2009年09月21日

泣き相撲

栃木県鹿沼市の生子神社の泣き相撲があり、十数名で吟行をした。そのときの句会でのこと。

7句出句で100句近い作品の多くが「泣き相撲」の句となり、視点の異なる作品群を前にして面白い句会となった。選句、披講も終り、参加者それぞれが短評をする場面で質問が出た。

《作品の中に「泣き相撲」「泣相撲」と、送り仮名の扱いが一定しない。どうすればよいか?》というものだ。

たしかに作品の一部に送り仮名を付してないものがある。《送り仮名はいらないよ》とベテラン俳人が断じた。《神社の出している案内書は送り仮名が付いています》と初心者が食いつく。

《例句はどうなっているの?》《いろいろだよ。泣角力と書くのまである》《自分の名前はこうだと言っているのに俳人が勝手に変えてよいのかな》

短評の短い時間なので、特に結論めいたことは出なかったが、俳句が創作である以上、こうした場面は常に出くわすだろうし、そのつど真剣に考えることも必要なのだと思う。

ちなみに、講談社版「日本大歳時記」(昭和58年版)では「泣角力」で一般季語が立てられており、例句も一句だが載っている。秋の基本季語に「相撲」があり、「角力」はその傍題として表記されている。であってみれば、「泣角力」という季語の立て方は少々理不尽な気がする。

また角川書店の「関東ふるさと大歳時記」(平成3年版)では、地名編の「鹿沼」の項目に四句掲載されている。表記は「泣き相撲」で、そのうち二句は送り仮名が無い。つまり送り仮名については「作者まかせ」という選句をしたのだろう。

こうしてみると、ずいぶん作者の裁量権が大きいなと思う。責任も重大なのだが。さて私はどの「ナキズマフ」を使おうか。


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2009年09月19日

復帰

また暫くの休みが続いた。

このプログを誰のために書いているのかという素朴な疑問に突き当たったことと、衆議院の解散総選挙という不測の事態(予定より1年遅れたという意味で)に遭遇したためだ。

当然この選挙にも深い部分で関与したのだが、当該候補者は敗れてしまった。

敗れた候補者は、自由民主党という賞味期限切れの政党に所属し、一旦は脱党したが程なく出戻り、派閥の事務総長を務めていたという絵に描いたような当世政治家であり、累代に渡る政治一家という意味では典型的な世襲議員でもある。

世情音痴であることは言うまでもない。落選の要素を他者の何倍も持っていると言ってよい。

当然われらは、2年も前から永田町まで出かけて選挙態勢の改善を進言してきたが、当の議員先生は現状維持で当選できると踏んでいるようであり、結果は無駄足であった。

それでも昨年の麻生内閣発足時に、衆議院解散総選挙を実施していれば、民主党新人議員に苦杯を嘗めることは無かったろうし、万が一敗れても比例区で落ちるような無様なことにはならなかった筈だ。

しかし麻生総理の誤った思惑により、1年遅れた今年8月の総選挙に日程が決まった時点で、当該候補者の落選は予想がついたのである。

むろんその形勢の逆転をはかるべく、然るべき人物を動員して選挙戦略、戦術の転換を進言したのだが、この期に及んでもこれを拒み、従前どおりの見せ掛けの選挙対策本部を作ってよしとする老朽化ぶりであった。

そしてやる気のない運動組織を、ひとりの県会議員が指揮するという、本当にお粗末な選挙運動を展開したのである。この選対本部は、「うっかり口を開けば全責任を背負わされてしまう」として、ほとんどの出席者が自発的な発言を避けていた。

今にして、これで当選しても国民のために働くことはできなったであろうと思うのだ。

しがらみで応援した当該議員の落選は残念だが、政権交代が斯くも鮮やかに実現したことは、日本の未来のために喜ばしいかぎりである。

また、小沢一郎の念願が成就したことも喜びに堪えない。マスコミをはじめとする軽薄な世相の中で、小沢一郎の果たした役割は、必ずや後世の歴史が正しく評価するものとなるだろう。




