Daikoh Nagato
Hiroyuki Nagato/1948年4月6日生まれ、滋賀県出身。
株式会社ギザ、ビーイング
この記事の更新日:2016年7月22日


ビーイングの創業者で、ビーイング全盛期のチーフプロデューサー。

ビーインググループ創設者
作詞家、作曲家、編曲家、プロデューサー
TUBE・B'z・ZARD・T-BOLAN・WANDS・大黒摩季・DEEN・倉木麻衣さんらをデビューさせる

Produced by Daikoh Nagato (Being)

元々アーティスト志望でフォークグループ赤と黒のリーダーとしてテイチクからデビューも経験しているが、阿久悠さんの事務所に入り作曲家として活動していたという。
1978年に、織田哲郎さんらを擁し音楽制作会社ビーイングを設立。
ブルース好きが高じて妹尾隆一郎さんのマネージャーも務めた。
弟の長戸秀介さんは織田哲郎さんとWHYというグループを組んでいた元アーティストで音楽プロダクションレイズインの代表。(ビーイングとは無関係)

話は反れるが黎明期のメンバーで元副社長の月光恵亮さんはその後独立し音楽制作会社パブリックイメージを設立、ZIGGYやLINDBERGが大ヒットしたあと急拡大し松田樹利亜さんやZNXといったパブリック系アーティストを抱えた。
ビーイングブームと同時期に活躍。1995年には田村直美さんも大ヒットさせている。

初期のビーイングでは三原順子(現 じゅん子)さん、LOUDNESS、TROUBLE(のちのTHE虎舞竜)、BOOWY亜蘭知子さん、大森絹子さんなどをデビューさせている。
1980年代のヘビメタ・ハードロックのブームには本城未沙子さん、浜田麻里、早川めぐみさんといったイニシャルがHM、早瀬ルミナさんといったイニシャルがHRの女性アーティストのプロデュースを担当。
ここに挙げたアーティストはあくまで一部でこの時期は相当数のアーティストの制作に関わっている。
詳しくはNANAKAKUさんのページを参照ください。(http://cham.ne.jp/bbp/)
大手レコード会社となった現在とは異なり何から何まで自前のシステムでできたわけではなかった。

最初の転機は1985年デビューのTUBEのヒットだったのではないだろうか。
自ら主催したシルクロード音楽祭で発掘(ということに)している。いわば生え抜きのアーティストである。
TUBEには自前の作家兼アーティスト織田哲郎さんや栗林誠一郎さんの楽曲を採用した。
TUBEが売れ出して、TUBEの音楽制作に関わる仲間たちが結集した企画モノユニット渚のオールスターズはその後のビーイングに繋がる重要ワークス。
楽曲のリサイクルや自前のアーティストの交流(コーラス、提供、演奏参加)が活発化している。

その後、実力派アーティストによる企画アルバム『PLAYERS POLE POSITION』シリーズを展開。
シリーズはVol.3まで制作されVol.2ではビーチボーイズ、Vol.3はクリスマスもののカバーでした。
いずれもその後、Royal Straight SoulシリーズであったりMi-ke、GIZA studioの企画アルバムで同様のカバー作品を制作しています。
たぶんこのへんは長戸さんの完全な趣味なんでしょうね。

80年代後半にはBLUEWというロック・パンクバンドを東芝EMIでやってます。
ビーイングサウンドを支え続けているDIMENSIONの増崎孝司さんが在籍していたことでも知られています。

ビーイングは自前のレコード会社を設立する前は、既存のレコード会社と手広く関わっていましたが中でも特に深く関わっていたレコード会社があります。
その時代、時代で集中的にアーティストを預けており、よりやりやすいメーカーに乗りかえていったものと推察されます。

★ビクター音楽産業(現ビクターエンタテイメント)
BOOWY・浜田麻里



★CBS/Sony Group(現ソニーミュージックレコーズ〜Sony Music Group)
TUBE・渚のオールスターズ・織田哲郎・亜蘭知子・大森絹子
J.A.M. CreamTears



★BMGビクター(現 Sony Music Labels/Ariora Japan)
B'z・栗林誠一郎・B.B.QueensMi-ke関ゆみ子
DIMENSIONDEEP'S・織田哲郎・坪倉唯子・近藤房之助
BMGルームス
※かつて存在したRhizomeレーベルはビーイングの音楽を支える重要なアーティストのみが冠すことができた(織田哲郎・坪倉唯子・近藤房之助・DIMENSION)



★ポリドール(現 ユニバーサルミュージック)・b-gramレーベル
ZARD、水島由紀子中畑幾久子



★テイチク・Bi-tam-ingレーベル
KEY WEST CLUBW-NAOQunchoCRYSTAL WARS



自前のレコード会社が相次いで設立されたあとに日本コロムビアには専用レーベルB-C(Beat reC)が設置され多くの作品を供給している。

------|--話をもどそう。
1990年からB'zのブレイクがあり、B.B.Queensの『おどるポンポコリン』大ヒットを皮切りにビーイングブームは始まっていく。
B.B.Queensやそのコーラス隊Mi-keでは長戸氏自身がプロデューサーのみならず作詞家としても積極的に参加している。

Royal Straight SoulシリーズはPLAYERS POLE POSITION同様、ビーイング系アーティスト、ミュージシャンが中心(全てではない)の企画盤だが音楽への愛情とスタジオミュージシャンへのリスペクトが込められている。
また、その後売れていった新人歌手たちが参加していた点も見逃せない。

