのなら問題だ。(聞き手・佐藤武嗣)

 --以上,ジャパン・ハンドラーズの1人,このカート・キャンベルの勝手な・一方的な「日本国を教導するための意見開陳」であった。しかも『日本経済新聞』とか『読売新聞』にではなく『朝日新聞』に掲載された記事でのそれであった。安倍晋三君はこうしたアメリカ側からの指示に対して,真っ向から刃向かえるような「気力も知恵も度量もなにも」ない。国会内において野党に対しては「与党:1強,野党:多弱」を背景にやりたい放題であっても,国際政治の舞台ではまるっきり「1弱のシンゾウ」であって,土台からしてまったく「かたなしの様相」である。

 くどいようだがなんどでも繰り返す。安倍晋三君,「戦後レジームからの脱却」はどうなったのか? これに挑戦しない・できない安倍晋三君という存在は,透明人間でなければ,ただの木偶の坊である。というかそれ以前において,日本の国民・市民・庶民・平民たちの利害関係にとってすれば,一貫して有害無益であるのが,この「世襲3代目のボクちゃん政治家」である。

 安倍晋三首相が真珠湾を訪問するというこのたび予定された外交行事は,オバマ大統領と組んでみせようとしている「単なる演技(パフォーマンス)」である。日本国総理大臣をできるかぎり長くやりたい,彼の願望の現われの一端でもある。この首相の個人的な欲望・達成のために,国家的利益の追求が没却・放置されている。

 亡国の首相,安倍晋三。こちらへの方向づけだけは確実に成就しつつある。

 ④ 上山春平『大東亜戦争の意味-現代史分析の視点-』1959年の問いかけ

上山春平表紙 上山春平の本書は〈まえがき〉のなかで,こういう問いかけをしていた。21世紀のいまにおいて,この問いかけに答えられるなにものかを,われわれは提示しえているのか? なにもない。

 --大東亜戦争の経験から私たちが学びとるべき最大の教訓は「閉じられたナショナリズム」から「開かれたナショナリズム」への転換を決意することだという点であった。そのために,戦争期の日本のナショナリズムを否定すると同時に,インターナショナルの仮面のもとに偽装しているアメリカやソ連のナショナリズムにたいする無批判的な同調にたいして批判の矢を射かけた。
 註記)上山春平『大東亜戦争の意味-現代史分析の視点-』中央公論社,昭和39年,まえがき4頁。

 戦前から「戦争期の日本のナショナリズム」を郷愁するのが安倍晋三の立場であるが,この首相は「アメリカ〔やソ連〕のナショナリズムにたいする無批判的な同調」も,同時に保持してきた。この事実はあいも変わらず「敗戦後史(戦後レジーム)」の呪縛されている安倍自身の空虚さを端的に物語っている。安倍晋三という極右首相の存在基盤に浸透している根本矛盾は露わである。


 【原発の危険性・不経済性がいよいよ極致に向かいつつある現状,その技術的な悲惨・経済的な袋小路】


 ①「チェルノブイリ 覆いの設置完了」(『日本経済新聞』2016年11月30日朝刊)

 【モスクワ=共同】  ウクライナのチェルノブイリ原発で29日,30年前に事故を起こした4号機を覆う巨大な鋼鉄製シェルター〔=写真はロイター=〕の設置が完了し,同国のポロシェンコ大統領らが参加して式典が開かれた。放射性物質を封印し,飛散を防ぐのが目的。耐用年数は100年で,約15億ユーロ(約1780億円)もの巨費が国際支援により投じられた。
チェルノブイリ石棺完成
 今後はシェルター内部で4号機を解体し,溶けた核燃料をとり出すもっとも困難な作業に移るが,さらに膨大な資金が必要になる。ウクライナ経済は危機に陥っており,事故処理の完了はまったく見通せない。4号機は事故後,コンクリート製の「石棺」で覆われたが,老朽化で再汚染の危険が高まり,対策が急務だった。(記事引用終わり)

 --チェルノブイリ原発事故が発生したのは,1986年4月26日であった。石棺化工事(この記事に出ていたのは第2次工事としての石棺建造である)は完了したが,耐用年数は100年であると断わられている。

 そして,肝心のデブリ(核爆発事故で溶融した核燃料の塊,「象の足」ともいうそれ)をとり出す作業に「移る予定」になっているけれども,この「事故処理の完了はまったく見通せない」とも断わられている。これは,滅相もない話題になっている。今後に関するそのような見通ししかないのであれば,溶けた核燃料をとり出す工事が完了する前までの時期においてさらに,きっと「三度の石棺工事」が必要となる。
象の足画像
 出所)http://www.rist.or.jp/atomica/data/dat_detail.php?Title_Key=02-07-04-12

 さて,東電福島第1原発事故現場の後始末は,いったいどうなるのか? チェルノブイリ事故のその後における「以上の報道のような経過・事情」が,日本に対してもそのまま参考になるはずである。時間の計算をしてみる。

 ロシア(旧ソ連)ではすでに,1986年から2016年まで30年が経過してきたが,廃炉工程(デブリの処理のための工事)に関する進行予定(つまりとくに完了)に関する見通しすら,現時点ではまだ全然立っていないという。

 フクシマも同じ意味で考えるに,それもしごく単純に解釈する話となるが,2011年プラス30年=2041年からデブリの処理(とり出し)ができるとみこむことにしても,さらにここから100年単位での大仕事になりそうである。これはいうなれば『悪魔からのたいそうな品物』を人類・人間たちが受けとった事実を意味する。

 『日本経済新聞』2016年11月30日朝刊には,ほかにも関連する記事として,「福島第1廃炉費8兆円 難工事で上振れ見通し」という見出しをつけた報道もなされていた。末尾の段落のみ引用する。
    福島第1原発事故では5.4兆円と想定していた賠償費も8兆円ほどに膨らむ。上振れする除染費なども含めると事故処理費用は合計で20兆円を超える。11兆円としてきた想定の約2倍に拡大し,国民負担の増大が避けられなくなっている。
 廃炉にかかる経費はこれから先もどんどん膨らむと予想しておいて,けっして間違いにならない。それどころか大正解である。おそらく,その金額は雪だるま式に増大しつづけていく。このこともまた正解なのである。いずれにせよ,トンデモナイお荷物を人類・人間は抱えこんでいる。

 ② アリ地獄に落ちていくだけの原発利用体制

 今後における自然・再生可能エネルギーの開発・利用を考慮し予想するのであれば,すでに原発を利用する余地はないことは,自明ともいえる現実的な理解である。すでに原発ゼロの2年間を体験してきた日本である。

 化石燃料を使用する火力発電がどうだこうだ,つまり,燃料費が高い〔高かった!〕とか,排出される炭酸ガスの問題があるとかを指摘して〔批判したつもりで〕,原発の利用にこだわる原子力村の住民たちがまだ勢力を維持しているのが,この日本国の現在における関連情勢である。

 しかし,原発に予算・資金を投入する手間ひまがあるのであれば,これを自然・再生可能エネルギーの開発・利用にまわせれば,原発の不要性は10年も経たないうちに,完全に実証されるはずである(もはやその点が疑われる余地は寸毫もないのだが)。

 日本における原発利用体制がいかに愚かな方途に向かっているかは,つぎに紹介する記事によっても,反面教師的によく示教されている。原発コストは文句なしにべらぼうに高くなりつつある。しかも高いだけでなく,猛毒で有害なエネルギー資源である。その害悪性はすでに世紀を跨がって発散されてきている。この事実は,原発事故現場の実情を観察するまでもなく,これからの数世紀をも経過していくなかでいつまでも,その損害の後始末に迫られていく現実問題となっている。

 1)「高速炉,降ろせぬ旗 もんじゅ後継,国内に」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊。なおこの段落は12月1日の再録である

 政府の「高速炉開発会議」で,実証炉の国内建設をめざす方針が示された。研究段階の原型炉「もんじゅ」の開発に失敗したのに,実用化に向けてつぎの段階に進もうとしている。なぜ,高速炉開発に固執するのか。

   使用済み燃料,行き場なし ◇

 「核燃料サイクルを止めれば,『パンドラの箱』が開いてしまう。高速炉開発を続ける意思を示す計画は,箱を封印する『お札』のようなものだ」。経済産業省幹部は,核燃サイクルと高速炉開発の旗を降ろせない理由を説明する。
 補注)パンドラの箱はすでに開いている状態であるのに,このように完全に奇妙な修辞となっている。原発事業そのものが初めからパンドラの箱を開け放った事実を意味していた。このことは,原発事故(1979年3月28日「スリーマイル島」→1986年4月26日「チェルノブイリ」→2011年3月11日「フクシマ」)の3事故によって,嫌というほどに確認させられたはずである。

 原発事故がほかの諸事故とパンドラの箱画像根本的な性格を異ならせるのは,その規模が時間的にも空間的にも,そして経費的にも手間的にもとてつもない次元・範囲にまで拡大・浸透していくばかりであって,これが収まるところがみいだせないでいるせいである。
 出所)右側画像は「パンドラの箱」の想像例,http://blog.livedoor.jp/dq10tumurin/archives/4027682.html

 現に,チェルノブイリ原発事故の後始末,第2次の石棺化作業は依然つづいている。東電福島第1原発事故現場の後始末は,これからであるというほかなく,いつになったら本格的に「デブリとり出し作業が開始できる」ことになるのか,さっぱり見通しすらついていない。実質的には停頓状態にある。高速増殖炉は日本国中の原発(原子炉)の存在を技術的な与件(前提)としている。

 原発事業全体を止めるという賢明なエネルギー政策に踏み切れない日本は,今後も確たる見通しもつかないまま,ともかく非常に高額な国家予算を投入してでも〔多分無駄づかいになるほかないが〕,
高速増殖炉の開発・利用に向かい,これからも努力だけはするといいつづけている。だが,すでに半世紀もうまくいっていない高速増殖炉の実験化段階が,いつになったら商用化段階にまで到達できるのか? この点はいまなお不詳である。

 核燃サイクルは,原子力発電所から出る使用済み燃料を再処理し,とり出したプルトニウムを燃やす。高速炉はプルトニウムを燃やしやすくした原子炉。高速炉開発を止めれば,使用済み燃料は「ゴミ」となり,青森県六ケ所村の施設で保管する理由がなくなる。政府が高速炉にこだわる理由のもう一つは,日本が保有する48トンのプルトニウム(原爆約6千発分)だ。核兵器の原料にもなり,使うみこみなくもちつづければ,国際社会から核武装の懸念が出る恐れがある。
 補注)高速増殖炉の実用化が実現できなければ,原発が出す使用済み核燃料は「トイレのないマンション」のどこかに,それこそ肥溜め状態でかかえておくほかない。糞尿ならば臭いだけであるけれでも,使用済み核燃料は放射性物質を濃度を下げているとはいえ,いつまでも発散させつづけていく危険物,いうなれば厄介モノなのである。そこで高速増殖炉の出番となるわけであるが,これがうまくいかない。厳密にいうと「本格的な商用化」(経済計算面で判断し,民間企業で採算がとれるという意味で)が高速増殖炉で成功している事例はない。

 2018年7月には,日本で原発を動かすことを認める日米原子力協定が期限を迎える。協定は核兵器を製造しないことを条件に,使用済み燃料からプルトニウムをとり出すことを認めている。再処理を続けつつ高速炉開発を止まれば,保有量の増加に抑えが利かず,外務省幹部は「協定の改定に影響が出ないとも限らない」という。

 もんじゅの地元への配慮もある。福井県の西川一誠知事は11月25日,文部科学,経産両大臣に「地元は積極的に協力してきた。あやふやなかたちで店じまいをするようでは困る」と反発。核燃サイク回虫マンガ絵ルの堅持と,もんじゅを中核拠点とした県の開発構想への影響を訴える。
 出所)左側画像は,http://kamesienne.blog27.fc2.com/blog-entry-290.html
 補注)原発事業に地域社会・地方都市の生存をかけたかのような行き方は,露骨な表現になるが「寄生虫的な生き方」である。電力会社からのおこぼれで地方自治体が寿命を長らえているかのような「原発という麻薬への依存症」は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用によって「町おこし」につなげる方途とは,百八十度,方向性を逆にしている。

 --ここまで記事を読んだだけでも分かるように,将来に向けて高速増殖炉の開発を推進させるとはいっているものの,結局は目先の利害にそれぞれの関係利害者・組織・官庁がこだわっている様相しかみえてこない。それがゆえの「関連する諸事情の進行」になっている。

 そもそも,高速増殖炉の実用化・商用化は,原発の電力を生産するためのコストがほかの発電方式に比較して,無条件に一番安価であるという条件(要求)を満たすために,つまりその根拠を提供するためには,どうしても必要不可欠であった。しかし,この高速増殖炉の実用化(商用化)が本格的に実現されることがないまま,ずるずると半世紀も時間を費やしてきた。いまもなお,いっこうにらちがあかない原発技術が高速増殖炉である。

 要は金喰い虫でしかない高速増殖炉へのこだわりは,原発体制そのものへのこだわりそのものである。日本は,ドイツやイタリアのように「原発からの乳離れ」ができない国でありつづけたきた。したがっていまもな,原発にすがるような「電源構成比率の発想」を捨てきれないでいる。もっとも「3・11」後において記録されてもいるように,2013年9月から2015年8月まで,原発ゼロでも電力確保のできる国であることは実証されている。ところが,こうした事実は直視したくないのが「日本原子力村の利害関係集団」である。 

 2)「放射性廃棄物のドラム缶,雑然 中身不明の容器も 東海再処理施設,現状は」(『朝日新聞』2016年12月5日朝刊)

 貯蔵プールに乱雑に投入された放射性廃棄物入りのドラム缶,敷地内に残された中身のよくわからない廃棄物容器……。廃止が決まった原発の使用済み燃料再処理工場「東海再処理施設」(茨城県)を11月上旬に訪ねると,ずさんな廃棄物の管理や老朽化した施設の様子から,解体作業がきわめて難航しそうな状況がわかってきた。
『朝日新聞』2011年12月5日朝刊東海原発処理問題画像
 使用済み燃料の再処理で出た廃棄物をプールで貯蔵する「高放射性固体廃棄物貯蔵庫」。11月7日,日本原子力研究開発機構の担当者が施設の前で,プール内の状況を写真で説明した。

 水が濁ったプール内には廃棄物入りのドラム缶が約800個,乱雑に積み上がっている。ドラム缶の山の高さは約7メートル。水中カメラを近づけると茶色い物体が舞い上がったという。「水あかか,さびなのかはわからない」。

 ドラム缶の中身は,バラバラにした使用済み燃料の被覆管だ。1977~94年に投入された。つり下げたワイヤを切って投入したといい,プール内でワイヤが複雑に絡み合っているとみられる。ドラム缶が腐食し,廃棄物が漏れている可能性も指摘されている。

 水面の放射線量は毎時3ミリシーベルト。一般人の1年間の追加被曝限度の3倍を1時間で浴びる数値だ。水の浄化装置はない。また,敷地内には中身がよくわからない廃棄物の容器が多数あるといい,ふたを開けて分別しなおす必要があるという。原子力規制委員会の担当者は「とても適当とはいえない状況が続いている。原子力機構だけでなく,旧科学技術庁も旧原子力安全・保安院も,みてみぬふりをしてきた」と話す。

 もっともやっかいなのが,再処理のさいに出た約400立方メートルの高レベル放射性廃液だ。人間が近づくと20秒で死亡する毎時1500シーベルトの線量がある。放射性物質を多く含み,放っておくとみずから発熱して水素が発生し,水素爆発する危険があるため,原子力機構は廃液をステンレス製のタンク6基に保管して水を循環させて冷やし,水素の換気も続けている。2011年の東日本大震災では40時間以上にわたって外部電源が失われ,非常用発電機でしのいだ。

 規制委は2013年,廃液のままだと漏れ出す恐れがありリスクが高いとして,ガラスで固める作業の再開を再処理施設が新規制基準に適合する前に特例で認めた。今〔2016〕年,作業が再開されたが故障が相次ぎ,予定の4分の1で中断している。

 ※「とり出し,考慮せず」※  原子力機構は11月30日,廃止が完了するまでに70年かかり,当面10年間に約2170億円かかるとの工程を規制委に報告した。だが,作業は簡単には進みそうにない。高放射性固体廃棄物貯蔵庫のプール底のドラム缶について,原子力機構は「とり出しを考慮していなかった」。今後,装置を開発して,水中でワイヤを切りながらひとつずつもち上げる方針だ。

 施設そのものも汚染されている。使用済み燃料を粉々にした施設の内部の放射線量は毎時200ミリシーベルト。担当者は「遠隔操作で機器を解体するのか,人が入れるまで除染するのか検討中」と語った。規制委は原子力機構が検討する廃止計画に再三,懸念を示してきた。9月の会合では規制委幹部が踏み込んだ。「実現性に疑問がある。廃止の検討が始まって3年たつのに,アバウトな計画しかない」

 文部科学省出身で原子力機構の田口康副理事長は「できていないのはけしからんが,これからちゃんとしたものを,どう作っていくかという話をさせていただきたい」と答えた。廃棄物の処分先も見通せない。高レベル廃棄物は地下300メートルより深い場所に10万年間埋める。国が年内にも処分に適した「科学的有望地」を示す方針だが,決まらなければ施設で保管しつづけるしかない。

 --この最新の記事は,特別に事故を起こしたのではなく,「廃止が決まった原発の使用済み燃料」を再処理する工場である「東海再処理施設」(茨城県)の実情を,報告するものであった。まるで,事故でも起こした現場かと思わせるものにも似たような,つまり,現場管理がズサンであり,体たらくの状況を教えている。猛毒・有害な放射能を含む物質の管理状態がまったくなっていないのである。

 ここで,東電福島第1原発事故現場の惨状のほうに,あらためて目を向けて考えてみたい。つぎの図解は「廃炉・汚染水対策ポータルサイト」(経済産業省ホームページ)から引用したものである。この図解には,『東京電力(株)福島第1原子力発電所の廃止措置等に向けた中長期ロードマップ』に基づき,国内外の叡智を結集し,技術的難易度の高い研究開発に取り組」むための日程が記入されている。ここに記入されている「年度」はほとんどあてにできない。ただ,これからの課題が列記されているだけである。
福島第1原発事故廃炉工程関連計画表
出所)最終更新日:2016年11月28日,
http://www.meti.go.jp/earthquake/nuclear/hairo_osensui/

 安倍晋三の「得意であった口調」を真似ていえば,東電福島第1原発事故現場の現況は完全に, “アンダーコントロール” ではなく “OUT OF CONTROL” である。事故を発生させていないけれども,関連施設における「放射性物質の事後管理」が,このようにズサンで体たらくな対応でしか維持されていない。こういった現状を聞かされると,ましてや,原発事故を発生させた東電福島第1原発事故現場の後始末が,いかほどの困難と障害に当面しているかについても,嫌というほどに思いしらされる。戦慄させられもするような実態である。

 ③「福島第1廃炉へ模型実験 格納容器の一部再現」(『日本経済新聞』2016年11月30日朝刊)

 電力各社やメーカーなどでつくる国際廃炉研究開発機構(IRID)は29日,東京電力福島第1原子力発電所の廃炉に向け,原子炉格納容器の一部を再現した実物大の模型を使った実験を公開した。廃炉作業でもっとも難しいとされる溶け落ちた核燃料(デブリ)のとり出し技術の開発や作業手順の確認などを進める。

 格納容器の下部にある圧力抑制室の実物大模型は,日本原子力研究開発機構の楢葉遠隔技術開発センター(福島県楢葉町)に設置。この日は圧力抑制室の外側に補強用セメント材を流しこむ作業を想定し,ホースの操作を確かめるなどの作業を実施した。

 福島第1原発は2011年の事故により,1~3号機で炉心溶融(メルトダウン)が起きた。デブリの一部は格納容器の底に溜まっているとみられる。政府・東電は放射線を遮る水を格納容器に張ったうえでとり出すことを検討中。実際の現場は放射線量が高くて人が近づけないため,模型を使い検証を重ねる。IRIDの吉沢厚文専務理事は「具体的なとり出し方法を決めるのに重要なデータを提供できる。廃炉に向けて最大限やるべきことをしたい」と語った。
 註記)引用は,http://www.nikkei.com/article/DGXLZO10096830Z21C16A1CR8000/

 この記事はなにを伝えている「つもり」なのか? これからのち,いつかは必らず,その「デブリの始末」を開始します,そのための予行演習のための準備だけは鋭意おこなっています,検討中です,とでも受けとっておけばよい経過報告なのである。要は,本格的な廃炉工程にまで進んだ具体的な工事は,いまだになにひとつ着手できていませんと,そう断わっているに過ぎない。チェルノブイリ事故現場でも「デブリの搬出作業」がまだ手が着けられないでいた。フクシマのほうでも同然〔の以前の段階!〕である。

 a) 《悪魔の火》を,人類・人間にくれてやったその悪魔〔たち?〕は,いまどのあたりに盤踞しているのか,さっぱり分からぬが,いまごろはきっと,われわれが原発の後始末で本格的に苦しみだした様子をみては,多分,せせら笑っているものと思われる。

 b) 「だからヨ,いったこっちゃーないだろー」などと悪態をついているかもしれない。また「オマエらに悪魔の火を〈お手玉〉や〈剣玉〉にようにもてあそべるテクなんか,もともともちあわせてなかったんだよ」と,それも後ろ指を指しながらわれわれの無様を嘲笑しているかもしれない。


 【なにが問題なのか,日本の天皇・天皇制】

 【民主主義国家体制のなかでの天皇制度の問題議論が混迷する事情など】

 【平成天皇の皇室生き残り戦略を考えるための論及】


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   「本記述(その1)」2016 年12月3日( ← リンクあり)の目次 ※

 ① 高森明勅『天皇「生前退位」の真実』2016年11月
          
 ② 鎮西迪雄,元内閣法制局参事官「〈私の視点〉天皇の退位 特例法対応は憲法違反」(『朝日新聞』2016年12月3日朝刊「オピニオン」)

 ③「象徴天皇 見解に違い-専門家16人,退位への賛否に影響」(『日本経済新聞』2016年12月1日朝刊2面〔参照〕)

 ④  なぜ,日本の天皇論(問題)は迷走するのか

 1)「玉」に近きつもりの者たち

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     本日の記述は,以上まで ④ の 1)に続いて,
 

     以下の ④ の 2)および  3)からなる構成内容である。

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 2)  矛盾に気づかぬ人・気づく人

 a) 戦後日本は,新たな天皇制国家として再武装への途を歩んできた。戦前・戦中との最大のちがいは,アメリカとの全面合作でそれがおこなわれてきた点にある。戦後は,戦前・戦中と異なって「民主主義」の建前のもとに,より合理的な政治制度をもつにいたった。いうなれば,現状における「日本国」は,「共和制と君主制の中間形態ともいうべき独得の国家形態」(小林直樹)であり,「民主制的象徴君主制」(和田英夫)註記)という規定を適用すべき「天皇を冠に戴く国家」なのである。
 註記)文/菅 孝行・イラスト/貝原 浩『FOR BEGINNERS シリーズ 天皇制』現代書館,1983年,82頁右段,146頁右段。

村田良平回想録表紙上 村田良平『村田良平回想録 上・下巻』(ミネルヴァ書房,2008年)は,「皇室について正しい日本語でよりしばしば報道する義務ありと考える」元外交官である。すなわち「皇室の御行為等で,当然の敬語たる『御』をつけるべきところをしばしば省略している。これらは意図的と解さざるをえない」註記)と不満を表明したうえで,皇室関係者に対する敬語・尊称の〈使用〉を当然視する姿勢を示している。
 註記)村田良平『村田良平回想録 下巻』ミネルヴァ書房,2008年,393頁。

 村田は,日本人・日本民族が「日本の皇室」を尊崇する態度を,理屈ぬきで無条件に採るべきのものと考えている。長年にわたる外交官生活の影響で彼は,それもヨーロッパ貴族とりわけ,旧ハプスブルク帝室の〈歴史的残影〉にいささか漬かる体験もし,これに魅惑された記憶が忘れられないのか 註記),日本の皇室に対する尊崇観念を強説する立場を堅持している。
 註記)村田良平『村田良平回想録 上巻』ミネルヴァ書房,2008年,第7章「オーストリア大使・外務審議官」参照。

 村田の19世紀的な感性による発言は,「不敬罪」をできれば復活したいかのように聞こえる。その時代がかった旧態依然の精神構造は,天木直人『さらば外務省!-私は小泉首相と売国官僚を許さない-』(講談社,2003年)に対したとき,強烈な拒絶反応となって表現されてもいた。つぎの画像は同書の「前見返し部分」である。
天木直人中表紙画像
 いわく,天木の同書は「とり上げる価値のある書籍ではない」が,「その『前見返し』を見て一驚した」のは,「そこには天木が今上天皇陛下から賜った辞令の御璽の部分がそのまま用いられていたからである」。さらに村田は,頼まれたわけでもないのに宮内庁の代理人にでもなったつもりか,天木直人のみならず出版元の講談社まで言及し,つぎのように非難していた。
    いかに表現が自由とは言え,天木と,同書を出版した講談社の編集者は,如何にしてこの失礼を陛下にお詫びするのか。正に「売らんかな」の商業欲で皇室を傷つける行為を行ったのだ。両者に猛省を求めると共に,外務省から,再びかかる人間が大使の職につくことがないことを切に祈る。 註記)村田『村田良平回想録 下巻』326頁。
 天皇が国事行為として執るべき形式的な仕事のひとつに,たとえば,日本の外交官に対して日本国内閣が発令する「任免-任命と免官-」を認証する手順がある。免官された天木直人のばあい,その官記に記載された文言は,「特命全権大使 天木直人 願により本官を免ずる 平成15年8月29日 内閣」とあり,「天皇御璽」の大きな印鑑が押印されている。このような「天皇の異様に大きな〈形式:印鑑〉」と発令者〈実質:内閣〉の合体は,日本国憲法の第1~8条が憲法全体に対して有する基本矛盾を如実に反映させている。
天木直人さらば外務省表紙
  いずれにせよ,日本国憲法下におけるその「任免」の発令者は,実質において天皇ではなく内閣である。それでも天木は,天皇の認証を要する高級官僚の「特命全権大使」であったから,「御璽の押された官記」を任命権者(内閣総理大臣等)から伝達されていた。

