【自分の改憲に関する考え方は『読売新聞』を読んでほしいなどと,のたもうている,それも「日本を亡国させる首相」流に,ひどく見当違いの『手前勝手』】


 ① 2017年5月8日「衆院予算委員会で〈首相〉と〈党総裁〉の立場をご都合主義で使い分けた」安倍晋三君の問題

 本日〔2017年5月9日〕『朝日新聞』朝刊3面の冒頭記事の見出しは「改憲案の説明、国会で避ける首相 党総裁と立場使い分け」(二階堂勇・岩尾真宏執筆)であった。ここでは,この記事の全文は引用しないで,つぎの部分だけを紹介する。
   「安倍晋三首相は〔5月〕8日,みずからの憲法改正案を表明して以降,初めて公の場に立った。衆院予算委員会では『首相』と『党総裁』の立場を使い分け,批判を避けたり,秋波を送ったり。党役員会では改憲議論の加速を指示したが,足元からは批判の声も上がっている」。

  「民進党の」「長妻〔昭〕氏は,自民党が野党時代にまとめた改憲草案をめぐり,首相と論戦した過去を振り返り『相当こみいった議論をした」と食い下がったが,首相は『この場に,自民党総裁として立っているのではない』と述べるにとどめた」。
2017年5月8日衆議院予算員会質疑長妻昭質疑
出所)https://youtubejoy.com/watch?v=6eO3PX4TbMo

 「さらに首相は『自民党総裁としての考え方は,相当詳しく読売新聞に書いてある。ぜひ熟読して頂いてもいい』。委員会室は騒然とし,浜田靖一委員長(自民)が首相に『一部新聞社の件等々あったが,この場では不適切なので,今後気をつけて頂きたい』と注意する一幕もあった。

 長妻氏は予算委後,記者団に『総裁の立場でも結構なので,一定の範囲は答弁していただきたい。ちょっと限度を超している』と首相の姿勢を批判した」。「ただ首相は,『改憲勢力』と位置づける日本維新の会の丸山穂高氏に対しては,答弁姿勢を変えた」。
 以上に引照した国会衆議院予算委員会の様子・場面は,本ブログ筆者も,当日夜のテレビニュースで観た。そのとき「委員会室は騒然とし,浜田靖一委員長(自民)が首相に」「注意する一幕もあった」。 “きわめて異様なこと” を平然と口にできる安倍晋三の態度は,そのニュースのなかでの雰囲気とともに,正直に撮しだされていた。

 なかんずく,安倍晋三という「首相」自身の「自民党総裁としての考え方」は「読売新聞に書いてある」ので,そちらを「熟読していただいてもいい」という表現は,よく考えるまでもなく即座に「相当に傲岸不遜である」と批判されて当然である。だいたいなぜ,『読売新聞』に書いているそれ(インタビュー記事)を,わざわざ他者が読む必要があるのか余計な指示(お世話)である。そもそも読売新聞社は安倍晋三「御用新聞」を発行しているだから,その程度の内容であるならば,自民党機関紙『自由民主』に書いておけばよい。読売新聞社もまた,この社であるが……。

 以上のような安倍晋三の発言について『日本経済新聞』本日朝刊(4面「政治)は,見出しを「メッセージは党総裁,この場では総理大臣」 首相,立場使い分け 改憲質疑の深入り回避」として,つぎのように論及していた。
   安倍晋三首相(自民党総裁)は〔5月〕8日の衆院予算委員会で,憲法改正をめぐる民進党からの質問に「党総裁」と「首相」の立場を使い分け,踏みこんだ発言を回避した。民進党の長妻 昭氏は,首相が2020年の新憲法施行をめざす方針を読売新聞のインタビューや改憲派の集会のメッセージで先に表明したことを問題視。「なぜ国会でいわないのか」と迫った。

 首相は「メッセージは『自民党総裁』として話した。この場では『内閣総理大臣』としての答弁に限定している」と釈明。さらに「党総裁としての考え方は詳しく読売新聞に書いてある。ぜひそれを熟読していただきたい」と語った。野党側は「『新聞を読め』というのか」と反発し,一時騒然とした。
 この反発は当然に自然である。国会における議論とは直接に関係づけられない材料を,それも委員会での質疑応答のなかにいきなりもちこんでいた。たとえていえば,芸能人が出演した番組のなかで突然,〔許されてもいないのにこの番組中で〕最近自分が出版した本を宣伝する行為に似ている。

