<あれも聴きたい、これも聴きたい>

フィレンツェ五月音楽祭

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◆少し面白いCDが手に入った。写真はイタリア出身の指揮者、リッカルド・ムーティ。そのムーティさんが1969年から1981年までの12年間音楽監督をしていたフィレンツェ五月音楽祭の1973年と1974年の録音。

◆2曲の協奏曲が収められており、その組み合わせが実に珍しい。ひとつは巨匠リヒテルのピアノによるベートーベンのピアノ協奏曲第3番(1974年)、そして今一つが、なんとベネズエラのギタリスト、アリリオ・ディアスによるアランフェス協奏曲(1973年)なのだ。

◆この録音があることは随分前から知ってはいた。しかし当時は特別聴いてみたいという気があまり起らずそのままになっていたが、先日タワーレコードのネットショップを見ていた時偶然目に入り、つい聴いてみようという気になってしまった。

◆しかし発注はしたものの、実のところはちょっと後悔していたのだが、キャンセルするという気もあまり起らなかったため、何日か前に届いてしまったというわけ。(あたりまえか)
ではなぜ後悔したのかというと、アリリオ・ディアスの演奏が聴く前からなんとなく想像できるような気がしたからだ。

◆アリリオ・ディアスのアランフェス協奏曲はすでに2枚のLPを持っている。1枚はフリューベック・デ・ブルゴス指揮のもの、もうひとつはアタウルフォ・アルヘンタ指揮のもので、両方とも国内盤として出ている。二つの録音には10年以上の隔たりがあるが(当然アルヘンタのものの方が古い)、ディアスさんの演奏には基本的な変化はあまりない。

◆ディアスは私の最も好きなギタリストの内の一人で、来日の際生の演奏も聴いたし、実は私はディアスさんの前で演奏したこともある。
ディアスさんは過去に1回しか来日していないと記憶しているが、その際(私が高校生のころ)、名古屋の荒井貿易の入っていたビルの地下にあったギター喫茶「アリア」で、ディアスさんのリサイタル終了後のパーティーにおいて、誰か1曲弾いて欲しいということになり、不肖私がディアスさんの前で弾くことになった。

◆その当時、名古屋でリサイタルを開いた海外のギタリストは、リサイタル終了後、全て荒井史郎さん(荒井貿易創業者、社長)主催のパーティーに来ることになっており、私達クラシックギターファンは、いつもそこで名ギタリストを囲んでの楽しいひと時を過ごしたものだった。

◆先ほども書いたように、ディアスさんは、私が最も好きな、しかも最も尊敬するギタリストの一人なのだが、お国もの(ベネズエラ)や中南米ものには他の追従をゆるさぬ上手さを発揮するにもかかわらず、それ以外のものについては時として随分雑で弾き飛ばしのような演奏をすることが多い。そんなときは、まことに失礼ながら「この人、音楽と言うものを理解していないのでは?」とさえ思えてしまう。一番ひどいと思ったのは、昔、ディアスさんの東欧でのリサイタルがラジオで放送され聴いたことがあるが、ディアスさん、なにか虫の居所でも悪かったのか、終始やけくその様な猛烈な勢いで弾き飛ばし、「早く終わらせて帰りたい!」とでも言いたげなムチャクチャな演奏であった。

◆それほどではないにせよ、ディアスさんの演奏は「ただ指が速く動くだけか?!」と言いたくなるような一本調子で味気ない演奏が多い。ところがそれがバリオスやらラウロ、ソーホといった南米の作品となると、抜群の上手さを発揮するからディアスさんのファンはやめられないのである。

◆今度手に入ったCD(1973年録音)はどうか。予想通り、弾き飛ばしと言って良いのではと思えるような速さで弾いている。従って、まずは「よく指が動くなあ」という感想しか沸かず、悪く言えば無味乾燥な演奏に終始している。しかもディアスさんの間の取り方がまったく自己流なため、さしものムーティさんもタイミングが合わせられず、オーケストラがあたふたしてしまっているのがあちこちに見受けられる。それは過去に出していた2枚の演奏と大して違いはない。

