【どん底の政治・経済になった国家運営態勢を招来したおバカ総理と経済無知の日銀総裁だけが,わが道をいく日本国家全体の衰藤田孝典表紙微・退廃・腐朽】

 【藤田孝典のつぎの3著のうち1冊でも読んだことがあるのか,この首相と総裁は?】

   『下流老人-一億総老後崩壊の衝撃-』朝日新聞出版,2015年6月。

   『続・下流老人-一億総疲弊社会の到来-』朝日新聞出版,2016年12月。

   『貧困世代-社会の監獄に閉じ込められた若者たち-』講談社,2016年3月。

 ① 1945年8月に敗北した大日本帝国「靖国神社」は世界史に観れば〈賊軍神社〉になりはてていた「御用済みの元国営神社」

 今日の『朝日新聞』朝刊であるが,15面から21面までSMAP「解散」関係に関する全面広告が連面で出稿されていた。最後の21面には「東日本大震災支援金」という活字がある。この,それこそものすごい,いままで観たことのない連続頁になる全面広告の社会的な意味は,ここではいちいち問わない。(画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2016年12月30日朝刊21面SMAP広告
 一方で『日本経済新聞』が今日,1面右下の記事に配置し,報じていた世論調査の結果が「内閣支持率64%に上昇 真珠湾慰霊『評価』84%」であった。安倍晋三政権になってからの大手新聞社による世論調査は,観方によっては〈マユツバもの〉だという解釈の余地を多分に招来させている。
『日本経済新聞』2016年12月30日朝刊世論調査結果
 本ブログも2016年12月26日の記述,主題「安倍晋三政権支持率,世論調査の高い数値は本当か? 安倍政権4年間の総括」,副題「悪政と欺瞞である政治・経済の運営しかやらない,できない安倍晋三」では,地方紙における現政権に対する支持率が,なんと一桁台まで出していた世論調査もある事実を紹介していた。

 大手新聞社の幹部たちが安倍晋三とは,各種の高級料理店で飲み食い(当然われわれの血税につけまわし)を盛んにおこなっている事実があるが,この事実にもとづいていえば,21世紀のいまの大手紙はすでに大政翼賛会的な基本性格を払拭できないマスコミになりはてている。いまや「社会の木鐸」などといった標語は,彼らのあいだでは古語辞典にしか載っていない用語となった。

 『朝日新聞』も『日本経済新聞』もむろん報道している出来事であったが,昨日〔12月29日〕稲田朋美防衛大臣が靖国神社を参拝した。しかも,当人のいうことばが振るっていた。引用は『朝日新聞』朝刊3面からである。稲田防衛相は安倍の別働隊のつもりがあるのか?
★ 稲田防衛相が靖国参拝 真珠湾訪問の翌日 就任後初 ★
   
 稲田朋美防衛相が〔12月〕29日,東京・九段北の靖国神社に参拝した。8月の防衛相就任後初めてで,外交・安全保障政策を担う現職閣僚による参拝は異例だ。参拝後,28日まで安倍晋三首相の米ハワイ・真珠湾訪問に同行したことに触れ,「未来志向に立ってしっかり日本と世界の平和を築いていきたいという思いで参拝をした」と強調したが,中韓は反発している。(▼オピニオン面=社説,←これは後段でとりあげる)

 29日早朝,参拝を終えた稲田氏が記者団の前に立った。「防衛大臣である稲田朋美が一国民として参拝した」とし,「防衛大臣 稲田朋美」と記帳したと説明。玉串料を私費で納めたことも明らかにした。今回の参拝について首相とは事前に話していないとも述べた。この日,神奈川県茅ケ崎市のゴルフ場で,記者団から稲田氏の参拝について問われた首相は「そのことはノーコメントで」と答えた。

 稲田氏は初当選した翌年の2006年,「伝統と創造の会」を設立し,8月15日の靖国神社参拝を重ねてきた。ただ,今年8月3日に防衛相に就任すると,海外視察の名目で参拝を見送った。「いまの防衛相は外遊する機会も増え,靖国参拝は外交問題になりかねない」(防衛省幹部)からだ。

