2010年08月23日

<新東京総合法律事務所 佐藤博史先生>

photo_sato2佐藤博史先生にインタビューをさせて頂きました。

Q1.弁護士になろうと思ったきっかけを教えてください。

A1.父が組合活動の一環として松川事件(1949年に起きた列車転覆事件で、東芝と国労の労働者による共謀事件として起訴されたが、1963年に全員無罪となった事件)の救援をしていたこともあって、小学生のときに、八海(やかい)事件(1951年に山口県熊毛郡麻郷〔おごう〕村八海で発生した夫婦強盗殺人事件)を描いた映画「真昼の暗黒」を観に行き、刑事裁判に関心を持ちました。しかし、高校二年生までは理系に興味があり、将来は医者になろうと思っていました。ところが、進路指導の先生から「君は文系だ」といわれて、ハタと気付き、刑事弁護人になろうと心に決めました。そのため、中学生のときに法医学について書かれた本を読んでいたりしていて、弁護士になっても、理系の問題に抵抗感を感じることはありませんでした。そして、そのことが私をDNA鑑定が問題になった足利事件の弁護に導いたのです。法律を学ぶことと、自分に興味があることに関心を持ち続けることは、両立するだけでなく、必要なことなのだとつくづく思います。



Q2.どのような学生時代を過ごされましたか。
A2.1967年に東京大学に入学しました。一年生のときは、平穏な学生生活を送り、母がクリスチャンだったこともあって(私はクリスチャンではありません)、「聖書研究会」という内村鑑三の伝統を継ぐサークルに所属し、二年生のときは部長になりました。しかし、二年生の夏に、ストライキが本郷の医学部から全学に広がり、授業がなくなりました。さらに、ベトナム戦争のこともあって、喫茶店でマルクスなどの読書会をし、大学に行ってクラス討論などで議論を戦わせ、毎週どこかのデモに参加するという毎日でした。ノンセクト・ラジカルと呼ばれる全共闘の一員として活動したのです。まさに全世界的な激動の時代でしたが、何ものにも代え難い「学びの場」だったことに今気付きます。

Q3.受験時代に苦労した話や、その勉強が役立ったことをお聞かせください。
A3.大学三年のときに司法試験を受けましたが、授業が終わっていませんので、問題の意味さえ分からないものもあって、当然のことながら、落ちました。しかし、弁護士になることしか考えていなかったので、就職活動は一切せず、大学院に進んで司法試験を受けようと考えました。そこで、問題の意味がもっとも分からなかった刑法の藤木英雄先生に指導教官をお願いしました。先生から「大学院を予備校代わりにしてはいけない」と諫められましたが、指導教官は引き受けていただきました。すると、先生から連絡があって、私のそれまでの学部の成績が良かったらしく、「助手に志望を変更すれば、助手に内定するが、志望を変更しないか」といわれたのです。大学院に進めば授業料が要りますが、助手は給料をもらえます。そこで、助手に志望を変更し、助手に内定しました。助手に正式採用されるためには「優」が三分の二以上なければならなかったので、それからは必死で勉強し、無事助手になりました。しかし、もともと刑事弁護人になろうと思っていましたので、司法試験に合格してから助手を辞めることはいくらなんでもできないと考え、すぐに辞表を書き、四か月で助手を辞めました。藤木先生には本当に申し訳ないことをしたと今でも思っています。そして、幸いその年(1971年)に司法試験に合格し、翌年(1972年)4月から司法研修所に入所したのです。そういう次第で、司法試験に合格することには苦労しなかったというのが正直なところです。司法試験の順位も悪くはありませんでしたので、「司法試験に合格するためには、論理的、かつ、利益衡量してバランスよく、自分の頭で考えることが重要で、暗記ではない」と断言できます。

Q4.司法修習時代の経験や思い出について教えてください。
A4.当時の司法修習は二年間でしたし、二回試験で不合格になることはよほどのことがない限りなかったので、ゆとりをもって学ぶことができました。楽しい思い出ばかりで、さまざまな研究会や集会に参加して、将来の道と決めていた刑事弁護の分野について学びました。司法修習生の時代に弁護士としての基礎を身に付けることができたと思います。

Q5.弁護士になりたての頃に苦労したことについて教えてください。
A5.イソ弁(居候弁護士)として最初に入所した事務所は、砂川事件判決(1957年に米軍立川基地に侵入したデモ隊が日米安保条約の刑事特別法違反で起訴されたが、1審の東京地裁〔伊達秋雄裁判長〕は、安保条約が憲法9条に違反するとして無罪とした)で有名な伊達秋雄先生が所長の事務所でした。自由に事件を受任することが許されていたため、たくさんの労働者や学生の刑事事件の弁護をし、山谷(さんや)の事件では2件無罪判決を得ましたが、事務所の事件として吹原産業事件の控訴審の弁護に関与しました。自民党の総裁選に絡んで森脇氏が吹原氏から預金の裏付けのない三菱銀行の預金小切手を入手して、三菱銀行から30億円を恐喝しようとしたとされた事件ですが、どちらにしてもいかがわしい事件のように思え、熱心に取り組みませんでした。しかし、控訴審判決は、森脇主犯説という検察主張の屋台骨を折り、吹原主犯説に立ったものでした。森脇氏は有罪とされましたが、大幅に減刑されました。特捜事件にも解明すべき真実があると思い知らされたのです。そして、弁護士3年目の1977年にロッキード事件の弁護を命じられ、ロッキード社から日本への資金のルートのひとつとされた日系二世のSK氏の弁護人として、若き河上和雄検事と対峙し、SK氏の嫌疑を晴らすことができました。こうして、私のいわゆる「捜査一課型事件」と「特捜部型事件」を若いときに経験できたことがその後の刑事弁護人としての成長につながったのだと思います。

