【回りまわってインフルエンザをもらった話題】

 【病院・開業医などは大忙しのてんてこ舞いで,千客万来,商売繁盛



    ①「インフル猛威 患者283万人 1999年以降で最多 / A型とB型 同時流行」(nikkei com  2018/1/27)

 インフルエンザが猛威を振るっている。厚生労働省が〔1月〕26日,発表した最新の1週間(1月15~21日)の患者数は1医療機関当たり51.93人で,統計開始の1999年以降,最多となった。A型とB型の2つのウイルスが同時に流行し,感染拡大につながっているとみられる。加藤勝信厚労相は,同日の閣議後の記者会見で「外出後の手洗いなどさまざまな予防策に努めてほしい」と呼びかけた。
『日本経済新聞』2018年1月27日nikkeiコム記事から
 厚労省によると,患者数は全国約5千の定点医療機関から報告。1医療機関当たりの患者数は鹿児島県(86.53人)をトップに全国的に今季初めて大流行の発生を示す警報レベル(30人)を超えた。昨季より1週間早く大流行が起きている。

 この1週間に全国の医療機関を受診した推計患者数は前週に比べ,約65%増の約283万人と急増。年齢別では5~9歳が約59万人,10代が約40万人だった。この結果,今季(2017年9月4日以降)の患者数は推定837万人に達した。
  インフルエンザ統計図表
  出所)https://www.niid.go.jp/niid/images/iasr/rapid/inf3/2016_36w/sinin1_180128.gif
 厚労省によると,国内で最近,流行しているのはA型2種類とB型の計3種類。例年と異なるのは,B型患者の急増だ。直近の5週間では,2009年に新型インフルエンザとして世界的に流行したA型と,B型の検出割合がともに4割程度で全体の約8割を占めた。

 厚労省は毎年2月に増え始めるB型が例年に比べ,1カ月早いペースで増えているとみる。2つの型のウイルスが同時に流行し,患者数を押し上げているとみられる。

 インフルエンザは主に,他人のせきやくしゃみの飛沫に含まれるウイルスを吸いこむことで感染し,気温と湿度の低下に伴い流行が起きる。強い寒気と冬型の気圧配置が続いた影響で厳しい寒さがつづくなか,高齢者や子供を中心にインフルエンザがさらに広がる恐れがある。

 感染の拡大で学級・学年閉鎖や休校が相次ぐ。小学校や中学校などの合計は前週比約47倍の7536施設だった。入院患者数は2370人で,前週と比べ36%増えた。首都圏では中学・高校の入試シーズンが本格化。東京都と神奈川県で2月1日から私立中学で,2月10日からは私立高校でそれぞれ入試が始まる。今後,受験生や家族の体調管理にはさらに注意が必要となる。
 註記)https://www.nikkei.com/article/DGKKZO26197980W8A120C1EA1000/

 本ブログ筆者も1昨日からインフルエンザに罹患している。カゼなど何十年もひいたことがないのに,みごとにかかってしまった(けっして「バカ」として存在してきたのではないが)。原因ははっきりしている。孫がインフルエンザにかかったが,これは保育所からビールスをいただき(に感染し),自家に搬入してきて,バラまいた。

 するとつぎは,この孫(子:1歳5ヶ月)の父親がそのインフルエンザを移され,かかった。共働きのこの夫婦の家事運営が大変だということで,この父親の母,つまりその孫の祖母が緊急出動し,助けにいったはいいが,そのためにこんどはこの祖母がつづいて,インフルエンザ・ビールスに襲われた。その祖母を妻とする本ブログ筆者がつぎの番となってしまったしだいである。

 ②「〈いつからうつる?〉インフルエンザの潜伏期間について」(『インフルエンザを知る』2015.11.24 12:00)
 
 インフルエンザにかかってしまうと,多くの場合,一気に38度から40度の高熱が出現し,日常生活が不可能なほどの強烈な全身の筋肉痛や倦怠感に襲われることになる。そういった症状が発症する前に,インフルエンザウイルスは私達の身体にどのくらいの間潜伏しているのか?

