子供時代


















 
 不思議なことに、以前は、全く診断されることがなかった病名が、ここ最近、大人にその診断名が多く使用されるようになってきている。それは大人の注意欠陥多動障害ADHDである。しかも、ADHDは本来ならば子供時代から症状を呈するはずの疾患なのであるが、子供時代には全く気づかれることはなく、大人になってから初めて気づかれるのである。そんな事があり得るのであろうか。

 子供時代はADHDではなかったものの、昨今、大人のADHDだと疑われてしまうケースには、仕事中のミス(不注意)や失敗の繰り返し、時間内に課題を完了できないことや、仕事中の不適切な行動(例えば、落ち着きがない、その逆で、ぼーっとしている、仕事中にうたた寝をする、等)、職場の要求水準を満たしていない、などの仕事絡みの問題からADHDが疑われ始めることが多いものと思われる。あなたのダメな仕事ぶりはADHDのせいなのだと疑われ、本人もそうかなと思い始めることになる。
 
 これはADHDという疾患のせいなのであろうか。それとも、ADHDではなく別の疾患なのであろうか。はたまた、疾患などではなくて単なる個性のレベルや適性の問題なのであろうか。
 
 あなたは、仕事選びを間違えたのかもしれない。能力に合わない仕事を選んでしまい、もっと別の職業を選択していたら、無難に仕事をこなせて、ADHDとまで診断されることはなかったのかもしれない。それとも、今の仕事に価値や喜びを見出せずに、ただやる気が出ないだけなのであろうか。あるいは、仕事に対する考え方が甘いのであろうか。はたまた、元々、道徳心が欠如しているから、仕事中という道徳心が問われるような大事な場面で遅刻とかさぼりとか昼寝といった不適切でダメなことを平気でしてしまうのだろうか。それとも、本当に大人のADHDなのであろうか。

 一方、Sluggish cognitive tempo(SCT)(適切な日本語訳はまだないので、認知テンポ遅延障害とでも訳しておく)という疾患概念が提唱されてきているのだが、どうやらその疾患も社会人の場合では結果的にADHDと同じような結果を招き(不注意によって仕事上でのダメぶりを発揮する)、大人のADHDと混同されてしまう可能性があるのであった。SCTを提唱しているバークレイ博士らによれば、大人の5%程度にこのSCTの状態(疾患?)があり、ADHDよりも仕事ぶりがダメなやつだと見なされ易く、賃金も安く抑えられてしまっているようだ。さらに、現段階ではSCTといった概念は一般社会では殆ど知られておらず、最近の概念であるため、精神科医の間でもあまり知られておらず、ADHDと誤診断されて、ストラテラなどのADHDと全く同じ薬を内服するはめになる人達が出てくることになろう。もし、アメリカで使用されている全ての薬剤が日本でも認可されれば、将来は、へたをすれば覚せい剤と全く同じ属性の、ADHDとは異なりSCTでは効果がなく危険なだけに過ぎないような薬を内服しなければならなくなるのかもしれないのであった。

SCT1SCT2SCT3









































 もし、SCTの方であるならば、↑の論文などから推測すれば、その子供時代は、ADHDの児童のような動き回って落ち着きがない子供とは全く逆の、ぼーっとしていることが多く、(表現が悪くて申し訳ないが)どんくさくて、とろい、のろまな、いつものんびりしており、授業中にすぐにウトウト眠ってしまうような、のんきな子供だったと思われる(ドラエモンの「のび太」のような子供である。のび太のように緊張感がないため、おそらく学業成績は平均以下が多かったことであろう。)。しかし、学校や家庭で騒ぎを起こす訳でもないため、問題にはならず、当然、健常児としてみなされていたことであろう。私は、こういった子供は健常だと思う。注意力などは正規分布では±2σ以内の正常域に属しており、個性の範囲内であろうと思えるからである。

子供時代2





 


 

 
 
 ADHDの子供と、のんきな子供、全く正反対の子供時代ではないか。
 
 しかし、いったん社会に出れば厳しい状況が待ち受けているのであった。仕事中はぼーっとしていたらダメなのである。常にやる気をみなぎらせて、気合い十分に、闘魂をこめて、仕事に全力集中し、1個のミスも冒すまいと、自分自身に鞭を打ちながら仕事に臨まないと、ダメなやつだ(ADHDだ)と見なされてしまうのであった。

 そして、このような子供時代には問題にはならなかった健常とみなされていた子供達が、大人になってから仕事のパフォーマンスが悪いからという理由でADHDと診断されるようになってきているが今の現代社会であろう。はたしてそれでいいのであろうか。仕事のダメぶりを全てADHDによる不注意のせいにして片づけてしまうのは、非常に危険で不適切な解決方法であろう。
 
