2010年08月08日

インセプションっていうかノーラン監督 (長文&スポイラー)

 これから語るのは、映画「インセプション」を観た事で、びじうの頭の中にインセプションされた概念が育ってきたものです。どこにもソースはないし、根拠も特にありません。映画には全く描かれていない上に、決して正解が明かされる事はないであろうような事をグダグダと、かなり長文で書き綴ってみます。

 今回は映画自体についてと言うよりも、監督とプロットについてです。映像とか役者さんとかについてはいずれ機会があれば。

 ノーラン監督って天才ですよね。びじうは同い年だし、ひょっとしたら文化的な背景はちょっと似てるんじゃないだろうか?きっと子供の頃にPKディックの小説とかむさぼるように読んでたんだろうなぁ・・・とか想像しちゃいます。

 そのノーラン監督を語る上で欠かせないのが出世作である「メメント」でしょう。自分的には、歴代の映画の中で最も消耗する映画だったと思います。次点はひょっとしたら「ダークナイト」かなぁ?「2001年宇宙の旅」とかもけっこう疲れた記憶があるけど。
 スピルバーグが「激突」っていうテレビ映画でその名を知られるようになったんだけど、これ、ほんと安い映画で、俳優二人(しかも一人は腕だけ)と車とトレーラーしか出てこないという。でも、当時としてはかなりスリリングでサスペンスフルで面白かった。映画を面白くするのは監督の才能であって予算じゃないなぁ、という見本のような作品です。

 「メメント」見たときに同じ事を思いました。これだけ金をかけずにこれだけ面白い映画を撮るなんて、何て凄いんだろう、と。


 で、まぁ、以下はインセプションだけじゃなくてメメントのネタバレも含むので、できればメメントも見てから読んで欲しいです。ネタバレしてから見るには惜しい映画だし。


 ## インセプションの話しにメメントは関係ないだろ、とゆーのはおっしゃるとおりです。インセプション単独で見て楽しければそれでいいと思いますよ。ここでメメントを語るのはノーラン監督の前科を明らかにするという目的もありますが、びじうが感動した映画なのにまだメメントについてブログで語っていなかったから、というだけの理由です。 ##








 じゃぁ、まず、メメント行きますよ。ほんとにネタバレしますよ。

 以下、解説とあらすじはオールシネマ・データベースより

 解説
 前向性健忘(発症以前の記憶はあるものの、それ以降は数分前の出来事さえ忘れてしまう症状)という記憶障害に見舞われた男が、最愛の妻を殺した犯人を追う異色サスペンス。特殊な状況に置かれた主人公の心理を再現するため、時間軸を解体した上で再構築された複雑な構成ながら巧みな脚本で衝撃のラストへと観客を導く。監督は一躍ハリウッド期待の新鋭となったクリストファー・ノーラン。主演は「L.A.コンフィデンシャル」のガイ・ピアース。


 という、当時は「衝撃の逆回しムービー」みたいな感じで煽られた、革新的な物語でした。っていうか、未だにここまで入り組んだ時制の映画ってないような。ジョジョの奇妙な冒険にもパクられた(ジョリーンが一度に三つの事しか覚えられないっつー話)ほどの、いかにもぶっ飛んだアイデアでした。

 あらすじ
 ロサンジェルスで保険の調査員をしていたレナード。ある日、何者かが家に侵入し、妻がレイプされたうえ殺害されてしまう。その光景を目撃してしまったレナードはショックで前向性健忘となってしまう。彼は記憶を消さないためポラロイドにメモを書き、体にタトゥーを刻みながら犯人の手掛かりを追っていく……。
 観ている間は意外に苦もなく楽しめるのだが(たぶん字幕のおかげも大きいのだろう)、観終わったあと、すべての謎が氷解するのかと思いきや増大してしまうのである。しかも気になってしょうがないとくる。商売上手である。全米でリピーターが続出というのも納得。できることなら、複数の友達と観て、観賞後、互いに議論を戦わせることをお勧めしたい。



 こういうお話です。んでもって、主人公の記憶がなくなっちゃうのをいい事に、邪魔者を殺させようと利用する奴が出てきたりするから、もう大変です。「俺は何も覚えてないけど、こいつに助けられてるの?それともこいつに騙されてるの?狂ってるのは俺?それとも狂った世界が俺を利用しているの?」という質問が次から次へと繰り出され、物凄いペースでサスペンスが進み、複雑な時制のプロットについていくのも大変で、本気で疲れます。

