奇跡は意外と地味に

私は小さい頃、足が遅かった。

中学で野球部に入ってからは普通のレベルになるのだが、小学校までは運動会の徒競走でほとんどビリだった。

体が大きいのに足が遅い、というのがコンプレックスで、運動会の前日はいつも嫌で嫌で風邪を引いて欠席してしまいたいと切に願った。

ところが、5年の時だったと思うが、一度だけ例外があった。

その年の運動会の徒競走、
私と一緒にはしる5人は皆足が速い子達ばかりだった。

風邪をひくことができなかった私は、ビリだけはなんとか避けられないものだろうか、という思いでそこに並んでいた。

「よーい、バン!」と鉄砲が鳴った瞬間、それは起こった。

私以外の5人が一斉に転んだのである。

前夜、雨が降って少し地面が柔らかかったのだろう。

私だけはなぜか転ばず、懸命に走り、気がついたら一位でゴールしていた。

その時、子供ながらに発見したのだ。

諦めずにその場にたてば、可能性はゼロではない。

ただ偶然で一番になっただけなのに、そのあとは周りの景色がまったく違って見えたのをよく覚えている。


時は変わり、息子の小学校一年生の運動会。

50m走で、ぶっちぎりで一着。
知らない人たちからも「速ーい」と声が漏れるほどだった。

運動神経では、どうも私とは似ても似つかぬ子のようだ。

これはこれで、ある意味奇跡かもしれない。

また親バカな投稿になってしまった。









be_someonebe_someone  at 23:25  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! エッセイ  

2003年のヨウタ

2003年冬、私はまだ独身で、フリーランスの3DCG制作者であった。

ある時、教育事業を営むクライアントから、
「男の子のキャラを提案してもらえませんか?」
とのお話があった。

私は3DCG制作といってもキャラに動きをつけるアニメーションの仕事が中心だったので、キャラデザインなどやったことがなかったし、現在と違って、相談できるデザイナーもいなかった。

しかし、何でも良いから仕事がほしい状況であった私はなんとか自分で作ってみようと、3DCGソフトでモデリングし2D風に出力したキャラクター画像を作ってクライアントに提出してみた。

それが、これである。

yota2003

提出するとクライアントから、
「キャラの名前は?」
と聞かれた。

名前まで提案するとは思っていなかった私は、用意が無かった。

とっさに、

「えー・・・、『ヨウタ』です」

と答えた。

なぜそう答えたのか、さっぱり分からない。


結局、そのキャラクターは不採用となった。

門外漢が作ったんじゃ、やっぱり無理か、とあきらめた。

キャラの画像は用なしになったが、ブログのプロフィール用画像に困った時に使ったりした。



それから8年後。

私たちに息子が生まれることになり、妻と名前を考えた。

候補はいろいろ挙がったのだが、なかなか決定に至らなかった。

行き詰ったところで、私が言った。

「『ヨウタ』ってのはどうだろう?」

「・・・どうして?」

「うーん、なんか、周りから可愛がられそうな響きじゃない?」

「・・・ふーん」

過去のいきさつは話さなかった。

不採用なんて縁起が悪い、と言われそうだったからだ。

その後、妻が字を選び、「陽太」と決まった。

人から命名の理由を聞かれると、私も妻も
「太陽のように明るく強い子になってほしいということで、太陽をひっくり返して陽太にしました」
と答える。

しかし、実はそんな隠れた過去がある。



6歳になった息子はこんな顔をしている。

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2003年のヨウタには似ていない。

しかし、こうして見比べてみると、2003年のヨウタに(デッサン的なこととは別に)決定的に欠けていたものに気づかされる。(遅いっ!!)



ところで、私の「豊」という名前は、小説家を目指していた若き日の父のペンネームだったそうだ。

なんだか、似たようなことをするもんだ。

be_someonebe_someone  at 20:52  | コメント(0)  |  この記事をクリップ! 