 気性難で折り合いに欠ける馬(ADHD)は、力があってもレースで結果を残せないから競争不適格馬や駄馬と見なされレースに出してもらえなくなるのだが、スピードが出せない馬(SCT)も、そして、スピードが持続しない馬(SCT)も、使い物にならない駄馬だと否定されレースに出してもらえなくなることと全く同じことが、人類社会においても起きているのであった。競争馬としての能力が発揮できなければ否定されてしまうのである。
 
 まさに人類のサラブレッド化である。人類の競争馬化である。競馬場(職場)でサラブレッドとして合格だと認定されないと、競争不適格馬駄馬と診断され、調教施設(精神科クリニックや精神科病院)に回されるのである。

 さらに、うつ病である可能性もある。うつ病でも、仮面うつ病のような病態では、特に、アレキシチミアという「うつ」が自覚されにくいタイプがあり、そういった場合でも仕事のミスが増えて、憂うつそうに見えなければ大人のADHDだと疑われることもあり得るだろう。 しかも、うつ病はストラテラでは十分な効果は期待できないため(ストラテラは当初は抗うつ剤として開発されたが、プラセーボとの有意差を示せなかったため、抗うつ剤としては否定された経緯を有する薬剤である)、うつ病だったがADHDと誤診されてしまうと、治療が遠回りすることになり、やっかいな話となる。
   
 大人のADHD。私はかなり複雑な事象が絡んでいるのではと思っている。仕事ぶりがダメだからという理由だけで、子供時代はどうだったかを正しく評価されることもなく、ADHDだと単純に診断されてしまうのはいかがなものかと思う。ADHDと診断を下すのであれば、子供時代においてもADHDと診断される過去が必ず存在しているべきであるというのが私の個人的な意見である。しかも、子供時代の記憶は非常に曖昧であり、歪んで記憶されていることも多々あることが研究で示されているため、大人になってからの記憶で自分の子供時代の状態が正しく評価されるかは非常に不確実なことである。
(子供時代の記憶はあてにならない。)
http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20131031002
 
 大人のADHDを診断する上で、まずは、大人のADHDについて正しく理解しておかねばならない。大人のADHDという診断を下すのはそれから先のことである。

 今回は成人のADHDについてのレビューを紹介したい。今回引用したのは、論文ではなく、心理学を専攻する人へのメンタルヘルスに関する教育的なサイトに記載されていたバークレイ博士の講義内容である。更新が適時なされており、2013年11月の時点の内容を紹介する。なお、サイトには、この資料は閲覧は自由だが、教育を受けたという認定を受ける場合は有料だと書いてあった。転載は不可となっているため、詳細は省いて要点だけ記載することにした。内容の詳細に関しては原著を必ず参照して頂きたい。

今回も非常に長い内容であり、何回かに分けて紹介する。意訳した部分もかなりある。

大人のADHD: 歴史、診断、障害
「ADHD in Adults: History, Diagnosis, and Impairments」 by Russell A. Barkley, Ph.D.

成人のADHDの歴史
A Brief History of ADHD in Adults

 注意欠陥多動性障害(ADHD)の歴史については、幼児期におけるADHDに関しては多くの医学書や論文にて詳細に論議されている(例えば、Barkley 2006年、Barkley、Murphy、Fischer 2008年)。

 ADHDは殆どが幼児期における疾患であるため、成人のADHDに関しては少ない情報しかない。成人のADHDは、精神科医Edward HallowellとJohn Rateyによって1994年に出版された「Driven to Distraction」http://www.amazon.co.jp/Driven-Distraction-Revised-Recognizing-Attention/dp/0307743152/ref=pd_sim_fb_1)がベストセラーとなり、その後、広く一般市民にも認識されるようになっていったが、実は既に2世紀も前から報告されていたのである。ADHDのような注意障害に関する成人の記述は1775年にドイツの医師であるMelchior Adam Weikardが出版した医学書の中に短い章ではあるが既に記載されている。Weikardは、大人と児童の双方に、気が散り易く、持続性に乏しく、衝動的な行動をとり、不注意が目立つような症状を持つケースを記述しているが、これらの症状は現在のADHDの不注意inattentionという項目に関連した症状と思われる。
 
