「短歌をカネにかえたくて ―『もしニーチェが短歌を詠んだら』重版祈念トークライブ」(【出 演】中島裕介(歌人)、佐々木あらら(歌人))について、ツァラトゥストラはかく語りき。いや不肖結社ひとりが、入場料もドリンク代もなしで、この場で、短歌のカネにかえ方教えます。
 買取りなら重版は著作者には関係ないから印税契約なのだろう。で、初版は自費/商業出版のいずれか? 実売部数はどのくらいか?
 初版3〜800部で買取→贈呈が大部分のほぼ自費出版で、「重版祈念」というのが2刷3〜500部程度だとすれば、実現するより出版しなかったほうが金になったろう。歌壇の超大物の歌集でも大部分は贈呈用で公刊というより歌壇・私家版というのが実態ではないか。10、20冊もの歌集を出版しなければ一財産築いたカジンチャンはいくらもいるだろう。歌集制作・贈り合いだけでなく、それに付随する出版記念シンポや遠隔地の大会歌会への参加費用・労力もバカにならないだろう。短歌をカネにする一番の近道は、甘言に乗せられて、あるいは社内の横並び意識で歌集を出版しないことだ。それ以前に、カジンチャンと付き合ったり、結社や同人サークルなどに引き込まれないことだ。至言『カジンチャンとは、カネと労力を短歌に換えて歌人ごっこする人』。
 そもそも歌壇の大物でも、世間全体でなくても一部ででも愛唱される歌はないのだから、現代歌人としての実態があるのは俵万智氏だけだ。以前に篠弘という人が文芸家協会の理事長になったという報道で、はじめて短歌を作ってる人だと知ったが、今もって彼の短歌を目にしたことはない。文芸家協会会員でも彼の短歌を読んだことがある人はほとんどいないのではないか。あるいは、業界の栄誉を総ナメにした歌壇の最高峰・岡井隆氏の短歌もパンピーは一首も知らないのではないか。私は加藤治郎、穂村弘氏の名を知った折に付録として彼の名を知り、歌壇で賞賛されているという彼の歌をこのブログでも取り上げた。どれも文芸作品としての評価以前にテクストそのものに問題があると思えた。岡井氏が歌人を自称して、短歌命とか、パンピーには自分の歌はわからないとどんなに高踏しても認められた歌がないことにはかわりない。短歌にまつわる収入・栄光のほとんどは、新聞・雑誌・正月のお歌会などの選者、学校・カルチャースクール、高貴な家庭の教師などのいわばレッスンプロとしてのもので、短歌そのものによるものは微細ではないか。歌壇で今一番活動しているであろう加藤治郎、穂村弘氏でも歌集・短歌プロパーの収入は微細だろう。てか、(稿料・印税ー自買部数)が赤字になる場合もあるのではないか。そういえば、佐々木氏はトークライブやるより、なんで枡野浩一氏に相談しないんだ。師匠だか教祖だか知らないが、商業出版でよく売れてるような自己宣伝してなかったか。単なる自称・歌人と違って、なにしろ自称・有名歌人だから、訊けば良いアイデア教えてくれるだろ。

