<あれも聴きたい、これも聴きたい>

モーツァルトの弦楽五重奏曲

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◆故酒井康雄君(ギタリスト、元中部日本ギター協会 会長)が私に託してくれた数多くのLPレコードの中に、私の持っているものと重複するものは意外と少ないが、それでも時々私のライブラリーの中に同じものを発見することがある。そんなときは、「そうか、やっぱり君もこのレコードを聴いていたか」、と彼が懐かしく思い出されることがある。
そんな中から、今朝は10年以上聴いていないであろう、モーツァルトの弦楽五重奏曲、6曲を聴くことにした。

◆写真左が私の持っていたもので、右が酒井君の持っていたもの。
購入時期が少し異なるのでジャケット写真は違っているが、同じブダペスト弦楽四重奏団&ワルター・トランプラー(ヴィオラ)演奏のLP3枚組セット。
購入は50年近く前で、価格を見ると¥6000となっており、当時としては随分高価な買い物だった。今だったら、ものによっては同じ価格でCDが3・40枚ほどセットになったものが買えるかもしれない。

◆弦楽五重奏曲を残しているのは、有名なものではこのモーツァルトの他に同時代のボッケリーニがいる。
解説によると、ボッケリーニは弦楽5重奏曲を125曲残しており、ヴィオラを2本使用した作品が12曲、チェロを2本使用した作品が113曲ある。それに対して、モーツァルトの弦楽五重奏曲は全部で6曲しかなく、そのすべてがヴィオラ2本となっている。
ボッケリーニは自身がチェロの名手であったことと、交流のあった中にとてもチェロ好きな貴族がいたということもあったようだが、モーツァルトの場合は、チェロ2本は響きが重過ぎることを嫌って書く気がなかったようだ。

◆昨年9月、フェニックスホールにおいて、アマリリス弦楽四重奏団にヴィオラの今井信子さんが加わり、モーツァルトの弦楽五重奏曲第2番 ハ短調 K.406が演奏されたが、生で聴いても曲のバランスとしてはチェロ1本で充分な低域を確保していた。その時、これでチェロが2本となるとどうなってしまうのかなあという印象をもったほどであった。

◆作品はどれもみなモーツァルトらしく独創的な旋律と和声、そして絶妙な転調を駆使した名曲ぞろいだが、中でもト短調K.516は、モーツァルトとしては数少ない短調の作品で、冒頭の甘く切ない旋律は、一度聴いたら忘れることができない。

◆余談だとは思うが、以前F.ソルの管弦楽作品(ヴァイオリン協奏曲等)をしばらく聴いた後、モーツァルトのヴァイオリン協奏曲をかけたことがあったが、その時は、冒頭の音が出た瞬間、最早その才能の開きに開いた口がふさがらないほどの衝撃を受けた。旋律の美しさ、独創性、生命感、躍動感、もうどれをとっても格段の違いがあり、ソルとモーツァルトを比較しようなどと考えたこと自体が間違いだったと反省させられた。

*このLPレコードは、アメリカのCBSコロンビアから出ているのだが、このころのCBSコロンビアは、室内楽の録音はどうも苦手なようで、ヴァイオリンはキーキーとヒステリックな上に、チェロはもこもこと音がこもり、音色の上で頗るバランスが悪い。同じCBSコロンビアから出ている、ジュリアード弦楽四重奏団の演奏したベートーベンの弦楽四重奏全集なども、高音域がとてもヒステリックで聴きずらい。(演奏も実は評判があまり宜しくない)
今日聴いたモーツァルトも、録音の出来としてはあまり褒められたものではないのが少しだけ残念。

ヘンリク・シェリングのバッハ

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 LP(3枚組)と現在発売されているCD(2枚組)


シェリング/パルティータ第2番より<シャコンヌ>

◆今日はバッハ演奏の定番、ヘンリク・シェリングを聴く。
バッハの無伴奏ヴァイオリンでは、47年ほど前に購入した、1967年録音のシェリング盤(3枚組)が最初だった。

◆シェリングは1918年ワルシャワに生まれ、1988年ドイツで亡くなった名ヴァイオリニストで、私がこのLPレコードを購入したころは、バッハだったらこのシェリングが一番とよく言われていた。

◆シェリングは1933年、ブラームスのヴァイオリン・コンチェルトでデビュー。それ以来、ドイツ、オーストリアの古典・ロマン派音楽には正統派としての解釈と格調の高さを示してきた。私が持っているレコード、CDの中でも、やはりシェリングのモーツァルト、ベートーベン、ブラームスには別格な印象がある。アルテュール・グリュミオー+クララ・ハスキル(ピアノ)のデュオと並ぶイングリット・ヘブラー(ピアノ)とのモーツァルトのヴァイオリン・ソナタや、ルビンシュタインとのベートーベンやブラームスは、今でも世界中で高い評価を受けており、何度もCDが再販されている。

◆シェリングはコンチェルトのレパートリーも広く、あらゆる作品の録音を残している。変わり種を挙げると、作者、マヌエル・ポンセから献呈された、ヴァイオリン・コンチェルトは有名。そのほかアンタル・ドラティ指揮、ロンドン交響楽団とのハチャトゥリアンのコンチェルトなども、聴く機会の少ない作品ゆえに、意外と私のお気に入りの1枚となっている。