Driven to distraction










 さらに、スコットランドの医師であるAlexander Crichtonの1798年の記載があるが、2001年にPalmerとFingerがその記載を発見するまでは、誰もが気づかなかった。Crichtonは、不注意は年齢と共に減少するだろうとの見解を述べていた。この記載は、現在のADHDの不注意のタイプに相当すると思われる。著者自身が行った縦断的な研究によれば、子供時代の全ADHDの1/7~1/3は20歳後半で、1/2は40歳代で改善するようである(注;人の脳の髄鞘化が完了する年代が40歳半ばである。ADHDは、やはり髄鞘化と関連しているのであろうか)。Crichtonは、注意の障害は他の多くの精神的・肉体的な障害に関係していると感じていたが、注意障害には様々なコンポーネントが関わっており、現代の研究者はCrichtonと同様に、注意障害は単一のものではなく多次元なものから成ると考えている。

 Crichtonは、コンポーネントの1つとして注意の不連続inconstancy of attentionを想定した。彼は、いろんな対象に短時間ごとに注意がスキップしながら移っていってしまうため、ある特定の対象への注意が一定時間持続しないためではと考えた(自分の意志とは無関係に自動的にそうなってしまうのであろうか)。著者にとっては、これは現在のsustained attention and resistance to distractibility(注; 適切な訳が見つからなかったのでそのまま記載しておいた)という概念に似ているように思える。不注意の2つ目のコンポーネントは、注意力の容量エネルギーやパワーによるものが考えられる。注意は疲労やその時の精神的エネルギーによって影響を受ける可能性があるとCrichtonは考えたが、この概念は覚醒と機敏(敏捷さ)という現代の概念に近いようにも思える。このような精神的なエネルギーは、脳の疾患や外傷によって悪影響を受け、注意力は十分に使用されなかったり、過度に使用されるかもしれない(ナルコレプシーほどではないが、仕事中にすぐにウトウトと眠ってしまうようなタイプのミスを繰り返すケースには、ナルコレプシーに使用するヒスタミンを上げることで上行性網様体賦活系に作用するモダフィニルが効果があるかもしれない。カフェインでもそれなりに効果はあろうが。)

 我々は、注意障害の医学文献を見つけるために104年前に遡らねばならない。1902年に英国で講義されたシリーズで、George Stillは、注意の持続性行動でのモラルに大きな問題がある43名の児童について記述した。彼は、行動でのモラルの問題は、モラルの問題ではなくて、行動の調節の問題であると解釈した。彼は行動の調節の概念について、自分自身や他者のためにどのような行動を選ぶのかを、現在と未来の結果を予想しながら意識して比較する評価のプロセスであると解釈した。彼が記載したケースでは、不注意や事前の考慮が不足している訳ではなく、過活動なだけであった。彼は、自己の即時の満足が子供の行動の基本原理であり特性であると提案した。そして、全ての満足の中で、熱情(あるいは高ぶった情動)は最も一般的に観察される特性であり最も注目されるべきものであると考えた。彼はさらに、実際に罰せられるのだが、数時間以内にまた同じような違反を冒しているため、罰を受けるであろうという罰への感覚の減少が特徴であると注目した。彼は、「モラル・コントロールの欠如 defect in moral control」は典型的なものであり、比較的慢性なものであると信じていた。モラル・コントロールの欠如は、急性の脳疾患から二次的に後天的な脳の欠損として生じるかもしれないし、疾患からの回復が乏しいものかもしれないが、Stillが観察した多くのケースでは慢性的な現象であった。このように、ADHDは成人期まで持続し、それ故、成人期の同じようなパターンが幼少期にまで遡って存在していた可能性があると論理的に考えることができるものと思われる。
 
 成人のADHD関する調査研究の最初の論文は1960年代後半まで遡る。当時、微細脳損傷(微細脳機能障害)Minimal Brain DamageかDysfunction(MBD)としての成人に関する3つの論文がある。 1つ目の論文は、成人期での持続する多動/MBDの症状を示した追跡調査の公表である(Mendelson, Johnson, & Stewart, 1971; Menkes, Rowe, & Menkes, 1967)。 2つ目の論文は、多動児の両親の調査であり、その親も、多動であり、社会障害、ヒステリー、アルコール中毒で苦しんでいた(Cantwell, 1975; Morrison & Stewart, 1971))。 3つ目の論文は、MBDの児童の両親も、注意力、衝動制御、活動レベルでの異常があり、多動は家族的な関連性があること生物学的に確認したものだった。(Alberts-Corush, Firestone, & Goodman, 1986)。 この初期の研究から、ADHDの症状を持つ子供は両親にもADHDの症状があるかもしれないことを示唆し、ADHDが大人達にも存在しうることを意味していた。大人のADHDの存在を意味する証拠の3つ目の論文は、多動かMBDを持っていると思われる成人患者の研究報告である。 

