【会計問題のイロハもしらず(?)に,原発の耐用年数に関して,未稼働だった「年・月の期間分を中抜きさせろ(その分は計算するな)」と要求したトンデモな,財界を代表する人:中西宏明】

 【原発不要論を主張する人びとを “エモーショナルだ” と断言した中西宏明は,それならば逃げずに “ラショナルに” 原発必要論を説明すべきである】

 【しかし,原発事業が2018年からは不採算部門になっていた事実があるにもかかわらず,経済人がそろばんもはじかずに「原発が必要だ」という根拠は,いったいどこに・どのようにありうるのか】



 ①「大熊町の避難指示解除 原発立地自治体で初 帰還困難区域除く」(『朝日新聞』2019年4月10日朝刊1面)


 1)前 
 安倍晋三君が,東電福島原発事故現場など福島県浜通り地域を,再度視察する予定があるという。2020東京オリンピック開催の件も念頭に置き,日本は原発の大事故に遭ったけれども,いまはもう放射能の汚染状態も少なくなって,現地はすっかり問題などなくなり治まりつつあると宣言したいのかもしれない。

 しかし「3・11」東日本大震災によって誘発した東電福島原発事故は,福島県〔など〕に大きな被害・損害を与えたことに間違いはなく,それ以前とはまったく異なった決定的な変化を地域社会に与えた。
村上隆則「福島で考えた『復興』という言葉の意味」
=『BLOGOS』2019年04月10日 11:30,
https://blogos.com/article/369931/ から =

 東電と政治,住民たち,それぞれの「復興」が交わることはないまま,8年という年月が経った。そして,復興に向けた作業はこれからもつづき,周辺地域を掘り帰した除染土と,廃炉作業によって出た廃棄物は増えつづける。

 本当は薄々,気づいている。「元通り」はありえない。原発に依存しない,新たな経済圏を作り,それなりにやっていく必要がある。だが,暮らしを奪われた側はそんなお仕着せの結論をあっさりと飲めるわけもない。

 いずれ,政治によって決められた「復興」が終わる日がやって来る。この地域はそのころ,どうなっているのだろうか。ただひとついえるのは,一部避難指示が解除されたいまも,住民たちが願う「復興」とはほど遠い状況だということだ。
 本ブログは基本の考え方として,つぎのように想定しておく。東電福島原発事故がもしも「なかった」と仮定しておき,いまではもう戻れない「その過去」に対して,いままでなされてきた “復興とはいえない復旧” が達成されつつある「この現在」を比べてみるかたちを採る方法をもって,よく比較考量しておく必要がある。

 いずれにせよ,とりかえしのつかない,それも21世紀の歴史に特筆大書されるべき原発の「深刻な事故」(水準7で最高度の原発事故)が起きてしまい,その悪影響のために生活を破壊されたり,あるいは人間としての寿命を早く切られることになった人びとも大勢いた。とりわけ被災地が地域社会として,震災前の姿には,もう復帰できないきびしい現実がある。
 補注)東電福島第1原発事故は,国際原子力事故評価尺度でもっとも深刻な事故に当たる「レベル7」に評定されていた。

 2)記事の引用
 東京電力福島第1原発があり,原発事故で全町避難が続く福島県大熊町の避難指示について,政府は〔4月の今日〕10日午前0時,放射線量の高い帰還困難区域を除いた地域の避難指示を解除した。事故から8年が経つが,第1原発立地自治体の避難指示解除は初めて。(▼31面=愛着と現実)
  『日本経済新聞』2019年4月10日朝刊35面避難地域解除記事
  出所)これは『日本経済新聞』2019年4月10日朝刊35面「社会」。
 解除対象は町西側の大川原地区と中屋敷地区。町面積の約4割で,町民の約4%,138世帯367人(3月末現在)が住民登録している。

 大川原地区には新しい町役場が建設され,14日に開庁式がある。役場近くで店舗や宿泊施設,災害公営住宅50戸の建設も進む。同地区には2016年夏から東電の社員寮が特例として設けられ,約700人が暮らす。町は解除後,帰還住民約500人と,すでに居住する東電社員らを合わせ,新住民約900人が同地区で暮らす将来像を描く。
 補注)この開所式に安倍晋三君が顔を出すのかもしれないが,政府関係者や政治家がいろいろこの式に顔を出したところで,現地の人びとにとっての,これからの生活が「3・11」以前よりも心機一転させられ,より明るい未来を迎えられるのかどうかは分からない。

