<あれも聴きたい、これも聴きたい>

プレスティ&ラゴヤ/テデスコ:二つのギターの為の協奏曲

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◆昨日、注文していたCDが届いた。過去最高のギター・デュオと言われた、イダ・プレスティ&アレクサンドル・ラゴヤご夫妻の演奏。

◆プレスティ&ラゴヤの演奏はLPを何枚か持っているし、同様にCDでも何枚か持っている。しかし、今回手に入ったCDに納められている作品は全て私が初めて聴くものばかり。
その中でも特に聴きたいと思ったのは、テデスコの二つのギターの為の協奏曲。他のデュオでは何種類も聴いているが、さすがにプレスティ&ラゴヤの演奏はこれまで一度も聴いたことがない。実際に作曲家(テデスコ)から献呈を受けた、関西で言うところの「ほんまもん」、プレスティ&ラゴヤがどんな演奏をみせるのか、随分そそられるものがあった。

◆収録曲
・プレスティ 独奏(カッコ内は録音年)
 ①アルベニス:入り江のざわめき(1937年)
 ②J.マラッツ:スペインセレナータ(1937年)
 ③F.M.トローバ:ソナチネ 第1楽章(1937)
 ④N.パガニーニ:ロマンス グランドソナタ 2楽章(1938年)
 ④M.ポンセ:3つのメキシコ民謡から2番&3番(1942年)
 ⑤ E.グラナードス:スペイン舞曲第5番(1942年)
・ラゴヤ 独奏
 ⑥D.スカルラッティ:ソナタ イ短調 K.481(1969年)
 ⑦M.カルカッシ:練習曲 Op.60 No.3(1969年)
 ⑧N.パガニーニ:ギターとヴァイオリンの為の協奏風ソナタ
  (1969年)
 ⑨L.ボッケリーニ:ギター五重奏曲 第4番 ニ長調(1969年)
・プレスティ&ラゴヤ 
 ⑩M.Cーテデスコ:二つのギターの為の協奏曲Op.201
  以上全て初めて耳にするものばかり。

◆到着してすぐ、これらの演奏を聴いて感じたことがひとつある。
それは、これまでこのデュオについては、プレスティあっての世紀のデュオだと思っていたのだが、その考えが思い違いだったかもしれないと考えるようになったことだ。
プレスティの名声やその傑出した才能が語られる中で、このデュオのことを知る多くの人たちもそう考えていたと思うが、このデュオは、プレスティが牽引者で、どちらかといえばラゴヤは一歩下がった位置にいてプレスティを支えていた、と感じていたのだが、牽引者は実はラゴヤの方だったのではないだろうか。

◆このCDにはお2人のソロもそれぞれ何曲か収録されている。それらは私も初めて聴くものばかりだったが、聴くとプレスティの演奏は、確かに指は猛烈に動き、しかも正確だ。しかしその表現する音楽は、およそ現代では通用しない、いかにも素人臭い演奏で、とてもデュオの時にみせる演奏とは違う。ラゴヤの落ち着いた、しかも音楽的に充分納得できる表現とはまったく異なっているのである。

◆冒頭のアルベニスの「入り江のざわめき」からして、この人この音楽が解って弾いているのか、と疑いたくなるほど、落ち着きのない弾きぶりだし、ポンセのメキシコ民謡からの編曲などは、勘違いも甚だしく、この曲のしっとりした味わいなどまったく意に介していない様子だ。他の曲でもアルペジオやスケールの部分は前後見境なく猛烈な速さで弾きまくる。まさに指だけは猛烈に動くが、まるでチャップリンの映画を観ているようで、こせこせして音楽に落ち着きがない。当然このままラゴヤと合わせてもデュオにならないだろう。

◆プレスティ(1924~1967)が登場したころ、世界のギター界では「とんでもなくよく指が動く女の子が出てきた!」というだけで話題になり、そのまま一躍天才スターと呼ばれるようになってしまったのかもしれない。

