September 11, 2007

再び北京より

お久しぶりです。

3週間日本に帰っている間に、道路標識がやたら増えた北京より久々の更新です。

日本にいる間に、遂に(少なくとも私以外の人々は)待ちに待った2008年8月8日、一体何の意味があるのかさっぱり分からないゾロ目開催の北京オリンピックまで1年を切りました。

我が家の近くには、ビーチバレーボール会場があるのですが、3週間離れている間に、それこそ雨後のたけのこのように「ビーチバレーボール会場こっち」と言う標識があちこちに出現しました。これならどんなひどいタクシー運転手に当たってしまっても、絶対に迷わないでしょう。ホテル関連も、外国人が泊まるようクラスのホテルに関しては、「**ホテルこっち」という標識がこれまたあちこちに出現しました。「こんなことより他にやらなきゃいけないことたくさんあるんじゃないの」と嫌味の一つも言ってみたところ(北京に戻って機嫌が悪い)、ダンナには「こういう簡単なものから手をつけて、とりあえずポイント稼がなきゃいかない人の身にもなれ」と言われました。

今回の帰国で、やはりオリンピックだからでしょう、日本でも北京関連のニュースがとにかく増えているのが目につきました(特に民放)。

内容はあまり北京にとってfavorableとは言えない内容が多いようですが、まあ、私は別に北京になんの思い入れもないのでどんなにコキおろしてもらってもちっとも構いません。例えは悪いかもしれませんが、とにかく「いかにミョウチキリンなところか」をアピールするところに終始しているあたりが、以前の北朝鮮関連の報道を彷彿とさせます。

ある番組で「いかに北京の人々のマナーがなっていないか」ということで、並ばないでバスに乗る人々、タバコの吸殻のポイ捨てをする人々、痰を吐く人々を映していましたが、その中にゴミ箱に向かって鼻をかむおばさんの姿も映されていました。「汚いですねー」というコメントつきだったのですが、私はおばさんの何が悪いのかコメントまで全く分かりませんでした。ゴミ箱に向かってかんでいるだけで私は随分見上げたおばさんだと思うんですけど。北京生活も4年目になり、私自身のモラルもどうやら著しく低下しているようです。

それにしても日本人は特に「イベント」が好きなんでしょうかね。以前香港でツアコンをしていた人が「返還前は報道陣も旅行客もすごいいっぱい来て、てんてこ舞いな
毎日だったのに、返還してしまったら全く仕事がなくなってしまった」と言っていましたが、今の北京もこのままオリンピックまで焼畑農業的報道のターゲットになるのでしょうか。これからの1年は日本にいるほうがトリビア的な北京ネタには詳しくなるのかもしれません。

ちなみに私はオリンピック期間は日本に絶対に帰ります。まったく「オリンピック前までに北京を脱出」、という遠い昔に夫と交わした約束が思い出されます。その期間は北京−羽田間に特別チャーター便が飛ぶようなのでチケットが発売になったら即効予約です。  
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March 04, 2007

蘇施黄

香港は映画産業に比べて、テレビはとことん活気がないのか、ヤル気がないのか、予算がないのか(多分その全部)、とにかく番組の質が非常に悪いです。なので、香港のテレビ局の番組を見る場合、ニュースか輸入番組しか見ないのですが、例外的に今回私がハマッた番組をご紹介。

「一粒鐘真人蘇」という番組で、(主に)香港のレストランを紹介する番組です。司会は蘇施黄(女性)。この蘇施黄が非常に食べ物にこだわる人間らしく、レストランの紹介が一応メインなのですが、それだけじゃ時間がもたないのかなんなのか、どうでもいいような雑貨の店の紹介なんかも混じってなんとか1時間、という番組です。

この蘇施黄(おそらく40代後半か50代前半)は、髪型は床屋で切ったようなショートカット、常にヨレっとしたTシャツかポロシャツにパンツ(そこいらのおじさんといった風貌)。化粧っけもまったくなく、むしろ顔中シミだらけで、この司会者が化粧品の店なんかも紹介したりするわけで、もう食べ物だけに専念したほうが、絶対良いと私なんかは思うわけです。

この「香港にある店を紹介する」という以外、全く焦点の定まらないこの番組をなんで私が見続けたか、と言えば、それはひとえに蘇施黄の口の悪さにあります。彼女がおいしいと推薦した店にもいくつか足を運んだのですが、はっきり言ってあんまりおいしくありませんでした。が、それでも「彼女はきっとおいしいと思って紹介しているんだろうな」と視聴者(私)に思わせるのは、彼女はまずいと思った店では店主に向かって「あれもまずい、これもまずい、なんだこれ」ととことん文句を言い続ける姿勢にあります。

