【『週刊朝日』2017年9月15日号(本日〔9月5日〕)の目次には「仮面を脱いだ小池百合子に大ブーイング」なる見出しが出ていた】

 【結論,小池百合子は安倍晋三の女性版である】


 ① 小池百合子都知事,政治家として隠せない「本当の姿」


 本日の新聞紙などに広告が出されていた『週刊朝日』2017年9月15日号の記事「仮面を脱いだ小池百合子に大ブーイング」は, “AERA.dot” にその紹介版が出ているのだが,今日のいまの時点では,まだのぞくことができない。興味のある人は,週刊誌のほうは本日発売になっていたので,コンビニ店頭で求めて買って読むのもよしだし,買わなくとも立ち読みはできる。

 それはともかく,小池が東京都知事選(2016年7月31日投開票日)で当選していたけれども,そのとき石原慎太郎(83歳,当時)がお得意の悪口雑言を彼女に向けて放っていた。「元防衛相の小池百合子氏(64歳,当時)」を,いわく「大年増の厚化粧」と攻撃・罵倒した。
石原慎太郎と小池百合子画像
  出所)https://blogs.yahoo.co.jp/watch_compass/GALLERY/show_image.html?id=14688395&no=1

 石原の側に強く非難されるべき姿勢があった点はいうまでもない。しかし,問題は,小池の側において「彼女個人の女性としての化粧の厚さ:濃さ」などのことよりも,都民ファーストという彼女が率いる都議会政党が大いに話題になっていた。この党の運営ぶりを観察していると,いうなれば「民主主義のあり方」の基本そのものが,わざわざ小池百合子流に “要らぬ「厚化粧」” をさせられているせいで,ひどく機能不全になっている。

 本日〔2017年9月5日〕の『日本経済新聞』朝刊「社説」は,小池百合子都知事の私有物みたいな都議会政党「都民ファースト」に対して,つぎのような苦言を提示していた。
◆ これで都民ファーストなのか ◆

 事前に予想されたとおりの困った状況になっている。開会中の東京都議会についてだ。築地市場の豊洲への移転問題で,都は豊洲に追加工事をする費用などを盛りこんだ補正予算案をまとめ,都議会に提出した。〔9月〕5日の本会議で可決される見通しだ。土壌汚染に対する都民の不安を払拭するためにも追加的な対策は必要だ。そのうえで,早期に豊洲に市場を移さないと,築地市場の跡地を東京五輪に備えた輸送拠点として活用できない。この点で補正予算そのものは妥当だろう。

 問題は都議選の結果,最大会派になった都民ファーストの会の姿勢である。議会での質疑では小池百合子知事の主張をなぞったうえで,「高く評価する」などと繰り返す場面が目立った。知事が示した方向性は正しいとしても,築地を具体的にどう再開発するのかなど,知事にただすべき点はたくさんあった。築地再開発が豊洲で予定されている商業施設にどんな影響を及ぼすのかについても,もっと聞きたかった。

 小池知事が都議選の直前にまとめた今回の方針の決定過程も不透明だ。知事が外部の顧問と相談して決めたといわれているが,その記録は文書で残っていない。知事がかかげる「都政の見える化」に明らかに逆行している。こうした点を事実上棚上げして,「知事を評価する」といわれてもとうてい納得できない。

 地方政治は国政とは異なり,首長と議員がそれぞれ住民から直接選ばれる二元代表制になっている。与野党にかかわらず,知事に対して是々非々で臨み,監視機能を果たさなければ,議員の存在意義はないに等しい。都民フは所属している議員に対する取材を制限していたこともある。新人議員が多いためのようだが,これにも違和感があった。知事の顔色をうかがいながら,差し障りのない質問を議場で繰り返すことが「都民ファースト」なのか。これでは「小池ファースト」にすぎないだろう。(引用終わり)
 この日経「社説」は,小池百合子都知事の都議会政党「都民ファースト」が独裁的に締めつけられた運営体制にあると指摘した。この理解は正当である。ただし,日本国会においては2012年12月26日に安倍晋三内閣が政権に復帰してから,こちらもやはり圧倒的な議員勢力を背景に国政を牛耳ってきたが,これに似た流儀をもって小池も,都議会における自党の運営をやりはじめている。