◆プレスティのギターに関する経歴を私は全く知らないが、お相手のラゴヤはセゴヴィアにしっかり学んでいるはずだ。従って私の推理では、お2人が結婚をしてデュオを始めるとき、ラゴヤがプレスティに音楽を教えつつデュオを始めたのではないだろうか。とにかくこのCDの前半を占めるプレスティの演奏は、そのままいけば「ただ指が良く動くだけで中身のない女性ギタリスト」と言われて音楽の世界から消えていく運命にあっただろう。

◆しかし、幸いにというか、現実はそうはならず、ラゴヤとのデュオを選んだことでプレスティは本当の芸術家になることができた。
たしかデュオ結成後、彼女は一切のソロ活動を辞めてしまったはずだ。そして17年間のラゴヤとの演奏活動の末、突然の死によって、その短い生涯(43歳になる直前に、楽旅先のアメリカで病気のため死亡)を終え、彼女は伝説になった。

◆最後に収録されている、私の期待したテデスコ作曲「二つのギターの為の協奏曲」はどうだったか。
私はこのCDを聴いたことによって、この作品をもう一度いろいろな演奏で聴き返してみようという気持ちになった。私がこれまで聴いてきた同曲に対する印象はあまり芳しいものではなく、ほとんど一回聴いて二度と聴く気がしなくなった。旋律は所々で美しい片鱗を見せるが、全体を通して筋が通っておらず必然性に乏しい。従ってその芸術的価値は、あの有名なギター協奏曲ニ長調、作品99(第1番)に比ぶべくもない。またテデスコの当時飯のタネだった「映画音楽」がところどころで顔を出し、そのたびにやはり芸術的に見劣りしてしまう。

◆この作品の芸術的価値はそれほど高くはないが、「プレスティとラゴヤ」という稀に見る黄金のギターデュオの存在価値をさらに高めたことは間違いないだろう。

トゥリビオ・サントス/panorama de la guitare

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◆1960年代の終わりころから1970代の終わりころまで、当時世界で最も権威のあったフランス国際ギターコンクールのディレクターをしていたロベール・ヴィダルの監修で、「パノラマ・デ・ラ・ギターレ(ギター音楽の展望)」というシリーズが24枚発売された。そこには当時活躍中、あるいは売り出し中の8人のギタリストが紹介されていたが、セゴヴィアやブリーム、イエペス、ウィリアムスといった超一流といわれるギタリストは当然含まれていない。

◆シリーズの意図や性格としては、今でいうとナクソスが出している「期待の新進演奏家リサイタル・シリーズ」という企画に似ているかも知れない。
内容も当時としてはなかなか斬新で、私もこのシリーズを手にすることで「新しい音楽や作曲家」を数多く知ることができた。

◆このシリーズに登場する演奏者とその回数を多い順に上げてみると、

①トゥリビオ・サントス(8枚)
②オスカー・カセレス(5枚)
③コンラッド・ラゴスニック(2枚)
④レオ・ブローウェル(2枚)
⑤ベート・ダベザック(2枚)
⑥トゥリビオ・サントス&オスカー・カセレスのデュオ(2枚)
⑦ポンポーニオ&サラーテ(デュオ)(1枚)
⑧バーバラ・ポラセック(1枚)
⑨マリア・ルイサ・アニード(1枚)
以上の8名である。

◆1位のトゥリビオ・サントスと2位のオスカー・カセレスの子弟コンビが目立つが(カセレスが師匠でサントスが弟子)、このお2人はデュオでも2枚出しているので、やはり他を押さえて圧倒的と言えるだろう。

◆「ギター音楽の展望」と謳っている割には、多少傾向が偏っているような気もするが、ヴィダルさんはその後もこのシリーズを続けて、もっと幅広くギター音楽やギタリストを紹介するつもりだったようだ。

◆私はこのシリーズ(24枚)の内、ほぼ2/3ほどしか入手できなかったが、それでもこのシリーズによってその当時の世界の新しい風を充分感じることができたし、様々な啓発を受けたことも確かだった。

