個人主義に必要なのはコミニュケーション能力
個人主義って、どうっすか?憧れちゃわない?個性を尊重してもらえて、自分の好きなように、自分の裁量で仕事ができちゃったりして。これこそまさにフリーダムですよ。日本は何か横並びで没個性だよねぇ・・・という貴方に贈る、アメリカ版個人主義の実感。
あなたの職場が、今日から個人主義の職場になった、としましょう。
自分の周りだけをミクロに見ると、職場の人間関係はそんなに変わらないと思いますよ。まぁ、飲み会は減りますね。歓迎会・送別会くらいしかやらなくなるでしょう。あと、「空気読めよ」とは言えなくなります。違いといえば、そんなもんじゃないかなぁ。
しかし、マクロで見ると確かに個性を発揮しやすく、フリーな文化だと思いますよ。自分のことをわかりやすく何度でも説明して他人に理解させ、相手のことを何度も何度も良く聞いて理解して、そこに到達した人にとっては。
まずは、単純な引き算で。
例えば、4人のチームで仕事をしていたとしましょう。同じ仕事をするには(チームが個人主義を採用しようと全体主義を採用しようと)最低でも4人のメンバーが必要だ、とします。その場合に個人主義を採用すると、自分の個性が尊重されるのと同等に残りの3人の個性も尊重されなければなりません。言い方を変えると、仕事の他に、自分の個性に気を使ってもらうのと同様に他の人の個性にも気を使わなければならなくなるわけで、差し引き二人分余計に気を使う必要が出てきます。
この時点で既に、思い描くフリーダムとは何か違いそうでしょ?
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他人の個性を認めるということは、他人が「自分とは違う」ということを認識することに他なりません。この「違い」に対する認識は移民の国では決定的に重要です。マイアミの高級リゾート地の運河の畔にクルーザー付きの豪邸に住んでいる白人と、キューバの貧困層を抜け出すために必死なヒスパニックが一緒に仕事をする状況では「違う」という認識がいかに現実的かつ切実な問題か理解するのは簡単でしょう。
「違い」を認識した次に来るのは、相手は自分とは違うのだから「基本的には理解できない」という相互不理解の原則です。原則的には他人のことはわからないのですが、仕事はチームで働かざるを得ません。そして、チームを組むには、最低でも目的意識を共有しなければなりませんし、チームメンバーのことを理解して損はありません。そこで求められるのは、「(基本的にはわからない)相手を理解しようとする努力」です。ビックリ。
個人主義とは反対の場所にありそうな言葉が飛び出してきますが、これは本当です。
じゃぁ、具体的に「わからない相手を理解しようとする努力」とはどんなことでしょうか?それは、一般的にはそもそもの最初、基本の基本から話し合うこと、です。こんな感じ。
教官「チームとは何でしょう?」
生徒A「皆が協力すること」
教官「不十分です」
生徒B「皆が一つの目標に向かって協力すること」
教官「その通り。我々は一つのチーム、一つの大学として顧客に対応します。例えば、電話応対など、表情や身振り手振りを交えることができない場合の注意点としてはどんなことが挙げられますか?」
生徒C「電話中にガムを噛まない」
教官「大切ですね。他に。」
生徒D「イエス・サー、ノー・サー」
教官「丁寧な言葉遣いということですね。他に」
生徒E「他のことをやりながら電話に出ない」
教官「その通りですね」
生徒F「質問があります。我々にとって顧客とは誰ですか?患者さん?(だったら私は病院勤務じゃないので関係ないんですが)」
教官「患者さんはもちろんですが、大学の学生、広い意味では物品の納入業者も顧客です」
・・・これは小学生の道徳の授業ではなく、びじうの新規雇用者オリエンテーションで実際にあった一コマです。いや、マジで。ほんと、これ聞いたときには思いました。
そっからかよ!!!・・・俺もう38歳なのに・・・。
相互不理解の溝は想像以上に深いようです・・・っつーか、実際、自分も相手の言ってること全部はわからないし、色々な仕組みがわかっていないので相手の常識が通じない人なんだけど。
いやほんと、移民の国は、溝に強いというか溝に前向きな人(