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2009年05月12日

小沢辞任

小沢一郎氏が民主党代表を辞すると発表したようだ。衆愚の極みというほかはない。

これにより、円滑な政権交代のシステムは構築できず、日本の政治は低迷を続けるだろう。

それにしても、メディアにより世論誘導される国民の愚かさよりも、その世論に過度に反応しておのれの指針を見失う政治家の軽薄さに呆れる。

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2009年05月10日

類想

最近あるインターネット句会で、類想・類句の議論が展開されている。主として「誰々の句は類想である」という類いの攻撃性を含んだ議論なので,深く詮索はしないが、句会に参加している以上、他人事ではない部分もある。

昨日、定例の句会(インターネット句会ではない)に出たが、その中でも過去に出句例のあったと思われる発想の句(類想句)が散見され、その中に表現の酷似した、いわゆる類句とおぼしき作品もあり、それが結構な点を獲得してもいた。

そのことを句会の指導者が指摘するでもなく、句座は円滑に進んでいった。私は、その作者が点を取るためにそうした作為を弄したのだとは思わないが、俳句精進への油断が一座の中に芽生えているという危機感を持った。

俳句に限らず「習い事」であれば、必ず先達の真似をして技術習得をするのであり、似るのは至極当然のことなのだし、むしろ「この頃は先生に似てきましたね」などと言われるのは、十分な誉め言葉でもある。

しかし俳句の世界(短歌も同様)では許されるどころか忌避されることになる。

それは俳句という文芸の根幹が、作者固有の感興・感動を言語によって表出する、いわば表現の美を追求するところにあるからであろう。固有の表現が他人からの借り物であってはならないということなのだ。

インターネット句会の議論を垣間見ると、類想・類句が許されないという点では一致しているが、それを当事者(先行作者と後発作者)や第三者が知った後どう対応するかで議論が分かれているようだ。

インターネットという匿名でお付き合いをする場合の難しさが、当該議論を迷路にいざなっているようだが、現実の実名句会では、逆に類想・類句に正面切った議論を向けないように配慮して、句会の円滑な進行を図っているようであり、それはそれで、「俳句をなぜ作るのか」という大問題が覆い隠されてしまうような危機感を抱いてしまうのだ。



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2009年01月28日

ブログ復帰

昨年9月から知事選挙、市長選挙に関与して多忙を極めた。選挙というもの、政治というものが胡散臭いものとみなされて久しいが、そうであってはいけないという思いから、三十年の長きにわたってひとりの清廉な政治家を推挙し続けた。そのことに有利ならしめるためにいくつもの選挙に関与し、今回の市長選挙にも関与した。

一介の県庁職員であった青年が、市会議員、県会議員、市長、県知事と階段を昇りつめてきた。私はその上昇志向に深く立ち入りできる限りの支援を続けてきたが、その集大成としての二期目の知事選挙であった。

選挙は一日にして成らない。それまでの政治家本人の足跡が、あるいは人間性が問われる。幸いにして彼は努力し対立候補の出馬を抑えて、共産党候補のみを相手に戦う選挙の構図に持ち込むことができた。さまざまな政治勢力が結合し、彼を推挙するための大組織を形成したことが対抗馬の出馬を抑止する結果にもなったのだろう。大いなる虚構が成就したということである。

しかし今後のことをより有利に計ること、つまり初心である政治の浄化、弱いものの立場に立った政治の実現を考えれば、身近にある者としては勝ち方にも工夫が必要だし、邪心、欲心を持った既成の政治家や経済利害の当事者、立身を目論む官僚たちの関与をできるだけ排除して、フリーハンドを保てる勝ち方をしなければならない。

そういう意味で困難な選挙であった。

今日からブログに復帰する。四ヶ月ぶりということになる。


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2008年09月30日

草津吟行

栃木県と群馬県の白魚火会が、仁尾主宰をお招きして吟行句会を共催した。場所は草津白根山周辺と、湯の花畑や西の河原など、一泊二日のバス旅行でもあった。

栃木県から草津までは五時間ほどかかるが、以前(二十年前)のように車中句会などはなく、二十人足らずの人々が二〜三人のグループを作り、個々に会話を楽しむという風であった。

