【日本の政治を根本からは改善させえない方途での論調を,恥じらいもなく披瀝できる日本経済新聞幹部のあさましさ】

 【大手経済紙が安倍晋三政権に対して「忖度しかしない解説コラム記事」を書くようでは,世も末】

 【世襲議員2世・3世だらけの日本の国会を異常だとはいいきれないまま,「異様な内容の解説記事」を書いた,日経政治部次長の安倍政権に対する「忖度」ぶりはみぐるしい】



 ①「世襲王国ニッポンの未来」(『日本経済新聞』2018年7月22日朝刊「風見鶏」)

 1) 事前の詮索
 この解説記事は,日本の政治の根幹を蝕む既往症である「世襲政治家の跋扈跳梁」を批判するのかと思いきや,その逆であった。ともかく安倍晋三政権をヨイショし,いずれにせよ「大いに期待します」とか受けとれるような口調で締めくくられていた。

 本質的な問題点がどこにあるのかを追究するのではなく,表面的な現状をただ是認する発言しかない。このコラム記事を書いた日経政治部次長桃井裕理のジャーナリストしての感覚が根幹から疑われる。

 いまの日本の政治にとって「社会の木鐸である新聞紙」に要求されているのは,アベ様の立場(アホノミクスやらアホノポリテックスなど)を忖度する記事作りではなく,21世紀において縮小社会への隘路にひたすら進みはじめたこの国の未来を憂い,深慮し,政策提言に積極的につながる〈なにか:エトバス,サムシング〉を語ることではないのか。

 なにやらおべんちゃらにしか読めない内容の迷文を読まされた日経の購読者としては,基本的には『日本情報新聞』としての価値はこの「日本経済新聞」に十分に認めるものの,『日本政治新聞』である側面から読むときのこの新聞紙は,興ざめである。

 原発問題に関する報道もしかりであって,日本の重工業会社のための利益第1を意識した記事しか書けない。原発関連の記事に関して “ときたま” であるが, “しばしば” 理解に苦しむ原発再稼働・推進論を根強く主張してきた。

 だいたい,いまではすでに知悉の点になっているが,経済計算で予測してみれば「原発の高いコスト」性は,大きな問題になっていた。これからの「廃炉工程のその先」にまで目をこらして観察していけば,いまではよく理解されはじめているように「原発事業の実質的な破綻状態」は目にみえている。

 廃炉工程だと表現されている「原発の後始末事業」は,実は終わりのない作業工程の始まりを意味していた。それこそ,未来に向けて人類は, “果てしない技術経済的な諸負担”が「人間・人類側にのしかかってきた現実」を覚悟しなければならない。この深刻な事態はすでに自明の「事実=真相」であった。

 要は,日本経済新聞の立つ基本的な立場は,目先の利益・利害しか読みこめないのではなく,それすらもあえて読みこもうとはしない新聞紙になっている。そうだとしたら,この日本経済新聞社の発行する新聞は「単なる情報紙」である以上にその存在価値をみいだせない。

 2) 記事本文
 かつて菅 義偉官房長官が自民党の世襲制限の急先鋒に立ったことがある。2009年,麻生太郎政権下の自民党は世間から激しい世襲批判を受けていた。当時,菅氏は選挙対策副委員長。党内の猛反発を押し切り,2009年衆院選の公約に世襲制限を盛りこんだ。

 だが,民主党政権を経て世間の批判はすっかり下火に。菅氏が苦労して入れた項目もいつしか公約から消え,菅氏もあまり世襲制限をもち出さなくなった。
    『日本経済新聞』2018年7月22日朝刊風見鶏写真
    ※ 安倍内閣ではなんと「閣僚の約半数が世襲議員だ」
 世襲問題は自民党内では終わった話。そう思っていたら久しぶりに攻防が再燃した。きっかけは党・政治制度改革実行本部がまとめた提言案だ。「公募の厳格化」「世襲候補にはハンディキャップを」。内容が判明すると今回も批判が噴出した。5月にも開くはずだった全体会合は7月までずれこみ,最終決定された提言からは具体策が軒並み削られた。