 いずれにせよ,急ごしらえの新米都議会議員が多いといった事情があって,まるで大政翼賛会風しか行動することをしらない「都民ファースト」所属の都議たちが,小池が思い・いうとおりの発言・発想しかできていない(許されていない)としたら,問題があり過ぎる。

 またその社説は,小池都知事側における文書管理(情報公開にも備える問題)が,この知事の約束とは異なり「都政の見える化」に明らかに逆行していて,事実的に棚上げした状態のままであり,「知事を評価する」ことはできないとも批判している。

 小池百合子都知事の誕生はいかにも,それまでの陋習にとらわれた都議会に刷新の風を送りこむかのように期待されたが,実際にこの新知事が誕生し,都政が運営されだすと,前述のように国政における「安倍1強(狂・凶)政治」と瓜二つでもあるかのような態勢をもって進行しだしている。小池の政治家として本性(本質・資質)は,なにもいまに始まった容貌ではなく,以前から彼女に固有の特性として蓄えられていたそれであった。

 ② 第1次安倍晋三政権下,防衛大臣を務めた小池百合子の演技(performance)など

 1)  小池百合子「備忘録」
 「小池百合子,防衛大臣としての2ヶ月」(『わたしたちの社会-限りなくワイドショー的なニュース保管所-』2007.08.28)という記述があった。これは2007年7月と8月中,安倍晋三が初めて首相を務めていた時期(第90代内閣総理大臣,在任期間 2006年9月26日~2007年9月26日)であったが,小池自身が急展開させていった出来事であった。

 ここでは,前段の記事をくわしく引照するとだいぶ長くなるので,項目の見出しだけを中心に紹介するが,2項目についてのみは,本文の段落も多少引用しておく。これによっておおよその全体的な様子,つまり,小池百合子の個性の様相や演技の仕方がかいまみえるはずである。

  イ)  小池防衛相が初登庁,2度のお色直し(2007年7月5日)。

  ロ)  防衛省大バトル! 小池氏「私は間違えていない」(2007年8月16日)。これは防衛次官人事問題をめぐるバトルであった。
 〈引用〉⇒ 小池防衛相が守屋〔武昌〕次官を2007年9月1日付で退任させ,後任に警察庁出身の西川官房長を充てる人事方針を決断。今〔8月〕月6日に安倍首相にこの方針を伝え,7日に報じられた。守屋氏は事前にしらされていなかったことや,警察庁出身者が後任であることに強く反発。西川氏に「恥をしれ」などと怒鳴りつけた。

 防衛省庁幹部人事は,正副官房長官の人事検討会議を経て決定するのが慣例で,手続を無視されたかたちの塩崎官房長官も小池氏に不快感をあらわに。〔2007年8月〕13日には小池氏と守屋氏が代わる代わる首相官邸を訪れ,安倍首相や塩崎氏と会談する事態に。14日に小池氏と守屋氏が会談したが物別れとなっていた。小池氏は15日の閣議での決定をめざしたが,内閣改造後に先送りされた。

 「改造内閣 留任濃厚で強気?」。 小池百合子防衛相(55歳,当時)が防衛省の事務次官人事をめぐり,ブチ切れ状態だ。トラブルとなっている次官交代人事構想について15日,「私はなんら手順的に間違えていない」などと強く正当性を強調した。防衛省を “戦場” とした大バトルは,小池氏留任が確実視された内閣改造に影響を及ぼす可能性も浮上。5年前に次官との対立でクビになった当時の田中真紀子外相(63歳,当時)の二の舞になるのか?