 しかし、大人のADHDに関する一番最初の論文は、Menningerクリニックでの15人の思春期の患者と、若い成人患者(15歳~25歳まで)における神経心理学的、精神医学的な評価結果を報告したHarticollis(1968年)の論文であったように思える。 これらの患者の神経心理学的なパフォーマンス結果はMDBか中等度の脳のダメージが存在することを示唆するような結果であった。 それらの患者の行動的な特徴は、Stillが子供のケースで同定した衝動性、過活動、頑固さconcreteness、気分不安定、攻撃的な行動や抑うつ傾向を示唆するような内容だった。 いくつかのケースでは一貫して幼少時期からこのような行動を取っていた。 Harticollisは、精神分析理論を用いて、この子供の状態は、忙しく行動指向な両親との相互作用によって生じたものと推測した。 手短に言えば、認識機能の生まれながらの障害と特徴的な育児パターンとが相互作用することでMBDの状態が生じることになると解釈したのである。

 1年後の1969年に、QuitkinとKleinは、MBDに関連する成人の2つの行動症状を記述した。 彼らは、ニューヨーク州のHillside病院の105名の患者の「器質性」(脳ダメージ)に関する行動症状を研究した。 彼らは、他の疾患の成人患者と区別できるような、脳波(EEG)、心理テスト、臨床像、生育歴と同時に、中枢神経系(CNS)の損傷を示す神経学的ソフトサインとしての行動症状がないかを調査した。 彼らは、多動や衝動性はCNSのダメージ(=器質性)によるものだと信じて、多動、衝動行動といった生育歴を持っているケースを選択した。 これらのケースはさらに行動的特性により3つのグループに分類された。(1)社会的に無器用な引っ込み思案な行動特性(N=12)、(2)衝動的で破壊的な行動特性(N=19)、(3)他の2つに該当しない「ボーダーライン」グループ。 これらの「器質性」のグループでは、対照と比べて脳波異常と心理テストの異常は2倍であった。 注目に値するのが、幼少時期の多動・衝動的・不注意な行動は、大人になってからの衝動的・破壊的なグループの予測因子であり、幼少時期から成人期までこの行動形態は持続していたことが分かったことである。 さらに、衝動的ー破壊的なグループの19名の患者の17名は人格障害(情緒不安定性)の診断を受けていた。一方、社会的に不器用なグループではたった5名のみしか人格障害(シゾイドまたは受動依存性)の診断を受けていなかった。

 これらの結果は多動や衝動性は青年期に弱くなる傾向があるという当時広く支持されていた考えと反する考えであった。 彼らは、この子供の何名かは、これらの特定の行動症状は青年期まで続いたと主張した。 また、彼らは1969年に、衝動的・破壊的な患者は、両親による要求が強く完全主義的な育て方に原因があり、さらに、それは躾けとは言えないような育て方であるというHarticollisの精神分析学的な仮説に反対した。彼らは、家庭環境はこの症候群の原因ではないというStillの意見を踏まえつつ、「そのような両親は、困難さを激化させるだろうが、衝動的で破壊的な症候群の構成要素ではない」と仮定し、「心理社会的な環境は、他の研究者によっての疾患形成の原因だとして偏重されただけである」と仮定した。そして、構造化された教育とフェノチアジン系の薬剤による薬物療法の併用による治療が考えられうるとした。

 「器質性」の概念とは異なる観点から、MBDと定義された成人のケースに焦点を合わせた最初の論文は、1972年のShelleyとReisterの論文である。 彼らは、軍事基礎訓練への対応が困難な空軍での16名のケースについて記述した。 これらの患者は、著しい集中困難、情緒不安定、衝動性の制御を失うことへの恐怖、不安や自身の価値がなくなることへの強い苛立ちを有していたと記述された。 低い運動能力、遅い(sluggish)反応、応答のタイミングの問題が注目された。 脳波と神経学的所見は普通であったが、運動神経の不器用さ、平行感覚の乏しさ、左右の混乱、協調運動性の乏しさなどの「神経統合性の障害」による「ソフトサイン」を有する証拠を示した。 また、心理テストにて、知覚・運動の問題、非協調運動、タイミングの悪さの問題が存在することが明らかになった。 生育歴では、16名のうち14名に子供時代の癇癪と低いフラストレーション耐性による困難さを抱えており、さらに、12名(75%)には、他の疾患に見られるような多動性行動症候群hyperkinetic behavior syndromeと一致するような一貫した行動が認められた。 30年間も続く、運動の発達と協調性に関する問題はADHDの子供で記載されている (Barkley, 2006年)。

