【兵士は人を殺すように教育されねばならない】

 【それをいちばん成功させてきた軍隊は,
旧大日本帝国の天皇陛下のために存在していた兵士たちにおいてであった-】

 以下の記述は,旧ブログ,「2009.2.28」「戦争心理学が兵士の本心を解明した」「◎国際法で許されていても,人は戦争で人を殺したくない◎」「デーヴ・グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』原著 1996年」に公表したものである。

 すでに,公表から5年ほど経過したけれども,その内容はいつの時代にも通用・妥当している。本日に再度,新規ブログの記述として補正をくわえ,改筆してみた。

 ① 戦争における戦闘と殺人の行為
 
人殺しの心理学表紙 原題 Lieutenant Colonel Dave Grossman,On Killing : The Psychological Cost of Learning to Kill in War and Society(Boston : Little, Brown, 1996)という著作は,1998年に原書房より安原和見訳『「人殺し」の心理学』として刊行され,さらに2004年には,ちくま学芸文庫となって『戦争における「人殺し」の心理学』の名称で再刊されている。筑摩書房から再刊されたこの文庫本 509頁もの分量があり,この全部を読みとおすにはいささかならず気力も要求される。

 記述内容について若干触れれば,同じ中身を3度もあちこちで単純に反復する箇所もあり,ちょっと変な印象も受ける著作である。けれども,文庫版に付けられた本書の名称『戦争における「人殺し」の心理学』という題名からは,相当ずれた読後感をもった。

 英文題名を直訳的かつ意訳的に日本語にすれば,『戦争と社会において殺人行為を学習させる心理学的耐性』とでもなる。日本語訳本に付けられた題名からすると「人はなぜ戦争で人を殺せるのか」というような問題を論じるのかと思いきや,実はこれとはまったく異なる〈人間の心理機構〉を解明している。

 著者のデーヴ・グロスマンの経歴は,こうである。

 米国陸軍に23年間奉職。陸軍中佐。レンジャー部隊・落下傘部隊資格取得。ウエスト・ポイント陸軍士官学校心理学・軍事社会学教授,アーカンソー州立大学軍事学教授を歴任。1998年に退役後,Killology Research Group を主宰,研究執辞活動に入る。『戦争における「人殺し」の心理学』で,ピューリツァー賞候補にノミネート。

 「殺人〔心理〕学」とでも訳せばいいのか Killology ということばは,誰の目にも「きわめて恐ろしい綴り」に映る。だが,本書『戦争における「人殺し」の心理学』に関する概要説明やその目次構成をみただけでも,圧倒的に大部分の「人はけっしてすすんで人を殺したくない」という心理機構をもちあわせている事実が教えられる。以下は本書の解説と目次である。
 本来,人間には,同類を殺すことには強烈な抵抗感がある。
 それを,兵士として,人間を殺す場としての戦場に送りだすとはどういうことなのか。   どのように,殺人に慣れされていくことができるのか。
 そのためにはいかなる心身の訓練が必要になるのか。
 心理学者にして歴史学者,そして軍人でもあった著者が,戦場というリアルな現場の視線から人間の暗部をえぐり,兵士の立場から答える。
 米国ウエスト・ポイント陸軍士官学校や同空軍軍士官学校の教科書として使用されている戦慄の研究書。

 第1部 殺人と抵抗感の存在-セックスを学ぶ童貞の世界-
 第2部 殺人と戦闘の心的外傷-精神的戦闘犠牲者に見る殺人の影響-
 第3部 殺人と物理的距離-遠くからは友だちに見えない-
 第4部 殺人の解剖学-全要因の考察-
 第5部 殺人と残虐行為-ここに栄光はない。徳もない-
 第6部 殺人の反応段階-殺人をどう感じるか-
 第7部 ベトナムでの殺人-アメリカは兵士たちになにをしたのか-
 第8部 アメリカでの殺人-アメリカは子供たちになにをしているのか-
  註記)http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4480088598.html
 ② ベトナム帰還兵の反省

 2~3カ月まえ〔2009年2月末の時点からの話〕,TVで放映されたベトナム帰還兵に関するある番組の話は,こういうものであった。
 --彼は,ベトナム戦争中において,戦闘で殺した北ベトナム兵の妻に合いにゆき,その戦闘直後に奪ったその兵士の家族写真を返し,そして謝罪する行為をした。ベトナム戦争のあるとき,彼は戦場で,その北ベトナム兵(南ベトナム解放軍の兵士だったかもしれないが,こう呼んでおく)と,個人同士で遭遇した。鉢合わせした2人は,どういうわけか,しばらくみあってしまった〔にらみあったのではなく……〕。しかし,アメリカ兵である彼は,〈さきに〉「発砲しなかった」ベトナム兵を〈さきに〉射殺する結果になってしまった。