 2年前の郵政解散総選挙で「刺客第1号」となった “ケンカ上手” の小池防衛相。今回は防衛次官と塩崎恭久官房長官(56歳,当時)を相手に超強気の大バトルを展開中だ。
  ハ)  小池百合子大臣 “防衛省の天皇” を突然クビにした裏に… (『ゲンダイネット』)。背広組トップの突然の退任劇に防衛省内は騒然だ(2007年8月9日)。

  ニ)  安倍ついに小池切り…防衛次官人事混乱,手腕見限った(『夕刊フジ』2007年8月20日)。

  ホ)  小池防衛相「辞める」と明言=内閣改造を機に(2007年8月25日)。

  ヘ)  マダム寿司は外相,環境相に食指?(2007年8月26日付,某紙面記事)。

  ト)  小池前防衛相「アイ・シャル・リターン」と涙浮かべる(2007年8月27日)。

  チ)「女子の本懐」も未練チラリ 小池前防衛相が退任会見 (『Sankeiweb』2007年8月27日)。

  リ)  小池・元防衛相が「暴露本」守屋氏との暗闘,赤裸々に(2007年10月19日)。
 〈引用〉⇒ 自民党の小池百合子元防衛相が,人事をめぐる守屋武昌・前防衛事務次官との確執の内幕を記した『女子の本懐~市ケ谷の55日』(文春新書)を出版した。小池氏は失言で辞任した久間元防衛相の後任として7月に就任し,8月末まで女性初の防衛閣僚を務めた。守屋氏については「官邸を自由に泳ぎ回り,私の人事案阻止を訴えていた」とし,「これでは『ひとり二・二六』」と厳しく批判している。

 著作のなかで小池氏は,守屋氏に次官を退いて同省顧問に就くよう勧めたさい,「顧問では生活できない」と拒否されたことも紹介。「女性の新参大臣は赤子の手をひねるようなものだと考えたのだろうか」と振り返った。安倍前首相や塩崎恭久元官房長官とのやりとりも描いた。

 小池氏が辞表を示して人事案を決定するよう迫ると,安倍氏は「悲しそうな顔」をして「辞めるなんていわないでください。お願いだから」と慰留したという。安倍氏の辞任劇については「参院選惨敗後も続く不祥事,四方八方から矢が飛んでくるうえ,私まで安倍総理に心配をかけてしまったかと思うと申しわけなく思う」と反省をつづった。
 註記)以上本文も,http://63boy.jugem.jp/?eid=10
 小池百合子はこのように,わずか2ヶ月にも満たないで防衛大臣の職務に就いていた期間に,獅子奮迅の大立ちまわりをやっていたかのようにも映る役者ぶりであった。守屋武昌とかわした「武闘の模様」については,関連の著書もあるので興味のある人は,それを読んでみるのも一興かもしれない。
  守屋武昌画像9 小池百合子画像7
   出所)右側画像は守屋武昌,http://blog.goo.ne.jp/hhh1010/e/c28d26b9c42695eabf28c6820246de3d
   出所)
左側画像は小池百合子,http://www.huffingtonpost.jp/2016/09/30/tokyo-olympic_n_12260814.html

 しかし,防衛大臣のときの小池が,本ブログが数日前に論及したように「ことばを濁して」,関東大震災関東大震災における朝鮮人虐殺事件を認めたくないようなそぶりを,四の五のいいながらしていた事実はみのがせない。

 小池百合子は,関東大震災関東大震災における朝鮮人の虐殺数に見解の相違が残る点を “手がかり:理由” にして,例年,都知事が慰霊式典に送ってきた追悼文を2017年にはとりやめにしていた。

 その場合,「歴史の事件」における数量(被虐殺者数)そのものの問題に異常にこだわる体裁でもって,質量(大震災時における異民族虐殺事件)そのものの問題の淵源していた「日本帝国主義史に固有の問題」(民族差別・偏見)を,真っ向から否定したがるような「政治家の基本姿勢」は要注意である。

 小池百合子のそうした基本姿勢は,関東大震災における朝鮮人虐殺事件の史実じたいを否定しようとする,つまり「歴史の事実」に対しては「完全に間違えた・倒錯した見解」に与する立場・思想をも,同時に意味している。