 自民党に世襲議員が多いのは事実だ。2017年衆院選で小選挙区から当選した世襲議員の割合は33%。米国や英国の下院は5%前後だ。首相も世襲政治家が続き,ポスト安倍で名前があがる石破 茂氏や岸田文雄氏,若手の小泉進次郎氏や小渕優子氏もそろって世襲だ。
 補注1)途中だがここでいきなり10年前の記事関連の話題を紹介しておく。「〈国会議員の世襲〉避けるべきだ48% 毎日新聞世論調査」(『世界に架ける橋  www.kosuke.net   国際ジャーナリスト,高橋浩祐のオフィシャルブログ』2008/10/21 午後 3:25)が,こう関連して語っていた。

 日本と同じ小選挙区制を導入しているイギリスでは,親と同じ地盤から子が選挙に出馬できないように「同一選挙区での立候補」を党紀で禁止している。それりゃそうでしょ? 地盤・看板・カバンをそのまま譲り受けた世襲候補と,一般市民の中から立候補する非世襲候補とでは,スタート時点で,圧倒的な有利や不利の差が出てしまう。選挙区が小さな選挙制度なら,なおさら問題でしょ,世襲は? 政治が一部の人びとの「家業」になってしまい,本当の民意を汲みとれなくなるでしょ?

 日本は,イギリスの小選挙区制を参考にして1996年から導入したんだけど,この親と同じ地盤での世襲禁止という大事な部分を抜け落とした。世襲議員が本当に優秀なら,親と違う地盤から出ても勝てるでしょ? 世襲議員の多さは,日本社会が,競争スタート時点でとても重要な  “Fairness(フェアネス,公正さ)” という概念に乏しいことを映し出している。

 アメリカの子供がよく使う言葉だけれども, “That’s not fair!”  という感じだ。あの小泉元首相も,特定郵便局長の世襲はだめだなんて,郵政民営化の一環で改革したけど,自分の選挙区の地盤は,つぎの総選挙で次男に世襲しようとしている〔10年後の2018年ではどうなっているか,あえて指摘しない〕。どういうこと?

 それにしても,日本の大手メディアは,なんで世襲議員の多さを問題にしないのか? なぜ特集記事を書かないのか? 感覚がマヒしているのではないか? 雑誌では,『週刊ダイヤモンド』が8月に特集しました( ⇒ http://item.rakuten.co.jp/book/5822960/ )


 世襲政治家が一般市民の生活の機微に鈍感になっているように,大手メディアもこの問題に鈍感になっているのではないか? 世襲議員がはびこる国会の真っただなかで取材しているもんだから,慣れっこになっちゃっているかな?

 補注2)『日本経済新聞』の政治部次長桃井裕理も,新聞記者としての「感覚がマヒしている」らしく,日本における世襲政治家の実情に「鈍感になっている」のは「慣れっこになっちゃている」せいらしい。というより桃井は,この日本の政治における〈世襲制度の確立に近い現状〉という実態を,わざわざみずからすすんで是認する発言までしている。引用中の『日本経済新聞』コラム「風見鶏」の結論部分は,その事実があからさまに告白されていた。

 国会議員の定数削減の問題にしろ,世襲議員の問題にしろ,選挙区制度の問題にしろ,こうした問題提起は絶対に,国会議員から出てこない。記者がしっかりと問題意識をもたないといけない。僕もちょっとだけ朝日で鈴木宗男番をやったことがあるけど,毎日,夜討ち朝駆けで大変で,それこそ疲れてしまって,なかなか政治の構造問題にまで考えが及ばなかったことは事実。

 時間のある編集委員や論説委員がこういった構造問題を書いてはどうだろうか? 日本の新聞の編集委員や論説委員は政局絡みの記事を書くケースが多く,政策や構造問題にメスを入れるのが苦手なのだろうか?
(引用終わり)
 註記)https://blogs.yahoo.co.jp/kosuke_everonward/44802976.html

