まだ陽が顔すら出していない未明の刻。
街に満たされた冷たい厳格な空気は肌と共に気を引き締める。
息を吐く度に季節外れの白い煙が浮かんでは消えた。
依然街灯が照らす薄暗い街中には当然人気などない。
新聞配達をするバイクの排気音すら聞こえない。
見慣れた街並のはずなのに、どこか現実離れをして見える早暁の光景。
殆どの人間はまだベッドの中で安眠を貪っている。
そんな非日常感が漂う中をアカリは何の気負いも無しに歩く。
早起きが習慣の彼女にとってはいつもより少々睡眠時間が削られたに過ぎない。
いつもなら小一時間のジョギングをした後に身支度を済ませ、サトシの家へと向かう。
しかし今日は家族を起こさないように家を出て、そのまま海の近くの神社へと足を進めた。
サトシと学校帰りによく寄る神社。
二人の憩いの場所。
可愛がっている後輩の悩みをサトシと二人で聞いた場所。
それを邪魔された場所。
そして、サトシの新しい一歩を踏み出す場所。
小さな県道沿いに面した鳥居は苔に覆われている。
雑木林に囲まれた階段を登っていくと清涼な冷気がさらにその鋭さを増した。
数十段に及ぶそれを登り切るともう一度鳥居をくぐり、小さな境内に出る。
普段の朴訥とした寄り合い所のような慣れ親しんだ雰囲気はなりを潜め、幻想的な夜明けの中その場所は神聖な情緒を醸し出していた。
アカリの胸中は自然と畏敬の念に満たされ、敬虔な気持ちに身がより一層引き締まる思いに捉えわれる。
そんな中、見慣れた顔に聞き慣れた声が彼女を迎えると、彼女の心はふにゃりと柔らかく、そして暖かく解きほぐされた。
「遅かったな」
常夜灯が照らすのは道着を纏ったサトシの姿。
そしてその傍らにはやはり道着姿のチエ。
「なんかむかつくんですけど」
アカリは唇を突き出しながら彼らに近付く。
「一人で起きられるならいつもそうしたら?」
「気合入れないと無理。明日からはまたよろしく」
「あ、そう」
アカリは憮然とした表情で肩を竦めながらも内心は安堵していた。
今日くらいは自分で起きて約束の場所に行くと前もってサトシに言われていたが、本来なら彼の目覚めは彼女の仕事。
アカリはその作業が好きだったし、なによりウブな彼らにとっては、自然に恋人と気兼ねなく触れあえる数少ない機会だった。
それが不要となってしまっては、彼女にとっては決して多くない生活における潤いの一部が欠けたに違いない。
「チエちゃんも早いね」
「はいっ! 一睡も出来ませんでした!」
その言葉通り目の下にはうっすらクマが浮かんでいた。
アカリは甲斐甲斐しい後輩の頭を撫でながら、「この後チエちゃんのお別れ会があるんだから無理しなくていいよ。なんなら今寝る?」と微笑みかける。
そう。
丁度決闘の後、彼女はこの街を去る。
「おいおい。弟子に勇姿を示して見送るチャンスを奪うなよ」
「こんなのただの余興なんだからね。前座だよ前座」
アカリはサトシの抗議を無視してチエの頭を撫で続ける。
「いえ。絶対に目に焼き付けます」
寝不足の表情とは裏腹に、鼻息荒くそう息巻くチエに苦笑いを浮かべると、今度はやはり不満そうにサトシに視線を向けると、「わかってる? この後の事あるんだから怪我しないでよ」と念を押すように口にした。
「へいへい」
屈伸運動をしながら面倒臭そうに返事をするサトシの背中を「もう」と呆れながら軽く手の平で叩く。
その光景はどこからどう見ても付き合いの長い恋人。
それをやや離れた場所からそんな二人を睨みつける視線が一つ。
「くそ。いちゃつきやがって」
苛ただしげに口にするのはやはり道着を身に纏い入念に身体をほぐすリョウ。
そしてその横には眠気と冷気に身を縮こませる私服姿のシンジ。
アカリは当然彼らの存在にも気付いていたが一顧だにしない。
彼女が案じるのはそもそも勝負の行方などではなく、恋人が怪我をしないかどうかだけ。
「それにしても神崎先輩って、あんな風に笑うんだな」
シンジが何気なくそう呟く。
校内では男どころか人間が嫌いなのではないかと噂されるほど、素っ気ないを通り越して冷たい言動が目立つアカリだが、サトシの傍では年相応の無邪気な笑顔が目立った。
付き合うようになってからは気恥ずかしくて、校内ではあまり二人一緒に居る時間が少なくなった為か、その笑顔の希少性はさらに高まっていた。
リョウは指を鳴らしながら「へへ」と口端を持ち上げるとシンジに向き直った。
「お前もようやくあの人の魅力がわかったか」
まるで自分の恋人を褒められたかのように得意満面な笑顔を浮かべるが、その内心は嫉妬の炎が激しく燃え上がっていた。
(くそっ。なんだよ。これ見よがしにいちゃつきやがって。ぜってぇぼっこぼこにしてやる)
付き合いの長いシンジはそんなリョウの焦心を察したのか、肩に手を乗せると諫めるような口調で言った。
「とにかく、悔いの無いようにな。好きな人の前で格好良いところ見せてこいよ」
リョウは親友の応援に対して抱擁で応える。
「ああ。わかってるよ。ありがとな」
「俺とお前の仲だろ」
「絶対勝つよ。お前のおかげで最高のトレーニング出来たしな」
「は? なんだそれ」
「なんでもねー。じゃあ行ってくる」
(正確にはお前の彼女のおかげで、だけど。昨日もがっつりやらせてもらってし。ザーメンと一緒に邪念雑念を搾り取ってもらったよ)
砂利を踏みならし談笑を続けるサトシの背中に声を掛ける。
「そろそろ良いっすか?」
サトシは笑顔で振り返る。
「ん? ああ。悪い。待たせかな」
「余裕っすね。彼女とお喋りとか」
苛立ちを隠せない口調で挑発の笑みを浮かべるリョウ。
その間にチエが入る。
「ちょっと。試合前に突っかかるとかどういう了見?」
「う~るせえ。チビチエは黙ってろ。……神崎先輩、見てて下さいね」