ラブ 溝、みたいな)というか、とにかく深い不理解の溝に絶望しない人向けです。
ディスカッション以外にも、手段がないわけではありません。ホスピタリティ業界(ホテルとか)の学校に行っている人に聞いたのですが、アメリカの学校では「こういう人は,こういう生活をしてきてこういう価値観を持っていることが多く、こういうトラブルが起こりやすいのでこういう接客が望まれる」みたいな、人種とか社会の階層別のコミニュケーション方法みたいな内容を授業でやるそうです。それは差別じゃなくて区別って事なんでしょうが、日本だと難しいですよね。
・・・とにかく、アメリカ人はチームメイトとの相互理解に大きな努力を払います。ディスカッション、そして、質問、そして、ディスカッション、そして、質問。わからないのが当然というか前提なので、質問を恐れません。こんな初歩的な質問をしていいの?みたいな質問でも平気でポンポン出てきます・・・っつーか、こっちから質問が出ないと不安そうです。話の途中で良く聞かれます。「俺の言う意味、わかってる?」と。
逆に、こちらが何か言いたいことがある場合に、それを何とか聞いて理解しようとしてくれる態度は、皆とても立派だと思います。
わからない相手を理解しようとする努力は双方向です。これは人にもよるのでしょうが、びじうのばやいは他人を理解する努力よりも自分を理解してもらう努力の方が困難というか苦痛です。面倒くさいので、何も言わなくてもわかって欲しい、みたいな・・・・それは個人主義じゃなくてワガママな坊ちゃん(笑)。
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そういうのって、日本では多くが省略可能なコストです。日本での前提は相互理解です。基本的には皆が横並びで同じ、しかも、その場には皆が共有する空気があって普通の人は読めるでしょ、という前提なので・・・っていうか、新入社員に電話のときはガム噛むな、なんて所まで面倒見きれないよね、と思うんですが(最近はそうでもないんでしょうか?)。
日本の場合、同じと思ったら違っていた!という事態が往々にして起こり、それまでのコミニュケーションが不足しているのでどこが違っているのかを炙り出すのにまず手間取る、というコストが嵩みますよね。多分、日々のコストはアメリカが大きく、トラブル時のコストは日本が大きい。逆に、平時は日本が楽、トラブル時にはアメリカが楽なんじゃないかなぁ、と。
背景が全体主義でも個人主義でも、所詮は人間の活動なんてそうそうは変わらないわけで、対人関係にかかるコストの量もそんなには変わらないんだろうと思います。タイミングが違うだけで。
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もっといえば、非コミュの人が非コミュなのは日本に生まれてしまったためだ、というのは、ある程度はその通りだろうと思うんですが(甘やかされたとか努力をしなかったとか、他の理由がないとは言わないけれど)、今くらいの感じで生きていられるのも日本だから、という気もします。個人主義の社会でコミニュケーション能力が不足しているというのは、不足していない人にどんどん差をつけられる(全体主義以上に)という意味だったりするので。生きるのに必死な人々は、それこそ英語力なんかなくてもコミニュケーション力を磨いているなぁ、と思います。
少なくともコミニュケーションが苦手だから個人主義でお願いします、ってのは間違いなんだと痛感しました。
・・・と、まぁ、何というか、たいして長く住んでいるわけでもなく、深く研究したわけでもないのに知ったかぶって、印象だけでいい加減なことも書いているとは思いますが、アメリカ生活の感想文とゆーことで。
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私的な見方は、個人主義においてのチームというのは、相手の長所と短所をカバーする&尊重するというとこかな。
例えば、個人ということで、背の低い人、高い人がいる。
チームとして、背の低い人は、下のほうを掃除するのが担当。
背の高い人は、上のほうを掃除するのが担当。
日本的には(あくまでわたしの視点での意見)、皆が同じことを協力してチーム。上も下も関係なく、左と右に分けて掃除。OR分担を順番にまわす。今日は上の掃除。でも、明日は、下のそうじと、平等。
