January 27, 2008

心の闇 3

閻魔大王

その心に闇を持たない人間ほど醜悪な存在は他に無い。


ここに先日ブログに書いた、どんなに夢や希望を語っても全部綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの嘘にする、何の結果も出せない「みっつめの大人たち」「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」がいる。「分かりました」「やります」「今度こそ」という決意を「全部浮ついた戯言」に変える「嘘吐き」という病気が慢性化した、自分の吐いた言葉にすら責任を持たない落ちこぼれたちだ。

【価値観の違いによる3つの生き方】
http://blog.livedoor.jp/bbpro/archives/51202597.html

「その心に怒りも闇も持たない醜悪な綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの大人たち」は、そういう自分を悔しがる事も、そういう自分が情けなることも、そういう自分が嫌になる事もそういう自分に悩む事も無く、もちろんそういう自分を変える努力もせず、自分を変えるための行動すら起こさずに平然と綺麗事のみを、そういう嘘を吐きながら表向きは「いい人」「善良な小市民」を演じている。


その心に「怒り」が無きためだ。


「その心に怒りも闇も持たない醜悪な綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの大人たち」はそういう自分自身の現実を見ず、そういう自分自身の姿を見ようとせず、自分から逃げて、自分自身から湧き起こる怒りも悔しさも哀しさも情けなさも感じなくなった不感症だからであり、性欲か食欲か睡眠欲だけしか働かない下等動物並みの感覚と奴隷根性と乞食根性しか持っていないからだ。

「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」は理不尽な事をされてもバカにされても反抗もせずに脳内で相手を見下してへらへら笑ってるだけ、利用されても怒りもせずに脳内で相手を見下してニタニタ笑ってるだけ、ふたつめの奴らから酷い扱いされても悔しがることもなくニコニコ笑ってるだけ、情けなさも感じずいつも作り笑いで誤魔化すだけなのだ。


その心に感情無きためだ。


この何やるにも本気になれない、いい子ぶって気取ってカッコつけるだけのフザけた生き方しか出来ない「その心に怒りも闇も持たない醜悪な綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの大人たち」は、レッスン中にオレが大事な事を話し始めてもちゃんと聞こうとしない。「ちゃんと聞いてるフリ」をしないとオレに叱られるから「そういうポーズ」を取っているだけだ。

これまで何度その事で叱り、そういう自分を変えるためのアドバイスをしたか知れないが、さすが「みっつめの綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけのダメ人間」だけあって何十回言っても、何百回教えても一向に動こうとしない。相変わらず「いい子ぶって気取ってカッコつけるだけのフザけた生き方しか出来ない「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」」のままだ。


その心に夢も希望も無きためだ。


だが「その心に怒りも闇も持たない綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの大人や親」はそういうポーズで隠す事が出来ても、子供はその「みっつめの大人たちが隠しているふざけた姿勢」を隠せずにそのまま表に出してふざけた態度を出す。大人も「聞いてるフリだけ」だから、子供に邪魔されても話しを聞けなくても全てが「他人事」でそのふざけた子に怒りを抱く事も無い。

「こんな奴らに音楽の話しをしても時間の無駄だな」

「その心に怒りも闇も持たない綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの醜悪な大人たち」は子供が自分たちの鑑である事からも逃げて平然と他人事の顔をしていた。「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」」は「これは自分のせいじゃない」「話しが聞けないのはその場でふざけて邪魔した子供が悪いんだから自分は関係ない」という顔で黙っていた。

オレは「ふざけた子供に」ではなく、子供にそういう見本を示している醜悪な大人たち、何もかも全部未熟な幼い子供のせいにして「自分が責められなくて良かった」と平然と他人事のような顔をしてる「怒りも闇も持たない親や大人たち」の、その醜悪な無関心ぶりと醜悪な無責任ぶり、その醜悪なふざけた態度にムカムカして話しを止めた。



