短文ネタ置き場

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東京社説

米国の大手検索サイト「グーグル」が中国当局の求める

2010年3月25日
 米国の大手検索サイト「グーグル」が中国当局の求める自主検閲を拒み撤退を決めた。最大の成長市場を失ったグーグル以上に、開放的でバランスの取れた発展を目指す中国が被る損害は大きい。
 中国本土でインターネットに接続しても、民主化運動を軍が鎮圧した一九八九年の天安門事件やチベット問題など当局に都合の悪い情報の検索はできない。
 これは政府が「金の盾」と呼ばれる技術で特定情報を排除している上、海外から進出したグーグルなど検索サイトにも自主検閲を強いてきたためだ。
 しかし、グーグルは二十二日に発表した声明で、多数の人権活動家のメールが何者かに閲覧されるなど、中国のインターネットで言論の自由が侵されていることを理由に、検索サービスを停止することを明らかにした。
 これに対し、中国政府はグーグルが進出当時の「書面による約束」に背き、ハッカー攻撃を中国のせいにしていることを「完全な間違い」とし「商業問題を政治化している」と反論した。
 グーグルは今年一月に自主検閲の返上を宣言し、中国政府と交渉を重ねてきた。しかし「自主検閲は交渉の余地のない法的義務」(グーグル声明)とする中国側と折り合いが付かず撤退に至った。
 グーグルにとって中国市場の利益は全体の約2%にすぎないが、四億人近いインターネットユーザーがさらに増える市場を失った痛手は大きく株価も下落した。
 三十年余にわたる改革・開放が転換点を迎えた中国にも損失は大きい。急速な経済成長は極端な格差を広げた。パイの拡大より、その分配が問題になっている。
 今月開かれた国会に当たる全国人民代表大会で温家宝首相は「政治体制の改革がなければ経済体制改革、現代化建設は成功しない」とこれまでになく強調した。
 そして「人民が家の主人になる民主的権利」として「選挙権や知る権利、政策決定に参加し意見を表明する権利、政府への監督権」を挙げて、その拡充を促した。ネットの検閲強化は、こうした政策に沿うだろうか。
 まして天安門事件など現代史の重要な出来事について一切の情報をさえぎることは、世界の大国の主である自らの国民を愚弄(ぐろう)するに等しいのではないか。
 国の指導者も認めるとおり、検閲強化で民衆の知る権利や意見表明の権利を侵すことは中国自身の発展と現代化を損なうだろう。

国民皆保険に道を開く医療改革法案が米下院を通過し、

2010年3月24日
 国民皆保険に道を開く医療改革法案が米下院を通過し、オバマ大統領最大の公約が実現する。払った代償は大きいが、「国のかたち」をも問う歴史的一歩を踏み出した成果を評価したい。

 「これはアメリカ国民にとっての勝利だ」-。医療改革法案の下院可決後、オバマ大統領が述べた言葉に、歴史的達成感がにじむ。
 先進国の中で、国内総生産(GDP)比16%という最高の医療費を費やしながら、国民の六人に一人が無保険者という数字が米国の医療事情を象徴する。医療機関、製薬、保険会社が提供する高価な医療サービスと、その負担に耐えられず無保険化していく低中所得者層、その医療現場の悲惨な実態は、映画などでも紹介され国際的波紋を広げた。
 今回の医療改革法案の軸は、既存の低所得者向け公的医療扶助制度(メディケイド)の適用対象を拡大する一方、低中所得者層を中心に保険加入を可能にする補助金、税額控除を導入する点だ。四千六百万人とされる無保険者の三千二百万人を救済できるとされる。
 国家建設の理念を個人の自由と責任に置く米国では、保守勢力から「社会主義的」と批判されがちな国民皆保険制度は終始不評だった。クリントン元政権時代の挫折は現政権のトラウマでもあった。
 共和党勢力との交渉は熾烈(しれつ)を極めた。当初の目標だった公的保険導入は早々と消え、代わって「保険取引所」を新設し、民間保険会社の競争を通じて安価な保険提供を図る実験的な方法に止(とど)まった。
 四年後の本格実施から十年間で九千四百億ドル(約八十五兆円)とされる財源は、高額保険商品や高額所得者に対する増税、無駄の削減で賄うとされるが、現実的な裏付けが十分とはいえない。
 今後最大の懸念は、土壇場でオバマ氏が自ら演じた力ずくの政治手法だ。「米国の融和」とは裏腹の強引な議会戦術は、共和党との溝を決定的にした。秋の中間選挙を控え残されたしこりは大きい。
 高い代償を払いつつも、オバマ政権は歴代政権が実現できなかった国民皆保険制度の実現に道を開いた。複雑なテーマを平明に語る説明能力と、一貫した高い理念があってこその成果だ。
 国際社会で、黒白が単純に割り切れるテーマは稀(まれ)だ。核軍縮やイスラムとの対話もしかりだ。米国が内政で示した変革が、国際社会の変革でも通じるか、真価が問われるのはこれからだ。