背の低い人は、高いところを掃除するときに、気を使うし、反対に、今、背の高い人が低いところを掃除しているはずだけど、ちゃんとできているのかと、気を使う。
個人を尊重して個人主義っていうのが、わがままと思われるのは、背の高い人は、上だけ掃除して、下を掃除しないから。
コミュニケーションは、ま、上手よね・・・上手にウソついておだてるよね。敵をつくらないために・・・
「やっぱり、背の低いさん、下を掃除するのが、上手よね〜さすがだわ〜。私は苦手だから、上は、まかせて!」って的。
勉強になるであります。
>「違い」を認識した次に来るのは、相手は自分とは違うのだから「基本的には理解できない」そこで求められるのは、「(基本的にはわからない)相手を理解しようとする努力」
日本人の個人主義と、メリケン人の個人主義、ってのは深く深い溝があるんだろうなぁと思う次第です。
日本人ってたぶん個人主義だと、「もうわかっているだろうから、俺にはかかわるな、俺は好きにやるから、それで結果出せば問題ないっしょ?」ではないかなぁ、と。「皆同じ人間で前提も含めてOKだからこそ我侭(日本的個人主義)も許される」って発想じゃねえのかなぁ。
こんな意見もありんす。
http://web-tan.forum.impressrd.jp/e/2008/07/16/3595
「わからない相手を理解しようとする努力」
この行為自体に意味がありそーだよね。
ぶっちゃけ、どーやったって相手のことは理解できないんだから、
(自分の解釈で理解してても、相手が思う自分像とは違う可能性アリ)
それでも私は「あなたのことを理解しよーと努めてますよ」という
行為自体が相手に信頼を与えるのかも。
だからそーゆー関係では、
「あなたは私のことちっとも解ってない!」
なーんてセリフはきっと出ないんだろね。
個人的には、結婚するならだんぜん個人主義な相手だな。笑
興味深く読みました。
自分の主義を尊重してもらうためには、まず相手の主義も尊重しなければならない。それは正論。ただこれって、相手が自分と対等の権利を持っているという前提でだけ通用するように思います。
# だからアメリカ人だって、「俺がヒーローでお前らヴィランだ」となった相手には酷いよね。
あと、コミュニケーション能力というのは、TORGのリアリティ技能に似ているなぁ、と思いました。特に上で石頭さんが書いている「日本的個人主義」ってそれに近いかも。
日本の個人主義者同士がぶつかると、リアリティ・ストームが発生して周囲で大惨事がw
…などと無理やり TORG に絡めてみた。
書いていて何か欠けている部分があるよなぁ、とは思っていたのですが、みんなのコメントでまた考えてみる。ありがとう>ALL
>る
なるほどねぇ。仕事の分担は、また、日本と随分違うなぁと前々から思ってはいたですよ。上手というか下手というか、細かく分けますよね。大抵の人にとってはいいんだけど、末端の人には本当に退屈な(安い)仕事しか回ってこないというか。
>石頭
それそれ、その日本式個人主義(っていうか、下っ端根性っていうか)は、個人主義といわれているこの国では見ないんだけど(いや、見えてないだけかも)、どうなのよ、と。団塊の世代が自由に付随する責任を理解しなかったように、僕らは個人主義に付随するコミニュケーションを理解していないんじゃないか、と。んでもって、その理由はリンク先の文章のように根底の哲学を理解しないで、形だけ個人主義をまねているからじゃないか、と。
>58
そうそう。信頼も大きなキーワード。こういう個人主義の欠点って、信頼だと思うんだよね。理解できない相手のことはなかなか信頼できない。こちらでID提示を要求される機会の多さを考えると、日本にいる日本人がどれだけ無条件に信頼されているかを実感する。逆に言うと、外人が日本で生活するのって、僕らが外国で生活する何倍も大変なんだろうなぁ、と。
で、本題に入るけど、そこはそれ、「あなたは私のことちっとも解ってない!」という前提で日頃から相手を理解しようとするコミニュケーション&愛情表現にかけている日々のコストがトラブル時のコストを下げるわけですよ。だから、個人主義者の国では日々の愛情表現が濃ゆいのかも・・・って、信頼されてないのかよっ!?
