言葉っていうのは次々に浮かんでは消えてしまう。
俺は小説家でもソングライターでもないけれど、
頭のどっかにその言葉を書き留めておく引き出しが欲しいと
思うことがよくある。

先週末に気仙沼を訪れてから1週間が経ってしまって
その時に感じて浮かんできた言葉もあるし、
強烈に感じたけれども言葉にできなかったもの、
浮かんだけども消えちゃった言葉もある。

未曾有の大災害ではあるけれども、
東京で見ている月と現地で見ている月は同じものだし
宅配便はきちんと送ることができるし、
行こうと思えば半日もかからず行くことが出来る距離だし、
なにも遠い大陸で起こっている映像の中だけの世界では決して無く
日本の違う県なだけ、っていうとても近い所での話です。

ニュースの映像なんかをみていると、
普通の生活ができている俺たちと、そうではない現地の人たちとの
置かれている状況の差というものが、触れられないほど途方もなく
広く大きなものとなっている印象を受けてしまうが、実際には
そんなことは決して無いわけです。みんな必死に生きています。

だから、俺は実際に触れて感じることができたからには、
そのことを感じたままに残したいと、と思う。
机場の空論や綺麗事ではなく、現実だから。

重い表現もあるし、軽い表現もあるかと思う。
だけど、全部が素直に感じた、嘘ではない俺の本音と
思ってもらえれば幸いです。

長々書いてしまったけれども、要は、

普段、旅行ですぐ行ける場所でのことだよ、
必要以上に自分との距離感を感じちゃダメだよ、

「支援」とか「復興」ってことが、
自分の手の届かない場所にあるわけでは
決して無いんだよ。

考え方ひとつだよ。いつもの「助け合い」だよ。



こういうことが言いたいだけです。



当日に撮った写真と、その時のTwitterとかメールの文章とかを
引っ張り出しつつまとめます。


4月16日、土曜日、夜中の1時すぎ(金曜の深夜)につくばを出発。

予定では、国道294号〜栃木県真岡市〜国道408〜宇都宮郊外〜
国道4号〜東北道矢板IC〜北へ・・・ というよく使うルートだったのだが、
408号の宇都宮郊外で、いきなりの通行止め。
4号に合流する少し前に、川沿いの土手を走る区間があるのだが
そこが被害を受けてしまっていたようです。
なので迂回し、ちょっと時間ロス。

その後は、順調に高速へ乗り(その直前で給油する計画は失敗)
那須までの平地は、特に路面も問題なく走行。

・那須高原SA、混雑。予定より遅れ気味。
 その後、山区間に入った途端に路面にうねりがたくさん出てきた。

朝5時頃、通行止め情報が入る。Twitterで情報収集をし、降りようと判断。

・東北道、福島西〜飯坂が事故通行止め。西インターの出口は
 かなり渋滞してる模様。
 オレらは弟の判断で手前の二本松で降りた。結果たぶん最高の判断だった。
 時間ロスは最小限で済んだ模様。

この区間の国道4号は、4車線に立体交差で信号なし、という
すばらしい条件でスイスイ。福島市内も6時前だったので混雑無し。

栃木から気仙沼までの道路状況は以下のとおりです
4月16日時点での状況ね

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栃木県の那須までは、路面の段差もほとんど無く、速度制限も無し。

その後の山区間に入ると、80キロ制限になって段差が出てくる。
けれど、みんな100キロくらいで走っている。

そのかわり、たまにブレーキを踏んで少し速度を落とすような場面も
あるので、車間距離には気をつけたほうが良い。

福島をこえて仙台に近づくと、段差は少なくなってきて普通に走れるが、
その先、仙台を過ぎると状況は酷い。

制限は50キロ(実際はみんなもっと出している。70〜80キロくらいは)。
道路下にコンクリートの基礎がある場所(橋とか、農道のトンネルの上とか)の
前後を中心に、高速道路とは思えない段差があるので気をつけたほうがよい。
大きな段差の部分は、みんなブレーキを踏んでいる。

東北道、都内より一関までは5〜6時間ほどだと思うが、
緊急工事や事故渋滞などもあるので、少し時間がかかる可能性がある。

その後気仙沼へは、一関ICで降りて国道284号を行くのが一番無難。
284号だと、地震の影響はほとんどなく、普通に走れる。
1箇所だけ、線路をくぐる所で妙に狭い部分はあるが、そんな程度。
一関から気仙沼の郊外まで50キロ、1時間半弱くらい。

