【顧みて他をいう「疑似・東大話法」的な迷説の典型者:「石川和男」は,いったい,誰のために《目先の利益(損?)》だけを擁護するのか? 元国家官僚としての社会的責務感はゼロなのか?】

 【アメリカの原発政策の踏み台・ゴミ捨て場にされている「日本の現状」がみえない盲論ゆえの「袋小路的な議論」の迷走】

 

 ①「〈脱原発は庶民の関心外?〉 メディアはまともな原発ゼロ化プロセスの報道を」(『BLOGOS』〔メディアゴン〕石川和男[社会保障経済研究所・代表]稿,2017年11月09日 07:42)

 1)まえがきとしての説明ないし議論
 この石川和男の記述を読んだところ,その荒唐無稽さに富んだ論旨〔にもなっていない暴論的な主張〕には,呆れかえってしまい,当方は即座に “ずっこける” しだいとあいなった。もっとも,ただ,ズッコテいるだけではしかたないので,この識者の意見に対する一定の批判は提示しておく必要を感じた。以下の議論をしていきたい。まず,石川和男という人物の紹介からする。
石川和男画像
出所)https://ameblo.jp/moody-night/entry-11061581898.html

 ※-1 「生年月日」は1965年11月23日で,「最終学歴」は東京大学工学部卒業。
  註記)経歴関係は以下につづく記述でも,http://www.castplus.co.jp/profile/kazuo_ishikawa を参照している。

 ※-2 「現在の仕事」はコメンテーターで,社会保障関連産業政策論・エネルギー政策論・公的金融論・安全網論・行政改革論と幅広い(論著も多く公表しているが,ここでは紹介しない)。

 さきに断わっておくが,原発論についての石川和男の見識は狭隘そのものであり,独善的でもある。脱原発論者に対して妥当性を感じさせうる,換言すれば対話の可能性を示唆しうる箇所は,どこにもみいだせない。つまり,双方の議論を最初から成立させえない「一方的で拒絶的な口吻」を堅持してもいる。これでは,時代錯誤である原発「論」の主張だというよりは,おそらく,時代の趨勢(潮流)をあえてやぶにらみしつつ提示した見解を,それも得意げになって披露する程度(見識?)に終始している。

 日本の国民・市民・住民・庶民のうち,6割前後の人びとが「原発は要らない」といってきた。この事実は,「3・11」以後において,不変の世論である。事実である。だが,石川和男は,われわれをまるで愚民あつかいしたいかのような主張を展示している。「時代錯誤の原発観」を平然とまくしたてている。この立場〔とこれをいわせる思想〕は,受けとりようによっては摩訶不思議,奇怪のきわみである。

 ここでは,つぎの世論調査も一例として紹介しておく。
◆ 原発再稼働に反対70.8%,事故の懸念73.8%
=学者・民間機関調査 ◆
☆ 2015年4月7日 ロイター ☆

 原発再稼働を前に災害リスクを専門とする学者と民間調査会社が,原発・エネルギーに関する世論調査を実施したところ,再稼働に対して反対が70.8%,賛成が27.9%という結果が出た。

 また,現状での再稼働では,73.8%が東京電力福島第1原発事故と同規模の事故が発生すると懸念。新しい規制基準のもとでも,国民の間に原発への不安感が根強く残っていることが鮮明になった。

 調査を企画・立案した東京女子大の広瀬弘忠・名誉教授が〔2015年4月〕7日,ロイターに明らかにした。広瀬氏は災害リスクの専門家で,同氏が代表を務める防災・減災の研究会社が,市場・世論調査を手掛ける日本リサーチセンター(東京都)に調査を委託。

 今〔2015〕年3月4日から16日にかけて全国の15-79歳の男女1200人を対象に調査を実施し,全対象者から有効回答をえた。同リサーチセンターは,米世論調査ギャラップ社と提携。これまでも多様な調査を実施してきた。