◆まずは、今では世界的な作曲家(あらゆるジャンルにおいて)として名声の高いレオ・ブローゥエルが、この頃はクラシック・ギタリストとして、いかに立派な腕前を持っていたかをこのシリーズで初めて知った。自作はもちろん、もう一枚のオール‟スカルラッティのソナタ”という盤では、その鮮やかなテクニックに度肝を抜かれた。また写真のサントスの盤では、ヴィラ=ロボスのギター協奏曲のほか、それまで私にとっては未知の作品であった、同じくヴィラ=ロボスの「神秘的六重奏曲」も聴くことができた。またベート・ダベザックなる新しいギタリストの非常に技巧的な演奏も聴くことができたし、ヴィラ=ロボスの5つの前奏曲全曲も写真の盤で聴くことができた。そしてその名声の割には、極端に録音の少ないマリア・ルイサ・アニードの滋味溢れる演奏が聴けたことも貴重な経験となった。

◆ただ全体を通して私の感じたことは、これらのLPにある演奏は、やはりブリームやジョンなどと比べられるレベルにあるものではない、ということであった。そしてどこか洗練されていない、ローカル色豊かといったらよいのか、どこかまだアマチュアじみた演奏が多いという印象を受けた。当然彼らがいずれ世界のトップレベルのギタリストになるとか、インターナショナルなアーティストになるとかといった感じはまったく受けなかった。

◆しかし、古いレコードもたまには聴き返してみなければいけない。今日久しぶりにこのトゥリビオ・サントスのLPをかけてみると、予想に反して、サントスさんのテクニックが素晴らしいのに驚かされた。昔このシリーズに含まれるサントスさんのLPを初めて聴いたときは、どこか田舎臭い、もっさりとした演奏(テクニック不足)、という印象だったので、その後あまり高い評価をしてこなかったのだが、今回このLPにあるヴィラ=ロボスの協奏曲で見せる鮮やかなテクニックにはおそれいってしまった。正直なところ、この曲については、今はこのサントスさんの演奏が一番かもしれない、とさえ思えるほど。

◆バックが現代音楽にも定評のある、フランスのパイヤール室内管弦楽団であるということも、音楽全体の品格アップに随分貢献している上に、録音もクラシックギターとしては雑味のない、鮮明で、また過剰なエフェクトもない、高品質な録音であることも幸いであった。

◆B面にあるヴィラ=ロボスの5つの前奏曲については、A面のコンチェルトの名演に比べて、冒頭の第1番における、抑揚のない一本調子な歌い方には少し疑問を抱かざるを得ないし、2番以降も現代のギタリストの演奏と比べると、随分地味な表現に終始している。ただこのLPが出た当時は、これでもまだ十分に新しい音楽、という感覚だったのかもしれない。
いずれにしてもこのシリーズ、手に入っているものだけでももう一度聴き返してみる必要性を痛感した。

イエペス&モンダンのデュオ

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◆最近は何故か昔聴いたギターのLPやCDを改めて聴いてみたくなってきた。そこで今日は10弦ギターのナルシソ・イエペスのCDを出してきた。

◆録音は1991年とあるのでイエペス64歳のときの演奏。その5年後、70歳になる半年ほど前、思いのほか若い年齢で亡くなっていることに少し驚く。

◆イエペスは随分若い頃からクラシックギター界の巨匠として第一線で活躍していたことと、その功績の偉大であることから、長い間私よりもずっと年長だろうと思っていたのだが、当時も意外と若いことに驚いたことがある。ただ、私がイエペスを始めて見たときから彼の頭には既に髪がなかったので(失礼)、私よりかなり歳上だと勝手に思ってしまったのかもしれない。

◆このCDにおいてデュオのお相手をつとめているのは、自身の教え子であるところのゴットリーフ・モンダンというベルギー生まれの女性ギタリスト。彼女はこのCDの他にイエペスのお相手をつとめて当時何枚かのLP(ドイツグラモフォン)に登場しているが、それ以外、私は彼女の演奏を聴いたことがない。