 関係者によると,稲田氏はその後もなお,参拝の機会を探ってきた。韓国が国内政局で混乱し,日中韓首脳会談など重要な外交日程の見通しが立たず,米国が政権移行期にあるいまなら反発を最小限に抑えられると判断したとみられる。

 稲田氏はこの日,記者団から中韓の反発について問われると,「いかなる歴史観に立とうとも,いかなる敵味方であろうとも,祖国のために命を捧げた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは,どの国でも理解をしていただけるものだと考えている」と述べた。

 稲田朋美のこの基本(?)姿勢からして疑問だらけというか,無理解な靖国観をみなぎらせている。「防衛大臣である稲田朋美が一国民として参拝した」という靖国神社は,明治帝政時代に創設された国家神道施設である。「いかなる歴史観に立とうとも,いかなる敵味方であろうとも,祖国のために命を捧げた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは,どの国でも理解をしていただけるものだと考えている」のだとしたら,この防衛相は靖国神社の歴史も本質もなにもしらない事実を,みずから恥じらいもなく告白したことになる。無知ほど自分を強くさせてくれるものはない。

 靖国神社は同じ日本人であっても「賊軍側に立った死者の霊」は絶対に合祀せず,完全に排除してきた。また賊軍ということばからすぐ分かるように,この靖国神社は旧大日本帝国がアジア侵略戦争の進行過程においても,日本軍が官軍的な立場にあるような一国利害の戦争観を徹底させていき,自国の戦争犠牲者だけを,それもとくに〈勝利を祈念するための神社〉としての「国家神道神社である価値観(宗教観)」を,つまり国是として堅持してきた。

 ところが,その造営・設置者であった大日本帝国が1945年8月15日(正式には9月2日)に敗戦した。いつも指摘するように,いうなれば「勝ってナンボのこの靖国神社」に,敗戦してからもう71年目を迎えてきたいまごろになっても,まだあの戦争に勝利したつもりに錯覚しているのかどうかしらぬが,大日本帝国の敗因につながる真珠湾奇襲の戦地を,わざわざ首相の安倍晋三がアメリカのハワイまで出向いて,オバマが見守る関係でいっしょに慰霊したその翌日に,この防衛相(極右の典型的な政治家であるが)稲田朋美が,日本の靖国神社に参拝にいった。

 それも前段のように,宗教(学)的に判断を下しての議論になるが,神道(ただし国家神道である靖国神社に限られた話に過ぎないが)と仏教・キリスト教・イスラム教などとの相違点もなにもかもしらない無識さ加減をさらけだすかたちで,この神社に参拝にいったのであるから,開いた口がふさがらないほどに呆れるほかない。これほど無知度の奥深い政治家が日本国の大臣職に就いている。首相も首相だが,同じ極右の政治家の一様な〈資質の悪さ〉〈知的水準の低空飛行状態〉には,救いがたいほどにひどい中身が控えている。
 〔記事本文に戻る→〕 だが,防衛省幹部は「これからどういう影響が出るのか予測がつかない」と頭を抱える。中国とは東シナ海などで偶発的な衝突を回避する「海空連絡メカニズム」の運用に向けた協議の最中であるほか,韓国とも北朝鮮のミサイル発射に備えて「軍事情報包括保護協定」(GSOMIA)を締結したばかりだ。防衛相経験者の1人はこう嘆いた。

 「せっかく積み上げてきた中国,韓国との防衛交流が止まってしまう。自分の思いより,外交のこと,その後の影響を考えなければならない」。
 

 1)蓮舫氏懸念
 民進党の蓮舫代表は29日,「日米のトップがまさに不戦の誓いをした直後なので,違ったメッセージとして米国に届かないのか。そこは少し心配している」と語った。首相が2013年に靖国神社に参拝したさい,米政府が「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動をとったことに失望している」との声明を出したことを踏まえた。訪問先の新潟県で記者団に語った。