会社設立3周年を迎えて

本日5月1日をもちまして、会社を設立してから3周年となりました。

おかげさまで何とか無事に、といいますか想像していたよりずっと充実した三年間でした。

ご協力いただいた多くの方々に感謝したいと思います。

細かい決算数字の集計はまだこれからですが、第一期から続いていた経常黒字と増収増益はどうやら絶やさずに済んだようです。

会社を作った時は正直申しまして、「どこまで続けられるだろうか」というような気持ちもありましたが、今振り返るとあっという間に三年が過ぎておりました。

私が独立したきっかけは、恥ずかしながら「大きな志を抱いて」というような格好の良いものではありません。

実は、30代の前半と後半で二度にわたり独立を試み、呆気なく砕け散っております。

その経験から、自分で会社を作るとか経営者になるというような気持ちは無くしておりました。

いったん断念する、というのではなく、完全に「自分には無理である」とあきらめたのです。

なぜまた独立することになったかと言いますと、勤務先の会社が経営不振に陥り、営業を継続できなくなったためです。

40代後半での転職というのはなかなか難しいものです。

これまた恥ずかしいことなのですが、勤務先の倒産もしくは営業停止という経験は初めてでないどころか、数多く経験しております。仮に新しい勤務先が見つかったとしても新しい環境でやり直すことの難しさもよく分かっています。

私は否応なく独立という選択をしました。

不幸中の幸いだったのは、勤務していた会社ではテレワークや副業がOKだったので、会社を辞めても多少の収入があったことです。さらに言いますと、ほぼ同じタイミングで、継続性の見込まれる3DCG関連の新しい仕事を個人の立場で受注しておりました。

これらの流れはかなり偶然といっても良いものですが、私の背中を押すことになりました。

それ以来三年間、私がずっと念頭に置いていたことは「つぶれない」ことです。

もちろん過去の経験もありますが、幼い子供を持つ親としても当然のことです。

一方で、変な言い方になりますが、
「会社がつぶれるのはどういう経緯によるものか」
ということも私なりによく記憶していました。

私の前職までの主な仕事は「Web制作」で、その分野の仕事の実績が最も多いのですが、二期の後半でそこからは手を引き、3DCGおよびUnityでのアプリ開発に的を絞りました。

その先に今、追いかけていこうとしているのはAR、VRといった分野です。
三期目ではVR分野の仕事の実績を作ることもできました。

以前からの知り合いからは、「思い切りましたね」とか「新しいことに積極的ですね」というようなことを言われましたが、私としては会社を続けていくための「守り」の一手のつもりでした。

攻撃は最大の防御と言えば恰好良いですが、それもちょっと違いまして、たった一人の新しい会社だからこそできることを考えてのことです。

たった一人の自分が興味を持ったり直感的に思うことに迷いなくパワーを注げる、身軽さ、スピード
歴史が無いということは、先入観を持たれる材料もない = 実績さえ作れば変わりたいものに変われる

こういったことを活かそうと思ってきました。

また、当たり前のことではありますが、

「強い相手、多くの相手、とは戦わない」

ということを日夜考えております。

新しいことに取り組んでいる会社、というイメージになっているようですが、裏を返せば「新しくないことでは勝負にならない」ということです。

3DCGを活かしたアプリ開発、という分野には可能性を感じているだけでなく思い入れがあります。

3DCGにはかれこれ10数年、趣味になったり本業になったり変化はあったものの、ずっとこだわって取り組んでまいりました。
インターネット関連の仕事に関わり始めた2000年頃から、仕事でWeb制作に携わりながら、個人でずっと3DCGの勉強をしておりました。

第一の理由は、好きだったためです。
第二の理由は、3〜5年後には3Dコンテンツがネットの主要コンテンツの一つになるに違いない、と想像していたことです。

二番目は大きな見込み違いでした。かなり外しました。

ブラウザでコンテンツを見る時代には、それは訪れませんでした。
スマート端末を主とした多様なデバイスにアプリをインストールしてコンテンツを見る、という時代になってようやく3D表現は日の目を見ようとしています。

私の計算はまったく当たっておりませんでしたが、ここから先、ようやく大好きな分野の仕事に存分に取り組めそうです。

自分が情熱をもって取り組むことができ、人とは違う知識経験が生かせる分野、つまり多少「有利かもしれない場所」ではないかと考えています。

四期目に入ったこれから、画策していることはいろいろあります。

いずれも「攻め」のように見える「守り」というのがベースです。

臆病なので(笑)

be_someonebe_someone  at 10:02  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! 

便利だなあ、と最近感心すること

最近、Facebookで「過去の思い出を振り返ってみよう」というお知らせがたびたび届くようになった。

最初は、なんか面倒だな、と思いながら、開いてみるとこれが結構面白い。タイムラインのずっと奥に隠れてしまったものでもこうして再発見させてくれると、ますますこれからもいろいろ残していこうという気持ちになるものだ。

技術的には簡単そうな気がするが、このようなちょっとした工夫がサービスの持つ価値を高めてくれる。単なる交流ツールだったものが、人生を通した思い出の宝庫にランクアップである。

この先どんな工夫を見せてくれるのかさらに期待したい。

Amazonの最近の動きもなかなか魅力的。

ただ単に、届くのが早くて毎回の送料がかからないのが便利、というだけでamazonプライムを使い始めたが、ふと気が付くと映画も見放題、音楽も聞き放題、もちろんamazonプレミアムにエントリーされたものだけであるが、こちらとしては料金が変わらず次から次へと特典が増え、満足度はうなぎのぼりである。

音楽業界ではこのようなやり方をどう見ているのだろう? おそらく賛否両論が渦巻いているに違いない。CDの売上げ、減り続けているとはいえ、こんなサービスにエントリーしたら絶対に売れなくなる、とかいう危惧はもちろんあるだろう。

私たちが聴いたことに対するフィーはどのような形で支払われるのだろうか?

