【いまどき国境など大きく超えて人間が交流する時代に,日本人だ外国人だ,在日だとか,イヤそうではない,だからなんだかんだといって,いかほどの意味がありうるのか?】

 【日本は昔,地方の過疎地区ではひどく嫁さん不足であったが,これを補填するためにどのくらい,アジア各国からオンナを移入させて「嫁さん日照り」を助けてもらったか?】

 【『朝日新聞』が元旦の朝刊1面で大きくとりあげた矢沢永吉に再び触れてみる記述】



 ①「法務省の関連統計」から

 a) 平成28〔2016〕年9月に法務省入国管理局が集計・公表していた『在留外国人数(全体)』は,223万2189人であり,そのうち「日本人の配偶者等」の占める比率は 6.3%であった 註記)。この比率は小数点以下1桁しか表示されていないが,ともかく〈かけ算してみると,人数としては14万628人になる(正確な統計数値は図表のほうに記載されている)。さらにくわえては,関連の図表も2点,紹介しておく。
 註記)法務省入国管理局『最近の出入国管理について』平成28〔2016〕年9月,http://www.moj.go.jp/content/001205451.pdf (画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
  在留資格別外国人統計1
  在留資格別外国人統計2
 出所)http://www.moj.go.jp/content/001233904.pdf
 b) a)  と同じであるがつぎにかかげる,法務省入国管理局が公表している在留外国人関係の統計から総務省が作成していた図表は,もう少し以前の時期における,つまり「日本人の配偶者等」がまだ増加していた時期をも表現している統計である。これを参考に出しておく。その間,5年間分の統計が途切れているが,これだけでもっても,おおよそ傾向は把握できる。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
  外国人統計総務省作成図表
    出所)http://www.soumu.go.jp/main_sosiki/jichi_gyousei/c-gyousei/zairyu_1/pdf/080630_1_si1.pdf
 c)「関連する意見」
 橋本直子(ロンドン大学高等研究院難民法 イニシアチブ リサーチ・アフィリエイト)は,「日本にいる在留外国人数に関する法務省報道を受けて」(『HUFFPOST』2017年03月21日 14時35分 JST)の最後部で,こう指摘していた。  
   要するに,永住や定住また日本人の配偶者などといった個人的な「身分」や事情にもとづいて外国人の中長期在留者が増えているのではなく,日本側の事情-国益-にもとづいて,日本政府が政策として能動的・積極的に外国人を受け入れているということが分かります。

 その一方で気になることもあります。同時に発表された「在留資格別在留外国人数の推移」という表をみてみると,「教授」や「研究」といった在留資格で日本に滞在している人の数が減っているのです。彼らはまさに日本政府が「高度人材」として日本に永住・定住してもらいたいと思っている人材です。

 もし減った分が,永住や(平成27〔2015〕年に新設された)「高度専門職」または帰化というかたちで日本に残ってくれているのであれば問題ありませんが,単に他国に移住してしまったのであれば,日本の「高度人材受入政策」がうまくいっていないことの証左でしょう。

 法務省発表の統計資料からだけでは実態は分かりませんが,注視していく必要がある傾向かもしれません。
  註記)http://www.huffingtonpost.jp/naoko-hashimoto/foreign-residents_b_15501608.html
 d) 最近における日本の出入国管理体制のなかで目立つのは,低賃金的・半奴隷的な労働者にも,同時に転用する目的があるような “技能実習生” という「在留資格の新設」があった。1960年代から1970年代に流行っていたのは,日本全国に目立ってきた過疎地域に嫁さんがみつからないといった「深刻な問題」を穴埋めするために,韓国や東南アジアから多くの女性がそれも農村地帯に嫁入りに来ていた。

 橋下直子が指摘するのは,日本の出入国管理体制はこの国の労働体制全体をより高度に保持・発展させていくための戦略的な観点を欠落させていることであり,そして,目先の不足している領域・要求にばかり関心を向けてこれをこなすといった小手先の,いわば小出しによる消極的な「移民受け入れ的な政策」しか実施できていないことである。

 日本国の人口はすでにどんどん減少しはじめている。これを少しでも補うだけでなく,その減少傾向に歯止めをかけて,できれば人口の現状維持だけでも最低限は可能にするような,国家全体の視点・立場に立った長期計画の策定が,実は,まったくといっていいくらいなされていない。どこかで真剣に検討はしているとは思うが,以上のごとき現状では,日本の人口が減少していく基調を変えることは不可能事である。