たまにレストランや自宅のキッチンで、知り合いから得意料理を披露してもらったりするわけですが、この人物が、細かく「醤油大匙2杯」とか説明し始めると、「後で視聴者から問い合わせの電話がかかってきて面倒だから分量は言うな」と彼女から横槍が入ります。そんな彼女にも関わらず、なぜか別に料理番組まで持っていて、一回につき3〜4品作るわけですが、もちろん分量の説明は一切ありません。

この料理番組もなんともまあシマリがない、というか、蘇施黄・アシスタント・カメラ3人・プロデューサー、でおそらく成り立っている番組なのですが、この6人がウダウダと会話をしながら番組が進みます。魚を蒸している間なんかも蘇施黄はどかっとソファに座り込んで、以前バンコクでいったオカマバーの話なんかを始めます、魚はどうした。そして番組のエンディングは蘇施黄・アシスタント・カメラマンみんなで
その日作った料理の試食(キッチンで立ち食い)。その間、蘇施黄はその日の料理のエピソードなんかを話し続けるわけですが、お箸を持ったスタッフが蘇施黄の前を横切ったりして、まあお行儀悪いんですね。

かなり局地的にしかはやっていない(というかそもそもはやっているのか?)蘇施黄なので、Jamie Oliverの番組のようにDVDを手にいれることはできないと思われるので、香港に行ったさいにはi-cable娯楽台チャンネルをチェックしてみてください。  
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March 03, 2007

香港あれこれ3

なんと言っても、香港生活で私にとって楽だったのは、香港が広東語圏だ、ということです。私はもう広東語は片言も危うい程度にしか覚えていませんが、ダンナはまだ雑用をこなせる程度には流暢なので、これはもう素晴らしいことだと改めて実感しました。

ダンナの普通語(特に会話力)はメロメロなので、北京では必然的に全ての雑用・交渉ごとは私に回ってきます。が、私も流暢なわけではないので、routineの範疇を超えることにはもうしどろもどろです。香港は移民局、アパート賃貸やら銀行業務やらに携わる人は大抵英語も流暢なので、私でもこなせますが、ダンナに丸投げも可能、という可能性があることだけでもかなり楽でした。ちなみこの「丸投げ」が出来ない、というのが、私が「将来的に日本に住むことはないな」と思う理由でもあります(私の忍耐が続かない)。

今となっては広東語と普通語では普通語のボキャブラリーのほうが多いので、断然普通語での会話のほうが楽なのですが、これが香港に住む台湾人の友人にはすこぶる評判が悪かったです。彼女はダンナ様が香港人で義理父母との会話にもまれて、広東語が相当流暢なのですが、北京では私にあわせて適当に広東語と北京語をおりまぜて話してくれていたのが、香港(屋外)ではぜえええええったいに普通語で話しをしてくれません。もしお店などで私がぽろっと普通語で何か言うと「この人、日本人なんです」といちいち店員さんに弁解します。前にも話しましたが、香港人の大陸人に対するネガティブな印象は今でも変わりないので、「広東語ではなく普通語を話す=大陸人=見下される(可能性がある)」になってしまうわけで、彼女はそれがいやなんですね。聞く人が聞けば、彼女の台湾アクセントは一目瞭然なのですが、そこまでつっこんで考えてくれる人はなかなかいないわけです。

と言いつつ、一方で、香港人男性の「台湾女性と結婚したい」願望も「日本人女性」と並んでなかなか強いみたいです(私の周りにも結構いっぱいいます)。以前日本に住んでいたことのある香港人男性も「台湾人と日本人は良いけど、絶対に香港人とは結婚したくない」と力説していました。理由は「例えばデートに5分遅刻したら、香港だったら彼女は激怒して”ごめんねー、何食べたい、何でもおごるからさあ、何か欲しいものない?買ってあげるから”と一日中機嫌をとらなきゃいけないけど、日本や台湾だったら”ごめんね、待った?”って聞けば、”ううん、私も今来たところ”
って言ってくれておしまいだから」だそうです。なかなか真実を突いていると思うのですが、どうでしょう?
  
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March 02, 2007

香港あれこれ2

私の以前住んでいた場所は、駅名自体も「大学」というだけあって、駅の周りには本当に大学しかありません。香港中を縦横無尽に走っているはずのバスやミニバスもなぜか大学周辺にはほとんどなく、「生徒を勉強させるために、大学がバスの路線をわざと限っているのでは」と思うほどでした。そして私はまんまとその術中にはまり、実際滅多に学外には出ませんでした(最長2ヶ月)。

今回住んでいたところは、地下鉄の駅までは多少距離がありますが(徒歩で20分くらい)、いろいろな路線のバスが通っているので、どこへ行くにも本当に便利で、自称出不精の私は以前の分も取り戻すべくせっせせっせと外出しました。ダンナは北京で家の前からタクシーに乗る生活にすっかり慣れていたので、毎日コンピューターを抱えて電車に乗って会社に行くのを「面倒くさい」と文句を言っていましたが、タクシーの運転手との果てしないやりあいに心底疲れていた私は、公共交通機関が素晴らしく発達している香港はまさにパラダイスです(その点では東京も一緒ですね)。