◆このCDには以下の作品が収められている。
 ①トマス・フォード:宮廷の調べ(小品6曲)
 ②カステルヌオーヴォ・テデスコ:フーガ・エレジアーカ(プレリュ
  ードとフーガ)
 ③F・カルリ:ヴェニスの謝肉祭(序奏、主題、変奏と終曲)
 ④R・ピポ:ヴィラ=ローボス讃歌
 ⑤P:プティ:タランテラ、トッカータ
 ⑥G.I.グルジェフ:狂言者の踊り 第5番
 ⑦J.ロドリーゴ:トナディーリャ

◆このCDを聴き始めてまず感じたことは、イエペスにありがちな"あの"つんのめったようなぎこちないところがまったく見られないことだ。非常にすっきりと、またリズムも発音も確実に演奏している。もちろんいつものようなそういった演奏では二重奏などできっこないことになるが。
とにかく始めの内はなかなか好ましい演奏が繰り広げられる。この辺りはイエペスもデュオとなるとあまり“自らの個性丸出し”というわけにもいかないのだろう。お相手のモンダンさんも師匠とのバランスをよく保持しながらとても良い演奏をしている。

◆しかし聴き進む内に、時折イエペスの個性が顔を出すようになり、そしてさらに使っている10弦ギターの特質であるふんだんな倍音と、通常のギターでは出ない、より低い低音がどうにも煩わしくなってくる。結果音楽が重いのである。もっと軽快な演奏をと望みたいのだが、どうしても10弦の鈍重な音が音楽そのものを重たいものにしてしまっている。(これは楽器の責任ではないと私は思っている)

◆ギターデュオとくれば、どうしてもプレスティ&ラゴヤと比較してしまうのだが、このイエペスとモンダンのデュオでは、特にプティやロドリーゴにおいては、その音楽の推進力が失われ、「ひたすら思い荷物をひきずりながら・・・」といった感が終始つきまとってしまい、肝心な音楽の魅力が失われてしまっている。

◆結局このCD全体を通して、稀代の大ギタリストであるナルシソ・イエペスが、人生の終盤に向かって(これをご本人が自覚しておられたかどうかは知る由もないが)何をやりたかったのか、私にはよく解らず仕舞いであった。

◆どんな楽器でもそうだと思うが、上手い奏者が二人でデュオをやっても上手くいくとは限らない。むしろ大したことはできないといった方が当たっている。技術も音楽の作り方も根本的に異なり、専門のデュオと同じようにはなかなかいかないのだ。ギターの場合は特にそのあたりが難しいように感じられる。

◆ドイツグラモフォンでの何枚かの録音の後、BGMに席を移してのイエペスのデュオだが、どうもその次が続かなかったようである。イエペスの体調の問題もあったのだろうか。
ただこれは私の持っている情報が不足しているだけなのかも知れないので、ご存知の方はお教え願えれば感謝です。

テデスコのギター五重奏曲/イスビン

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◆良い演奏のCDが手に入った。
演奏者は、今や女性ギタリストの大御所といって良いだろう、シャロン・イスビン(ジャケット写真中央)。

◆メインは①テデスコ作曲のギター五重奏曲 OP.143。そのほかに②ヴィヴァルディのギター(リュート)協奏曲ニ長調 RV.93、③トゥリーナの闘牛士の弔辞 Op.34、④ボッケリーニのギター五重奏曲ニ長調G.448。( 最終楽章が有名なファンダンゴで、イエペスの録音と同じように景気の良いカスタネットが入っている)

◆私はメインのテデスコに期待して購入したのだが、これが大正解。ギター五重奏曲は、LP、CD合わせて6・7枚聴いているが、中では今回のイスビンの演奏がトップ。やっと納得の演奏が手に入ったという感じだ。