 2)中韓,強く反発
 中国外務省は29日,「断固とした反対」を表明。北京の日本大使館の伊藤康一次席公使を呼び「厳正な申し入れ」をした。華春瑩副報道局長は定例会見で,稲田氏が安倍首相の真珠湾訪問に同行したことに触れ「昨〔29〕日は和解と寛容をいいながら,今日はA級戦犯が祭られている靖国神社に参拝する。『和解の旅』に対する大きな皮肉となった」と述べた。国防省の楊宇軍報道官も会見で「強烈な不満と断固たる反対」を表明した。


 一方,韓国外交省は「植民地侵奪と侵略戦争を美化し,戦争犯罪者を合祀(ごうし)した靖国神社に参拝したことについて,政府は慨嘆を禁じえない」とする報道官論評を発表。国防省も「深刻な憂慮と遺憾を表明する」などとするコメントを出した。(北京=延与光貞,ソウル=東岡徹)
 要するに,政治家である人間が政治家として,自分の仕事にかかる任務や使命や目的というものの真義・意味,これが便法的なものでも・利害的なものでもかまわないのだが,まったく理解できていないというか,それゆえに,日本国内でしか通用しない,内弁慶でしかない愚かな行動をたび重ねている。けっして笑止千万といって無視できるような靖国神社参拝の行為ではない。安倍晋三は配下の大臣の1人に,靖国神社に参拝にいかせれば,それでもって「戦後レジームからの脱却」がいくらかでもできたつもりでいるのか? 浅はかである。

 そもそも安倍晋三は先日,ハワイ「真珠湾」のアリゾナ記念館に出向き「米兵の戦争犠牲者」を慰霊したけれども,まさしくこの事実を契機に,自説であった「戦後レジームからの脱却」を自己実現させえない政治理念に,それも完全にまで変質せしめたのである。それもみずから進んでそのように,「あらためて,アメリカの軍門に2度も降る」意思表示をしていた。ところが,その直後に「旧大日本帝国とこの靖国神社は〈永遠に不滅です!〉」みたいな,子供じみた行動を敢行していたのが,安倍晋三君のお気に入りである稲田朋美防衛相である。

 考えてもみよ。「国を護る」という意味は本来,軍隊だけが担当する機能ではない。ふだんから政治家自身が,それ以前の仕事として包括的・総合的に,そして主体的に担当している仕事であり,任務である。政治=「内政・外交」の全容において,国家の安全保障の問題が中心に置かれているのは,あまりにも当然である。つまり,戦争が起こらないようにするため・未然に防止するために,政治(内政と外交)というものがある。

 「戦争とは他の手段をもってする政治の継続である」といったカール・フォン・クラウゼヴィッツは,そうした「戦争と政治」に密接不可分の関連性を指摘したものである。クラウゼヴィッツ『戦争論』(1819年~)は,「戦争とは政治的行為の連続体であり,この政治との関係によって戦争はその大きさや激しさが左右される」と定義・説明した。

 この「戦争と政治の相互関連性の意味」は「政治の側」から理解すれば,平和の追求・維持という国家目的につながる議論である。それにしても,すでに敗北していた旧「大日本帝国用の国家神道神社」に,21世紀のいまごろになっても,まだ「尊い命」〔とはいっても勝利してこそ初めて意味のもてるはずのこの命なのだが〕に尊崇の気持を表敬しに,靖国神社に参拝にいくというのだから,これはまことに〈奇妙奇天烈な参拝〉のための理由である。

 ②「アベノミクス⇒アホノミクス⇒どアホノミクス」のなれのはて,日銀総裁の怪気炎のかげろう-

 本日〔12月30日〕の『日本経済新聞』朝刊1面をみて,驚くよりもただ呆れかえるほかなかった。まず画像のこの記事「経済は良い方向とハッキリ言える 黒田日銀総裁」「悲観論は完全に転換」「緩和,まだまだやれる」の見出し文句に接して,絶句した。(画面 クリックで 拡大・可)
『日本経済新聞』2016年12月30日朝刊1面冒頭黒田日銀総裁記事
 陸上競技に譬えていえば,100メートル競走に出た選手が20秒かけて,みごとにどんじりで完走したといって,盛んに「威張っている」のと同じ構図である。また,この記事には「アベノミクス」のアの1字も現われていない。3年半かけてもまだ具体的にこれだといえるような,すなわち,はっきりと目にみえる効果(もちろん国民生活に関する実質的な向上・改善のこと)の挙がっていない「安倍晋三政権下での経済政策」であった。

