2017年04月15日
「世界の笑顔のために」プログラム~1~
こんにちは。クズザンポラー。
いつもブログをご覧いただき、ありがとうございます。
長く更新が滞っていたため、先日から再開をして書き始めてみましたが、どんな調子でどの内容から書いていけばいいかな・・・と迷いながらブログを書いていますが、やはり今まで通り一つ一つ、その日に心に浮かぶことをお伝えしていきたいと思います。
今回ご紹介したいのは、JICA(海外青年協力隊)が行っている「世界の笑顔のために」プログラムで、誰でも途上国の人々のために、日本にいながらボランティアができます。家に眠っている、現在は不要になってしまった道具等を海外で使ってもらうことができます。このことを書きたいのですが、その前に、なぜこのプログラムをやりたいかと思った私のお話を・・・
私は昨年の夏に転勤をし、その後、いったん日本に戻ってきているのですが、その間にやらなければいけないことがありました。それは「実家を取り壊す」という作業です。
福島県双葉郡にある私の実家は、2011年3月の大震災発生後に津波の被害は受けなかったものの、今月に避難指示区域が解除をされるまでの約6年間は、実家へ戻り暮らすことができず、地震で被害を受けたことに加え住人が不在の家、さらに人が住んでいない町は鳥獣被害も増え、家は荒れていきました。
建物自体は全壊ではなく半壊であったため、修繕をすれば住むことができます。しかし、私たちは修繕をせずに家を解体する、という決断をしました。
同じような状況にあったとしても各家庭それぞれ住環境や家族構成、職業や年齢により、何を決断をし、どんな未来を描くのかは異なりますし、何が最適な判断なのかは何年後かに振り返ってみて思うことがあるかどうかなのかもしれません。もしかしたら、直感だとしても先に「こうする」と自分で決めたことで、その決断が後々に最適なものになっていくのかもしれません。
家を解体する経験は、人生においてそんなに何度も体験するわけでもないし、自然災害後に放射線量の関係などもあって、家主が予想をしていなかったタイミングで家を解体することの辛さを知りました。
私がブータンで過ごした日々とほぼ同じ日数、この家は住人が不在であったことの重さも感じました。
家屋の解体作業が始まる前に実家を訪れることができず、ブータンから帰国後に「もう取り壊されているかもしれない」とダメでもともと思いながら訪れてみると、解体途中のお家がありました。
私は自分がブータンにいたこともあり、実家に残してきた物のほとんどを避難先に運ばずに残していました。避難先の仮設住宅にはスペースも限られ、結露が多くカビやすく、親に負担をかけるのも申し訳ないと思っていたからです。そして解体当日、私自身が家族との連絡不足だったこともあり、荷物は持ち出すことなく家族に処理をしてもらいました。
物は運び出さなくても、どうしてもお家を壊す前に一度、家に行きたかったのです。変な表現かもしれませんが、お家に今までありがとう、と言いたかったのです。車を運転してくれた同級生の友人が、私の部屋で「あ!!これ懐かしい」と見つけてくれたのは、
バスケットボールでした。先輩が引退をするときに、後輩の私にメッセージを書いて渡してくれたものです。
それを手にして、あぁ、間に合ってよかったな、と思いました。
どれもこれも思い出があって大切なものだけれど、物よりも「それに込められた想い」がもっと大事で、物(バスケットボール)はその想いを思い出すきっかけとして、長年とっておきたかったものなんだな、と。
養老孟司氏の本に「自分の身についたものだけが財産…(略)墓に持っていけるものだけが自分の財産なのです」と著されていたのを思い出しました。
そして、ブータンのこと思い出します。そうだ、ブータン人はお墓も作らない(詳しくはブータンのお葬式3)。その潔さは養老さんの言葉と同じ。
そう思うと、解体工事の現場を目にすることで、ひとつの節目をきちんと終えられたような気持になりました。
続きます。
~本日は、熊本・大分の大地震から一年経つ忘れてはいけない日でしたね。まだまだ元の生活に戻れない方たちもいらっしゃると思いますが、笑顔が見れる機会が増えるように願っています~
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この記事へのコメント
必ず戻ってらっしゃると信じていました。
あなたのことば、考えていることを気軽にして、ブータンの事を知らせて下さい!
待っていますので。
お身体大事にして下さいませ!
またいろいろあり、ブータンに戻りましたので、今後も更新していきたいと思います。
体は今の所、元気です!
またいろいろあり、ブータンに戻りましたので、今後も更新していきたいと思います。