一段と漱石が好きになった一冊

夏目 漱石の私の個人主義

講演集

大阪や学習院での講演を一冊にまとめた講演集。
時には冗談を交えながらも、真摯に若者に語りかける漱石。
この講演で各地に出かけたことが、のちの作品の中で生かされています。
一瞬一瞬も無駄にしない漱石の姿があります。

いまでも自分にそう語り続けているような気がします。
また一段と漱石が好きになった一冊です。

現在にも通じる普遍性を持っている漱石の思惟 !

「道楽と職業」、「現代日本の開化」、「中味と形式」、「文芸と道徳」、「私の個人主義」の5つの講演録を収めた作品。漱石の思索が直接的に語られるので、その想いが率直に伝わって来る。漱石の思惟が現在にも通じる普遍性を持っている事が良く分かるし、ユーモアや講演地の話題を巧みに織り交ぜる等、講演の名手だった事も窺える。

「道楽と職業」では、職業における自己本位と他人本位の問題が語られる。文明が進むに連れ、人々の職業上の専門性が高まり、互いの同情心が薄れ、横の連鎖が無くなると言う。漱石は職業を他人本位(他人のためにする)と捉え、それが人が商売を嫌だと考える理由だと言う。それを免れているのは、科学者・芸術家だとし、これを道楽と称し、自己本位の発露だと考える。「現代日本の開化」は、戦勝による昂揚気分への戒めである。本来内発的であるべき開化が外発的に行なわれた日本の上滑りを憂いている。開化が生活上の競争を低減しない上に、滑らない様に頑張った結果、神経衰弱になるとすれば憐れだと語る。「中味と形式」では、社会にあった型(法律等)は、その社会的状況や、社会を構成する人々の心理状態に合うような無理の少ないものであるべきと論じている。中味に応じて外形も変わるべきとの論である。「文芸と道徳」は、浪漫主義文学と自然主義文学を、明治以前・以後の道徳と結び付けた興味深い論考。個人主義の立場から世の中を見渡す時代においては「明治以前の道徳は大体において過ぎ去った」と語るが、「道徳界における理想が低くなったに過ぎない」とも警告する。「私の個人主義」は、英国留学を中心とする漱石の経歴を語る中で、「個人主義」の信念に到る経緯を述べたもの。「個人主義」は他人の個性を尊重する事でもあるが、その阻害要因として権力・金力の濫用を挙げている。

「個人主義」を中心に、漱石の晩年の思索が活き活きと伝わって来る貴重な講演集。


思想の冒険家・夏目漱石。

小説家としての漱石以上に、思想家としの漱石に魅力を感じている。
この『私の個人主義』から、漱石の考え方を直接、学ぶことができる貴重な1冊である。

2001年8月10日、NHKラジオ第1で放送された「21世紀に読む漱石」のゲスト・寺島実郎のイギリスから20世紀を持ち帰った男・漱石の話と、「私の個人主義」(1914年)の講演を声優・銀河万丈の声で聴いて内容にも魅了されました。

「道楽と職業」から、大好きな分野を個人的に学ぶ楽しさと、他人へのサービスとしての職業を考えることは、現代社会でも通じる内容です。

 漱石の『私の個人主義』は、エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』(1941年)、オルテガの『大衆の反逆』(1929年)に匹敵するほどの内容の講演と思います。
 時代を先取りした思想家・夏目漱石の言葉が、時代を超えて受け継がれることを祈ります。

私の個人主義

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心にとても響きます

レイフ マーティンのみにくいむすめ

心に沁みる物語

とてもよかったです。
絵もとても綺麗ですし、雄大な自然感を感じます。
みにくいむすめと言われても、本当は心はとても綺麗な人で、やはり大事なのは心なんだな…と感じました。
とても素敵なハッピーエンドです。


娘(8才)の感想文(原文のまま)

かんどうしました。わたしは、みにくいむすめと言う本をみて、ほんとによかった。この本を書いてくださったみなさん本当にありがとう。心がとってもぽかぽかとするとってもいいさくひんです。村の人は、みかけで人を決めるなんて、人は中みなのです。やけどをしていたかったろうに、そのむすめはとてもやさしい心のもち主です。わたしは、この本をよんでなきました。


透明な心

 絵本の紹介にも「シンデレラ・ストーリー」と銘打たれていますが、実際に読んでみると、単純なシンデレラ物語でないことがお分かり頂けると思います。
 人は何をもって、美しさや気高さを感じ、何のために地位を欲するのか。何度も読み返すたびに、色々な発見がある物語です。ストーリーと素晴らしい挿絵もとてもよくマッチしています。
 もとの話は、この絵本よりもずっと長くて、入り組んだ話であるようですが、それを絵本という媒体にきっちり収め、最後まで緊張感のある展開をつくった作者には恐れ入ります。
 物語のラストは、単純なハッピーエンドではないような気がするのですが・・・それは深読みをしすぎるせいでしょうか。
 「透明な心」を感じられる一冊です。心にとても響きますよ。
 

みにくいむすめ

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誰かに抱擁されたい

天童荒太の永遠の仔

だれでも、抱擁はされたいよなぁ。

思うとおりになんかいかない。
そんなに高い望みだとは思わない。
けれども、それもかなわない。

これだけの内容を無責任に書けるわけもなく、
おそらく徹底した取材で、
かなり研究しているのだろうと思う。
その分のリアルさが、
鳥肌が立つほどの深い感を誘う。

幼児虐待、DV、殺人・・・、
もちろん言い訳もできない犯罪である。
あらゆる犯罪において、
もっとも被害を受けるのは、
いつでも社会的弱者である子どもたちである。

保護されるべき、
保護されたい子どもたち。
その子たちが、
保護者によって歪められた。
どんなに彼らを取り巻く状況や、
保護する側が言い訳しようと、
子どもたちのとってはつらく冷たい記憶にしかならない。
そして、
その記憶は、
彼らの生きる支えにはならない。

すべての人がそんな苦い記憶を持っているわけではない。
しかし、
何らかの、共感・共苦があると思えてしまう。
そしてきっと、
人はだれも、
誰かに抱擁されたい、
そう思っているに違いない。


「力」がみなぎった作品

2000年度版このミス10 1位。
1999年文春ミステリーベスト10 2位。
2000年 第53回日本推理作家協会賞長篇部門
第121回直木賞候補作品

作者の代表作品。
直木賞の選考では、選考委員の大先生方に「作品が長すぎる」「子供同志の会話が子供らしくない」等々の評価を受けたようであり、実際読んでみると、なるほどその通りである。しかし、その不器用さゆえ、読者に強いメッセージが伝わっているように思う。作品自体は過去と現在に起きた殺人事件を軸に展開するミステリーとなっているが、まず作者が作品を通して伝えたいメッセージがあり、その表現方法としてミステリーを選択したように感じた。とにかく「力」がみなぎった作品である