 村田は,天木が公刊した著書の前見返しに「天皇御璽」という印影が複写して利用されたと憤激するあまり,戦前の感覚でもあるまいに〈不敬罪〉だと騒がんばかりに激昂したあげく,その著者と書肆を非難していた。村田は,21世紀のいまごろにあってなにを錯覚したのか,まさしく時代錯誤も甚だしい言辞を吐いていた。

 b) なお,その『辞令』に押印されている「天皇御璽」については,以下のような字画上の特徴がみられる。天皇の「皇」の字画は「白と王」ではなく「自と王」に,また「御璽」の「璽」の字画は「爾と玉」ではなく「爾と王」に,それぞれ彫られている。参考に御名御璽画像例1まで触れれば,将棋の駒で使われる「王将」と「玉将」とは,実質的な違いはないとされている。
 出所)右側画像は,http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1059111310

 ただし「王将」は片方1枚にしてあり,慣例として後手・上手となる上位者が「王将」を使い,先手・下手の下位者は「玉将」を使っている。「皇」の字が,白でなく,内部の字画を1本増やした自を使っているが,これは「自らが王である」と語呂合わせをしたと解釈できなくもない。
 
 c) 2009年6月29日,鈴木宗男国会議員が内閣に提出した文書(質問第612号),「村田良平元外務省事務次官が1960年の日米安全保障条約改定時のいわゆる『核持ち込み密約』の存在を認めた件に関する質問主意書」がある。

 この文書は,2009年6月29日に毎日新聞が報道した「米核持ち込み 密約文書引き継ぐ 村田元次官『外相に説明』」に関して,「国家公務員法」(昭和22年法律第120号)第百条の規定,「職員は,職務上知ることのできた秘密を漏らしてはならない。その職を退いた後といえども同様とする」に村田が違反したのではないか,すなわち,「今次村田元次官が『密約』の存在を明らかにしたことは,国家公務員法第百条の規定に反するかし,適用されると理解してよいか」という質問の主意である。

 ここでは「核持ち込み密約」問題をどのようにとりあげるかはさておくとしても,退官後におけるこの村田の言説には,正木直人を非難するさいの村田の姿勢と比べて,なにか違和感を抱かせるものがある。
綾小路きみまろ画像3
出所)http://www.teichiku.co.jp/artist/kimimaro/

 2002年ころより注目されはじめ大いに売れた「綾小路きみまろ」(1950年生まれ)という毒舌漫談家がいるが,得意文句が「あれから40年」である。敗戦から22年が経過した時点で公刊された渡辺洋三『日本における民主主義の状態』(岩波書店,1967年)から,早くもさらに49年,都合71年もの時を費やしてきている。
羽仁五郎画像
 1868年から1945年まで77年,それから2016年まで71年の時間が流れている。その間「歴史の歯車はうしろえはまわらない」けれども,まえにすすもうとする時代の趨勢に歯止めをかけようとする反動が数多く出没してきた。
 註記)羽仁五郎『日本人民の歴史』岩波書店,昭和25年,208頁。
 出所)画像は羽仁五郎,http://mixi.jp/list_bbs.pl?id=1054318&type=bbs

 d) 2009年も8月15日の「終戦記念日」を迎え,東京都千代田区の日本武道館で「戦没者追悼式」がおこなわれていた。そこで平成天皇夫婦は,つぎのように「おことば」を述べた。その全文を紹介する。
    本日,「戦没者を追悼し平和を祈念する日」に当たり,全国戦没者追悼式に臨み,さきの大戦において,かけがえのない命をうしなった数多くの人々とその遺族を思い,深い悲しみを新たにいたします。

 終戦以来既に64年,国民のたゆみない努力により,今日のわが国の平和と繁栄が築きあげられましたが,苦難に満ちた往時をしのぶとき,感慨はいまなお尽きることがありません。

 ここに歴史を顧み,戦争の惨禍が再び繰りかえされないことを切に願い,全国民とともに,戦陣に散り戦禍に倒れた人々に対し,心から追悼の意を表し,世界の平和とわが国のいっそうの発展を祈ります。
 この「おことば」は,日本に住んでいるいろいろな立場の人たちにとって各様に受けられうる内実であるがために,かえって無味乾燥とならざるをえない。つまり,どこの誰であろうと「この程度の中身」は吐けるからである。仮に隣国の外交官が口上するとしたら,「わが国」「全国民」の箇所を,「貴国」「貴国民」といいかえれば済む文言である。

 要は,この「おことば」には,平成天皇夫婦の主体=主語の意味が不在である。日本の天皇が日本国・国民の象徴であるならこの関係においてこそ,その主体的な立場が表現されねばならないはずであるが,なぜか明確には語られていない。そうはいっても,しょせん「象徴というものは主体の立場をもちあわせない」ゆえ,そういう言辞をもってする「おことば」にならざるをえない。

 e) 2009年9月16日の報道は,韓国の李 明博大統領が「韓国併合条約100年」となる「来年中の天皇訪韓を期待している」といっていた 註記1)。つづいて9月19日の報道は,「靖国神社参拝をしない」と明言し,「アジア重視の姿勢を明確にする」鳩山由紀夫首相が,10月中旬には韓国を訪問する方向で検討に入ったといい,鳩山首相の訪韓が実現することになれば,北朝鮮の核問題などのほか,天皇訪韓も話題になる可能性もあると伝えていた 註記2)
 註記1)『朝日新聞』2009年9月16日朝刊。
 註記2)『毎日新聞』2009年9月19日朝刊。

 日本の天皇の外国訪問について宮内庁羽毛田信吾長官は,いつものように,まず政府において検討する事柄であり,宮内庁として答える段階ではないが,国際親善が目的になると述べていた。また,韓国訪問要請に関して明仁自身は,「政府が検討し決定することになっていますが招待には感謝します」と述べた。

 日本の象徴である天皇が,あくまで国事行為として国際親善の目的・使命で外国訪問をするにしても,実質的には国際外交の一役を果たすことにかわりはなく,その親善と外交とのあいだに明確な仕切り線を引くことはできない。日本の天皇を招待しようとする相手国の意図は,的確にみきわねばならない国際政治における作用要因である。

 結局,日本国憲法に規定された天皇関係の諸条項に潜む「危うさ=矛盾」は,招待する相手国が期待する「国際政治」目的と,これに対して日本の「皇室〔親善〕外交」がかかげる目標とのはざまにおいて,より明確に発生する。ましてや韓国のばあい,旧日本帝吉田茂画像国の植民地統治を体験した国家であるゆえ,「両国間における皇室〔的〕外交」の進行はいつでも,その種の〈齟齬の問題〉を生む可能性が大である。
 出所)「臣・茂」と敗戦後になっても自称していた帝国主義者的な政治家「吉田 茂」,http://dictionary.goo.ne.jp/jn/227568/picture/m0u/

 問題は,現在天皇の地位にいる明仁の気持,すなわち実際に訪韓が実現する段階にいたったとき,彼が自身の考えにおいて,いったいなにを企図するかにある。

 f) さて,以上のようなぐあいに「日本国・国民の象徴として国事行為にたずさわる天皇」を戴く「日本における民主主義の状態」を基本的に変革するためには,日本国民にいまだに残存する意識,すなわち,天皇を頂点に引きずる「旧臣民的意識」の完全なる一掃・払拭が,大前提の問題となる。

 渡辺『日本における民主主義の状態』1967年は,「民主主義社会というのは, “人間みな平等” の社会をいうのであり,合理的根拠のない一切の差別と不平等とは民主主義に反する」と断言していた。
 註記)渡辺『日本における民主主義の状態』まえがき,ⅱ頁。

 なお「日暮れて道遠し」の感がある。とはいえ,可及的速やかに,天皇・天皇制がこの国の舞台裏に隠居する時期を迎えねばならない。そのようにできたとき,いいかえれば,天皇・天皇制が憲法から姿を消すときは,今年(ここでは2009年のこと)の「8月15日敗戦」を迎えてある新聞社の「社説」が言及していたように,「宗教法人としての靖国神社に解散してもらい,特殊法人化して国立の追悼施設とする案」に則した方途も,探りやすくなるはずである。
 註記)『朝日新聞』2009年8月19日朝刊「〈社説〉09総選挙・追悼施設-今度こそ実現させよ」。

 3) パンドラの箱:天皇と天皇制

 a) したがってまずさきに,「靖国神社や護国神社」と皇室との接点を断ち切る意思を,天皇家の安定と繁栄のために日夜精力を費やしている平成天皇は,ただちに決心すべきである。

 前段に一部引用した社説は,「靖国神社には,東京裁判で日本の侵略戦争の責任を問われたA級戦犯が合祀されている。だからこそ,昭和天皇も現天皇も,その後は参拝していない。国民の中にも,同じ点に疑問を抱く人は少なくないのではないか。外国からの賓客の多くが靖国を訪問できないのもそのためだろう」と,忖度している。

 けれども,靖国神社は,日本帝国の「侵略戦争推進のための宗教施設」であったという「歴史的な基本特性」を抹消できない。また,戦没者の「悲しみ」だけを純粋に慰霊するために存在した神社でもない。A級戦犯を靖国神社へ合祀したことに関する「可否」を議論する以前の問題がある。それは,靖国神社〔および各地の護国神社〕と皇室=天皇家との関係を解消する(なきものにする)ことができるか否かである。
靖国神社画像33
出所)https://thepage.jp/detail/20140110-00000003-wordleaf

 明治の時代に誕生した靖国神社はその建立の由来からして,どこまでも戦勝を祈念するための神社であった。大東亜戦争「開戦の2カ月後,シンガポールの陥落を祝い,日本全国の戦捷第1次祝賀会(戦捷は戦勝の意)がおこなわれた。靖国神社や護国神社への参拝者はひきもきらず,首相官邸や陸海軍省には,日の丸の小旗をもった人々がおしよせた」。その日の「正午,東條英機首相はラジオをつうじて全国民によびかけた」。「大東亜建設の基礎はまさに成らんとしております。天地もゆるげとばかりご唱和を願います。天皇陛下万歳,万歳,万歳!」。

  「だがそれは幻想による酔いであり,戦勝は本物ではなかった」。「天皇陛下のため,国のためと念じて出征した」帝国臣民=朕の股肱は,「当時,死ぬのがこわいとはすこしも思わなかった。生きているのは,戦友におくれをとった感じさえしていた。『靖国であおう!』〔戦死してともに靖国神社に祭られる〕が合言葉だった」。しかし,この文句は「まさに『棄民の戦争』がもたらした非常な変化」註記)に無自覚なまま,洗脳されていた臣民の錯覚に過ぎなかった。
 註記)仙田 実・仙田典子『昭和の遺言 十五年戦争-兵士が語った戦争の真実-』文芸社,2008年,166頁,167頁,295頁,284頁。
仙田・仙田表紙画像    敗色が濃くなるにつれ,日本軍は国内の予備役や後備兵役の古兵・老兵をおおぜい召集し,戦地へ送った。いとしい妻子を家郷に残し,兵士たちは死地におもむいていった。

 戦況全般からみて生還はむずかしく,護国の英霊となるおのれの定めを,悲壮な決意と名状しがたい諦念にたくして,多くの者が遺書を書き残した。
 註記)仙田・仙田,同書,310頁。
 それでもなお,「日本は永遠の昔から永遠の未来まで万世一系の天皇の統治する神国であり,これこそ世界に冠たる国体である」註記1)と信じられつづけてきた。この天皇が神聖である以上,日本帝国の戦いは侵略戦争といえどもすべて聖戦であり,その勝利を保証するのは天皇であるという不思議な国体観が作られていた。いいかえれば,戦いに勝つことによってもろもろの矛盾を隠し,天皇神聖の証明がなされてきたわけである 註記2)
 註記1)太田 龍『長州の天皇征伐』成甲書房,2008年,96頁。
 註記2)鹿島  曻『日本侵略興亡史』新国民社,平成2年,631頁。

 b)「8・15の敗戦」はだから,天皇を祭主とする国営=「陸海軍管轄下の靖国神社」に固有の任務を完全に否定した。ところが,天皇裕仁にかかわる「戦争:敗北責任の問題」を,A級戦犯として全面的に肩代わりしてくれていた東條英機らの,「英霊」ではない「死霊:怨霊」が,この靖国神社に合祀され舞いもどってきたのでは,彼の立つ瀬がなくなった。

 昭和天皇は,敗戦直後の数年間における紆余曲折のなかで,戦争責任からひとまず免責され排斥できてもいた自身の「敗戦の事実(その責任)」を,いまさらのように想起させられ,苦悶した。A級戦犯の靖国合祀は事後,彼が九段に出むけなくなるほどに応えた出来事であった。これによって昭和天皇は,それまでは靖国神社において順調に果たしえてきた,それも彼以外には誰もなしえない「祭主の役目」を阻止された。

 いいかえれば,昭和天皇は,明治以来の戦争の過程で日本帝国が度重ねて吐き出してきた英霊を,靖国という「戦没者用の新たな精神次元世界」に円満に収容させておくという,まさしく彼らを「死にながらに生かしておく仕事」が継続できなくなった。

 さらにいいかえれば,「国家目的を事由に超克させるための靖国神道的な宗教行為」註記)が全面的に否定されたのであるからには,英霊とされていた「戦死=戦闘死・戦病死・餓死者だちの不幸・悲惨」は,そのいっさいを無に帰させられるような目に遭ったモッセ英霊表紙画像ことも意味した。
 註記)ジョージ・L・モッセ,宮武実知子訳『英霊-創られた世界大戦の記憶-』柏書房,2002年,10頁。

 1945年8月9日深夜にもたれた「最高戦争指導会議」で昭和天皇は,ポツダム宣言受諾に賛成する理由として,一方でこのままでは,日本民族=赤子が滅びてしまい保護できない虞れ,他方で国体護持:伊勢神宮の神器がうしなわれる危険を挙げていた。しかし,昭和天皇が実際に採った結果は,だいじな赤子の1人ひとりでもある東條英機らを犠牲にしてでも,自分だけはその地位を保障され,生き延びる方途を選択した。
 註記)鹿島  曻『昭和天皇の謎-神として,人として-』新国民社,1994年,208-209頁参照。

 したがって,前段における説明のように,昭和天皇はA級戦犯合祀後の靖国神社には足を運ぶことができなくなった。わかりやすくいえば,個人的に「朕はもはや靖国にいく理由をなくした,それに,その効果も期待できなくなった」のである。しかし,ごく単純に考えてみよう。かつての下々の臣民,いまの一般の庶民の気持からすれば,天皇が戦没者遺族のために靖国に参拝することは,ふつうには歓迎すべき行為とされるはずである。

 c) ところが,裕仁天皇および明仁天皇は,「そんなこと」よりも「自分たち一族の意地」を,仕返し的・みせしめ的に靖国神社に投げつけている。「聖家族である彼ら」のしぐさではあっても,俗物根性まるだしの人間的反応には,一種のほほえましさを感じてもよい。もしも,靖国神社がA級戦犯の合祀を解いたとしたら再び,明仁天皇一家は九段に出むくことになるのか? 靖国がわは合祀した英霊はこれを絶対に合祀以前の関係にもどすことはできない,と主張している。
西田幾多郎画像8
  出所)http://blog.goo.ne.jp/teinengoseikatukyoto/e/60ca9671d8c8960161043b2407bdab21

 西田幾多郎は,第2次大戦が勃発して半年後に公刊した著作『日本文化の問題』(岩波書店,昭和15年3月)のなかで,「皇道の発揮といふこと」「八紘一宇の真の意義」は「歴史的発展の底に,矛盾的自己同一的世界そのものの自己形成の原理を見出すことによっ西田幾多郎日本文の問題表紙画像て,世界に貢献せなければならない」ととなえた。
 註記)西田幾多郎『日本文化の問題』岩波書店,昭和15年,82頁。

 しかし,西田哲学によってそうして認識された日本帝国は,悟性的・論理的にみずからを解明する方途を受けつけず,この帝国に固有の矛盾が万邦無比の〈国体という玉手箱〉のなかに密閉されていた。 

 結局,敗戦という結末が明治維新のさい用意されたその玉手(パンドラの)箱を開けてしまった。われわれがいま眺めている「より開かれた日本皇室」の未来,そしてこの未来に向けて展望されるべきその姿像は,〈その箱〉のなかに残されたたったひとつの中身として,どのようなものであらねばならないか。


 【なにが問題なのか,日本の天皇・天皇制】

 【民主主義国家体制のなかでの天皇制度の問題議論が混迷する事情など】

 【平成天皇の皇室生き残り戦略を考えるための論及】



 ① 高森明勅『天皇「生前退位」の真実』2016年11月

 本日の朝刊に幻冬舎の新刊広告が出ていた。高森明勅(たかもり・あきのり,1957年生まれ)の新書版で,『天皇「生前退位」の真実』(発売日 2016年11月30日)である。この本の宣伝用の解説はこういう記述になっている。 
    平成28〔2016〕年8月8日,天皇は異例のビデオメッセージで国民に気持ちを伝えた。「高齢のため象徴天皇の役目たる公務が十全にできず平成30〔2018〕年に譲位したい。が,制度改正とその可否は国民に委ねる」と。世論調査で国民9割が「陛下の願いを叶え,譲位認めるべし」と賛成。

 譲位に憲法改正は不要だが,皇室典範改正は不可欠だ。案外簡単な変更で済む。改正せず特措法にすれば退位と新天皇の即位自体が「違憲」となり,譲位直後に「皇太子不在」「皇室永続の危惧」問題が浮上する。転換点の今,天皇・神道研究の第一人者が世に問う「皇室典範問題」のすべて。
 註記)http://www.gentosha.co.jp/book/b10490.html
 高森明勅は「皇位継承問題については,2004年の時点では男系継承を支持する立場をとっていたが,翌2005年からは側室制度が廃止された状況下では皇統を維持できなくなるとして女系天皇容認に立場を転じる。同年6月に開催された有識者会議では直系を優先し,兄弟間では男子を優先すべき旨の提言をおこなっている」。
 註記)https://ja.wikipedia.org/wiki/高森明勅
高森明勅画像
 この高森の立場に向けてはごく通説的な反論であるが,つぎのような批判が寄せられている。いうなれば非常に陳腐な発言ではあるが,いちおう聞いておきたい。
    『SAPIO』(〔2012〕1/11・18)に高森明勅氏による《「女性宮家創設」議論で避けて通れない天皇陛下のご意思と「女系・女性天皇」容認論》という記事が掲載されているので,その内容について批判したいと思います。

 (旧宮家の男性は)一般国民として生まれ,民間で生活していた者が結婚という事情もなく,ある日,突然,皇族になったところで,国民から尊敬の念を集められると思えない。ここでいうところの国民とは,現代のみの国民です。50年後,100年後の国民にとっては,ある日,突然に皇族になった方ではありません。

 “時間の縦軸” ではなく “水平軸” でしか捉えられないのが,女系論者の特徴です。水平軸優先は,まさに理性主義です。50年後,100年後の国民にとっては,皇籍復帰なさった旧宮家の方々は,生まれながらに皇族なのであって,神武天皇から父子一系でつながる正統なる皇位継承資格者なのです。現代人の感想が,未来も同じであると考えてはいけません。世論調査の結果は,日々変更していくことをみても明らかです。
 註記)http://web.kyoto-inet.or.jp/people/ytgw-o/takamorijokeiron.htm
 ここで,あえてまぜっかえしていっておくが,神武天皇には父や母はいなかったのか 註記),というふうに聞いておかねばならない。こういう「理性主義」をもってする「疑問」を突きつけられて,まともに答えを出せる尊王論者はいない。誰もいない。多分,トンデモナイ質問をするな,「オマエは不敬のヤカラ」だと反撃するのが精一杯である。もっと,この国に関する〈悠久の歴史〉(?)にまでさかのぼって天皇・天皇制を再考する余地がある。
 註記)中山正暉(議員だった人物)の国会におけるその指摘・議論については,本ブログ,2015年10月24日,主題「建国記念日の謎-祝祭日・国民の休日など-」,副題1「天皇家の架空先祖の誕生日が国民の祝日を設定できる理由,副題1「主権『在民』ではなく,主権『在君』の国,このニッポンが不思議ではないほどの不思議さ」,副題3「西暦5000年ころにおける日本の祝日(休日)は1年に何日になりうるか?」,副題4「明治天皇は何人の側室:女房をもっていたか? この人が教育長後を帝国臣民に下賜していた歴史の物語」を参照されたい。
          
 ② 鎮西迪雄,元内閣法制局参事官「〈私の視点〉天皇の退位 特例法対応は憲法違反」(『朝日新聞』2016年12月3日朝刊「オピニオン」)

『朝日新聞』2016年12月3日朝刊鎮西迪雄画像 この鎮西迪雄(ちんぜい・みちお)の主張に盛られている見解は,高森明勅と同旨である。ともかく以下に引用する。

 --天皇の退位をめぐって,「天皇の公務の負担軽減等に関する有識者会議」で検討されており,専門家へのヒアリングもおこなわれた。報道によれば,「政府は今の天皇陛下に限って退位を可能とする特例法を軸に法整備を検討している」(『朝日新聞』11月15日付朝刊)とされている。しかし特例法による法整備について,憲法違反ではないかという疑義が,政府・法律学者・法曹関係者・ヒアリング対象の専門家・報道機関から提起されたとはあまり聞こえてこない。かつて内閣法制局参事官の職にあった筆者には,不思議なことに思えてならない。

 憲法第2条は「皇位は,世襲のものであって,国会の議決した皇室典範の定めるところにより,これを継承する」と明記している。天皇の退位は,皇室典範の改正によってのみ可能なのであって,特例法その他の法律による対応は明白な憲法違反であることに議論の余地はない。

 法体系上は,皇室典範も法律として位置づけられるが,皇位の継承,摂政の設置について憲法による直接の委任を受けた特別の法律である。憲法で,下位法令を固有名詞で引用するのはきわめて異例だ。特例法を含め,他の法律では代替できない。憲法も,第4条第2項では「天皇は,法律の定めるところにより,その国事に関する行為を委任することができる」,第5条では「皇室典範の定めるところにより摂政を置くときは」とするなど,明白に書き分けている。

 このように自明なことがなぜ政府内でチェックされていないのか。「恒久措置が皇室典範の改正であり,現天皇に限っての特例措置は特例法だ」という思いこみや,憲法と皇室典範の特別な関係への無理解があるのではないかと考えざるをえない。当否はさておき,退位を現天皇に限っての特例措置とするのであれば,皇室典範の付則に条項を追加するという改正で対応するのが,憲法第2条の解釈として当然のことである。

 天皇の退位については,恒久措置とするか,特例措置とするかにかかわらず,憲法上,皇室典範の改正以外の選択肢はありえない。特例法による法整備は選択肢になりえないのである。

 最後に,一国民としての考えを述べたい。8月〔8日〕の「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」で,天皇が直接の表現は慎重に避けながら,可及的すみやかな退位の意向を示された。そのことに圧倒的多数の国民が共感し,天皇のお気持に沿った対応を望んでいることは,疑いの余地がない。政府及び関係者のとるべき対応の方向は,この一点につきると考える。

 --この意見から読みとれるのは,旧憲法(大日本帝国憲法)と同時に準備され,とくにこの憲法と同等・別格〔あるいは以上〕の法律として制定されていた「旧皇室典範」(⇒敗戦後の皇室典範も)がかかえている〈現代的な問題性〉である。皇室典範は敗戦後も,実質的には基本精神においてなにも変えられずに,天皇・天皇制に対する法律として再利用されてきた。すなわち,新憲法(日本国憲法)のもとに,実は「旧」皇室典範がほとんどそのまま残されていた。それゆえ,それも21世紀のいまごろになってから,明仁天皇の「お言葉」を受けた前後関係において「新皇室典範」が急遽問題にされてもいた。

 ③「象徴天皇 見解に違い-専門家16人,退位への賛否に影響」(『日本経済新聞』2016年12月1日朝刊2面〔参照〕)

 天皇の退位をめぐり,政府の有識者会議(座長・今井敬経団連名誉会長)が聴取した専門家16人の意見が出そろった。退位をめぐるそれぞれの立場は

  (1) 一代限りの特例法で容認
  (2) 恒久制度化して容認
  (3) 退位そのものに反対

の大きく3つ。全体を通じて焦点となったのは,象徴天皇の役割をどう位置づけるかである。国民に寄り添ってきた天皇の活動へのとらえ方が,退位の賛否に結びついている。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2016年12月1日朝刊2面天皇退位記事画像
出所)これは『朝日新聞』2016年12月1日朝刊から引用してい
 るので,若干「分類上で意味の相違」もある。『日本経済
  新聞』記事の本文にかかげられた分類は,つぎに出てくる。

註記)これら人物のなかには憲法学や天皇問題の専門家という
   にはふさわしくない
者も何人か混じっている。安倍晋三流の
   えり好み・偏向
性がいちじるしく濃いめに反映された人選に
   なっている。平川祐弘・渡部昇一・櫻井よしこの3名がその
その該当者である。

 憲法は天皇の役割に関し,国事行為しか規定していない。だが,天皇は被災地訪問などの公的行為を繰り返し国民に寄り添うことで「象徴としての務め」を果たそうとしてきた。8月の「お言葉」は,高齢化でそれが十分に果たせない場合は退位した方がよいとの問題提起だったが,専門家の間ではそもそもの天皇の役割をめぐる意見の違いから退位の賛否が分かれた。