 ただ「特定の負的な結末」だけはよく出ていた経過になっていたにもかかわらず,まだこれからも「ドアホノミクスとクロダメノミクスの二重唱」は国民に聴かせるだけの価値があると,黒田東彦が強弁している。このような,日本国におけるドタバタ劇ならぬジタバタ演技をみさせつづけられてきたのでは,仮に「オオカミ少年が本当にいた」としたら,この少年もさすがに苦笑い(大笑い?)しているはずである。

 経済学者やエコノミストでもそのアホノミクス:ダメノミクスが,アホだとかダメだとか非難されたくないのであれば,どんなにみじかくとも2年間以内にはその一定の成果をあげていなければならないといっていた。もっとも,当たりまえであれば本当は,1年ごとに関してその経済政策の成果は問われているはずであるゆえ,そうした意見は,まだおやさしく問われていたものであった。ところが,このマルデ・ダメノミクスであるアベノミクスが,これからももう少し時間ください,そうすれば「成果が挙がるかもしれない」といいわけしている。

 以上のように,安倍晋三も黒田東彦も,いうにこと欠いて身勝手ないいぶんばかりである。それに『日本経済新聞』の,この本日1面の記事構成そのものからして,非常によろしくない。この新聞社は安倍政権と日銀応援団のつもりである。つまり,安倍晋三支援のための記事作りでしかない。結局,『日本経済新聞』は,この安倍君だけが思わず顔がほころぶような紙面作りに専心している。それが『日本経済新聞』の基本的な編集方針であるかのように〔間違いなくも〕映っている。

 よく考えてみたい。この首相や総裁ははたして,庶民(国民・市民・住民)の味方なのか? 『日本経済新聞』は《第4の権力》である自社の立場を,必要以上どころか完全に「安倍晋三寄りの報道姿勢」に位置させている。以前からのことであったとはいえ,これでは「社会の木鐸」という報道機関に必要である基本理念とはまったく無縁のあり方である。

 ③「〈社説〉靖国参拝『真珠湾』は何だったか」(『朝日新聞』2016年12月30日朝刊)

 なお,この社説の引用でも,途中にだいぶ本ブログ筆者の批評が挿入されている。このことをあらかじめ断わっておきたい。なお,黒字部分が引用した記事本文である。

 --稲田防衛相が靖国神社に参拝した。きわめて残念だ。安倍首相がオバマ米大統領と真珠湾を訪ね,日米の「和解」を強調したばかりである。稲田氏も同行したこの真珠湾訪問で,日本の過去の歴史をめぐる問題は清算された。稲田氏がそう考えているとしたら,それは大きな誤りだ。
 補注)安倍晋三は配偶者は同伴させないで,防衛大臣を同行させていた。稲田は前述のとおり安倍のお気に入りで,2005年に初当選した自民党議員であるが,大臣職である。この女性議員,自衛隊の軍艦に「ヒールのある婦人履」で乗船したり,報道陣のカメラを意識してなのか(自分のおみ足:美脚に自信があるのか),刺繍模様入りの網タイ稲田朋美網タイツ姿画像ツ(パンスト)着用でのいでたちで出没したりもする大臣である。
 出所)左側画像は,http://www.sankei.com/politics/news/151213/plt1512130001-n2.html

 稲田氏は「祖国のために命を捧げた方々に敬意と追悼の意を表するのは,どの国でも理解をしていただける」と語った。戦争で命を失った肉親や友を悼むため,遺族や一般の人々が靖国で手を合わせる。そのことは,自然な営みである。
 (【断わり】 なお,以下の段落はしばらくこの社説からの引用からは離れており,再び戻るには,だいぶ後段になるので,あらかじめ留意してほしい)
 補注)この点は前段で批判したが,同じ追悼の意を表現するにしても,どのような形式,より正確にいえばどの宗教の方式でするかに関しては,「特定の宗教・宗派などをもっている人びと」にとっては重大問題である。この重大問題を専横的かつ排他的にないがしろにできるのが,靖国神社に参拝するさいの手順にも反映される宗教儀式なのである。