リゾートホテル風の宿泊会場は立地もよく、早朝、窓から望む深い山々は霧が立ちこめ、ところどころに湯煙が立ち上る。近景のななかまどの実は真赤に色づき、落葉木は黄色に色づいて美しい。

前日は到着直後に、地元群馬の準備した計画により、草津白根山山頂付近の吟行となった。

バスを下りて熔岩の原を突っ切る道を登りきると、熔岩礫の壁面に沈んでエメラルドグリーンの山頂湖、湯釜がある。それほど広くない湖だが、その色合いは神秘的だ。

山頂から湖を見下ろして振り返ると、熔岩原の広がりの中に諸々の植物を赤や黄色に染めて、季節のうつろいを教えている。狭い登山道に行き違う人々は多くが無言だ。

この景色の中で俳句を五句まとめなければならない。


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2008年09月17日

総裁選挙

総裁選挙

自民党の総裁選挙が賑々しく?進行している。五人の候補者が一台の選挙カーに同乗して街頭演説をして歩くのだが、聴衆の中に総裁選挙の投票権をもつ者がどれほどいるだろうか。そのことに疑問を抱く人は少ないようだ。

総裁候補者の一人が「・・・衆議院候補者として・・・よろしくお願いします」などと演説しているところを見れば、解散総選挙というスケジュールに乗った、国民をたばかるためのセレモニーであることは明らかだ。随所に馬脚が現れている。否、演出としてわざと現しているのではないか。国民も舐められたものだ。

だが気楽に眺めれば、自民党という政党の本質がよく現れていて面白い。五人の候補者の主張がきちんと分かれていて、「全体で自民党の主張です」と、しっかり治まるようになっている。

本命と目される麻生太郎氏は当面の経済対策に力点を置き、唯一の女性候補である小池百合子氏は小泉改革の継続を訴える。与謝野馨氏は財政改革のための税制改革という、やや重いテーマを持ち出し、石破茂氏は防衛族議員らしく、海上給油などの国際貢献の重要性を強調している。

一人の政治家では矛盾が生じて主張しきれない内容を、手際よく分担して主張し、全部で自民党ですよということなのか。

どん尻に控える石原伸晃氏は、まさに自民党政治家らしく曖昧模糊とした主張で、取り立ててこれをやるという意欲を感じられない。まずは参加することに意義があるという立場のようだ。これも歴代総裁の悪弊を踏襲するスタンスで、まことに自民党(日本人)らしい。

残念なのは、自民党の党是とも言うべき憲法改正論を正面に打ち出して戦う総裁候補がいないことだ。


bio80 at 14:56コメント(0)トラックバック(0)時事 

2008年09月15日

施餓鬼 3

施餓鬼 3

一通りの施餓鬼供養が終ると、直会というのか「ヒアゲ」というのか、お寺の庫裏のほうに昼食が準備されており、檀家衆で賑わっていた。五目御飯やお煮しめ、お新香などに加えて、ビールなどの飲み物も用意され、既に頬を赤く染めている人もいる。

この寺の家人の一人が俳句の仲間であることから、施餓鬼吟行が企画されたのだろう。ありがたいことに、昼食の賑わいの中に俳句連中の席も用意されており、精進の料理を堪能することができた。

近在に生活する檀家衆は、土地柄もあって農民が多いようだ。酒食の間にも今年の稲の作柄などが話題を占める。

隣の学校の運動会も昼食に入り、先ほどまでの拡声器の音量が嘘のように静まり返っている。しかしひとつひとつの食座では、運動会の成果が喜怒哀楽を交えて語り合われていることだろう。人という生き物が食物を摂る不思議な静寂の時間帯だ。

