57年前の寒いその朝のこと。突然思いがけない言葉が頭に浮かび、私は凍りついたように立ち尽くした。まるでその言葉でがーんと殴られたようだった。それは自然に私の頭の中に浮かんできた言葉だった。「ぼくはぼくなんだ。ほかのだれでもない。ぼくはぼくだ」。私はその瞬間にアイデンティティーを得た。まったく新しい自分が始まったのだ。ヘニング・マンケルは首筋にがんが見つかったカオスの中で、気がつくと子ども時代のこの出発点の記憶に立ち戻っている自分に気がつく。それは出発点から自分を立て直すための大きな発見だったという。人はいつ自分を発見するのだろう。いや、発見しないまま終わるのかもしれない。長年ひとりで仕事をやっていると、自分を保つのが大変な時がある。見つけたと思っていた自分が、スルリとまたどこかへ脱けだして、ぼくはただのぬけ殻になっている。
2016年11月
本あとがきは本編を読了後にお読みください。
その記載通り、「熊と踊れ」のあとがきには想像もしていなかった驚くべき事実が書き記されていた。
空へ
暴力では決して支配できないものがある。読みごたえ充分「熊と踊れ」。
圧倒的な暴力で家族を支配する父とその家族の物語。アンデシュ・ルースルンド&ステファン・トゥンベリ「熊と踊れ」。ルースルンドは世界累計500万部突破「グレーンス警部シリーズ」、トゥンベリはヘニング・マンケル原作のTVドラマ「ヴァランダー・シリーズ」の脚本家として著名な、いずれもスウェーデンの作家。本作は史上例のない実際の銀行強盗事件をモデルにしているという。強暴な父、兄弟の結束。追いかける警部もまた暴力に打ちひしがれた重なるような人生。暴力の外で生きてきたぼくとしては想像するしかないが、DVというのは人間の根本までを変えてしまうものなんだろう。ぼくの父親は人に手をあげることなど一度もなかったけれど、それでも充分こわさを感じていたものだ。人はなぜ暴力で支配しょうとするのだろうか。それがもっとも手っ取り早く効果的な方法だからだろう。暴力の連鎖は、戦争へとつながっている。愚かなり人間、熊と踊れ。と、下巻の佳境まで読み進んだところで本作が「ミステリーマガジン」海外部門の今年の第1位に選出されたというニュースが飛び込んできた。同病相知る警部がいかにして犯人を追いつめていくのか。いや、面白い展開になってきたぞ。
日経夕刊「こころの玉手箱」というエッセイ欄に詩人・工藤直子さんの連載が始まった。
きょうで3回目、たしかこの連載は1週間つづくのだと思った。きのうは蔵原伸二郎の詩「きつね」が紹介されていてなつかしく新鮮だった。工藤さんも(というより直ちゃんも)なつかしかった。ずいぶん昔だけれど、新宿区役所通りにあった「エル」というバーというかスナックに通っていたことがあって、直ちゃんはそこでチーママのようなことをやっていたことがあって、よく話し込んだものでした。その後の活躍は折にふれ、いろいろなところで見知っていたのですが、エッセイを読んでいたらその文体までがいかにも直ちゃんらしくて、あゝいいなぁと思ったのでした。会いたいなあ。久しぶりにとても会いたい。
夕焼けの窓
渋谷から早朝の成田エクスプレスに乗って。
出かける寸前の地震に驚かされる。福島に被害がなければいいが。まったく福島の人たちが気の毒でならない。被災したうえに子どもたちがいじめにあう。どういうことか。オリンピックどころの話ではないのだ。のろのろと走る成田エクスプレスの車窓から雨上がりの街をぼんやりと眺めながらため息をつく。
刑事ヴァランダー・シリーズの著者ヘニング・マンケル最後の作品「流砂」を手にとる。
2015年10月10日、67歳の生涯を閉じたヘニング・マンケル。がんの罹患を知ってからわずか六カ月の間に書いた、年齢と同じ67篇の短編集。冒頭に掲げたトーマス・トランストルンメルの詩が