 今のご時勢では短歌そのものを売るのは無理だからイベントで売る方法が考えられる。歌壇史上もっとも成功した例は、ご家族・シヤイン・業界はもちろん、新聞、テレビ、雑誌等マスコミ総動員の河野裕子追悼ではないか。追悼出版は出版界の拡販の常套手段で、新作でも未発表作でも既存作品の再評価でもないから、純粋にイベント販売と言える。当時、大型書店では河野裕子本が何種類も平積みだったから総数で100万部くらい売る勢いに思えた。が、忽然と消えたようにも思えるから、宴のあとの返本の山かもしれない。歌集だけでなく、短歌「たとえば君」も、家の子郎党・業界一丸のプロパガンダにもかかわわず上滑りのままで世間に浸透したとは言えないのではないか。上意下達の埒外のパンピーの鑑識眼は甘くない。
いずれにしろ売れたとしても追悼イベントでは本人は稿料・印税を受け取れないから、「短歌をカネにかえたくて」に合致するかどうかはわからない。
 短歌賞も拡販チャンスだが、実態は業界内の歌人ごっこに過ぎないのではないか。例えば角川短歌・新人賞は業界最大の賞の一つだろうが、歌集拡販効果はほとんどない。てか、賞そのものが知られてない。私は俵万智氏が受賞したことなど知らなかった。逆に、小島なお氏が受賞した時は、私のような門外漢でもマスコミで、高校生受賞者として何度も名を、また、ネットでも「天才」やそれに類する賞賛を見た。が、歌はまったく見えてこなかった。歌壇でも彼女の歌を取り上げ倦ねたのではないか。業界・関係マスコミを総動員した『乱反射』は映画にもなったようだが、10万部いったのか? あれだけ大騒ぎして1万部以下ということはないだろうが、5万部いかなかったとしたら、歌壇でいくら大掛かりなブースターを装備しても本体に推進力がなくては、歌壇の権威の届かない巷では通用しないということだろう。栗木京子氏が釈迢空賞等三賞を同時受賞した際に、マスコミで「観覧車」の歌を何度も見た。が、やはり通り一遍で浸透しなかったのではないか。追悼や受賞イベントの大騒ぎによって短歌が世間に広まったという話は聞かない。このことからも『サラダ記念日』が世間で認められたのは、短歌賞受賞や歌壇の評価とはまったく関係ないことは明らかだ。そもそも歌壇領袖のおぼえめでたい小島氏は、世間で歌人として認知されたのか?
 出版物では小説がよく引き合いに出されるが、文芸誌に掲載された小説は単行本・商業出版への道が開けることはあっても、短歌は結社の大幹部でもほぼ自費出版歌集に収納するだけではないか。また、印税収入についても小説家を過大評価しているように思える。芥川・直木賞作家でも受賞前後の勢いのある時を除けば、小説の稿料・印税だけで食べていける作家は多くない。特に若くして受賞した芥川賞作家はそれまでの実績でもらう直木賞と違って受賞作やその後の2、3作の印税だけで余生を凌げるだけの収入は得られないだろう。多くは評論、講演や教師として収入を得ているのではないか。そもそも、5、60代になっても作品依頼がある人は少ないだろう。今の出版業界の右肩下がりを考えればなおさらだ。ミュージシャンでも大手からCD、DVDをリリースできるのは一握りで、誰でも名前を知ってる往年の大歌手でもほとんど出せない。
 短歌の稿料が安いという声もよく聞くが、短歌出版社が潰れている現状を考えれば高過ぎるのではないか。文句があるなら書かなければいいし、自分たちの結社誌を売ってよりよい稿料を得ればいい。結社に会費という名目の掲載料を払ってるのだから、総合誌も掲載料を取ればいい。小説家でも取材費が出るのはそれなりの売上げが見込める場合だけだ。カジンチャンもそろそろ短歌は趣味という巷の評価に従ったほうが良いのではないか。もちろん、私は短歌を趣味と思ったことは一度もない。暇つぶし。
 自費出版でも電子出版でも、自己の知的プライドを満たすために難しい言葉を引っ張ってきただけや鋭い指摘をしてるかのごときを定型にしただけで、
流行語やエロネタでも同様だが、換金出来るなら誰でも短歌を作るだろう。歌集を出版しないで「短歌をカネにかえたくて」といった会費制トークライブで、業界中のツテを頼って客を集めるのが一番だと思うのは、私の素人考えか。

<参考資料>
  場の理論 1現地レポート(第3回歌葉新人賞応募作・抄出

                       結社ひとり

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 自費歌集予備軍を釣る短歌賞顧客リストの短歌年鑑
 彗星のびろうとなれば行く末は歌の葉茂る花壇のこやし
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  場の理論 2予定調和(第4回歌葉新人賞応募作・抄出

                     結社ひとり

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 我カジンゆった瞬間音速でカジンとなりぬ君もゆってみ