 16人の専門家のうち,条件付きも含めて退位を認めたのは9人。京都産業大名誉教授の所功氏は,天皇の公的行為は「それぞれの天皇の考えで違ってよい」と指摘。陛下のご意向を尊重し,高齢化で象徴としての務めが果たせなくなった場合は退位に道を開くべきだとの持論を展開した。
『日本経済新聞』2016年12月1日2面天皇退位問題記事
 元最高裁判事の園部逸夫氏は,被災地訪問などを通じて「天皇が象徴であると国民に受け止めている」との考えを強調。ジャーナリストの岩井克己氏も約30年間,皇室を取材した経験から,いまの陛下の活動について「象徴として生きる責務であると同時にやりがいでもある」と語った。

 容認派の9人のなかでも,退位実現に向けた法整備のあり方は主張が割れた。一代限りの特例法での対応に理解を示したのは5人。残りの4人は皇室典範改正などで恒久的な制度化を求め,数の上では拮抗した。これに対し,退位に反対を表明したのは7人。帝京大特任教授の今谷 明氏は「天皇は存在じたいが重大,貴重だ」と強調。ジャーナリストの桜井よしこ氏も陛下の活動には敬意を表しつつ「天皇様は何をなさらずともいてくださるだけでありがたい」と述べた。

 東大名誉教授の平川祐弘氏は,陛下が熱心な被災地訪問などについて「陛下の個人的解釈による象徴天皇の役割」と指摘。「少し休んでいただいても象徴としての意味は薄れない」との見方を示した。反対派はいずれも伝統的な天皇の役割を強調し,それができない場合の対応策として摂政や国事行為の臨時代行の活用を主張した。

『朝日新聞』2016年12月1日天皇退位記事画像2 政府は内容を精査し,年明けにも論点整理を公表する。政府高官は「将来にわたり退位を客観的に認める要件を定めるのは難しい」と指摘。恒久制度化は避け特例法を軸に検討する姿勢を崩さない。ただ特例法には「しぶしぶ一時の『抜け道』をつくる安易な対処との印象を与えかねない」(岩井氏)などの異論は根強い。各種世論調査でも国民の多くが恒久制度を求めている実態があり,政府が拙速に制度設計を進めれば,天皇の地位を「国民の総意に基づく」と定めた憲法に違反するとの指摘を招く可能性もある。

 『識者の考え方』(この記事に論評した2名の意見)

 ※-1「法制上の論点,ほぼ出尽くした」(阪田雅裕・元内閣法制局長官の話)
 専門家への聴取を通じて,天皇の退位をめぐる法制上の論点はほぼ出尽くした。退位後の呼称など法技術的なことは段階を追って議論すればよい。専門家の意見が何人対何人と判断するのではなく,論点について多くの国民や与野党の納得をえられるよう政府は説明を尽くすことが大事だ。大きな論点は退位を認める場合,皇室典範改正か,特例法で対応するかだが,恒久制度の議論に時間がかかるとの意見も目立った。今回はいたずらに議論に時間を費やすのではなく,政府は一定のスピード感をもって対応すべきだ。

 ※-2「天皇制のあり方,変化の視点欠く」(河西秀哉・神戸女学院大准教授-日本近現代史)の話)
 ヒアリングでは退位による権威の二重化への懸念など古い史実を論拠にした意見が目立ったが,象徴天皇のあり方は時代と社会の変化とともに変わってきた。戦後築かれた象徴天皇像をどうとらえ,将来の天皇になにを求め,象徴天皇制をどう運用するのかという視点がもっと欲しかった。保守色の強い論者が多く,人選のバランスを欠いていた。今後の象徴天皇制に関する議論なのに若手や女性も少なかった。論点ごとに賛否が大きく割れており,意見のとりまとめは相当難航するのではないか。

 ④  なぜ,日本の天皇論(問題)は迷走するのか

 1)「玉」に近きつもりの者たち
 a) 橋本 明『平成皇室論-次の世代(みよ)へむけて-』(朝日新聞出版,2009年)は,明仁天皇と「単に学習院で机を並べたわれわれは『同級生』に過ぎず,マスコミが勝手にご学友と読んできただけだ」註記)といいながら,「〈玉〉に近い自己の誉れ」を心秘かに誇る書物である。まさかこの「〈玉〉を手玉にとっている」つもりはないと思うが,橋本は同時に,戦後における天皇・天皇制の歴史が,いかに高貴でありえたかのようにもいい,日本の皇室に関して具体的には根拠のない恣意的な判断を下している。
 註記)橋本 明『平成皇室論-次の世代(みよ)へむけて-』朝日新聞出版,2009年,266頁。

 この橋本『平成皇室論』は,次世代における天皇・天皇制の問題を,「日本国の民主主義の状態(ありかた)」と重ねて議論することとは,無縁の立場にいる。橋本は,皇室会議に天皇が入っていない点に関して,「皇室の出来事はまず天皇が中心になって考えるのが当然なのに,法の整備という観点から見ると皇室典範の不備具合はきわめつきである」と断定する。
 註記)橋下『平成皇室論』314頁。
           = 参 考 記 述 =
橋本明画像
 橋本 明(1933年5月24日-  )は,日本のジャーナリスト・評論家。天皇明仁の「ご学友」であった。

 さまざまなメディアから皇室の諸問題に関する意見を求められる立場にあるせいか,ご学友だったという立場を嵩に,「陛下の御意志」を勝手に憶測・主張することが多く,現皇室からは遠ざけられているる。大日本麦酒の常務を務めた橋本卯太郎の孫で,内閣総理大臣を務めた橋本龍太郎や高知県知事を務めた橋本大二郎は父方の従弟。

 経歴は,以下のとおりである。--共同通信社会部次長,外信部次長,ジュネーヴ支局長,ロサンゼルス支局長,国際局次長,共同通信社役員待遇,ジャパンビジネス広報センター総支配人,共同通信社特別顧問,共同通信社国際スポーツ報道顧問,日本パブリック・リレーションズ協会理事,長野オリンピック組織委員会メディア責任者,国際オリンピック委員会報道委員会委員,学習院桜友会機関誌(季刊)編集長などを歴任した。現在は,いくつかの会社の顧問などを務めながら,フリージャーナリストとして著書出版・講演活動をおこなっている。 

 「銀ブラ事件」が有名である。学習院高等科在学中,同級生だった当時皇太子の今上天皇から銀座にいきたいと相談され,「今宵,殿下を目白の方にご案内したい」と皇太子側近を騙し,同級生で出雲国造家出身の千家崇彦と3人で銀座に繰り出し,大騒ぎとなった。このとき銀座4丁目あたりで慶應ボーイ4人と出会い,慶應ボーイは「殿下こんばんは」と挨拶したという。居場所を突き止められると,銀座に警察官が20~ 30メートル置きに配置されてしまい,これ以上散策ができなくなり終了した。また,連れ出した学友は警察と皇室関係者にこっぴどく叱られた。
 註記)画像も,https://matome.naver.jp/odai/2147066272622455601
 ちなみに,皇室典範に規定されている第5章「皇室会議」は,「議員10人でこれを組織する」うち2人を皇族に振りわけている。しかし,その橋本による天皇・天皇制の理解は,その踏みだす第1歩からして大きなまちがいを犯している。すなわち,日本国憲法第1条「天皇は,日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって,この地位は,主権の存在する日本国民の総意に基く」という規定が理解できていない。
 補注)橋本『平成皇室論』は冒頭において,日本国憲法第1章第1条~第8条を引用・掲示しているのだが,この程度の理解度である。

 天皇一家は日本国の「国民」ではなく,その象徴であるという意味で特異な階級(そんざい)である。橋本は,天皇自身がなぜ,皇室会議に入っていないかその意味を理解できていない。これでは『馬の耳に念仏』である。橋本が気づいていないのは,「象徴である天皇」が1人の人間・皇室の主として,勝手に歩きだし話しだすことになれば,この象徴の規定そのものに自家撞着が生まれる点である。


 明仁は「天皇として憲法を守る」と決意し,「象徴である天皇」=自身の立場を遵守すると言明していた。天皇の地位は「国民の総意に基く」ものであって,橋本が主張するように「天皇がともに,あるいは中心になって考える」それではない。ところが,橋本は憲法に反する提言をしており,憲法を遵守するといった明仁の本心を,皆目理解できていない「ご学友」である。

 敗戦後における日本の民主化は,「皇室典範」で身分差別・女性差別・障害者差別を規定した象徴天皇制との共存であった註記)。橋本は『平成皇室論-次の世代(みよ)へむけて-』の最終頁で「本文では敬称を略しました」と,いわずもがなの断わりを付記している。だが,本文中の記述方法では,皇室関係者に対する「尊敬語」などの使用を一貫して回避できていない。
 註記)安川寿之輔『福沢諭吉のアジア認識-日本近代史像をとらえ返す-』高文研,2000年,9頁。

 b) つぎに紹介する橋本の文節は,科学的・学問的に歴史上の根拠を求める手だてもない,単なる独断話法である。
    いうまでもなく,われわれは日本という国に住む日本人である。ではこの国家と国民を結ぶ節目はなにか。正統な血の流れを保ち,さらに誰もが「これは適わない」と敬意を表してしまうような徳を保持する者,すなわち天皇である。天皇がすっくと結節点に立っていることによって日本という国は保たれてきた。これからも変わりあるまい。高い徳を養ってこそ天皇の象徴性は拡大し,「この方こそ」と慕って国民は安心を覚える。
 註記)橋本『平成皇室論』309-310頁。
 この文句は「日本人であれば誰でもそうであるに違いない」と決めつけており,かつまた「迷妄の,のぼせあがつた,単なる確信」に依拠する『〈天皇教〉の吐露:信仰告白』に過ぎない。いいかえれば,「日本人民の道徳の根元を,天皇に置くべしととなえる人は,果して本気であるのか,へつらい者であるのか。歴史を知らぬがゆえに,かかる迷信者となるのであろうか」ということである。
 註記)蜷川 新『天皇-誰が日本民族の主人であるか-』長崎出版,1988年,89頁。

 つぎの引用は,橋本の告白したような,天皇観の底辺に潜む「無意識の感性」の欠陥・制約を説明している。
    要するに,どんな場合にも守られてしかるべき “何か” が天皇をめぐって存在していると考え,それが日本人にとって最も大切な価値-日本そのもの-だと信じていることが,共通の大前提となっているのだ。国学者流にいえば,それは万世一系の価値なのであろうか。

 なにか破りがたいものが天皇をめぐってあり,そこに日本の価値,天皇をもつ日本の価値を認めようとするものである。天皇があるがゆえに日本であり,天皇があるがゆえに日本は尊いという発想である。

 そうして,はなはだ厄介なことに,過去の日本人は,世界に対して日本の独自性を主張する方法を,つきつめたところ,それしかもたなかった。現在でも,あるいはそうかもしれない。
 註記)久野 収・神島二郎編『『天皇制』論集』三一書房,1974年,〔松浦 玲「日本人にとって天皇とは何であったか-政権・朝廷・国体-」〕382頁上段。
 いまここで,明仁天皇に関してはあえて問わないとしても,裕仁天皇の過去帳には,「高い徳」とは縁遠い「自己保身」の経歴が記入されている。天皇家の「正統な血の流れ」という表現を聞かされると,その反対側の極地に追いこまれ,「穢れた血の流れ」を受けつぐとされた日本民族=部落民〔など〕の存在を思い起こさざるをえない。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
高橋貞樹・上村表紙
 被差別部落問題については,数多くの著書が公表されている。ここでは,高橋貞樹『被差別部落一千年史』(岩波書店,1992年。初版は更生閣,1924年),上杉 聰『天皇制と部落差別』(三一書房,1990年)の2著のみ挙げておく。

 「〈日本人単一民族〉説を批判する」註記1)高橋『被差別部落一千年史』は,「部落問題」の理解皆無とみうける橋本の浅学さを露呈させ,「家制度が作り出す幻想」「現実には存在しない血縁幻想」註記2)を批判する上杉『天皇制と部落差別』は,橋本の意図を根本から粉砕する。
 註記1)高橋貞樹,沖浦和光校注『被差別部落一千年史』岩波書店,1992年,〔沖浦和光「解説」〕345頁。
 註記2)上杉 聰『天皇制と部落差別』三一書房,1990年,139頁,140頁。

 橋本『平成皇室論』は,この日本国の「次の世代(みよ)へむけて」,なにをいわんとするのか? 橋本は皇室の維持・継続を当然とする改革論を提唱している。同書第7章の題名は「東宮家の選択肢」であり,皇太子夫婦の別居・離婚〔皇室典範の改正が必要〕・廃太子などの問題に言及した内容である。

 c) 橋本はそれでも,月刊雑誌『WiLL』2009年9月特大号に『平成皇室論』第7章と同旨の寄稿をしていた。その題名は「『別居』『離婚』『廃太子』を国民的議論に 雅子妃問題に一石!」とある。橋本はどうやら,天皇・天皇制問題に関する議論の火付け役を演じて,これから活躍したかったかのように映っていた。

 橋本は「正統な血の流れ」を汲むと信じる「皇族集団に近しい自分」を誇るかのような著作を,世に公表した。この橋本の自意識,すなわち「天皇への近さを量ってみずからの位置も周囲に誇示しようとする奇妙な選良意識」は,以前より天皇・天皇制に不可避にまとわりつくところの,根本的解決を要する奇矯な問題であった。

 しかし,「自ら気づかないままに」「そういう誤謬をおかす点において」「天皇制の明治的伝統を引き継いでいる」「『ふつうの日本人』」註記)の橋本の立場であるからには,なにをかいわんや,である。時代錯誤も甚だしい幻想的な見解を,いかにも衒学ぶって披露していながらも,いっこうに臆するところがない。
 註記)奥平康弘『「萬世一系」の研究』岩波書店,2005年,12頁。

 「つまり,差別化の度合いは,一般社会との乖離度に比例し」ている。「天皇家に見られる儀式も」「特にそれが日常から遮断され,閉鎖的であればあるほど,一般人との心理的差別化が起こるので」ある 註記1)。その意味でも,皇室神道の諸行事を神秘化させようとする宮内庁の意図はみえすいてもいるし,さらには,その驥尾に付そうとする橋本の意向もかえって,ひどく俗っぽく映る。橋本は,「宮内庁は,イデオロギーとしての密教的な天皇制を保守して来て,戦後もそのまま存続させてい」る歴史を鵜呑みにする元外交官であり,本気で「戦後型の皇国史観」を信じてもいる 註記2)
 註記1)加治将一『石の扉-フリーメーソンで読み解く世界-』新潮社,平成18年,111頁。
 註記2)住井すゑ・古田武彦・山田宗睦『天皇陵の真相-永遠の時間のなかで-』三一書房,1994年,135頁。
    ここでは,この加治将一の最新作も紹介しておく。水王舎では,加治将一の最近作(下の右側画像,『朝日新聞』2016年12月1日朝刊1面に出稿された広告)が,現在において売れ筋第1番だという。この1冊だけでこの新聞広告を出稿するのだから,その事情が理解できる。
 水王舎加治将一広告案内売れ筋1番『朝日新聞』2016年12月1日朝刊1面加治将一広告
  この左側画像の出所・註記)http://www.suiohsha.jp/book/b244666.html
 d) 小田部雄次の論述などを借りて,橋本の空論「性」を説明し,批判する。
 「ジョン・万次郎は,アメリカでは『殿様』を投票で選ぶことに驚いた。あれから百五十年,日本ではいまだに世襲制が有力な制度として機能している」。「われわれはもっと天皇制について率直に議論すべき時期に来ている」。「みずから構成する社会の問題を自由に語れない社会に希望や未来はない」。
 註記)小田部雄次『雅子妃とミカドの世界』小学館,2002年,220-221頁。

 中村政則『象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺-』(岩波書店,1989年)は,天皇が代替りした年に刊行されていた。中村は,「昭和天皇なきあと,象徴天皇制は,これから本当の試練に立たされることになろう。結局,象徴天皇制の将来は,日本における民主主義の成熟度いかんにかかっている」と述べるとともに,「ヨーロッパの現君主制:8カ国」の王室の生きのこりは「民主主義に奉仕することによって」いる,という見解を紹介していた。
 註記)中村政則『象徴天皇制への道-米国大使グルーとその周辺-』岩波書店,1989年,209頁。

 はたして,「民主主義」と「王族・皇族」という組みあわせで論題を語ることによって,究極的に「民主主義」と王室・皇室が折りあえる地点をみいだせるというのか?  「日本の皇室はすばらしい」という思考停止の想念におちいることを避けるためにも,「ヨーロッパの現君主制:8カ国」の王室だけでなく,すでに崩壊・消滅した多くの王室とも並べて皇室を,比較し検討することが必要ではないのか? 民主主義の原理的立場に忠実に思考するのであれば,天皇制「不要・無用」をとなえねばならないことは,いわずもがな,必至の論結である。

 e) 2009年8月1日時点での話となる。当時日本国の首相であった麻生太郎は,実妹麻生信子が現天皇の従弟三笠宮寛仁の配偶者である。麻生の外祖父吉田 茂は首相を務めていたとき,1952年11月におこなわれた皇太子明仁の立太子礼,すなわち,内外に皇嗣たる皇太子に就任したことを宣言する儀式に臨んださい,昭和天皇に対して「臣 茂」と称し,マスコミから「時代錯誤」と批判された。麻麻生太郎総理大臣画像生太郎が,衆議院選挙に初出馬した1979年の演説で開口一番,支援者に対して「下々の皆さん」と発言した話は有名である。だが,この麻生兄妹であっても,皇室一族の感覚からすればさらに「下々」の各階層の1群でしかない。
 出所)左右の画像は,http://www.asyura2.com/08/senkyo56/msg/827.html
麻生太郎総理大臣画像2
 なお吉田 茂元首相は,自分の三女和子が配偶者麻生太賀吉とのあいだにもうけた三女の麻生信子が,昭和天皇の甥である三笠宮寛仁に嫁ぐときには反対しなかったけれども,正田美智子と明仁との結婚話に対しては反対するという,矛盾する態度を採った。この種の手前勝手な観念精神的な矛盾は,天皇・天皇制という個人的な役割や旧封建的な制度に必然的にからみついている「不可避の非条理」をのぞかせている。

 なかんずく,日本国憲法により設定された「天皇制」はそれじたいが矛盾態であり,この基本認識を解消することはできない。当該矛盾態に対応する憲法原理が不在であり,一義的に認識・解釈することが不可能であるゆえ,その矛盾現象への接近はいきおい,原理を踏まえた理論的なものではなく,原理・原則を棚に上げた〈暫定措置〉にならざるをえない。

 f) 結局「象徴天皇をいただいた民主主義は,偽りの民主主義にすぎない」。「共和制への移行は,日本人の民主主義が試されることであり,同時に敗戦後の真の独立を意味する」。「天皇制は民主主義と両立しえず,民主主義は共和制とむすびつくほかない」。
 註記)奥平『「萬世一系」の研究』208頁,209頁,382頁。
    日本国民の知識の向上,日本社会の近代化に伴い,早晩天皇制が消え去ることは疑いない。世界中で消滅してきた制度,あるいは消滅しつつあるものが,日本にだけは残ると考えるのは,戦争中の「皇国史観」「日本だけは特別」という考えと同じ迷妄にすぎない。

 皇室外交とかいって,日本の皇室関係の人が,世界中を用もないのに,うろうろすることは,国費の乱費などという段階ではなく,未開野蛮という,あるいは “異様な国・日本” というマイナス・イメージを世界中にふりまいているようなものである。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
若槻泰雄表紙
 天皇の日本国民への謝罪と贖罪は,日本が侵略した被害国に対しても速やかに果たさねばならない。それは天皇制を廃止することである。
 註記)若槻康雄『日本の戦争責任-最後の戦争世代から- 下』小学館,2000年,280頁,269頁,279頁。
 1940〔昭和15〕年の10月16日から28日のわずか2週間で,1万6千部も発売された啓蒙書,室伏高信『新体制講話』(青年書房,昭和15年10月)は,同年8月15日に既存の政党組織がすべて解党したのち,10月12日に実現した大政翼賛会結成の日程をにらんで制作されていた。本書をもって室伏は,「全体主義時代においてそれの最高実現の段階に到達した」「皇道国家の実現」「八紘一宇の精神」「わが国体の高貴さ」を高唱していた。
 註記)室伏高信『新体制講話』青年書房,昭和15年,154頁,161頁,318頁。

 ところが,室伏は,戦後1966年に公表した『戦争私書』(全貌社)のなかで,「いまの憲法の大原則は主権在民ということである」から,「デモクラシーの筋をとおそうとすると天皇制は邪魔になる」といいきった。しかしそのさい,「皮肉とは真実を抉ることである」註記)と自己批判的に歴史を回顧することも忘れていなかった。
 註記)室伏高信『戦争私書』〔全貌社,昭和41年〕中央公論社,1990年,355頁,10頁。

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 〔未 完;明日以降につづく〕 続編の記述が済みしだい,「ここにリンクを張る」予定である(2016年12月5日午前6時26分実行)。

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 【〈永遠なる無駄づかい〉である高速増殖炉事業を再開するという奇怪】

 【いわば狂気に近い原発事業維持政策の無意味さ,そのための国家予算が確保できるならば,少子化対策に振り向けよ】

 【経済計算では計りきれない損失を発生しつつあるもんじゅは,フランケンシュタイン的モンスター,つまり原発推進体制ゾンビの代表格であった。その後継炉の開発・推進をするというのだから,まさしく狂気の沙汰】

 【櫻井よしこという好戦主義者の極右が跳梁跋扈する日本の政治社会,もんじゅは核兵器生産のために必要だ】

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 〔※ 断わり〕 本記述は昨日(2016年12月1日)を受けている。もしも,そちらから読みたい人は,ここに付けた「リンク」をたどっていただきたい。

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 ⑥「〈耕論〉もんじゅの知恵どこに,大島堅一さん,宮崎慶次さん,河野太郎さん」(『朝日新聞』2016年12月1朝刊「オピニオン」)

 事故や不祥事続きで成果が出ぬまま,1兆円超がつぎこまれた高速炉「もんじゅ」。政府はさらに,後継炉を検討するという。もんじゅに学んだ知恵はいったいどこへ。

 1)「事業性なき開発,やめよ -大島堅一さん(立命館大学教授)」

 実現のめどが立たない研究でも,「未来のエネルギー」として夢や幻を描いてきたのが,原子力開発の歴史です。もんじゅは運転中止からすでに21年経っており,もっと早く廃炉を決断すべきでした。「国家プロジェクトだから」と何十年も続ける原子力開発のようなケースは,さまざまな研究領域のなかでもきわめて例外的です。次世代自動車の開発に,国が何千億円もかけはしません。
大島堅一画像3
出所)https://twitter.com/hashtag/大島堅一

 高速増殖炉は,ウラン資源からプルトニウムをとり出し数十倍にも効率よく利用できるとうたわれました。開発計画を立てたのは50年以上前ですが,いまだに実用化できていない。事業性のない開発に巨額を投入する余裕などはたしてあるのか,と納得がいかない国民がいて当然です。

 これだけ巨費を投じても,高速増殖炉が生み出すのはしょせん電力です。欧米各国はすでに「コストが合わない」と撤退しました。推進派は「ロシアや中国は続けている」といいますが,そのことじたい,採算度外視で国家が関与しないとどうにもならないものだという現実を示しています。

 東京電力福島第1原発事故後,私は政府のエネルギー・環境会議の委員として「原発事故の費用もコストとして計算すべきだ」と主張し,認められました。しかしその後,経済産業省の総合エネルギー調査会の委員会で「過去の原子力政策のどこに問題があったかを徹底的に議論すべきだ」と意見を述べましたが,結果的に無視された。あれだけの事故があっても,残念ながら政府は変わりませんね。

 プルトニウムを燃やす高速増殖炉が無理だということになれば,使用済み核燃料からプルトニウムをとり出す再処理も必要なくなります。そうはいってもためておくわけにもいかないプルトニウムを混ぜたMOX燃料を軽水炉で使うプルサーマル発電は,燃料効率が低く,通常の原発より採算が悪いのです。

 2004年に政府が試算した,その先核燃料サイクルにかかる総事業費は,18兆8千億円にも上っていました。電力9社の有価証券報告書のデータから調べたところ,東日本大震災前は核燃料サイクルに年間約2500億円が計上されていました。震災後は原発の稼働が減り再処理費が少なくなっているようです。ただし,再処理費用は発電原価に含めていいことになっており,一般家庭に負担が転嫁されている点は変わっていません。

 省エネが進めば必要なエネルギーも減り,再生可能エネルギー中心の社会に移行できます。実現困難な技術のために立地対策するような無理な支出も必要ありません。まだ稼働していない青森県六ケ所村の再処理工場を含めて核燃料サイクルは中止すべきです。
    ※人物紹介 おおしま・けんいち※ 1967年生まれ,専門は環境経済学,著書に『原発のコスト』『原発はやっぱり割に合わない』など。
 2)「高速炉の重要性,変わらぬ -宮崎慶次さん(大阪大学名誉教授)」

 昨日政府が「高速炉開発会議」に骨子案で示した核燃料サイクル推進の堅持に賛成です。ただ具体案があいまいです。国際協力を強調していますが,日本の技術者が手がけないと蓄積になりません。そもそも安全審査合格済みの「もんじゅ」を,安全上の問題点も指摘せずに廃炉にするのは,危険なプレーもないのにレッドカードで一発退場させるようなものです。保全計画を重要度に応じて見直せば済む話ではないですか。日本原子力学会ももんじゅを有効に活用し,将来の実用炉の開発につなぐよう期待する見解を発表しています。
宮崎慶二画像
出所)http://blog.livedoor.jp/amenohimoharenohimo/archives/65760118.html
この画像を借りた記述のなかには,こういう段落がある。
原子力なしで,えー,今後の日本のエネルギーあるいは世
界のエネルギーが,あのー確保できるかと,いうと,そう
いう状況ではないということ,ですよね。だからわたしは
基本的には原子力政策というのは変更する必要はないと思
っております。
 この見解は2011年8月24日におけるものであったが,いま
もなお,この見地を捨てていない立場が宮崎慶二だとすれ
ば,これは完全にピンぼけの「間違ったエネルギー資源」
観である。時代遅れというか,まさしく時代錯誤である。