 今回の調査では,全国から200地点を選び,各市町村の人口規模に比例して性別,年齢別に対象者を抽出。調査員が直接訪問して質問用紙を渡して後日回収する「個別訪問留置き調査」と呼ばれる手法で実施した。
  註記)http://nonukes.exblog.jp/21694052/
 ただし,石川和男はもしかしたら多分,「自説・持論の基本的な錯綜性」を重々承知のうえで,なおかつ,このような支離滅裂「論」を展開するところじたいに「自身の役目」があると自覚している。これがけっこう,石川に関する「いい解釈になる」のかもしれない。もっとも,第3者からの理解だからどうとでもいえるが,そのように石川の立脚点を認識できたつもりでみないぶんには,どうしても納得がいかないことがらが残ってしまうのである。

 ※-3 「石川和男,くわしい経歴一覧」
  1989年4月
   通商産業省(現経済産業省)入省
   資源エネルギー庁(石炭政策,電力・ガス事業政策,新エネルギー・再生
     可能エネルギー発電政策)
   生活産業局(繊維産業政策,民活政策)
   環境立地局(産業保安・高圧ガス保安・LPガス保安政策)
   産業政策局(物流・流通政策)
   中小企業庁(中小企業金融政策,下請企業政策,官公需政策)
   商務情報政策局(産業金融政策,消費者信用政策,割賦販売政策)
   大臣官房 等を歴任

  2007年3月
   経済産業省退官

  2008年8月(~2009年1月)
   内閣官房・国家公務員制度改革推進本部事務局企画官

  2008年11月(~2010年3月)
   内閣府・規制改革会議専門委員

  2010年10月(~2011年9月)
   内閣府・行政刷新会議「規制・制度改革に関する分科会グリーンイノベーション
   WG」委員

  2009年4月
   東京財団上席研究員

  2003年4月
   専修大学客員教授

  2008年4月(~2010年3月)
   東京女子医科大学特任教授

  2009年1月
   政策研究大学院大学客員教授

  2008年1月
   独立行政法人福祉医療機構「年金担保貸付事業に関する在り方研究会」委員

  2006年8月
   NPO法人女性自立の会顧問

  2010年4月
   NPO法人女性自立の会監事

  2011年1月
   社団法人日本介護ベンチャー協会顧問,社団法人日本介護協会顧問など

  2011年9月
   NPO法人社会保障経済研究所代表

  2013年6月
   霞が関政策総研主宰

 --以上,実に華麗な経歴であるせいか,それともエネルギー産業問題からその履歴が出発していた論者としてなのか,まったくといっていいほど「原子力ムラ」の利害代弁者からの発言に終始している。それも「周回遅れとなった原発観」や「エネルギー問題に対する錯誤に満ちた認識」を語っていた。

 2)『BLOGOS』の石川和男「記事」の引用とこれへの批判的な議論

 a) 経済産業省は,

 (1)原子力発電による電気(原発電気)は一番安く,

 (2)太陽光や風力のような再生可能エネルギーによる電気(再エネ電気)はかなり高い,

と発表している。さて,これは「正しい」のか? 結論からいうと,ごく目先だけの「いま〔だけ〕のところ〔ならば〕正しい」ともいえないわけではない,といった程度の正しさに留まっている。
 補注)なお〔 〕内補足は引用者である。以下にも石川和男を記述は,このような調子での内容がつづくのであるが,これに対しては最初から論断しておく。

 石川和男が固執していう,この「いまのところ」といった限定づけは,「3・11」以前なのであれば,たとえ事実にもとづいていない主張,いいかえれば “原発安価という「特定の一説」” という主張であったにせよ「流通(通用)」させえていたかもしれない。

 繰り返していっておく。「いまのところ」と限定を付しているけれども,そのような限定づけは10年前ころまでであれば,牽強付会の無理強いの理屈になっていたしても,強引に惜し通すことができていたかもしれない。石川和男はすなわち「いうにこと欠いて」,この「いまのところ」という「限定」を,議論全体にかかわる担保(留保)としておくために,なおも,つぎのようにいいはっていた。

