現在の東急世田谷線は、1924年(大正14)1月18日に三軒茶屋 ~ 世田谷(現上町)間が開通、同年5月1日に世田谷(現上町) ~ 下高井戸間が開通下高井戸線全線が開通している。 明治40年渋谷 ~ 玉川(現二子玉川)の玉川線本線が開通しているので、各電車は、渋谷を起点として三軒茶屋で分岐して下高井戸線に入線している。 この分岐点が都道22号線(現世田谷通り)の拡幅工事の関係だろうか、ルートの変遷があったことが地図によって確認できる。
玉電三軒茶屋分岐点ルート変遷640a
 「世田谷・たまでん時代」 平成6年 大正出版(株)発行、宮脇俊三、宮田道一編 P.144 三軒茶屋の時代別地図、 大正14年部分修正 世田谷 の1/1万によると、 下高井戸線開業時の本線からの分岐ルートは、登戸道(現世田谷通り)を数十メートル走って右急曲線で登戸道から離れ専用軌道に入ってゆく。
昭和14年 帝都地形図 太子堂 1/1万
之潮社刊 「帝都地形図 」太子堂 1/3000 
  開業時の分岐ルートは、自分の玉電沿線風景の記憶にはない。 1952年(昭和27)に世田谷に転居して以来、渋谷から玉電を利用しているのだが、この開業当時の分岐ルートは記憶にないのである。 おそらく登戸道の拡幅工事絡みによる、分岐ルートの変更は、戦時中に施工されたと考えている。 
玉電下高井戸線開業時分岐ルート1924年640
玉電本線廃止前下高井戸線分岐ルート

  1924年(大正14)に現東京農大の広大な地域に陸軍自動車学校が発足している。 1941年(昭和16)陸軍機甲整備学校と改称されて、戦況展開もあり、大型軍用自動車関連の軍隊教育が盛んに展開されていた。 この陸軍自動車学校施設への大型重機のアクセス目的もあったであろう、戦局華やか 昭和15、16年頃、上町駅先の辺りまで、歩道完備の世田谷通りの拡幅工事がなされている。
  その拡幅工事に絡んで三軒茶屋分岐ルートが、交差点交通整理の関係もあり、すずらん通り入口経由のルートに変更されたと考えている。 1969年(昭和44)5月10日に渋谷からの玉電本線が廃止されるまで そのルートが使われていたのだ。
  本線廃止後世田谷線独立
キャロットタワー完成後640

  昭和44年の本線廃止後、世田谷線再出発時の三軒茶屋駅は、一晩で概ね従来の駅から若干奥まった位置に、単線折返し駅として、終端改札口が設けられ世田谷線起点駅として再出発している。
  これまで、玉電関連本、世田谷区関連本の古写真等をチェックしているが、大正14年玉電下高井戸線開業時の分岐ルートの街の風景写真に遭遇したことがない。

  「東京郊外の電車ハイキング」等で、戦前の玉電の写真も沢山撮っておられた、荻原二郎さんは三年前に鬼籍に入られている。 二回ほど御宅に御邪魔したことがあるが、 今になって もっと昔の世田谷線風景についていろいろお聞きしておきたかったと悔やまれるばかりである。 かねてから荻原さんと親交の深かった関田克孝さんも 荻原さんの撮影された写真の中に、戦前の三軒茶屋界隈街の写真は無かったという。

  現在の世田谷線の線路キロポスト標は、下高井戸線開業時1924年当時の本線分岐点を起点に距離計測してキロポスト標が建てられている。
現在の世田谷線営業距離は、5.0kmである。開業時より200m短くなっている。 
 玉電三茶界隈路線変遷 H 
玉電三茶界隈路線変遷 B 
玉電三茶界隈路線変遷 C 
玉電三茶界隈路線変遷 D 

玉電三茶界隈路線変遷 I 
玉電三茶界隈路線変遷 J 

玉電三茶界隈路線変遷 K 
玉電三茶界隈路線変遷 L 

玉電三茶界隈路線変遷 N 
玉電三茶界隈路線変遷 O 

玉電三茶界隈路線変遷 P 
玉電三茶界隈路線変遷 Q 

三茶交差点下高井戸方640
昭和30年三軒茶屋交差点