 こういう戦闘行為が終わったさい,どちらかの生き残った兵士は必らず,殺した敵兵の遺体を捜索する。殺された北ベトナム兵は家族(妻と子ども)の写真を身に付けていた。この写真を,彼=アメリカ兵は帰国するときに大事にもちかえり保管していた。彼はこの戦闘行為(!?)の心理的影響のために,事後「心的外傷後ストレス障害」(PTSD:post-traumatic stress disorder)に陥ったまま,生活を続けていた。つまり,彼も本当は,戦争=戦闘のさい,北ベトナム兵を狙い,銃を向けて発射したくなかった。だが,その遭遇のときは夢中で,自分が〈さきに〉撃たれると思い,その機先を制して撃ってしまったのであった。彼は帰国後もこの出来事にずっと悩まされつづけてきた。
 グロスマンは,こうしたベトナム戦争体験者の実話を介して浮上してくる「人間兵士の心理機構」を的確に説明している。こういう。「殺された兵士は苦しみも痛みもそれきりだが,殺したほうはそうはいかない。自分が手にかけた相手の記憶を抱えて生き,死なねばならない。教訓ははっきりしてくる。戦争の実態はまさしく殺人であり,戦闘での殺人は,まさにその本質によって,苦痛と罪悪感という深い傷をもたらす」(172頁)

 グロスマンは『戦争における「人殺し」の心理学』をもって,ベトナム戦争に将兵として駆り出されたアメリカ人たちが,帰国後の祖国のなかで受けざるをえなかった冷遇と蔑視に言及している。前段のアメリカ兵の話をTVで視聴した本ブログの筆者は,このアメリカ人兵士がアメリカ社会に帰還したのちも長期間,いいかえれば,ベトナム戦争に派遣された将兵たちが尊敬されずに侮蔑されてきた「長い歴史」を,ふりかえってみる必要を感じた。

 ③ 戦争だからといっても人を殺したくない

 1) 敵を殺したくない
 下の図解『兵士の選択肢』(47頁)をみよう。人間同士である「同種の敵を威嚇によって撃退できなかったばあいは,とるべき選択肢は闘争,逃避,降伏の3つになる。しかし,仮に闘争という選択肢がとられても,死に至ることはまずない」(47頁)。「同類である人間を殺すのをためらう傾向は,戦争の歴史をつうじてつねにはっきりと現れている」(62頁)。この2箇所の引用ですぐに分かることがある。それは「人間は同じ『人間を殺したくない』」という基本的な気持をもっていることである。
人殺しの心理学1
 そして,戦争という場所・場面に「ある程度の期間」「参加すると,98%もの人間が精神に変調をきたす環境,それが戦争なのだ。そして狂気に追いこまれない2%の人間は,戦場に来るまえにすでにして正常ではない,すなわち生まれついての攻撃的社会病質者らしいというのである」(110頁)

 「戦闘経験者と戦略爆撃の犠牲者は,どちらも同じように疲労し,おぞましい体験をさせられている。兵士が経験し,爆撃の犠牲者が経験していないストレス要因は,
 
 (1) 殺人を期待されているという両刃の剣の責任(殺すべきか,殺さざるべきかという妥協点のない二者択一を迫られる)と,

 (2) 自分を殺そうとしている者の顔をみる(いわば憎悪を風を浴びる)というストレスなのである」(133頁)

 「すでに数々の研究で結論づけられているように,戦闘中の人間はたいていイデオロギーや憎しみや恐怖によって戦うのではない。そうではなくて,(1)戦友への気遣い,(2)指揮官への敬意,(3)その両者に自分がどう思われるかという不安,(4)集団の成功に貢献したいという欲求,という集団の圧力と心理によって戦うのである」(167頁)

