長いです。
申し訳ありませんが覚悟してください。
覚悟できない方は今回は本当にすみません。
マジに熱く語ります。
ではスタート。


人工妊娠中絶(以下、中絶)における権利の衝突は、母体と胎児両者の尊厳とその葛藤にある。
まず、米国の中絶容認期間23週目の胎児の状態を記すと、神経細胞は生じているが、それらは繋がっていないため神経としての機能はない。従って、脳機能は不完全であり、感覚や自意識はないと言える。
私は、母体保護法の要件下での中絶は賛成である。以下、この法律に関して考察し、理由を述べる。
倫理条項について
これは犯罪被害であるため私的自治の原則に反する事、加害者との血縁を持つ子供を育てる保護者の意欲と責任感の委縮可能性を有する事、また、子供の立場から、将来、母体から受ける愛の量を考えると、中絶の許容性が認められ、この条項においては母体意思を広く尊重すべきである。
身体的・経済的理由について
2‐1身体的理由(母体に危険が及ぶ妊娠)では、胎児の将来と母体の余命の重さの衝突が考えられる。しかし、母体の危険を回避できれば、以降、複数回の妊娠を見込む事ができ、この場合は母体保護の方が将来的利益は大きいと考えられる。従って、最大多数の最大幸福(以下、ベンサムの理論)を考えた場合、中絶の許容性が是認できる。但し、母体意思により胎児保護を優先する場合は母体意思と胎児の尊厳が均衡するため、当然この限りでない。
2‐2経済的理由については、先天性疾患による生後医療費負担の問題と家族の実質的貧窮による問題の二つが考えうる。
2‐2‐1前者については、出生後、保護者の金銭的負担は避けられず、保護者の生活上の幸福は享受し難い。同時に、胎児の生の尊厳に関しては、民法第二節行為能力制度により、出生後、「保護」の名の下、自由が大幅に制限される。よって、現行法制度上、生の尊厳は保障されることなく、生きることが苦痛に感じる可能性もある。このようなことから、自意識の存在しないうちに中絶することは許容範囲内に入れうる。
2‐2‐2後者については、社会保障制度が成り立つ現在では子供を産むことで経済上生活できないことは考え難いが、それにより家族の生活の質(以下QOL)の低下は否定できない。同時に生まれた子供のQOLも当然、保証できず、現家族構成員にしても生まれる子供にしても、更なる利益は享受できない。従って、ベンサムの理論を考えた場合、中絶は許容範囲内になる。
 最後に、胎児を物理的に見た場合、それは母体の臓器の一部でしかなく、パターナニズム(親が子供の事を全部決めてしまうこと‐ここでは、胎児の尊厳を親が奪うことをあてはめる)は否定され、母体の意思決定を尊重、優先できる。
 このような理由から、母体保護法の要件の下では、中絶に賛成だ。確かに、他者危害以外は自由だとする功利主義社会において、「胎児の可能性を奪う」事は「他者危害」かもしれない、しかし、自意識を有する現家族構成員を単位として功利主義を考えた場合、「最大多数の最大幸福」を享受するためには合理的理由の下で、自意識を持たない胎児を下ろすことは許容範囲内であると考える。



功利主義とは酷なものです。しかし、理にかなっている気もします。


協力してくださった方々、ありがとうございました。
だいぶハショッテ載せました。
原本は手元にです。