◆今現役で活躍しているギタリストの中で、イスビンは最も聴きごたえのある奏者の一人だと私は思っている。
テクニックは機械のように正確だが、なんの面白みも感じさせないギタリストばかりが目立つ中で(おかげでギターに関しては、今では特定の奏者を除き、LPやCDを漁って買うという興味が薄れてしまった)、イスビンはそれら無味乾燥な演奏とは全く異なり、ギターならではの秀でた歌心を持っている上に、それがいつも行き過ぎておらず、非常に良いバランスを保っているため、一般音楽の演奏と比べても決して見劣りしない素晴らしい表現を見せる。(但し、イスビンもデビュー当時は目一杯ギター臭い、また田舎じみた演奏をしていた)

◆今回のCDもすべての曲に渡りこのギタリストの優れた才能を存分に味わうことができる上に弦楽四重奏のメンバーもとても良い演奏をしている。このようなギターのお相手をする弦楽四重奏について、これまで聴いてきた中では、今回のこのメンバー(パシフィカ弦楽四重奏団)は充分上位にランクされると言って良いように思う。

◆このCDで残念なのは、ボッケリーニにおけるカスタネットが、イエペスのLPで鮮やかなカスタネットさばきを見せた超一流の「ルセロ・テナさん」と比べると少々格落ちの感は否めないことと、弦楽四重奏とギターとの音量バランスはとても良いのだが、イスビンさんのギターの音色をもう少し明瞭にとらえてほしかった点。

東大寺 二月堂 修二会(お水取り)

◆3月の6日(月)、12年ぶりに奈良東大寺二月堂のお水取り(修二会)に行ってきた。以前のように昼過ぎ、駐車場に車を停めて、主に近鉄奈良駅周辺をぶらぶら。
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◆以前は奈良に行くたびに訪れていた中華料理屋さん。このお店の麻婆豆腐のランチが絶品だったのだが、今回は随分味が落ちてしまっていて残念。
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◆最近ではテレビでもお馴染みになった「つきたて餅」の中谷堂。有名な超高速餅つきの実演中。周りで見ている人の半分は外国の人達。
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◆猿沢の池のほとりから興福寺の五重塔を望む。
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◆2018年に復興された興福寺の中金堂。思っていたよりはるかに大きくて驚きます。
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◆中金堂越しに国宝の五重塔を望む。興福寺は藤原氏に最も所縁のあるお寺です。
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◆奈良の鹿は、観光客が売店で鹿せんべいを買うかどうか、近くからしっかりうかがっています。そして観光客が店に近づくやいなや一斉に寄ってきます。
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◆東大寺南大門の下に立っている、これも国宝の仁王像。その高さは8.4mもあり、初めて見た時はその大きさが信じられないほどでした。そして見る度に「こんなに大きかったっけ」と驚かされます。
そろそろ陽が落ちて暗くなり始めました。
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◆この坂を上り切ると、すぐ左側に修二会が行われる二月堂が見えてきます。
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◆そろそろ二月堂の下に人が集まってきています。
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◆午後7時きっかりに始まります。1200年以上の続いている、枯れかれに乾いているはずの木造の二月堂の回廊を、でっかい竹の松明を肩に担いだ人が駆け抜けます。大人の火遊びとも見えるのですが、よくこれまで火事が起きなかったものだと感心します。この日は運よく満月が・・・・。
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◆回廊を駆け抜けるお松明のアップ。(写真をクリックすれば拡大して見られます)
今は不可になっていますが、コロナ前は、この回廊に腰かけて、駆け抜ける大きなお松明を目の前で見ることも可能でした。この行が始まるまでに二月堂へ上がっていた人は、降りて帰るのもそこに残るのも自由なのです。堂の中では多くの僧が一心に経を唱えているのが扉の格子越しにうかがえます。

ブリームの弾くソル&ジュリアーニ

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◆私が大学を出た後の1975・6年ころではなかったかと思う。この写真にあるジュリアン・ブリームのレコードが発売された。A面がジュリアーニのロッシニアーヌ2曲、B面がソルのグランド・ソナタ  第2番  作品25  全曲。