 前掲した図表(統計)のなかに出てもいたように以前は,とくに「日本人の配偶者等」が増加してきたものが,このごろは減少してきている。もっとも,これは21世紀に入ってからの動向であった。しかもこの統計項目には,在日韓国・朝鮮人などを配偶者に有する日本人に関する統計・数値が含まれてはいなかったので,本日の議論としては「以上の2種類の日本人と外国人の婚姻関係」を念頭に置くものにしておきたい。

 ② 本ブログにおける以前の記述

  ※-1 2014年01月22日,主題「在日韓国人 在日日本人,どっちがどっち?」,副題「在日する外国人と在日の日本人-日本人〈地元性〉にこだわるか,韓国人〈出身性〉にこだわるか-」( ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/2636440.html)。

 この記述の「③ 在日韓国人の有名人:その2-歌手・俳優・タレント(芸能人),スポーツ関係の一覧-」は,「父親が韓国人」の1人にジョニー大倉を挙げ,また「両親とも韓国人」の1人に矢沢永吉も挙げていた。  

  ※-2 2016年04月26日,「『在特会」』は『バカの壁』内側の住人だが,その外側に居ても同列と観られるべき,自民極右政権において『陣笠議員の資格さえない』3流の『選良』たち」,副題1「在特会並みか,それ以下の『極右:粗暴・無教養』の安倍晋三政権集団,その粗暴なる堕落形態」,副題2「キャロルにまでたどりつく「在日特権」の話題」( ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1056330078.html)

  ※-3 2016年05月02日,主題「読売テレビ『秘密のケンミンSHOW』2016年4月28日に登場した在日系芸能人の話題」,副題「他人種・異国(隣国)人系の出身者でもってもいる日本の芸能界」( ⇒ http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1056661719.html)

 --ここでは,※-2の http://blog.livedoor.jp/bbgmgt/archives/1056330078.html から関連する段落を再掲してみたい。
           ◆ キャロルの矢沢永吉

 本ブログは,2014年1月22日に「在日韓国人 在日日本人,どっちがどっち?」という表題の記述をおこなっていた。常時,PVが上位にある記述である。その関係で最近,書棚のそれも「テレビを置いてあった裏側のそれも下の位置に配架してあったために,

 このところすっかりその所蔵が記憶から消えていた本」として,龍村 仁『キャロル闘争宣言-ロックンロール・テレビジョン論-』(田畑書店,1975年12月発行)があったのだが,これをあらためて手にとってみることになった。たまたま,そのテレビをどかして掃除をしていたときみつけなおしたのであるが,本日の記述に関連する中身があった。
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 この本,ちなみに Amazon の古書価格はどうなっているのかと思いのぞいてみたら,¥17,500で2点,¥28,800で1点が出ていた。
 補注)本日〔2018年1月8日〕にあらためてアマゾンをのぞいてみたところ,現在出ているこの本(古書)の値段は¥10,707 になっていた。

 それはともかく,このキャロル(⇒ CAROL;1972年にデビューし,2年半活動して1975年解散)という日本のロックバンドを構成していた4名のうち2名が,在特会の意図するところの定義でいえば「在日特権」の享受者である在日韓国人であった。

 龍村 仁『-ロックンロール・テレビジョン論-』1975年は,キャロルの4名を,以下のように列記していた(144頁)。

 なお,矢沢永吉(1949年9月14日,満68歳)はすでに日本国籍を取得しているが,韓国名は趙 永吉(チョ・ヨンギル)である。ユー・岡崎は「岡崎 友」で日本人,内海利勝も日本人。ジョニー・大倉(大倉洋一)は在日であり,韓国氏名は朴 雲煥(パク・ウナン)である。大倉は2014年11月19日に死去。
 
  矢沢永吉(28歳)    ベース・ボーカル (写真 前列向かって右)
  内海利勝(19歳)    リードギター
  ユー・岡崎(21歳)   ドラムス
  ジョニー・大倉(22歳) リズムギター・ボーカル (前列向かって左)
    キャロル画像
  出所)http://pds.exblog.jp/pds/1/201208/09/54/e0249254_0244217.jpg