 現在も町民約1万人が避難しているが,町内の居住地域の多くは今回の解除対象ではなく,大半の人びとの避難生活は続くことになる。帰還困難区域となっている町中心部は特定復興再生拠点として除染や整備を進めており,2022年春の避難指示解除をめざす。〔4月〕10日の解除で,福島県の11市町村に出された避難指示が全域で残るのは,第1原発がある双葉町のみとなった。(引用終わり)

 このように東電福島原発事故の被害を受けた現場が,「2022年春の避難指示解除をめざ」れている。けれども,あと3年後のそのときさらに以後になったとき,この原発事故の痕跡がきれいになくなることは,ありえない期待である。被災地の復旧工事じたいは百%に近づくまで進捗してきたとはいえ,「3・11」以前にあった地域社会の実体は,人口統計面に即してその実情をいえば,実質は半壊(以上の)状態に追いこまれている。

 3)「大熊への愛着,避難8年の現実『帰れない。でも通い続ける』」(『朝日新聞』2019年4月10日朝刊31面「社会」)(この記事は取捨選択して引用し,肝心と思われる問題点に注視する)

 福島県大熊町の大川原地区は〔4月〕10日,原発事故による避難指示が解除された。だが,ここに自宅を持つある一家は通いこそすれ,暮らすことはない。8年にわたる避難生活を過ごした人々にとって,帰還か否かだけではない。(▼1面参照)

   --中略--

 ※「〈視点〉偏る人口構成,問われる町づくり」

 大熊町は事故後,放射線量が高まり,原発も不安定で,帰還が考えられる状態ではなかった。その避難指示が一部だが,解除された。背景には,町を消滅させたくない地元の危機感と,住民を強制移住させた旧ソ連・チェルノブイリ原発事故との違いをアピールしたい政府の思惑がある。

 ただ,原発事故で国の避難指示を受けた自治体は,解除後に厳しい現実と向きあう。大熊町も同じだ。まず,住民の帰還が進まない。長い避難生活で都市部などに定住しているからだ。すでに解除された9自治体の居住率は平均で26%。原発から近く,解除が遅れるほど戻らない傾向がある。

 町に戻っても人口の構成は偏っている。帰還する住民は高齢者が多い。また大熊町の隣の富岡町は解除から2年経つが,町内に住む922人のうち3分の2は男性。20~40代では男性は5人に4人だ。廃炉などの作業員が多いためとみられる。2年前に解除された浪江町も同様で,持続的な地域づくりに影響を及ぼす可能性は否定できない。

 大熊町はさらに高い壁に直面する。除染で集めた汚染土を保管する中間貯蔵施設がある。2045年までに県外に搬出することになっているが,受け入れる自治体が現われるとは考えにくい。原発内には溶け落ちた核燃料がある。帰還した住民は解除後も長期にわたり,事故の残骸と向き合いながら生活を強いられることになる。(引用終わり)

 以上を一言でたとえていえば,東電福島原発事故の被災地はある意味で〈戦地〉ということばを連想させる。男性が多く居るのは,原発廃炉〔正確には廃炉ではなくその前段階で溶融した原子炉(圧力容器と格納容器)の後始末〕のために,現地に滞在している関係の作業員が多数になるからであった。

 戦地といってはいいすぎだというのであれば,まさに工事現場の存在そのものである。だからどうしても男性が多い。原発事故関連である工事の特性上,その現場には女性はいないとみていい。

 ②「〈社説〉経団連と原発 異論に向き合い議論を」(『朝日新聞』2019年4月10日朝刊)

 1)前 
 この社説を引用する前に,本ブログが昨日〔4月9日〕の記述でとりあげていたのだが,経団連会長中西宏明による「日本の原発利用に関してトンデモ(ない)発言」は,それこそ滅相もない要求を開陳していた。そもそも日本の大企業を代表する会社のひとつである日立製作所などで,中西は,つぎのように役職を務めている。
中西宏明画像 現在,中西宏明(1946年生まれ)は,日立製作所の取締役会長兼代表執行役(元代表執行役兼執行役社長兼取締役,元代表執行役兼執行役会長兼CEO兼取締役)であり,