>さり
実はまだ個人主義同士の相克といえるほどのシーンに出合ってないんだよね・・・っていうか、それを言ったら、実は職場にはアメリカ人自体がそんなに多くないっつーか(笑)。
大学の研究室なんて、手近にいるサンプルというか、母集団が一般社会と大きく異なる(特にフロリダは教育レベルが低くて、イラク行きを希望する人も多い州になるらしい)んだけど。
相克の乗り越え方には興味があります。また、新たな考察の芽になるんじゃないかなぁ、と。
あー、分かる分かる。
というか、自分の基本スタンスがこの「個人主義」に近いっつうか。
でも、ここは日本。てな辺りで全然違うっつうか。
「俺以外は全て他人。なので、相互に理解は原則無理。」
といった辺り。
仕事(以外でも一緒だけど)だとコミュニケーションで気をつけるのは大きく二点。
1)字面は一緒でも、言葉の意味はそれぞれ違う、共通言語を見付けよう
2)言葉は受け手のもの、誤解なんてものはない
どっちも同じっちゃ同じなんですが。
ヘルプデスク、ユーザーサポートってな仕事をしてました。
問合せを受けて、会話をしているとどうも噛み合わない。
同じ言葉を喋っているのに、どうも通じない。
例えば「メモリが足りない」と言われるとこちらは「RAM容量が足りない」と受けるが、
実は相手は「HDDの空き容量が足りない」ことを訴えていたりする。
大事なのは、まずは相手との共通言語を見つけること。
経験を積むと、ある程度類型化はできてきて、
「あ、このタイプはこういう言葉を使うよな」
てなことは見えても来たり。
で、アメリカ人は絶対そうは考えないんでしょうけど、サービス業を行うに辺り、
「何を伝えたいか」は「どう受け取って貰いたいか」が肝要。
言葉は「どういうつもりで発したか」は重要ではなく「どう受け止められたか」が
全てだと認識します。
「誤解です!」とか言っちゃダメね。相手を否定しない。
思わず言っちゃうんだけど(笑)。
ま、辞書的に相手が誤ってる場合には正してやりゃ良いけど。
「相手は自分を理解しようとは思っていない」
これは日本人だからかも知れませんね。
「相手のことなんか分かる」という思い込みは多いのです。
だから「分かってもらう」期待は無駄で、「自分が合わせる」努力が大事。
あ、相変わらず長い。ゴメン。
うーむ、納得というか勉強になります。微妙にずれた話かもしれませんが、以下など。
「契約書に書いてないから」と逆切れする社員が横行
http://business.nikkeibp.co.jp/article/nba/20080716/165550/?P=1
この著者の方の言っている「常識」ってなんだろうな、と。今回のびじう氏の日記を読んでからだとどうにも違和感を感じたもので。
「常識を共有化するためには、まず書面で常識を明確化させることが大切だ。また、そうしなければいけない理由と、できない場合の罰金も併せて記述する。中国では、罰金まで設ける厳しい規定を定めないと、社員教育はできない。
悲しいかな日本でもどこかで同じ光景を見た気がする。
日本でもそのうち、新入社員に常識を1つずつ、罰金とともに契約書を書かせる時代がくるのではないかと不安に思う。 」
>なつき
ヘルプデスク、ユーザーサポートって大変そう・・・。同じ日本語を話しているのだから、共通言語を見つける必要性なんかに普通は気付かないもんねぇ。こちらの人はそもそも母国語が違うから、逆に気付きやすいかも。
っつーか、全然長くないっす。
>石頭
いやまぁ、世の中全体がそういう方向っていうのはわかるんだけど、これは極端っていうか、個別対応案件ではって気もするけど。
逆に、契約書に書いていないことは基本的に禁止って一文をこっそり入れておけばいいって事になっちゃうのは、辛いことだなぁ。
日本人は
・単一言語
・単一民族
・相互理解
という大きな誤解の上に生きているのだろうと思うわけで。
実際には相互理解というよりも、「周りを自分を理解している」もしくは
「周りが自分を理解してくれない」とかいう傲慢を抱えているといった方が適切?
アメリカの状況の方が健全かも知れない。
>なつき
もともとの気質に加えて、昔から狭いところに沢山の人が住んでいたので無理やりにでも皆一緒って事にしておかないと、集団生活がまとまらなかった、とか。
>わからないのが当然というか前提なので、質問を恐れません
これむしろ、
大事だと思う。
プライベートだと、
ちょっとは恐れてくれよ!
とかウザくなるけど(笑)
仕事では逆に、
スンゲー大事だと思う。
こんなこと聞いていいの?
やっぱ聞いちゃいけないかな?
なんてことは、
聞かれる側が判断すべきであって、
聞かないことで、
あとでミスされるほうが、
スゲー迷惑!
でも現実には、
聞かれる側の方が、
そんなこと聞くなよ、
的な空気が…
KYとは、
空気読めよ、
的な脅迫なのでは?
そんな空気は、
いらないと思うんだけどな。。。
この前、何かの本で、
日本人は変な空気を、
読み過ぎるって、
書いてたけど、
Soかも。
>あちょ
いやー、もちろんアメリカでも議論が盛り上がらないというか、質問も出ないようなセッションがあるんだけど、それでも日本よりは遥かに質問しやすいんだよね。で、結局仕事がしやすくなるわけだし。
ふと思ったんだけど、偉い人ほど簡単な質問をするように心がけないといけないんじゃないかなぁ。そんで、その場の空気をほぐすというか。
Sox2
エラい人が、
出来てないんだよね(笑)