 国家神道は一般的かつ日本特殊的には「神道無宗教」の観点から主張されてもいるが,この主張そのものが宗教上の軋轢・紛争(ゴタゴタ)を招来する「宗教に関して間違った思考」である。宗教の問題では,みな(どの宗教も)が同じ「宗教そのものである土俵」に立っているにもかかわらず,国家神道のみが「自分たちは無宗教だ」とヘンテコな理屈をいいはっている。これは明治以来のど屁理屈とも形容すべき奇怪な宗教観である。

 以上の問題性については,「『神道は宗教ではない,日本人の倫理だ」といわれたり,「神道は祖先への尊敬の念の自然な現われだ』といわれると,たしかに納得はしてしまうのですが,論理的には脆弱な気がします」というような〈素朴な疑問〉が提示されてもいるように,宗教といっても低次のものから高次のもの,原始的なものから現代的なもの,つまり,教義すらない段階のそれからそれがはっきりある段階のそれまで,これらはすべて,それでも同じに『宗教そのものである』という見地に整理・理解しておく必要がある。

 以前,クリスチャンのある女性が,自衛隊員だった夫が事故死したのち護国神社(靖国神社の支社と解釈しておけばよい)に合祀された事実をしって,これを外してほしいと要求し,裁判を起こした出来事があった。この出来事は,教義の面では「低次の宗教」である国家神道側が「高次の宗教」であるキリスト教信者の宗教性をないがしろにしたために発生していた。国家神道も教義の問題に関連する事件を起こしたさいには,神道無宗教であるという身勝手な〈宗教的な見地〉そのものが,宗教の世界(逆にいえば世界の宗教のなか)ではまったく通用しないことを,国家神道側みずからが証明したのである。つまり「宗教は宗教である」ほかないのである。
◆ 自衛官合祀拒否訴訟 ◆

 勤務中に交通事故死した自衛官の夫が,キリスト教徒である自分の信仰に反して県護国神社に祀(まつ)られたのは,憲法が保障する信教の自由や政教分離原則に違反するとして,妻の中谷康子さんが国などを相手に慰謝料の支払いを求めて1973年1月に提訴。一審,二審は原告勝訴の判決だったが,最高裁判決は原告の訴えを退け,国の責任を全面的に否定した。(2006-06-04 朝日新聞 朝刊 山口 1 地方)
 註記)https://kotobank.jp/word/自衛官合祀拒否訴訟-883402 ( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
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註記)社会思想社,1988年発行。
 最高裁は日本の裁判所としてみるに,まったくといっていいくらいブラックそのものの「司法の最高機関」である。もっぱら国家利害側の意を体した判決しか出せないのだから,この解説文に書かれた文章はその意味あいで受けとめておく必要がある。「参拝する行為」が宗教的な行為でなくて,いったいなんであるのか。神道の場合,参拝にいけない事情があるときは「真榊を奉じる」ことになるが,その意味(宗教的であるほかないこの行為)は,いったいなにか?

  ※-1「説明1」  真榊(まさかき)とは,神事のさいに用いられる常緑樹で,鉢植えとして祭壇の前などに供える。紅白などの布で飾られることもある。靖国神社は春と秋の例大祭で,首相や閣僚らに参拝の案内状を送付しているが,安倍晋三首相は2014年4月21日からの春季例大祭に合わせ,「内閣総理大臣」名で真榊を奉納した。
 註記)『時事ドットコム』「真榊」より 2014/04/21 10:39。

  ※-2「説明2」  真榊は神前に供えるサカキの鉢植え。靖国神社に奉納できるのは,1年でもっとも重要な祭事である春と秋の例大祭のみ。安倍首相は第1次内閣の2007年も今年(2013年)も4月の春季例大祭で真榊を奉納した。
 註記)『朝日新聞』2013-08-15 朝刊1面。