 以上,この ① の内容については本記述を公表後に読んだ『天木直人の BLoG』の指摘(批判)を引用しておく。
★ 安倍首相になめられ切ったメディア ★
=『天木直人の BLoG』2017-05-09 =

   そしてメディアだ。今日5月9日の毎日新聞が社説で書いた。安倍首相は「総裁としての考えは読売新聞を熟読していただきたい」と突き放した。驚いたと。驚いている場合か。こんな重要な発言を読売新聞だけににスクープインタビューさせて,それを読めと国会で答弁されて,驚くしかないのか。

 他のメディアは読売新聞のことすら触れていない。かつてのメディアなら結束して首相に抗議し,首相は即刻わびを入れたはずだ。安倍首相に一番舐められているのはメディアだ。安倍首相の完全な支配下にある。
 註記)http://kenpo9.com/archives/1418

 --また,本日(2017年5月9日)の『LETERA-本と雑誌の知を再発見-』に掲載の記事として,「安倍首相が国会質疑で『俺の改憲の考え方を知りたいなら読売のインタビュー読め』エスカレートする憲法違反と傲慢  」があった。
 註記)http://lite-ra.com/2017/05/post-3143.html

 「傲慢と幼稚」の世襲3代目の政治家の言動は,単なる破廉恥を超えて「厚顔無恥の最上階」にまで到達している。
 ② 安倍晋三インタビュー記事-『読売新聞』2017年5月3日

 この『読売新聞』に掲載されていた「安倍晋三関係の記事」とは,2017年5月3日の同紙朝刊1面冒頭記事として掲載された「安倍晋三のインタビュー記事」のことであった。
◆ 憲法改正は2020年施行目標,9条に自衛隊…首相 ◆
=『読売新聞』2017年5月3日朝刊 =


 安倍首相(自民党総裁)は,〔5月〕3日で施行70周年を迎える憲法をテーマに読売新聞のインタビューに応じ,党総裁として憲法改正を実現し,2020年の施行をめざす方針を表明した。
        『日本経済新聞』2017年5月9日朝刊4面第9条問題
 改正項目については,戦争放棄などを定めた現行の9条1項,2項を維持したうえで,憲法に規定がない自衛隊に関する条文を追加することを最優先させる意向を示した。自民党で具体的な改正案の検討を急ぐ考えも明らかにした。
 憲法第9条に新しく3項目として「自衛隊条項」を付加するという奇策については,識者からすでに批判が提示されている。在日米軍に対しては『二重構造的な軍事同盟体制(対米従属としての上下関係)』の間柄に置かれているのが「日本国の防衛省自衛隊3軍の立場」であった。

 だがこの両軍の相互関係は,第9条における「本来の憲法的な意義」を攪乱しつづけてきた根本要因であった。つまり「そのもと:元占領軍=いま:在日米軍」の軍事的な利害・立場からみれば,いいかえると,その本来的な意味づけからすれば,自衛隊3軍は邪魔者でしかありえない。そこで,最近になってあらためてだが,邪魔者あつかいされないように関係の法律を調整しなおしたのが,2016年3月に施行された「安保関連法」であった。これによって,米軍の下請け部隊としての自衛隊の位置づけがより明解になった。在日米軍のフンドシ担ぎ部隊たるゆえんがより正直に表現されたのである。

 敗戦後においてまだ日本が占領されていた時期,1950年8月に創設された「警察予備隊」〔その後の自衛隊3軍〕の歴史的な素性を再考してみたい。一方において在日米軍が存在しつづけるかぎり,他方において,自衛隊に固有である自家撞着性は解消できない困難を意味しつづけてきた。この点は『砂川判決』(1959年12月)以来のいまもなお難点でありつづけてきたし,いまだに払拭はできていない課題となっている。換言すれば,以上のごとき事実は「日本国憲法の第1条から第8条の存在意義」に見合った「第9条」側における,いうなれば「実質的な破綻の問題」の存在を指している。

 ところが,安倍晋三風の改憲案は,第9条のなかに自衛隊3軍の規定を新たにもちこむ方法でもって「正式に3項目として表現するかたち」にしておけば,この自衛隊の存在を明確に位置づけられるというのだから,話はややこしくなっている。もとは,第1条から第8条までの相手方である第9条の中身は,在日米軍だけで十分であったはずである。それでこそ「第2章 戦争の放棄」〔戦争の放棄と戦力及び交戦権の否認〕が規定していた「その第9条」の2項目も生かされるという相互の関係にあったはずでもある。