 翌年(1973年)、Anneliese Pontiusは100名以上のMBDの成人のケースの観察結果をまとた。彼女は、成人のMBDに関する多くのケースで、神経過敏であり、衝動的な行動を示すが、それらの障害は前頭葉と尾状核の機能不全から生じると提案した。 そのような機能不全は、「行動する前に行動計画を作ることができず、ゴールに到達する行動を描けずに、ゴールに到達することが最優先なのだということをすぐに忘れてしまい、そのような計画を構築した後で行動することがいつもできない」ことになる。さらに、もし、大人のMBDが前頭葉-尾状核のネットワークの機能不全から生じるのであれば、「行動を見直して再プログラムすることや、必要な時には原則に従って行動を変える(ゴールを目指し再プログラムして行動を変える)」能力がないことに関連しているはずである。

 彼女は、MBDの成人達における前頭葉-尾状核ネットワークの機能不全を観察した。その観察は彼女の予想通りだったことが20年後に判明した。 1996年にCastellanos、Giedd,、Marsh、Hamburger、Vatuzisらが.、1997年にSteingard、Renshaw、Kennedy、Biedermanによって子供のADHDの前頭葉-尾状核ネットワークのサイズが減少していることが示され、2012年にもHartらによって再確認された。さらに、ADHDの理論は遂行機能を含む神経心理学的障害に関連付けられた。例えば、計画を作る、情報に沿って行動を制御する(ワーキングメモリー)、ルールで統括された行動、応答の流暢性や柔軟性、などの障害である(Barkley1997年a、1997年b)。そのような障害は神経心理学的なテストによって判明するが(Frazierら2004、Herveyら2004年、Willcuttら2005年)、児童と成人のADHDの半数以上がテストでは障害があるという結果にはならない。しかし、日常生活の遂行機能を調べるテストでは大部分が障害域に該当することであろう(Barkley2011年a、BarkleyとMurphy2010年・ 2011年、BarkleyとFischer2011年)。ADHDのテストに問題がある。従来のテストは妥当性が乏しいため、EF(遂行機能)のレベルや社会性は評価されないだろう (Barkley, 2012a)。

 1975年に、MorrisonとMinkoffは、爆発性の性格や挿間性制御障害(episodic dyscontrol syndrome http://en.wikipedia.org/wiki/Episodic_dyscontrol_syndrome)持つ成人患者は多動性児童症候群(hyperactive child syndrome)の成人後の帰結でろうと主張した。1976年、MannとGreenspanは、MBDを有する成人は異なる診断実体(成人の脳機能不全)を構成していると提案した。彼らは2例のケースを提示した。 彼らは、MBDの成人は、基本的に注意障害を有しており、多動、衝動性、抑うつ、不安という問題を露呈し易いと信じていた。彼らは、診断精度を上げるためにレオン・アイゼンバーグLeon Eisenbergの行動に関する調査票(1973年)の使用を推奨した。 この調査票は、C. Keith Connersによって開発されたが、彼はアイゼンバーグと共に研究に従事しており、後に多動児の評価の中心となる評価尺度である。1974年にHans Huessyが抗うつ剤や刺激剤はMBDの大人達の運動過剰の治療として最も有益であるかもしれないという雑誌の編集者への手紙から、MannとGreenspanは、これらの症状は実際に抗うつ剤(塩酸イミプラミン)や刺激剤に反応することを見出した。

 1976年に、Wood、Reimherr、Wender、Johnsによって、MBDを有する成人への刺激剤の効果の最初の科学的な評価が行われた。 彼らは、ペモリン(興奮剤)、抗うつ剤であるイミプラミン、アミトリプチリンのオープントライアル後に、プラセーボとの二重盲検法を用いてMBDの成人15例の11例のメチルフェニデートへの反応を調査した。その結果、オープントライアルの15名中の10名に、興奮剤か抗うつ剤に陽性の反応を示していたが、メチルフェニデートを与えられた11名中8名も、良い反応を示したことを見出した。他の研究者によっても幼少期に多動やMBDを持っていた成人への治療として刺激剤と抗うつ剤の効果が報告された(Gomez、Janowsky、Zetin,、Huey、Clopton、1981年。Mann とGreenspan、1976年。Packer、1978年。Pontius、1973年。Rybak,、1977年。Shelley とReister、1972年)。 しかし、1990年代までは、成人の精神医学の専門家や一般大衆の双方ともに、幼児期のADHDと同等の特徴を持つ成人例を広範囲に認識するようにはならなかったし、刺激剤や抗うつ剤の使用も推奨はされなかった(Barkley、1994年・1998年。Spencer、Wilens、Biederman,、Faraone、Ablon、Lapey、1995年。Wender、1995年)。 その後も、ADHDを有する成人が存在するかどうか、それは治療されるべきかどうかは懐疑的なままであった(Shaffer、1994年)。