何だか

 現在の話より、過去の話のほうが面白い。
 子供の心理が上手すぎますよ。よっぽど研究したんだろうな、ということがひしひし伝わってくる。さすが教祖。

永遠の仔〈4〉抱擁 (幻冬舎文庫)

フィッシュオン!
ケツマツ

作品ごとに好みが別れるだろうなー

田口 ランディの富士山


富士山
日本人の心の中にはいろいろな富士山があるなぁと思う。
ときどきグロい表現が出てきてちょっと苦手だった。

ひとりごと
評者は田口さんのエッセイを高く評価し、小説については少々苦手とすることを、正直に申し上げる。本当は、好んでいるものについてだけ書くのがよろしい。何かを書くときには、少しでも胸の高鳴ることを書きたい。そう思っているのだが、この本を読んで不思議な連想が湧いたので、短く記します。

この短編集に出てくる人々は、コムデギャルソンの店員にはなれそうもない。そう感じた。

何を言いたいのか。コムデギャルソンで服を買ったことのある人ならばわかると思うのだけれど、店員さんは声をかけるまでは寄ってこない。セールスしない。アピールしない。

それに対し、田口さんの小説世界の人物たちは、放っておいても「何かをしでかす」。

どちらがよいという問題ではない。しかし、田口さんの小説の世界観を持つとコムデギャルソン的世界が見えなくなる。世界の広さや多様性と切り結んでいるように自分では感じながらも、静謐な世界を見落とす、というのはちょっともったいない。

だって、さっぱりとした敬意を向け合う日常ならば、目をあければどこにでも見つかるのだから。

富士山
富士山がどの作品にもシンボルとして出てきました。
富士山になじみの無い私が読むと、
富士山というものに興味がわいてきました。

内容としては
作品ごとに好みが別れるだろうなーと
思いました。
私もどうも納得のいかない話もありましたし
最後の話はなんだか読んでいて女性として苦しかったり
しましたが
そういう不快な感情を呼び起こすのもまた
小説の魅力なんだろうなあと思います。

富士山
オロビアンコ

おかげで夫婦喧嘩になりそうだったとか

誰にでもオススメできる一冊。
「天を衝く」の単行本を買ってから二年近くが経過したが、私は暇さえあれば読み直している。高校生でも簡単に読める内容で、友達や担任をはじめ部活の顧問にまでレンタルしているが、思いのほか速く私の元に返却されてくる。
「つまらなかったんですか?」と尋ねるとおもしろすぎて夜通しで一気に読んでしまったというのである。おかげで夫婦喧嘩になりそうだったとか。

二巻は一巻ほど読み応えがあるわけでもなく、クラマックスの三巻ほど重みがあるわけでもない。しかし、二巻は一巻と三巻をつなぐための重要な場面である。南部晴継の暗殺から九戸党の中陸奥侵攻。大浦為信の独立。これらのことが九戸政実一人のもとに操られて展開されていく。著者の高橋克彦氏の美化、装飾は拭えないが、奥羽を愛する著者の手によって、クセのある装飾でさえも新鮮なものに感じられる。

特に、この小説は全巻を通して東北の人々に読んでもらいたい。東北以外の人々も馴染みのない地名などが登場するが、それなりに新鮮に読めると思う。

是非オススメする一冊である。


天を衝く(2)

ヴィヴィアンウエストウッド

「狂気」の背景には「私たちの論理」がある



いわゆる「内幕ルポ」や「戦後史もの」に押し込めてしまうことはもったいない良作。
 「学生運動」「共産主義」「新左翼」、こういったキーワードになんの興味を示すことのない、現代の学生こそオススメ。
 
 確かに、学生運動や共産主義が歴史的遺産となった今、中核や革マルの当時の主張を知ることは、トリビア的な知識の枠を出るものではない。しかしながら、優れた歴史書はそこに何かしらの法則があるように、この本も現代に生きる私たちに多くの教訓を与えてくれる。
 
 例えば、次のような記述。
 
 「この警察の取り締まりによってデモをする側は極度の無力感にさいなまれた。この無力感が、ゲバ棒路線に走らせたといってよい。無力なものが力をつけるためには武器の力を借りるほかない。」(P117)
 「そのレールはお互いに、相手の党派を、革命党派を称する反革命党派とみなすことの上に敷かれていたのである。ちょうど宗教戦争の時代が、プロテスタントもカトリックも互いに相手の党派を、神の名を唱える悪魔集団とみなしたことではじまったように、この二つの『革命の信者集団』も互いに相手の奉ずる神の中に悪魔を見たのである」(P239)

 1970年代の中核・革マルの内ゲバの過程を丁寧におっていくことで、「集団はどのようにして一線を越えてしまうのか」「なぜもとから対立する組織間より、仲間われした組織間のほうに強い憎悪が働くのか」など不偏的な「内ゲバの論理」を描き出している。上の記述は、オウム真理教が暴走した理由などにも当てはまるところが多いのではないだろうか。

 現在私たちは、「共産主義革命」とは(一時的に)無縁の時代を生きている。だが、私たちが集団生活を営む「人間」である以上、どこかでこの本書が指摘したような「内ゲバの論理」から無縁ではいられないのだ。 
 中核・革マル問題を「殺人を繰り返す狂人集団」で片づけず、執拗に「私たちの論理」をそこに読み取っていく、著者の情熱にはただ圧倒される。

エスカレートする内ゲバの迫力ルポ
「内ゲバ」…子供のころニュースで聞いたこの言葉には何か陰湿な、そして過激な印象をもった記憶があります。本書はまさにその言葉に象徴される「中核派」と「革マル派」の抗争を詳細にまとめたルポです。
もともと日米安保や三里塚抗争などを背景に、左翼的活動団体として公安当局とぶつかっていた両派が、ちょっとしたボタンの掛け違い(と読者には思える)から対立し、お互いの構成員を殺しあうまでになっていく様が、著者の圧倒的な取材力と文章量によって明らかになっていきます。
ゲバ棒や鉄パイプなどで頭を殴り続けるような行為が行われ、(その筋の人ではない)一般人がここまでできるのか?と空恐ろしくなる感じがします。こんなことがほんの30年前に行われていたとは…。
彼らはいったい何のために戦っていたのか。素朴な疑問が消えない読後感をもちました。

「共産主義」と「宗教」
この本で立花氏が例えたように共産主義と宗教の類似を指摘する人は少なくありません。

「既存の宗教の否定」「善悪二元論の教義」「弱者救済」「ユートピア思想」「教条主義」など、だからこそ老若男女、人種や国境を越え、世界中の人達に支持されたのではないでしょうか。

そう考えれば中核派、革マル派を含めた共産主義者の言動は不自然ではないと思います。「神の寵愛(革命)」と「地上の権威(革命の果実)」を独占するための異端と異教徒との戦い、ということだと思います。
中核VS革マル(上)