たぶん、勝手な想像であるが、amazonプレミアムの会費の中から、聴かれたりダウンロードされたりした回数の割合でシェアするのではなかろうか?

これによって今までよりもうかるのか損をするのか、アーチスト側で算出するのはなかなか難しいだろう。

しかし、単純な事実がある。
私は年間にCDや有料ダウンロードで曲を購入するのはせいぜい7〜8,000円程度であった。その範囲でしか新しい曲は聴いていなかったわけだ。しかし、今はこれまでにまったく買わなかったアーチストの曲を聴きまくっている。聞いたことの無いようなアーチストの曲を聴き、好きになってすべてダウンロードしたものもある。

私のような、これまでほとんど音楽にお金を使わなかった層が客として増えるのであれば、総体としてマーケットは広がるのではないだろうか。そして、無名のアーチストが世に出るチャンスも増えるのではないだろうか。

話がだいぶそれてしまったが、気が付くと、海外のサービス、海外のプロダクトに埋もれているのに気づく。だって、便利だしカッコ良いんだもの。

日本発で海外まで広がっているIT分野のサービス、プロダクトが思いつかないのが非常に残念。


be_someonebe_someone  at 11:39  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! エッセイ | レポート 

ふと出てきた思い出

昨日、8月7日は父の2年目の命日でした。
いわゆる三回忌ということになります。
母と妻と子供と三人でお墓参りをしました。

前日の8月6日は広島に原爆が落とされた日。
そして二日後の8月9日は長崎に投下された日。

こうしてみると、なんだか象徴的な命日だなあと感じます。

ふと思い出した記憶。
といっても、ほとんど忘れかけていて、大人になってから母からいわれて思い出したのですが。

小学校3年生の頃。
僕はクラッシックギターをならっていました。
先生は母の友人でとても知的で美しい女性のギタリストでした。

そのギター教室のクリスマスパーティーがあり、母と姉と3人で参加した時の事。

先生の友人のアメリカ人の男性が2名ほど来ていまして、親しげに子供たちに片言の日本語で語り掛けてきました。

「アメリカ人は好きかい?」
と尋ねられた僕は、こう答えたそうです。

「お兄さん達のことは好きだけど、アメリカは嫌いだよ」
「どうして?」
「だって、原爆を落としたから」

ちょうどそのころ、「はだしのゲン」というマンガを読んでショックを受けたばかりの頃だったのです。別にその人たちに何か抗議めいたことを言いたかったわけではなく、少し知識を仕入れた子どもが何も考えずにそれを口にしてみたくなるような感覚だったと思います。

いずれにせよ、嫌なガキだったにちがいありません。その場の雰囲気が変わったのをなんとなく覚えています。

家に帰ってからさすがに母からは
「あそこであんなこと言わなくても・・・」
と困った顔をされました。

姉は
「あんたバカじゃないの? あんたのせいで変な感じになっちゃったじゃないの」
と怒りました。

私としては他意は無かったのですが、言われてみて
(たしかにそうだ。大変なことをしてしまった)
と、とても後悔しました。

すると、いつも寡黙な父が

「いや、それは悪いことじゃない」

と珍しく口をはさみました。

母も姉もやや抗議めいた顔をしましたが、

「そういうことを言う者がいることも大事なんだ。だからお前は気にしなくていい」

とまじめな顔で続けます。

父のその発言で私は少し救われた気がしました。
その時は、父は私を助けるためにそう言ってくれたのだと思いました。

しかし、今振り返って考えると、もっといろいろな思いがあったのかもしれません。

来週はお盆、妻と子を連れ父の故郷に帰り、祖父母のお墓参り。

そのすぐ後に、息子の誕生日、私の誕生日が続きます。

正月以上に特別な8月。

今年も暑いです。



be_someonebe_someone  at 05:27  | コメント(0)  | トラックバック(0) |  この記事をクリップ! エッセイ | 近況報告