 補注3)なにやら以上に指摘されているとおりに『日本経済新聞』政治部次長も,日常業務に「疲れてしまって,なかなか政治の構造問題にまで考えが及ばなかったことは事実」だと,指摘されうる好例のひとつになりさがっている。それも「政策や構造問題にメスを入れるのが苦手」なのかとまで「同情されてもいる」。けれども,この政治部次長の場合は積極的に,さらに世襲制度を活用(善用)すべき余地に言及していた。

 日本の政治においては世襲制度が実質的に固定化しており,政治から活力を奪い,新鮮味などなにも出せない「自堕落な自民党〔+公明党〕の強権政治」が続いている。そうした現状のなかで,この日経政治部次長の見解のように,世襲政治を部分的・側面的にであっても,歓迎しつつ利用する意見を表明した。だがこの姿勢は,ある意味では「アベ政権に特有である狂気」が演じてきた政治舞台の一隅を,みずから「喜んで支える役目」をはたすことと「同等の言論」を意味する。

 〔ここでようやく,コラム「風見鶏」記事に戻る ↓  〕
 故山中貞則・党税制調査会長は子息ら親族が秘書を務めていたが,あえて後継はさせず,地元県連が後継者選びに奔走した。こうした話が美談として語りつがれるのも珍しいからだ。
 補注)ということであれば,いまでは世襲議員が中心を占拠するような自民党政治の中身は,けっして「美談」などで語れるのではなく,むしろ「醜悪な話題を満載している」というべきである。こちらの理解のほうが,より的を射た認識である。

 山中貞則の政治家としての立場は,自分の仕事の継続(存続)を「自身の子ども」たちに継承させようとする「絶対的多数派」には属していなかった。この事実に関していえば,実業家の事例では本田宗一郎のような経営者がまれな存在であったのと同じに,山中も完全に「例外的な政治家」であった。

 ただし,政治家の世襲によって発生しがちな(日本では繰り返しその悪弊が実証中であるが)弊害を事前に予防するためには,同一選挙区からの立候補を世襲の立場にある者に対しては認めなければいいだけのことである。だが,いまの自民党にはあまりにも世襲議員が多すぎて,そういう「世襲禁止」を制度化しようとしたら,猛反発が起きて妨害する。

 だが,安倍晋三政権の実際を観ればよく判るように,いまではこの国を破壊し,溶融させつつある無能・無策・無為でしかないこの総理大臣が「自国の滅亡」に拍車をかけるような為政しかできていない。「忖度の政治」などいった修辞こそ,若干は美辞麗句的な理解であっても,これは専制的強権政治の独裁志向を現象面で表現した文句でしかありえない。

 「世襲が固定化すれば,優秀で多様な人材を政治にとりこむ道が狭まる」。こう指摘するのは提言案をまとめた大岡敏孝衆院議員。「決まった家から代々議員が出るなら江戸時代の藩と同じ。自民党はこれまで『開かれた国民政党』といってきたのではないのか」。
 補注)いうまでもあるまいが,現状において自民党は世襲議員によって閉ざされた感すらある政党である。安倍晋三首相のまわりにはそのほかにも,いわゆる「安倍チルドレン議員」が蝟集している。世襲議員たちもさることながら,こちらのチルドレン議員たちの品位・品格のなさといったら,最高に粗雑である悪さをめだたたせていた。

 昨日〔2018年8月5日〕の『日刊ゲンダイ』のある記事は,そのたちが悪いとまで形容してもいい「安倍晋三チルドレン議員」の1人が最近発言したLGBT差別(「子どもを産まないこれらの人びとは「生産性がない」と一方的に批判した)について,つぎのような見出しの記事を報道していた。要旨のみ添えておく紹介する。
★ LGBT発言の杉田水脈議員,自民党から
指導受けるも謝罪せず 次の選挙への売名か ★
=『日刊ゲンダイ』2018年08月05日 20時10分 =