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馴染めない

表紙が売りなのに表紙がだめ
「走れメロス」が現在いくつの出版社からいくつの版が出ているのか正確な数は出てるか知らないが、すでに相当な数が入手可能なわけで、とにかくこのSDP Bunkoというシリーズの売りはスターダストご自慢のタレントの写真を表紙にしてますよということだから、表紙が良くなければ意味がない。
さてそれでここで使われている林遣都の写真だが、何をどう間違ったのかというレベルの全くサイズのフィットしてないダサすぎるジーンズを穿かされて、スタイリストも写真家も恐ろしく低レベル。こんなものを表紙にしただけで若者がこの本でメロス読むと思ってるのならとんでもない勘違いも良いところ。
ページレイアウトも素人臭くて出版社のやる気を感じないし、どう考えても他の版で読んだ方が百倍もマシ。

ヘンな私小説性に馴染めない……。
『走れメロス』『駈込み訴え』などのフィクションは流石に面白かったが、
『東京八景』『帰去来』『故郷』などの私小説性に対して違和感を覚えた。

なんで太宰先生はこんなにも明け透けにプライバシーを量り売れるのだろう。
この作家にとっては、プライバシーの量り売りが文学なのだろうか。
プライバシー保護の概念の薄い時代とはいえ、明け透け過ぎる。

勿論、タテマエ上プライバシー晒しは目的なのではなく、手段のひとつに過ぎないのだろうが、
実際は文学以外の面で作者のプライバシーを漁ることを読者に求める所為になってしまう気がする。

「私は絶対に嘘を書いてはいけない。」などと書かれたら、
それが本当かどうかを探りたくなるのが人情であろう。然し、その詮索は決して文学ではない。
実体験に即した私小説とはいえ、小説内で完結させるのが本筋ではないのか。

また小説本文を読む限り、作者は田舎の家族にきちんと断りもせずに、
家族をネタにした話を書いて原稿料を貰っていたようである。それは可笑しいだろう。
自分ひとりのことを量り売るならまだしも、他の人間を勝手にダシにするのはなんなのか。
私は本書を読み、太宰治の人気の秘訣のひとつは、作者が読者をプライバシー漁りに駆り立て、
作者自身のプライバシーと作品を重ねて読ませる手法が大きいように感じた。
理屈は分かるが、なんか違う気がする。

加えて、作品内でさかんに過去作品に言及してページ数を稼ごうとする手法もくどい。
その手法はまた露骨な自作品宣伝と受け取られても仕方があるまい。作者の意図に関わらず、である。
小説内で小説を宣伝するというのは如何なモノか。絶対にやるなとは言わないが、くどい。

ユダよりもさもしく見えるのは私だけか。

頽廃の先
「ダス・ゲマイネ」「満願」「富嶽百景」「女生徒」「駆け込み訴え」「走れメロス」「東京八景」「帰去来」「故郷」の全9篇を収録した短篇集です。 自己の存在を可能な限り客体化し、そして顧みること。頽廃的な事柄の眼前には一体何が待ち受けているのでしょうか。とりわけ「女生徒」「走れメロス」が秀逸であると思います。

「それだから走るのだ。信じられているから走るのだ。間に合う、間に合わぬは問題ではないのだ。人の命も問題ではないのだ。私は、なんだか、もっと恐ろしく大きいものの為に走っているのだ」
走れメロス
禁断の果実
追いかけて

嬉しい余韻がまたしても残る

まずは作者に有難う
このシリーズも3作目で、もういくら登場人物が多くても戸惑うことはなくなった。
今回もいろんな出来事がある中、またまた家族も増えてきました。
まるでサザエさん一家のようで、チビまるこちゃん一家か。昔の寺内貫太郎一家もついつい思い出してしまう。
みんなそれぞれ泣き笑いのある物語で、読み終えた後味も非常に良く、次の物語が待ち遠しい限りだ。
是非TV化していただいて、今の殺伐としたドラマを蹴散らしてほしいと願う。日本の家族の本当に良い面がかもし出されて、
ついつい微笑んでしまうに違いない。
まるで自分も街の住人になるような
今回は今まで以上に男性陣が活躍したような「東京バンドワゴン」でした。
紺が思ったより前に出てきて、すごく映えていましたね。
紺もそうですが、全編にわたって我南人や青、そして藤島さんが何とも素晴らしい。
今までちょこっと顔出ししてきた脇役の皆さんにも思いがけないスポットライトが当たって
さらに堀田家に騒動を巻き起こしていくのです。

当然のごとく登場人物はますます増えていくのですが、
そこは一人ひとりがちゃんと個性際立っているキャラクターなので
誰かを何処かで見失うことはありません。
むしろ今まで出てきたあの人もこの人も、全員で関わって欲しいくらい。

そんないつでもたくさんのLOVEに包まれた下町に自分も住んでみたい。
我南人は誰が演じるのがいいだろうとか、すずみさんを演じるのはこの女優さんかなとか
一人で勝手に脳内キャスティングを楽しみながら、今日もまたバンドワゴンにお邪魔するのです。
安心して読める3作目。
1度読んだら続きが気になってしまう東京バンドワゴン3作目。
今回はなにより誰より、藤島さんがかっこいい!
これテレビドラマ化したら藤島さん役の人、人気出るんじゃないかな。
といいつつも、映像化されるとなったらちょっと構えてしまうだろうなあ。
3作目ともなると最初のページの登場人物紹介をみなくても
「はいはい花陽ちゃんね」「マードックさんね」となるあたりが嬉しい。
さらに今回初めてハードカバーで読んだのだが、
堀田家の間取り図が描かれていて、これもまた嬉しかった。
話自体はいまさらどうこういうでもなく、やさしくおもしろい。
季節の冒頭の部分や、食事のシーンでの描写も健在で
まだまだこれから先も楽しませてくれるんだろうなあという
嬉しい余韻がまたしても残る1冊。
ただね、やっぱりまとまりとしては1作目がいちばんだと思うので★4つ。

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時間は可変性のもの

ハラハラするが、結末は納得できる愛のメルヘン
さすが優れたストーリー・テラーだ。ノベライズという制約のなかで素晴らしい物語を書いた。
殆どの人が過去に心の痛むような経験をしているだろう。あの時ああしていればよかった、或いは、あの時あんなことをしていなければよかったと。過去にねじを巻き戻すことができたら。誰もが一度は考えることだろう。だけど、現実にはそれは不可能だ。
この物語はその思いの特に強かった人たちが、ある科学者の作った不思議な機械の影響で、偶然にその不可能を実現させた話。大人のメルヘンであり寓話でもある。
子供のおとぎ話が子供の心を優しく明るくしてくれるように、この物語は私たちの心を解きほぐし優しくしてくれる。過去の自分を見つめ直させてくれる。暖かいものが何となく心に流れ込んでくる。作者は読者を悲しませないように、優しさをプレゼントできるように、細心の配慮をしてくれている。
ハラハラするが、結末は納得しほっとする大人の愛のメルヘン。

