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カラス駆除:南伊勢町議、車内で死亡 近くに散弾銃 三重
2012年1月3日 22時38分 更新:1月4日 0時24分
http://mainichi.jp/select/today/news/20120104k0000m040124000c.html

 3日午後2時45分ごろ、三重県南伊勢町古和浦の同町議、上村康広さん(64)が、自分が経営する牧場の駐車場の乗用車内で、胸から血を流しているのを妻が発見し、119番した。搬送先の病院で死亡が確認された。

 伊勢署によると、上村さんは胸に銃弾を受けて運転席で倒れており、散弾銃全長約113センチ、上下2連式)車外に落ちていた
 上村さんは同日 午前10時半ごろ、牧場のカラスを駆除するため、銃を持って1人で出かけたという。同署は暴発事故と自殺の両面から捜査している。

 上村さんは90年、旧南島町議に初当選し、南伊勢町合併後を含め計6期務めていた。中部電力が計画した芦浜原発に反対し、93年の住民投票条例の制定に尽力した。福島第1原発事故を受け、最近も各地で反原発の講演などを行っていた。【谷口拓未】
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 いや、明らかにおかしいでしょ。
 どうやって、全長約113cmある散弾銃で、自殺するんですか?
 車内運転席にて、113cmの散弾銃で自分自身の胸を撃って、銃だけは車外に落とす。

 そして警察は「暴発」か、「自殺」の両面でしか捜査していない。
 これって検死しないでしょ。これってすぐ火葬だよね。そしてニュースでは続報流さないぽいね。
 

 この事件に関して。



***以下、転載いたします***

原子力発電を考える~原発を止めた町から~ 上村康広さんの話
http://ameblo.jp/jun109kai/entry-10914076260.html

(略)

 以下は上村さんの講演の内容ですが、メモと記憶を辿って書きますのでもしかすると間違いがあるかもしれません。

 1964年に原発計画の候補地となった当時は多くの人が建設に反対していた。そして町によって推進派になったり反対派になったりした。

 10年ほど話し合いが続いたが、その間に中曽根康弘が巡視艇に乗って芦浜を視察に来るということになり、漁師たちが船で妨害しこれを阻止した。これが「長島事件」という。これにより20数名が有罪判決を受けたという。

 高谷副知事が南島町民?との話し合いで原発建設には南島町住民の同意が得られることが必要だという内容の文章を明記、捺印した。これにより副知事は更迭された。

 隣町の大紀町(旧錦町)は推進派であり、この町とは大変ないがみ合いとなってしまう。暴力的な事件に発展し最終的に機動隊が出動する騒動となった。その後、田中覚知事は原発計画を棚上げにする。これが最初の計画停止である。

 三重県知事は田川亮三(自民党)の時代となった。彼は奇しくも福島原発を視察し、安全性を確信してしまったらしい。これを受け中部電力は町内に入り込み住民の推進工作を強めた。そして三重県もこれに続いた。

 上村さんの住む南島町は真珠養殖がさかんで、これによる利益はけっこうなものだったという。したがって住民の心は一枚岩で反対運動ができた。しかし時代の流れで真珠養殖が儲けにならなくなり、ハマチ養殖に移っていった頃に事件が起きた。

 ハマチ養殖の餌に混ぜられた抗生物質の問題だ。この抗生物質の使用により漁師の指が腐り落ちたなどと報道され、1400円/kgだったハマチの値段が600円/kgまで落ちたという。
 
この裏には当然のように中部電力が見え隠れしていた。この指が落ちたという人物は2人いて、上村さんは両方とも知っている人間。二人とも別の原因で指を切断していたことも知っていた。一人はハマチの餌であるミンチをつくる機械に指をはさまれ、もう一人は全然別の原因とのこと。しかも、話をでっち上げたのは既に漁師は辞めていた後の話だということだ。

 中部電力はハマチ養殖で借金を抱えた住民に対し、金を貸すよと持ちかける。ただし町民が連帯で借りなければだめと条件を付けた。
 何人も借金すれば返済金を払える人もいれば払えない人もいる。しかし中部電力は連帯だから全員で返せと返済を受け付けなかったらしい。

 こうして手を替え、品を替え、中部電力は反対派住民に対し工作を進める。

(略)

 原発は麻薬と同じである。


 財政難の過疎地に誘致をもちかけ、電源三法による交付金を過疎の町に落とす。原発を作ったら維持管理費がかかり、当然その財源不足になる。で、また新しい原発を建てる。この繰り返し。
 議員は議員で町民のためにあれを建てた、あそこを直したっていうことで人気があがるらしい。
 農業はだめ、漁業もだめとなると原発に頼りたくなる現状があるのが過疎地の問題である。

 上村さんがこれだけは言っておきたいが、原発推進派もお金が欲しくて原発を推進したいと言っているわけではない。みんな子供たちに借金を残したくないという気持ちがあるからなんだ、これだけはわかって欲しいと力を込めていた。

(略)

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うまく思い出せない部分もありますが大体、こんな内容でした。
***ここまで***

 こういった、反原発の活動をしていた、影響力を持つ町議が、このタイミングで不可解な死をとげたわけだが、これを「散弾銃の暴発」や「自殺」とさらっていう奴もいう奴だし、さらっと聞き流してしまうやつもどうかしていると思うのはおかしいだろうか。



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低気温のエクスタシーbyはなゆー
2012年1月4日水曜日 「芦浜原発」建設を阻止した反原発運動の上村康広氏が怪死した

http://alcyone-sapporo.blogspot.com/2012/01/blog-post_04.html

(略)
《おまけ》
☆佐分利貞男

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E5%88%86%E5%88%A9%E8%B2%9E%E7%94%B7

 1929年(昭和4年)8月、浜口雄幸内閣の外相幣原喜重郎に乞われて、駐支那公使に就任。張作霖爆殺事件後に悪化した対支外交の打開を期待されていたが、一時帰国中の同年11月29日、箱根宮ノ下の富士屋ホテルにおいて変死体で発見され、自殺とされた。

(略)

 死体は右手にピストルを握っていたが、佐分利は左利きであった。遺書もなかった。また、佐分利は日頃から護身用に小型のピストルを所持していたが、使用さ れた拳銃は銃身六インチもある出所不明の三十八口径大型コルト八連発拳銃であり、ホルスターも見つからなかった。また、身綺麗な外交官に相応しくない寝間着姿での自殺は不自然であり、翌日の行動予定もあった。
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