エピローグ



 袖時雨の存続を賭けての勝負から一月ほどが経った。
 僕はといえばあれから一切牌を握ってすらいない。タコで硬くなった指先が寂しく感じる事もあるが、いい加減拠り所を巣立つ時が来ていたのだ。
 学校帰りの夕方。駅前のロータリーから袖時雨の窓を見上げる。相変わらず室内は煙草の煙で曇っているようだ。
 不意に窓の向こうを横切ったのはエプロン姿の明ちゃんだった。いつも通り燦々とした笑顔でお盆を片手にきびきび動いている。
 ふと視線が合うと、まるで子供のような満面の笑顔で僕に大きく手を振ってきた。帰校する学生で賑わう駅前という天下の往来の中で、僕はなるべく目立たないよう控え目に振り返した。
 明ちゃんの背後に赤ら顔の常連のオッサンがひょっこり顔を出すと、ほぼ同時に明ちゃんが目を見開いて飛び上がった。直後、明ちゃんが振り返りざまにオッサンの鼻面に拳を撃ち抜いた結果、鼻血を噴水のように上げながら倒れるオッサンの一部始終が外からでもしっかりと観戦できた。
 懐かしい光景で感慨に耽っていると、階段を駆け下りてくる明ちゃんが視界に映った。
 会いたかったけど会わない方が良いのではないか。そんな逡巡もあるにはあったが、やっぱり彼女の顔を見るだけで得られる幸福感には抗えない。僕はその場に立ち止まったまま彼女が目の前まで駆け寄ってくるのを待った。
「おかえり蓮。学校帰り?」
 ニコニコと笑みを浮かべながら、右手の甲を摩っている。
「うん。どうでもいいけどさ、何か威力上がってない? 右ストレート」
「良いキレでしょ? いやぁ復帰してからオッチャンどものセクハラが酷くてさぁ。最近じゃ血を見ない日は無いよね。あっはっは」
「警察沙汰にはならないようにね」
「大丈夫大丈夫。正当防衛正当防衛。婦女暴行未遂婦女暴行未遂」
「最近は手伝いよく来てるんだ?」
「まぁね。この前お父さん倒れちゃったでしょ? ちょっと心配だしさ」
「旦那さん良い顔しないんじゃないの?」
「家事はちゃ~んとパーフェクトにこなしておりますのでご安心下さい。そういや蓮。あんた今夜暇?」
「なんで?」
「うちに晩ご飯食べにこない? 保護者の人にはあたしから連絡してあげるからさ」
 明ちゃんは事ある毎に僕を夕食に招いてくれるが応じた事は一度も無い。明ちゃんの旦那さんと会った事すらない。明ちゃんが選んだ人だ。間違いなく良い人なんだろう。だからこそ会いたくないのだ。
 誰よりも明ちゃんの幸せを願っているのに、誰よりも明ちゃんを幸せに出来る旦那さんに嫉妬している。自分の幼さに嫌になる。
「あ~……いや、やめとくよ」
「あっそ。あ~あ。また旦那が振られちゃったな。『一度で良いから明が言う蓮君に会ってみたいんだけどな』ってしつこいのなんの」
「旦那さんに僕の話してるの?」
「そりゃもう」
「どうせ昔の話でしょ。よく泣きべそかいてたとか」
「馬鹿ね。違うわよ」
 明ちゃんは大人びた微笑みで僕の頭を撫でながら、「ウチのヒーローでしょあんたは」と言った。
「……大袈裟だよ」
「大袈裟じゃない。格好良かったよ。旦那には『いつも蓮君の自慢話だな』って呆れられてんだから」
 大人はずるい。嘘もつくけど素直に褒める事も出来る。一人でいじけている僕が馬鹿みたいだ。
「ところでその袋は何?」
 明ちゃんは僕が手にしていた学生鞄とは別の袋を指差す。
「これ? 部活で使う靴とか」
「へぇ。あんた部活とか入ったんだ」
「強制だし」
「何部?」
「陸上」
「そっかぁ……蓮もしっかり青春してんだね。うん、良い事だ」
「青春かどうかはわかんないけど」
