おはようございます。
広報細田でございます。
今日は職人につて少し述べたいと思います
と言うより
職人が育たない理由の1つ?と言ってもいいかも知れません。
それは今までの鈑金塗装の経営者達が職人をモノ扱いしてたんじゃ無いかなと思うのです。
これをファクトで話そうと思います。
遡る事22年前
僕も職人時代ってのがありました。
高校を入学1か月で辞めて
とある小さな車検工場へ就職しました。
そこで毎日車検や当時は重整備が多かったのでエンジンを降ろしたり
タイミングベルトを交換したりタペット音を修理するのにヘッド開けたり
結構楽しかったんですが、ある日
側面がグチャグチャの事故したカローラが入庫してきました
それを当時は【下請け】と言ってましたが
【下請けの】一人でおっちゃんがやってる鈑金塗装工場へ
僕がレッカーで持って行きました。
そのおっちゃんに【これって直るんですか?】と聞くと
【こんなもんすぐ終わるやろ】と言われた時の衝撃は今でも昨日の事の様に覚えています。
【うそやん?これ直んの?】
それから【この車がどうやって直るのか】が気になって仕方が無く笑
昼休みや理由があればその【鈑金塗装のおっちゃん】の所へ行くようになっていました。
その時から実は心の中では【この仕事をやってみたい】って気持ちがあったのかも知れません。
ただ、その時は
勤めていた整備工場の社長に【高校を卒業しないと整備の資格が取れないから高校行ってこい】
と言われイヤイヤ夜間学校に行っていました。
朝から夕方まで整備工場で働き
先輩方に【お先に失礼します!】と頭を下げ【毎日めちゃくちゃ忙しかったので】
後ろめたい気持ちで先に上がらしてもらい高校に行くって感じでした。
なかなかそんな状況下で【辞めます】なんて言い出しにくいですよね笑
しかも
これは後から社長の奥さんに聞かされたのですが
『実は整備士の資格に高卒は必要ないんだよ、あんたに高校位は出て欲しいから行かせるには
こうでも言わないとアイツは行かないから』って理由だった
で、毎日
気持ちが【鈑金塗装やりたい】って気持ちになり
心ここにあらず状態で毎日を過ごしていた時
また入庫した事故車を【おっちゃん】の所へ持って行き
おっちゃんに鈑金の質問ばっかりしていたら
【細田君みたいな子がいたら教えたいんやけどな】っと冗談でおっちゃんが僕に言いました。
おっちゃんは【僕の心の中を】知ってるわけないので言ったんでしょうが
僕の心のかなでは【決まり】ました。
それから1週間考え気持ちを整理して
翌週の晩に社長の自宅へ【話があります】と伝え、行きました。
ピンポン押して社長の奥さんが出て来た時
何もまだ話してないのに【涙目】だったのを覚えています。
客室に招かれ社長が寝間着で現れ【話って何や?】って
その時の社長もあまり目を合わせてくれず悲しそうな顔だったのも覚えています。
【〇〇さんの所で鈑金塗装を覚えたいんです】と直球で言うと
(〇〇さん=おっちゃん)
ひっくり返りそうになって、すぐに【〇〇に来いって言われたんか?】と聞かれました
【いいえ、自分で行きたいと思いました、
一切誘わてはいませんし、まだ雇って下さいとも伝えていません】
と返すと【もうええ、わかった明日〇〇には俺から電話して雇ってやれって言うたる】
と目を見ずに下を見て言ってくれました。
早々に次の日の夜
おっちゃんに呼び出され【お前何考えてんねん!あほか。】と嬉しそうに
突っ込まれたのも覚えています。
そしてここからが本題なのですが
退社が決まり、おっちゃんの所へ入社も決まり
送別会的な事を整備工場が開いてくれました
そこで事件は起きました
整備工場の先輩整備士と元工場長みたいな仲間内みたいな人たちと
一緒にお酒を飲んでご飯を食べながら【これからはお前が仕上がり良くしてくれよ】
なんて元受けから下請けに行く人間だけが言われるセリフもあった中
とある仲間内【整備工場の従業員では無い人間】から
『お前よう裏切っておいて笑ってられんな』といきなり絡んできました。
この僕に絡んで来た人間は、この整備工場の元主任者で今でもちょくちょく
工場に出入りし社長と社長の息子とは仲の良い人間でした
そいつからすると、僕はどうやら【社長を裏切った罪人】になっていた様で
最終的に『表出ろや』と言われ、店を出て殴り合いになりました。
自分で言うのは恥ずかしいですが元々ヤンチャで喧嘩慣れはしていたので
ほんの数十秒で他の方が止めに入りましたが、僕の顔は綺麗で向こうは血だらけでした。笑
それからその人には【手を出してしまった事】についてはしっかり謝罪し仲直りしたんですが
やはり【裏切者】のハンコは押印されていたみたいで、その整備会社の界隈の人間は
全て離れて行きました。
だから正直、元職場の整備工場に納車に行くのがイヤだったのを覚えています。