◆ただ3枚ある演奏の中でも、やはり今回のムーティ指揮によるもの(これが一番新しい録音)がもっともディアスさんが突っ走っており、反対に最も落ち着いたテンポで弾いているのが一番古い録音であるアルヘンタとの演奏で、その後10数年の時を経て出てきたブルゴスとの共演が中庸のテンポとなっている(といってもやはり必要以上に速いが)。いずれにしても、どの演奏もところどころでディアスさんの我流が出て、オーケストラとのアンサンブルは甚だよろしくない。これがディアスさんの個性なのかも、と思ってはみるのだが、それでもファンとしてはどうしても釈然としない。

◆今回のCDの中のもう一つの収録曲、1974年録音、リヒテルの弾くベートーベンのピアノ協奏曲第3番は、もう何も文句のつけようのない名演奏だ。バックは音楽祭だけの臨時のオケだけに、アンサンブル能力に多少難ありではあるが、作品全体としては素晴らしい演奏を見せており、聴衆の拍手や歓声も、ディアスさんのアランフェスを大きく上回っている。
クラシックギターに関わってきた私としては、ディアスさんのもう一つのアランフェスとして手に入れたCDなのだが、ここはやはり、「さすがはリヒテルさん!」という結論とするしかないようだ。

村治佳織さんのリサイタルのPA(SR)

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◆7月2日(日)村治佳織さんのリサイタルPA(SR)をやらせていただきました。場所は大阪のザ・シンフォニーホール。いつもながら全席完売の盛況ぶり。
スピーカーはイクリプスのTD712MKⅡS(ショートスタンド)1本のみ。

◆聴衆も、一般の音楽愛好家や佳織ファンの方々が多く、ギター関係者ばかりの一般的なギターのコンサートとはまるで雰囲気が違うように感じられます。

◆皆さん本当に楽しんで帰っていかれます。そしてまた来たいと思われてしまうようです。
それは会場の関係者の方々も同じで、すでに当日1年後のリサイタルも決定したそうです。
そんな村治佳織さんの音楽造り、ステージ造りの一翼を担えることは嬉しいことですね。

◆当日朝10時ころ会場入りして機器のセッティングを行ったのですが、会場の方々がとても親切で、私は機器をしかるべきポイントにセットしただけ。あと配線の始末などは全てその方々が仕上げてくださいました。こんなに楽に機器をセットできたのは初めてのような気がします。これも佳織さんあってのことではなかったかと感謝しています。

◆また係の方々も私のPA(SR)に使用している機器や方法にとても興味があるようで、いろいろな質問をいただきましたが、それらの質問に答えながらセットしていくのも楽しい時間でした。

◆当日の様子が、佳織さんのインスタグラムで、短いですが動画でアップされています。どうぞご覧になってください。

https://www.instagram.com/kaorimurajiofficial/

シンフォニーホール7月2日b


アンヘル・ロメロ

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◆長い間聴いていないこのレコードを聴いてみたくなった。これは写真のLPジャケットに見られるような、アンヘル・ロメロの若い頃の録音。この頃アンヘルのレコードが、これ以外に相次いで何枚も発売され、私もお小遣いを気にしながらなんとか全部手に入れた。

◆収録曲
 ①トローバ:マドローニョス
 ②アルベニス:コルドバ
 ③グラナドス:ゴヤの美女
 ④ロドリーゴ:ファンダンゴ
 ⑤タレガ:前奏曲 第5番
 ⑥タレガ:前奏曲 第2番
 ⑦トゥリーナ:ファンダンギーリョ
 ⑧トゥリーナ:タレガ讃歌 ガロティン
 ⑨トゥリーナ:タレガ讃歌 ソレアレス
 ⑩トゥリーナ:突風(つむじ風)
 ⑪アラール(タレガ編曲):華麗なる練習曲
 ⑫タレガ:マズルカ
 ⑬タレガ:マリエッタ
 ⑭タレガ:マリア
 ⑮タレガ:アデリータ

◆以上のように近代・現代のスペインギターの定番がずらりと続くが、スペインという共通項はあるものの、そのこと以外このレコードにあまりテーマ性は見当たらない。
しかもこのレコードにはその録音した日時や録音場所等の記載が一切ない。昔はこんなレコードが多かった。

