落合博満 : 竜速(りゅうそく)

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    中日・落合年俸問題で中山球団社長が星野監督に不満 本紙記者への“事情聴取”に意外な反応
    dragons2017

    引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1589338830/

    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/05/13(水) 12:00:30.93 ID:B7gwFwc69
    【球界平成裏面史(21)=中日・落合年俸問題(3)】
    毎オフのようにあった中日・落合博満内野手の年俸問題は、平成2年(1990年)オフは大いにごたついた。本塁打王、打点王の2冠に輝き、年俸1億6500万円からの大幅アップを目指す落合と、4位に終わったチーム成績などからアップ額を抑えたい中日フロント。同年10月16日付の本紙は伊藤濶夫球団代表の発言を踏まえ、球団が落合問題に調停も辞さずの方針と報じたが、中山了球団社長は、そのサイド原稿の星野仙一監督インタビュー記事のほうにおかんむりだった。

     報道した翌日、記者はナゴヤ球場で中山社長から呼び出され“事情聴取”を受けた。「これは本当に星野が言ったのか」と。それは星野邸での単独直撃記事で、内容は別項の通り。「僕が聞きました。間違いありません」と記者が答えると、中山社長は一瞬、沈黙した。それから、ものすごい低い声で「そうか。それなら星野が、ちょっと言い過ぎだな」と言った。

     当時、落合の年俸は2億円の攻防といわれていた。星野監督もインタビューの中で暗に2億円は無理だろうと答えた。しかも「チームの主砲がすぐトレード候補としてマスコミに取り上げられることを情けないと思わないといかん」との強烈なコメント付きで…。中山社長はそれも含めて星野発言に不満だったようだが、記者にとってこの反応は意外だった。

     あのころの中日内は、こと年俸問題に関しては落合の考えに否定的な人が圧倒的に多かった。それを踏まえれば、伊藤代表の発言も、星野監督の発言も、予想通りといえば予想通りだったからだ。だが、状況は違っていた。そもそも球団の落合査定額は2億円を超えていた。

     最終的にこの問題は伊藤代表の本紙での“予告”通り、日本人選手初の調停にもつれ込み、決着は翌91年3月という長い闘いになった。球団査定額は5500万円増の2億2000万円。これに対して、落合の希望額は1億500万円アップの2億7000万円で、その差5000万円だった。

     情勢は当初から落合不利とみられていた。現在のプロ野球界では超一流選手の年俸1億円アップなど少しも珍しくないが、当時は考えられないほど破格なオレ流要求。球界内外から落合批判が飛び交った。もともと金銭面に関して貪欲なイメージがあった落合だが、それがさらにマイナスになった感じ。でも、オレ流はそれもどこ吹く風で、全く折れることなく調停に突き進んだ。そしてまた、こんな落合の年俸闘争が、その先の選手たちの年俸相場を上げていくことになる。オレ流行動の影響力はそれほど大きかったわけだ。

     時間をもう一度、90年10月に戻す。本紙が「落合脅される!! 中日、調停も辞さず」記事プラス「星野監督インタビュー」を1面で報じた2日後に記者にとっても衝撃的な出来事が起きた。「お前のとこは、何だってやるのか!」。その日、記者はナゴヤ球場で他社のベテラン記者から、こう怒鳴られた。原因は10月18日付の本紙1面見出し。「落合家チ●ポ丸出し放送」だった。

    5/13(水) 11:00
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200513-01847961-tospoweb-base

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    【悲報】落合博満さん、愛車のエンジンをかける際に「トランザム!」と発声していた…
    no title

    引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1589943092/

    1: 風吹けば名無し 2020/05/20(水) 11:51:32.52 ID:Cgvn9dCDp
     実は落合監督はアニメ「ガンダム」シリーズの大ファン。ガンダムといえば多くの人はアムロやシャアが登場する「機動戦士ガンダム」(1979年)を思い浮かべるはずだが、そこは普通とは違うオレ流だ。
    ガンダムにはまったきっかけはファンの間でも評価が分かれるマイナーな作品「機動新世紀ガンダムX」(96年)であった。さらに「機動戦士ガンダムSEED」(02年)
    「機動戦士ガンダムSEED DESTINY」(04年)などのテレビシリーズだけでなく「0080ポケットの中の戦争」「0083STARDUST MEMORY」「第08MS小隊」といったガンダムのオリジナルビデオアニメ作品も全てチェック。
    そんな中でも「機動戦士ガンダム00」は落合ファミリーを最も熱くさせた作品であった。

     ガンダム00が放送された07年から09年にかけて福嗣さんが明かしてくれた落合監督のガンダム愛エピソードは枚挙にいとまがない。
    当時の落合監督の携帯電話の着信音はL’Arc~en~Cielが歌うガンダム00の主題歌「DAYBREAK’S BELL」。福嗣さんがガンダム00の放送日にドラゴンズを応援するため球場に行こうとすると「お前は来なくていい。お前にはガンダムを録画するという重要な任務がある。ガンダムが録画できなかったらどうするんだ」とストップをかけていた。

     落合家では一時、ガンダム00のキャラクターのセリフを使って会話をすることが流行。落合監督は愛車・アストンマーチンのエンジンを掛ける際には「トランザム!」と発声し(注・トランザムとは「ガンダム00」に登場するモビルスーツのスペックを大幅に向上させるシステムのこと)
    信子夫人から「買い物に行ってきてね」と頼まれると「望むところだと言わせてもらおう」と主人公のライバル役であるグラハム・エーカーのセリフをまねして答えていたという。

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    落合博満(28).325 32本 99打点(三冠王) 敵「三冠王にしては数字低いよねw」落合「ほーん」
    落合博満

    引用元: https://swallow.5ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1588402009/

    1: 風吹けば名無し 2020/05/02(土) 15:46:49.74 ID:xQHAbAvR0
    落合博満(31).367 52本 146打点(三冠王)
    敵「ま、まぁ凄いけど、確変やろ…今年だけや」落合「ほーん」

    落合博満(32).360 50本 116打点(三冠王)
    敵「」

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    落合博満 通算OPS.986←これ
    落合博満

    引用元: https://hayabusa.open2ch.net/test/read.cgi/livejupiter/1586911856/

    1: 名無しさん@おーぷん 20/04/15(水)09:50:56 ID:Ykc
    45歳まで現役でこれって地味に凄くね?