リョウのその声にアカリは完全に無反応。
もはや素っ気ないというレベルの態度ではない。
視線すら合わさず、まるで存在そのものを無視している。
その態度はリョウをさらに激昂させた。
当然その激情の矛先はサトシだ。
リョウも馬鹿ではない。
自分の恋が実る芽が無いことは百も承知。
ならば、せめて二人の恋路を邪魔してやると歪んだ失恋の逆恨みに燃える。
(彼女の目の前でみっともない姿を晒させてやる。泣かせて、吐かせて、這いつくばらせて、情けない男だって思わせてやるよ)
対するサトシは何の緊張感も背負わず、まるで休み時間にトイレへ発つかのように、「それじゃいってくるか」と呟いた。
対峙する二人。
リョウの敵意を剥き出してにした、突き刺すような剣呑とした眼光にサトシはあくまで普段と変わらない様子で向き合う。
「あ、そうだ。ちょっといいかな?」
「……なんすか?」
サトシは左腕をゆっくり回しながら、「知ってるかもしれないけどこっちの肩さ、ちょっと古傷があってまだ上手く扱えてないんだ。出来ればこっちへの攻撃は無しにして欲しい。ただでさえブランクあるんだからそれくらいのハンデは良いだろ?」と照れ笑いを浮かべる。
「……別に良っすよ。それくらい」
会話が終わると一応とばかりにチエが二人の間に立ち「えっと、じゃあ一応急所と目つきは無しで……始めっ!」と声を掛けるが、そんな合図より遥か先に二人の闘いは始まっていた。
組み手ではなくあくまで真剣勝負。
審判など不要。
見届け人が背後に控えるのみ。
ヒヨドリの鳴き声が夜明けを知らせる。



「お、始まったみてーだぞ」
高台になっている小丘に建つ神社は雑木林に覆われていて、周囲からは境内で何が行われているかは窺い知る事はできない。
しかし遠く離れた高層高級マンションの下手なアパートの部屋よりよほど広いベランダからならば、その決闘場所は丁度見下ろせるロケーションではあった。
勿論通常の視力ならばサトシ達の姿は砂粒ほどの大きさとしか捉えることが出来ないほどの距離。
双眼鏡で覗くのは七雄。
アカリの暴走を心配しての監視役のつもりであったが、やはりいざ決闘を目の当たりにすると、普段可愛がっている後輩の応援に熱が入る。
(サトシに恨みがあるわけじゃないけど……まぁお前はこれから好きなだけアカリといちゃつけるんだしさ。今日くらいはリョウに華を持たせてやってくれよ。また入院させられるかもしんないけど。あーあー。リョウの奴怖い顔しちゃって。マジで病院送りコースか? でも心配すんなよ。そうなったらアカリが寂しい思いをしないよう俺が慰めててやるからな)
「ほらどうした! 飛びかかれ!」
双眼鏡を片手に太陽が顔が覗かせたばかりの街並に声援を響かせる。
「うるさいよ。近所迷惑だろ」
そう言って七雄の頭を叩くのは鮫島リンコ。
観戦の準備と早朝のコンビニに酒とつまみを買い出しに行くと、偶然見かけたので声を掛けたら着いてきた。
「いってぇな。お前のツッコミには愛がねぇんだよ」
「それこそお前に言われたくないよ。お前の愛の無いちんこのツッコミにどんだけの女の子が犠牲になってきたか」
そう言ってカラカラと笑う。
すっきりとした美麗な顔立ちに堂々とした口調だと下ネタも爽やかに聞こえる。
「つうかお前いつもこんな朝からジョギングとかしてんの? 流石だな」
「いや、今日は特別。ほら。これの発売日だったんだ」
リンコが得意気にジャージのポケットから取り出したのは丸めた雑誌。
「何だコレ。ファッション雑誌? お前でもこんなの見るんだな」
「特集コーナーよく見なって」
「え~何々? 『美人過ぎる総合格闘家鮫島リンコちゃん特集』? お~やるじゃん」
「いやぁ照れるなぁ。いきなり取材に来られてさぁ。そうとわかってたらもっと可愛いジャージ着ておいたんだけど」
「可愛いジャージってなんだよ。まぁ確かに見てくれは良いもんな」
「やめろよ馬鹿。企業一の美少女とか言い過ぎだって」
きゃーきゃー言いながら七雄の背中をばしばしと叩く。
「誰もそこまで言ってねぇよ」というげんなりした声は彼女の耳には届かない。
「で? それ買うために早朝の街を徘徊してたってわけ?」
「そう。五軒目でやっと見つけた。深夜から走り回ってようやく見つけたよ。まだ陳列してなかったんだけど無理言って買わせてもらった」
「よっぽど嬉しかったんだな」
「ま、あたしの隠れた乙女の一面ってやつ?」
彼女はくふふと心底嬉しそうに雑誌を両手で胸に抱く。
女性にしては上背がある方のリンコだが、その表情と身振りはまさに恋する乙女そのもので、若くして女子総合格闘界で名を馳せ始めた新人の威厳は欠片も感じられない。
「これで彼氏も惚れ直してくれるかな」
「なんだよ上手くいってねーの?」
「そうじゃないけど、試合が近付くとエッチしてくんなくなるんだよね。体調管理の一環とか言って」
「なんだそれ」
「あー、やっぱりもう少しセクシーに撮ってもらった方が良かったかなぁ。タンクトップだけにしてこんな風に胸寄せてさ。な? これどう? そそられる?」
上着のジャージを前のファスナーだけ開けてやや前屈みになって両腕で胸を持ち上げる。
ただでさえシャーリーやナオに匹敵する巨乳を有するリンコの肉丘がTシャツの上からでも存在を誇示するよう圧倒的に盛り上がる。
「……グッジョブ」
七雄は思わず見入って親指を立てる。
「あんま見んな。恥ずい」
リンコの肘打ちが頬に入って七雄は真横に吹っ飛んだ。
「お前が感想聞いたんだろが」
そんな抗議の声もどこ吹く風。
「でも彼氏はどっちかっていうと貧乳派っぽいんだよなぁ。この前部屋掃除してたら見つけたエロ本そんなんばっかでさ」などと唇を突き出し寂しそうに呟いている。