 日本赤十字社副社長,一般社団法人中東協力協会会長,公益財団法人奈良先端科学技術大学院大学支援財団理事,一般社団法人2025年日本国際博覧会協会会長なども務める。
 出所)画像は,https://mainichi.jp/articles/20180531/k00/00m/020/191000c

 また,これまで務めてきた役職としては,株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズ会長,株式会社日立グローバルストレージテクノロジーズ最高経営責任者,株式会社日立製作所副社長,株式会社日立製作所社長,一般社団法人日本電機工業会会長などがある。
 この人物がまさか企業会計(財務会計や管理会計)の仕組や企業組織の基本をしらないわけがないと思われるのに,いまごろ経団連会長中西宏明としての立場からなにをいったかといえば,「厄介ものである原発の寿命を60年以上にも延長させろ」とか,「稼働していない期間はその寿命経過として計算に入れるな」などいった,途方もなく目先の利益だけに拘泥した「経済界からの要請」を,「しかも理工学の基礎知識に照らしてみても,まっこうから逆らっている不合理・不条理な主張」として発言(放言?)していた。

 中西宏明が「原発の寿命」を60年以上でもいいから延長させろとまで要求した立場は,原発事業にたずさわっている日立の利害そのものを剥き出しにした露骨な態度である。くわえてそれだけでなく,理工学的な主張として無理だらけであった。この点はなにも「原発」に限った技術的な理解ではなく,どのような装置・機械であっても共通していえる,妥当する基本的な事項である。

 昨日〔4月9日〕の本ブログで筆者が挙げた「原発」に比較する〈装置・機械〉は鉄道車両でそれも電気機関車であったが,今日は自動車をその比較の材料にして少し考えてみたい。

 日本のタクシー業界を観ていると,かなり大事に多くの車を保守・管理しており,四半世紀前くらいの車両でも,まだよい状態で活用している。だが,50年から60年も経った自動車となるともはや, “classic  car” というほなく,営業車としては使用できないことはいうまでもない。

 もちろん,定置されている装置・機械の原発に対比させて,移動手段である自動車という装置・機械を比較の材料にするのは,異論の余地がないわけではない。だがそれでも,原子力を核燃料にして焚いて発電する原発は,また特別の装置・機械として特殊な保守・管理を要求させる。

 原発は,技術上の困難な保守・維持問題を多種多様に抱えている。すなわち,その物理的な機構や化学的な仕組は一筋縄ではいかないと形容したらいいほど,それじたいにおいて,いろいろな危険性が絡みつき,同居させられている。

 自動車も移動する装置・機械としては交通事故という危険な問題があって,これを原発の危険と比較できなくはないものの,だいぶ異種分野の問題といわねばならない。自動車は走行時の事項はさておき,そのほかでは給油のとき “火の用心をしろ” くらいである。走行時の話に戻すと,給油系統からもれたガソリンがエンジンの熱で発火し,車が全焼したという事故も発生することがある。この実例は本ブログ筆者の知人が実際に体験した話である。

 原発として10年,20年と稼働させいくなかで「定期点検」を実施する。たとえばこう解説されている。
 原子力発電所の「定期検査」とは,法律上では国がおこなう検査を指しますが,本誌では電力会社が原子炉の停止中おこなう検査・点検・修理や消耗品の取替なども含めて「定期検査」としています。
 註記)電気事業連合会のホームページ,http://www.fepc.or.jp/library/pamphlet/pdf/teiki.pdf
 ここには「消耗品の取替」と書かれているが,実際には原子炉全体のなかでも「原子炉本体」をのぞき,かなりの部品がとりかえられる作業もおこなわれている。けっして,当初の部品構成のままで,何十何年も稼働させられているのではない。この点は,自動車の定期点検(車検)やふだんの手入れにも共通し,妥当する機械工学的な保守・管理の問題点であった。

