引き続き、ゴスペラーズの想い出話です。
私は社会人3年目を迎えました。
社会人としては、自分がやりたかった仕事とは違う道を歩まざるを得ず、いろいろと悩みの多い時期ではありました。
ゴスペラーズも、傍から見ていると伸び悩みの一年だったような気がします。
スキー関連のCMソングに採用されたり、着実に伸びている一年でもありましたが、ブレイクにはまだ遠い時期でした。
ゴスペラーズも、傍から見ていると伸び悩みの一年だったような気がします。
スキー関連のCMソングに採用されたり、着実に伸びている一年でもありましたが、ブレイクにはまだ遠い時期でした。
1997年のライブの想い出です。
まず6月の日清パワステ。
ここはいい小屋でしたね。もうなくなってしまいましたが。
あれくらいの規模の小屋だと、なりきりゴスペラーズ(観客がゴスの指導のもとハモリをする企画)も、お互いのハモリがうまく聴こえて楽しいです。
ここはいい小屋でしたね。もうなくなってしまいましたが。
あれくらいの規模の小屋だと、なりきりゴスペラーズ(観客がゴスの指導のもとハモリをする企画)も、お互いのハモリがうまく聴こえて楽しいです。
このパワステは、ゴスの馬鹿馬鹿しいエンターテイメントぶりが全開で、今でも思い出深いライブです。
黒ポンがエルビスの格好で登場するなど、練りこんだ馬鹿馬鹿しさがたまらなく好きでした。
このときはシークレットゲストで、篠原ともえさんも登場。
しのらー登場のときの方が、ゴスよりも歓声が明らかに大きかった・・・。
しのらー人気が絶頂の頃でしたからね。
しのらー人気が絶頂の頃でしたからね。
確か全部抱きしめて、とか歌ったのではないかと思いますが。
しのらーもゴスと同じレーベル(kioonソニー)で、特に黒ポンとは家が同じ方面で仲良かったらしいです。
次に、夏の渋谷公会堂。
次に、夏の渋谷公会堂。
これは、仕事の都合でどうっしても行けなかったんですよね・・・。
FC経由でチケットもゲットしていたのに。
しょうがないので、母親にあげました。
母もスーパーミーハー気質なので、喜んで行ってましたので、まあよいのですが。
でも、渋公ってのはひとつのステータスですから、 これに行けなかったのは結構さびしかったですね・・・。
さて、冬のアプル。これは行きました。
大学時代の友人を誘っていったのですが。
しかし!
このときのFCはしばりがきつく、「会員1人につき、チケット1枚」という、厳しい制限があったのです。
このときのFCはしばりがきつく、「会員1人につき、チケット1枚」という、厳しい制限があったのです。
なので、とにかくFCでもチケットを1枚おさえつつ、ぴあの一般発売も狙う作戦に出たわけです。
ところが、この1枚だけゲットしたチケットが、なんと1列目。しかも正面。。。泣いた~。
ぴあで2枚分のチケットを改めて買い、FCの1列目は、当日、早めに行って、ファン(ゴスマニア)に売れないかなと。
ぴあで2枚分のチケットを改めて買い、FCの1列目は、当日、早めに行って、ファン(ゴスマニア)に売れないかなと。
会場に2時間前についたところ、案の定、マニアなファンの方々がスタンバイしていまして。
交渉したところ、無事成立。
そんな想い出が強いライブでした。交渉したところ、無事成立。
テレビ関係では、「vol.」がスキーのビクトリアのCMソングになりましたね。
はじめ、その話を聞いたとき、「お、広瀬香美の後釜か?」と興奮してしまいましが、あれはアルペンでした。
はじめ、その話を聞いたとき、「お、広瀬香美の後釜か?」と興奮してしまいましが、あれはアルペンでした。
ビクトリアのほうはアルペンほどの露出はなく、あまり話題にならなかったかなと。
前年に続いてヒッパレにも出ましたが、1996年ほどのインパクトはなかったですね。(曲も忘れてしまいました・・・)
前年に続いてヒッパレにも出ましたが、1996年ほどのインパクトはなかったですね。(曲も忘れてしまいました・・・)
全体に、1996年の「もうすぐ来る!」感が頭打ちになったというか、ちょっと停滞感を感じた1年でした。
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しのらーといえば、クルクルミラクル。
もっとも、二児の父としては、篠原ともえさんといえば「みぃつけた!」のサボハラサボエさん(またはレグ)、の印象に切り替わっていますが。
この年のゴスのアルバムはMO’BEAT。
夏の「ウルフ」に冬の「待ちきれない」、と前年の夏&冬路線を継承しています。
ファルセットの「参宮橋」など、意欲的な挑戦もしています。
オリコンでは37位と、前作(二枚目)の88位と比べると結構上がってはいたんですね。
良い作品だと思うのですが。。。もうひと伸びがほしかった時期でした。
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