「マイペースすぎんだろお前」
「え? 何か言った?」
「……いや、もういい。ていうか観戦の邪魔すんなよ」
「お、そうだった。少年同士が決闘なんて面白そうな話にノコノコ着いてきてやったんだった。しっかし遠くて良く見えないな。よっと」
リンコの身体が魔力を帯びると一瞬で魔女として変身する。
といってもジャージからタンクトップとホットパンツに変わっただけなので、上着を脱いだけにも見える。
「うん。これでよく見える」
「おい。私用で変身すんなよ」
「悪用ってほどでもないんだし見逃してよ。大体公共の場所で決闘してる方が悪い」
「まぁそれもそうだな」
七雄も納得して双眼鏡を再び覗く。
というより下手に指摘してまた殴られてはかなわない。
リンコは背筋を伸ばして手をかざした。
ただでさえ身体能力に優れる彼女に魔力の身体強化が付加され、裸眼でもサトシ達の姿をいとも鮮明に捉える。
「あれ? どっちも動いてないな」
七雄が怪訝そうに呟くと、リンコが興味深そうに「ふぅん」と笑みを浮かべた。
「どうっすか? 解説の美人過ぎる女格闘家鮫島リンコさん」
「いやぁそうですねぇ」
そのフレーズを思いの外気に入っているのかリンコは嬉しそう身を捩らせる。
「嬉しかったのはわかったから」
七雄ももはや苦笑いを浮かべるしかない。
リンコは「いやぁ。あはは」と照れ笑いを浮かべると咳払いを一つして表情を引き締める。
「空手は専門じゃないけどどっちも結構な実力者ってのはわかるよ。拮抗してるから互いに動けないんだろうな。ただ……」
「ただ?」
「片方は明らかに左肩を中心に重心がおかしい。古傷でもあるのかね」
「お、正解」
「そんでもう片方は目が殺る気満々だな。試合をするって奴の目じゃない。壊すつもりか?」
「それも正解。よくわかるな」
「ほら。あたし達吸血鬼に能力奪われたじゃん?」
「そういやそんな事もあったな」
「あれから修行して新しい能力身につけたんだ」
「なんだよ修行って。そんなんで新しい能力使えるようになんのか」
魔女としての経験を深めればその成長に伴って、新しい能力が身につくことがあることは七雄も知ってはいたが、まさかそんな安直な方法は思いつきもしなかった。
「ユキノやアリスさんと山籠もりしたんだ。アリスさんなんてわざわざ子供を実家に預けてまで来たんだぜ? 『この子になんかあった時守れる力が欲しい』なんつってさ。いやぁ戦う母親は強いねぇ。それにしても楽しかったな。夜はテントで女子らしくパジャマパーティしてさ。酔った勢いで熊狩りに出かけたりとか」
「山奥で修行してる時点で一般女子とはかけ離れてるけどな」
「うっさいなぁ。ま、とにかく以前の敗北から反省して自分に足りないものを補ったわけ」
リンコは自分の目を人差し指で指すとにかっと笑った。
「そのおめでたい頭か?」
「違うわ! 目だよ目。観察力とでもいうのかな。前の能力は威力に拘って実用性0だったからさ」
「確かに。で? 具体的にはどういう能力なわけ?」
「他人の瞳を見れば何を考えてるのかが、その瞳に漢字一文字で浮かんで見えるようになった」
「へぇ。じゃ俺は?」
「見るまでも無いよ」
「いやいや。きっと『夢』とか『愛』って出てると思うぞ」
「ほう。どれどれ」
リンコが隣に顔を向けると七雄の視線は自分の首より下に向けられていた。
その瞳には当然『乳』と浮かんでいる。
「怒る気すら失せるわ」
溜息をつきながら視線をサトシ達に向き直す。
まだ二人は動きを見せていない。
「ちなみにリョウは? 坊主の方な」
「『壊』だな。古傷を攻める気かね。相手は『常』って出てるけど平常心ってことか」
「呑気なもんだな」
「試合においては悪いことじゃないけどさ。でもちょっと意識の差がありすぎんじゃないか。勝負にならないぞこれ」
七雄は少々顔をしかめた。
逆恨みからくるリョウの憎悪が空手の勝負から、ただの一方的な暴力に変わることを懸念していたがどうやらその通りになってしまったことに落胆する。
彼は実際リョウに対してほどではないにしろ、サトシに対しても確かに愛着があった。
彼は基本的に同性には優しい。
特に年下に対しては父性愛とも言えるほどの甲斐甲斐しさを発揮する。
菖蒲の花で自身とアカリの性行為を見せつけたのも、常人には理解し難いが彼なりの純粋な親切のつもりだった。
(リョウ……せめて半殺しくらいで済ませとけよ)
サトシの身を案じて内心そう呟く。
同時にリンコが口を開いた。
「お、坊主の方が『蹴』に変わった。動くぞ」



リョウの得意技は右脚での上段蹴り。
そしてサトシの古傷は左の二の腕から肩に掛けて。
待ちの構えを崩そうとしないサトシに対してリョウは内心ほくそ笑む。
(田中先輩。これ真剣勝負って言ったでしょ? 組み手じゃないんですよ? 緊張感無さ過ぎでしょ。俺がスポーツマンシップに則って約束を守るとでも思ってるんですか? 一本を宣告する審判も居ないんですよ? 彼女の前で後輩のワガママに付き合う寛大な先輩を演じたいんだろうけどさ、生憎俺は空手の勝負なんてやるつもり毛頭無いんだよ。ぶっ倒された後、そのまま顔面潰してあげますよ。神崎先輩が目を逸らしたくなるほど不細工にね。キスなんて出来ないように唇潰して、手も繋げないように指もぐしゃぐしゃにしてやる。ああそうだ。もう二度と神崎先輩の笑顔が見れないように眼球も潰してやろうか。どうせあんた神崎先輩に微笑みかけられる度に、『皆には冷たい恋人が自分だけに見せてくれる素の表情』なんて悦に入ってんだろ? うぜえよそういうの)
地面を踏み抜くように重心を左脚に全て預ける。
同時に右足を浮かせてそのまま地面から鋭角に突き上げた。
(まずはその左肩。遠慮無く、ぶっ潰す!)