 〔石川和男に戻る→〕 東京新聞も毎日新聞もNHKも,朝日新聞もテレビ朝日もTBSも,絶対に認めないだろうが,こればかりは経産省がいまのところ正しい。経産省は,世界標準の計算方法で,しかも「脱原発」をめざした前民主党政権で用いられた計算方法で計算している。その結果,1kWh当たりの発電コストはつぎのとおり。
 補注)さきまわりして断わっておくが,以下に紹介される「この電源(燃料)別のコスト一覧」は,「いま」どきにおいては「旧すぎてお話にもならない」中身である。もちろん,原発コストの計上・積算のことを,主にいっている。ここでも「いまのところ」という期間限定の言辞が魔力を発揮している様子に映る。

 = 1kWh当たりの発電コスト =
     原子力  10.1円~
     石 炭  12.3円
     天然ガス(LNG) 13.7円
     石 油  30.6〜43.4円
     水 力  11.0円
     地 熱  16.9円
     風力(陸上)  21.6円
     太陽光(メガソーラー) 24.2円
     太陽光(住宅)  29.4円
  補注)この発電単価(コスト)の整理内容はつとに有名なものであったが,なかでもとても奇妙なのは,原発(原子力)だけは「10.1円~」と「~」が付けられていた点である。この「~」は,まことに意味深長であった。ほかの各コストは「いま」の数値(円)だから,「~」は付けられていないのに,なぜか「いまのところ」を強調するはずの原発のコストだけにはこの「~」が付けられていた。

 原発に付けるのであれば,ほかの各種のコストであっても「これ〔いま〕から」今後に向けて,なかでも再生可能エネルギーは単価が低下(変化・変動)していく点は明確に予測できているのだから,別の意味(原発コストとは反対の方向である点)でも,「~」が付けられていて当然である。ところが,こちらは「~」は抜きになっていた。

 b) 原子力には,核燃料サイクルなど「再処理」,高レベル放射性廃棄物の「最終処分」,原発建設のための「立地交付金」,そして「事故リスク」対応費用もすべて含まれている。それでも,最安値となる。
 補注)これこそ陳腐きわまりないいいぶんである。詭弁にもなっていない,時代錯誤というにも途方もない夢想の語り口になっている。東電福島第1原発事故現場の後始末「ひとつ(この1件)」にだけでも,かかっている〔発生しつつある〕経費をみればいい。

 つぎの文章は,本ブログ 2016年12月09日の記述,主題「東電福島第1原発事故現場の惨状は経済計算では測定不可能であるほどに酷い,『福島原発処理費 21.5兆円に倍増 経産省試算』という報道」の一部であるが,ここでもその一部を再掲(引用)しておく。

   東京電力福島第1原発事故の処理費が,21.5兆円に膨らむとの試算を経済産業省がまとめた。従来想定の約2倍になる。とくに廃炉・汚染水対策費が8兆円に増える。手を打たないと東電が倒産しかねず,政府は無利子融資枠を9兆円から14兆円に上げる。最終的には電気料金を通じて集められ,国民負担が増える。
 補注)この「廃炉・汚染水対策」についていうならば,安倍晋三は,東京に2020年のオリンピックを招致するために〈大ウソ〉をついていた。けれども,汚染水問題も含めて原発事故に対処するために要求されている金額は,ありえないほどに膨大化しつつある。この事実をめぐっての批判論は 3)のほうに紹介するが,安倍は「罪なこ『日本経済新聞』2016年12月9日朝刊1面廃炉問題記事と:大ウソ」を平然を吐いていた。これは破廉恥だなどと形容して済ませられるような生やさしい虚言ではない。21世紀の歴史に刻まれるべき犯罪的な発言になっている。
 出所)右側図表は『日本経済新聞』2016年12月9日(本日)朝刊1面から。