 このキャロルは,約2年半という短期間の活動であったけれども,日本のロック音楽界に強い衝迫を残し,以降にも大きな影響を与える〈伝説のバンド〉にまで成長してきた。

 だが,在特会風にこのキャロルを攻撃するとしたら,「在日特権」にまみれてこそ,このおかげで大いに売れた “日本のロックンロール・バンド” なのだという顛末,マイナス評価(?)になりそうである。

 つぎは,龍村 仁『-ロックンロール・テレビジョン論-』に語らせる。
 キャロルは,2人の強烈な個性をもった,現職の液体絵具であった。この日本に生まれ,朝鮮語をしゃべれず,ロックンロールとテレビジョンに依って育てられた1人の在日朝鮮人青年,あるいは日本人青年の,両極に引き裂かれた魂と肉体の激しい葛藤があの “キャロル” の圧倒的な迫力を創っていた。

  “キャロル” とは,朝鮮人の魂をもち,アメリカ人の姿,かたちをした日本人のことなのだ。そして,32歳でキャロルに再会した一瞬,私は,自分自身もまた, “キャロル” であったことを思いしったのだ(285-286頁)。
 はたして,キャロルに在日特権はある〔あった〕のか,ない〔なかった〕のか? もっとも,この種の設問は,もとから愚問でしかありえない。
 矢沢永吉の歌唱をユーチューブで聴いたことがあるが,若いころの矢沢はただのヤンキー風歌手,英語(米語)が話せるのかどうかしらないが,片言のイングリッシュをいくつもちりばめたウタを,いかにもかっこうをつけて歌う,そういった青二才的な歌い手であった。
             ◇ Child of love 歌詞 ◇
       = 歌:矢沢永吉 作詞:高橋 研 作曲:矢沢永吉 =


    憂鬱なニュース 流れる街かど 恋人たちが キスを交し合う
     Happy or Unhappy 俺にはわからない ただ今夜は おまえだけ

    どんな明日が 待っているのかあぁ時には 何も知りたくない
     Tears and Smiles 繰り返す世界今すぐ俺を 抱いて欲しい

    Child of love 愛する そのために誰もが この星生まれてきたのさ
     ちりばめられた イルミネーション偽りさえも 隠してしまうけど

    Everybody needs somebody 想いは変わらない街は 愛にあふれてる
     Believe in love 信じて愛だけが 明日を未来を連れてくることを

    Child of love 愛し合う そのために誰もが この星生まれてきたのさ

  註記)http://j-lyric.net/artist/a004fcd/l018ea4.html
  補注)この歌を視聴したい場合は,たとえば https://www.youtube.com/watch?v=v2nhjOyPzMg
 だが,だいぶ年齢を重ねてきてからの矢沢永吉は,なんとか聴けるような歌い方をしてきたように感じる。これは本ブログ筆者の個人的な感想であるから,大勢いる熱烈な矢沢ファン〔多分そのほとんどが還暦をもう超えた世代の人たちだと思うが〕からは不評を買いそうであるが,率直な感想を正直に自分なりに述べてみた。この感想は,つぎに紹介するごとき, “https://ja.wikipedia.org/wiki/矢沢永吉” の記述内容に照らしても,それほどおかしくはないはずである。。
   矢沢は1949年9月14日生まれで,広島県広島市南区仁保出身のロックミュージシャンである。身長180cm,血液型はB型。

 キャロル時代から始まり,1975年のソロデビュー以降,1980年代にかけても,矢沢は暴走族やヤンキーなどの不良層から支持を受けており,それゆえコンサート会場周辺は毎年不良の集会と化し,血の気の多いファン同士の乱闘もしばしばでカオス化,社会問題にまでなり,一般のファンが近よりがたかった。

 1980年前後もフォークはいいがロックには会場を貸さない,洋楽アーティストだったらどんなバンドでもOKなのに「矢沢はNG」という会場が多かった。1980年前後によくいわれたのが「会場拒否」だった。

 落ち着いたのは1990年代に入ってから。また,過去の迷惑行為の多くが飲酒者によって引き起こされていたため,現在では入場時,アルコールチェックがおこなわれ,飲酒者を締め出している。