時間は可変性のものであり、過去で取る行動は未来を変える!?
 映画を観てからノベライズ本を読んだのですが、ノベライズ本は原作を映画用に著者自身が書き下ろしたものですのでほぼ内容は同じです。ただ、ラスト(結末)だけは全く違っていましたし、カットされたストーリーも一部ありましたので、どちらが先でも結構ですから両方見られることをお薦めします。
 映画で要約されていたところはノベライズ本で、ノベライズ本で分かりにくかったところは映像で観るとこの本の主題(レビューのタイトル)がよりはっきりします。
 どちらかというと私はノベライズ本の結末の方がこの物語の本題に近いように思います。ただ、映画を観てからノベライズ本を読んだ方は「ほっ!」とするだろうし、ノベライズ本を読んでから映画を観た方はちょっと「愕然!」とするかもしれませんね。

ヒトが持っているいろんな愛情を感じて涙が。。。
最初手にしたときには、「なんだ恋愛小説か。。。」と
あまり期待しませんでした。(ごめんなさいm(__)m)
ところが、実際に読み出したところ、止まらなくなり、
今はこの小説を紹介してくれた友人に心から感謝します。
人生のパートナーとしての犬への愛情、
親が子に対して持つ愛情、
男の子がもつ母への思い、そして、憧れのお姉さんへの想い。

特殊な設定で繰り広げられるストーリーですが、
いかにもお涙ちょうだい的な展開ではなく、
ヒトが心のどこかに持っている感情がうまく表現されているので
とても素直に感動しました。
この胸いっぱいの愛を

梶尾 真治

世界の果て


僕にはすごく共感できた

めっちゃ爽やか!
これこそ、「児童文学でしかできない作品」って感じかなぁ。

母親が海外勤務に行くことになったために、離婚した父親のところに引き取られることになった小学五年の女の子、美森。
そこには物心ついてから初めて会った、植物医のお父さんと「木の声が聞こえる」不思議な双子の弟、瑞穂がいて……。
こんな設定は、児童文学以外ではなかなか受け入れられないかもしれないけど、だからこそすごく新鮮にみずみずしく響く。
そして何より、ビート・キッズで遺憾なく発揮されていた潮さん特有の生き生きとした一人称の語り口は、語り手がちょっと素直じゃない女の子に変わっても健在。
潮さんの作品で特徴的なのは、児童文学でありながら決して説教的じゃないこと。
「世の中こういうもんなんだから、子どもはこうありなさい」なんてことは一切出てこなくって、むしろ、「大人たちだってね、完璧なんかじゃないんだよ」って事に気づかせてくれる。
僕自身そうだったけど、子どもの時って大人が完全なものに見えて、大人に「こうなんだ」って言われるともう、それをそのまま受け入れるしかないように思ってしまう。
特に感受性の強い子なんかは大人の言うことと自分の現在の状態とのギャップを、自分が不完全であるせいであると思い込んでしまったりもする。
だからこそ、そういう枠組にとらわれないこの作品は痛快でもあり、大人たちの不完全ささえも認める優しさがあり、安易な解決法も正否も提示しないところにある種のリアルもある。

作中に出てくる「いじめ」の表現も、僕にはすごく共感できた。
現代社会では良くも悪くも、「いじめ」というものが特別視されすぎてその言葉も独り歩きをしている。
「いじめは絶対悪だ」と騒ぐだけでは本質を見出せるはずもないし、それでは何も言わないのと同じだ。
「わたしがクラスメートでもたぶん、あの子のこといじめてると思う」だなんてこぼしてしまう美森ちゃんの語りにこそ本質はあると思うし、単に「そのままでいいよ」というばかりが解決でもない。
これが解決策だ、なんて簡単に言えるわけもないけど悩み多き子どもたちを余計に悩ませているような、大人たちのプレッシャーに満ちた「いじめ」への視点よりずっと希望にあふれていると思う。

まぁ、難しいことはこの作品には似合わない。
不思議な設定でありながら、平凡な日常にあふれたこの作品。
痛快な美森と優しさに満ちた瑞穂の日常に触れて、すがすがしい森に爽やかさを感じられれば、それだけでこの作品を読む価値はあるんだ。


風野節
最初、あ、箕面だ、と思いました。(サルは出て来ないけど)
しかし大阪の中心から電車で30分も走れば、東京にだって高尾山があるように、郊外という名のド田舎が広がっているわけで、どの方向に想定してもいいようにぼかされていますね。

さて、鮮やかな緑が目にまぶしい表紙と、「ビート・キッズ」の作者というダブルパンチに、思わず手に取ったこの文庫本。すっかり楽しませていただきました。
気が強くて脊髄反射的な行動をとる主人公の少女は、お馬鹿さ加減がちょっとBKのエイジを思わせます。
彼女の破天荒で真っ直ぐな行動に、ついうっかり吹いて笑ったりしているうちに同調していき、後半にさしかかったからもう大変。
このしぶといお姉ちゃんが、限界切れて、ついに・・・という場面で、やっぱりついうっかりもらい泣きしてしまいました。
はっと気がついたら、実は長距離列車の相席で小さくなって読んでいたのに、グスグスと鼻水が?;
ああ、横にいた若いお姉さんの目が不審げで哀しかった・・・;
この辺もBKと同様です。人前で読まない方がいいよ?

そんな風に、読んでる最中は「この連中、日本のどこかに実在しそう」と思うほどのめりこんじゃうのに、いわゆるオチや締めがいまいち緩くて、読み終わって魔法が解けると「なんだ?? ここでこう終わっちゃうの? それでいいの?」とすご?く突っ込みを入れたくなるのも同様ですね。きっと文学作品として冷静に評価したら、完成度は今一つじゃないかな。
しかし、のめり込んで同調してしまった者としては、どこかにいるかもしれない「人の一生」の一部を切り取って描写したんだから、ここで何もかも決着がつくわけないじゃないか、と妙な納得をしてしまうのでした。

