料理

2017年12月24日

明治の料理本をもう一冊。

『西洋朝鮮支那日本 料理独案内』 
静岡県士族 飯塚榮太郎
改良小説出版舎:明治20年

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前書きに曰く、
「凡そ日本人の西洋人に比較して、其身体の軟弱なると同時に忍耐の気象に乏しき所以のものは、洋の東西風土の寒暑にあらずして、日常用ゆる所の飲食物に依らさるはなし」
 
今や肉食改良が盛んになりつつあるものの、未だに調理法の良書がないため、この書を著したという。

「普く各国の調理法に就き、又実地に徴して縷述して、属を集め類を重ね以て一小冊子を成す」

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目次の一部



『家庭重宝 和洋素人料理』と同じく、レシピは地の文章で構成。
解読するのがめんどくさい。
読み解いていくと、旨そうではあるのだけれども、分量も書いていないので作りようが無い。


また、いくつか引用する。
(適時、句読点、改行を加えた)
●西洋料理
先ず滋養と消化に適し人口に膾炙したる者は、西洋料理を以て第一と為す。故に何人にても程好く作り得るの法を列記せんとす。

 
アヒル油煮
刻みたる葱、胡椒又食塩を焼きたる其肉へ加へ共に酢に漬けて、饂飩の粉を沸湯に解き〔バタ〕を入れ、又卵の蛋白(しろみ)を解かして混交し、其中へ前の肉などの品を入れ直ちに引上げ、而て之を沸騰したる油鍋の中へ入れ、後ち食すべし。

 
幼牛肉焼
幼牛の肉は胸股夫れと肩腰の肉を宜しとす。然し其最良なる所は胸と股(もも)なり。
故に之れに塩、鶏卵、牛乳、胡椒又は檸檬皮、和蘭(をらんだ)など、細かに切刻たる凝脂、〔パン〕の屑粉等を混混し、鍋に入れて焼くなり。
若し固有の油少なき時は牛酪(ばた)を塗りて焼くなり。
且つ、之を皿に盛りて熱湯を掛け醤油を注げば、肉羹(すゐもの)となるなり。


オムレツ
先ず、卵の殻を去り丼に入れ之に塩少許(すこし)を加へ、且つ牛肉の炙りたる者か又は煮たる者か、乃至何肉にても赤き部を細かに割(きざ)みたるもの、及び葱の細かに割みたるを入れ、能く撹拌(かきまわ)し分けて、蛋黄(きみ)と蛋白(しろみ)とは能く混合すべし。
而て鍋を火に掛け〔バタ〕を塗き、其十分熱したる時、前の丼の卵子を之に盛り、少時煮て後食すべし。

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レシピは地の文章で書かれている


●支那料理
支那料理は、朝鮮料理と西洋料理とを折衷し、猶ほ略(ほぼ)日本料理を模造せし如き者にて、穀肉両様を用いる者にて、左の如し。 
 
 
飛龍丸煮
鯉の目辺に紙片を張り廻し、水を乾かし、魚の尾と鰭ともを入る可き程の鍋に油を十分に入れ、遣ふ前に四時間許り揚げて置き、偖て宮重大根を厚く輪切りにして、味醂と鰹節とを沢山に入れて鯉と一緒に煮上げ、能き時に醤油を入れて煮、而て後ち、山椒粉を散りかけるなり。


味噌転し
布袋にて豆腐をしぼり、煎豆腐の様に油にて上げ、蒸したる大蛤の身を取り、而て赤味噌を少し入れて味醂並に醤油にて塩梅し、小口切りの葱を掛けるなり。 

●朝鮮料理
朝鮮料理は略(ほぼ)日本料理に相似たる所もあり、亦西洋料理にも似たる所ありて、殆ど其中間にありて特に支那料理に類似(による)ものなり。

 
沈葅 
沈葅(ちんぞ)は「キムチ」と云ふ。
大根、蕪菜等、鰛(いわし)(このしろ)と塩とを和て、桶に入れて圧漬けにしたるもの多し我が漬物の如し。
総て食するに当り別段に之を洗はず。故に、味は佳なれども臭悪しく食ふに堪へず。