 総額1兆円を超える費用が投入されたのにほとんど稼働していないとの批判があります。年200億円かかる維持管理費にも風当たりが強い。しかし,採算性でいえば,軽水炉(原発)も将来性を信じて開発を続けたからこそ,石油危機で経済性をえて,危機の乗り切りに貢献しました。現に原発停止で燃料費は年間2兆~3兆円増えています。
 補注)軽水炉(原発)と高速増殖炉をいっしょにする議論は,性質の異なる原発装置を「故意に一色に染めてする論法」であり,現実をありままに説明する立場に立っていない。「現に原発停止で燃料費は年間2兆~3兆円増えています」という説明も,説明になっていない説明である。しかも,この数値(金額の点)だけをとりだして針小棒大に強調する説法は,陳腐も陳腐,いままでもなんども繰り返して反論・批判してきたので,ここで,具体的にはくわしく再論しないが,どこまでも〈卑怯な歪曲の理屈〉の展示でしかない。

 つぎにようにだけ批判しておく。その「2兆~3兆円増えている」という数字の厳密な意味あいは,ただコケオドシ的な材料として,ちょいと,もちだしているだけであり,なんら説得力のある使い方になっていない。火力発電の全体的な様相,その問題性を踏まえたうえで,それも「3・11」以前における時期と比較する関係でもって,客観的な見地からする議論ではない。原油価格が2014年後半から急速に値を下げ,2016年11月現在でも最高値の4割台である事実を絡めての議論ではない。スーパーでキャベツ1個の値段が最近,168円から280円に上がった,困るというレベルと同じの,非常に単純な〈乗り〉で発話している。

 つまるところ,原油(LNG燃料価格)上がったら文句をいうけれども,下がったらなにもいわないのが原発推進・再稼働派の使う理屈であった。キャベツの値段が気になるお好み焼きの主人(経営者)ではあるまいに……。結局,こういってはなんであるが,この金額の話題にかぎっての断定になるが,原発推進・再稼働派の人びとは『バカのひとつ覚え』のように,「化石燃料が高い,高い」と高いときにだけは,オウム返しに叫んでいた。けれども「安くなったとき」にはなにもいわず,なぜかひたすら沈黙あるのみ……。本日の報道では原油生産が制限される動向だという報道があるから,こんど値上がりしていったときは,またぞろ「高くなった,高くなったと一騒ぎしだす」のか。


 1995年のもんじゅのナトリウム漏れ事故の調査や福井県の要請による安全性総点検を担った経験にもとづけば,再稼働できなかったのは技術的理由だけではありません。たとえば,知事選や県議選が近づくと停滞したり,北陸新幹線の着工認可を条件にしたりするといった政治的要因も大きかったと思います。
 補注)原発問題・高速増殖炉問題がもとより〈政治的な事項〉でもある事実は,あまりにも当然であり,周知の事実でもある。アメリカ合衆国大統領のドワイト・D・アイゼンハワー大統領が1953年12月8日(この日付に注目したい),ニューヨークの国際連合総会でおこなった演説で提唱した「原子力の平和利用(atoms for peace)」は,いうなれば〈逆転の発想〉であった。「原爆技術の転用」として「原発による電力生産」がはじまったのであり,それまではなかった「核爆発技術の応用」であった。原発技術の危険性は出発点からして夫唱(原爆)・婦随(原発)であった。

 原発による電力生産の技術方法は,原子力潜水艦の推進動力を電力生産の方法に応用していた。原発が元来,技術的な危険性を有しており,経済的な採算性ではもともと度外視されていて,社会的な安全性においてはキワモノであったのである。この事実は,「本記述(その1)」ですでに言及したように,歴史のなかで発生してきた「3度にも及ぶ原発の大事故」によっても実証されてきた。

 この地球上においてはさらに,原発を電力生産のために数百基単位で増設する動向がある。だが,この趨勢は原発事故の発生が完全にゼロだといえないかぎり,4度目の過酷・深刻な原発事故が発生させることが,恐怖として想定されてよいのである。


 見出しだけ出して紹介しておくが,たとえば「中国,超危険な原発を大量建設&世界中に輸出…脆弱性発覚を無視して完成強制,検査も手抜き」(『Business Journalism』2016. 07. 07)という実状のなかで,中国は2014年時点ですでに,270基もの原発を増設していく計画だというのだから,21世紀の後半期になれば,その地球上はあちこちで,使用済み核燃料の後始末に苦労させること必定である。国土が広いから大丈夫だなどと楽観視してはいけない。いままでとはまったく質の異なる燃料の使用である。《悪魔の火》の後始末あるから,一筋縄ではいかない。

  〔記事本文の引用に戻る→〕 ナトリウム漏れや2010年の中継装置落下事故は,温度計や装置を作った製造者責任が大きいのに,原子力研究開発機構の監督責任だけが厳しく問われました。高速炉は素人同然の原子力規制委員会は運営主体を変えるよう勧告しましたが,他に運営できる組織は事実上なく,答えのない課題の要求でした。電力会社などの協力のもと機構が運営するのがいいと思います。
 補注)技術的な次元の問題であるという以前において,ここにいわれている原発技術の運営・管理体制のありようは,なんとも頼りない様子をうかがわせる。いまごろになって「電力会社などの協力のもと機構が運営するのがいい」などというのは,国家的な企画(プロジェクト)としてとりくんできたはずの,高速増殖炉に向けて指南する姿勢としては,基本的に落第というほかない。この程度の中身しかいえない老原子力工学者に発言させる余地など,どだいあるのか?

 蒸気発生器の信頼性が発電炉のカギですが,原型炉であるもんじゅの段階で検査技術や取扱い経験を積むのが肝要です。もんじゅを活用せず,いま止めてしまうのは本当にもったいない話です。
 補注)「本当にもったいない話」という心情的な発言からして,どうしても解せない。半世紀以上もの長期間,高速増殖炉の商用化に向けてとりくんできたはずである。にもかかわらず,それでもこのようにまだ表現できるという発想じたいが,摩訶不可思議なのである。反省する余地のあるらしい技術:高速増殖炉に対する話法であるけれども,その根っこのところからネジが緩んでいるとしか受けとりようがない発言になっている。

 いずれにせよ,採算の問題基準から判断してもトンデモナイ発想がまかり通っている。もっぱら原爆(核兵器)の原材料になるプルトニウムが,この高速増殖炉の稼働において,燃料として利用されるのである。ところが,この稼働じたいがソモソモうまくいっていないで,商用化にたどりつくのは,いったいいつごろになるのか,さっぱり展望できていない。

 それでも,なにやかやこだわっては理屈を立てて,いつまでも,うまく稼働させられない高速増殖炉をゴソゴソといじくりまわす様子じたいが,尋常ではない。そしてなによりも,そのあたりに「日本も核武装したい欲望」が絡んでいるのだから,話は一筋縄ではいかない。高速増殖炉に関する理解は,必然的に分派していかざるをえない。

 高速増殖炉では,ロシアが原型炉に続いて実証炉の発電をはじめ,中国やインドも日本を追い上げています。自前の技術やデータがないと資源・エネルギー面での国際的な取引材料の交渉力も失います。
 補注)この段落は,資源・エネルギー問題を原発関連だけで議論しなければならないかのような発言でもある。自然・再生可能エネルギーの開発・利用も併せて考慮すべき「エネルギー資源開発に関する戦略的な方向性」がありうるし,国によっては実際にもその方向に向かい有効に展開されつつある。あるいは,原発をすでに廃絶したり,そうすることを決めたりした国々もある。そういったいま時代において,ソフト・エネルギーの活用など論外であるかのように語りながら宮崎慶次は,「自前の技術やデータがないと資源・エネルギー面での国際的な取引材料の交渉力も失います」という,みずから視野狭窄になった主張だけをおこなっている。

 自然・再生可能エネルギーほど「自前の技術」の完成度を高められる可能性を有するものは,ほかのエネルギー源にはない。それに比べて日本の場合,軽水炉の核燃料が自前でないだけに,高速増殖炉の運転をなんとか商用化まで成立させようとしてきた。しかし,うまくいっていない。ソフト・エネルギーにももちろん,技術的な困難や克服すべき難点が多々ある。しかしまた,高速増殖炉は非常にあつかいにくい原発技術であるがゆえに,とくに日本ではいまだに成功しておらず,不首尾・不具合の積み重ねしか記録していない。

 フランスの次世代高速実証炉との共同研究を進める流れになっていますが,2030年ごろの運転開始予定と不確定要素が多いうえ,原子炉の型が日本と違う。耐震性基準が3倍程度も低く,代替にはならないでしょう。資源小国日本の国家百年の計を考えると,原発で使い終わった使用済み核燃料のプルトニウムを再利用する高速増殖炉の重要性は変わりません。長期的なエネルギー戦略を簡単に変更すべきではないと考えます。
 補注)この意見に読みとれる論旨は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用を基本路線に採るべきであり,いいかえれば「長期的なエネルギー戦略」は脱原発が中心だと主張する立場・思想の人びとにも使えるような「形式論理の説法・理屈」である。最近における原発推進論者の語り口は,ほぼ完全に近い程度まで観念論に成仏している。

 日本における原発関連への投資はすでに埋没原価化してきた。だが,この「原価」の埋没性を認めたくない原発推進論者は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用などを,初めから考慮外とする立場に執着している。結局,一国の「長期的なエネルギー戦略」を総合的・全体的に語ろうとするのではなく,目先の原発利用だけしか視野に入っていない。そうでないならば,やはり「原発=原爆」の軍事戦略不可避性が念頭に置かれているのか?

    ※人物紹介 みやざきけいじ※ 1937年生まれ,専門は原子炉工学,2000年まで大阪大学教授を務め,現在は大阪科学技術センター顧問。
 3)「政策の間違い認め,変更を -河野太郎さん(前行政改革担当相)」

 1995年のナトリウム漏れ事故後,もんじゅが運転できなくなった時点で廃炉を決断すべきでした。ずるずると,20年以上の歳月,炉の維持費として数千億円の国費を浪費しました。なぜ,決断できなかったのか。政府が使用済み核燃料について,原発の立地自治体には「県内には残しません」といって,青森県六ケ所村の再処理工場にもっていく一方,青森県には「これはゴミではなく資源です。再処理しない場合は元に戻します。青森を最終処分場にはしません」と約束してきたからです。
河野太郎画像8
  出所)https://mamorenihon.wordpress.com/2015/10/10/初入閣河野太郎ブログ閉鎖/

 もんじゅを廃炉にしたとたん,再処理してできるプルトニウムは使い道がなくなります。プルトニウムとウランを混ぜたMOX燃料を通常の原発で燃やすプルサーマル発電もあるにはありますが,通常のウランに比べコストが高いため,利用は拡大していません。経済合理性からみても,核燃料サイクルは意味がないのです。それでも核燃料サイクルをやめるといえば,青森県から「使用済み核燃料はすべて県外に運び出せ」と求められるのは必至です。だから政府は核燃料サイクルが回っているふりをしつづけてきたのです。

 1997年に採択された京都議定書で,日本が温室効果ガスを6%削減する目標が定められました。通産省(現在の経済産業省)の官僚に本当にできるのか尋ねたら,「大丈夫です。原発をあと20基造れば余裕ですよ」。あやしいと感じて勉強するうちに,核燃料サイクルが矛盾だらけだとわかってきた。しかし党の部会で発言すると「共産党みたいなことをいうんじゃない」と相手にされませんでした。その後も新聞への寄稿などで発信しましたが,福島第1原発事故までほとんど顧みられませんでした。与党幹部が経済産業省の説明を厳しくチェックせず,うのみにしてきたことも問題を長引かせた原因です。
 補注)ここでは,自民党の盲目的な解釈(むろんイデオロギー的な虚偽思想)によれば,反・脱原発を主張したり支持したりする者は,天下の公党である日本「共産党みたい」だといって非難するというのだから,まるで旧治安維持法的な時代感覚そのものである。こうした「自民党の親原発」思想は没論理の最たる見本であり,「3・11」を体験してきたのちにも,そのように,河野太郎を  “共産党よばわり”  するという愚かな対応を,いま〔2016年21月現在において〕もつづけているのかどうかはしらないが,それにしても,まともな大人が口にするような理屈とは思えない。

 この期に及んで政府がまだ高速炉研究に多額の予算を充てるというのは,過去の政策の間違いを認めたくない,という以外のなにものでもありません。とるべき道はただひとつ。もんじゅを速やかに廃炉にし,従来の核燃料サイクル政策を変更すること。そのうえで青森県に対し「青森を最終処分場にはしないが,中間貯蔵場所にさせてほしい。しかるべき保管料は支払う」と頭を下げることです。

 〔2016年〕10月の新潟県知事選で,自民党の推薦候補が,原発再稼働に慎重な候補に敗れた「新潟ショック」のあと,党内の空気も変わりつつあります。中堅・若手の議員から「国民が納得する原発政策を党が出すべきだ」といった意見も出ている。こうした変化が,いずれ政策変更につながると思います。
    ※人物紹介 こうの・たろう※ 1963年生まれ,1996年に衆院議員に初当選し7期目,2015~16年,行政改革担当相などとして入閣。
 補注)大臣職に就いていた期間(実質1年にも満たなかったが),河野太郎は,そうした反・脱原発の立場・思想を封印状態にしていた。共産党呼ばわり「まで」されていたものの,大臣にはなりたし,原発反対の旗幟は引っこめたくないしとという気分に追いこまれていたとき,その「相互間における均衡どり」を,後者の一時停止(休眠・凍結状態)でしのいできた「国会議員としての太郎の態度」は,しょせん不可解である。少なくとも河野太郎が,自民党議員であっても反・脱原発であったという旗印は,ひどく汚れてしまったという印象を避けえない。太郎は「元なんとか大臣,誰がし」といった肩書きがほしかっただけだったのか? 河野太郎も大臣病患者の1人?

 ⑦「〈経済教室〉東電改革どう進める(上)発電設備すべて売却を,送配電・小売会社で存続」(『日本経済新聞』2016年12月2日朝刊,橘川武郎東京理科大学教授稿)

 経済産業省は〔2016年〕10月25日の「東京電力改革・1F問題委員会」で,東京電力ホールディングスの原子力発電事業を分社化する案を提示した。火力発電事業で成立した東電と中部電力の共同出資会社JERAと同様の方式で,原子力分野でも他電力会社との連携を実現し,東電色を薄めて柏崎刈羽原子力発電所の再稼働を実現しようという狙いだ。
『日本経済新聞』2016年12月1日朝刊経済教室原発問題橘川武郎
 柏崎刈羽原発は7基の原子炉を擁し,総出力が821万2千キロワットに達する「世界最大の原発」だ(表参照)。6号機と7号機は最新鋭の改良型沸騰水型軽水炉(ABWR)であり,この2基は原子力規制委員会の安全審査をクリアする最初の沸騰水型軽水炉になるだろうといわれている。

 しかし,たとえ原子力規制委員会の審査をクリアしたとしても,柏崎刈羽原発の再稼働はきわめて困難だ。地元の新潟県で再稼働に明確に反対する知事が誕生したからだ。その背景には,あれだけの大事故を起こした東電に原発の運転を任せてよいのかという県民の強い危惧があった。それだけではない。より大きな問題は,柏崎市や刈羽村を含む新潟県が,東電ではなく東北電力の供給エリアであり,地元への密着度は東北電力の方が東電より高いという点にある。

 東電との意思疎通を欠いたまま,地元自治体が配慮のゆきとどいた避難計画を策定できるとは考えられない。避難計画は原発が過酷事故を起こしたときに周辺住民の生死を決する,非常に大切なものだ。東電が新潟県を供給エリアとしない以上,同社による柏崎刈羽原発の再稼働は無理筋といわざるをえない。そこで原子力の分社化や他電力との連携を通じて東電色を薄めて,柏崎刈羽原発の再稼働を実現しようというわけだ。だがこの分社・連携案にはまったくリアリティーがない。

 分社・連携案のひな型となっているのは,東電が中部電力とともに設立した火力発電事業に携わるJERAだ。だが同じ東電絡みの共同出資会社といっても,火力と原子力では事情が大きく異なる。東電とともに柏崎刈羽原発の再稼働に関わることになる他の電力会社は,再稼働で収益を向上させられるが,福島第1原発事故の処理費用の一部を負担させられる恐れがある。最近の電気事業連合会の試算でも,福島第1原発事故の賠償や除染にかかわる費用は15兆円に達する。このほか福島第1原発の廃炉費用も,当初見通しの2兆円から,数兆円規模で膨らむみこみといわれる。福島第1原発事故の事後処理費用は20兆円を超す見通しが強まっている。

 この膨大な事後処理費用の一部を負担するリスクを負ってまで,原子力発電事業で東電と連携しようとする電力会社など現れるはずがない。現実に分社・連携案が発表された直後から,電力各社は原子力事業で東電と連携する意思がないことを相次いで表明している。繰り返しになるが,経産省が提示した分社・連携案にはまったく現実味がない。
 補注)以上においては,繰り返して「まったく意味がない」東電改革案への批判が表明されている。橘川武郎は「3・11」以後において日本の原発政策については,単に推進でも反対でもない立場・方法を提示しつつ議論・主張をしてきた。だが,その後においては「喉元過ぎれば熱さを忘れる」ような日本国原子力村の反攻的な動勢について相当に反撥していた。この立脚点から具体的に原発政策を議論する橘川武郎は,2030年における原発の利用水準を考慮していないわけではなかった。

 橘川武郎は,経産省の同年における「原発依存率 20(21)~22%」は,新設なしでは想定不可能であると批判していた。この橘川武郎の原発「観」は廃絶に向かわせる考えであれば,現在ドイツが進めている電源構成のもっていき方に似ている面がないわけではない。橘川は「国民の立場」を強調している。しかし,橘川にいわれているところの「国民の立場」というものは,厳密にいって,いったいなにを意味するかまだ不分明である。これはともかく,その「国民の立場」側というものは,実際には「過半が原発(再稼働)反対」である。

 2015年3月17日の『日本経済新聞』朝刊「経済教室」への寄稿で橘川武郎は,「2030年の電源構成(上)-原発依存度は15%程度に-」という寄稿をしていたから,現時点においては原発廃絶論の立場ではない。橘川自身がかかげる「国民の立場」と国民の明示している「国民(自身)の立場」とのあいだには,明確に齟齬がある。ここでは,つぎのようなドイツ原発事情を紹介しておく。

    メルケル政権は,福島原発事故後のドイツ国内の反原発運動の圧力に抗いきれずに,すべての原発を2020年までに廃止するという以前の決定を受け入れることになったのです。2011年6月末のドイツ連邦議会で,この決定が513対79で可決されました。この決定で,8つの旧型の原発が2011年に廃止され,9つの原発は2022年までにすべて廃止されることが確定したのです。
 註記)星野 智/中央大学法学部教授稿「ドイツの脱原発と再生可能エネルギー政策」,http://www.yomiuri.co.jp/adv/chuo/research/20120830.html
 〔記事本文に戻る→〕 ただし,ここで電力会社の事情ばかりに目を奪われていては,問題の本質を見失うことになる。大切なのは国民の立場から,東電改革をいかに進めるべきかという視点だ。20兆円を超す見通しの福島第1原発事故絡みの廃炉・賠償・除染費用は,最終的には電気料金への組み入れなどを通じて,国民負担となる恐れが強い。にもかかわらず,事故を起こした当事者である東電が,たとえ他社と連携するかたちをとったとしても,柏崎刈羽原発を再稼働し,原子力発電事業を継続することになれば,日本国民の怒りは免れない。国民がそうした状況を許すことはけっしてないだろう。
 補注)そうだろうか? 安倍晋三政権のやり方をみていると,「国民の立場」から出てくる意見であっても,自分の意に適わないものはみな「無駄  無駄  無駄……」だと決めつけ,排除する独裁的な思考しかない。原発の是非(存続か廃絶か)をかけて総選挙(ないしは国民投票)でもやらねば決着がつかない論点である。もっとも,国民の過半は原発廃止に賛成である。だからこそ安倍晋三はこの国民の立場をみないでわざと無視している。

 橘川武郎が「3・11」後における意見の表明において,徐々に苛立ちを披露せざるをえないではいられなかったほどに,安倍晋三政権なりの原発推進「偏重」は露骨である。もっとも,橘川において「原爆=原発」の問題をどのように議論しているのか? 経営史から原発問題を討議している橘川武郎であるが,こちらの政治経済的な次元における「平時と戦時」関連の議論になると,もうひとつ明快ではないというか,ほとんどない。

 つまり柏崎刈羽原発の再稼働が可能となるのは,東電が同原発を完全売却し,当事者でなくなった場合だけだ。柏崎刈羽原発の売却は東電改革の「はじめの一歩」にすぎない。東電の企業再建プランである新・総合特別事業計画は,柏崎刈羽原発の再稼働を不可欠の前提条件とする。したがって,東電が同原発を完全売却することになれば,新・総合特別事業計画そのものが崩壊し,東電改革の範囲は大幅に広がることになる。

 東電改革を進めるうえでは,つぎの2つの原則を貫くことが重要だ。

  (1) 原発事故の被災地域できちんとした賠償,廃炉,除染をできるようにすること。

  (2) 東電の供給地域で安定的で低廉な電気供給がなされるようにすること。

 (1)  の原則を実行に移すためには大規模な国民負担が避けられない。それに対しては世論の強い反発が予想される。世論の批判を和らげるには,当事者である東電が,多くの国民が納得するような本格的なリストラを実施する以外に方法はない。それは東電が柏崎刈羽原発のみならず,基本的にはすべての発電設備を売却するというものである。その場合,発電設備の運転にかかわる人員は売却先へ移籍することになり,(2)  の原則も確保される。そして東電の従業員数は大幅に減少し,リストラ効果が拡大する。東電が発電設備の売却によりえた収入は,賠償・廃炉・除染費用に充当される。
 補注)このあたりの議論は「3・11」後も東電を存続させてきた「国家政策の基本的な失敗」に,もう一度立ち戻って考える必要がある。東電救済,その後の事態の進展ぶり(?)についていえば,東電を破綻させ,解体・処理する方向を採らなかったがために,その後においても東電管内ではぐずぐずとした状態がつづいており,そして,電力供給体制の基本改革が試みられているもの,まだ円滑に進展しえていない状況にある。ともかく東電の所有する原発は,2011年3月以降,全基が停止状態にある。

 「3・11」からすでに5年と9ヵ月もの歳月が経過した。普通の会社であれば,自社の生産設備がこれだけの期間「生産に使用できない状態」など,想定外どころか,ありえない事態である。とっくに倒産している。それでも,東電は「3・11」原発事故の後始末を国家資金(税金投入)の援助と電気料金(電力使用者)からの収益で賄いえて,生き延びている。ゾンビ企業がごくふつうの能面をかぶっている姿を装いえているけれども,その実態はゾンビそのものである。

 〔記事本文に戻る→〕 こうしたリストラの実施で東電は存続できるのかという疑問が生じようが,筆者は存続は可能だと考える。発電設備売却後の東電は,東京の地下を走る27万5千ボルトの高圧送電線とそれに連なる配電網を経営の基盤にして,ネットワーク会社および小売会社として生き残る。世界有数の需要密集地域で営業するという特長を生かせば,東電の存続は可能であり,収益の一部を長期にわたり賠償費用に充てることもできるだろう。

 では,東電は誰に対して柏崎刈羽原発を売却するのだろうか。買い手候補の一番手として名前が挙がるのは,柏崎市や刈羽村を含む新潟県を供給区域とする東北電力である。ただし震災で大きな被害を受けた東北電力は,柏崎刈羽原発を買収するだけの財務力を有していない。国の支援が求められることになるが,直接的な原発国営に関しては,財務省などからの強い抵抗が予想される。

 そこで出番があると考えられるのが日本原子力発電(原電)だ。原電の最大株主である東電は国の管理下にあるので,原電は事実上,準国策企業といえる。準国策企業である原電が購入先として登場することにより,柏崎刈羽原発は準国営の状態に置かれることになる。準国営の柏崎刈羽原発で生み出された電力は,卸電力取引所に,中立的な価格で「玉出し」される。それは電力卸取引の拡充をもたらし,電力小売り自由化の成果を深化させることに貢献するだろう。

 東電が柏崎刈羽原発を売却することになれば,新・総合特別事業計画は崩壊し,火力発電所も売りに出される。そのなかには,東電が東京湾岸に所有する液化天然ガス(LNG)火力発電所も含まれる。それらを買収できるのならば,計画が進行中の東京ガス・九州電力・出光興産による千葉県袖ケ浦市での石炭火力新設や,関西電力・東燃ゼネラル石油による千葉県市原市での石炭火力新設は必要がなくなる。リスクを負って石炭火力を新設しなくても東電から既設のLNG火力を買収できれば,首都圏で大型電源を確保するという狙いは達成できるからだ。大型石炭火力の新設計画が白紙に戻れば,地球温暖化対策にも資する。東電が柏崎刈羽原発を売却することになれば,電力自由化や温暖化対策に肯定的な波及効果が生じるのである。(橘川引用終わり)

 --橘川武郎の立場はあくまで,現有の原発は寿命の範囲内で稼働させるという体裁でもって,「企業の論理」「営利の立場」を尊重している。原発反対論者がいままで危惧してきた点,いいかえれば,原子力:核燃料を使用した発電装置である「原発という技術特性」が「経済の論理」において無理があり,技術面でも不合理(危険性)があることは,最近となってはますます強く意識されている。けれども,この難点にはひとまず蓋をした発想が橘川においては維持されている。経営〔学者?〕の論理がともかくも先行させられているとすれば,原発本質論の地平(基本問題)からは距離をとった主張となっていて,この点では批判を回避できない立場に留まっている。