 自動車のほうにおいて問題となる社会的費用については,宇沢弘文『自動車の社会的費用』(岩波書店,1974年)が文献としては有名であるが,いままで「原発の社会的費用」は,あたかもゼロであるかのように〈完全なる虚説〉が「安全神話」と抱きあわせで喧伝されてきた。もっとも,この神話としての虚説は「原発のコスト」が一番安価という偽説とともに,すでに暴露済みである。

 「安価・安全・安心」ではない,むしろその反極側に置かれていて「高価・危険・不安」の原発である事実は,「3・11」によっていよいよ隠せない原発本来の特徴:真実として確認された。だから,日立もかかわっている原発事業:「日本からの海外への輸出」は,昨〔2018〕年中にはすでに頓挫していた。原発に関する安全基準の審査がことのほか,きびしくなっている。この情勢が挽回できる展望は,現段階ではほぼ見通せないでいる。
 
 「日立の取締役会長兼代表執行役である中西宏明」が,原発が「稼働していない期間」は「耐用年数(使用期間)に含めるな(計算するな)」などといった暴論を吐いていた。ここでは,たとえておく対象を大きく変えての話となるが,中西のいいぶんは,人間が寝ている1日中のうち8時間は人間の寿命にくわえるななどというに等しい迷説である。
 補注)そうでなくとも,工場経営における耐用年数に関する税法上の規定に対して,この設備は使用していない期間があるとか,この機械は動かさない時間がたくさんあるとかいって,その耐用年数じたいをその分だけ延長させろ(原価償却引当金を計上させろ?!)といった理屈は,まさに「超弩級」のヘリクツ以外のなにものでもない。経団連会長・日立の最高幹部が吐く文句とは思えないくらいに程度が悪い(悪すぎる)。

 装置・機械の話に戻すと,たとえば原子炉の圧力容器やこれをかこむ格納容器,さらに建屋の寿命は,原発が稼働していない期間であっても物質的な耐性を徐々に劣化・低下させていくことは,一般論としてなどと説明する以前に,当たりまえの現象そのものである。ここまで議論をしたうえでつぎに,『朝日新聞』の社説を引用する。この論説は中西宏明をきびしく批判していた。

 2)社説の引用
 経団連が電力政策についての提言をまとめた。内容は多岐にわたり,再生可能エネルギーの拡大に必要な送電線網の整備や,老朽化が進む発電所への投資促進など,方向性はうなずけるものもある。しかし原発については疑問が多い。脱炭素化をめざす上で「不可欠なエネルギー源」と原発を位置づけ,運転期間の大幅延長の検討や新増設を進める方針の明示を,政府に求めた。
 補注)ここでは一言だけ指摘するが,「脱炭素化に原発が有用という理解」は不正確であり,間違いだといっていい。

 原子力への逆風が国内外で強まっている現実を,踏まえるべきではないか。福島第1原発の事故以降,世論調査で原発に否定的な意見が多数を占めている。安全対策費用の上昇で,政府や電力業界が長年強調してきた原発の経済性は低下した。高レベル放射性廃棄物の処分地の検討も,依然進まない。
 補注)1年前の『東京新聞』2018年3月4日朝刊は,「原発『将来ゼロ』64  『すぐゼロ』11% 震災世論調査」という報道をしていた。この記事は前方から3分の2ほど引用しておく。
 本社加盟の日本世論調査会が〔2018年〕2月24,25日に実施した東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に関する全国面接世論調査で,原発の安全性は向上したと思うが,深刻な事故の懸念は残ると答えた人が過半数の56%に上ることが分かった。安全性は向上しておらず事故の懸念も残るとの回答は27%で,大多数が原発事故への不安を抱いていた。

 震災から間もなく7年。被災地の復興は「どちらかといえば順調」が40%,「どちらかといえば順調でない」が36%でほぼ同水準だった。国の取り組みは「大いに評価」「ある程度評価」が計63%だった。被災地や第1原発の現状は37%が「関心は高くなった」と回答した。

 今後の原発の在り方は,64%が「段階的に減らして将来的にゼロ」,11%が「いますぐゼロ」と答えた。「段階的に減らすが新しい原発をつくり一定数維持」は20%,「新しくつくり事故前の水準に戻す」は2%にとどまった。
 補注中の 補注)この今後における日本で「原発は要らない」という国民たちの世論は,「3・11」後ずっと変わらぬ基調であったといっていいほど,一貫してきた意見であった。「将来的にゼロ」が64%,これに「いますぐゼロ」11%を足せば75%が原発不要の意思を示している。