キムチが「味は佳なれども臭悪しく食ふに堪へず」には笑った。
 レシピ本で「食ふに堪へず」なんて文言は前代未聞だろう。 
そんなん言われて、誰が作りますか。


キムチという割には、ニンニクも唐辛子も使っていないので、なれ鮨のような発酵食品なのかもしれない。 何にせよ、食いたくはない。


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2017年12月21日

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『家庭重宝 和洋素人料理』
 半渓散人
(萩原新陽館:明治37年)

 和装のレシピ本を入手した。

 著者の半渓散人は、本名岡本敬之助(後に岡本純)。
 なんと「半七捕物帳」で有名な岡本綺堂の実父だという。
 調べた所、彼はイギリス公使館で書記を勤めていたらしく、西洋料理に詳しいのはそのためであろう。

 国会図書館で検査すると、岡本の料理本は三冊所蔵されている。
 本書の以外に『和清西洋料理法自在』(明治31年:文事堂)、『四季疱丁 和洋素人料理法』(明治42年:瀬山順成堂)という書籍があったのだが、デジタルアーカイブスで確認した所、三冊共に内容は同じ、版元を変えての改題再版であった。


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口絵
西洋人と食卓を囲む人々



▼この『家庭重宝 和洋素人料理』は、和・洋に加え中華までが入っているレシピ集。
 レシピ集といっても、現在のような丁寧なものと違って、地の文章にて淡々と調理手法が綴られるだけで、細かい分量などは記載されない。
 これを見て、実際に料理を作るのは難しそう。
 当時の主婦は、これを読んでよく料理出来た物だと感心してしまう。
 
 ともあれ、そのレシピをいくつか抜いてみる。
 これが意外と旨そうなんだ。
 
(原文には句読点がないため、適時付け加えた)


●カツレツ製法
一 是は牛又は鳥を敲き漬、松たけと玉子を入れ、鳥の皮を丸剥にして何れも入れ、糸にて結び塩と胡椒とを入れ、油にて能揚げるなり。是れは多くは残りものを用ひて造るものなり。

 カツレツの衣に松茸を使うとは何とも豪儀だ。
「残り物を用ひ」とあるので、当時松茸はそれほど高価なものではなかったのだろうか。


●ビフテキプリン製法
一 是は牛のロース肉にてもヒレ肉にてもビフテキの如く生焼きになし、外に牛の生油を刻み、うどん粉を量りて玉子の黄身とを共に練りて皮を造り、器の回りへ付け其中へビフテキを入れ、芋、木の子の類を煮こみたるを入れ、上よりも皮を着せ、中の気の漏れざるやうに仕上げ蒸て出すなり。

 ビフテキプリンとはどのような物だろうか。肉を焼いて、小麦粉の皮で包んで蒸し上げるというので、パイ包みみたいなものだろうか。何にせよ旨そう。


●スカンボエグ製法
一 玉子を割り、塩胡椒パセリ牛乳を入れながら能まはし、フライ皿に牛酪(ばた)を入れ其水を切て後、前に仕立おきたる玉子を入れ、半熟位の所をかき回しながら煮るなり。

 この頃、カタカナ語って矢鱈と字が詰まる。
「バター」が「バタ」であったり、「ステーション」が「ステンショ」になる。
「スクランブル・エッグ」が「スカンボエグ」というような、明治時代特有の外来語表記は、妙に心が躍る。


●バナナフルタ製法
一 是はバナナの皮を去り、砂糖をかけブランデーに漬、うどん粉を水にてかき交、玉子の黄身を入れ、白身を泡たて、双方とも交ぜ衣をのして、漬たるバナナを衣を付て揚るなり。出す前にスベシ粉さとうを掛るがよし。

 ブランデーに付けたバナナに衣を付けて揚げる菓子。
 これは普通に旨そう。



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 これらのレシピは、家庭料理というには、食材も豪華、調理方法も凝っており、当時の一般家庭ではとうてい作れないだろう。
 その頃の庶民は、まだへっついや七輪で煮炊きしていたはず。

 全体的に、背伸びをして西洋化をしようとする、いわば鹿鳴館的な匂いがする一冊だ。



benirabou at 00:00|PermalinkComments(0)このエントリーをはてなブックマークに追加