◆そのほかにも有名な数多くのコンチェルトの録音を残しており、今もCDで手に入れることはできる。しかし、このシェリングの超真面目でちょっと不器用な人柄からくるのだろうと私は想像しているが、ベートーベン(イッセルシュテット+ロンドン響)やブラームス(ハイティンク+コンセルトヘボウ管)のコンチェルトでは、質実剛健、無類の上手さを見せているのに比べ、チャイコフスキー(ハイティンク+コンセルトヘボウ管)では、今一つ色彩感や色気、また大きなうねりのような表現に乏しく、さらりとし過ぎて、私としてはいつも物足らなさが残る。

◆しかし、バッハの無伴奏ソナタ、パルティータに関しては、やはり定番中の定番。グリュミオーのような美音でも、ムローヴァやハーンのように、目を見張るようなテクニシャンでもないが、テンポは中庸、極端に歌いすぎたり尖ったようなところはなく、これぞ精神性の高い本物のバッハという気がする。これもシェリングの真面目さ、不器用さゆえの名演と言えるのかもしれない。 

支持率下落

◆内閣の支持率が大きく下落しているという。

<以下は今朝のMSNニュースより>


 毎日新聞の23日の調査によると、支持率は前回から13ポイント急落して27%。朝日新聞の23、24両日の調査は29%で、第2次安倍政権発足以来最低を記録した。安倍晋三首相は25日の記者会見で「日々の支持率に一喜一憂することなく、与えられた使命に全力を尽くしていきたい」と述べるにとどめた。


◆「日々の支持率に一喜一憂することなく、与えられた使命に全力を尽くしていきたい」
とは、まったくおかしなことを言う。ここまで国民の信頼をなくした人には、精一杯、国民の支持率を気にしていただきたいものだ。

◆総理の言っていることを心理学的に分析すると、責任をすべて国民に転嫁していることに気づく。
総理の言っていることを分かり易く言い換えると、

「私はこれまでやるべきことをしっかりやってきた。にも拘らず支持率が低下したのは、国民が私のことを誤解しているからだ。悪いのは私ではなく国民の方だ。従って私には辞めさせられるいわれはない。」

◆これまた嘘をつく人の典型的なやり方で、人間として(あるいはリーダーとして)は最も信頼を失う行動と言わざるをえない。

◆人に誤解を与えてしまったとき、「なんで誤解するんだ」と言って、誤解した方を責める人が多いが、本来であれば大方の責任は与えた側にある。それを「誤解した方が悪い」と言っていては、人としての信頼を得られるはずがない。

◆総理はやるべきことをしっかりやってこなかったし、国民のことを第一に考えてなんかいなかった。それを国民は皆知っている。国民は誤解なんかしていないのだ。
誤解していない国民に向かって、「あなたたちは私のことを誤解をしている」と言って、嘘でけむに巻くのはやめてほしい。

◆やぶれかぶれなんだろうとは思うが、こんなことで国民が考え直してくれると本気で思っているとしたら、いい加減国民を舐めている。


閣僚、その他周辺の方々、この総理の利用価値も、そろそろなくなってきたのでは・・・・

何のためにまた嘘を

◆また総理が平然と嘘をついた。

<以下は今朝のMSNニュースより>


 賭けマージャンで辞職した黒川弘務前東京高検検事長(63)の処分を巡り、事実関係を調査し、首相官邸に報告した法務省は、国家公務員法に基づく懲戒が相当と判断していたが、官邸が懲戒にはしないと結論付け、法務省の内規に基づく「訓告」となったことが24日、分かった。複数の法務・検察関係者が共同通信の取材に証言した。

 安倍首相は国会で「検事総長が事案の内容など、諸般の事情を考慮し、適切に処分を行ったと承知している」と繰り返すのみだった。確かに訓告処分の主体は検事総長だが、実質的には事前に官邸で決めていたといい、その経緯に言及しない首相の姿勢に批判が高まるのは必至だ。


疑問は

①法務省と検察が<懲戒>相当と判断したことを、何故<訓告>とする必要があったのか。
②訓告と決定したのは法務省、となぜ嘘をつくのか。

本来であれば、黒川氏らがやっていた賭けマージャンの常習性を、検察できちんと調べ上げたのちに処分を決め、それから退縮金の算定をすべきだろう。

誰が考えても何か裏があるとしか思えない。
黒川氏は、国民の知らない総理の闇を知ってしまっているのではなかろうか。

責任を取らない責任者

◆黒川検事長の定年延長という問題について、「あれはそもそも法務省が持ってきた話なのに、なんで俺ばかりが非難されなきゃいけないんだ」と総理が不満を述べているそうだ。

◆黒川氏のことを「余人をもって替え難い貴重な人材」と国会で述べ、公務員の定年延長に絡めて強行採決寸前までしようとしていたにもかかわらず。
◆尚且つ、賭けマージャン問題で黒川氏が辞表を提出したとき、「定年の延長を決めたことについては、総理大臣である私に責任がある」とまで述べていたにもかかわらず。