 要は「自分が認めたくない歴史の出来事」なのだから,それは「けっしてなかった」といいはるだけの,つまり「歴史の事実」から勝手に離れられたつもりで,すなわち,その事実には「目をつむっていたい態度」,さらにはそうしている「この態度」さえも忘れていたい〈エセ歴史観〉が,関東大震災時に発生した「朝鮮人虐殺事件」問題に対する日本人・日本民族側には,まだ根深く控えている。

 2)  朝鮮近代史-1923年9月1日「関東大震災」をはさんで,日本帝国主義関連での主な出来事を概観する-

  1897年 大韓帝国の設立,内外に自主国家であることを宣言
  1904年 韓日議定書締結,日本による顧問政治始まる 第1次日韓協約締結
  1905年 第2次日韓協約(乙巳条約),日本の強制的な保護条約
  1906年 統監府設置,日本人次官が韓国内政全般をとりしきる
  1907年 ハーグ特使派遣,日本との条約無効を国内外に宣言しようとしたが失敗,
       朝鮮軍隊解散,日本は保安法・新聞紙法などの弾圧法規により啓蒙運動を圧迫

  1908年 義兵ソウル近郊まて進行,日本軍の反撃で撤退。
  1909年 日本,安奉線の鉄道敷設権を手に入れるため,清と間島を交換,安 重根が
       ハルピン駅で伊藤博文射殺,翌年旅順で処刑
  1910年 韓日合併条約調印,国権被奪,会社令発令.朝鮮人会社の設立を抑制
  1911年 日帝による総督暗殺事件でっちあげにより新民会員105人逮捕
  1912年 土地調査事業開始(~1918年)多くの農民が土地を奪われる

  1914年 沿海州ウラジオストックに大韓光復軍政府樹立
  1919年 高宗死去,「3・1運動」挙族的な万歳示威運動,全国に波及,上海に
       大韓民国臨時政府樹立
  1920年  「朝鮮日報」,「東亜日報」創刊,3・1運動で活動した「朝鮮のジャンヌ
      ダルク」柳 寛順16歳で獄死,金 佐鎮の独立軍,満州の青山里で日本軍に
      勝利

      ※ 1923〔大正12〕年9月1日,関東大震災発生

  1924年 社会主義思想流入による青年運動の分裂収拾のため朝鮮青年総同盟結成,
       京城帝国大学創立
  1927年 民族主義陣営と社会主義陣営が統合し新幹会組織,民族唯一党運動推進,
       京城放送局がラジオ放送開始
  1929年 日本人学生が韓国人女性を愚弄した事件をきっかけに光州学生抗日運動
       起こる
  1932年 李 奉昌義挙,日本・東京の桜田門で天皇暗殺未遂
       尹 奉吉義挙,上海虹口公園での投弾テロ
  1933年 朝鮮語学会,ハングル綴字法統一案制定

  1934年 震檀学会組織,日本人御用学者の韓国学に反発,震檀学報発刊
  1936年 孫 基禎,ベルリンオリンピック大会マラソン優勝,日章旗抹消事件
        孫 基禎日章旗抹消画像
  1938年 朝鮮教育令改正,ハングル教育禁止
  1939年 国民徴用令実施,強制連行はじまる
  1939年 創氏改名公布,死をもって抵抗する者あり

  1940年 民族抹殺政策強化,皇民化教育の強化,大韓民国臨時政府,重慶で韓国
       光復軍結成
  1942年 朝鮮での徴兵制実施,朝鮮語学会事件,独立運動団体とみなされ,逮捕・
       投獄・解散させられる

  1945年 8・15光復,日本の降伏により植民地支配から解放
     註記)以上は「朝鮮・韓国史年表」,
      http://maruma.no.coocan.jp/korea/nenpyou.html
      から抜粋・摘記。誤字は補正した。
   出所)途中の画像は,
https://blogs.yahoo.co.jp/candy211jp30000/69458327.html