、マンケルの誠実な人生を物語る。 作家はある日、フィンランドの核のゴミの隠し場所オンカロに手紙を書き、見学を申し込む。すぐに返事は来た。その手紙には、オンカロの現場を犯罪小説のネタにしてほしくないと書いてある。すぐに放射性物質をどうやって安全にこれから先十万年ものあいだ保管できるのかを知りたいだけだと返信する。折り返しまた来た返事には、やはり見学を受け付けることはできない。理由は岩盤の中にある空間とそこまでのトンネルでの安全が保証できないから、というものだったという。マンケルは書く。見学者の安全すら保証できない保管庫に恐怖を感じ、それと同時に喜劇的だと思ったと。いま私は、福島の次の大事故の発生に向かって時間が進んでいるという確信をもっていると。それでもなお、希望を掲げ、「人間であることを恥じるな。誇りをもて!」とマンケルは言うのである。シリーズにはまだ三作の未訳がのこされているという。
柳沢さん、翻訳を急いでください。
失うことを恐れていては 得ることはできないと
生きていけない
心配しないでください。
そこにはもういないのですから。
とてもよく眠ったのでもう昨日には帰れない
トランプが勝って世界は神無月 四丁目
11月の銀座の俳句の会「銀句会」、本日の席題「神無月」に、俳句にはほど遠いトランプ時事ネタをムチャブリ投句。しかしまあ、意気に感じて選んでくれた心やさしき同人もいたりして、にぎやかに盛り上がりました。こんなウケ狙いばかりしているようでは本棚の「日本大歳時記」が泣いていますね。いかんいかん、こんなに立派な歳時記があるのに、もうずいぶん長い間、開いてもいないのです。しかも新年、春夏秋冬、きちんと順番をそろえて本棚に収めたらいいのに。はい、入れ替えます、心ともども入れ替えます。
いることと いないこと
いることと
いないことでは
ちがうんだ
まったく
きみが
いることで
それだけで
みたされて
いきをすい
いきをはき
そらははれ
そよかぜが
ふいている
いることと
いないことでは
こんなにも
ちがうんだ
天気がいいので、ぶらり神田川散歩。奇妙なデジャブ感に襲われる。
明大前から西永福へ。川沿いを歩きはじめてふと思ったのですが、なぜかどうも散歩に気合いが入らない。それで、気がついた。川と言いながら、ひょっとするとこれはやはり川ではないのではないかと。両側が、つまり両岸ではないのです。石塀に囲われた単なる水の流れなのだ。同じような流れなのに、目黒川の場合はまだ周囲にオシャレな店や川に覆いかぶさるように寄り添う桜並木があって救われるのですが。取り残されたような奇妙な空白のデジャブ感覚。いつか夢のなかで見たような。歩いても歩いてもどこにもたどり着かない、終わりのない感覚。白昼夢のような散歩でした。
影に写せば、ぼくも3メートルの巨人だ。
ナンクルナイサ
ハクナマタータ
ニンゲン生きてりゃ
なんとかなるさ
とりあえず
おはようございますと
ありがとうございます
その声があれば
それで良し
うん
まったく
それで良し
だれかが そっと
だれかがわたしをみている
わたしもみている
ただそれだけのことで
じかんがすぎていき
ただそれだけのことでほほえんでいる
わたしとだれかの
いちにち
いちにち
わたしががたって
おちゃをいれて
だれかがしずかに
のんでいる
ただそれだけそれだけの
いちにち
いちにち
世界がトランプのジョーカーを引いた日。一番搾り「とれたてホップ」、いただきます。
「一番搾り」のパッケージデザインをする半世紀の友・佐藤昭夫さんと一杯。が、二杯になり三杯になり、ビールに焼酎にジントニックにストレートのウヰスキーになり。いい加減いい気持ちで外に出れば、NHKプロフェッショナルにでたばかりなのに何故かひとり寂しく仕事場に戻るのであろうHさんにバッタリ遭遇。ここは骨董通りだ。人生光芒、明日は二日酔いか、否か。いや、いやいや、イヤ、これも運命!よくぞ飲んだこと、よく飲めたことにカンパイ!といいつつ、ぐるぐるグルグル振り出しに戻るのが、酔っぱらいの酔っぱらいたるゆえんだ。水、みず、ミズを、末期の水を一杯!