 以上に紹介・議論・批判した「橘川武郎の立場」は,日経「経済教室」の記事のつねとしてだが,あらかじめ,つぎのような3つのポイントに整理されていた。だが,このうちの温暖化問題に関する理解は一面的である。

  ○  東電関与の形で柏崎刈羽再稼働あり得ず
  ○  現在の再建計画崩壊で改革の範囲は拡大
  ○  全設備売却は自由化や温暖化対策に寄与
    ※人物紹介 きっかわ・たけお※ 1951年生まれ,東京大経済学博士,専門は日本経営史・エネルギー産業論
 ⑧ 「もんじゅ廃炉は目くらまし,安倍政権が新たな高速増殖炉計画! 背後に櫻井よしこら右派の核武装圧力が」(『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』2016年11月30日)

 この『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』の記事は,本ブログのこの記述が「原爆=原発『体制の維持』」とも主題をつけていた点に関連する内容となっている。

 なお,本ブログにおいては,櫻井よしこの「もんじゅ維持」に関する批判は,2016年11月17日の記述『「原発オバサマの推進論」は核保有国「日本」を志向,「極右原発促進」論者「櫻井よしこの原発観」は支離滅裂,原発技術論を踏まえていない』が先行してくわえていた。

 櫻井の主張は実質的に没論理であるだけに,そのうちに隠されたなにかがある。この『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』の記事はそのあたりを直截に指摘し,批判している。長い記事だが,全文を紹介しておく価値がある。

 --もんじゅ解体はやはり,目くらましにすぎなかったらしい。安倍政権が福井県の高速増殖炉「もんじゅ」の廃炉と並行して,高速増殖炉に関する技術研究を今後10年間は継続する方針を固めたことを昨日, “政権の機関紙” 読売新聞が報じた。世耕弘成経産相が議長を務める政府の「高速炉開発会議」で,近くこの指針が示されるという。
 補注)『政府の機関紙』が読売新聞だとは至言である。皆様のNHKが国民のための公共放送局ではなく,準(純?)国営放送局であることは,いまでは国民的な常識に属する知識である。そういえば,今日のNHK会長に関する朝刊の記事が面白い。

 『朝日新聞』が1面冒頭記事にまでとりあげて,見出しを「NHK籾井会長,再任困難 経営委員の同意足りず」とつけて報じた。これに対して『日本経済新聞』は15面(企業)で,「NHK会長,続投は『話があった時点で考える』」との見出しで,コラム記事的に報道していた。

 朝日新聞は籾井にペケをつけた記事であり,日経は続投に可能性があるかのような文章を書いていた。どっちがまともな記事か? NHK会長に就任した直後,籾井が自室の場所を探せずウロウロしていたという事実もニュースになっていたが,参考になる通信簿の記録。

 〔『リテラ』記事本文に戻る→〕 核燃料サイクル構想のもと, “夢の原子炉” として約20年前に試験運転を開始した高速増殖炉もんじゅだが,そもそも,高速増殖炉は通常の軽水炉よりも核分裂を制御することが難しく,原発容認派の専門家のあいだでさえ,「核暴走や爆発の危険性が高く,開発を見送るべきだ」との慎重論が強いものだ。一歩間違えれば,北半球が壊滅状態になるとの指摘もある。

 しかも,もんじゅは1兆円以上の国費を費やし,年間約200億円の維持費を垂れ流したあげく,その大爆発を誘発する可能性のあるナトリウム漏れや燃料棒を原子炉内に落下させるといった重大事故を起こしてきた。それでも政府はその危険性をなかなか認めようとしなかったが,福島第1原発事故の発生を受けて,2013年に原子力規制委員会が事実上の運転禁止を命令。政府もようやくもんじゅの廃炉方針を固めたと伝えられていた。

 ところが,安倍政権はその一方で,この危険な高速炉開発に新たに着手するというのだ。正気の沙汰とは思えないが,どうやら,安倍政権には核燃料サイクル構想をどうしても中止できない理由がある。そういうことらしい。その一つに “原子力ムラ” の利権構造があることは言をまたない。周知のとおり,目下,安倍政権と経産相は原発の再稼働と海外輸出にやっきとなっている。が,この核燃料サイクル構想については,もうひとつ,安倍首相をはじめとした右派の “悲願” ともいえる野望が内に秘められている。

  実際,今月〔2016年11月〕の17日から19日にかけて,その “右派の野望” があらわとなった意見広告が,読売・朝日・日経・産経の全国4紙に掲載された。広告では, “右派の女神” こと櫻井よしこが微笑みながらこう主張している。

  〈「もんじゅ」の活用こそ日本の道です〉
  〈もんじゅ廃炉ではなく,日本独自の技術で打ち立てた高速増殖炉完成を目指すべきです〉
  〈高速増殖炉を巡る日本国内の議論は,誤った方向に行こうとしているのではないでしょうか。私たちは「もんじゅ」の開発継続を求めます〉
『朝日新聞』2016年11月16日12面櫻井原発もんじゅ広告
参照用出所)https://jinf.jp/wp-content/uploads/2016/11/16.11.16.pdf

( ↑  画面 クリックで 拡大・可) 
  この “もんじゅ礼賛” の意見広告を出稿したのは,櫻井が理事長を務める「国家基本問題研究所」(国基研)なる社団法人だ。国基研は,櫻井を代表として2007年に設立された民間シンクタンクで,役員には,日本会議会長の田久保忠衛(副理事長)や,「新しい歴史教科書をつくる会」会長の高池勝彦(同),政治評論家の屋山太郎(理事)など,産経の『正論』に登場する保守系言論人がズラリと並ぶ。また,大原康男,百地 章,西 修,高橋史朗など日本会議系の “安倍政権御用学者” が顔を揃えているのも特徴だ。

 この顔ぶれからも想像できるように,その活動や主張は極右そのもの。「国防軍」創設を謳う憲法改正や,慰安婦や南京事件否定などの歴史修正,そしてなにより見逃せないのが,日本の核武装論だ。2007年,櫻井は『週刊新潮』(新潮社)の連載コラムで国基研設立の趣旨を語るとともに,北朝鮮の核問題に触れ「核を保有した北朝鮮の脅威から日本を守るためには,同等の力をもつべきだとの議論も当然出てくるだろう」と述べている。事実,国基研のHPに掲載されている「今週の直言」のタイトルにも,こんな言葉が勇ましく踊る。

 〈北朝鮮の核に対し自前の抑止力を検討せよ〉
 〈核のオプションは放棄できない〉
 〈「日本にも核オプションあり」と言ったらよい〉

 もはや,いうまでもないだろう。この極右シンクタンクが全国4紙に “もんじゅ存置” を求める広告を出した目的が,日本の核武装と地続きであることは自明だ。そもそも,歴代自民党政権が,原発と高速増殖炉および再処理施設にこだわってきた理由のひとつは,潜在的な核開発能力を保持しておくためにほかならない。

 核燃料サイクルは原発から出る使用済みウラン燃料を再処理し,もう一度原子力発電の燃料として使うという構想だが,原子炉内でウランに中性子を当てることでプルトニウムが生成される。そして,もんじゅの炉心では,プルトニウムの核分裂で「高速」の中性子が飛びし,さらなる核分裂とともにウランのプルトニウム変換が行われ,新たなプルトニウムが「増殖」されるという仕組になっている。これが高速増殖炉という名の由来だ。

 周知のとおり,プルトニウムは原子爆弾の材料であるが,一般的な原子炉(軽水炉)でつくられるプルトニウムは純度が約60%と低く,核兵器の製造に適さない。一方のもんじゅは,こうした低純度のプルトニウムを燃料として高純度のプルトニウムを増産する。その純度は実に90%以上で,核兵器転用には十分すぎる数字だ。ようするに,もんじゅは,原発用プルトニウムを核兵器用に変換・増殖させる “フィルタリング装置” なのだ。

 このように,日本の原発と核燃料サイクル計画は,核兵器の製造能力と密接に結びついている。「あくまでも核保有の選択肢をカードとしてもつべきである」(『諸君!』2003年8月号/文藝春秋)とする櫻井率いる国基研にとって,原爆の材料を生み出してくれる(と信じて疑わない)もんじゅは,まさに “夢の原子炉” というわけだ。

 そして,この極右シンクタンクによる「日本を核保有国にしたい」という野望は,繰り返すが,戦後自民党政権の政策とぴたりと一致している。たとえば1969年には,外務省内で「当面核保有はしないが,核兵器製造の経済的・技術的ポテンシャル(潜在能力)はつねに保持する」との方針が打ち出されている(太田昌克『日本はなぜ核を手放せないのか』岩波書店)。この方針は,現在の自民党にも受けつがれており,事実,東日本大震災での未曾有の原発事故直後の2011年ですら,当時自民党政調会長だった石破 茂が『報道ステーション』(テレビ朝日)でこのように述べている。

 「日本以外のすべての国は,原子力政策というのは核政策とセットなわけですよね。ですけども,日本は核をもつべきだとは私は思っておりません。しかし同時に,日本は(核兵器を)つくろうと思えばいつでもつくれる。1年以内につくれると。それはひとつの抑止力ではあるのでしょう。それを本当に放棄していいですか,ということはもっと突き詰めた議論が必要だと思うし,私は放棄すべきだとは思わない」。

 なにより安倍晋三自身,潜在的な核製造能力どころか,核武装に前のめりだ。安倍は官房副長官時代の2002年,早稲田大学で開かれた田原総一朗との学生向けシンポジウムで,「憲法上は原子爆弾だって問題ではないですからね,憲法上は。小型であればですね」と発言。2006年にも「核兵器であっても,自衛のための必要最小限度にとどまれば,保有は必ずしも憲法の禁止するところではない」と答弁書に記している。また今〔2016〕年8月15日,安倍首相がハリス米太平洋軍司令官に「北朝鮮に対する抑止力が弱体化する」と伝え,オバマの核軍縮政策に反対していた事実を米ワシントン・ポストが報じたのは記憶に新しい。

 今月21日早朝に福島県沖で発生したマグニチュード7.4の地震で,福島第2原発電4号機の使用済み核燃料プールの冷却装置が停止したとの一報が入ったときには,誰もがあの3・11原発事故を想起しただろう。極右シンクタンクが叫びたてるもんじゅの存置,そして安倍政権の原発再稼働政策と核燃料サイクル推進。「核の平和利用」というのがいかに幻想にすぎないか,わたしたちは被曝国で生活する者としてしかと自覚するべきだ。(伊勢崎馨)
 註記)http://lite-ra.com/2016/11/post-2734.html
    http://lite-ra.com/2016/11/post-2734_2.html
    http://lite-ra.com/2016/11/post-2734_3.html

 あの狂気の国家「北朝鮮」がまともに日本を相手にしているとは思えない。アメリカしか眼中にないから……。大親分であるアメリカに認めてもらえれば,この日本のほうは付属品みたいな国家だから,そのあとはアメリカのいうことは聞く,などとあなどっている。

 安倍晋三や石破 茂は厳密には異なるかもしれないが,核武装を当然に備えたい政治家である。ただし,いまのように米日軍事同盟関係,それも対米従属路線の実情のなかに押しこまれている日本国が,アメリカの基本的意向に反した軍事戦略はなにひとつ立てられていないし,具体的な軍事行動すら積極的にはなにひとつできていない。

 その点からみると,もんじゅに関するこれまでの原発「失敗・半世紀」史は,いったいなんのために記録してきたのか。こういう疑問を抱かせる。平和利用も軍事目的もともに果たせていない「ろくでもない金喰い虫」であった。それでも櫻井よしこみたく,できの悪い子にかぎって「かわいいわが子(だ?)」というわけか。人間でいえばもうすぎ還暦を迎えそうな《もんじゅ》である。


 【〈永遠なる無駄づかい〉である高速増殖炉事業を再開するという奇怪】

 【いわば狂気に近い原発事業維持政策の無意味さ,そのための国家予算が確保できるならば,少子化対策に振り向けよ】

 【経済計算では計りきれない損失を発生しつつあるもんじゅは,フランケンシュタイン的モンスター,つまり原発推進体制ゾンビの代表格であった。その後継炉の開発・推進をするというのだから,まさしく狂気の沙汰】

 本日〔2016年12月1日,一部は11月30日夕刊も含む〕の『朝日新聞』と『日本経済新聞』から引用するかたちで説明していくが,とくに,高速増殖炉もんじゅの後継炉の「開発」を決めたという,ほとんど〈狂気の沙汰〉的な国家の意思決定が大問題である。

 いまどきにおいて,高速増殖炉の商用化に向けて『開発を推進させる』という国家事業が,いかに〔安倍晋三流にいえば〕「無駄,無駄,無駄……」(最近の国会審議における彼の無礼な発言)であるかは,すでに重々思いしらされている。にもかかわらず,いまさらのようにあえてでも,もんじゅ後継炉の開発を再開・推進するといのだから,これほどにまで分かりきった「超・偉大なる無駄づかい」をみこんだ企画はない。
もんじゅ画像3
出所)http://www.windfarm.co.jp/blog/blog_kaze/post-19734

 本日の記述は,関連する「本日の記事」だけの紹介にしておきたいのだが,筆者の論評・批判は最小限でも入れないでは済まない。安倍晋三政権下,高速増殖炉「もんじゅ」の後継炉でもって,その商用化にまで漕ぎつけたいというような国家次元の欲望は,いったいどこから出てくるのか。それは一方では,この原子炉の夢のような核燃料サイクル再生産の仕組(厳密にいえばその商用化を成就させている国はない)にあり,また他方では,プルトニウムが核兵器の原料である事実に深く関係している。

 植田和弘監修表紙原発の経済性問題はすでに確実に「まったく割りが合わない趨勢」に向かいはじめている。いまは自然・再生可能エネルギーの開発・利用に向かうことが,もっとも賢明かつ合理的なエネルギー資源獲得の方法であり,実際にそのように実現させている国々もある。

 この点では日本は完全に遅れをとっている。そのなかでの本日の報道のような「もんじゅ後継炉の開発推進政策の再開」である。狂気だと形容したこの一点は,以下の記事を読むなかで感じとってほしい核心である。原子力村は健在であるが,不健康な状態での実在である。

 植田和弘監修,大島堅一・高橋 洋編著『地域分散型エネルギーシステム』(日本評論社,2016年)は,原発に依存して電気エネルギーをえる方策が,いかに無駄に満ちているかを文句なしに,異論を挟める余地もないくらいに説明している。参考文献として挙げておく。

 ①「もんじゅ後継炉、開発推進 10年かけ基本設計 政府方針」(『朝日新聞』2016年11月30日夕刊)

 政府は〔11月〕30日,廃炉を検討中の高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)に代わる「高速実証炉」の開発方針を示した。フランスなど海外との協力や,もんじゅなどの国内施設を活用し,今後10年程度で基本的設計を固める。国費1兆円超を費やしたもんじゅの検証がないまま,開発が進められる。

 文部科学省と経済産業省が同日,開発方針の骨子案を政府の「高速炉開発会議」(議長・世耕弘成経産相)に示した。政府は年内にも,こうした基本方針を原子力関係閣僚会議で決め,2018年をめどに開発に向けた工程表をつくる。骨子案では,原発から出る使用済み核燃料を再処理して利用するという「核燃料サイクル」を推進する方針を再確認。「世界最高レベルの高速炉の開発,実用化」を国家目標にかかげた。

 高速炉開発は実験炉,原型炉,実証炉と進み,商用炉で実用化となる。骨子案は,原型炉もんじゅの後継となる実証炉開発を「最重要」と強調。そのうえで,フランスの次世代高速実証炉「ASTRID(アストリッド)」など海外施設と連携する方針を明記し,10年程度かけて「基本的設計思想と開発体制を固めていく」とした。新たな実証炉は国内に設置する方針だが,具体的な場所などの言及はなかった。

 一方,今〔2016〕年9月に「廃炉を含め」見直すと決めたもんじゅについては,人材やこれまでにえられた知見などを実証炉開発に「活用」すると盛りこんだ。ただ,トラブル続きでほとんど運転実績がないことへの検証はされず,「廃炉」の進め方には触れなかった。
◆キーワード◆ 

 「高速炉」とは,プルトニウムを燃やしやすくした原子炉。普通の原子炉は主にウランを燃やすため,核分裂で出る中性子を水で減速させているが,プルトニウムが燃焼しやすいよう高速のまま使う。運転しながら,ウランから新たなプルトニウムを作る高速増殖炉も高速炉の一つ。
もんじゅ解説画像
出所)『朝日新聞』より,http://togetter.com/li/900138

★「高速炉開発の方針」骨子案のポイント ★

    ・核燃料サイクルを推進し,高速炉の研究開発に取り組む
    ・2018年をめどに,具体的な工程表を策定
    ・今後10年で実証炉の基本設計や開発体制を固める
    ・フランスの次世代高速実証炉「ASTRID」など,海外と協力
    ・「もんじゅ」や,実験炉「常陽」(茨城県大洗町)も活用
 ②「もんじゅ後継,国内に実証炉 開発体制,〔20〕18年めど 政府会議方針」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊1面)

 政府の高速炉開発会議は〔11月〕30日,廃炉が検討されている高速増殖原型炉もんじゅに代わり,より実用化に近い実証炉を国内に建設するなどとする開発方針の骨子を公表した。2018年をめどに約10年間の開発体制を固める。約1兆円の国費をかけ,20年以上ほとんど運転できなかったもんじゅの反省は生かされず,高速炉開発ありきの議論が進む。(▼3面=降ろせぬ旗,14面=社説,15面=耕論)
 補注)またもや〈壮大なる無駄づかい〉でしかありえない「原子力事業の一環」として,高速増殖炉の再開・推進が決められた。

 会議は世耕弘成経済産業相が議長。松野博一文部科学相や日本原子力研究開発機構,電気事業連合会,三菱重工業がメンバー。骨子では,もんじゅを再運転した場合にえられる技術的な成果を「ほかの方法でも代替可能」と評価。蓄積された成果は活用するとしつつ,廃炉にしても実証炉建設への影響はないと結論づけた。もんじゅについて政府は廃炉を含め抜本的な見直しを決めている。
 補注)ここで「蓄積された成果」とはなにを意味するのか? 「失敗は成功のもと」だといわれるが,もんじゅは「失敗するまえに失敗している」高速増殖炉ではなかったのか? この失敗の歴史さえ認めていない高速増殖炉「もんじゅ」事業の不首尾な推移であるからこそ,そのように詭弁以前の問答無用的な判断によって,高速増殖炉「開発・推進」を再度試みなおすというのである。だが,その実態は「賽の河原」でしかない。

もんじゅ開発過程画像 高速炉は「実験炉」「原型炉」「実証炉」と進み,「商用炉」で実用化する。安全性の確認や発電技術の確立など,原型炉もんじゅで終えるべき課題を残し,つぎの実証炉に進むかたちだ。
 出所)『朝日新聞』より,http://togetter.com/li/900138
 補注)ここでは「実験炉」⇒「原型炉」⇒「実証炉」⇒「商用炉」へと進展させうる技術的・経済的な保障が,完全にといっていいほどなかった事実史だけは,あらためて指摘しておく。ここまで話題に接近してみると,すでにことば遊びのような次元においてのみ,高速増殖炉の「有用性」が強調されていることが実感できる。

 政府は,もんじゅを廃炉にした場合でも,フランスが2030年ごろの運転開始をめざす実証炉「ASTRID(アストリッド)」計画に協力することで高速炉開発を維持するとしてきた。だが同会議は,エネルギー政策の根幹とされてきた核燃料サイクル事業の施設を不確実性のある海外の計画だけに頼るのはリスクがあるとの批判も考慮し,国内での実証炉開発を明示した。

 実証炉の建設時期や場所は未定。来〔2017〕年初めから実務レベルの作業グループを置き工程表策定を進める。骨子にはアストリッド計画を補完する施設として,原子力機構の高速増殖実験炉「常陽」やナトリウム研究施設「AtheNa(アテナ)」(いずれも茨城県)などの国内研究施設も示された。

 ③「高速炉,降ろせぬ旗 もんじゅ後継,国内に」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊3面)

 政府の「高速炉開発会議」で,実証炉の国内建設をめざす方針が示された。研究段階の原型炉「もんじゅ」の開発に失敗したのに,実用化に向けてつぎの段階に進もうとしている。なぜ,高速炉開発に固執するのか。(▼1面参照)

 1)使用済み燃料,行き場なし
 「核燃料サイクルを止めれば,『パンドラの箱』が開いてしまう。高速炉開発を続ける意思を示す計画は,箱を封印する『お札』のようなものだ」。経済産業省幹部は,核燃サイクルと高速炉開発の旗を降ろせない理由を説明する。
 補注)パンドラの箱はすでに開いている状態であるのに,このように完全に奇妙な修辞となっている。原発事業そのものが初めからパンドラの箱を開け放った事実を意味していた。このことは,原発事故(1979年3月28日「スリーマイル島」→1986年4月26日「チェルノブイリ」→2011年3月11日「フクシマ」)の3事故によって,嫌というほどに確認させられたはずである。

 原発事故がほかの諸事故とパンドラの箱画像根本的な性格を異ならせるのは,その規模が時間的にも空間的にも,そして経費的にも手間的にもとてつもない次元・範囲にまで拡大・浸透していくばかりであって,これが収まるところがみいだせないでいるせいである。
 出所)右側画像は「パンドラの箱」の想像例,http://blog.livedoor.jp/dq10tumurin/archives/4027682.html

 現に,チェルノブイリ原発事故の後始末,第2次の石棺化作業は依然つづいている。東電福島第1原発事故現場の後始末は,これからであるというほかなく,いつになったら本格的に「デブリとり出し作業が開始できる」ことになるのか,さっぱり見通しすらついていない。実質的には停頓状態にある。高速増殖炉は日本国中の原発(原子炉)の存在を技術的な与件(前提)としている。

 原発事業全体を止めるという賢明なエネルギー政策に踏み切れない日本は,今後も確たる見通しもつかないまま,ともかく非常に高額な国家予算を投入してでも〔多分無駄づかいになるほかないが〕,
高速増殖炉の開発・利用に向かい,これからも努力だけはするといいつづけている。だが,すでに半世紀もうまくいっていない高速増殖炉の実験化段階が,いつになったら商用化段階にまで到達できるのか? この点はいまなお不詳である。

 核燃サイクルは,原子力発電所から出る使用済み燃料を再処理し,とり出したプルトニウムを燃やす。高速炉はプルトニウムを燃やしやすくした原子炉。高速炉開発を止めれば,使用済み燃料は「ゴミ」となり,青森県六ケ所村の施設で保管する理由がなくなる。政府が高速炉にこだわる理由のもう一つは,日本が保有する48トンのプルトニウム(原爆約6千発分)だ。核兵器の原料にもなり,使うみこみなくもちつづければ,国際社会から核武装の懸念が出る恐れがある。
 補注)高速増殖炉の実用化が実現できなければ,原発が出す使用済み核燃料は「トイレのないマンション」のどこかに,それこそ肥溜め状態でかかえておくほかない。糞尿ならば臭いだけであるけれでも,使用済み核燃料は放射性物質を濃度を下げているとはいえ,いつまでも発散させつづけていく危険物,いうなれば厄介モノなのである。そこで高速増殖炉の出番となるわけであるが,これがうまくいかない。厳密にいうと「本格的な商用化」(経済計算面で判断し,民間企業で採算がとれるという意味で)が高速増殖炉で成功している事例はない。

 2018年7月には,日本で原発を動かすことを認める日米原子力協定が期限を迎える。協定は核兵器を製造しないことを条件に,使用済み燃料からプルトニウムをとり出すことを認めている。再処理を続けつつ高速炉開発を止まれば,保有量の増加に抑えが利かず,外務省幹部は「協定の改定に影響が出ないとも限らない」という。

 もんじゅの地元への配慮もある。福井県の西川一誠知事は11月25日,文部科学,経産両大臣に「地元は積極的に協力してきた。あやふやなかたちで店じまいをするようでは困る」と反発。核燃サイク回虫マンガ絵ルの堅持と,もんじゅを中核拠点とした県の開発構想への影響を訴える。
 出所)左側画像は,http://kamesienne.blog27.fc2.com/blog-entry-290.html
 補注)原発事業に地域社会・地方都市の生存をかけたかのような行き方は,露骨な表現になるが「寄生虫的な生き方」である。電力会社からのおこぼれで地方自治体が寿命を長らえているかのような「原発という麻薬への依存症」は,自然・再生可能エネルギーの開発・利用によって「町おこし」につなげる方途とは,百八十度,方向性を逆にしている。

 --ここまで記事を読んだだけでも分かるように,将来に向けて高速増殖炉の開発を推進させるとはいっているものの,結局は目先の利害にそれぞれの関係利害者・組織・官庁がこだわっている様相しかみえてこない。それがゆえの「関連する諸事情の進行」になっている。

 そもそも,高速増殖炉の実用化・商用化は,原発の電力を生産するためのコストがほかの発電方式に比較して,無条件に一番安価であるという条件(要求)を満たすために,つまりその根拠を提供するためには,どうしても必要不可欠であった。しかし,この高速増殖炉の実用化(商用化)が本格的に実現されることがないまま,ずるずると半世紀も時間を費やしてきた。いまもなお,いっこうにらちがあかない原発技術が高速増殖炉である。

 要は金喰い虫でしかない高速増殖炉へのこだわりは,原発体制そのものへのこだわりそのものである。日本は,ドイツやイタリアのように「原発からの乳離れ」ができない国でありつづけたきた。したがっていまもな,原発にすがるような「電源構成比率の発想」を捨てきれないでいる。もっとも「3・11」後において記録されてもいるように,2013年9月から2015年8月まで,原発ゼロでも電力確保のできる国であることは実証されている。ところが,こうした事実は直視したくないのが「日本原子力村の利害関係集団」である。

  2)常道外れた実証炉開発 〔←ここで記事本文に戻る〕
 原発の開発は,実験炉から原型炉,実証炉を経て実用化をめざす。それは開発の常道だ。高速増殖原型炉「もんじゅ」は高速炉の実用化に向け,基本的な発電性能や安全性を確認する役割を担っていた。