 この朝鮮近代史においては,関東大震災が発生した数年前の出来事,とくに1919年の「3・1独立運動」が日本側(日本人・民族)に大きな負的影響をもたらしていた国民精神的な事実に留意したい。日帝の植民地になっていた朝鮮人が抵抗運動(非暴力)を実践した「歴史の事実」は,日本人にとっては「ある意味での非常な恐怖感」を惹起させる事件であった。

 その恐怖感の裏返しが実は,関東大震災直後における朝鮮人などの虐殺事件を起こさせていた背景というよりは,間違いなく真因であった。朝鮮人が「井戸に毒を入れた」とか「殺人行為を犯している」とか「火つけをしている」とか「徒党を組んで乱暴狼藉を働いている」といったふうな事実無根,当時に発生させられていた流言蜚語は,そのおおもとの情報源が日本政府関係当局でなければ,けっして急速には流布させえない情報そのものであった。

 当時のマスコミはラジオもまだ普及していない時代であり,新聞紙が中心であったが,この新聞じたいがそのフェイク(虚偽)の情報を盛んにばらまいてもいたのだから,これでは処置なしともいえた当時の状況,つまり「朝鮮人暴徒説」があたかも真実・事実であるかのように「流言蜚語」として大拡散され,堂々とまかりとおっていた。

 21世紀のいまになっても,大正時代において関東大震災関連に関して報道された「間違った記事」をそのまま「真に受けて」しまい,けっして日本人に朝鮮人が虐殺されていたのではなくて,日本人がさきに朝鮮人に虐殺されていて,などといったトンデモ説が新しく再生産されている。だから,日本人側が朝鮮人を正当防衛的に殺してしまったのだ(それも何千何百人も)というような,おおよそ「歴史の事実」とは無縁であるどころか,完全にデッチ上げの「日本人被害者説」までがネット空間にはまかりとおっている。

 歴史の理解に関するそうした根本的な誤謬は,関東大震災に関するまともな解説書や学術的な研究書を1冊でものぞけば,すぐに分かり訂正しうる程度のものでしかない。ところが,ネトウヨ的な理解水準(知的レベル)は,「朝鮮人加害者説+日本人被害者説」が正しいのだといいはっている。しかも,オダを盛んに挙げるかのようにして語られてもいる。歴史の事実に無知だとか縁遠いとかいった言説以前のデタラメそのものである。

 ということであれば,ここまで記述を踏まえたところで,小池百合子都知事があいまいにしたまま,なるべく明示しようとしていない「彼女自身における歴史認識の基本的な問題性」を,なおさらのこときびしく再問する余地が生まれる。

 ③「〈いちからわかる!〉関東大震災の時,朝鮮人が殺されたの?」(『朝日新聞』2017年9月1日朝刊2面)
『朝日新聞』2017年9月1日朝刊関東大震災いちからわかる

   ◆「放火した」などのデマが広がり,多くの人が襲われた ◆

 アウルさん  かつて首都圏で大地震があったよね。

   1923〔大正12〕年の9月1日正午前に,相模湾周辺を震源に発生した関東大震災だ。各地で火災が起き,政府がまとめた報告書によると,約10万5千人が死亡したんだ。

   震災が起きたあと,殺された人もいたんだって?

   朝鮮人が「略奪や放火をした」「井戸に毒を入れた」というデマが広がり,各地でできた「自警団」が朝鮮人を殺す事件が多発した。報告書には「武器をもった多数者が非武装の少数者に暴行をくわえ殺害する,虐殺という表現が妥当する例が多かった」とある。政府の文書には,軍や警察による朝鮮人殺傷があったとの記述もあるんだ。

   デマはこわい。

   東京中心部が焼失して通信がとだえ,新聞も出せなくなった。当時はテレビもないしね。情報不足や混乱でうわさが広がり,地方紙などで確認が不十分のまま報道されたんだ。

   何人殺されたの?