 いやぁ、凄い映画だった。思い出すだけで鳥肌もんですよ。

 ・・・・ネタバレすると、全て自作自演なんですよね。

 妻を殺したのは実は自分で、その罪の意識からヒステリー性の健忘症になっていた、ということなのでした。都合の悪い事は全部忘れて、都合のいいところだけ抜き出して、証拠は沢山あるんだけど決して犯人は見つからない、という状況を整えて、最初から犯人探しをやり直し、みたいな。犯人を探している間は自分を責めなくて済むからですね。

 つまり、妻殺しという事実から記憶喪失に逃げている。膨大な量の自分に都合のいい証拠を捏造してジョン・Gという存在を作り上げ(そもそも、この名前自体が余りにもありふれていて特定できないようになっている、という)、無理が生じたところは記憶喪失でごまかす。

 そんな話でした。

 ところで、この解説の最後にある

>できることなら、複数の友達と観て、観賞後、互いに議論を戦わせることをお勧めしたい。

 ノーラン監督って昔からそういう映画を作ってたんだなぁって感じですよね。

==========
 次に、軽くダークナイトについて。

 ノーランのサスペンスの特徴として、ある種の究極の質問を容赦なく問い続ける、と言うのがあると思います。メメントでは「狂ってるのは俺か?世界か?誰が敵で誰が味方か?」という、世界の見方そのものが変わるような質問が矢継ぎ早に飛び出しました。
 ダークナイトでは「正義が一歩踏み込めば、悪もその分一歩踏み込むだけじゃないの?」という、バガボンドで宮本武蔵が「この殺し合いの螺旋からは降りられないのか?」と問うているような質問で始まります。そこまでなら一般的なんですが、ノーランが底意地悪いのは、次にこう問いかけるところです。「だから、時には悪と妥協する事が必要なんじゃないの?」と。「そこで正義を貫く意味があるの?正義を突っ張りとおして役に立つの?」と。それも、繰り返し、徹底的に問い続けるところが、ヒース・ジョーカーの鬼気迫る演技と相俟って異様なサスペンス感を生み出しました。

 ノーランの映画は、そういう物事の本質をえぐり出すような質問を繰り出すために理詰めで構築された思考実験のような色合いが一つの特徴と言えるでしょう。だから、奇想天外に見える設定(前向性健忘とか)も、そういった質問をするには実に都合よくできている。
 言い換えると、ノーラン監督の映画に論理的に無駄な部分は割と少ないです。感性に訴えかける美しい映像を流す、とかそういうことはあんまりしないタイプで、長尺なのは、そこに理屈を詰め込むため。1シーン1シーンにきちんと意味と計算がある、というタイプの監督でしょう。

 特筆すべきはノーラン監督の責任感と言うか、質問に対してきちんと自分なりの解答は用意してあるんですよね。後はご自由に、みたいな問題出すだけ出してほったらかしたりしないというか。ダークナイトのオチとか、そういう意味ではちょっと感動的ですらある。


==========

 というわけで、いよいよ、インセプション行きますよ。


 構想10年っつー事ですので、2000年頃から構想を練っていたということになります。つまり、時代的にはメメントと変わりません。

 で、例えば、企画の最初の段階では「妻を殺してしまった男が夢の中に逃げ込む」って話だったとしたらどうでしょう。夢の中に逃げ込んでて、余りにも罪の意識が強くて余りにも巧みに逃げているので、夢から醒めたと思ってもまた夢の中だった、みたいな。緻密で膨大な夢の世界を作り上げ、無理が生じたところは「これは夢だから」とか言ってみたりして、でも決して夢からは出てこない(出てくると妻の死に向き合わないといけないから)、という話。

 どうにも性格悪い話ですが、夢を記憶喪失に置き換えれば、それこそまさにノーラン監督が当時撮影し、世界中から絶賛された映画そのものです。
 ついでに、古典的ではありますが「この世界は夢なの?現実なの?それを見分ける方法があるの?」という究極の質問でサスペンスを備えれば、まさにノーラン節。

 実際にインセプションがそういう見方ができるかどうかを検証してみましょう(っていうか、そういうことを考えさせるためのラストシーンですよね)。

 で、びじうの取る立場は「モルが正しい」です。映画は最初から最後までコブの夢の中の話で、本当はコブはこの夢の中で死んで目を覚まさないといけない(飛び降り自殺したモルのように)んだけど、目を覚ましたくないからここにいる、と。当然ながらラストのコマは倒れない(というか・・・)。そして舞台装置は全て「これは夢か現実か?正しいのは俺かモルか?」という究極の問いを投げかけるための仕掛けとしてデザインされた、と。