 この記事のまとめのみ紹介すると,こう整理されている。

     ※-1 LGBT発言が批判を受けた杉田水脈議員は,自民党から指導を受けたと明かし,コメントを発表。

     ※-2 杉田氏は,自分を称賛し守ってくれる人がたくさんいるため,謝罪は不要と考えているようであった。

     ※-3 杉田氏は,今回の騒動がつぎの選挙で自分を有利にしてくれると計算しているだろうとも。
 杉田水脈議員は,安倍晋三が地方比例区に候補者として突っこんで当選させたチルドレン議員の1人である。だが「ふつうの」「世襲政治家」とは感覚が異なっていて,政治家としての権謀術数とは無縁の言動を,自分なりにしがちである。安倍のチルドレンだという事実は,もちろんこの首相の麾下にいる陣笠議員を意味するが,問題なのは「自分の頭を使いながらごく常識的に社会の事象を認識する能力」に欠落がある点であった。

  〔コラム「風見鶏」記事に戻る→〕
 世襲議員の多さは,自民党の「強さ」とされる面との背中合わせでもある。議員の個人後援会は長年かけて地域の政財界に根づいてきた。利害がからめば組織の存続じたいが目的化する。英国では党の指示で選挙区が頻繁に替えられ,世襲候補は親族と同一選挙区から出さない慣例だ。
 補注)桃井裕理政治部次長はこのように,世襲政治家の問題点を指摘はするものの,それでは日本でも制限が必要かどうかついては,本気で思考をめぐらそうとはしていない。語り口が他人事であった。

 世襲批判が最近下火となった理由にも,自民党を支えるシステムが関係している。公募しても集まるのは社会経験に乏しい「チルドレン」ばかり。背景のひとつに派閥政治と並び自民党の統治機構をかたちづくってきた当選回数主義がある。経済人など他業界でどんなに功績を挙げた人物でも議員になればチルドレンと肩を並べる「1回生」。当選回数が多ければ順繰りに閣僚や党要職に就ける。
 補注)この当選回数主義は昔,旧大日本帝国軍内における内務班的な不文の因習的な軍律であった「メンコの数・主義」とまったく同一である。士官の場合だと,卒業年次(何期生)かによって,なんでも決まるかのような人的な秩序であった。

 このメンコの数がなによりも政治家としての経験や実力を測るための物差しとして解釈・適用され,政権党内では有効な判断基準になっている。世襲議員の場合では,この「世襲の世代」が「メンコの数」を意味しうるかのような,つまり,幻想的だが同じに現実的である世界観を信じるほかない背景もある。

 もっとも,世襲何代目であるかといった当該政治家の能力・実力は,「メンコの数」といった旧日本軍内の内的秩序と同じであって,その人間個人ごとの能力・実力と正比例しているとは,けっしていえない。旧軍の場合では実際に戦場に出たとき,その能力・実力(戦闘力)の真価が歴然として表面に出てくることは,いくらでも観察できた。

 ところが,世襲議員の場合は「小泉進次郎筆頭副幹事長」の実例からも判るように,元首相の子弟である「世襲的な立場」だから人気があるともいえ,安倍晋三に対して「忖度などしなくてもいい彼の立場」を存分に活かしうる世襲政治家ぶりを披露してきた。だが,進次郎の場合は例外的な存在である。
 補注)いずれにせよ,世襲政治家が組閣された閣僚たちのうち半分もの数を占める自民党が,民主主義の政治的立場を推進しるかといえば怪しい。安倍晋三みずから証明してきた。

 政治家のほうでは世襲制度の当然視をいつまでも止めないで,そして有権者のほうからは,この世襲議員に投票するほかないような現状であるにもかかわらず,日本の政治が質的にも悪い因習にとらわれている環境を強いられていながら,まだりっぱに民主主義の国家体制を維持してきたかのように誤認している。

 最近における安倍晋三の政治「忖度原理(?)」は,まさしく民主主義の根本原理を倒壊する機能を発揮していた。安倍にとって好ましい現状であっても,この日本の政治が「21世紀におけるこの国の未来」を溶解させつつある事実に気づかないでいいのか。