悪意を伴った蹴りがサトシの左半身目掛けて空気を切り裂いていく。
軌道。
速度。
膂力。
正しく習熟されたはず武力に邪念が纏うことでそれは一方的な暴力と化す。
「なっ!?」
いとも容易く約束を反故する攻撃を放ったリョウに対して、思わず声を発したのはチエ。
リョウの脛は憎き恋敵を叩き伏せる槍となった。
乾坤一擲の先手。
リョウは巧妙に呼吸も外していた。
これで回避も不可。
実戦から離れていたブランクが如実に表れる。
残る防御の手段は受け流すことのみ。
しかし狙われた箇所は軽度とはいえ障害が残る左腕。
精密な動作は困難極まる。
実際その獰猛な爪が迫ろうともサトシは諦めたかのようにぴくりとも反応しない。
脛が肩を強打すると鈍い音が響き渡る。
肉が潰れ、骨が軋む音が不吉な轟きを奏でた。
サトシの上半身が激しく横に揺さぶられる。
なんとか立ち姿勢を続けられてはいるものの、叩き付けた蹴りの手応えはリョウに勝利を確信させるほどに鮮やかだった。
得も言われぬ快感がリョウの背筋を振るわせる。
(おらっ! とりあえず無様に泣き喚け! 卑怯だぞって負け犬の遠吠えを聞かせろや)
リョウは口端を歪めながらサトシの顔を覗き見る。
痛みと驚愕に塗れた苦悶の表情を期待する。
しかし、呆然と一瞬動きを止めてしまったのはリョウだった。
サトシの目は真っ直ぐリョウを見据えていた。
そこには確かに古傷を抉られた苦痛が見て取れた。
苦痛に顔を歪めている。
しかし不意打ちに対する嘆きは一分も見当たらない。
「良い蹴りだ」
賞賛の口調でそう呟くと同時に、サトシの腰の横で握られていた拳が一閃の輝きを放つ。
やや崩れた体勢からでも教科書のような正拳中段突き打ち抜かれた。
音すら聞こえない。
時が止まったかのような感覚。
チエはただでさえ大きな瞳を見開いて、その攻防を一時すら見逃さないよう見つめていた。
シンジには何が起こったのかすら理解出来ない。
アカリに至ってのみ、もう勝負の行方を確信したのか欠伸をしていた。
一瞬の静寂の後、どさり、と音を立てて膝を地に着けたのはリョウ。
そしてそのまま上半身から地面に倒れ込む。
サトシは突き出した右拳を引くと残心の体勢を取った。
退屈そうな口調でアカリが「はい。勝負有り」と片手を上げる。
するとチエの宝石のような瞳がさらに輝きを増す。
しかしその光彩には感動とは別に、憤怒の感情が入り交じっていた。
一歩足を踏み出すと、意識を保っているかどうかすら定かでない伏したままのリョウの背中を睨み付ける。
「ちょっとあんた! どういうつもり……!」
その口を横から強引に塞いだのはサトシの右手。
瞬きする間も無くリョウの水月を穿った右手。
決闘に打ち勝った右手を目の前に差し出されてはチエも黙る他無い。
畏敬の念を持ってその拳のいうがままに制される。
サトシは「ふぅ」とまるで宿題の一つをやり終えたかのような気軽さで息を一つ吐くと、シンジに対して気さくな笑顔を向けた。
「リョウ君の事頼むな。鳩尾綺麗に入ったからしばらく息出来ないと思うけど、放っておいたらその内一人で立てるようになるから」
「……は、はい」
ただただ呆然とした表情でそう言い返すシンジにそう言い残すとサトシは踵を返す。
するとその後ろ足に手が伸びた。
今だ呼吸困難に陥っているリョウの右手が、サトシの道着の裾を掴む。
「……まだ……だ…………まだ、終わって…………」
サトシは困ったように頭を搔く。
するとシンジが慌てて駆け寄り、「降参、降参です! こっちの負けで良いですから」と友の背中を庇いながらサトシに懇願した。
「い、いや、そんな目で見られても……大丈夫。わかってるから」
再び決闘相手に背を向けるとアカリと目が合った。
「後輩苛めてる怖い先輩みたいだね」
微笑みながらからかう。
サトシはバツが悪いのか、「なんか俺が悪役みたいだな」と苦笑いを浮かべた。
「肩、痛くない?」
「すっげぇ痛い」
「一回帰ったら病院行くよ」
「へいへい」
まるでいつもの登校時のような会話を交わす二人にチエは呆然としながらも後ろを着いていく。
「……あの」
「お、チエちゃんもお疲れ。今日はこれからお別れ会だからな。俺も今日だけは受験忘れて楽しむぞ」
「明日から猛勉強だからね」
意地の悪い笑みを浮かべてアカリが横から指摘する。
「……現実に戻すなよ」
やはり二人の会話につい先ほどまで繰り広げた真剣勝負の余熱など微塵も感じられない。
それが不可思議でしょうがないチエは思い切ってアカリに尋ねた。
「あの、アカリ先輩……怒ってないんですか?」
「何が?」
「だってあいつ、約束破ってあんな攻撃……」
「勝負なんだから相手の弱点突くのが当たり前だよ。そもそも相手にあんな申し出するサトシがおかしいんだし。どうせ心理戦のつもりなんだろうけど」
「あ、バレてた?」
「分かり易すぎて逆にはらはらしたくらい」
「え? え? なんでそんな事を?」
チエが不思議そうに首を傾げる。
「ああ言えば絶対こっちの穴を狙ってくれると思ったんだよ」
「そうでなくてもあの子はああしてたと思うけど。サトシの怪我の事は知ってただろうし」
「まぁ念には念を入れたってことで」
サトシはそう言うとチエに向き直り言葉を続ける。
「多分だけど普通にやってたら俺が負けてたと思うよ。リョウ君は思ってたより強かった。でもいくら古傷だっていっても、来る事がわかってたら一発くらいは覚悟して耐えられるさ」
「気合と根性しか取り柄ないもんね」
「うるさいな」
そんな二人のやり取りを聞いたチエの口からは「はぁ」と感嘆の吐息が漏れる。