◆なぜ普段ほとんど聴くことのないこのレコードを今日聴いてみようという気になったかと言えば、先日のギター音楽大賞の本選の課題曲がトゥリーナのファンダンギーリョだったからだ。
もちろんこの曲は多くのギタリストが録音している曲なんだが、中でも最もスペインらしい演奏をするものを聴いてみようというわけだ。

◆私がアンヘル・ロメロの演奏を初めて聴いたのは、彼がまだ10代のころ、おそらくデビューして間もないころの演奏であろう、アランフェス協奏曲のレコードをある友人の家で聴いた時だった。

◆そのころアランフェスと言えば、イエペスかブリームのレコードくらいしか聴いていなかったので、アンヘルの颯爽とした、しかも若々しく勢いのある演奏にすっかり魅了された私は、なんとか自分もそのレコードを手に入れたいとあちこち探し回った。しかしその時はなかなか見つからず、実際に手に入ったのは、それから10年以上経ってからのことだった。当時はアンヘル・ロメロの出すレコードは何でも聴いてみたいと思っていた。

◆このレコードにあるアンヘルは、結局良きにつけ悪しきにつけ「スペイン!」。最初から最後まで、全編スペインだらけ。スペインの歌い回し、強烈なアクセント、音をビビらせないフラメンコギタリストといったスケール(音階)的動き。ギターが上手いということではコンクールの比ではないことはたしかである。とにかくどの曲も爽快に弾きまくる。
しかしファンダンギーリョの作曲者であるトゥリーナも、ここまでスペイン丸出しで弾いて欲しかったかどうか。スペインの曲ではあるが、もう少しインターナショナルな表現を期待していたような気もする。

◆これはあのアランフェス協奏曲でも同じで、作品にフラメンコ的な要素は取り入れられているが、かといって、世にある何枚かのフラメンコ・ギタリストが弾くアランフェスはやはり違うように思う。アランフェス協奏曲はフラメンコギター協奏曲ではない。

◆そんなことを思いながらこのレコードを聴いたが、もう一つ面白いことに気が付いた。ここでのアンヘルは、何を弾いても同じ音量で弾くということだ。例えていうと、ソルの練習曲(月光)を同じくソルのグラン・ソロのように弾く、といったらギター曲をご存知の方は「なるほど」と判っていただけると思うが、特にタレガの作品などは、もう少しつつましく、かわいく、美しく弾いて欲しいと思うのだが、とにかくアンヘルさんは他の曲同様バリバリ弾く。出している音は図太く、そして美しい。しかし、それでも曲のイメージには似つかわしくないこと夥しい。

◆音が美しいといえば、昔こんなことがあった。
いつだったか、アンヘルが来日し、大阪のフェスティバルホールで、アランフェス協奏曲を演奏したことがあった。その時私はアンヘルのギターのPAを仰せつかり、その日はずっとアンヘルと一緒だった。

◆そのとき、以前からアンヘルの美しい音に憧れていた私は、休憩時間、楽屋で「あなたはどうしてあんなに美しい音を出せるのですか?何か秘密でもあるのですか?」とアンヘルに尋ねた。するとアンヘルは真面目な顔で、「私にはわからない、それは神様がお与えくださったものだから」と答えた。そこで「でもあなたは、私がずっと若い頃から私にとって神でした」と言ったら、アンヘルは素敵な笑顔で黙って私を抱きしめたではないか。

◆私もちょっとびっくりしたが、その瞬間とても幸せな気持ちになったことはいうまでもない。そして、その時私の持っているアンヘルの10枚近くのレコードを見せたところ、かれは目を丸くして「これはすごい!私でもこんなに持っていないヨ!」といって、喜んで全てのレコードのジャケットにサインしてくれた。(写真がアンヘルのサインの入ったレコードの一枚)
今日このレコードを聴きながら、その時のことがとても懐かしく思い出され、ちょっとだけほっこりした気持ちになった。