「でもさ、たまにはこっちにも顔出しなさいよ。寂しいじゃん」
 好きな人にそんな事を言われてはたまらない。
「たとえ打たなくても雀荘に入っただけで校長室呼び出しコースだよ」
「それもそっか。じゃあ袖時雨に入らなかったら良いじゃん。どうせむさ苦しいおっさんしかいないんだし」
「じゃあどうしろっていうのさ」
「その代わりお茶に付き合ってよ。蓮はあたしの愚痴を聞く係でしょ?」
「初めて聞いたよそんな担当」
「良いの良いの。ほら、そうと決まれば早速行くよ。ケーキでもパフェでも好きなの頼みなさい」
 明ちゃんが僕の手を引っ張って歩き出す。
「店は?」
「休憩入りま~す」
 元々遠慮の無い性格だけど、相変わらず僕に対してはそれに拍車が掛かる。それが素直に嬉しい。夕陽に照らされた彼女の背中を追っていく。部活で棒のようになったはずの足が嘘のように軽い。

「そんじゃね。また顔出しなさいよ。あと大会とかあったらちゃんと教える事」
 本格的に陽が暮れ始めた街角。さっきまで談笑(といっても明ちゃんが一方的に喋っていただけなのだが)していた喫茶店の前で、明ちゃんが人差し指を立ててくるくると回しながらそう言った。
 別れ際に何度も「わかった?」と念を押され、ついには根負けして「その時は連絡するから」と答えてしまった。
 別に足が速いわけでもなく、それほど熱心な活動をしていなさそうといった理由で選んだ陸上部だったけど、これで無様な姿を見せるわけにはいかなくなった。
 トレーニングのつもりで軽く流しながら帰途につく。
 やがて息を切らして身体が熱を帯び始めるが、陽が落ちて寒々しくなった外気が頬を撫でて心地好い。
 麻雀を辞めようが明ちゃんとの縁が切れるわけではない。
 袖時雨に顔を出さなくなっても、あそこで培った思い出が消えてなくなったりはしない。
 僕は一体何を恐れていたのだろうか。麻雀を辞めたら、袖時雨が無くなったら、何か一つの世界が終わってしまうような気がしていた。
 そんな事はなかった。
 何も変わらない。
 あそこには相変わらず明ちゃんが居て、そして僕はいつだって会いに行ける。
 家に着く頃にはすっかりと汗ばんでいた。汗など気持ち悪いだけだと思っていたが最近はそうでもない。
 相変わらず家は無人で下手をしたら外よりも寒々しく思えたが、以前どこかで感じていた胸に風穴が空いているような空虚感はどこにも無い。
 僕には生きる世界がある。居場所があるのだ。袖時雨だろうが、学校だろうが、どこだって生きていける。
 シャワーを浴びて部屋に戻ると、何とはなしに引き出しを空けた。
 桐山に渡された、僕の知らない明ちゃんが映っているDVDを手に取る。
 何となく捨てきれなくて、でも触れるのも嫌で、ずっとこうして臭い物に蓋をするようにただ仕舞ってあった。
 もしかしたら桐山が明ちゃんに執着してるのではないかと危惧したこともあるが、彼女の態度や笑顔には何の違和感も無い。おそらくあの勝負以降に接触を試みてはいないはずだ。それでも完全に安心は出来ない。
 僕は子供だ。やれる事はたかが知れている。それでも明ちゃんの為なら、やれるべきことはしておきたい。
 もしかしたらこのDVDの中に、今後の桐山の動向を探れるような内容が収まっているかもしれない。
 前向きになっていた僕は、半ば勢いでそれを再び再生した。

 画面端には丁度前回僕が視聴を中断した後くらいの日付が表記されている。即ち僕が桐山に勝った勝負直前の明朝。
 正確には数時間後らしく、窓の外はやや白んでいたように思える。