 安倍晋三政権は,原発の廃絶問題に関しても国民たちの意思を完全に踏みにじってきている。安倍個人の原発に関する発言は,東電福島原発事故現場が “アンダーコントロール” などといってきたが,これは寝ぼけていった発言でなければ,あるいは意図的になにかをたくらんでこのデタラメを吐いているとしか受けとれなかった。
 〔社説に戻る→〕 提言では,こうした状況にどう対処するのか,具体的な言及は乏しい。解決の道筋を示さぬまま,原発の必要性を訴えるだけでは,説得力を欠く。

 化石燃料を使う火力発電に電力の8割を頼る現状への批判を強調し,原発推進の根拠とする一方で,多くの温室効果ガスを出す石炭火力の問題をほぼ素通りしている点も,ちぐはぐだ。日ごろ,炭素税などのカーボンプライシングに反対していることと合わせ,温暖化問題での経団連の姿勢は,目先の利害にとらわれすぎていないだろうか。

 ほかに提言で目を引くのは,「社会全体が電力問題を自分ごとととらえ,国民的な議論がおこなわれることが期待される」という記述だ。もっともなことだが,実際の動きをみると,「言行不一致」といわざるをえない。

 経団連の中西宏明会長は最近,原発に理解が広がらない現状について「議論が不足している」と述べ,幅広い層を巻きこんだ議論を訴えている。ところが,脱原発と再エネ推進の政策提言をしている民間団体から公開討論を申しこまれると,「エモーショナル(感情的)な反対をする人たちと議論しても意味がない」と拒否した。
 補注)「企業の利益の立場」に固執する財界・企業人(それも実際に原発事業にたずさわる経営者たち)と,原発の存在じたいに反対する人びととが対話をしようとしても,これが初めから噛みあわないことは,そのあいだには明確にかつ激烈に対立する事項が存在している事実を教えている。

 いまどき,問題の核心はこうなっている。もはや原発事業(商売のタネとして)はすっかり落ちぼれており,環境問題の観点からは原発という装置・機械は不要どころか,非常な害悪をもたらす源泉でしかない。もともと対立しかしえない関係に置かれている人びと同士が,原発の存在に関して対話を試みようとしてもできるわけがない。

 となると,経団連会長中西宏明(原発再稼働・推進派)のみせた口吻ように,相手を最初から排除するほかない基本姿勢をさらけ出していても,いいかえれば開きなおったヘリクツを吐き出していても,なんとも思わない神経をもちあわせていないかぎり,原発の問題については話題にすらできなくなる。


 〔社説に戻る→〕 エネルギー問題は複雑で,意見が分かれるテーマが多い。なかでも原発をめぐっては,推進・反対派の双方とも内輪で固まる傾向が強く,建設的な政策論議はなかなか深まらない。

 状況を打開したいのなら,経団連が異論にも正面から向き合い,さまざまな専門家や市民らとの対話に踏み出すべきだ。原発を手がける日立製作所の経営者でもある中西会長こそ,その先頭に立ってもらいたい。
 補注)まったくこのとおりである。まずもって先頭に立って,立場や思想の違いはあれともかく,あらためて対話する機会をもつように努力しなければならない立場に置かれているにもかかわらず,日本の財界を代表する組織の長がそのように,子どもみたいな発言しかしようとしていない。

 開かれた話しあいは,論点や課題,それぞれの主張の長所や弱点をみえやすくする。社会に広く受け入れられる解決策を練り上げる,一歩となるはずだ。(社説の引用終わり)

 はたしてこの社説が主張するように,原発の問題に関して「開かれた話しあいは,論点や課題,それぞれの主張の長所や弱点」が相互に理解しあえるために必要だといったところで,高がしれている。原発の不必要性は分かりきった話として結論が出ている。

 「高価・危険・不安」である原発に未来などない。だいたい原発事業が商売として成立しえていない。東芝は原発事業を英米の企業からババ抜きの要領で押しつけられるかたちで買収したけれども,結局は不採算事業部門となった結果,東芝は一時期倒産の危機に瀕する体験すらさせられた。