 〔こちらの記事の本文に戻る→〕 2013年時点では計11兆円だった。内訳は賠償5.4兆円,除染2。5兆円,中間貯蔵施設1.1兆円,廃炉などは2兆円。東電の負担を一時的に国が立て替えるため,認可法人「原子力損害賠償・廃炉等支援機構」から9兆円の融資枠をつけていた。
 補注)2013年の11兆円が2016年の21.5兆円に,それも3年間で増えたのだとしたら,すなわち,関連の工事がまだ廃炉工程に入れず,それ以前の段階に足踏みしていても,このような始末なのである。

 そうであるとしたら,さらにまた3年後においては多分,倍々ゲームを繰り返していくかのように,東電福島第1原発事故現場の後始末のために必要な金額は,40兆円だ,80兆円だという高額にまで,遠慮なく3段飛びしていきそうである。しかも,この3段飛びはその後においても反復される可能性が大きい。

 そういう事態に関して安倍晋三は,東電福島第1原発事故現場は “アンダーコントロール” だなどといい抜けていたつもりであった。けれども,現実の問題は口先のゴマカシでは,なにも解決されない。原発事故そのものの処理でさえ,まだ十分に済んでいない。廃炉工程における具体的な作業にまで進むことなど,まったくできていない。東電福島第1原発事故現場の現状は,深刻どころか絶望的な局面しかみせてこなかった。

 〔記事本文に戻る→〕 新たな試算では,廃炉などの費用が6兆円増える。政府・東電は2020年代から,原子炉内で溶け落ちた核燃料(デブリ)をとり出しはじめる予定。原発内部の状況や作業工程が具体的になるに連れ,費用がかさんだ。賠償費や除染費なども計4.5兆円ほど膨らむ。
 補注)このように時間が進むにつれては,新たに「あれが必要,これが必要」という要領で,追加的な経費が遠慮容赦なく,つぎからつぎへと浮上してきている。もはや,原発による電力生産は,この採算がとれるとかとれないとかいった「経済計算の次元・世界」からはかけ離れた地点に逢着している。実は,原発という技術体制はもともと,そうした「経済の論理」とはなじまない本質を有していた。
 この記述は,なにも原発事故を起こした東電福島第1原発だけの問題とはいえず,廃炉問題の今後においても「いま〔のところ〕」からも,基本的に適用できる中身になっている。石川和男はいわゆる『東大話法』の使い手にも聞こえるような語り方ができる人物である。だが,その論理構成はお粗末に過ぎて「説得力」が全然ない。

 つぎにつづく再生可能エネルギーに関する石川和男の議論も,時代(流行)遅れの「アパッパ」のようなものであり,問題の核心を隠すための偽法でしかありえない。要は,陳腐このうえない説明である。


 〔石川和男の引用に戻る→〕 別の比べ方をする。再エネ電気と原発電気を敷地面積で比べてみる。たとえば,100万kW級の原発の敷地面積は約0.6km2で,1年分の原発電気の量と同じだけの再エネ電気を発電するには,

 (1)太陽光では約58km2(山手線とほぼ同じ面積),

 (2)風力では約214km2(山手線の3倍以上の面積)の敷地が必要となる。
 補注)この議論は「山手線の3倍以上の面積(※)」と断わる点がミソになっているけれども,これはまったくの詐術的な指摘である。「(※)は63km2」であるが,この面積は約8㎞四方の土地とみておけば分かりやすい広さである。以下につづく話の前提にしておく。

 なお,山手線内の面積ウンヌンは「ためにする話題」であった。それは,太陽光発電のために提供される空間が個人住宅や電力発売業者によって現実に,どのくらいの面積(土地と装置)にまで開拓され拡大してきた事実とは無関係に説かれていた。すなわち,これまで記録されてきたその実績・発展などはいっさい無視したまま,しかも「コケオドシ」的に「太陽光を設置するための土地はみつけにくい」「絶対的に不足だ」と「騙るための常套句」になっていた。

