(前回の続きである)

 高齢者のアルコール依存症のケースで、解毒のための断酒がきっかけとなり認知症が進行してしまう。そういった悲惨なケースがあり、当院ではアルチュハイマー病として警戒しているのであった。 
アルコール脳


















 なお、精神科以外でも、入院中に認知症がいっきに進行してしまうことはよくある。心不全などの身体疾患の治療で入院していたが、その間に認知症が進行し、治療終了後に精神科に入院依頼がなされることが多々ある。

 前回までに分かったことは、アルコール依存症では、脳はアルコール依存となった状況に適応し、アルコールの代謝産物である酢酸をエネルー源として利用している。アルコールの暴露によって神経細胞のグルコーストランスポーターの発現が低下しており、ブドウ糖が細胞内に取りこまれにくくなっており、急激な断酒はエネルギー源である酢酸が絶たれてしまう危険性がある。

 さらに、アルコールの暴露によって、チアミントランスポーターも発現が低下し、チアミンの吸収が障害されており、アルコール依存症ではチアミン欠乏によるウェルニッケ脳症WEとなっている可能性がある。WEとしての臨床症状がなくてもWEであるケースが多く 、こういったケースにはチアミンを大量に非経口投与しないと適切な対応とはならない。経口投与ではコルサコフ症候群KSへの移行は防げない。しかし、非経口に大量に投与しても防げないケースも多い。

 しかし、WEとしての症状がないというのもおかしい。それはWEと言えるのであろうか。WEの症状がないのはWEとは別の病態である証拠ではないのか。さらにアルチュハイマー病ではKSのような作話がない場合も多い。WEやKSとは別の病因が絡んでいる可能性もある。では、アルチュハイマー病の背後には何が潜んでいるのであろうか。

 手っ取り早く海外のWikipediaでAlcohol dementiaを調べてみた(日本のWikipediaにはアルコール認知症のページはない)。結構詳しい解説が記載されていた。
http://en.wikipedia.org/wiki/Alcohol_dementia#cite_note-Djokic-17

 そこにはアルコール認知症はアルツハイマー病と区別し難いこともあるとあった。さすがに断酒が引き金となり移行や進行を早めるという記載はなかったが。さらに、現時点では明確な診断基準はないらしい。栄養障害、脳血管障害、様々な脳の部位への直接的なダメージ(萎縮)、など、複雑に多くの因子が絡んでおり、認知症としていろんな病態を呈するため、他の認知症疾患とオーバーラップする部分も多く、アルコール認知症を定義するのは困難なようだ。記憶障害や人格変化(易怒的、攻撃的となる)という症状が何となく特徴的なように思える。アルコール認知症では家族から人格変化をよく指摘されるらしい。アルコールによって海馬(記憶障害)や前頭葉(人格変化)が冒され易いのかもしれない。薬物療法としては、メマンチン(MNDA受容体アンタゴニスト)やリバスチグミン(アセチルコリン・エステラーゼ阻害剤)の効果が記載されていた。

 どうやらアルチュハイマー病を防止するには認知症に使用する薬剤を断酒開始時(可能ならば開始前)から投与していく必要があるのかもしれない。有力なのはメマンチンとAchE阻害剤(リバスリグミンやガランタミン)ということになろう(なお、ドネペジルは攻撃性が増す恐れがあるから使用しない方が無難であろう)。

そこで、まだ関連していないことがないかを調べた。以下に要約して列記する。

アルコールは一回暴露されただけでも遺伝子ネットワークの変調をきたす。

アルコールによる遺伝子コネクトの変化










 グルコースやチアミンなどの多くの重要なトランスポーター遺伝子がアルコールによって発現が阻害されるのは必然的な現象なのかもしれない。

 アルコールによって、灰白質、白質、白質線維束の微細構造の破壊(ニューラルネットワーク障害)、脳の体積減少を伴うことが示された。断酒によって一部はに可逆的である(全ては可逆的ではない)。さらに、グルコース代謝の低下、神経伝達物質系のバランスの破綻中脳皮質辺縁系の活動性の増加を認めた(注;この経路だけが優位に活動しているということなのだろう。これは統合失調症の急性期と同じような所見である。アルコールによる幻覚や妄想は、中脳ドーパミン神経の活動亢進の結果かもしれない。幻覚や妄想がある場合は、抗精神病薬の投与はやむ得ないだろう。)。

