June 28, 2007

悪意

仁王

悪意とは罪を犯す心ではない。

発作的であれ計画的であれ事故であれ、殺人であれ詐欺であれ暴力であれ、罪を犯すこと自体は悪意と言うより「人に対する敵意」と言う方が正しい。己の抑えられなくなった欲望、欲求不満を満たすために社会に、周りの全ての人間に「敵意が向いた行動、結果」と解釈するのが正しい。この敵意が悪意と共にあるままに罪を犯した時、または己の犯した罪=敵意を裁判で悪意に変えた時、人間は「最低の鬼畜、本物の救いようの無い犯罪者」となる。

いわゆる悪意とは「己の非を認めずに、罪から逃げるために惚ける卑怯な心」「己の犯した罪から屁理屈をこねたり、泣きを入れて逃げる卑怯な心」であり、罪を犯す以前から持っている確信犯も居れば、罪を犯して後、臆病風に吹かれてそうなる者、卑怯な面会者や卑怯者弁護士の「気の狂ったような屁理屈」に乗ってそうなる人間もいる。



こういう卑怯者犯罪者や卑怯者弁護士の事件、裁判は沢山ある。

典型的な犯罪、裁判例ではオウムのアサハラ本人とその弁護、今回報道されている山口母子殺人事件の犯人と弁護士がこの「悪意ある卑怯者」にあたり、ハッキリいうとあの犯罪者とあの弁護士たちの「基地外答弁、基地外弁護」は「万死に値する悪意=卑怯さ」である。なぜ万死に値するかと言うと、あの卑怯さは被害者や傍聴人の心に「失望」と「更なる憎しみ、恨み、怨念」を育てるからだ。

ああいう基地外弁護士が生まれるのも、人間性を育てない現在の学校学習制度と間違った免許制度=「人間性を調べずに記憶力のみテストして免許を発行する歪んだ免許制度」のせいであり、ゆえに医師の中にもにも教員の中にもああいう基地外が誕生し、ああいう基地外弁護士が存在する事になる。ああいう基地外が聖職の中に、医学、教育、法曹界に存在する事自体、医学、教育界、法曹界の恥部であり、ああいう基地外弁護が裁判においてまかり通る世の中だとすれば、本当にこの世は闇=病みであろう。


悪意とは罪を犯す心ではない。

発作的であれ計画的であれ事故であれ、殺人であれ詐欺であれ暴力であれ、罪を犯すこと自体は悪意と言うより「人に対する敵意」と言う方が正しい。己の抑えられなくなった欲望、欲求不満を満たすために社会に、周りの全ての人間に「敵意が向いた行動、結果」と解釈するのが正しい。この敵意が悪意と共にあるままに罪を犯した時、または己の犯した罪=敵意を裁判で悪意に変えた時、人間は「最低の鬼畜、本物の救いようの無い犯罪者」となる。

いわゆる悪意とは「己の非を認めずに、罪から逃げるために惚ける卑怯な心」「己の犯した罪から屁理屈をこねたり、泣きを入れて逃げる卑怯な心」であり、罪を犯す以前から持っている確信犯も居れば、罪を犯して後、臆病風に吹かれてそうなる者、卑怯な面会者や卑怯者弁護士の「気の狂ったような屁理屈」に乗ってそうなる人間もいる。











bbpro at 02:03コメント(0)トラックバック(0)日記 | 日記 

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