 少し以前に環境省が公表していた文書『再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査』(2009年)のなかには,こういう記述があった。最新の原発1基の発電能力は百数十万kW程度になっている。断わっておくが,つぎに紹介する文章は「太陽光発電の潜在性(potential)」だけに関する調査結果である。
   太陽電池の設置可能面積を推計し,単位面積当たりの出力を0.067kW/m2として導入ポテンシャルを推計した。その結果は表1に示すとおり,2,400~5,600万kWとなった。
 註記1)https://www.env.go.jp/earth/report/h25-05/summary.pdf
 註記2)表1とは,この表である。
   再生可能エネルギー導入ポテンシャル調査2009年
 〔石川の記事に戻る ↓  〕
 c) さらに別の比べ方だが,化石燃料電気と原発電気を燃料の量で比べる。たとえば,100万kW級の原発1年分の電気を発電するのに必要な燃料(濃縮ウラン)は21トンで,同じ100万kW級の火力発電所1年分の電気を発電するのに必要な燃料は,

  (1)天然ガスでは95万トン,
  (2)石油では155万トン,
  (3)石炭では235万トンが必要となる。

 こんなことばかり書くと,原子力がぶっち切りの一番だと思えてしまうが,そういうわけでもない。上記のような話は,日本のように,再エネ資源にも化石燃料資源にも恵まれていない国でのこと。水力や地熱,天然ガスや石炭が豊富にある国ならば,原発がなくても大丈夫。(中略あり)

 ところで,太陽光は原子力には勝てないのだろうか? そんなことはない。勝つ方法はある。そのためには,

  (1)欧州の約2倍もある太陽光発電システム費用を半減させ,
  (2)太陽光電気の法定買取価格を大幅減額させ,
  (3)天候・昼夜にかかわらず安定供給できるための蓄電池を備えればいい。
   (ただ,何十年後になるかは見当もつかないが・・・)
  補注)ここも東大話法の面目躍如である。「何十年後になるか見当もつかない」というのはおおげさな,それも虚偽に近い意見の開陳である。これは,前後して批判している問題点でもあった。

 d)「太陽光発電市場,規模別の見通し」(『環境ビジネス』編集部稿,2016年12月26日号)は,関連する事情(太陽光発電機器市場)について,つぎの意見を紹介していた。図表2点をさきに挿入しておく。(画面 クリックで 拡大・可)
再生可能エネルギー比率図表
   出所)http://www.enecho.meti.go.jp/about/pamphlet/pdf/energy_in_japan2016.pdf

太陽光発電普及状況推移図表
 太陽光発電協会(JPEA)の亀田正明事務局長は,2030年までに太陽光発電の導入量はどう推移していくかについて,こう説明していた。

 「太陽光発電産業のあるべき姿を示す産業ビジョンを随時発表し」「そのなかでは,太陽光発電が日本の電力需要(1兆kWh)の10%を担う電源となることをめざし,2030年の累積導入量目標を100GWと置き,その通過点として2025年を過ぎるころに70GW到達の里程標を設け」てきた。
 補注)100万kW=1GWなので,ここでは70GWは7000万kW。ちなみに,東京電力の2015年における「認可出力」の総計は 6,684.5万kWであり,関西電力の2016年におけるそれは 4,659万kWであった。また,2016年12月末の時点で運転可能な「原子力発電の設備容量」は約4,150万kWであった。

 しかし,予想を上回るFITの劇的な導入効果で,設備認定量の数値ではあったが,ほぼ10年前倒しのかたちで70GWの数値に届いていた。とはいえ,この数値はあくまで設備認定量であって導入量ではないので,すべての設備が導入にまで至るとは考えられない。

 そこで,現時点においては,エネルギーミックスで見通しとして出された7%(64GW)の数値にまず到達し,あくまでそれを通過点として目標である100GWの累積導入量をめざしている。再エネ普及のためにはいろいろと課題もあり,エネルギー・ミックスの再エネ目標比率24%を達成するためにも,太陽光発電が『7%(64GW)は通過点』という意識で普及を進めていかなければならない。
 註記)https://www.kankyo-business.jp/column/011035.php