「ビート・キッズ」を好きな人はきっと気に入ると思います。
森へようこそ

風野 潮

トリンプ

その余韻にいつまでも浸っていたい作品

淫にして、妖なれども、卑ならず
本書は、短編連作集の体裁をとるものの、ストーリーに大きな流れは無く

毎話、主人公が一杯の酒に誘われて幽境へ赴き

悦楽・淫蕩のきわみを味わうというシンプルなもの。

あるときは幽玄な桜を眺め

またあるときは、仙界へと赴き
子どもの姿に戻っては、幼い日に亡くなった母親と交わり

女性の姿になって、一休和尚との淫蕩に溺れる。

ややもすれば、ひまなセレブが
快楽の限りを尽くすだけの話になりかねませんが

全編を通底する筆者の美意識は、

本書に神聖さすら漂わせる。

上質なお酒のように、毎日少しずつ飲み

その余韻にいつまでも浸っていたい作品です。

よもつひらさか往還拾遺
倉橋由美子氏は 1995年以来サントリークォータリー誌上に 酔郷譚 の名で短編集を書き続けた.15篇纏まった所で,'よもつひらさか往還' のタイトルで単行本として刊行された(3/2002, 講談社).酔郷譚の方は,依然として連載が継続され,彼女の死の前年 2004年9月刊行の第22篇 '玉中交歓' で途絶えた.この本は,これまで本として出版されることのなかった酔郷譚第16-22の七編を収めたものである.作品の質は勿論変らない.ただ,緑陰酔生夢 や 落陽原に登る のような壮大な話が消え,新しいヒロイン真希さんを加えてより内輪な話が増えた.どうしようもなく色好みの美少年 慧君が主人公なのは言うまでもない.内輪な話と言っても 黒い雨の夜や最後の作 玉中交歓 のような物凄い話がある.問題は二冊に分れてしまった原酔郷譚をどう頭の中に復元するか,である.とりあえず私は講談社版とこの本を重ねて置き,随時参照している.著者最晩年の性と死への絶え間ない問いかけに圧倒される思いがする.

素晴らしくかつ残念
著者の没後3年目にして最後の新刊を読めるのは素直に喜ばしい。
と同時に恐らくはこれが最後の新刊となることは誠に残念である。
初期作品の生硬さも魅力的ではあったが
私的には80年代以降のよく熟れた文体は読むのが楽しみであった。
この人の文章を読むと澁澤龍彦の晩年の小説の文体が思い浮かんでくるのは
私だけなのだろうか?
酔郷譚 倉橋由美子

ドクターシーラボ

ハッピーエンドをなぜ求めるのでしょうか

結末は,これでいい!
「結末でがっかりした」「差別のばらまきやないやろか」などとあまり評判がよろしくないレビューがあったので,迷いながらも購入して読んでみました。けれど,よくぞここまで自分と向き合った物語を書いてくれたものだと感心している。私は,結末はあれでいいと思う。自分を生んでくれた親と愛する夫との選択を迫られる状況に遭遇したとき,今日子とハジメが出したのと同じ結論にたどり着いた恋人達や夫婦のなんと多いことよ。それを差別に敗れた姿だと糾弾することは簡単である。しかし,あの結末こそ現代日本の哀れな一面を包み隠さず著してくれていると思う。例え作者自身の現実の生活と違っていても,社会の矛盾をきちんと描き,きちんと告発してくれていることが大切である。ハジメが,今日子に別れを伝える言葉をどのような思いで絞り出したか,私には痛いほど分かる。これは,読者に自分自身の差別意識と向き合うきっかけを与えてくれる良書としてお薦めしたい。

何で俺を生んだんや
なんの予備知識もなくこの本を購入した。面白い。びっくりした。「何で俺を生んだんや」という台詞を読めただけでも十分価値があると思う。ただ最後はハッピーエンドにしてほしかったなあ。

ハッピーエンドをなぜ求めるのでしょうか。
結末に関して否定的な意見が多く、購入を迷いました。しかし、結局、購入して読んでみたところ、私はこの結末に大いに納得しました。現実に差別問題が残っているのに、小説の中でハッピーエンドにして一段落をつけてしまうようなことは、してはいけないことです。小説としては当然の結末だと思います。小説の技法に未熟な点があると感じるので1点減点しましたが、内容は迫力ある物だと思います。
太郎が恋をする頃までには… (幻冬舎文庫) 栗原 美和子

ワコール

引いた直線に沿ってひたすらたどる

本書は、偽社会主義国の崩壊後、一層現代的な書となった
ソ連参戦で、戦車部隊が国境を越えて押し寄せる。明らかに戦力の劣る日本軍は敗走を余儀なくされ、兵士はつぎつぎと倒れてゆく。勝敗が決まると、中国人の多くも公然の敵となる。人民の味方と一部で期待されたソ連兵たちがもたらしたものは暴行や略奪などからなる幻滅であった。そのような中で、ソ連軍の捕虜収容所から脱走した主人公は、厳寒の満州を、愛する人に向け引いた直線に沿ってひたすらたどる・・・。

 この作品が書かれた時代、社会主義諸国は、まだ、多くの人々に希望と夢を与えていた。しかし、今現在、ソ連を始め多くの社会主義国が偽社会主義国であったことが歴史により審判されている。この段階で本書を読むと、政治的な偏りから自由になったところで素直に読むことができ、よりいっそう根源的なところで戦争批判と人間の条件を考えることとが可能となる。その意味で、20世紀から21世紀に切り替わって、本書がきわめて現代的な書となったということができる。

撤退とうとう始まる
 国境守備隊はソ連軍の圧倒的な軍事力の前に崩壊・全滅した。その中には主人公梶の学生時代・会社時代の友人も含まれていた。梶は生きて妻・美千子に会うために必死の退却を行う。
 彼を慕う部下や途中で合流した敗残兵とともに小戦闘を繰り返しながら家路を目指す。生きるために民間の非戦闘員が巻き込まれることにも目をつぶらなくてはならなかった。しかし必死の逃避行も民間人を連れて逃げていたが故に投降し、捕虜となり収容される。収容所での過酷な生活を知恵を振り絞りながら生き抜くが、かつて梶の目の前で非人道的な行いをした兵士が、今度は収容所内で部下を殺し、梶は復讐のために彼を素手で殴り殺し、収容所から脱走する。一路家路を目指すが、敵国日本人のしたことを忘れない中国人に半殺しにされたり、飢えながらも美千子に会いたい一念で逃避行を行う姿は人間の情念の凄まじさを感じる。
 極限下で生きると言うことの厳しさと人間性を考えさせられる一冊である。
人間の条件〈下〉 (岩波現代文庫)
五味川 純平

ブルガリ 時計

昭和という時代そのものが元気ハツラツだったころ

テレビでおなじみ、小松政夫親分の青春時代を熱く描いた物語です。

「のぼせもん」とは、博多弁で、すぐに夢中になる、熱中しやすい人間のことをいいます。
 上京して、いろんな仕事にすぐ夢中になり、他のことが何も見えないくらい夢中で働いた小松親分の青春時代。なかでも自動車セールスマン時代の出来事を中心に語っています。

 昭和36年に俳優を目差して上京した松崎青年は、飽きっぽい性格が災いして、職を転々とします。
 ある時、コピー機を売り込みに行った先で
  「キミはあんな、30万ぐらいの機械を売る男じゃない。
   うちで車を売りなさい」
 と横浜トヨペットにスカウトされてしまいました。
 松崎青年は、後年コメディアンとして花開く持ち前の明るさで、売って売って売りまくります。

 なにしろ、最初に買っていただいたのは、なんと無免許のお客さんです。もちろん、自動車学校の手配から何からきちんとフォローさせていただきました。

 毎月のノルマに苦しめらたり、ヤクザに売った車のローンが焦げ付いたり、たいへんな目にあったりもしましたが、時代は高度成長にさしかかったばかりです。
 ノルマを突破すれば上司がキャバレーに連れて行ってくれ、販売目標を超えた分の割り増し給料も気前よく支払われました。

 公募で植木等の付き人兼運転手として芸能界入りするまでの数年間のセールスマン時代をふり返り、小松親分は次のように述懐しています。

  あの頃の僕は、若くて元気だった。
  いや、横浜トヨペットの誰もが元気一杯だった。
  そして何よりも、昭和という時代そのものが元気ハツラツでありました。
  それに比べて今はどうでしょう。(中略)
  そうだ、あの頃のことを本に書いて残しておこう。
  元気一杯だった日本の姿を、今の日本人に見せてあげたい。

 著者の意図通り、元気の出る本に仕上がってますよ!