香港のバスは一切「次の停車駅」に関するアナウンスがないので、香港初めて、という場合には「ここはどこ?」状態に陥ってしまうかと思いますが、慣れると地下鉄に乗っていたのでは見られないところへのドライブ感覚が味わえます。私も香港初上陸当時は運転手さんに自分の行き先の紙を渡して運転席の真横に立ち、目的地に着いたら一声かけてもらうようにしていました。

以前は大学の寮に住んでいたので分かりませんでしたが、噂とおり、家賃は高かったです。北京で今払っている家賃の2.5倍払って、広さは今の3分の1以下でした。短期契約のサービスアパートで高くついた、ということもありますが、ダンナは部屋のあまりの狭さに発狂寸前でした(香港育ちのくせに)。勿論ロケーションによりけりではあるのですが、一般的に言って北京では3LDKの場合150平米(以上)が相場かと思いますが、香港だと100平米以下の場合も珍しくはない、という感じでしょうか。私はもちろん香港の部屋の広さに関しては全く問題ありません。東京出身生涯マンション育ちをなめてもらっては困ります。ちなみに「スタジオでも良いから香港に住みたい」という私の最後のお願いは「知ってます」で流されました。
  
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March 01, 2007

香港あれこれ1

大変ご無沙汰いたしております。最後の更新は去年の12月なんですね。

ご存知のとおり、更新をしなかった間、一時期香港へ行っていました。「香港に住む」という意味では、私は4年ぶり、ダンナは実に22年ぶり、でした。4年ぶりの感動の帰港!、といっても、「あの店がなくなった」「あのレストランがなくなった」というレベルを超えての変化は感じないし、ちょくちょく行っているからかもしれませんが、「おお懐かしい!」ということも特にないです。でもまあ北京で3年暮らした後だと、「こんなところに3年間も住んでいた幸せな時期も私にはあったんだなあ」という深い感慨はあります(東京に毎回帰るときも同じです)。

香港の中でも今回は香港島に住んだのですが、ダンナは以前は九龍、私は新界に住んでいたので、香港島に住んだのは今回が二人とも初めてでした。狭い香港なのでどこに住もうとあまり関係ない、と思われるかもしれませんが(私たちもそう思っていたのですが)、これがなかなか、たいそうな違いでした。親戚がほとんど九龍側に住んでいたダンナや大学生活にどっぷり漬かっていた私は、香港島なんて月に一度行くか行かないか、行っても用事を済ませたらさっさとまたかえってしまっていたので、長居をすることがなかったのですね。が、住んでみると、これまた全然違った香港体験でした。

例えば、香港の数少ない観光名所である山頂(Peak)や赤柱(Stanley)には今回3ヶ月で前回3年間の総合計よりも多く訪れたかと思います。山頂や赤柱は私が前回住んでいたところからは2時間近くかかるところだったため、誰かが日本から遊びに来たときくらいしか行く機会はなかったのですが、。今回は山頂はタクシーで10分、赤柱もバスで1本だったので、気軽に散策することができました。

私たちが住んでいたのは最寄り駅でいうと中環(Central)、地域的に言うと半山(Mid-levels)で(端的に言えば)香港アッパーミドル&駐在員の生活圏ということになります。まず外人がとにかく多い、多い、多い。その分、大部分のローカルの人にとってはあまり馴染みのない土地なのではないかと思いますが。「こんなにいっぱいの外人が一体ここで何をやってるんだ」とダンナ(香港就業希望)もこぼしていました。
アパートの周りの飲食店もwestern foodが圧倒的に多かったです。今回滞在3ヶ月で食べたwestern foodの回数は、(またしても)前回3年滞在したときの合計回数を余裕で超えています。倍以上かも。スーパーもとにかく驚異的な輸入品の品揃えです。駐在フレンドリー度では広尾のNationalの上を行きますね。日本食の品揃えもかなり素晴らしく、すりゴママニアの私が日本でドカ買いをする「へんこごま」までありました。すごすぎ。

かと言えば、そこここになかなか気の利いた中華料理のおもいくつかあります。私たちがかなり通ったのは、蘭桂芳にある「黄枝記」という粥麺のお店。麺で元々は有名になったお店らしいのですが、お粥も素晴らしく美味しいです。香港の空港に支店があるらしいので、トランジットでも寄る場合には試してみてください。

焼味マニアのダンナはしょっちゅうお持ち帰りをしていたのは結志街にあるAnthony Bourdainと白鵬(変な組み合わせですね)オススメのお店(名前は失念)。こういうお店で叉焼や焼肉を買うだけで主菜になってしまう、そしてダンナが本当に嬉しそうに食べるなんて、主婦的には願ったり叶ったりです。