 この説明2に関してさらにみると,2014年から2016年までにおいて安倍晋三は,靖国神社の春と秋の例大祭にそれぞれ「真榊を奉納」し,「参拝」はしていない。もっとも,安倍が2013年12月26日〔第2次安倍晋三政権成立後満1年の日〕午前に靖国神社を参拝したときは,アジアの中国・韓国のみならず,宗主国アメリカやEU,ロシアからも批判の声が上がっていた。そのせいがあって安倍はその後,靖国神社には参拝できなくなっていた。
アメリカ両長官千鳥ヶ淵戦没者墓苑訪問
 2013年10月3日にこういう出来事があった。アメリカのジョン・ケリー(John Kerry)国務長官とチャック・ヘーゲル(Chuck Hagel)国防長官の2人が,わざわざ日本に来て,千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪れ,献花していた。

 日本のマスコミはこれを報じないわけにもいかず,大きな記事にとりあげていた。アメリカ政府は,両長官の千鳥ヶ淵献花を “戦火を交えた両国民の和解と戦没者への敬意を示すためのもの” と見解を示しており,これは “靖国を拒否する” というアメリカ政府の明確な方針表明であった。
 出所)右側画像は,http://blog.livedoor.jp/kuroiamakitune/archives/51738871.html

 当時の『天木直人の BLoG』2013年10月04日は,この出来事を以下のように批評していた。以後,安倍晋三が靖国神社にはいかなくなり,真榊奉納でお茶を濁すことにした事由が分かるはずである。

 私が安倍首相が日米同盟になじまない首相だと思うのは,ケリー国務長官とヘーゲル国防長官がそろって千鳥が淵墓苑を訪れて顕花したことをしったからだ。これが衝撃的な外交事件だ。安倍首相はさぞかし腰を抜かしたことだろう。これは,米国が日本の戦没者を追悼する場所は,安倍首相がいうような靖国神社ではなく,千鳥が淵だといっているのである。

 米国のアーリントン墓地に相当するのは靖国ではなく千鳥ヶ淵であるといっているのである。これ以上ない米国の安倍首相に対する警告である。安倍首相は米国の国益に沿わない首相と見なされている。それにもかかわらず安倍首相はせっせと対米従属政策を進めようとしている。私が日米同盟にそぐわない首相であると思う理由がそこにある・・・。
 註記)http://www.amakiblog.com/archives/2013/10/04/


 アメリカ側の対靖国神社「観」がいかほど「正しくありうるかどうか」について,ここではあえて問わない。けれども,このアメリカの2長官が示した日本側に対する靖国神社「観」は,さきほどの話題に出ていたごとき稲田朋美の意見,「いかなる歴史観に立とうとも,いかなる敵味方であろうとも,祖国のために命を捧げた方々に対して感謝と敬意と追悼の意を表するのは,どの国でも理解をしていただけるものだと考えている」という立場に関していえば,アメリカ政府側のほうがよりまともな認識を示していた。もう一度繰り返すが,これは絶対に正しいとはいえないという留保つきの解釈ではあるが,はるかにマシだという評価である。

 戦争などによって出来した「死者の〈霊〉」(この「霊という概念」そのものが問題なっているのだが)を,靖国神社・護国神社に合祀するという「宗教的な手順・あつかい」が,宗教上の操作ではない「非宗教だ」などと主張する〔できる〕ほうが,はじめから「宗教的な行為の事実」に対する論理的な考えになっていない。そして,国家〔と地方の〕神道(⇒靖国神社と護国神社)も,「宗教じたいであるほかない」「宗教であるほかな基本の性格:立場」を,ただ目先でごまかしつつ,この根幹に控えている〈宗教的な本質〉をひたすら隠そうとしている。