 カメラのアングルは少し変わっており、遠目からベッド全体を捉えるようにやや俯瞰気味に設置されているようだ。おそらく明ちゃんがトイレか何かで少し席を離した隙に、やはり彼女に黙って盗撮する為設置したのだろうと推測される。
 カメラは若干斜めの角度から、明ちゃんと桐山の表情や裸体を映していた。ただし桐山は仰向けに寝そべっており、そして明ちゃんはその桐山の上に跨がっていた。
「まさか……んっ、ふ……本当に一晩中するとか……あっ、ん」
 桐山の上でゆっくりと腰を上下する明ちゃんの肢体は、明らかに彼女自身の意志で動いているように思えた。
「中学生じゃ……ないんだから……はぁ、あっ、ん……馬鹿みたい……」
 二人の両手はまるで街中で見かけるカップルのように、互いの指の隙目を埋めるように握られていた。
「中学の頃は一晩中してたの?」
「ただの例え」
「中学生と言えば蓮君なら納得の性欲かな?」
 腰で明ちゃんを支えながら桐山がくすりと笑った。
「蓮の事は言わないでってば」
 そう言って素早く上体を倒すと唇で桐山の口を閉ざす。
 画面には明ちゃんの背中と後頭部、そして依然として固く結ばれた両手が映り、「ちゅ、ちゅ、ちゅ」と何かを舐め合っているのか吸い合っているのか、擦り合わせているのかわからない水音が響いた。
 しばらくすると明ちゃんが舌なめずりしながら上体を起こした。その際にとても大きな乳房がこれ見よがしに揺れた。時々同級生が見せてくるグラビア雑誌のように大きな乳房。遠目には境目がわからない白い肌と桜色の乳輪。全てに目を奪われる。
「じゃあこんなにし続けたのは初めて?」
「当たり前」
 明ちゃんは鼻で笑うと、今度は腰を前後に揺らしだした。背筋だけはピンと伸ばしているのに、腰だけが前後に動くその様は何故かとてもいやらしく見えた。
「あっ❤ んっ❤ すごい良いとこ、当たる……」
 少し首を仰け反らして顎を突き出すと、いつもの凜々しい目尻が恍惚に溶けた。
「あっあっあっ……んっ……むかつく、けど……あっい❤ あっ❤ あっあっ、このおちんちん……すっごい」
「僕からも動こうか?」
「駄目……絶対すぐイッちゃう……あっあっあっ! あん、もう、駄目っ、だって、ば……あっ! あっ! あっ! あっ!」
 桐山が腰を突き上げると明ちゃんの乳房が派手に縦に揺れた。
「あっ、イク! あっイク! だめだめっ、これ、こんなされたら、あっあっあっ! またすぐっ、あっんっ!」
 握られた両手は明ちゃんから縋り付くように殊更強く力が込められているように見える。
「イッちゃうっ、てばっ!!!」
 その言葉を最後にガクガクと身体を小刻みに痙攣させると、数秒の空白を挟んで肩で呼吸を始めた。
「なんだかんだで奥さんも体力凄いね」
「……鍛えてるからね」
 ひぃひぃと荒げた呼吸の合間に、なんとか刺々しい語気で返す。
「うん。しっかり最低限引き締まるところは引き締まってて、でも全体的にグラマラスで好きな肉つきだよ」
「それはどうも」
「旦那さんじゃこんな風に愛してくれないでしょ?」
 再びベッドが軋みを上げ始める。
「……んっ、んっ……毎晩、こんな風にされたら……あ、ん…………壊れちゃうっての」
「大丈夫だよ。妻には優しくしてるから」
「あっそ」
「その甲斐もあってか子宝には恵まれてね」
「あっ、あっ、あっ…………でしょう、ね……こんな奥まで来るおちんちんで……あっや…………あんないっぱい精液出したら……嫌でも妊娠しちゃうでしょ」
「奥さんもしてみる?」
「やだ」
「子供欲しいんでしょ?」
「……旦那のね……あんたのじゃな…………あっ! あっ! あっ! やぁっ、いきなり動くの、なし……あっく、あっ❤ あっ❤ あっひっ、あっ、いっ❤ ひぃ、ぐっ!」
