今日は父の命日だ。
あれから十年。もうそんなに経ってしまうのか。
そんな年月が流れたことが
全く以って信じられない。
決して大げさに“よくある表現として”言っているわけじゃなく、
身体の感覚として「嘘だろう?」と。
まぁそれだけ
「あの日」を中心とした前後数日間が
嵐のような凄まじさだったということだろう。
(嵐という表現でも物足らない…もっと違う大きな何か…)
父の死の前後に起きた
奇跡の連続は
今でも思い出しては涙してしまう。
あの日のことを
詳しく記しておきたいと
もう十年思い続けているが、
未だに自分の文章力に自信が持てず
書いては消し書いては消し、
結局今も先送り状態だ。
あの日を完璧に表現できるほどの文章力なんて
一生かかってもつかないかもしれないのに。
いずれ自信がついたら(または妥協する気になったら)
書いてみようと思う。
生きているうちに書ければいいや。
老後だっていいかも、だ。
生前、父は「死んだら“無”になる。」と言っていた。
霊感は結構強いくせに(そんなエピソードが多い)、
死後の世界を全否定。
身の回りに起こった不思議なことも
すべて現実的に解釈する。そんな父だった。
一方娘の私は、子供の頃から大の心霊番組好き(今はそうでもないけどね)…とはいえ、
父の影響も多少あったのか、実際は半信半疑。
「ある」か「無い」かと言われれば
限りなく「ある」に近い「無い」だった。
でも、父の死後に起こった
いくつかの出来事は
そんなどっちつかずだった私を
「ある」側の方へ“多少多めに”傾かせた。
だからといって宗教やら何やらにのめりこむようなことは無いが、
基本「父が見ているかも」と
軽く警戒をしながら行動するようにしている。
父を悲しませないように、父に笑われないように、
行動には気をつけているつもりだ。
だから今の私は結構な「バカまじめ」ですw
…まぁ、程度にもよりますけどね…
「しょうがねぇなぁ…ったく(笑)」くらいのことは時々やっちゃうかも。
もうさすがにいい年だし、それくらいは大目に見てね、お父さん。
あれから十年。もうそんなに経ってしまうのか。
そんな年月が流れたことが
全く以って信じられない。
決して大げさに“よくある表現として”言っているわけじゃなく、
身体の感覚として「嘘だろう?」と。
まぁそれだけ
「あの日」を中心とした前後数日間が
嵐のような凄まじさだったということだろう。
(嵐という表現でも物足らない…もっと違う大きな何か…)
父の死の前後に起きた
奇跡の連続は
今でも思い出しては涙してしまう。
あの日のことを
詳しく記しておきたいと
もう十年思い続けているが、
未だに自分の文章力に自信が持てず
書いては消し書いては消し、
結局今も先送り状態だ。
あの日を完璧に表現できるほどの文章力なんて
一生かかってもつかないかもしれないのに。
いずれ自信がついたら(または妥協する気になったら)
書いてみようと思う。
生きているうちに書ければいいや。
老後だっていいかも、だ。
生前、父は「死んだら“無”になる。」と言っていた。
霊感は結構強いくせに(そんなエピソードが多い)、
死後の世界を全否定。
身の回りに起こった不思議なことも
すべて現実的に解釈する。そんな父だった。
一方娘の私は、子供の頃から大の心霊番組好き(今はそうでもないけどね)…とはいえ、
父の影響も多少あったのか、実際は半信半疑。
「ある」か「無い」かと言われれば
限りなく「ある」に近い「無い」だった。
でも、父の死後に起こった
いくつかの出来事は
そんなどっちつかずだった私を
「ある」側の方へ“多少多めに”傾かせた。
だからといって宗教やら何やらにのめりこむようなことは無いが、
基本「父が見ているかも」と
軽く警戒をしながら行動するようにしている。
父を悲しませないように、父に笑われないように、
行動には気をつけているつもりだ。
だから今の私は結構な「バカまじめ」ですw
…まぁ、程度にもよりますけどね…
「しょうがねぇなぁ…ったく(笑)」くらいのことは時々やっちゃうかも。
もうさすがにいい年だし、それくらいは大目に見てね、お父さん。