そして両手を胸の前で握り瞳を輝かせた。
「さっすが師匠です! 知略を巡らせた上での、肉を切らせる覚悟で骨を断った見事な一撃! これぞ実戦空手! しかとこの目で拝見させて頂きました!」
「いやそんな大袈裟な……」
サトシとアカリの声が同時に重なる。
そしてアカリはチエの頭に手を置くと呟いた。
「それにね、チエちゃん。あんなのは実戦でもなんでもないんだよ」
「ま、そうだな」
サトシもその言葉を受けてからからと笑う。
その意味がチエにはわからない。
彼女の目から見たら、どこからどうみても真剣勝負でありこれ以上ないほどの実戦だった。
サトシは一度境内を振り返ると、シンジがリョウの上半身を起こしているのが目に映る。
それを確認すると(良い友達が居て良かったなリョウ君。また手合わせしような)と心の中で優しげに語りかけた。

激しく咽せかえり続けるリョウの背中をシンジは優しく摩り続ける。
そんな彼の表情は暗い。
独断で勝負を止めてしまった事に対して罪悪感を抱いている。
最後まで見届けると約束したのに。
親友が全てを出し切りたいという想いを邪魔してしまった。
リョウの呼吸がようやく収まると、彼は申し訳なさそうに頭を下げた。
「……悪い。俺が勝手に……」
リョウは口端から垂れる涎とも胃液ともわからない粘液を袖で拭くと、青ざめた顔色のまま笑顔を無理矢理作ってシンジの肩に腕を回す。
「馬鹿、俺の完敗だよ。ありがとな。止めてくれて」
その言葉にシンジは安堵しつつも問いかける。
「スッキリしたか?」
リョウは「へへ」と笑い、その場で大の字になって寝転ぶ。そして真っ直ぐ空を仰ぎながらもシンジを視線を合わせた。
「あぁ。負けた負けた。あー畜生。……シンジ」
「何だよ」
「……マジでありがとな。付き合ってくれて」
「なんだよ今更」
「ずっと友達で居てくれよな」
あまりに真っ直ぐな言葉に、シンジは気恥ずかしくて視線を逸らしてしまうが、「……当たり前だろ」と小さく返した。
リョウはゆっくり瞼を閉じる。
「お前が居てくれたら失恋の一つや二つどうでもいいさ。それより残念会開いてくれんだろうな?」
「カラオケで良いか?」
「またカラオケかよ。まぁ良いけど。せめてナオちゃん呼んでくれよ。男二人でとか悲しすぎるしな」
「了解」
二人は肩を寄せないながら、青く染まり始めた空を笑顔で見上げた。

ベランダの柵に肘を乗せながら七雄は呟く。
「ちょっとサトシを見くびってたかな。流石アカリと縁が結びついてる男ってわけか。ただ呑気なだけじゃなく、常在戦場の平常心だったわけね」
「アカリ? もしかして例の神崎アカリ?」
七雄の隣で観戦していたリンコが食いつくように興味を示す。
「そうだよ。今更気がついたのか」
「成る程ね~。変だと思ったんだ。目の前で大の男二人が本気で殴り合ってんのに全く動じてない女の子が居たからさ」
「まぁあいつは普段からあんな感じだけどな。日常生活では不感症っつうか。でもベッドの上じゃむしろ……」
「んな事聞いてないっての。それで? かなりの実力って聞いてるけど」
「そうだな。まぁシャーリーくらいの潜在能力はあるだろうってお墨付きはもらってるな。ベッドの上での実力も。あ、これは俺の独断だけど」
「お前の頭ん中はそればっかか。じゃあ現時点では?」
「うーん。能力だけならともかく、魔女としての戦闘は実戦経験がモノをいうからなぁ……」
七雄は顎をさすると、ベランダから部屋の中を覗き、「あいつやお前と良い勝負ってところじゃねーの?」と口にする。
「へぇ。そりゃ良いね。是非スパーリングしてほしいな」
「その前に魔女になってもらわないとな」
「なってくれない感じ?」
「なってもらわないとまずい。誓約書で俺が死ぬ」
「あぁ……じゃあスパーリングは諦めようかな」
「そんな寂しい事言うなよ」
「だってお前が居ない方が絶対世の中の為じゃん」
「否定出来ない自分が悲しい」
「しかし熱い闘いを見せられたね。やばい。身体火照ってきた。すっごいエッチしたい」
両腕で自身の身体を抱きしめながら、そのグラマラスな肢体を武者震いさせる。
「お? じゃあ今から俺とどう?」
「やだよ。あたしがデカいの嫌いって知ってんじゃん。あんたのだと奥の方痛いんだってば。それに」
「それに?」
リンコは親指で室内を刺し示す。
「先客居るし。三吉の野郎も元気だね。もう夜明けだってのに。しかしユキノもユキノだよ。あんな奴の相手することなんて無いのに」
窓から見えるリビングでは、全裸の男女が激しく交わっている姿が覗き見える。
今は三吉がユキノを後ろから犯していた。
ひたすら女を責め立てる腰の動きに疲れは見えず、ユキノはユキノで与えられる快感に身を委ねるよう表情を蕩けさせている。
「こないだ会議さぼっちゃってさ。三吉がお怒りだったからユキノで勘弁してもらった」
「ったく。味方じゃなかったら吸血鬼なんかより、まずお前らから叩きのめしたいところだったんだけどな」
リンコは呆れる素振りでそう言うとベランダを後にする。
「そんじゃ」
「おーい。性欲処理してかないでいいのか? 我慢は身体に良くないぞ」
彼女は振り向かず、「彼氏が起きたら相手してもらうよ。これも早く見せたいし」とファッション雑誌を握った片手をひらひらと振りかざした。
その背中を見届けると七雄はベランダに寄りかかり空を仰いで息を吐く。
「ま、とりあえず何も起こらずに良かったか。後は落胆してる可愛い後輩にフォローを入れてあげて一件落着かな」



決闘が終わり半日が経った。