この【裏切者】【取った取られた】って感覚ってやられた方は凄く覚えているもので
いじめと同じなのかなと思います。
やった方は大人になって忘れていますがやられた方はいつまでも心のどこかに潜在的に
残っていて傷跡になる。
そして今。
24歳で独立をして数十人の職人達を雇用しては解雇していく中で
あるんですよ。未だに。情けない。
とある株式会社〇〇鈑金という会社を退社してBICに来る職人がいて
【じゃあ面接は〇日の何曜日でお願いします】と決まったと思ったら
そこの株式会社〇〇鈑金の社長から電話がかかってきて
【あいつ駄目ですよ、使えないですよ社長!】って笑
頼んでも無いし、聞いても無いのに・・・・笑
【あ。そうなんですか・・・・わざわざ、ありがとうございます】って
適当に受け流して切るんですけど
切った後に【何や?今の電話・・・・】
これは職人を1人の人間として扱っていない証拠なんじゃ無いかな。って思うんです。
退社が決まったら理由はどうであれ気持ち良く送り出そうよ・・・
残された人たちの為にも気持ち良くお別れ会まではしなくても
【今までありがとう、次の会社行ってもここで学んだ事を活かして頑張れよ】って
社長が言えなくて誰が言うのよ・・・・・って。思うんです。
情けない。
職人たちはそういう経営者の発言や行動を見ています。
評価されずに腐っていき。
いつの間にか希望が無くなり、若い子が見ても楽しそうに見えず
カッコ良くもない、
僕はそういう風潮が、雇用減少につながり生産性の低下につながり
負のスパイラルに陥っていく会社が結構多いんじゃないかなって思っています。
これからは入社してくる人も退社する人もYOUTUBEで堂々と出せる様な体制を
作って行こうと思っています。
会社からすると【退社=マイナス】のイメージあるけど
退社のシーンもプラスに捉えたら残ったメンバー達の士気をもう一度上げる
チャンスにもなりますし、しっかり評価して
会社として出来る限りの事をやってれば
辞めた職人も【BICは良いよ、辞めるんじゃ無かったわ】とか言ってくるし
宣伝にもなるし。また次の会社でスキルアップすれば業界に力になれたって事で
別に悪い事では無いと思うんですけどね。
では。いってらっしゃい!
広報細田でございます。
今日は職人につて少し述べたいと思います
と言うより
職人が育たない理由の1つ?と言ってもいいかも知れません。
それは今までの鈑金塗装の経営者達が職人をモノ扱いしてたんじゃ無いかなと思うのです。
これをファクトで話そうと思います。
遡る事22年前
僕も職人時代ってのがありました。
高校を入学1か月で辞めて
とある小さな車検工場へ就職しました。
そこで毎日車検や当時は重整備が多かったのでエンジンを降ろしたり
タイミングベルトを交換したりタペット音を修理するのにヘッド開けたり
結構楽しかったんですが、ある日
側面がグチャグチャの事故したカローラが入庫してきました
それを当時は【下請け】と言ってましたが
【下請けの】一人でおっちゃんがやってる鈑金塗装工場へ
僕がレッカーで持って行きました。
そのおっちゃんに【これって直るんですか?】と聞くと
【こんなもんすぐ終わるやろ】と言われた時の衝撃は今でも昨日の事の様に覚えています。
【うそやん?これ直んの?】
それから【この車がどうやって直るのか】が気になって仕方が無く笑
昼休みや理由があればその【鈑金塗装のおっちゃん】の所へ行くようになっていました。
その時から実は心の中では【この仕事をやってみたい】って気持ちがあったのかも知れません。
ただ、その時は
勤めていた整備工場の社長に【高校を卒業しないと整備の資格が取れないから高校行ってこい】
と言われイヤイヤ夜間学校に行っていました。
朝から夕方まで整備工場で働き
先輩方に【お先に失礼します!】と頭を下げ【毎日めちゃくちゃ忙しかったので】
後ろめたい気持ちで先に上がらしてもらい高校に行くって感じでした。
なかなかそんな状況下で【辞めます】なんて言い出しにくいですよね笑
しかも
これは後から社長の奥さんに聞かされたのですが
『実は整備士の資格に高卒は必要ないんだよ、あんたに高校位は出て欲しいから行かせるには
こうでも言わないとアイツは行かないから』って理由だった
で、毎日
気持ちが【鈑金塗装やりたい】って気持ちになり
心ここにあらず状態で毎日を過ごしていた時
また入庫した事故車を【おっちゃん】の所へ持って行き
おっちゃんに鈑金の質問ばっかりしていたら
【細田君みたいな子がいたら教えたいんやけどな】っと冗談でおっちゃんが僕に言いました。
おっちゃんは【僕の心の中を】知ってるわけないので言ったんでしょうが
僕の心のかなでは【決まり】ました。
それから1週間考え気持ちを整理して