 1981年にGomezらは、100例の精神疾患の成人例を調査したが、32%が幼少期に多動と注意障害を有し、4%は衝動性を有していたことを報告した。 さらに、対照群と比較して、20%に成人の多動症候群と一致する症状を有すると報告した。 これらの症状は、性格障害と診断されたケースで最も高頻度に見い出された(47%には、幼少期も現在も共に多動症候群の症状を有していた)。 この研究は、少数派ではあるが精神科診療所で評価された成人の中でかなり割合で幼年期の多動症候群の歴史を持つ成人がおり、おそらく、1/5が成人になった後でも臨床症状を有することを示唆する。

 ここで、注意する必要があるのは、成人のADHDの診断基準に関する歴史である。 当時は子供のADHDへの科学的な薬物療法の最初の研究が開始されたばかりであったが、Paul Wenderは、成人のADHDの診断基準を最初に提案した。当時は子供がADHDの概念の中心に位置しており、1995年のWenderの提案はそれに対立するものであった。Wenderは、幼少期の多動症候群syndrome of childhood hyperactivity(DSM-II、1968年)や注意欠陥障害Attention Deficit Disorder(DSM-III、1980年)という診断基準は成人では適切ではないと認識していた。一部の成人ではADHDが続いた状態であるかもしれないし、そのように診断されるのは可能かもしれないが、その一方で、成人では既に広範囲にわたって子供の診断基準を満たすような完全な症状が存在する訳ではないし、成人のADHDの診断を適切に行えるような診断基準も存在していないと認識していた。
 
 Wenderは、後に多くの研究(特に薬物療法のトライアル)で使用されることになる成人のADHDを診断するためのアプローチ方法を開発した(Wender、1995年)。以下の通りである。患者と情報提供者(親が望ましい)は、幼少期のADHDをレトロスペクティブに診断するためにインタビューされる。多動で不注意な症状が今も続いており持続しているかの証拠が得られることになる。7つの症状が成人のADHDを特徴づける表現型であるとして提案された。
(1)不注意さ inattentiveness
(2)多動 hyperactivity
(3)気分不安定 mood lability
(4)イライラと短気 irritability and hot temper
(5)ストレスへの耐性の低さ impaired stress tolerance 
(6)統合性(まとまり)のなさ disorganization
(7)衝動性 impulsivity
これは、「ユタUtah診断基準」として知られており、子供時代のレトロスペクティブな診断、不注意さと多動の継続、残りの5症状のうち2症状の存在が成人のADHDとして診断する上で必要とされた。 また、Wenderは子供時代のADHDの存在をレトロスペクティブに診断するための評価尺度を開発した。ヴェンダー・ユタ評価尺度 Wender Utah Rating Scale(WURS)である(Ward、Wender、 、Reimherr、1993年)。WURSはレトロスペクティブに子供時代の行動を調べる自己完成型のレポートである。信頼性を担保するために、子供時代のレトロスペクティブな診断、現在の症状の慎重な描出、そして、第三者からの子供時代と成人期の行動の情報収集をルーチンで行うことが必要であることを確立した。この診断規則は、多くの臨床医や研究者の標準的な手法になった(なお、バークレイ博士が提唱している大人のADHDの診断基準に関しては、今回以降の章に記載されている)。

 1993年以前には成人のADHDのガイドラインがなかったとしても、ウェンダーのアプローチは後に問題があることが、現在の研究や臨床において議論されている (McGoughとBarkley、2004年)。DSMのその後の版で、ユタ診断基準は、ADHDの現在の臨床の概念からは外された。 DSMによって診断された子供のADHDの研究に、ユタ評価基準のような大人の例まで引き出すような診断スキーマを適用するのは難しいことであろう。さらに、ユタ診断基準では、子供時代からの一貫した不注意と多動を示す個人しか選別しないため、DSM-IVや、現在のSluggish Cognitive Tempo(Barkley、2012年b, 2012年c)と呼ばれれて議論されているような、不注意であることが病態の中心であるADHDのサブタイプの患者は除外されてしまう(バークレイ博士はSCTは大人のADHDのサブタイプだと考えているようである)。さらにユタ診断基準では、成人のADHDでも、大うつ病、精神病、重度の人格障害を有する場合も除外されてしまう。これらの制限は薬物療法の調査研究では有利である反面、明らかに障害があり治療を受ければ利益を得るかもしれない多くの成人患者を診断しないことになるであろう。
 