   正確な数はわからない。報告書によると,千~数千人とみられる。当時の司法省の調査では,朝鮮人を殺傷したとして立件された事件は53件,犠牲者は233人だった。朝鮮人と誤認された日本人や中国人が殺傷された事件も50件,犠牲者は61人となっている。

   忘れちゃだめだね。

   1973年に東京都墨田区に朝鮮人犠牲者追悼碑が建てられ,毎年9月1日に追悼式がある。歴代の都知事が追悼文を送り,小池百合子知事も昨〔2016〕年は送った。ところが,今〔2017〕年は「犠牲となられたすべての方々への追悼の意を表し,特別なかたちでの追悼文提出は控える」としてやめたんだ。追悼式を主催する市民団体は「自然災害による犠牲と,人の手で虐殺された犠牲では性格が異なる。朝鮮人に対する虐殺の事実から目を背けるものだ」と批判している。(引用終わり)

 最後にも指摘されているとおりであって,「自然災害による犠牲」のなかに「当時,日本人の民衆自身が手をかけて〔朝鮮人を〕虐殺した数千数百人」(ただし,一番多い調査結果が「積算していた人数」は約6600人が殺されていると報告されていた)を,なるべく目立たない関係をもって,とりこんでおくかたちを工夫したうえで,つまり一般的な災害の犠牲数のほうに「封入(封殺?)しておきたい」のが,小池百合子のいいぶんであった。

 だが,この小池百合子の歴史理解のあり方に関しては,深刻な問題が意味されていることは当然である。というよりも,この小池は,かつて「朝鮮人を日本人が虐殺した事実」じたいを,絶対に直視したくない政治家であった。いいかえれば,彼女の立場は,日本・日本国・日本人にとって不愉快な「歴史の客観的な事実そのもの」を正視したくないだけでなく,できるだけそれには「フタをし,隠しておきたい」し,さらにいえば「なにもなかったいものにしておきたい」といった感情(心性)を正直に顕現させていた。

 小池百合子は,関東大震災による犠牲者をすべて「災害死」であるとしておきたいとする「あいまいな理解」のもとに,日本人自身の手によって殺した数千数百人もの朝鮮人〔たちなど〕も移しておき,そのなかに溶かしこんでおきたいのである。だから,2017年9月1日に開催される追悼式には追悼文を送らないと意地を張っていた。

 いわば,その小池百合子の根性がどこからどのように生えてきているかは自明であって,1945年以前の旧日帝時代に朝鮮を支配していた「日本・人」側の政治(支配・統治)感覚以外のなにものでもない。関東大震災時における朝鮮人の虐殺を認めたくない歴史観は,小池が近代における日朝〔日韓〕関係史に対して異様なまでうしろ向きの,いいかえれば「時代錯誤」の価値観にまみれている事実まで如実に物語っている。

 ④「朝鮮人犠牲,語らぬ小池氏 関東大震災『歴史家がひもとくもの』虐殺,有無明言せず」(『朝日新聞』2017年9月2日朝刊「社会」)

 この記事の見出し文句には「歴史家がひもとくものという表現が使われている。だが,この文句は,小池百合子自身がもちだしたものとしても,それなりに重大な問題(疑義)がある。一般に政治家たちは「いま自分のかかわっている政治・行政」についての評価は,後世において〔になってから〕歴史家の判断に任せるなどといって,なにかにつけては現実から逃避するための「遁辞の代わり」に使うことが多い。

 つまり,彼らは自分たちがまさしくいま,「政治にかかわっている人間として現実に世の中を動かしている実態」を,論評されたり批判されたりした関係でもって,あれこれいわれたくないものだから,そのように逃げ口上として,自分たちが「いま・おこなっている政治」については,後世においてこそ「歴史家がひもとくもの」があるのだなどといいわけをしている(煙幕を張っている)。小池流の場合もそうであったが,政治家であれば「誰もが好んで使いたがる都合のよい表現」が「歴史家がひもとくものである。