中環で今回私がよく通ったのは香港一と言われる蛋撻(エッグタルト)を売るベーカリー、泰昌餅家。ここはLast Governer Chris Pattenのお気に入りということでいちやく有名になったお店です。留学時代もたまたま香港に立ち寄ったChris Pattenがここのお店の蛋撻を頬張る写真を新聞で見たことがありましたが、実際にどこにあるかは知りませんでした(とにかく香港島に行くこと自体が稀だったので)。まあ「Chris Pattenに薦められてもねー」と思っていたところ、今回の滞在中私が食のガイドブックとしてしょっちゅう参考にしていた「香港味道」という本でもオススメのお店になっていたので、「ならば」ということで試してみました。結構甘いですが卵黄の味も濃厚で本当に美味しかったです。友達に会うときの手土産にも非常に喜ばれました。蛋撻なんてまあどこも一緒だよ、と思っていたのが、根底からくつがえされました。もう美心の蛋撻なんて絶対に食べられません(留学時代はがつがつ食べていたくせに)。ちょっと観光客には分かりにくいところにありますが、本当においしい蛋撻を食べたい、という方にはオススメです。買ってすぐ食べるのが一番おいしいのですが、「立ち食いはちょっと」という場合、隣のPacific Coffeeでコーヒーを買えば、
店内で結構おおっぴらに持ち込んだ蛋撻を食べても何も言われません。同じことをしている人にたびたび出くわしました。

ちなみにこの「香港味道」という本、1〜4まであるらしいのですが、「香港らしい」とされる食べものに関して、毎項目3〜4店程度紹介をしています。おなじみ蝦餃、叉焼など正統派なものからインスタントラーメン(香港では立派なメニュー)、ミルクティーなど、「本当に店ごとにそんなに違いがあるのか」と首をかしげたくなるものまでエントリーはさまざまです。香港に行って「日本のガイドブック(←かなりのリサーチ力ですが)にも載ってないような意外な食べものを食べてみたい」というような希望があれば、この本を参考にしてみると興味深い食べものに出くわすかもしれません。大抵の中国語系の書店で扱っているはず。

この本の紹介で当たりだった中環のお店をもう1軒。港式茶餐店というお店なのですが、数あるメニューの中でここのオススメは干炒牛河という醤油味の牛肉のやきそば。麺はきしめん風なのですが、他のお店で使っているものより麺が細めでこしがあるところが特徴です。「香港味道」のオススメのお店・メニューをいくつか試したなかで、ここの干炒牛河はダンナと私が即一致で「おいしい」と太鼓判を押した数少ないお店です。

黄枝記
中環威霊頓街15B

泰昌餅家
中環擺花街35號

港式茶餐店
中環徳輔道中84−86號章記大廈地下
  
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December 08, 2006

歯医者考

お久しぶりです。毎度毎度更新しなかった言い訳をするのももういい加減にしろ、という感じなので、言い訳はしません。はい、更新しませんでした。
その間
*2年ぶりにプーケットへ―極楽
*義理母が3週間に渡り来中―しんどかった、の一言
*我が母と5日間香港へ―一応母の還暦祝いという名目だったのですが、私のほうが楽しんでいたに違いありません
なんてことがありました。

さてさてここで本題。質問なのですが、皆さんが日本で通っている歯医者の治療法ってどんなですか?

話は遡ってまだ私が日本で働いていた2003年のこと。12月には退職が決まっていたので、保険の利く間に、と駆け足で治療の必要な歯は全て治療を済ませました。ほとんどは軽度〜中度の虫歯だったので、虫歯のあるところを削って銀を詰める、というものです。手順としては
*虫歯の程度を見る
*削る
*型を取る
*次週に型を取った部分の詰め物をはめる
の繰り返しなわけで、少なくとも1本の歯につき1週間は必要です。

私は歯磨きの仕方が悪いのか、定期健診に行くと必ず複数の虫歯が見つかるので、結果、私の歯は銀の詰め物だらけです。「審美歯科」なんて言葉を知ったのは、松田聖子の再婚のときで、それも、「保険でカバーされない歯の治療なんて庶民には関係がない」と思い、銀の詰め物が一般的な治療なのだと思っていました。

そんなこんなで退職までに見事全ての歯の治療を終えたのですが、なんと1月初旬にはそのうちの一つの銀の詰め物が外れる、というアクシデント発生。でもよくよく考えてみたら、今度は一応駐在妻になったわけで、ダンナの扶養家族としてちゃんと保険がカバーされていたんですね。ただ内科はともかく、海外の歯医者はどうも抵抗があったのですが、そんなことを言っていてもこの先いつ日本で歯の治療が受けられるかも分からないので、1月下旬にバンクーバーに戻ったさいに、毎年恒例の定期健診のダンナにくっついて、私も詰め物を治してもらうことにしました。ちなみにこのバンクーバーでの歯医者以前に私が行ったことがあるのは、実家の近所の歯医者1軒のみです。

