引き続き、ゴスペラーズの想い出話です。
私は社会人2年目を迎えました。
この年はゴスマニア(ゴスペラーズのファンクラブ)が誕生したり、私もずいぶんライブに出かけたりと思い出深い1年でした。

以下、mixi日記から。
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1.ライブの話

この年に行ったライブをあげると。 
1月 渋谷クアトロ
4月 渋谷クアトロ 
7月 日清パワステ
9月 赤坂ブリッツ 
12月 パルコ劇場 

堺雅人さんがオープニングアクト(前説)やっていたころですね。
あんなに有名な役者さんになるとは・・・。
 
4月のクアトロのときは早くもダフ屋が出現していて(2名ほど)、ゴスすげえなあと感心した覚えがあります。 
クアトロは舞台が大きくないので、DJバリケーンのアフロがバックからの照明に光って、ちょっとマヌケだった記憶が・・・。(;´・ω・)

それから、妙に覚えているのは、入口付近で見ていたら、後から入ってきた人が「イントロ95ってもうやっちゃいました?」ってすごく悲しそうに聞いてきたこと。 
しかし、そのライブではイントロ95はやらなかったですね。96年だからでしょうか。 
当時は、テレビに出る機会があると、イントロ95をかましてアカペラのかっこよさをアピールしていた頃ですが、ライブではあんまりやらなくなった時期だったように思います。
 
この年のライブは、夏の日清パワステ、秋の赤坂ブリッツ、冬のパルコ劇場と続きました。 
公演の度に箱が大きくなっていった年でしたね。 
日清パワステはお土産にシングルCDがついていた時だったでしょうか。
全員がベースボーカルで自己紹介する、という馬鹿馬鹿しいネタだったように記憶しています。
 
特に赤坂ブリッツは初の指定席!
それまではオールスタンディングでしたから。(パワステは1階か2階かの区別はあったかも) 
そういえば、赤坂ブリッツのときは、私設ファンクラブみたいな方が、自作のファンクラブ新聞みたいなのを会場で配ってあるいてました。
ええ時代だ。なんかのどかでしたね。いま思うと。 

冬のパルコは、初のアカペラ公演だったんですね。 
私としては、DJバリケーンがいない初の舞台。 
このままいなくなったら寂しい、とちょっと思ったりもしましたが、杞憂でした。 

そうそう、このときはジュンジュン(八木沼純子さん)も見にきていました。
われらが教育学部生としては同級生なんですよ。
私は中学生の頃からファンだったのですが、さすがに話しかける勇気もなく、眺めていただけでした。
ところが村上君は・・・。
ビデオ(さかあがり。だったかな?)で、ジュンジュンが村上君との出会いを語っているのを見て笑ってしまいました。
さすが村上君です。ゴーイングマイウェイ。 

2.スマスマの話

さて、ゴス史上もっとも切ない思い出を・・・。 
この年の4月15日からスタートする「スマスマ」に、準レギュラーとして出演予定!という話があったようなんですね(これはファンクラブ会報vol.0にも載ってます)。 
で、ゴスも浮かれて、4月のライブではスマップの歌カバーしてみたり、ちょっと踊ってみたり、なんてことしてたんです。 
もう、私も調子のって、会社に行って「ゴス、スマスマに準レギュラー決まったらしいっすよ!見てくださいよ!」ってもう吹聴すること。 
ところが、これが待てど暮らせど、ゴスが登場する様子が無い。 

忘れた頃(5月23日)に、ようやっと、古畑拓三郎のコーナーで、生歌で主題歌を歌うゲストとして登場しました。
出場はそれっきり。 
何があったんでしょうね・・・。
夏のライブでもちょっと触れてましたが、「いやあ、アレはヒドイ話だった」「もう忘れたいね」と村上君とヤングがかけあうだけで、正式な話はありませんでした。 
オイオイ、こっちもそこそこ恥ずかしい思いしてんだから、ファンへの説明責任はあるだろうよ、とちょっとムッとしたものですが。 
まあ、いろいろ言えない話もあったのでしょう。ファンとしては察するしかないですね。

3.ゴスマニア(ファンクラブ)&メディアの話

1996年はついにファンクラブ(ゴスマニア)が発足した年でした。 
1月のルイードのときに住所を登録しておいたら、 発足のお知らせハガキ(写真参照)が届いたわけです。 
もう、速攻申し込みにいきましたよ。 
あわよくば会員番号二桁を狙ったのですが、 残念ながら100番台(かなり後半)。 
まあ、5桁にも達した今になれば、かなりすごい数字ではありますが、 
そのときは数字の大きさに結構ショックをうけたものです。 

3月には、オールナイトニッポンのパーソナリティも一夜限りでつとめたこともありました。 
ファンクラブ会報vol.0にもそのときの様子が載ってますね。 
ラジオの内容ですが・・・。
はじめは全員がスタジオにいたのですが、 ゴスのメンバーが少しずつ外部への取材と称して出て行き、最後は村上君だけ残って一人でしゃべっているという。(まあ、最後はみんな帰ってきましたけど) 
 
正直、村上君以外のファンの方には、フラストレーションの残る内容だったのでは・・・。 
あと、かなり村上君の下ネタが全開でした(苦笑)。
 
「笑っていいとも」に出ていたのもこの年でしたね。 
空耳的に聞こえる歌をゴスが歌い、それを当てるという。 
お昼時なんで、ときどき授業が抜けられないメンバーがいなかったりするところがほほえましかったですね。 

年末には「夜もヒッパレ」に初登場、「SHAKE」を歌ってかなり話題になりました。 
このときは、三宅さんのフリに対して、村上君が流れをよまずに例の調子で長い話をしはじめそうになり、話の途中で赤坂さんにカットインされるという。
ちなみに、長い話のネタは、デビューまでにメンバーの入れ替わり等があったとかいう話だったかな。
「いやー、深夜のファミレスで・・・」とか言い始めたところでカットインされたと記憶してます。

そんな感じで、一気にメジャーにかけのぼっていく感がありましたが・・・。
ここからが長かったですね。ホントに。

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この年は2枚目のアルバム「二枚目」が出ました。
世間で知られる?侍ゴスペラーズも収録されてます。
私も非常に好きなアルバムの1つです。

シングルは、夏に「カレンダー」、冬に「待ちきれない」が出ていまます。
どちらも季節感をしっかり取り込んだ良い歌なんですが、Wikiでオリコンデータを見ると、80-90位台をウロウロという感じで、実はデビュー時からほとんど変わりがなかったようです。

そういえば当時、私も夏に強い路線で行くのか、冬に強い路線で行くのか、どっちなんだろうと、勝手に一人でやきもきしていた記憶があります。(´・ω・`)
 


↑「Soul Man」が超好きです。


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