志村けんさんの思い出

私が小学校低学年の頃だったと思う。

土曜8時の、「全員集合」のエンディングで、突然、荒井注さんの卒業が発表された。

子供ながらに「えっ?」と驚いた。

いかりやさんは、続けて、新しいメンバーを紹介した。

それが「志村けん」だった。

紹介された志村さんは、とても恥ずかしそうに一生懸命笑みを浮かべながら、小さくぺこぺこと首を前に出す感じで、照れくさそうにお辞儀をした。なんだか困っているような笑顔だった。

(この人で大丈夫なんだろうか)

と、見ていて首を傾げた記憶がおぼろげに残っている。

しかし、翌週からコントに加わり始めた志村さんは、見事に私の不安を裏切ってくれた。

吹っ切れた、それでいて良い感じのとぼけっぷりのパフォーマンスは、笑いのツボのど真ん中に刺さった。

あっという間に好きになった。

私の一番好きな志村さんのネタは、「東村山音頭」も良いのだが、それよりも「勝手にシンドバッド」であった。

当時、沢田研二の「勝手にしやがれ」と、ピンクレディーの「渚のシンドバッド」が大人気で、それを組み合わせた「勝手にシンドバッド」というパロディー曲であった。志村さんが踊りつつ、交互に曲が代わりながらめちゃくちゃになっていくという感じだったと思う。

本当に腹を抱えて笑った。

しかし、他のネタと違い、「勝手にシンドバッド」はわずか数回で披露しなくなってしまった。

大人になった今からすれば、たぶん楽曲著作権の関係だったか、あるいは沢田研二やピンクレディーが次の曲を出してしまったか、といった大人の事情だったのではないかと想像する。

いずれにせよ、数回しか見られなかったのが大変残念だった。

数年後、サザンオールスターズが同名の曲でデビューする。

曲名からして志村さんのネタをパクったのだとすぐに分かった。
(WikiPediaで調べたら、やはりそうらしい)

きっと桑田佳祐も志村さんのファンだったのだろう。

このネタは、あっという間に終わってしまったから、リアルタイムで見ていた人しか知らないのではないだろうか。


志村さん死去のニュースを見た時、仕事中だったこともあり、えっ、と驚いただけだった。

しかし、仕事を終えての帰途、無性に悲しくなった。

多くの人たちがそうだろうが、子供時代にたくさんの笑いをいただいた、恩人のような存在である。

恩人の死は、もちろん寂しい。

ーー 人は、必ず、死ぬ。
ーー それがいつかは、誰にも分からない。

そんなことを私たちは日ごろ、頭の隅によけながら生活する。

時代を象徴するスケールの人の死は、そんなシンプルな事実を改めて思い起こさせる。

それはそれでつらいものだが、

お前の子供時代は、もはや完全に終わったのだよ、と突きつけられるこの感覚は、一層心を重くするものだ。

合掌

be_someonebe_someone  at 01:04  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! エッセイ  

人はいつまで変わり続けられるか

自分は未熟だなあ、
自分のこういうところが嫌になるなあ、

そんなことが53歳の今でもたびたびあります。

どうして自分はこんな風なんだろう、と
夜も眠れずに苛立つこともあります。

稲森和夫さんの言葉によれば、
「人が生きる目的は、自分を成長させるための修行」
なのだそうです。

そう考えると、今の私は、自分の内面を成長させるために
修行中ということなのでしょう。

しかし、成長し変化できることは、年をとればとるほど、
イメージしづらくなるものではないでしょうか?