ちなみに私の銀が外れたとき、うちのダンナには非常にバカにされました。まずは銀を使う、ということについて。そしてそれが1ヶ月未満で外れてしまったことについて。でもこの段階では私は「銀の詰め物」以外の選択肢をまだ知らないので、治療後1ヶ月で外れた銀についてはともかく、それ以上のことについてはダンナの言っている意味があまりよく分かりませんでした。

そしてバンクーバー。歯医者はまず私の治療後を見て、「ひどい治療ですねー」の一言。「そのうち、銀の詰め物、多分全部取れちゃいますよー」とも。え?そうなの。それにしても、それを全て治すにはあまりに量が多いので、とりあえず既に取れてしまった一つと、「多分そのうちすぐに外れる」と歯医者がめぼしをつけた歯の詰め物を入れ替えることを歯医者が提案。

実家の近所の歯医者以外を知らない私は、当然バンクーバーの歯医者も同じ治療の手順を踏むものと思い、「私、来週には北京に帰るんですけどそれまでに治療、終わりますかね」と質問しました。歯医者は一瞬「何を言ってるんだ、この人」という顔をしたあと、「全部1時間で終わります」と言い放ちました。今度はこっちがびっくりする番です。1時間!

「でも型取ったりしないんですか」とたたみかけたところ、「そんなもの使いません」とのこと。バンクーバーの歯医者では削った後に白いセラミックのようなものを
歯にその場で詰めます。治療後数時間はものを食べることはできませんが、治療が速いし、何より白いので仕上がりが非常にきれいです。

治療の速さ、手順にも驚きでしたが、さらに治療の進行の仕方にも驚きました。まず個室にテレビがあるんですねー。テレビを見ながら治療できるんですよ、素晴らしくないですか、コレ。しかも個室なのでprogram of my choice。そして歯茎にしっかり麻酔をするので痛みはほとんど感じません。

実家の近所の歯医者は私程度の治療(削りがメイン)にほとんど麻酔を使用した覚えがありません。「痛かったら手を上げてくださいねー」と言われましたが、手を上げても「もう少しだから我慢してくださいねー」と励ましの言葉をいただけるのみ。でも、バンクーバーでは少なくとも歯茎にはばっちり麻酔が効いているので、home & gardenTVを見ている間に治療は終了です。カナダ人はちょっとの痛みで「痛い、痛い」と大騒ぎするのかなんなのか知りませんが、麻酔をしない治療にすっかり慣れている私は、治療の最後には「我慢強いですね」とお褒めの言葉までいただいてしまいました。そりゃどうも。

これ以来、「歯医者」は毎回バンクーバーへ行くたびに「必ずすべきこと」リストのトップです。あまりに感動して、実家の母にも興奮して「バンクーバー歯医者体験」を報告したところ、母には非常に羨ましがられました。そりゃそうですよね。テレビを見ている間に全ての治療が終わるなんて、少なくとも実家近所の歯医者に慣れている身としては、まさに一種のa dream comes trueです。

月曜日に2003年の悪夢の銀の詰め物がまた一つ落ちてしまったのですが、今回は当分バンクーバーに行く予定が今回はないので、今日初めて北京でカナダ人歯医者のいる病院に行ってきました。テレビが頭上の垂直方向にあったので、見ることができなかった以外は、まったくバンクーバーと同じ治療手順、しかも、またしても「日本人は我慢強いので大好きです」とのお褒めの言葉をいただきました。

ただ、実家の近所の歯医者って決して見るからに時代遅れなおんぼろ歯医者ではないんですよ。むしろ、2003年のつい1年かそこいら前に大掛かりなリノベーションをして、色々新しくなったばかりだったのです。一体、この治療方法の大きな相違は一体どこから来るのでしょう?

責められるべきは実家の近所のヤブ医者?それとも日本の歯医者業界?もし実家の近所の医者だけが悪いのであれば、教えてください。家族に「もう行くな」と通達したいと思います。  
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September 26, 2006

自分のための覚え書き - 2006 China Open 観戦記録

Sep. 20
L. Davenport 7-6/3-6/7-5 A. Chakvetadze

Sep.21
L. Davenport 6-2/7-6 鄭潔
李娜 3-6/6-1/6-1 E. Vesnina

Sep.22
L. Davenport 4-6/3-6 A. Mauresmo
Bartoli/Dulko 6-3/7-5 孫勝男/季春美

Sep.23
S. Kuznetsova 6-0/6-2 彭帥
Pascual/Suarez 6-4/6-2 Laine/Martinez
A. Mauresmo 6-1/3-6/7-6 J. Jankovic
  