◆なんだかんだ言っても、やっぱり私はアンヘル・ロメロが大好き。

第47回 ギター音楽大賞

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◆昨日は大阪府門真市にあるルミエールホールで行われたギターコンクール、「第47回 ギター音楽大賞」へ行ってきた。私は午前中のジュニア部門の中学生の部から始まり、最後の大賞の表彰式まで見させて(聴かせて)もらった。

◆毎年このコンクールの主催者である「日本ギタリスト会議」の議長である猪居信之先生のご厚意によりここ何年も続けて行かせてもらっている。

◆このコンクールには、コンチェルトの時にはいつもPAをさせてもらっている谷辺昌央さんや、古くからの知り合いでもある加藤丈晴さんなどが審査員をされており、他のさまざまなコンクールに比べてとても親近感がある。

◆毎年進化を感じさせるこのコンクールなのだが、大賞部門においては、今年は海外からの出場者が3名もいて、当然レベルもぐんと上がってなかなか聴きごたえのある内容となったのは、私としても本当に嬉しいことといわなければならない。

◆また毎年感ずることだが、このコンクールにおいて、審査員の方々が下すその評価がまったく公平で、聴衆である我々に違和感を感じさせることのない立派なコンクールであるということだ。それは今回も同じで、納得性のある、大変良い結果になったように思う。

◆最終的には広島在住の外国人女性が第一位を獲得されたが、これもまた大変良識ある評価だったように思う。
ただ私がこの演奏に敢えてひとつ望むことがあるとすれば、本選の自由曲で弾かれた、ジュリアーニのロッシニアーヌ第5番について、今少し多彩な表現力を見せて欲しかったというところだろう。作品が長いだけに、表現が単調になるとどうしても冗長な印象が強くなってしまう。

◆さらに終了後、審査委員長の方が述べておられたが、出場者が演奏する楽器の違いが大変大きく、中にはその音がよく聞き取れない方も少なからずおられたのは残念であった。
演奏はとても素晴らしいのだが、さほど大きくないホールにも関わらず、その音が聴衆に聞こえないようでは、展覧会において、展示してある絵画に薄い布が掛けてあるようなもので、評価してくれと言われても困ってしまう。

◆また中には楽器の能力とは関係なく、敢えて極端に小さい音にして、結局聴く側にとっては意味不明となってしまった方もおられたのは残念だった。
確かにギターは、音の小さいことも魅力の楽器ではあるが、小さいながらもホールで演奏する以上、やはりよく通る音色、または音量で細部まで聞こえるように演奏してほしいものだと感じた次第。当然そういったところはしっかり審査結果にも反映されていたので、そういった評価を下された出場者の方には、さらなる今後の精進が望まれるところだ。

◆最後に審査員演奏として猪居亜美さんが演奏を披露されたが、その圧倒的なテクニックと表現力には、ついに日本のギタリストもここまできたかと感無量であった。





二つのギターの為の協奏曲/テデスコ

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◆先日投稿したテデスコの「二つのギターの為の協奏曲」を収録したCDがどれだけあったかと棚を見てみたところ、とりあえず写真の4枚が見つかった。左上は先日とりあげたプレスティ&ラゴヤのもの。右上はアサド兄弟がロドリーゴの作品とともに同曲を演奏したもの。次の右下は山下和仁&尚子の兄妹コンビ。オーケストラはロンドン・フィル、指揮はレナード・スラトキンという豪華な顔ぶれ。そして最後が左下、イタリアのロレンツォ・ミケーリ&マッシモ・フェリチという二人のギタリスト。

◆テデスコのギター・コンチェルトは私の知るところ、1番、2番と今回の2つのギターの為の協奏曲と合計3曲あるが、山下兄妹とミケーリ&フェリチの盤では、いずれも3曲全て収録されている。

◆昨日、プレスティ&ラゴヤ以外の3枚を続けて聴いてみたが、それぞれ最初に聴いたときの印象よりは随分良い印象を受けた。といっても良いのは演奏の方で、作品については3流で変わらず。

◆演奏はみな完璧なギターデュオで、そのことについてはどれも文句のつけようがない。これらの演奏を聴くと、これこそギターデュオの神髄。どんなに上手いギタリストが二人そろっても、この人たちの演奏にはかなわないだろう。