子供の頃から自分は、何度も何度も変わっていると思います。

振り返るとそのきっかけは、
くやしい、
恥ずかしい、
こうなりたい、
そういった感情だったように思います。

そうやって変わってきたのに、いつしか、
― まだ変われるのだろうか
と思うようになります。

体の成長は止まり、むしろ、体力は落ちていく。

周りからも、
年長ゆえの遠慮からはっきりモノを言われなくなったり、
あの年の人はもう変わらない、
という目で見られがちになります。

そういったことから、本人自身も、
今から変わるのは難しい、大変だ、
と思いこんでしまうのではないでしょうか。

しかし、そういった事象をよく見つめてみると、
内面を変えることは、はたして年齢と関係あるあろうか、
周りの目を、自分の壁にすることに意味があるだろうか、
と冷静に整理できます。

―― 私がこれからさらに、変われない、成長できない理由など、何もない。

思考できるうちは、成長を目指すべきであり、
それをやめないことはむしろ、自分の幸福につながる。

私はまだ、今よりマシな自分に変わり続ける、と腹をくくることで、
夜、ぐっすり眠りにつこうと思います(笑)




be_someonebe_someone  at 06:27  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! エッセイ  

第5期終了

今日で「平成」が終わり、「令和」になりますね。
テレビもネットのニュースもその話題で持ちきりです。

「平成」の始まりは、私が大学5年生を迎える時期でした。
一年留年してしまっていたのです。お恥ずかしい。

そこから30年と4か月。

社会人生活のスタートから現在まで、とほぼ言えます。同年代の先輩方、後輩たちも、抱く感慨は同じでしょうね。

平成の最後の日、弊社の第5期が終わりました。

そして、異例の10連休の真っただ中。
(5/1は仕事になっちゃいましたが…)

「よく5年間もったね」とねぎらわれているような気がします。

(3周年だなあ)と振り返っていた2017年には、まだ私一人で自宅で仕事をしており、アプリ開発と3DCG制作の仕事がメインでした。

あれから2年。

今期は、ずっとテーマにしていた「XRコンテンツ制作」の仕事を、事業の中心にまで膨らますことができました。

そして、たった3人ではありますが、弊社が「チーム」として機能するようになった最初の一年ではないかと思います。

いつの間にか、「技術力を高める」ということを、よく口にするようになりました。そして、もっと強いチームにしていくことが、次の3年のテーマになっていくことは間違いありません。

私にも、かすかに変化が出てきました。

少し前までは、自分自身が作ることが大好きで、何を作ったら面白いだろうか、あれもこれもいじってみたい、ということばかりが頭の中にありました。が、ここ最近は「素晴らしいものを生み出す土壌ってどうやって作るんだろう?」ということに意識が向き始めてきました。

長く読んでいる歴史書籍からいろいろと考えさせられることがあります。

近代以降、世界をリードしたのはヨーロッパ各国で、それまで栄えていたアジアの大国はどんどん後塵を拝するようになりました。

その原因は何か。
ヨーロッパで起こった産業革命によるテクノロジーの差、と答えたくなります。

しかし実は、産業革命初期において、ヨーロッパ各国と、イスラム諸国、インド、中国といったアジアの大国との間には、テクノロジーの差はほとんど無かったそうなのです。

ではなぜ途中から圧倒的な差になったのか。

それは、アジアの国々がまだ「専制君主国家」であり王がその気にならなければ大きな資金が研究開発に回らなかったのに対し、ヨーロッパでは「近代資本主義」が始まっていて、複数の資本家からお金を集めるシステムが出来上がっていたことが技術革新を進めるエンジンになったのです。

産業革命は例えとしては大げさですが、何が言いたいかといいますと。。

企業に置き換えて考えるなら、優れた技術をいくつか持っていることも大切ですが、本当に世の中の役に立つには、それを永続的に増やし続け磨き続ける土壌が必要なのだろうなあということです。

たとえば、Googleという会社が、ただ優れた検索技術を持っているだけの会社だったら、ここまでにはなっていなかった。Google関連の書籍を読むとよく分かります。

さて、弊社ですが、次の一年からは、XRの制作技術をさらに磨き、チームを強くする、そして、「土壌を作る」ということを少しずつ意識していきたいと思います。

あんまり慌てません。
順番に、じっくりやっていきます。

be_someonebe_someone  at 15:49  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 仕事 | エッセイ 

