ゴスペラーズの思い出話が続きます。10年前のmixi日記からの転載です。

1998年はニュースステーションのオープニングソングに採用されたり、私がゴスをきっかけにカミさんと出会ったり、いろいろと思い出の濃い1年でした。

一方、1999年はあまり想い出がないのですが、ゴスペラーズとしてはそのあとに繋がる転機となる時期だったようです。

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この年はアルバム「vol.4」が出ました。
もっとも好きなアルバムの1つです。
それまでとは明らかに大人の段階に進んだ、完成度の高いアルバムだと思います。
特に「八月の鯨」は衝撃を受けた作品でした。 
あとは「靴は履いたまま」。
歌詞なし(スキャットバージョン)でしたが、ニュースステーションのテーマソングになったのは驚きでしたねえ。
このときはスポーツコーナーの歌(イントロ98)でも採用されました。 

ただ、シングルはずいぶん苦戦したみたいですね。 
「夕焼けシャッフル」「BOO」「新しい世界」の3つ。 
作詞 阿久悠、作曲 筒美京平、そして名作「はれときどきぶた」アニメ化、のテーマソング。 
各パーツをみれば完璧なのですが・・・・。
新しい世界もやっと2万枚だったんですね。
すごく良い曲なんですが。 

ところで、この頃私は、ノートPCのスクリーンセーバーに「ゴスペラーズ Vol.4 好評発売中」と設定していました。
地道な告知活動です(笑)。 
これが思いもよらない出来事につながっていくのですが・・・。

当時、私は実家暮らしだったのですが、先輩の家に3ヶ月ほど留守番ということで1人暮らしをすることになったのです。
(海外に短期留学をする間、家が空くと無用心だし家賃もったいないっていうので)。 

そこにマブダチのⅠ君を呼んだら、なんかほかにも4名くらい引きつれて遊びにきてくれました。
そのなかに、今のかみさんも混じっていたのです。私は初対面でした。 

で、PCのスクリーンセーバーを見たかみさんが、「私、今度ゴスペラーズの武道館ライブ行くんですよ」と。 
よく聞くと同じ日だということで、じゃあ、終わったら飯でも食おうか、となったわけです。 
こっちはたまたま男2人(大学の同級生ね)で、かみさんは女3人ということで、不都合も無かったので(笑)、割とあっさり話が成立。 
で、それをきっかけに、お付き合い→結婚へとつながっていきました。
 
かみさんは当時は別にゴスファンというわけではなく、たまたま友人が誘ってくれたというだけだったので、偶然といえば偶然ですね。 
というわけで、私としてはゴスさまさまなわけですよ。 
もう足向けては寝られません(笑)。
 

さて、まったく別の話。 
この年に、あるモダンダンスの公演を見に行った際に、某劇場のロビーで村上君とばったり出会いました。
私は、このダンス公演の照明を担当していたのがサークル(舞台美術研究会)の先輩にあたる人だったので、照明見たさに行ったのですが。
何できたの?って話をお互いにしていたのですが、 
村上君は以前、このダンスユニットのお手伝いをしていたことがあると。
まったく、どこにでも顔だす人です。

その頃はもう、ニュースステーションのテーマソングが採用されていたので、「おお、有名人じゃん」とかはやしていたのですが。
今思うとそんなにまだ有名じゃなかったですね。 

公演の後、村上君と一緒に照明の先輩のところにお話に行きました。
先輩は演劇研究会(劇研)の照明を担当していたこともあり、その縁で村上君ともすでに親しかったのです。
まったく、どこまでネットワークを持っている人なんでしょうか・・・。
gekijo

さて、続き1999年なのですが、この年はあまり想い出がありません。

ゴスとしても、また停滞してた時期だったのではないかと。 
翌年のブレイクに備えて屈んでいた、とあとになれば思えるところですが。 
曲のほうも、いきなり「熱帯夜」に代表されるような男くさい路線への転換を図ってみたり、試行錯誤が感じられる時期でした。

個人的には、かみさんの友人をライブにつれていってはゴスマニアにするという普及活動にいそしんだ年でした。 
新しいゴスマニア達にいろいろと昔のお宝を見せたり(自慢したり)して、着々と「ゴス子分」を増やしていきました。
何しろ、会員番号100番台ですから。 
かみさん含めて新たにファンクラブに入った子分たちは、4000番台くらいだったかな。 
それでも十分大きな番号だなあと思ったものですが、今思えば相当若い番号でしたね。

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1998年のアルバムは「Vol.4」、1999年は「Five Keys」が発売されました。
Wikipediaの「Five Keys」の項目を見ると、セールスはVol.4より落ちたものの、村上・黒沢・酒井・安岡の各メンバーは、Five Keysが重要なターニングポイントになったとあるインタビューで答えていたとか。
確かに、作品の幅広さが一気に広がった作品ではありますね。
ジャケットもそれまでとはイメージが一新されていますし。



ここまではボーカルグループっぽいのが。



もはやボーカルグループではない。
テクノグループといっても通じるジャケットに、当時のファンは追いつくのが大変だったな、という思い出が。
「ヤングのポーズが斬新すぎる」という会話を仲間たちとしていたのは、ここだけの話。


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