燃料状況は、気仙沼市内(郊外のバイパスのスタンド)で入れられる状況。
ただ、16日の週末では、スタンドの中では何台か待っているような感じ。

なので、燃料は現地では入れなかった。
高速のスタンドは問題なく給油できたので、栃木県内で満タンにし、
仙台の先でもう一度少しだけ給油をした。(給油制限は無かった)

今回はディーゼル車を用意できたので、軽油をある程度持っていって、
現地で自分で給油をした。

タンク2つ持っていったうち、使わずに済むと判断した残りの1つは、
最後に市の物資受付所へ持って行き、現地で使ってもらうことにした。

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土曜日、朝9時過ぎに到着


・気仙沼到着。
 郊外の45号バイパスにいるから、まだ市内の状況は分からない。
 交通量は多い。自衛隊のトラックが普通に走っている。
 ここから眺める範囲の街は、普段と同じだ。


ほどなく、現地のケンさん(jamyさんです)と合流し、市内へ向かいます。
市内といっても、海の近くではなく、2キロくらい離れた場所です。
当然、海は見えない場所です。

そこへ入った瞬間、津波の痕跡が目に入ってきた。
道路脇に積み上げられた瓦礫、建物の壁に腰の高さほどに残る
水に浸かっていた跡。

流されてきたままのクルマ。
ある建物の玄関先には3台もドドドンと居座ったままでいる。

ケンさん以下、Peace Jamの方たちと一緒に5人で
その日の予定を決める。


・気仙沼 1・2時間目、みんな心の底から本気だった。


着いて挨拶もそこそこに、
今日は〇〇さんの家にはお米と野菜を持って行こう、
〇〇の避難所には、頼まれていたおむつとかを持って行こう、
そのあと〇〇に行って、近所に赤ちゃんが居ないか状況を聞こう。
そうしている間にも、Peace Jamの活動を聞いた見知らぬママさんから
電話があり、必要物資を届ける約束をする。

・・・これ全部、無償です。やっていることはもはや仕事なのに。


その後、郊外にある物資倉庫へ移動。


・3時間目、倉庫の中は凄いことになっていた。


全国のみなさんより送られてきた赤ちゃん用品中心の物資。
倉庫には棚などない。当然、整然と仕分けができている訳ではない。
同じものは同じところへ置いてはあるのだが、なにより人手が足りず
パッと見て分かるような状況ではありませんでした。

俺たちが持ってきたダンボールをひとまず下ろしたあと、
ケンさんやスタッフがメモやリスト見ながら、物資の山の中から
今日配る物資を引っ張り出しています。
悔しいが、俺たちには手の出しようがない。


その後、まずは自宅被災者(家は被害に会っていないが
近所の方など、何人もの人たちを受け入れている方)のお宅へ
つくばから持ってきたお米と野菜をお届けに出発。


・気仙沼4時間目。持っていった、お米とジャガイモ、人参、玉ねぎ、
 長ねぎなどの食材は、あっという間に無くなった。


避難所にいる被災者の方と、自宅がある被災者の方々との間で
大きな差別が生まれているといいます。

避難所には支援物資が届いている。
場所によっては、食料には余裕があり、ひとまず今必要な量よりも
多くの在庫がある(つまり余っている)ところもあるそうです。

それに対し、自宅がある方々は、今日食べる食料にも事欠くような状況です。
クルマが流されてしまったから買い物へ行けない、
何人もの人々(場合によっては数十人。一般家庭にだよ!)がいるから
一日に必要な量だけでも多くが必要となる、
そのような状況なので、最低限の食もままならない方もたくさん居る。

そして、差別というのは
ほとんどの自宅被災者の方々は、
避難所から余っている物資を分けてもらえないという事実。

悲しいを通り越して、悲惨な状況です。むごいです。

俺は被災していないし、一度気仙沼に届けに行っただけだし、
行く前も帰ってきてからも何不自由なく生活ができているから
エラそうなことが言える立場じゃあないけれど、ブログをやっている以上
これは書かないといけないと思う。

この大災害の状況にあって、みんながみんな助けあわなきゃいけない。
行政、地域、みんなで情報を共有して、差別の無いようにやっていかなきゃ
いけないのに、いろんなものが障害となって、モノが有るところから
モノが無いところへとの助け合いがなされていない!