 しかし,政治家のおこなっている仕事は「いま=その時々」そのものとして,刻々に評価されていてしかるべきなのであるから,何年・何十年さきになったら,自分の政治家としての仕事を「その時」に評価してくれればいい,それも専門家の歴史研究家に任せるなどと断わって当座から逃げ出す手法は,完全に〈卑怯者のいいわけための口舌技術〉にしかなりえない。

 〔ここから ④ の記事の引用になる→〕  94年前に関東大震災が起きた〔2017年〕9月〕1日,東京都墨田区で犠牲者を悼む複数の行事があり,このうち虐殺された朝鮮人らの追悼式に,小池百合子都知事は追悼文を送らなかった。昨〔2016〕年と対応を変えたことについて,小池氏は「別の行事ですべての方を追悼した」との説明を繰り返し,虐殺があったかどうかも明言しなかった。

 1日午後の定例記者会見で,小池氏は虐殺の犠牲者への追悼文をやめた理由をあらめて問われた。午前中にあった都慰霊協会主催の慰霊法要に追悼文を寄せたことを挙げ,「犠牲になられたすべての方々に哀悼の意を表した」と説明。虐殺の犠牲者に対する特別な追悼をやめるという従来の説明を繰り返した。

 この法要には,例年と同じく副知事が出席し,「犠牲となられた方々のご無念に思いを致すとき,痛惜の念ここにきわまる」などとする小池氏の追悼文を代読した。追悼文には,朝鮮人らの虐殺を具体的にとりあげた部分はなかった。小池氏は会見で,虐殺の有無について認識を問われ「いろいろな歴史書のなかで述べられているところだ。さまざまな見方があると捉えている」と回答。「歴史家がひもとくものだ」とも述べた。
 補注)ここで,小池百合子が示唆したかったらしい「虐殺の有無について認識」については,「いろいろな歴史書のなかで」の「さまざまな見方」があると断われている。けれども,これは例の工藤美代子によるトンデモ本に影響されているのかもしれない。

 さらによりくわしくいっておくと,「あれは本当に『虐殺』だったのか? 彼らの狙いは,皇太子だった! 震災に乗じて半島から襲来したテロ集団の実態をあばき,悲劇の真相を糾明する衝撃のノンフィクション」だというふうに,

 「歴史の事実」とはなにも関連もない,さらにはもちろん証拠さえないもない,工藤のフェイク本である『関東大震災-「朝鮮人虐殺」の真実』(産經新聞出版,2009年)に似た発想:歴史理解が,小池の頭脳のなかにも大きく占拠している風景を想像させている。

 〔記事に戻る→〕 法要があった都慰霊堂が立つ都立横網町公園では1日午前,市民団体の日朝協会などが朝鮮人犠牲者追悼式を催し,主催者発表で約500人が出席した。この式にも例年,石原慎太郎氏ら都知事が追悼文を寄せてきたが,今〔2016〕年は小池氏が中止し,地元の山本亨・墨田区長も同じ対応をした。

 同協会都連合会の宮川泰彦会長は「過去の事実に目をつぶるような姿勢で,非常に残念」と話した。在日コリアンで,叔父が震災直後に行方不明になったという金 道任(キム・ドイム)さん(80歳)は「朝鮮人というだけで指さされるようで,身が縮む思い」。

 小池氏は3月の都議会で,虐殺の犠牲者数について同協会などが式の案内文でも触れた「6千余名」とする説を根拠がなく過大とみる自民党都議に追悼文送付の見直しを求められ,「適切に判断する」と答弁。担当の都建設局によると,これを受けるなどして同局が追悼文送付の中止を検討し,小池氏も了承して決まったという。