 当選回数主義の確立前は池田勇人氏や佐藤栄作氏など官僚の要職を務めた「官僚派」が登用され「党人派」としのぎを削った。自民党が再び人材の多様化を進めるには党の骨格ともいえる制度を壊す覚悟がいる。
 補注)ここでは「党の骨格ともいえる世襲制度を壊す覚悟がいる」といっている。

 「そもそも日本人は世襲が好き」と歴史学者の本郷和人東大教授。日本は大陸の律令制度を学んだが,科挙制度は導入しなかった。風土が豊かで外敵も少ない日本では,厳しい競争社会よりも「生まれ」で皆が納得できる世襲が受け入れられやすい土壌があった。

 「だが日本の歴史で世襲制度が一度だけ壊れた時がある」と本郷氏。それが明治維新だ。黒船到来がもたらした国家の危機が優秀な人材の登用を必要とした。そして優秀な下級武士が活躍する基盤を作ったのが島津斉彬や山内容堂,松平春嶽などの名君たちだ。彼らがまずみずからの寄って立つ封建制度を崩し始めなければ,明治の志士の台頭はもっと遅れたかもしれない。
 補注)ここでは「みずからの寄って立つ封建制度(世襲政治)を崩し始めなければ」といわれている。

 いま,世界ではAIをはじめとした革新が猛スピードで進む。既得権益層への不満はポピュリズムの台頭を生み民主主義は揺らいでいる。目にはみえない黒船が迫っているのではないか。改革は既得権益層が旗頭となった時ほど早く進む。いまや日本の最高の権力層にある世襲政治家たちだからこそできる仕事がある。(政治部次長桃井裕理)(引用終わり)

 このように,それでも最後の段落になると「改革は既得権益層が旗頭となった時ほど早く進む。いまや日本の最高の権力層にある世襲政治家たちだからこそできる仕事がある」と力説されていた。だが,既得権益層である世襲議員たち,とくに地方から選出されてくる安倍晋三自身を代表とする彼らに「世襲政治家たちだからこそできる〈この仕事〉がある」と期待するのは,のんきも度を越しており,買いかぶりもいいところであって,贔屓の引き倒しにしかなりえない。

 そうした主張は主張そのものとしてはいいのだが,それよりも実現の可能性を詮議し,この期待ができないとなれば,これをいますぐに真っ向から批判し,ただちに是正せよと正論を吐くのが政治部記者の,もしもでも「社会の木鐸」的な見地に徹するのであれば,当然の立場である。

 どだい,いまのこの時代に「明治に返れ!」という彼らであった(あの「戦後レジームからの脱却」のこと)。世襲議員を守っている “制度的な要件” を除去することに賛同する者など,安倍晋三を先頭にして1人もいない。それでも日経政治部次長桃井裕理は,いま必要な「改革は既得権益層が旗頭となった時ほど早く進む」とまでいいきっていた。

 安倍晋三政治への忖度記事をこのさい,もうひとつ足してみたみたいなコラム記事の公表であった。それも「政治の世界(権力層)」に対してへりくだったようなコラム記事であった。その連載コラムの名称が〈風見鶏〉だとしても,今回,書いていた内容はそれ以上にごますり記事であった。

 先日,選挙区割りに関する話題で,こう論評される記述があった。安積明子稿「参議院『定数6増』はいくらなんでも酷すぎる 自民党の利益を守るためだけの『改革』だ」(『東洋経済 ONLINE』2018/07/16 15:00,https://toyokeizai.net/articles/-/229645 ~)は,こう批判していた。
 その改革案が民主主義の観点からも疑問が残るのは,まず「最高裁の判断とは無関係の『改革』」であり,「地域代表なのであれば憲法改正が必要」であるにもかかわらず,「この時期になぜ国会議員を6人増やすのか」と批判されるべきところが,とくに政権側の主張としてなんら問題になっていなかったからである。
 日経政治部次長桃井裕理は,この程度のことは記者として既知のことがらだと推測する。しかし,それでもなお,いまの自民党政権に対してなんらかの「改革」を期待したいとした論調は,オメデタイという領域に達している。コラム〈風見鶏〉において執筆された記事であったが,その名のとおり「自民党の風向き」にあわせて公表されていた。とはいえ,国民たちの立場から読むと,日経側が「安倍忖度政治」の一端をしっかりテイネイにみずから支持する立場を,わざわざバラしたかのような「コラム記事」にしか受けとれない。