横浜の宝「小松政夫」
 80年代、いや70年代もそうだったかもしれないが、横浜・本牧の子供たちにとって、映画を見に行くことはイコール「小松政夫を見に行く」ことだった。なぜなら、本牧の子供たちが映画を見に行く関内・馬車道周辺では、映画本編の上映前に必ず「小松政夫の横浜トヨペットのCM」が流れていたからだ。「ハイ、またお会いしましたねぇ」と淀川先生のモノマネから始まって、「僕、小松政夫はここ横浜トヨペットのトップセールスマンだったんですよ!」とセリフが入ると同時にノルマ表が映り、「一番短い小松さんの棒グラフ」がアップに。そこで「どーして、どーして」の名ギャグが入ってプロローグ終了。後は横浜トヨペットの宣伝がつつがなく進むというものだった。映画の話題になった時、僕らの合い言葉は映画の内容ではなく「小松政夫見た?」であったし、正直映画の内容は忘れてしまっても小松さんのCMは忘れなかった。

 本書はその「横浜トヨペットのセールスマン時代」をベースにした自伝的小説。かなり破天荒な面白い内容で、でも脚色したとも思えないほどよく書けている。笑わせて、泣かせて、心を温めてくれる素晴らしい小説。でも、あとがきを読むまで全くの自伝かと思っていた。それぐらい、出てくる人物や出来事がリアルで、誇張した感じがしない。「昭和はよかった」というノスタルジーではなく、人と人との密な関係、人の優しさや度量とは何か、などをかみしめて読める。とはいえ重たくはない。ビックリするほどさらっと読めること請け合い、だ。

 「ハケンの品格」で小松政夫健在を確認できた。「エニシング・ゴーズ」のDVDも面白かった。小松さん、これからもどんどん僕らを笑わせてください。植木さんが逝去された今、芸人としても俳優としても江戸前の味をさらっと粋に出してくれるのは、弟子の小松さんの役目でしょう?小松さんのますますのご活躍を祈りつつ、この本をたくさんの方が読んでくれることを希望します。最後に、また横浜トヨペットのCMやってくださいね、親分さん。

小松さんのお人柄がよく分かるやさしい本です
数々の、名言?を残している、小松政夫さん。 そこまで来るまでの、人生論が、やさしく書かれていて、とても読みやすく 小松さんの、暖かさが伝わってくる本だと思いました。実際に、舞台に観に行きたいと思います。 後半編も出版してほしいなぁ。
のぼせもんやけん―昭和三〇年代横浜 セールスマン時代のこと。

小松 政夫

ゲラルディーニ

抗い難い魅力

金井美恵子の描く世界は残酷で美しい。この短編集に収められている作品はどれも素晴ら
しいが、中でも特に「兎」が私のお気に入りだ。
庭で飼っている兎を殺して食べる父と娘。娘はやがて捕食者側の立場から、食べられる兎
へと同化してゆくのだが、その狂気とも呼べる世界が何故か異常に魅力的に見えるのは、
稀代の才能を生まれ持った作者の筆の妙か。
ストーリーや筋書きを超えた凄みがこの作家の作品には潜んでおり、それが今読んでもま
ったく古臭さを感じさせない所以なのだろう。歴史に篩いをかけられても、なお後世に残
る秀作ばかりが集められており、小説好きには是非とも手に取ってもらいたい。
村上春樹と同じ匂いの「寂しさ」が全体に漂っていることから、同氏の作品が好きな方に
もお勧め。

残酷で美しい少女小説
 舌を巻く、とはこのことだろうか。金井美恵子の処女作「愛の生活」のこの新鮮さは何だろう。これは太宰治賞の佳作となった彼女の文壇的なデビュー作だが、このとき氏はまだ十九歳だったという。
 何より新鮮なのは、その何気ない日常の細部に目配せされた視線の緻密さで、台所、食材、煙草、コーヒー、ノート、ペン、手紙、特に食べ物に関しての執拗な描写が出てくるが、普通なら、これら小説の小道具でしか有り得ない多くのさりげない日常のディテールが、まるで壮大な作品の主題のように思えてくるから、不思議である。
 ここには、金井美恵子がデビューしてから十三年ほどの、一九七〇年代までに書かれた主要な作品が収められているが、作品が紡がれるごとに、その批評的精神が突き詰められていく経緯が、何より凄い。
〝書くということは私の運命なのかもしれない〟という極めて美しい冒頭からはじまる「兎」は彼女の初期の代表作であり、さらに、その小説は実は私が描いたのだ、と作者が告発される「プラトン的恋愛」も、やはり彼女の重要な作品だ。
 他にも、金井美恵子という人は短篇の名手であり、魅惑的な作品が数多いのだけれど、これらだけでも十分彼女の豊かな才能を窺うには申し分ない。この作品で興味を持った人は、その後のやはり彼女の代表的短篇を集めた『ピクニック、その他の短篇』をお勧めしたいし、また、〝目白四部作〟なる通俗小説も楽しいし、画期的な長篇『岸辺のない海』というのもある。

愛の生活・森のメリュジ-ヌ (講談社文芸文庫)
金井 美恵子





ミネトンカ

非常に大きなテーマを投げかけている本

人間とは
非常に大きなテーマを投げかけている本です。上中下の3巻構成でそのボリュームも可なりありますが、一気に読み終えてしまうほど読み入ってしまいます。読みながら、そして読み終えてからも「人間」とは一体何なのかということについて考えさせられました。人間らしく生きるとは一体どういう生き方なのか?人間と動物との違いは?正直に生きることは無意味なことなのか?等々幾つもの謎かけを与えられます。あと、本書を読んで私の中で大きく変わったことは「中国人の反日感情」の考え方です。最近の中国の反日行動等に政治的プロパガンダを感じていましたが、日本陸軍が中国大陸で行った侵略戦争の一部が本書には克明に記されています。我々が日中戦争のことを「過去のこと」と一言では片付けられない何かを見せられた思いがします。戦争がいかに人間を醜い動物に変えていくかが痛いほどわかりました。ぜひ、戦争を知らない我々の世代に本書を読んでもらいたい。そしてその中で人間らしく生きるという意味を考えてもらいたいと感じました。