 唐突にビクンっと身体を硬直させると、桐山の上半身に倒れ込み、喉の奥から必死に酸素を取りこむような呼吸を繰り返す。
 桐山がそんな明ちゃんの頭を優しく何度か撫でながら、「もう限界?」と耳元で囁く。明ちゃんはぴくぴくと引きつけを起こしながらも、「……ちょっと休憩してるだけ」と掠れた声で返した。
 桐山はそんな明ちゃんの反応に満足したのか上品に微笑むと、するすると彼女の下から抜け出してベッドの脇に立つ。
 明ちゃんは糸の切れてしまった人形のようで、桐山が居なくなるとベッドの上で土下座しているような格好になった。
「僕はね、本当に奥さんの事気に入っいるんだよ」
 ベッドの脇で桐山が勃起した男性器に何か透明の粘液を塗りたくると明ちゃんの背後に回った。
「貴女を僕の女にしたいと本気で思ったんだ。一目見たときにね」
 明ちゃんの腰を無理矢理引き上げる。完全に脱力しきった明ちゃんは為すがままになっていた。
 腰を持ち上げられ強制的に四つん這いになった明ちゃんの腰に桐山は亀頭を押しつける。
 ようやく息が整ってきた明ちゃんの表情に困惑の色が灯った。
「ちょ、っと……そっち、違」
「さっき綺麗にしたでしょ?」
 どうやら画面に映っていないところで、桐山が明ちゃんに何かしていたらしい。
「あれは……あたしに恥ずかしい思いをさせるプレイだって……」
「確かにすごい綺麗だったよ。旦那さんにも、誰にも見せたことのない排便する姿を見られて、恥ずかしさのあまりに流した涙は」
「……泣いてないし」
「あまりに愛らしくて脳裏に焼き付いて離れないよ。僕の目の前で、悔しそうな表情で涙を流しながら排泄する奥さんは」
「……知らない」
「いっぱい出したよね」
「黙ってよ」
「空っぽになったお腹に、今度は補充してあげよう」
 ぐぐ、と桐山の腰がやや前進する。
 明ちゃんの腰がなんとか逃れようとする意志を見せるが、如何せん碌に手足すら動かせないほどに消耗しているようで桐山の手中から逃れることは叶わない。
「……嘘でしょ?」
「こっちは初めてなんだよね? 見たらわかるよ。皺も少なくて色もすごく綺麗で……大丈夫。慣れてるから。そのまま脱力してて」
「やだ……やだ」
「ほら、先端が少しづつ肛門を押しのけてくよ……ああいいね、この挿入を拒む初々しい肉圧。でもすぐに僕を迎え入れてくれるような穴にしてあげるから」
「い、や……入って……くる」
「ほら、亀頭が全部入ったよ。良いよ、そのままぐったりしててね。力入るとお互い苦しいからさ……あぁ、それにしても……奥さんはおまんこだけじゃなくてこっちも具合が良いね。奥さんのお尻の中、すごく良い締め付けだよ。普通は強い感触は入り口だけなんだけど、奥さんの腸内はまるで包み込むように暖かい」
 桐山が得意気に講釈を垂れる間、明ちゃんは苦しそうに「ひぃ、ひぃ」と浅い呼吸を繰り返していた。
「それじゃ、こっちの処女を貰うね?」
「ふぇ?」
 明ちゃんの腰を左右から両手でしっかり掴むと、桐山はゆっくり、しかし確実に腰を突き出していく。
「うっ……そ……」
 四つん這いのままきつく拳を握り、苦悶の表情を浮かべる明ちゃん。対照的に桐山は恍惚の嘆息を上げた。
「あぁ……素晴らしいよ」
 一分ほどの時間を掛けて二人の腰が完全に密着しあった。
「やだ……なにこれ……嘘でしょ……おちんちん……全部入っちゃってる……」
「全身とろとろになるまで可愛がってあげた甲斐があったね。すんなりと挿入った方だよ」