行政がやるべき役割ってなんだ? 地域のコミュニティーってなんだ?
縄張り意識って何だ? 人間のエゴってなんだ? と思った瞬間だった。



そんななか、お米と野菜やパンなんかを、3軒のお宅へお届け。
野菜なんかは、ある程度小分けをして後日でもいろんな所に届くといいな、
なんて思っていたが、実際はそんなもんではなかった。

10キロの箱ごとお渡しして、どうぞ使ってください、という状況。
お米も、10キロの袋で渡すも、それはたった3日分という事実。


・気仙沼5時間目。「真っ平らなところ」が海岸近くの市街地以外は
 無い三陸海岸。自分の家が津波にのまれるか否かの境目は、
 たった50cmの高さの段差だったりする。

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 その50cmの段差。この場所からは海は、まったく見えない。気仙沼市津谷。


・山側から物資を各ご家庭へお届けし、海沿いに出る。
 景色が変わる。視界が開ける。道が盛り土ごと流され、
 土を盛りなおして砂利を敷いてもう一度道を作ってある。
 高架橋の線路の上には家が乗っかっている。
 コンクリートの橋げたは、何百メートルも内陸側に転がっている。


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 気仙沼線の高架橋の上に家が乗っている

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 一面が見通せるが、ここはもともと田んぼだったのかも

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 奥にあった高架橋の橋げたが津波に流され、手前に転がっている


その後、避難所の中学校や保育園に行き、
赤ちゃん用品のお届けと、状況の聞き込みをする
ピースジャム活動に同行、併せて上の写真のような
津波被害の場所も通り、惨状を見せてくれました。


・気仙沼7時間目。
 地元の人でも、あまりの状況の変わりように
 『今自分は(震災前でいう)どこ居るのか』が分からなくなってしまう。
 ↑この意味を考える。自分の地元がそうなったら、と置き換えてみる。
 置き換えられる?考えられる??俺はできなかった。分からなかった。
 それが現実だった。


朝に電話があったママさんの自宅へもお届け。
やはり、「クルマが無いから買い物へ行けない」と、とても困っていた。

そして、南側から気仙沼市街に入る。

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 道路は片付けたが、それ以外はまだ手付かずの状況

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イオンの駐車場は、自衛隊の車両基地になっている。
避難所となっているあちこちの学校の校庭も、自衛隊の車両が
たくさん停まっている。

自衛隊の皆さんの働きの話はたくさん聞きます。
街中でも、瓦礫の撤去をする緑色の自衛隊の車両をたくさん見ます。

なぜ自衛隊が頼りになるのか? 自衛隊じゃなきゃダメなのか?
それは、自衛隊という存在の意味を深く深く掘り下げて考えなければ
決して分からないと思う。自衛隊じゃないとダメなんです。

話がそれました。


気仙沼の港や魚市場の近くへ行く。

道だけは瓦礫が片付けてあるが、それ以外はほぼ手付かず。
地面にはまだ水が残っている場所もあり、瓦礫も残っているので
砂利を敷いてクルマが通れる場所を確保している場所もある。

重油のにおい、埃のにおい、魚のにおい。
マスクを通しても入ってくる。

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 仲町。街の書店がある場所。


瓦礫と一緒に、クルマの残骸がいたるところに転がっている。
原型をとどめているもの、ぺちゃんこになっているもの、
全体的にちっちゃくなっているもの。

カップラーメンの容器を深海に持って行くとどうなる?という
実験を見たことがある人も多いと思う。
くしゃくしゃになって、ちっちゃくなるでしょ。

多くのクルマも、まさにそんな状態。


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 右のユーノスは、給油口がこじ開けられてガソリンを抜かれている

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 金庫もブチ破られて中身を抜かれている。そのへんに転がってるレジも一緒。

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伝説のブルースバー、Rude Jam があった場所。残ったトイレが存在感を主張

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港町。焼けながら浸水地域を漂い、大火災を生み出した漁船が繋がれている