  2) みえない敵なら殺しやすい・殺しやすいのはみえないから
  下の図解『殺人への抵抗感 × 標的との物理的距離』をみよう(181頁)。「距離と攻撃性に関連があるというのはべつに新しい発見ではない。犠牲者が心理的・物理的に近いほど殺人はむずかしくなり,トラウマも大きくなる。この直接的な関連性は昔からよくしられていたし,兵士,哲学者,人類学者はみなこのことに関心と不安を抱いてきた」(180頁)
人殺しの心理学2
 「殺人と距離との関係」を表現したこの図解に関するくわしい説明は要らない。「遠くからなら,人の人間性を否定できる。遠くからなら悲鳴は聞こえない」(186頁)。「しかし近距離の戦闘のばあいは」「敵を殺すことへの抵抗感はすさまじく大きい」(209頁)

 ② における「ベトナム帰還兵の反省」では,北ベトナム兵を射殺したアメリカ兵の話であったが,ベトナムで同じような場面に遭遇したアメリカ軍中隊指揮官ウィリス大尉の話は,こういうものであった。
   「だしぬけに北ベトナムの1兵士と遭遇した」。
   「ウィリスは兵士と並び,M16で相手の胸を狙った。5フィートと離れていなかった。兵士のAK47もまっすぐウィリスに向けられている」。
     ウィリス「大尉は激しく首をふった」。
   「北ベトナム軍の兵士も同じように激しく首をふった」。
   「休戦協定,停戦命令,紳士協定,それとも取引か・・・兵士はそろそろとあとじさって闇に消えてゆき,ウィリスはそのまま進みつづけた」(210頁)
 3) 誰が戦争で人を殺せるのか 
 既述の論点だが「〈攻撃的精神病質〉傾向と呼ばれる素因をもった2%の兵士に着目する」(219頁)ことが必要である。というのも「平均的な兵士は同類たる人間を突き刺すことに強烈な抵抗感を覚え」るし,「そしてそれにまさるのは自分が突き刺されることへの抵抗感のみだということであ」る。結局「銃剣で突かれることへの恐怖はきわめて大きい」からである(220頁)

 下の図解『権威者の要求』をみよう(242頁,305頁)。この図解は,グロスマン著の第4部「殺人の解剖学-全要因の考察-」という箇所の冒頭に提示されている。その中身に盛られている諸要因をみて,本ブログの筆者がすぐに思いだした文献がある。それは,野田正彰『戦争と罪責』(岩波書店,1998年)である。
人殺しの心理学3

 --なお,本(旧)ブログ「2008.9.16」「戦争で受けるPTSD」「軍隊の本質と性格」「ママさん兵士の抱える心的外傷後ストレス障害」でも,この野田の著作に触れて記述している。

 野田の本書は,「戦中・戦後を通じて,日本人は『悲しむ力」を失いつづけてきた.どうすれば,責任を感じる能力をとり戻せるのか。中国で残虐行為をおこなった旧兵士への徹底した聞きとりを通じて解明する,われわれの心の中の,欠落と抑圧の問題」を解明した内容である。

 野田が同書で強調するのは,旧「日本軍の感情麻痺の強さ」「自他の悲痛に対して無感情であり限り罪責の念は生じえない」という点であった(『朝日新聞』1998年8月30日朝刊,御厨 貴「書評」)

 かつて,旧日本軍が「北支・支那事変」という名称をもって「中国の戦場」で犯してきた「戦闘および殺人」の諸行為は,帝国臣民である将兵たちに特有だった堅固な意識,つまり「天皇様に敵対する中国人は1人でも多く殺さねばならない,天皇様こそ世界を支配する現人神,という思いをさらに強くするだけだった」もの(野田『戦争と罪責』199頁)たりえたがゆえに,正当化されてきた。

 野田が強調するのは,「全体主義の社会システムにあって,当方もなく残虐であったから,それでもなお,日本兵は精神的に傷つくことがあまりに少なかったと推測される」点である。しかもこの点は,「日本軍隊の強さとは,言葉通り不死身の強さといえるかもしれない。身体は傷ついても,心は傷つかない不死,すなわち感情麻痺の強さである。またそれは」「一抹の感傷によって感性を磨く者が背後にもつ,感情麻痺である」(353頁)というべき〈病的症状〉によって支えられていたのである。

 4) 旧日本軍は強い兵隊を育てた
 グロスマン『戦争における「人殺し」の心理学』が「兵士のなかには2%しか存在しないはず」と指摘した〈攻撃的社会病質者〉が,実のところ,旧日本軍においては〈異常な高率〉で存在したのである。「精神病理学的な分析」をもって野田が摘出した「旧日本軍将兵に特有の〈強靱な精神構造〉機構」こそが,そうした〈異常な高率〉での〈攻撃的社会病質者〉,いわば「権威と秩序に向かって硬直しており,他者との感情交流に向かって生きていない」日本帝国の軍人魂を輩出させえたのである。