 以上の記述以外にも多くの説明があるが,ここではとくに「5 功績」がつぎの項目を挙げていることに注意しておきたい。

     5.1   ロックのメジャー化
     5.2   海外レコーディング先駆け
     5.3   ライブミュージシャンの先駆者
     5.4   著作権ビジネスの先駆者
     5.5   矢沢ファンを公言する著名人
 
         ( ↓  画面 クリックで 拡大・可)  
   矢沢永吉サイト画像
    出所)http://l-tike.com/concert/mevent/?mid=290208
 さて,2018年1月1日の『朝日新聞』朝刊の記事であったが,この矢沢永吉が1面で大きくとり上げられる紙面の内容構成になっていた。しかし,この記事のなかには「日本国籍になっていた永吉」のことは,一言も触れられていない。

 触れる必要もないと思われもするが,まったく触れられていない点については,かえっていくらか不思議さも残したままである。この元旦の「矢沢を全面に出した元旦朝刊の1面記事」は,さらにつぎの2面の記事にまでつづく内容になってもいた。( ↓  画面 クリックで 拡大・可)
『朝日新聞』2018年1月1日朝刊1面矢沢永吉記事

 そうした記事は,「ハッピー」などいう英語(日本語だったか?)を,主柱にしたてあげる中身になっていた。この記事を読んだとき,矢沢におもねている〔かな?〕という印象をいくらかもった。つまり,矢沢人気にあやかろうとする「元旦の記事」編集ではなかったかとも,強く感じた。

 テレビを観ている人ならばすでになんども目にしていると思うが,「矢沢永吉が宣伝出演するコマーシャル」があった。サントリーのCMで “ザ・プレミアム・モルツ” のそれであった(ザ・プレミアム・モルツ『グラス・矢沢』篇 30秒 -サントリー公式チャンネル,2017/10/12 に公開)。
   矢沢永吉サントリービール広告出演
    出所)https://www.youtube.com/watch?v=tmPi2EYZwhc
 このテレビコマーシャルについてはたとえば,前掲動画(これは切り貼りだが)の住所(アドレス)などで視聴できる。アップロード元は,サントリー公式チャンネルであった。

  「うまいビールは,グラスで飲むともっとうまくなる。」
  「今回は,ザ・プレミアム・モルツをグラスに注ぎ,ご褒美に愉しむCMです。」

 ③「〈平成とは 第1部・時代の転機:3〉幸福論 一瞬のハッピーがあれば,人はまた走れる」(『朝日新聞』2018年1月1日朝刊1面)
 -在日出身の元韓国・朝鮮人歌手に託して「平成の時代」のなにを語らせたいのか?-


『朝日新聞』2018年1月1日朝刊1面矢沢永吉画像 1) 「1面」から
 a) 右肩下がりの経済,非正規雇用の増加。そんな平成という時代に,幸せの真の意味を考えつづけたロックスターがいる。矢沢永吉,68歳。バブルに浮かれた日本社会がようやく目を覚まそうとするころ,新しいみちをみつけた。その生き方から,平成がみえてくる。
 補注)いわば〈団塊の世代:1947~1949年〉の1人に属する矢沢である。在日韓国・朝鮮人のそれも2世として,しかも数万人もが被曝死した朝鮮人も含め,その多くが暮らしていた広島の,在日の1人としての矢沢が回想する幼少期の思い出は,ほとんどといっていいほどなにも記録されていない。

 おそらくは,在日である自分を意識するまでもない過酷な「人生の幼少期」であったと推察する。しかしそんなことは,いまの矢沢にとって,つまり人生を成功させてきた彼にとってみれば,どうでもいいことかもしれない。

 だが,矢沢の立場に関してそうだったといえる事情が,すべての在日にとっても妥当しうる事情は全然ない。矢沢は不幸・不遇のなかから自分をみごとなまでに “ビックに展開させ完成できた男” であった。だからこそまた彼は,そのような指摘は聞きたくもないし,聞く余地もないに違いあるまい。それだけのことであった。

 ともかくいまは “ハッピー……「! ネ」”