 しかし,出力100%で運転したことは一度もなく,事故を起こして20年以上もまともに運転できなかった。そのため,性能も安全性も十分には確認できていない。にもかかわらず,高速炉開発会議は,今後10年程度で実証炉の基本的設計思想を固めるとする。出力100%運転時のデータや発電性能,信頼性の確認などは,フランスの実証炉「ASTRID(アストリッド)」などで蓄積できるとした。

 ところが,2030年ごろの運転開始をめざすとされるアストリッドは,建設されるかどうかさえ不透明。日本が期待するデータがえられたとしても,遠い将来だ。原子力委員会の前委員長代理の鈴木達治郎・長崎大学教授は「いまのような透明性のない議論をしていては,世界から,日本はいったいプルトニウムをなにに使うのかと疑われ,信頼されなくなる」と話している。

 ④「廃止,当面10年で2170億円 東海再処理施設,廃棄物山積み 原子力機構70年計画」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊7面)


 日本原子力研究開発機構は〔11月〕30日,原発の使用済み燃料再処理工場「東海再処理施設」(茨城県)の廃止に向けた工程を原子力規制委員会に報告した。廃止完了までに70年かかり,当面の10年間に必要な費用は2170億円余りとみこむ。施設には放射能が強い大量の廃液や,プールの底に山積みされた放射性廃棄物があり,廃止はきわめて困難な作業となる。

 「規制委から疑問も」 報告によると,廃止作業は汚染状況の調査や設備の除染から始め,10年後以降に機器の解体や建屋の除染にとりかかる。再処理で出た高レベル放射性廃液が約400立方メートルあり,12年半かけてガラスで固める作業を続ける。防火や耐震対策などが国の新規制基準に適合しておらず,その対策も合わせて進める。

 ただ,ガラスで固める設備は老朽化で故障が相次ぎ,今〔2016〕年は予定の4分の1しか処理できなかった。中身がよくわからない廃棄物の容器が多数あり,確認のうえ分別しなければならない。使用済み燃料の被覆管が入ったドラム缶は貯蔵プールの底に整理されずに山積みされている。作業のための取出し装置を新たにつくる必要がある。

 こうした状況から,規制委は,計画どおりに廃止作業が進むか疑問を呈している。田中俊一委員長は〔11月〕30日の会見で,「非常にリスクの高い廃棄物が相当ある。ずるずる放置するわけにはいかない」と述べ,原子力機構や所管する文部科学省にあらためて説明を求める考えを示した。(記事引用終わり)

 --原発を廃炉にしたあと,その後始末にかかる経費は,他のすべての装置・機械類に比較すると,膨大だと形容したらよいほど非常に高額であり,しかもその後始末のためにかかる時間も非常に長期である。原発コスト「安価」論はすでに神話の地位から転げ落ちているにもかかわらず,この安価論がいまだに信仰されているのだから,恐るべき邪教が日本の電力産業のなかでは猛威を振るっているわけである。
発電コスト比較画像
出所)http://nonukes.exblog.jp/21746678/
◇ 福島原発事故 廃炉・賠償20兆円へ 従来想定の2倍 ◇
 =『毎日新聞』2016年11月27日 21時38分,最終更新 11月28日 06時47分 =

 東京電力福島第1原発事故の賠償や廃炉などにかかる費用が総額20兆円超に上り,従来の政府想定のほぼ2倍に膨らむと経済産業省が試算していることが〔11月〕27日,分かった。政府は拡大する費用の一部を東電を含めた大手電力と新電力(電力自由化で新規参入した業者)の電気料金に上乗せする方針で,国民負担の増大は必至だ。

 経産省は,東電の経営改革や資金確保策を協議する有識者会議を開催しており,年内にも結論を出す方針。試算は会議の議論のベースになるとみられる。政府の従来の想定は,

  賠 償  =  5.4兆円
  ▽除 染 =  2.5兆円
  ▽汚染土を保管する中間貯蔵施設の整備= 1.1兆円
  ▽廃 炉 = 2兆円の計 11兆円

となっていた。新たな試算は,賠償が約8兆円,除染が4兆~5兆円程度に膨らむ見通し。廃炉も従来の2兆円が数兆円規模で拡大する公算が大きい。中間貯蔵施設の整備費は変わらないが,全体では20兆円を上回るみこみとなった。

 政府の従来想定は2013年末時点に見積もったが,賠償や除染の対象が増加している。廃炉も原発内に溶け落ちた核燃料(燃料デブリ)の取出し費用などが拡大。経産省は既に現状で年800億円の費用が年数千億円程度に達するとの試算を明らかにしている。

 費用の工面について,政府はこれまで,賠償は国の原子力損害賠償・廃炉等支援機構がいったん立て替え,東電を中心に大手電力が最終的に負担金を支払い,▽除染は国が保有する東電株の売却益を充当,▽中間貯蔵施設は電源開発促進税を投入,▽廃炉は東電が準備--との枠組みを示してきた。

 政府は,賠償費の増加分について,原子力損害賠償・廃炉等支援機構の立て替え増額を検討。これとは別に,大手電力や新電力が送電会社の送電線を利用する料金への上乗せも検討している。この料金は政府の認可制となっており,最終的に電気料金に転嫁される。除染費も東電株の売却益で賄えない可能性が高く,東電などに負担を求める案が検討されている。その場合,最終的に電気料金に転嫁される可能性がある。

 廃炉費は,東電が他社との提携などによる経営効率化で捻出した資金を積み立てる制度の創設を検討する。ただ,東電が経営努力のみで賄いきれるかは不透明で,電気料金の引き上げにつながる可能性もある。
 註記)http://mainichi.jp/articles/20161128/k00/00m/040/085000c

廣瀬直己画像 東電は「3・11」以後すでに,ゾンビの電力会社になっていた。しかし,このように生かして継続企業にさせている。そういう事情であるから当然のように,あちこちに無理・矛盾が露呈されるほかない経営状態に置かれている。テレビのニュースなどを介して,東電の現社長廣瀬直己の表情を観るときがよくあるが,この会社の雰囲気が伝わってくるような印象を強く受ける。
 出所)画像は廣瀬直己,http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q13151523973
 ⑤「〈社説〉もんじゅ後継 無責任さにあきれる」(『朝日新聞』2016年12月1日朝刊)

 利害関係者だけが集まり,密室で不合理な政策を決めていく。手痛い失敗の検証や反省がないまま,成否が見通せない巨額のプロジェクトに突き進む。政府はきのう,非公開の会議で,高速増殖原型炉「もんじゅ」(福井県敦賀市)の後継となる高速実証炉の開発を国内で進める方針を示した。無責任さに驚き,あきれる。

 1兆円超を投じたもんじゅは,1994年の初臨界からの20年余で,わずか220日ほどしか動いていない。扱いの難しい冷却用ナトリウムを漏らすなど,事故を起こしたからだ。開発の最初の段階にあたる実験炉「常陽」の稼働実績はもんじゅの十数倍,約3千日だ。技術開発は,段階が進むとまさに段違いに難しくなる。

 政府がめざす高速炉は,もんじゅのように炉内で燃料のプルトニウムを増やしていく増殖機能はないが,原理は同じだ。原型炉さえ満足に動かせなかったのに,安上がりで安全な実証炉を造れるのか。国際協力を踏まえるというが,頼りにする仏「ASTRID(アストリッド)」計画は,仏政府が建設の是非を数年後に決めるという段階だ。

 そもそも,議論の場がおかしい。きのうの会議の参加者は経済産業相や文部科学相,電力会社でつくる電気事業連合会,原子炉メーカーの三菱重工業,もんじゅの運営主体である日本原子力研究開発機構と,もんじゅの関係者ばかり。原子力機構の2人は三菱重工業と文科省の出身で,役所と企業の思惑だけで話を進めていると言っていい。

 なぜ,ここまで高速炉開発にこだわるのか。

 原発で生じた使用済み核燃料を再処理し,とり出したプルトニウムを燃料に使う。その核燃料サイクルの中核に位置づけてきたのがもんじゅだ。もんじゅ廃炉の方向性は示したものの,後釜を欠けばサイクルが崩壊し原発推進にも影響しかねない。そんな危機感があるのだろう。

 だが日本はすでにプルトニウムを48トン,通常の原爆で6千発分を保有する。高速炉の実用化に具体的な展望がないいま,経済性も欠くサイクルへのこだわりは国際的な疑念を招くだけだ。

 原子力行政については,一度決めた政策に固執する硬直性への批判が根強い。それでも福島第1原発事故後は,利害や経緯にとらわれない議論の大切さが広く認識されるようになった。政府はいま,過去の教訓に目をつぶり,お手盛りの会議で,疑問だらけの高速炉開発に税金をつぎこもうとしている。こんな愚行は許されない。

 --この社説の批判はしごく正当である。このような「高速炉開発に税金をつぎこもうとしている」「こんな愚行は許されない」ことは,自明である。同じ国家予算を投入するにしても,日本社会全体のためによりよく生産的に活かせる分野・領域が,ほかにいくらでもある。

 最近においてたとえば,教育面での話題をみれば,野菜類が高くなってしまい学校給食を2週間休止したいと決めたが,反対があってそうはしなかったとか,無償(返済義務なし)の奨学金制度を何万人かに給付するとかいったふうな,実にみみっちい(?)話題がいまの日本社会のなかでは,いっそう切実な現実の問題として話題になっている。

 そうした国家予算の現状のなかで,高速増殖炉に投入している国家予算は,基本的に無駄金の浪費になっている。そうではなく,自然・再生可能エネルギーの開発・利用の方面に,その資金を投入するのもいいし,あるいは,社会保障制度を支えるためにその金額を振り向けたほうが,どのくらい日本社会のためになるか。この程度のことも分からないというでもいうのか? 

 たとえば少子化で困っている? 子ども1人生んだ世帯(片親の1人所帯でも同じに処遇する)には無条件,生活保護水準の給付金(1世帯分,ここでは1ヵ月に15万円としておくが)を支出すればよい。2人目を生んだらその2倍給付してあげればいい。そうすれば,そのための能力を有する夫婦などがその気になってくれる場合が大いに高まり,その多くが喜んで人間再生産作業に励んでくれることが期待できる。以上は,現状において制度化されている出産関係や子ども関係の諸手当に対して,さらに上乗せすればよい話題として提示している。
出生数率など画像
出所)https://yomidr.yomiuri.co.jp/article/20160502-OYTET50020/

 現在,出生数は100万人を少し超える程度であるが,これをなるべく増やすための算段を必死になっておこなったらよい。たとえばまた,子ども3人生んだら,この子どもたちが18歳になるまでは両親の年収にプラス300万円(子ども1人 × 100万円,年額--前段の話とは金額に差があるが,あくまで考え方そのもに関する単なる例示なので,そのあたりは気にしないでほしい)を給付してあげればいい(この程度のことは実質的におこなっている先進国がある)。ここでつぎのように計算してみる。

 仮に子どもが「2人がいる」世帯のための給付されるべき予算総額(「 100万人 × 2人」× 100万円)は,2兆円である。戦争中は戦争のための人的資源を確保するためであったが「産めよ,殖やせよ」と,帝国臣民に対していたずらにせかしていた(兵隊さんとして軍隊にとられるのは20歳になってからだったから長期計画であったといえるが,その前に大日本帝国は「敗戦」していた)。だが,21世紀のいまにおける人口減少という事態は,また別の意味で国家にとって由々しき問題である。戦争のためであれ平和のためであれ,とりあえずはそのようにいっておけばよい。

 2兆円は消費税のほぼ1%分である。もんじゅなど高速増殖炉の実用化のために無駄に浪費してきた金額は,つぎのようになっている。これはあくまで,国家側の担当機関が公表した数値・統計である。(画面 クリックで 拡大・可)
もんじゅ各年予算図表
  出所)http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/kaihatu/019/shiryo/__icsFiles/afieldfile/2015/12/28/1365680_03.pdf

 きわめて単純明快な主張をする。高速増殖炉の開発促進のためにかける予算があるなら,とりあえず,その枠はすべて少子化対策のために向けたらよい。そうしたほうがよほど,日本の国家利益のためになるのではないか。再生可能エネルギーの開発・利用の問題もあるが,ここではひとまず,別途にそのようにも関連づけていっておく。つぎの文章はフランスの場合に関するものである。
    このようにたくさんの手当がありますが,その他にも所得税が子どもが多いほど少なくなったり,育児休暇もとりやすい職場環境が整っていたり,公共交通機関や各種施設(博物館・美術館など)が子どもがいると割引になるなど,フランス社会の子育て支援は日本とは比べ物にならないほど充実しています。日本も本気で少子化問題にとり組みたい場合は,これくらいやる必要があるのではないでしょうか?
 註記)「フランスの子ども手当はこんなに手厚い! -先進国の中でも出生率回復に成功しているフランスは,子育てのための各種手当が非常に充実。少子化に悩む日本が参考にできる部分は多くあるです」,https://allabout.co.jp/gm/gc/43675/3/ ←この頁は参照に値する。

 その記述中に出てくる諸手当を合計してみたらよい。本ブログ筆者のいって〔要求して〕いる中身(金額水準に対する要求)は,別に突飛な発想でもなんでもない。
 日本の子ども手当も,制度的には一定程度整備されてはいるものの,その現実的な影響力において力量不足がめだつのであり,当面する課題を切開し,進展させるほどに充実していない。それと同時に「子どもを産める年齢層の女性たち」が,結婚そのものにまでたどりにくくなっている社会的な状況もある。つまり,単に子ども手当だけの問題が少子化をかこむ日本国の問題ではなく,問題はもっと複雑・多様である。原発の問題から話題がだいぶズレてきた。以上の記述では,論点をあえて単純化した論及に留めている。

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 〔※ 明日以降に続く〕 続編の記述ができしだい,ここにリンクを張る予定である(2016年12月2日に設定済み)。

 
 【隣国では大統領が任期を残して辞任するというが,この国では稀代の無駄な首相があと何年も居すわるつもりである】


 ①「〈天声人語〉無駄 無駄 無駄 無駄」(『朝日新聞』2016年11月30日朝刊)

 最近の『朝日新聞』少し,元気をとりもどしつつあるようにみえる。本日の記述はその点も示唆する展開としたい。ともかく,最近は,安倍晋三というこの国の首相の行跡があまりにもひどくなりつつある。プーチンにはしごく軽くあしらわれたり,フライングでトランプ(まだ大統領に就任していない段階で)のもとに,当選祝いを言上しにいき,アメリカの現政府陣を激怒させたりするなど,この人は政治(内政・外交ともに)をよく判っていないように映っている。

 つぎの『朝日新聞』「天声人語」の披露した安倍晋三批判,いよいよ劣化・腐朽していくばかりである日本政治の実状をたしなめている。だが,こういう指摘を聞く耳があるのかどうかという以前に,ものごとの理解力において難のあり過ぎるのが,政治家としての安倍晋三君の資質であった。このヒトは,いくら,なにをいわれても馬耳東風に受けとめる以前において,ことばじたいのもつ意味や重みというものを,ありままに解釈するために必要な「最低限の感性」すら喪失状態である。ただただ,そのようにしか感じられないのである。
※ 2016年11月30日「天声人語」※

  「無駄  無駄  無駄  無駄  無駄  無駄  無駄  無駄」。まもなく連載開始30年を迎える漫画『ジョジョの奇妙な冒険』に登場する悪役ディオはしばしばこう叫ぶ。戦闘シーンで主人公たちを威圧する強烈な連呼だ。
無駄無駄の画像
出所)http://seiga.nicovideo.jp/seiga/im3667143

 ▼ 年金改革法案をめぐる先週の衆院厚労委員会の質疑を聞いて「無駄」の連呼を思い出した。「私が述べたことをまったくご理解いただいてないようでは,こんな議論を何時間やっても同じですよ」。発言したのは安倍晋三首相そのひとである。

 ▼ 「質疑がかみあっていない」「そもそも議論にならない」「年金が3割カットになるという言説は誤解と悪意に満ち,まったく不適当だ」「明らかにデマゴーグ」。表情からイライラが痛いほど伝わる。

 ▼ これらの発言から数時間ののちに委員会で採決が強行され,法案は昨日衆院を通過した。衆参で3分の2を制した与党には,もはや国会質疑そのものが時間の無駄としか思えなくなったのだろうか。異なる意見や価値観に向きあおうという姿勢がどうにも感じられない。

 ▼ いまから78年前,衆議院の委員会に「黙れ」の声が響いた。国家総動員法案を通そうとする陸軍の中佐が,議員のヤジを押さえつけた。軍部の専横,議会軽視を示す例としていまに語り継がれる。ときの実権を握った者が活発な議論を封じ込めようとすれば,国はたちまち傾く。

 ▼ 貿易協定TPPといい,年金法案といい,現政権は国会審議を軽んじすぎる。「無駄  無駄  無駄  無駄」。叫びはせずとも,首相の顔に書いてある。
 --昔に,その佐藤賢了(さとう・けんりょう)という旧陸軍軍人がいたのである。1938〔昭和13〕年3月3日, “黙れ事件” を起こした人物である。軍務課国内班長として衆議院の国家総動員法委員会において陸軍省の説明員として出席し,国会審議で佐藤が法案を説明し,法案の精神,自身の信念などを長時間演説した。これに対して,他の委員(佐藤の陸軍士官学校時代の教官でもあった立憲政友会の宮脇長吉など)より「やめさせろ」「討論ではない」などの野次が飛んだ。( ↓  画面 クリック〔2回〕で,十分に判読・可)
東京朝日新聞昭和13年3月4日報道佐藤賢了記事
出所)『朝日新聞に見る日本の歩み-破滅への軍国主義Ⅰ-』
  朝日新聞社,1974年,120頁。クリックして拡大すると
全文が明解に判読できる(クリックは2回必要)。

 ところが,これを「黙れ!」と一喝した。政府側説明員に過ぎない人物の国会議員に対する発言として,板野友造らによって問題視されるも,佐藤が席を蹴って退場したため,委員会は紛糾し,散会となった。その後,杉山元陸相により本件に関する陳謝がなされたが,佐藤に対してはとくに処分は下らなかった。

 作家の半藤一利によれば,戦後のインタビューで佐藤は「国防に任ずる者は,たえず強靱な備えのない平和というものはないと考えておる。そんな備えなき平和なんてもんは幻想にすぎん(汝平和を欲さば,戦への備えをせよ)。その備えを固めるためにはあの総動員法が必要であったのだ」と語ったという。

 --以上,ウィキペディアに書いてある説明でもある。このウィキペディアの説明文が記述されている右側横欄には「佐藤賢了は,最終階級は陸軍中将」で,敗戦後は「除隊後,ベトナム戦争反対運動家」と書いてあるのをみて,びっくりさせられた(ズッコケタ)。前段に紹介されていたような「国防に任ずる者は,たえず強靱な備えのない平和というものはないと・・・」という戦争中の見解は,敗戦後になってからの「戦争反対運動家」への変身ぶりと対照させてみるに,どう考えても辻褄が合わないままに終わる。

 どうも,こちらが失笑しそうに(失禁〔?〕しそうに)もなるような,人物の内容説明に関する「一貫性の不在」である。佐藤賢了が仮りにいまも生きていて,この種の疑問を向けたらきっと,オマエは「黙れ!」と,再び一喝してくるのか? 考えてみただけでも面白くなる(ゾットする)。

 ところで,戦前・戦中の時代における軍人佐藤賢了,これに対する戦後の時代における世襲3代目政治家安倍晋三という対照は,純粋の軍人と政治家同士であるが,なにかしら似通った因子を有する人物同士である。そのように受けとめて観察してみるのもよい。この2名に共通する要素を「今年の漢字」で表わすとしたら,つぎのどれになるか? 雑,暴,乱,狂,騒,荒,怒……など,その候補にはこと欠かない。

 ② 森田 実の議論・主張など

 森田 実はいまから8年前に『崩壊前夜-日本の危機-』(日本文芸社,平成20〔2008〕年)を公刊し,5年前には『独立国日本のために-「脱アメリカ」だけが日本を救う-』(KKベストセラーズ,2001年)を公刊していた。いずれも安倍晋三の第2次政権成立以前の著作であるが,この日本国の首相が自身の信念である「戦後レジーム」を,まったく実現できないどころか,完全にぽしゃっている現状を予見していたといえる。(画面 クリックで 拡大・可)
森田実2著表紙
 ここでは,森田 実の論調に関するつぎのような紹介記事を引用してみたい。

 1)「『安倍総理は無能な独裁者か!?』:森田 実氏」(『晴耕雨読』2014/10/31 )

 この記事は『月刊日本』2014年11月号に掲載された,森田 実インタビュー記事「安倍総理は無能な独裁者か!?」である。つぎのように森田は語っていた。
   「安倍総理は経済を再生するどころか,消費増税で破壊しているのが現状です。そしていま,再増税で日本を地獄に叩き落としかねない」。「消費再増税などという国家の命運を1人だけで決定するほどの巨大な権力が安倍晋三という凡庸な人物の手に握られてしまったのは,日本国民にとって不幸なことだと私は思います」。

 「私は半世紀以上にわたって日本政治をみつづけてきましたが,安倍総理ほど思想・哲学・信念の面で軽い宰相は,ほとんどみたことがない。なんどか安倍総理の演説を直接聴いたことがありますが,とにかく軽いという印象が強い」。「(安倍総理の)あの軽さは物事を真剣に考えていない証拠だと思います。みずからの非力に対する忸怩たる想いや,国民生活への深刻な危機感があるならば,あんなに軽い口をきくことはできないはずです」。

 「昨〔2013〕年の参院選大勝後,麻生副総理は安倍総理に対して「あなたは歴史上にない独裁者になりますよ」と語りかけたと報道されましたが,安倍総理は事実上の独裁者といっても過言ではありません。しかし凡庸な独裁者は,危機に直面すると戦争のような悲劇を起こしてしまうことがしばしばあります」。

 「いまや日本が地獄に落ちるかどうかという瀬戸際ですから,あえて忠言します。安倍総理,一刻も早く消費再増税を中止すべきです。さもなければ,貴方は後世から日本経済を地獄に突き落とした無能な独裁者という烙印を押されてしまうでしょう」。「私は安倍総理がそのような最悪の独裁者にならないことを心から願っています」
 註記)引用は,http://sun.ap.teacup.com/souun/15670.html#readmore から。
『朝日新聞』2016年11月29日朝刊医療費記事画像 2)姥捨て的施策しかない高齢者対策
 昨日(2016年11月29日)の新聞朝刊には,こういう記事が出ていた。「70歳以上医療費,負担増 住民税払う年収370万円未満も 厚労省方針」。そして,本文の冒頭部分はこう報道していた。

 「厚生労働省は70歳以上が支払う医療費の自己負担上限(月額)について,住民税を払っているすべての人を対象に引き上げる方針を固めた。すでに引き上げ方針を決めている現役世代並みの所得がある人にくわえ,年収約370万円未満の約1200万人も対象になる。来年8月から順次,見直していく」。
 註記)『朝日新聞』2016年11月29日朝刊1面冒頭記事。

 というのだから,この日本社会で生きていること,とくに高齢者にとってはますます生きにくくなるばかりである。なにかにつけては心配ばかりが生じる世の中になっている。日本では老後の生活が心配だと感じる人びとの割合が9割6分もいるというのだから,こうした社会福祉の質的低下は,由々しき問題を明示している。 

 同じ日(11月29日)の同紙「投書欄」にはこういう声が掲載されていた。
◆ 無職 鈴木恵美子(千葉県 89歳)◆

 私は来年90歳になります。独身だったので,子も孫もおりません。3年前に老人ホームに入りました。近くにきょうだいがいますが,高齢,病弱のため自分の生活や家族のことで精いっぱいで,なかなか面会に来られないようです。私は杖を使えば,ゆっくりですが30~40分は歩けます。日常生活のほとんど,トイレも着替えも,まだ人手を借りずに済ますことができます。でも,心臓に病歴をもつ身。余命はそう長くはないだろうと考えています。

 最近つくづく思います。「これだけ長生きしたのだから,いつお迎えが来ても,未練を残すことなく旅立てる」「毎日の生活が自分でできなくなり,おむつ替えや下の世話で人様の手を煩わすようになったら,潔く死にたい」。日本では安楽死は認められていません。私は安楽死の法制化を望みます。高齢化社会のいま,安楽死の必要性を論じてもよい時期ではないでしょうか。
 安倍晋三君,このおばあさまの声を聴いてどう感じるか? まさか「無駄  無駄  無駄 ……」ではあるまいや。日本は高齢化率では世界最高,断トツに第1位を誇っている。この89歳の老婦人のいうことがらは,いまのわれわれ全員にとって「切実な話題」である。この話題をとりあげることじたい「無駄  無駄  無駄 ……」だといって切り捨てることはできない。(画面 クリックで 拡大・可⇒鮮明に可視化)
高齢化人口比率推移図表
出所)http://www8.cao.go.jp/kourei/whitepaper/w-2015/html/gaiyou/s1_1.html

 本日(2016年11月30日)の新聞朝刊にはつづけて,こういう見出しの記事が出ている。前日の前段に紹介した記事の続きとなる内容である。「後期高齢者医療,一部軽減廃止 300万人超の保険料に影響 厚労省,来年度」。
『朝日新聞』2016年11月30日朝刊3面特例廃止画像
  註記)『朝日新聞』2016年11月30日朝刊3面。

 3)安倍晋三政権の恣意運営ぶり
 つぎに引く文章は2014年10月だから,ほぼ2年前のものである。安倍晋三の政治は,まったくこのとおりに暗転させられてきた。
    安倍晋三は日本国民にとって,もっとも危険な存在である! 戦争ビジネスのために若者を殺そうと……集団的自衛権。 戦争は,1%〔者たち〕にとってはビジネス〔好機〕であり,莫大な金儲けに直結している!

 高齢者『早死に棄民計画』。  “高齢者扶養減らし”

 確信犯の〔東電福島第1原発事故現場の〕汚染水垂れ流し,被爆隠蔽。事故収束に本気でない。

 こういう安倍内閣を真性の「売国奴」という!
 