 アルコールによって脳のグルコース代謝の減少を認めた。減少する部位は偏りがあった。左頭頂葉、右前頭葉で最も低下していた。これは右前頭葉⇔左頭頂皮質の接続の中断を意味する。さらに後頭部皮質と小脳の相対的な減少を認めた(眼球運動障害や歩行障害に関係があるのかもしれない)。逆に、相対的に増加した領域は脳の報酬回路(CGA、側坐核、扁桃体、島と中脳を含む線条体)に関連付けられていた。これは、脳全体の代謝が戻れば報酬系の活動が優位になり再飲酒に結びつくことを意味する(naltrexoneは既に海外ではアルコール依存症の治療薬として承認されているが、この結果からもnaltrexoneの有効性が期待できよう。)

 アルコールによって前頭葉の神経変性が生じ、タスクの遂行障害、注意障害、衝動制御障害が惹起される。

アルコールで最も障害を受けやすいのは前頭葉である。

 特にBrodmanの10野のシナプスの喪失が顕著である。この所見は前頭側頭型認知症に見られるものと密接に類似している。この結果、性格や行動の変化、洞察力の欠如、共感欠如。感情のコントロール障害が生じる。

 どうやら怒りっぽくなるのは前頭葉へのダメージが関与しており、それは前頭側頭型認知症に類似した病態のようである。とすれば、効果がある薬物療法は限らてしまうかもしれない。

 アルコール認知症とアルツハイマー病はアセチルコリン作動性ニューロンの損失という共通の所見を有するが、疫学調査では、アルコールの使用はアルツハイマー病を発症するリスクに影響を及ぼすという証拠は得られていない。アルコール認知症とアルツハイマー病は、コリン作動性ニューロンの損失という共通した病態を有するが、基本的には異なる疾患なのかもしれない。

 アルコールによって軸索のミエリンが障害され白質の損傷が生じる
http://onlinelibrary.wiley.com/doi/10.1002/glia.22327/abstract?deniedAccessCustomisedMessage=&userIsAuthenticated=false

 アルコールによって広範囲に脳の白質の微細構造が障害されるが(ミエリン欠乏)、断酒によって回復する。しかし、喫煙者と非喫煙者では回復過程が異なっていた。非喫煙者では断酒当初の1か月間は白質の容積は増えず密度だけが増加し、その後の6か月に容積が回復した。しかし、喫煙者では断酒後から直ちに容積が増え始めた。これは、非喫煙者ではまずミエリンの再構成から始まるため回復が遅れることを意味する(逆に、喫煙者ではニコチンによるアセチルコリン受容体への効果が断酒前や断酒後に存在し、ミエリンの障害は少なく免れており、回復もアセチルコリン受容体への効果によってさらに早いことを意味するのかもしれない)

 pyrithiamineによって誘発されたチアミン欠乏症ラットでは前頭葉皮質と後帯状皮質のアセチルコリンAch作動性神経支配の減少と行動刺激によるAchの放出の著明な低下を認めた。認知機能の強化には皮質へのACh刺激が効果があるかもしれない。

 まだ認知症を発症していないアルコール症では前頭皮質のコリン作動性ムスカリン受容体の密度が40%減少していた。

これらの所見からもAchE阻害剤であるリバスチグミンの効果は期待できよう。

ただし、↓のような報告もあり、Ach受容体の刺激はニコチンではなくAchE阻害剤の方を使用すべきであろう。

 アルコールとニコチンによって脳のCYP2B6、CYP2E1のレベルが上昇した。この現象が他の臓器で起これば発癌に関連し有害である。

さらにモノアミン神経伝達系も関与しているかもしれない。

 高用量ではないアルコールを与えられていたマウスは、断酒後に海馬の神経新生が低下し(断酒前は神経新生の低下なし)、不安行動やうつ病のような行動をラットに引き起こす。なお、2日間の断酒ではその現象は生じなかった。そして、断酒中に抗うつ剤であるデシプラミンの投与によって神経新生の減少も異常な行動も阻止された。断酒はストレスでありグルコルチコイドの増加を起こす、それが海馬の神経新生を減少させるのかもしれない。さらに、断酒はノルアドレナリンや他のモノアミンシステムの調節不全につながる可能性がある。既に海馬のCREB活性低下はアルコール離脱中に発生する可能性が指摘されており、抗うつ剤はCREB活性を増加させるため、デシプラミンの効果はCREBを介した作用かもしれない。断酒中のうつ状態の予防には抗うつ剤の投与が有益となろう(注;高用量のアルコールは海馬の神経新生は当然低下する。)