チエとの送別会も終わりを迎え、彼女との別れが刻一刻と迫る。
今は駅の構内で、チエが乗る電車を待っている。
アカリがふと席を外したので今はサトシとチエの二人きりだ。
二人ともベンチに座ってぼんやりと前を見据えている。
「なんだかすいません。こんな所まで見送り来てもらって」
「馬鹿。当たり前だろ」
「なんだか、未だに実感が沸きません。これで皆さんとお別れだなんて」
「そりゃそうだろ」
「そんなものなんでしょうか?」
「ああ。だって会おうと思ったらいつでも会えるんだしな」
「……はい」
その言葉にチエはぐっと喉を詰まらせた。
「これ最初で最後の師匠命令な。何かあったらいつでも連絡しろよ」
「……はい」
思わず涙が零れる。
純真な瞳から大粒の涙がぽろぽろと流れた。
彼女の頭をくしゃくしゃと愛でるように撫でる。
「俺たちはずっと友達だからな」
「はい」
涙を拭き、鼻を啜るとチエはおずおずと尋ねる。
「あのう。最後に教えて欲しいことがあるんですけど」
「おう。なんでも聞け」
「師匠が空手始めた理由ってなんなんですか?」
その質問にサトシは「む」とだけ言葉を発すると、周囲を見渡して二人きりであることを確認する。
そして咳払いをすると、「さっきの決闘の後でさ、アカリが『こんなのは実戦じゃない』って言ったの憶えてるか?」と逆に問い返した。
「はい。それも気になってました」
「実戦っていうのはさ、家で寝てたら刃物を持った強盗と対面したとか、買い物してたら拳銃を乱射してる薬物中毒の人間に突然出くわすとか、そういう事だと俺は思ってる。今日やったみたいな、『いついつに戦いましょう』なんて取り決めして、はいよーいドン、なんてのはただの勝負だよ。所詮試合の粋を出ていない」
「でも一応ルールも無しに近い形での勝負でしたよ?」
「俺はさ、いや、多分アカリもなんだけど、別に強い空手の選手になりたいわけじゃないんだ。アカリも剣道の選手になりたいわけじゃないと思う。本質としては武道家になりたいってわけでもない。ただ大切なものを守れる力が欲しいんだ。だからそれが理由だよ。子供の頃はさ、アニメや漫画のヒーローに憧れてこの世界纏めて守りたいって思ったんだ。でもちょっと成長するとそんなの自分一人の腕力だけじゃどうにもならないことに気付くわけだ」
一旦そこで言葉を句切ると、拳を握りしめてそれを見つめた。
「でも何か……そうだな。それこそさっき言ったような『実戦』の場がもし訪れた時、隣に居る大切な人一人くらいを守る為の力は欲しい」
「それが空手を始めて、続けた理由……」
「まぁ、そうなるかな」
サトシは頬を染めながら照れ笑いを浮かべる。
「じゃあ怪我で一度止めた時は……辛かったでしょうね」
「いや。実のところそれほどでも無かった。その時は既にアカリも剣道でめきめきと頭角表してたからな。もしかしたら俺より強いんじゃなかってくらい。剣道三倍段っていうしさ。もう俺が守る必要なんてないか、なんて思ったんだ」
「じゃあどうしてまた再開しようと?」
サトシの表情から照れ笑いが消えて、代わりに真剣味を帯びた憂いの色が浮かぶ。
「俺この前まで入院してただろ? アカリも不安だったろうにそんな素振り全然見せないで俺を見守り続けてくれた。俺が入院中に辛いことが一杯あったんだと思う。あいつ結構顔に出るからさ」
「それわかるの師匠だけですよ。きっと」
チエは愉快げに口元を緩ませる。
「そうか? まぁとにかく、俺がもっと強かったらあいつにそんな想いをさせずに済んだなって思ったんだ。そしてこれからは、そんな事が二度と無いようにしたい。それだけさ。俺は特に距離が近いから時々忘れちゃいそうになるんだけど、あいつもただのどこにでもいる女の子なんだよな。アカリの強さにちょっと甘えすぎてたなって反省した」
「そりゃそうですよ。いくらまほ……」
「まほ?」
「いやなんでもないです」
チエは慌てて首を横に振る。
それを怪訝に思いながらもサトシはチエに問い返した。
「そういえばチエちゃんは?」
「え?」
「チエちゃんは、どうして空手を?」
「……どうして、でしょう。ただ漠然と強くなりたい、って思ったんです。駄目ですよね。こんなあやふやな気持ちじゃ」
「別にいいんじゃないか? それでも」
「いや。駄目なんです。これじゃきっと…………あの、あたしもいつか、見つかるでしょうか? 師匠みたいな、強い想いで拳を握れる理由が」
チエは思い詰めたように拳を握る。
小さく可憐で、そして弱々しい手。
その上からサトシはそっと手を重ねる。
「ああ。いつかきっと見つかるよ。チエちゃんなりの拳の使い途ってやつがさ」
「あたしの……拳の使い途」
小さな拳を見つめるチエの瞳にはどこか諦観めいた澱みが浮かんでいた。

チエを見送ったサトシとアカリは夕陽が沈みつつある街を並んで歩く。
チエは姿が見えなくなるまで電車の中で大きく手を振っていた。
その姿が脳裏から離れず、二人の胸中には未だ大きな空虚感が広がる。
「……寂しいね」
「そうだな」
「……でも、いつでもまた会えるよね?」
「当たり前だ」
普段はサトシ以外の他人では感情を見せないアカリですら、その声には哀愁に満ちあふれていた。
「チエちゃんならどこ行っても好かれるよね?」
「アカリみたいに無愛想じゃないからな。大丈夫だろ」
「そうだよね」
冗談のつもりだったが真面目に返されてサトシは苦笑いを浮かべる。
アカリの物憂い気な表情はサトシとの問答で多少は晴れやかになる。
そして胸元の指輪を握ると、「チエちゃん……あたしも頑張るから」と呟いた。