向き合う、ということ

明けましておめでとうございます。

2018年は、一言で申し上げれば「きつい年」でした。

その前年後半より春先まで売り上げが停滞し、少し寂しい状態となりました。


大切なのは、

「立ち位置、狙い所、といった本質的な“進み方”が間違っている」のか、
「個々の事象の不調が因果関係なく重なった状況」なのか、

を見極めることだと思い、慎重に、希望的観測無しに吟味しましたが、これは後者であるに違いないという結論に至りました。

そもそも、わずか数件の事案が滞るだけで業績に響いてしまう、という事態がむしろ問題であり、その状態でこれまでやれてきたこと自体が出来すぎていたのでしょう。


ぼーっとしている暇はありません。
コツコツ積み上げたものなど、少し立ちすくんでいるだけですぐに消えてしまいます。


さて、どうすれば良いか。
実は単純です。


営業成績が行き詰まった時、何をしなければならないか。

営業に携わったことがある人ならば、誰でもわかります。

技術面で乗り越えられない壁にぶつかった時、どうすべきか。

制作・開発のディレクションを経験したことがある人ならば、誰でもわかります。

要はやるかやらないかです。

こういうことは往々にして、答えが分かっているのに分からないふりをして、別な魔法を探したくなるものです。

過去の自分にも思い当たるところがいろいろあります。

なぜか。

それがとても泥臭く、面倒で、その割に結果が出るかどうか分からないものだからです。


昨年春以降、それに「向き合う」ことにしました。

泥臭く面倒で結果が出るか分からないことを、地道に積み重ねました。

結果、夏からは複数の、新しく魅力的な仕事と出会うことができました。

また実にタイミングよく、新しい仲間を迎え入れることができ、波に乗ることができました。


ふと気が付けば、事業の中心にしたいと考えていたxRコンテンツの制作業務が、仕事の大半を占めるようになっていました。

「進み方」を疑わず良かったようです。


一つ一つの仕事でも、経営面においても、進めば進むほど面倒で厄介な問題は積み重なります。

ただ、それらに「粘り強く向き合う」のだと腹をくくれば、不思議と落ち着くものだと気づかせてもらった一年でした。


今年は五月に設立5周年を迎えます。

感謝の気持ちを忘れず、少しでも世の役に立つ仕事をしてまいりたいと存じます。

今年もよろしくお願い申し上げます。


be_someonebe_someone  at 18:18  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 仕事 | エッセイ 

奇跡は意外と地味に

私は小さい頃、足が遅かった。

中学で野球部に入ってからは普通のレベルになるのだが、小学校までは運動会の徒競走でほとんどビリだった。

体が大きいのに足が遅い、というのがコンプレックスで、運動会の前日はいつも嫌で嫌で風邪を引いて欠席してしまいたいと切に願った。

ところが、5年の時だったと思うが、一度だけ例外があった。

その年の運動会の徒競走、
私と一緒にはしる5人は皆足が速い子達ばかりだった。

風邪をひくことができなかった私は、ビリだけはなんとか避けられないものだろうか、という思いでそこに並んでいた。

「よーい、バン!」と鉄砲が鳴った瞬間、それは起こった。

私以外の5人が一斉に転んだのである。

前夜、雨が降って少し地面が柔らかかったのだろう。

私だけはなぜか転ばず、懸命に走り、気がついたら一位でゴールしていた。

その時、子供ながらに発見したのだ。

諦めずにその場にたてば、可能性はゼロではない。

ただ偶然で一番になっただけなのに、そのあとは周りの景色がまったく違って見えたのをよく覚えている。


時は変わり、息子の小学校一年生の運動会。

50m走で、ぶっちぎりで一着。
知らない人たちからも「速ーい」と声が漏れるほどだった。

運動神経では、どうも私とは似ても似つかぬ子のようだ。

これはこれで、ある意味奇跡かもしれない。

また親バカな投稿になってしまった。









be_someonebe_someone  at 23:25  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! エッセイ