 これまでの研究では、子供と成人のADHDの少数ではあるが、ある頻度で、成人期における大うつ病や気分変調症(20-27%)、人格障害(11-24%)を有していたことが示された(Barkley、2006年。Barkleyら、2008年。Fischer、Barkley、Smallish、Fletcher、2002年。MurphyとBarkley、1996年)。 同様に、成人のADHDを専門としているクリニックに自ら受診する大人達は、子供時代からADHDを有する大人よりも不安障害やうつ状態を高頻度に示すことも示された(Barkleyら、2008年。MurphyとBarkley、1996年a。Shekim、Asarnow、Hess、Zauha、Wheeler、1990年)。WURSにおける診断基準に関する更なる問題は、初期の段階における適切な基準の欠如である。成人のADHDでは、判定する者の臨床経験に基づいた基準ではなく、発達の問題から生じた症状の逸脱を実証的なカットオフスコアに基づいてより正確に客観的に同定する基準が必要なのである。これらの理由で、ユタ診断基準は、DSM-IVや2013年5月からのDSM-5を使用している研究者や臨床医では使用されなくなった。大人の診断基準として後に改良された評価尺度、例えば、Conners、Erhardt、Sparrow (1998年)によって開発された大人のための評価尺度、または、DSMで記載された症状のリストにより近く合わせられたもの、例えば、Brownの評価尺度 (1996年)、筆者自身の評価尺度 (Barkley、2011年b)は、WURSに代わるDSMに基づいた評価尺度として提供されている。
Prevalence of ADHD with MDD














 成人のADHDの歴史の分岐点は、イーライリリー社による「非刺激剤」であるアトモキセチンatomoxetine(ストラテラStrattera)の開発であった。アトモキセチンを使用した数千名もの成人のADHDへのプラセーボとのランダム化試験が行われた。 アトモキセチンは、最初は抗うつ剤として約1,200名の成人例で試験されたが、抗うつ剤としてのトライアルでは、アトモキセチンはプラセーボとの有意差はなかったため、抗うつ剤としては断念された(注; アトモキセチンは薬理学的にはノルアドレナリンの再取り込み阻害剤である)。しかし、イーライリリー社のJohn Heiligensteinによって成人のADHDへの研究が推進され、マサチューセッツ総合病院にて成人へのADHDの試験が開始された。この研究ではプラセーボとの二重盲検試験が採用されたが、SpencerらによってアトモキセチンはプラセーボよりもADHDの臨床症状を減少させる効果があることが示された。(Spencer、Biederman、 Wilens、Prince、Hatch、Jonesら、1998年)。このポジティブな発見は、成人のADHDにおけるアトモキセチンの2つの大規模なマルチ・サイト試験につながった。そして、536名以上の大人のADHDが評価されADHDに対して有効であることが示された(Michelson、Adler、Spencer、Reimherr、West、Allenら、2003年)。この研究は、これまでに実施された成人のADHDへの薬物療法評価試験としては最も大規模なものである。成人のADHDへの薬物療法の試験はこれからも続くことであろう。

Atomoxetine for Adult ADHD














 Atomoxetineは、米国食品医薬品局(FDA)によって成人のADHDの治療薬として承認された最初の新薬である。その後、刺激剤や興奮剤(覚せい剤)(メチルフェニデート、アンフェタミン塩、など)が成人のADHDの治療薬として厳密に試験された結果、成人における年齢層での使用がFDAによって承認されたhttp://en.wikipedia.org/wiki/Amphetamine_mixed_salts_(medication)。 新しいデリバリーシステムが近年進歩し、即時放出型の製剤よりも、一日間以上にわたり放出される持続性放出型製剤が大きな治療効果を可能にした。これらの新しいデリバリーシステムの製剤には、浸透圧ポンプ製剤(コンサータ)、可変タイムリリース・ペレット製剤(Focalin XR、Metadate CD、リタリンLA、Adderall XR、他)、皮膚パッチ製剤(DaytranaR)があるが、これらの製剤よりも先に使用されていたワックスマトリックス徐放性製剤(リタリンSR)は臨床的には期待外れの製剤だった。新しいアンフェタミン化合物(注;Lisdexamfetamine=フェニルチラミンとアンフェタミンのプロドラッグ)は腸管から吸収された後に活性化されるのではあるが、その前に胃で溶解するカプセルの剤型を採用した混合アンフェタミン化合物製剤(Vyvanse)が、この原稿を執筆中に成人のADHDへの適応を、乱用不可能な処方形式に限定された形でFDAから承認された(注; 肝臓で代謝されてアンフェタミンに変化するのだが、脳へはアンフェタミンとして作用する訳であり、用量を間違えれば、覚せい剤中毒や覚せい剤精神病の恐れがあるようにも思えるのだが・・・)(;゚Д゚)。
Vyvanse
medication for Adult ADHD








