一期一会。
彼女との別れが、アカリの意識を大きく揺さぶる。
今ある幸福。日常。それらがどれだけ尊いものかを再認識させてくれた。。
「え?」
「なんでもない。……あのさ」
「ん?」
「明日からまた受験勉強だね」
「だから現実に戻すなよ」
サトシはとほほと肩を落とす。
「そうじゃなくてさ、その間あたし、ちょっとバイトしようかなって思って」
「バイト? なんで?」
「……ペアリング、あたしからもプレゼントしたいから」
「そっか」
「うん。あたしだけ首からぶら下げてて寂しいし」
「それだったら同じのサイズ変えて買い直そうか?」
「お金勿体ないよ。それに、これはこれで身につけておきたいから。折角サトシが選んでくれたものだし」
「わかったよ。楽しみにしてる。でも急にどうしたんだ?」
「あたしね、サトシが好き。だから、一緒の指輪を着けていたい」
浄化を終えて以来、ずっと悩んでいた。
彼の恋人で居られる資格。
でももうそれも終わり。
自分は、この人の恋人なんだとサトシ本人に、そして世界に対して宣言する。
これからもあの過ちを忘れることは無いだろう。
これからも一人で贖罪を続けることになるだろう。
それでも、もう迷わない。
ずっとサトシの傍に居たいという気持ちから目を逸らさない。
「だから、これからもよろしくね」
「な、なんだよ改まって」
「なんとなく」
「変なやつ」
「お互い様」
いつの間にか二人の手は結ばれていた。
そっと包み込むように、穏やかに指が絡み合っているだけなのに、二度と離れない力強さも同時に感じられる。
「これからも、ずっと一緒だから」
どちらがそう言ったのかはわからない。
二人の声が完全に重なったから。
オレンジ色の光が街並と同時に二人の行く末を祝福するように照らす。

その晩、二人は久しぶりに交わった。
場所はサトシの部屋。
二人で勉強をすると言えば疑う者は誰も居ない。
そもそも二人がそれぞれの家を行き来すること自体がまさに日常茶飯事。
これが二人の初体験と表現しても差し支えないかもしれない。
サトシはアカリの大人びた肢体に没頭し、アカリは不器用ながらも愛を感じる情交に身を任せた。
やはりサトシの不慣れな腰つきや手つきに、アカリの成熟しきった性経験からは物足りなさを感じたが、それでも今までの男からは感じられなかった暖かい幸福感に包まれた。
魔法少女時代に男を果てさすために鍛え上げられたアカリの身体は、サトシを挿入直後に抗えない快感によって射精に導く。
アカリはそれでもサトシを力強く抱きしめた。
やはり彼こそが特別な人なんだと、至福の感情に包まれながら涙を流した。
病院でした忙しない状況での、それも罪悪感から逃れるために半ば義務感でしたセックスとは違う。
本当にお互いが求め合う、愛を確認しあう行為。
肌と肌。
粘膜と粘膜。
それらが重なること自体に意義があった。
快感などという付加価値は要らない。
自分とサトシの匂いが交じり、意識が交じり、想いが交じるのを確かに感じた。
正常位で首に腕を巻き付けながらアカリが問う。
「左肩、痛くない?」
「大丈夫。てか抜かないと」
「もう少しだけ」
「漏れない?」
「別に良い」
「良くないだろ」
「今考えてる事正直に言って良い?」
「なんだよ」
「引かない?」
「いいから言えって」
内心サトシは不安になっている。
早漏だと馬鹿にされるのではないかと。
しかしアカリの口からは、安堵しきった穏やかな声が漏れる。
「サトシの赤ちゃん、早く欲しいなって思った」
何も気持ち良く無いセックス。
性的に高揚すらしていない。
それなのに、サトシと交わるとアカリは自然とそう思った。
そう思えた事に安心した。
膣は濡れてすらいない。
むしろ痛いくらいだった。
それでも、アカリはサトシと繋がれた事が幸せで堪らなく、生まれてきたことに感謝すらした。
あまりの甘い言葉にサトシの頭がくらくらと揺れる。
大好きな彼女と裸で繋がりながら、そんな事を言われては堪らない。
身体中が幸福でぶるぶると震える。
細胞が歓喜しているかのよう。
それはアカリも同様。
アカリはその身体を殊更愛おしそうにきつく抱きしめた。
「大好き。愛してる」
補給の為の演技でもない。
性的快感による高揚から作られた言葉でもない。
アカリは生まれて初めて、セックス中に男を心で愛した。





魔法少女と呼ばないで2
序章、おわり
及び一時中断

次回より『魔法少女と呼ばないで after』開始
第一話 「僕が、あたしが、戦う理由」
年末投下予定






とあるカラオケの一室。
誰も歌など歌っていない。
とはいえ周囲の部屋からは耳をつんざくような爆音が鳴り響いている。
そんな中シンジはソファに横たわり完全に熟睡している。
もし隣室で爆発があったとしても起きそうにない。
そのソファが面する壁についている両手はナオのものだった。
ジーンズと下着をずり下げられ、立ちバックの体勢でリョウに犯されている。
ズン、ズン、と音を立てて彼女の腰にリョウの下腹部が突き立てられる度に、その結合部からはくちゅ、くちゅ、と卑猥な音と、ナオの口からは「あっ、あっ、あっ、あっ」という我慢しきれない嬌声が漏れる。
しかしそのいずれも楽しげに盛り上がる隣室の騒音に掻き消されてしまう。
セーターを首下まで捲り上げられ、ブラジャーを外され露出したナオの乳房は、重力に従いそのボリューム感をさらに増すよう地面に向いていた。
リョウが腰を前後する度に激しく揺れる肉の双丘の先端は、時折熟睡するシンジの顔に擦る。