施餓鬼とは、縁なき死者の霊(仏)に飲食などの供え物をして、その冥福を祈ることと辞書などにはあるが、そうしたこころが形として残っていることに嬉しさを覚える。

その御食の座が、運動会の昼食の座のように一族ごとではなく、それを超えた「人」としての座であることに一層の嬉しさを感じるのだ。

今の殺伐とした時代にこうした催事が残されていることに、ほのぼのとした感慨を抱くのは誰も同じなのだろう。食事をとる檀家衆の顔は晴れやかだ。

声明に和して煩き法師蝉     秋吾

秋の蝶諷誦の律を逃れたり     秋吾


昼食後に句会が開かれた。参加者は皆老練の作家。見るべきものを見た、という佳吟が投句されている。しかし私の脳裏には大勢の僧たちの声明がこびりついて離れない。僧たちの声が道の辺にさやぐ枯れ芒の声とも聞えたのはなぜか。


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2008年09月14日

施餓鬼 2

施餓鬼 2

檀家衆で一杯になった本堂に座り、施餓鬼会の時を待つ。本堂の正面奥にはたぶん御本尊が安置されているのだろう。その奥行きの深さにもありがたみがある。しかし私の座った位置からは奥の奥までは見えない。正面に見えるのは相対して座る数十人の檀家衆のどこか鄙びた顔ばかりだ。

むしろきょうの主役は、本堂入り口近くに設けられた施餓鬼壇(施餓鬼棚)だ。黒漆塗りの六尺ほどの高さの施餓鬼壇は、本堂入り口に背を向け、御本尊に正対して設えてある。

コの字形に三方を囲った施餓鬼壇の正面は御本尊の方からしか見えない。壇の四隅には模造の青竹が立てられ、外側の壁面には檀家衆に配られる塔婆が、ビニール紐で集落ごとに束ねられ、名札を着けて立てかけられている。

施餓鬼供養が終れば、檀家代表が集落に持ち帰り、それぞれの信徒にお配りするものと思われる。

施餓鬼壇の正面を、僧の到着する間に覗き込む人がいるので、便乗して私も覗き込むが、それは普通の仏壇とあまり変わらないように見えた。

腰高の壇上は何層かの階をなし、三界万霊と墨書された大きな牌が正面の高座を占め、灯明やお供物が備えられ、過去帳でもあろうか、コピー用紙の綴じられた小冊子が数冊積まれている。また、中央に小さな施餓鬼幡が立てられていたのも印象に深い。お供物のバナナの房とりんごが特に脳裏に焼きついたのは不徳の致すところ。

やがて施餓鬼会が始まった。最初に光明寺の住職が挨拶し、続いて黄衣を纏った外来の僧正が登壇して施餓鬼会にちなんだ法話をしてくださる。僧正の穏やかな語り口に、境内の大銀杏あたりからときおり届く法師蝉の鳴き声が風韻を添える。

法話が終ると、やがて十数名の僧たちが薄紫の僧衣を纏い、回廊から本堂に入って着座する。施餓鬼供養の始まりだ。今風なのだろうか、世話人らしい僧がマイクを握り、僧たちのいちいちの仕草を解説して聞かせる。時としてその音量に読経がかき消されることもあるのは、致し方のないところか。

台風が接近しているせいで、蒸し暑い大気が体を芯から汗ばませる。しかしときおり吹き抜ける風は、秋の気配を含んで清涼この上ない。一気に汗を引かせ、ついでに堂内に蝶まで運び込んで楽しませてくれる。

十数人の僧が一斉に声明を唱えると、人の声というものの美しさを実感する。生きていればこその声だ。瞑目してそれを聞きつつ、声明の中で死ねたらよいな・・・それは贅沢というものか、などと本気で思いをめぐらせる自分に出会う。本堂内はまるで別世界のように清浄な気が満ちはじめる。

陶然とするうちに僧たちの散華の儀式も、参列者の焼香も終わり、施餓鬼会は終了した。僧たちが退席すると、会衆は先を競って散華の花弁を模したカードを拾い集める。お守りにするのだという。何かにすがりたいという庶民の心情は、いつの時代も変わらない。