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    中日初連覇を成し遂げた落合監督の退任 “花道を飾ろう”という美談ではなかった10ゲーム差逆転劇

    引用元: https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1587864061/

    1: 砂漠のマスカレード ★ 2020/04/26(日) 10:21:01.85 ID:0ejAEZ6P9
    【忘れられない1ページ~取材ノートから~】
    11年に中日を球団史上初の連覇に導き、落合博満監督(当時57)はユニホームを脱いだ。
    退任が発表された9月22日以降、15勝6敗3分けの快進撃で10月18日の横浜戦(横浜)で就任8年で4度目の頂点に立った。
    最大10ゲーム差あったヤクルトを抜き去る大逆転劇は、オレ流監督らしい計算と忍耐、選手教育の集大成だった。

    3―3で延長10回に入り、試合開始から3時間30分を経過していた。
    東日本大震災の影響による節電策としてこの年に採用されたのが「3時間半ルール」。
    マジック1の中日は引き分けで優勝を決め、落合監督が6度、横浜の空に舞った。

    俺らしくていいじゃないか。4度の優勝全てパターンが違うもんな。04年は負け、06年は勝ち、去年は試合のない日に決まった。なら、今年は引き分けしかねえ。そんな気がしていたよ」

    どんな形でも、最後に髪の毛1本でも上にいればいい――。
    就任時から何度も聞いてきた持論だ。言葉通り、正念場での勝負の勘の鋭さ、運の強さは恐るべきものだった。

    8月3日時点で10ゲーム差をつけられたヤクルトを大逆転する起爆剤となったのが、9月22日の「退任発表」だ。
    4.5差まで迫っていたこの日から直接対決4連戦で、追い上げムードに水を差すような突然の発表。
    落合監督は選手には一切、話さなかった。
    球団には「監督から説明してください」と頼まれたが固辞。
    「大一番を前に、監督が来年やらないなんて話は必要ない」と突っぱね、普段通りを貫いた。

    優勝争いのさなかでの発表で、チームが崩壊しても不思議ではない。
    ただ、落合竜には逆に出た。その日から破竹の進撃を開始。
    以降の13試合を10勝2敗1分けと勝ち続け、10月6日に首位に立った。
    選手が「監督の花道を飾ろう!」と奮起した…となれば、収まりのいいストーリー。
    だが、当時の取材ではそんな印象はまるでしなかった。
    むしろ「監督がいなくても俺らはできる」ことを証明するのを、競い合っていたかのように感じた。

    選手を批判することはない一方で、内心も明かさない。
    何を考えているか分からない指揮官に「アンチ」が多かったのも確か。
    9月22日の発表を聞き、大喜びした選手もいた。
    それでも、そんな選手に染み込んでいたのが「誰かのためじゃなく、自分の生活のためにやる」という落合野球。

    退任発表で選手のプロ意識が覚醒したことが、快進撃につながったとみている。

    もう一つ、最終盤戦での逆転劇の大きな要因が、東日本大震災による日程変更のアヤだった。
    3月25日予定だった開幕が「3・11」の被災で4月12日までずれ込んだ。
    シーズン前に全試合をシミュレーションする落合監督には大きな誤算。
    ただ、新日程で10月に得意のナゴヤドームでの10連戦(4日から13日)が組まれたことが、指揮官の頭の中にあった。

     「最終的に名古屋で10連戦が組まれた、組まざるを得なかった。
    幸か不幸か…、なんて言い方はいけないんだろうけど、結果的にウチには良い方に出たってこと。どういう形でどの位置で10連戦を迎えられるか。それをずっと考えていた」

    ヤクルトに大きく離された時も、10連戦までに射程圏内にいれば勝負になる計算があった。
    内心はヒヤヒヤでもじっと我慢。狙い通り、8勝1敗1分けで一気に抜き去った。

     基本的には物事を最悪から考えるネガティブ思考。ただ、一度腹をくくればテコでも動かない。
    退任発表後も無表情でベンチに座る姿は、味方に安心感を、相手には威圧感を与え続けた。監督、そして人間・落合博満の真骨頂を見せつけた最後のリーグVだった。

     ≪上層部に“敵”敗戦で球団幹部ガッツポーズ≫引き分けによる優勝決定は85年阪神以来、26年ぶりだった。
    1面は選手たちの手で宙を舞った落合監督。そして、2、3面では信子夫人とともにビールかけで笑顔を見せる指揮官の写真をメインに据え「夫婦対談」で埋め尽くした。大逆転へのターニングポイントを問われると「この際だから、言っちゃうけれども“俺らが勝ってもらっちゃ困る”と思っていた球団幹部が、9月の巨人戦でウチが負けた時にガッツポーズしてからなんだ。全てはそこから始まった」と話しだす衝撃の対談だった。

    4/26(日) 5:30 Yahoo!ニュース
    https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20200426-00000063-spnannex-base

    https://youtu.be/Yae16rs0RQo


    燃えよドラゴンズ 2011

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