「世田谷 七沢 八八幡」 という言葉がある。 江戸時代後期に発刊された、「新編武蔵野風土記稿」に世田谷地域を 「昔 吉良氏所領の頃、七沢八八幡と唱えて沢と八幡社のその数ありしとそ」 と世田谷地域の風土を言い表している。 また北沢八幡神社の社殿に架かる額に、「七澤八社唯一 正八幡宮」と刻んでいる。
 世田谷という土地は、武蔵野台地上の湧水豊かな谷地からの流れが、所どころ湿地帯状となっている、流路がいくつもある土地で、例えば上馬の地名の元になった、馬引沢と言われるような地名があり、この流れを特に騎馬軍団の横断はとにかく苦労する土地であったのだ。
 
 そして、中世 世田谷地域を所領とした、世田谷城主吉良氏は、清和源氏の流れをくむ足利将軍名門一族で、領内各地に八幡神社を作っている。 戦国時代の戦略上の砦としても機能する、神社を世田谷城から北方に多く建立していることが解る。
      「世田谷 七沢 八八幡」の地図
 
世田谷区内の河川・用水図 八幡神社 S8 A