◆今の季節は、私の住んでいるマンションでも湿度80%を超えることはざらにある。当然この季節にはギターは湿気を吸って鳴らなくなる、と私も長い間そう思ってきた。
◆私の持っているギターは1974年製のヘスス・ベレザール・ガルシアと1968年製の河野 賢の15号。(当時河野の最高グレードは10号で、15号は全くの特注製品だった)
10年ほど前に2本ともケースから出して少しずつ弾くようにはしているが、それまでは事情があっていずれのギターも弾くことなくケースに入れたままという状態が長く続いていた。特に河野ギターは30数年ケースに入れっぱなしだった。
◆ベレザールの方は、数年前、研究用としてある製作家の方に1年3か月ほど貸し出したりしていたこともあったので、それほどでもなかったが、河野の方は「もうだめか」と思うほどまったく鳴らなくなっており、誰かに進呈するかたちで手放すことを本気で考えていた。
◆その後は当然ベレザールの方ばかり弾くことになったのだが、そのベレザールもその後年を追うごとに鳴らなくなり、こちらも「もう寿命なのかな?」とさえ思ってしまうほどだった。
◆ベレザールの特徴は、その師匠であるエルナンデス・イ・アグアドと同様、弦高、テンションいずれも低く、軽いタッチで明瞭な音が出るという、とにかく楽に弾ける楽器だったが、調子が悪くなってからは、弦のテンションはやたらに強くて重く、簡単には鳴らなくなってしまった。一番びっくりしたのは、弦を交換したにも関わらず、替える前より弦が重く、テンションも強くて鳴らなくなってしまったことだった。特に梅雨どきから夏にかけてはまったくひどい状態だった。
◆当然湿度が原因と考えられたので、寝ている間だけでも湿気にやられないようにと、乾燥剤を入れたケースにしまうようにしていた。翌日ケースから出すと、直後はまあまあ鳴るのだが、5分もすれば元の木阿弥。弦は重くて硬くなるし、音も出なくなった。いくらケースに乾燥剤を入れてあったとはいえ、外に出せばいきなり高い湿度に晒されるわけだから当然と言えば当然だ。また扇風機やエアコンの風が少し当たっただけで途端に鳴らなくなったのにはまいってしまった。
◆そんな状態にほとほと困って、一昨年の10月ころだったか、名古屋のギター製作家、加納木魂さんを訪ねた。加納さんとは久方ぶりの再会だったが、加納さんは暖かく迎えてくれて、お昼前から夜遅くまでいろいろな話に花が咲いたのだが、そこで加納さんに自分の楽器を見てもらい、これまでの状況を話してみた。すると加納さんから「いつもギターはどうしてあるの?」と問われ、私が「夏場は特にちゃんと乾燥剤を入れたケースにしまっています」と答えると、即座に「あかん!ケースはギターをどこかへ持ち出すときに使うもので、普段は壁に掛けておくかスタンドに立てておくようにしないと!そして特に乾燥剤はだめ!」とおっしゃった。つまり、加納さん曰く、ギターをいつもケースに入れておくのは良くない。ましてや長い間ケースに入れっぱなしにしておくのは、木が自由に呼吸ができず窒息してしまうので、ギターの為には最も良くないことなのだそうだ。だからギターはなるべく風通しのよい部屋で壁に掛けておいて、自由に呼吸をさせてやるのが最も良いとのことであった。また空気の入れ替わりがなく、空気が淀んでいるような部屋も同様、楽器のためには良くないとのことであった。
◆ギターは乾燥のし過ぎで壊れることはあっても湿気で壊れることは絶対にない、とは他の製作家の方からもよく聞いていたが、しかしケースに入れっぱなしにしているとギター(木)が窒息してしまうとはその時初めて知った。またケースの中に乾燥剤を入れていても、ケースから出せば、即座に日本の高い湿気を一気に吸ってしまうのは当然のことで、このことも私の経験したことを裏付ける話だ。とにかく「日本の気候に慣れさせて、木に自由に呼吸をさせてやらんといかん!」とのことであった。
◆「とにかく試してみて」と言われたので、それからはベレザール、河野、共にケースから出しておくようにした。ちょうど秋から冬にかけての季節だったので、乾燥し過ぎないか多少心配ではあったが、思い切ってケースにしまうことを止めてみた。
◆そうすると、3・4か月経過したころだろうか、2本の楽器共に明らかに変化が見えてきた。少しずつ弦のテンションは下がり、音も出るようになってきた。その後も2本揃って明らかに変化は続き、1年を待たずして完全に調子を取り戻した。しかも手放そうと思っていた河野15号も、今ではベレザールに負けないような良いギターになってきた。弦長は665mmなので、今では大きい部類になるが、弦のタッチ、テンション、立ち上がり、音色、音量ともに素晴らしい楽器に変化している。もちろん梅雨であろうが夏であろうが、ギターが鳴り難くなるようなことはまったくなくなった。
◆最近では楽器を保管する恒温箱のようなものも発売されているようだが、出した時にどうなるか、気をつけなければいけない。重要なのは、ギターに対しいつも一定の環境を保ってやることではなく(やろうとしても実際は不可能)、ギターを不自然に乾燥させたり、木の呼吸を妨げたりしてはいけないということだ。自然の空気の変化のスピードに任せて木に呼吸をさせてやる、ということに尽きる。