こいつらは、「ババアの財布から100円盗った小学一年生のオレを即座に警察に電話して警官に突き出した、子や孫の責任を全く取ろうとしないオレのジジイババアと同じだ。我が子が祖父母にそういう事をされてもジジイババアに何の抗議もせずに、逆にオレを責めた、ジジイババアにオレを預けててめえは男と住んでたおふくろと同じ人種だ。」と思った。

こいつらは、「クラスの男子を扇動して、掃除の時間にトイレで女子と戦争して悪さをした小学4年生のオレを放課後全員で”学級裁判”を開いてクラス全員に裁かせ、クラス全員でオレに与える罰を決めさせ、クラス全員でオレに罰を与えた同級生と同じ、クラス全員にそういう事をさせ、オレの悪意をクラス全員に向けさせててめえは逃げた無責任担任の中村と同じ人種だ。」と思った。



今はこういうバカ親や腐った大人ばかりだが、「いい子ぶって気取ってカッコつけるだけのフザけた生き方しか出来ないみっつめの大人たち」が、側に居る子供たちを「いい子ぶって気取ってカッコつけるだけのフザけた生き方しか出来ないみっつめの奴隷、乞食に育てる」という見本であり、そのうちどこかで「親の因果が子に報い」という悲惨な結果を生むようになる。

怒りから逃げ、怒りをもたない者の怒りを無視する者の怒りは、表に怒りが出ないが故に醜悪な作り笑いを作り、その心の裏には「悪意に満ちた我侭なだけの恨みや憎しみ」を生む。怒りから逃げた者はその「恨みや憎しみ」からも逃げ、その「悪意に満ちた我侭なだけの恨みや憎しみ」を全くコントロール出来ないままに、その「悪意に満ちた我侭なだけの恨みや憎しみ」を周りに感染させるからだ。

全てはその心に怒りや恨みや憎しみという「闇」が無きためだ。





オレも10代は「ある一点」以外はほぼこいつらと同じような人間、「卑怯でズルい醜悪な大人たち」ギリギリの所にずっと居た。20代は「ある一点」以外はほぼ「ふたつめの欲にまみれた大人たち」と同じタイプの人間、「ふたつめギリギリ」だった。だが現実にはオレは「欲にまみれたふたつめ」にも「みっつめ」の「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」にも成った事が無い。

「怒り」という一点だけは忘れた事が無かったからだ。

オレは幼い頃からどんなに未熟でカッコ悪くても、どんなに何やってもダメで何の結果も出せなくても、どんなに欲に囚われて多くの人を傷つけてきてても、他が全部「ふたつめ人間」だったり「みっつめ人間」でも、オレの「怒り」だけは誰よりも強く、その闇は誰よりも深かったから、「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」には成れなかった。

その心に常に「怒り」という闇を抱えて生きていたからだ。

「怒り」とは人間にとって一番大事な感情、闇、心だからだ。悲しみは深くなればなるほど「怒り」という姿に変わり、寂しさも深くなればなるほど「怒り」へとその姿を変える。子が親に愛されたいという心が深くなればなるほど、その子の心が親に無視されればされるほど、その子の愛情は親への「怒り」や「恨みや憎しみという闇」へと変わっていく。

怒りは「全ての感情と愛情の裏返し」だからだ。

だからこそ「その心に怒りも闇も持たない醜悪な大人たち」の怒りの無い絵は「つまらない絵」となり、怒りの無い演技は「臭い演技」となり、怒りの無い音楽は綺麗事のみを殊更大袈裟に吹聴するだけの「宗教音楽」となる。だからこそ怒りの無い言動、行動は「ふざけた言動、行動」となり、怒りの無い生き方は奴隷、乞食となり、怒りの無い人間は悪臭を放ち、病菌を感染させる病原菌となる。



その心に「怒り」や「恨みや憎しみという闇」を持たない人間ほど醜悪な存在は他に無い。




bbpro at 01:05コメント(0)トラックバック(0)日記  

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