なんかペットショップにいたゴールデンリトリバー!くらいの
おおきめのアマゾンのフィッシュっ!!
突然ねむたく「なくなった」のでだいすきな日記をかくっ!!
てか仕事おわって帰宅してすぐ
ねむすぎで走るのもやめて
長湯して
「山登り用靴」をあらって
ちびやろうと母が
リビングで「奇跡」をみててちょうど
クライマックスだったので一緒にみた
映画がおわってちびやろうをベットまで送り
部屋にもどると「ねむたさ」という現象は
すがたを消してた
家で湯船につかることができるって
いつもすっごいすばらしい
いつもこういう感動を忘れずにいたい
とゆーより
すでにたぶんわたしは一生このたぐいの感動を忘れられない
あとフルフラットでねむれることとか
てゆーか帰る家があって
「その家の鍵」をもった「ほかの家族」がいるという状態って
結構すごいんじゃない?
しかしまーなんつーかもー
日に日に日記もツイッターも
「『詩人』らしさ」を失いつつある!ので
いささか不満におもう今日このごろではあるのだが
正直だれも!何も!要求してるわけでもなしっ!
気楽なままにぽいぽいキーボードうって言葉なげてれば
なんとなく落ち着くんだし
なにもわるいことなんかないんじゃね?
こういうこと気にするってことくらい
地球上で最もどーでもよいってのっ!
銀河とかの存在を無視して
人類であろうとすることなかれ
ってんだ
まじ
ばかなのか
「詩人」ぽいっていうのは
なんかこー
色とりどりの言葉があふれだす
タペストリーとか星座とかビーズのきらきら感
こぼれだす瞬間を
切り取る作業中
みたいな
空気?空気的なアレ
ねむろうとしてたが
どうやらおなかがすいてきたみたいで
いただいた「アスパラちゃん」をゆでてお湯をこぼして水にさらそう
としたらやけどした
ふくらんできたので
めずらしく完璧にやけどっぽい
「アスパラちゃん」はごま油と塩でいただいた
きのうもそうやっていただいたのだが
驚愕!
まえのめりになって「しぬフリ」をしたいぐらい
二日間ともにおいしかったので
よかった
いただいたアスパラちゃんとゴーヤちゃん
「ミクまんください」
「肉まんですか?」
「いえ、はちゅねミクまん、を」
とかいうやりとりをへて
ゲット!した「はちゅねミクまん(写真)」
こころが動くことがマーケティングの上では重要でしょう?
どきどきしながら店にむかい
更に店員とのやりとりというミッションをクリアする
というプロセスそのものがこの商品のもつ最大の意味である
だって野菜ジュースも塩焼きそばもおにぎりも
だまってレジにもってけばすむけど
この中華まんじゅうだけは
はちゅねミクと自分との関連性を公共の場で
コミットしなきゃあなんないんだから
コンビニは生まれたときから浮遊してるから
もっと個人個人とつながってわけわかんなくなればいいよ
コンビニのなかでは生きてけるけど
外にでると死ぬくらいのアレがあるほうがいい
水槽のなかの魚てきな感覚で
中毒性があり依存度が高く
みたいな
孤独行動からコミュニケーションの場所への
積極的な変動が経済効果をうながす事にはたしてなるのか
どうかは別として
日曜は「猫道節」
「なににもなれない」という意味で
「なににもなれない」というジャンル
に属してる人々の群れの中にいて
そういう意味で孤独感も危機感も
全くないが
あんまり自分のことを責めないようにしよう
つづくっ!