 〔記事に戻る→〕 「一瞬のハッピーがあれば,人はまた走れる」。年末の武道館で,満杯の観客を前に矢沢は語りかけた。その言葉にどうやってたどり着けたのか。数日後,ちょっと巻き舌の独特の話しぶりでこう答えた。
  「20代で長者番付に出たけど,心がちっとも温かくない。『神様,成功したらさびしさ,悲しさは消えるんじゃなかったの』と聞いたら,神様が指さした。みるとサクセスとは違う,もうひとつのハッピーというレールがあった。成功と温かくなることは別だったんだ」。
 幸福のレールに気づいたのは,いつだったのか。矢沢の人生は右肩上がりの戦後日本の映し鏡のようだった。広島県出身の被爆2世。極貧の幼少期を経て,上京し,ロックスターの道を駆け上がった。1978年の自伝「成りあがり」は昭和を象徴する言葉のひとつとなり,年間100 公演以上をこなした。

 バブルのころ,矢沢はひとつの夢を抱く。オーストラリアに日本人音楽家の活動拠点を築くことだ。「ジャパニーズロックを定着させる。海外に負けないアーティストをボンボン出す。熱い思いがありました」。だが,道半ばで大きな傷を負う。事務所の側近に拠点建設の資金約35億円をだましとられた。成功の先にあると思った幸福が,すり抜けていった。1997〔平成9〕年,山一証券が破綻した直後だ。

 やがてこんなテレビCMのキャッチコピーが流行した。「モノより思い出」。傷癒えぬなか,矢沢はなにを考えたのか。2001年に出版した自伝『アー・ユー・ハッピー?』で,矢沢はこう語った。人を喜ばせるより,まず自分でハッピーになることが大事,と。

 b) いまの矢沢のハッピーとは。意外な言葉が返ってきた。それは,たとえば全国ツアー中の「ひとりワイン」だという。「ツアー全26公演,完走。肩も腰も手首も痛めてる。いまはもう体力を気遣って,飲みに出ない。こないだも山口県の周南の小さなホテルで,お湯で割って飲むワイン。せいぜい2杯,3杯くらいかな」。

 「ビッグ」で「成りあがり」のロックスターには似合わない,ひとりワイン。だが,矢沢はその時間を大切にしている。「その日のことも何日か前も,インターネットでズラーッと分かる。熱い感想がバンバン来る。

 ファンから,初めて聴いたという若い世代から。人びとがSNSでの炎上,中傷に翻弄される現代。あの矢沢が,投稿ひとつひとつに目を通している。部屋でひとり。ゆっくりと,酔いながら。

 これが,平成のハッピーなのか。

 2) 「2面,自分自身との対話面」から
 こちらの2面は「〈平成とは 第1部・時代の転機〉ひとりカラオケ,自分自身との対話」という見出しをかかげている。

   「ハッピー?」を時代に問い続ける矢沢永吉が紅白歌合戦に初めて出たのは,2009〔平成21〕年の大みそかだ。放送担当としてNHKの舞台裏を取材していた私は,さっそうと通り過ぎた長身の男の影をみた。先月(2017年12月)の武道館公演でも,同じことを感じた。

 「この人は若い。私よりも。私より若い人よりも」。 (中略)

 友人と来る時は,選曲が違うという。「全員で歌える曲ってないですよね。一番盛り上がって大合唱になるのは『君が代』と線香のCMの『青雲のうた』」。「大きな袋」は,国家と広告。それが平成なのか。
 補注)ここで国家とは多分,「安倍1強〔狂・凶〕」の専制的・独裁志向政権のこと,また広告とは多分,電通という第5の権力機関的な広告代理店のことである。

 3) 生活構造・環境の変化
 〔2017年12月〕23,24の両日,ツイッターでは「ヒトカラ」というつぶやきが6千件以上あった。全国カラオケ事業者協会によれば,ひとりカラオケを短縮したこの言葉がメディアなどでとりあげられ始めたのは2007年ごろから。1人客の割合は2016年度,全体の16%を占めた。 (中略)

 4) 在日出身の「純ジャパ:矢沢永吉」に敗戦後史を語らせる含意
 1978年に矢沢の「時間よ止まれ」が流行。その翌年から,内閣府の生活満足度調査で「心の豊かさ」を重視する人が「物の豊かさ」派を引きはなしていく。生涯未婚率の上昇や高齢化の進展により,平成の時代に「単身世帯」がもっとも多い世帯類型となった。「おひとりさま」は流行語となり,1人客専門の飲食店ができ,コンビニでも総菜の量がコンパクトになった。

