シャングリラ(後編)
13. ワーズワース
143. エリスの告白

(夜。食堂で、第一厨房のキッチンメイドの有志が集まって、メイの送別会が行われている。送別会では、キッチンメイドたちが賄いで用意した料理と、キッチンから勝手に持ってきたシャンパン、ワイン、ジュースが並んでいる。キッチンメイドたちは、日頃の鬱憤を晴らすかのように飲み食いをしながら、他愛ないおしゃべりに花を咲かせている。そして、メイと仲が良くなった従僕たちも参加している。従僕たちが演奏する楽器に合せて、メイドたちは歌を歌い、ダンスを踊っている。宴会は夜遅くまで続く。)

―暗転―

(宴会が終わって、それぞれの部屋に戻り、エリスとメイは最後の夜を偲んでいる。)

メイ                「エリスさんとも、今夜でお別れですね。」

エリス            「いつでも会えるわ。同じお屋敷の中ですもの。」

メイ                「そうだけど。」

エリス            「ローズは、どうして、ここに来たの?」

メイ                「どうしてって。それは…」

エリス            「わたしはね。幼いころから、このお屋敷で働くことが夢だったの。」

メイ                「メイドになることが夢?」

エリス            「ううん。幸せになることが夢だったの。」

メイ                「それなら、わたしも同じです。」

エリス            「わたしたち姉妹は、このお屋敷のことをシャングリラって呼んでいたわ。」

メイ                「シャングリラ?」

エリス            「そう、シャングリラ。シャングリラは、幸せ者だけが辿り着くと言われた夢のお城のことなの。わたしは、いつか、シャングリラの王子様に見初められて、この夢のお城で、幸せになるって信じていたわ。」

メイ                「その幸せ者になったのは、いまの奥様というわけね。」

エリス            「そうね。もちろん、わたしたち姉妹も、やがて、それがおとぎ話だってことに気づいた。でも、わたしは、どうしても諦められなかった。両親は商売をしていて忙しく、わたしたちに構っている余裕はなかった。だから、姉のジェニーが、わたしの母親代わりだった。わたしは、そんな姉の反対を押し切って、この屋敷にやってきた。このお屋敷に行けば、自分も幸せになれると、本気で信じていたの。子供だったのね。でも、それは錯覚だったことが、ここへ来て、すぐに気付いたわ。でも、その時は、もう逃げ出すことすら出来なかった。ここへ来た当時は、わたしは、今のあなたと同じように、スカラリーメイドとして働かされたわ。先輩たちからは、毎日いじめられて、わたしは、その度に泣いていた。わたしは、ここへ来たことを、毎日のように後悔した。そんなわたしに、いつも優しく、勇気づけてくれたのが、姉だった。わたしが我儘を言ったばかりに、姉は巻沿いになったのに、そのことで、わたしを責めたことは一度もないわ。」(エリスは涙ぐみながら語った)

メイ                「素敵なお姉さんね。」

エリス            「ごめんなさい。こんな辛気臭い話をするつもりじゃなかったのに。」

メイ                「いいのよ。エリスさんとは、なかなかゆっくり話が出来なかったから。」

エリス            「ローズ、あなたには、このお屋敷に来たことを後悔してほしくない。あなたから、レディーズメイドになりたいと聞いて、わたしは、昔の自分を思い出したの。わたしも、なんとか、仕事が出来るようになって、やっと、周りが見えるようになった頃、レディーズメイドのルーシーさんに出会ったの。」

メイ                「ルーシーさん?」

エリス            「そう。ルーシーさんは、メイドたちの憧れだった。もちろん、わたしもルーシーさんの虜になった。というより、レディーズメイドに憧れていたの。当時は、レディーズメイドがどんなお仕事なのかさえ知らなかったけど、とにかく、着ているドレスも、住んでいる部屋も、お給金も、何から何まで違っていたわ。彼女は背が高く、スリムで、パーラーメイドさえ寄せ付けない高貴な容姿をしていた。わたしも、いつか、彼女のようになりたいと思っていた。でも、彼女は、暫くして、このお屋敷から出ていったわ。奥様の紹介で、華世蘭で一番の大金持ちと結婚したの。今は、きっと子どもが出来て、旦那様と幸せに暮らしていると思うわ。わたしも、ルーシーさんのように幸せになりたい。」

