イシャジャの呟き 

イシャジャとは 干拓前の八郎潟に棲息していた微細なエビで 「価値のないもの、か細く力のない弱者」の蔑称で、何の力もない高齢の僕を「イシャジャ」に擬人化して、ため息、寝言、独り言、その他」を タドタドシイ文で綴ってみたいと思って立ち上げたものです。

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誕生日の花  コデマリ  花言葉  努力する


梅も桃も花は散り葉っぱが出てきた。桜も見頃はあっという間に過ぎていきます。今朝はラジオが初めての「昭和も日」であり、「兎に角、連休だ」位の認識の方がかなりいるのではないか、みたいな話をしていたようである

その昭和で51年少し過ごしたが、「激動の時代」だったとの、コラム」もあった。同期の桜などと言って、何気なく仲間との連帯感を持つ言葉として使ってきたが、美しい桜の花の散り方を、ことさらに美化し「見事に散りましょ・国のため」などとして、若者へ精神教育をして戦争への道をひた走ってしまった。

サイタ サイタ サクラガサイタ。アカイ アカイ アサヒ」などの国語を学んだ。天照大神だか神武天皇だか、忘れたが、そうした男の持っている杖の先に黄金の鳥見たいなのが、止まっている絵のついた教科書で、日本は神の国であると言われた。貧弱な脳味噌のボケが回ってきて思い出せないが、これがボクたち受けた63年前の教育であった。帽章にもボタンにも、さくらの徽章がついていた。秋になれば、「キレイナ ハナヨ、キクノハナ アカヤ ミドリノ キクノハナ・・」などの歌も唄った。戦死した兄の遺品の箱に入っていた「恩賜の煙草」にも「菊のご紋章」が付いていた。桜と菊は美しいが故にその美しさを利用され、多くの悲劇を呼んでしまった。桜も菊も悲しい花とも言えると思う。

そんな昭和へまだ心を残して、改革、改革・・・といって歴史の歯車を逆回転させようとしている大きな勢力があることを忘れないでいよう。

誕生日の花  コデマリ  花言葉  努力する


梅も桃も花は散り葉っぱが出てきた。桜も見頃はあっという間に過ぎていきます。今朝はラジオが初めての「昭和も日」であり、「兎に角、連休だ」位の認識の方がかなりいるのではないか、みたいな話をしていたようである

その昭和で51年少し過ごしたが、「激動の時代」だったとの、コラム」もあった。同期の桜などと言って、何気なく仲間との連帯感を持つ言葉として使ってきたが、美しい桜の花の散り方を、ことさらに美化し「見事に散りましょ・国のため」などとして、若者へ精神教育をして戦争への道をひた走ってしまった。

サイタ サイタ サクラガサイタ。アカイ アカイ アサヒ」などの国語を学んだ。天照大神だか神武天皇だか、忘れたが、そうした男の持っている杖の先に黄金の鳥見たいなのが、止まっている絵のついた教科書で、日本は神の国であると言われた。貧弱な脳味噌のボケが回ってきて思い出せないが、これがボクたち受けた63年前の教育であった。帽章にもボタンにも、さくらの徽章がついていた。秋になれば、「キレイナ ハナヨ、キクノハナ アカヤ ミドリノ キクノハナ・・」などの歌も唄った。戦死した兄の遺品の箱に入っていた「恩賜の煙草」にも「菊のご紋章」が付いていた。桜と菊は美しいが故にその美しさを利用され、多くの悲劇を呼んでしまった。桜も菊も悲しい花とも言えると思う。

そんな昭和へまだ心を残して、改革、改革・・・といって歴史の歯車を逆回転させようとしている大きな勢力があることを忘れないでいよう。

誕生日の花  コデマリ  花言葉  努力する


梅も桃も花は散り葉っぱが出てきた。桜も見頃はあっという間に過ぎていきます。今朝はラジオが初めての「昭和も日」であり、「兎に角、連休だ」位の認識の方がかなりいるのではないか、みたいな話をしていたようである

その昭和で51年少し過ごしたが、「激動の時代」だったとの、コラム」もあった。同期の桜などと言って、何気なく仲間との連帯感を持つ言葉として使ってきたが、美しい桜の花の散り方を、ことさらに美化し「見事に散りましょ・国のため」などとして、若者へ精神教育をして戦争への道をひた走ってしまった。

サイタ サイタ サクラガサイタ。アカイ アカイ アサヒ」などの国語を学んだ。天照大神だか神武天皇だか、忘れたが、そうした男の持っている杖の先に黄金の鳥見たいなのが、止まっている絵のついた教科書で、日本は神の国であると言われた。貧弱な脳味噌のボケが回ってきて思い出せないが、これがボクたち受けた63年前の教育であった。帽章にもボタンにも、さくらの徽章がついていた。秋になれば、「キレイナ ハナヨ、キクノハナ アカヤ ミドリノ キクノハナ・・」などの歌も唄った。戦死した兄の遺品の箱に入っていた「恩賜の煙草」にも「菊のご紋章」が付いていた。桜と菊は美しいが故にその美しさを利用され、多くの悲劇を呼んでしまった。桜も菊も悲しい花とも言えると思う。

そんな昭和へまだ心を残して、改革、改革・・・といって歴史の歯車を逆回転させようとしている大きな勢力があることを忘れないでいよう。

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