2016年05月25日

サンチェン・チョコル仏教大学

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。シリーズのお話を書いています。

さてトゥルクに招待していただいたお寺、サンチェン・チョコルはパロの谷を見下ろす2,800mの丘の上に建っているのですが、

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ここは、以前ご紹介したブンドラ僧院へのトレッキング()の開始地点になります。途中のビューポイントからは、パロの町のメーンストリートや空港の滑走路をのぞむことができます。田んぼにも水が張り始まって、各地で田植えが各地で行われているのがわかりますね。

ちなみに、私の部屋の近くからこの大学を見た過去記事のお話は()、

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こんな感じで見えます。丘の上ですね。ブータンにフライトで着陸するとき、7割くらいの確立でちょうど旋回して、この仏教大学の近くを間近に窓から見えることがあります。

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たまにトレッキングに行くポニーも見かけますよ。サンチェン・チョコル(Sangchen Choekhor)僧院の入り口にある看板には、

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英語ではInstitute of higher studies in Buddhist Philosophy, Paro と表記がされていて、お坊さんの大学と言えるでしょう。

ブータンでは、各地方にあるお寺やゾン(城)で学びはじめ、その後、お坊さんもレベルに合わせて進学をします。お坊さんの大学として有名なのは、ここサンチェン・チョコルや、ティンプーにあるタンゴ僧院などがあります。仏教大学などで経典などを学ぶことを中心とする僧もいるし、ゾンなどで法要などを行うことを中心にする僧もいて、僧侶としての一般的な知識はすべてのお坊さんが知っているけれども、専門性が違う、畑が違うというのも、一般社会の一部を見ているようでおもしろいですね。

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(サンチェン・チョコル1)

一般のブータン人も、お坊さんを説明するときに、「サンチェン・チョコルやタンゴ僧院のお坊さんはエリート」と表現することもあって、あぁ、お坊さんにもやっぱりランキングがあるんだな、と思います。一般社会よりも、もっとはっきりとした階級付けがあるといってもいいのかもしれません。

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(サンチェン・チョコル2)

さらに、ブータンでは日本で言う高校や専門学校を卒業してから仏門に入るケースも多く、十代後半や二十代になってから出家し、僧になることも珍しくはありません。その場合は英語がとても流暢な方も多いですし、更にリンポチェやトゥルクとして高僧として知られる方の多くは、英語も勉強されていらっしゃいます。

トゥルクは、この仏教大学のすぐ側に住居があります。以前、ブンドラ・トレッキングに行ったときには、

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その住居の前で法要を行っていたお坊さんの姿や、

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トゥルクが可愛がっているパグのわんちゃんにも会いました!とっても人懐っこい子でしたよ。

一般的に、そんなに簡単にトゥルクにお会いできるわけではありません。というのも、現在は、仏教大学で勤勉に励んでおられる立場であり、その授業のタイミングや勉学の量も、試験などもあります。その他にも、奉仕活動のようにコミュニティに関われたり、様々な場所からもご招待があったりするため、多忙な生活です。

偉いお坊さんに会う、というよりかは謁見する、お目にかかる、と言った方が適切ですね。そして、トゥルクのいらっしゃる建物の別室で、時間になるまで待っている間に写真を見せていただいたのは、

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これは、トゥルクが4歳の時にテルトン、ドゥクダ・ドルジの生まれ変わりであることを正式にブータン政府と仏教界からジェイ・ケンポにより認定された証でしょう。

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こちらの中央にいらっしゃるのがトゥルクで、10代になってからのお写真かな。その他にも、多くのお写真がありました。日本に訪問されたときのものもありました。

どんなことをお話すればいいのかな、失礼にならないかな、とドキドキしながら待ちました。

続きます。


:僕も今度おいでってお誘いいただいたんだよ~
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2016年05月24日

トゥルクとリンポチェ

 こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。

今日は昨日の続きで、ブータンやチベット文化圏で信じられている、生まれ変わりのお話です。

トゥルクとは日本語では「転生活仏 てんしょうかつぶつ」と表現され、この世に生きる仏、ということです。

チベット仏教では、一部の高僧は、仏の化身として生まれ変わって転生すると信じられています。トゥルクは、前世やそれ以前からの役割を受け継ぎ、それぞれの系譜に則した哲学や儀礼的伝統を絶やすことなく継承していくことを使命としています。