 海外へ52兆5400億円バラマキ,貧困層を拡大し洗脳!

 貧困層を拡大し洗脳する!

 子育て支援に3千億円不足だと!

 安倍政権の詭弁!

  註記)『みんなが知るべき情報/今日の物語』2014-10-31 18:17:03,http://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/53ff25cde0aea36791ea3f5294bdc7ab
 本日(2016年11月30日)『日本経済新聞』朝刊には,つぎのような《のんきな記事》が出ていた。4面「政治」での気楽なコラムの記述であるが,庶民の立場から読んでみるに「毒にも薬にもならない」ような,どうでもよい内容である。プーチンへの手土産をまさか安倍晋三がポケット・マネーで用意するわけでもあるまいに。
 
☆「〈記者手帳〉『お見合い』の行方は」☆  

 安倍外交では各国首脳と距離を縮めるツールとして贈り物が定番となっている。目下,日本政府が悩むのは安倍晋三首相が山口県で来月に会うロシアのプーチン大統領への贈り物だ。これまでも双眼鏡や鎧甲(よろいかぶと)などを贈り,関係づくりに役立てようとした首相。北方領土交渉の進展をめざす今回はお土産選びにも気合が入る。

 今回,有力な案に浮上しているのは秋田犬だ。愛犬家でしられるプーチン氏には2012年,東日本大震災の支援へのお礼で秋田県がメスの秋田犬「ゆめ」を贈呈。政府高官は「オスの秋田犬を贈って夫婦になれば領土問題が進展するかも」と「お見合い」実現に期待を寄せる。

 「ゆめ」の親犬を所有し,お見合いを薦めているのは野党の日本維新の会の遠藤敬氏。国会運営でも政府・与党に協力する維新に対し,他の野党からは「見返りは何なのか」といぶかる声もある。(香)
 4)「そこまでおバカとは知らなかった」(『半歩前へⅡ』2016/09/01 18:37)
 この記述は,記載の日時から分かるようにいまから3ヵ月前になされていたが,本日=「今日の安倍晋三君にも依然,そのままぴったりに,当てはまる」意見・解釈である。

 --安倍晋三という男はどこまで愚か者なのか。ロシアのプーチンを日本に呼ぶためにわざわざ大臣ポストを新設するというのだ。正気の沙汰ではない。いったい,いくつ大臣ポストを作れば気が済むのだろうか。新たなポストは「ロシア経済分野協力担当大臣」で,経済産業相の世耕〔弘成〕に兼務させるそうだ。
 補注)安倍晋三政権は新しい大臣席を新設するのがお好きである。もっとも議員たちも大臣職が好きである。政権内ではそのことがらに関していえば,おたがいになにも異見はない。むしろ盛り上がる話題である。反・脱原発派の河野太郎も大臣職を1年に満たない期間,あてがわれているあいだ,原発問題に対する批判的な発言をみずから自重・封印していた。これで河野太郎の原発問題における信頼度はがた落ちになった。

 晋三はなんのつもりでそんなことをするのか,わけが分からない。「アンタ〔プーチン〕を迎えるための私は特別の配慮をしている。ここまで気配りする私を分かってほしい」といいたいのだろう。だが,そんなことをすれば,相手の思う壺だ。交渉事をおこなう前に媚びへつらっていては,交渉にならない。相手になめられるだけだ。始める前から白旗をかかげているようなものだ。国と国との外交交渉は,「おべっかを使って」解決できるような甘いものではない。外交は外務大臣の担当ではないのか? 外相はなんのためにいるのか? 単なるお飾りなのか?
プーチンと安倍晋三会談画像
出所)安倍晋三の右側に立っている人物が世耕弘成,
https://jp.sputniknews.com/japan/201607192514467/


 それとも岸田〔文雄,外務大臣〕は頼りにならないから,子飼いの子分である世耕〔弘成〕に大役を担わせようというのか?  こやつは政権と電通ほか,読売や産経,週刊誌などとの橋渡し役。ネットの書きこみ監視などにもひと役買っている権力側のマスコミ対策要員の1人だ。

 相変わらず周囲を子分やオトモダチで固めたがる安倍晋三という男はあらためて,首相の器ではないと確信した。いまごろ,プーチンは「アベがそこまでおバカとはしらなかった」と,笑い転げていることだろう。
 註記)http://79516147.at.webry.info/201609/article_4.html

 5)政権をヨイショするための産経新聞社  
 前段にごとき記述の2週間後,安倍晋三を一生懸命にヨイショする記事を書いていた『産経新聞』から引用する(『産経ニュース』2016.9.16 01:00)。冒頭部分だけを紹介する。
    安倍晋三首相とロシアのプーチン大統領が12月15日,首相の故郷・山口県で会談することが決まった。首相は北方領土問題の解決に向けて,長年にわたりプーチン氏との個人的な信頼関係を築き上げてきた。今回の首脳会談はその総決算となる。

 ところで,山口県がこうした外交の舞台になるのは,かなり珍しいのではないかと思って調べてみたら,明治28(1895)年の日清講和条約(下関条約)締結以来とのこと。実に121年ぶりというから驚く。山口の地が領土返還へ道筋をつける歴史的舞台となるか,地元ではそんな期待も高まっている。

 「私の地元である長門市において,ゆっくりと静かな雰囲気の中で平和条約を加速させていく。そういう会談にしていきたい」。安倍首相は9月2日,ロシア極東ウラジオストクでのプーチン氏との会談後,記者団にこう語った。(後略)
 註記)http://www.sankei.com/premium/news/160916/prm1609160004-n1.html
 --12月に予定されている日ロ会談をやる前から,すっかり舐められている日本国のこの首相である。この人になにか期待していいことが,ひとつもありうるのか? 北方「領土」を奪回できる会談にでもなる可能性があるか? 専門家・識者たちの事前における予想は,たいがいに「安倍晋三にはとうてい無理」という評価である。いままで,歴代の首相ができていなかった懸案についてであり,この安倍晋三に出番が回ってきたからといって,ただちに解決可能になるわけなどない。

 前段に引用した『産経新聞』の記事は,最後を「祖父の岸 信介元首相,父の晋太郎元外相も成し遂げられなかった北方領土返還と平和条約締結。一族3代にわたる難題を解決に導けるか。安倍首相の腕の見せどころだ」と締めていた。だが,安倍晋三の父や外祖父にのみ,この北方「領土」を関連づけるという「記事の書き方」は,相当に奇妙である。

 過去における「日露-日ソ-日ロ」間の外交交渉は,安倍家出身の政治家だけが携わってきた「日本国における積年の外交課題」ことでは,全然ない。この,あまりにも当たりまえの「日本国外交史の事実の一端」を無視(隠蔽した)かのような記事造りは,それこそ捏造にも相当する報道姿勢である。

 換言すれば,事実のごく一部だけでもって,その全体像(すべての関連する事項)を語れるつもりであるがごとき,いうなれば「すり替え操作」的な報道記事を,『産経新聞』は安倍晋三のために創作している。要は,『産経新聞』はどこまでも単に「アベ・よいしょ」(!)のために存在している「2流紙」である。いずれにせよ,この新聞社は権力者の手先的な報道機関としての存在価値を最大化するための任務を,遺憾なく発揮できるよう努力をしている。

 ③ 隣国の政治舞台の混乱とわれわれ側の国内政治の糜爛(びらん)

 本日(2016年11月30日)『日本経済新聞』朝刊1面冒頭記事の見出しは,「朴大統領,任期待たず辞任 時期『国会に従う』 国政介入疑惑 韓国,混迷長期化へ」と表現し,本文ではこう書きはじめていた。
『日本経済新聞』2016年11月30日朝刊朴 槿恵画像
 【ソウル=加藤宏一】 韓国の朴 槿恵(パク・クネ)大統領は29日,国民向け談話で「与野党が議論して安定的に政権移譲する方策を作ってもらえれば,その日程と法手続きに従い大統領職から退く」と述べ,条件付きで2018年2月の任期満了前の辞任を表明した。

 友人による国政介入疑惑の責任をとる。辞任時期は明示せず,野党は弾劾訴追の構えを崩していない。政情混乱は長期化しそうだ。(関連記事総合1,総合2,政治,国際1,国際2面に) 任期途中での韓国大統領の辞任(総合2面きょうのことば)は,同国が民主化を実現した1987年制定の現行憲法下では初めての事態となる。

 こうした最近における韓国政治の混乱状況に比較するに,日本国の政治状況はさすがに「1強多弱」的に超安定の実情にある。だが,本日の記述ですでに感じてもらえているように,韓国とは逆さま的な意味でいってみるに,この日本の政治こそが「完全に腐食・紊乱した政治状況にある事実」を,簡単に否定できる人はいないはずである。

 しかも,そうした政治状況の内部=根幹に控えている基本的な問題要因が,安倍晋三という世襲3代目のボンボン政治家じたいである。この程度の甘ちゃん政治家が日本国の中枢部を牛耳っている。その彼が携わっている「内政・外交」の手腕においてめだつ脇の甘さは,外交面に目を向ければ,とくに一目瞭然となっていた。プーチンやトランプの目つきとシンゾウのそれとを比較してみよ。初めから勝負がついている。片やドロン(とろん?)としたそれ,片や猛獣のそれ。

 選挙制度(小選挙区比例代表並立制)にも問題があるのだが,安倍晋三自民党は直近の衆議院選挙でも,実際には有権者の2割台,投票者の4割台しか獲得できていない。

 それなのになにゆえ「1強多弱」の政治状況が出現しているか? それは,日本の政治社会を構成する国民・市民・庶民たちにおいては,いわば政治意識そのものがまだ低調であり,自分たちの手で本気になって政治の方向に変化をくわえるのだという覚悟が足りないせいもあるからである。

 現状において野党が四分五裂状態であり,力を結集できないでいる事実がたしかにある。野党のなかには自民党番外地に居を構えているものもある。しかし,有権者側が意識的に投票行動をすれば,現状はいくらでも変更できる。

 安保関連法成立までの政治過程では,日本の国民・市民・庶民は5万~10万人単位でデモをおこない(関東・東京地区,警察側発表だと3万人位になる),安倍晋三政権に対する意思表示を明確におこなってきた。

 けれども,安倍側からの応答がどうであったかとみれば,あからさまに,オマエらの行動は「無駄  無駄  無駄 ……」という反応(条件反射)だけであった。それに比べて,隣国における一般大衆の全国民的な朴 槿恵大統領に対する反対・示威の姿勢,その政治的意志の明確なる具体的な行使は,日本の政治に比較してどうであるかといえば,最後まで,なにかが決まるまでは諦めないというそれである。
安保関連法反対デモ2015年8月30日画像
 出所)この画像は2015年8月30日,安保関連法反対デモ,
http://blog.goo.ne.jp/raymiyatake/e/de893726a10ea094aaa841ea6e2382c6


 こちら側の日本はどうか? 一方では,庶民のほぼ全員の人たちが老後の生活が心配だといい,若いときから早くも何十年も先には確実に到来する老後の生活に不安だけを抱かされているなかで,他方では,高級料亭で毎晩何万円単位での飲食とつねとする安倍晋三に,庶民側における生活実態というものが,それも皮膚感覚で理解できるわけなどありえない。
安倍晋三風刺赤子画像
  出所)無題,http://blog.livedoor.jp/googleyoutube/archives/51880821.html

 このボクちゃん政治家には,この国の内政も外交も任せられない。このことは,ここまで首相をやらせてきた顛末に対する実感でもあり,もうウンザリするほど思いしらされている「彼の真価」である。

 本当のところでいえば,この首相自身が日本の政治にとって,実は「無駄  無駄  無駄 ……」である。いや,それどころではない。同時に「有害  有害  有害……」でもありつづけてきた。あとに残っている問題は,この「傲慢と幼稚」の宰相を,いつ,日本の政治からはじき飛ばせるかにある。

 ④ 追 記:「そっくりそのまま安倍首相に当てはまる朴氏『不通政治」の孤立』」(『天木直人の BLoG』2016年11月30日)

 朴 槿恵大統領による韓国政治の混迷を伝える報道のなかで,今日「11月30日の朝日新聞に「『不通政治』朴氏の孤立」という見出しの大きな記事が掲載されていた。なんのことだろうと思って読んでみると,その意味はこういうことらしい。

 今回,朴槿恵大統領がもっとも批判を浴びた理由は,不通(意思疎通の不在)と言われる政治手法だった。周囲の政策遂行に必要な側近たちの意見すら聞く耳をもたず,ごく一部の人間に頼って政治を私物化したからだと。これを読んで思わず笑ってしまった。

 安倍首相そっくりではないか。「不通政治」のゆきつく先が,4%(若者からは0%)まで落ちこんだ支持率と,連日のように包囲される国民の怒りのデモだ。調子に乗っていまのような暴言,暴政を続けていると,そのうち韓国以上の国民の怒りの暴発が起きかねないぞ。

 誰かがその事を安倍首相に教えてやらなければいけない。その役割を果たすのはメディアをおいてほかにない。メディアが倒閣に動けば,乾燥したわらに火がついて,たちまちのうちに全国に延焼するだろう。そう思わせるほどの,安倍首相の連日の「不通政治」ぶりである。
 註記)http://天木直人.com/2016/11/30/post-5717/ 午後2時半過ぎに補述。

 --語るに落ちたというか「語る前から落ちている話題」なのであるが,問題はこの程度の首相にへこたれ・臆して,ろくにモノをいえないでいる「日本の言論界の根性のなさ」である。朝日新聞社はとくに安倍晋三に対しては無限大の怨恨を抱いているはずである。徹底抗戦する気持はないのか?

 あまりにもひど過ぎる「安倍晋三のデタラメ三昧」そのものをとりあげ,なぜ報道しないのか? 国民・市民の側に鬱積している安倍晋三「批難」を汲み上げ,世論として反映させるのが「社会の木鐸」たる新聞紙の大事な役目ではないのか?

 真っ向から批判しなくてもよい。事実をありのままにとりあげ,中立・公正に報道すれば,簡単に実行可能である。「中立・公正」の立場がどういう志向であればよいのか,ここであえて説明するまでもあるまい。「政権・時の権力主体」というものは,その権力の維持じたいが長期化すればするほど腐敗していき,腐臭もたくさん発散させていくことは「歴史的な法則」である。既知に属することがらである。安倍晋三政権のそれは満潮状態のまま,である。

 ついでにこういう話も拾って紹介しておきたい。 「沖縄蔑視と安倍政権の戦前回帰」(『ニュースサイト ハンター,Investigative Journalismon』2016年11月16日 09:50)から,最後部だけを引用する。

    ◆ 銃剣とブルドーザー ◆

 問題は,沖縄との関係を悪化させる一方の鶴保〔庸介沖縄担当相〕氏を,放置している安倍内閣の姿勢である。2000年の沖縄サミット開催を実現した小渕恵三や普天間返還に道筋をつけた橋本龍太郎両元首相,官房長官を務めた野中広務,梶山静六。いずれも,戦争末期に本土の捨て石となり,戦後は国内に展開した米軍基地の74%を押しつけられた沖縄に寄り添った政治家だ。
鶴保庸介画像
出所)http://alcornavi.com/4240.html

 戦争体験のある政治家が少なくなるにつれ政界での沖縄差別が顕在化し,安倍政権になってからは,沖縄の民意を無視して一方的に国の方針を押しつけるようになった。辺野古移設や高江のヘリバット工事で警察や海保が基地反対派を蹂躙する光景が,戦争直後に「銃剣とブルドーザー」で沖縄県民の土地をつぎつぎと接収した米軍とダブる。

 差別容認をはじめとする鶴保氏による一連の沖縄蔑視発言や松井〔一郎〕府知事の機動隊員擁護は,政権の考え方を体現したもの。安倍政権は,戦後71年を経ても,沖縄を「捨て石」としか考えていない。戦前回帰を希求する右翼政権が続くかぎり,沖縄県民が日本人としての誇りを感じることは,ない。
 註記)http://hunter-investigate.jp/news/2016/11/post-962.html 〔 〕内補足は引用者。


 【日本人はもともと善であり,在日はもともと悪である「らしい」この国の底上げ,もしくは底抜けの社会状態】

 【どうやら百田尚樹の脳細胞群は,独断と偏見ではち切れんばかりである】
 
 【犯行者が仮に在日だとしたら,それとも日本人だったら,それぞれに「なにがどう違う」というのか。このことを説明する〔できる理屈の〕基本精神は,ただ「差別と偏見」だけである】



 ①「〈春秋〉コラム」(『日本経済新聞』2016年11月29日朝刊コラム)にみる独裁者の評価-権力は腐敗するのが通則・鉄則であるが,日本の1強多弱政権もすでにその完熟状態-

 中国の歴史書に「棺を蓋(おお)いて事定まる」とある。人の功績は死んだのちに初めて正しく判断されるという意味だ。歴史の評価が下されるのはまだ先のことだとしても,ここまで反応が分かれるものかと驚かされる。英雄か,独裁者か。賛否両極端の声がわき上がっている。

カストロ最近の画像 ▼ キューバの前国家評議会議長,フィデル・カストロ氏が先週末亡くなった。服喪期間に入ったキューバからは「国父」と慕う市民らの,嘆き悲しむ姿が伝えられる。一方でカストロ体制を逃れ米国に渡った人たちは「これでキューバに自由がやって来る」と大喜びの様子。ニュース映像をみればお祭りのような騒ぎである。
 出所)画像は晩年のカストロ,http://www.afpbb.com/articles/-/3037875

 ▼ 例によって米国では新旧の指導者で対応が食い違う。キューバとの国交を回復したオバマ大統領が弔意を表すや否や,トランプ次期大統領は「野蛮な独裁者」とののしった。誰かにとっての「正義」も逆の立場からは「テロ」かもしれない。世界に思いをめぐらす時に忘れてはならない視点を突きつけられるような気がする。

 ▼ カストロ氏には人間味ある逸話も多い。野球好きはよくしられ,選手として米大リーグを夢みたこともあったという。広島市を訪れたさいには原爆の被害に心を痛め,「このような残虐行為が,けっしてまた起こりませんように」と記した。反米や革命といった政治・思想を離れれば,1人の人間としての姿がみえてくるようだ。
 補注)このコラム「春秋」の筆法を敷衍してみると,あの北朝鮮の世襲3代目に当たる偉大なる独裁指導者にも,「政治・思想を離れれば,1人の人間としての姿がみえてくるようだ」といえなくもない。カストロと金 正恩とをいっしょにしてあつかったら悪いと,絶対的に断言できないかぎり,こうした発想法でもって,両名を比較してみても「けっして不当なあつかい」にはなるまい。

 日本の首相はとくに最近,それもロシアのプーチンやアメリカ次期大統領トランプとの外交では,さんざん舐められたり,あるいは,ひどくまずったりするばかりであって,金君と同じに世襲3代目の政治家(こちらは地盤・看板・カバンがそろっているのだが)としての拙速な外交ぶりは,両名を比較してみる以前において,褒める材料がさっぱりみあたらない。けなしてみたい素材ならば,政治家としての安倍晋三が「七光り」である以外にも,いくらでも浮上してくるのだから目も当てられない。


 安倍晋三首相〔たち〕の上着の左襟には,例のブルーリボン・バッチが常時「佩用されている」が,あいもかわらず北朝鮮によって拉致された日本人被害者問題が解決する見通しは,全然ついていない。この問題はただ,極右政権が国民側から支持をえるために,都合のよい材料に利用されている(いわば具材にされている)だけである。その証拠に,この問題が安倍晋三という首相のこれまでの在任中にあって,なにか具体的な動きや進展があったかと問えば,この答えなにもない。

 ②「〈時時刻刻〉ヘイト対策法,続く模索 罰則なき理念法,施行半年」(『朝日新聞』2016年11月29日朝刊2面)

 この解説記事の見出しをみた瞬間,男女雇用機会均等法が登場したころを思いだした。そのことはともかく,『朝日新聞』のウェブ版には,こういう説明がみつかる。記事本文の引用は少しあとからになる。
※ 男女雇用機会均等法 ※
 (朝日新聞紙面に掲載されている用語解説から関連するものをお届けします)

 a)「男女雇用機会均等法」(2014年08月02日朝刊)。
 1985年に成立し,翌1986年施行。企業に対して採用や昇進,職種の変更などで男女で異なる取扱いを禁じている。妊娠や出産を理由に退職を強要したり,不当な配置換えをしたりすることも禁止している。

 今〔2014〕年7月の施行規則改正で,採用,昇進などで転勤を条件にすることは,実質的に女性が不利になる間接差別にあたるとして禁止。セクハラについて,性別による役割分担意識にもとづく言動をなくすことが防止につながると明記した。

 b)「男女雇用機会均等法によるセクハラ防止措置義務」(2008年08月24日朝刊)。
 2007年度の法改正で,「セクハラ防止に配慮する義務」が「セクハラの防止措置をとる義務」へと強化された。内容は,(1)  セクハラがあってはならないという方針をはっきりさせる,(2)相談窓口を定める,(3)相談の申し出があったら事実関係を確認する,(4)確認したら適切な措置をとる,など。
 註記)http://www.asahi.com/topics/word/男女雇用機会均等法.html
 この男女雇用機会均等法,当初はほとんどザル法であった。実際的には,実効性のない理念法であったのである。しかし,その後だんだんと改善されてきた。しかし,前段でとくに a)  に断わられている施策が,現段階において首尾よく防止されているかといえば,まったく「否」である。この法律がなかったらさらにもっとひどい現状になっているというほかないゆえ,もちろん,ないよりはあったほうがよほどマシであることはたしかである。

 労働経済・事業経営のなかでは,b)  のほうも含めていえば,それらにこと欠かないのが,労働者・サラリーマンにとっての日常的な労働環境そのものである。この程度の事実は,ふだん読んでいる新聞紙上にも,あれこれ報道がなされている。法律で禁止し,防止したところで,a)  や b)  のような不当・違法がなくなっているわけではない。

 ましてや,在日に対して中心に問題でありつづけているヘイト問題は,最近ようやく「理念法」,つまり罰則なしでの防止対策でしかない水準・中身で対策法が用意されたばかりである。適当な形容を使っていえば,まさしく「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」のとおりでありつづけているのが,とくに在日ヘイトによる差別問題である。

  〔記事の本文引用はここから→〕   ヘイトスピーチは許されない,と宣言した対策法が施行されて半年になる。路上のデモやネットの書きこみで差別をあおる行為の解消に向け,市民や法務省,自治体の取組みが進む。ただ,法律は罰則のない「理念法」。被害の訴えも続くなか,具体的な事例にどう対応するかをめぐっては,なお手探りが続く。(画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2016年11月29日朝刊2面ヘイト記事画像
 1) デモ抑止効果 / ネット攻撃なお
 多くの在日コリアンが暮らす川崎市では2013年から計13回,排外的なデモがおこなわれてきた。しかし,法施行直後の6月5日にデモが中止されて以来,市内で同様のデモはない。一方,実名でヘイトスピーチ被害を訴えてきた市内在住の在日コリアン3世,崔江以子(チェ・カンイジャ)さん(43歳)とその長男(14歳)に対しては,匿名の人物によるネット上での攻撃が続いている。

 ツイッターやブログなどに,2人の名前と顔写真をかかげて「国へ帰れ」などと中傷や脅しが相次ぎ,崔さんは9月,横浜地方法務局に救済を申し立てた。対策法を受けて法務省に新設された「ヘイトスピーチ被害相談対応チーム」が検討し,「人権侵犯にあたる」と認定。横浜地方法務局が10月,サイト運営会社に削除を要請した。アメーバブログを運営するサイバーエージェント社は要請を受け,長男に対する記述を即日削除した。長男に対するツイッターの記述4件も11月に削除が確認されたが,グーグル社やツイッター社などのサイトでは,書きこみがまだ一部残っているという。

 崔さんは「相手が誰か分からず私たちを攻撃してくるので怖い。国が救済に動いてくれたのはよかったが,企業は適正な判断をしてほしい」と話す。法務省は,在日特権を許さない市民の会(在特会)のメンバーが2009年に東京都小平市の朝鮮大学校前でおこなった街宣についても「人権侵害」と認定。この街宣などを記録した動画をネット上で公開する運営会社に昨〔2015〕年12月,削除を要請した。応じた会社もあったが,グーグル社側が運営する動画サイト「ユーチューブ」では今も削除されていない。

 対策法が施行されて以降,法務省は削除を求めるさいに「ヘイトスピーチに対する社会の関心が高まっている」と言及することもある。ただし強制力はない。担当者は「粘り強く削除を求めていくしかない」。

 〔2016年〕7月の東京都知事選では,候補者の選挙演説が「人権侵害」にあたるとして,在日本大韓民国民団(民団)が9月,東京法務局に人権救済を申し立てた。在特会前会長の桜井 誠氏が知事候補として選挙中,都内の民団本部前で「さっさと日本から出ていけ」「テロリスト」などと演説。民団側は「ヘイトスピーチや名誉毀損(きそん),威力業務妨害にあたる」と救済を求めたが,結論は出ていない。

 2) 自治体,条例制定の動き
 対策法では国にくわえ,自治体にも努力の責務を定めた。デモが問題となった自治体では,基本的な考え方をめぐる模索が進む。9月30日,法務省が開いた会議には東京・神奈川・大阪・京都・兵庫・福岡の各都府県などの人権担当職員が出席した。「どのようなものが差別的言動にあたるのか,基準や具体例を明らかにしてほしい」。要望に対し,法務省は参考となる情報を,年内をめどに提供する方針だという。