◆ギターという楽器は、その発音の構造上、複数のギタリストがぴったりと合わせるのはなかなか難しい。個性あるギタリストであればあるほど、それぞれ発音のしかたも微妙に違い、なおさら合わせるのが難しくなる。これはあのブリームとジョンのデュオでも同様で、ブリームといえども、またジョンといえども結果はただ上手い人がたまたま合わせてみました、という範疇を超えておらず、大して面白くない。いかに上手いギタリストであっても、デュオの魅力を最大限発揮しようとすると、通常専門デュオにはかなわない。勿論専門であればみないいというわけではなく、ここにあげたデュオの方々はやはり超一流、見事と言う外ない。

◆特に素晴らしかったのは、意外かも知れないが、「山下和仁&尚子」の兄妹によるデュオであった。このコンビのデュオはデュオの鏡といったらよいだろうか。このお2人は兄妹と言えども専門のデュオというわけではないのにもかかわらず、むしろ他の専門デュオの上を行く素晴らしい演奏を披露している。

◆山下和仁氏のソロ演奏については、時として多少の違和感も感じることもある私だが、このテデスコの「二つのギターの為の協奏曲」を聴く限りでは、プレスティ&ラゴヤをも凌ぐ上手さだと感じた。勿論アサド兄弟、ミケーリ&フェリチも、デュオの魅力を存分に味合わせてくれる立派な演奏だと思うが、この作品にかけては山下兄妹に一歩譲るように私は感じた。

プレスティ&ラゴヤ/テデスコ:二つのギターの為の協奏曲

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◆昨日、注文していたCDが届いた。過去最高のギター・デュオと言われた、イダ・プレスティ&アレクサンドル・ラゴヤご夫妻の演奏。

◆プレスティ&ラゴヤの演奏はLPを何枚か持っているし、同様にCDでも何枚か持っている。しかし、今回手に入ったCDに納められている作品は全て私が初めて聴くものばかり。
その中でも特に聴きたいと思ったのは、テデスコの二つのギターの為の協奏曲。他のデュオでは何種類も聴いているが、さすがにプレスティ&ラゴヤの演奏はこれまで一度も聴いたことがない。実際に作曲家(テデスコ)から献呈を受けた、関西で言うところの「ほんまもん」、プレスティ&ラゴヤがどんな演奏をみせるのか、随分そそられるものがあった。

◆収録曲
・プレスティ 独奏(カッコ内は録音年)
 ①アルベニス:入り江のざわめき(1937年)
 ②J.マラッツ:スペインセレナータ(1937年)
 ③F.M.トローバ:ソナチネ 第1楽章(1937)
 ④N.パガニーニ:ロマンス グランドソナタ 2楽章(1938年)
 ④M.ポンセ:3つのメキシコ民謡から2番&3番(1942年)
 ⑤ E.グラナードス:スペイン舞曲第5番(1942年)
・ラゴヤ 独奏
 ⑥D.スカルラッティ:ソナタ イ短調 K.481(1969年)
 ⑦M.カルカッシ:練習曲 Op.60 No.3(1969年)
 ⑧N.パガニーニ:ギターとヴァイオリンの為の協奏風ソナタ
  (1969年)
 ⑨L.ボッケリーニ:ギター五重奏曲 第4番 ニ長調(1969年)
・プレスティ&ラゴヤ 
 ⑩M.Cーテデスコ:二つのギターの為の協奏曲Op.201
  以上全て初めて耳にするものばかり。

◆到着してすぐ、これらの演奏を聴いて感じたことがひとつある。
それは、これまでこのデュオについては、プレスティあっての世紀のデュオだと思っていたのだが、その考えが思い違いだったかもしれないと考えるようになったことだ。
プレスティの名声やその傑出した才能が語られる中で、このデュオのことを知る多くの人たちもそう考えていたと思うが、このデュオは、プレスティが牽引者で、どちらかといえばラゴヤは一歩下がった位置にいてプレスティを支えていた、と感じていたのだが、牽引者は実はラゴヤの方だったのではないだろうか。