 この太陽光発電産業に関する市場開発の展望(動向の予測)は,前向きに語られている。これに比べて,石川和男の述べていた関連の見解は,意図的に後ろ向きであった。つぎのごときつづく文句は,国民たちの原発問題に対する常識的な理解からも遠くにかけはなれた,それこそ「東大話法」ともいえないような稚拙な説明になっている。しばらく,我慢して聞いていく。

 e) 今回(2017年10月22日)の衆院選でも,前回の衆院選でも,前々回の衆院選でも,脱原発を公約の前面に押し出した政党は勝てなかった。希望の党も,立憲民主党も,共産党も,過半数には遠く及ばずに負けた。脱原発をかかげたから負けたのではない。脱原発は,もはや選挙民の心を掴むようなものではないのだ。最大の関心事はやはり,景気・経済と高齢化・社会保障。
 補注)そうか? 関心事として「最大ではない」が,選挙前後のアンケート調査ではその「関心度が低い」から,原発の問題に対する庶民の理解が遠のいていると,あたかも完全に断定するかのような議論の方途は,まずもって欺瞞的であるだけでなく,意図的な誤導を試みたい発想を “あからさまに” も提示している。冒頭のほうに紹介してあった世論調査では,7割もの国民たちが原発再稼働に賛同していなかった。

 マスコミ各社は,敢えて原発推進論をかかげる必要はないが,いつまでも旧態依然とした脱原発論を叫びつづけても,世間に通用しないのではないか。朝日新聞や東京新聞が社説で叫んでいるような脱原発論は,もう使いものにならない。
 補注)ここまで極論できる,つまり「朝日新聞や東京新聞が社説で叫んでいるような脱原発論は,もう使いものにならない」という主張は,もはやネトウヨ的(読売新聞流)な軽薄の議論に足を踏み入れている。ともかくもそれでは,読売新聞のような原発推進の立場が好ましい新聞社の立場(および思想)だということか? 石川和男の論旨に即していえば,間違いなくそこまでいいきっている。ということで,つぎのように提言していた。

 「ⅰ)使い切るまで安い電気を作らせてから,安全に廃炉させる。そして,ⅱ)再エネ電気による安価安定供給が実現すれば,原発をなくす」という順を追ったまともな原発ゼロ化プロセスをかかげたらどうか。
 補注)この議論も完全に東大話法の詐術的な語りになっている。まず,ⅰ)の原発「安い電気」という仮定が空論的なウソになりつつあるし,原発の廃炉が「安全」に完了できるかどうか,最終処理場のあてさえ,まだみつからない状態のままである。石川和男はこのように,「日本の原発事情」を完全に無視した(その現状に目をつむった)主張をしている。それも,お話にならない「暴論的な仮想」を立てて,無理筋の話を強行突破させようと試みている。

 また,ⅱ)のように仮定したつもりでいる点,「再エネ電気による安価安定供給が実現すれば,原発をなくす」という「順(手順序)」そのものに関しては,すでに部分的にであっても着実に達成されつつある。その現実が目前に展開されている。それでも,このような東大話法のいいのがれ的な屁理屈の論法(?)を誇示したがるのであれば,もはや噴飯モノの域にまで突入している。東大話法もずいぶんイカサマ的な理屈の次元にまで墜ちたものだと痛感させられる。

 f) 極端な感情論や独善的な正義感を振りかざすような記事を書くのはもうおしまいにして,冷静な報道に徹していかないと,ネットの浸透で在京・中央マスコミはますます信頼を失っていくだろう。
 補注)脱原発論・再稼働反対論の立場や思想を,このように「極端な感情論や独善的な正義感」の一言で片づけられると,石川和男は本気で思いこんでいるのか? 原発維持論者のこの種の姿勢は,まことに「困ったチャン的なお人のもの」である。