 たとえば,「安倍首相と読売ナベツネらマスコミ幹部がまた “癒着” 会食! 共同通信社長は仲間入りのため米軍基地の報道姿勢転換」(『リテラ』2016.09.05,http://lite-ra.com/2016/09/post-2543.html)という記事は,同日〔2016年9月5日の時事通信の「首相動静」を引用して,こう指摘していた。
 午後7時57分,東京・大手町の読売新聞東京本社ビル着。渡辺恒雄読売新聞グループ本社主筆,橋本五郎読売新聞東京本社特別編集委員,福山正喜共同通信社社長,熊坂隆光産経新聞社社長,芹川洋一日本経済新聞社論説主幹,評論家の屋山太郎氏らと会食。
 ときの首相と仲良く幹部たちがたびたび会食する機会をもつ各新聞社の立場なのでは,政権・体制側の立場や行動をまともに批判することはできない。この理解はしごく当たりまえである。すでにその負的な実績だけならば豊富に生み出してきた「安倍政権〈忖度〉政治」が,今後においても「社会の木鐸」から批判のない報道体制のなかで,のうのうとその強権ぶりを発揮していく。

 読売新聞社は権力の手先,産経新聞社は権力の腰巾着,日本経済新聞社は権力のチンドン屋。

 ② 安倍晋三の政治・経済は「まつりごとの要諦」から転落している

 『朝日新聞』2018年7月24日朝刊の読者からの「声」欄への投書に,こういうものがあった。
 ◆ 治山治水こそが政治の要諦だ ◆
= 家電店経営 渡辺裕司(岐阜県,68歳)=


 またしても梅雨前線の停滞による大水害が起きた。毎年のように起こる豪雨災害の根本原因には地球温暖化が考えられるが,はたしてそれだけなのだろうか。

 中国の古典に出てくる「経世済民」という言葉がある。「世を治め民を救う」という意味だ。この「経世済民」をつね日ごろ考える政治家がいまの日本にいたならば,先手先手の対策として公共事業に国費を投じていくだろう。

 蛇行する河川なら直線に改良する。脆弱(ぜいじゃく)な堤防は強靱(きょうじん)化する。緑のダムとして山の防災林を整備する。

 安倍晋三首相は,つねづね「デフレ脱却なくして財政再建なし」などといい,デフレ脱却を最重要政策にかかげる。であれば,安倍首相は,いまこそ大胆な内需拡大政策の一環として,大治山治水計画にとり組むべきだと思う。もう待ったなしの状況だからだ。

 政治の要諦(ようてい)は,国民の命と生活を守ることだ。昔もいまも,日本列島の強靱減災化こそが,日本政治の要諦だと私は思う。
 この男性の投書「意見」は,西日本を襲った記録的な豪雨(2018年7月豪雨と命名され,6月28日から7月8日ごろにかけて,西日本を中心に北海道や中部地方など全国的に広い範囲で記録された,台風7号および梅雨前線等の影響による集中豪雨のこと)を踏まえて,国民の立場から提示されていた。

 安倍晋三と自民党の一部オトモダチたちは,すでに豪雨が予報されその危険性も予測されていた時点の7月5日夜,東京・赤坂の議員宿舎でもたれた自民党議員の宴会(別称を「赤坂自民亭」と自称する「飲み会」)に集まり,大いに盛り上がっていた事実があった。

 わけても安倍晋三自身については,当時の豪雨発生⇒災害警戒に対する緊急事態的な対応体制が,政府の側では事前に準備されているべきであった。ところが,官邸側が具体的になにか行動を起こしていたとみなせる記録(事実)はなかった。