◆当時私は、ジュリアーニはコンチェルトの第1番OP.30など、ブリームのレコードに合わせてよく弾いていたし、B面のソルのグランド・ソナタは、あまり弾いたことはなかったがその存在は知っていた。しかしジュリアーニの「ロッシニアーヌ」などという作品のあることは全く知らなかった上に、コンチェルトの1番以外、あまりいい曲が見当たらないと思っていたので、自分の知識の浅さにも愕然とさせられた。しかもそのブリームの演奏する、ロッシニアーヌのカッコよさに圧倒されてしまったのである。私が古典の作品にも、本当の意味で目覚めるきっかけだったような気がする。

◆私が真剣にギターに没頭していた10代から20代のころ、すでにソル,ジュリアーニ、カルリ、カルカッシ、コスト、メルツ、レゴンディ、そしてタレガ(当時はタルレガといった)さえも、すでに「過去の音楽」という感じがしていた。当然そういった作曲家の作品にはあまり目がいかず、練習曲と言えばヴィラ=ローボスの12の練習曲だった。

◆とにかくそんな時にブリームの弾く、ジュリアーニのロッシニアーヌである。多少聴き映え(素人受け)のする作品かも知れないが、とにかくやっぱり古典をもっと見直さなくては、という気がしたものだった。さぞかし作曲された当時も、ジュリアーニの派手な演奏に、大きな拍手や喝采が起ったであろうし、晩年はともかく、当時、時代を代表したビルトゥオーゾとしても、ひときわ輝いたことであろう。

◆そこで今回のもう一人の作曲家、フェルナンド・ソルである。現代において、ソルの立ち位置は、先のジュリアーニよりも高い。それもうんと高い。なにしろギター界では、ソルのことを「ギターのベートーベン」と呼んでいるのだから。

◆たしかにジュリアーニの作品と比較すると、ソルの方が構造的に見ても優れている。特に和声の扱いなどはジュリアーニの比ではないし、採用されている技巧を見ても、それまでのギター作品には見られない、かなり高度な手法が使われている。それらは弾く者にとって「ギターでそんなことまでやるのか?」と思えるほど難易度は高い。

◆しかしソルの作品は、その使われている高度な作曲技法に見合った効果が上がっているとは言い難いと私は感じている。簡単に言ってしまえば、演奏が難しい割には、聴くと退屈な部分が多い上にその芸術的内容もそれほど高いとは思えない。

◆もっとも、作品9のように、その初期にはなかなか良い作品を生み出していることを考えると、傾向としては人生後半になるにつれて作曲技巧の追及に没頭していく反面、芸術的インスピレーションが枯渇していったように感じられてならない。あるいはその逆であったのかも知れない。(インスピレーションの枯渇を作曲技法の追及で何とかしようとしたのか)

◆ここで先のブリームのレコードについてだが、ジャケット裏の解説を有名なジョン・デュアルテ(ドュアート)が書いているが、その中に面白いことが載っているのでここに挙げておきたい。以下はその原文のまま。

*スペイン人のソルとイタリア人のジュリアーニ、二人とも、ギターとその音楽に貢献するところの多かった偉大な演奏家だった。作曲家としては、彼らは、ベートーベン(初期の作品を除いて)よりも、ハイドンとモーツァルトを反映していた。
彼ら(ソルとジュリアーニ)の最高の曲ですら、こういう楽聖の作品とは比較にならないけれども、その優雅さ、新鮮さ、職人的妙技とギターに適切であることなどの美質によって、いまだに一聴の価値をそなえている。


◆このジュリアーニとソルの大曲が裏表に入ったレコード、やはり面白さ、楽しさ、感動の度合いからいって、圧倒的にジュリアーニのロッシニアーヌの方が勝っていたことは言うまでもない。

ドッヂソンのギター協奏曲(ジョン・ウィリアムス)