翌週の晩に社長の自宅へ【話があります】と伝え、行きました。
ピンポン押して社長の奥さんが出て来た時
何もまだ話してないのに【涙目】だったのを覚えています。
客室に招かれ社長が寝間着で現れ【話って何や?】って
その時の社長もあまり目を合わせてくれず悲しそうな顔だったのも覚えています。
【〇〇さんの所で鈑金塗装を覚えたいんです】と直球で言うと
(〇〇さん=おっちゃん)
ひっくり返りそうになって、すぐに【〇〇に来いって言われたんか?】と聞かれました
【いいえ、自分で行きたいと思いました、
一切誘わてはいませんし、まだ雇って下さいとも伝えていません】
と返すと【もうええ、わかった明日〇〇には俺から電話して雇ってやれって言うたる】
と目を見ずに下を見て言ってくれました。
早々に次の日の夜
おっちゃんに呼び出され【お前何考えてんねん!あほか。】と嬉しそうに
突っ込まれたのも覚えています。
そしてここからが本題なのですが
退社が決まり、おっちゃんの所へ入社も決まり
送別会的な事を整備工場が開いてくれました
そこで事件は起きました
整備工場の先輩整備士と元工場長みたいな仲間内みたいな人たちと
一緒にお酒を飲んでご飯を食べながら【これからはお前が仕上がり良くしてくれよ】
なんて元受けから下請けに行く人間だけが言われるセリフもあった中
とある仲間内【整備工場の従業員では無い人間】から
『お前よう裏切っておいて笑ってられんな』といきなり絡んできました。
この僕に絡んで来た人間は、この整備工場の元主任者で今でもちょくちょく
工場に出入りし社長と社長の息子とは仲の良い人間でした
そいつからすると、僕はどうやら【社長を裏切った罪人】になっていた様で
最終的に『表出ろや』と言われ、店を出て殴り合いになりました。
自分で言うのは恥ずかしいですが元々ヤンチャで喧嘩慣れはしていたので
ほんの数十秒で他の方が止めに入りましたが、僕の顔は綺麗で向こうは血だらけでした。笑
それからその人には【手を出してしまった事】についてはしっかり謝罪し仲直りしたんですが
やはり【裏切者】のハンコは押印されていたみたいで、その整備会社の界隈の人間は
全て離れて行きました。
だから正直、元職場の整備工場に納車に行くのがイヤだったのを覚えています。
この【裏切者】【取った取られた】って感覚ってやられた方は凄く覚えているもので
いじめと同じなのかなと思います。
やった方は大人になって忘れていますがやられた方はいつまでも心のどこかに潜在的に
残っていて傷跡になる。
そして今。
24歳で独立をして数十人の職人達を雇用しては解雇していく中で
あるんですよ。未だに。情けない。
とある株式会社〇〇鈑金という会社を退社してBICに来る職人がいて
【じゃあ面接は〇日の何曜日でお願いします】と決まったと思ったら
そこの株式会社〇〇鈑金の社長から電話がかかってきて
【あいつ駄目ですよ、使えないですよ社長!】って笑
頼んでも無いし、聞いても無いのに・・・・笑
【あ。そうなんですか・・・・わざわざ、ありがとうございます】って
適当に受け流して切るんですけど
切った後に【何や?今の電話・・・・】
これは職人を1人の人間として扱っていない証拠なんじゃ無いかな。って思うんです。
退社が決まったら理由はどうであれ気持ち良く送り出そうよ・・・
残された人たちの為にも気持ち良くお別れ会まではしなくても
【今までありがとう、次の会社行ってもここで学んだ事を活かして頑張れよ】って
社長が言えなくて誰が言うのよ・・・・・って。思うんです。
情けない。
職人たちはそういう経営者の発言や行動を見ています。
評価されずに腐っていき。
いつの間にか希望が無くなり、若い子が見ても楽しそうに見えず
カッコ良くもない、
僕はそういう風潮が、雇用減少につながり生産性の低下につながり
負のスパイラルに陥っていく会社が結構多いんじゃないかなって思っています。
これからは入社してくる人も退社する人もYOUTUBEで堂々と出せる様な体制を
作って行こうと思っています。
会社からすると【退社=マイナス】のイメージあるけど
退社のシーンもプラスに捉えたら残ったメンバー達の士気をもう一度上げる
チャンスにもなりますし、しっかり評価して
会社として出来る限りの事をやってれば
辞めた職人も【BICは良いよ、辞めるんじゃ無かったわ】とか言ってくるし
宣伝にもなるし。また次の会社でスキルアップすれば業界に力になれたって事で
別に悪い事では無いと思うんですけどね。
では。いってらっしゃい!
コメント
コメント一覧 (1)
BICチャンネルの社長のやっている意義がとても良く伝わってきました。私は還暦が近い年なんですが、こういう仕事をやってみたいなぁという気持ちにさせられます。いつもありがとうございます。