コルサコフ症候群は海馬の機能不全に関連する

 アルチュハイマー病への移行を防ぐには海馬の神経新生を促す抗うつ剤の投与も有効かもしれない。

さらに、炎症や酸化ストレスも関連している可能性がある。

 アルコールによってグルコースの代謝は低下し逆に酢酸の利用が増加する。この結果、電位を帯びた代謝産物の不均衡により、例えば、[NAD+]/[NADH]比率は細胞質で減少し、ミトコンドリア内では増加する。その結果、細胞質とミトコンドリア間に電位の不均衡が生じ、電位依存性にミトコンドリアの膜に穴が開いたような通過性が増すような現象が生じる。(この結果、ミトンコンドリアの障害が生じることを意味するのだろうか)。
NAD+↑














 アルコールはグリア細胞のnuclear factor kappa-B(NF-κB)を活性化する。NF-κBは炎症関連遺伝子を活性化し、炎症性サイトカイン(IL-1β、TNFα、ケモカインMCP-1など)の産生を誘導する。さらにアルコールは炎症惹起物質であるNADPH oxidase(NOX)を誘導する。NOXは超酸化物superoxideを生成し、活性酸素種reactive oxygen species(ROS)の産生を促す。ROSはドーパミン作動性神経毒性に結びつく。すなわち、アルコールによってミクログリアとアストロサイトが活性化され、炎症と酸化ストレスによって神経変性を引き起こすことになる。なお、細胞死を意味するcaspase-3の活性も亢進していた。caspase-3の活性の亢進は海馬の歯状回大脳皮質、特に、眼窩前頭皮質(OFC)で著明であった。nuclear factor kappa-B(NF-κB)・NOX・ROSとシグナル伝達経路は、アルコールによる神経炎症の誘発と神経変性に大きく関連していると言える。NOX阻害剤であるジフェニルヨード(DPI)はミクログリア活性化とROSの発生を減少させた。神経変性を防ぐには抗炎症作用や抗酸化作用がある物質の投与が有益になろう。
アルコールと炎症酸化ストレス










 アルコールによって海馬歯状回の神経新生は阻害されるが、それは酸化ストレスやニトロソ化ストレスに関連している。アルコールによってグルタチオンペルオキシダーゼ活性が低下する。そして、抗酸化剤であるエブセレンebselenによって防止された。
(注;エブセレンは双極性障害にも有効である)

抗酸化剤の投与もアルチュハイマー病の予防には非常に効果的かもしれない。

 なお、フェルラ酸は抗酸化作用があり、フェルラ酸(フェルガード)もアルチュハイマー病の予防には有益かもしれない。
 もし、前述のように、アルチュハイマー病では前頭側頭型認知症(ピック病)と同じような病態を呈しているのであれば、フェルラ酸の効果は十分に期待できよう。

 以上をまとめると、アルチュハイマー病を予防するには、事前に周到に計画された解毒と断酒が必要である。他科からのいきなりの入院依頼に応じ即座に解毒(断酒)を開始するのは危険である。

 断酒前には、経口からでもよいからあらゆる種類のビタミン剤の投与、栄養補給、AchE阻害剤、抗酸化剤(バルプロ酸、メラトニン、ミノサイクリン、グルタチオン、NAC、フェルガードなど)、抗炎症剤(NSAIDs)、抗うつ剤、抑肝散、ミエリン補強(ω3脂肪酸。ω3脂肪酸は抗酸化ストレス作用、抗炎症作用もある)などの投与がなされ(多剤併用には注意せねばならないが)、断酒へのストレスに対抗する準備をしておくことが望ましい。少なくとも1週間以上の断酒への準備期間が必要である。

 さらに断酒開始と同時に、チアミンを非経口から大量投与する。他のビタミン剤や抗酸化剤であるグルタチオンも非経口から投与する。引き続き、断酒前に投与されていた物質の経口投与を継続する。そして断酒時には、必ず酢を飲んでもらう

 が、しかし、もし何をもってしてもアルチュハイマー病への移行が防げないのであれば、断酒を選択せずに天寿を全うするのも選択肢の一つかと思う。努めて食べるように指導し、せめて夜だけ飲むようにしてもらい、昼間は酢を飲んでもらい、薬物治療によって易怒性や攻撃性を抑え、メマンチンやSSRIやトピラマートによって飲酒行動を抑制し、神経保護作用があるような物質を投与し、家族に迷惑をかけずに穏やかに酒を飲み続け(ここが一番重要であろう)、天寿を全うするのも、それはそれで本人にとっては本望なことなのではないのだろうか。