メイ                「ルーシーさんは、今、ウェルス男爵夫人となられています。それに、とても可愛らしいお嬢さんがいます。名前はアンジェリカお嬢様。」

エリス            「ああ、わたしも、もう一度、ルーシーさんに会いたい…。あと、アンジェリカお嬢様にも会ってみたい。」

メイ                「今度、お休みの日に会いに行きませんか?」

エリス            「だめよ。夫人に迷惑を掛けるわ。」

メイ                「大丈夫ですよ…。男爵夫人なら、きっと、歓迎して下さいます。」

エリス            「そうね…。ところで、ローズ。」

メイ                「はい。」

エリス            「この間の祝賀パーティーの時のことだけど。」

メイ                「ああ、ルイス様の。」

エリス            「ええ。ローズは、ルイス様のこと、どう思う?」

メイ                「どう思うかと言われても…。そうですね。あまり、奥様には似ていらっしゃらないですね。旦那様に似ているのでしょうか。」

エリス            「そういう事ではなくて、ルイス様のこと好きなの?」

メイ                「わたしが、ですか?」

エリス            「ええ、だって、パーティーの時、あなた、ルイス様のことを見ていたでしょ?」

メイ                「わたしがルイス様を?」

エリス            「ええ。」

メイ                「わたし、ルイス様には興味がありません。わたしは、奥様のご尊顔をひと目拝したくて、それで…。」

エリス            「そ、そうだったの。わたしは、てっきり…。」

メイ                「ところで、エリスさんは、あの時、パーティー会場で何をされていたのですか?」

エリス            「ローズ。誰にも言わないって約束してくれる?」

メイ                「ええ、もちろん。」

エリス            「アグネーゼにも言ってはダメよ。あのこ、すぐに言いふらすから。」

メイ                「はい。誰にも言いません。」

エリス            (さらに小声で)「わたし、ルイス様のことが好きなの。」

メイ                (声を上げて)「えぇっ!」

エリス            (指を口に当てて)「シーッ!」

メイ                (小声で)「ごめんなさい。」

エリス            「ほんとに誰にも言っちゃだめよ。」

メイ                「ベネット夫人と言うか、エリスさんのお姉さんは知っているの?」

エリス            「うん。お姉ちゃんにだけは、以前、相談したことがあるの。でも、諦めなさいって。」

メイ                「わかった、エリスさん。」

エリス            「え?何がわかったの?」

メイ                「わたしが、ルイス様とエリスさんのキューピットになります。」

エリス            「だめよ。」

メイ                「どうして?」

エリス            「わたしなんか相手にされるわけないじゃない。側で見ているだけでいいのよ。今までルイス様は、寄宿生活されていたので、偶にしか、お食事をお作りすることしか出来ませんでしたが、これからは、毎日、ルイス様のお食事をお作りすることが出来ると思うと、それだけで幸せな気持ちになるの。」

メイ                「そんなことないわよ。ルイス様も、エリスさんのことだったら、きっと気に入って下さると思います。だって、エリスさんは、とても、美人で、器量も良くて、優しくて、何よりもお料理が上手な女性ですもの、わたしとは大違い。エリスさんを好きにならない男性がいるとしたら、それは男ではありません。」

エリス            「それは、言い過ぎよ。あら、もうこんな時間。ローズ、もう休んだほうがいいわ。明日、遅刻でもしたら大変。」

メイ                「エリスさん、短い間でしたが本当にお世話になりました。」

エリス            「わたしこそ、ローズに会えて本当に楽しかった。」

(二人は別れを惜しみながら、それぞれの床に就く。時計は、午前0時を過ぎようとしている。エリスは自分のベッドに入る。エリスは突然涙を流して、声を押し殺して泣き出す。)

エリス            (「ローズ。ごめんなさい。わたしを許して。あなたをハウスメイドに推薦した理由は…、本当は違うの。ルイス様が好きな女性は、ローズ、あなたなのよ…。」)

―暗転―