(アメリカでは6歳以上の児童や大人であれば、完全な覚せい剤が使用可能になったのである。依存性、有害事象、中毒や乱用を懸念する声があがるのは当然であろう。しかし、そこまでしないとADHDは良くならないのであろうか。)
 
 注; かって、日本海軍は特攻隊員にヒロポン(メタンフェタミン)を内服させて特攻を命じていたらしいのだが(事実かどうかは私には分からないが)、まさに、戦場のような現代社会で生きていくために、日本海軍の特攻隊のようなことが再びアメリカ社会で行われ始めたのである。ここまでしないと生きていけない現代社会は、私にはもはや狂っているとしか思えない。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%B3%E3%83%95%E3%82%A7%E3%82%BF%E3%83%9F%E3%83%B3

 実際の臨床場面では非常に多いと思われる成人のADHDではあるが、成人のADHDに対する心理学的な治療に関しては、薬物療法のような詳細な科学的調査は現在までは成されていない。最近は改善しつつあるが、成人のADHDに関する心理療法の臨床科学的文献が不足しているのは紛れもない事実である。(KnouseとSafren、2010年、MongiaとHechtman、2012年)。Safrenらは(Safren、Perlman,、Sprich、 Otto、2005年)、成人のADHDに対する薬物療法の補完としてのグループ化された認知行動療法(CBT)プログラムを開発した。このマニュアル化された心理療法の小規模な研究が初期に行われたが、その成果は薬物療法単独の場合よりもはるかに有益であることが示された (Safren、Otto、Sprich、Winett、Wilens、Biederman、2005年)。 その後すぐに、RamsayとRothsteinは(2007年)、成人のADHDのCBTプログラムを開発した。さらに、大人のADHDにおいては、不安、抑うつ、学習障害などの疾患の併存率が高い上に、薬物治療はADHDを有する成人の全ての障害のドメインに対しては対処できない可能性があることを考えると、このような心理療法は推奨されるべきものである。最近、Mary SolantoらはADHDに関連付けられている遂行機能障害に焦点を当てた成人のADHDへのCBTプログラムを開発した(Solanto、2011年)。

 成人のADHDが本当に実在する疾患であると受け入れられた以上、成人のADHDが大人の中でどれだけ存在するかを問うことになる。

次の章でこの問題(成人のADHDの有病率)について触れる。

(次回に続く)

 アメリカ合衆国ではADHDの治療のために正真正銘の覚せい剤(麻薬)が使用され始めているのには驚いた。しかし、これと同じようなことが、奴隷制度で支えられていた大昔の社会で行われていたのである。中毒にならない程度の少量のコカイン(コカの葉)を使いながら、奴隷としての苦役に耐え続ける。インカ帝国やマヤ文明で実際に行われていたことであるが、それと全く同じことがアメリカ合衆国で行われ始めたのである。どうやらアメリカ合衆国ではADHDは現代社会の奴隷として活用されることになったようだ。ADHDと診断された大人達は、インカ帝国の奴隷と同じように、これからは覚せい剤を常に少量内服しながら、集中力を持続させて社会のために最高度のパフォーマンスで働き続けることになったのである。

 覚せい剤を飲んでまで仕事のパフォーマンスを上げることを要求される。とんでもない世の中になったものだと思うのは私だけであろうか。

 ドラえもんの最終回はこうなると私は予測する。大人になったのび太が仕事でもダメっぷりを発揮して、大人のADHDじゃないのかと職場の産業医から指摘され、職場から精神科に受診するように命じられて精神科を受診したのだが、そのダメっぷりに驚いた受診先の精神科医は一番強力なADHD用の薬剤(Vyvanse)を処方し、のび太はいつものうっかりミスで内服する量を間違えてVyvanseを過量に飲んでしまい、興奮して運転免許もないのに運転し、猛烈なスピードを出して高速道路で華々しく散るという話が最終回になるのであろう。(たぶん)。

21世紀の奴隷