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◆LPレコードの生産がひところの10倍にもなったらしい。たしかに何社かのメーカーがアナログプレーヤーの生産を再開し販売も行っている。
私はCDだけでなくずっとレコードも聴いているので、また新譜としてLPも買えるようになってくれるといいなと思っているが、現在は輸入、国産いずれもまだまだ価格が高すぎて、果たしてこの状態がどこまで続くのか心配でもある。もっともCDにしても国内制作のものは1枚3千円以上しているのでLPだけが高価なわけではないが、しばらくしたら「やっぱりアナログレコードはめんどくさいわ」と次第に廃れていくことも考えられる。
いずれにしても、CDが登場したときのように、たちまちレコードを捨て、CD一辺倒になってしまうというような節操のないことはやめて、CD、LP、どちらも好みに応じて選べるようになってほしいものだ。そこで今日は久し振りにCBCソニーの発足第1弾となったジョン・ウィリアムスの演奏(写真)を聴いてみることにした。

◆ジョン・ウィリアムスがCBSコロムビアの専属になり、4枚のLPを出したあと、次の5枚目がこれだった。発売元はCBSコロムビアからCBSソニーに代わり、その第1弾であった。ソニーは発足第1弾としてこの他3・4枚同時に発売したが、それが今では何だったのかは忘れてしまった。
たまたまだったのかもしれないが、とにかく日本のソニーが世界のレコード業界に名乗りを上げた第1弾としてこのジョン・ウィリアムスのレコードが選ばれたわけだ。

◆ソニーのレコード業界進出はそのしばらく前から知っていたが、まさか私の一番好きなジョン・ウィリアムスの演奏が選ばれるとは思っていなかったので、大急ぎでヤマハ(名古屋)へ買いに走ったことを覚えている。レコード売り場で手にしたジャケットもなかなかしゃれたデザインで、それまでのクラシックレコードのジャケットにはないセンスが光っていた。それは1968年、私が20歳のときだった。

◆収録作品はA面がロドリーゴの「ある貴紳のための幻想曲」、B面がステファン・ドッヂソンのギター協奏曲第1番の2作品。チャールス・グローブス指揮のイギリス室内管弦楽団がバックをつとめている。

◆ドッヂソンという作曲家については、CBSコロムビアにおける、同じくジョン・ウィリアムスの2枚目のLPにおいて、パガニーニの大ソナタ(全3楽章)、グラナドス:スペイン舞曲第5番、ヴィラ=ロボス:練習曲第8番、ファリャ:ドヴュッシーの墓に捧ぐ、テデスコ:ソナタの終楽章(ヴィヴォ・エネルジコ)などの超名演とともにパルティータ第1番(全4楽章)という作品が収められていたことによって知っていたが、それまでの私にとって未知の作曲家であるドッヂソンとはどのような作曲家なのか、またその他にどんな作品があるのか、あるいはないのか、興味をそそられているところだったので、ここに収録された協奏曲は待ちに待ったものであった。

◆今聴くとすでに「現代の古典」といった感があるが、当時はギターの世界に新しい風が吹いてきたような、さわやかな印象をもって聴いた。そして忽ちジョンのマシンガンのように飛び出てくる強靭な音と機械のように正確なリズムや的確なアクセントに魅了され、自分もこんな曲を弾いてみたいという気持ちがむくむくと沸き上がってきたものだった。現在も当時の新鮮な驚きはいささかも変わらず、とにかくジョンの技巧が冴えわたる名演といって良いだろう。

◆因みにジョンは、CBSコロムビアのレーベルの3枚目でロドリーゴのアランフェス協奏曲とテデスコのギター協奏曲ニ長調を、いずれもユージン・オーマンディ指揮フィラデルフィア管弦楽団のバックにてリリースしている。録音は1965年、ジョンが初来日をした直後。
当時、このような超一流の指揮者とオーケストラが、ギタリストのバックを引き受けるのをあまり聞いたことがなかったので、いかにジョン・ウィリアムスの技量が世界的に買われていたかの証だろう。

◆このアランフェスは、スペインの香りはあまり感じさせないが、技術的にあいまいさのない毅然とした演奏で、ともすれば甘い感傷に走りがちなギタリストに疑問符を突き付ける正統派クラッシックの演奏といっても良いのではなかろうか。
またテデスコについては、未だにこのジョンとオーマンディを超える演奏を私は知らない。
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