強烈な一冊。鴻池朋子「どうぶつのことば」-根源的暴力をこえて-
東日本大震災で思考停止に陥ったアーティスト(とひとことであらわしてしまうのには抵抗があるのですが)鴻池朋子の、その後の激しい闘いの記録です。「わたしは、やっぱり最初に見た津波。あの津波の映像を見たときに、言い方は難しいんだけど、『自分が長い間見たかったのはこれだ』という、とても強い欲望のようなものが覚醒してしまったような気がします」。この素直で暴力的な想像力と衝突し、打ちのめされ、追い詰められた状況から脱出する手段として、彼女は他者の言葉を借りにいくこと、他者との対話をはじめます。もっと豊かに学び、タフな手触りを獲得し、ヤワな自分を、一から叩き直すための捨て身の対話の記録が、ここにあります。その対話の相手に選んだのが教育人間学の矢野智司であり、芸術人間学の石倉敏明であり、考古学の吉川耕太郎であり、おとぎ話研究の村井まや子であることが秀逸です。矢野さんは子どもに絵本を買った経験から対話を開始します。「どういうわけか絵本にはいつも動物たちが登場する。むしろ絵本の主流は動物絵本なんだ!ピーターラビット、ぐりとぐら、うさこちゃん、しかしそれはなぜなのか。もっと驚くべきことは、周囲の大人はそのことで誰も悩んではいないことでした。子どもが人生の最初に出会う絵本がウサギの絵本であることに、誰も驚かないのです」。そこから矢野さんは「子どもは動物絵本を読み、動物と出会うことによって、人間とは何者かを知り、人間と動物との境界線を認識するようになります、しかし」と話をすすめます。鴻池さんが知りたいこと、それに応える対話者の明晰な問題提起。すべてが始まりにさかのぼっての新鮮な会話。「絵は簡単に言葉にすり変わる危うさがある」、こんな本質的な警句が不意に出てくる。東北に深く入り込み、賢治によく似た人たちと出会い、どうぶつに学び、美術館のあり方に警鐘を鳴らし、反逆し、たどり着くのさえ困難な豪雪の雪山の山頂の山小屋に作品を展示し、ゼネコンの高層ビルの谷間にウサギの耳のようなオブジェをぶったてて、恐れを知らぬもののように突き進む。鴻池朋子さんに多くの刺激をいただきました。仕事に追われているのにやめられない、止むに止まれぬ、本性を揺さぶる、危険で濃密な読書体験でした。
かつて夏目漱石や石川啄木が働いていた銀座六丁目朝日ビルは建て替え中。
サンモトヤマや朝日ビル内郵便局があった、並木通りのあのビル。有楽町に移転するまで朝日新聞社の旧本社があって、漱石や啄木もいたところです。ライトパブリシテイにいたころ同僚の菅三鶴さんは給料日になると、ここの郵便局からふるさとのご母堂に毎月仕送りをしていたことを思い出します。となりにはてんぷらの「天一本店」があります。「よし今日は天一天丼!」と元気よく叫んで、みんなで誘いあって通ったものですが、あのころ確か1,500円だったお昼の天丼が、いまや4,860円。銀座ランチのちょっとしたフルコースの値段に驚きます。来秋、12階建のビルに生まれ変わって、上階にはラグジュアリーホテルが入るとか。みゆき通りに移転した郵便局はともかく、銀座凮月堂ビルに移ったサンモトヤマは、もどってくるんだろうなあ。
雨あがる
西麻布交差点近くの
古いビルの地下にある焼き鳥屋で
近しい顔を眺めながら
僕は飲んでいるのだ
千年も前から生きてきた
古強者のようにさ
ビールと酒とレモンサワーと
皿の上の食べ物を交互に
胃袋に送りながら
きょう見上げた空を
思い出していると
つぎつぎと
生きたものと死んだものへの
思いが湧き上がって
話せば話すほど
自分を失っていくのだ
雨はとうに上がって
もう誰もいない