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September 25, 2006

Davenport Week そして Grand Finale

先週1週間はおそらく私が中国に来て2年半でもっとも盛り上がった1週間でした。それと言うのも、US Open Tennisの直後から始まったChina Open Tennisが2週目に入り女子シングルスが1週間に渡って行われたからです。

去年もおととしも人からチケットをもらったので1日か2日か見には行きましたが、今回は自腹で水曜日から土曜日まで4日連続で見に行きました。というのも、今回は私のアイドルDavenportが出場したからです。去年も彼女はエントリーはしていたのですが、直前に故障で欠場したのを会場で知り、非常にがっかりしたのを覚えています。

大学時代に始めたテニスですが、はっきりと「テニスが好きだ」と思えるようになったのはここ最近の気がします。大学時代はテニスを通じて知り合った友人は好きでしたが、テニス自体は好きなんだか好きじゃないんだか、取り巻く状況が色々面倒でよく分かりませんでした。留学・就職時代は食事と睡眠の時間(後に遠距離恋愛をする時間)を確保するので精一杯という感じだったので、運動からはすっかりごぶさたしていました。北京に来てから「この半鬱病のような生活をなんとかしなければ」ということでまた再開したテニスが予想以上に楽しく、今は趣味はと聞かれれば、「テニスはするのも見るのも好きです」と答えると思います。なぜそこでDavenportかを語りだすということはここでは省略しますが、ともかくテレビでテニスの放映があれば、Davenportの試合は必ずチェックしています。

この1週間ほど「ここが中国であること」を満喫した週はなかったのではないかと思います。
*チケットが安い、且つ余りまくっている(らしい)。なので、当日の朝にドローをチェックしてDavenportの試合のチケットを手配しても余裕で間に合います。さすがにsemi finalのチケットは一日通しでそれなりの値段でしたが、最初の3日は(少なくとも)日本人の私的にはただも同然の値段でした。ダンナもテニスは好きなものの、さすがに私のDavenport熱には辟易していたようですが、チケット代があまりに安いので
渋々付き合ってくれた、という感じでしょうか。
*タクシーが安い。なので、水曜日以降「我が家→ダンナの会社→テニス→帰宅」を繰り返していましたが、金銭・時間的なダメージが非常に少ないんですね。土曜日のsemi finalの2試合の間には、「正午の試合を観戦→一旦帰宅→またnight gameへ」、なんてこともしました。東京の実家⇔有明、だったら絶対しません、こんなこと。
*マネージメント・観客ともに相当いい加減。普段はこの「適当さ」に文句をたれる毎日なのですが、今回に限っては「中国様様」でした。例えば、チケットに明記してある自分の座席になんて誰も座らない、早いもの勝ちです。スタジアム自体も有明よりずっと小規模なので、例え座席が一番後ろでもかなりよく見えるのですが、テニス自体の人気のなさも手伝ってか、常に前列1列目から4列目のどこかの席を陣取ることができました。選手の表情や筋肉の動きはもちろん、ため息まで聞こえる距離です。

これはあくまで私の印象の話ですが、前回のテニス女子ダブルスのオリンピックで
中国人ペアが金メダルを取って以来、中国人女子選手の活躍には目を見張るものがあり、特に今年は全仏・ウィンブルドンでも中国人ペアが優勝したこともあったので、
チケットの入手は困難かな、とも思っていたのですが、中国人選手自体の地名度はともかく、テニスという競技自体はまだそれほど中国では浸透していないようで2年前と動員数ではそんなに違いを感じませんでした。実際の数字がどうなっているのかは分かりませんが。全体的に4日間通じて「チケットを人からもらったから来てみた」という空気を周りに感じました。

でもまあ周りはどうでも良いのです。というか、これほど周りが何をしようがどうでも良かったのは中国に来て以来初です、本当に。相変わらずスラックスを膝までたくしあげて革靴にナイロンのソックスをはいているようなおじさんが試合中にタバコは吸うわ、携帯の着信音は鳴るわ、その電話をしっかり取って大声で話すわ、普段の私であればブチ切れているところだったのですが、目の前でDavenportが試合をしているのに、そんなおっさんたちに構っている余裕はまったくなかったのです(ちなみに選手によっては観客のなんでもありぶりにかなりブチ切れている人もいました。)結局金曜日の夜のquarter finalでMauresmoに負けてしまったのですが、目の前で正真正銘本物のDavenportが試合をしているのを3日続けて見ることができたのは、本当にラッキーとしか形容のしようがありません。毎晩大興奮でダンナ相手に「中国にいて良かった」と感謝の言葉を述べました。ダンナも私からこれほど「中国」について感謝されることは稀なので、まんざらでもなかったようです。