 この事実は,グロスマンが用意したさきの図解『権威者の要求』のなかにあるように,『権威者の要求』〔=旧日本軍のばあい「上官の命令はこれ,すなわち 天 皇 陛 下 の 命 令 で あ る !」〕に対して「条件反射的にしたがう」よう,暴力的強制装置をもって徹底的に訓練されてきた旧日本帝国将兵たちの行動様式のなかに,確実に表現されていた。そのために,他国兵を〔民間人も含めて〕自分の手で,眼前で,殺しても,PTSD症状に陥る日本軍将兵は,他国の将兵に比較して,有意に低位だったのである

 筆者が子どもから大学生のころまではまだ,大東亜〔太平洋〕戦争に兵士として動員され,中国戦線においては中国人兵士や民間の中国人をみずから殺傷する行為,それも戦闘の行為においてではなく,肝試しだと命令されての「捕虜の刺殺」や,さらに民間人の虐殺,女性への強姦,物資の略奪,民家への放火などの行為を,平然と語る旧日本軍兵士が大勢存在した。

 内田 樹『昭和のエートス』(バジリコ,2008年12月)は,1961〔昭和36〕年の話をこう記述している。1950年生まれの内田が小学校5年生のとき,「戦争にいった経験をもつある教員」に対して内田が「人を殺したことがあるの?」と訊いた。そのとき,その「先生の顔が蒼白になって口を噤んでしまったのをいまでも覚えている」と(同書,14頁)

 日本帝国軍人だった日本人たちの戦場における意識にあっても,② の「ベトナム帰還兵の反省」に登場したアメリカ兵やベトナム兵と同様であって,同じ「人間同士で戦争なのだから殺し合いをしたくない」という人間的感情を,けっしてもっていなかったのではない。

 たしかに,昔の出来事だったけれども,中国に兵士として送りこまれ,中国人の兵士や民間人を自分の手にかけてどのくらい殺してきたか,というような想い出話は,「とてもじゃないが口に出して話せる」ような事柄ではないはずである。それでも,筆者のような若者に向かい,そうした残酷な話を平気で語れる旧日本軍兵士は,いくらでもいた。とはいえ,脳内に収容されたそうした記憶が就寝中にたびたび呼びもどされ,深夜に飛び起きる行為をなくせない旧日本人兵士も,大勢いた。

 5) 反省する旧日本軍将兵たちもいた
 しかし,旧日本帝国の軍人将兵にあっては他国将兵(その比率2%)とは大きく異なり,〈攻撃的社会病質者〉が圧倒的多数派だったという実情を物語る史実が,いくらでも与えられている。たとえば,中国帰還者連絡会の人びと・星 徹著『私たちが中国でしたこと』(緑風出版,2002年)は,旧日本軍が自国の将兵を〈攻撃的社会病質者〉に育成するのに成功してきた事実を,つぎのように語っている。
 「戦場へ送られる彼らの多くには明確な大義がないので,こういった〔→「『天皇を中心とする神の国・日本』が,劣等民族だと位置づけられた朝鮮人や中国人,その他の東南アジア諸国人を支配してもいいんだ,当然なんだ」というような〕教育は,侵略戦争の必然だろう。

 幼少期から民族蔑視の考えが蔓延する社会で育ち,天皇を中心とする軍国主義・帝国主義思想が跋扈する社会で育った彼らは,この初年兵教育とそれに続く軍隊生活のなかで,『本来の人間性を徐々に失わせるプログラム』へと組みこまれていった。

 そして,『自分の頭』で考えることをやめ,ひたすら『上官の命令すなわち天皇の命令』を実行することが求められ,蛮行を繰り返していた。これこそまさに,典型的な「洗脳」といえるだろう」(同書,253頁,〔 〕内補足は筆者)
 旧日本軍は営舎のなかで,そして侵略した他国において,日本兵を強い軍人になるよう練兵していた。陸軍内務班における理不尽な奴隷的使役や悲惨なまでの肉体的なしごきが,強い兵隊を育成させえたのかもしれない。だが「当時の日本軍隊では,度胸の良さ・押しの強さ・ハッタリといったことばかりが重用され,『自分の頭で冷静に考えて判断する』といった理性的な面が軽んじられていた」(255頁)。こうした旧日本軍の特質がなおさら〈攻撃的社会病質者〉を生み,実際にも戦場においてその戦争〈病質的な効果〉を強く発揮させたのである。