北海道教職員組合から違法献金を受け取った罪で、

2010年3月24日
 北海道教職員組合から違法献金を受け取った罪で、民主党の小林千代美衆院議員陣営の経理担当者らが起訴された。小林氏は議員辞職も離党も否定したが、けじめなしで国民の理解を得られるのか。

 小林氏は、起訴を受けた記者会見で「道義的責任は痛感している」と語ったものの、辞職も離党もしない考えを明らかにした。
 小林氏が二回目の当選を果たした昨年八月の衆院選では、公職選挙法違反で元連合札幌会長が一審で有罪となっている。禁固刑以上が確定し、連座制が適用されれば、小林氏は議員失職する。
 一連の事件は潔白だというなら堂々と説明すればいい。
 ただ、国民への納得いく説明を欠いたまま、離党も辞職もしないという対応が、同様に「政治とカネ」の問題を抱える鳩山由紀夫首相や小沢一郎幹事長の責任問題への波及を避けるためだとしたら、国民は納得しまい。
 小沢氏の資金管理団体をめぐる政治資金規正法違反事件では、小沢氏と、起訴された石川知裕衆院議員に、政治倫理審査会の審議や参考人招致に応じるなど、国民への説明に努めるよう求めてきた。
 石川氏は離党はしたものの、両氏がその後、説明責任を十分果たしているとは言えない。小林氏の対応の背景に、民主党の自浄能力の欠如という本質的な欠陥があるのなら見過ごせない。
 小林氏が辞職しないのは、夏の参院選前の補欠選挙を避けるためとの見方がある。党執行部が、選挙や政局の思惑ばかりを先行させるのなら、新政権に「政治とカネ」の問題からの決別を託した国民の心は離れていくばかりだ。
 政治家をめぐる検察捜査は、その在り方が問われ始めてもいるが、「政治とカネ」に対する国民の視線は依然厳しい。鳩山内閣や民主党の支持率が低落傾向にあるのは、国民が対応の不十分さを感じているからではないのか。
 「非小沢」派の閣僚からは「民主党らしさ以前の問題として政治家としてのけじめ、倫理観が厳しく問われている」(前原誠司国土交通相)などの声が出始めているが、実際の党運営に反映されなければ、遠吠(とおぼ)えにすぎない。
 鳩山首相は「これで終わったとは思っていない。何らかの対処をする必要がある」と語った。首相が政治への信頼回復に指導力を発揮するのは当然だ。さもなければ、小沢氏に権力が集中する「二重権力批判」はいつまでも消えない。