 だが,最近になって,この第9条の問題がやたら議論の的にされたのは,自衛隊3軍をめぐる憲法問題がもともと〈自家撞着の因子〉を不可避にかかえこんできた事情があったからである。そこで,第9条のなかにさらにくわえる3項目として,「自衛隊の存在を認める」条項を入れるという便法が提示された。しかし,それは結局,「第9条全体の骨抜き操作」を意味する。

 安倍晋三の考えに即していえば,いままでにおける在日米軍と自衛隊3軍との歴史本質的な意味関連は,まともに詮議されていない。憲法第9条に3項目として自衛隊の条項をただ押しこんでおけばいい,この操作でいけば,1項目と2項目は実質面で窒息死させうる。そういった思考方式である。

 しかし,そのやり方では,1950年8月以来に発生させられていた,この日本国「憲法の醜悪さ=根本矛盾」が払拭されえないどころか,いままで67年も経過させてきたその根本矛盾が,さらに「新しい矛盾」の次元にまで深めていくだけの愚挙となる点を意味している。これでは,「第1条から第8条の存在意義」のほうも同時併行的に,ますます空洞化させられざるをえない。

 ここで話題を,2017年5月3日の『読売新聞』に掲載された安倍晋三首相インタビュー記事に戻すとするが,たとえばネットサイトニュース『J-CAST ニュース』(2017/5/ 3 13:47)は,こう報じていた。
★ 憲法改正2020年「施行」めざす
安倍首相,読売インタビューで明言 ★

 日本国憲法施行から70周年を迎えた2017年5月3日。読売新聞(東京本社最終版)は朝刊1面のトップ項目に「憲法改正20年施行目標」の見出しで,安倍晋三首相のインタビューを掲載した。

 ここで安倍首相は,東京五輪・パラリンピックがおこなわれる20年を目標に,憲法9条に自衛隊の根拠規定を設けるなどの改正をおこないたいとの考えを示した。具体的な改正内容や時期を明言したことで,改正に向けた具体的な議論が加速しそうだ。
 註記)https://www.j-cast.com/2017/05/03297160.html?p=all
 以上の記述内容において核心の論点はなにか。安倍晋三が国会における野党議員とのやりとりのなかで,自民党総裁としての憲法「改悪」に関する自分の見解については『読売新聞』を読んでくれといった。この発言は,政治家としてきわめて傲岸不遜であるだけでなく,一国首相としては見当違いの発想になってもいた。自民党総裁と日本国総理大臣とは「別の地位や役割にある」といったところで,同一の人物である安倍晋三が自身で使い分けている,と断わっているだけの話であった。

 ③ 読売新聞社「憲法改悪試案」

 いずれにせよ,読売新聞社のほうも問題があり過ぎる。読売新聞社は以前から独自の憲法改定草案(正式名『読売憲法改正試案』)を,1994年,2000年,2004年の3回にわたり,発表してきた。その読売憲法改正試案の全文は,つぎにそのリンク先を案内しておく。 補注)リンク先 ⇒ https://info.yomiuri.co.jp/media/yomiuri/feature/kaiseishian.html

 新聞社自身が憲法改定草案を準備して悪いことはなにもない。ところが,これまでにおける安倍晋三政権とこの読売新聞社の関係は,政権と言論機関としてみるに,相互の緊張感がゼロである間柄にあった。というのは,識者(憲法学者の圧倒的な大部分)にいわせれば「改悪」にしかなりえない草案(試案)を,この新聞社は提示していたからである。安倍晋三が2度目の総理大臣として登場してからは,明治帝政時代の大日本帝国憲法が好ましい・恋しいとする「旧態依然の立場・思想」を明らかにしてきた。つまり,封建遺制的な政治思想を根柢に置いた「改悪」案しか,彼の発想のなかにはありえない。

正力松太郎画像 読売新聞社にはかつて,敗戦後の日本に原発を積極的に導入させる役目をはたしていた社主正力松太郎がいたり,このごろは体制派べったりの体質を原形質として有している。だが,21世紀のいまとなってあらためて回顧してみるに,この新聞社の原点である体質は,遠慮なくこう批判されてよい。率直にいえば,とうとう完全に近いところまで「はしたない:品性のない新聞社」にまでなりさがっていると。
 出所)画像は正力松太郎,http://be-here-now.cocolog-nifty.com/blog/2015/09/post-8d38.html