日本でも世界中でも有名な、ノーベル平和賞を受賞されたダライ・ラマ14世は観音菩薩の化身(生まれ変わり)とされトゥルクとも言えますが、ダライ・ラマは人間であった高僧ではなく、悟りをひらいた観音菩薩の生まれ変わりとされることが、法王として崇められるのでしょう。チベット仏教には大きく分けて4つの宗派がありますが、ブータンが国教としているのはカギュ派、ダライ・ラマ法王はゲルク派です。

トゥルクと混乱しやすいのがリンポチェと呼ばれるお坊さんですが、トゥルクを”リンポチェ”と呼ぶことがあっても、全てのリンポチェが”トゥルク”と呼ばれるわけではありません

リンポチェとは、宝石や貴重な、と言う意味であり、高僧に対する尊称で、必ずしも仏の化身の生まれ変わりではないのです。

ブータン人は、このあたりをきっちり認識していて「XXXリンポチェが今度パロのお寺に来るらしいよ」と言っても「XXXリンポチェは、リンポチェって呼ばれているけれどトゥルクだよ」と説明をしなおしてくれる人もいます

トゥルクとして認定されるのは、多くは幼少のころで、生まれる前に妊婦の夢にお告げがあったケースもあったり、別の高僧が告げたり、生まれてから幼児が何かを予兆することもありますが、認定をするまでには教義に沿って本当に転生者であるのか審議されます。

「生まれ変わり」は、現代の社会では非科学的なものとして扱われてしまうこともあり、それに誰かが意図的に仕向けることも、できなくはありません。現在のブータンではトゥルクの認定には、宗教をつかさどる僧侶たちだけの判断ではなく、内務文化大臣と政府の議会で審議をし、信憑性がない場合には認定されません。

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では、現在17歳のトゥルクは、どうしてテルトン、ドゥクダ・ドルジの転生者として選ばれたのでしょうか。

フォブジカ谷で生まれたトゥルクは、3歳の時に何度もパロにあるチュンブラカン(寺)に行くと繰り返し主張しました。そして、お寺に向かう途中で彼はテルトン、ドゥクダ・ドルジがかつて瞑想していた洞窟を認識しました。寺院に入場すると、湖ラツォ(命の湖と呼ばれる)からテルトン、ドゥクダ・ドルジが発見した宝の仏像を認識し、トゥルクがお賽銭のコインを仏像に捧げようと努力をしていると、奇跡的にそのコインが仏像の胸に自然と吸い寄せられたのが、多くの人々に目撃されました。

このような、少年が転生者として認定される不思議なストーリーは、ダライ・ラマ14世の半生を描いた映画クンドゥン(Khundun 1997年 マーティン・スコセッシ監督)があります。日本語訳バージョンもDVDにあるので、ご興味がある方はご覧になったら面白いな~と感じると思います。

クンドゥン [DVD]
クンドゥン [DVD] [DVD]

話がずれてしまいましたが、トゥルクは4歳の時にブータンの大僧正、ジェイ・ケンポより正式にテルトン、ドゥクダ・ドルジの転生者として認定され、パロにやってきました。

まだ、小さな少年であったトゥルクが、経典の意味を自分自身の言葉で説明しているところや、お祭りの時に踊られるような舞をする様子が映像にありました。私達には話している内容はわからないですが、こんなにも長いセンテンスを一気に話される様子や、大人のように舞をする姿はすごいな~と思いました。 


(舞が始まるのは3分あたりから。画像は荒いですが貴重な映像です)

本日もまだ、私が書きたいことに辿り着いていないのですが、、トゥルクに外国人の私が聞いてみたい質問の数々を、フランクに答えてくれたお話を次回に書きたいと思います。

続きます。


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2016年05月23日

ブータンの生まれ変わりと予言とは

こんにちは。クズザンポラー。

今日はちょっと難しい内容なので、こういった話は興味が無かったり、苦手な方もいらっしゃるかもしれませんが、ブータンでは多くの人が信じる「高僧は生まれ変わる」というお話です。