戦争において人間が全うに生きる力をどこに求め得たか
戦争は暴力や殺人を合法化する。その中で、人間が人間であることを全うしようとすれば何が起こるのか、人間であるためにはどう生きなければならないか、人間として生きることは可能なのであろうか、人間として生きられなかった時はどうなるのであろうか・・・。作者は、中国東北部における戦争末期を舞台に人間の条件をひたすら追求する。

 私は、本年、中国東北部を訪問するにあたって本書を再読した。いくつかの点で、1960年代、最初に読んだときとまた違った印象を受けた。最初は6巻で配本されたが、今回は2巻ごとまとめて上中下3巻となった。各巻ごと、もっとも強く感じた点を一言ずつ記すこととする。

 まず上巻:このような時代、人間が全うに生きる力をどこに求め得るのか。作者は、その最たるものとして愛する人を挙げる。しかし、主人公が良心に忠実に生きるためにそれは必要であったけれど十分ではなかった。何がさらに必要とされたのであろうか。それは、鉱山における中国人特殊工人たちとの関係を中心に展開される本巻において、中国人のリーダーを通じ示唆されている。しかし、作者はそれ以上には明言しない。中国人は、それ以後の歴史においてそれを実践するが、日本人は成功裏に経験すること少なく現在に至っている。作者が明示的に書けなかった所以であろう。

人間であるためには人を愛せないのか
 戦地から復員間もない五味川純平は、この作品を一気呵成に書き上げるやその数千枚の原稿を出版社に持ち込み、編集者はそれに魅入られたかのように一晩で読了したという。この小説の密度や面白さを知れば、このことは少しも不思議ではないだろう。しかし、この小説のタイトルを理解するためには少し説明が必要である。
 戦争は言うまでもなく、国家と国家との、兵士と兵士との争いである。一方が勝てば一方は占領され(滅亡し)、一方が勝てば一方は捕虜になるか、あるいは殺される。『人間の条件』はこの当たり前の事実を、愛を描くことによって再確認し、戦争にNO!を突きつけている。中国人捕虜に人間的に接したために最前線に送られた梶は、銃弾飛び交う戦場でも、上官の不当ないじめの横行する自軍の兵舎でも、ヒューマニズムを押し通そうとする。しかし、その梶は常にヒューマニズムと愛との矛盾に悩む男であった。自分に銃口を向ける敵兵士を殺さなかったら自分の最愛の美千子を悲しませることになる。しかし、この敵兵士にも愛する妻がいるのではないだろうか、という悩みである。愛を貫徹するためには殺人を犯さねばならない。愛に殉ずるためには人間性をかなぐり捨てて、人を殺さねばならないという事実は重い。おそらく誰にも正しい答えが出せない難問であろう。靖国や無差別テロの時代にこそ梶の悩みを我々のものとして考えるべきである。しかし、とりあえず、一面雪に覆い尽くされた冬の満州に、美千子の居場所まで一直線に線を引き、疲労困憊の身体でそれを踏破しようとする梶の物語を読んでほしい。現代人が忘れた戦争と愛の物語を。

<a href="http://www.amazon.co.jp/%E4%BA%BA%E9%96%93%E3%81%AE%E6%A2%9D%E4%BB%B6%E3%80%88%E4%B8%8A%E3%80%89-%E5%B2%A9%E6%B3%A2%E7%8F%BE%E4%BB%A3%E6%96%87%E5%BA%AB-%E4%BA%94%E5%91%B3%E5%B7%9D-%E7%B4%94%E5%B9%B3/dp/4006020872%3FSubscriptionId%3DAKIAIEGJJLQPAHQQCHEQ%26tag%3Dshikakushik05-22%26linkCode%3Dxm2%26camp%3D2025%26creative%3D165953%26creativeASIN%3D4006020872" target="_blank">人間の條件〈上〉 (岩波現代文庫)</a>
五味川純平

<a href="http://www.syndrome-r.com/bolero/">ボレロ</a>

言葉の美的感覚がやはり大好き

一見冗漫な一人語りが、日常や現実をトレースしてたりする
 金井美恵子の作品を読むのは初めてだったので、まずは、10行、20行、平気で連なっていく、その長い長いセンテンスに面食らった。よくよく咀嚼しながら読み進まないと、主語は誰だったのか、関係性はどうなっていたのか、そもそも話しの始まりが何だったのかが混沌としてくる。ワンセンテンスのカロリーが異常に高い。ワンセンテンスの始点から終点までの流れがまた一筋縄ではなく、入れ子構造になってたりする。日常的な一人称の文章である手紙といった形式を纏って、身の回りのこと、社会諷刺を織り交ぜ、小説として提示する。これって外観として一所懸命形作る物語、ドラマに主眼はなくて、語り部による内側の語りの部分にこそ意味があるのだ。そして、一見、主観的で冗漫な一人語りのほうが、よっぽど客観視点の物語よりも、日常や現実をトレースしてたりするのだ。少なくとも僕は、団塊世代、かつてのクロワッサン、ニューファミリー達のリアルみたいなものが感じられた。このリアル性って、既存の小説よりはブログに近いよね。クオリティに雲泥の差はあるけど、金井美恵子の小説もブログの日記も、一見、現実に見えて実は虚構であるってとこも似ている。もちろん、どんどん語っている内容がずれていく、その文章構成も。まぁ、全然違いますが。そういう意味でものすごく今っぽくこの小説は読めると思うけど、あとは、その語りの中味が肌に合うかどうかだね。僕は、ちょっと、あの世代のあのクラスの人たちのクローズドな感じにあまり接点がないし、もちろん、僕自体が著者の鋭いツッコミの対象にも入ってない世代、クラスなので、語りに引きずり込まれていく感じが希薄なのですね。これ、好きな人が好きなのは、ほんとよくわかります。

エマ・ボヴァリーは死んだけど、中野桜子は生きている!
 「文章教室」「道化師の恋」の桜子や「小春日和」「彼女(たち)について私の知っている二、三の事柄」の桃子たちにまた会えるなんて!すごいサプライズ。ファンとしては、今年一番の大収穫だ。“目白四部作”とその周辺については、あまり好きだったものだから、もう登場人物と、現実の友人知人の実話エピソードが混乱するほどで、その「続き」が読めるなんて!「タマや」の夏之さんとアレックスが登場した時には、涙が出そうに。かつて夏之さんのつくった帆立缶とコーンとキュウリのマヨあえ手抜きサラダはタマサラダという名で、今やうちの定番だよ。
 ……と、何度も本棚に駆け寄りつつ読んだ。脳内がマッチョなキモいオヤジたちのリアルさは相変わらずで、作中の建築家が知人に配る印刷物「よゆう通信」の“しゃれた”文章を読みながら、つい何度も「ここ読んで!いるよねーこういう人」と家人を呼びつけてしまうものだから、なかなか読み終わらず、でも、一分でも一秒でも長く読んでいたい。もう、めろめろ。
 この小説の中心人物となっている、手紙魔の老嬢アキコさんは、これもまた、いるいる、こういう人はいるよねー、という自己オールオッケーな言動に満ちていて、桃子のおばさんなんかからすると、げっ……という感じの女性なんだけど、読み進むうちに、なんだかかわいいような気がしてくるから不思議。(実際にいたら困った人だと思うが)女は特?それとも多少なりとも自分も似たようなことをしていて、点が甘くなるのか?
 中野勉が他人の文章を自分の文章と間違えられて逡巡するラストは、これもファンにはたまらない。桜子と恋人・善彦の“惨めな別れ方”(もらった手紙や当時の日記はシュレッターにかけられて「ピーコック・ストア」のレジ袋に入れて捨てられる!)についても知りたいし、近い将来、桜子が書くであろう「knock,knock!」という小説もぜひ読みたい。ファン魂に火が点いたわ。