 原発事業=「金儲けには向かない製品」をとりあつかっているという現実は,産業経営側にとっては重大な事態であり,とうてい受け入れられない事実である。くわえてその裏側に張りついている「真実の問題」,つまり,原発はきわめて高価(原価⇒価格)な装置・機械であるとともに,そもそも安全性に問題があり過ぎて,このためにその製造原価が急激に上昇させられてきたという事実は,「3・11」を契機にさらに昂進してきた。この点はあらためて広く世間(世界各国)に理解されるようにもなっていた。

 経団連会長中西宏明が相手のことを,「エモーショナル(感情的)な反対をする人たちと議論しても意味がない」と拒否するしかない「企業側としての〈感情〉論」(それは,より正確にいえば「金」勘定のことだが)は,つぎの ③ のような人の意見をすなおに聞き入れられないに決まっているからこそ,そのようにしごく単純に,かつかたくなに,拒否の気分が正直に吐露されていた。

 ③「〈声〉特別扱いの原発補助案に反対」(『朝日新聞』2019年4月9日朝刊「オピニオン」)

 この声欄への投書主は「パート 清水宗一郎(福岡県 68歳)であった。
 電気は電力会社から買うものと思っていた私も,つい最近,他の電力小売業者から電気を買いはじめました。ささやかながら,生活費の節約につながっています。そんな矢先,経済産業省が原発で発電する電力会社に対する補助制度を創設し,電気料金に上乗せすることも容認する,という案を検討していることを報道でしりました。私は反対です。

 理由は4つあります。まず温室効果ガス対策を名目とするようですが,下がってきた原発の競争力を維持し,大手電力会社を保護する狙いが透けてみえます。2つ目は,政府はもともと,原発は競争力がある,といってきたのですから,支援する必要はないでしょう。
 補注)この意見のとおりであるが,実は原発は当初から国かがりでもって支援された事業の対象であった。つまり,昔もいまもあいからわず,原発には無条件に国家側からの支援が手厚く与えられている。なぜだったのか?

 3つ目は,環境対策というのであれば,地球にもっと優しい再生可能エネルギー支援にお金を使った方が良いと思います。4つ目は,国民が待ち望んでスタートした電力自由化の足を引っぱりかねません。

 世の中には厳しい企業間競争下,環境に優しい商品やシステムを提供している企業は多くあります。電力会社だけを優遇する経産省案では世論の賛同はえられないと思うのですが,みなさんはどう思いますか。
 経団連会長中西宏明は,こうした一庶民の原発に対する認識に対面して,なにか意見をいうべき立場にあるはずである。この投書主の原発に関した発言は,けっして「エモーショナル(感情的)な反対をする人たち」のする「原発に対する反対意見ではない」はずである。

 そうだとすれば,原発への「エモーショナル(感情的)な賛成をする人たち」の1人というか,いうところの原子力ムラの代表者の1人である中西宏明こそがまず率先して,1人の庶民が原発不要論に関して披露した立場に向けて,十分に納得のいく「原発推進」論をラショナル(合理)的に説明すべきである。

 ④「〈記者解説〉原発,軽視されたリスク 津波想定で迷走,業界は変わったか」(編集委員・佐々木英輔稿『朝日新聞』2019年4月1日朝刊9面「オピニオン」)

 この解説記事は長文でありすべてを引用できないので,文書(文字)については「見出し」と添えられている「3つの要点」,さらに文中の「小見出しの文句」のみ紹介する。本日における記述に密着した中身であることはいうまでもない。
『朝日新聞』2019年4月1日朝刊オピニオン原発問題解説

  ※-1 原発事故をめぐる裁判で,事故前の東京電力社内の動きがみえてきた。

  ※-2 大津波に備えなかった背景に,形式的な安全に安住する業界体質がある。

  ※-3 国の責任を問う判決も相次ぐ。事故を招いた風土は変わったといえるか。

 「東電旧経営陣は反論」しているが,「国も含めて思考停止」状態にありながらも,なお〔「3・11の原発事故」が発生してしまった〕「想定めぐる攻防〔が〕なお」交わされている状況にある。

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