Q6.ご依頼者様と接する際や、裁判の際に特に気をつけていることは何ですか。
A6.依頼者に誠実に尽くすことだと思います(誠実義務)。しかし、誠実義務を尽くすためには、必要な技術を身に付けなくてはなりません。その技術のひとつとして、依頼者の話をよく聞き、依頼者自身が気付いていない問題の根源に迫ることができるか否かが重要だと思います。さらに、相手を説得する交渉力も身に付ける必要があります。最後は、裁判で勝つことですが、刑事裁判における証人尋問の技術は、民事裁判でも必ず役に立ちます。私は、法科大学院で学生に、「99.9%の有罪率を誇るわが国の刑事裁判で刑事弁護人が報われることは稀だが、しかし、民事裁判で報われるだろう。最強の刑事弁護人は最強の民事弁護士でもある」と説いています。

Q7.休日はどのような過ごし方をしていらっしゃいますか。
A7.健康のためにもゴルフを続けていますので、ゴルフの練習場か、グリーン上です、と答えたいところですが、足利事件が大ブレイクした昨年(2009年)6月から無罪判決を得た今年(2010年)3月まで、そのような余裕はありませんでした。しかし、今は少しは暇になりました。ただ、以前に比べ仕事以外の原稿を書かなくてはならない時間が増えました。映画やミュージカルが好きなので、劇場に行くこともあります。旅行に行って見聞を広めることも好きですね。

Q8.弁護士として特に関心のある分野は何ですか。
A8.刑事弁護のことを考え続けていますが、最近は特に取調べのあり方について、心理学に学ぶ必要があると思っています。そのためにももっと自由に英語を読み書きできるようになりたいと思っています。

Q9.先生にとって、弁護士に最も求められると思うことはなんですか。

A9.現在、弁護士数が増え、就職できない弁護士が増えていることが問題になっています。このことに関連して、医者の数が増えても、病気が増えることはないわけですが、弁護士の数が増えると、紛争が増えることに気付く必要があります。医者と医者が戦うことはありません。しかし、法廷は、法律家と法律家(検察官と弁護人、訴訟代理人と訴訟代理人)が戦う場所で、法律家を増やすことは、本来は話し合いで解決すべき問題が法廷に持ち込まれることになりかねません。そこで、重要なのは、弁護士の倫理(心)です。むやみに法律紛争にしないで、話し合いで解決できる問題を訴訟に持ち込まないという倫理感が必要だと思います。

Q10.ページをご覧になっている一般市民の方にメッセージをお願いいたします。
A10.足利事件は、わが国の最高水準の鑑定機関である科学警察研究所のDNA鑑定が虚偽の自白を導いただけでなく、東京高検・東京高裁、最高検・最高裁というわが国の最高水準の司法機関がそのことを見抜けなかったという冤罪です。要するに、専門家が重大な過ちを犯したのです。一方、2009年5月から国民が刑事裁判に参加する裁判員制度が始まりました。これまで専門家だけで行ってきたわが国の刑事裁判がすべて駄目だったというつもりはありませんが、ときとして専門家もとんでもないミスを犯すこともあるわけで、国民の皆様には、是非とも刑事裁判に関心を持って頂きたいと思います。検察官や裁判官だけでなく、弁護士にも厳しい目を向けていただくことが、わが国の刑事司法の質を高める所以だと思います。

Q11.これから法曹を目指す学生にメッセージをお願いします。

A11.法律に関する知識だけでなく、法律以外の関心のある分野に打ち込めるようになってほしいと思います。法律とは所詮「道具」にすぎないのです。法律に振り回されるのではなく、人々が幸せに暮らすことができるためにに法律がある、ということを忘れてはならないと思います。そして、日々精進することです。

<取材学生からのコメント>
佐藤先生は、弁護士という仕事での苦労を苦労と感じないような先生でいらっしゃいました。弁護士という仕事において、法という道具と、関心のある理系の知識をフル活用して、事件解決に努めていられます。弁護士になるにあたり、法の知識だけでなく、それに平行する形で自分の関心のある分野を深く突き詰めることが、弁護士になる上で大切なことで、また、弁護士になってからも、活躍できる秘訣であると感じました。

明治大学経営学部3年 角野泰隆


bengoshiretsuden at 12:32│Comments(0)TrackBack(0)

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