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 陸の上のいたるところに船が乗っている

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 エースポートの駐車場にはクルマが突き刺さったまま

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 魚町。道路を半分ふさいだままの漁船。


このあとは、大火災に見舞われた鹿折地区に入ったのですが
そこには真っ黒に焼けた瓦礫の山があるだけでした。

人間が長い時間を掛けて築き上げたものでも
自然の力はいとも簡単にそれを壊してしまう、
そんなことを改めて感じました。


各地の被災地は、まだまだ混乱していると思います。
みんなが一日でも早く「当たり前の生活」ができるように、
俺たちは、必要以上の自粛は避けつつ、いつも通りの生活が
できる人間はそれをすべきだし、そんな毎日の中でも
震災のことは決して忘れず、継続的な助け合いを続けたい。

俺も、今回気仙沼に行けて満足したのでハイ終わり、とは思ってない。

自分のできる範囲で、できることを続けていきます。

まだまだです。

前にも書いたけど、気仙沼だけじゃなく身近なところを含め
助けられるところがあれば手を差し伸べたい。

できる範囲で。

なんでそう思うかというと、
そうやって行動して得られるものはあるから。

相手からいただく気持ちだったり。顔を憶えてくれたり。
自分の自信になったり、新しい出会いがあったり。

そういう意味でのリターンは、必ず自分の財産になる。
それが本音。崇高な理論など俺には要らん。



今回、俺は行動するにあたって、このブログに「やる」と宣言しただけです。
それをみて、何人もの人達が声を掛けてくれました。

気仙沼のケンさんも、忙しいなか協力をしてくれました。

みんなには、本当に感謝しています。ありがとう。
(でも俺は今回で終わりじゃないよフフフ)

だけど、俺がみんなにありがとうを言うだけでなく、
逆にみんなからも、「きっかけをくれてありがとう」と言って戴けます。

これは、すごく嬉しいことです。

やっぱり、何かをしたい、と思っている人は多いんだと。

だからこそ、俺は気仙沼のケンさんというきっかけがあって
行動できるチャンスだと感じ、ブログに書いて晒して
見てくれた人への問題提起をしようと思った。

今は、そうして良かったと思える。

以前、とある方に、
「△☓○□さん(俺の事ね)って、ご自分が思っているよりは
 周りに好かれているのかもしれませんよ??」

という言葉を戴いたことがあります。
(実はこれをいつか書いてやろうと機会を伺っていたのだ。うひひ。)

この1ヶ月間、俺なりに突っ走ってきて
みんなとの絆を感じ、感謝をし、そして預かった想いを
実際に届けさせてもらったなかで、その以前戴いた言葉も
満更でもないな、と感じることができたのも、ひとつの収穫なのかも。

ん??違うか・・・俺自身はきっかけなだけで、
よく思われているかどうかは全く関係ないのかもね。
なんせテキトーなくせに強引ですからね。
自惚れ失礼でした。


けれど、間違いなく、絆というものは感じることができた。

そして、そういう絆や感謝の輪が、現地の人たちにも届いて
避難所と自宅被災者との格差や差別が早く無くなればいいと思います。


と、最後はフザケつつカッコよくまとめてもイイですかね??




ずいぶんグダグダ書いたけども、ここまで見てくれてありがとう。

今回のまとめには書ききれなかった、思ったこと感じたことは
前の記事なんかにも書いてあると思う。たぶん。
よかったら、そっちも見てくださいね。


これで、「気仙沼に届けたい!プロジェクト」はひとまずおしまい。

今後、いつも通りのどうでもいいネタも再開します。


でも、

まだまだ現地は必死だよ!
まだまだ俺はやるよ!!
いつか、再建したルードジャムで、みんなで乾杯したいんだよね!!


and,

Very special thanks to my brother.









業務連絡:

ここでひとつ訂正があります。
え〜〜〜、今さら言いにくいのですが、実は俺、
どうやらブラックボウモアは戴いていないような気がしてきました。
だって、写真がないんだもん。たった今、よく見たら。
あれっ?? ん〜〜。
オマエにゃまだまだ早いんじゃオラァ!!とBowにMoreと言われた気分。



ださっ。


私、思い込みに加え浅学がバレましたので、
明日からまた頑張らせていただきます。




今晩は、飲んでやります。




おわり。


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This picture was taken on September 10, 2010 at "Rude Jam" Kesen-Numa