 1)インフルエンザウイルスの潜伏期間と兆候
 インフルエンザウイルスの潜伏期間は,わずか1~2日といわれ,非常に短いのが特徴である。インフルエンザの前駆症状としては,

  身体のだるさ
  強い悪寒
  鼻腔やのどの乾燥

といったものがある。前駆症状としては通常の風邪の場合と似ているが,風邪の場合,このような症状を感じてから熱が上がったり,全身に倦怠感があったりなど,明らかな感冒症状が出始めるまで期間がある。

 一方インフルエンザの場合,こういった前駆症状を感じたか感じていないかの間に,すぐに高熱やひどいだるさ,筋肉痛,関節の痛みなど,はっきりした強い,いわゆるインフルエンザの症状が出てくる。この発症の急激さが,通常の風邪とは異なる点のひとつである。

 2)潜伏期間中も感染する?
 インフルエンザウイルスは飛沫感染や接触感染により感染するため,発症したことが確認されると学校への出席を停止するよう,学校保健安全法という法律で定められている。感染してしまったら,できだけ他人へ感染させないよう配慮したい。

 実はインフルエンザウイルスは,発症する1日前から感染力をもっているといわれている。インフルエンザウイルスの潜伏期間は1~2日で,感染した当日から感染力をもっている。症状をはっきりと感じることのない,発症前からすでに感染力をもっているとなると,感染拡大を止めることが容易ではないことが想像できる。

 その感染力は,発症後1週間程度まで持続し,とくに発症してから3日ほどは感染力がピークに達すると考えられている。

 3)でき来るだけ感染を防ぐために
 インフルエンザウイルスが体内で増殖するスピードはすさまじく,およそ8時間で100倍に増殖するといわれている。これはつまり,わずか1つのウイルスが一昼夜,24時間の間に100万個にも達することを意味する。

 このインフルエンザウイルスが数千万に達すると症状が出始め,発症後3日目以降はウイルスが減少に転ずると考えられている。このことから,一般的に医療機関で広くおこなわれているインフルエンザの検査を受けるには,発症後12時間から48時間程度で受けることが望ましいとされている。

 また,インフルエンザは予防接種を受けても感染することがあるが,予防接種を受けていると症状が比較的軽く,発熱も38度に達しないこともある。このため,症状がインフルエンザの典型的症状ではなくても,インフルエンザに感染している可能性があり,つまりは周囲の人に感染させてしまう危険性がある。

 とくに,家族に子供やお年寄り,妊婦さんや基礎疾患をもつ人がいるときは,普通の風邪の可能性が高いように思っても,大事をとって医療機関を受診し,必要に応じてインフルエンザの検査を受ける習慣をつけておくとよい。
 註記)https://www.meiji.co.jp/influ-navi/know/detail06.html

 ③「死者数,最大1億人! 人類史上最悪のパンデミックはインフルエンザだった!」(『Rhythm』2017.10.31)

 いまから100年近く前に流行した,人類史上最悪の疫病といわれるスペイン風邪。そのスペイン風邪が,実はインフルエンザであった。人類最悪のパンデミック(感染症の世界的な大流行)はどんなものだったのか。
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 1918〜1919年に全世界的に流行したこのスペイン風邪は,当時の世界人口のおよそ3割が感染したとされ,死者数はさまざまな説があるものの,およそ4000万人。一説によると5000万から最大1億人が犠牲になったともいわれている。短期間でこれだけの犠牲者が出たことは,疫病,災害,戦争というあらゆる死因を含めても,人類史上初めてで最大であった。日本でも被害は甚大で,39万〜48万人が死亡したという研究結果が出ている。 

  ※ 第1次世界大戦の死者数よりも多い ※

 4000万人の死者数といわれても,あまり実感できない数字であるが,どのくらいすごいかというと,あの第1次世界大戦での死者数が1600万人ともいわれるから,4000万人いうと,その倍以上。しかもこの1600万人のなかには,戦場でスペイン風邪に感染して死亡した兵士も含まれている。戦死者のおよそ3分の1は,スペイン風邪が原因とされている。この事実からもわかるように,第1次世界大戦の終結はスペイン風邪によって早まったともいわれる。
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  ※ スペイン風邪なのに発生源はアメリカだった ※

 スペイン風邪の正体は,A型インフルエンザウイルス(H1N1亜型)。それまでヒトに感染しなかった鳥インフルエンザウイルスが,突然変異を繰り返すなかで,ヒトに感染する新型インフルエンザになったと考えられている。

 新型インフルエンザは,これまで人類が経験したことのない新しい感染症なので,もちろん,誰にも免疫がなかったん。だからこそ,スペイン風邪は人類史上最悪のパンデミックを引き起こした。

 実は,その発生源はアメリカであった。それなのに,なぜスペイン風邪という名称になったのか。その理由は,第1次世界大戦にある。流行当時は,第1次世界大戦の最中であったため,戦争にかかわっていた国々は情報の検閲をおこなっていて,この風邪についていっさい公表しなかった。そのなかで,中立国であったスペインだけが唯一,公表していたので,スペイン風邪という名称になったわけである。(引用終わり)