 肛門に性器を挿入しきったという状況が完全な優位性を認識させるのか、桐山は殊更得意気な口調で口を開いた。明ちゃんは気色が悪そうな表情で「はっ、はっ、はっ」と犬のような呼吸を決まったリズムで刻みながらも、四つん這いのままその言葉を背中で受ける。
「今日のメンバーにいた鈴本君を憶えてるかい? 彼の奥さんのは中々強情でね。最初は結構難儀したものさ。でも今では向こうから求めてくるほどやみつきでね。いけない人だね。少々面倒臭くなってきたけど、奥さんがそうなってくれたら毎日でも可愛がってあげるよ」
「いや……こんなの、駄目……」
「大丈夫。こっちでもセックス出来るようになってるんだから。ほら」
 ゆっくりと桐山が腰を振る。
「あっ、ん」
「ほら」
「あぁっ」
 その度に甘い声を漏らす己を戸惑う様子が明ちゃんから伺えるが、桐山のピストンは徐々に絶え間なく彼女を揺するようになっていく。
「ほら、ほら」
「あっ、あっ、あっ、あっ」
「どうだい? 旦那さんじゃこんな愛し方はしてくれないだろう」
「……やだ……こんなの、やだ……お尻でセックスなんて……気持ち悪い」
 嫌悪感を露わにする言葉とは裏腹に、明ちゃんの嬌声は益々甲高くなっていく。
「あっ! あっ! あっ! あっ! あっ!」
「可愛い声が出てきたね。これからはこっちでも可愛がってあげるから。あの店の事なんて関係無い。君はもう僕の女だ」
「何、馬鹿な事、言ってんの……あんっ、あんっ、そんな、激しく、しないで……お尻、めくれちゃう」
「何を今更。出入りする度にもう何度も僕のカリでめくれてるんだよ。ほら、すごい吸い付いてくる」
「もうやめて、こんなの、絶対変だってばぁ……んっ、あっ❤ やだっ、あっあっ❤」
「旦那さんじゃこっちのおまんこは愛してくれないよ」
「しなくて良い」
「きっと君から求めてくるようになるさ」
「なら、ない……なるわけない…………あっ❤ いっ❤ うそっ、あっあっあっあっあ❤」
 窓からは彼らを照らし出す朝陽が入り込んできた。
「今日はこれで最後だね。蓮君との勝負の時間だ。それじゃ一緒にイこうか」
「あっ、ん……もう、どうでもいいから、勝手に、出しなさいよ……」
「そういうわけにはいかない。一緒じゃないとね」
 桐山は明ちゃんの乳房に手を伸ばすと、乳首をきゅっと摘まみ、そのままコリコリとねじった。
「あっ乳首、今、駄目っ!」
「さぁ、出すよ」
「やっ❤ やぁ❤ お尻でなんか、イキたくないっ……あっ、あっ、あっ、あっ、だめ、きちゃう、おまんこみたいにきちゃう…………イク……」
 消え入るような声で絶頂を宣言すると、明ちゃんは最早身震いする余力すら残っていないようで、電池が切れた肉人形と化して桐山の射精を受け止めた。
「どうだい? お尻に種付けされる気分は」
「……最悪に決まってんでしょ……いつまで出してんのよ」
「勝負の最中に垂れてきちゃうかもね」
「……うるさいな」
「それが嫌なら蓮君の後ろでしっかりお尻を引き締めておくんだね。お、そうそう。はは。搾り取ってくれるのかい? 気持ち良いよ」
「んっ、違……いつまでも、お尻の中でおっきくしてるあんたの所為、でしょ……」
 桐山は彼女から離れると仰向けに寝させてから覆い被さって唇を奪った。
「きっと君を僕のものにしてみせる」
「なるわけないでしょ」
 明ちゃんはそう吐き捨てながらも、どこかうっとりした表情で自ら舌を差し出して桐山のキスを迎え入れていた。



 映像はそこで終了した。
 煮えたぎる色々な感情を喉元で遮断する。
 熱くなったら負けだ。
 大きく深呼吸をしても足りなかったので二度三度繰り返した。
 ようやく顔面の火照りが冷めるとまずは携帯を取り出し鈴本に連絡を取ることにした。
