短文ネタ置き場

・短文練習のネタ置き場 ・新聞社のコラム、論説、社説など

天声人語

かつての中国では「亡国の遊戯」とされた麻雀

かつての中国では「亡国の遊戯」とされた麻雀(マージャン)だが、改革開放後は復権した。15年ほど前に訪ねたときは、まだ後ろめたかったのか、牌(パイ)を積むことを「万里の長城を修理しよう」と隠語で言って卓を囲んでいた▼その「万里の長城」の例えが、米国のネット検索大手グーグルの、中国本土からの撤退で飛び交った。当局の厳しい検閲要求を各国メディアがそう表した。都合の悪い情報は徹底してはじき返す。このゆゆしき長城は、ポンだのチーだのという長閑(のどか)な話とはわけが違う▼きのう小紙には別の言論規制も載った。当局が中国メディアに18分野の報道禁止を命じたという。官僚の腐敗から大学生の就職難、食用油の高騰まで多岐にわたる。いま一番の関心事について、人々は耳目を封じられたようなものだ▼言論や表現の自由はよく「最も大切な自由」と言われる。他のもろもろの自由が侵されていないかを監視し、侵害があれば、告発や異議は言葉や映像でなされる。表現の自由は「自由軍の大親玉」だと、作家の井上ひさしさんは言っている▼その自由を欠いたまま中国は成熟していけるのか。中国政府は冷静に考えるべきだろう。いくら金回りが良くなっても、内面の伴わない「子どものような大人」では、真の敬意は払われにくい▼「民の口を防ぐは、水を防ぐよりも甚(はなは)だし」と3千年の昔、周時代の故事は言う。批判を封殺し続けた王は、ついには民衆に追放されたそうだ。検閲という長城をいくら補強しても水は防げまい。ネット時代の民の口は往時の比ではない。

人生には二つの穴があるという。

人生には二つの穴があるという。お金を入れる穴と、出す穴だそうだ。多くの人は、入れる穴の直径より、出す穴を小さめにして暮らしているのだと、人間通で知られた文学者の高橋義孝が書いている▼世間には、入れる穴を広げる金もうけこそ人生だと考える人がいる。片や、出す穴をできるだけ大きくして、お金を使うのが人生だと考える人もいる。人生色々だが、入れる穴が小さいのに、出す穴ばかりが大きければ、これは早晩行き詰まる▼さて、この国の穴はどうだろう。きのう成立した新年度予算の一般会計総額は過去最高の92兆円にのぼる。だが税収は37兆円。入れる穴は出す穴の半分もない。新規の国債は44兆円。借金が税収より多いのは、当初予算では戦後初という。数字はどれも空恐ろしい▼今日をしのぐ借金は、子や孫の代を質草にした借り入れだ。いきおい次世代は、先の難儀を予想して身構える。ある大学生調査では、退職後に頼れるのは「貯蓄など自助努力の資産」だと3分の2が答えていた。「公的年金」は2割に満たなかった▼若者に老後を聞くのも無粋だが、退職後の生活費の準備をいつから始めるかも聞いたそうだ。8割が学生時代から30代までにと答えたという。何だか彼らに申し訳なくなる▼国家財政の話ではないが、あれやこれやと事を後世に押しつける風潮に、明治の毒舌家斎藤緑雨はかみついた。「なりたくなきは後世なるかな。後世はまさに、塵芥(じんかい)掃除の請負所の如(ごと)くなるべし」。ツケを回さぬための議論は、もう待ったなしである。

米国のレーガン元大統領(共和党)は

米国のレーガン元大統領(共和党)は言葉が巧みだった。こんな警句を残している。「皆さんが必要なものを何でも与えられる強力な政府は、皆さんから何でも取り去ってしまう強力な政府ということになります」▼政治学の故・内田満氏によれば、あれもこれもと政府に求める人たちへの反論だったらしい。国民生活への政府の大きな関与を嫌う伝統が、米国にはある。いわゆる「小さな政府」をうたう共和党の支持者にはその色が濃い。それが、先進国の中で唯一、国民皆保険制度がない背景の一つともされてきた▼その米国で、皆保険をほぼ実現する法案が議会を通った。歴代大統領がなしえなかった課題である。わずか7票差の薄氷を踏むような多数決だったが、オバマ大統領(民主党)の執念が実ったといえる▼共和党からは「社会主義につながる法案だ」といった批判がわいたそうだ。当否はおいて、「政治とは情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力をこめて、じわじわと穴をくりぬいていく作業」だという名高い定義を、太平洋越しに見た思いがする▼おおざっぱに流行語に例えれば、弱肉強食の共和党に対し、弱者の救済をうたう民主は草食系となろうか。どちらが自分の信じるアメリカなのか。「国のかたち」を国民に問う、世論二分のテーマでもあったようだ▼さて、かの地から目を戻せば、日本では新年度予算がきょう成立する。国の近未来を描く数字が並ぶが、理念の輪郭はおぼろげだ。閉塞(へいそく)感をくりぬくリーダーシップが、いま何よりも政治にほしい。