 しかもそのさい,非常にクセ(筋)のよろしくない東大話法を,自分では得意になって駆使したつもりでいる。理論的にも現実的に妥当も通用もしない,いいかれば具体的な根拠抜きで「原発推進・再稼働論」を積極的に提唱している。


 g)「補論的な説明」 ここでは「『フクシマ事故があっても原発が一番安い?』ヘソで茶を沸かす経産官僚の茶番劇」(『小坂正則の個人ブログ』2015年04月29日)から,つぎの図表を借りておく。そのあいだに記入されている文章も,いっしょに引用しておく。(上の画像と下・右側の画像は,画面 クリックで 拡大・可)
  原子力発電コスト図表1
 「原発の発電コスト10.1円の内訳だそうですが,よくみると事故コストが0.3円からいくらまで上がるかは誰にも分かりません。ウソとでっち上げのコストです」。
 補注)つまり,ここに「~」(将来においてどのくらい膨らむか?が付いていた。① の 2)の a) で指摘してあった問題点である。
原子力発電コスト図表2 原子力発電コスト図表3
 「原発のコストが上がったら,他の発電方法もなぜか軒並み上がっています。これは世界の七不思議ですね」。「大島教授の発電コストでは原発が一番高い(太陽光発電は除いてですが)」。

 「米国は2010年に太陽光発電と原発のコストがクロス〔逆転〕したそうです。……約16セントですから,2011年当時のレートで15円弱ですね」。
 註記)http://nonukes.exblog.jp/21746678/ 〔 〕内補足は引用者。
    ②「〈ニュースな科学〉核燃料の再利用現状維持 日米原子力協定,自動延長へ プルトニウム在庫増に批判も」(『日本経済新聞』2017年11月10日朝刊33面)
 
 この記事はやや長いが,全文を引用する。この解説記事を読んでみて,はたして石川和男のいいぶんに賛同できる人はいるのか。そういった「根本的な疑念」を提示しておく。石川の「原発は使えるだけ使っていけ」という意見が,いかに倒錯した「日本国全体のためのエネルギー資源観」であるかを理解しておく必要がある。

 本ブログ内ではなんどもとりあげた東芝は,原発産業でアメリカからババをつかまされたせいで,「金のなる木」であった半導体事業までも売却せざるをえない経過をたどってきた。だが,あるいは石川のような人物も,その推移・事情になにも関係がなかったとはいえまい。以下に上記の日経を引用する。

 --使用済み核燃料の再処理を認めるなど,日本の核燃料サイクル政策の根拠となっている日米原子力協定が2018年7月に期限を迎える。改定交渉の難航も懸念されたが,米トランプ政権は同協定をみなおさず,自動的に延長する方針を明らかにした。日米原子力協定とはなにを決めていて,日本の原子力政策にとってどのような意義をもつのだろうか。

 日本の原子力政策の中心となる核燃料サイクルは,使用済み核燃料からプルトニウムやウランをとり出して再処理し,再び原発の燃料として使用することが柱だ。しかし,プルトニウムは核兵器にも利用できるため,核兵器の拡散を防ぐ観点からその製造にはさまざまな国際的な制約が課される。核兵器をもたない国でプルトニウム製造を認められているのは日本だけで例外的な存在。その根拠となるのが日米原子力協定だ。
『日本経済新聞』2017年11月10日朝刊日米原子力協定など
 協定の名称は「原子力の平和利用に関する協力のための日本と米国の協定」。米国は日本がプルトニウムを核兵器に使用せず,あくまで発電など平和的な利用に限ることを条件に,原子力関連の燃料や技術を輸出することを決めている。現行の協定は1988年に結び,30年後にあたる2018年7月が期限となる。

 第2次世界大戦に敗れた日本は,占領中,連合国から原子力に関する研究を禁止された。1950年代に原子力の導入を決めたさいは,燃料となるウランから原発関連機器まで,ほぼすべてを米国に頼っていた。日本はそれらを米国から提供を受けるために,1955年に現協定の原型となる日米原子力研究協定を結んだ。

 その後,1968年に結んだ旧日米原子力協定では,米国の同意がある場合にのみ使用済み核燃料の再処理が可能になった。さらに1988年に結んだ現協定では,平和目的であれば再処理ができることになった。