結婚しても希望すれば、従来の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」の法案提出が、

2010年3月23日
 結婚しても希望すれば、従来の姓を名乗れる「選択的夫婦別姓」の法案提出が、暗礁に乗り上げている。国民新党の亀井静香金融相が「反対」だからだ。働く女性らの視点を大切に考えたい。
 人の生き方も、働き方も多様な時代になっている。働く女性の割合は41・7%にのぼる。だが、結婚すれば、夫婦は戸籍で「同姓」にすることが、民法で義務付けられている。実際には女性が改姓するケースが約96%を占めているのが現状だ。
 姓の変更により、別人と思われ、不都合を覚える人もいる。知人らとの人間関係が疎遠になることもある。働く女性らの場合、今まで築いてきた業績や信用が、改姓により“切断”され、不利益をこうむるケースも多かろう。
 職場などで、通称として旧姓を名乗る人も多いが、戸籍名しか認められない職業や会社もある。医師や看護師などは戸籍名で登録し、美容師や調理師なども旧姓使用は原則不可だ。
 民法改正案はあくまで、夫婦別姓を希望する人に限る「選択的」なもので、すべての人が別姓になるわけではない。子どもは夫婦どちらかの姓に統一する。法制審議会は一九九六年に同制度導入を答申していたが、自民党中心の政権下では反対論が強かった。
 民主党は昨年、政策集で盛り込み、千葉景子法相も積極的に今月中の閣議決定を目指していた。だが、閣僚の亀井氏が反対姿勢を崩しておらず、法案提出さえ困難な情勢に置かれている。
 反対論は「家族のきずなが壊れる」「日本の伝統的な家族像と異なる」などの意見に集約されよう。現行の家族と法のありようが定着しているというわけだ。
 だが、主な国では、法律で夫婦同姓を強制しているのは日本だけだ。各国で家族のきずなが崩壊しているとはいえまい。国連の女性差別撤廃委員会も日本に改正を求めてもいる。
 専門家によれば、歴史的にみても、江戸時代の武家は「別姓」で、明治初期にも政府は「夫婦別姓」としていた。「同姓」となったのは、明治民法後から百年余りにすぎない。
 内閣府の世論調査では、六十代未満は「選択的別姓」について、「容認」が40%を超え、「反対」を上回っている。
 今回の民法改正案には、相続の婚外子差別撤廃なども含まれている。前向きの議論をもっと進めてほしい。

地域のテーマに、選挙で選ばれた住民たちが予算の使い道を

2010年3月23日
 地域のテーマに、選挙で選ばれた住民たちが予算の使い道を考えて取り組む「地域委員会」制度が名古屋市で始まった。崩壊が叫ばれる地域社会の在り方を見直し、再構築する機会にならないか。
 地域のことは地域で決める。そんな狙いの地域委員会や協議会は、大阪府池田市や愛知県豊田市、千葉県香取市などで始まっているが、順調ばかりではない。
 二〇〇五年の周辺町村との合併を機に、地域自治区ごとに委員を選挙で決める地域協議会を始めた先進地の新潟県上越市でも、立候補者が定数に達しない協議会が相次ぎ、定着に苦労している。
 「遠くの親せきより近くの他人」と古くから言う。児童虐待や孤独死などの悲報を聞いたり、災害時の避難を考えたりするたび、地域のつながりがあらためて叫ばれる。再構築には、住民が身近な地域に関心を持つことが大事だ。
 名古屋市の地域委員会は、河村たかし市長が、市民税減税や議会改革と並ぶ「庶民革命」の三本柱の一つに掲げた。
 小学校などの学区ごとに、十人ほどの委員を選挙で選ぶ。一千万円前後の市予算を使い、防災や川の美化、歴史をいかした街づくりなど、テーマを決めて取り組む。
 始まったのは市内二百六十余の学区のうち、モデル地区に選ばれた八学区。立候補者の公開討論会を経て、選挙を行った。委員は無報酬だ。会社員や大学生などの委員もいるので夜、週一回程度集まって一時間余、話し合う。
 市議会が住民の声の受け皿になっていない。市議会は市全体の事柄により多く力を注ぐ。既存の町内会は行政の下部組織のようで、住民が考え、行動する仕組みになっていない-。市長の主張にはうなずけるところも少なくない。
 なるほど、地域委員会の委員は選挙で住民の負託を受けたことで自覚と責任を持つ。投票した住民も委員会の活動に関心を持とう。
 名古屋でも関心はまだ低い。投票した住民は対象の8・7%。高めるには「自分たちで決めた」という実感が欠かせない。
 鳩山政権は地域主権を「一丁目一番地の改革」と呼んでいる。市町村への権限移譲が進んでも「地域のことは自分たちで」という住民意識が育っていなければ、地域主権は根付くまい。
 住民自治は上から与えられるものでなく、本来は私たち住民が求めるものでもある。まずやってみる。それが出発だ。
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