  6) 旧大日本帝国の兵士を強くさせるための教育用の「主要文書」
 『甲)『軍人勅諭』 1882〔明治15〕年1月4日,明治天皇が陸海軍の軍人に下賜した勅諭で,正式には『陸海軍軍人に賜はりたる敕諭』という。「ちなみに陸軍においては「御名」を一般的な「ぎょめい」でなく「おんな」と読んだ。山本七平は『私の中の日本軍』の中で,ある衛生下士官が部隊の宴会で酔い,『突撃一番 #),軍人勅諭はオンナで終わらあー』と叫んだ事を記している」。この文句の意味は説明しない。かつて,中国で日本の兵士が《やったこと》を如実に,あからさまにいいあらわしている。
 #)『突撃一番』とは,旧日本軍の将兵が「女性(従軍慰安婦:軍性的奴隷,売春婦など)が働く」慰安施設(有料)で使用した,当時,有名だった「コンドーム製品の名称」。将兵に支給されていた。ただし,戦場の修羅場で女性に手をかけるときは,まったく使用されなかった製品であり,この「本来の用途」は限られていた(?)。
 乙)『戦陣訓』 1941〔昭和16〕1月8日,陸訓第1号。陸軍大臣東條英機,「本書ヲ戦陣道徳昂揚ノ資ニ供スベシ」。本訓はとくに,「義は山嶽より重く死は鴻毛より軽しと心得よ」ときびしく戒め,御国のために「喜んで・進んで」生命を捧げるよう,兵士の覚悟を要求した。もちろん,死んだら靖国神社にいける。もっとも,無事に生身で戦場から帰れるのと,死んで魂だけが九段で英霊になれるのと,どちらがいいかなどと問うのは,もともと問うほうが悪いだけの,聞くだけヤボ,大のつく〈愚問〉。これは,その息子を産んでくれた母親の気持に聞けば,すぐ分かる,きわめて簡単明瞭な,〈無条件の真理〉である。「自分の腹を痛めて産んだ息子が死んで喜ぶ母親」などいるわけもない。

 丙)『教育勅語』 1890〔明治23〕年10月30日発布,敗戦後の,1948〔昭和23〕年6月19日廃止。明治天皇が山縣有朋内閣総理大臣と芳川顕正文部大臣に対し,教育に関して与えた勅語であり,以後の大日本帝国において,政府の教育方針を示す文書となった。大日本帝国臣民は,すべてが「天皇のためになるように生きる人間でなければならない」,そのような「国家的な政治の精神を確実にもつ人間にならねばならない」という教育方針を叩きこむための文書。民主主義の基本精神とは縁遠く,別世界の命題。帝国日本は,天皇を中心・至上・最高にした価値観でできていると教える文書である。

 この 丙)『教育勅語』は戦前・戦中甲)『軍人勅諭』および乙)『戦陣訓』の下地を確実に用意するための学校教育のなかで,「天皇のことば(勅語)」として教えこまれていた。現在の首相(安倍晋三)は,教育勅語に大いに共鳴する立場より,教育「改革」を進めるようとしている。これは,19世紀からの時代錯誤を21世紀に復活させようとする狂気の発露というほかない。しかし,当人は大まじめに,それが『美しい国』への第1歩と信じているらしいから,よけいファシズムへの接近度を高めている。

 いまどきの若者たち,勘違いをしてはいけない。愛国(国を愛する)だとか国家防衛(国を守る)だとかいう勇ましく聞こえる標語には,より冷静に接する態度が必要である。そのような勇ましいことばを吐く人間は,いつもそうであったように,老人や戦争になっても安全な場所にいられる〈連中〉であると相場が決まっていた。これは歴史の真理である。

 昨〔2013〕年成立した「特定秘密保護法」(12月13日公布,1年以内に施行予定)に関していうと,その秘密の指定や解除の基準を首相に答申する有識者会議「情報保全諮問会議」の座長に,渡辺恒雄(読売新聞グループ本社会長兼主筆,87歳)が選ばれている。

 この老人も太平洋戦争の末期,「陸軍二等兵として召集され,軍隊生活で上官から暴行を受けたとい」っている。だが,旧日本陸海軍では2等兵で,新兵イジメの暴行(教育?)を受けなかった者はいない。当時当たりまえのことを,自分には「特別だったこと」のように聞こえなくもないようにいうのが,このオジイチャンのいい方か。