 2014年夏から安倍晋三が大騒ぎしだした従軍慰安婦問題においては,読売新聞社がいかに悪のりして,この首相に対する支援活動を実行してきたか,いまとなっては恥さらしの次元に属する始末になっている。その結果をいえば,『朝日新聞』は若干%の購読者を失っていたけれども,『読売新聞』のほうも朝日以上の%に購読者を失っていたのだから,そのみっとなさは通常の神経ではこらえきれない。

 ともかく,日本の大衆次元における衆議の世論を指導しえているつもりの新聞紙を,読売新聞社は発行してきたが,世の中を間違える方向性に牽引する力だけは,たしかにもちあわせている。

 憲法「改悪」案についていえば,安倍晋三政権が提示している草案が,なかでももっとも程度が悪いことでは定評がある。けれども,アメリカが敗戦後の日本に押しつけてくれた民主憲法,ただし天皇・天皇制という封建制度は背負わせたままのそれが,昨今に準備されている読売新聞社の試案や安倍晋三政権の草案よりは「まだマシでありつづけている」。この現状が意味するのは,いまだにこの国における「民主主義の発達状態」が未熟であるか停滞気味である事実である。それにしても,摩訶不思議な現象である。

桐生悠々表紙 ④ 桐生悠々『畜生道の地球』1952年の含意

 本ブログ筆者がときどき話題にしてきた桐生悠々は,昭和8〔1933〕年8月に大日本帝国軍が実施した「関東防空大演習を嗤う」ための社説を書いたがために,勤務していた信濃毎日新聞を追われた。だが,悠々の主張したことがらは完璧といっていいほど,その後12年が経ったときに実証されていた。
 補注)桐生悠々『畜生道の地球』中央公論社,1989年10月10日。この底本の親本は『畜生道の地球』三啓社,1952年7月であった。なお『信濃毎日新聞』の原「社説」の執筆は1933年8月11日。

 本ブログにおける先日の記述が,桐生悠々が当時執筆したその社説を紹介したのは,最近の「北朝鮮によるミサイル発射の問題」に関連もする話題があったからである。専門家にいわせるまでもなく,有効にかつ的確に撃ち落とせるどうかすら不明であるその「ミサイル襲来に対抗する戦術的な問題」についていえば,日本の国土に本当に落下(狙って落とせばなおさらであるが)させるときは,北朝鮮は自国を滅亡させる覚悟が必要となる。にもかかわらず,そのミサイルが日本の国土に落ちてくる確率など,万万が一でもないような事態のなかで安倍晋三などは,あたかもいますぐにでもそうした緊急事が発生するかのように意図して盛んに騒ぎ立てていた。

 なぜ,そこまでオオカミ少年のように安倍晋三は空騒ぎをしたがるのか? それは,本日の話題「憲法改悪」問題を意識しているせいであった。はたまた,例の森友学園の小学校新設申請「国有地払い下げ問題」によって,自分の責任が追及される事態に対する世間の目線を少しでもそらしておくためであった。

 はたして,天皇・天皇制を根源からいじらないでおく憲法の「改定」が,本当の意味でその「改正」になりうるのか? その点は,憲法学者の小林 節ですら回避する論点である。小林よしのりであれば,本ブログ筆者のこのような指摘(批判)については「湯気を立てて怒りそうな」話題でもある。

 あるいはまた,この天皇条項「第1条から第8条」をとりあげて,なにやかや言及することじたいに関して,なかでもこの条項を除去する場合も考慮する必要もあるといった発想になると,当初からご法度(禁忌)であるかのように囚われている識者が多い。天皇・天皇制問題に対する議論に関しては,自由な「発言が禁止される」ごとき秘域があると認めている識者は,まともな学究や知識人,言論人の立場にあるとはいえない。いいかえれば,彼らには日本国の憲法問題を語れる資格はないというほかあるまい。この点はそれでも,あくまで常識的に考えての指摘である。

 ④ 安倍晋三の政治がいまもなお,この日本の政治・経済・社会・伝統・文化を溶融させ瓦解させている現実を説明する諸文献

 以下にズラズラと並べて紹介する関連の諸文献は,アマゾンの広告絵を利用している。この広告には「発行所が記入されていない」点が難であるが,出版社をみてから「興味をもつ・もたない」とか「買う・買わないとかの問題」ではないと考え,このように利用することにしてみた。興味のある文献についてはさらに,各自が調査することを期待しておく。

---------------------------