 似非協力者として彼を利用して僕との関係は一時破綻したものの、彼の行動原理は深層意識では萎れているがあくまで桐山を打ち負かすこと。ならばまだ使い途は有る。
 彼は彼なりに僕を裏切っていた事を引け目に感じているのか、勝負の後の桐山の動向について尋ねるとすんなりと答えてくれた。
「今は女性にちょっかいかける元気は無いみたいだよ。君に負けたのが相当堪えてるらしい。でもこのまま引き下がるという事は有り得ないだろうね。彼が負けたままで良しとするとは思えないね。気に入った女性も必ず落とさないと気が済まないタチのようだ」
「あんたの奥さんのように?」
 怒らせて電話を切られる恐れはなかった。僕はこの鈴本という男が抱くねじ曲がったコンプレックスを理解した上での挑発だった。
「……そうだよ。私はね、妻と彼の関係を見て見ぬ振りを続けるばかりか彼の子供を育てているんだ。後悔は無いし我が子と同様の愛情も注いでいる。愛する妻が産んだ子供にはかわりがない。全ては私の不甲斐なさが原因だ」
 その答弁には自虐が混じった自己陶酔が感じられる。プライドが高い彼なら乗ってくれる公算が高いだろうと読んでいたが、こうまですんなりいくとダマテンで狙ったところから振り込まれたように気持ちが良い。
 鈴本は極度の被虐嗜好を持ち、なおかつ桐山に傾倒している。桐山に嫁を取られて、子供を育てさせられるのも、彼にとっては屈辱と光栄が混濁した喜悦に過ぎないのだろう。ただし本人はそれに気付いていないか、もしくは認めることが出来ないままでいる。だからあくまで表面的には桐山への復讐を願っている。
 とにかく桐山が再び明ちゃんを狙う可能性を確認出来た今、僕がやるべき事は一つ。
「あんたの家庭事情はどうでも良いよ。また協力しろとも言わない。ただ桐山の連絡先を教えてよ。それくらいは良いでしょ」

 そして翌日。
 袖時雨からは遠く離れた県境の公園。
 一月ぶりに目にした桐山は相変わらずオーラのように迸る不遜なほどの自信を纏っていたが、以前に比べるとどこか急いで取り繕った張りぼてのような脆さも感じた。
 待ち合わせ場所に少し遅れて現れたボクに対して彼は「やぁ。久しぶりだね」と紳士的な笑顔を浮かべるが、その目の奥にはボクのような子供に負けてしまった事への苛立ちが未だ灯り続けていた。
「こっちから呼び出して遅刻しといてなんだけど雑談するつもりはないよ。単刀直入にいこう。今後明ちゃんに手を出したらあんたの奥さんや会社に不倫の事実を送りつける」
 桐山は一瞬呆気に取られて真顔になったが、すぐさま肩を竦めて鼻で笑った。
「はは。何を言うかと思ったら。そんな事子供の悪戯で済まされるさ。それともあのDVDを証拠として差し出すかい? 君の大好きなお姉さんのあられもない姿が映ってる映像を? お尻を犯されて喘ぐ姿を世に晒された人妻がどうなるかな?」
 やはり僕の内情を計算した上であのDVDを渡してきていたのだ。確かに彼の言う通り僕があのDVDを世に晒す事など出来るはずがない。
 彼は勝ち誇るようにボクを見下していた。
 獲物を前にしたは虫類の眼光。
 しかし生憎とボクだって、ただ捕食される為にわざわざここまで足を運んだわけじゃない。明ちゃんを守る武器は用意してある。
「いや。証拠として使うのはこっち」
 僕は携帯を取り出すと記録しておいた昨晩の鈴本との会話を再生した。桐山が鈴本の妻と不倫していた事実を彼の妻や会社に信じてもらうには充分すぎるアイテムだ。
「鈴本の家庭がどうなろうが僕の知ったこっちゃないしね」