 話は少しずれるが,第2次大戦中に日本で発生した大地震が「その事実のとおりに発表されなかった歴史」もあった。戦争というものが人間の命をいかほどにまで軽視していくか,第1世界大戦中のインフルエンザの猛威とともに,あらためて記憶されねばならない。

 ここでは,関連する著作としてつぎの2冊を挙げておく。

  ◇-1 山下文男『隠された大震災-太平洋戦争史秘録-』東北大学出版会,2009年。

  ◇-2 木村玲欧『戦争に隠された「震度7」-1944東南海地震 1945三河地震-』吉川弘文館,2014年/  

 ④ 戦中・戦後の歴史に埋もれた「昭和の4連続超巨大地震」

 敗戦をまたぎ1943年から1946年にかけて4年連続で,日本列島を襲った巨大地震が記録されていた。「戦中・戦後の4大地震」とも呼ばれるこれら地震は,終戦まぎわから戦後間もなくだったという時代背景があって,震災そのものが十分に伝えられていない。(画面 クリックで 拡大・可 ↓  )
南海道地震津波史碑
 出所)http://www.shikoku-saigai.com/archives/3418#!prettyPhoto[gallery]/0/1946

 第2次世界大戦中と大戦後に起きた4大地震は,戦中戦後の国民の士気を下げないためにほとんどの記録が闇に葬り去られてしまい,現在わずかに残されている資料の数字も,かなりの修正をかけられている可能性が高い。1945年の敗戦前後にかけて4年連続で1000名を超える死者が出ていた。

 それは,1943年9月10日の鳥取地震(マグニチュード7.2),1944年12月7日の東南海地震(これはマグニチュード8.0で「九州から東北・北海道の一部でも揺れが観測された」),1945年1月13日の三河地震(マグニチュード6.8,これは7.1という説もある),1946年12月21日の南海地震(マグニチュード8.1)などであり,「戦中・戦後の4大地震」といわれている。

 以上のうち前3件の地震は,発生時が戦時中であったため,それもとくに軍需産業の拠点が壊滅的被害を受けていると海外にしらせないために,軍部が情報統制をおこなっていた。なかでも,三河地震は軍需産業地域直下の地震であって,規模の割りに大きな被害を出していた。この三河地震は  “ナゾ” の多い地震とされている

 そうした当時の事情もあって,これらの地震は戦火と戦後の混乱に埋もれ,震災そのものが十分に伝えられているとはいいがたい。だが,終戦を挟んだ昭和の地震活動とその被害は,今後の日本の防災にとってきわめて重要な教訓をはらんでいる。
 補注)ここまで引照しただけでも,2011年「3・11」に関して,以上のように敗戦をはさんだ時期に発生していた4大地震の教訓が読みとれるはずである(現実にはまったく活かされていなかったが)。原発の立地がどこにあるかをあらためて指摘するまでもない。危険がいっぱい,そのものである。

 「南海地震」と呼ばれる海溝型の巨大地震の,その最古の記録は「日本書紀」に記された684年の「白鳳南海地震」であるが,それ以来1946年の「昭和21年南海地震」まで,8回の南海地震の記録が残っている。

 そのうち一番新しい時代に起きた三度の南海地震,すなわち1946年南海地震,安政南海地震(1854年),宝永地震(1707年)を比較すると,それらの間にはかなりの規模の差があったことがしられ,昭和南海地震が一番小さく,安政南海地震が中程度,宝永地震が大型の南海地震であった。
 註記)以上の引用では,適宜にしぼって選択しつつ参照した。途中に指示されている典拠は煩瑣なので割愛した。興味のある人はこちらの注記からのぞいてほしい。⇒ https://matome.naver.jp/odai/2137775333953640001

 最後に出てきた内容「昭和南海地震が一番小さく,安政南海地震が中程度,宝永地震が大型の南海地震であった」という点に関しては,つぎの付言をしておく必要がある。

 2011年「3・11」東日本大震災のときに遭遇させられたマグニチュード9といったごとき,しごくまれになのだが,日本列島の東側:太平洋側の地盤のなかでは数百年ごとに必らず発生してきた「超・大規模地震」(Mが9以下のM8前後のものまでも含めた話:想定)が,歴史のなかに記録されてきた事実を忘れてはならない。

 原発事故は戦争事態(有事)ではないものの,実際に事故を起こしてしまうと,まるで大戦争の様相にも似た “非常に紛糾し混乱した事態” を惹起させる。インフルエンザは,自然からもたらされる悪現象(病気・被害)と呼んだらいいけれども,われわれが人為的に努力すれば予防できる原発事故を起こすほど愚かなことはない。

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