「リョウ、君……だめ……シンジ君……起きちゃ……あっ、あっ、やっ、お願い……あん、強い」
シンジが起きるはずもないことをリョウは知っている。
彼が睡眠薬を盛ったからだ。
そして親友の目の前で、恋人を犯す事で敗北という屈辱に対して溜飲を下げることにした。
「大丈夫だっての」
そう吐き捨てて、背後から胸を左右から挟みこむよう強く揉み上げる。
片手では掴みきれない豊かな乳房は、それぞれの手の指から肉がこぼれ落ちた。
「こんなやらしく揺らしやがって。彼氏の親友誘うとか最低じゃね?」
勿論ナオにそんな気が無いことを知っての言葉責め。
そもそも自分から脅迫して犯しているのになんて理不尽な言い草だ、とリョウは自嘲するよう笑みを浮かべる。
「や、だっ……もう、やめ……あっ!あっ!そこっ!だめっ!」
もう何度となく身体を交わし、七雄の助言もあってナオの弱点を把握したリョウは、彼女の快感を完全に支配する。
こんな場所でのセックスをするという羞恥心。
まさに目の前に彼氏が居るという罪悪感。
巧みな腰使いで中まさぐられつつ、絶頂へと昇りつめると、その全てが快感のスパイスに取って代わる。
「やだ……やだ……」
彼女の顔は恥辱に染まる。
かつて感じた事が無いほどの背徳感。
しかし最早頭にあるのは迫り来るう白い爆発のみ。
「あっ!あっ!いっ!イクっ!だめっだめっ!こんなの、やっ……あっあっあっ! イック! イクイクイク! あああああっ!!!」
がくんと膝が落ち、ぶるぶると痙攣するナオの腰を見下ろしながら、リョウは苛ただしげに舌打ちをした。
「お前の彼氏が邪魔しなかったらまだわからなかったのにさぁ……本当余計なことしやがって……」
憤激を隠そうともせずに、挿入したまま中指でナオのアナルを一息に根元まで刺し入れる。
「ひっ、あっ、あっ、ひぅ」
「ちゃんとメールしたとおり準備してきた?」
未知の絶頂の余韻から抜け出せないナオは、声にならない嬌声を上げながらもこくこくと頷く。
シンジがナオを呼んだ際に、リョウも『今日もアナル苛めてやるから洗ってこいよ』とメールをしていた。
少し乱暴に、狭いナオのアナルを拡張するようぐりぐりと指で円を描く。
「あいっ、ひ、ひん……はっ、はっ、やっ、ん」
「聞いてる? お前の彼氏のせいで俺負けちゃったんだけど?」
「やっ、ん……んっ、あ…………シ、シンジ……君は…………リョウ君を心配……して」
「知らねーよ。後ろから不意打ちでもなんでも出来たんだよ。こんな風にさ」
リョウは指と男根を同時に抜くと、亀頭をアナルに押し当て、両手で腰をがっつり掴むと、「ふっ」という呼吸と共に一気に腰を突き入れた。
「ひゃっ、うっ!」
ナオが首を仰け反らす。
「あー。ナオちゃんのアナル、いつまで経っても狭いまんまだね。きっつきつだよ。ほら、腰引くときゅうってくっついていくる。なぁ? シンジ? 見えるか? ひょっとこみたいだぞ。お前の彼女の尻の穴」
角度的にも状況的にも見えるはずもないが、リョウは挑発するような口調でそう言い放つ。
シンジではなく、ナオを辱しめるための言葉。
事実ナオの瞳に涙が浮かぶ。
「うっ、く……うぅ」
「泣いてる暇あったらもっと締めろって。きついの入り口だけだぞ。ほら。ほら。前教えただろ」
ガツガツと貪るようにピストンを再開する。
「あっ、くっ、うっ、ううっ…………やっ、あっ、あっ、ひっ」
ナオの両手は何かに縋り付くように、何の出っ張りの無い壁面を掴むように開閉する。
しかし指がかりかりと壁を引っ掻くだけ。
「あひっ、ひっ、ひんっ、いっ、あ…………あっ!あっ!あっ!あっ!だめ、はげ、しっ!」
「おら、もうすぐ出るぞ。いつもの言えよ」
「や、やっ、やだ……こんな、やだ」
ナオの視線が真下で寝息をかいているシンジに向けられる。
「言わないと終わらせねーから」
その言葉に「ぐ」と彼女の喉が鳴った。
そして小さく「ごめん」と囁く。
「おらっ! おらっ!」
肉と肉がぶつかる乾いた音が、バン、バン、バン、と激しく響き渡る。
直腸の中でリョウがより一層膨張したのがわかった。
「あっ!あっ!だめっ、ケツマンコ、イク! ケツマンコに、ザーメン、頂戴っ!」
その瞬間、周囲の部屋の大音量が鳴りを潜めた。
丁度歌い終わったのだろうか。
ナオの痴態がもしかしたら外に漏れたかもしれない。
そう思うと、直腸に精液を注ぎ込まれながら、ナオはまた別の恥辱に身体を打ち振るわせる。
親友の目の前で、その彼女のアナルの中で暫く射精の余韻に浸ると、リョウは男根をぬるりと引き抜き、それを受け入れていた穴がひくひくと形を保ったまま、どろりと精液を吐き出すのを見届けると、「じゃあ俺帰るから。シンジ起きたら一緒に帰れば? 金は払っといてね。俺の残念会なんだし」とだけ言い残して、まるで無駄な時間を過ごしたな、と言わんばかりの態度で部屋を出て行った。
一度部屋の中を振り返ると、気を失ったように熟睡しているシンジの上半身に覆い被さっているナオが、肩を振るわせて嗚咽を漏らしているのが見えた。
「へっ」
その様子を見て鼻で笑い飛ばして店を出て行く。
鬱憤は晴らせきってはいない。
無性にむしゃくしゃする。
「くそっ!」
足下に転がっていた空き缶を力一杯蹴る。
からんころんと音を立てて飛んでいったが何の慰みにもならない。
すると携帯が鳴った。
メールだ。
億劫だが一応確認する。
着信音が七雄のものだと知らせていたから。
『あんま落ち込むなよ。きちんとお前にも美味しい思いさせてやるからさ』