 以下、そういう解釈でも良い/そういう解釈の方が良い、と思われる点を挙げてみます。

・トーテムとサイトー (コブの狂信)

 コマが止まれば現実、回り続ければ夢、ってどうよ?夢の中でコマが止まるか倒れるかなんて自由自在だと思わない?そもそもトーテムは「個々人に特異的(Specific)」なものであるはずなのに、コブのトーテムは元々モルのっていう矛盾。
 あと、サイトーがコブの罪を全て消してくれるって、どうやってそれを信じるの?違法な仕事に命をかけようってプロがあんまりにも迂闊じゃないですか?

 こういう、根拠薄弱な(と自分には思える)話を金科玉条の如く信じる主人公の姿は時にヒステリックですらあります。

 これって実は「妻はジョン・Gに殺された」っていう刺青と同じじゃないかと思えてなりません。「これは絶対」って主人公が頼っているけど、それは実は「頼れるもの」ではなくて、「頼りたいもの」でしかないというか。

・妻の死と子供 (コブの状況)

 コブはいつから今のような状況にいるんでしょうか?劇中、二人の子供は常に同じ服装の同じ姿で出てきます。成長する気配はありませんし、実際、そのままの姿で最後に現れます。では、コブが当局から追われるようになったのはつい最近(子供が成長する間もないくらいの)なんでしょうか。つい最近、モルが死んでしまって当局に追われるようになってしまって、そこに目をつけたサイトーが依頼を持ってきた、と。じゃぁ、コブはほんの短期間でモルの死を乗り越える事ができた、ってことになりますが、そういうお手軽な話で良いんでしょうか・・・(夢の中で引き伸ばされた時間の中でさんざん悩んだ、という解釈はあると思いますが)。

・夢の世界に関する全ての説明は映画の世界と矛盾しない

 コブが色々と語る夢の世界の性質に関する説明は映画の世界と矛盾しませんよね。「小さい種を一つ蒔けば、夢は幾らでも大きく膨らませる事ができる」とかそういうの。一日20時間を夢の中で過ごす人々の話とかわざわざ出てきたりして、夢の依存性みたいなのが語られたりとか。何より「夢の特徴として、始まり方が思い出せない」ってのが。前項の通り、コブはいつからその状況だったのか?そもそも、他人の夢に入り込めるような夢が現実に近づいた世界はいつ現れたのか?映画のオープニングにあのシーンが選ばれたのは偶然じゃないと思うのです。この映画は唐突に夢の中で始まる必要があった、と思いませんか?

・その他の色々な矛盾とか突っ込みどころとか

 奥さんは何で向かいの建物の窓から飛び降りたのか?何で夢の中の脅威といえば列車なのか?サイトーの車タイミング良すぎじゃね?コブの心からはしょっちゅう奥さんとか成長しない子供が出てくるのに、何でコブ以外のチームメンバーの潜在意識からは何も出て来ないの?そもそも、コブ以外の登場人物に人格があるの?(あるとしたら、人物描写の面ではイマイチ失敗作と言わざるを得ません)

 この辺、全部コブが自分に都合いいように設定していたのであれば解決です。

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 他にもあるかもしれませんが、まぁこの辺で。自分も英語でしか見ていないので聞き逃しているところは沢山あるかと思うんですが。

 最初はそういう性格悪い企画として話が進んだのだけれど、まぁ、10年も経過するうちに色々なアイデアは熟成され、ノーラン監督はハリウッドで名を成し、あんまりにも尖がった映画を作るのもアレだし、メメントと同じことをもう一回やるのもなんなので、「一人の男が困難に打ち勝って成長し、愛する人との死別を乗り越え、家族との絆を取り戻す」という映画としても楽しめるようにしたんだろうなぁ、と思います。
 んでもって、ちょっと意地悪な見方もできるように(というか、ノーラン監督に尖がった映画を期待するびじうのようなファンのために)色々な仕掛けとかラストシーンを残しはした。これはもう、あくまでもそういう解釈をする余地を残した、という程度なのかなぁっつー感じ。(びじう的には最後が夢だった方が面白いです。確実に。)