 1) 「公園で一時騒然」 この日は同じ公園内で,「6千余名」という犠牲者数を過大とみる市民団体も慰霊行事を開いた。都によると,この団体からも小池氏の追悼文送付を要請されたが,断わったという。この団体の主張に反対する市民らも集まり,公園内は一時騒然とした。慰霊に訪れた人のなかには「例年と雰囲気が全然違って嫌だった。静かな気持で慰霊の日を過ごせるようにしてほしい」と漏らす人もいた。
 補注)虐殺数が6千名人台だと虐殺になるが,2千名人台だとそうはならないという理屈は,とうてい通らない。数字の多寡にこだわって,朝鮮人虐殺事件そのものが否定できるわけもない。とくに「犠牲者数を過大とみる市民団体も慰霊行事を開いた」という事実は,実に不可解である。もっとも,朝鮮人の被虐殺者(この存在:事実)を除外した慰霊であるというならば,分からない理屈ではない(もっともこちらはこちらでまた別の大きな問題を起こすが,これ以上はあえて触れない)。ともかく10人でも虐殺は虐殺,数百人の規模になったら,いまの時代であればどの国・地域で起きても国際的な大問題になる。

 2)「差別許すメッセージにも」 五野井郁夫・高千穂大教授(政治学)の話。関東大震災での朝鮮人虐殺がかつて起きた都市の首長としては「虐殺は許されないこと。今後は絶対起きないようにしなければならない」と答えるのが当然だ。しかし小池知事は「さまざまな見方がある」「歴史家がひもとくもの」と言及を避けた。米国での白人至上主義者らの衝突事件で,「両者に非がある」といって強い批判を浴びたトランプ大統領の発言と同様,差別を許すメッセージともとられかねない。東京五輪も控え,ダイバーシティー(多様性)を尊重する五輪精神にも反する。

 3)  キーワー
 『関東大震災と朝鮮人虐殺』 1923年9月1日,マグニチュード 7.9 の地震が起き,火災などのため約10万5千人が死亡したとみられる。「朝鮮人が略奪や放火をした」「井戸に毒を入れた」などの流言が広まり,住民らが結成した「自警団」が朝鮮人らを殺害する事件が多発した。

 政府の中央防災会議が2009年までにまとめた報告書では「虐殺という表現が妥当する例が多かった。対象は朝鮮人がもっとも多かったが,中国人,内地人(日本人)も被害にあった」と書かれている。犠牲者数は震災の全死者のうち「1~数%」と推定。千~数千人にあたる。地震直後の在日朝鮮人らの調査では「約6600人」などとする数字もある。

 小池知事はともかくも,昨〔2016〕年の追悼文では「多くの在日朝鮮人の方々が,いわれのない被害を受け,犠牲になられた。このような不幸な出来事を二度と繰り返すことなく,語り継いでいかねばなりません」などと書いていた。(以上で記事の引用終わり)

 ところが,今年になると彼女はその態度を豹変させていた。なにが「彼女をそうさせたのか」は,たいそう興味がもたれる話題になると考えるが,この「記述の続編(その2)」でもさらに掘り下げてみたい論点である。

 関東大震災は,犠牲者を約10万5千人も出していたけれども,このなかに虐殺された朝鮮人の数が,はたして正確に計上・算入されているかどうか,この論点を確実にそれも学術的に確認することはできていないし,今後も無理な相談である。

 朝鮮人のその「犠牲者数は震災の全死者のうち「1~数%」と推定。千~数千人にあたる」といわれるとき,この数字・統計が大地震の犠牲者ではなく,日本人(一般の帝国臣民たちであった)が直接手をかけて殺していた数なのだから,殺された朝鮮人のほうはその当時からなにもいえなかった存在だったにせよ,殺した日本人のほうは,はたしてその後の人生はどういう気分で送っていったのか? 夢見が悪くはなかったのか? そうも心配してあげたくなるのは,自然な人情である。

              

            

             

            

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 【 明日(2017年9月6日)に続く。用意ができしだい,ここのリンクを張る予定である( ⇐ 9月6日の記述を受けて,リンクを設定していある) 】

 なお,予定されている項目の目次は,以下のものである。

  ⑤ 関東大震災次における朝鮮人虐殺事件に対する歴史理解は「小池百合子=安倍晋三」である

  ⑥ 結語としての各種の引用

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