残念ながら金曜日の夜に既にDavenportは負けてしまったのですが、私は「Davenportは絶対に勝つ」という信念のもと、結構なお値段のsemi finalの1日通し券を既に購入してしまっていたので、土曜日も「もうテニスは一生分見た」と顔に書いてあったダンナをひきづってまた見に行ってきました。Semi finalの第一試合はそれこそあっという間にKuznetsovaが勝ってしまい、その後のダブルスもなんだかダラダラした試合で、あくびばかりでてくるので、さすがに途中で帰ることに。

するとここでものすごいことが!なんと外でDavenportがサイン会をしていたのです。
整理券も何もない様子だったので、急いで列に並び、ダンナに何かDavenportがサインできそうなものを買いに走ってもらいました(私が並んで3分後くらいには列が締め切られていました、本当にラッキー)。私の番が回ってきたときにはもう体中震えているし、頭真っ白だし、もう何がなんだか訳が分かりませんでした。正気に戻ったときには手元にダベンポートのサイン入りのテニスボールがあった、という感じです。ダンナに後から「なんか話かけたの?」と言われましたが、そんな余裕はゼロです。「I'm a huge huge fun of yoursくらい言えば良かったのに」と言われましたが、本当にもういっぱいいっぱいだったんです。私の代わりに言ってくれれば良かったのに。おまけに私の後ろに並んでいたダンナにDavenportが「You?」と聞いてくれたのに、「I am just with her」と言って、そのまま通りすぎてきちゃってたんですねー、この男。なんてこったい。

しかし私のラッキーはなんとここでは終わらなかったのです。大興奮のまま、とりあえずnight gameまで時間が結構空いてしまうので、一旦帰宅することに。タクシーに乗りこみ、信号待ちでふと振り返るとバンが。なーんと、Davenportのバンだったのです。私がタクシーの後部座席で大興奮して暴れている姿をバンの運転手さんが気づき、後ろに座っているDavenportが私から見えるように体をずらしてまでくれたのです。しかも、それに気づいたDavenportがさらに手を振ってくれるという自体にまで発展。もう本当に脳溢血になるかと思いました。信号で右折するDavenportのバンはさらに私たちのタクシーの横付けになり、Davenportは自分の横の窓を開けようとまでしてくれていたのですが、どうやら窓は開かない仕様になっていたらしく、そして信号も青になったので、時間切れ。Davenportのバンは右折、私たちは直進したのでした。あまりの私の興奮ぶりに、ダンナは「ホテルまで追っかける?」と一応聞いてくれのたですが、それではなんだかストーカーになってしまいそうだったので、そこは30を過ぎた人間の理性でやめておきました。

本当に大興奮の1週間でした。アドレナリンでまくりです。「冬ソナ」ついでに韓国まで旅行に行くおばさまたちを「なんなんだ一体」と思ってみていましたが、自分も潜在的にまったく変わらないことを自覚した1週間でもありました。

Davenportのサイン入りのボール用は「私の棺桶にまで持っていくんだから、触らないで」とダンナには厳命し、専用ガラスケースをcustom madeすることにしています。ダンナは呆れていますが、アイドルやその他情熱の傾け先は人それぞれ、ということで無視です。

肖像権とかどうなっているのかよく分からないのでDavenportの写真を
ブログには載せませんが、もし見たいという人がいたら次回帰国のさいにお見せします。  
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September 14, 2006

そこまで具合が悪いわけでは

お久しぶりです。何とかかんとか日常生活に復帰しようともがいているうちに9月も半ばです。

8月いっぱいで帰国になった友人が複数あり、送別会ラッシュをなんかとか乗り越えたものの、日本から帰国して以来、頭痛にめまいと貧血のような症状がずっと続いていました。さすがに1ヶ月以上経つので、遂に重い腰をあげて病院へ行ってきました。

私の家の近所に(言語的に)外人にも対応できる病院が一軒あるにはあるのですが、ろくな医者がいないことで有名です。かと言って評判の良い総合病院は我が家からはかなり遠いので、体力的に家の近所の病院へ行くことに。

友人から「あの病院のなかでも、まあ良いのでは」と紹介されたX先生の予約を30分後に入れていったのですが、着いてみると急患とやらでX先生は不在。「30分前に予約を入れたのにどういうことだー」とまた不毛なやりとりを不毛と分かっていながら一通りしたあと、「この先生は悪くない」と受付嬢が必死に薦めるY先生で手を打つことに。

このY先生(女性)。ひとしきり問診をしたあと(症状はどんなか、どれくらい続いているのか、食欲はあるか、目はちゃんと見えているか等々)、「妊娠しているんじゃないの」と言い出しました。妊娠をしたことはなくても妊娠の基礎知識くらいはありますから、妊娠していないことは私には明確なわけです。ところが「そんなの尿検査してみなければ分からない」と向こうはねばってくるので、そんなのこちらにしてみればお金と時間の無駄なので「必要ない」とつっぱねました。するとこのやぶ医者、「じゃあきっと脳腫瘍よ、MRIかCTを撮らないと。」と言いだしました。しかも「若い人には脳腫瘍はよくあることだから」と言ったうえで「Nothing special」を連発するのです。