◆このCDにはお2人のソロもそれぞれ何曲か収録されている。それらは私も初めて聴くものばかりだったが、聴くとプレスティの演奏は、確かに指は猛烈に動き、しかも正確だ。しかしその表現する音楽は、およそ現代では通用しない、いかにも素人臭い演奏で、とてもデュオの時にみせる演奏とは違う。ラゴヤの落ち着いた、しかも音楽的に充分納得できる表現とはまったく異なっているのである。

◆冒頭のアルベニスの「入り江のざわめき」からして、この人この音楽が解って弾いているのか、と疑いたくなるほど、落ち着きのない弾きぶりだし、ポンセのメキシコ民謡からの編曲などは、勘違いも甚だしく、この曲のしっとりした味わいなどまったく意に介していない様子だ。他の曲でもアルペジオやスケールの部分は前後見境なく猛烈な速さで弾きまくる。まさに指だけは猛烈に動くが、まるでチャップリンの映画を観ているようで、こせこせして音楽に落ち着きがない。当然このままラゴヤと合わせてもデュオにならないだろう。

◆プレスティ(1924~1967)が登場したころ、世界のギター界では「とんでもなくよく指が動く女の子が出てきた!」というだけで話題になり、そのまま一躍天才スターと呼ばれるようになってしまったのかもしれない。

◆プレスティのギターに関する経歴を私は全く知らないが、お相手のラゴヤはセゴヴィアにしっかり学んでいるはずだ。従って私の推理では、お2人が結婚をしてデュオを始めるとき、ラゴヤがプレスティに音楽を教えつつデュオを始めたのではないだろうか。とにかくこのCDの前半を占めるプレスティの演奏は、そのままいけば「ただ指が良く動くだけで中身のない女性ギタリスト」と言われて音楽の世界から消えていく運命にあっただろう。

◆しかし、幸いにというか、現実はそうはならず、ラゴヤとのデュオを選んだことでプレスティは本当の芸術家になることができた。
たしかデュオ結成後、彼女は一切のソロ活動を辞めてしまったはずだ。そして17年間のラゴヤとの演奏活動の末、突然の死によって、その短い生涯(43歳になる直前に、楽旅先のアメリカで病気のため死亡)を終え、彼女は伝説になった。

◆最後に収録されている、私の期待したテデスコ作曲「二つのギターの為の協奏曲」はどうだったか。
私はこのCDを聴いたことによって、この作品をもう一度いろいろな演奏で聴き返してみようという気持ちになった。私がこれまで聴いてきた同曲に対する印象はあまり芳しいものではなく、ほとんど一回聴いて二度と聴く気がしなくなった。旋律は所々で美しい片鱗を見せるが、全体を通して筋が通っておらず必然性に乏しい。従ってその芸術的価値は、あの有名なギター協奏曲ニ長調、作品99(第1番)に比ぶべくもない。またテデスコの当時飯のタネだった「映画音楽」がところどころで顔を出し、そのたびにやはり芸術的に見劣りしてしまう。

◆この作品の芸術的価値はそれほど高くはないが、「プレスティとラゴヤ」という稀に見る黄金のギターデュオの存在価値をさらに高めたことは間違いないだろう。

トゥリビオ・サントス/panorama de la guitare

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◆1960年代の終わりころから1970代の終わりころまで、当時世界で最も権威のあったフランス国際ギターコンクールのディレクターをしていたロベール・ヴィダルの監修で、「パノラマ・デ・ラ・ギターレ(ギター音楽の展望)」というシリーズが24枚発売された。そこには当時活躍中、あるいは売り出し中の8人のギタリストが紹介されていたが、セゴヴィアやブリーム、イエペス、ウィリアムスといった超一流といわれるギタリストは当然含まれていない。

◆シリーズの意図や性格としては、今でいうとナクソスが出している「期待の新進演奏家リサイタル・シリーズ」という企画に似ているかも知れない。
内容も当時としてはなかなか斬新で、私もこのシリーズを手にすることで「新しい音楽や作曲家」を数多く知ることができた。