 全国の地方公務員の労働組合でつくる「全日本自治団体労働組合」(自治労)は,モデルとなる「人種差別撤廃条例」の試案を作成。22日には地方議員らを集めた学習会で案を示し,条例制定にとり組んでほしいと呼びかけた。自治労が参考の一つにしたのは,対策法に先行して大阪市が制定したヘイトスピーチの抑止条例だ。7月の全面施行後,在日コリアンに対する街頭活動の動画やツイッターへの書きこみなどがヘイトスピーチに当たるのではないかと,計21件の申し出があった。
 補注)すでにこういう試案もあった。「外国人人権法連絡会」結成に向けて,参考資料5「人種差別撤廃条例要綱試案」から紹介する。冒頭の総論部分のみ次段に引用してみる。
 註記)外国人人権法連絡会,http://www.g-jinkenho.net/modules/sections/index.php?op=viewarticle&artid=18
◆ 人種差別撤廃条例要綱試案 ◆
作成:東京弁護士会 外国人の権利に関する委員会
人種差別禁止法制検討プロジェクト・チーム/2005年6月

 本要綱試案は,自由人権協会外国人の権利小委員会が作成した「人種差別撤廃法要綱試案  (Ver.2) 」を基本文書として使わせていただき,その他,第47回日弁連人権擁護大会シンポジウム(2004年10月開催)において公表された同実行委員会作成の「外国人・民族的少数者の人権基本法要綱試案」,「あらゆる形態の人種差別の撤廃に関する国際条約(人種差別撤廃条約)」,「国連・反人種差別モデル法」,「人権擁護法案」などを参考に,プロジェクトチーム(PT)で検討を重ねたものです。

 本要綱試案については,以下の特徴があげられます。

  1 差別の定義のうち,差別事由として「人種等」に国籍・在留資格を盛りこんだこと,禁止されるべき「人種差別」の対象を少数者に限定したこと
  2 公務員による差別表現規制を盛りこみ,罰則を設けたこと
  3 条例であることにかんがみ,公務員の就職・昇任につき,役職の区別なく,すべての差別を禁止したこと,人種差別撤廃委員会を首長直轄とすること,逆に,国レベルでの法制の範囲内で許容しうる規制にとどめていること

 1.総 則
 ★ 前  文
  1 植民地主義への反省,人種差別が平和の障害となるとの人種差別撤廃条約の趣旨
  2 日本が1995年に人種差別撤廃同条約に加入し国内法制度整備の必要があること
  3 日本における1923年の朝鮮人・中国人大虐殺などこれまでの人種差別への反省
  4 現在も人間の尊厳を傷つける人種差別がなくなっておらず,むしろ強まる動きもあり,撤廃法制が必要であること

 ★ 目  的
 この条例は,人種差別を禁止し,その被害の救済と予防を図るための措置を講じることにより,人種差別を撤廃し,憲法上及び国際法上認められた人権が,社会を構成するすべての人に対し尊重される平和な社会の実現に寄与することを目的とする。
 
 ★ 定  義
  1 「人種等」とは,人種,皮膚の色,民族,国籍(過去に保有していた国籍を含む),社会的身分,門地,在留資格をいう。
  2 「人種集団」とは,特定の人種等を同じくする者から構成される集団をいう。
  3 「公務員」とは,国または地方公共団体の職員その他法令等により公務に従事する者をいう。
  4 「人種差別」とは,次に掲げる行為をいう。

   ①(直接差別) 人種等の事由につき日本における少数者の立場にある人種集団に属する者が,人種等に基づき,同様な状況において,他の者が扱われるよりも不利に扱われること。
   ②(間接差別) 一見中立的な規定,基準または慣習の適用が,人種等の事由につき,日本における少数者の立場にある人種集団に属する者に対し,他の者にくらべて不利となること。ただし,当該規定,基準または慣習の適用が,正当な目的により客観的に正当化され,かつ,かかる目的を実現する手段が必要かつ適切である場合を除く。
   ③(ハラスメント) 人種等に関する行為であって,人種等の事由につき日本における少数者の立場にある人種集団もしくはそこに属する者に対し,暴力行為および暴力行為の扇動,憎悪の表現,脅迫,侮辱,明らかな虚偽の事実の流布など不快な環境を作り出すもの。

  5 次に掲げる行為は,人種差別にはあたらない。
   ① 本条例の目的のために,日本における少数者の立場にある人種集団に属する者に関連する不利益を防止又は是正することを目的として,特別の措置をとること
   ② 国籍もしくは在留資格に基づき異なる取り扱いをすることにつき,正当な目的があり,目的実現のため必要かつ適切な方法で,異なる取り扱いをすること

 ★ 条例の解釈基準としての国際人権法
 この条例の解釈及び適用にあたっては,国際人権規約,人種差別撤廃条約等の人権に関する条約について国際的に認められた一般的な解釈及び適用を第一の基準として尊重する。

 ★ 立証責任の転換 
 行為者が,差別する意思を有していないと主張する場合には,行為者がそれを立証しなければならない。

 ★ 一般的差別禁止
 何人も,人種差別を行ってはならない。

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 なお日本政府は,人種差別撤廃条約については,こういう留保をつけている。日本においてヘイト行動の取締りが徹底させられない理由として,この消極的な姿勢が控えている。

  Q 6 日本はこの条約の締結に当たって第4条(a)及び(b)に留保を付してますが,その理由はなぜですか。

  A 6 第4条(a)及び(b)は,「人種的優越又は憎悪に基づくあらゆる思想の流布」,「人種差別の扇動」等につき,処罰立法措置をとることを義務づけるものです。

 これらは,様々な場面における様々な態様の行為を含む非常に広い概念ですので,そのすべてを刑罰法規をもって規制することについては,憲法の保障する集会,結社,表現の自由等を不当に制約することにならないか,文明評論,政治評論等の正当な言論を不当に萎縮させることにならないか,また,これらの概念を刑罰法規の構成要件として用いることについては,刑罰の対象となる行為とそうでないものとの境界がはっきりせず,罪刑法定主義に反することにならないかなどについて極めて慎重に検討する必要があります。

 我が国では,現行法上,名誉毀損や侮辱等具体的な法益侵害又はその侵害の危険性のある行為は,処罰の対象になっていますが,この条約第4条の定める処罰立法義務を不足なく履行することは以上の諸点等に照らし,憲法上の問題を生じるおそれがあります。このため,我が国としては憲法と抵触しない限度において,第4条の義務を履行する旨留保を付することにしたものです。

 なお,この規定に関しては,1996年6月現在,日本のほか,米国及びスイスが留保を付しており,英国,フランス等が解釈宣言を行っています。
 註記)外務省,http://www.mofa.go.jp/mofaj/gaiko/jinshu/top.html から引用。
 〔ここで記事本文に戻る→〕 弁護士ら5人による審査会が非公開で月1回程度開かれ,関係者の意見を聴いてヘイトスピーチに当たるか判断する。「憲法で守られている表現の自由を,行政の権力組織が規制することになる。最初の事案をどう判断するかは非常に重大だ」と吉村洋文市長。ヘイトスピーチと認めた場合,大阪市は氏名・団体名や内容を公表する。市民の意識を高めることがねらいだが,罰則はない。

 「市は公園などの公的施設の利用を制限するガイドラインを設けるべきだ」。条例制定も視野に議論が進む川崎市では,有識者らでつくる市人権施策推進協議会が〔2016年11月〕16日,こうした内容の報告書を年内にも福田紀彦市長に出すことを決めた。協議会は「許可が原則」としつつ,「不当な差別的言動が行われる恐れが客観的な事実に照らして具体的に認められる場合は不許可とすべきだ」との考えだ。市長らが恣意的に判断しないよう,第三者的な機関を設けることも提言する。

 3) 規制どこまで,法に明示を
 海外のヘイトスピーチ規制に詳しい小谷順子・静岡大学教授(憲法学)の話。--ヘイトスピーチ対策は憲法で保障された表現の自由にかかわる問題だ。なにがヘイトスピーチにあたるか,規制はどこまで許されるか,といった重要な点は国会で議論し,法律の条文で示すべきものだ。しかし今回の法律は,人種差別思想にどう向きあうかが明確でなく,デモや集会のための施設使用申請などの具体的な事例にどう対応すべきかも,あいまいなままだ。自治体が困惑し,明確な判断基準を示してほしいと法務省に要望するのも,当然の話だと思う。

 ③ 百田尚樹がまたもや差別・偏見を煽る発言

 硬派のネット・サイト『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』2016年11月27日が,「百田尚樹が『レイプ犯は在日』のヘイト」者だとして,題名を「百田尚樹が千葉大医学部生レイプ事件で『犯人は在日』の無根拠ヘイトスピーチ! しかもその言い訳がヒドすぎる」とかかげて,つぎのように批判していた。執筆は同サイト編集部。

  百田尚樹がまたやらかした。千葉大医学部の学生が飲み会に参加していた女性を集団で暴行したとして,集団強姦致傷容疑で逮捕された事件で,氏名が公表されなかったことについて,「犯人の学生たちは大物政治家の息子か,警察幹部の息子か,などといわれているが,私は在日外国人たちではないかという気がする」とツイートしたのだ。
 補注)百田尚樹は3流推理小説家か? 「犯人の学生たちは」「在日外国人たちではないかという気がする」とツイートしたというが,この論理(?)構築は,2重のゴマカシをもって,予防的な「逃げの理屈」を用意している。「ではないか?」「という気(?)がする」といい,わざわざ2段階にもかけて恣意的な当てずっぽうをしかけている。これは,まったく証拠もなにもなしに,ただ一方的に勝手ないいぐさを連鎖させているだけである。

 つまり,百田自身の単なる・思いつきでしかない,それでいてしかも自分だけの判断でもって,単なる「決めつけ」を前面に押し出した妄言である。これは故意に,在日に対する偏見・差別を扇動させるための発言である。しかしそれにしても,ツイートにおける発言も表現がとても軽く,ひと言でいえ軽佻浮薄そのものである。

 だが,百万部を超えるベストセラーを有した作家(夢想家?)が,このような200%くらいものデタラメを,それも正々堂々と吐いている。自分の影響力を意識・前提・悪用した放言=暴言である。完璧にはち切れんばかりの民族差別である。在日韓国・朝鮮人に対する侮蔑,排外主義。19世紀に生まれたアジア人差別を,21世紀の現代にまで故意に引きずりこんだ悪弊・固陋の典型例である。


 百田尚樹は人種・民族差別主義者であり,その確信的な実行「犯」そのものである。別言すれば極右・ウヨクの人びとを除けば,多分「日本の恥」であるその「負の精華(散華)の発光体」といえる人物が,この百田である。いったいなんのためにそのように「在日」を悪しざまにいわねば気が済まないのか?

 もしかすると若いときに百田は在日の若者とガンを飛ばしあい,ケンカにでもなってしまい,それも自分がボコボコにやられた体験でもしていたのか(?)。そのように冗談半分だが,想像も逞しく勘ぐったりしてみたくもなった。もっとも,いまのこの話は根拠も証拠もなにもない〈勝手ないいぐさ〉であるけれども,百田話法の次元にまでいったん降りていき,周波数を同調させていわせてもらった。


  〔記事本文の引用に戻る→〕 当然ながら,これには「ヘイトスピーチだ」「人種差別だ」といった批判が殺到した。一般ユーザーだけではない。津田大介氏もツイッターで「この人この種の発言懲りずに何度も繰り返してるし,単にツイッターの利用規約違反なので,ツイッター社はしかるべき警告を発した上でそれでもやめないようなら,この人のアカウントを停止すればいいんじゃないかな」と厳しく批判した。
 補注)『The Huffington Post』から,『【千葉大生集団強姦】百田尚樹氏「犯人は在日外国人ではないか」とツイートし波紋 津田大介氏「この人のアカウントを停止すべき」』に関するツイート部分などを,次段に引用する。百田は決定的に確信犯。
 註記)執筆者 中野 渉(投稿日: 2016年11月27日 15時33分 JST 更新: 2016年11月27日 15時44分 JST),http://www.huffingtonpost.jp/2016/11/26/hyakuta-talks-about-incident_n_13261214.html?utm_hp_ref=japan
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 --千葉大医学部の学生3人が女性に集団で性的暴行をしたとして逮捕された事件で,千葉県警は発生日時や逮捕者の名前など事件にかかわる情報を発表しておらず,概要を問う報道各社の取材にも回答を拒んでいる。これを受け,作家の百田尚樹氏が Twitter に医学生について「私は在日外国人たちではないかという気がする」などと投稿し,波紋を呼んでいる。

 --百田氏は11月24日に次のような投稿をした。

 ※-1 百田尚樹 @hyakutanaoki
 千葉大医学部の学生の「集団レイプ事件」の犯人たちの名前を,県警が公表せず。犯人の学生たちは大物政治家の息子か,警察幹部の息子か,などと言われているが,私は在日外国人たちではないかという気がする。いずれにしても,凄腕の週刊誌記者たちなら,実名を暴くに違いないと思う。2016年11月24日 00:04

 これに対して Twitter では批判が相次いだ。ジャーナリストの津田大介氏は,つぎのような投稿をした

 ※-2 津田大介 @tsuda
 この人この種の発言懲りずに何度も繰り返してるし,単にツイッターの利用規約違反 https://support.twitter.com/articles/253501  なので,ツイッター社は然るべき警告した上でそれでもやめないようなら,この人のアカウント停止すればいいんじゃないかな。pic.twitter.com/Fiv74c84hz 2016年11月25日 20:27

 百田氏は〔11月〕25日,批判に対する反論を投稿した。

 ※-3 百田尚樹 @hyakutanaoki
 千葉大の集団レイプの犯人が公表されない理由について,「犯人が在日外国人だからではないか」と呟いたら,多くの人から「ヘイトスピーチ」「差別主義者」といわれた。私は犯人が公表されない理由の一つを推論したにすぎない。しかも民族も特定していない。こんな言論さえヘイトスピーチなのか。2016年11月25日 20:20
 補注)常識的に考えればこの「一つを推論したにすぎない」というような愚にもつかない反論からして,ひどく常識にも反するいいぶんである。推論するならするで,こういう・あういう理由・根拠などがあってそう推理してみた,とかなんとか,最低限は必らず説明しておく必要があるはずである。できれば,ツイートを追加して説明すればよいのである。ところが,完全に放言でしかありえない,つまり差別・偏見のための発言に終始している。

 百田氏の投稿については,「警察が名前を隠すとこういうことになる」とか「言論弾圧だ」などと Twitter で議論が続いている。元検事で弁護士の矢部善朗氏は,百田氏の投稿について次のように指摘した。

 ※-4 モトケン @motoken_tw
 百田氏は,「私は在日外国人たちではないかという気がする。」といった。 https://twitter.com/hyakutanaoki/status/801441308774567936 …  これは,犯人が公表されない理由について述べたものではなく,犯人をなんの根拠もなく在日外国人であると憶測した文章だ。 https://twitter.com/hyakutanaoki/status/802109819159134208 … 2016年11月26日 01:16

 ちなみに,千葉県警捜査1課は,今回の事件に関する情報を非公表にしている理由について,

 (1)被害者の特定につながる可能性があり,嫌がらせなどが懸念される,

 (2)共犯関係などの捜査に支障が生じる

としており,今後も報道発表の予定はないという。産経ニュースは「事案の非公表により,身柄の拘束という公権力の行使が正当だったか,といった外部の検証ができなくなる。被害者や犯行態様などについて誤った情報が流布される恐れも生じる」とその対応に疑問を呈している。
 補注)百田尚樹のいいぶんは語るに落ちたものであり,これほど分かりきった,単純明快な差別発言もない。モトケンに教えてもらう必要もないほど明々白々である。それも常識以前の悪口雑言であり,意図的に悪意を籠めており,それでいながら二重のゴマカシ・バリアーをみずから設けた〔煙幕を張った〕つもりで,あさはかな偏見心をここぞとばかりに披露していた。この種の人間が売れている作家であり,しかも時の首相の朋友(ポンユウ)だというのだから,ご時世は真っ暗闇同然である。悪的だというほかない「人的な網目」がまさしく「悪貨は良貨を駆逐する」要領でもって拡大・再生産されつづけており,日本社会はよりいっそう暗い・暗い世の中になりつつある。

 もっとも,いまの日本のこの暗いばかりでしかない世間・世相である。だから,せいぜい在日差別をいいたい放題に吐露しては,自分たちの小さな代償的な自己満足に,それもひたらす自慰的にはまりこんでいればよく,それでもって,しょぼいカタルシスに浸りたいという気分なのかもしれない。いずれにせよ,「安倍晋三君のせいでさらにドンドン悪化している日本の経済・社会全般」にじわじわ浸透しつつある「いつも冴えない気分のうさ」を,一瞬でもいい,気晴らしをさせてくれるような発言が聴ければ,これはこれで小満足というわけである。それにしても,この国において要衝を占めているのは,精神構造・規模的にはなぜか,いかにも小人物ばかりである。そんなこんな人物たちが,大きな顔をして日本中を跋扈跳梁する時代である。
百田尚樹画像記事
 〔記事本文に戻る→〕 ところが,こうしたときになんの反省の色もみせないのが百田センセイである。なんと,「私は犯人が公表されない理由のひとつを推論したにすぎない。しかも民族も特定していない。こんな言論さえヘイトスピーチなのか」と反論したのだ。このおっさんは本気でこんな子どもみたいないいわけが通用すると思っているのだろうか
 出所)右側画像資料は,http://danshi.gundari.info/hyakuta-suicide-property.html

 どう考えても,百田がいったことは,容疑者の氏名が公表されなかった原因の推論でもなんでもない。これまでの犯罪報道をみれば明らかなように,在日外国人が犯罪を犯した場合も実名は発表されるし,報道もされている。にもかかわらず,わざわざ「在日外国人たち」などといったのは,要するに,レイプ犯罪イコール在日というイメージをふりまきたかっただけなのだ。

 あらためていうまでもないが,ヘイトスピーチとは,ただの批判や悪口のことではない。人種・民族・国籍・性などの属性を有するマイノリティの集団もしくは個人に対し,その属性を理由とする差別的表現のことだ。そういう意味では,百田の発言は立派なヘイトスピーチである。いや,それどころか,百田の発言はなんの根拠もないまま在日外国人を犯罪者と決めつけるものであり,関東大震災のときに,朝鮮人が井戸に毒を入れたというデマを広め,朝鮮人の大量虐殺を扇動した行為とほとんど同じといってもいい。

 さらに,百田尚樹はこのツイートのあとも懲りずに,悪質なデマをふりまいている。〔こう発言していた ⇒ 〕 「沖縄高江のヘリパッド基地反対運動のデモ隊のメンバーの多くが,今,朴大統領辞任デモのために韓国に渡っていて,現在,高江のデモ隊はがらがらだという。 朴大統領を引きずり降ろそうとしている運動の背後にいるのは,北朝鮮と中国。つまりは,そういうこと」。

 まったく,そのグロテスクな差別思想とおつむが煮えているとしか思えない陰謀論には辟易するしかないが,しかし,恐ろしいのはこうしたヘイトデマがネトウヨや安倍政権支持者のあいだで,ほとんど真実として流通していることだ。彼らはこれまでも,相模原の障害者大量殺人事件はじめ,重大犯罪が起きるたびに,ネトウヨたちは「容疑者は在日」というデマを信じこんで拡散してきた。

 そして,この拡散に大きな役割を果たしてきたのが百田尚樹をはじめとする極右論客たちだ。たとえば,竹田恒泰は今〔2016〕年5月に小金井市のアイドル刺傷事件が起きたさい,『小金井ライブハウス殺人未遂事件で逮捕された人物は「自称・岩埼友宏容疑者」と報道されている。自称ということは本名でないということ。なぜ本名で報道しない? ここが日本のメディアのおかしいところ。臆する必要はない。本名で報道すべき。これは私の憶測だが,容疑者は日本国籍ではないと思われる』などと,デマをツイートした。
 補注)極右のあいだでは「私の憶測」であっても,これがりっぱに「事実や真相」の根拠・証言になりうるらしい。だが,これは子どもも子ども,それも幼児の次元における戯れ言である。1人前の大人が生きている世界に流通させらるような表現形態ではありえない。

 この国の首相の特性を表現するさい,本ブログ筆者は,小沢一郎がいった「傲慢と幼稚」にくわえて「暗愚と無知」と「欺瞞と粗暴」を追加しておいたが,さすが百田尚樹や元皇族の子孫竹田恒泰は安倍晋三君を見習っているというか,さらにそれ以上に程度が悪質である。なかでも,竹田は皇族の末裔であるつもりが少しでもあるならば,もっとまともにモノを考えたうえで発言する余地があると警告しておく。その末裔としての高貴さ・矜持などはないに等しい。百田尚樹は間違いなく,確信犯的にデタラメ三昧の発言ばかり……。

=2016年11月7日:追記(字下げした本欄)

 千葉大医学部の学生による「集団による女性への性的暴行」事件については,11月6日になると,どういう事情の経緯があったかしらぬが,つぎのように,この事件に関係した学生たちと医師の氏名が公表・明記される報道になっていた。(画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2016年12月6日朝刊35面千葉大医学部学生事件
 百田尚樹は平然と,でたらめなデマを飛ばせる,トンデモなベストセラー作家である。その種の汚名を,みずから自家の看板に書きこんだ。いうなれば「自分の顔にわざと泥や糞を着けた格好」で,それでいて,世間に憚ることをしらない「単純ネトウヨ作家であるような・ごりっぱな自身の立場」を,好きこのんでご披露していたことになる。

 百田のデタラメ論法でいくと,悪い奴はみな,在日外国人(韓国・朝鮮人!?),いい人は全部,在日日本人(?!)となるのか? そうだとしたらこれは「幼児がダダをこねるように,わめいていう屁理屈」と同じである。
 あるいは昨〔2015〕年のイスラム国日本人人質殺害事件では,田母神俊雄が後藤健二さんについて,「イスラム国に拉致されている後藤健二さんと,その母親の石堂順子さんは姓が違いますが,どうなっているのでしょうか。ネットでは在日の方で通名を使っているからだという情報が流れていますが,真偽のほどは分かりません」とまったくのデタラメを拡散した。

 しかも,こうした人種差別発言,ヘイトは,一時,強い批判を浴びたり,ヘイトスピーチ規制法成立などで下火になるかと思われたが,ここにきて,完全に復活モードにある。
足立康史画像
 つい最近も日本維新の会のネトウヨ,足立康史政調副会長がツイッターに〈国籍のことをいうのはポリコレに反するので本当は控えたいのですが,ストレスたまると午後の地元活動に影響するので書いてしまいます。普通,帰化した政治家は国への忠誠をオーバーなほど表現するものですが,民進党議員は反対で,蓮舫代表の言動は中国の,憲法審の白 眞勲委員は朝鮮の代弁者のようです〉などという,帰化した人たちへの露骨な人種差別ツイートをしたが,おそらく,この傾向はドナルド・トランプの米大統領選に当選したことと無関係ではないだろう。
 出所)右側画像は,http://decojiro.net/page/32690/
 補注)ここにいわれている理屈は完全に支離滅裂である。ポリコレ(ポリティカル・コレクトネス,political correctness)という用語を,はたしてまともに理解できているのかについてから疑問がある。ストレスが溜まるからいっちゃう,というのは,子どものいいぶん。蓮 舫・白 眞勲など東アジア系の「日本人」議員が気に入らないのであれば,日本国はこのさい,長崎や小樽だけを窓口にして,江戸時代ばりに「再鎖国」を断行すべし。

 だが,そんなことできるはずがない。外国に居る日本人・民族も全員,日本に呼び戻せ・帰ってこい,ということにもなる。が,もう一度いうが,そんなことできるはずがない。冗談にもならない発言が国会議員たちの口から,最近はポンポン撥ね出てきている。国会議員の定員は半減させたらよろしい。とくに自民党の議員を対象にしてそうしたら最適の方法になる。

 21世紀のいま,世界中の国々,とくに先進国ではどのような人種的・民族的な構成内容になっているかしらないのか? 日本はまだその割合(比率)が総体的に少めであるだけのことである。しかし,テレビに出てくる芸能人(タレント・俳優)たちの人種的・民族的な構成〔だけ〕をみても,この「日本維新の会のネトウヨ,足立康史政調副会長」はいまどき,完全なるアナクロ風の人間意識である〈事実:自分〉を,はしなくも表白している。要は,お尻の穴が小さいだけのこと。日本相撲協会の「国際化の現実的な問題」はどうなる? 横綱3人が全部モンゴル出身者だが。

   ◆ オオズモウ  モンゴルなしなら  ガラン堂 ◆ 

 トランプが支持をえたことで,人種差別が市民権をえたばかりか,ヘイトスピーチをがなることが大衆へのアピールにつながるなどと考えている頭の悪い連中が増えているのだ。おそらく,この先,日本でも国会議員や政府の閣僚が平気で人種差別発言をふりまき,その責任をまったく追及されないような状況が起きるのではないか。そして,一方では,こんな下劣な陰謀論と差別デマを平気でふりまく百田のような人間が政権と一体になって,憲法改正の国民運動を展開していく。この国はこれからますますグロテスク〔醜悪〕になっていく。(編集部)
 註記)『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』の本文の引用は以下。
    http://lite-ra.com/2016/11/post-2729.html
    http://lite-ra.com/2016/11/post-2729_2.html
マイケル・グリーン画像2
 「世も末だ」という表現があるが,日本も安倍晋三君やそのポンユウの百田尚樹のおかげで,われわれは,その種の特定の世界に通じる末路を歩かされているような気分にもなる。こればかりは百田尚樹のように「……ではないかという気がする」などといった表現は使わず,直截にそういう気分になれるといいきっておきたい。

 いまの日本社会は多分,相当程度にまでやけくそ気味なのかもしれない(!?)〔「ではないかという気がする」〕。ともかく,このポンユウたちみたいな,亜流の人間・人材たちばかりが正面に出しゃばりつづけて活躍しているようでは,それもものすごく大きな顔をして「闊歩している」ようでは,この国に明るい未来はないのかも……。

 つぎの画像資料は記入してある文句に意味がとりにくいものがあるが,「立派な大人ではない代表例」という文字に惹かれて,ともかく借りておく。(画面 クリックで 拡大・可)
百田尚樹画像2
出所)http://ikiben.bizpict_disp.php/?jinmei_id=13952

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