◆側近や周辺には、「自分は法務省がもってきた案を許可しただけ」、と責任を放棄している。
OKを出した上司(自分)には責任がないとでも思っているのだろうか。だとすれば自分が最高責任者だという自覚がなさすぎる。

◆こんな上司が上にいたら部下はたまったものではない。民間だったらその団体(会社、営業所等)は一気に崩壊が始まるだろう。

◆ここまできたら、総理を演じているだけのお方には早急に御退陣いただきたい。

◆と、だれもが思っているはずだが。

◆やはり日本は、上から下まで、誰も責任を取ろうとしない、責任者不在の国なのか。

責任不在の世界

◆新型コロナウィルス感染拡大につき、現政権をはじめ、日本における全ての公官庁が、緊急時の危機管理を疎かにした、平時向けのまったくお粗末な構造であることがはっきりと判ってきた。

◆緊急時に対応できる病院や集中治療室、医療に対するバックアップ体制、緊急時の民間企業や国民に対する補償の内容や役割、さらに責任、権限の所在、対応する順序等、何もかもが考慮されていなかったことに加え、政府と地方自治体の役割・責任の分担すらも考えられていなかった。まさに民間企業とは異なり、競争というものの原理の働かない、政府、議員、公官庁職員らのサボタージュと言わざるをえない。

◆当然の如く、緊急時というのは前例のないことが数多く発生するが、前例にないことは、自らに利が無い限り、政治家はじめ公官庁の職員が最もいやがることだ。

◆公務員は例外なく前例のないことはやりたがらない。何故か。
前例にないことをやれば、責任問題が発生しやすいからだ。
反対に前例にあることだけやっていれば、責任問題は発生し難い。
当事者は、「私は決められた通りにやっただけ」と言えるからだ。

◆現代の日本は、誰も責任を取らないことを前提として様々な仕組みができている。お役所のやることは全てお役所自体が責任を取らないことを前提に出来上がっている。

◆もっとも分かり易いひとつの例は、病院で手術を受ける場合、結果に対して不服を申し立てないという誓約書に署名・捺印を要求される。結果がどうあろうと文句を言わないと誓約させるわけだ。拒めば手術そのものを受けることができない上に、もし手術が失敗だったとしても、医者も病院も責任は取らない。

◆責任を取らないのは公官庁や病院ばかりではない。特に〇〇製鉄とか、〇〇造船所、〇〇重工といった、特に日本に古くからある大企業(体質が非常に官公庁に似ている)に設備を納入するときは、安全講習というものを必ず2日間ほど受けさせられる。そして最後には、設備の納入設置時にもし事故が起こった場合、「我々は納入業者に対し、安全講習をきちんとやった。従って起こった事故の責任は全て納入業者にある」という書類に必ず署名捺印させられる。それで、納入設置時にどんな事故が発生しても、大企業側は責任を問われないようにしている。

◆今では全国どこにでもあるいじめの問題も、学校側あるいは警察も知っていながら知らないそぶりをする。知っていたとすれば、それに対し責任を問われるが、知らなかったことにすれば、面倒な問題に関わらずに済む上、責任を逃れやすい。一挙両得なのだ。従ってほとんどの場合、学校側(担任、校長など)警察側は「いじめがあるとは知らなかった、いじめとは認識していなかった」としらばっくれる。

◆全てとは言わないが、全国にある児童相談所なども同様。児童に虐待があることに気づいていても、「知らなかった、そこまでとは思わなかった」と言って、結局取り返しのつかない事態にしてしまうことは新聞にもよく取り上げられている通り。とにかく知らなかった、気付かなかったということにして、仕事を増やさない上に責任逃れをしようとする。

◆本来であれば、疑わしい問題があるときは、積極的に調査をして事実を究明するべきところを、責任を取らなくても済むよう知らなかったことにする、あるいは関わらない様にしようとする。責任を負わなければならないはずの当事者の、まったくのサボタージュなのである。
これらはすべて社会全体が責任を取らなくても済むようにしようという体質になってしまっていることからくる問題なのだ。

◆現総理も、今回の黒川検事長問題で「定年の延長を決めた責任は総理大臣たる私にある」と述べてはいるが、具体的には責任を取ろうとしない。

責任の取り方を知らなかったことにするつもりか。
あるいは「朕は国家なり」とでも思っているのか。

黄昏

◆我家には、給付金の申請用紙は届かず、マスクも未だに届く気配もな
 い。にも拘らず、5月20日、記者会見における菅官房長官の弁が振
 っている。

 「布マスクの配布などにより需要が抑制された結果、店頭の品薄状況
 が徐々に改善をされて、また上昇してきたマスク価格にも反転の兆し
 がみられる」

◆本当にこんなこと思っているとしたら、この自画自賛は、お利巧な発
 言とはとても言えない。政治家としての分析能力お粗末過ぎ。
 総理に対するおべんちゃらだとしたらあまりにも哀れ。

 いずれにしても現政権の黄昏か。
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