T-BOLANZARDWANDS大黒摩季さんが相次いでブレイクした1992年以降いよいよ全盛期に突入していく。

1993年は『ビーイング系ブーム』と呼ばれるなどその勢いは凄まじいものがありDEENMANISHREV・・・次々と新人が送り込まれヒットを飛ばした。

耳病の悪化にともなって1993年を以って長戸氏が引退したとされていましたが、本当に引退したなどと真に受けていたビーイングファンはいなかったのではないだろうか。
実際、FIELD OF VIEWPAMELAHといった長戸氏が目をかけていた人材が在籍するアーティストが1995年にデビューしている。

1996、1997年前後から確かに東京がおざなりになっていきました。
東京組のアーティストへのプロデューサーとしての関わりに大きな変化もあったんだと思います。
各アーティストのセルフプロデュース化、関西とZAIN PRODUCTS(東京)との距離感。
ファンの間でも東京組の衰退が話題になっていました。
長戸氏は小松未歩さんのブレイクをきっかけに本格的に関西を拠点を移し、メジャーレーベルAmemura O-town Record設立→GIZA studio設立の流れへ。

以降、明石昌夫さんの離脱、織田哲郎さん、栗林誠一郎さんとの決別なんていうビーイング史上に残る大事件もありました。
大黒摩季さん、葉山たけしさんの離脱も余りに衝撃的でした。
全盛期を支えた人達の相次ぐ脱退はビーイングにとっても打撃だったでしょうね。
長戸氏が関西に移ってから起きた事なので何かあったのだろうかと感じます。

そして1999年12月にデビューさせた倉木麻衣さんの大ヒットによりビーイングの中心はGIZA studioになっていくのです。
大阪にもスタジオがあるので東京組のアーティストもしばしば大阪にレコーディングに出かけることもあったようです。

倉木麻衣さん以降、安定して売れる新人アーティストは出ていません。(強いて言えば愛内里菜さん、GARNET CROWくらい)
古株であるB'zが現状、主な売り上げを担っている状況が続いています。
余り良い状況とは言えません。
2007年には坂井泉水さん、阿久悠さん、2008年には塩次伸二さん、樋口宗孝さん・・・と長戸氏に縁のあった方々が立て続けに永眠されました。

長戸氏の企画力、プロデュース能力はもちろんだがビーイングサウンドを支えてきたのは
数々のミュージシャンであり、多くのビーイング作品に参加しているDIMENSION、そして明石昌夫さん、葉山たけしさん、池田大介さん等アレンジャーであったことは言うまでもない。
ビーイング・ギザは明石さん、葉山さん、池田さん以降、スゴ腕アレンジャーが育たなかったという問題点をいまだ抱えている。そのため徳永さんが馬車馬のように働かされていた。(笑)

2016年に公開された長戸大幸さんのインタビューは必見です。

■代表的なプロデュース作品(アルバム)
-長戸大幸-
・ZARD『HOLD ME』(1992・106万枚)★
・ZARD『揺れる想い』(1993・223.9万枚)★★
・大黒摩季『DA DA DA』(1993・67万枚)☆
・大黒摩季『U.Be Love』(1993・54万枚)
・大黒摩季『BACK BEATS #1』(1995・286万枚)★★
・WANDS『時の扉』(1993・160.8万枚)★
・WANDS『Little Bit...』(1993・86.4万枚)☆
・T-BOLAN『BABY BLUE』(1992・45万枚)
・T-BOLAN『夏の終わりに〜Acostic Version〜』(1992・37.3万枚)
・T-BOLAN『SO BAD』(1992・92万枚)☆
・T-BOLAN『HEART OF STONE』(1993・86.6万枚)☆
・T-BOLAN『LOOZ』(1992・61.8万枚)☆
・TUBE『N・A・T・S・U』(1990・15万枚)
・TUBE『湘南』(1991・42万枚)
・TUBE『Smile』(1992・29万枚)
・TUBE『納涼』(1992・47万枚)
・TUBE『Say Hello』(1993・33万枚)
・TUBE『浪漫の夏』(1993・90万枚)☆

※B・M・F(=長戸、ビーイング)名義でプロデュースした『OH MY LOVE』『DEEN』『砂時計』『永遠の夢に向かって』など1994年以降のスタジオ作品は除く

-KANONJI-
・小松未歩『謎?』(1997・38万枚)
・小松未歩『小松未歩2nd 未来』(1998・60.1万枚)☆
・倉木麻衣『delicious way』(2000・345.1万枚)★★★
・倉木麻衣『PERFECT CRIME』(2001・131.7万枚)★
・倉木麻衣『FAIRY TALE』(2000・70.8万枚)☆
・倉木麻衣『Wish You The Best』(2004・94.8万枚)☆
・愛内里菜『Be Happy』(2001・30.7万枚)
・愛内里菜『POWER OF WORDS』(2002・41.9万枚)

☆60万枚以上
★100万枚以上

レイズイングループ

長戸大幸氏の実弟、秀介が代表を務める音楽プロダクション。
ビーイング系がブームの際には、その恩恵にあやかろうと(?)ビーイングを意識したアーティストを次々と送り出している。
かろうじて藤重政孝というイケメン・シンガーが結構売れた。(イニシャルも合わせ福山雅治を意識)
RSマークを目印にBLOW・須藤あきら・市原真紀・田嶋里香などを輩出。
Mi-keに対抗してポチをデビューさせ『恋のフーガ』を歌わせたり。自身のイニシャル(SN)をレーベル名にしたり兄に近い遊びゴコロはあるのかも知れない。
なぜか兄弟でプロデュースしたアーティスト柳原愛子さんがいる。
また、柳原さんに声質(ZARDにも通じる)のよく似たWaterというアーティストも手掛けた。
そのインディーズレーベルの販売・流通はビーイングに委託している。
ただし、柳原愛子以外の作品の制作にビーイングは関与していない。(別物です)

http://rey-s-in.co.jp/

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