◆昔から、思い出したように棚から取り出して読み直す本がある。一般に随筆家といわれている白洲正子さんの本だ。随分昔になるが、初めて読んだときはまるでチンプンカンプンで、これは今の私には歯がたたないと思った。
◆とにかく、その著作の中で、歴史、文学、美術、書画・骨董、能(彼女はお能という)などに対する、おそろしいほどの博識さで、愛情あふれた、美しい文章を綴っておられるが、残念ながら、こちらにそれを理解するだけの素養が備わっていないため、書かれていることが正しいことなのか、間違ったことなのか、あるいは少し異を挟む余地のあることなのか、それとも定説となっているほど当り前のことなのか、とんと解らなかった。
*蛇足ではあるが、この白洲正子さんの本、句読点の打ち方がまったく見事というほかない。
◆この本を読んでいると、白洲正子さんが「おじいちゃん」と呼び、師匠でもあった青山二郎の日記にあったという「対等でない相手とは喧嘩をしない」という言葉通り、まさに、私と白洲正子さんでは、話をしたとしても、議論にもなにもならない。書いてあることについて、反論はおろか同調すらできず、ただ「そうなんですか」と受け取っておくしかない。
あまりにも深い知識、豊富な経験、鋭い感性といったものに基づく教えや思想は、それを正しく理解するためには、聴く側にも同じような知識、経験、感性が必要とされる。
◆この白洲正子さんの本、今回もう一度読み直してみると、以前に比べて、わずかだけれども理解できる部分が増えたような気がするが、いつになったら完全に理解できるようになるのであろう。すでにお亡くなりになっているので、かなわぬことではあるけれども、いつかは議論のひとつもできるようになりたいものだ。それまでは、折に触れ、棚から取り出して、何度でも読みかえすつもりだ。それが私にとって、ひとつの指標になっている、と言ってもよい。