IMGP0562
「チェンさんそのもの」

「見方によってチェンさんにみえるもの」

どちらがどれだけすばらしいか

わかるものではないが
なんとなくいい感じなので
最初に
キーボードで打ってみる


詩集というのは
いわゆる窓である
表紙をひらくとあらわれる
におい
あたたかな息づかい
びりびり躍動する宇宙

をページごとに焼き付けた
空間=窓


「弱っちいボク」と「変化」
というテーマに挑戦してきた著者であるが
その背中が空白(空間)をみつめるまなざしの
そのまなざし、あるいはその背中が
わたしの背中ではない理由はなにか
むしろあの背中はわたしたちの背中なのではないか



それほどに明確にその背中はわれわれにのりうつってくる



カフェデリコ・カフェリーニ

フェリーニがすきで
飼っていた犬が死んで泣いて
中原中也がすき

その背中はわたしたちの背中なのではないのか



この詩集は彼にとっての最初の詩集である

この中に連続してある
「モリーとの別れ」への予感は
アウトプットされると同時に
インプットされる側の
「新たなチェンスウリー」との出会い
に変換されていく

これが彼の基軸となるテーマである
「変化」である



彼の朗読をはじめて聞いたときのイメージ

ドラえもん
夕焼け
踏切
という三つのワードであがってくるが
それがなんであったのか
今になるとなんだかわからない


「チェンさんそのもの」
「見方によってはチェンさんにみえるようなもの」
どちらがどれだけすばらしいのか

詩集と著者は一致しない
時代をこえて
詩一編は

音楽
湿度
香り
をたたえたまま
永遠の終わりとはじまりを繰り返す



この詩集は
読む者と
読まれる者

両者のバランスが
モリーという存在を介して
バランスをたもっている


すなわち
モリーがいなければ存在しない詩集である





 つづくっ