 事後,前段のような身内同士が集まっていた飲み会のあとに「生じていた」 “例の「首相自身に関する空白の66時間」” が指摘されていた。いまだに不詳のままであるような,災害発生の以後に関する「首相不在」の時間帯が残されている。以上の事実については当然,世間から強い批判が惹起していた。

 安倍晋三は首相の立場として「念願の憲法改正」に向ける努力は,懸命になって傾けてきているが,一国の最高責任者(自衛隊3軍の最高指揮官と本人は自称)の立場にありながら,自国の人びとの生命安全を守る基本的任務に関しては手抜きがめだっていた。西日本豪雨のために発生した「人的被害は死者220名,行方不明10名」と集計されている。
 「民主政治は『劣悪者』を指導者に選ぶと,とたんに『最悪の独裁政治に転化』してしまい」,「そして,独裁政治は『組織の末端において愚劣さは倍加』されるため,国民はさらに劣悪な状態に置かれることな」る。
 註記)中島岳志『保守と大東亜戦争』集英社,2018年7月,116頁。
 ③ 安倍晋三チルドレン議員・杉田水脈の馬鹿らしさ加減

 「〈ダイバーシティ進化論〉女性入試差別・LGBT支援批判 属性による排除解消を」(詩人・社会学者水無田気流『日本経済新聞』2018年8月6日朝刊21面「女性」)という一文を引用する。

 やり切れない思いで,東京医科大学の恣意的な女子合格者抑制の記事を読んだ。一般入試で女子受験生の得点を操作し合格者数を抑制していたという。大学関係者は,女性医師は出産・育児などで離職する人が多いため,男性のほうが望ましい。いわば「必要悪」と語ったという。

 詳細は調査中だが,もしそれが事実で大学の総意であるなら,入学者受け入れの方針に明記すべきだ。同大学の方針を読むと「1.十分な基礎学力をもつ人」とあり,めまいを覚えた。新卒採用でも「試験の点数順では女子ばかりになるので男子にゲタを履かせる」など聞くが,公正第一の大学入試でそうだとしたら……。批判は免れまい。

 同様に,属性による排除志向が批判を浴びた事例は,自民党の杉田水脈衆院議員の『新潮45』誌への寄稿「『LGBT』支援の度が過ぎる」である。筆者は最初,日本のLGBT支援政策は政府与党の議員が行き過ぎを批判するまでに手厚くなったのかと思い,近年の国の歳出予算より社会保障関係費を早速,確認。そのような傾向はなかった。

 原文に当たったところ,杉田氏は新聞各紙のLGBT報道件数を調べたとして,「リベラルなメディア」の報道への「違和感」を表明。しかし,新聞が社会的弱者について報道することは,社会の公器として当然の役割といえる。これを国会議員が批判するとは,言論封殺にも通じる姿勢といわざるをえない。
 補注)安倍晋三政治の特徴としての「忖度の政治」は,柔らかな感触をもたせながらも粗暴な「言論封殺」を意味する。その実質での効果は,中世の時代における王国支配や近世の社会主義独裁国家体制で発生していた強権体制とも,なんら変わるところない。

 新聞(新聞社・新聞紙)が「社会の公器」であり,これがはたすべき「当然の役割」がいまの日本の政治との関連のなかでまともに機能しているかというと,冗談でなければ,つまり本気ではいえば全然ない状態に置かれている。相当にひどい国家体制になりはてている。

 「安倍晋三という日本国の〈膿の芯〉から出ている」膿そのものは,読売新聞社や産経新聞社の全体はもちろんのこと,日本経済新聞社の大部分にまで,そして毎日新聞社や朝日新聞社も部分的にはその膿に浸潤させられている。現在のような,安倍晋三とこれらの新聞社の幹部が親しく会食をして意見を交換するために,ときたまにであっても歓談するといった風景じたい,政治の腐敗をみごとに意味するといっていい。