どうして「妊娠」じゃなければ「脳腫瘍」なのか、その論理が私には全く見えないし、もし本当に「脳腫瘍」だったら一大事、speciaもlspecial、この年で脳腫瘍になった人の話なんて聞いたことありません。

とにかく問診だけで脳腫瘍を断言するこの医者の無責任にもほどがあるので、当初予約を入れたX先生が戻り次第、電話をもらえるよう伝言を残し、一旦診察代を払わずに帰宅しました。そして電話をもらったので、再度病院に行き、X先生の診察を受けたところ、勿論、ただの風邪でした。

北京に来て以来、一体何度血液検査を受けさせられたかもう数え切れません。どう考えたってただの風邪と思われるときでもとにかくいつでも血液検査をします。日本でも香港でも血液検査なんて一度でもしたことがあったかどうかすら分かりません(香港でただの発熱に救急車に乗せられたことはありますが)。

現在の中国の保険制度のabuseはなかなか深刻なものらしく、「請求の保険料があまりに高いので、保険会社が調べてみたら、薬を保存する冷蔵庫の購入代まで入っていた」というジョークもある、という新聞記事を読みましたが、患者にしてみれば、検査をされればされるほど、「え、私の症状ってそんなに深刻なんですか?」と心配がますばかりです。

まあ、患者を脅すだけ脅して「とれる保険料は全部取る」ハゲタカ的な中国の病院にほとほと嫌気がさす一方で、それに診察代無払いで反撃する私も、相当ツラの皮が厚くなってしまったものよ、とせつないところですが。

今は全開です。やや時間はかかりましたが、ものすごいアドレナリンラッシュがあったので。それについては次回のエントリーでまた。  
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August 12, 2006

日本病

ちょっと前のことになりますが、日本に2週間ほど帰国していました。8ヶ月ぶりです。この「8ヶ月」という頻度が他の人との比較で多いのか少ないのかは分かりませんが、私のこれまでの帰国の頻度からいくと、「だいぶ長いこと帰らなかった」に相当します。

今年で海外で生活するようになって(間に1年をはさんで)6年目に突入していますが、いまだに一度日本に帰ると、戻ってきてから生活のペースをつかむのにかなりの時間がかかります。日本でハメをはずしすぎているからでしょう。

日本に帰らない間こちらでそれなりの生活のペース(って別にペース配分をするほど
予定がつまっているわけではないのですが)があって、NHKのニュースを日々チェックはしていても、実はそれほど切実に「日本が恋しい」と思っているわけではありません。例えば日本人の友人から「日本に帰りますけど何か買ってきましょうか」と声をかけてもらっても「うーん、別に何も思い浮かばないや」という感じです。今回、5月に一度日本に帰ろうとして結局8月まで延期になったのですが、それはそれで「ああ、そうですか」という感じでした。飛行機のチケットを予約するときも「まあ2週間もあれば十分よね」とさえ思います。

が、一度日本に帰ってしまうと、「日本という実態に対してクールに構えていた私」
は一気にどこかへ吹き飛んでしまい、2週間は本当に怒涛の毎日です。実際に日本に生活基盤を置けば、それはそれでまた日々の生活はなかなか大変なのだろうと思いますが、2週間という期限付きの観光客のような私は「そうだ、日本にいるだからあれもしなきゃ、これもしなきゃ、そうだー、日本にはこれもあったんだー」とまるでおのぼりさんのような毎日です。そして2週間の滞在の最後には「次回はもっと長く滞在しよう」と心に固く決意します。ダンナには言いませんが。

まあ、その「次回」がいざめぐってくると、毎度のことながら前回の決意を忘れて2週間くらいのチケットを購入するんですけど。

ともあれ、毎回この調子なので、日本から帰ってくると決まって風邪をひきます。今回は特にひどく発熱やら貧血やらでほぼ2週間近く家のなかで呆然としていました。義理母に「あなたは貧血がひどいんだから飲みなさい」と渡されたものの、苦いので、
2年間飲まずにほったらかしてあった漢方を遂に自主的に飲みだしたほど、辛かったです(今も飲みながら書いています)。「慣れれば苦味も結構イケル」というのはかなり強がりですが、2週間近く毎日欠かさず飲んでいるので、まあ味には慣れました。何より、日常生活が普通に営めるようになったので、効いているのだと思います。

何はともあれ、日本にいた間、忙しい中会ってくださった皆様どうもありがとうございました。また次回、よろしくー、って誰かその前に北京遊びに来ないのかしらん。  
Posted by beijinghome at 17:42Comments(0)TrackBack(0)