◆このシリーズに登場する演奏者とその回数を多い順に上げてみると、

①トゥリビオ・サントス(8枚)
②オスカー・カセレス(5枚)
③コンラッド・ラゴスニック(2枚)
④レオ・ブローウェル(2枚)
⑤ベート・ダベザック(2枚)
⑥トゥリビオ・サントス&オスカー・カセレスのデュオ(2枚)
⑦ポンポーニオ&サラーテ(デュオ)(1枚)
⑧バーバラ・ポラセック(1枚)
⑨マリア・ルイサ・アニード(1枚)
以上の8名である。

◆1位のトゥリビオ・サントスと2位のオスカー・カセレスの子弟コンビが目立つが(カセレスが師匠でサントスが弟子)、このお2人はデュオでも2枚出しているので、やはり他を押さえて圧倒的と言えるだろう。

◆「ギター音楽の展望」と謳っている割には、多少傾向が偏っているような気もするが、ヴィダルさんはその後もこのシリーズを続けて、もっと幅広くギター音楽やギタリストを紹介するつもりだったようだ。

◆私はこのシリーズ(24枚)の内、ほぼ2/3ほどしか入手できなかったが、それでもこのシリーズによってその当時の世界の新しい風を充分感じることができたし、様々な啓発を受けたことも確かだった。

◆まずは、今では世界的な作曲家(あらゆるジャンルにおいて)として名声の高いレオ・ブローゥエルが、この頃はクラシック・ギタリストとして、いかに立派な腕前を持っていたかをこのシリーズで初めて知った。自作はもちろん、もう一枚のオール‟スカルラッティのソナタ”という盤では、その鮮やかなテクニックに度肝を抜かれた。また写真のサントスの盤では、ヴィラ=ロボスのギター協奏曲のほか、それまで私にとっては未知の作品であった、同じくヴィラ=ロボスの「神秘的六重奏曲」も聴くことができた。またベート・ダベザックなる新しいギタリストの非常に技巧的な演奏も聴くことができたし、ヴィラ=ロボスの5つの前奏曲全曲も写真の盤で聴くことができた。そしてその名声の割には、極端に録音の少ないマリア・ルイサ・アニードの滋味溢れる演奏が聴けたことも貴重な経験となった。

◆ただ全体を通して私の感じたことは、これらのLPにある演奏は、やはりブリームやジョンなどと比べられるレベルにあるものではない、ということであった。そしてどこか洗練されていない、ローカル色豊かといったらよいのか、どこかまだアマチュアじみた演奏が多いという印象を受けた。当然彼らがいずれ世界のトップレベルのギタリストになるとか、インターナショナルなアーティストになるとかといった感じはまったく受けなかった。

◆しかし、古いレコードもたまには聴き返してみなければいけない。今日久しぶりにこのトゥリビオ・サントスのLPをかけてみると、予想に反して、サントスさんのテクニックが素晴らしいのに驚かされた。昔このシリーズに含まれるサントスさんのLPを初めて聴いたときは、どこか田舎臭い、もっさりとした演奏(テクニック不足)、という印象だったので、その後あまり高い評価をしてこなかったのだが、今回このLPにあるヴィラ=ロボスの協奏曲で見せる鮮やかなテクニックにはおそれいってしまった。正直なところ、この曲については、今はこのサントスさんの演奏が一番かもしれない、とさえ思えるほど。

◆バックが現代音楽にも定評のある、フランスのパイヤール室内管弦楽団であるということも、音楽全体の品格アップに随分貢献している上に、録音もクラシックギターとしては雑味のない、鮮明で、また過剰なエフェクトもない、高品質な録音であることも幸いであった。

◆B面にあるヴィラ=ロボスの5つの前奏曲については、A面のコンチェルトの名演に比べて、冒頭の第1番における、抑揚のない一本調子な歌い方には少し疑問を抱かざるを得ないし、2番以降も現代のギタリストの演奏と比べると、随分地味な表現に終始している。ただこのLPが出た当時は、これでもまだ十分に新しい音楽、という感覚だったのかもしれない。
いずれにしてもこのシリーズ、手に入っているものだけでももう一度聴き返してみる必要性を痛感した。
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