本日、改めてこのことを信じるブータンの人々の信仰にふれた出来事がありました。読まれる方が信じるかどうかは別として、なるべくわかりやすく、私が理解できる範囲で書いてみます。

まずは、ブータンの老舗新聞クエンセルの昨年の記事(原文はこちら)からの抜粋をご紹介します。全体の記事の概要は、「第四代国王陛下の還暦のお祝いとして、王室の貴重な品々展示した展覧会が行われた」というものでしたが、そこに『第四代国王のご誕生は昔に予言されていた』とあります。

18世紀にテルトン(特別な力を持ち、宝を探すことができる人)がブータンとチベットの間にある山中で深い瞑想をしていたとき、8世紀にブータンに仏教を伝えたグル・リンポチェが一人で目の前に現れ予言を聞いた、というのです。その内容を私なりに日本語に訳してみます(カッコ内の補足は、クエンセルの新聞記事の補足をそのまま訳しました)


テルトン ドゥクダ・ドルジの予言
Prophecy of Terton Drukdra Dorji

親愛なる息子よ、再び私の話に耳を傾けなさい。

南に位置する隠された標高の低い土地(ブータンのこと)にある、
3つの谷が連なる美しいWomtrong(旧名はDechencholing)と呼ばれる神聖なる場所で、
干支がFemale Wood Sheep Year(女性・木・羊年=1955年)の年に、
卓越したやんごとなき男児が生まれるでしょう。

彼は二十歳で黄金の玉座に上るであろう(=第四代国王陛下の旧暦の年齢)。
そして彼は、自分の国を競うことなく最大の成功に導き、
そこで、衆生の人々はかつてない平和と繁栄を感じることであろう。


さらに、記事は続き、

第四代国王陛下は、1955年11月11日Dechencholing宮殿で生まれ、17歳で世界で最も若い君主になって、正式には1974年6月2日即位をしました。

とあります。そしてこの予言がかかれた書は、ティンプーにある国立博物館に保管されています。

え~、生まれる年の干支と、場所と性別くらいだったら、こんな偶然も高い確率であるんじゃない?と思うかもしれませんが、ブータンの暦も十二支がありますが、さらにそこに5つの要素(Wood, Fire, Earth, Iron,Water と性別(男・女)が加わります。大雑把に計算をしてみても、そう120年に一度しか予言された年の干支の組み合わせ(Female Wood Sheep Year)はやってこないし、場所、性別、戴冠の年までも一致する確率はとても低いものです。

じゃあ、この書はいつ書かれたの?と疑問になります。正確な年代は説明されていませんが、ブータン人によれば、20世紀よりもずっと前のものだ、と言います。おそらくそうなのでしょう。

前置きが本日のほとんどになってしまいましたが、実は今回私が書きたいのは「第四代国王陛下の誕生が予言されていた」とか、予言の真偽ではなくて、この予言をしたテルトン(ドゥクダ・ドルジ)の生まれ変わりとされるお坊さんのことです。

Rinpoche

(写真はこちらPel Drukdraling Foundationのホームページより)

オグロヅルで有名なフォブジカ谷にて1999年に生まれた彼は(以降はトゥルク『転生活仏』と表記します)、生まれたときから数々の縁起の良いしるしを持ち、4歳で正式に認定されました。
Ugyen Droduel Thinley Kunchap というお名前もお持ちですが、人々からはトゥルクと呼ばれています。

現在17歳のトゥルクですが、将来はブータンの宗教指導者の一人として、導いていかれると予想されている、尊いお方です。そんなトゥルクにお話を伺う機会がありました。転生活仏として偉大な尊敬を集め、勉学に励み、常に人々に注目される中、でも17歳としての少年らしい姿もあったトゥルク。

なかなか知られることのない、トゥルクの生活のお話を書いてみようと思います。

:僕も一緒に遊んでもらったんだよ~
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