聞いて慰められる人は多いかも知れないが、

聞いて慰められる人は多いかも知れないが、たばこをめぐるこんな迷言がある。「禁煙はわけなく出来ることだ。すでに千回はやってみた」。手元の本によれば米国の作家マーク・トウェインが発言主となっている▼ほかにも歴史上の人物が似たことを言っているらしく、禁煙の試みと失敗の多いことを物語る。先ごろの報道によればオバマ大統領も同じ轍(てつ)を踏んでいるらしい。「必死の努力を続けている」と去年言っていたが、まだ煙と縁が切れないようだ▼吸うことを喫煙と言い、好きな人を愛煙家と呼ぶ。たばこと煙は一心同体、切り離せないと思っていたら、火を使わず煙も出ないたばこが登場するという。日本たばこ産業(JT)が5月に、まずは東京で売り出すそうだ▼香りを楽しむ「嗅(か)ぎたばこ」の一種だという。紙巻きたばこに似た形で、ニコチンは軽いたばこの20分の1程度になる。吸う本人の健康リスクはあるそうだが、煙で他人に迷惑はかけない。それが売りである▼〈嫌煙の鬼にもなれずオフイスの窓少しあけ烟(けむり)逃がしむ〉中島央子。いまや立場は逆転し、職場禁煙は加速している。とはいえ飲食店は多くが例外だ。客はいやなら席を立てるが、従業員にはつらい人も多いのではないか▼仮に政府が薦めても防塵(ぼう・じん)マスクなど使えまい。窓を開けて煙を逃がすのは客の手前はばかられよう。「せめて無煙たばこを」が今後、嫌煙派の従業員や客の声になるやも知れない。無煙がひいては禁煙の成功を呼ぶなら、JTはいざ知らず、ご本人にも悪いことではない。

弥生や花見月といった温雅な呼び名を持つけれど

弥生や花見月といった温雅な呼び名を持つけれど、ひと皮むけば三月の本性は荒々しい。冬の寒気と春の暖気がぶつかり合って、思わぬ嵐を各地にもたらす。「三月は獅子のようにやってくる」。英国のことわざは、そのまま日本にも当てはまる▼三月は気分屋でもある。どっと南風が吹き込んだかと思うと、返す刀で北風が荒(すさ)び、大雪を降らせたりする。そんな気まぐれを対馬あたりでは「手のひら返し」と呼ぶそうだ。春突風、春疾風(はやて)、彼岸荒れ……。春の嵐を表す言葉は多彩だ。おとといから昨日にかけて、連休の列島を駆け抜けた▼東京や千葉では30メートルを超す風が吹いた。明け方にはごうごうと空が鳴った。鉄道は止まり、飛行機も欠航が相次いだ。安全優先は当たり前だが、足止めに泣いた人はやりきれない▼静岡県では野焼きの3人が火に巻かれて亡くなった。これも「凶風」のせいらしい。筆者にも経験があるが、ゆっくりと野を焼く火も、風が吹くと突然あらぬ方へ走り出す。火と風の相性への油断が、どこかにあったのかもしれない▼気象学者、関口武さんの『風の事典』によれば、日本には2千を超す風の呼び名がある。多くが死語になりつつあるのは、暮らしが自然から離れたためらしい。野焼きに限らず、風の名は忘れても、風の恐ろしさを忘れてしまってはなるまい▼春の嵐のあとは、西風に乗って黄砂が飛来した。大陸で舞い上がる黄砂は年に2億から3億トンというから風は侮れない。身も心もざらりと不快にする迷惑千万な客に、何か手はないものか。
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