 一瞬の静寂の痕、桐山は「へぇ」と興味深そうに呟いた。人当たりの良さそうな笑顔が能面のように変わる。一切の熱を感じない冷たい表情で、きっとこれがこいつの素顔なのだろうと確信した。
「……成る程。わかった。契約成立だ。僕は今後彼女に近付かない。君も僕に関わらない。これでOKかな?」
 自分に勝ちの目が無いと知るとすんなり引く。それがこの男の怖さでもあった。
「それで良いよ。一応言っておくけどボクの観察眼を舐めるなよ。明ちゃんに異変があったら確実に見抜く。わかったな?」
「はは。同じ男だ。わかってるよ。好きな女性の変化には敏感になるものさ……しかし甘いね。それを使って僕を破滅に追い込もうとは考えなかったのかい?」
 最後の仕上げ。経済力も地位も無いボクのような子供に出来る、精一杯の嫌がらせ。
「ボクはお前の事なんてどうでも良い。不幸にしたいわけでもないし勝ちたいわけでもない。最優先事項は明ちゃんを守る事だ。自棄を起こされても困るから穏便に話をつけたいのさ」
 桐山の顔色が明らかに一変した。
 相手にされていない。それが彼にとっての最大の屈辱。それも一度打ち負かされた、ボクのような子供に。
「……僕がそんな愚かな真似をするとでも?」
「うん。実際子供っぽいとこあるよね。腹いせにあんなDVD渡してくるしさ」
 即答してやると能面が剥がれ、背負っていた自信が憤怒に変わった。
 桐山の肩が震え、顔が真っ赤に染まる。
 ここで手でも出してきてくれれば更に良かったのだが、流石にそこは踏みとどまったらしい。
「ああそうかい。それじゃ失礼するよ」
 踵を返しながら発したその声は震えていた。
 なんとか余裕を取り繕おうとしたのだろうが、小馬鹿にされて我慢が出来なかったのだろう。首だけで振り返るとやや早口で捲し立てた。
「そういえばさ、どちらも凄く具合良かったよ。彼女の穴。旦那さんにも機会があったら僕の代わりに『ごちそうさま』ってお礼言っといてよ。はは」
 精一杯の反撃。しかしその程度の嫌味は想定内。顔色一つ変えずに言葉を返す。
「ボク知ってるよ。そういうの負け犬の遠吠えって言うんだよね」
 今度は桐山の顔から血の気が引いた。その目には殺意すら含まれていたようにも思える。
 桐山はこれ以上この場に居たらボクに手を出してしまいかねないと判断したのか、早足でずんずんと遠ざかっていった。
 ボクも彼に背を向けて歩き出す。
 公園を出ると明ちゃんに電話をした。
「ほいほーい。どした?」
「今から遊びに行っても良い?」
「いちいち当たり前の事聞かないの」
 いつもの暖かい声に安心する。
 ボクには帰る場所があるのだ。
 たとえ気持ちが届かなくても、一緒に居るだけで幸せになれる人が居る。
 それらがいつか消えてなくなったとしても、別に不幸になるわけじゃないのだ。
「そっか。そうだよね。じゃあ今から行くよ……そういえばさ、さっき面白いもの見たよ。高そうな外車のボンネットに犬の糞が乗っかってたの」
「何それ」
「さぁ。どっかの子供の悪戯じゃない?」
「あらら。可哀相に」
「でもほら、あれって確か桐山が乗ってた車だったかも」
「え~本当に。もしそうならざまぁみろだわ」
「きっとそうだよ。袖時雨の呪いだよ」
「だからうちを心霊スポット扱いするなっての」
「似たようなもんだよ。それじゃまた後で」
「はーい」
 電話を切ると右手に臭いが残っていないかを嗅いでみる。
 振り返ると豆粒のように小さくなった桐山が、車のホイールを蹴飛ばしている後ろ姿が見えた。
「ボクもまだまだ子供なもんでね」
 舌を出してそう呟くと、口笛を吹きながら袖時雨へと足を向けた。
 


おしまい