 矢沢も自伝にこんな〈内なる自分〉との対話を記している。「オレは誰のために生きているのか?」「自分のために生きている。自分が気持よくなるために」「自分のハッピーのために自分で絵を描くべきだ」。

ハンナ・アーレント画像 高崎経済大学准教授國分功一郎は,矢沢の言葉からユダヤ人哲学者ハンナ・アーレントを思い出したという。「アーレントは『孤独と寂しさは違う』といっています。孤独とは,私が自分自身といっしょにいること。自分といっしょにいられない人が寂しさを感じ,いっしょにいてくれる他者を求める。だから,自己と対話できない。孤独にならなければ,人はものを考えられない。孤独こそ,現代社会で失われているものです」。
 出所)画像は,妻子あるマルティン・ハイデガーと愛人関係にあったアーレント(ユダヤ人であった),http://blog.livedoor.jp/edomam/archives/52128914.html

 その言葉に,私は靴擦れのような痛みを感じた。流行に流されて似合わない服を買い,「話題の曲を歌えば友達や同僚にウケる」と,本心では共感もしていないCDを買ってきた。昨夏,旅先でみた花火の写真をインスタグラムに投稿した。

 「いいね!」の数は13。内なる自分がいう。「1300でも,1でも,いままで生きてきたなかでみた一番美しい花火だったことに変わりはない」。もう1人の自分が答える。「当然だ。人と自分を比べてばかりいたら,すべてが面白くなくなる」。この感覚。たぶん,ハッピーだ。(引用終わり)

 5) 若干の補足的議論
 とくに敗戦後史でも昭和20年代から30年代の日本国は,在日韓国・朝鮮人たちを完全に無視(邪視)する基本姿勢どころか,1965〔昭和40〕年に法務省入国管理局参事官だった池上 努が「自分の本」のなかで,外国人は「煮て食おうが焼いて食おうが自由」だといいきるほどに,完璧といっていいくらい無化しようとし,敵視さえもする「旧植民地出身およびその子孫」に対する,抑圧的な「外国人(元は帝国臣民であったが)」管理政策であった。

 在日韓国・朝鮮人たちが,それもとくに旧大日本帝国時代から日本に住みついてきた1世代から2世代は,日本国の法務省が「焼いたり・煮炊きする」『生き物』だとみなされてきたけれども,いまの時代は3世・4世までもが登場して,日本の社会のなかで「〈純ジャパ〉(?)のような在日日本人」とともに,いっしょに社会に参画しつつ大いに活躍もしている。

 矢沢永吉の実例は,「彼自身が在日である以前」に1人のガッツ(根性)のある人間として,現在にまでのし上がってきた〈成りあがり〉であった。在日である意識をもつとかもたないとか,あるいは,もっていてもどの程度にその意識を保持していたかどうかなどにかかわらず,敗戦後史における日本社会を「彼もいっしょに」歩み,大いに彼なりに貢献もしてきた。

 こうした在日史の一端もなにもしらないで,いまさら「 × × 特権」はいけないなどと狂信して騒ぐ「うつけ者」たちは,日本社会全体にとってみれば〈最大の害悪〉でしかありえない。

 現在,日本〔国籍〕人でオリンピックに出場できるような競技力の持主には,黒人系有色人種を片方の親にもつ選手が多く輩出されている。だが「純ジャパ」至善・至上思考にこだわり,『彼らの存在じたい』に向けて〈偏執狂的な評価・判断〉をくわえたりしたら,おそらく〈差別・偏見〉の観方そのものに落ちこみかねない。

 前年から大騒ぎしてきている日本相撲協会の暴力事件は,モンゴル系力士集団内で起きていただけに,こちらの国籍別・民族別(同じ黄色人種であっても)の分類にかかわって,前段のごとき「その種の観方」が混ざりこんでいないとは限らない。

 矢沢永吉の在日「性」が実際においては,徹底的に表面に出ないかたちで,日本社会のなかに通用している。だが,もしもその在日性を矢沢が強く意識しだし,この要素を強調しだしたら(いまどきこれはありえない想定かと思うが),ファンたちはどのように反応するか?

 前段の想定話については,いろいろな答えを用意・列挙しての考えを展開できるが,今日の記述では,ひとまずこれでおしまいにしておく。ただし,その答えの半分くらいは,既述中に示唆してきたつもりである。

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