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2008年09月13日

施餓鬼 1

施餓鬼 1

俳句の仲間に誘われて、家中の光明寺というお寺に施餓鬼会の見物(実は俳句会であった)に行った。曼珠沙華が道の辺に咲き始め、稲も刈りごろの秋日和。一時間足らずのドライブ(乗せて頂いた)で目的に到着。

お寺の背後の学校では運動会が催されており、拡声器を通した場内放送と、それにまとわりつくように、子供たちの喚声が聞えてくる。秋の昼の長閑さを感じつつ寺域を散策する。

光明寺というお寺全体が普請を継続中のようで、本堂は何年か前に普請されたあとが見え、墓石や樹木の配置もすこし落ち着かない様子だ。真新しい山門は、白木の匂うような造作の両脇に、仁王様が阿吽の形相を私たちに差し向けている。

山門をくぐると広めの内庭があり、中央に青い実を無数につけた銀杏の大樹が聳えて、つくつく法師がしきりに鳴き交わしている。その右横手の築地の手前に、歴代の住職の墓が古色を見せて整列している。

銀杏の木の下にリヤカーが一台、無造作に置かれているのがどこかユーモラスだ。鄙びたお寺さんの、住職のこころの大らかさをも演出しているようだ。

左手には納屋があり、その入り口に白芙蓉の株立ちがいくつかの花をつけ、一隅を燈している。白芙蓉の奥の石段を登ると古びた鐘楼があり、撞き手を待ちわびるように鎮まっている。

銀杏の木の奥に本堂がある。堂の外壁は漆喰かセメントかわからないが、木造ではなく、近代的なというより、むしろつつましい風情を呈する。本堂への上がり口には、翠の地合に白色の線が渦を巻いた玉石のような踏み石が敷かれている。鏡にしたいほどよく磨き抜かれているので、踏みつけるには勿体ない。足をずらせてそれを踏まないように歩く。

本堂左手奥に庫裏があり、その通路付近にも紅芙蓉と白芙蓉が咲き誇る。蜂が蜜を食べに通っているようだ。芙蓉の大きな花弁の底を覗くと、小型の蜂が頭からしりの端まで花粉まみれとなり、転げまわるように貪っている。

庫裏の玄関脇には観賞用の大輪菊の苗が数十鉢、莟を持ち始めて整列している。

檀家衆とは明らかに風体の違う人々が、境内の彼方此方に佇んで思いおもいの景色を眺めている。その大半が顔見知りの俳句の仲間で、このお寺の境内が集合場所になっていたのだと悟る。それぞれに声を掛け合い、簡単な挨拶を交わしつつ寄り集まり、今日の予定を話し合う。

昼食後五句出句、となった。兼題はないが、施餓鬼会をお見せいただくその場所での句会だから、お寺もしくは施餓鬼会を詠み込んでの挨拶句となるのだろう。

ふと空を見上げると、緑色に輝く二頭の蝶がつかず離れず中空を泳ぐように飛んでいる。黒と緑の蛍光ペンで描かれたような美しい蝶は、その輝きのために本当の色を見さだめることができない。

一頭の蝶が激しく早く移動している後を、もう一頭が追いかけるように飛んでいる。二頭の蝶の間隔は常に等距離を保ち、どちらが操っているのかわからないが、二頭が見えない糸に結ばれているように同じ動きをする。

私とのその距離は、始めは数メートルだったのが、瞬時にして十数メートルに離れた。蝶同士は三十センチほどの距離をあやまたずに保ち続け、舞い続けているのだ。頭の中で「カメラを持ってくればよかった」などと叫んでいるが、カメラに収まる景色ではない。こんな美しい、そして幻想的な光景をこれまで見たことがない。

施餓鬼という、無縁仏や餓鬼たちの供養をいとなむお寺さんで、このような光景を目にすることの不思議を感じながら、長い時間、蝶たちの空に釘付けになってしまっていた。


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