 〔ここでようやく前段の『朝日新聞』社説に戻る ↓  〕 
 だが首相をはじめ政治指導者の参拝となると,その意味は異なる。靖国には,若者たちをアジアや太平洋地域の戦場に送った側のA級戦犯が合祀されているからだ。そこに政治家が参拝することに,割り切れない思いをもつ遺族もいる。中国,韓国,さらには欧米など国際社会にも,日本がかつての戦争責任から目を背けようとしているとの疑いを広げかねない。
 補注)ここでは詳細には言及できないが,A級戦犯が合祀されているからという議論は,厳密にとらえるに,靖国神社の本質や由来,意味づけを軽視する論法を導出することになるから要注意である。「勝利のためであった靖国神社」は「敗戦を境にみずから神経質にもなって排斥してきた《賊軍神社》の立場に転落しまった」のだから,いまさらA級戦犯(敗者側の代表者)が靖国神社に合祀された点だけを目立たせて指摘する議論は,片落ちの論法である。つまり,大同小異の問題でしかない。

 〔社説引用→〕  まして稲田氏は自衛隊を指揮監督する立場の防衛相である。A級戦犯が罪を問われた東京裁判には,勝者による裁きという批判もある。それでも,日本はこの裁判を受け入れ,平和国家としての一歩を踏み出したことを忘れてはならない。

 首相はかねて,日本の過去の侵略と植民地支配を認めた村山談話を疑問視してきた。3年前,靖国に参拝したさいには,中韓との関係が悪化し,オバマ政権から「近隣諸国との緊張を悪化させるような行動に失望している」と批判を浴びた。

 首相が昨〔2015〕年4月の米議会演説で「先の大戦に対する痛切な反省」や「アジア諸国民に苦しみを与えた事実」に触れ,今回,真珠湾を訪問したのは,そうした経緯を踏まえ,日本の首相としての歴史認識に変わりがないことを示すためだったはずだ。
 補注)この点がまさしく「安倍晋三の二枚舌の発露」になっている。まるで逆の理屈を平然と披瀝してきている。従軍慰安婦問題についても安倍晋三は,第1次内閣のとき2007年4月のことであったが,米ワシントン郊外のキャンプデービッドで,ブッシュ米大統領(当時)と首脳会談をおこなったさい,従軍慰安婦問題について「元慰安婦の方々に,首相として心から同情し,申しわけないという気持でいっぱいだ」と発言していた。2014年夏ころから『朝日新聞』による従軍慰安婦「誤報問題のとき,安倍晋三が朝日新聞社を攻撃する立場」は,2007年4月にアメリカで上段のように謝罪した立場を,まったく逆転させる自分の見解を示していた。否定していたのである。これは単なる食言ではなく,正真正銘の大ウソである。

〔社説引用→〕  首相が重用し続けている稲田氏の言動は,個人の行為にとどまらず,政権の意思と受け止められかねない。首相のこれまでの積み重ねを傷つけ,その真意に再び疑念を広げるだろう。稲田氏の参拝は,首相を支持する右派へのメッセージとみることもできる。

 首相の真珠湾での演説も,旧日本軍が悲惨な被害をもたらしたアジア太平洋地域への視線は希薄だった。稲田氏の参拝について首相はコメントを避けた。だがアジアを含む国際社会と真の意味での「和解」をめざすなら,稲田氏の参拝を放置してはならない。(社説引用終わり)

 この最後の指摘は,安倍晋三と稲田朋美が連携プレーをしているらしいと推察している。ほぼ妥当な観方かもしれない。どこまでも破廉恥な安倍晋三政権ご一統さまである。宗主国アメリカ様に逆らえないものの,ごく一部の箇所では反抗してみたい気持を表出したつもりなのである。

 安倍晋三たちは,みずからが率先して日本国の内側から,自分たちが「バカでいられるために必要である壁」を鋭意建設中である。そして,その壁のなかには,自分たちの思いだしたくない「過去の歴史」を塗りこんでしまい,できればであるが,ネコババ状態に封印しておきたいのである。しかし,いまは江戸時代ではあるまい。

 それが,安倍晋三とその一族郎党による日本政治の実情である。この政権のいっていること,やっていることは「1世紀半以上も周回遅れになっている」ごとき「内政と外交の展開」だと受けとるほかない。結局,安倍流に「傲慢と幼稚・暗愚と無知・欺瞞と粗暴」であるほかない「悪政のきわみ」である。