 米国が日本に再処理を認めたのは,石油などの資源の乏しい日本が使用済み燃料を再利用できれば,純国産のエネルギーになりうるとして核燃料サイクル政策を熱望したからだ。1979年のスリーマイル島原発事故以降,衰退する米原子力産業を支えるために日本に原発関連の技術維持や開発を肩代わりさせたいという思惑があった,との指摘もある。
 補注)前述に若干だが指摘したように,この肩代わりを実際にさせられた日本側の企業がまさしく東芝であった。東芝はその顛末として,存亡の瀬戸際に立たせられる目に遭っていた。ババ抜きゲームのルールが働いていた裏事情を,うかつにもよくしらなかったのは,日本の国家および企業の側だけであった。

 1) 再処理施設動かず
 一方で現行の日米原子力協定を問題視する声もある。その理由のひとつが日本の核燃料サイクル政策がゆきづまっていることだ。再処理を実施する青森県六ケ所村の施設は水漏れなどの不祥事続きで,稼働を許可する原子力規制委員会が審査を一時中断した。当初は1997年に稼働するはずだったが23回目の延期が確実で,完成時期は未定だ。

 さらに東京電力福島第1原発の事故後,国内のほとんどの原発が止まり,英仏で再処理したプルトニウムの在庫がどんどん増えてしまった。そのプルトニウムは約47トンも溜まり,原子爆弾6000発分にものぼる。利用のめどがたたないままプルトニウムをためこむことは,協定の方針に沿わないおそれがある。

 2) 原発再稼働に壁
 大手電力会社でつくる電気事業連合会長の勝野 哲さんは「利用目的のないプルトニウムはもたない」と話し,プルトニウムを既存の原発で再利用するプルサーマルを進めて在庫を減らしたい考えだ。ただ,原発の再稼働は進まず新規増設の見通しも立っていない。描いたとおりにはプルサーマルを実現できない可能性が高い。こうしたことから政府は,協定の見直しを米国が求めてくる懸念をもっていた。

 しかし,米トランプ政権は〔2017年〕10月に「再交渉する理由はなにもない」(エネルギー省副長官のブルイエットさん)と改定は求めない方針を明らかにした。〔11月〕5日に来日したトランプ大統領との首脳会談でも議題に上らなかったとみられる。改定交渉をしないならば,協定が自動的に延長される。「交渉の難航を予想していたが安堵した」と経済産業省の担当者は胸をなで下ろす。

 ただ協定は自動延長された場合,どちらかの政府が6カ月前に通告すれば協定を終了させることができる。北朝鮮の核武装など,東アジアでの核拡散の懸念が強まれば連鎖を恐れる米国が協定の見直しを求める可能性も残る。その場合は日本の核燃料サイクル政策も見直しが必至となる。(引用終わり)

 核燃料サイクルの成立・完成を前提にした原発維持体制は,これまでもそうであったように「いまのところ」も実現できていない。石川和男の意見に関しても同じであったが,いうところの「いま」とは,けっして,一時的な長さのことではなかった。優に四半世紀が経過している『その「いま」の「ところ=意味」』になっていた。

 「いま」が25年ほどまでの単位にもなる「長期間のところ」に乗せられている。そういった話法になっている。だが,この「いま」ということばの運用方法じたいが,完全におかしい。間違えていると判定していい,それほど奇妙である。この点の「ところ」は,東大話法うんぬん以前の,しごく簡明なことばの用法・理解に属する「いま」の問題であった。

 石川和男の「いまの・ところは・正しい」と自己規定された「原発再稼働・推進」論は,原発利用の立場に呪縛された,それもみごとなまでに “みぐるしい立論” (空説の虚論)であった。最近,東大話法の使い手はだいぶ,その質が低下してきた様子がうかがわせる。そもそも,その詭弁の修辞においてさえ稚拙さがめだつし,原発問題の現状把握に関していうと,すでに周回遅れの認識になっていた。

 だが,それ以前・以上に全般的に,めだって「勉強不足」を感じさせている。この点については,ただし,石川の本心ではなく,故意に創られた「ポーズ(演技)」であることを願っている……。

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