 一部の性格悪い人に熱列にウケる映画を作るか、ハリウッド的なヒットを狙うかはノーラン監督も迷ったんじゃないかなぁ。でも、ここまでハリウッド的解釈でヒットしてしまったら、もう「嘘っだよぉぉぉ〜ん、本当は全部夢なんだよ〜」とは言えないですよね(笑)。だから、正解が明らかになる事はないんじゃないかなぁ。

 元々の意図で思い出したんですが、とはいえ、極めてどうでもいいんですが、更に、本当か嘘か知りませんが、スピルバーグのETも元々はホラーだったって話があって、リンク先のトレイラーとかやたらと笑えます。嘘なら凄いセンス。
Gigazine スピルバーグ監督の映画「E.T.」は当初のままSFホラー映画だったらこうなっていたであろうというムービー



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 で、ノーラン監督の責任感はどうなったの?ってことですが、正解を明示せず、二義的に取れるというのが一つの正解のあり方なのではないかと。この場合、正解自体には意味がないのです。正解があるとしたら「モルが正しい」だろうとびじうは思ってますが、その事に意味はありません。

 何故なら、実際のところ、この映画の主題は全てが夢であろうとラストが現実であろうと変わらないからです。「後悔で一杯の孤独な老人にはならないために、今を精一杯生きよう」という一点に尽きます。その「今」が夢だろうが現実だろうか、自分の力の及ぶ範囲で戦うしかないわけで、夢の中で後悔に立ち向かい、エディット・ピアフの「後悔なんかしない」という歌声で夢から醒めて現実に立ち向かっていく、という。

 そんな映画じゃないかと思いました。

 もっと「これは夢か、現実か?狂ってるのは俺か?彼女か?」みたいなギリギリのサスペンスを期待してはいたので不満がないといえば嘘になりますが、それでも凄まじい完成度の映画だなぁとは思いますねぇ。


Posted by bijoux_iris at 09:31│Comments(5)TrackBack(0)このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック Share on Tumblr Clip to Evernote 映画や音楽 

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この記事へのコメント
5
読み終わった後で深々と頷いてしまいました。
うーむなるほど、と。

僕はラストで「あ、もしかしてこのコマ回転続けたらどうしよ
う…」と息を詰めて見た覚えがありますが(苦笑)、全てが
コブの夢だったら回転しているかどうかも無意味になるわけ
ですね。

個人的には前半の雰囲気の方が好きですね。後半はあまり工夫の
ないアクション映画になっちゃってどうも。
つまらなくはなかったので、周囲で評判悪いのがなんだか寂しい
です。

あと遅くなりましたが、二人目のお子さんおめでとうございます。
Posted by IDA at 2010年08月08日 09:53
>IDA

 コメントどうもありがとうございます。

 本当に、前半のピカレスクなロマンに「いったい何が起こっちゃってるの?」風の不思議が散りばめられた雰囲気は凄い良いですよね。いや、よくここまで考えたなぁ、と思います。
 周りで評判が悪いと、ちょっと凹むのも確かにっていうか、俺も「この映画は深いんだよ!皆、わかってくれよ!」と声を大きくしたくなります(笑)。

> あと遅くなりましたが、二人目のお子さんおめでとうございます。

 ありがとうございます!嬉しいです!
Posted by びじう at 2010年08月09日 23:26
先日見てきました。メメント大好きなので感想に概ね同意です。
もっと「一部の性格悪い人に熱列にウケる映画」だったのを、
スポンサーや映画会社に言われて今の形にしたのかな?と推測。

メメントの記述ですが
>妻を殺したのは実は自分で、その罪の意識からヒステリー性の健忘症になっていた
妻の死はレニーがインスリンを過剰注射したのが原因ですから健忘症は妻の死より前ですよ。
Posted by まー at 2010年08月16日 14:36
>まー

 はじめまして。コメントありがとうございます。

 ビッグネームになると、その分不自由ってのはあるかもしれませんねぇ・・・でも、友人の言葉を借りるなら、ビッグネームになった今でも、予算ではなく才能で映画を撮るノーランはステキですよね。

 メメントは・・・そーなんでしたっけ。この文章を書くために見直したワケではないので、不正確だったかもしれません。時間があるときに確認します。ご指摘感謝です。
Posted by びじう at 2010年08月17日 03:49
ヘアヌードは奥が深いもの。エロさだけを追求したヘアーヌードもあれば芸術性を重視したヘアーヌードまで多種多様
Posted by ヘアヌード at 2011年07月05日 13:36

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