金井ワールド内小説
今まで著者の作品『小春日和』『彼女(たち)について私の知っている二,三の事柄』『文章教室』『道化師の恋』の登場人物たちが、著者の意図の元に関係を持ちこの連作短編に登場する。

と言うわけで、金井さんのファンにとっては、いつもの金井ワールド内で、しかも流麗過激な文章を味わえるのだからとてもおもしろいのだろうと想像できるし、あまり熱心な金井さんファンではなかったものの、金井さんのおもしろさの一端を知り始めたところである私としては、登場人物全員に覚えはないのだがそれなりに楽しめた。私は著者の言葉の美的感覚がやはり大好きなのだと思った。

金井さんの本を遡って読みたいという気持にさせてくれる本。
快適生活研究 (朝日文庫)

ニットカーディガン
金井 美恵子

はじめての経済小説に

少々物足りない・・・
短編集だから仕方ないのかもしれないがやはりちょっと物足りない気がする。「トップレフト」や「巨大投資銀行」を読んでいるだけにもう少し内容が深くてもよかったような気がする。表題作の「カラ売り屋」はネタが面白いのに短編に仕立てるためなのか途中から一気にスピードを上げすぎて「もう終わりか?」みたいな肩すかし感があった。「エマージング屋」はテーマも主人公の設定もいかにも黒木作品という内容で難しい経済用語にもかかわらず緊迫感もあり楽しめる内容だった。「村おこし屋」と「再生屋」は主人公がいつものかっこよさがあまりなくそういう意味で個人的にはいまひとつだった。
黒木作品はやはり長編がおすすめです。

軽妙な黒木亮
黒木亮の小説は大体真正面から取り組まないと読み切れないが、この短編集は寝転がって読める軽さが...良い。深く考えず食間の口直しのような味である。
過疎、高齢者の村の利権、ディーラの世界の人間関係など他黒木作品のおつまみににた味付け。難しく考えなければ楽しめます。

はじめての経済小説にピッタリ
この作家と言えば国際金融小説ですが、どれも結構ボリュームのあ
る作品となっており、初めて経済小説を読んでみようって思われた
方には、ちょっと手に取りにくいのではないでしょうか。
そんな「経済小説に興味はあるが…」という方にはこの短編集がオ
ススメです。

さて、本書「カラ売り屋」は4つの短編が収められており、その中
のひとつがタイトルでもある「カラ売り屋」です。

この「カラ売り屋」では攻撃を仕掛ける投資会社、攻撃こそ最大の
防御とばかりに応戦する企業、この攻防が面白いです。

他の作品と比べ、短編なので当たり前ですが決着が早いです。
その分いつもの読み応えはありませんが、他の作品に通じる緊迫感
やテンポのよい展開はあります。

この短編「カラ売り屋」を楽しめれたなら、他のボリュームのある
作品も同じように楽しめるはずです。
カラ売り屋 (講談社文庫)

黒木亮

中学生のころの憧れや空想を思いだし懐かしく

個性派集団
 超個性派集団による物語。
 主人公を除き、どこかがおかしい人物しかいない。漫画でも、小説でも見受けられないキャラクターゆえに、そこに面白さを覚え、読み進められる。逆に、もしこの物語の登場人物に面白さを覚えなければ、おそらく本作は実につまらないものとなってしまうことも確かである。
 それほどまでに、私はこの作者が産み出したキャラクターに爆笑させられたのである。少し気がかりなところがあるとすれば、本作に出てくる登場人物は、ひょっとすると作者の知り合い、友人なのだろうか、ということだ。

少年少女「非行」倶楽部
・・・ではありません。タイトルがつまらなそうでしたが、読んでみたらおもしろい!!自分も空を飛びたいと思っていたことを思い出し、懐かしい気持ちになれました。

登場人物たちの変わった名前について笑いながら読んでいるだけで状況を把握でき、とても話に入り込みやすいです。また、「変な人」が変である理由にも、胸を打たれます。

一般書ですが、漢字が読めさえすれば小学5年生くらいから読んでいい内容です。

We can fly
久々にすばらしい本に出会いました。タイトルに惹かれて何気なく手に取り購入…家に帰って少しだけ読んでみるかと思ったが気付けば3時間経っていました。それくらい話がテンポよく進んでいきます。ひょんなことから飛行クラブに入部してしまった主人公と独特な仲間との物語。自分も中学生のころの憧れや空想を思いだし懐かしくなりました。是非みなさんに読んでほしい一冊です。



少年少女飛行倶楽部
加納 朋子

無闇に海外を放浪したくなる時がある

買いです。
20年前の大学生のころ、自分も同じようなことがあった、わけでもないのですが、なにか懐かしいような気がしてしまうのは、この作者の作品を読んでいつも感じる錯覚なのですが、どこからはじまってどこへ向かっているのか判然としないこういった時期を、人はきっと生きていくなかで不可避的に経験しなくてはならないでしょうから、そういった共通項をこの人の作品はそれと気づかせることなく呼び覚ましてくれるのでしょう。若いひとにお勧めです。

旅に出て、旅から帰る
 無闇に海外を放浪したくなる時がある。
 「何か」を目的にするわけではなく、「何か」を見たいわけでもなく、「何か」に憧れているわけでもなく、熱病のようにバックパックに衣服をつめそうになる……実際にそうやって海外に出た経験はない私でも、そんなことを考えて部屋の隅に座り込んだことがあった。

 アジアを放浪してきて、彼女には知らない男ができていて、旅先で知り合った女性の家に住み込んで、同じ様な放浪者がどんどんと住み着いて……

 なんかここ、アジアくさいと思わない?

 私の周りに流れている時間や匂いとは違うものが、このストーリーの中には詰まっています。憧れる……のとはちょっと違いますが、なぜか触れてみたくなる、そんな魅力の詰まった小説です。

なんだかひどく懐かしくて切ない青春小説。
夕暮れ時の淋しい感じがどこまでもつきまとう。。。そんな作品であります。

角田 光代

東京ゲスト・ハウス

ポシェット