 〔記事に戻る→〕 さらに杉田氏は,LGBT当事者は「子供を作らない,つまり『生産性』がない」ので,「そこに税金を投入することが果たしていいのか」と批判するが,こちらも大いに問題がある。出産能力の有無を人間の「生産性」と等価にみなすことは,LGBTのみならず,経済・社会・身体的理由などから子供をもたない選択をした国民をも侮蔑する姿勢だからだ。

 冒頭の東京医科大学の問題に戻れば,女子学生排除の理由にされたという女性医師の高離職率は,本来職場環境の改善で解決すべき課題だ。人権上の問題はもちろん,「女性は離職率が高いため一律排除」といった「統計的差別」は経済社会にも悪影響を及ぼす。属性を理由に不当な扱いを強いれば,個々の能力を活かせず結果組織の利益にもマイナスに作用する。いまこそ真剣に,この国の「マイノリティー(少数者)排除志向」を解消すべきである。(引用終わり)

 今回,不正裏口入試問題で世間を騒がせている東京医科大学の大学病院では,緊急手術が多い,不規則勤務の外科では「女性医師が敬遠されがちで,『女3人で男1人分」との言葉もささやかれている」といった点を,より前面に出して「誤解を呼びこみたい」かのように報じていた。その点は『読売新聞』や『産経新聞』の報道にみられた。だがこれは前段の意見にもあったように,医師たちに対する労働条件の改善によって解決できる問題であった。女性医師を増やして解決すべき問題でもあった。

 日本では女性医師の比率が3割台であるが,外国によって6割前後の国もある。そうなればなったで,男性だ女性だといった区別が〈差別させる観念〉などにはつながらないような勤務体制を準備せざるをえなくなる。

 東京医科大学は自学の付属病院における「医師の要員的なやりくり」に関する困難をウンヌンしていたが,この問題を女性医師に対する差別の理由にしたり,さらには医学部入学試験における断わりなしでの女子学生に対する差別的なあつかいの理由にしたいするのは,言語道断の対応であった。

 自民党政権の安倍晋三チルドレンたちが女性差別を平然と語られるのは,この政権党の基礎観念が旧民法的な「戦後レジームからの脱却」としての「懐古趣味的な,つまり時代錯誤の男女差別観」を依然と抱いているからである。

 だいたい「安倍晋三は▼▼なしカボチャ」だと田中真紀子に罵倒されていたが,子どもを産まない人たち(つまり子どもを生む女性たちでもなく,そしていっしょに育てる男性でもない彼ら)を「生産性がない」などと批難するのは,完全に斜視的で本末転倒の人間・社会観である。

 その物差しを当てはめていうと,子どもをたくさん儲けた女性とその家族はたいそうエラくて,そうでないすべての女性と男性は「生産性のない」「ダメな奴ら」だということになるのか。基準がひとつしかない,きわめて単純明快で稚拙・固陋な思考方式がのさばることになる。

 ちなみに,出生率に関して定義されている合計特殊出生率とは,「人口統計上の指標であり,1人の女性が出産可能とされる15歳から49歳までに産む子供の数の平均を示す」と説明されている。そうだとすると,15歳以下と50歳以上である女性たちは「生産性〔に可能性?〕がない(!)」から,あれこれについて「どうだ・こうだ」と,いちいちいわれるような対象にでもなるというのか?

 以前いわれたことばに「女性は子どもを産む機械だ」というひどいたとえがあった。人間を機械視する観方も問題であるが,女性の場合をとくに出産とむすびつけてこのように裁断する発想じたい,女性にかぎらず人間をモノあつかいしかしていない立場であった。
  安倍晋三はサイコパス画像
   出所)https://blog.goo.ne.jp/kimito39/e/337e77cbf4c586f8562e1c86a77dec26
 ここまで議論をしていると,もう “バカをいうのもたいがいにしろ” と警告しなければならない。かようのごとく「安倍晋三チルドレンの頭脳内構造」は,単純明快なる過ちに充満している。まるでこの首相の「ミニミニ版的なクローン的政治屋」の一群でしかありえない杉田水脈らの実像は,このさいあらためて存在論的にも印象づけられた。

 ------------------------------